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津川祥吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
津川祥吾
つがわ しょうご
生年月日 (1972-01-25) 1972年1月25日(52歳)
出生地 北海道札幌市
出身校 北海道大学経済学部
前職 日本国土開発社員
現職 株式会社トレミー代表取締役
所属政党 民主党
称号 学士(経済学)(北海道大学)
親族
公式サイト 津川しょうごホームページ

選挙区比例東海ブロック→)
静岡2区
当選回数 3回
在任期間 2000年6月30日[1] - 2003年10月10日
2004年3月17日[2] - 2005年8月8日
2009年9月1日[3] - 2012年11月16日
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津川 祥吾(つがわ しょうご、1972年1月25日 - )は、日本実業家、元政治家コメンテーター民主党所属の元衆議院議員(3期)。

概要

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北海道札幌市出身。札幌市立もみじ台小学校、札幌市立もみじ台中学校北海道札幌月寒高等学校北海道大学経済学部経済学科卒業。

大学卒業後、日本国土開発に入社。名古屋支店に配属され静岡県内で現場事務を担当。在社中に民主党の衆議院選挙候補者公募に応募し合格。民主党衆議院選挙公募者公認第1号となる。

2000年第42回衆議院議員総選挙において民主党から静岡2区に出馬。自由民主党原田昇左右に敗れたが、重複立候補した比例東海ブロックで復活し、初当選した。2003年第43回衆議院議員総選挙では原田昇左右の後継である原田令嗣に敗れ落選。しかし、同じ比例東海ブロックで当選した佐藤観樹秘書給与搾取事件により議員辞職したため、2004年3月に繰り上げ当選2005年第44回衆議院議員総選挙では再び原田令嗣に敗れ、比例復活できずに落選した。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で初めて当選し、国政に復帰した。

2010年6月発足の菅直人内閣にて国土交通大臣政務官(担務は安全・危機管理関係施策河川道路及び下水道関係施策並びに鉄道自動車交通気象運輸安全及び海上保安関係施策[4])に就任、第1次改造第2次改造でも留任。菅内閣の総辞職に伴い成立した野田内閣で再任され、野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣でも留任。自民党政権時代も含め最も任期の長い大臣政務官となった。

2011年6月27日から、東日本大震災復興対策本部において岩手現地本部長を務めた。2012年2月10日復興庁の設置に伴い、復興大臣政務官(岩手復興局及び青森事務所担当)を兼務したが、同年10月の内閣改造で退任。

同年12月の第46回衆議院議員総選挙では自由民主党の井林辰憲に敗れ、比例復活できずに落選した。第23回参議院議員通常選挙を経た2013年8月に静岡2区総支部長を退任[5]

政治家引退後は多機能型 放課後等デイサービスCouleur.(クルール)を藤枝市に開業し、発達障害の児童向け保育を行っている。

2018年10月から、静岡第一テレビnews every.しずおかで、コメンテーター(2024年4月からはアンカー)を務めている。

政策

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脚注

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  1. ^ 平成12年(2000年)6月30日中央選挙管理会告示第28号(平成十二年六月二十五日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
  2. ^ 総務省. “衆議院議員選挙にかかる繰上補充”. 2024年6月19日閲覧。
  3. ^ 平成21年(2009年)9月1日静岡県選挙管理委員会告示第72号(平成21年8月30日執行の衆議院小選挙区選出議員選挙における当選人の住所及び氏名並びに当選人に係る候補者届出政党の名称):『静岡県公報』 平成21年(2009年)9月1日(火) 号外
  4. ^ リサイクルポート推進協議会 第352号(平成22年9月29日発行)
  5. ^ 公式ページ
  6. ^ 政策CPプロジェクト - 衆議院選挙2005アンケート
  7. ^ 衆議院議員選挙の当選者の回答”. 「子どもに無煙環境を」推進協議会 (2000年6月25日). 2020年11月8日閲覧。

外部リンク

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公職
先代
谷口和史
西銘恒三郎
岡田直樹
日本の旗 国土交通大臣政務官
長安豊
藤本祐司市村浩一郎
小泉俊明市村浩一郎
津島恭一と共同

2010年 - 2012年
次代
川村秀三郎
橋本清仁
若井康彦
先代
(創設)
日本の旗 復興大臣政務官
吉田泉若泉征三
大串博志
郡和子と共同

2012年
次代
金子恵美
加賀谷健
橋本清仁
郡和子