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1989年8月自由民主党総裁選挙

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1989年8月自由民主党総裁選挙

1989年6月 ←
1989年8月8日
→ 1991年

選挙制度 両議院議員総会による選出
有権者数 党所属衆議院議員:295
党所属参議院議員:109
地方代議員票  :047
合計      :451

 
候補者 海部俊樹 林義郎 石原慎太郎
投票 279 120 48




選挙前総裁

宇野宗佑

選出総裁

海部俊樹

1989年8月自由民主党総裁選挙(1989ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1989年(平成元年)8月8日に行われた日本自由民主党党首である総裁選挙である。

概要

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1989年7月24日、第15回参議院議員通常選挙で自民党が過半数を下回る大敗をし総裁宇野宗佑が退陣を表明。宇野の総裁選出宇野内閣発足からわずか2か月後に実施された。

リクルート事件の影響で事件に関与した安倍晋太郎宮澤喜一渡辺美智雄といった派閥の長が立候補できない中にあって、竹下派が影響力を残せる候補が模索された結果、「時計の針を戻さず進めず」(高齢だった河本敏夫のように世代交代に逆行するわけでもなく、当選回数がより少ない橋本龍太郎のように世代交代が進んで竹下登安倍晋太郎といった世代の出番がなくなることもない)として年齢の割に当選回数が多かった元文部大臣河本派海部俊樹が擁立された。竹下・安倍・河本の三派連合により海部の当選は確定的であったが、旧田中派二階堂グループの林義郎宮澤派の支援のもと立候補し、他に安倍派を除名されていた亀井静香は海部・林には投票する気がなかった為に平沼赳夫園田博之と共に安倍派の石原慎太郎を担ぎ出したが推薦人集めに苦労し、太田誠一山中貞則などが石原の20人の推薦人になったものの、48票に終わった[1]

この時の総裁選から、総裁候補がテレビ番組に出演して政見を語るなどをして、総裁選において総裁候補と国民との距離を縮める手法が行われるようになってきている。

選挙データ

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総裁

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投票日

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選挙制度

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1回目の投票で有効投票の過半数に達しない場合は、上位2人による決選投票となる。決選投票は、国会議員の投票と各都道府県連1票ずつで行われる。
投票方法
秘密投票、単記投票、1票制
選挙権
党所属国会議員、党都道府県支部連合会地方代議員
被選挙権
党所属国会議員
有権者
451
  • 党所属衆議院議員:295
  • 党所属参議院議員:109
  • 地方代議員   :047

選挙活動

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候補者

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林義郎 海部俊樹 石原慎太郎
衆議院議員
(7期・山口1区
厚生大臣(1982-1983)
党経理局長
衆議院議員
(10期・愛知3区
文部大臣(1985-1986)
党国会対策委員長(1976)
衆議院議員
(6期・東京2区
運輸大臣(1987-1988)
木曜クラブ
二階堂進グループ)
番町政策研究所
河本敏夫派)
清和会
安倍晋太郎派)
山口県 愛知県 東京都

選挙結果

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候補者別得票数

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e • d  1989年8月自由民主党総裁選挙 1989年(平成元年)8月8日施行
候補者 得票数 得票率
海部俊樹 279 62.42%
林義郎 120 26.85%
石原慎太郎 48 10.74%
総計 447 100.0%
有効投票数(有効率) 447 99.11%
無効票・白票数(無効率) 4 0.89%
投票者数(投票率) 451 100.0%
棄権者数(棄権率) 0 0.00%
有権者数 451 100.0%
出典:中日新聞

脚注

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  1. ^ 週刊現代、2018年12月22日号, 64-65頁、亀井静香の政界交差点/石原慎太郎-総裁選の推薦人集めで奔走した深夜

参考文献

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  • 後藤謙次『ドキュメント 平成政治史 1 崩壊する55年体制』岩波書店、2014年4月17日。ISBN 978-4000281676 
  • 海部俊樹『政治とカネ―海部俊樹回顧録』新潮新書、2010年11月20日。ISBN 978-4-10610394-0 
  • 海部俊樹著、垣見洋樹編『海部俊樹回想録―自我作古』人間社、2015年12月1日。ISBN 978-4931388956 

外部リンク

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