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2015年10月、[[防衛大臣政務官]]に就任。2017年7月、所属していた[[番町政策研究所|山東派]]が麻生派と合流し、新派閥[[志公会]](麻生派)となったが参加を見合わせた<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 |title=新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2017-07-03}}</ref>。 |
2015年10月、[[防衛大臣政務官]]に就任。2017年7月、所属していた[[番町政策研究所|山東派]]が麻生派と合流し、新派閥[[志公会]](麻生派)となったが参加を見合わせた<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASK7352KQK73UTFK00P.html?iref=comtop_8_02 |title=新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=[[朝日新聞社]] |accessdate=2017-07-03}}</ref>。 |
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2017年[[10月22日]]の[[第48回衆議院議員総選挙]]では、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]公認の吉田、[[希望の党]]公認の佐藤夕子らを破り、3選。吉田は比例復活により2期目の当選を果たした<ref>[http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/kaihyo/A23.html 愛知-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル]</ref>。 |
2017年[[10月22日]]の[[第48回衆議院議員総選挙]]では、[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]公認の吉田、[[希望の党]]公認の佐藤夕子らを破り、3選。吉田は比例復活により2期目の当選を果たした<ref>[http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/kaihyo/A23.html 愛知-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル]</ref>。 |
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== 政策 == |
== 政策 == |
2020年11月1日 (日) 10:26時点における版
熊田 裕通 くまだ ひろみち | |
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生年月日 | 1964年8月28日(60歳) |
出生地 | 愛知県名古屋市西区 |
出身校 | 神奈川大学法学部卒業 |
前職 |
海部俊樹議員秘書 愛知県議会議員 |
所属政党 |
(新進党→) 自由民主党 (山東派→菅義偉G) |
称号 | 法学士(神奈川大学・1988年) |
公式サイト | くまだ裕通 公式サイト 自民党 衆議院 愛知第一区支部長(名古屋市東区、北区、西区、中区) |
選挙区 | 愛知1区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2012年12月18日[1] - 現職 |
選挙区 | 名古屋市西区選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1995年4月 - 2012年11月 |
熊田 裕通(くまだ ひろみち、1964年8月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。選挙運動などではくまだ 裕通名義を使用することがある。
海部俊樹元内閣総理大臣の秘書、愛知県議会議員(5期)、防衛大臣政務官、愛知県議会議会運営委員長、愛知県議会警察委員長、名古屋競輪組合議会議長などを歴任した。
来歴
生い立ち
愛知県名古屋市西区生まれ[2]。名古屋市立庄内小学校を経て、名古屋市立名塚中学校を卒業した[3]。小学4年生のとき、ロッキード事件にからんで国会の様子をテレビで観たことをきっかけに、国会議員を志す[4]。父が衆議院議員の海部俊樹の熱心な支持者であったこともあり、このころ海部と面識を持つ[4]。
愛知高等学校卒業後、神奈川大学法学部法律学科に進学した[3]。キャンパス内の学生運動が「時代遅れ」「上滑り」だとして、運動家に議論を吹っかけたり、卵を投げつける等した[5]。
1988年3月、神奈川大学を卒業[3]。同年4月、海部の秘書となる[6]。
1989年7月24日、宇野宗佑首相が参院選惨敗の責任をとり辞意を表明。自民党最大派閥の竹下派は自派候補の擁立を見送り、河本派の海部俊樹を担ぐ道を選ぶ[7]。同年8月8日に行われた自民党総裁選挙で海部が新総裁に当選し、第1次海部内閣が発足したことに伴い、熊田は総理大臣公邸に常駐することになった[8]。
地元の名古屋市西区選出の愛知県議会議員は吉岡よしき(社会党)、古橋利夫(自民党)、山内清(自民党)の3人が議席を占めていたが[9]、古橋が任期中の1991年12月6日に死去。すぐさま、熊田を古橋の後継に推す嘆願書が海部のもとへ届けられ、そこから署名運動まで起こり、約5千人の署名が集まった[10][11]。選挙区擁立の署名者に戸別訪問を始めたが当初の反応は冷たいものだったという[11]。1993年12月、秘書を退職[6]。
政治家として
1994年6月の首班指名に際して、海部は自民党を離党。同年12月10日には新進党を結党した。これに追随し、1995年4月の愛知県議会議員選挙・名古屋市西区選挙区には新進党公認・公明党推薦で立候補した。同選挙区は定数が3から2に削減されたため激戦が予想されたが、熊田は初出馬ながら1位当選。吉岡よしきは2位で当選し、自民党現職の山内清は落選した[12][6][11]。
1999年4月の愛知県議会議員選挙から自民党の公認を受けた。愛知県議会議員団の政務調査会長、副団長、副幹事長などを歴任した[13]。また、議会運営委員長や警察委員長などを務めるとともに、一部事務組合である名古屋競輪組合が設置する議会においては議長を務めた[14]。2011年、5期目の当選を果たす。
2012年11月、愛知県議会議員を辞職[6]。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に愛知1区から立候補し初当選した[1]。民主党から日本未来の党に移った佐藤夕子、比例東海ブロックから国替えした民主党の吉田統彦の両候補は票を食い合い、比例復活もかなわなかった。小選挙区制度への移行後、愛知1区では自由民主党初の選挙区当選だった[15]。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、民主党の吉田、減税日本の新人ら5名の候補者を破り再選[16]。
2015年10月、防衛大臣政務官に就任。2017年7月、所属していた山東派が麻生派と合流し、新派閥志公会(麻生派)となったが参加を見合わせた[17]。
2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙では、立憲民主党公認の吉田、希望の党公認の佐藤夕子らを破り、3選。吉田は比例復活により2期目の当選を果たした[18]。
政策
- 日本国憲法
- 憲法改正に賛成(2012年衆院選時点アンケート)[19]。
- 集団的自衛権
- 集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すことに賛成(2012年衆院選時点アンケート)[19]。
- 核武装
- 日本の核武装について今後の国際情勢によっては検討すべきとしている(2012年衆院選時点アンケート)[19]。
- 皇室制度
- 女性宮家の創設に反対(2012年衆院選時点アンケート)[19]。
- 環太平洋パートナーシップ協定
- 日本の環太平洋パートナーシップ協定参加に反対(2012年衆院選時点アンケート)[19]。
- 夫婦別姓
- 2017年の朝日新聞によるアンケートにおいて、選択的夫婦別姓制度導入に反対、としている[20]
- 消費税
- 「消費税0%の検討」を掲げた『国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言』に賛同している[21]。
批判
2015年8月、自身のwebサイトの一部に掲載した内容に批判が相次いだ[22]。熊田は記述を削除した上、謝罪文を掲載した[22][23]。
- 削除した内容
- 謝罪文
このたび私のHP上に記載した、若い頃にやってしまった度を過ぎた悪戯について、各方面より多くのご批判を頂きました。ご不快な思いをされたすべての皆様と、関係各位に心よりお詫び申しあげます。なお当該記事は削除させて頂きました。ご理解頂きますようお願い申しあげます。 — くまだ裕通、「議員への道」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所
海部俊樹の秘書として
- アパートの壁を故意に破壊
- 海部俊樹の秘書になったころは、激務であるにもかかわらず、支払われる給与はアパートの家賃よりも安かったため、強い不満を抱いていた[24]。そのため、アパートの壁を破壊することで、一日の鬱憤を晴らしていた[24]。しかし、その結果としてアパートの壁が穴だらけとなり、管理人から叱責されるという騒動を起こした[24]。後年、秘書一年目のころを振り返り「『いじめじゃないのか』と思うくらい辛い日々でした」[24]と回顧している。
- アメリカ合衆国大統領からの電話を切る
- 秘書として仕えた海部俊樹が内閣総理大臣に就任したため、秘書として総理大臣公邸に詰めることになった。このころ、アメリカ合衆国大統領のジョージ・ブッシュが、湾岸戦争について海部と協議するため、自ら直接電話をかけてきた。このとき、既に海部は就寝していたため、警護官らと寛いでいた熊田が電話をとることになった。しかし、熊田にはブッシュの話が全く理解できなかったため、独断で悪戯電話と判断し電話を切ってしまった。その後、ブッシュは自ら何度も総理大臣公邸に電話をかけたが、そのたびに熊田が勝手に電話を切ってしまった。何度電話しても海部に取り次がずに切られてしまうため、業を煮やしたブッシュは、やむを得ず外務省経由で海部に連絡を取ることになった[24]。
人物
所属団体・議員連盟等
脚注
- ^ a b 平成24年(2012年)12月18日愛知県選挙管理委員会告示第111号(衆議院小選挙区選出議員選挙の当選者)
- ^ 「くまだ裕通プロフィール」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
- ^ a b c 「学歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
- ^ a b 「『僕は政治家になりたい』小学生の一途な夢」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ)
- ^ 「少年の憧れが『決意』に成長」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ)
- ^ a b c d 「職歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
- ^ 奥島貞雄『自民党幹事長室の30年』中公文庫、2005年9月25日、233頁。
- ^ 「一大転機、海部代議士が首相になった!」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ)
- ^ 『愛知県議会史 第十四巻』愛知県議会、2010年12月10日、265頁。
- ^ 「『くまだを県議に』5000人が署名」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ)
- ^ a b c 「つらくて、悔しくて、そして嬉しくて」『くまだ裕通 議員への道』くまだ裕通事務所。(アーカイブ)
- ^ 愛知県議選 平成7年 - 選挙マニア 選挙資料室
- ^ 「主な自由民主党職歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
- ^ 「主な県議会職歴」『くまだ裕通 くまだ裕通プロフィール』くまだ裕通事務所。
- ^ “衆院選 喜びの当選者 決意新たに街へ”. 読売新聞・中部朝刊・名古屋市内: p. 33. (2012年12月18日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ 愛知 - 開票速報 - 2014衆院選:朝日新聞デジタル
- ^ “新・麻生派、59人で発足 自民党第2派閥に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社) 2017年7月3日閲覧。
- ^ 愛知-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
- ^ a b c d e “2012衆院選 愛知1区 熊田裕通”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年4月19日閲覧。
- ^ 2017年衆院選、候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)
- ^ “賛同者一覧 国民を守るための「真水100兆円」令和2年度第2次補正予算に向けた提言”. 【議員連盟】日本の未来を考える勉強会. 2020年9月23日閲覧。
- ^ a b 自民:ネット炎上、国会議員2人が記事を削除毎日新聞
- ^ 議員への道 - くまだ裕通公式サイト 2015年8月6日閲覧
- ^ a b c d e 熊田裕通. “くまだ裕通 議員への道”. 2015年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月27日閲覧。
- ^ a b “北九州市医報(平成29年7月)第720号 - オリンピックと屋内全面禁煙法・条例(その33)”. 北九州市医師会 (2017年7月1日). 2018年7月21日閲覧。
- ^ “2019年12月号_2面”. 全国たばこ新聞 (全国たばこ販売協同組合連合会). (2019年11月25日) 2020年7月21日閲覧。
- ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
- ^ 「自民勉強会発言――安保国会新たな火種」『毎日新聞』50135号、14新版、毎日新聞東京本社、2015年6月27日、3面。
外部リンク
- くまだ裕通公式サイト
- 熊田裕通 (hiromichi.kumada.1) - Facebook
- 熊田裕通 (@kumadahiromichi) - X(旧Twitter)
公職 | ||
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先代 長谷川岳 寺田稔 |
総務副大臣 新谷正義と共同 2020年 - |
次代 現職 |
先代 原田憲治 石川博崇 |
防衛大臣政務官 藤丸敏と共同 2015年 -2016年 |
次代 小林鷹之 宮澤博行 |