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レギュラーシーズンでは、3月31日の開幕戦(対ロッテ戦)に「4番・一塁手」で先発出場し今季初安打を記録すると<ref>{{Cite web|date=2017-03-31|url=http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/stats/2017033101/|title=2017/03/31(金)第1回戦 福岡ソフトバンク vs 千葉ロッテ|publisher=福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト|accessdate=2017-12-13}}</ref>、4月2日の同カード第3戦では今季第1号となるソロ本塁打を放つなど<ref>{{Cite web|date=2017-04-03|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1801919.html|title=ソフトバンク内川先制弾&V打 監督「さすが4番」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、WBC出場の影響をみせず、4月25日には対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦の試合前練習で左手甲に打球が当たり打撲するアクシデントがあったが、この日2安打を記録するなど<ref>{{Cite web|date=2017-04-26|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1813405.html|title=ソフトバンク4番内川強行!左手負傷もなんの2安打|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>3月・4月は打率.340・5本塁打の好成績でスタートする。その後も5月25日の対ロッテ戦で移籍後初の3試合連続本塁打を放つなど好調を維持していたが<ref>{{Cite web|date=2017-05-25|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1829601.html|title=移籍後初3試合連続弾ソフトバンク内川「たまたま」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、6月2日のセ・パ交流戦(対横浜DeNA戦)の打席でスイングした際に首の左側を痛めて負傷交代し、翌3日に一軍出場選手登録を抹消された<ref>{{Cite web|date=2017-06-03|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1834311.html|title=ソフトバンク内川が首の左側を痛め登録を抹消|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。その後の検査で頸椎捻挫と診断され[[リハビリテーション|リハビリ]]組での調整となったが<ref>{{Cite web|date=2017-06-20|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1843426.html|title=ソフトバンク内川「憧れの選手」井口引退を惜しむ|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、6月27日に一軍復帰し<ref>{{Cite web|date=2017-06-27|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1846618.html|title=ソフトバンク内川ら登録/プロ野球27日公示|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、6月29日の対日本ハム戦で先制となる適時打を放った<ref>{{Cite web|date=2017-06-29|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1847673.html|title=ソフトバンク内川が復帰初適時打「ベースさまさま」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。7月14日・15日両日に開催された[[2017年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|マイナビオールスターゲーム2017]]では、[[アルフレド・デスパイネ]]とともに選手間投票で選出され<ref>{{Cite web|date=2017-06-29|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1847614.html|title=ソフトバンク内川、デスパイネが選手間投票で球宴|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、14日の第1戦で決勝打を含む2安打を放ち、4年ぶり2度目のオールスターゲームMVPを獲得する<ref>{{Cite web|date=2017-07-14|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1855508.html|title=ソフトバンク内川2度目MVP「申し訳ないなと」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。しかしオールスターゲーム後の7月23日、対ロッテ戦で一塁の守備で打球を処理した際に左手を負傷。腫れが引かなかったため25日に[[仙台市|仙台市内]]の病院でMRI検査・CT検査を受けた結果、「左手母指基節骨尺側基部の剥離骨折で全治6週間の見込み」と診断され離脱を余儀なくされた<ref>{{Cite web|date=2017-07-26|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1862414.html|title=ソフトバンク内川、左手剥離骨折で全治6週間|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。シーズン終盤の9月30日、対[[オリックス・バファローズ]]戦でようやく一軍復帰し適時打を放ったが<ref>{{Cite web|date=2017-09-30|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201709300000677.html|title=ソフトバンク内川CS行ける!復帰初安打が適時打|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、レギュラーシーズンは怪我の影響もあって73試合出場と10年ぶりに出場100試合を割り、同じく10年ぶりに規定打席到達とシーズン100安打も逃すなど、レギュラーに定着した2008年以降では最低の成績に終わった。本塁打は12本と二桁に乗せたものの、確実視されていた通算2000本安打の達成は持ち越しとなった。怪我による長期の離脱期間はあったが、シーズン前半の活躍で2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
レギュラーシーズンでは、3月31日の開幕戦(対ロッテ戦)に「4番・一塁手」で先発出場し今季初安打を記録すると<ref>{{Cite web|date=2017-03-31|url=http://www.softbankhawks.co.jp/gamelive/stats/2017033101/|title=2017/03/31(金)第1回戦 福岡ソフトバンク vs 千葉ロッテ|publisher=福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト|accessdate=2017-12-13}}</ref>、4月2日の同カード第3戦では今季第1号となるソロ本塁打を放つなど<ref>{{Cite web|date=2017-04-03|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1801919.html|title=ソフトバンク内川先制弾&V打 監督「さすが4番」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、WBC出場の影響をみせず、4月25日には対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦の試合前練習で左手甲に打球が当たり打撲するアクシデントがあったが、この日2安打を記録するなど<ref>{{Cite web|date=2017-04-26|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1813405.html|title=ソフトバンク4番内川強行!左手負傷もなんの2安打|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>3月・4月は打率.340・5本塁打の好成績でスタートする。その後も5月25日の対ロッテ戦で移籍後初の3試合連続本塁打を放つなど好調を維持していたが<ref>{{Cite web|date=2017-05-25|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1829601.html|title=移籍後初3試合連続弾ソフトバンク内川「たまたま」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、6月2日のセ・パ交流戦(対横浜DeNA戦)の打席でスイングした際に首の左側を痛めて負傷交代し、翌3日に一軍出場選手登録を抹消された<ref>{{Cite web|date=2017-06-03|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1834311.html|title=ソフトバンク内川が首の左側を痛め登録を抹消|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。その後の検査で頸椎捻挫と診断され[[リハビリテーション|リハビリ]]組での調整となったが<ref>{{Cite web|date=2017-06-20|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1843426.html|title=ソフトバンク内川「憧れの選手」井口引退を惜しむ|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、6月27日に一軍復帰し<ref>{{Cite web|date=2017-06-27|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1846618.html|title=ソフトバンク内川ら登録/プロ野球27日公示|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、6月29日の対日本ハム戦で先制となる適時打を放った<ref>{{Cite web|date=2017-06-29|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1847673.html|title=ソフトバンク内川が復帰初適時打「ベースさまさま」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。7月14日・15日両日に開催された[[2017年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|マイナビオールスターゲーム2017]]では、[[アルフレド・デスパイネ]]とともに選手間投票で選出され<ref>{{Cite web|date=2017-06-29|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1847614.html|title=ソフトバンク内川、デスパイネが選手間投票で球宴|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、14日の第1戦で決勝打を含む2安打を放ち、4年ぶり2度目のオールスターゲームMVPを獲得する<ref>{{Cite web|date=2017-07-14|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1855508.html|title=ソフトバンク内川2度目MVP「申し訳ないなと」|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。しかしオールスターゲーム後の7月23日、対ロッテ戦で一塁の守備で打球を処理した際に左手を負傷。腫れが引かなかったため25日に[[仙台市|仙台市内]]の病院でMRI検査・CT検査を受けた結果、「左手母指基節骨尺側基部の剥離骨折で全治6週間の見込み」と診断され離脱を余儀なくされた<ref>{{Cite web|date=2017-07-26|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1862414.html|title=ソフトバンク内川、左手剥離骨折で全治6週間|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。シーズン終盤の9月30日、対[[オリックス・バファローズ]]戦でようやく一軍復帰し適時打を放ったが<ref>{{Cite web|date=2017-09-30|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201709300000677.html|title=ソフトバンク内川CS行ける!復帰初安打が適時打|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>、レギュラーシーズンは怪我の影響もあって73試合出場と10年ぶりに出場100試合を割り、同じく10年ぶりに規定打席到達とシーズン100安打も逃すなど、レギュラーに定着した2008年以降では最低の成績に終わった。本塁打は12本と二桁に乗せたものの、確実視されていた通算2000本安打の達成は持ち越しとなった。怪我による長期の離脱期間はあったが、シーズン前半の活躍で2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。


楽天との[[2017年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズファイナルステージ]]では、第1戦から第4戦まで4試合連続で本塁打を放つ活躍を見せ自身通算3度目のMVPを獲得<ref>{{Cite web|date=2017-10-22|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201710220000507.html|title=ソフトバンク内川MVP 5戦連続打点!最後もV打|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。古巣・横浜DeNAとの[[2017年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第6戦では、9回一死の場面で[[山康晃]]から同点となるソロ本塁打を放つ活躍で優秀選手に選ばれた<ref name="2017shuki" />。
楽天との[[2017年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズファイナルステージ]]では、第1戦から第4戦まで4試合連続で本塁打を放つ活躍を見せ自身通算3度目のMVPを獲得<ref>{{Cite web|date=2017-10-22|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201710220000507.html|title=ソフトバンク内川MVP 5戦連続打点!最後もV打|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2017-12-13}}</ref>。古巣・横浜DeNAとの[[2017年の日本シリーズ|日本シリーズ]]第6戦では、9回一死の場面で[[山康晃]]から同点となるソロ本塁打を放つ活躍で優秀選手に選ばれた<ref name="2017shuki" />。


シーズンオフの12月18日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、このシーズンで4年契約は満了となったが、新たに2018年シーズンからの2年契約、5,000万円アップの年俸4億円プラス出来高(金額は推定)で契約合意に達した<ref name="sanspo.com171218">{{Cite web|date=2017-12-18|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20171218/haw17121815150004-n1.html|title=ソフトバンク・内川が5000万円増の4億円+出来高払いで更改 新たに2年契約|publisher=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]]|accessdate=2017-12-26}}</ref>。
シーズンオフの12月18日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、このシーズンで4年契約は満了となったが、新たに2018年シーズンからの2年契約、5,000万円アップの年俸4億円プラス出来高(金額は推定)で契約合意に達した<ref name="sanspo.com171218">{{Cite web|date=2017-12-18|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20171218/haw17121815150004-n1.html|title=ソフトバンク・内川が5000万円増の4億円+出来高払いで更改 新たに2年契約|publisher=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]]|accessdate=2017-12-26}}</ref>。

2020年10月29日 (木) 03:25時点における版

内川 聖一
福岡ソフトバンクホークス #1
2011年4月16日、福岡 Yahoo! JAPANドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県大分市
生年月日 (1982-08-04) 1982年8月4日(42歳)
身長
体重
185 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2000年 ドラフト1位
初出場 2001年3月30日
年俸 2億6000万円(推定)+出来高(2020年)
[1][2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2009年2013年2017年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2009 野球
2013 野球
2017 野球

内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手内野手外野手、右投右打)。福岡ソフトバンクホークス所属。妻は元フジテレビアナウンサー長野翼

概要

NPBにおける、右打者史上最高打率記録保持者 (.378。2008年) 、史上2人目の両リーグでの首位打者及び最多安打獲得者、歴代4位タイ(右打者としては落合博満と並び1位タイ)の7年連続打率3割達成者、通算で8回の打率3割達成者(歴代14位タイ)であるなど、日本球界を代表するアベレージヒッターである。

短期決戦の鬼[3]ミスター短期決戦[4][5]の異名を持つ。2019年のクライマックスシリーズ(CS)のファーストステージ終了時点で、CS通算10本塁打(CS歴代1位)[6]、CSでのMVP3回(CS歴代1位)[7]、日本シリーズMVP1回などの記録を持つ。

2019年には一塁手としてNPB史上2人目、パ・リーグでは初の守備率10割(無失策)をマークし、自身初となるゴールデングラブ賞に輝いた。プロ19年目・37歳での初受賞は最高齢記録かつ最遅記録である。

経歴

プロ入り前

父親が国東高校の野球部の監督を務めていた頃の教え子が吉田豊彦であり、子供の頃からの知り合いだった。子供の頃にプロ野球に興味を持った最初の球団は、吉田が入団した南海ホークスで、南海ホークスのユニフォーム型のパジャマを着ていた[8]

大分工業高校時代は、1年生の秋に骨に穴があく骨嚢腫により左かかとを3回に亘って手術し3ヶ月の入院生活を送りながらも、通算43本の本塁打を記録した。3年夏の高校野球大分大会には主将として遊撃手で出場したが、決勝戦で中津工業高校にチームは1安打に封じられ、0対4で敗れ準優勝となり、甲子園には出場できなかった[9]

2000年11月17日に行われたプロ野球ドラフト会議横浜ベイスターズから1巡目指名を受けて入団[10]広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチの大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている[11]。後に2017年の日本シリーズ福岡ソフトバンクホークスの選手としてベイスターズと対戦した後の手記に、「プロでやれる自信もなかったし、大学に行けば4年夏にアテネ五輪を迎えることができた。当時の代表はアマチュア選手が中心の編成。縦じまで、左胸に日の丸が入ったユニホームを着たいという夢があった。ただ、プロで通用しなかったとしても大学には入れるけど、大学に行ってもプロになれるとは限らない。そう思ってプロ入りを決断した。横浜が足の病気を理解してくれていたことも大きかった。」という趣旨を書いている[12]背番号は「25」。

横浜時代

2001年は3試合ながらプロ1年目から一軍を経験。7月20日に東京ドームで行われたフレッシュオールスターゲーム遊撃手として途中出場し、7回に佐竹健太から二塁打を放ち、得点も記録した[13]。二軍ではイースタン・リーグ3位となる四球47を記録した。

2002年から背番号を「2」に変更し、代打として42試合に出場、70打席ながら打率.333、2本塁打と結果を残した。二軍では7月11日に長野オリンピックスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに2年連続で選出され、5番三塁手で先発出場し、藤川球児から安打を放ち得点も記録、7回から二塁手で出場した[14]

2003年のキャンプ中、突然右目の視力が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した石井琢朗に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすら出来なくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は二塁手として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって頚椎神経を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増されたが結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した。

2004年は7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁での先発出場が多くなったものの、2005年は二塁は種田仁の起用が多く、代打での出場が多くなった。

この頃について、内川自身は、2017年日本シリーズ後の手記で「5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島裕之片岡治大が活躍し始め、置いていかれる感覚があった。」という趣旨を書いている[12]

2006年は二塁手の種田が不振に陥ったが、内川自身の送球難から左翼手や一塁手に回る事も多かった。初めて100試合出場と100安打以上を達成したが規定打席には届かなかった。

2007年は本格的に外野手へ転向され、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず降格した時もあったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。

2008年は開幕から打撃好調で4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームに監督推薦で外野手部門で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年ロバート・ローズを抜き、日本人選手のセ・リーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は1951年読売ジャイアンツ川上哲治の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。

横浜時代(2009年、阪神甲子園球場)

2009年は開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出された(上記「日の丸のユニホーム」を着る夢もかなった[12])。同大会では第1ラウンド2回戦の対韓国戦に6番・一塁手として先発出場。金廣鉉から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に張洹三から同点本塁打を放った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では高永民が打った鋭い当たりにスライディングで好捕し、正確な送球でバッターランナーを二塁でアウトにする好プレーを見せた[15]。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を放ち、走者として決勝の得点を踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打であった。

シーズンでは同じく日本代表に選出された村田修一が大会期間中の3月30日に右脚を故障したため、内川は開幕4番打者を務め、全打順での試合出場を達成。アレックス・ラミレスと首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.318[16]を記録した。この年外野手として獲得したダン・ジョンソンが怪我で一塁しか守れないこともあり、同年は主に左翼を守った。

ただ、内川は、この頃の心境について2017年の手記で「レギュラー、主力と立ち位置が変わるにつれ、自分の成績だけでは満足できずイライラが募り始めた。だけど誰も、チームが強くなるすべを知らない」と書いている[12]

2010年3月24日にフジテレビアナウンサー長野翼結婚した[17](同年シーズンオフの12月18日に挙式[18])。6月3日に国内FA権を獲得した。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、小椋真介から自身初の満塁本塁打を放った。当初は主に3番一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に獲得したブレット・ハーパーが一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。この年、10月2日の対巨人戦第23回戦(東京ドーム)第2打席、無死1・2塁の場面で放った三塁ゴロによりトリプルプレーを記録している。

シーズン終了後の11月8日、FA権行使を表明[19]。ソフトバンクと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行い、12月1日にソフトバンクへ移籍することを表明した[20]

ソフトバンク時代

2010年12月6日、福岡ソフトバンクホークスと正式に契約を交わし、同じく移籍加入した細川亨とともに入団会見を行った[21]。契約内容は4年契約で総額5億6,000万円から13億6,000万円(金額は推定)の間での変動制で、背番号は第2回WBCでも着用した「24」。

2011年は、4月に打率.397、安打・塁打(38)でリーグトップ、打点・二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した[22][23]。さらに交流戦では打率 .326(交流戦6位)・20打点(交流戦4位)・4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した[24]。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、江藤慎一(中日・ロッテ)以来史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得した。オフに背番号をこの年限りで現役引退した柴原洋の「1」へ変更[25]

2012年6月5日に球団のTwitterで、夫人が5日に福岡市内の病院にて、体重3,956gの女児を出産したことを発表した。6月に月間打率.128と苦しんだが、7月からは打率.346で、5年連続となる打率.300を記録し、最多安打のタイトルを獲得した。契約更改では、現状維持の1億7,000万円(金額は推定)で更改した。

2013年2月20日に第3回WBC日本代表28名に選出された[26]。3月24日のオランダ戦では、2回表に今大会初の本塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。しかし準決勝のプエルトリコ戦では、2点ビハインドの8回裏一死一二塁の場面で投球直後に一塁走者だった内川が走ったものの、二塁走者だった井端弘和が二塁ベース上に留まっていたため、一・二塁間の挟殺プレーでアウトとなりチームの反撃の機会を逸する結果となった。

シーズンでは、4月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で吉見祐治[注 1]から史上267人目となる通算100号本塁打を放った。8月は打率.350・5本塁打・21打点を記録し通算3度目となる月間MVPを受賞[27]。本塁打(19本)・打点(92打点)は自己最高をマーク、打率も6年連続となる3割越えを記録する活躍で3年連続5度目のベストナインを受賞した[28]。この年の契約更改では、4年契約の3年目であったが、球団はこの契約を結び直す形で新たに2014年からの4年契約を提示、内川もこれに合意した。

2014年も、7月には打率.330・20打点を挙げる活躍で自身4度目の月間MVPを受賞するなど[29]、打撃好調でリーグ優勝、CS制覇、日本シリーズ優勝に大きく貢献した。日本シリーズではMVPを獲得した。オフの10月9日に日米野球2014日本代表に選出された[30]

2015年3月24日、福岡ソフトバンクホークスのキャプテンに就任する。キャプテン制を敷くのは2012年シーズンの小久保裕紀以来で、球団の福岡移転後では、秋山幸二(1999年~2002年)、小久保裕紀(2009年~2012年)に次いで歴代3人目となる[31]。同年から監督に就任した工藤公康は、前年全試合で4番を打った李大浩の打点量産を期待して5番で起用しており、内川は4番打者を担当した。打率は.284で8年連続打率3割はならなかったが、キャプテン・4番打者として優勝に大きく貢献した。

クライマックスシリーズファイナルステージでは3試合連続で決勝タイムリーを打ち、2011年に続く2度目のMVPを獲得した。しかし、日本シリーズ開幕前に肋骨骨折が発覚し、欠場せざるを得なくなった。だがチームは内川不在を感じさせない試合運びで第3戦以外を勝利し、4勝1敗で2年連続となる日本シリーズ優勝となった。

10月9日には第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された[32]が、11月1日に前述の怪我のため辞退した[33]。12月22日に福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目となる来季を3000万円増の年俸3億3,000万円プラス出来高払い(金額は推定)でサインした[34]

2016年年7月20日、第二子となる男児が誕生したと報じられた[35]。同年は李大浩の退団により本格的に一塁手へ転向(選手登録は外野手のまま)。この年も4番に固定され、141試合の出場で2年ぶりの3割台となる打率.304を記録し、自身初の100打点超えとなる106打点を記録した。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[36]

2017年1月28日に第4回WBC日本代表メンバーに選出される[37]。ところが2月25日、所属チームであるソフトバンクとの練習試合で一塁守備の際に打者走者の斐紹と交錯し、負傷交代する[38]。同日、宮崎市内の病院でX線検査・MRI検査を受けた結果、脱臼や骨の異常はなく「右肩打撲」と診断された[39]。その後は問題なく試合に出場し[40]、3月14日の対キューバ代表では8回に代打で登場し勝ち越しとなる犠飛を放って勝利に貢献する[41]

レギュラーシーズンでは、3月31日の開幕戦(対ロッテ戦)に「4番・一塁手」で先発出場し今季初安打を記録すると[42]、4月2日の同カード第3戦では今季第1号となるソロ本塁打を放つなど[43]、WBC出場の影響をみせず、4月25日には対北海道日本ハムファイターズ戦の試合前練習で左手甲に打球が当たり打撲するアクシデントがあったが、この日2安打を記録するなど[44]3月・4月は打率.340・5本塁打の好成績でスタートする。その後も5月25日の対ロッテ戦で移籍後初の3試合連続本塁打を放つなど好調を維持していたが[45]、6月2日のセ・パ交流戦(対横浜DeNA戦)の打席でスイングした際に首の左側を痛めて負傷交代し、翌3日に一軍出場選手登録を抹消された[46]。その後の検査で頸椎捻挫と診断されリハビリ組での調整となったが[47]、6月27日に一軍復帰し[48]、6月29日の対日本ハム戦で先制となる適時打を放った[49]。7月14日・15日両日に開催されたマイナビオールスターゲーム2017では、アルフレド・デスパイネとともに選手間投票で選出され[50]、14日の第1戦で決勝打を含む2安打を放ち、4年ぶり2度目のオールスターゲームMVPを獲得する[51]。しかしオールスターゲーム後の7月23日、対ロッテ戦で一塁の守備で打球を処理した際に左手を負傷。腫れが引かなかったため25日に仙台市内の病院でMRI検査・CT検査を受けた結果、「左手母指基節骨尺側基部の剥離骨折で全治6週間の見込み」と診断され離脱を余儀なくされた[52]。シーズン終盤の9月30日、対オリックス・バファローズ戦でようやく一軍復帰し適時打を放ったが[53]、レギュラーシーズンは怪我の影響もあって73試合出場と10年ぶりに出場100試合を割り、同じく10年ぶりに規定打席到達とシーズン100安打も逃すなど、レギュラーに定着した2008年以降では最低の成績に終わった。本塁打は12本と二桁に乗せたものの、確実視されていた通算2000本安打の達成は持ち越しとなった。怪我による長期の離脱期間はあったが、シーズン前半の活躍で2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージでは、第1戦から第4戦まで4試合連続で本塁打を放つ活躍を見せ自身通算3度目のMVPを獲得[54]。古巣・横浜DeNAとの日本シリーズ第6戦では、9回一死の場面で山﨑康晃から同点となるソロ本塁打を放つ活躍で優秀選手に選ばれた[12]

シーズンオフの12月18日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、このシーズンで4年契約は満了となったが、新たに2018年シーズンからの2年契約、5,000万円アップの年俸4億円プラス出来高(金額は推定)で契約合意に達した[1]

2018年、この年から正式に内野手登録となった[55]。5月9日の対西武戦(メットライフドーム)で、NPB史上51人目の通算2000安打を達成した。同5日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で王手をかけてから14打席連続無安打と足踏みしていた中での達成となった。ホークス球団の選手としては前身の南海・ダイエーを含めて史上7人目[56]で、35歳9カ月での達成は1970年の野村克也(35歳3カ月)に次ぐ球団史上2番目の年少記録となった。 また初出場から1800試合目での記録達成は榎本喜八(1830試合)を抜いて歴代9位、右打者としてはアレックス・ラミレス長嶋茂雄に次ぐ歴代3位の速さとなった[57]

2018年6月29日、ヤフオクドームにて試合前に名球会入りのセレモニーが開かれ、日本プロ野球名球会顧問の王貞治から名球会のブレザーが贈られた[58]

しかし、2000本安打達成後は4月に受けた右膝死球による右膝痛に加え、5月に左足くるぶしへ自打球を受け離脱、8月には疲労性の体調不良で再度離脱するなどケガにも苦しみ、シーズン全体では71試合の出場で.242の打率にとどまるなど前年の成績をさらに下回る不本意なシーズンとなった。

2019年からチームの主将制度が廃止され、ユニフォームから「C」マークが外されることになった。また、球場の電光掲示板に表示される登録名をフルネームの「内川聖一」に変更し、心機一転を図った[59]。これに伴い、背ネームも「UCHIKAWA」から「S.UCHIKAWA」に変更された。春季キャンプ中の2月13日に第3子となる男児が誕生した。シーズンでは打率.256に留まったものの、3年ぶりに規定打席に到達。チームもペナントレースでは2年連続の2位に終わったが、前年同様クライマックスシリーズを突破し球団史上初の日本一3連覇に輝いた。 また、一塁手としてNPB史上2人目、パ・リーグでは初の守備率10割(無失策)をマークし、自身初となるゴールデングラブ賞に輝いた。プロ19年目・37歳での初受賞は最高齢記録かつ最遅記録である。

2020年10月28日、プロ20年目の今季は2軍で3割4分の高打率を残しながら昨日まで1軍昇格ならず、ポストシーズンも出場機会を得ることは難しく、来季の戦力構想からも外れていると自ら判断し、現役続行を模索して同日までに球団へ退団の意向を申し入れた[60]

選手としての特徴

打席での内川(2010年)

打撃

早打ち型で三振四球はともに少ないが、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年のリーグ最高通算打率.317を誇っている。元々は球を前で捌く打撃に自信を持っていたが、当時横浜の一軍打撃コーチであった杉村繁から、球を体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる[61]。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した[62]。また、和田一浩がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている[63]

首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強く、統一球導入後も通算打率.318と左右の違いを苦にしていない。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の原辰徳にこの点が評価され[64]、左投手の先発試合では積極的に6番で起用された。

2018年5月9日の2000本安打達成時点で右方向への安打が580本と29%を占める[65]

守備・走塁

右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力を備えている[66]

外野守備ではライト線近くの打球に弱く、右翼手での守備範囲は平均を下回るが[67]左翼守備では2012年にUZR3.5と平均を上回る数値を記録した[68]内野守備ではフィールディングは悪くないが、イップスのため短い距離の送球が出来ないこともあり、スローイングに難があると評されるも[62]、外野守備でのスローイングは比較的安定している[66]。2019年シーズンは一塁手として130試合に出場し、1094度の守備機会で無失策。一塁手の守備率10割を記録したのはパ・リーグでは内川が初めてで、NPB全体を通しても2018年のホセ・ロペスに次いで2人目である[69]。同年オフに、NPB史上最遅記録となる19年目でのゴールデングラブ賞初受賞を果たしている[70]

評価

メジャーのスカウトからは前述の第2回WBCでの好送球とバットスピードが速い点から「ジェイソン・ワースを思わせる」と評価された[71]

人物

  • 父の内川一寛は、大分県国東高校の野球部の監督を歴任しており、内川も大分工業高校では父の指導を仰いだ[9]
  • シーズンオフには「チーム内川」と称される合同自主トレを行っており、上林誠知らホークスの選手のみならず、球団の垣根を越えて白崎浩之松本啓二朗鈴木誠也小窪哲也上本崇司など内川を慕う他球団の選手が参加している[72][73]。現在は独り立ちして自身で自主トレを行っているが、過去には今宮健太も参加していた[74]
  • 大相撲琴奨菊と親交があり、家族ぐるみの付き合いをしている[75]。琴奨菊が度々ホークスの試合を観戦する姿もみられる[76]
  • プロサッカー選手田中隼磨とは横浜在籍時(田中は横浜F・マリノス在籍時)より親交があり、内川が田中の在籍する松本山雅FCの試合観戦に訪れたり[77][78]、また田中もホークスの宮崎キャンプを訪問する[79]などの交流がある。田中は「同じプロアスリートとして自分にとって凄く大切な存在」と評している。
  • 横浜時代の個人応援歌1993年高木豊の応援歌として制作されたものの流用)は、東京女子流が2010年に発売したシングル「頑張って いつだって 信じてる」のサビに取り入れられており、同グループのメンバーである新井ひとみは、内川が通算2000安打を達成した翌日に自身のTwitterで「内川選手 おめでとうございます 今でも内川選手の応援歌 歌わせていただいています」とツイートしている[80]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001 横浜 3 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2002 42 73 66 11 22 4 1 2 34 7 0 0 3 0 4 1 0 13 1 .333 .371 .515 .887
2003 45 161 150 20 47 5 0 4 64 18 4 4 6 0 5 0 0 13 1 .313 .335 .427 .762
2004 94 369 338 55 97 11 1 17 161 45 2 7 12 1 18 0 0 42 7 .287 .322 .476 .798
2005 90 262 234 33 64 11 0 5 90 23 1 1 6 1 19 1 2 36 10 .274 .332 .385 .717
2006 124 439 402 41 115 15 2 4 146 34 8 3 7 3 22 0 5 64 9 .286 .329 .363 .692
2007 92 274 247 24 69 17 3 7 113 29 3 4 4 1 16 0 6 37 9 .279 .337 .457 .795
2008 135 544 500 83 189 37 1 14 270 67 2 3 5 4 31 1 4 49 7 .378 .416 .540 .956
2009 132 552 503 65 160 32 2 17 247 66 1 5 2 4 42 5 1 56 16 .318 .369 .491 .860
2010 144 637 577 75 182 36 4 9 253 66 1 2 3 4 47 1 6 51 17 .315 .371 .438 .809
2011 ソフトバンク 114 463 429 48 145 21 3 12 208 74 4 0 0 7 25 1 2 48 3 .338 .371 .485 .856
2012 138 567 523 44 157 21 3 7 205 53 6 4 0 7 31 6 6 36 12 .300 .342 .392 .734
2013 144 633 570 76 180 33 1 19 272 92 1 0 0 5 46 0 12 47 23 .316 .376 .477 .853
2014 122 534 488 50 150 26 1 18 232 74 0 0 0 7 34 6 5 48 5 .307 .354 .475 .829
2015 136 585 529 60 150 24 1 11 209 82 1 0 0 7 45 2 4 55 24 .284 .340 .395 .735
2016 141 605 556 62 169 19 0 18 242 106 3 2 0 9 38 2 2 53 27 .304 .345 .435 .781
2017 73 300 266 31 79 13 0 12 128 50 0 1 0 2 32 0 0 26 9 .297 .370 .481 .851
2018 71 296 281 27 68 11 0 8 103 30 1 1 0 3 9 0 3 32 6 .242 .270 .367 .637
2019 137 535 500 49 128 21 0 12 185 41 3 0 1 4 28 4 2 49 16 .256 .296 .370 .666
通算:19年 1977 7831 7161 855 2171 357 23 196 3162 957 41 37 49 69 492 30 60 755 202 .303 .350 .442 .791
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績

















































2009 日本 6 20 18 3 6 1 0 1 10 4 0 1 0 0 2 0 0 1 1 .333 .400 .556
2013 6 25 23 4 8 0 1 1 13 4 1 2 0 0 1 0 1 3 1 .348 .400 .565
2017 6 10 8 1 3 2 0 0 5 3 0 0 0 1 2 0 0 1 0 .375 .455 .625

年度別守備成績

内野守備


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2001 横浜 - - - 2 0 3 0 0 1.000
2002 - 16 34 32 1 9 .985 2 0 1 0 0 1.000 2 0 1 0 1 1.000
2003 1 3 0 0 0 1.000 24 49 63 4 11 .966 - 18 28 60 5 7 .946
2004 - 82 196 274 10 56 .979 - 9 5 14 2 2 .905
2005 4 6 1 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000 9 4 10 1 1 .933 -
2006 43 328 14 1 27 .997 60 128 174 10 37 .968 1 0 3 0 0 1.000 -
2007 - - - -
2008 119 1094 75 5 96 .996 - - -
2009 - - - -
2010 73 651 38 4 47 .994 - - -
2011 ソフトバンク - - - -
2012 - - - -
2013 - - - -
2014 - - - -
2015 3 13 0 0 0 1.000 - - -
2016 114 908 82 6 68 .994 - - -
2017 72 527 36 2 38 .996 - - -
2018 71 582 37 3 37 .995 - - -
2019 130 1001 93 0 79 1.000 - - -
通算 630 5113 376 21 392 .996 183 407 544 25 113 .974 12 4 14 1 1 .947 31 33 78 7 9 .940
外野守備


外野












2005 横浜 59 78 0 1 0 .987
2006 12 13 1 0 0 1.000
2007 79 119 1 2 0 .984
2008 11 12 0 0 0 1.000
2009 130 216 1 3 1 .986
2010 72 127 6 0 2 1.000
2011 ソフトバンク 88 126 3 0 1 1.000
2012 136 236 7 1 2 .996
2013 106 170 7 0 1 1.000
2014 63 102 0 0 0 1.000
2015 114 182 4 3 2 .984
2017 2 0 0 0 0 .000
通算 872 1381 32 10 9 .993
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はNPBでの歴代最高
  • 太字年ゴールデングラブ賞受賞年

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
通算記録
  • 打率.3096(史上8位、現役選手中1位)[83]

※2018年度シーズン終了時

その他の記録

背番号

  • 25(2001年)
  • 2(2002年 - 2010年)
  • 24(2011年、2009年WBC2013WBC
  • 1(2012年 - )

登場曲

現在の登場曲

[84]

過去の登場曲

代表歴

関連情報

出演

CM

脚注

注釈

  1. ^ 内川と吉見は共に2000年ドラフトで横浜より指名され入団した同期生である。
  2. ^ イチロー以来の5打席連続安打。

出典

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  15. ^ 第2回WBCのこのプレーで、内川は2009年の公式戦観戦に訪れた皇太子徳仁親王家への挨拶を果たしている(プロ野球 逆境に勝った男たち(3)内川聖一”. 2017年11月19日閲覧。)。
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関連項目

外部リンク