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この悦般がのちの[[エフタル]]であるとする説もある<ref>松田壽男『古代天山歴史地理学研究』</ref>。エフタルはその出自が不明で、[[アルタイ山脈]]から南下してきたとも、[[バダフシャン]]にいたとも言われている<ref>岩村 2007,p118</ref>。エフタルは[[インド]]ではフーナ(hūna)と呼ばれ、ペルシアではヘプタル(heptal)、中国では嚈噠・挹怛とも呼ばれ、中央アジアにあってその周辺国に侵入し、戦争を行った。 |
2022年9月29日 (木) 00:01時点における版
- カザフスタン共和国
- Қазақстан Республикасы(カザフ語)
Республика Казахстан(ロシア語) -
(国旗) 国章 - 国の標語:なし
- 国歌:我がカザフスタン
-
公用語 カザフ語、ロシア語 首都 アスタナ 最大の都市 アルマトイ - 政府
-
大統領 カシムジョマルト・トカエフ 首相 アリハン・スマイロフ - 面積
-
総計 272万4,900[1]km2(9位) 水面積率 1.7% - 人口
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総計(2020年) 1877万7000[2]人(63位) 人口密度 7[2]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2019年) 69兆5326億3000万[3]テンゲ - GDP(MER)
-
合計(2019年) 1816億6700万[3]ドル(53位) 1人あたり 9,750.431[3]ドル - GDP(PPP)
-
合計(2019年) 5084億5900万[3]ドル(42位) 1人あたり 27,290.005[3]ドル - ソビエト連邦より
-
独立宣言[注釈 1] 1991年12月16日 独立の達成 1991年12月26日
通貨 テンゲ(KZT) 時間帯 UTC+5、+6
カザフスタン時間 (DST:なし)ISO 3166-1 KZ / KAZ ccTLD .kz 国際電話番号 7
カザフスタン共和国(カザフスタンきょうわこく、カザフ語: Қазақстан Республикасы)、通称カザフスタンは、中央アジアに位置する共和制国家。西と北でロシア、東で中華人民共和国(中国)、南でキルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接する内陸国で、南西は世界最大の湖カスピ海に面している。首都はアスタナ(2019年から2022年までは初代大統領のヌルスルタン・ナザルバエフのファーストネームにちなんだ「ヌルスルタン」に名称変更)で、1997年に国内最大の都市アルマトイから遷都した[4]。
概要
カザフスタンは中央アジアで経済的、政治的に最も支配的な国家であり、石油・天然ガスを中心とする資源に恵まれ[4]、中央アジアの国内総生産(GDP)の60%を生み出している。国土面積は272万4900平方キロメートルと世界第9位[4]で、世界で最も広い内陸国であり、イスラム教徒が多数派を占める国としても世界最も広大かつ最北端である。人口は約1900万人[4]で、人口密度は世界でも低い国の一つであり、1平方キロメートルあたり6人以下(1平方マイルあたり15人)である。
現在のカザフスタン領土には、歴史的に遊牧民や帝国が往来・興亡を重ねた。古代には遊牧民のスキタイ人が住み、ペルシアのアケメネス朝が現在の国土の南部にまで進出してきた。テュルク系遊牧民は、突厥帝国など多くのテュルク系国家を祖先に持ち、その歴史を通じてこの国に居住してきた。13世紀にはチンギス・ハーン率いるモンゴル帝国に征服された。16世紀には、カザフ族は3つのジュズに分かれて独立した集団となった。18世紀にはロシア帝国がカザフ草原に進出し、19世紀半ばには名目上カザフスタン全土をロシア帝国の一部として支配するようになった。1917年のロシア革命とその後の内戦を経て、カザフスタンの領土は何度か再編された。1936年、ソビエト連邦の一部であるカザフ・ソビエト社会主義共和国になった。なお、同国は1991年のソビエト連邦解体時に、ソビエト連邦の中で最後に独立を宣言した共和国である。
こうした歴史的経緯や民族構成、地政学的から位置、北隣のロシアや東隣の中国、西側諸国、チュルク系を祖とするトルコなど多方面との良好な関係を重視しており、以下のような国際機関に加盟している。
- 世界全体:国際連合
- 旧ソ連圏:独立国家共同体(CIS)、ユーラシア経済連合、集団安全保障条約(CSTO)
- 西側諸国を含む欧州:欧州安全保障協力機構(OSCE)
- イスラム圏、チュルク系諸国:イスラム協力機構、テュルク評議会、テュルク文化国際機関、テュルク語圏諸国議会
国名
正式名称はカザフ語でҚазақстан Республикасы(Qazaqstan Respublikasy; カザクスタン・リスプブリカスィ)、ロシア語で、Республика Казахстан(Respublika Kazakhstan; レスプーブリカ・カザフスタン)。
公式の英語表記は、Republic of Kazakhstan[4]、通称Kazakhstan。
日本語表記はカザフスタン共和国[4]で、通称カザフスタン。漢字表記は哈薩克斯坦[5][6]。
国名は、カザフ人の自称民族名 Қазақ(Qazaq; カザク)と、ペルシア語で「~の国、~の多いところ」を意味する -stān/-estān; スタンの合成語である。「スタン」に関しては、モンゴル語の「部族」を意味する「ястан (ヤスタン)」に由来するという意見もある。カザクは、テュルク語で「独立不羈の者」「放浪の民」を意味する。
2014年2月6日、カザフスタンの大統領ヌルスルタン・ナザルバエフは、周辺の同じく「スタン」を国名に持つ旧ソ連諸国との差別化により、国際的な認知度をアップさせるため、国名を変更する考えとともに新たな国名の候補として「カザフエリ(カザフ語でカザフ人の土地を意味する)」を挙げたと報じられたが[7]、6月にはエルラン・イドリソフ外相がそのような動きを否定している[8]。
歴史
イッセドネス人、アリマスポイ人
古代ギリシアのヘロドトスやアリステアスらによる歴史書では、伝承ではあるものの、カザフ草原にイッセドネス人やアリマスポイ人(一眼族)といった諸族がいたことを記録している。イッセドネス人は故人の肉を食す民族であり、アリマスポイ人は一つ目の民族であるという。アリマスポイ人は絶えず近隣の民族を攻撃しており、そのため西隣のイッセドネス人は西へ移動し、その西にいたスキュタイ人は西へ移動し、さらに西(南ロシア草原)にいたキンメリア人を追い出すこととなった[9]。
スキュタイ、マッサゲタイ
古代ギリシアのヘロドトスによる『歴史』によれば、元々はアジアの遊牧民であったスキュタイがマッサゲタイに追われてアラクセス河を渡河し、当時のキンメリア地方(現在の南ウクライナ)に移ったという。アケメネス朝のキュロス2世がヤクサルテス川を越えて中央アジア征服に及んだ際、マッサゲタイの女王トミュリスに殺され、征服は失敗に終わったと、されているがこの記述はキュロス2世の死後から大分経ってから書かれた記録であること、トリュミスの名がここでしか書かれてないことから反ペルシアであるヘロドトスの創作の可能性の方が高い(古代ギリシアはペルシア戦争でアケメネス朝の侵略を受けた)。
サカイ、ソグディアノイ
古代ローマの地理書にはサカイ、ソグディアノイといった民族が記されている。サカイはスキュタイと同じ遊牧民族であり、ペルシアの史料ではサカと呼ばれ、アケメネス朝の属民であった。アレクサンドロス大王の侵入時もその存在が確認でき、ヤクサルテス川(シル・ダリヤ)を挟んで対峙した。ソグディアノイはのちにシルクロード交易の担い手となるソグド人として有名であるが、このころはアケメネス朝やアレクサンドロスの属民として歴史に登場する[10]。
康居、奄蔡
紀元前2世紀から4世紀にわたり、中国の歴史書には康居や奄蔡といった遊牧民族が記されている。康居ははじめ、東の匈奴、南の大月氏といった強国に臣従していたが、1世紀になると、栗弋国、厳国、阿蘭聊国といった諸国を支配下に入れるほど強盛する。奄蔡は西方史料のいうアオルソイに比定されたり、のちに阿蘭と改名したことからアランに比定されたりするが、記録が少なく、康居と同族であること以外わかっていない[11]。
悦般、エフタル
悦般はモンゴル高原から追われた北匈奴が行き着いた地で建てた国であり、その場所は康居の北にあったとされる。言語・習俗は高車と同じであり、周辺民族の中でも清潔であったという[12]。
この悦般がのちのエフタルであるとする説もある[13]。エフタルはその出自が不明で、アルタイ山脈から南下してきたとも、バダフシャンにいたとも言われている[14]。エフタルはインドではフーナ(hūna)と呼ばれ、ペルシアではヘプタル(heptal)、中国では嚈噠・挹怛とも呼ばれ、中央アジアにあってその周辺国に侵入し、戦争を行った。
西突厥
6世紀、エフタルの国家は突厥とサーサーン朝の挟撃に遭って滅ぼされ、中央アジア全土は突厥の領土となった。突厥は582年に東西に分離し、カザフ草原は西突厥が支配することとなる。西突厥は内紛が相次ぎ、一時は唐の支配下に入ってともにアラブ・イスラーム勢力と戦うも、741年には王族である阿史那氏が滅び、その帝国はそれぞれの部族に分散してしまう。9世紀から12世紀にかけては西突厥の構成民族であった突騎施(テュルギシュ)、カルルク、オグズ、キマク、キプチャク、カンクリ、ハザール、ペチェネグなどが割拠した。
カラハン朝、カラ・キタイ
カラハン朝はテュルク系初のイスラーム王朝であり、その母体はウイグルともカルルクとも言われている[15]。東西の文化が融合したことで文化面では大いに発展し、「カラハン朝トルコ語」と呼ばれるアラビア文字を使って記されるテュルク語の文語が生まれた。ユースフ・ハーッス・ハージブの韻文作品『クタドゥグ・ビリグ(幸福になるための智恵)』や、マフムード・アル・カーシュガリーのテュルク諸語の語彙を集めた辞典『ディーワーン・ルガート・アッ=トゥルク(テュルク諸語集成)』が登場し、テュルク・イスラム文化の先駆けとなった[16]。カラハン朝は1041年に東西に分裂し、12世紀初頭には耶律大石率いる契丹軍によって征服され、カラ・キタイ(西遼)の属国となった。
モンゴル帝国
カザフの西の大部分はテュルク系のキプチャクの領土であり、東の大部分はカラ・キタイの領土であった。カラ・キタイは1211年にナイマンのクチュルクによって乗っ取られるが、まもなく東の遊牧民族を統一したチンギス・カンのモンゴル帝国軍によって征服され、1224年にはキプチャクもスブタイ率いるモンゴル軍によって征服される。
モンゴル帝国第2代皇帝オゴデイが没すると、1242年にバトゥはヴォルガ川下流のサライに都を置いて、 キプチャク草原を中心とする自立政権ジョチ・ウルスを築いた。ジョチ・ウルスは内部では「右翼=バトゥ・ウルス=白帳ハン国」と「左翼=オルダ・ウルス=青帳ハン国」に分かれており、オルダ・ウルスはイルティシュ川上流域〜シル川下流域という後のカザフスタンに近い領域を支配していた。
カザフ・ハン国
15世紀末、ジョチ・ウルスの東部(現在のカザフ草原)において、ウズベクと呼ばれる遊牧集団からアブルハイル・ハンが頭角を現し、ウズベク・ハン国を建国させる。一方でケレイとジャニベクの2人によって率いられた青帳ハン国の残党(=後のカザフ)がウズベク・ハン国より分離する。アブルハイル・ハンの死後、カザフの集団は分裂状態に陥ったウズベクの集団を吸収し、カザフ・ハン国を形成、アブルハイル・ハンの孫にあたるムハンマド・シャイバーニー・ハンによって率いられたシャイバーニー朝と対立する。カザフ・ハン国はカーシム・ハン(在位:1511年 - 1518年)の時代に強盛となり、対外戦争を行い、周辺国から恐れられた。
18世紀になると、カザフ・ハン国は政治的統一を失い、東部の大ジュズ(Ұлы жүз)、中部の中ジュズ(Орта жүз)、西部の小ジュズ(Кіші жүз)という3つの部族連合体に分かれて草原に居住するようになる。
18世紀初頭、ジュンガルが襲来したため(アクタバン・シュブルンドゥ)、1730年代から1740年代に小ジュズと中ジュズはロシア帝国に服属を表明し、その傘下に入った。1820年代になると、カザフのハンは権威を喪失しており、ロシア帝国による直接統治を受け入れていた。同じ頃、残る大ジュズもロシア帝国の統治を受け入れる。こうしてロシア帝国に組み込まれたカザフ草原は、アクモリンスク州、セミパラチンスク州、セミレチエ州、ウラリスク州、トルガイ州、シルダリア州の6州に区分され、その東半分は1891年にステップ総督府の管轄下に置かれた(セミレチエ州は1897年にトルキスタン総督府へ移管)。
カザフ・ソビエト社会主義共和国
ロシア革命では、北部は白軍の支配下に入りアラシュ自治国(1917年 - 1920年)、1920年に南部は赤軍の支配下に入りソビエト連邦の構成下においてキルギス自治ソビエト社会主義共和国が誕生(首都はオレンブルク)、1925年にはカザフ自治ソビエト社会主義共和国(1925年 - 1936年)が樹立された(1929年に首都がアルマトイになる)。
1936年12月5日、ソ連崩壊まで続くソビエト連邦構成国カザフ・ソビエト社会主義共和国に昇格した。第二次世界大戦後、領内にはセミパラチンスク核実験場と、ソビエト連邦の宇宙開発の中心となるバイコヌール宇宙基地が作られた。
カザフスタン共和国
ソビエト連邦崩壊直前の1991年12月16日、「カザフスタン共和国」として独立し、1991年12月21日に独立国家共同体(CIS)に加盟した。
2006年2月、野党「アク・ジョル」の共同議長アルティンベク・サルセンバエフは運転手とともに、アルマトイで射殺体で発見された。カザフスタン国家保安委員会の5人のメンバーが、サルセンバエフの殺害に関わっているとして逮捕された。バウルツァン・ムハメドツァノフ内務大臣によると、犯人は1人あたり2万5,000ドルを受け取っているという。警察官1人も殺人に関わったとして逮捕されている。カザフスタンでは、反対派のアルマトイ前市長のザマンベック・ヌルカディロフも射殺体で発見されている。
2007年8月18日の議会選挙では、与党「ヌル・オタン」が比例代表制による全98議席を獲得、その他9議席を大統領の諮問機関であるカザフスタン民族会議が指名するため、与党が107議席を全て独占することとなった。5月には憲法改正が行われており、改正によって初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフに限り、3選禁止の規定が除外された。
2019年3月、ナザルバエフは5期目(2015年〜2020年)途中で辞任を表明し、元老院(上院)議長のカシムジョマルト・トカエフが第2代大統領に就任した。
2022年1月、燃料価格が2倍に値上がりしたことに抗議する住民らの反政府デモが国内各地の都市で発生して多数の死傷者を出し、デモの沈静化策として国家安全保障会議議長として強大な権力を握っていたナザルバエフが解任され、30年あまりにもわたって続いたナザルバエフ体制は完全に終焉を迎えた[17]。
政治
行政
大統領
カザフスタンの国家元首は直接選挙により選出される大統領であり、任期は5年となっている。
大統領は政府を組閣し、閣僚、最高裁判所長、検事総長、国立銀行総裁を任免、国民投票を実施し、非常事態を導入する権限を有する。1992年5月から大統領がカザフスタン共和国軍最高司令官を務め、同年7月からは国家保安委員会が直属している。
現在の大統領はカシムジョマルト・トカエフ。
ソビエト連邦構成共和国だったカザフ・ソビエト社会主義共和国共産党第一書記・同共和国大統領(それぞれ1989年、1991年に就任)からそのまま1991年12月にカザフスタン共和国大統領に就任したヌルスルタン・ナザルバエフが、独立以来2019年まで一貫して大統領の地位にあり、強力な指導力を発揮した。1995年4月に大統領の任期を延長し、2000年12月までとしたが、同年8月には新憲法草案が国民投票にかけられ、圧倒的賛成で可決された[18]。この1995年憲法はカザフスタンを大統領制国家であると規定し、大統領に大幅な権限を与えた。そして、最高評議会を廃止して二院制議会を新設し、1995年12月に議会選挙を実施したが、反対派はほとんどボイコットした。2019年3月19日、ナザルバエフは電撃辞任を表明し、翌20日に正式に退いた。
2022年、憲法が改正され初代大統領に関する条文が削除された[19]。
首相
現在の首相はアリハン・スマイロフ。
同国における首相は、議会の同意により大統領が任命する。閣僚は、首相の提案により大統領が任命する。また政府は、大統領の任期満了とともに総辞職し、新大統領により組閣される。
閣僚の70パーセントは、人口の約65パーセントを占めるカザフ人である。
立法
立法府は、下院(マジリス)と上院(セナト)の二院制である。下院は定数107議席。うち98議席が比例代表制による直接選挙で選出され、9議席は諸民族の代表機関であるカザフスタン民族会議により選出される。
カザフスタン民族会議とは大統領の諮問機関であり、国内にある民族団体おおよそ全部を包括している[20]。議席を得るには、7パーセントを基準とする阻止条項をクリアする必要がある。
上院は定数47議席。各州、旧首都、首都の地方議会から2名ずつ選出され、15名は大統領が個人的に任命する。1995年3月には、民族間関係を調整するカザフスタン民族総会が設置されている。上院が6年、下院が5年に延長された。
1993年12月、一院制立法府のカザフスタン最高評議会は解散させられ、1995年3月、憲法裁判所は1994年3月実施の選挙が違憲であったとの決定を下した。その後は議会不在のままである。
建国以来、アナマト(未来への信託)が単独過半数を占めており、事実上の一党独裁体制である。
主要政党
司法
この節の加筆が望まれています。 |
国際関係
全般
隣国であり、旧ソ連の中心であったロシア連邦とともにユーラシア連合を提唱し、ロシアと経済統合を進めてユーラシア経済連合を設立するなど政治・経済両面で密接な関係を持つ。一方、ロシア語で使われるキリル文字の廃止(後述)を進めるなど、過度のロシア依存は避けている。2022年カザフスタン反政府デモ鎮圧ではロシア連邦軍を主体とする集団安全保障条約機構(CSTO)の派兵を得たにも関わらず、2022年ロシアのウクライナ侵攻ではロシア側での参戦を拒否し、同年8月にはアメリカ軍と2004年から実施している共同軍事演習「地域協力2022」に開催地のタジキスタンのほかキルギス、ウズベキスタン、パキスタン、モンゴル国とともに参加した[21]。
ロシア、中華人民共和国、他の中央アジア諸国とともに上海協力機構(SCO)の創設メンバーであり、またトルコ共和国などを含むテュルク評議会のメンバーでもある。欧米諸国や、日本を含むアジア諸国とも良好な関係を築いている。アジア相互協力信頼醸成措置会議と中央アジア諸国連合を提唱、さらに2010年の欧州安全保障協力機構の議長国に選出されているなど、積極的に国際機構への参加を図っている。
トルコを含むイスラム諸国とロシアのいずれとも緊密な関係にあることから、首都ヌルスルタン(旧アスタナ)はシリア内戦の停戦・和平に関する協議の場となっている[22]。
核不拡散への協力
ソ連崩壊後、カザフスタンは核兵器を放棄した(2006年に中央アジア非核兵器地帯条約を締結)。セミパラチンスク核実験場も閉鎖したが、ソ連時代の地上核実験による放射能汚染や健康被害の問題は依然として残っている。
一方でカザフスタンは核燃料であるウランの大産出国でもあるため、核兵器開発につながる技術や核テロリズムに使われかねない核物質の拡散防止に積極的である。2017年8月、国際原子力機関(IAEA)は、新興国に原子力発電所用の低濃縮ウランを供給し、ウラン濃縮技術の拡散を防ぐ「核燃料バンク」をカザフスタン東部に開設した[23]。
対日関係
日本国政府は1991年12月28日付で国家承認した[4]。日本とは互いに大使館を置き(在カザフスタン日本国大使館および駐日カザフスタン大使館)、2006年8月には小泉純一郎首相が、2015年10月には安倍晋三首相が訪問した。
1998年、カザフスタン政府によって実施された新首都アスタナ(現ヌルスルタン)の設計についての国際指名コンペにおいて、日本の建築家黒川紀章案が1位に選ばれ、その都市計画案に基づき開発が続けられている[24]。
駐日カザフスタン大使館
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カザフスタン大使館全景
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大使館側面にある車庫
軍事
現在のカザフスタン共和国軍は、一般任務軍(陸軍)、防空軍(空軍)、海軍の3軍種からなる。大統領は3軍の最高司令官であり、空中機動部隊および空挺部隊、ならびに大統領親衛隊を直轄する。軍政単位としては、南部・西部・東部および中央の4個軍管区が設置されている。一般任務軍は、2個軍、2個師団、5個旅団からなり、4万6,800人が所属する。防空軍は1万9,000人。
また、これらとは別で国境警備軍と 国家警備軍が設けられている。
徴兵制度が存在し、兵役の義務は18歳からの2年間とされている。
地理
カザフスタンはユーラシア大陸の中心に位置しており、世界第9位の 2,725,000 km2の広大な国土面積[25](アジアでは中国、インドに次いで第3位)を有し、同時に世界最大の内陸国でもある。ただし、国土の大部分はサルイイシコトラウ砂漠やキジルクム砂漠などの砂漠や乾燥したステップ地帯で占められている。地形は大きく3つに分類されており、中国国境やアルタイ山脈を含むカザフ高原、中部のカザフステップ、西部のカスピ海沿岸低地である。西部低地はウラル山脈より西側でヨーロッパに属する。国の南部は東西にわたり砂漠が発達し、アラル海の縮小に表されるように過剰な灌漑が重要な課題である。アラル海東方にはロシアが租借するバイコヌール宇宙基地がある。カスピ海にはマンギスタウ半島が突き出しており(マンギスタウ州)、アクタウは唯一の不凍港を擁する。
地方行政区画
カザフスタンは以下の14州(Oblys)に区分されている。
- 州
- 北カザフスタン州
- アクモラ州
- パブロダール州
- コスタナイ州
- カラガンダ州
- 東カザフスタン州
- アルマトイ州
- ジャンブール州
- テュルキスタン州(南カザフスタン州)
- クズロルダ州
- アクトベ州(アクチュビンスク)
- 西カザフスタン州
- アティラウ州
- マンギスタウ州
- 政令指定地区
- ヌルスルタン - 旧アスタナ、首都
- アルマトイ - 最大の都市
- シムケント
- バイコヌール
主要都市
ロシア租借地
政令指定地区バイコヌールは、ロシア連邦がカザフスタンより年間1億1,500万USドルの契約で町全体を租借し、事実上の行政区として扱っている。これは、同市にある、ソ連時代の1955年に建設されたバイコヌール宇宙基地がロシアにとって今なお重要な宇宙開発施設であることに起因する。このためバイコヌールの行政権はロシアが握っており、たとえば市長は、ロシア連邦大統領が推薦し、カザフスタン大統領が承認することで任命される。また、ロシアの法律が適用され、通貨もカザフスタンのテンゲではなくロシア・ルーブルが流通している。この租借契約は1994年に合意され、2050年まで続く見込みである。
経済
国際通貨基金(IMF)の統計によると、2019年のカザフスタンの国内総生産(GDP)は1,817億ドル、1人あたりのGDPは推計9,750ドルであり、独立直後の経済状況(一人あたりGDP[1992年]:169ドル)に比べ、著しい飛躍を遂げている。旧ソ連崩壊後の厳しい経済状況の中、民営化を中心とする経済改革を推進し、米国企業が参加するテンギス油田開発の始動などにより、1996年には独立以来初めてプラス成長を記録した。1998年には農業・重工業の低迷およびロシアの金融危機によりマイナス成長(前年比マイナス2.5パーセント)に転じたものの、1999年以降は再びプラス成長に転じ、世界的な石油価格の上昇を追い風に、2000年以降年平均10パーセントという好調な経済成長を維持した。ただし、2007年以降は金融危機による世界的な景気後退とともに経済成長率は鈍化し、2010年 - 2013年は5パーセント前後の成長率で推移していた[26]。
この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型である。また、1人あたりGDPが1万ドル以上になり(2008年頃)、マレーシアに並ぶ中進国となった。しかし、2014年ごろから原油価格が下落していった。さらに原油価格やロシア通貨ルーブル下落の影響を受け、2015年8月、為替相場を管理フロート制から変動相場制へ移行すると発表し、その後の1年間で、テンゲの対米ドル為替相場は4割も下落した。こうしたテンゲの為替相場急落の影響でインフレ率が急上昇し、これによる実質所得大幅減少のため、個人消費が落ち込んでしまい、景気は大きく失速し、2016年の1人あたりのGDPは推定1万ドルを割った。2017年は前述した推計8,762ドルとなり、中国とほぼ同等となった[27]。
石油・天然ガス
国営企業カズムナイガスが中心となって、豊富な石油・天然ガス資源を開発・輸出している。2016年11月、新たにカスピ海のカシャガン油田が商業生産を開始した[28]。
その他鉱業
カザフスタンは石油、天然ガス、石炭、ウラン、銅、鉛、亜鉛などに恵まれた資源大国である。金属鉱業はカザフスタンにおける重要な経済部門の一つであり、GDPの約1割(石油・ガスは3割弱)を占め、石油・ガスを含む天然資源は、工業生産・輸出・国家歳入の約6割を支えている。その埋蔵量は、アメリカ地質調査所(USGS)によるとウランが世界の18パーセント、クロムが同10パーセント、マンガンが同5パーセント、銅が同5パーセント、銀が同5パーセント、鉛が同9パーセント、亜鉛が同8パーセントであり、さらなる開発ポテンシャルを有している。ウランは恒常的に生産量が増加しており、特に世界金融危機を経てからは伸びが著しく、2010年の間には1万7,803tU(金属ウラン重量トン)を産出して以降[29]、カザフスタンはウラン生産で世界第1位(1997年は13位)となった。今後、炭化水素・クロム・鉄は50 - 80年、ウラン・石炭・マンガンは100年以上の生産が可能であると言われている。一方、輸出の主要部分を占める非鉄金属および貴金属鉱山の開発・生産は12 - 15年程度で枯渇する可能性が指摘されている。
カザフスタンは資源に恵まれている一方、品位の低さなどから開発に至った鉱山は確認埋蔵量の35パーセントにすぎず、10種の鉱物(ダイヤモンド、錫、タングステン、タンタル、ニオブ、ニッケル、ボロン、マグネサイト、マグネシウム塩、カリウム塩)はいまだ開発されていない。鉱床探査の不足により、近年は埋蔵量減少分が補填されず、質・量ともに低下していると指摘されており、地質調査部門の発展促進が課題となっている。
カザフスタンの鉱業における主要企業は、Tau-Ken Samruk(金属)、KAZ Minerals(銅、銀など)、Kazakhmys Corporatiopn(銅など)、 Kazzinc(亜鉛、銅など)、Eurasian Resources Group(旧:ENRC、クロム、鉄鉱石、アルミニウム、発電事業)、ArcelorMittal Temirtau(鉄鋼)、Kazatomprom(ウラン採掘を含む国営原子力公社)などである[30]。
有機鉱物資源では、石炭(約10,600万トン、世界第10位、世界シェア1.4パーセント)[31]が優位である。品質が高いため、同国で産出する鉄と組み合わせて鉄鋼を生産している。燃料に向く低品質の亜炭はほとんど採れない[32]。原油(約8,800万トン)の産出量は世界シェア2.0パーセントに達する[33]。天然ガスは約300億m3と多くはない。
2017年時点における金属鉱物資源の採掘量、世界ランキング、世界シェアは以下の通りである[30]。
- ウラン鉱(22.2千トン、世界第1位、世界シェア39.0%)
- 銅鉱(745.1千トン、世界第9位、世界シェア3.7%)
- 鉛鉱(112.3千トン、世界第8位、世界シェア2.3%)
- 亜鉛鉱(347.0千トン、世界第9位、世界シェア2.6%)
- ボーキサイト鉱(4,843.2千トン、世界第9位、世界シェア1.6%)
- クロム鉱(6,261.5千トン、世界第2位、世界シェア18.9%)
- マンガン鉱(1,612.8千トン、世界第9位、世界シェア2.6%)
- モリブデン鉱(0.5千トン、世界第12位、世界シェア0.2%)
- 鉄鉱(18,330.9千トン、世界第12位、世界シェア0.6%)
- 金鉱(85.3トン、世界第13位、世界シェア2.6%)
- アンチモン鉱(400.0トン、世界第9位、世界シェア0.3%)
- プラチナ鉱(0.1トン、世界第9位、世界シェア0.1%)
- ビスマス鉱(50.0トン、世界第5位)
- 銀鉱(1,028.5トン、世界第10位、世界シェア4.2%)
このほか、非金属鉱物資源として、硫黄(352万トン、世界第6位、世界シェア4.4%)とリン鉱石(150万トン)を採掘している[34]。
エキバストス第一発電所のような電力事業も鉱業の傘下である。
農業
観光産業
交通
道路
鉄道
旧ソ連の一部であったカザフスタン国内の鉄道は1,520mmと広軌であるために今でも頻繁に国際列車が運行され、ソ連時代からのエレクトリーチカや客車が各国で使用されており、旧ソ連政府の影響により電化率は高い。
カザフスタンの1,520mmと中国の1,435mmとの間で軌間変換をするために、カザフスタン鉄道は新型車両としてスペインのタルゴの軌間可変車両を導入した。
近年ではアクタウと、カスピ海対岸でアゼルバイジャンの鉄道と連絡する新バクー港を結ぶ鉄道連絡船経由で新ユーラシア・ランドブリッジを構成している。
航空
国民
国土の大部分は砂漠や乾燥したステップで占められており、そのため人が住めるところは少なく、人口の大半は首都と一部の地域に偏在している。2015年の人口は1,760万人程度であり、2010年の統計では、世界第61位となっている。
住民
構成はカザフ人が67.98パーセント、ロシア人が19.32パーセント、ウズベク人が3.21パーセント、ウクライナ人が1.47パーセント、ウイグル人が1.47パーセント、タタール人が1.10パーセント、ヴォルガ・ドイツ人が0.97パーセント、その他4.5パーセント(2019年)となっている[4]。
「その他」の中には朝鮮系が入っているが、彼らの多くは現時点で3、4世代目となっており、民族的教育も育まれることがないため、母語である朝鮮語を話せない場合が多い[注釈 2][35]。
ソ連時代の名残りにより、国内では現在もロシア語風の姓名を用いる世帯が多い。
現在、ロシア人はロシアへの移住により減少傾向にある[36]。以前はカザフ人よりロシア人の割合の方が高かったが、独立以降多くのロシア人が転出し、カザフ人の割合が徐々に増加し逆転した。
さらにカザフスタン政府が在外カザフ人の帰還を進めており、1991年から2014年1月1日までに94万4,500人のカザフ人が移住した。在外カザフ人は本国のカザフ人と比べ、よりカザフ文化を受け継いでいるが、それは本国はソ連時代にロシア化が進んだためである[37]。しかし、それに反してソ連時代の名残りが根強いため、本国のカザフ人同様に人名にはロシア語風の姓名を用いる割合が非常に高いことが特徴ともなっている。
言語
憲法ではカザフ語が国家語、カザフ語とロシア語が公用語と定められている。カザフ語は国語とされるが、カザフスタンにおいてカザフ語を理解ができるのは全人口の83.1パーセントに過ぎない。一方、ロシア語はロシア系のみならず、ソ連時代から95パーセントの住民が使用しており[38]、異民族間の交流語として、カザフ語と同様の地位を与えられている。とりわけ都市部においてはロシア語を母語とし、カザフ語を全く話せないカザフ人も多いなど、カザフ語よりもはるかに広く使われているのが実情である。
たとえば外国映画は、主にロシアで作られたロシア語吹き替え版が上映されている[39]。これに対し2012年、文化法改正法が施行され、外国映画にカザフ語吹き替えが義務づけられた。カザフスタンはロシア系住民が約20パーセントと中央アジアでは最多であるにもかかわらず、この法律により、カザフスタンでロシア映画を原語で上映できなくなる可能性があった。しかしこの法律は吹き替えコストの問題で空文化し、カザフ語吹き替え映画は政府の資金援助を受けた12本ほどにとどまった[39]。そのため2016年、カザフ語字幕でもよいと緩和した上で改めて義務づけられた[39]。
カザフ語に関しては、同じ中央アジアの旧ソ連国家であるウズベキスタンやトルクメニスタンがウズベク語やトルクメン語に行ったような、キリル文字からラテン文字への切り替えを進めており、ナザルバエフ大統領は2025年までの完了を命じている[40]。当然ながら、カザフ語とともに公用語である国内では最も広範囲に使われているロシア語はキリル文字表記のままであり、公用語から除外されるわけでもない。
カザフスタンはヴォルガ・ドイツ人の移住・追放先の一つであったため、現在でも全人口の1.1パーセントほどにあたる18万人がドイツ語を話す。
婚姻
婚姻時に、婚姻前の姓を保持する(夫婦別姓)か、共通の姓(夫婦同姓)か、複合姓に改姓することから選択することが可能である。すでに複合姓である場合にさらに追加することはできない。改姓した場合、離婚時には、婚姻時の姓を保持することも元の姓に戻すことも可能である[41]。
宗教
2009年の調査では、イスラム教が70.2パーセント、キリスト教が26.2パーセント、無宗教が2.8パーセントとなっている[42]。
なお、イスラム教徒が多数を占めるものの同国においてそのシャリーア(イスラム法による戒律)は緩く、イスラム教では本来禁忌である飲酒なども公然と行われている。
教育
義務教育は6歳からの8年間と定められている。国民の識字率は国民全体の99.8パーセントとなっている[43]。
なお、カザフスタンは中央アジアにおいて国立大学の数が非常に多く、国際学校も豊富に揃っていることが特徴である。
保健
国内における全ての専門分野の医師の数は50.6千人(国民1万人辺りにつき約33.9人)となっている。
社会
家族
カザフ人は父系の出自を大きなアイデンティティとしている。父系の氏族「ルゥ」に帰属を持ち、44の主要なルゥがある。このルゥは民族の成立以前からあるものもある。結婚後もルゥは変わることはない。ソ連時代は家父長制であると批判されたが、集団化への抗議による家畜屠殺、それに伴う膨大な餓死者(一説には220万人)も発生し集団化は見直され、ルゥを元にした組織となった[44]。
治安
2015年の10万人あたりの殺人(既遂)率は、約4.8件(認知件数:853件)であった[45]。かつては10.0件以上あったが、減少して2010年以降は10.0件を切っている。
強盗は、68.7件(認知件数:1万2,197件)であった[46]。強盗は、2009年 - 2012年の間に急増したが、2013年以降は減少している。窃盗(強盗・侵入盗・自動車盗は除く)は、約1177.0件(認知件数:20万8,907件)であった[47]。窃盗(強盗・侵入盗・自動車盗は除く)に関しては、2010年 - 2014年の間に急増し、2014年以降は高止まりしている。
2016年6月5日、アクトベ市内の銃砲店や警察施設が攻撃されるテロ事件が発生。治安部隊との間の銃撃戦で、6名が死亡、10名が負傷した。このテロ事件を受け、治安当局はアクトベ市のテロの脅威度を「赤」(3段階中最高位)に設定した。また,アクトベ市を除くカザフスタン全土を「黄」(3段階中1番目)にした[48]。6月12日、カザフスタン当局はアクトベ市のテロの脅威レベルを「赤」から「黄」に引き下げ、カザフスタン全土がテロの脅威レベル「黄」となった[49]。8月14日、カザフスタン国家保安委員会はテロの脅威レベル「黄」を2017年1月15日まで延長した[50]。
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人権
人権団体はカザフスタン政府を権威主義と評し、定期的にカザフスタンの人権状況を劣悪と評している。
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マスコミ
2016年の時点で、1,364の新聞と522の雑誌を含む1,886の活字メディアが登録されている[51]。
メディアの検閲
インターネットは2014年時点で国民の70.8パーセントに普及している。「マスメディアに関する法律」の中で、インターネットはマスメディアと法的に定められた。
これによりフェイスブックやツイッターなどのSNS、インターネット掲示板での言動は新聞、テレビと同等のものとなった。亡命者が政権批判をするブログサイト[52]は国内からアクセス不可であり、政府の視点とは異なるニュースチャンネルも規制がかけられている。
NGOのフリーダム・ハウスはカザフスタンを「部分的自由」と評価を下している[53]。
文化
カザフ人は高度に発達した遊牧民としての文化があった。 8世紀、アラブ人が当時のカザフスタンにあたる地域のカザフ人と交流するようになると、この地はイスラム教の影響を受けるようになった。
現在は旧ソ連領中央アジアの中で最も文化的にヨーロッパ化された国と言える。ロシア語話者も多く、イスラム教徒であっても戒律を厳格に守る者は少ない。
食文化
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文学
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音楽
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映画
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衣装
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美術
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建築
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世界遺産
カザフスタン国内には、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が1件存在する。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元旦 | Жаңа жыл күні | |
3月8日 | 国際婦人デー | Халықаралық әйелдер күні | |
3月22日 | ナウルズ | Наурыз мейрамы | イラン暦の元旦 |
5月1日 | 民族同調記念日 | Этникалық сәйкестіктің мерейтойы | |
5月9日 | 戦勝記念日 | Жеңіс күні | 独ソ戦に敗れたナチス・ドイツが1945年にソ連などに無条件降伏した日で、ソ連時代から引き継いでいる。 |
8月30日 | 憲法記念日 | Конституцияны еске алу күні | |
10月25日 | 共和国の日 | Республика күні | 1990年、カザフ・ソビエト最高会議が主権宣言をした日。 |
12月16日 | 独立記念日 | Тәуелсіздік күні | 1991年にカザフスタン共和国がソ連に対して主権宣言を採択した日。 |
スポーツ
サッカー
カザフスタンは地理的にはアジアに属する為、カザフスタンサッカー連盟は独立当初はアジアサッカー連盟(AFC)に加盟したものの、2002年1月1日をもってAFCを脱退し、欧州サッカー連盟(UEFA)に加入した。その影響でFIFAワールドカップやUEFA欧州選手権の予選を通じて(本大会は未出場)、UEFAに加盟の有力国と対戦する機会が多くなった。さらにカザフスタンリーグの優勝チームは、UEFAチャンピオンズリーグ予選に出場できる。
1992年にプロサッカーリーグの「カザフスタン・プレミアリーグ」が創設されている。FCアスタナが2014年から2019年までで6連覇を達成し、優勝回数もリーグ最多(6回)である。また、UEFAチャンピオンズリーグ 2015-16では本大会に出場しており、UEFAヨーロッパリーグ 2017-18ではベスト32に進出した事もある。
サッカーカザフスタン代表はFIFAワールドカップには未出場となっている。さらにUEFA欧州選手権およびAFCアジアカップ(AFCに加入時代)の本大会への出場歴もない。女子サッカー代表も女子ワールドカップ、オリンピックともに出場した事はない。なおフットサルは強豪国として知られており、UEFAフットサルカップではAFCカイラトが2度の優勝を誇る。
ロードレース
2006年から首都アスタナの名義で、国際自転車競技連合が主宰するUCIプロツアーに出場する資格を有するチームのスポンサーになった。資金はカザフスタンの主要5企業が出資している。スペインで開かれるブエルタ・ア・エスパーニャでは、カザフスタン人のアレクサンドル・ヴィノクロフが2006年度の総合優勝を果たした。
ラグビー
これまでラグビーワールドカップへの出場歴はないものの、アジア五カ国対抗では2009年と2010年の準優勝を2度果たしており、2011年W杯予選では最終プレーオフまで進んだ。一方で女子代表はワールドカップ出場の常連国となっている。
アジア大会
1991年の独立時よりアジアオリンピック評議会に加盟している。独立後初の国際大会となった1994年アジア競技大会では、中国、日本、韓国に次ぐ金メダル数で第4位となり、以降のアジア競技大会では金メダル数4位の座を維持。1996年アジア冬季競技大会で日本や韓国を上回る14個の金メダルを獲得した様に、アジアにおける競技レベルは非常に高い。また、アスタナ及びアルマトイで2011年アジア冬季競技大会が開催された。
脚注
注釈
出典
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- ^ a b “UNdata”. 国連. 2021年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e “World Economic Outlook Database, October 2021” (英語). IMF (2021年10月). 2021-10-39閲覧。
- ^ a b c d e f g h カザフスタン共和国(Republic of Kazakhstan)基礎データ 日本国外務省(2022年9月4日閲覧)
- ^ “中國大使館稱哈薩克斯坦出現「不明肺炎」,哈衛生部稱是「假新聞」”. BBC中国語版. 2020年12月1日閲覧。
- ^ “哈萨克斯坦国家概况”. 中華人民共和国外交部. 2020年12月1日閲覧。
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- ^ 『史記』(大宛列伝)、『漢書』』(西域伝)、『後漢書』』(西域伝)、『三国志』(裴注『魏略』西戎伝)
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- ^ 松田壽男『古代天山歴史地理学研究』
- ^ 岩村 2007,p118
- ^ 山田信夫『北アジア遊牧民族史研究』
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- ^ カザフスタン:アクトベ州アクトベ市における銃撃戦の発生に伴う注意喚起(更新)日本国外務省(2016年6月15日)
- ^ 「カザフスタン、来年1月15日まで延長」 Qnewニュース(2016年8月16日)
- ^ Агентство Республики Казахстан по делам государственной службы и противодействию коррупции (недоступная ссылка) kyzmet.gov.kz
- ^ Blogspot.com,Wordpress.com
- ^ 『カザフスタンを知るための60章』253~254頁
参考資料
- 歴史の項
- 松平千秋訳『世界古典文学全集 10 ヘロドトス』(筑摩書房、1988年、ISBN 4480203109)
- 山田信夫『北アジア遊牧民族史研究』(東京大学出版会、1989年、ISBN 4130260480)
- ストラボン(訳:飯尾都人)『ギリシア・ローマ世界地誌Ⅱ』(龍溪書舎、1994年、ISBN 4844783777)
- アッリアノス(訳:大牟田章)『アレクサンドロス大王東征記 上』(岩波書店、2005年、ISBN 4003348311)
- 小松久男『世界各国史4 中央ユーラシア史』(山川出版社、2005年、ISBN 463441340X)
- 岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』(2007年、講談社)
- 鵜山智彦・藤本透子『カザフスタンを知るための60章』 (2015年、明石書店、ISBN 978-4-7503-4062-3)
関連項目
外部リンク
- 政府等
- 日本政府
- 大使館
- その他