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「アール・エフ・ラジオ日本」の版間の差分

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2023年1月9日 (月) 08:57時点における版

日本テレビホールディングス > アール・エフ・ラジオ日本
株式会社アール・エフ・ラジオ日本
RF RADIO NIPPON CO.,LTD.
本社所在地の三共横浜ビル
「明治安田生命ラジオ日本ビル」時代の
2009年11月撮影
種類 株式会社
略称 RF、ラジオ日本
本社所在地 日本の旗 日本
231-8611
神奈川県横浜市中区長者町5丁目85番地
(三共横浜ビル)
北緯35度26分32.3秒 東経139度37分55.7秒 / 北緯35.442306度 東経139.632139度 / 35.442306; 139.632139座標: 北緯35度26分32.3秒 東経139度37分55.7秒 / 北緯35.442306度 東経139.632139度 / 35.442306; 139.632139
設立 1958年昭和33年)8月15日
(株式会社ラジオ関東)
業種 情報・通信業
法人番号 8020001014163 ウィキデータを編集
事業内容 放送法に基づく一般放送事業 など
代表者 高橋洋一(代表取締役社長
資本金 1億円
純利益 △4億2009万3000円(2021年3月期)[1]
総資産 8億8814万4000円
(2021年3月31日現在)[1]
従業員数 32人(2019年7月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本テレビホールディングス 96.4%
(2020年7月1日時点)[2]
主要子会社 ラジオ日本音楽出版
関係する人物 河野一郎
遠山景久
小林與三次
外部リンク www.jorf.co.jp ウィキデータを編集
特記事項:日本テレビホールディングス非連結子会社
1981年昭和56年)10月1日に株式会社ラジオ関東から商号変更。
同局では、送信所中継局放送局と称する。
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アール・エフ・ラジオ日本
RF RADIO NIPPON CO.,LTD.
種別 AMラジオ放送
放送対象地域 神奈川県
系列 独立系
略称 RF
愛称 ラジオ日本
コールサイン JORF
開局日 1958年12月24日
本社 231-8611
神奈川県横浜市中区長者町5-85
三共横浜ビル
演奏所 本社及び東京支社
〒106-8039
東京都港区麻布台2-2-1
麻布台ビル北館2階
親局 / 出力 横浜(川崎幸放送局) 1422kHz / 50kW
主な中継局 小田原 1485kHz JORL 100W
横浜FM補完中継局 92.4MHz 5kW
公式サイト http://www.jorf.co.jp/
特記事項:番組の殆どは東京支社から放送されている。
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株式会社アール・エフ・ラジオ日本(アール・エフ・ラジオにっぽん、: RF RADIO NIPPON CO.,LTD.[3][4])は、神奈川県放送対象地域として中波放送(AMラジオ放送)を実施する特定地上基幹放送事業者である。

通称はラジオ日本(ラジオにっぽん)。旧社名はラジオ関東(ラジオかんとう)。日本テレビホールディングスの非連結子会社(2000年代から)[5]

概要

ラジオ ネットワークに属さない独立放送局だが、同じ独立放送局のラジオ関西岐阜放送と提携して番組を相互供給している。

かつては極東放送(現:FM沖縄)とネットを組んでおり、この4地域(神奈川県 周辺、兵庫県岐阜県沖縄県)のみの天気予報をニュース番組で放送していた時期があった。

AMステレオ放送の実施実績は無い。

かつての商号は『株式会社ラジオ関東』(通称:ラジ関)であったが、1981年10月に『株式会社アール・エフ・ラジオ日本』(通称:ラジオ日本)に商号変更した。当初は、『株式会社ラジオ日本』に変更する計画であったが、NHKの海外向け国際放送『ラジオ日本』(1952年∼、現:NHKワールド・ラジオ日本)や、ニッポン放送1954年∼)との混同の恐れがあったため、郵政省の行政指導により『株式会社アール・エフ・ラジオ日本』となった。なお翌年、ニッポン放送が商号の使用差し止めを求める裁判を起こしたが、ニッポン放送の敗訴となった[6]

1977年までは毎日新聞社から全国ニュースの供給を受けていたが、1978年に供給元を読売新聞社に変更。その後は長期に渡って、聴取率低迷と経営の混乱(#「社会の木鐸」宣言参照)が生じた。

経営混乱の収束に辺り、日本テレビ(日テレ)の資本参加を受けて傘下に入っており、日本テレビホールディングス(NTV HD)の公式サイトでは「日本テレビ系ラジオ中波放送」として紹介している。アナウンサーが輪番制で同局に出向。日本テレビの協賛番組(坂上みきのエンタメgo!go!小鳩の愛 〜eye〜わたしの図書室日テレアナ・ザ・ワールド!他)を放送している。

日本テレビが放送持株会社体制に移行後、法人としてのアール・エフ・ラジオ日本はNTV HD(旧・日本テレビ)から新・日本テレビの子会社に異動しており、NTV HDから見れば孫会社だが、後に親会社が新・日本テレビからNTV HDに再び異動。NTV HDの非連結子会社となった。

神奈川県域局でありながら、1978年 以降は日本テレビ、読売新聞社と資本の関連があり、いずれも東京都が本拠である読売ジャイアンツ東京ドーム主管試合)、東京ヴェルディ1969味の素スタジアム国立霞ヶ丘競技場陸上競技場他都内主管試合)で広告看板(なんだろうマーク付き)を掲示したことがある[注 1]

FM補完中継局(ワイドFM)用として92.4 MHzが割り当てられており、2019年(平成31年)1月31日に総務省関東総合通信局から無線システム普及支援事業費等補助金の交付決定を受けている[7]。同年(令和元年)6月26日に総務省関東総合通信局から予備免許が交付された[8]。2020年(令和2年)1月に試験電波の送信を開始、同年3月16日5時から本放送を開始した[9]。なお、既に同年2月16日までにラジオ日本以外の全民放AM放送局がFM補完中継局の本放送を開始しているため、今回の本放送開始を持って、全ての民放AM放送局でFM補完中継局の本放送を開始したことになる[10][11]

南関東 1都3県の中波局で唯一、中波の中継局を持つ。

「社会の木鐸」宣言

ラジオ関東は開局以来「洋楽のラジ関」の通称で親しまれ、同局がイベントで出展するブースは自慢の洋盤ジャケットコレクションが掲示された。

その後も女性アイドル番組など幅広く扱っていた[注 2] 他、1970年代後半には吉崎四平プロデューサーがコールサインの「JORF」を「JOロックフレンズ(Rock Friends)」と読ませ、ロック音楽に力を入れた[12]

創業に尽力した河野一郎の意を受けて経営に当たった遠山景久1977年(昭和52年)に巨人戦ホームゲームの独占中継権を獲得したことに乗じて、ワンマン体制を強化。社名を「アール・エフ・ラジオ日本」に変更した。1982年(昭和57年)、「社会の木鐸」宣言を行い、反共主義色の濃い論説、演歌の多い中高齢層対象の番組を中心に編成を一変させ、若者向け番組を大幅に削減[13][14]。タクシーやトラックの運転手、一部保守的リスナー層に浸透した一方で全体的には大幅な聴取率低下を招いたため、多くのスポンサーが撤退して、経営悪化が深刻になった。

神奈川の県域放送として免許交付されたが南関東全域(神奈川県、東京都、埼玉県千葉県)で聴取できる実態[注 3] があり、遠山時代は東京支社に社員の9割が配置されるなど、東京支社が実質的な本社・演奏所として機能した。1986年(昭和61年)、横浜市土地開発公社が払い下げた横浜市中区の公有地(現在の登記上の本社所在地)が「地元の放送は防災公報等の公共性がある」ことを考慮して、実勢価格の半額以下で任意譲渡されたにも関わらず、建築計画は演奏所、送信機、アンテナ塔が無い、単なるテナントビルである事が暴露され、放送設備等を備えた計画に変更。社会的非難を浴びた。

1987年(昭和62年)に社長を駒村秀雄に譲った後も会長として従前権勢を揮っていた遠山は大喪の礼前後の歌舞音曲自粛を経た1989年(平成元年)4月以降、若者向け番組の完全排除に踏み切る[注 4]。意に沿わぬ局員を徹底的に左遷解雇して、アナウンサーキーパンチャーに異動して告訴され、管理職研修を自衛隊で行い、最盛期には150名以上居た社員を30数名まで減じるなど、恐怖政治的な人事・労務策を敢行することで労使関係は険悪な状況となり退職・移籍者が相次いだ。その間は残った社員が遠山への不満を募らせていく事態となり、経営末期の1993年(平成5年)は打ち切られた番組が21本と経営破綻は現実味を帯びていった。

会長解任と「社会の木鐸」の終焉

1993年(平成5年)12月21日、遠山は15時から実施される予定だった取締役会に遅刻。遠山は「取締役会は定時に開催すべし」と連絡したことで、その日の取締役会は遠山が定刻に来ないまま開始した。本人到着を待つ間、長年の遠山独裁に不満を募らせていた遠山以外の同局幹部はその席上で遅刻している遠山の解任案を緊急発議。審議は全会一致で可決され、遠山を「公共の電波を預かる放送会社の代表として相応しくない」という理由で電撃解任。遠山が取締役会に到着した時は既に手遅れで、ワンマン体制に終止符が打たれた。取締役会終了後の15時15分には会議室に社員を集め「これはプレゼントです」と言い、遠山の解任を伝えた。

これに先立つ同年3月、同局は巨人戦ホームゲーム独占中継権を失い、遠山は主要提携先の読売新聞社から見放された形になっており、経営破綻寸前だった。

後任社長には外部から解任劇を筋書きした小林與三次と同じく、読売新聞・日本テレビ出身の外山四郎が就いた。

外山は遠山の負の遺産の整理を進め、1994年(平成6年)2月に「乱脈経営で会社に損害を与えた」として、遠山を告訴。遠山の土地・家屋を差し押さえて、一族所有の同局株式を日本テレビに譲渡させ、事実上の日本テレビ傘下に納めたことで混乱に一応の終息を見た。これにより経営破綻寸前であった同社はそれを免れ、以後 数年間にわたって再建した[15]

「社会の木鐸」終了から現在

「社会の木鐸」終了後の番組編成は当初、競合他局との差別化を図る意図から劇的な変化を避け、ミッキー安川を長年に渡って、複数番組で重用。没後も実子のマット安川を起用している他、演歌番組も多く編成するなど、高齢者志向を続けた。報道面は2009年(平成21年)11月に深夜放送「ラジオ時事対談」を開始。神奈川県を地元とする議員や実業家のトーク番組が多い等、遠山時代の名残だけでなく、現在提携関係にある読売新聞・日本テレビの影響もあり、保守的傾向となっている。

2000年代以降は以前 排除したアイドル系タレントが参加する若者向けの番組が主に週末を中心に増え、アニラジを復活。イメージ払拭のキャッチフレーズに「こんな番組もやってます」として、夜のアイドル パーソナリティの写真を中心に散りばめた広告戦略を打っている。2015年春より、深夜枠「ラジオ日本NEXT」を開始。アイドル番組枠を大幅に増やした。

2016年秋から形式的にはDJを入れ、番組として編成しているが実態はフィラー枠(ミュージックコンボイ、ザ・スタンダード、Midnight Mix、フォーエバーミュージック、ミュージックセレクション、ウェイクアップミュージック)を深夜帯を中心に放送している[注 5]。放送枠を買い、外部の通販会社などが自社商品を販売する「スポンサー販売」によるラジオショッピングを数多く放送している。

2022年現在の編成部長である高橋充は日刊スポーツに掲載したラジオ日本特集のインタビューで経営体力的に人気タレントの起用が厳しい分、無名であっても個性的なパーソナリティを起用して、マニアックで面白い番組作りの姿勢を1980~1990年代のテレビ東京になぞらえ「少し前のテレビ東京の様なイメージの局を目指したい」とコメントしている[16]

事業所

事業所 所在地 備考
本社 神奈川県横浜市中区長者町5-85 三共横浜ビル 登記上本店。
東京支社 東京都港区麻布台2-2-1 麻布台ビル北館2階 番組の大半をここから放送。マスター(主調整室)もここに設置されている[17]
関西支社 大阪府大阪市北区梅田1-3-1-1100 大阪駅前第一ビル

送信所

放送時間は5:00起点の24時間放送(放送機器メンテナンスのため、日曜深夜(月曜未明)1:00 - 5:00は休止)。

同局では、送信所・中継局を放送局と称する。

親局 コールサイン 周波数 出力 備考
横浜 JORF 1422 kHz 50 kW
  • 都県境のため神奈川県方向へ電波が飛ぶように指向性がかけられている[18]
中継局 コールサイン 周波数 出力 備考
小田原 JORL 1485 kHz 100W
  • 本局の電波が届きにくい県南西部を補完し、また特に海水浴シーズンの
    渋滞情報を伝える目的で、1981年(昭和56年)7月20日に開局した。
  • 2018年3月まで「RADIO WEST」の通称を用い、平日午後(末期は金曜午後のみ)に本局とは別のローカルワイド番組
    (小田原支局廃止後は横浜本社制作)を放送していた。
  • 開局当初は小田原駅前にローカル番組用スタジオ(小田原支局)を擁していたが、
    その後酒匂川河畔に送信所を独立させて廃止した。
    ただし、周波数・出力・コールサインは変わっていない。
予備送信所 コールサイン 周波数 出力 備考
野毛山 1422 kHz 1 kW
  • 別名:野毛山無線基地兼非常用予備送信所。
  • 元本社演奏所跡地の横浜市西区老松町(野毛山の山腹)に所在し、
    1999年(平成11年)3月に建替竣工。
  • 建替前に荒廃した旧局舎上の鉄塔スペースを、行政当局に無断で
    タクシーMCA無線基地に提供し賃料収入を得ていたため、問題化したことがある。
FM放送 コールサイン 周波数 出力 備考
横浜 92.4 MHz 5 kW[19]

資本構成

企業・団体は当時の名称。出典:[20][21][22] [23][24][25]

2020年7月1日

資本金 発行済株式総数
1億円 3,500,000株
株主 株式数 比率
日本テレビホールディングス 3,374,000株 96.40%

過去の資本構成

沿革

  • 1958年(昭和33年)
    • 8月15日 - 株式会社ラジオ関東を設立。ラジオ神奈川、湘南放送、神奈川放送の免許申請を一本化。河野一郎の政治力が強く働いた。
    • 12月24日 - 周波数1480kc[注 6], 出力1kW で放送開始。全国40番目の開局。
  • 1959年(昭和34年)10月 - 出力を10kWに増力
  • 1960年(昭和35年)
  • 1964年(昭和39年) - 東京支社を中央区銀座から港区麻布台の麻布台ビルに移転。この頃から、実質的な本社機能を横浜から東京へ移転させる。
  • 1965年(昭和40年)9月18日 - 台風取材中のラジオカーが晴海埠頭から東京湾に転落。記者・アナウンサー6名水死[27][28]
  • 1966年(昭和41年)10月3日 - 同局初の終夜放送『オールナイト・パートナー』放送開始[27]
  • 1968年(昭和43年)4月 - 周波数を1420kcに変更
  • 1971年(昭和46年)12月 - 出力を30kWに増力すると同時に、指向性アンテナに改造。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 『横浜音楽祭』開始(在京ラジオ局による歌謡賞レース序盤の重要な大会であった)。
  • 1977年(昭和52年)11月 - 読売新聞社後楽園球場での巨人戦ラジオ中継独占契約を締結。
  • 1978年(昭和53年)
  • 1981年(昭和56年)
    • 7月20日 - 小田原放送局(中継局、出力100W)開局
    • 10月1日 - 株式会社アール・エフ・ラジオ日本に商号を変更[注 10] すると同時に、川崎幸放送局(送信所)を50kWに増力。郵政省の行政指導を受けアンテナの指向性を強めたため近距離不感地帯が拡大し、営業にも悪影響が及んだ。
  • 1982年(昭和57年)4月 - 「社会の木鐸」宣言(硬派路線に転向。アイドル、ポップス番組を削減)
  • 1989年(平成元年)4月 - 若者向け番組を完全に排除
  • 1990年(平成2年) - 「大人の放送局」を編成の基本方針とし、50歳以上の聴取者をメインターゲットとする
  • 1991年(平成3年)11月2日 - 落雷による停電で川崎幸放送局が停波したが、自家発電装置が自動起動せず、更に道路渋滞で技術部員の到着が遅れ、2時間近く停波。郵政省等の監督官庁から厳重注意処分を受ける。
  • 1993年(平成5年)
    • 3月 - 独占していた巨人戦ホームゲームの中継権がNRN文化放送ニッポン放送にも開放されたため、聴取率低下が深刻化し経営を圧迫
    • 12月 - 遠山景久会長を解任(取締役会によるクーデター、小林與三次が主導)
  • 1994年(平成6年) - 遠山一族所有のラジオ日本株式を日本テレビが買い取り、連結子会社化とする。川崎幸放送局の送信機をフルデジタル化
  • 1996年(平成8年)10月 - 明治生命ラジオ日本ビル落成に伴い、本社を横浜市西区老松町から現住所に移転。本社制作番組を増やしたが、一時的なものに終わった。キャッチコピーは「ハマって楽しくラジオ日本」
  • 1998年(平成10年) - 開局40周年。「WITH YOU 40」をキャッチコピーに展開(「WITH YOU」自体は2003年(平成15年)頃まで使用)。
  • 1999年(平成11年)6月27日 - 『日曜競馬実況中継』放送中に、川崎幸放送局が遠隔制御装置の故障で1時間半に亙って停波。郵政省等から再度厳重注意処分を受ける。
  • 2000年(平成12年)12月1日 - BSデジタル放送開始に伴い、BS日テレラジオの制作を担当。ch.444にて「ヒーリングステーション」、ch.445にて「衛星版ラジオ日本(地上波サイマル中心)」を制作。
  • 2001年(平成13年)
  • 2003年(平成15年)
    • 10月 - ターゲットを働き盛りの男性に絞り、「男のパワーステーション」のキャッチコピーを展開。
    • 12月9日 - 企業ロゴに日本テレビのマスコットなんだろうが加わった。
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)4月 - 千葉ロッテマリーンズホームゲーム(対巨人戦以外)の放送権獲得。『ラジオ日本ジャイアンツナイター』に加え、『ラジオ日本マリーンズナイター』を開始。
  • 2007年(平成19年)12月24日 - 開局50周年を前に、「ヒョッとして!?50年!」のキャッチコピーを展開、懐古番組を定期放送化。
  • 2008年(平成20年)
  • 2009年(平成21年)10月4日 - 『菊地亜美の1ami9』放送開始。以降、女性アイドルがパーソナリティを務める番組が増加。
  • 2010年(平成22年)1月18日 - 『勝負』シリーズを担当し、局の看板パーソナリティであったミッキー安川が死去。番組は息子のマット安川が引き継ぐ。
  • 2011年(平成23年)4月12日 - radikoでのサイマル放送開始。配信地域は放送対象地域である神奈川県のほか、東京都埼玉県千葉県でも聴取が可能。(9月までは実用化試験配信で、10月以降本格運用)。放送局記号は「JORF」(横浜本局のコールサインそのまま[注 11])。
  • 2012年(平成24年)10月1日 - 「ラジオ日本開局55周年プレ・イヤー」と題し、月-金曜ワイドの一新(6:30 - 15:00)を核とした改編率43%にも及ぶ改編を実施[29]
  • 2013年(平成25年)
    • 5月 - 開局55周年を機に、「なんだろう」に代えて、親会社・日本テレビのマスコットキャラクターダベア」(通称:ラジオ日本ダベア)を新たなシンボルキャラクターとすることを発表(ダベアの顔が四角くなっていて、頭にアンテナが立っている)。
    • 7月1日 - radikoの配信地域を茨城県栃木県群馬県へ拡大。
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 「radiko.jpプレミアム」による日本全国への配信が開始。
  • 2015年(平成27年)4月 - 毎日深夜帯に女性アイドルの担当する番組を編成する大改編を行う[注 12]。これに伴い「ラジオ日本深夜の解放区」枠は廃止。
  • 2016年(平成28年)6月 - SKハウジングが本社ビルの所有権を明治安田生命から譲受、「三共横浜ビル」と改称。
  • 2018年(平成30年)
    • 3月 - 「ラジカルランド」終了をもって、小田原放送局独自編成を廃止。
    • 5月14日 - 開局60周年を記念し、ロゴマークとコミュニケーションマークを刷新(親会社・日本テレビと同じ字体で「ラジオ0本」と表記)[30]
  • 2019年(令和元年)6月26日 - 総務省関東総合通信局からFM補完中継局の予備免許(92.4 MHz)が交付される[31]
  • 2020年(令和2年)

番組・オープニング/クロージング・時報

番組

概要

  • 2020年10月度改編の時期の放送は月曜日1:00-5:00(日曜25:00-29:00)の休止時間を除く、24時間体制である。2019年度より、プロ野球中継などの都合により放送できなかった『60TRY部』の代替放送が行われる場合があり、その場合は月曜3:00(日曜27:00)まで延長したり、放送休止を取り止めることがある。
  • 放送休止中はフィラー音楽が流れるということはなく、テストトーンが放送されるだけである。
  • 「社会の木鐸」宣言以降の混乱からは近年は落ち着いているが[注 14]、番組の突然の打ち切りや時間移動は毎月 絶えず、不安定な編成が続いている。タイムテーブルや公式サイト上の「本日の番組」並びに放送中の番組名表示の変更が間に合わず、終了した番組名が表示されることがある。ただし、小規模改編は独立局ではままある話である。
  • 前述の通り、実質的な本社機能を東京支社が担っていることもあり、生ワイド番組を含め、自社制作の殆どの番組は東京支社スタジオからの送出となっている。横浜本社は平日 午後帯ワイド番組と月曜夜のよしもと囲碁将棋バラエティー『イゴナマ!!』『奥田明日美のハッピーフロンターレ!!!』。本社ビル1階のラジアントホールでの公開録音などに限られる。
  • 1981年(昭和56年)秋頃に「なお、ラジオ関東は10月1日からアール・エフ・ラジオ日本と社名変更します」とのアナウンスがあった。

オープニング

  • 2020年3月16日(ワイドFM開局)以降
    • 4:56:45秒頃から、エドヴァルド・グリーグ作曲「『ペール・ギュント』第1組曲:朝」が流れる。
    • その後、矢田雄二郎による、横浜本局、小田原放送局、FM補完中継局、の局名告知と周波数・出力の案内、放送開始のアナウンスが行われる。
  • 2020年3月9日まで
    • 4:57:30秒頃からアップテンポの音楽が1分間流れた後、「♪~1422ラジオ日本」というフレーズが流れるオリジナル楽曲が流れる。
    • その後、井口保子による、横浜本局、小田原放送局の局名告知と周波数・出力の案内、放送開始のアナウンスが行われる。

クロージング

  • 2020年3月16日(ワイドFM開局)以降
    • 1:00に、矢田雄二郎の声で「本日も、ラジオ日本をお聴きいただきありがとうございました。これで、本日の放送を終了いたします。ただいまからしばらくお休みをいただきまして、午前5時から放送を開始いたします」というアナウンスが流れる。
    • その後、横浜本局、小田原放送局、FM補完中継局の局名告知と周波数・出力の案内が行われる。その後はカーメン・ドラゴン指揮、キャピトル・シンフォニー・オーケストラ演奏のウェールズ民謡「夜もすがら("All Through the night (Ar Hyd y Nos)")英語版[注 15] が流れ、放送を終えると直ちにテストトーンが流れる。
  • 2020年3月9日まで
    • 1:00に、井口保子の声で「こちらは JORF アール・エフ・ラジオ日本、JORL アール・エフ・ラジオ日本小田原放送局です。これで今日の放送を全て終了いたしました。ただいまからしばらくお休みをいただきまして、午前5時から放送を開始いたします。どちら様もごきげんよう」というアナウンスが流れる。
    • その後、横浜本局、小田原放送局の局名告知と周波数・出力の案内が行われる。その後はカーメン・ドラゴン指揮、キャピトル・シンフォニー・オーケストラ演奏のウェールズ民謡「夜もすがら("All Through the night (Ar Hyd y Nos)")」[注 15] が流れ、放送を終えると直ちにテストトーンが流れる。

時報

  • 時報パイプオルガンのような音色の電子音で4秒前から「ソ・シ・ソ――ポーン」(“3, 2, 1”のカウントダウンではない)。
  • 1989年(平成元年)頃までは「ソ・シ・ソ」の部分がチューブラーベルの演奏であった(文化放送1979年(昭和54年)までの時報と同様)。
  • 現在は、地方局と同じ音程の時報だが、「ポーン」と延ばさず「ポン」と鳴った瞬間に音が絞られる時報である。
  • 他局と比べて時報広告は少なく、散発的に聞かれるのみである。時刻案内もまれに女性の声で「○時をお知らせします」とある程度で、多くはされない。

現職アナウンサー

  • 正社員・契約ともに☆印はジャイアンツナイターを、★は競馬実況中継を担当しない。
  • なお、箱根駅伝は宇野を除き基本全員出演する。
アナウンサー 前所属 主たる担当番組 備考
正社員アナウンサー
男性 加藤裕介 ラジオ福島 加藤裕介の横浜ポップJ
  • 1995年入社。現・営業編成本部・業務担当部長。
  • 2009年(平成21年)7月に一時アナウンサー職から離脱するも、同年12月頃から復帰。
  • その後2014年(平成26年)7月から2018年(平成30年)4月まで、再び競馬実況中継から離れていた。2018年5月以後は司会進行で不定期に競馬中継を担当
小林幸明
  • 1997年入社。現・編成局制作部主任。
  • 「ラジオ日本ショップ ラジオショッピング」制作も担当。
細渕武揚 「ラジオ日本ジャイアンツナイター」
「ラジオ日本土・日曜競馬実況中継」
  • 1998年入社。
  • ラジオ日本の他の番組で、メインパーソナリティーが休演した場合の代役を務める場合がある。
矢田雄二郎 岩手朝日テレビ
  • 2007年入社。
  • 『加藤裕介の横浜ポップJ』で、加藤が休演した場合の代役を務める場合があるほか、報道を担当する場合もある。
女性 (2022年1月現在女性正社員アナウンサーは不在)
嘱託社員・外部契約アナウンサー
男性 木村季康 ラジオ福島 「ラジオ日本ジャイアンツナイター」
「ラジオ日本土・日曜競馬実況中継」
齋藤一平
宇野和男 ラジオたんぱ 「ラジオ日本土・日曜競馬実況中継」
  • 競馬実況中継においても基本レース実況のみで、司会は担当しない。
吉本靖 ラジオたんぱ
石黒新平 広島ホームテレビ 「ラジオ日本ジャイアンツナイター」
槇嶋範彦 文化放送
堀江政史 テレビ金沢 「ラジオ日本土・日曜競馬実況中継」
「ラジオ日本ニュース・天気予報」
本田将一郎 テレビユー山形 「ラジオ日本ニュース・天気予報」
柴崎啓志 FM福井
上田敦史 熊本放送
竹内義貴 長崎国際テレビ
女性 大村麻衣子 「ラジオ日本土・日曜競馬実況中継」
山田さつき 山陰放送
中嶋絵美 テレビユー福島 「ラジオ日本ニュース・天気予報」
田島祐子 テレビ新潟
磯部恵美 東海テレビ
小沢尚美 テレビ山梨
辻史子 高知さんさんテレビ
大鋸友紀 TBS
  • TBSラジオキャスターとTBSニュースバードキャスターを歴任。
松本美優 NHK仙台放送局
半澤美穂
河村由美 エフエム新津 「新曲EXPRESS!」
「ラジオ日本演歌ランキング」
「ラジオ日本パワーチューン」
「今月の推薦曲」
「ウェイクアップミュージック」
「Listen to to too!」

元アナウンサー

男性

女性

アナウンサー以外の過去の在籍者

その他

  • 1958年(昭和33年)から1964年(昭和39年)まで、東急東横線の乗客向けに鉄道無線を使用して車内でニュースを放送していた。
  • 1964年(昭和39年)の旧ラジオ関東時代から、2011年(平成23年)まで日本中央競馬会重賞競走『セントライト記念』に社杯を寄贈していた。尚、2012年(平成24年)からはサラ系3歳以上のオープン特別競走「ラジオ日本賞」が新設され、社賞が寄贈されている。
  • 1977年から1980年(昭和55年)代初頭まで、毎年夏休みに『夏だ!三浦だ!サマーフェスティバル』を、三浦海岸の特設会場で年度により京浜急行電鉄と共催していた。7月下旬-8月初旬の期間中は、アイドル演歌歌手の歌謡ステージが日替わりで催され、その模様を月-金曜昼時に公開生中継していた。京浜急行電鉄は、品川発三浦海岸行臨時列車「ミュージックトレイン」(同局で同名の帯番組が存在)を運行した[注 16]。会場に向かう出演者が、ファンサービスとして、その臨時列車に同乗する場合もあった。
  • 「ラジオ関東」から「アール・エフ・ラジオ日本」に社名を変更する際、「ラジオ日本誕生」という社名変更告知のテレビCMを日本テレビとTBSテレビで放送した。
  • 産経新聞社発行の新聞各紙(産経新聞サンケイスポーツ夕刊フジ)の番組欄では、名称を「RFラジオ日本」としている。在京他紙・静岡新聞は「ラジオ日本」、中日新聞の長野県版と静岡県版は「ラジオ日本RF」と記載(ただし中日新聞の東京本社版である東京新聞の静岡県版では「ラジオ日本」と記載)。なお、新聞各紙の番組表に掲載されている問い合わせの電話番号は横浜本社ではなく、東京支社の番号である。
  • BSデジタル放送BS日テレ」のBS445chでは、アール・エフ・ラジオ日本の一部番組の同時放送を行っていた(2005年(平成17年)9月30日付廃局扱い。かつてはテレホンサービスによる同時放送もあった)。
  • 2010年には、硬派なコンテンツの幅を広げるため、企業経営者をゲストに迎えるトーク番組『コーチングRadio』をコーチ・エィとのタイアップで放送した(3月1日から11月29日までの40回、毎週月曜日の23:30 - 24:00枠)。
  • 2011年(平成23年)に旗揚げされた女子プロレス団体・REINA女子プロレスの協賛スポンサーであり、同団体が認定・管理する王座を「ラジオ日本杯REINA世界女子王座」としている。
  • 結果として実現しなかったが、東京支社を日本テレビ麹町分室内に移転させる計画を立てていたことがある[32]

脚注

注釈

  1. ^ 東京ヴェルディに関しては、2009年(平成21年)の日本テレビ資本撤退以降もスポンサーを続けていたが、2014年度で撤退した。
  2. ^ 「社会の木鐸」宣言以前は愛川欽也榊原郁恵三橋美智也らがDJを務める『電撃わいどウルトラ放送局』が話題となり、若年層向けの番組は他局にひけをとらない人気があった。演歌歌手の三橋は初DJでノリの良い意外な一面を見せ、「フィーバー・フィーバー」の掛け声がカップラーメン「激めん」(東洋水産CMにも用いられ、“ミッチーブーム”を起こした。アイドル歌手として活動していた当時の酒井法子が30分番組のパーソナリティを務めていた。
  3. ^ この件もあり、後のradikoは当初から南関東全域が対象。最終的に基本サービスは関東広域圏全域が対象に広がり、radikoプレミアムを利用することで日本全国が対象に広がった。
  4. ^ この影響で『林原めぐみのHeartful Station』が開始間もない1991年(平成3年)7月に突如打ち切り(制作局を同局と関係の深いラジオ関西に移行。ラジオ日本 以外で番組を続行した)になった(林原めぐみ『明日があるさ』学研、p58。ただし本文では局名は伏せられている)。
  5. ^ 特に「ラジオ日本NEXT」が22時台だった当時はノンスポンサー番組の為、プロ野球中継が1分でも食い込めば、その回は放送休止となり「フォーエバーミュージック」に差し替えた。
  6. ^ kc(キロサイクル)は現在のkHz(キロヘルツ)と同義。
  7. ^ 看板番組のプロ野球中継でも、一部の曜日で大阪の毎日放送 (MBS) とネットワークを組んでいた( - 1964年(昭和39年))。
  8. ^ 毎日新聞社は、1951年(昭和26年)に「ラジオ日本」なる名称で民間放送の開局を目指していたが、読売放送(読売新聞社系)、朝日放送(朝日新聞社系、大阪の朝日放送と同じ計画)、東京放送(電通系)の競願各社と行政指導で一本化され、「ラジオ東京」(後に東京放送、現在のTBSラジオ)として開局した。当然ながら計画頓挫したこの「ラジオ日本」と、現在のアール・エフ・ラジオ日本は別物。
  9. ^ 毎日新聞社系列のRKB毎日放送福岡県)が、東京支社に設置したスタジオの有効利用と関東地区への進出を目的に、神奈川県域放送での免許出願に向けて動いていた。結局、現在のアール・エフ・ラジオ日本に繋がる他社との競願に破れる形となり、RKBは関東地区進出を果たせずに終わってしまった。
  10. ^ 局名公募はあくまで表向きで、実際には当時の遠山景久社長の強い意向だった。中吊り広告などで「決定的瞬間 ラジオ日本誕生」と広告していた(10月以降、テレビ・ラジオCMも放送された)が、長年NHK国際放送に「ラジオ日本(ニッポン)」の名を用いており、世界的に知名度が高かったため、NHKが善処を申し入れたものの、遠山が拒否した。やむなくNHKは、「ラジオ日本(ニッポン)」を1981年(昭和56年)5月商標登録出願し、遠山に「ラジオ日本(ニッポン)」の名称使用を禁じた。更にニッポン放送も、名称が酷似して聴取者を混乱させると不正競争防止法違反で告訴したため、苦肉の策として社名の頭にコールサインの一部である「アール・エフ (RF)」を付けざるを得なくなった(ただし、放送では単に「ラジオ日本」のみアナウンスしているため、未だにニッポン放送やNHK国際放送と混同しやすく、NHK国際放送では国際テレビ放送(NHKワールドTV他)が開始されて以後の1996年以後は「NHKワールド」の冠を入れて放送するようにしている。なお前述の広告でも、一部でニッポン放送の社名変更と勘違いされていた)。
  11. ^ 民放のradiko参加局で放送局記号がコールサインそのままなのは本局とエフエム愛媛の「JOEU-FM」のみ。
  12. ^ 月-金曜深夜は「ラジオ日本NEXT」枠、土日深夜も女性アイドルが担当する番組を、それぞれ1時間ずつ放送。
  13. ^ その後2022年9月まで放送し通算38年2カ月の長きにわたり放送された。。
  14. ^ 特に2013年春改編は女性アイドルのトーク番組を複数、新規に開始。集中的に放送する曜日を置いた。
  15. ^ a b この曲は前身の「ラジオ関東」開局当初から使われている。
  16. ^ 1975・1976年はニッポン放送が共催したため、臨時列車も当時の同局の周波数から「ハッピー1240」の名称で運行された。

出典

  1. ^ a b 第74期決算公告、2021年(令和3年)6月4日付「官報」(号外第125号)63頁。
  2. ^ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ
  3. ^ Members Directory 2019”. 日本民間放送連盟. 2021年6月4日閲覧。
  4. ^ Group of Companies”. 日本テレビホールディングス. 2021年6月4日閲覧。
  5. ^ 日テレホールディングス グループ企業一覧
  6. ^ 東京地方裁判所判決 1990年8月31日 、昭和57(ワ)11358、『「ラジオ日本」対「ニッポン放送」事件』。 事件名は、「判例時報 No.1358」判例時報社、1990年11月 より
  7. ^ 関東地域におけるラジオの強靱化 《民放ラジオ難聴解消支援事業の交付を決定 2019年(平成31年)2月6日、関東総合通信局
  8. ^ 株式会社アール・エフ・ラジオ日本のFM補完中継局に予備免許 -管内全ての民間AMラジオ放送局がFM整備へ
  9. ^ a b c d FMラジオで聴く!”. アール・エフ・ラジオ日本. 2020年3月3日閲覧。
  10. ^ 西日本放送株式会社のFM補完中継局に免許≪AM放送の難聴を解消するための中継局を整備≫”. 四国総合通信局(2020年2月14日作成). 2020年3月13日閲覧。
  11. ^ 全国民放FM局・ワイドFM局一覧”. 総務省(2020年2月25日作成). 2020年3月13日閲覧。
  12. ^ 「QJ」63号、p125。
  13. ^ 「一段と露骨になったラジオ日本の番組改編 / 民放記者」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第169号、日本マスコミ市民会議、1982年5月1日、8 - 15頁。 NDLJP:3463887/6
  14. ^ 「放送デスクメモ――'82・二~三 / 編集部」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第173号、日本マスコミ市民会議、1982年10月1日、58 - 62頁。 NDLJP:3463891/31
  15. ^ 花輪如一「ラジオの教科書」データハウス、p290-299
  16. ^ ラジオ日本の64年、独自路線と波乱の連続 夏木ゆたか生放送で演歌と懐メロ流しまくり23年
  17. ^ NiTRoはラジオもやってます! 第2弾! アール・エフ・ラジオ日本の仕事 NiTRo|株式会社日テレ・テクニカル・リソーシズ
  18. ^ a b “ラジオ日本のワイドFM波はどこまで飛んでいるか”. ラジオライフ7月号 (三才ブックス): 118-121. (2020年6月25日). 
  19. ^ a b 株式会社アール・エフ・ラジオ日本のFM補完中継局に予備免許 管内全ての民間AMラジオ放送局がFM整備へ 総務省 関東総合通信局 2019年6月26日 2020年3月23日閲覧
  20. ^ 総務省 電波利用ホームページ”. 総務省. 2021年5月7日閲覧。
  21. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、171頁。 
  22. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、257頁。 
  23. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、279頁。 
  24. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2015』コーケン出版、2015年11月20日、299頁。 
  25. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2016』コーケン出版、2016年11月25日、306頁。 
  26. ^ 『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年12月1日発行)411頁第2部各社史録「ラジオ関東 年表」。
  27. ^ a b 日本放送協会(編)『放送の五十年 昭和とともに』(日本放送出版協会、1977年)p.338
  28. ^ 「取材の六人帰らず 晴海で車ごと海へ?」『日本経済新聞』昭和40年9月18日夕刊.7面
  29. ^ ラジオ日本 2012年10月改編 開局55周年プレ・イヤー 平日ワイドを一新 改編率43%、新番組が続々スタート!
  30. ^ ラジオ日本開局60周年を記念し、ロゴを刷新! ラジオ日本、2018年5月14日
  31. ^ 株式会社アール・エフ・ラジオ日本のFM補完中継局に予備免許 -管内全ての民間AMラジオ放送局がFM整備へ,総務省関東総合通信局,2019年6月26日
  32. ^ “ラジオ日本、東京・麹町に東京支社”. 毎日新聞 DIGITALトゥデイ. (2003年2月28日)

関連項目

関連人物

関連放送事業者

外部リンク