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同年7月から仕事に復帰したものの、アルコール性の急性[[肝炎]]から慢性肝炎に移行、[[肝硬変]]を発症しており、度々極度の[[貧血]]などの症状で倒れるなど、もはや極めて深刻な状況を迎えていた。しかし、かつて1億数千万とも言われた莫大な借金返済のため、水原は[[満身創痍]]で「馬車馬のように」全国を営業し続け、酒も手放すことはなかった。この最晩年期、服用していた薬の副作用で顔に[[吹き出物]]が目立つようになり、それを隠すように口髭をたくわえ始めていた。
同年7月から仕事に復帰したものの、アルコール性の急性[[肝炎]]から慢性肝炎に移行、[[肝硬変]]を発症しており、度々極度の[[貧血]]などの症状で倒れるなど、もはや極めて深刻な状況を迎えていた。しかし、かつて1億数千万とも言われた莫大な借金返済のため、水原は[[満身創痍]]で「馬車馬のように」全国を営業し続け、酒も手放すことはなかった。この最晩年期、服用していた薬の副作用で顔に[[尋常性痤瘡|吹き出物]]が目立つようになり、それを隠すように口髭をたくわえ始めていた。


[[1978年]](昭和53年)[[6月24日]]未明、[[北九州市]][[小倉北区]]の宿泊先「ホテルニュー田川(現・ホテルニュータガワ)」の客室トイレで大量に[[吐血]]し、瀕死の状態だった処をホテルで食事をとっていて遅れたマネージャー[[美山淳]]に発見される。同市[[戸畑区]]の健和総合病院(現・[[戸畑けんわ病院]])に救急搬送されるも、既に血液の1/3が失われていた。その後一時は意識が回復し、憔悴する美山に「馬鹿野郎、俺は死なねーよ」と話しかけるなど小康状態を見せるが、既に内臓のあちこちから出血がみられ、実質的には手がつけられない状況だった。それでも水原は歌を諦めず、再度奇跡の復活を目指していたという。
[[1978年]](昭和53年)[[6月24日]]未明、[[北九州市]][[小倉北区]]の宿泊先「ホテルニュー田川(現・ホテルニュータガワ)」の客室トイレで大量に[[吐血]]し、瀕死の状態だった処をホテルで食事をとっていて遅れたマネージャー[[美山淳]]に発見される。同市[[戸畑区]]の健和総合病院(現・[[戸畑けんわ病院]])に救急搬送されるも、既に血液の1/3が失われていた。その後一時は意識が回復し、憔悴する美山に「馬鹿野郎、俺は死なねーよ」と話しかけるなど小康状態を見せるが、既に内臓のあちこちから出血がみられ、実質的には手がつけられない状況だった。それでも水原は歌を諦めず、再度奇跡の復活を目指していたという。

2020年8月25日 (火) 00:05時点における版

水原 弘
出生名 高和 正弘(たかわ まさひろ)
別名 おミズ
生誕 1935年11月1日
出身地 日本の旗 日本 東京府 東京市 深川区
(現・東京都 江東区
死没 (1978-07-05) 1978年7月5日(42歳没)
福岡県 北九州市 戸畑区
学歴 東京都立赤坂高等学校商業科卒業
ジャンル 歌謡曲ジャズラテン洋楽民謡など
職業 歌手俳優
担当楽器
活動期間 1959年 - 1978年
レーベル 東芝EMI
事務所 渡辺プロダクションマナセプロダクション

水原 弘(みずはら ひろし、1935年(昭和10年)11月1日 - 1978年(昭和53年)7月5日)は、日本歌手俳優。愛称は「おミズ」。東京府東京市深川区(現在の東京都江東区)出身。東京都立赤坂高等学校商業科卒業。

概要

マナセプロダクションに在籍していたが、一時期、渡辺プロダクションに所属。井上ひろしかまやつひろしとのトリオで「三人ひろし」と呼ばれていた(ただし水原の持ち味は当時の「ロカビリー・アイドル」としては全く異質であったため、後に守屋浩と交代する)。

その歌唱力は誰もが認める実力だったが、水原自身の不器用さと、破天荒で無頼漢を気取った豪放磊落な生き方が周囲の誤解を招いたところは否めず、晩年はヒット曲にも恵まれず不遇の生活を送り、42歳の若さで亡くなった。

村松友視がその生涯をまとめた評伝を書き下ろしている(『黒い花びら』村松友視、河出書房新社、2005年)。

略歴

デビュー曲「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞

東京都立赤坂高等学校2年の時に、文化放送主催の『素人ジャズ喉自慢』に優勝。その後活動していたジャズ喫茶で渡邊美佐にスカウトされ、芸能界入り。

1957年(昭和32年)ダニー飯田とパラダイス・キングに初代ヴォーカルとして参加するが、翌年には脱退。 昭和33年水原弘とブルーソックスを結成。メンバーには森山加代子ジェリー藤尾ペドロ梅村がいた。

1959年(昭和34年)、「黒い花びら」(作詞:永六輔・作曲:中村八大)でレコード・デビュー。夏木陽介主演の東宝映画『青春を賭けろ』に歌手役で出演。「黒い花びら」は発売初年に30万枚、総合計57万枚という当時としては大ヒット作となった。ちなみに最初のマネージャーは渡邊美佐の妹、曲直瀬信子だった。

またこの年から始まった第1回日本レコード大賞を「黒い花びら」で受賞[1]。新人デビュー年の大賞受賞は現在においても水原が唯一である。また第10回NHK紅白歌合戦に初出場[2]。その後も3年連続で紅白に出場を果たし、独特の甘い“低音”で一世を風靡した。そして20代の女性たちに多大な人気があった。

1960年代前半より各社の映画作品への出演が増え、現代劇作品の主役や時代劇作品の準主役級の役をこなし、多くの人気俳優と共演。共演した俳優から高い評価を得ている。東宝映画『皆殺しの歌、拳銃よさらば』で主役を演じた際には、仲代達矢に「この主役の演技ができるのは水原弘だけだ。」と褒められたというエピソードが残っている。

この頃から取り巻きを引き連れて夜の街を豪遊し、「業界屈指の酒豪」と呼ばれるようになった。「水代わりにレミーマルタン」との逸話が残るほど、日常的な酒浸りや莫大な金額のギャンブルに加えて、所謂高利貸し闇金融からの多額の借金を抱え、不遇な時代を送る。また、デビュー直後から水原を支え長く婚約状態だった女性が居たが、結局結婚には至らず離別している。

1965年3月10日警視庁による「錦政会」(のちの稲川会の前身となった組織)に対する第一次頂上作戦が行われ、横浜市港北区にある綱島温泉の旅館「石水亭」が捜索を受ける。旅館経営者や賭博開帳関係者が逮捕される中、前年5月に行われた花札賭博に水原が関与、50万円を巻き上げられた事が発覚。事情聴取を受ける事態となる。この事で事実上の芸能界追放となり、ここから2年間は表舞台から遠ざかる一方で、借金返済に苦しめられる日々となる。

「君こそわが命」で“奇跡のカムバック”

1967年(昭和42年)、この当時マネージャーを務めた長良じゅんの奔走などにより、2月、佳川ヨコとの競作で「君こそわが命」(作詞:川内康範・作曲:猪俣公章)をリリース。その歌唱力と売り上げで佳川を圧倒し大ヒット。“奇跡のカムバック”と称され、第9回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。第18回NHK紅白歌合戦へ5年ぶり・4回目の出場を果たす。その後も活躍は続けていたものの、相変わらず酒に溺れる日々は続き、次第に病気がちになっていった。

アース製薬 由美かおる&水原弘(兵庫県丹波篠山市

1970年(昭和45年)、アース製薬のエアゾール式殺虫剤『ハイアース』のテレビCMに由美かおるとともに出演。水原を起用した同商品のホーロー看板も造られ、全国津々浦々に設置された。カムバックから3年が経過したこの時期、再び放蕩三昧の生活に舞い戻る。膨れ上がる借金で取立人に追われながら、クラブキャバレーの地方営業や様々な仕事を昼夜を問わず、休む間もなくこなさざるを得なくなった。このCM出演も、その最中で起用されたものであった。

1973年(昭和48年)、第24回NHK紅白歌合戦に通算10回目の出場を果たす。1971年(昭和46年)の第22回同様「トリ前」を務め、代表曲「君こそわが命」(紅白では通算3回目)を歌唱した。しかし、翌1974年(昭和49年)の第25回は落選と成り、以降も紅白への復帰は果たせなかった。

晩年・42歳で死去

1977年(昭和52年)1月12日、巡業先の金沢市で体調不良を訴え緊急入院。すでにアルコール依存症からくる影響で肝臓は正常に機能しなくなっており、黄疸腹水の症状も起こしていた。新宿朝日生命成人病研究所附属病院に2月末まで入院加療し、一旦退院するが同年6月末まで自宅静養に専念する。

同年7月から仕事に復帰したものの、アルコール性の急性肝炎から慢性肝炎に移行、肝硬変を発症しており、度々極度の貧血などの症状で倒れるなど、もはや極めて深刻な状況を迎えていた。しかし、かつて1億数千万とも言われた莫大な借金返済のため、水原は満身創痍で「馬車馬のように」全国を営業し続け、酒も手放すことはなかった。この最晩年期、服用していた薬の副作用で顔に吹き出物が目立つようになり、それを隠すように口髭をたくわえ始めていた。

1978年(昭和53年)6月24日未明、北九州市小倉北区の宿泊先「ホテルニュー田川(現・ホテルニュータガワ)」の客室トイレで大量に吐血し、瀕死の状態だった処をホテルで食事をとっていて遅れたマネージャー美山淳に発見される。同市戸畑区の健和総合病院(現・戸畑けんわ病院)に救急搬送されるも、既に血液の1/3が失われていた。その後一時は意識が回復し、憔悴する美山に「馬鹿野郎、俺は死なねーよ」と話しかけるなど小康状態を見せるが、既に内臓のあちこちから出血がみられ、実質的には手がつけられない状況だった。それでも水原は歌を諦めず、再度奇跡の復活を目指していたという。

だが水原の願いは届かないまま、再び意識不明の重体に陥り、吐血から11日後の同年7月5日未明、同院で肝硬変の重症化による食道静脈瘤破裂のため死去。満42歳没(享年43)。残った借金は当時の額で9000万円とも言われる。

1999年(平成11年)、「大衆音楽の殿堂」(財団法人古賀政男音楽文化振興財団運営)顕彰歌手に選ばれた。

作品

シングル

1968年オリコンチャート発足後についてはシングル週間チャート最高位(100位圏内)を付記。

発売日 品番 最高位 タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1959年7月下旬臨発 JP-1070 A 黒い花びら 永六輔 中村八大 A面は第1回日本レコード大賞受賞(この年は新人にして大賞を受賞したため、新人賞は設けられなかった)。

永六輔&中村八大(六・八)コンビによる第1号作品。

三連符のロッカバラードがオリジナルの歌謡曲として聴かれる歌になって登場したのもこれが最初。

“黒い”シリーズ第1弾シングル。東宝映画『青春を賭けろ』挿入歌。

B 青春を賭けろ 東宝映画『青春を賭けろ』主題歌。
1959年11月 中旬臨発 JP-1090 A 黒い落葉 永六輔 中村八大 “黒い”シリーズ第2弾シングル。
B 黄昏のビギン 永六輔・中村八大
1960年2月臨発 JP-1135 A 別離 水島哲 中村八大 東宝映画『別離の歌』主題歌(水原主演、共演は高島忠夫水野久美)。
B 黒い貝殻 永六輔 東宝映画『別離の歌』挿入歌で“黒い”シリーズ第3弾。
1960年5月下旬臨発 JSP-7002 A キサス・キサス・キサス 内藤法美
B カチート
1960年6月中旬臨発 JP-1159 A 暗い慕情 大藪春彦 中村八大 水原主演の東宝映画『みな殺しの歌より 拳銃よさらば!』主題歌。
B この青さ、この若さ 永六輔 東宝映画『高原に鐘は鳴る』主題歌。
1960年8月下旬臨発 JP-1204 A さすらいの唄 呉正恭 二宮久男 岩井直溥
B 恋のカクテル 永六輔 中村八大 東宝映画『黒い花びら』主題歌。
1960年11月臨発 JP-1218 A 星の下の瞳 永六輔 中村八大
B 夜の渚 水島哲 ダニー飯田 中村八大
1960年11月1日 JP-5044 ホワイト・クリスマス 訳:永六輔 片面は、森山加代子「ジングル・ベル」。
1960年11月1日 JP-5045 ブルー・クリスマス 訳:水原弘 ヘイズ・ジョンソン 長洲忠彦 エルヴィス・プレスリーの名唱で知られるバラード・ナンバー。片面は、森山加代子「飛んで来たサンタクロース」。
1961年5月 JP-1261 裏町人生 上原敏結城道子による1937年のヒット曲のカバー。片面は、津川洋一の「人生航海」。
1961年5月 JP-1267 A 禁じられた恋のボレロ 漣健児 宮川泰 フィルム・シンフォニック・オーケストラ、ファルーのカヴァー。アルジェリア動乱に咲いた恋をテーマにした。

牧村旬子他との競作になったが、水原盤が圧勝した。

B 涙が燃える 原由紀 原六朗
1961年11月 JP-1306 A 俺も独りさ 松井由利夫 広瀬健次郎
B いいなづけ 原六朗 近藤進
1961年9月臨発 JP-1309 A ある慕情
B 哀愁のテーマ
1961年12月 JP-1315 A 白い花の咲く頃 寺尾智沙 田村しげる 小野崎孝輔
B ヤツ 平岡精二
1961年9月臨発 JP-1330 A 男一匹旅がらす 島田磐也 中村八大 大映映画『黒い三度笠』主題歌。
B 黒い三度笠 青島幸男 大映映画『黒い三度笠』主題歌。
1962年2月 JP-1338 A おやすみなさい
B ギターを手にすると
1962年1月上旬臨発 JP-1356 A 月曜日の男 TBS月曜日の男』(主演:待田京介)主題歌。
B 夜のサキソフォン
1962年5月 JP-1374 A 哀愁
B 月影のハーモニカ
1962年3月臨発 JP-1380 A
B お前だけが
1962年7月10日臨発 JP-5126 A 夜の慕情 小野崎孝輔
B モスコーの夜は更けて
1962年9月 JP-1436 A 恋の約束
B 一人ぼっちの夜
1962年10月 JP-1452 A 星に歌う青春
B
1962年12月5日 JP-5163 A 忘れ得ぬ慕情
B 夜霧に泣くブルース
1963年2月 JP-5179 A 悲しき兵士の物語 THEME FROM BALLAD OF A SOLDIER 三田恭次 フランクル 小野崎孝輔
B シルヴァー・ムーン SILVER MOON 漣健児 フェルツ
1963年2月20日臨発 JP-5194 A いとしのロンリーハート
B 悲恋の掟
1963年3月5日 JP-1522 A 素晴らしい人生 中村八大 明るい曲調の1曲。自身のコンサートでもオープニングやエンディングにもなった。
B 野良犬の歌
1963年6月 JP-1549 A 黒い旅鴉
B 水にうつりし月
1963年8月 JP-1573 A 夜の哀愁
B 風に歌おう 中村八大 NHK-TV「夢であいましょう」より。
1963年10月 JP-1616 A 男なら 西岡水朗 草笛圭三 小野崎孝輔
B 俺とお前が 三田恭次 小野崎孝輔
1964年3月 TR-1024 A 夜霧のブルース 島田磐也 大久保徳二郎 小野崎孝輔
B 上海ブルース
1965年5月 TR-1042 A 波止場ブルース
B 雨のデイト
1964年5月 TR-1066 恋と云うものは 片面は、島リエ「あきらめて」とのカップリング。
1964年6月 TR-1060 A 或る雨の午後
B 素浪人ぶし
1964年11月 TP-1001 A ど根性一代 十二村哲・勝新太郎 大久保徳二郎 勝新太郎の台詞入り。東芝レコード・ステレオ・シングルの第1回発売
B 男の人生 島田磐也
1965年2月 TP-1035 A 枯あし船頭唄
B 怒涛一代
1965年7月 TP-1094 A 銀座川
B 裏町ぐらし
1965年9月 TP-1119 A ぐちも涙も忘れよう
B 波止場無宿
1965年12月 TP-1163 A あきらめ節 NETテレビ悪の紋章』主題歌。
B 涙に弱い俺なんだ
1966年3月5日 TP-1234 A 人情小唄
B 浮雲の唄
1966年5月5日 TP-1279 A 幸せをはここに
B 夜霧の別れ
1966年9月 TP-1326 A おんなの子守唄
B 恋ぐろう
1967年1月 TP-1390 A 君こそわが命 川内康範 猪俣公章 小野崎孝輔 第9回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
B 沈黙のブルース
1967年5月 TP-1470 A 君を愛して
B 燃える 朝日放送『愛の装飾』主題歌。
1967年11月5日 TP-1555 31位 A 愛の渚 浜口庫之助 小野崎孝輔 “ひとりG.S.”的なアレンジ。
B スイッチョ小唄
1967年12月25日 TP-1578 79位 A 好きと云ってよ 丹古晴己 大本恭敬 小野崎孝輔
B おしえてほしい
1968年4月10日 TP-2008 100位 A 愛の芽ばえ なかにし礼 平尾昌晃 小野崎孝輔
B 七月の子守唄
TP-2024 A 夜霧のブルース 島田磐也 大久保徳二郎 小野崎孝輔
B 男なら 西岡水朗 草笛圭三
1968年7月 TP-2028 A 可愛い奴
B 哀しい恋
1968年9月21日 TP-2064 91位 A 慟哭のブルース 川内康範 曽根幸明 週刊女性連載 川内康範原作『慟哭』より。
B 恋情
1969年3月5日 TP-2133 76位 A こころ泣き 丹古晴己 鈴木邦彦 韓国歌謡調を取り入れた曲。
B さよならは言えない なかにし礼
1969年5月1日 TC-1131 忍びのテーマ 李春子 大本恭敬 フジテレビアニメ忍風カムイ外伝』主題歌。片面は、デューク・エイセス「白いつばめ」。
1969年7月1日 TP-2176 61位 A 恋のかげろう
B 恋に切なく
1969年10月1日 TP-2196 93位 A 女の爪あと 西沢爽 猪俣公章
B 流れ花
1970年4月 TP-2266 圏外 A 流れびとの詩 丘たくみ 大本恭敬 黒木走男
B 丹下左膳の唄 NETテレビ『丹下左膳』主題歌。
1970年9月5日 TP-2329 41位 A へんな女 浜口庫之助 小谷充 この年2月に発売・大ヒットした左卜全の『老人と子供のポルカ』の路線に近いテイストのシニカルなナンセンス・ソング。

歌詞の中に、“へんな唄歌う、へんな男・水原弘”が登場する(コーラスの子供たちが、歌の合間に水原の名前を呼ぶ)。

B 泣くときゃひとり 山口洋子 浜口庫之助
1971年1月 TP-2363 圏外 A からだの中を風が吹く 日活映画『関東流れ者』挿入歌。
B 可愛い女
1971年3月5日 TP-2390 圏外 A 愛々ブルース 川内康範
B 明日は何処かへ
1971年6月 TP-2463 圏外 A 風来坊仁義 伊吹とおる 原田みのる 古賀賞受賞作品。
B 流転
1971年 TP-2497 圏外 A こんど生れてくる時は
B あゝこの恋は
1971年11月 TP-2567 圏外 A 隠密大作戦 浜口庫之助 NTV系連続テレビドラマ「弥次喜多隠密道中」主題歌。
B かなしみの詩
1971年12月 TP-**** 圏外 A 二度目の恋
B いつ咲く恋の花
1972年3月5日 TP-2620 81位 A お嫁に行くんだね 林保明 NHKあなたのメロディー』1971年度最優秀曲。
B マリアの愛 小野崎孝輔 第1回東京音楽祭国内大会(1972年5月13日)入賞。
1972年8月5日 TP-2702 圏外 A 永遠の愛 片桐和子 Sunny Conwell 小野崎孝輔
B 遅すぎた恋
1973年2月5日 TP-2800 82位 A 雪国 志摩美之 平尾昌晃 川端康成の「雪国」をモチーフにしている。
B こころのブルース
1973年6月 TP-2867 圏外 A 自由の旗の下に 川内康範
B こころに太陽抱きながら
1973年9月 TP-**** 圏外 A 祭りの夜は恋の夜 浜口庫之助
B 青空
1974年5月5日 TP-20008 圏外 A 港はまだ遠い 浜圭介 最後のシングル。
B かもめの宿
TP-8127 圏外 A 人生劇場
B
TP-17107 圏外 A 女の爪あと 西沢爽 猪俣公章
B 好きと云ってよ 丹古晴己 大本恭敬 小野崎孝輔

アルバム

  • 水原弘 ラテンを歌う(JP0-1040)
  • 水原弘 ヒット・ソング第2集(JP0-1148)
  • 水原弘 こころで唄う(TR-6125-26)
  • 水原弘歌謡デラックス(TP-4011-12)
  • 水原弘 夜に歌う(TP-7437)
  • 水原弘オン・ステージ 歌い続けて10年(TP-9005)
  • 水原弘 抒情歌を唄う
  • 水原弘全曲集(TP-60019)
  • 絶唱 水原弘 最後の録音盤

映画出演

  • 青春を賭けろ(1959年、東宝
  • 檻の中の野郎たち(1959年、東宝)
  • 「黒い落葉」より 青春を吹き鳴らせ(1959年、日活
  • 黒い花びら(1960年、東宝)
  • 嵐を呼ぶ楽団(1960年、東宝)
  • 別離の歌(1960年、東宝)
  • みな殺しの歌より 拳銃よさらば!(1960年、東宝)
  • 銀座の恋人たち(1961年、東宝)
  • 飛び出した女大名(1961年、大映
  • ドドンパ酔虎伝(1961年、大映)
  • 黒い三度傘(1961年、大映)
  • メキシコ無宿(1962年、日活)
  • べらんめぇ芸者と大阪娘(1962年、東映
  • 若者たちの夜と昼(1962年、東映)
  • クレージーの花嫁と七人の仲間(1962年、松竹
  • かっこいい若者たち(1962年、大映)
  • 夢で逢いましょ(1962年、東宝)
  • ひばり・チエミのおしどり千両傘(1963年、東映)
  • 夜霧の上州路(1963年、東映)
  • この首一万石(1963年、東映)
  • 悪名波止場(1963年、大映)
  • 駿河遊侠伝 敗れ鉄火(1964年、大映)
  • 駿河遊侠伝 度胸がらす(1965年、大映)
  • 男の挑戦(1968年、松竹)
  • 霧にむせぶ夜(1968年、松竹)
  • 関東流れ者(1971年、日活)

テレビドラマ出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1959年(昭和34年)/第10回 黒い花びら 11/25 水谷良重
1960年(昭和35年)/第11回 2 恋のカクテル 10/27 水谷良重(2)
1961年(昭和36年)/第12回 3 禁じられた恋のボレロ 11/25 松尾和子
1967年(昭和42年)/第18回 4 君こそわが命 02/23 園まり
1968年(昭和43年)/第19回 5 愛の渚 09/23 西田佐知子
1969年(昭和44年)/第20回 6 君こそわが命(2回目) 16/23 梓みちよ
1970年(昭和45年)/第21回 7 へんな女 02/24 和田アキ子
1971年(昭和46年)/第22回 8 こんど生まれて来る時は 24/25 水前寺清子 トリ前
1972年(昭和47年)/第23回 9 お嫁に行くんだね 17/23 平田隆夫とセルスターズ
1973年(昭和48年)/第24回 10 君こそわが命(3回目) 21/22 都はるみ トリ前(2)

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

秘話

1973年(昭和48年)の年明け頃から、暴力団追放運動が盛んになり、美空ひばりが実弟の不祥事発覚や、デビュー以来の山口組及び三代目組長・田岡一雄との公私にわたる長年の親密な関わりが問題視されたことをきっかけに、全国の公会堂や市民会館での公演をボイコットされていた時、水原は演劇プロデューサーの黒田耕司から名古屋御園座での4月公演「美空ひばり特別公演」の芝居「かすりの女」[3]への出演を依頼された。「歌手でありながら自分は歌わず、芝居でのひばりの相手役だけの出演」という依頼であったにも関わらず、水原は「お嬢(美空ひばり)が困っているんだ。本当の友ならこういう時に助けてあげるのが筋だろう」と、これを快諾。水原の男気にはひばり本人を始め、舞台関係者も感激したという[4]

脚注

  1. ^ 水原は1959年デビューの新人歌手で受賞の為、第1回レコード大賞は「新人賞」を設けなかった。
  2. ^ その後第12回まで連続出場したが、第13回以降第17回まで落選となる。
  3. ^ 映画監督による舞台演出の記録 沢島忠/沢島正継/澤島忠”. 資料庫. 2013年11月4日閲覧。
  4. ^ 『美空ひばり 花のいのち』 黒田耕司著 小学館(1990年)

関連項目

外部リンク

※一部に戦前の同名異人俳優の出演作品が記載されている。