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2020年11月1日 (日) 11:23時点における版
中根 康浩 なかね やすひろ | |
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2008年2月16日撮影 | |
生年月日 | 1962年8月17日(62歳) |
出生地 | 日本 愛知県岡崎市 |
出身校 | 早稲田大学商学部 |
現職 | 愛知県岡崎市長 |
所属政党 |
(自由民主党→) (新進党→) (民主党(赤松G)→) (民進党(細野G)→) (希望の党→) 無所属 |
称号 | 商学士 |
親族 | 父・中根薫(愛知県議会議員、岡崎市議会議員) |
公式サイト | 地元の課題に取り組む中根やすひろ公式サイト |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2020年10月21日 - 現職 |
選挙区 |
(比例東海ブロック→) (愛知12区→) 比例東海ブロック |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
2003年11月10日 - 2005年8月8日 2009年9月11日 - 2017年9月28日 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1988年10月 - 1991年8月16日 |
中根 康浩(なかね やすひろ、1962年8月17日 ‐ )は、日本の政治家、行政書士。第29代愛知県岡崎市長(1期)。元衆議院議員(4期)、元岡崎市議会議員(1期)、元経済産業大臣政務官(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)。
来歴
愛知県岡崎市滝町に生まれる(現在は同町字松谷に在住[1])。父親の中根薫は1960年代初め、岡崎市青年団体連絡協議会長として青年団活動に力を入れていた[2][3]。その過程で、県議選への出馬を目論んでいた愛知新聞社社主の内田喜久を知る。内田に心酔した中根薫は1962年に生まれた子供に、内田の長男・康宏の名前をとって「康浩」と名付けた。薫は内田を応援し[4]、保守乱戦となった1963年の県議選で内田は初当選した[5]。1971年4月、内田は岡崎市長に初当選。1977年3月、薫は市議を務めるかたわら、滝町字芳殿に「かおる幼稚園」を設立した[6]。
中根康浩は岡崎市立常磐小学校[7]、岡崎市立常磐中学校を経て、1978年に愛知県立岡崎高等学校に入学[8]。
翌1979年、父親の薫が内田市長の全面協力を得て、県議選に自民党公認で立候補。「キク(喜久)かおる(薫)」をキャッチフレーズに選挙を戦い、トップ当選を果たした[3][9]。当選後は内田市政と県政を結ぶパイプ役を自任。内田との密着度を深めた[3][注 1]。
衆議院が解散した1980年5月19日、政治団体「明日の岡崎をきずく会」は内田の長男の内田康宏を擁立[12]。中根薫は同僚の柴田尚道県議に「市長が自分の息子を出すなど論外」と洩らしながらも[13]、内田康宏の選対委員長を務めた[14]。康宏は6月22日に行われた総選挙で次点で落選。薫が党規に背いてまで無所属の康宏を応援するかどうかを懸念していた内田喜久は、薫に現金500万円を供与していた[15]。このため内田は逮捕され、薫も7月10日に公選法違反容疑で逮捕された[注 2]。公判では一貫して無罪を主張し[15]、1983年の県議選に無所属で立候補。裁判中の内田の支援を受け、得票数3位で再選[18]。しかし最高裁が1985年4月15日付で上告を棄却すると、有罪判決(懲役2年、執行猶予5年、追徴金500万円)の確定前に県議を辞職した[19]。
中根康浩はこの間、1981年に早稲田大学商学部に順調に進学し、1985年に同大学を卒業した[20]。同年4月、戸塚進也衆議院議員の秘書となる[21][注 3]。
1988年10月、岡崎市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選[22]。自民党系の会派「自由民主クラブ」に所属[23]。
杉浦正健派の現金買収事件
1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙において自民党の杉浦正健が2期目の当選を果たすが、翌2月19日、杉浦の後援会事務局長の鈴木康夫が逮捕され、票の取りまとめに関する現金買収事件が発覚した[24]。会派「自由民主クラブ」所属の岡崎市議24人のうち、被買収容疑で起訴された市議は20人に及んだ。同年3月19日、中根も同容疑により書類送検された[25]。政情不安をよそに父親の薫は次期市長選出馬を目指し、3月6日に開いた会合で政治活動を再開すると宣言した[26]。
ほとんどの市議が罪状を認めたが、中根は「金は父の後援会が受け取った」と全面否認した[27]。8月から9月にかけて17人が辞職[28]。残る中根勝美、中根康浩、八田二郎の3人は辞職を拒んだため、11月4日の補欠選挙後、3氏に対する辞職勧告の請願が議会に提出される。同請願は12月定例会でも1991年の3月定例会でも不採択となった[29][30]。
1991年8月16日、市議を辞職[31][32]。同年9月4日、検察は中根康浩と中根勝美に対し「両被告は現金を受け取ったことを弁解しており、反省していない」として懲役10月、追徴金30万円を求刑した[33][注 4]。
1992年7月26日、岡崎市長選挙が執行される。現職の中根鎭夫が前市議の都築末二、中根薫、日本共産党公認の八木隆宜らを破り4期目の当選を果たした。中根鎭夫70,319票、都築29,005票、中根薫22,900票、八木6,343票。惨敗したが、薫は開票後の取材に対し「再度挑戦したい」と答えた[36]。その夢は時を経て息子の康浩に託されることとなった[37]。
県議選落選、衆議院へ
父親の薫は1992年10月18日に行われた市議選に立候補し、康浩と入れ替わりで初当選した。自民党は「自民クラブ」と「清風クラブ」の二つの会派に分かれ、薫は前者に所属した[38]。中根康浩は県議会議員への出馬を考えるが、岡崎市選挙区は自民党議員が定数4のうち3人も議席を占めており、入り込む余地はなかった。1993年6月23日、羽田孜ら羽田派の国会議員は自民党を離党して新生党を結成。1994年5月23日、新生党県連は、翌年の県議選公認候補者に中根を選び、党本部に公認申請した[39]。同年12月10日、新生党、公明党の一部、民社党などが結集し、新進党が結党される。新進党ブームに沸く中、党は中根と旧民社党現職の小見山徹之助の二人に公認を出した[40]。
1995年4月の県議選で、全トヨタ労連を支持母体とする小見山はトップ当選。中根は副党首の羽田孜や幹事長代行の渡部恒三らを応援弁士に招くも[41]、次点で落選した。同年9月、行政書士の資格を取得[21]。その後新進党を離党。民主党に入党し、1999年までに同党の愛知12区支部長に選ばれる[42]。
2000年2月末、全トヨタ労連の推薦を受け、4月中旬から労連幹部とともに旧民社系労組を回り始めた[42]。それから間もなくして森喜朗首相が発した「神の国発言」により、衆議院解散の時期が早まる。6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙に愛知12区から民主党公認で立候補したが、非自民の票が中根と自由党の都築譲に分散し、 自民党現職の杉浦正健が順調に当選。候補者6人中、上位3人の得票数は、杉浦:117,475票、中根:81,826票、都築:33,052票。都築は中根の半分にも満たない得票数であったものの、比例名簿2位で登載されていたため比例復活で当選し、中根は落選。
2003年の第43回衆議院議員総選挙では、選挙区で再び杉浦に敗れるが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選(都築は民由合併により愛知15区へ国替えし、再び比例復活で当選した)。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、前回総選挙の票数に1万票以上上積みしたが、杉浦に敗れ、比例復活ならず落選[43]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、愛知12区で初めて杉浦を破り、4年ぶりに国政に復帰[44]。なお民主党には、同一の選挙区で3度落選した候補者は公認しない内規が存在していたが、この総選挙において中根は年齢的な若さも考慮され、特例で公認を受けた。
2011年、牧義夫衆議院議員が2月の知事選、名古屋市長選や4月の統一地方選挙惨敗の責任をとって、民主党愛知県連の代表を辞任。同年6月4日、その後任として県連代表に就任[45]。
2012年2月10日、復興庁発足に伴う補充人事により野田第1次改造内閣で経済産業大臣政務官に任命され、野田第2次改造内閣まで務める。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、愛知12区から民主党公認、国民新党推薦で出馬。選挙区では自民党新人の青山周平に敗れるが、比例復活し、3選[46]。2013年3月17日、衆院選惨敗の責任をとって民主党県連代表を辞任[47]。
2014年衆議院議員選挙
2014年の第47回衆議院議員総選挙には愛知12区から出馬する予定であった。ところが公示日前日の12月1日午前、民主党の海江田万里代表から電話で「小選挙区を降りて比例区に回ってほしい」と告げられる。同日午後、岡崎市の事務所を訪れた岡田克也代表代行からも「比例東海ブロック単独1位とする。決定を受け入れられないなら無所属で出馬してくれ」と命じられ、比例区単独に回ることを決めた。岡田は中根に「ここで譲歩しないと、維新の党は全国すべての地域での連携を見直すと言っている」と述べ、維新の党側から圧力があったこともほのめかした。この鞍替えにより、外形上、民主党は12区の候補者を維新の党の重徳和彦に一本化した形となった[48][49][50]。連合愛知は12区については自主投票とした[51]。
12月14日、投開票。比例単独1位で早々と当選を決め、4選を果たした[52]。つねづね維新は官公労に批判的だったことから[53]、12区の組合票の行方が注目されたが重徳は青山を約1万3千票差で下し選挙区で初めて当選した[54]。
2017年衆議院議員選挙
2016年3月27日、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加した[55]。同年8月20日、民進党の玄葉光一郎選対委員長は、次期衆院選愛知12区の公認候補を重徳和彦とし、中根を次回衆院選に限り比例東海ブロックの単独1位にすると発表した。あわせて重徳は比例に重複立候補しないことも定められた[56][57]。
2017年9月28日、臨時国会の召集冒頭で衆議院が解散した日の夜、重徳和彦の選対本部長として選挙対策会議に出席していた中根の携帯電話に民進党幹部から連絡が入った[58]。それは「愛知12区からの立候補」の打診であった。「(重徳との競合で)自民党を利することになるだけだ」と提案を固辞すると、民進党との間で交わした比例単独1位の約束は「すべてリセットする」と告げられる[59]。10月3日、希望の党は1次公認のリストを発表。当初、愛知7区の公認候補に中根の名前が載っていたものの、なぜかその日のうちに消されていた[60]。第2次公認発表直前の10月4日夕方、民進党の玄葉光一郎総合選対本部長代行から、山尾志桜里への刺客を意味する愛知7区の公認内定の連絡を受ける[61][注 5]。中根はこのときすでに7区での出馬準備を進めていたが、関係者から「7区に行けば岡崎を歩けなくなる」と国替えを思いとどまるよう説得され、結局辞退した[58][65]。第48回衆議院議員総選挙では小選挙区からの出馬を断念し、順位はともかくも比例単独名簿に登載されることを希望の党に求めた[66][67]。希望の党の比例代表名簿発表は公示日当日の10月10日までずれ込み[68]、かつ順位が判明したのは同日の午後であった。中根は比例東海ブロックの単独24位に選ばれた[69]。
同年10月22日、投開票。希望の党が同ブロックで獲得した5議席のうちに含まれず落選[70]。
2020年岡崎市長選挙
2019年8月8日、翌年10月に実施予定の岡崎市長選挙に立候補する意向を固めたことが明らかとなった[37]。
2020年10月18日、岡崎市長選挙の投開票の結果、現職内田康宏を破り、当選[71]。10月21日、岡崎市長に就任。
※当日有権者数:307,734人 最終投票率:57.25%(前回比:+2.55pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
中根康浩 | 58 | 無所属 | 新 | 103,080.948票 | 59.4% | (自主支援)日本共産党[72] |
内田康宏 | 67 | 無所属 | 現 | 70,469.051票 | 40.6% | (推薦)自由民主党・立憲民主党・公明党・国民民主党・連合愛知 |
衆議院議員総選挙の記録
執行日 | 選挙 | 選挙区 | 所属党派 | 当落 |
---|---|---|---|---|
2000年6月25日 | 第42回 | 愛知12区 | 民主党 | 落 |
2003年11月9日 | 第43回 | 愛知12区 | 民主党 | 比当 |
2005年9月11日 | 第44回 | 愛知12区 | 民主党 | 落 |
2009年8月30日 | 第45回 | 愛知12区 | 民主党 | 当 |
2012年12月16日 | 第46回 | 愛知12区 | 民主党 | 比当 |
2014年12月14日 | 第47回 | 比例東海ブロック | 民主党 | 当 |
2017年10月22日 | 第48回 | 比例東海ブロック | 希望の党 | 落 |
人物・主張
- 家族は妻、長女、次女。
- 障害者対策で民主党の責任者を務めたことがある[73]。次女が知的障害者として生まれたことが政治活動の原点だと言い、共著の対談集『親~障害の子のいる幸せ・かなしみ』(2007年)を出版している[74]。
- 制定時の障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)について「自立支援を名目にしつつ、明らかに福祉財政の抑制のために導入された」という見解をもっている[75]。
- 2020年の岡崎市長選挙では、新型コロナウイルスの経済対策で全市民への5万円の給付を訴えた[76]。
脚注
注釈
- ^ ただし1979年10月の第35回衆院選では、内田喜久が中野四郎の選対委員長を務める一方で[10]、中根薫は新人の浦野烋興を支援。岡崎地区の最高責任者として采配を振った[11]。
- ^ 中根薫の逮捕容疑は以下の2点。(1)1980年5月下旬ごろ、自宅を訪れた内田喜久市長と腹心の岩瀬信一市議の二人から内田康宏候補への投票と票のとりまとめを頼まれ、報酬として現金500万円を受け取った。(2)公示後の6月8日ごろ、岡崎市鴨田町広元の選挙事務所で内田、岩瀬、浅井正三市議、萩原智市議ら幹部4人と買収工作を共謀。4、5日の間に浅井を通じて「自民クラブ」市議20数人に20万円ずつを渡した[16][17]。
- ^ 戸塚進也は1974年の参院選に自民党公認で立候補し初当選。在職中の1983年、衆院選旧静岡1区に無所属で立候補し初当選した。中根が戸塚の秘書になったのはその頃。
- ^ 中根勝美は1991年11月に懲役10月、執行猶予4年の実刑を受け控訴。しかし勝訴の見込みがないと分かると12月20日に控訴を取り下げ辞職した[34]。政界引退後の2017年、第47回衆議院議員総選挙で自民党現職の青山周平の選対事務長を務めるが[35]、青山はこの年の選挙で中根康浩とともに議席を失った。
- ^ 希望の党は2017年の衆院選において、民進党を飛び出して立憲民主党から出馬する現職または元職には積極的に「刺客」を差し向けた[62]。立憲民主の候補と希望の候補が共倒れする選挙区も多く見られ、その行為は、中根が言うように「自民党を利することになるだけ」のものとして人々の目に映った[59]。以下は「刺客」の主な例。
- 愛知1区 - 元職の吉田統彦に対し、減税日本の名古屋市会議員の佐藤夕子を擁立。
- 愛知3区 - 現職の近藤昭一に対し、減税日本の名古屋市会議員を擁立。
- 愛知5区 - 現職の赤松広隆に対し、稲沢市議会議員を擁立。
- 東京5区 - 元職の手塚仁雄に対し、神奈川8区(比例復活)の自民党衆議院議員の福田峰之を擁立。
- 東京6区 - 現職の落合貴之に対し、香川県選出の元参議院議員の植松恵美子を擁立。
- 東京7区 - 現職の長妻昭に対し、都民ファーストの会代表の荒木千陽都議の父親で、熊本県議会議員の荒木章博を擁立[63]。
- 東京22区 - 元職の山花郁夫に対し、女性弁護士を擁立。
- 千葉6区 - 元職の生方幸夫に対し、福岡1区(比例復活)の元衆議院議員の遠藤宣彦を擁立。
- 神奈川1区 - 現職の篠原豪に対し、神奈川4区の元衆議院議員の長島一由を擁立。
- 福岡1区 - 元職の山本剛正に対し、日本のこころ福岡支部長を擁立[64]。
出典
- ^ “政治資金収支報告書 民主党愛知県第12区総支部(平成27年分 定期公表)” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2016年11月28日). 2017年11月30日閲覧。
- ^ 『愛知新聞』1960年1月6日、「明るい地域社会建設へ 岡崎市青年団体連絡協議会長 中根薫」。
- ^ a b c 『中日新聞』1980年7月10日付夕刊、1面、「中根薫県議逮捕へ 内田派違反 現金ばらまき共謀も」。
- ^ 『中日新聞』1980年7月10日付夕刊、D版、11面、「シラ切り通した〝参謀〟 買収の謀議知らない 〝容疑〟をきっぱり否定 内田派違反」。
- ^ 『愛知新聞』1963年4月18日、「開票結果 午後11時結了 岡崎市(定員四人、立候補七人)」。
- ^ 『岡崎教育史要 Ⅵ』岡崎市教育委員会、2011年3月31日、418頁。
- ^ 中根康浩Twitter 2017年11月26日
- ^ 『岡高同窓会名簿 1986』 愛知県立岡崎高等学校同窓会長、1986年10月1日、499頁。
- ^ 『愛知県議会史 第十三巻』愛知県議会、2008年3月15日、249頁。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (24) せめぎ合い 太田氏(社)引退で加熱 内田封じに中根派懸命」 『朝日新聞』1980年11月20日付朝刊、三河版西。
- ^ 『東海愛知新聞』1979年9月26日、1面、「総選挙事務所めぐり (5) 浦野候補 自新 中央から大物応援 支持層掘り起こしへ」。
- ^ 『東海愛知新聞』1980年5月20日、1面、「四区は七人の争いか 衆院解散 参院と初の同日選挙」。
- ^ 『中日新聞』1980年7月10日付夕刊、D版、10面、「弱みからズルズル? 取り調べの中根薫県議 内田と根深い関係」。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (80) 山本五十六 軍艦になぞらえ奮起」 『朝日新聞』1981年3月18日付朝刊、三河版西。
- ^ a b 『朝日新聞』1981年6月23日付朝刊、12版、18面、「岡崎落城一年(中) 外堀埋め 市の犯罪徐々に解明 相手方の有罪、次々確定」。
- ^ 『朝日新聞』1980年7月11日付朝刊、13版、1面、「500万円受領・買収謀議の容疑 中根県議を逮捕」。
- ^ 『中日新聞』1980年7月11日付朝刊、1面、「中根薫県議を逮捕 共謀、市議に現金配る」。
- ^ 『東海愛知新聞』1983年4月11日、1面、「旧内田票を固める 岡崎 三位当選の中根氏」。
- ^ 『東海愛知新聞』1985年4月19日、1面、「中根薫県議(岡崎)が辞職」。
- ^ 公式サイト - 経歴・役職
- ^ a b 時事ドットコム:国会議員 中根 康浩(なかね やすひろ)
- ^ “岡崎の選挙記録 - 岡崎市議会議員選挙” (PDF). 岡崎市役所. 2018年4月8日閲覧。
- ^ 『岡崎市議会史 下巻』岡崎市議会史編纂委員会、1992年10月22日、764頁。
- ^ 『中日新聞』1990年2月20日付朝刊、31面、「後援会事務局長も 愛知4区杉浦派」。
- ^ 『東海愛知新聞』1990年3月20日、1面、「新たに副議長を逮捕 杉浦事件 市議7人が書類送検」。
- ^ 『中日新聞』1990年4月7日付朝刊、30面、「追跡 票とカネ 第一部、買収の現場から (5) 10年前の教訓 身を律した逮捕の屈辱」。
- ^ 『中日新聞』1990年5月29日付朝刊、29面、「3被告は罪状認める 杉浦氏派違反6市議初公判」。
- ^ 岡崎市議会100周年記念誌編集委員会 『岡崎市議会のあゆみ』 岡崎市議会、2017年3月、209頁。
- ^ “岡崎市議会 平成3年3月 総務常任委員会 03月15日-01号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 平成3年3月 定例会 03月22日-08号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 『岡崎市議会史 下巻』岡崎市議会史編纂委員会、1992年10月22日、767頁。
- ^ 『東海愛知新聞』1991年8月17日、「中根康市議が辞職 岡崎 公選法違反で係争中」。
- ^ 『中日新聞』1991年9月5日付朝刊、30面、「岡崎市議ら2人に懲役10月を求刑 杉浦氏派選挙違反」。
- ^ 『東海愛知新聞』1991年12月21日、「中根勝市議が辞職 控訴も取り下げ」
- ^ 『三河新報』2017年10月24日、2面、「西尾の開票は23日夜以降 台風21号の影響で佐久島の投票箱届かず 青山陣営『勝利信じ開票待つ』」。
- ^ 『東海愛知新聞』1992年7月27日、1面、「中根鎭夫氏、史上初の4選 3新人を大差で破る 投票率59% 現職の強み発揮」。
- ^ a b “中根前衆院議員、出馬意向 20年10月の岡崎市長選”. 中日新聞. (2019年8月8日) 2019年8月10日閲覧。
- ^ 岡崎市議会100周年記念誌編集委員会 『岡崎市議会のあゆみ』 岡崎市議会、2017年3月、211頁。
- ^ 『中日新聞』1994年5月24日付朝刊、県内版、16面、「県議ら一次公認の20人申請 統一地方選で新生党県連」。
- ^ 『中日新聞』1994年12月27日付朝刊、県内版、12面、「統一地方選 第一次公認、推薦候補を発表 新進党 目立つ新人の擁立」。
- ^ 『中日新聞』1995年4月4日付朝刊、県内版、14面、「県議選 話題区を探る (下) 稲沢市 新人6人が大混戦 海部・江崎系とも分裂」。
- ^ a b 萩文明「迫る解散 総選挙2000あいち 全15区を歩く(2)」 『中日新聞』2000年4月26日付朝刊、県内版、16面。
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- ^ 川原田喜子「見極める衆院選 あいち 私の信条(上) 12区 岡崎・西尾市、額田郡」 『中日新聞』2012年12月6日付朝刊、西三河版、25面。
- ^ 岡田稔久、中根やすひろ、大塚晃、辻川圭乃、野沢和弘『親~障害の子のいる幸せ・かなしみ』Sプランニング、2007年。ISBN 978-4903604084。
- ^ 相坂穣「約束します 三河の衆議院議員に聞く (3) 12区 中根康浩さん」 『中日新聞』2009年9月24日付朝刊、三河版、16面。
- ^ “1人5万円公約、お金どこから? 市長「裏技あるかも」”. 朝日新聞. (2020年10月21日) 2020年10月22日閲覧。
外部リンク
- 市長の部屋/岡崎市
- 地元の課題に取り組む中根やすひろ公式サイト
- 中根康浩 (@shinshin1962) - X(旧Twitter)
公職 | ||
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先代 内田康宏 |
愛知県岡崎市長 2020年 - |
次代 現職 |
先代 北神圭朗 柳澤光美 |
経済産業大臣政務官 北神圭朗と共同 2012年 |
次代 岸本周平 本多平直 |