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薩摩硫黄島飛行場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三島村薩摩硫黄島飛行場
Satsumaiojima Airfield
地図
IATA: N/A - ICAO: N/A
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島無番地
種類 非公共用飛行場
運営者 三島村
運用時間 8:30 - 17:00(JST)
標高 103 m (338 ft)
座標 北緯30度46分51秒 東経130度16分22秒 / 北緯30.78083度 東経130.27278度 / 30.78083; 130.27278座標: 北緯30度46分51秒 東経130度16分22秒 / 北緯30.78083度 東経130.27278度 / 30.78083; 130.27278
地図
空港の位置
空港の位置
薩摩硫黄島飛行場
空港の位置
空港の位置
薩摩硫黄島飛行場
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
18/36 600×25 アスファルト
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
薩摩硫黄島飛行場上空の空中写真(2007年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
薩摩硫黄島飛行場から見る硫黄岳

三島村薩摩硫黄島飛行場(みしまむらさつまいおうじまひこうじょう)は鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島)にあり、三島村が設置管理者となっている非公共用飛行場

2023年(令和5年)6月より滑走路機能低下のため休止(休場)となった。

概要

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同島の鬼界カルデラの西側丘陵を開拓し建設された。滑走路が600mであるため機材の制限が多く、小型機の利用が中心である。

新日本航空株式会社が鹿児島空港からセスナ172のパイロット1名による定期便(予約制で「特別便」と呼称されている)を、毎週2便(月・水)運航している[1]。1機が定員3名(1名は操縦席)、運航日前日正午までに乗客の予約がない場合には運航は中止されるなどチャーター便(専属輸送)やエアタクシーのような柔軟な運航が行われている。それ以外の日時については、鹿児島空港からの予約制によるチャーター便も可能。

かつては東和航空によって枕崎飛行場(枕崎空港・2013年3月廃港)との間にチャーター便が運航されていたが[2]、2003年4月に運航会社が休業したのち、2014年8月に新日本航空が就航するまで、実質休止状態の飛行場であった。

沿革

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施設

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就航路線

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現在の就航路線

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航空会社就航地
日本の旗新日本航空(NJA) 鹿児島空港

かつての就航路線

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  • 日本内外航空
    • 薩摩硫黄島 - 鹿児島、屋久島(1日1便の不定期便)使用機材はBN-21983年頃まで運航[5]
  • 日本コンチネンタル空輸
    • 薩摩硫黄島 - 枕崎飛行場(チャーター便運航)
  • 東和航空
    • 1996年の日本コンチネンタル空輸撤退を受け、枕崎市内の建設関連業者5社が出資して設立した東和航空(枕崎市)が、2003年頃まで「セスナ172」2機によるチャーター便運航を枕崎飛行場との間で行っている。

事故

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  • 1997年11月6日正午頃、東和航空の枕崎飛行場(枕崎空港、現在の枕崎ヘリポート)行きセスナ スカイホークチャーター便が離陸直後に墜落。同機は大破したが、機長と乗客の計2名は無事だった。高度30mに到達した際に乗客が操縦桿を押し下げ操縦不能になったことが原因と推定されている。[6]乗客は現場から行方不明になり後日近くの海中で遺体で発見された。自殺と断定されている
  • 2012年11月25日午前11時頃、屋久島空港から飛来した個人所有のFA-200(エアロスバル)が着陸に失敗、滑走路をオーバーランして仰向けになる事故が発生。4人が乗っていたが死者、重傷者はなし[7]

脚注

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  1. ^ 運航のご案内
  2. ^ みしま村について - 三島村(2011年2月1日閲覧) ※文中「4.交通の状況」内の記述。
  3. ^ 運航のご案内”. 新日本航空. 2016年12月30日閲覧。
  4. ^ 運航のご案内”. 2024年1月2日閲覧。
  5. ^ 国鉄監修 交通公社の時刻表』1982年6月号 545ページ航空時刻表
  6. ^ 航空事故調査報告書
  7. ^ 小型機がオーバーラン、仰向け 鹿児島・薩摩硫黄島 2012年11月25日朝日新聞デジタル(2012年11月閲覧)

関連項目

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外部リンク

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