コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「渝州」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 涿汶涪戢愷异彧などを含む記事の改名に伴うリンク修正依頼 (涪陵郡) - log
5行目: 5行目:


== 隋代 ==
== 隋代 ==
[[581年]]([[開皇]]元年)、隋により楚州は渝州と改められ、3郡3県を管轄した。[[583年]](開皇3年)、隋が郡制を廃すると、渝州の属郡の[[巴郡]]・七門郡・[[フウ陵郡|涪陵郡]]は廃止された。[[607年]]([[大業]]3年)に州が廃止されて郡が置かれると、渝州は巴郡と改称され、下部に3県を管轄した<ref>『[[隋書]]』地理志上</ref>。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
[[581年]]([[開皇]]元年)、隋により楚州は渝州と改められ、3郡3県を管轄した。[[583年]](開皇3年)、隋が郡制を廃すると、渝州の属郡の[[巴郡]]・七門郡・[[涪陵郡]]は廃止された。[[607年]]([[大業]]3年)に州が廃止されて郡が置かれると、渝州は巴郡と改称され、下部に3県を管轄した<ref>『[[隋書]]』地理志上</ref>。隋代の行政区分に関しては下表を参照。


{| align=center class="wikitable" style="width:600px; text-align:center"
{| align=center class="wikitable" style="width:600px; text-align:center"
15行目: 15行目:
|州||colspan="3"|'''渝州'''||郡||'''巴郡'''
|州||colspan="3"|'''渝州'''||郡||'''巴郡'''
|-
|-
||郡||[[巴郡]]||[[七門郡]]||[[フウ陵郡|涪陵郡]]||rowspan="2"|県||rowspan="2"|[[巴南区|巴県]] [[江津区|江津県]] [[フ陵区|涪陵県]]
||郡||[[巴郡]]||[[七門郡]]||[[涪陵郡]]||rowspan="2"|県||rowspan="2"|[[巴南区|巴県]] [[江津区|江津県]] [[フ陵区|涪陵県]]
|-
|-
|県||[[巴南区|巴県]]||[[江津区|江陽県]]||[[フ陵区|漢平県]]
|県||[[巴南区|巴県]]||[[江津区|江陽県]]||[[フ陵区|漢平県]]

2020年9月14日 (月) 22:48時点における版

渝州(ゆしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から北宋にかけて、現在の重慶市中西部に設置された。

魏晋南北朝時代

南朝梁蕭紀(皇位僭称552年-553年)により設置された楚州を前身とする。

隋代

581年開皇元年)、隋により楚州は渝州と改められ、3郡3県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、渝州の属郡の巴郡・七門郡・涪陵郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、渝州は巴郡と改称され、下部に3県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
渝州 巴郡
巴郡 七門郡 涪陵郡 巴県 江津県 涪陵県
巴県 江陽県 漢平県

唐代以降

618年武徳元年)、により巴郡は渝州と改められた。742年天宝元年)、渝州は南平郡と改称された。758年乾元元年)、南平郡は渝州の称にもどされた。渝州は山南西道に属し、巴・江津・万寿南平の4県を管轄した[2]

1102年崇寧元年)、北宋により渝州は恭州と改称された。1189年淳熙16年)、南宋により恭州は重慶府に昇格した[3]

脚注

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志二
  3. ^ 宋史』地理志五