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ダイヤモンドの鷹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ダイヤモンドの鷹」
竜童組シングル
初出アルバム『『'98福岡ダイエーホークス ダイヤモンドの鷹/いざゆけ若鷹軍団/選手別応援歌』他』
リリース
規格 8センチCD
ジャンル 球団歌
レーベル EPIC/ソニー
作詞・作曲 作詞:阿久悠
作曲:宇崎竜童
竜童組 シングル 年表
BUBBLE UP BOOGIE
(1989年)[注 1]
ダイヤモンドの鷹
(1989年)[注 1]
オリエンタルムーン
(1989年)
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ダイヤモンドの鷹」(ダイヤモンドのたか)は、竜童組の4枚目のシングル日本プロ野球パシフィック・リーグ(パ・リーグ)に所属する福岡ソフトバンクホークスの前身球団、福岡ダイエーホークスの球団歌である。作詞・阿久悠、作曲・宇崎竜童1989年平成元年)3月1日にEPIC/ソニー(現エピックレコードジャパン)より発売された。

解説

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創設以来大阪府を本拠としていた南海ホークスを南海電気鉄道からダイエーが買収、1989年シーズンより福岡ダイエーホークスへ球団名を変更し、福岡県を新たな本拠として再出発するに当たり制作され、1月19日博多駅隣のホテルセントラーザ博多において開催された披露パーティーの席で発表された[1]。本曲について作曲を担当した宇崎は「ファンクでノリのいい作品にしようと思い、最高にファンキーでビビッドな曲に仕上がった」と、また作詞を担当した阿久は「涙が出るくらいの昂揚で、それこそ鷹になってダイヤモンドに散ってもらいたい」とコメントしたが[1]、それまでの軍歌行進曲風の曲調が主流であった球団歌のイメージからかけ離れたロック調の本曲に対して山内孝徳は「ナウすぎて、ついていけない」と評し、監督杉浦忠も「すぐには覚えられないなあ」とコメントするなど、選手や監督の評価は芳しいものではなかった[1]

ファンの間でも本曲より同年に一般公募を経て製作・発表された公式応援歌いざゆけ若鷹軍団」の方が圧倒的な支持を獲得し、1993年(平成5年)の新本拠地・福岡ドーム完成以降はその傾向が一層、顕著となる。本楽曲は試合前の練習中や、本拠地最終戦終了後のセレモニー等でしか使用されなくなり、1999年(平成11年)に球団が南海時代以来26年ぶりのリーグ優勝と35年ぶりの日本シリーズ制覇を達成し、福岡に限らず全国のダイエー店舗で記念セールが実施された際は店内のBGMとして「いざゆけ若鷹軍団」が演奏されるなど、正式な球団歌である「ダイヤモンドの鷹」の地位は年を追って相対的に低下。作詞者の阿久は自分の曲が使われなくなったことを「遺憾に思う」と嘆いた[2]。なお1990年シーズン以降はダイエー球団の選手別応援歌および、「ダイヤモンドの鷹」や「いざゆけ若鷹軍団」などを収録したCDが毎年発売されていたが[注 2]、「ダイヤモンドの鷹」は2000年版を最後に収録されなくなった。

そして2004年(平成16年)のシーズン終了後、ダイエーが産業再生法の適用に伴いソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)へ球団を売却し、球団名が福岡ソフトバンクホークスへ改称された際に、それまでは公式応援歌であった「いざゆけ若鷹軍団」が正式に球団歌となり「ダイヤモンドの鷹」は球団歌としての役目を終えた。

脚注

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注釈

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  1. ^ a b この2枚は1989年3月1日に同時発売された。
  2. ^ 1990年 - 1998年はニュートーラスから、1999年はダイエー球団から、2000年 - 2001年および2004年はSixbeat Recordsより発売。2002年・2003年は一般販売されていない[3]

出典

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  1. ^ a b c 日めくりプロ野球1月 > 【1月19日】1989年(平1) 若鷹軍団、福岡へ飛来 必要経費は4億円」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2007年12月26日。オリジナルの2008年1月20日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ 「阿久悠の歌もよう人もよう」『産経新聞』2003年10月11日付東京本社22面・2003年10月11日付大阪本社24面。
  3. ^ SIXBEAT RECORDS / 2004福岡ダイエーホークス”. 有限会社シックスビート (2004年). 2023年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ2023年6月1日閲覧。

関連項目

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先代
南海ホークスの歌
(1952年 - 1988年)
福岡ダイエーホークス
球団歌
3代: ダイヤモンドの鷹
(1989年 - 2004年)
次代
いざゆけ若鷹軍団
(2005年 - 現在)