多昌博志
たしょう ひろし 多昌 博志 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 神奈川県川崎市 |
生年月日 | 1963年4月1日(61歳) |
最終学歴 | 中央大学法学部卒業 |
勤務局 | 日本テレビ放送網 |
部署 | ティップネス(出向) |
職歴 | 日本テレビアナウンサー→日本テレビ営業局営業戦略センター営業企画部長→コンテンツ事業局次長兼事業推進部長→事業局次長兼コンテンツ事業部長。 |
活動期間 | 1985年 - |
ジャンル | 報道・スポーツ中継 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 劇空間プロ野球 |
多昌 博志(たしょう ひろし、1963年4月1日 - )は、ティップネス取締役常務執行役員(日本テレビ放送網社長室出向局次長現職出向)。神奈川県川崎市[1]出身。
日本テレビ元アナウンサー。桐蔭学園高校→中央大学法学部卒業。
来歴・人物
[編集]1985年に日本テレビ入社。同期には鷹西美佳・日高直人がいる。アナウンサー時代は主としてスポーツ中継(プロ野球、サッカー、箱根駅伝など)が中心だったが、その後はスポーツから退き報道・情報番組のレポーターやスタジオキャスターを担当していた。
アナウンス部より営業局営業推進部に異動となり、2010年7月1日より営業局営業戦略センター営業企画部長。2012年6月1日よりコンテンツ事業局次長兼事業推進部長(2013年に事業局に改正)。2014年6月1日よりコンテンツ事業部長兼務。2016年6月1日より社長室出向局次長扱いとしてティップネスに出向。コンテンツ事業部長の後任は篠宮浩司。
スポーツ中継では斎藤雅樹(巨人・当時)の11試合連続完投勝利(1989年7月15日、対ヤクルト戦)、松井秀喜(巨人・当時)のプロ入り初ホームラン(1993年5月2日、対ヤクルト戦)、ON対決と言われた2000年の日本シリーズ第2戦[2]、長嶋茂雄が巨人の監督を勇退した2001年の本拠地最終戦 (9月30日、対横浜戦)、オールスターゲームでは2002年の第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)を実況。また、トヨタカップの実況を1996年(ユヴェントス対CAリーベル・プレート)と2001年(バイエルン・ミュンヘン対ボカ・ジュニアーズ)の2回担当した。
コンテンツ事業局時代はアニメーション番組の企画・制作を中心に携わり、子会社のタツノコプロで取締役(非常勤)を務めた。
1970年代当時は太田裕美ファンで“最愛のアイドル”だったとのことだが、薬師丸ひろ子のデビュー後は薬師丸ファンにもなっている[3]。
エピソード
[編集]1987年6月28日に放送された「NNNニューススポット」のオープニングのBGMが、間違えて「笑点」のテーマソングが流れた時のニュースを担当していた[4]。
1999年1月18日から1月22日まで放送されたNNNニュースプラス1のスポーツコーナーを、冬休み中の蛯原哲に代わり担当した。
担当番組
[編集]アナウンサー時代
[編集]- スポーツ実況(プロ野球・駅伝・サッカー・陸上競技など)
- NNNきょうの出来事(スポーツコーナー・金曜は1988年4月 -、土曜・日曜は1990年4月 -どちらも1991年9月まで)
- NNNスポーツニュース(土曜・日曜、1988年4月 - 1990年3月)
- NNN朝のニュース(月曜、1988年4月 - 1990年3月)など
コンテンツ事業局時代
[編集]- 天才!!カンパニー(チーフプロデューサー)
- HUNTER×HUNTER(企画)
- それいけ!アンパンマン(企画)
- それいけ!アンパンマンくらぶ (チーフプロデューサー)
- ばらかもん(制作)
- いつかティファニーで朝食を(制作)
- ふらいんぐうぃっち (企画)
- ルパン三世 イタリアン・ゲーム (企画)
関連項目
[編集]脚注
[編集]期間 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 土・日曜日 | ||
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1988.4 | 1990.3 | 松永二三男 | 今井伊佐男 | 多昌博志 | (コーナーなし) |
1990.4 | 1991.3 | 雲野右子 | 多昌博志 | ||
1991.4 | 1993.3 | 村山喜彦 | |||
1993.4 | 1994.3 | 鈴木健 | 河村亮 | ||
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