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<!--執筆活動を行うなど元死刑囚自らの意志で氏名を公開していた場合と、事件の影響が極めて大きいとみなされ、日本語版ウィキペディアに実名の記述がある場合を除いては実名の記述は許可されていません--> |
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2021年9月6日 (月) 07:14時点における版
日本の刑事裁判で死刑判決が言い渡されてのちに死刑が執行された死刑囚を、執行年月日の昇順で一覧にした。日本の司法裁判所で死刑が確定した事件のみを記し、大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍の軍法会議や戦後の極東国際軍事裁判等の国際軍事裁判で確定した死刑囚は含まない。
1998年まで法務省は死刑執行を公表しておらず執行日が不明な事例があることから、執行日の照査が確実な者を記載した。明治維新後、1964年と1968年、1990年から1992年、2011年、2020年は執行されていない。
大日本帝国憲法下の事件
1889年に公布された大日本帝国憲法の元で死刑が執行された者の一覧。確実な資料があるもののみをリストアップしている。なお、死刑確定日は文献等に記載されている日付であり、正式なものであるか否かは判らない場合があることを留意されたし。
- 1890年代
事件名(仮名または氏名) 事件発生日 死刑確定日 執行日 備考 1899年執行 山陽鉄道列車強盗殺人事件(岩永元吉) 1898年12月2日 1899年5月3日 1899年10月30日 夜行列車内で発生し,軍人が被害者になった事件。
控訴審確定。山陽鉄道列車強盗殺人事件(中島多次郎) 1898年12月2日 1899年5月3日 1899年10月30日 上記共犯。一審は無期判決だった。
- 1900年代
事件名(仮名または氏名) 事件発生日 死刑確定日 執行日 備考 1900年執行 ミルラー事件(ミルラー) 1899年7月17日[1] 1900年1月[1] 1907年執行 堀江六人斬り(中川萬次郎) 1905年6月 1907年2月1日[2] 5人死亡 1908年執行 野口男三郎事件(野口男三郎) 1905年5月14日 1907年10月10日 1908年7月2日 3件の殺人と1件の文書偽造で起訴。うち薬店店主殺害事件と卒業証書偽造で有罪となる。上告審確定。 1909年執行 「紬屋殺し[3]」事件(大久保時三郎) 1905年11月8日 1906年11月17日 1909年4月23日[4] 紬屋1人を誘い出し殺害。そして紬屋仲間1人を偽の書状で誘い出しこれも殺害。反物を質に入れ400円を得る。さらに2人に借金をしたが返済がないと嘘を言い、家人をだまし現金を得ようとした。共犯の妻は無期徒刑となった。また、別件で詐欺もしている。[5]
- 1910年代
事件名(仮名または氏名) 事件発生日 死刑確定日 執行日 備考 1911年執行 幸徳事件(幸徳秋水、管野スガ、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童ら12人) 1910年 1911年1月18日 1911年1月24日・25日 明治天皇に対する大逆罪(暗殺予備)で24人に死刑判決がくだるが、後に12人が恩赦減刑。大逆罪は大審院(現在の最高裁)による1審制であった。 1916年執行 大米龍雲連続殺人事件(大米龍雲) 1905年-1915年 1916年5月22日 1916年6月26日 「殺尼魔」と呼ばれた連続強盗強姦犯。 1917年執行 一家四人死刑事件 (H) 1914年12月30日 1916年7月8日 1917年12月8日 一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。しかし死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして、処刑の瞬間まで冤罪を訴え続けた[6]。 1918年執行 鈴ヶ森おはる殺し事件(石井藤吉) 1915年4月30日 1917年3月30日 1918年8月17日 自分の犯した殺人について、第三者が罪に問われたことに義憤を憶え、自らが真犯人であると名乗り出たが、一審は証拠不十分により無罪判決だった。別件の殺人事件についても死刑判決を受けている。
- 1920年代以降
事件名(仮名または氏名) 事件発生日 一審判決 二審判決 最高裁判決 執行日 備考 1920年代 鈴弁殺し事件 (Y) 1919年5月31日 1919年12月2日 1920年5月28日 1921年3月10日 1921年4月2日 金銭目的の農商務省外米管理部の技師が主犯の犯罪。主犯は死刑になり共犯2人も有罪になった。 虎ノ門事件(難波大助) 1923年12月27日 なし なし 1924年11月13日 1924年11月15日 摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)に対する暗殺未遂(大逆罪)で死刑。 1930年代 桜田門事件(李奉昌) 1932年1月8日 なし なし 1932年9月30日 1932年10月10日 昭和天皇に対する暗殺未遂(大逆罪)で死刑。 大岡山殺人事件 (G) 1925年9月6日 1931年4月20日 控訴せず - 1933年3月7日 下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している[7]。 大岡山殺人事件 (T) 1925年9月6日 1931年4月20日 1931年9月26日 1932年4月5日 1933年3月7日 上記Gの共犯。 十三釣堀屋事件 (F) 1931年3月1日 不明 1932年7月5日 1933年3月8日 1934年6月28日 愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。愛人は無期懲役[8]。 隅田川コマ切れ殺人事件 (K) 1934年6月 1934年9月19日 - - 1934年10月 2人殺害。[9] 浅草青酸カリ殺人事件 (U) 1935年11月21日 1936年8月3日 - - 1937年10月26日 日本国内で最初の青酸カリによる殺人事件。 松山城放火事件 (F) 1932年-1936年 1937年11月12日 不明 行われず 1939年9月15日 放火45件、窃盗8件、列車妨害1件で死刑。 1940年代 浜松連続殺人事件(木村幸作) 1941年-1942年 不明 不明 不明 不明 犯行時18歳。被告人は聾唖者であったが弁別能力があったため刑の減免(刑法旧40条)を受けず死刑となった。 ゾルゲ事件(リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実) 1941年-1942年 1943年9月29日 不明 1944年4月5日 1944年11月7日
日本国憲法下の事件
1946年に公布された日本国憲法の元で死刑が執行された者の一覧。確実な資料があるもののみをリストアップしている。なお、死刑確定日は文献等に記載されている日付であり、正式なものであるか否かは判らない場合があることを留意されたし。
1940年代後半
1948年7月~1951年3月に46人執行[10] | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
事件名(仮名または氏名) | 事件発生日 | 一審判決 | 二審判決 | 最高裁判決 | 執行日 | 備考 | |
小平事件(小平義雄) | 1944年-1946年 | 1947年6月18日 | 1948年2月28日 | 1948年11月16日 | 1949年10月5日 | 8人(10人説もあり)の女性を殺害。執行は仙台で行われた | |
死刑制度合憲判決事件 (M) | 1946年9月16日 | 1947年5月23日 無期懲役 |
1947年8月25日 死刑 |
1948年3月12日 | 1949年7月27日 | 少年死刑囚。 広島県佐伯郡吉和村(現:廿日市市)で当時19歳の少年(無職)が母親と妹を殺害した事件(少年死刑囚)。父親は事件前に死去している。 広島矯正管区で死刑が確定したが、1949年当時は死刑囚の収監先だった広島刑務所の刑場が改築中だったため、当時刑場があった福岡刑務所で死刑を執行されている。 |
1950年代
事件名(仮名または氏名) | 事件発生日 | 一審判決 | 二審判決 | 最高裁判決 | 執行日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1953年 | |||||||
矢野村強盗殺人事件 (F) | 1947年5月23日 | 1947年11月14日 | 1948年7月20日 | 1951年2月2日[注 1] | 1953年2月20日 | 兄弟で犯した強盗殺人について、死刑判決を受けた弟は、主犯は兄であると主張していた。その兄も、主犯は自分であり弟は殺害行為に関わっていない、と主張したが、弟の再審請求は容れられなかった。 | |
1955年(32人執行) | |||||||
栃木雑貨商一家殺害事件 (K) | 1953年3月17日 | 1953年11月25日 | 1954年9月29日 | 1955年6月28日 | 1955年11月22日 | 死刑判決の上訴中に脱獄した過去があり、死刑確定後5か月で執行された。 | |
1957年(39人執行) | |||||||
文京区小2女児殺害事件 (S) | 1954年4月19日 | 1955年4月15日 | 不明 | 1956年10月25日 | 1957年6月22日 | ヒロポン中毒者による学校内での犯行。 | |
執行年月日不明 | |||||||
銀座弁護士妻子殺人事件 (B) | 1956年1月18日 | 1956年11月20日 | 控訴せず | - | 不明 | 死刑廃止論者の妻子が殺害されても、なお死刑廃止論の立場を変えなかった事件。 | |
品川トランク詰殺人事件 (N) | 1956年6月28日 | 1957年6月18日 | 1959年9月18日 | 上告せず | 不明 | 犯行後、愛人と逃避行していたことが話題に。 | |
昭島・昭和郷アパート放火事件 (I) | 1957年10月27日 | 1959年7月6日 | 1960年10月26日 | 1961年7月31日 | 不明 | 一審は無期懲役。火災保険目的で放火し8人死亡。裁判では殺意はなかったとして殺人罪は適用されなかったが、現住建造物等放火罪と詐欺罪で死刑が言い渡された。戦後殺人罪が適用されず死刑が確定した唯一の例。 |
1960年代
事件名(仮名または氏名) | 事件発生日 | 一審判決 | 二審判決 | 最高裁判決 | 執行日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1960年(39人執行) | |||||||
梅田事件 (H) | 1950年 | 不明 | 不明 | 1957年11月17日 | 1960年8月31日 | 事件に関係のない第三者を共犯に巻き込んだ冤罪事件。 | |
1962年(26人執行) | |||||||
藤本事件(藤本松夫) | 1952年7月6日 | 1953年8月26日 | 1954年12月13日 | 1957年8月23日 | 1962年9月14日 | 被疑者がハンセン病患者であったこの事件は、さまざまな運動を惹起した。 | |
小松川事件(李珍宇) | 1958年 | 1959年2月27日 | 1959年12月28日 | 1961年8月17日 | 1962年11月26日 | 犯行時18歳。被害者2人。 | |
熊本饅頭屋夫妻殺人事件 (M) | 1956年1月12日 | 1959年4月7日 | 1959年7月11日 | 1960年12月16日 | 1962年12月21日 | 上告審口頭弁論公判で被告人側弁護人が「死刑が相当」と主張したことが弁護放棄であると問題に。 | |
1963年(12人執行) | |||||||
神戸洋服商殺人事件 (S) | 1951年1月17日 | 1951年12月19日 | 1955年2月19日 | 1955年12月16日 | 1963年7月17日 | 死刑判決確定後、処刑まで獄中訴訟を連発したことで有名。 | |
1969年(18人執行) | |||||||
バー・メッカ殺人事件(正田昭) | 1953年7月27日 | 1956年12月15日 | 1960年12月21日 | 1963年1月25日 | 1969年12月9日 | アプレゲール犯罪の代表格のひとつとされている。 |
1970年代
事件名(仮名または氏名) | 事件発生日 | 一審判決 | 二審判決 | 最高裁判決 | 執行日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1970年(26人執行) | |||||||
ホテル日本閣殺人事件 (K・O) | 1961年2月19日 | 不明 | 不明 | 1966年7月14日 | 1970年6月11日[11] | 両者とも東京拘置所で死刑執行[11]。Kは戦後初めて、死刑を執行された女性死刑囚。 | |
四国連続強盗殺人事件 (A) | 1963年10月 | 不明 | 不明 | 1966年3月31日 | 1970年10月29日 | 短期間に6人を殺害。 | |
西口彰事件(西口彰) | 1963年-1964年 | 不明 | 不明 | 1966年 | 1970年12月11日 | 5人を殺害。 | |
女性連続毒殺魔事件 (S) | 1960年 | 不明 | 不明 | 1966年7月14日 | 1970年9月19日 | 戦後女性死刑囚執行第2号。 | |
雅樹ちゃん誘拐殺人事件 (M) | 1960年5月16日 | 1961年3月31日 | 1966年8月26日 | 1967年5月25日 | 1970年10月29日[注 2][11] | 誘拐直後にガス中毒死させた事件。戦後初の誘拐殺人事件の死刑判決。東京拘置所で死刑執行[11]。 | |
1971年(17人執行) | |||||||
吉展ちゃん誘拐殺人事件(小原保) | 1963年3月31日 | 1966年3月17日 | 1966年11月29日 | 1967年10月13日 | 1971年12月23日 | 初めて報道協定が結ばれた事件。 | |
1972年(7人執行) | |||||||
少年ライフル魔事件 (K) | 1965年7月29日 | 1968年6月16日 | 1968年 | 1969年10月2日 | 1972年7月21日 | 銃乱射事件。一審は無期懲役。犯行時18歳、犠牲者は警官1人。 | |
1974年(4人執行) | |||||||
日光中宮祠事件 (P・T) | 1946年5月4日 | 1957年7月22日 | 1959年1月28日 | 1960年6月10日 | 1974年6月6日 | 在日韓国人による強盗放火殺人事件。当初、捜査機関が一家無理心中と誤認し、解決までに9年を要した。 | |
仙台幼児誘拐殺人事件 (K) | 1964年12月21日 | 1965年4月5日 | 1966年10月18日 | 1968年 | 1974年7月5日 | 一審は無期懲役。犯人は元俳優。 | |
1975年(17人執行) | |||||||
警察庁広域重要指定107号事件(純多摩良樹) | 1968年6月16日 | 1969年3月20日 | 1970年8月11日 | 1971年4月22日 | 1975年1月25日 | 時限爆弾による鉄道テロ。犠牲者1人、処刑20年後に純多摩良樹の筆名で俳句集が出版された。 | |
福岡事件 (N) | 1947年5月20日 | 1948年2月27日 | 不明 | 1956年4月 | 1975年6月17日 | 被害者が中華民国国籍者であることを配慮するあまり捜査機関および司法機関が事実認定を見誤ったとして、「主犯」とされたNは冤罪とする主張があったが処刑された。 | |
1976年(12人執行) | |||||||
大久保清連続殺人事件(大久保清) | 1971年 | 1973年2月22日 | 控訴せず | - | 1976年1月22日 | 短期間に8人を殺害。 | |
1979年(1人執行) | |||||||
正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K) | 1969年9月10日 | 1972年4月8日 | 1976年7月20日 | 1978年1月[12] | 1979年[12] | 身代金目的の誘拐殺人事件。犯行時19歳(少年死刑囚)。 |
1980年代
事件名(仮名または氏名) | 事件発生日 | 一審判決 | 二審判決 | 最高裁判決 | 執行日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1981年(1人執行) | |||||||
1982年(1人執行) | |||||||
藤沢市女子高生殺害事件 (S) | 1967年1月13日 | 1969年3月18日 | 1971年11月8日 | 1972年7月18日[13] | 1982年11月25日 | 第一審は無期懲役判決だったが[14]、控訴審で逆転死刑判決[15]。 神奈川県藤沢市で下校途中の女子高生を暴行して殺害。死刑執行時に執行を拒絶して暴れ、50分にわたり刑務官たちと格闘した[16]。 | |
1983年(1人執行) | |||||||
1984年(1人執行) | |||||||
1985年(3人執行) | |||||||
警察庁広域重要指定105号事件(古谷惣吉) | 1965年 | 1971年4月 | 1975年12月 | 1978年11月 | 1985年5月31日 | 1か月に8人を殺害。1951年にも福岡連続強盗殺人事件(2人殺害)を起こしたが、同事件の共犯Sが主犯として死刑判決を受け、1953年に死刑を執行されたため、死刑執行後に逮捕された古谷はSに罪責を擦り付けて懲役10年の微罪になり、出所後に本事件を起こした。死刑確定後の1982年12月に収監先の大阪拘置所で同房の死刑囚への殺人未遂を起こしたが、刑事訴追されなかった[17]。 | |
1986年(2人執行) | |||||||
上野消火器商一家殺人事件 (T) | 1974年2月7日 | - | - | 1979年12月25日 | 1986年5月20日 | 消火器商の男性に父親の得意先を横取りされたとの恨みを晴らすために、一家虐殺したと供述。 | |
上野消火器商一家殺人事件 (K) | 1974年2月7日 | - | - | 1979年12月25日 | 1986年5月20日 | Aの共犯、一家殺害後Aとともに被害者の財産を物色。 | |
1987年(2人執行) | |||||||
1988年(2人執行) | |||||||
1989年(1人執行) |
1993年 - 1999年
1990年から1992年までの3年間は、いわゆる死刑執行モラトリアムであり、死刑執行はなかった。1993年から1999年までの平均確定後期間は9年0か月
事件名[注 3](仮名もしくは本名[注 4]) | 年齢 | 判決年月日 | 事件発生日 | 確定後期間 | 確定裁判所 | 拘置所 | 執行日 | 法務大臣 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年(7人執行) | ||||||||
福島連続保険金殺人事件 (K) | 55 | 1980年4月25日 | 1970年-1971年 | 12年11か月 | 最高裁 | 仙台 | 3月26日 | 後藤田正晴 |
愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T) | 62 | 1981年6月26日 | 1971年-1972年 | 11年9か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
近畿連続強盗殺人事件 (K) | 48 | 1984年9月13日 | 1975年-1977年 | 8年6か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
釧路薬局一家殺害事件 (K) | 61 | 1981年3月19日 | 1974年8月7日 | 12年8か月 | 最高裁 | 札幌 | 11月26日 | 三ヶ月章 |
世田谷女性殺害事件 (S) | 47 | 1982年9月1日 | 1977年12月3日 | 11年2か月 | 東京高裁(上告せず) | 東京 | ||
大阪電解事件 (D) | 70 | 1984年4月27日 | 1974年7月10日、1974年10月3日 | 9年7か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
大阪電解事件 (S) | 56 | 1984年4月27日 | 1974年7月10日、1974年10月3日 | 9年7か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
1994年(2人執行) | ||||||||
群馬3女性殺害事件 (A) | 44 | 1985年4月26日 | 1977年4月16日 | 9年8か月 | 最高裁 | 東京 | 12月1日 | 前田勲男 |
青森旅館連続女性殺人事件 (S) | 65 | 1985年7月1日 | 1984年9月9日 | 9年5か月 | 青森地裁(控訴取下げ) | 仙台 | ||
1995年(6人執行) | ||||||||
徳島高齢者連続殺人事件 (F) | 40 | 1983年4月14日 | 1978年11月、12月 | 12年1か月 | 徳島地裁(控訴せず) | 大阪 | 5月26日 | 前田勲男 |
裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S) | 53 | 1987年1月19日 | 1986年5月9日 | 8年4か月 | 東京地裁(控訴取下げ) | 東京 | ||
東村山署警察官殺害事件 (T) | 70 | 1987年10月23日 | 1976年10月18日 | 7年7か月 | 最高裁 | 東京 | ||
名古屋市女子大生誘拐殺人事件(木村修治) | 45 | 1987年7月9日 | 1980年12月2日 | 8年5か月 | 最高裁 | 名古屋 | 12月21日 | 宮澤弘 |
熊本連続強盗殺人事件(平田直人[18]) | 63 | 1987年12月18日 | 1979年3月-5月 | 8年0か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
群馬連続女性農夫殺害事件 (S) | 68 | 1988年5月20日 | 1981年、1982年 | 7年7か月 | 最高裁 | 東京 | ||
1996年(6人執行) | ||||||||
北九州市病院長殺害事件 (S) | 49 | 1988年4月15日 | 1979年11月4日 | 8年3か月 | 最高裁 | 福岡 | 7月11日 | 長尾立子 |
北九州市病院長殺害事件 (Y) | 43 | 1988年4月15日 | 1979年11月4日 | 8年3か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
神田ビル放火殺人事件 (I) | 48 | 1988年7月1日 | 1981年7月6日 | 8年0か月 | 最高裁 | 東京 | ||
元昭和石油重役一家殺害事件 (I) | 55 | 1988年10月24日 | 1983年1月29日 | 8年2か月 | 東京高裁(上告取下げ[19][注 5]) | 東京 | 12月20日 | 松浦功 |
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H) | 60 | 1988年10月22日 | 1978年5月-6月 | 8年2か月 | 東京高裁(上告取下げ[注 5] ) | 東京 | ||
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N) | 51 | 1990年2月1日 | 1978年5月-6月 | 6年10か月 | 最高裁 | 東京 | ||
1997年(4人執行) | ||||||||
夕張保険金殺人事件 (H) | 54 | 1987年3月 | 1984年5月5日 | 9年10か月 | 札幌地裁(控訴取下げ[21][注 5]) | 札幌 | 8月1日 | 松浦功 |
夕張保険金殺人事件 (H) | 51 | 1987年3月 | 1984年5月5日 | 8年2か月 | 札幌地裁(控訴取下げ[21][注 5]) | 札幌 | ||
警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫) | 48 | 1990年4月17日 | 1968年10月-11月 | 7年4か月 | 最高裁 | 東京 | ||
埼玉父親ら3人殺害事件 (K) | 43 | 1989年11月20日 | 1985年3月8日 | 7年9か月 | 最高裁 | 東京 | ||
1998年(6人執行) | ||||||||
長崎3人殺害事件(村竹正博[22]) | 54 | 1990年4月27日 | 1978年3月21日 | 8年2か月 | 最高裁 | 福岡 | 6月25日 | 下稲葉耕吉 |
福岡県直方市強盗殺人事件 (T) | 66 | 1990年12月14日 | 1980年4月23日 | 7年6か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
パチンコ景品商殺害事件 (S) | 66 | 1991年2月5日 | 1983年1月16日 | 7年4か月 | 最高裁 | 東京 | ||
泰州くん誘拐殺人事件 (T) | 59 | 1991年6月11日 | 1984年2月13日 | 7年5か月 | 最高裁 | 広島 | 11月19日 | 中村正三郎 |
日建土木事件 (N) | 61 | 1989年3月28日 | 1977年1月7日 | 9年8か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
名古屋保険金殺人事件 (I) | 55 | 1987年3月31日 | 1979年11月-1983年12月 | 11年8か月 | 名古屋高裁(上告せず) | 名古屋 | ||
1999年(5人執行) | ||||||||
東京都北区幼女殺害事件 (S) | 62 | 1992年2月18日 | 1979年7月28日 | 7年7か月 | 最高裁 | 東京 | 9月10日 | 陣内孝雄 |
福島女性飲食店経営者殺害事件 (T) | 61 | 1992年6月18日 | 1990年5月2日 | 7年3か月 | 福島地裁(控訴せず) | 仙台 | ||
熊本母娘殺害事件 (M) | 69 | 1992年9月24日 | 1985年7月24日 | 7年0か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
長崎雨宿り殺人事件 (O) | 62 | 1981年6月16日 | 1977年9月24日 | 18年6か月 | 最高裁 | 福岡 | 12月17日 | 臼井日出男 |
大宮母子殺人事件(佐川和男[23]) | 48 | 1991年11月29日 | 1981年4月4日 | 8年1か月 | 最高裁 | 東京 |
2000年代
以下の一覧は2000年から2009年までに死刑が執行された元死刑囚の一覧である。2000年から2009年まで平均確定後期間は5年9か月
事件名[注 3](仮名もしくは本名[注 4]) | 年齢 | 判決年月日 | 事件発生日 | 確定後期間 | 確定裁判所 | 拘置所 | 執行日 | 法務大臣 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年(3人執行) | ||||||||
勝田清孝事件(藤原清孝) | 52 | 1994年1月17日 | 1972年9月-1982年10月 | 6年10か月 | 最高裁 | 名古屋 | 11月30日 | 保岡興治 |
岐阜前妻一家殺害事件 (M) | 57 | 1994年3月18日 | 1989年2月14日 | 6年8か月 | 名古屋高裁(上告取下げ) | 名古屋 | ||
佐賀隣人一家殺人事件 (O) | 55 | 1995年4月21日 | 1983年5月16日 | 5年7か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
2001年(2人執行) | ||||||||
練馬一家5人殺害事件 (A) | 66 | 1996年11月24日 | 1983年6月28日 | 5年1か月 | 最高裁 | 東京 | 12月27日 | 森山眞弓 |
名古屋保険金殺人事件 (H) | 51 | 1993年9月21日 | 1979年11月-1983年12月 | 8年3か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
2002年(2人執行) | ||||||||
熊本大学生誘拐殺人事件(春田竜也[24]) | 36 | 1998年4月23日 | 1987年9月 | 4年5か月 | 最高裁 | 福岡 | 9月18日 | 森山眞弓 |
岐阜県坂祝町一家3人殺害事件 (H) | 51 | 1998年6月3日 | 1994年6月 | 4年3か月 | 岐阜地裁(控訴取下げ) | 名古屋 | ||
2003年(1人執行) | ||||||||
姫路母子3人殺害事件など (M) | 42 | 1996年12月17日 | 1985年11月29日・12月3日 | 6年9か月 | 最高裁 | 大阪 | 9月12日 | 森山眞弓 |
2004年(2人執行) | ||||||||
附属池田小事件(宅間守) | 40 | 2003年9月26日 | 2001年6月8日 | 11か月 | 大阪地裁(控訴取下げ) | 大阪 | 9月14日 | 野沢太三 |
熊本・菊池市保険金殺人事件 (S) | 59 | 1999年3月9日 | 1988年3月 | 5年6か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
2005年(1人執行) | ||||||||
千葉・高知連続強盜殺人事件 (K) | 58 | 2000年2月4日 | 1983年8月・1989年2月 | 5年7か月 | 最高裁 | 大阪 | 9月16日 | 南野知惠子 |
2006年(4人執行) | ||||||||
秋山兄弟事件(秋山芳光[25]) | 77 | 1987年7月17日 | 1975年8月25日 | 19年5か月 | 最高裁 | 東京 | 12月25日 | 長勢甚遠 |
今市4人殺傷事件(藤波芳夫[26]) | 75 | 1993年9月9日 | 1981年3月29日 | 13年3か月 | 最高裁 | 東京 | ||
広島タクシー運転手連続殺人事件 (H) | 44 | 2000年2月9日 | 1996年4月-9月 | 6年10か月 | 広島地裁(控訴せず) | 広島 | ||
高知3連続殺人事件 (F) | 64 | 1999年6月25日 | 1978年・1980年・1981年 | 7年6か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
2007年(9人執行) | ||||||||
赤穂同僚妻子殺害事件 (N) | 56 | 1992年9月29日 | 1983年1月19日 | 14年7か月 | 最高裁 | 大阪 | 4月27日 | 長勢甚遠 |
福岡・赤池町保険金殺人事件 (O) | 59 | 2000年3月30日 | 1990年12月25日-26日 | 7年1か月 | 福岡地裁(控訴取下げ) | 福岡 | ||
4都県連続4人殺害事件 (T) | 42 | 2000年9月8日 | 1984年・1988年・1989年・1991年 | 6年7か月 | 最高裁 | 東京 | ||
今市連続殺人事件 (T) | 69 | 2000年12月11日 | 1990年9月、1993年7月 | 6年8か月 | 東京高裁(上告せず) | 東京 | 8月23日 | |
富山社長夫婦射殺事件 (S) | 60 | 2001年1月30日 | 1991年5月7日 | 6年7か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
東京連続強盗殺人事件 (I) | 63 | 2001年2月5日 | 1996年6月10日、1999年7月8日 | 6年6か月 | 東京地裁(控訴取下げ) | 東京 | ||
徳島隣人3人射殺事件 (I) | 74 | 1996年3月4日 | 1986年6月3日 | 11年9か月 | 最高裁 | 大阪 | 12月7日 | 鳩山邦夫 |
江戸川老母子強盗殺人事件 (F) | 42 | 2003年1月5日 | 1999年4月19日 | 4年11か月 | 東京高裁(上告取下げ) | 東京 | ||
警察庁広域重要指定112号事件 (F) | 47 | 2004年6月15日 | 1981年10月-1982年6月 | 3年6か月 | 最高裁 | 東京 | ||
2008年(15人執行) | ||||||||
徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M) | 63 | 1997年4月28日 | 1988年4月-6月 | 10年10か月 | 最高裁 | 大阪 | 2月1日 | 鳩山邦夫 |
徳之島兄家族殺傷事件 (N) | 37 | 2004年8月26日 | 2002年8月16日 | 3年6か月 | 鹿児島地裁(控訴取下げ) | 福岡 | ||
JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) | 65 | 2004年10月13日 | 1997年4月18日 | 3年4か月 | 最高裁 | 東京 | ||
大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N) | 64 | 1997年1月28日 | 1982年5月20日 | 11年3か月 | 最高裁 | 大阪 | 4月10日 | |
滋賀元同僚強盗殺害事件 (N) | 61 | 2004年9月9日 | 1989年10月-12月 | 3年7か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) | 41 | 2004年10月29日 | 2002年7月19日 | 3年6か月 | 東京高裁(上告せず) | 東京 | ||
杉並区資産家老女ら2人殺害事件 (A) | 61 | 2005年3月3日 | 1989年10月 | 3年1か月 | 最高裁 | 東京 | ||
警察庁広域重要指定117号事件(宮崎勤) | 45 | 2006年1月17日 | 1988年8月-1989年7月 | 2年5か月 | 最高裁 | 東京 | 6月17日 | |
東京風俗店連続殺人事件(陸田真志) | 37 | 2005年10月17日 | 1995年12月 | 2年8か月 | 最高裁 | 東京 | ||
仙台・香川連続保険金殺人事件 (Y) | 73 | 2005年1月25日 | 1985年11月・1990年3月 | 3年5か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y) | 68 | 2006年4月4日 | 2004年7月 | 2年5か月 | 神戸地裁(控訴取下げ) | 大阪 | 9月11日 | 保岡興治 |
大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) | 68 | 2001年12月6日 | 1988年1月15日 | 6年9か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) | 61 | 2006年9月1日 | 1994年12月19日 | 2年0か月 | 最高裁 | 東京 | ||
飯塚事件(久間三千年[27]) | 70 | 2006年9月8日 | 1992年2月21日 | 2年1か月 | 最高裁 | 福岡 | 10月28日 | 森英介 |
いわき市母娘強盗殺人事件 (T) | 55 | 2006年12月20日 | 2004年3月18日 | 1年10か月 | 仙台高裁(上告取下げ) | 仙台 | ||
2009年(7人執行) | ||||||||
ドラム缶女性焼殺事件 (K) | 44 | 2006年6月9日 | 2000年4月4日 | 2年7か月 | 最高裁 | 名古屋 | 1月29日 | 森英介 |
ドラム缶女性焼殺事件 (S) | 39 | 2006年6月9日 | 2000年4月4日 | 2年7か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) | 32 | 2007年1月11日 | 2004年1月-9月 | 2年0か月 | 長野地裁(控訴取下げ) | 東京 | ||
北九州母娘殺傷事件 (M) | 58 | 1993年11月16日 | 1990年3月 | 15年2か月 | 福岡地裁小倉支部(控訴取下げ) | 福岡 | ||
大阪姉妹殺害事件 (Y) | 25 | 2007年5月31日 | 2005年11月17日 | 2年1か月 | 大阪地裁(控訴取下げ) | 大阪 | 7月28日 | |
自殺サイト殺人事件 (M) | 40 | 2007年7月5日 | 2005年2月-6月 | 2年0か月 | 大阪地裁(控訴取下げ) | 大阪 | ||
川崎中国人6人殺傷事件 (C) | 41 | 2006年6月27日 | 1999年5月25日 | 3年1か月 | 最高裁 | 東京 |
2010年代
以下の一覧は2010年以降に死刑が執行された元死刑囚の一覧である。なお2011年には死刑は執行されていない。2010年 - 2019年までの死刑確定 - 死刑執行までの平均期間は7年5か月。
※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。
事件名[注 3](仮名もしくは本名[注 4]) | 年齢 | 判決年月日 | 事件発生日 | 確定後期間 | 確定裁判所 | 拘置所 | 執行日 | 法務大臣 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年(2人執行) | ||||||||
宇都宮宝石店放火殺人事件 (S) | 59 | 2007年2月20日 | 2000年6月11日 | 3年5か月 | 最高裁 | 東京 | 7月28日 | 千葉景子 |
熊谷男女4人殺傷事件 (O) | 33 | 2007年7月18日 | 2003年8月18日 | 3年0か月 | さいたま地裁(控訴取下げ) | 東京 | ||
2012年(7人執行) | ||||||||
宮崎連続強盗殺人事件 (M) | 44 | 2007年2月6日 | 2001年11月25日-12月7日 | 5年1か月 | 最高裁 | 福岡 | 3月29日 | 小川敏夫 |
横浜前妻一家3人殺害事件 (F) | 46 | 2007年11月15日 | 2002年7月31日 | 4年4か月 | 最高裁 | 東京 | ||
下関通り魔殺人事件 (U) | 48 | 2008年7月11日 | 1999年9月29日 | 3年8か月 | 最高裁 | 広島 | ||
三島女子短大生焼殺事件 (H) | 40 | 2008年2月29日 | 2002年1月22日 | 4年5か月 | 最高裁 | 東京 | 8月3日 | 滝実 |
京都・神奈川親族連続殺人事件 (M) | 31 | 2008年4月8日 | 2007年1月16日~23日 | 4年3か月 | 京都地裁(控訴取下げ) | 大阪 | ||
福島悪魔払い殺人事件 (E) | 65 | 2008年9月16日 | 1994年12月-1995年6月 | 4年0か月 | 最高裁 | 仙台 | 9月27日 | |
熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M) | 39 | 2009年4月3日 | 2003年10月16日 | 3年5か月 | 福岡高裁(上告取下げ) | 福岡 | ||
2013年(8人執行) | ||||||||
奈良小1女児殺害事件(小林薫[28]) | 44 | 2006年10月10日 | 2004年11月17日 | 6年4か月 | 奈良地裁(控訴取下げ) | 大阪 | 2月21日 | 谷垣禎一 |
土浦連続殺傷事件 (K) | 29 | 2010年1月5日 | 2008年3月19日~23日 | 3年1か月 | 水戸地裁(控訴取下げ) | 東京 | ||
名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 (K) | 62 | 2007年3月22日 | 2002年3月14日 | 5年11か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
ファミレス2人射殺事件 (M) | 56 | 2009年6月15日 | 2005年4月25日 | 3年10か月 | 最高裁 | 東京 | 4月26日 | |
ファミレス2人射殺事件 (H) | 64 | 2011年12月15日 | 2005年4月25日 | 1年4か月 | 最高裁 | 東京 | ||
渋谷駅駅員銃撃事件 (K) | 73 | 2011年3月1日 | 2004年5月29日 | 2年6か月 | 最高裁 | 東京 | 9月12日 | |
山梨・新潟連続殺人事件 (F) | 55 | 1995年6月8日 | 1986年3月 | 18年6か月 | 最高裁 | 東京 | 12月12日 | |
大阪連続強盗殺人事件 (K) | 63 | 2012年7月24日 | 2000年7月-2008年2月 | 1年4か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
2014年(3人執行) | ||||||||
香川・坂出3人殺害事件 (K) | 68 | 2012年7月12日 | 2007年11月16日 | 1年11か月 | 最高裁 | 大阪 | 6月26日 | 谷垣禎一 |
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 (K) | 56 | 2007年3月27日 | 2001年5月8日 | 7年5か月 | 最高裁 | 仙台 | 8月29日 | |
群馬暴力団組長3人射殺事件 (T) | 59 | 2012年10月23日 | 2001年11月-2005年9月 | 1年10か月 | 最高裁 | 東京 | ||
2015年(3人執行) | ||||||||
闇サイト殺人事件 (K) | 44[29] | 2009年4月13日[30] | 2007年8月24日[31] | 6年2か月 | 名古屋地裁(控訴取下げ)[29] | 名古屋[29] | 6月25日[29] | 上川陽子[29] |
※川崎アパート3人殺害事件 (T)[注 6] | 63[32] | 2011年7月4日[33] | 2009年5月30日[32] | 4年5か月 | 横浜地裁(控訴取下げ)[32] | 東京[32] | 12月18日[32] | 岩城光英[32] |
岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 (W) | 39[32] | 2012年1月16日[34] | 2006年7月19日[32] | 3年11か月 | 最高裁[34] | 仙台[32] | ||
2016年(3人執行) | ||||||||
警察庁広域重要指定122号事件 (K) | 75[35] | 2005年7月8日[36] | 1985年5月-1994年3月[37] | 10年8か月 | 最高裁[35] | 大阪[35] | 3月25日[38] | 岩城光英[38] |
久留米看護師連続保険金殺人事件 (Y) | 56[35] | 2010年3月18日[39] | 1998年1月24日[40]・1999年3月27日[41][42] | 6年0か月 | 最高裁[35] | 福岡[35] | ||
※熊本連続強盜殺人事件 (T) | 45 | 2012年9月10日 | 2004年3月-2011年2月 | 4年2か月 | 福岡高裁(上告取下げ) | 福岡 | 11月11日 | 金田勝年 |
2017年(4人執行) | ||||||||
警察庁広域重要指定119号事件 (N) | 61 | 2005年6月7日 | 1991年12月-1992年1月 | 12年1か月 | 最高裁 | 大阪 | 7月13日 | 金田勝年 |
※岡山元同僚女性バラバラ殺人事件(S) | 34 | 2013年3月28日 | 2011年9月30日 | 4年4か月 | 岡山地裁(控訴取下げ) | 広島 | ||
群馬県安中市親子3人殺害事件(松井喜代司[43]) | 69 | 1999年9月13日 | 1994年2月13日 | 18年3か月 | 最高裁 | 東京 | 12月19日 | 上川陽子 |
市川一家4人殺害事件 (S) | 44 | 2001年12月3日 | 1992年3月5日 | 16年0か月 | 最高裁 | 東京 | ||
2018年(15人執行) | ||||||||
オウム真理教事件(松本智津夫) | 63 | 2006年9月15日 | 1989年2月-1995年3月 | 11年9か月 | 東京高裁(控訴棄却) | 東京 | 7月6日 | 上川陽子 |
オウム真理教事件(井上嘉浩) | 48 | 2009年12月10日 | 1994年1月-1995年3月 | 8年5か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
オウム真理教事件(早川紀代秀) | 68 | 2009年7月17日 | 1989年2月3日・1989年11月4日 | 8年11か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
オウム真理教事件(中川智正) | 55 | 2011年11月18日 | 1989年11月-1995年3月 | 6年7か月 | 最高裁 | 広島 | ||
オウム真理教事件(新実智光) | 54 | 2010年1月19日 | 1989年2月-1995年3月 | 8年5か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
オウム真理教事件(遠藤誠一) | 58 | 2011年11月21日 | 1994年6月27日・1995年3月20日 | 6年6か月 | 最高裁 | 東京 | ||
オウム真理教事件(土谷正実) | 53 | 2011年2月15日 | 1994年12月12日・1995年3月20日 | 7年4か月 | 最高裁 | 東京 | ||
オウム真理教事件(小池泰男) | 60 | 2008年2月15日 | 1994年6月27日・1995年3月20日 | 10年5か月 | 最高裁 | 仙台 | 7月26日 | |
オウム真理教事件(宮前一明) | 57 | 2005年4月7日 | 1989年2月10日・1989年11月4日 | 13年3か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
オウム真理教事件(横山真人) | 54 | 2007年7月20日 | 1995年3月20日 | 11年0か月 | 最高裁 | 名古屋 | ||
オウム真理教事件(豊田亨) | 50 | 2009年11月6日 | 1995年3月20日 | 8年8か月 | 最高裁 | 東京 | ||
オウム真理教事件(広瀬健一) | 54 | 2009年11月6日 | 1995年3月20日 | 8年8か月 | 最高裁 | 東京 | ||
オウム真理教事件(端本悟) | 51 | 2007年10月26日 | 1989年11月4日・1994年6月27日 | 10年9か月 | 最高裁 | 東京 | ||
コスモ・リサーチ事件(岡本啓三[44]) | 60 | 2004年9月13日 | 1988年1月29日 | 14年3か月 | 最高裁 | 大阪 | 12月27日 | 山下貴司 |
コスモ・リサーチ事件 (S) | 67 | 2004年9月13日 | 1988年1月29日 | 14年3か月 | 最高裁 | 大阪 | ||
2019年(3人執行) | ||||||||
大和連続主婦強盗殺人事件 (S) | 64 | 2007年11月6日 | 2001年8月28日、9月19日 | 11年8か月 | 最高裁 | 東京 | 8月2日 | 山下貴司 |
福岡3女性連続強盗殺人事件 (S) | 50 | 2011年3月8日 | 2004年12月12日、12月31日・2005年1月18日 | 8年4か月 | 最高裁 | 福岡 | ||
福岡一家4人殺害事件 (W) | 40 | 2011年10月20日 | 2003年6月20日 | 8年2か月 | 最高裁 | 福岡 | 12月26日 | 森まさこ |
2020年代
脚注
注釈
- ^ 1949年5月に一度最高裁で二審の死刑判決が破棄差戻しを受けたが、差戻し審で再度の死刑判決を受け、1951年2月の上告棄却により確定。
- ^ 高橋は1970年(昭和45年)11月13日に開催された中部矯正医学会における講演の中で、「雅樹ちゃん殺しの歯科医Mは、先月(1970年10月)29日に東京拘置所で死刑を執行された。今日はMが死亡してからちょうど15日になる。Mは処刑の前夜に自分宛ての別れの手紙を書いていたが、その文面を見る限りは、かつてMが拘禁反応を起こしていたとは思えない」と述べている[11]。
- ^ a b c 事件名は便宜上のものにしている場合がある
- ^ a b c 実名で活動を行ったか、事件の影響が多大なものになった案件のみ実名を記載した
- ^ a b c d 1988年10月取り下げ。昭和天皇崩御の際に死刑囚の恩赦があることを期待しての行為であったとされるが、死刑囚の恩赦は実施されず。なお、夕張保険金殺人事件で刑死した夫のHは恩赦がないことに感づき、特別抗告の訴えを起こしたが棄却されている[20]。
- ^ 裁判員裁判で死刑が確定し、執行された初めての死刑囚である[32]。
出典
- ^ a b 横浜開港資料館「「不平等条約」の改正展 100年前の7月17日と8月4日」(pdf)『開港のひろば』第65巻、1999年8月4日、3頁。2018年7月15日閲覧。
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- ^ 実名で執筆活動を行っているため記載。
参考文献
- 村野薫『日本の死刑』(第1版第1刷発行)柘植書房、1990年11月25日。ISBN 978-4806802983。
- 村野薫『戦後死刑囚列伝』(増補・改訂)宝島社〈宝島社文庫〉、2002年。ISBN 4-7966-2816-9。
- 佐久間哲『死刑に処す : 現代死刑囚ファイル』自由国民社、2005年。ISBN 4-426-75215-9。
- 事件・犯罪研究会; 村野薫 編『事件・犯罪大事典 : 明治・大正・昭和・平成』東京法経学院出版、2002年。ISBN 4-8089-4003-5。
- 『死刑囚からあなたへ - 国には殺されたくない』 II、死刑囚連絡会議・麦の会編著、インパクト出版会、1990年。ISBN 978-4755400193。
- 高橋良雄(著)、名古屋矯正管区 編集部(編)「極限の心境」『中部矯正』第3巻第2号、名古屋矯正管区、1971年4月1日、10-31頁。 - 矯正図書館(東京都中野区新井)に蔵書あり。1970年(昭和45年)11月13日に愛知県蒲郡市にて開催された中部矯正医学会で、名古屋矯正管区長の高橋が行った講演の要旨。