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「Wikipedia:コメント依頼/みそがい」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
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* {{コメント}} フェルメールの作品記事の立項経験がある一人としてコメントします。「ノート:フェルメールの作品」および当コメント依頼を読んでから、フェルメール関連の記事にはなるべく関わらないようにしています。立項したいフェルメールの作品がまだありましたけれど、それも執筆を中断しました。依頼者と被依頼者の論争が何らかの形で飛び火して、巻き込まれることを懸念したからです。フェルメール関連記事に関する建設的な提案や編集が皆無とは言いませんけれど、おそらくはそれよりも多くの時間をご自身の擁護や相手への批判に費やしており、いまだに合意に達していません。このコメント依頼に寄せられた第三者の意見を読み、依頼者と被依頼者はコミュニティを消耗させる利用者ではないかという印象も持ちました。おふたりには異論があるでしょうけれど、そのように見ている第三者がいるとご理解ください。これらを踏まえて、「まとめ」節に提案をします。--[[利用者:Moke|Moke]]([[利用者‐会話:Moke|会話]]) 2022年10月18日 (火) 05:53 (UTC)
* {{コメント}} フェルメールの作品記事の立項経験がある一人としてコメントします。「ノート:フェルメールの作品」および当コメント依頼を読んでから、フェルメール関連の記事にはなるべく関わらないようにしています。立項したいフェルメールの作品がまだありましたけれど、それも執筆を中断しました。依頼者と被依頼者の論争が何らかの形で飛び火して、巻き込まれることを懸念したからです。フェルメール関連記事に関する建設的な提案や編集が皆無とは言いませんけれど、おそらくはそれよりも多くの時間をご自身の擁護や相手への批判に費やしており、いまだに合意に達していません。このコメント依頼に寄せられた第三者の意見を読み、依頼者と被依頼者はコミュニティを消耗させる利用者ではないかという印象も持ちました。おふたりには異論があるでしょうけれど、そのように見ている第三者がいるとご理解ください。これらを踏まえて、「まとめ」節に提案をします。--[[利用者:Moke|Moke]]([[利用者‐会話:Moke|会話]]) 2022年10月18日 (火) 05:53 (UTC)
** {{コメント}} 「それも執筆を中断しました。」との由。同じ執筆者として[[利用者:Moke|Moke]]さんのご心労はいかばかりかと、心中お察し申し上げます--[[利用者:さかおり|さかおり]]([[利用者‐会話:さかおり|会話]]) 2022年10月18日 (火) 07:38 (UTC)
** {{コメント}} 「それも執筆を中断しました。」との由。同じ執筆者として[[利用者:Moke|Moke]]さんのご心労はいかばかりかと、心中お察し申し上げます--[[利用者:さかおり|さかおり]]([[利用者‐会話:さかおり|会話]]) 2022年10月18日 (火) 07:38 (UTC)
*異動による転居や業務で忙しく、暫く参加しておりませんでしたが、久しぶりに様子を見に来てみたら最早のっぴきならない状況にまで悪化していて困惑しています。フェルメールの作品に関する議論では、私の提案の一部にみそがいさんが理解をお示し頂けたので、収束と解決に向けて一条の光明が見えた気がしたのですが、どうやら気のせいだったようです。もうこれ以上時間を費やしても当人同士での解決には至らないだろうと確信し、Mokeさんの御提案に乗っかる形で最終私案を提示してみました。詳細は「まとめ」節をご覧頂ければと存じます。それともう一つ感じたのは、このコメント依頼が最早「Wikipedia:コメント依頼/みそがい」ではなく、事実上「Wikipedia:コメント依頼/Falcated」になってしまっているということです。少し雑感も込めて、最後のコメントをしたいと思います。
:*{{返信|[[利用者:Falcated|Falcated]]さん}}まずはこちらをご覧頂きたいと思います。9月16日に書いた内容です。
{{quotation|
:今回のコメント依頼はみそがいさんに対してのものではありますが、一面Falcatedさんに対するコメント依頼でもあると思った方が良いです。これは「鏡」です。過去のコメント依頼では、提出した依頼者が逆にコメント依頼を出されたり、更にはブロック依頼を出されたケースすらあります。こういう時こそ言動を慎重にしなければならないと考えます。折角の機会ですから一度Wikipediaの編集も記事の選考も止め、ご自身のWikipediaにおける行動を会話ページで振り返ってみては如何でしょうか。なぜこのように論争が続いてしまったのか、妥協すべき点はなかったのか、反対に何故この利用者とは円滑に折衝できたのか等ご自身の歩みを振り返り、深く熟考する良い機会だと思います。時間は掛かっても良いですから、Falcatedさんなりの結論を出してから、再び当依頼に戻る手もあります。
|河川一等兵による9月16日のFalcated宛のコメント}}
::この時Falcatedさんは「しかし、最終段落後半部は納得できるもので、今後の活動を鑑み、よく嚙み締めます。」とお答え頂きました。活動自体は止めないがという御意思はありましたが、その上で以後は唐突な終了提案のような行為は少なくともなさらないだろうと思っていました。しかしその後のFalcatedさんは以下のような行為を行いました。
::*[[Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ソリクン 20220925]]の提議
::*[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/Meine Libe]]における一連の議論への参加
::*本依頼に対する再びの一方的な終了提案
::正直、ソリクンの件で愕然としたのですが、私の知らない間に更に二つの案件を起こしていることには失望を禁じ得ません。全てに共通するのは唐突な本依頼終了提案(第一回)と同じ病理、自身の判断基準だけで拙速に事を運ぶ、そして批判的指摘を受けると直ぐに撤回するという点なのです。私はFalcatedさん、貴方がWikipediaにとって得難い執筆者の一人と思っているからこそ、時間を掛けて必死に考えてより良い方向性で終わるためにコメントをしたのです。しかし結果的に貴方はそれを「裏切り」同じ過ちを繰り返した。一度編集も記事選考も止めて貴方の行動を振り返って欲しいと述べたのは、再発を防ぐための内省をして欲しい・本依頼の解決に集中して欲しいという意味だったのですが、貴方は結果的に内省もせず解決に向けて妥協策を模索せずにみそがいさんを批判し、更には上記の事案を行い、結果関わる人にこのコメント依頼で指摘された事と同じ指摘を受けましたね。第三者のコメント節をじっくり見ましたか?大半が貴方に対するコメントになっていて、もうどっちのコメント依頼か分からないでしょう。挙句の果てには熟考も結論も出さず唐突な終了提案(二回目)。石焼ビビンバさんが失望したり、みそがいさんが憤慨されるのは当然のことですよ。私も貴方のなさり様に怒りを覚えています。善意を踏みにじられるとはこういうことかと。
::もう正直このコメント依頼で穏やかな方向で解決を模索するには時間の無駄だと感じました。そこへMokeさんの御提案があったので、乗じて解決案を出しました。貴方に取っては「何だこれは」と憤慨されると思いますが、貴方が蒔いた種です。本依頼対処以外の活動を中断し、せめて誠実に責任を持って解決して欲しいと心からお願いします。心身は安定していると仰っていたので、もう健康を理由にして逃げることは出来ません。真剣に向き合って下さい。それすら出来ない、無理だと仰るなら、私は匙を投げます。私は有能な執筆者である貴方を失いたくないという気持ちに変わりはありません。貴方はもう崖っぷちにいることをどうか分かって下さい。お願いします。
:*{{返信|[[利用者:みそがい|みそがい]]さん}}お怒りはごもっともだと思います。私の気持ちはみそがいさんに近いです。ですが、Falcatedさんがここまで依怙地になる発端となったのは前回も指摘しましたが、間違いなくみそがいさんなのです。ここまで拗れて、収拾が付かなくなりましたが第三者が見て「どっちもどっち」という印象は否定できないでしょう。みそがいさんは丸く収めるための「妥協策」を持っていましたか?どこかで折り合いを付けるのも、また議論だと思います。そろそろ落し処というか、最低限求める一線(複数要求するのは紛糾するだけなので)を探る時期に来ているのではないでしょうか。このまま縺れても、何一つ良い事はありません。既にMokeさんのように実害を受けている方もいらっしゃるのです。
:*{{返信|[[利用者:みっち|みっち]]さん}}事ここに至り、多少強引にまとめる方向に致しましたが、是非みっちさんの鋭い御意見を頂戴できればと存じます。ご面倒だとは思いますが、最後までお付き合い下さい。
:*{{返信|[[利用者:石焼ビビンバ|石焼ビビンバ]]さん}}私の申し上げた「総意」はコメント依頼の最終合意内容を指しているのですが、まあFalcatedさんに関して申し上げればあながち間違いではないと思います。しかし私はまだFalcatedさんを信じたく思いますので、終了提案に対するアクションで結論を出して頂ければと存じます。もう暫くだけ待ってみて下さい。
:*{{返信|[[利用者:Moke|Moke]]さん}}お気持ち、私も痛いほど分かります。書きたい記事が書けないというのは…何しにWikipediaに参加しているのか分からないですよね。ですから私はMokeさんの御提案に賛成すると共に、早くフェルメール関連の記事をMokeさんに思う存分書いてもらいたいので追加の終了提案をしました。分野は違いますが、私はあくまで記事を書く人の味方でありたいと考えています。
:*{{返信|[[利用者:さかおり|さかおり]]さん}}まさかここでお目に掛るとは思いませんでした。行き掛り上慣れない事をしています。ここでお目に掛ったのも御縁ですので、さかおりさんにはお手数をお掛けしますが是非コメントを頂戴したいのです。重鎮たるさかおりさんに大所高所からご意見を頂ければ、議論の収束も近くなるのではと期待しております。ご面倒と思いますが、何卒宜しくお願い致します。
:今回の件で、お二方には遺恨を持たれると思います。ですが私は最初に述べた通り、あたら有能な執筆者二名が疲弊してWikipediaから去るのを座視できないから、本来私には何も関りがない本依頼を何とか収束・軟着陸させようと考えています。お二方にはその辺りの私の考えを汲み取って欲しいと切に願っております。口幅ったい物言い、申し訳ございません。--[[利用者:河川一等兵|河川一等兵]]([[利用者‐会話:河川一等兵|会話]]) 2022年10月18日 (火) 15:09 (UTC)


== まとめ ==
== まとめ ==

2022年10月18日 (火) 15:09時点における版

利用者:みそがい会話 / 投稿記録さんにおける、これまで私Falcatedに対する態度について、及びフェルメールの作品での加筆について、皆様方のコメントを依頼します。

これまでの経緯

利用者:みそがい会話 / 投稿記録さんのフェルメールの作品などでの編集姿勢ついて、及び、利用者:みそがい会話 / 投稿記録さんの私Falcatedに対するこれまでの対応について、皆様方のコメントを依頼します。 みそがいさんは、2005年3月に初編集をされた、編集歴17年のベテランです[1]。対して私は2020年1月初編集の、2年半ほどの経歴になります[2]。これまで一貫して、美術史の記事を執筆しております。そのような立場ですので、Wikipedia:良質な記事 でのNDC700-750番台の記事はチェックしており、フェルメールの作品についても、注がしっかり付されていない、WP:Vを満たさない記事として、以前から認識していました。 そんななか、同記事が 良質な記事の再選考にかかっているのに気が付きました。2021年の6月から8月にかけ、 良質な記事の再選考にかかっていた東海道五十三次 (浮世絵) を手直しして、良質維持した経験があるので、今回も同様に行おうとしました。その上で本記事の問題点として、上述の通り、出典がしっかり付いておらず、かつ「空間の整理が出来ていない。天才も人間味溢れる一人の人間であったことを感じさせる作品である」「背景の画中画に描かれた男性の視線はワイングラスを持つ女性の方に向けられ、この場のなりゆきを見守るかのようである」といった、典拠不明、及び出典の丸写しと思われる独特の表現がある点だけでなく、「来日した作品」節がある事でした。本記事が良質な記事に選ばれた2006年11月時点Wikipedia:月間新記事賞/2006年11月で、この節は無く、2007年8月19日、Kanejanさんによって加筆されたのが最初です[3]。編集要約欄に何も書かれておらず、またこの方は活動を休止されている為、いかなる意図で加筆をされたのか、今となっては不明です。その後、誰も問題とすることなく、今に至るわけです。 「来日した作品」節の何が問題かと言えば、 WP:POVWP:JPOV )を満たしていないからです。世界各地で開催されているフェルメール展覧会に対して、日本のそれだけを記載することは、「中立な観点」にそぐわないことですし、本記事には諸言語版がありますが(日本語版は翻訳記事ではありません。)、「来露した作品」「スペイン語圏に来た作品」などといった記述はありません。フェルメール作品が1回しか日本に来ていないのなら兎も角、20回程度も来ているものを書きつづるのは、百科事典の記述ではなく、情報の無差別な収集であり、ファンサイトそのものであり、20回分のデータを載せても、それをどう読み取るのか、注が担保された解説が無ければ、殆んどの読者には何の価値も無いものでしょう。そもそもそれを本記事に記す必要があるのでしょうか。ヨハネス・フェルメール内ではいけない理由は何なのでしょうか。 むしろ独立記事「日本におけるフェルメールの受容(仮)」をたてて、そこで、時代ごとの普及度・評価の変化・経済効果などをまとめた方が良いのではないでしょうか。なお、芸術や思想・宗教・言語分野での、日本受容GA記事としては、日本語訳聖書ふらんすなどがあり、これらは「日本(語)から見た」という立場に必然性があり、 WP:JPOVとは言いません。無論GAとしての質も保たれています。非日本語ネイティブにも読む価値がある記事です。対して、英蘭仏独語ネイティブが、日本にはフェルメールが20回来た、なんて冗長なデータを見せられたら、吹き出すんじゃないでしょうか。ですが、日本におけるフェルメールの受容なら、興味深く読んでくださることと思いますし、原資料の調査を隈なく行えば、GAにも充分手が届くでしょう。 そういったことを、 2022年7月19日13:58に、ノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除についてにて、提案をしたのですが、それに対してみそがいさんは、2022年7月21日17:11、つまり2日後という早い段階で、本節の必要性を主張してきたのです。以下に纏めますと、

1.「WP:JPOV」は方針・ガイドライン文書にはなっていない(提案段階)ので、それを根拠とすることが妥当か
2.「WP:JPOV」の中の何に対して抵触するのか
3.「得るものが乏しい」というのは「得られるものが無い」ということとは違うのではないか

(他2点は、本件での論点にしないので、略)

2.は既に説明しました。3.も、百科事典は情報を無差別に収集する場ではないと説明しました。「無い/乏しい」は言葉遊びでしょう。残りの1.ですが、これは英語版w:Wikipedia:Systemic biasが“This is an essay.“であることに則ったわけで、Wikipedia:中立的な観点/FAQ#その他の反論には「英米中心的な視点」と、

と記載されているのですから、方針に準ずるものと考えられます。さてその後、三人の方が、私の考えに同意してくださいました。

* EULEさん-「本記事は「フェルメールの作品一覧」であって、来日情報は別に主題となって必要な情報ではありません。一覧記事としての質や完全性を踏まえた時に、はっきりと言ってしまえばいらない情報です。」「別記事にすべきではない理由探しを行うみそがい氏の行動がよくわかりません。」
* 灰色の海さん-「改稿後の記事には(日本における展示を)記載しない、という形で良いのではないかと」(以上、ノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除について
*紅い目の女の子さん-「JPOVにあたると考えております」「不十分な節が必要であるとも思われません」(利用者‐会話:紅い目の女の子#フェルメールの作品について))

お三方のご意見に対して、みそがいさんは納得のいく反論が出来ておらず、ご自身の案に賛同してくださる方が現われないのにも拘らず、残念ながら「来日した作品」節の取り下げをされておりません。

2022年9月7日14:43(UTC)、 全面的に書き換えた「フェルメールの作品」テキストをアップした上で[4]Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/フェルメールの作品 20220907を提出しましたが、予想通りと言いますか、みそがいさんが、自身が注を付けた収蔵館以外における展示を貼ってきました。[5]。ですが私から見ると、前とのテキストとの繋がりが唐突に感じます。「作品の貸し出し」は私の部分では一切触れていないのに、なぜこのような書き込みを加えるのか理解に苦しみます。わたしは上記の通り、みそがいさんに、「日本におけるフェルメールの受容」を立項されて、そこでまとめてはどうですかと、お薦めしています。

そもそも、みそがいさんはなぜ「フェルメールの作品」のなかに「収蔵館以外における展示」節を組み込むことに拘るのでしょうか。日本におけるフェルメールの受容(仮)を立項すれば、誰にも文句を言われませんし(灰色の海さんも「日本におけるフェルメールの受容」立項には賛同下さっていますノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除について)、GAも取れるかもしれません。そこでみそがいさんの編集履歴を見ると、一つの仮説が導かれます[6]。私がこれを書いている時点で、みそがいさんの総編集回数は6,845回なのに対し、編集サイズの平均が、-240.4 バイトになっています(ちなみに私は、3,385回、330バイト)。これだけの編集回数で、バイト数がマイナスな方は、見たことがありません。みそがいさんのノートページを見ると(利用者‐会話:みそがい)、いろいろな方から、記事を削除された抗議が記されています。ここで内容を吟味することはしませんが、みそがいさんは相手が何を言おうと、自身の意見を変えず、妥協点を見出したりはしません。そういったことから、みそがいさんは記事を書くより、記事の削除が好きな、いわゆる「自警」と言えるのではないでしょうか。だから面倒な「日本におけるフェルメールの受容」立項はしたくないのかもしれませんし、私にプレッシャーをかけ続けた方が、やり甲斐があるのかもしれません。

ところで、みそがいさんは、普段は良質な記事選考/再選考には参加されていません。「フェルメールの作品」と「東海道五十三次 (浮世絵)」くらいでしかお見うけしていません。両記事の共通点は、私が執筆者として関わったことです。Xtoolsにて、みそがいさんの編集履歴を拝見しますと、「利用者‐会話」ページの編集では、私のところは7回で、3番目になっています。1番はみそがいさんご本人ですので、無視するとして、2番目の方は無期限ブロックになっています。ということは、みそがいさんが最も関わっている利用者は、私と言えましょう。7回の書き込みを見ると([7])、私に問題があるものもありますが(「記述の意図は何でしょうか」)、その内の4回が2020年3月から4月という、JAWPに参加して数か月の時期で、熱意をもって美術史内の基幹記事である、浮世絵の編集に関わっていた時でした。分量だけなら「良質な記事」になってもいいくらいなものの(当時はそういう認識はありませんでしたが)、無出典・独自研究のオンパレードで、どう直せばいいのか、明確なヴィジョンも持てなかったのですが、文献を手に、とにかく出典のある記述に書き換えようと、取り組みました。

ところで、それよりの前の2020年2月2日、初の立項として、桑実寺縁起絵巻を記した時、Ihimutefuさんから{ Sfn}を教えて頂き、こんな便利なものがあるのかと感動しました。但し慣れないものですから、しばしば不具合を起こしました。今となっては、記号の入力不足か重複入力してエラーを起こしたのだろうと分かるのですが、当時は手が出せませんでした。そういった状況下で、みそがいさんの2020年4月6日付け「浮世絵の件について: 出典と参考文献の非対応修正について」が出てくるわけです[8]。お読みいただければわかる通り、私は修正する能力がないと泣き言を言っております。対してみそがいさんは「出典と参考文献の対応がとれていない部分が散見されます。以前指摘した部分も修正されていません。浮世絵記事の内容自体は至急修正すべきとまでは考えていませんが、出典と参考文献の非対応は緊急性があると思います。これは、WP:Vに直結するからです。速やかに修正願います。私に任せられても当該文献を確認できませんし、編集した本人が責任を持って編集すべきです。なお、編集を記事に反映させるまでの手法(エディタに何を使うかなど)は色々あると思いますが、あくまで個人的なことであり、それを理由に編集内容の不備を許容するものではありません」。そして2日後の2020年4月8日には、「Falcatedさんができないということであれば、1週間お待ちしてもなお非正常な状態が残っている部分については削除していきます。」と言い切りました[9]。この人には血も涙もないのかと恐れおののきました。ですが当時はどう対応したらいいか分からず、泣き寝入りしました。

そもそも出典のない(あるいは不十分な)箇所は1週間で削除せよとの方針・ガイドラインはありません。Wikipedia:出典を明記する#出典なき記載の扱いには「記事に出典が示されていない場合、{出典の明記}テンプレートを使って出典の提示を求めることができます。十分な期間を経てもなお、出典が見つからない記述は除去してください」とある通りです。「良質な記事再選考」でも、提案利用として「{出典の明記}タグが貼られて〇年×か月云々」と記されることが多く、それだけ待つものだと語っているのです。このようなみそがいさんの発言は、ガイドラインの悪用に他ならず、また、アカウント登録3か月時点で、このような要求をされるのは、今となってはWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに該当すると思わずにいられません。

また浮世絵において、2020年3月15日、私が記した「色料」の語が消されました。そんな語は無いとのことですが、[10][11] 手元の資料、古いものですが、[[菊池貞夫]](1985)浮世絵.保育社.p.132ですと、「今日では浮世絵版画で用いる絵具を、他の絵画で用いる絵具と区別するために、文化庁などは、特に色料という用語で呼んでいる」とあります。絵具というと、油絵用等の、チューブをひねればそのまま使えるものを想像しがちですが、浮世絵色料は、水によく溶かし、固着用の溶かした膠と混ぜ合わせて使うようになっています。話を戻しまして、この時点での私は、どう対応したらよいか分からず、結局自説を取り下げました。今も章節名として「絵具」が残っています利用者‐会話:みそがい#「浮世絵」の件について

また、[出典無効]を貼られたこともあります。浮世絵#歴史にて2020年8月8日に、[1]がリンクしていないと指摘されましたが[12]、今見るとこれは、Template:清水Template:清 水になっていた為と分かります。ちょうど行の変わり目ということもあり、間隔がずれてしまったのでしょう。参考文献リストを見れば、2013年のところに清水はありますし、記事内容と資料のジャンルから、確実に特定できます(清水重敦「伝統から解放された建築」 『日本美術全集16 激動期の美術』2013年、212-213頁。小学館。なお私は、文献リストを、発行の古いものから挙げています。これが美術史ではスタンダードなので。)、考えれば分かるはずですし、そもそも{Sfn}や< ref >の使用は必須ではありません。それにその時ノートで直接言ってくれれば、問題点に気づけたかもしれません。しかし、みそがいさんは、記事の改善よりも、[出典無効]を貼ることに喜びを見出しているようにしか思えませんでした(Wikipedia:タグ爆撃)。

それだけ注付けに厳しいみそがいさんですが、ご自身の加筆では、不充分な注を放置した例があります。浮世絵#歴史を、手許の資料(国際浮世絵学会(2008)浮世絵大事典.東京堂出版. pp. 44–45諏訪春雄「浮世絵」)で採用されている4区分を採用したのですが、みそがいさんは異論(3区分・5区分)も載せろと言われる。それ自体に反対ではないので、2020年4月21日、私が見ていない、みそがいさんの指定資料を追記し、承諾いただきましたが[会話:みそがい&diff=prev&oldid=77182019#「浮世絵」歴史章冒頭について]、著者・発行年だけでページ数を記さずに長らく放置し、私も少し知恵をつけてきた2020年12月に、該当箇所に[要ページ番号]を付し、ようやく対応してもらえました[13]。私はみそがいさんに対して、荒い言葉を使うこともあり、そこは反省せねばりませんが、みそがいさんも、私にガイドライン等の誤りを指摘されても、謝罪されたことはありません。

わたしに散々注文を付けてきたみそがいさんですが、2020年12月、浮世絵記事を量産しつつも、出典明記が不十分で、かつテキスト丸写しを繰り返していた、Tgftn614さんに対するブロック依頼の最中(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Tgftn614)、対話拒否をし、削除タグ剥がしと編集を強硬するTgftn614さんに対し、可変IPが、氏の記事加筆を軒並み消していく状況(これ自体は宜しくありません)下、みそがいさんはコメントには加わらないものの、彼の記事に出典を付けてあげる行為をされています。[14]。当時これを見て、私との対応差は何なんだろうと、驚きました。

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/東海道五十三次 (浮世絵) 20210611の時は、みそがいさんが来たのは、私が改訂版記事を提出し、除去票を投じたお二人が取り下げて下さり、選考終了も間近だったので、その場で問題はおきませんでしたが、文献を読まれて(それ自体は良いことです)、 「20数種の揃物の他に張交絵、狂歌本、双六、千社札、絵封筒などが確認されており全部で40種程度あるとされている。」との記述が無いから追記せよとの注文が入りました(ノート:東海道五十三次_(浮世絵)#導入部・節構成の変更等に関して)。私自身、当初「40種」との記述を入れていたのですが、これは内田実(1932)広重.岩波書店.にしか載っていないもので、「揃物(シリーズもの)」「張交絵(一枚の中にいろんな図柄を描いたもの)」を除き、実物の写真掲載はありません。刊行から50年経っても、いまだに広重研究最重要文献である、鈴木重三(1970)広重.日本経済新聞社.(内田実参照)にも未掲載で、おそらく現物はもうないのだろう(丹波恒夫(1965)広重一代.朝日新聞社.に記載された、内田の唯一の親族の証言からの推察)点から、載せない方が良いと判断したのですが、みそがいさんは、「フェルメールの作品-収蔵館以外における展示」同様、知っていることは全て書きたい人なのだと推測します。ですが繰り返しますが、百科事典としては情報の取捨選択が必要でありウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。--Falcated会話2022年9月8日 (木) 12:23 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 清 水 2013, p. 212.

依頼者のコメント

以上、上手く纏まり切れていませんが、フェルメールの作品での「収蔵館以外における展示」節の必要性、及び私とみそがいさんの関係について記しました。後者は前者と関係がなさそうですが、私にとってはアカウント作成後、私の立場からすれば、ずっと「マークされている」相手であり、このような関係は、どなたもご存じないことでしょうし、それらを基に、今回の件につながっているのですから、この場でも書く意味があると考えました。繰り返しになりますが、「フェルメールの作品-収蔵館以外における展示」節は必要か否か、ご意見をお願い致します。

これまでの経緯を含め、現時点での私は、みそがいさんとの話し合いを諦めています。私は、みそがいさんをいつまでも「納得」しない真っ当に生産的活動を行う利用者を追い出そうとする新規参加者を苛める真っ当に生産的活動を行う利用者を追い出そうとする利用者コミュニティを消耗させる利用者と認識せざるをえない状況に立たされています。この考えは正しいでしょうか。正しいと考えられる場合は、みそがいさんにどのような対応を取って頂くのが望ましいでしょうか。またコミュニティとして取るべき対応が御座いますでしょうか。皆様、何卒宜しくお願い申し上げます。--Falcated会話2022年9月8日 (木) 12:23 (UTC)[返信]

こちらに書きます。みっちさん、河川一等兵さん、ご意見有難うます。河川一等兵さんのおっしゃる「コメント依頼で集まった総意に対しては絶対に異議を唱えない、総意に基づき記事を加筆修正したらこの問題を終わりにして蒸し返さないこと」を約束いたします。破った場合はブロックしていただいて結構です。お二人が仰る「分野を変える」は私も考えたのですが、まだ未練があります。私は外国語が得意ではないので、フェルメールはこれで終わりでも構わないのですが、まさかここにもみそがいさんが来ると思わなかったので、憔悴しています。心身がやられそうなので(興奮して眠れないので、睡眠導入剤を飲んで寝ています。翌日の仕事がきつくなっています。)、コメント依頼を書いていた時はハイでしたが、早く決着したいのが本心です。とりあえず。--Falcated会話2022年9月11日 (日) 14:04 (UTC)[返信]


  • みなさま。「収蔵館以外における展示」掲載是非の結果決定時期ですが、私が本依頼を投稿した2週間後の
*2022年9月22日 (木) 12:23 (UTC)
にするのが適当と考えますが、これで宜しいでしょうか。ご意見をお願いします。--Falcated会話2022年9月12日 (月) 14:46 (UTC)[返信]


手の内を明かすのは抵抗があるのですが、7月7日に私が再選考の場で現状維持票を入れた後、7月11日の時点で、表を作る準備をしています[15]。7月16日の時点で、全作品を含めた表にしています[16]。この時点では、疑問を感じつつも、「日本での展示」を入れています。ですがその後、WP:JPOV等の問題で、必要性が見いだせない考えが強くなり、7月19日にノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除についてを提案したのです。
  • 一覧については、ノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除についてにおいて、EULEさんが7月31日に言及されています。「本記事が「秀逸な一覧」にするのに相応しいにもかかわらず、「来日した作品節」によって選考を通過しないっていうなら、多少強引にでもそんなもの無くした方が良いと断言するところなのですが、正直、メインの部分だけだったとしても現状のGAですら、今の選考であったらおそらく通らないところであり、何をするにしても、今一決め手に欠けてコメントしにくい、というのが率直なところです」。
一応述べておきますが、フェルメールの作品一覧に改名できたとしても、EULEさんのおっしゃることは、尤もだと思いますので、Wikipedia:秀逸な一覧の選考に出すつもりはありません。
  • Wikipedia:記事の所有権の指摘がありますが、明確に否定します。私がそのような考えならば、東海道五十三次 (浮世絵)での記述改変時に、何らかの反対行動をしていないと、整合性が取れません。むしろみそがいさんの「単に記載を移すだけであれば内容が乏しいのではないか」との脆弱な理由でこちらに居座る事こそ、Wikipedia:記事の所有権に執着しているからではないですか?
私は東海道五十三次 (浮世絵)にて、赤リンク解消の為、林屋庄五郎を立項しましたが、わずか3500バイトです。林屋庄五郎だけを立てればスタブですが、幹-枝の関係があるので、特筆性のある記事と考えます。
  • また、「今回の記事の改稿経緯と、改稿と同時に記事の選考にかける行為の整合性があるようにも感じられます。」との発言は、8月6日付 ノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除についてにおいて、ご自身で「現状記事としては一旦除去した上で、改稿記事で再度選考にかけるのが望ましい手順だと思います」との発言と逆のことを言われています。このような理解しがたい発言のブレが、私に不審がられる原因となっていると、お考えにならないのでしょうか。
  • 「フェルメールという人物の説明や評価ではないこと」。2003年2月18日に立項されたヨハネス・フェルメールは、フェルメールに関することなら、なんでも受け入れる記事です。「フェルメールの作品」はヨハネス立項後の2006年11月12日に、Yt~jawikiさんによって、「人物記事と別に立ててみましたがどうでしょうか」との理由で立項され、「ヨハネス・フェルメール」の方にリンクが貼られましたが[17] 、作品に関する記述の削除はなされていません。
  • 「作品を集めて展示することの困難さ」は、オールドマスターや、個人所蔵の多い作家に共通することで、フェルメール限定の話題ではありません。「美術館ごとの収蔵作品状況」は、各館の記事に加筆すればいいことです。 ここまでと致します。--Falcated会話2022年9月16日 (金) 14:55 (UTC)[返信]
  • 続けます。 返信 (みっちさん宛) :コメント有難うございます。今回、Wikipedia:エチケットを読みましたが、お恥ずかしながら、私はこれが初見だと気づき、赤面しました(Wikipedia:善意にとるWikipedia:個人攻撃はしないは読んでいます)。それに基づき、私が本欄で書いたものを読み返し、感情的だと思うものに取り消し線を入れました。今後とも宜しくお願い致します。
  • 返信 (みそがいさん宛) :
  • 「小林頼子文献の記述を過小評価するものでは」。そんなことはありません。「〇〇の研究は困難だ」「○○の研究は十分なされていない」は研究者の常套句であり、「研究は容易であり、され尽くされた」では、研究費が出ないから、そう書くのです。その一文だけで、研究書一冊の評価が下がるわけありませんし、それこそこの発言に拘泥されるのなら、小林氏が研究者として未熟だと言われているように聞こえます。
  • 「フェルメール以外で同様の状況にある芸術家」。例えばピーテル・ブリューゲル(父)。芸術新潮2013年3月号には、「真作」が42点掲載され、この時点で日本で展示されたのは3点(油彩のみで版画は含めず)となっています。2022年時点では、おそらく+1で4点(ルーブルの「足なえたち」を加え。ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の「小バベル」は、3点に含まれる。)と思います。この号は「いつか日本でブリューゲル展を!」との考えで企画されました。
  • 改名に関しては、記事としての選考/再選考が終わってから行えばよく、同時に行う必要は無いと考えました。現に私は、ノート:フェルメールの作品では、改名については述べていません。つまり、この記事の改訂を優先し、改名はその後でいいという立場です。それが問題あるでしょうか。案件を増やすと通りにくくなるので、ひとつづつこなすのが良いと考えます。改名が先でもいいですが、今回は記事内容の改善を優先させる必要がありました。
  • それと私は、再選考の場において、自分からこの場を降りる、良質な記事選考の場でやり直すと言ったのですから、この問題をいつまでも引っ張られるのは、納得しかねます。 --Falcated会話2022年9月23日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
  • 返信 (みそがいさん宛) :遅くなりましたが、返信致します。
まず、「私に対しては何も言うことはないのでしょうか。」に対しては、不適切だったゆえ、明確に謝罪致します。二度とそのようなことが起きないように致します。みそがいさんが私の態度に不愉快に思うのでしたら、私が新人時代に、みそがいさんに対して、恐ろしい、腹立たしい人だと思ったことも理解いただけるでしょう。「ハイだったからコメント依頼を出した」とは書いておりません。曲解はお止めください。
先述したように、再選考に対する批判は、受ける気が御座いません。ルールは気持ちよく活動できるためのもので、それを阻害するルールは要りませんし、ルールが先に来るようなコミュニティ(憲法より刑法が重視されるような)など、まっぴらごめんです。
ブリューゲルは聞かれたから、そう答えただけです。それ以上のものではありません。
「美術館ごとの収蔵作品状況」。既に答えています。
「本項収束への道筋」。みそがいさんが納得して、来日情報を切り離して下されば、それで終わりですよね。これまでみそがいさんの意見に賛同する方は、ゼロですし、「どちらの記事に記載するかは、おっしゃる意図からすれば人物記事内であってもいいのかなとも思いました。」「「フェルメールの作品」記事内には受け入れられないということであれば、それは適切で柔軟な対応をしなければならないと考えています。」と言われているのですし。「単に記載を移すだけであれば内容が乏しいのではないかと思っています」とのお考えは、もう無いものと思いますが。
そもそも小林氏の「フェルメール論」にも、若干の来日情報はありますが、日本そして世界でのフェルメールの受容状況を考える上での引用で、少なくともすべての来日情報を載せてはいません。2008年の芸術新潮は、私が提起した日本におけるフェルメールの受容の骨組となる記事で、同じことを考える人が居るのだと驚きました。あの記事の中に載っている分には、違和感がありません。
浮世絵でのウィキ文法の件ですが、私が{sfn}を教わったのは、2020年2月5日です[18]。それも手取足取り教わったわけではないので、見様見真似です。ですので「2020年4月8日の事例」はそこから2か月後ですから、出来なくて当然じゃないですか。2021年に入って、やっとミスが減ったと思います。私はこの手のことが苦手で、Wikipedia空間での投稿で、サブページがあるものや、選考の終了手続きとか、未だに何度も間違えて、複数の方に直して頂いております。そこで怒られたことはありません。
書誌情報のチェックは、国立国会図書館オンラインである程度出来ますし、ウィキ文法の間違いは、それこそ私以上に気づくはずでしょう。
少しずれますが、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/山椒魚 (小説) 20210928にて、参考資料を調べると、発行年は、元の版のものなのに、ページ数が後の版のものになっているのに気づき、参考文献に複数の版が載っているものは、すべての資料を調べて、直しましたよ。
「期間については必要ならば待ってほしい旨を返信すればよかったのではありませんか。」ですから、技術的に出来ないと言ったのですから、待ってくれと同義ではありませんか。では、待ってくれと言われたら、本当に待ってくれたのですか?みそがいさんがそういう方なら、再選考の場もこじれるはずが無いはずですが。あの場も私の立場では「待ってくれ」なのですから。--Falcated会話2022年10月3日 (月) 15:33 (UTC)[返信]
  • 返信 (みそがいさん宛) :二点だけ書きます。
「日本におけるフェルメールの受容の骨組となる記事」に関しては、みそがいさんに書いてもらおうとは思っていませんし、私自身も他に書いているものがありますし、現時点でやろうとは思いません。
「コメント依頼で集まった総意に対しては絶対に異議を唱えない、総意に基づき記事を加筆修正したらこの問題を終わりにして蒸し返さないこと」について、みそがいさんは守る気が無いということでしょうか。
今日はこれだけで終わります。--Falcated会話2022年10月10日 (月) 14:26 (UTC)[返信]

みそがいさんのコメント

  • まず、それぞれのノート等で議論し、結論を導き出すことをせずに(Falcatedさん「現時点での私は、みそがいさんとの話し合いを諦めています」ということで)コメント依頼となっていることを残念に思います。
  • フェルメールの作品」については、「ノート:フェルメールの作品#来日した作品節の削除について」を読んでいただければ分かりますが、コメントをいただいた方々はWP:JPOVの観点からの意見、特筆性が無いとは言い切れない旨の意見もあります(なお、私は特筆すべき内容であるという立場です)。当該部分の新記事へ記載を移すという案はFalcatedさんのものですが、新記事の立項も内容も確定していない状況で記載を削除することは私の意図するところではないため、不足している出典の追加、さらに、JPOVという意見に配慮して海外の事例も加えることで、作品展示における世界の状況というものを示そうとしています(「収蔵館以外における展示」節)。この記事状態における各位のご意見はまだありません。なお、他言語版に無いから記載しないというのは理由になっていません。現時点で当該節の内容は十全とは言いません。しかし、作品の展示に関する内容であり「情報の無差別な収集」にはあたらないと考えています。なお、Falcatedさんは、私が新記事を立項する、と言われていますが、私はそのような返答をしていません。
  • 後から分かりましたが、上記ノートにおいて、Falcatedさんがあげた3人の方のコメント(内1人は当人の会話ページ)が寄せられていますが、いずれもFalcatedさんがそれぞれの方にコメントを寄せてくれるよう会話ページで依頼しています。これはWikipedia:勧誘行為に相当すると考えられます。ガイドラインにはなっていませんが、この場合は避けるべき行動でしょう。また、多数決主義ではありませんが、十分な議論がなされていない状況では行うべきではないと考えます(Wikipedia:論争の解決)。
  • そのような状態において、Falcatedさんの全面改稿がなされましたが、上記議論の収束を経ずに節ごと削除し、また理由も開示されない状態であったため、復帰させたというのが、私から見た経緯です。
  • 良質な記事の選考にあげられていることに後から気がつきましたが、全面改稿と同時に記事の選考にかけるということは上記の議論が継続していることを承知の上でなされたということになり、非常に不可解に感じます。
  • その他、Falcatedさんがあげられた過去経緯については、おそらくご自身が、ご自身の思い通りにならなかったことを語っているのだと思います。Wikipediaは多数の編集者によるプロジェクトであり、私もルールに則って参加しているつもりです。ただ、完全であるとは言えません。意見や編集方針の食い違いなどは日常茶飯事であって、それを議論でまとめていくのが常道であり、特段の理由無く話し合いを放棄するのは編集者として如何なものかと感じます。興味ある分野や記事群が互いに重なっていることだってあるでしょう。そもそもどのような立場であってもルールに則ればどんな記事の編集にでも参加できるのがWikipediaです。
  • 例えば、2020年4月8日の事例では、この時点でFalcatedさんは既に1000回程度の編集履歴があります。また、私が出典にあたれないのですから修正できるはずもありません。期間については必要ならば待ってほしい旨を返信すればよかったのではありませんか。今となっては、ですが。あと、会話ページでFalcatedさんとの編集回数が多いのは、浮世絵関係の記事で接点がありますから当たり前のことだと思いますが。
  • 私の編集履歴に関し、興味深い数値(編集サイズの平均が、-240.4 バイト)を調べていただいたので、それに関して述べます。まず、私が削除編集したことに対して抗議が来たという点については、会話ページの内容を読んで妥当なものかを判断して下さい。印象操作のような書き方は不愉快です。自警というのが何を意味しているのか分かりませんが、おそらく悪いレッテル貼りなのでしょう。なぜ編集サイズの平均がマイナスになっているのか、私の編集履歴を確認して下さい。その上で問題があるのならばあらためて疑義としてとりあげればいいでしょう。
  • 過去の経緯はともかく、現在提示されている点については私はルールに則し、ノートでは私の意見を表明して議論し、あるいは議論の推移に基づいて記事に対する改善案の提示や、具体的な記事への加筆を行っています。それに対してFalcatedさんが議論を重ねること無く、このようなコメント依頼が提出され、困惑しているというのが正直なところです。逆に、Falcatedさんの行動が心配になります。

--みそがい会話2022年9月8日 (木) 17:28 (UTC)[返信]


  • まず、フェルメールの作品の記事内容について私の考えを説明します。
    • 記事名の通り「フェルメールの作品」を主題とするものであって、一覧のみを扱う記事ではないということが元々の私の認識です。ただし、他言語版リンク先では「フェルメール作品の一覧」という記事名になっているので、他の方々が本記事も一覧記事であるという考えももっともだとは思います。主題は作品ですから作品の一覧があるのは当然ですが、上記の通り、作品に関係するトピックがあれば記載することがあってもよいというスタンスです。その一部として議論前から記述されている日本の展示状況があり、その後私が収蔵館以外の展示情報を追記しJPOVであるという指摘の回避を意図しています。これは当該記述内容の充実度・記述方法・節名の適否は別として、真作と認められている作品が三十数作のみという、作品と収蔵と展示の取り巻く状況の特殊性に起因しているものであるからです。出典としている小林頼子『フェルメール論』の冒頭にも作品を集めて展示することの困難さが記載されています。これとは別に、美術館ごとの収蔵作品状況も何らかの方法で記述したほうがいいとも考えていました。ヨハネス・フェルメールに記載すべきという意見に対しては、上記のような理由であり、フェルメールという人物の説明や評価ではないことから本記事に記載することが適切なのではないかという考えです。作品一覧にのみ記述すべきだということであれば、現在の記事名を他言語版と同様の「フェルメール作品の一覧」に改名すればすっきりしますし、所蔵・展示状況などを別記事に移すなどの後押しになると思います。しかしながら、新記事を立項するという案に対しては、単に記載を移すだけであれば内容が乏しいのではないかと思っていますし、他の方々がどのような内容を想定しているのか見えないので、現時点ではとりあえずノートでも提案した通り記述しておく方法を模索したところです。正直なところ、新記事のたたき台を示してほしいと思っています。
    • このような考えに対し「フェルメールの作品」記事内には受け入れられないということであれば、それは適切で柔軟な対応をしなければならないと考えています。
  • 返信 (みっちさん宛)
    • Wikipediaにとって、記事を充実させることが最も大切な目的であることは編集者全員の意図しているところだと思います。しかし、そのためには守らなければならないルールがあり、目的のためにはルールを蔑ろにしていいということではないと考えています。記事の選考がモチベーションとなっていることもあるでしょう。しかし、それが目的化し、決められているルールを逸脱することを許容することは、Wikipediaのルール全体を崩す一穴になるおそれだってあります。そもそも「選考」を経なくても記事の改善は図れるでしょう。私はその点で目的と手段が逆なのではないかとも思います。優秀な編集者であっても、参加したての編集者であってもルールを守るという点は平等です。ベテラン編集者であればこそ、ルールの重要性を認識し、それをリードしていく立場にあるものであろうと思います。「ルールをすべて無視しなさい」においては「解説」で解釈や運用に関する説明があります。無制限に適用するものでもありません。「悪法もまた法なり」です。問題があるのならばコミュニティに諮り改正していけばいいのであって、少なくともそれまでは守ることが編集者に課せらます。私は遵守するように心がけています。なお、明文化されているルールにおいて例えば「Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考#投票の仕方」の投票形式は解釈が揺れる余地は無く、「Wikipedia:独立記事作成の目安#特筆性は客観的な証明を必要とする」は編集者によって主張が異なる可能性が含まれます。したがって後者のような場合は対話議論が重要になるのです。
  • 返信 (河川一等兵さん宛)
    • 過去のFalcatedさんへの対応が不十分であったのではないか、という点については私は認識していませんでしたので弁解しません。逆にいえば、誰に対しても同様の対応をとることを心がけていましたので、今後は編集者の編集履歴等を確認するようにします。私のルールに関する考え方は、みっちさん宛コメントに書いた通りです。
  • 返信 (Falcatedさん宛)
    • 「ハイだったからコメント依頼を出した」「眠れないので早く決着したい」とは失礼にも程があります。Falcatedさんの気分でコメント依頼が出されたり、体調が変化すること自体は、私にとっては関係ありません。私がFalcatedさんに対しても同様の行動をとっても許容されるということですか。違いますよね。今回私は「Falcatedさんの行動が心配」と述べましたが、まさにそうであったと納得がいきました。ずっと前のFalcatedさんに対するこのコメントの最後の段を思い出しました。私はこちらこちらこちらなどを見てもらえば分かるように、問題点を投げてそのままにはせず粘り強く説明し対話をするようにしています。今回、Falcatedさんが記事の問題点を指摘したことに対して、対立する意見には対話姿勢をとらないにも関わらず、自分に有利な意見のみをピックアップして自らの考えを押し通そうとする対応に不満があります。もちろん、対話しないという選択もあるでしょう。であれば自らは議論の取りまとめはせずに、参加者議論の成り行きに任せるに徹する手だってあるのではありませんか。
    • Falcatedさんが関わる記事に私が関わることに何の問題があるのかさっぱり分かりません。誰でも記事の編集に参加できるのがWikipediaです。関わった記事に他者が絡むことに拒否感を示されることは、穿った見方をすれば記事の私物化が根っこにあるのではないかと思わざるを得ません。そうであるならば、今回の記事の改稿経緯と、改稿と同時に記事の選考にかける行為の整合性があるようにも感じられます。杞憂であればいいのですが。
    • また、本依頼の議論収束期限を区切る提案をなさっていますが、Wikipedia:合意形成に反するものです。
--みそがい会話2022年9月13日 (火) 13:48 (UTC)[返信]
  • 返信 (Falcatedさん宛)
    • Falcatedさんがご自分に都合のよい部分だけを拾い出してコメントされていることに対し、多分に残念に思っています。例えば、記事の所有権に関して、私は過去の経緯を問題にしておらず「フェルメールの作品」にのみ言及しています。議論が継続した状態であるにも関わらず改稿し、同時に記事の選考にかけたことを疑問視しているわけです。「予想通りと言いますか、みそがいさんが、自身が注を付けた収蔵館以外における展示を貼ってきました」という発言に端的に表れています。このような状況で理由を示さず除去された記述ですから、復帰させて非難される筋合いはありません。私が再選考の件に関し「一旦除去の上、選考にかけなおすのが妥当」とコメントしましたが、議論を抱えたままこのような行動をなされたご自身のことを無視しての発言は、他者の介入を拒んでいると思われても仕方のないことだとは思いませんか?私の当該発言はブレていません。以前にも申し上げましたが、問題のある手順にならないよう心がける必要があると思います。
    • 改名について。モノゴトには順番があって、Falcatedさんが改名を考えていたのならば、あらかじめノートほかで提案しておくべきで、記事の記述を少し変えたからなどというのは理由にならないのではありませんか。再選考からの流れというのも解せません。再選考において除去されたら、それは選考とは関係の無い記事ですよね。一覧記事として明確にしたいのであれば、改名作業を優先することだって出来たはずです。Falcatedさんの選考を通すことへの強い意欲が話をこじらせ、他の人々とのズレを生じさせているのではないかと感じます。話を蒸し返すようで申し訳ないのですが、再選考の場における投票行為に関して、他の方々からの苦言が呈されているにも関わらず、未だにFalcatedさんからは反省や改善の意思が示されていません。これはFalcatedさんがよく使う「いつまでも納得しない」という文言そのものではありませんか。
    • もちろん再度選考にかけることはFalcatedさんの自由です。しかし、議論を無視して行動されることはFalcatedさんの立場を危うくすることはあっても歓迎されることは無いと思います。
    • 「作品を集めて展示することの困難さ」はフェルメール限定では無いから記述する必要はない、ということはFalcatedさんも用いている小林頼子文献の記述を過小評価するものではないのではありませんか。逆に、フェルメール以外で同様の状況にある芸術家はどのような例がありますか。他にも同様の事例があるのならば、具体的な出典を基にして記述すればいいだけだと思いますが。
    • 「「美術館ごとの収蔵作品状況」は、各館の記事に加筆すればいい」というご意見については、フェルメールの作品を所蔵している美術館を知りたい場合はどのような手順を想定しているのか疑問に思います。所蔵しているか分からない美術館記事を一つ一つ確認すれば良い、というお考えですか。あるいは、作品一覧から拾い出せば分かる、とか。閲覧者に対してどのようなメリットがあるのかを配慮するのも編集者に必要なことだと思います。
    • 私が改名に同意すれば本コメント依頼が収束すると一方的に宣言されているわけですが、では、改名と同時に、議論にあがっている内容をどのようにすべきか今一度お考えを示すべきでしょう。各位からいただいている記事に関するコメントをどのようにお考えなのでしょうか。
  • 返信 (石焼きビビンバさん宛)
    • 本コメント依頼提出の内容についての疑義は私も同様に感じています。議論を蔑ろにした上で提出することの正当性は非常に低いと思っています。おっしゃる通り、記事のノートで議論することが最善の手であるという点では全く同感です。
  • 返信 (みっちさん宛)
    • 「フェルメールの作品」が一覧記事ではないという意味ではなく、一覧も含むという認識ですのでお間違えなく。ガイドラインにより一覧記事は「・・・(の)一覧」にするよう決められていることがなんとなく意識の中にありました。したがって、作品の解説をする記事において「来日した」節があることにあまり違和感を感じなかったということです(前述の通り、特筆性もあるということで)。人物記事と作品記事の切り分けは、既に述べた通り当該記述は作品に関するものであるという認識ですから提案すること自体考えていませんでした。また、日本の展示情報に関しても、記事のノートや、先に述べた通りで、現在の記述が万全であるとは考えていません。あくまで従来の記述を残したままできるだけ改善を試みた結果です。
    • 私が規則主義であるかと問われれば、そうではない、とは言いません。Wikipediaは参加するためのルールが定められているわけですから、それに従って問題があるのであれば具体的に何のルールに抵触しているのかを明らかにしてもらわないと私も対応がしにくいです。「ルールすべてを無視しなさい」という項目はあります。しかし、それを適用するにもルール(手順)がありますし、コミュニティの合意が無ければ結局は問題となるルールは変えることが出来ません。「無視しなさい」があるから何でも出来るわけではないと考えています。より良い記事にすることが目標のプロジェクトではありますが、ルール無用の場では無いと認識しています。
  • 返信 (河川一等兵さん宛)
    • 「フェルメールに対する後世の評価の一部」という部分については、なるほどそういう捉え方もあるかと思いました。フェルメール作品において、作品の所蔵館を跨いで集約し展示することの困難さは小林文献でも明らかですから、それに沿った内容として、フェルメールが主題となった展覧会情報などに絞って記載することも一案かと思った次第です。また、どちらの記事に記載するかは、おっしゃる意図からすれば人物記事内であってもいいのかなとも思いました。
--みそがい会話2022年9月20日 (火) 13:46 (UTC)[返信]
  • 返信 (みっちさん宛)
    • 記事中の記載に対する考え方は、みっちさん、河川一等兵さんが同方向のものであることは分かりました。河川一等兵さんへのコメントでも述べましたが、内容をそのままではなく適度に絞り込み、うまく収まるようにするのが手かなと考えています。
    • ルールに対する考え方は、おそらくみっちさんと相容れない部分があるのかと思いますのでこれ以上は述べません。みなさんからいただいているご意見については、極力心に留めて対応していくとしか言えません。ただ一点、再選考に関しては、既にそういうシステムがある以上はルールに基づいて行う以外なく、不要であるとお考えであればコミュニティに諮るべきであると考えます。私は、再選考があるのは多数の編集者が関わるために記述内容が劣化していくことや、そもそも古い選考(「フェルメールの作品」も自動選考という古い選考過程に不備があったと思われます)があることから必要であるという考えです。秀逸、良質といったラベルのついた記事に明らかな不備がある場合(例えば出典が不足しているとか独自研究であるとかはWikipediaの編集者ならば誰が見ても明らかなので)、それは閲覧者にとっても不利益であると言えます。選考を通ることはそれなりに大変なことだと思いますが、不備が指摘されて選考を除去されるのは逆に分かりやすいとも言えます。選考システムが内包しているそもそものギャップだと思います。また、おっしゃる通りに自ら改善できれば良いのですが、なかなか難しい場合が多いでしょう。記事の改善はプロジェクトの目的ですから、みっちさんのご意見はそれに沿ったものです。ただそれとは別に「選考」という評価方法が存在しているので、それはそれ、これはこれ、と割り切って考えるしかないのかなといったところです。
--みそがい会話2022年9月23日 (金) 10:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (Falcatedさん宛)2022年9月23日 (金) 14:28 (UTC)コメントに対し)[返信]
    • まず、再選考の場での取り下げはFalcatedさんの体調によるものであってそう発言されていますし、それ以外の理由に関しての発言はありません。したがって、議論の場で私や他の方々の指摘を受け入れて応じたものではありません。Falcatedさんの行動は、Falcatedさん以外の方々からはそう見られているということを認識すべきでしょう。
    • 「研究者の常套句」とは具体的に私のコメントの何に関する評なのか分かりません。また、研究費云々はこの場では関係無い話です。
    • フェルメール以外で類似の状況にある芸術家がいるのであれば、出典を基にして記述すればよいと述べているわけで、ピーテル・ブリューゲルがそうならば必要性に応じて記述すべきでしょう。他の芸術家記事に記載が無いから一律無しにすべきという話ではないでしょう。
    • 私はいくつかFalcatedさんのコメントに対して疑問点をあげています。美術館ごとの収蔵作品状況、本項収束への道筋などについてはどうお考えですか。
    • Falcatedさんはみっちさんのコメントを受けて「感情的なコメント」とされるものに取り消し線を入れています。指摘して下さった方へのコメントは勿論のことですが、感情的なコメントを向けられた私に対しては何も言うことはないのでしょうか。「ハイだったからコメント依頼を出した」などということも含め、まったく失礼だと思います。
--みそがい会話2022年9月27日 (火) 14:10 (UTC)[返信]


  • 返信 (Falcatedさん宛)2022年10月3日 (月) 15:33 (UTC)のコメントに対し)[返信]
  • 「ルールが先に来るようなコミュニティ(憲法より刑法が重視されるような)など、まっぴらごめんです」とは異なことを言われますね。すべての法律は憲法の下で、その理念に反しないように制定されているはずです。個別の法律がその理念を越えて優先することはなく、仮にあった場合は改正するなり廃止されるべきもので、その場合は十分な議論が必要となります。Wikipediaでも基本的には同様でしょう。ウィキペディアは規則主義ではありません、そして、草案としてWikipedia:ルールすべてを無視しなさいはありますが、「合意形成を重視した議論によって解決」することになっています。それを守れないのであれば編集者として「私はWikipediaのルールは守りません」と言っているようなものです。ルールが守れない、議論対話はしない、コミュニティの意見は聞かない、ということがWikipediaでは通らないことはご存知だと思いますが。
  • 「再選考の場もこじれるはずが無いはずですが。あの場も私の立場では「待ってくれ」なのですから」、とは結局、選考に固執するが故にルールに反する行動を正当化し続ける姿勢なのですね。記事の内容に関する議論と、選考の議論方法という異なる性質の議論を一緒に論じるのも甚だ疑問です。今後も同様の行動を起こされるのではないかと懸念します。
  • 「美術館ごとの収蔵作品状況」について、Falcatedさんは閲覧者に不便を強いても構わないという意見であることは分かりました。
  • 「本項収束への道筋」について、私がどうこうということではありませんが、本コメント依頼においてどうすべきかは「「コメント依頼で集まった総意に対しては絶対に異議を唱えない、総意に基づき記事を加筆修正したらこの問題を終わりにして蒸し返さないこと」を約束いたします」とFalcatedさんがおっしゃってますよね。記載を切り離すというのは、現時点まででいただいている意見の一部であって総意ではないと考えていますが違いますか。結局、Falcatedさんが意図する「記載の削除だけ」が目的で、皆さんからいただいている意見の都合のよい部分だけを採り上げているように見えます。
  • 「(芸術新潮記事は)私が提起した日本におけるフェルメールの受容の骨組となる記事」なのであれば、それを速やかに立項願います。何度も言っていますが、私はその記事の内容をどのようにすべきか分かりませんし、立項するつもりもありません。ましてや、存在しない記事に対して内容をどうこう言えるはずもありません。なお『フェルメール論(増補新訂版)』は2008年ですから最新情報が載っていないのは明らかです。したがって、その後の出版物や開催館のHPを出典として私は用いたのです。
  • 「「2020年4月8日の事例」はそこから2か月後ですから、出来なくて当然じゃないですか」ということですが、私はその中で「Sfnによる記述がままならないのであれば、refタグによるべた書きに書き換える、という手もあります」とアドバイスしています。Falcatedさんがその時点で「出来なくて当然」だと考えていたことに驚きますし、テンプレートの使い方をきちんと調べたのか分かりませんが、うまくいかないSfnに固執し、私のアドバイスは無視され全くの無駄であったということです。なお、その時のコメントでも言及した通り、何が正しいか分からない文献情報の内容を確認せずに推測で私が修正することは出来ません。正しい出典情報は記載した人しか分かりませんから。逆に勝手に修正した文献が違っていたらどうなると思いますか。ここでもFalcatedさんにとって都合のよい部分だけを採り上げ、この場でコメントされているように思えます。
  • 「「ハイだったからコメント依頼を出した」とは書いておりません」だそうですが、であれば「コメント依頼を書いていた時はハイでした」とはどういう意味なのか教えて下さい。
--みそがい会話) 2022年10月6日 (木) 14:24 (UTC) 、一部修正 --みそがい会話2022年10月7日 (金) 09:59 (UTC)[返信]
  • 「みそがいさんに対して、恐ろしい、腹立たしい人だと思ったことも理解いただけるでしょう」、理解できません。私はFalcatedさんに対して編集ルールに則って不備を指摘しました。初心者に対するスタンスが不十分ではないかという点においては反省する部分もあります。しかし、Falcatedさんが他人の直接関係無い投稿内容を根掘り葉掘り調べて、自警、プレッシャー、タグ爆弾などと、あることないことコメントするといったこととレベルが全く違うと思います。なお、それについては謝罪されているようなので、これ以上は申しません。
(追記)--みそがい会話2022年10月7日 (金) 09:59 (UTC)[返信]


  • 返信 (Falcatedさん宛)2022年10月10日 (月) 14:26 (UTC)、および、2022年10月11日 (火) 12:28 (UTC)のコメントに対し)[返信]
  • そもそも「日本におけるフェルメールの受容」という記事を作るという案はFalcatedさんが提案されたことです。この場でも「みそがいさんに、「日本におけるフェルメールの受容」を立項されて、そこでまとめてはどうですかと、お薦めしています」と発言しているのに、「みそがいさんに書いてもらおうとは思っていません」とも発言されており支離滅裂です。
  • 「総意に対しては絶対に異議を唱えない、総意に基づき記事を加筆修正したらこの問題を終わりにして蒸し返さない」のはFalcatedさんが表明したことで、私ではありません。私には私の考えがあります。ただしそれは本コメント依頼の議論を無にするという意味ではありません。
  • 「話題もそろそろ煮詰まって参りましたので、この場は一旦締めたいと存じます」、結論は何なんでしょうか。既に私はFalcatedさんの「来日情報を切り離し」だけ条件とすることは、いただいたご意見の一部でしかないので異議を唱えていますし、それに対するFalcatedさんの考えはいただけていません。加えて、私は本コメント依頼の被依頼者として、依頼者であるFalcatedさんに対していくつか説明を求めていますが、それにも反応がありません。にもかかわらず、このような無責任な議論の進め方は甚だ疑問です。誠実な対応とは思えません。石焼ビビンバさんの今回のまとめ節コメントでも言及されている通り、本コメント依頼にはFalcatedさんの行動に対するコメントが多く寄せられています。それをFalcatedさんがいうところの「総意」として受け止めるおつもりがあるのでしょうか。
--みそがい会話2022年10月12日 (水) 13:50 (UTC)[返信]


  • 返信 (Falcatedさん宛)2022年10月17日 (月) 14:06 (UTC)のコメントに対し)[返信]
  • 正直言いまして、Falcatedさんの本コメント依頼提出後の対応については非常に憤慨しています。自ら提起したコメント依頼というWikipedia編集者に対する非常に大きな影響を及ぼしかねない議論場所の提供にも関わらず、全く誠意ある対応をとられていないことに被依頼者として腹を立てています。
  • そもそも、フェルメールの作品の記事内容であればノートで議論することが常道です。それを放置することも全くおかしなことですが、必要であれば議論の活性化や合意形成のためのコメント依頼になるはずです。それを私の行為に関するものとして依頼をすること自体が異質です。しかも、それは2020年という数年前の出来事の蒸し返しであり、現在進行形の話でさえありません。Falcatedさんはこの議論において、同時期(2020年)の出来事に「なぜ今この話が出て来るのでしょうか」とコメントしています。そっくりそのままお返ししたいです。穿った見方をすればWikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/フェルメールの作品 20220619Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考#良質な記事の再選考における投票と修正作業に関しての私に対する意趣返しとも思えます。
  • 前にも述べましたが、私に対して議論対話したくないのであれば、それはFalcatedさんの自由です。記事のノートでさえ対話を拒否するのであれば、それは自らの考えを主張しないことと同義です。しかし、コメント依頼という場では通用しないと考えます。編集者間の意図の違いはどんな記事でも起きうることであり、議論対話を通して解決することがWikipediaでは推奨されています。コメント依頼という場でさえもそれを無視し守れないのであれば、議論対話を必要とする場には参じないことを肝に銘じるべきでしょう。また、Falcatedさんがどのような記事を執筆中であるとか、期限が区切られていた方がいいとか、本コメント依頼と関係無い発言も控えるべきでしょう。
  • 私がFalcatedさんにコメントを求めた後、他の場で記事の編集やコメントすること自体は一向に構いません。しかし、そのような行動にも関わらず自ら提起したコメント依頼に十分な対応をしないということは、Falcatedさんが自らの議論を蔑ろにしているということに外なりません。私は文献を必要とする確認を求めているわけではありません。Falcatedさんが考えていることを求めているのです。それさえ明らかにしていただけないばかりか、かつ、議論を放置するようなコメントをされることが、ご自身にとってWikipediaにおけるどのような評価に繋がるのか考えた方がいいのではありませんか。Falcatedさんが熱心な執筆者であり、記事の選考に対して強い関心を抱いていること自体は否定しません。ただし、Wikipediaという場においては、共同作業であることを強く自覚していただくことが何より重要だと考えます。それを蔑ろにすることは、無用な軋轢を生むだけでなく、自らの行動の縮小を余儀なくされることにも繋がりかねません。
  • 今一度申し上げますが、誠意あるご対応を強く望みます。
--みそがい会話2022年10月17日 (月) 17:02 (UTC)[返信]


  • 返信 (Mokeさん宛) ( 2022年10月17日 (火) コメントに対し)
  • 提案されている記事に対する編集については、現在本コメント依頼の議事に上っていますし、私は明確な記事の姿がまだ見えていないこともあり手を入れる状況にはありません。したがって、意見が集約されれば記事に関わることは控えるつもりです。もとより、他の方々の記事執筆に関して懸念が生じるような影響が出ることは本意ではありません。あらかじめ申し添えておきます。
  • 「相手への批判」という点については、おそらく私がFalcatedさんに対して言及および質していることについてでもあると推察します。私は被依頼者として当初よりコメントしている通り、本依頼がそもそも妥当なのか疑問を感じています。これは記事の内容をどうするかということと別の話です。私以外の方々からいただいているコメントにもFalcatedさんの行動に対するものが寄せられています。Falcatedさんからどのような説明をいただけるかどうか分かりません。しかし、誠実な対応をしていただくことが必要なことは確かだと思います。
--みそがい会話2022年10月18日 (火) 13:04 (UTC)[返信]

第三者のコメント

  • コメント たまにコメントする程度ながら、けっこうな期間「秀逸」や「良質」の選考を拝見しています。先ごろコメントしたWikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考では、記事の改善よりもルールの厳格な運用を重視する方が多い印象を持ちました。私としては、ウィキペディア日本語版のそうした本末転倒あるいは「手段の目的化」的な状況を危ぶんでおり、Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいや私論ですがWikipedia:指示の肥大化を避けるの意義の再確認が必要ではないかと考えているところです。そうした中で、Falcatedさんのようにご自分が主筆者でもないのに対象記事に直接手を入れたり、出典に当たったりされる方は珍しいです。多少エキセントリックなご意見もお持ちのようにお見受けしますが、それも含めて貴重な人材だと思っています。
そのような理由から、Falcatedさんの姿勢に敬意を表したわけですが、あのときいわなかったことで言っておいた方がいいかもしれないことをいまから述べます。それは、「秀逸」や「良質」といった「ラベル」にこだわりすぎない方がいいということです。誰とも知れない利用者の賛否で決まるランク付けですから、その程度のものとして割り切りが大事でしょう。誤解を恐れずに言えば「ごっこ遊び」みたいなものです。これらの選考が記事充実・改善のモチベーションとして働くなら―もともとそういう目的で作られた制度だと理解しているわけですが―それでいいわけです。しかし、条件付き票で特定要素の加筆や除去を強要したり、ルールや運用をめぐって戦場のようになってしまってはデメリットでしかありません。
Wikipedia:エチケットには、次のように書かれています。(以下引用)「誰かがあなたに反対しても、それは次のようなことを意味するものとは限りません。(1) その人物はあなたを嫌っている、(2) その人物はあなたを馬鹿だと思っている、(3) その人物は馬鹿である、(4) その人物は悪である、など。誰かがあなたに反対したとき、そのことから邪推してしまう真実でない事柄はたくさんあります。そのような文章から何も邪推せず、あなたに反対した人物には彼の意見を持たせたままそっとしておくのが一番です。」。
以前もコメントで述べましたが、みそがいさんに執筆妨害などの「悪意」があるかどうかは、ご本人にしかわからないことであり(少なくとも私はないと思う)、あくまで善意に取る必要があります。議論において、相手に対してこのような決めつけは言いがかりと取られて反発・脱線の原因ですから、Falcatedさんは慎むべきです。どうしても相手と折り合えないとか、相手をするのもイヤになったときは、その分野から撤退するのも手です(私は過去そうしました)。長くやっているとウィキ毒がたまってくるものです。
なお、フェルメールの作品については、一覧記事のあり方をあまり考えたことがないので私見ですが、議論を拝見したところ、「日本における展示」の存在理由がいまだに示されていないと思います。有用性を示す責任は書きたい側にありますから、みそがいさんはなぜこの情報がこの項目に必要なのかを説明すべきです。その上で、展示情報が整備されている必要があるのだとすれば、一覧記事にどう載せるかを議論すべきでしょう。作品の紹介が記事の目的なのだから、どこで展示したかでなく、なにがどう展示されているか、主語は場所ではなく作品であるべきです。--みっち会話2022年9月10日 (土) 11:03 (UTC)[返信]
    • コメント みそがいさんのコメントに対して簡潔に。「フェルメールの作品」が一覧記事でないというご主張には驚きました。他言語版リンクだけでなく、体裁も内容的にも一覧記事のように見えますが。いまごろになってなぜというのは置いて、そういうことであれば、親記事との切り分け方も含めてノートで合意を得るべきでしょう。あと、展示情報についてですが、「日本以外」と「日本」という構成になっており、日本についてのものが圧倒的です。このような構成では、フェルメールの作品は世界中でとくに日本において非常に好まれて展示されているという印象を受けますが、それでよろしいのでしょうか。また、日本での展示情報を守るために「その他」を追加するというのは、つまり日本ありきであり、手順としてひっくり返っていると思います。
ルールについて。「Wikipediaのルール全体を崩す一穴になるおそれ」という表現が象徴的ですね。大きな穴ならともかく、蟻の一穴も許さないということですか。ウィキペディアは規則主義ではありませんが、みそがいさんのお考えは規則主義の典型です。--みっち会話2022年9月15日 (木) 01:04 (UTC)[返信]
      • コメント このコメントで最後にします。Falcatedさんへ。みそがいさんに執筆妨害などの「悪意」がなかったということをいまだに認めようとなさらないのはなぜでしょうか。これは私だけが言っていることではないと思いますが。やはりご自分の印象が「正しい」とお考えということですか? もしFalcatedさんが率直にご自分の非を認めてコメントの取り消しなり謝罪なりされるなら、「フェルメールの作品」で円滑な議論と合意をめざす上でもきわめて有効だと思いますが、それがイヤだということなら、仕方がありません。
みそがいさんへ。この場で「フェルメールの作品」について内容を詰めるのもふさわしくないので、「外野」ではありますが声を汲んでいただき、当該記事に生かしていただければと思います。追加でもうひとつ申し上げておきますが、フェルメールは画家としての業績のほかに特筆できるものがあるとも思えず、「人物」と「作品」を切り分けるというのは疑問です。とかく人物記事は「伝記」中心になりがちですが、重要なのは経歴ではなくなにをなしたかであり、達成した仕事やその評価が中心となるべきと考えます。したがって、切り分けるなら「フェルメール」で総論、「フェルメールの作品」で各論とし、展示情報(日本中心の問題はさておき)は総論に組み入れるのがしっくりくると思います。
なお、私はルール無用とは言っていません。ウィキペディアの規則を目的化して盲従することに疑問を呈しています。重要なのは、ウィキペディアのルールがなぜそのようになっているかという精神であり、言葉尻の解釈でなく運用を形骸化させないことでしょう。そのための「ルールすべてを無視しなさい」だと考えています。良質の再選考でもすでに述べましたが、単にラベルを外すためだけの制度なら、私はいらないと思っています。不満があるなら自分で手を入れる。記事を改善してなんぼ、です。そういうところでくだくだしい議論をするのは、最近ではブルシットジョブというのではありませんか? みそがいさんもまたご自分の「正しさ」に自信を持っておられるようですが、私は自分の判断を常に疑っています。木を見て森を見ずになっていないかといくつか指摘させていただいたことを、ときには思い出していただけると幸いです。--みっち会話2022年9月21日 (水) 11:59 (UTC)[返信]
  • コメント フェルメールの作品に関する議論にはタッチしておりませんが、良質な記事の選考に顔を出している関係上、コメントをさせて頂きます。なお、論点がずれていたら申し訳ございません。
  • まず、フェルメールの作品記事における「収蔵館以外における展示」節は必要か否かという点についてですが、結論から申し上げますと私は「不要」と感じました。私見を申し上げれば、本記事はあくまでも作品を主題にした記事ですから、作品の解説だけに限定して記載した方が良いと考えます。JPOVを回避する観点として「日本におけるフェルメールの受容」という新記事を立ち上げる折衷案も良いかとは思いますが、それならばむしろヨハネス・フェルメール自体の記事を加筆した方が良いのでは無いかと感じました。ヨハネス・フェルメールの記事を見るとまず「複数の問題」タグがあり、内容としてもこれだけの美術史における大家にも関わらず「作品への評価」や「後世のアートシーンへの影響」といった観点が一切抜け落ちているのです。私はヨハネス・フェルメールの記事を大幅に改良した方が解決に近いのではないかと考えました。「評価」節または「受容」節を記事中に新たに作成して各国におけるフェルメールに対する評価や受容の経緯を加筆、その中で日本における受容の経緯や展示の歴史を記述なり一覧なりで他国と同列に記載すれば、JPOVにもならずわざわざ新規記事を立項する必要もなく、ひいてはヨハネス・フェルメールの記事に対する問題点が解消し新たな良質な記事が生まれる可能性も出て来ると思います。長くなりましたが、要は「フェルメールの作品」はあくまで作品解説に限定し、それ以外のトピックは「ヨハネス・フェルメール」へ記載を分担するということです。仮に日本関連の展示・受容記事が大幅に肥大するようであれば、その時に「日本におけるフェルメールの受容」記事を新規立項すれば良いと思います。
  • 次に、コメント依頼の対象となっているみそがいさんですが、私は2006年に参加し始めましたので参加歴が近いですけれど今まで直接に遣り取りしたことはございません。ですので先入観なく申し上げるとすれば、Falcatedさんに対する執筆妨害やWikipediaから追い出そうとしているというような行為はされていないように感じます。Wikipediaのルールを大事にされている方なのだろうと推察しますが、多少教条的かなとは思います。Falcatedさんと揉めた浮世絵の件についても、参加3か月の新人相手ならばもう少し柔軟な対応をされれば、ここまでこじれることも無かったのかも知れません。「フェルメールの作品」関連の係争については、みっちさんと全く同意見です。その辺りを分かり易くご説明された方が良いと感じます。ただ、それ以外に特段問題になるような事をなされている感じではありませんでした。これがみそがいさんの言行に対する私の率直な印象です。
  • 一方、コメント依頼の提出者・Falcatedさんについてです。私から見てFalcatedさんは有能な執筆者であり、良質な記事の選考にも欠かせない人材であると思っています。選考における論評も当を得たものが多く、Wikipediaでは貴重な存在のお一人です。ですが、ご自身の高いレベルでの執筆スタンスを、他の方にも強いる傾向にあるなと感じておりました。その結果が先日の苦言にもつながっております。また、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/フェルメールの作品 20220619Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の再選考#良質な記事の再選考における投票と修正作業に関しては、詳細は述べませんがみそがいさんの言に利があり、Falcatedさんの分が悪いです。その一方で、先日ご提案させて頂いたWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/フェルメールの作品 20220907の選考取り下げ提案については応じて下さっており、全てが全て「いつまでも「納得」しない」方とも思えないのです。しかしながら、積もりに積もったFalcatedさんのみそがいさんに対する気持ちが最早「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」感じとなり、みそがいさんの一挙手一投足に疑心暗鬼となった結果、今回のコメント依頼が提出されたのだと思います。今回は一先ずフェルメールの作品に関する係争について、コメント依頼で集まった総意に対しては絶対に異議を唱えない、総意に基づき記事を加筆修正したらこの問題を終わりにして蒸し返さないことをご両名にはお約束願いたく存じます。そして、これもみっちさんが仰せになられていますが、最早不倶戴天だと思う相手からは、その分野から手を引く決断もありだと思います。
全ては、あたら有用な人材であるお二方がこうした消耗によりWikipediaから撤退されるのを防ぐためでもあります。長々と申し訳ありませんでしたが何卒ご賢察の程、お願い致します。--河川一等兵会話2022年9月10日 (土) 18:10 (UTC)[返信]
  • お返事拝読いたしました。フェルメールの作品記事は、表形式であっても記述形式であっても全ての真作を網羅すればその時点で一覧記事でしょう。作品展示の困難さについてフェルメール個人の説明や評価ではないというご意見も、フェルメール故の特殊な事象であるならばそれはフェルメールに対する後世の評価の一部分になるのですから、作品ではなく人物記事に記載する方が自然のような気がします(展示困難という特殊性を指摘している小林頼子の著書名も『フェルメール論』ですし)。やはり私はみそがいさんのご意見を首肯することはできず、従前通り作品記事に展示節を加えることは「不要」と考えます。ただ、ヨハネス・フェルメールとフェルメールの作品両記事の切り分け方については、今後議論の余地があると思います。この点はみっちさんと同意見です。
  • 一方で、ルールについては基本的に私はみそがいさんに同意です。みっちさんのご指摘、特にFA・GA選考に限って言えば、確かに私も思い当たる節がありますし、反省しなければならない点がありますが、やはりルールが定められている以上それに沿って選考をするべきだと考えます。ただ、参加して間もない初心者に対してもルールを振りかざして教条的に振舞うのは、これもまた違うと考えます。初心者にはルールを押し付けるより丁寧に教導して理解させる方向が良いと思います。仮にご自身が「正しい」と思う対応をしているとして、相手が予想以上に反発するならそれは無意識の内に自分の「思想」「信条」を相手に押し付けている事への反発なのだと思います。経験に応じた「匙加減」というのも時には必要なのではないでしょうか(勿論「荒らし」に対しては別ですが)。--河川一等兵会話2022年9月16日 (金) 11:14 (UTC)[返信]
  • まずは期限を区切った終了提案を取り下げて頂き、ありがとうございます。やはり、Falcatedさんは「いつまでも「納得」しない」という方ではないということを、改めて証明できたのではないかと思います。
  • しかし、追い打ちを掛ける形で申し訳ありませんが、ここは強く諫言しなければならないとも思いました。今回の唐突な終了提案の件も含め、Falatedさんの会話を吟味する中でご自身のルールを対話相手に押し付けるケースが散見されます。具体例は挙げませんが、それが契機で長い論争となったり(今回の件もそうでしょう)相手を怒らせたり(つい最近もありましたね)、要らぬ摩擦を起こして結果的にご自身の精神を摩耗し、本来ご活躍できるであろう記事作成に障碍をもたらしていませんか。みそがいさんにも申し上げましたが、仮にご自身が「正しい」と思う対応をしているとして、相手が予想以上に反発するならそれは無意識の内に自分の「思想」「信条」を相手に押し付けている事への反発なのだと思います。みそがいさんはWikipediaのルールに対して教条的な面がありますが、Falcatedさんはマイルールに対して教条的Wikipediaのルールにプラスしてご自身の基準に他を合わせようとする面があります。全てが悪いとは思いませんが、度が過ぎればそれは弊害を招きます。
  • 今回のコメント依頼はみそがいさんに対してのものではありますが、一面Falcatedさんに対するコメント依頼でもあると思った方が良いです。これは「鏡」です。過去のコメント依頼では、提出した依頼者が逆にコメント依頼を出されたり、更にはブロック依頼を出されたケースすらあります。こういう時こそ言動を慎重にしなければならないと考えます。折角の機会ですから一度Wikipediaの編集も記事の選考も止め、ご自身のWikipediaにおける行動を会話ページで振り返ってみては如何でしょうか。なぜこのように論争が続いてしまったのか、妥協すべき点はなかったのか、反対に何故この利用者とは円滑に折衝できたのか等ご自身の歩みを振り返り、深く熟考する良い機会だと思います。時間は掛かっても良いですから、Falcatedさんなりの結論を出してから、再び当依頼に戻る手もあります。
最後に、精神を病んで仕事や日常生活に支障を来すまで、Wikipediaに入れ込む価値などありません。思い出した時に記事を気ままに編集する程度が丁度良い距離感だと、最近私は思います。--河川一等兵会話2022年9月16日 (金) 13:16 (UTC)[返信]
  • こちらに書きます。有難いアドバイス、まことに感謝いたします。ほぼ異論御座いません。良質選考の方は、一本書くのに3-4時間かかりますし、今は手を引いている状態です。ここをどうするかは迷うところですが、この記事を書くことで休止状態になっている新記事執筆もありますし(本記事同様、アップするまではオフラインで編集するので、表向きは活動休止状態)、現時点では心身は安定しているつもりですので、休むことは考えていません。しかし、最終段落後半部は納得できるもので、今後の活動を鑑み、よく嚙み締めます。私にここまで気を使っていただき、感謝しか御座いません。--Falcated会話2022年9月19日 (月) 05:08 (UTC)[返信]
  • コメント ノート:フェルメールの作品を拝見いたしましたが、編集方針についての意見の相違としか感じられませんでした。「収蔵館以外における展示」掲載是非は、議論活性化や合意形成のためのコメント依頼などを使ってノート:フェルメールの作品で議論を尽くすべきだと感じました。利用者の行為についてのコメント依頼の場で、編集方針について期限を切って決定事項とするのは違うのではないかと思います。

みそがい様の行為や態度、議論姿勢については、特に問題を感じませんでした。むしろ、みそがい様の挙げておられる「妨害」「いちゃもん」「法の不遡及」といった発言の方が、利用者の行為についてのコメント依頼の対象になってしかるべきと感じました。 以上です。コメントするのは初めてなので、不適切なコメントや的外れなコメントでしたら申し訳ありませんが、感じたままをコメントさせていただきました。--石焼ビビンバ会話2022年9月13日 (火) 15:13 (UTC)[返信]

  • 返信 (石焼ビビンバさん宛) :こちらに書きます。わざわざお越しいただき、ありがとうございます。期限に関しては上記の通りです。言葉遣いに対しては、肝に銘じます。「ノート:フェルメールの作品で議論を尽くすべき」に関しては、それに限界を感じたので、ここに至ったわけです。またコメントを頂ければと存じます。--Falcated会話2022年9月16日 (金) 12:20 (UTC)[返信]
    期限について取消しを確認いたしました。Falcated様が、自分の意見に拘泥せず、他人の意見を受け入れる度量のある方だと分かりました。
    ノート:フェルメールの作品での議論に限界を感じたとのことですが、その場合はやはり議論活性化や合意形成のためのコメント依頼を活用すべきだったのではないかと思います。みそがい様の行為についてのコメント依頼にしたのは、適切ではなかったと思います。
    美術分野には疎いので私は内容について口出しできませんが、ついでなのでもう一点だけ申し上げます。良質な記事の選考について、私は、上でのみっち様やWikipedia-ノート:良質な記事/良質な記事の再選考でのtotti様と同じように感じています。良質な記事の選考は、上げられた項目が良質な記事に値するかを投票する場であり、結果として項目の改善につながるコメントがされることがあるにしても、項目や内容を作成・追加した人にその場で手直しを求める場ではないと考えています。項目の改善や説明内容の疑問については、それ専用にノートページが用意されています。そこでは、期限を気にすることなく項目の改善のための議論ができます。Falcated様の目的が項目の内容の改善なら、記事を盾に取って、応じる義務のない口頭試問の場に作成・追加した人を引き摺り出し、期限を切って自分の望む形に改変することを迫らなくても、ノートページで指摘すれば足りるのではないでしょうか。正直なところ、私はそのような場にはあまり関わりたくないなと感じています。直近では、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/フルーツサンド 20220911のFalcated様のコメントのうち、1点目と3点目は良質な記事の目安と関係ないように見えますので項目のノートページに書くべき内容と感じますし、4点目は明らかに会話ページに書くべき内容ではないでしょうか。
    Falcated様が、コメント依頼で集まった総意に対して異議を唱えず、これからのウィキペディアでの活動に生かされることを期待しています。--石焼ビビンバ会話2022年9月17日 (土) 12:22 (UTC)[返信]
  • 返信 (石焼ビビンバさん宛) :有難うございます。さて「コメント依頼で集まった総意に対して異議を唱えず」は、上で宣言した通りです。信用して下さると有難いです。選考の事はここで書かれても対応しかねますので、石焼ビビンバさんのノートに書きます。--Falcated会話2022年9月19日 (月) 05:08 (UTC)[返信]
  • コメント 個人的にはノート:フェルメールの作品での議論ではFalcatedさんがおっしゃることに理があると思いました。ただ、こういった事態に陥ってしまった原因は、Falcatedさんの選考に対する並々ならぬ情熱にあるのかな、というのが正直なところです。もちろん、やる気を出して作業に取り組むのは悪いことではありません。しかし、誰もが選考に興味を持っているわけではありませんし、選考は相手あってのものですから、状況に応じて歩調を緩めることも必要です。改めて今回の出来事を振り返ったとき、「早くこの記事をなんとかしないとGAから除去されてしまう」といった焦りが生じ、それによって視野が狭くなってみそがいさんの言動を悪意に取ってしまったり、不適切な言葉を選んでしまったりといったことはありませんでしたか。そういった小さな過ちの積み重ねはときとして大きな溝になってしまうことがあります。ウィキペディアには「締め切りなんてない」という私論もあります。今回のことも、「GAから除去されてしまったら、ゆっくり加筆してまた推薦すればいいか」くらいの気持ちで臨んでいれば結果的にもっと早く解決に至っていたかもしれません。おそらく、Falcatedさんは気になったことをしっかりとクリアにしてから先に進みたいと考えるような非常に真面目な方なのでしょう。ですが、そのような真面目さゆえに思い悩むことも多いのではないでしょうか。今回の件でも、依頼者コメントを拝見する限り、精神的に消耗なさっているご様子が見て取れ、とても心配です。仕事ではなくあくまでボランティアなのだということを忘れず、もっと肩の力を抜いて取り組んでみてはどうでしょうか。Falcatedさんは「駒競行幸絵巻」など素晴らしい記事をいくつも書いていらっしゃる方ですから、例えば、選考関連で思うようにいかないときは、いったん選考から離れて別の新記事の執筆準備をするといった形で気分転換をしてみるのはどうでしょう。選考以外のことにも視野を広げていくことで、Falcatedさんご自身もますます高いパフォーマンスを発揮できるはずです。--WhiteSpaceCoder会話2022年9月30日 (金) 10:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (WhiteSpaceCoderさん宛) :温かいお言葉、まことに有難う御座います。上にも記しましたが、新しい記事の執筆と、過去記事への加筆・修正はやっておりますよ。今日も国会図書館館行ってきましたし(1000人で入館制限だそうですが、ガラガラでした)。GA量産される方々と違って、私はフェルメール同様、仕事が遅いので(駒競行幸絵巻も半年かかりました。今書いているのは、去年からやっています)。それに対して、仏教美術東海道五十三次 (浮世絵)そしてフェルメールの作品山椒魚 (小説)のような、納期が決まっているものだと、短期集中力が高まるので、私には向いていると思います。--Falcated会話2022年10月3日 (月) 15:33 (UTC)[返信]
  • コメント フェルメールの作品記事の立項経験がある一人としてコメントします。「ノート:フェルメールの作品」および当コメント依頼を読んでから、フェルメール関連の記事にはなるべく関わらないようにしています。立項したいフェルメールの作品がまだありましたけれど、それも執筆を中断しました。依頼者と被依頼者の論争が何らかの形で飛び火して、巻き込まれることを懸念したからです。フェルメール関連記事に関する建設的な提案や編集が皆無とは言いませんけれど、おそらくはそれよりも多くの時間をご自身の擁護や相手への批判に費やしており、いまだに合意に達していません。このコメント依頼に寄せられた第三者の意見を読み、依頼者と被依頼者はコミュニティを消耗させる利用者ではないかという印象も持ちました。おふたりには異論があるでしょうけれど、そのように見ている第三者がいるとご理解ください。これらを踏まえて、「まとめ」節に提案をします。--Moke会話2022年10月18日 (火) 05:53 (UTC)[返信]
  • 異動による転居や業務で忙しく、暫く参加しておりませんでしたが、久しぶりに様子を見に来てみたら最早のっぴきならない状況にまで悪化していて困惑しています。フェルメールの作品に関する議論では、私の提案の一部にみそがいさんが理解をお示し頂けたので、収束と解決に向けて一条の光明が見えた気がしたのですが、どうやら気のせいだったようです。もうこれ以上時間を費やしても当人同士での解決には至らないだろうと確信し、Mokeさんの御提案に乗っかる形で最終私案を提示してみました。詳細は「まとめ」節をご覧頂ければと存じます。それともう一つ感じたのは、このコメント依頼が最早「Wikipedia:コメント依頼/みそがい」ではなく、事実上「Wikipedia:コメント依頼/Falcated」になってしまっているということです。少し雑感も込めて、最後のコメントをしたいと思います。
  • 返信 (Falcatedさん宛) まずはこちらをご覧頂きたいと思います。9月16日に書いた内容です。
今回のコメント依頼はみそがいさんに対してのものではありますが、一面Falcatedさんに対するコメント依頼でもあると思った方が良いです。これは「鏡」です。過去のコメント依頼では、提出した依頼者が逆にコメント依頼を出されたり、更にはブロック依頼を出されたケースすらあります。こういう時こそ言動を慎重にしなければならないと考えます。折角の機会ですから一度Wikipediaの編集も記事の選考も止め、ご自身のWikipediaにおける行動を会話ページで振り返ってみては如何でしょうか。なぜこのように論争が続いてしまったのか、妥協すべき点はなかったのか、反対に何故この利用者とは円滑に折衝できたのか等ご自身の歩みを振り返り、深く熟考する良い機会だと思います。時間は掛かっても良いですから、Falcatedさんなりの結論を出してから、再び当依頼に戻る手もあります。
— 河川一等兵による9月16日のFalcated宛のコメント
この時Falcatedさんは「しかし、最終段落後半部は納得できるもので、今後の活動を鑑み、よく嚙み締めます。」とお答え頂きました。活動自体は止めないがという御意思はありましたが、その上で以後は唐突な終了提案のような行為は少なくともなさらないだろうと思っていました。しかしその後のFalcatedさんは以下のような行為を行いました。
正直、ソリクンの件で愕然としたのですが、私の知らない間に更に二つの案件を起こしていることには失望を禁じ得ません。全てに共通するのは唐突な本依頼終了提案(第一回)と同じ病理、自身の判断基準だけで拙速に事を運ぶ、そして批判的指摘を受けると直ぐに撤回するという点なのです。私はFalcatedさん、貴方がWikipediaにとって得難い執筆者の一人と思っているからこそ、時間を掛けて必死に考えてより良い方向性で終わるためにコメントをしたのです。しかし結果的に貴方はそれを「裏切り」同じ過ちを繰り返した。一度編集も記事選考も止めて貴方の行動を振り返って欲しいと述べたのは、再発を防ぐための内省をして欲しい・本依頼の解決に集中して欲しいという意味だったのですが、貴方は結果的に内省もせず解決に向けて妥協策を模索せずにみそがいさんを批判し、更には上記の事案を行い、結果関わる人にこのコメント依頼で指摘された事と同じ指摘を受けましたね。第三者のコメント節をじっくり見ましたか?大半が貴方に対するコメントになっていて、もうどっちのコメント依頼か分からないでしょう。挙句の果てには熟考も結論も出さず唐突な終了提案(二回目)。石焼ビビンバさんが失望したり、みそがいさんが憤慨されるのは当然のことですよ。私も貴方のなさり様に怒りを覚えています。善意を踏みにじられるとはこういうことかと。
もう正直このコメント依頼で穏やかな方向で解決を模索するには時間の無駄だと感じました。そこへMokeさんの御提案があったので、乗じて解決案を出しました。貴方に取っては「何だこれは」と憤慨されると思いますが、貴方が蒔いた種です。本依頼対処以外の活動を中断し、せめて誠実に責任を持って解決して欲しいと心からお願いします。心身は安定していると仰っていたので、もう健康を理由にして逃げることは出来ません。真剣に向き合って下さい。それすら出来ない、無理だと仰るなら、私は匙を投げます。私は有能な執筆者である貴方を失いたくないという気持ちに変わりはありません。貴方はもう崖っぷちにいることをどうか分かって下さい。お願いします。
  • 返信 (みそがいさん宛) お怒りはごもっともだと思います。私の気持ちはみそがいさんに近いです。ですが、Falcatedさんがここまで依怙地になる発端となったのは前回も指摘しましたが、間違いなくみそがいさんなのです。ここまで拗れて、収拾が付かなくなりましたが第三者が見て「どっちもどっち」という印象は否定できないでしょう。みそがいさんは丸く収めるための「妥協策」を持っていましたか?どこかで折り合いを付けるのも、また議論だと思います。そろそろ落し処というか、最低限求める一線(複数要求するのは紛糾するだけなので)を探る時期に来ているのではないでしょうか。このまま縺れても、何一つ良い事はありません。既にMokeさんのように実害を受けている方もいらっしゃるのです。
  • 返信 (みっちさん宛) 事ここに至り、多少強引にまとめる方向に致しましたが、是非みっちさんの鋭い御意見を頂戴できればと存じます。ご面倒だとは思いますが、最後までお付き合い下さい。
  • 返信 (石焼ビビンバさん宛) 私の申し上げた「総意」はコメント依頼の最終合意内容を指しているのですが、まあFalcatedさんに関して申し上げればあながち間違いではないと思います。しかし私はまだFalcatedさんを信じたく思いますので、終了提案に対するアクションで結論を出して頂ければと存じます。もう暫くだけ待ってみて下さい。
  • 返信 (Mokeさん宛) お気持ち、私も痛いほど分かります。書きたい記事が書けないというのは…何しにWikipediaに参加しているのか分からないですよね。ですから私はMokeさんの御提案に賛成すると共に、早くフェルメール関連の記事をMokeさんに思う存分書いてもらいたいので追加の終了提案をしました。分野は違いますが、私はあくまで記事を書く人の味方でありたいと考えています。
  • 返信 (さかおりさん宛) まさかここでお目に掛るとは思いませんでした。行き掛り上慣れない事をしています。ここでお目に掛ったのも御縁ですので、さかおりさんにはお手数をお掛けしますが是非コメントを頂戴したいのです。重鎮たるさかおりさんに大所高所からご意見を頂ければ、議論の収束も近くなるのではと期待しております。ご面倒と思いますが、何卒宜しくお願い致します。
今回の件で、お二方には遺恨を持たれると思います。ですが私は最初に述べた通り、あたら有能な執筆者二名が疲弊してWikipediaから去るのを座視できないから、本来私には何も関りがない本依頼を何とか収束・軟着陸させようと考えています。お二方にはその辺りの私の考えを汲み取って欲しいと切に願っております。口幅ったい物言い、申し訳ございません。--河川一等兵会話2022年10月18日 (火) 15:09 (UTC)[返信]

まとめ

さて、話題もそろそろ煮詰まって参りましたので、この場は一旦締めたいと存じます。これまでコメント下さった多くの方々には、深く御礼申し上げます。またお世話になるかもしれませんが、その際は何卒ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。--Falcated会話2022年10月11日 (火) 12:28 (UTC)[返信]

上記まとめですが、まとめになっていないように思います。煮詰まってきたのでしたら、どのような結論に至ったのかを書くべきではないでしょうか。
また、このコメント依頼は、形の上ではみそがい様の行為が対象になっていますが、Falcated様の行為に対してもコメントされています。Falcated様は、「コメント依頼で集まった総意に対しては絶対に異議を唱えない」ことを約束し、私の念押しに対しても「『コメント依頼で集まった総意に対して異議を唱えず』は、上で宣言した通りです。信用して下さるとありがたいです。」とおっしゃいました。Falcated様の記事の選考への関わり方について、みっち様から「『秀逸』や『良質』といった『ラベル』にこだわりすぎない方がいい」、私から記事の選考は「項目や内容を作成・追加した人にその場で手直しを求める場ではない」、WhiteSpaceCoder様から「いったん選考から離れて」というコメントがありました。Falcated様の宣言を信用して今後はこれらのコメントに従っていただけるものと信じておりましたが、Falcated様のまとめでは全く触れられていないばかりか、これらのコメントがされた後も、これまで通り関与されておられるようです。今後も今まで通りの関わりを続けられ再び記事の選考で同じような問題を引き起こした場合には、コメント依頼を経ても改善されなかったと判断して対応せざるを得ないと考えます。--石焼ビビンバ会話2022年10月12日 (水) 06:12 (UTC)[返信]
コメント 「まとめになっていない」というのは同感ですが、しかし現実として多くのコメント依頼ではちゃんとしたまとめがされていませんし、Falcatedさんにだけそれを求めるのもどうなのかなという気がします(WP:SPEEDかもしれませんが)。石焼ビビンバさんは、Falcatedさんのことを「自分の意見に拘泥せず、他人の意見を受け入れる度量のある方」と評価していらしたので、そういった期待をしていた分だけ落胆してしまったということかもしれません。おそらくは石焼ビビンバさんもいたずらにFalcatedさんのことを批判したいわけではなく、しっかりとこの件にけじめをつけて今後の活動の指針を示してほしいとの思いなのでしょう。それがFalcatedさんご自身のためでもあると思います。一方、このコメント依頼に寄せられた意見の数々は、私から見てもそれぞれ一理あるものだと感じました。そのうえで申し上げれば、Falcatedさんにもみそがいさんにもそれぞれに改善すべき点があったということでお二人がしっかりと反省すべき点を反省できていればそれで良いのではないでしょうか。Falcatedさんの選考への参加に関しても、参加姿勢を見直してみてはどうかというご提案があったのは事実ですが、一方で河川一等兵さんは「良質な記事の選考にも欠かせない人材」とおっしゃっています。問われているのは、参加すること自体の是非ではなく、参加の仕方を改善できるかどうかということだろうと思います。石焼ビビンバさんの9月17日のご指摘に関しては私も同様に思いましたが、最近Falcatedさんが参加なさったWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/家康公の時計 20221011では、ご自分で資料を入手して加筆を予定しているとのことです(改名提案がなされているから、というコメントは良質な記事の基準とはあまり関係がないようにも思いましたが……)。とりあえず今後の改善がみられるかどうか見守るということではどうでしょうか。--180.196.169.72 2022年10月12日 (水) 14:21 (UTC)[返信]
180.196.169.72様、私の直近のコメントの最後の一文は、「今後の改善がみられるかどうか見守る」という意味だととらえていただいて結構です。--石焼ビビンバ会話2022年10月12日 (水) 17:05 (UTC)[返信]
上記まとめ後、Falcated様はこちらではみそがい様の問いかけも含めて応答がありませんが、ノート:家康公の時計、Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/家康公の時計 20221011、 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Meine Libeでコメントがあります。現時点では、改善がみられるかどうかはコメントを控えます。--石焼ビビンバ会話2022年10月15日 (土) 08:02 (UTC)[返信]
  • まとめ節に書くのが適切かどうか分からないのですが、今回はみそがいさん、Falcatedさんの双方に問題が指摘されたということで、お二人の同意が得られるようであれば、いったん両者が記事「フェルメールの作品」から離れてクールダウンするということで手打ちにしたらどうでしょうか。当該記事の帰趨は、お二人を除く第三者の手に委ねる以外に丸く収める方法がないように見えますし、お二人ともに終わりのない議論を続けるよりも他の記事にてご活躍いただくのが建設的だと思います。コメント依頼が終わったようでいて終わっていないという現在の状態は、みそがいさんにとってもFalcatedさんにとってもその他の参加者にとってもあまり得るものがありません。そのうえで、みそがいさんやFalcatedさんがここで指摘されたような問題を今後も起こしてしまうようなことがあれば、そのときはどなたかが問題提起をすればよいのではないでしょうか。もちろん、その場合は石焼ビビンバさんがおっしゃるように、コメント依頼にて改善点を指摘されたものの、その指摘を自己の改善に繋げられなかった、という評価がなされることになります。私自身は、みそがいさんもFalcatedさんもしっかりと自己の問題点を改善していただけると期待しています。コメントを残している皆様もおそらく同じ思いでしょう。改善できると期待しているからこそ改善点を挙げるのです。--106.168.175.188 2022年10月16日 (日) 14:32 (UTC)[返信]

終結に向けての提案

  • 提案 依頼者と被依頼者ともに、フェルメールに関する記事の編集から手を引くということではいかがでしょう。当コメント依頼の終了について意見の相違が見られたので、まだ継続していると判断して提案しました。ご意見を寄せた第三者の方々からもご意見をうかがえれば幸いです。私の意見は‎第三者のコメント([19])に書きました。--Moke会話2022年10月18日 (火) 06:01 (UTC)[返信]
  • 提案 Mokeさんの御意見を受けて、本依頼を締めるための私案を述べたいと思います。より良い着地点を見出すために、出来れば中立的な第三者の方々からのご意見等が頂けましたら幸甚です。
    1. 「フェルメールの作品」だけでなく、フェルメールに関する編集・執筆・議論の一切からFalcatedさんとみそがいさんは撤退し、以後一切介入せず第三者に任せること。また第三者により決定した記事執筆に関する方針・記事内容について異論を挟まないこと。ここはMokeさんの御提案に沿います。
    2. Falcatedさんはみそがいさんやみっちさんなどから指摘された・求められた質問に対して、誠実な回答を行うこと。回答を行うまでの間は、本依頼の提起者としての責任を果たし、本議論に携わった関係者全員に責任ある行動を示すため、一旦本依頼以外の全てのWikipedia内における活動を中断すること。これがない限りは、みそがいさんは決して閉めることに納得は出来ないだろうと思いますし、そこまで拗れてしまっています。
    3. Falcatedさんの回答に対し、本議論に携わった関係者(可能な限り全員)が納得したら、みそがいさんはFalcatedさんの回答を御諒承頂き、今までの件は水に流して頂くこと。また、一応本依頼の被依頼者というお立場上、ご自身に寄せられた第三者コメントに対して総括をして頂くこと。
    4. 上記三点を本議論関係者が認めたら、それを「総意」として本依頼を閉じ、本依頼終了後は、絶対にこれらの議論について蒸し返さないこと。
以上になります。お二方にとっては厳しいかも知れませんしご納得出来ない点もあろうかと存じます。しかしMokeさんのように本来自由に執筆したくてもこの係争がある限り安心して執筆できないという弊害が出てきてしまっている以上、妥協点の見出せない論争には半ば強引であっても決着を付ける必要があると考えました。Mokeさんのお気持ちに、お二人とも思いを致して頂きたいと痛切に思います。--河川一等兵会話2022年10月18日 (火) 13:20 (UTC)[返信]

被依頼者の意見

お手数をおかけしております。Mokeさん、河川一等兵さんのご提案に同意します。--みそがい会話2022年10月18日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

依頼者の意見

第三者の意見

コメント 横からの意見ですいません。別件でFalcatedさんの対応に不信感を抱き、数か所で苦言が呈されている状況、このコメント依頼でも依頼者であるFalcatedさんへの指摘が増えてきていることもあり、Falcatedさんに対してコメント依頼を提出しようかと考えていました。このコメント依頼の一因となっているフェルメールの再選考でのことも、Falcatedさんの軽率さ、不誠実な対応にあり、私が提出したブロック依頼での対応と通じるものがあると思っています。河川一等兵さんのご提案ですと、このコメント依頼以外は対応するなとなってしまいますので、ちょっと困るといいますか…。また、議論を蒸し返さないに越したことはないと思いますが、私がFalcatedさんのコメント依頼を提出した場合、本コメント依頼には触れないのは不自然になってしまいそうで。--Nekotasu会話2022年10月18日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

  • コメント Falcatedさんには今後も活動を続けていただきたいので、皆さんの言葉を重く受け止めていただきたいです。ただ、「一旦本依頼以外の全てのWikipedia内における活動を中断すること」はまずいです。Nekotasuさんがおっしゃっている件ですが、Falcatedさんは「Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Meine Libe」で、Falcatedさん自身が提起した論点について最後まで責任を持って片付けるようにNekotasuさんだけでなくSumaruさんからも強く求められています。このコメント依頼ももちろん重要ですが、NekotasuさんやSumaruさんのコメントを拝見する限り、あちらはあちらで誠意ある対応がなければ納得してもらえないだろうというほどに拗れてしまっています。「Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Meine Libe」とそれに関連して必要な作業が生じた場合は例外ということにできないでしょうか。--126.73.88.30 2022年10月18日 (火) 14:42 (UTC)[返信]