日本テレビのアナウンサー一覧
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日本テレビのアナウンサー一覧(にほんテレビのアナウンサーいちらん)は、日本テレビ放送網 コンテンツ戦略本部 コンテンツ戦略局 アナウンス部[1]に所属するアナウンサーを一覧にしたものである。
アナウンス部 管理職
[編集]- 男性
- 女性
現職アナウンサー
[編集]入社年順に表記
男性
[編集]- 1988年 - 村山喜彦
- 1990年 - 鈴木健[注釈 2]
- 1992年 - 平川健太郎
- 1995年 - 矢島学(報道局員を兼務)
- 1997年 - 蛯原哲、菅谷大介
- 1998年 - 町田浩徳、ラルフ鈴木[注釈 3]
- 2001年 - 森圭介
- 2002年 - 田中毅
- 2004年 - 中野謙吾
- 2005年 - 藤田大介
- 2009年 - 辻岡義堂(社長室の宇宙ビジネス事務局員を兼務)
- 2011年 - 山本紘之
- 2012年 - 安村直樹(療養のため休職中)
- 2013年 - 川畑一志(社長室の新規事業部員を兼務)
- 2014年 - 山﨑誠、山本健太
- 2015年 - 平松修造
- 2016年 - 梅澤廉
- 2017年 - 伊藤大海、伊藤遼
- 2018年 - 弘竜太郎(社長室の宇宙ビジネス事務局員を兼務)
- 2019年 - 大町怜央
- 2020年 - 北脇太基、田辺大智
- 2021年 - 澁谷善ヘイゼル[4]
- 2023年 - 住岡佑樹
- 2024年 - 水越毅郎
女性
[編集]- 1980年 - 井田由美[注釈 4]
- 1996年 - 森富美
- 2003年 - 鈴江奈々
- 2010年 - 水卜麻美
- 2011年 - 徳島えりか(産休中)
- 2012年 - 杉野真実
- 2013年 - 郡司恭子(社長室の新規事業局員として女性向けファッションブランド『Audire』の開発にも従事)、中島芽生
- 2014年 - 岩本乃蒼(休職中)、畑下由佳
- 2016年 - 佐藤真知子、滝菜月
- 2017年 - 後呂有紗、佐藤梨那
- 2018年 - 市來玲奈、岩田絵里奈
- 2019年 - 河出奈都美、杉原凜
- 2020年 - 石川みなみ、忽滑谷こころ
- 2021年 - 小髙茉緒[4]、黒田みゆ[4]
- 2022年 - 浦野モモ(社長室の宇宙ビジネス事務局員を兼務)、林田美学
- 2023年 - 山本里咲、渡邉結衣
- 2024年 - 瀧口麻衣、並木雲楓
元アナウンサー
[編集]入社年順に表記、
他部署へ異動
[編集]丸かっこ内の数字は編成局アナウンス部(現・コンテンツ戦略本部 コンテンツ戦略局 アナウンス部[5])在籍期間。
- 男性
- 1985年
- 1987年
- 保坂昌宏( - 1996年、グローバルビジネス局)
- 1990年
- 後藤俊哉( - 1999年、コンプライアンス推進室)
- 1991年
- 金子茂( - 1999年、総務局総務部長)
- 1992年
- 野口敦史( - 1998年、日本テレビホールディングス経営戦略局広報部)
- 1993年
- 藤井恒久( - 2020年、コンテンツ戦略局宣伝部)
- 1996年
- 1999年
- 2000年
- 田邊研一郎( - 2024年、日本テレビホールディングス)
- 2002年
- 炭谷宗佑( - 2006年、コンテンツ戦略局)
- 2003年
- 2004年
- 鳥羽博剛( - 2010年、報道局ニュースセンタープロデューサー)
- 2012年
- 安藤翔( - 2023年、報道局)
- 女性
- 1982年
- 大島典子( - 1997年、コンプライアンス推進室考査部嘱託社員)
- 1985年
- 1990年
- 豊田順子( - 2023年、日テレイベンツ取締役、日テレ学院第4代学院長(人事局現職出向))
- 1991年
- 笛吹雅子( - 2001年、報道局社会部専門副部長)
- 1993年
- 1996年
- 古市幸子( - 2012年、グローバルビジネス局イベント事業部)
- 1997年
- 河本香織( - 2005年、営業局)
- 1998年
- 延友陽子( - 2020年、コンテンツ戦略局)
- 2001年
- 杉上佐智枝( - 2023年、社長室主任、サステナビリティ推進事務局)
- 2002年
- 佐藤良子( - 2018年、コンテンツ戦略局)
- 2006年
- 葉山エレーヌ(一時期姓が石田の時期あり)( - 2018年、総務局ファシリティ推進部、2016年6月から2018年5月まではインターネット事業局兼務)
活動休止
[編集]- アオイエリカ(2018年 - 2021年) - アンドロイドアナウンサー。音声使用のライセンスが失効して以来、継続的な活動が困難な状況に陥っている[7]。2023年現在、アナウンサープロフィールからも削除されている。
退職者・物故者
[編集]丸かっこ内の数字は日本テレビ在籍期間。特記事項の無い人物は主にフリーアナウンサーやニュースキャスター、司会者、タレントとして活動している(在職中に死去したした人物も含む)。※はアナウンス部長経験者。●は故人で、アナウンサーとしての在職中に急逝した人物を含む。
男性
[編集]- 1953年
- 1954年
- 1956年
- 1957年
- 1960年
- 1962年
- 1963年
- 小林完吾( - 1992年) - ラジオ南日本(現:南日本放送)より移籍[注釈 12]。定年退職後フリー[15]。
- 徳光和夫( - 1989年) - 退社後フリー。
- 1964年
- 倉持隆夫( - 2001年) - 定年退職を以て引退。
- 1965年
- 1966年
- 1967年
- 1968年
- 1969年
- 1974年
- 1977年
- 今井伊佐男( - 2014年[注釈 20]) - ラジオ日本「小鳩の愛 〜eye〜」パーソナリティ。
- 小山田春樹( - 1986年) - 退社後フリー。2019年4月より京都市会議員。
- 1979年
- 1981年
- 1982年
- 増田隆生( - 2019年) - 報道局、出版部、スポーツ局を経て退社。
- 1984年
- 1985年
- 日高直人( - 1991年)
- 1986年
- 船越雅史( - 2022年)- 他部署を経て退社。
- 1988年
- 福澤朗( - 2005年) - 退社後フリー。
- 1991年
- 1994年
- 羽鳥慎一( - 2011年) - 退社後フリーに、2011年4月よりテレビ朝日系番組、『モーニングバード』の後に2015年9月から『羽鳥慎一モーニングショー』の総合司会を担当。
- 藤井貴彦( - 2024年) - 退社後フリー。
- 1997年
- 長谷川憲司( - 2006年) - 一般企業勤務。
- 2003年
- 上重聡( - 2024年)− 退社後フリー。
- 2006年
- 2008年
- 2018年
- 篠原光( - 2023年)- 退社後フリー。
女性
[編集]- 1953年
- 1954年
- 森美智代(現姓:横田)
- 1956年
- 1957年
- 1958年
- 1959年
- 1961年
- 1962年
- 1963年
- 1964年
- 1967年
- 1968年
- 1970年
- 1974年
- 1976年
- 清水奈津子 - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
- 1977年
- 1981年
- 1983年
- 1984年
- 加藤明美( - 2021年)- 他部署を経て退社。
- 1986年
- 斉木かおり( - 1994年) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
- 1987年
- 大杉君枝(旧姓鈴木)●( - 2007年) - 在職中に死去[26]。
- 1988年
- 1989年
- 1991年
- 藪本雅子( - 2001年) - 報道局を経て退社後フリー。
- 1992年
- 1995年
- 1997年
- 馬場典子( - 2014年) - 退社後フリー。
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 森麻季( - 2011年) - 退社後フリー。
- 2004年
- 脊山麻理子( - 2009年) - 退社後フリー。
- 2005年
- 古閑陽子( - 2010年) - 退社後活動休止。
- 2006年
- 松尾英里子( - 2012年) - 退社後フリー。
- 2007年
- 2008年
- 小熊美香( - 2017年) - 退社後フリー。
- 2009年
- 上田まりえ( - 2016年) - 退社後フリー。元日テレ学院アナウンススクール講師。
- 2012年
- 久野静香( - 2022年) - 退社後フリー。
- 2013年
- 後藤晴菜( - 2024年) - 退社後フリー。
- 2015年
局契約
[編集]- 木島則夫(1968年 - 1971年) - 元NHK、日本教育テレビ(局契約)アナウンサー。NETとの契約満了後に移籍し、「ワイドニュース」「木島則夫ハプニングショー」のMCを務めた
- 酒井広(1983年 - 1987年) - 元NHKアナウンサー
- 生方恵一(1985年 - 1987年) - 元NHKアナウンサー
- 加藤亜希子(2006年 - 2013年) - 元中京テレビ放送アナウンサー。主にCS放送・日テレNEWS24を担当
- 千北英倫子(2014年 - 2015年) - 元長崎国際テレビアナウンサー
- 原田輝子 - 広報局付リポーターとして「番組フラッシュ」「なんだろう」「午後は○○おもいッきりテレビ」などに出演
アナウンサー番組
[編集]- アナちゃん劇場
- エンパラナイト
- 小熊のベア部屋
- アナウンサーのホンヨミ
- アナウンサーの日進月歩・アナウンサーの日進月歩
- アナTALK(2014年 - 2017年)
- ラジオ日本
殆どの番組担当は菅家ゆかりが企画を手掛けた。
- きみえの!ラジオ虫
- いってらっしゃ〜い!
- 日テレラジオ 女子アナミュージックミュージアム
- テレアナランド(2000年代後半から2010年代前半にかけて放送)
- 日テレアナ・ザ・ワールド!(2021年4月 - )
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2018年10月より報道局と兼任。
- ^ 2015年6月から2017年5月まではスカパー!のアナウンサー・運営スタッフとして出向していた。[3]
- ^ 2016年以前は報道系番組等で本名の「鈴木崇司」で出演していたが、2017年から名義を統一した。
- ^ 2004年6月28日 - 2012年5月は報道局解説委員・キャスター担当部長。
- ^ 1951年入局[8]。
- ^ 1940年二次入局[9]。
- ^ 1950年入局[8]。
- ^ 1947年後期入局[12]。
- ^ 後に報道局へ異動し、記者を経てキャスター兼コメンテーター。
- ^ 国際局長を経て日本テレビアナウンスカレッジ(現・日テレ学院アナウンススクール)の創設に参画。
- ^ 2000年に定年退職し、その後契約社員として勤務。
- ^ 1960年入社[15]。
- ^ 報道局へ異動後、政治部長などを歴任。
- ^ 福島テレビはフジテレビ系列局なので誤り[17]。
- ^ 報道局記者として入社。
- ^ 後に報道局へ異動
- ^ 1996年に事業局へ異動。定年前にアナウンス部教育担当部長を務める。
- ^ 2003年にラジオ日本へ出向。エグゼクティブアナウンサー、取締役編成局長、同営業局長を歴任。
- ^ 2003年にコンテンツ事業局へ異動。
- ^ 2000年にコンテンツ事業局へ異動。現在、公益財団法人日本テレビ小鳩文化事業団の業務に従事。
- ^ 1990年代前半にアナウンサーを退き、人事局勤務を経て関連会社役員を歴任。
- ^ 1970年入社。
- ^ 1981年入社。
- ^ 1992年に事業局へ異動し、定年まで勤務。
- ^ 1986年に報道局へ異動し、その後事業局、広報局に勤務。定年を迎えた後も約9年間嘱託でドラマやバラエティの広報を担当。
- ^ 2001年より関連会社役員を務める。
- ^ 1994年に編成局・ネットワーク局・営業局等異動し、定年まで勤務。
- ^ 1993年に報道局へ異動。
出典
[編集]- ^ “組織図”. 日本テレビ. (2022年6月1日) 2022年6月4日閲覧。
- ^ “すい臓がん公表 日テレ菅谷アナ 働きながらの闘病語る”. 日テレ NEWS. (2022年8月18日) 2022年8月18日閲覧。
- ^ 小林健志2015年9月12日のツイート
- ^ a b c “日テレ新人アナ・黒田みゆ、澁谷善ヘイゼル、小高茉緒の3人が10日「ZIP!」でデビュー”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2021年8月10日) 2021年8月10日閲覧。
- ^ “組織図”. 日本テレビ. (2022年6月1日) 2022年6月4日閲覧。
- ^ 公益財団法人世田谷区スポーツ振興財団 各種公告内の理事・評議員名簿(令和5年度)に記載あり。
- ^ “アンドロイドアナウンサーは喋らない(企画募集記事)|日テレR&Dラボ / テレビ局が、いろんなところとつながりたいnote”. note(ノート) (2021年8月3日). 2023年11月23日閲覧。
- ^ a b NHKアナウンサー史編集委員会「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、16頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ NHKアナウンサー史編集委員会「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、13頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ 『⾦原 ⼆郎』 - コトバンク
- ^ 「事務局から」(pdf)『日本記者クラブ会報』第577号、日本記者クラブ、2018年3月10日、25頁、2019年4月17日閲覧。
- ^ NHKアナウンサー史編集委員会「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、15頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ 相撲を伝えて70年、名横綱との交流と思い出を語る - みんなで語ろう民放史 No.125 (PDF, 日本民放クラブ 2017年11月22日閲覧)
- ^ "堀内恒夫『右目が見えなくなったけど』". 堀内恒夫オフィシャルブログ「今日もどこかであくたろう」. サイバーエージェント. 2024年6月20日. 2024年10月23日閲覧。
- ^ a b 日外アソシエーツ 編『テレビ・タレント人名事典』(第6版)日外アソシエーツ、2004年6月25日、463-464頁。ISBN 4-8169-1852-3。
- ^ “郡山異業種交流会(MBA21) 平成15年4月例会”. メディアハウス. 2018年9月21日閲覧。
- ^ “群馬県立沼田高等学校 同窓会行事 平成29年度”. 群馬県立沼田高等学校. 2018年9月19日閲覧。
- ^ 1997年にアナウンス部を離れ、CS日本代表取締役社長、日本テレビ取締役副社長など重役を歴任。
- ^ a b 中村こずえ (2014年1月3日). “箱根駅伝 & 新幹線”. 中村こずえのひとりごと. はまぞう. 2019年4月17日閲覧。
- ^ “日本テレビ・河村亮アナ脳出血のため死去、54歳…巨人戦、箱根駅伝の実況で活躍”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2022年5月16日) 2022年5月16日閲覧。
- ^ 日本用品株式会社(会社法人等番号:010001033917)の商業登記簿により得られた情報による。(2023年3月6日取得)
- ^ 「リレーエッセイ64」(PDF)『社団法人日本映像ソフト協会会報』NO.121、日本映像ソフト協会、2007年4月10日、13頁、2017年9月9日閲覧。
- ^ “田原総一朗さんの妻の田原節子さん死去”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2004年8月13日). オリジナルの2004年8月13日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ^ 「DJ訪問 江川範子」『週刊朝日』、朝日新聞出版、1978年5月12日、50頁。
- ^ “元・日テレアナウンサー荻原弘子さんが死去”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2009年4月23日) 2019年4月17日閲覧。
- ^ “日本テレビの大杉君枝アナ自殺”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2007年2月3日). オリジナルの2016年5月31日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ^ “元日本テレビアナ 米森麻美さん急死”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2001年9月19日). オリジナルの2001年12月18日時点におけるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ^ “日テレ山本真純アナ自殺か飛び降り遺書も”. 日刊スポーツ新聞社 (日刊スポーツ新聞社). (2010年7月28日) 2019年4月17日閲覧。
参考文献
[編集]- NHKアナウンサー史編集委員会『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日。ISBN 4-06-203232-5。
- 『テレビ夢50年 日本テレビ50年史』、日本テレビ50年史編集室、日本テレビ放送網、2004年3月。(データ編 p90、アナウンサー名鑑の項を出典)