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2023年3月30日 (木) 10:54時点における版
略称 | 羽田グループ |
---|---|
設立 | 2001年10月17日 |
設立者 | 羽田孜 |
解散 | 2012年12月16日[要出典] |
種類 | 民主党のグループ |
会員数 | 民主党所属国会議員 |
重要人物 | 羽田孜 |
関連組織 |
新生党 自由改革連合 新進党 太陽党 フロム・ファイブ 国民の声 民政党 保守新党 |
政権戦略研究会(せいけんせんりゃくけんきゅうかい)は、民主党のグループ。通称、羽田グループ。
概要
1998年4月の民主党結成に際して民政党から合流した羽田孜元内閣総理大臣ら保守系・ハト派[1]の議員の集まりをもとに結成された。
2002年9月の代表選を契機に若手の多くが凌雲会(前原グループ)や花斉会(野田グループ)へと移ったため、以後は羽田ら旧民政党出身のベテランが中心となった。政権交代を実現する会(鳩山グループ)とともに旧新進党出身の保守系議員の受け皿となってきたが、鳩山グループに移る議員も多かった。保守新党結成の例にみられるように離党者も多く出した。
協調して行動することが多い旧自由党系の小沢グループ、鳩山グループ、旧民社党系の民社協会(川端グループ)とともに保守系グループとして一括りにされることもあった。また、小沢一郎に近い石井一から距離を置く渡部恒三まで幅広い議員が存在し、リーダーの羽田の高齢化に伴い求心力も低下したため、グループとしての結束力を低下させていった。
沿革
発足
1998年4月の民主党結成に際して民政党から合流した国会議員を中心に形成された議員の集合体を前身とする。当初は党内での発言力確保を目的とし、最終目標としてリーダーの羽田孜の首相再登板を掲げていた。
2001年10月17日に保守系議員の結集を掲げて「政権戦略研究会」の名で正式に旗揚げし、10月23日にリーダーの羽田に加えて熊谷弘、中野寛成、石井一、鹿野道彦、岩國哲人らを顧問に迎えた集団指導体制をとることを決めた[2]。2002年に入ると活動を活発化させ、2月13日にグループのメンバーが中心となって設立した「(選択的)夫婦別姓を慎重に考える会」の初会合を開き[3]、4月3日に「北朝鮮による主権侵害に毅然とした対応を求める要請書」[4]を党代表の鳩山由紀夫に申し入れた。
2002年9月の代表選では熊谷を中心としたベテラン、中堅の多くが岡田克也擁立に動いたのに対し、若手の多くが野田佳彦を支持して分裂状態となり、野田支持派は凌雲会(前原グループ)や花斉会(野田グループ)へと移った。鳩山再選後の党役員人事では代表選への出馬を取りやめて鳩山の支援に回った中野が幹事長に起用され、露骨な論功行賞と批判を浴びた。鳩山の退陣論も出る中でグループは微妙な立場に立たされたが、自由党や社会民主党との統一会派構想を提起して党の立て直しを唱えた[5]。12月の代表選で菅直人が岡田を破って代表に選出された直後、国会対策委員長を歴任した熊谷や佐藤敬夫などの有力議員が保守新党結成に参加してさらに打撃を受けた。
2005年9月の代表選で前原誠司が菅を破って代表に選出された後、2006年3月に堀江メール問題の責任を取って野田が国会対策委員長を辞任すると、後任に渡部恒三が起用された。4月の代表選では4月3日にグループとして小沢一郎支持を決定し[6]、小沢が代表に選出された。渡部は続投したが、9月の代表選後の党役員人事で退任した。
2009年5月の代表選では5月14日に自主投票を決定したが、羽田が鳩山支持を表明するなど、大半が鳩山を支持し[7][8][9][10]、鳩山が代表に選出された。
民主党政権下
8月の第45回衆議院議員総選挙を経た政権交代後の内閣人事では原口一博が総務大臣、北澤俊美が防衛大臣として初入閣し、党役員人事では石井が選挙対策委員長に就任した。
2010年6月2日に鳩山が辞意を表明すると、続く6月の代表選では結成時の世話人を務めた樽床伸二が出馬したが、6月3日に自主投票を決定し[11][12]、菅が代表に選出された。その後の内閣人事では原口、北澤ともに再任され、党役員人事では樽床が国会対策委員長に就任した。
9月の代表選では自主投票の方向となり[13]、羽田ら一部が小沢の支援に回ったが[14][15][16]、菅が再選された。その後の内閣改造では北澤が留任し、鹿野が農林水産大臣に任命され、原口が退任した。2011年1月の内閣改造では鹿野、北澤が留任し、中野が国家公安委員会委員長として初入閣したほか、党役員人事では石井が選挙対策委員長に就任した。
2011年8月26日に菅が辞意を表明すると、続く8月の代表選では結成時の顧問を務めた鹿野と結成時の世話人を務めた後に自身のグループを立ち上げた野田が出馬したが、8月25日に自主投票を決定した[17][18]。結果は野田の当選に終わったが、代表幹事を務めた吉田公一や結成時の世話人を務めた松崎公昭など残るメンバーの多くが鹿野陣営につき、これをもとに素交会(鹿野グループ)が立ち上げられたため、党内主要グループとしての地位を譲ることとなった。
野田が代表に選出された後の内閣人事では鹿野が再任され、中川正春が文部科学大臣、前田武志が国土交通大臣として初入閣し、中野が退任したほか、党役員人事では樽床が幹事長代行に就任した。2012年1月の内閣改造では鹿野、前田が留任し、中川が防災担当大臣・「新しい公共」担当大臣・少子化対策担当大臣・男女共同参画担当大臣に横滑りしたほか、党役員人事では城島光力が国会対策委員長に就任した。6月の内閣改造では中川が留任し、羽田雄一郎が国土交通大臣として初入閣し、鹿野、前田が退任した。9月の代表選後の内閣改造では羽田が留任し、樽床が総務大臣、城島が財務大臣として初入閣し、中川が退任した。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では羽田と渡部が政界引退を表明し、現職閣僚の樽床と城島が落選したほか、原口も小選挙区で落選して比例復活となった。12月の代表選後の党役員人事では中川が幹事長代行に就任した。2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では石井が落選し、輿石東の参議院副議長就任に伴う参議院議員会長選では北澤が出馬したが輿石に近い郡司彰に敗れた[19]。
所属していた国会議員一覧
歴代役員
顧問 |
---|
(羽田孜[2])[注 1] (熊谷弘[2])[注 2][注 1] (中野寛成[2])[注 1] (石井一[2])[注 1] (鹿野道彦[2])[注 3][注 1] (岩國哲人[2])[注 1] |
衆議院議員
- 中川正春[注 4][注 5](9回、比例東海・三重2区)
- 野田佳彦[4][注 6][注 7](9回、千葉4区)
- 原口一博[4][注 6][注 4][注 8](9回、佐賀1区)
- 渡辺周[注 9][注 10](9回、比例東海・静岡6区)
- 松原仁[4][注 11][注 12](8回、東京3区)
- 笠浩史[注 13](7回、神奈川9区)
- 牧義夫[4][注 14][注 15](7回、比例東海・愛知4区)
- 伴野豊[4][注 14][注 16](6回、比例東海・愛知8区)
- 下条みつ[注 4][注 17](4回、長野2区)
- 金子恵美[注 4][注 18](3回・参院1回、福島1区)
- 自由民主党
- 細野豪志[4][注 9][注 20](8回、静岡5区)
- 松本剛明[注 14][注 21](8回、兵庫11区)
- 後藤茂之[4][注 14][注 22](7回、長野4区)
- 山口壯[注 23](7回、兵庫12区)
参議院議員
- 立憲民主党
- 日本維新の会
- 国民民主党
- 自由民主党
- 日本維新の会
- 無所属
元衆議院議員
「†」は物故者。
- 民進党
- 羽田孜[2](14回、長野3区)†
- 鹿野道彦[2][注 3](11回、山形1区)†
- 中野寛成[2](11回、大阪8区)
- 古賀一成[4][注 14](7回、比例九州・福岡6区)
- 堀込征雄[4][注 14](5回、比例北陸信越・長野4区)
- 奥田建[4][注 14](4回、石川1区)†
- 城島光力[注 14](4回、神奈川10区)
- 松崎公昭[4][注 6][注 3](4回、千葉8区)†
- 三井辨雄[4][注 6][注 32](4回、北海道2区)†
- 吉田公一[4][注 6][注 3](4回、比例東京)†
- 園田康博(3回、岐阜3区)
- 津川祥吾[4][注 9](3回、静岡2区)
- 国民民主党
- 希望の党
- 自由民主党
- 佐藤敬夫[注 38](5回、比例東北・秋田1区)†
- 岩國哲人[2][注 14](4回、比例南関東・神奈川8区)
- 江崎洋一郎[4][注 14][注 39](3回、比例南関東)
- 金子善次郎[4][注 6][注 40](2回、比例北関東・埼玉1区)
- 日本維新の会
- 無所属・その他
- 熊谷弘[2][注 9][注 2](6回・参院1回、静岡9区)
- 樽床伸二[4][注 6][注 43](6回、比例近畿)
- 大谷信盛[注 9][注 44](3回、大阪9区)
- 鮫島宗明[注 9][注 45](3回、比例東京・東京10区)
- 楠田大蔵[注 46](3回、福岡5区)
- 前田雄吉[4][注 47](3回、比例東海・愛知6区)
- 木下厚[4][注 14][注 48](2回、比例北関東・埼玉8区)
- 小林憲司[4][注 14][注 49](2回、愛知7区)
- 今田保典[4](2回、比例東北)
- 鈴木康友[4][注 11][注 50](2回、比例東海・静岡8区)
- 釘宮磐[4][注 6][注 51](1回・参院1回、大分1区)
- 山田敏雅[4][注 14][注 52](1回、比例中国・広島7区)
- 山村健[注 9][注 53](1回、比例東海・三重5区)
元参議院議員
- 民進党
- 木俣佳丈[4][注 9][注 54](2回、愛知県)
- 佐藤道夫[注 14](2回、比例区)†
- 山本孝史[注 9](2回・衆院2回、比例区)†
- 石井一[2](1回・衆院11回、比例区)†
- 大石尚子[4][注 9](1回・衆院2回、比例区)†
- 大石正光(1回・衆院5回、比例区)
- 中村哲治[4][注 55](1回・衆院2回、奈良県)
- 立憲民主党
- 国民民主党
- 無所属・その他
脚注
注釈
- ^ a b c d e f 元職の国会議員。
- ^ a b 2002年12月に民主党除籍。その後の所属は保守新党。
- ^ a b c d 羽田グループ離脱後の所属は鹿野グループ。
- ^ a b c d e f g 羽田グループ解散時の在籍者。
- ^ 2018年5月に民進党離党。無所属を経て2019年9月に入党。その後の所属は無派閥。
- ^ a b c d e f g h i j 結成時の世話人。
- ^ 2018年5月に民進党離党。無所属を経て2020年9月に入党。羽田グループ離脱後の所属は野田グループ。
- ^ 民進党を離党せず、そのまま旧国民民主党に参加。分党後の2020年9月に入党。その後の所属は無派閥。
- ^ a b c d e f g h i j k l 結成時の代理出席者。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は前原グループ・泉グループ。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ a b 結成時の事務局員。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は 川端グループ・鳩山グループ・小沢グループ→平野グループ→高木グループ→無派閥。2017年9月に民進党除籍。その後の所属は希望の党→無所属(社会保障を立て直す国民会議)→立憲民主党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は樽床グループ→細野派→細野グループ→無派閥。2017年9月に民進党除籍。2018年5月に国民民主党に不参加。希望の党、無所属を経て2021年9月に入党。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 結成時の出席者。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ。2012年7月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→無所属→結いの党→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→江田グループ・松野グループ)→希望の党→国民民主党→立憲民主党(小沢グループ・階グループ)。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山G→樽床G→細野派→旧細野G・高木G→旧高木G→小林G→野田G。民進党を離党せずそのまま旧国民民主党に参加。分党後の2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。グループ解散後の所属は無派閥→泉グループ。
- ^ 羽田グループ解散後の所属は玄葉グループ→小勝会。2018年5月に民進党離党。無所属を経て2020年9月に入党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は前原グループ→無派閥。2017年10月に希望の党に合流。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は前原グループ→細野グループ→細野派。2017年8月に民進党離党。その後の所属は希望の党→無所属(無会派→自由民主党・無所属の会)→自由民主党(二階派)。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は野田グループ→樽床グループ→無派閥。2015年11月に民主党離党。その後の所属は無所属(所属会派は「自由民主党・無所属の会」)→自由民主党(麻生派)。
- ^ 2003年1月に民主党離党。その後の所属は無所属→自由民主党(無派閥)。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は玄葉グループ。2014年2月に民主党除籍。その後の所属は無所属→自由民主党(二階派)。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は野田グループ。2018年10月に国民民主党除籍。無所属を経て同年12月に入党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鹿野グループ→細野派→旧細野グループ→階グループ(希望の党のグループ時代は客員参加)→無派閥。国民民主党分党後の2020年9月に入党。
- ^ 2013年9月に民主党離党。その後の所属は無所属→おおさか維新の会→日本維新の会。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ→細野派→旧細野グループ→旧高木グループ→小林グループ→無派閥。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ。2012年7月に民主党離党。その後の所属はみどりの風→無所属(所属会派は「民進党・新緑風会」)→国民民主党。
- ^ 2002年12月に民主党除籍。その後の所属は保守新党→自由民主党(森派→町村派→細田派→安倍派)。
- ^ 2003年2月に民主党離党。2003年神奈川県知事選に無所属で出馬し当選。2013年参院選当選後の所属はみんなの党→次世代の党→無所属(所属会派は「無所属クラブ」)→希望の党→日本維新の会→無所属→日本維新の会。
- ^ 2003年8月に民主党離党。2003年埼玉県知事選に無所属で出馬し当選。知事退任後2019年9月の補選を経て無会派から国民民主党会派となる。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ→樽床グループ。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ→鹿野グループ。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は野田グループ。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に入党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は野田グループ。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ。2012年10月に民主党除籍。その後の所属は日本維新の会→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→松野グループ)→希望の党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は平野グループ→鹿野グループ。2012年8月に民主党除籍。その後の所属は減税日本→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党→日本未来の党→無所属→維新の党。
- ^ 2002年12月に民主党除籍。その後の所属は保守新党→自由民主党(二階グループ)。
- ^ 2002年12月に民主党除籍。その後の所属は保守新党→自由民主党(山崎派)。
- ^ 2002年12月に民主党除籍。その後の所属は保守新党→自由民主党(二階グループ)。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は玄葉グループ→細野派。2014年11月に民主党離党。2015年山梨県知事選に無所属で出馬し当選。2022年3月に入党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鹿野グループ。2012年7月に民主党除籍。その後の所属は無所属→日本維新の会→次世代の党→おおさか維新の会→日本維新の会。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は樽床グループ。2016年4月に民進党離党。その後の所属は無所属→希望の党→無所属。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ→小沢鋭仁グループ。
- ^ 2007年4月に民主党離党。2007年練馬区長選に無所属で出馬し落選。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鹿野グループ。2014年2月に民主党離党。同年11月に復党。2017年10月に希望の党に合流。2018年1月に希望の党離党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ。2008年10月に民主党離党(後に復党し再び離党)。その後の所属は減税日本→日本未来の党→無所属。
- ^ 2007年9月に民主党離党。2007年所沢市長選に無所属で出馬し落選。その後の所属は国民新党。
- ^ 2005年9月に民主党除籍。
- ^ 2006年12月に民主党離党。2007年浜松市長選に無所属で出馬し当選。
- ^ 2003年3月に民主党離党。2003年大分市長選に無所属で出馬し当選。
- ^ 2003年7月に民主党離党。2003年福山市長選に無所属で出馬し落選。
- ^ 2002年12月に民主党除籍。
- ^ 2006年2月に民主党離党。2007年7月に復党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は平岡・近藤グループ。2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→無所属→民進党。
- ^ 民進党を離党せず、引き続き国民民主党に参加。分党後の2020年9月に入党。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鹿野グループ→大畠グループ。
- ^ 民進党を離党せず引き続き旧国民民主党に参加し、2020年9月の残留新党の結党メンバーに名を連ねるが、離脱。2020年10月に自由民主党・国民の声に参加するが、2022 年4月に離脱。
- ^ 2003年12月に民主党離党。2004年大阪府知事選に無所属で出馬し落選。その後の所属は国民新党。
- ^ 2006年10月に民主党離党。2006年福島県知事選に無所属で出馬し当選。
- ^ 羽田グループ離脱後の所属は鳩山グループ。2013年11月に民主党離党。
- ^ 1999年8月に民主党会派離脱。その後の所属は自由民主党(小渕派→橋本派→津島派→額賀派)→無所属。
- ^ 2013年4月に民主党除籍。2013年佐賀市長選に無所属で出馬し落選。
出典
- ^ 世界情勢を読む会『面白いほどよくわかる政治のしくみ : 国会、政党、官僚、選挙制度…日本政治のすべてがわかる!』日本文芸社〈学校で教えない教科書〉、2010年、101頁、197頁頁。ISBN 9784537257984。
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- ^ “菅氏、地方でリード 国会票、小沢氏と競る 民主代表選”. 朝日新聞. (2010年9月11日). オリジナルの2010年9月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “鳩山氏・小沢元代表「マニフェスト重視」で一致 民主代表選巡り協議”. 日本経済新聞. (2011年8月25日)
- ^ “海江田氏リード、過半数は微妙=野田、前原、鹿野氏2位競う―民主新代表29日選出”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 時事通信. (2011年8月28日)[リンク切れ]
- ^ “民主参院議員会長に郡司氏 参院幹事長には羽田氏”. 朝日新聞. (2013年8月6日). オリジナルの2013年8月8日時点におけるアーカイブ。