「13世紀」の版間の差分
681行目: | 681行目: | ||
* [[丘長春]](長春真人)([[1148年]] - [[1227年]]) - 金末期からモンゴル帝国初期の[[全真教]]の道士 |
* [[丘長春]](長春真人)([[1148年]] - [[1227年]]) - 金末期からモンゴル帝国初期の[[全真教]]の道士 |
||
* [[済公]](済顛)([[1149年]] - [[1209年]]) - 南宋の禅僧・[[杭州]]の[[霊隠寺]]や[[浄慈寺]]で活躍・[[風狂]]の僧として伝説化される |
* [[済公]](済顛)([[1149年]] - [[1209年]]) - 南宋の禅僧・[[杭州]]の[[霊隠寺]]や[[浄慈寺]]で活躍・[[風狂]]の僧として伝説化される |
||
* [[ |
* [[韓侂冑]]([[1152年]] - [[1207年]]) - 南宋の[[中国の宰相|宰相]]・[[慶元の党禁]]で活躍・[[開禧北伐|開禧の北伐]]に失敗し処刑される |
||
* [[馬遠]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・夏珪と並ぶ院体画に属する・代表作に「洞山渡水図」がある |
* [[馬遠]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・夏珪と並ぶ院体画に属する・代表作に「洞山渡水図」がある |
||
* [[夏珪]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・馬遠と並ぶ院体画に属する・代表作に「溪山清遠図巻」がある |
* [[夏珪]](生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・馬遠と並ぶ院体画に属する・代表作に「溪山清遠図巻」がある |
2020年8月12日 (水) 06:31時点における版
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 12世紀 - 13世紀 - 14世紀 |
十年紀: |
1200年代 1210年代 1220年代 1230年代 1240年代 1250年代 1260年代 1270年代 1280年代 1290年代 |
13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。
13世紀の歴史
モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica)
13世紀は、チンギス・ハーンの興したモンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれる。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、世界史の転換期のひとつとなった。
ジャワ島では、シンガサリ王国が東部から興ってクディリ王国を倒したが、モンゴル帝国(元)のクビライの遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する(1292年、マジャパヒト王国成立)。12世紀に中国を二分した金と南宋は元により滅ぼされた。また、日本も2度にわたる元の侵攻(元寇)に遭ったがこれを撃退している。
十字軍勢力は衰退へ
第6回十字軍に赴いた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のスルターンアル=カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせたが、10年余りで再びイスラム勢力により陥落した(以後、20世紀までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も十字軍の遠征は行なわれたが、レバントにおける十字軍国家は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点アッコを失ってエルサレム王国も滅亡、パレスチナ全域がイスラム勢力下に入った。
マグナ・カルタ成立
イングランド王国では、国王の権限を制限するマグナ・カルタ(大憲章)が制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており中世の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と議会の対立が激しさを増す17世紀に再度注目されることとなる。清教徒革命やアメリカ合衆国建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在のイギリス憲法を構成する前文にも残っている。
できごと
1200年代
- 1201年
- 1202年
- 1203年
- 1204年
- 1205年
- 1206年
- 1207年
- 承元の法難。
- 南宋の韓侂冑が暗殺される。
- 1208年 - 南宋と金の嘉定の和議。
- 1209年
- 教皇インノケンティウス3世が小さき兄弟会(フランシスコ会)を認可。
- 教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。
- フランス王フィリップ2世によるアルビジョア十字軍始まる( - 1229年)。
- ケンブリッジ大学が創設される。
1210年代
- 1210年
- 1211年
- 1212年
- 1213年
- 1214年 - モンゴルが中都を包囲し、金の宣宗は中都から開封へ遷都。
- 1215年
- 1216年 - 教皇ホノリウス3世が説教者修道会(ドミニコ会)を認可。
- 1217年 - ジャン・ド・ブリエンヌらによる第5回十字軍。
- 1218年
- 1219年
1220年代
- 1220年
- 1221年
- 1222年
- 1223年
- 1224年
- 1225年
- アイケ・フォン・レプゴーにより『ザクセンシュピーゲル(ザクセン法鑑)』が編纂される。
- エルサレム女王イザベル2世と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の結婚。
- 1226年
- 1227年
- 1228年
- 破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が第6回十字軍を起こす(破門十字軍)。
- 1229年
1230年代
- 1230年 - 寛喜の大飢饉( - 1231年)。
- 1231年 - メルフィの会議において神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が『皇帝の書(リベル・アウグスタリス)』を発布する。
- 1232年
- 1233年 - 教皇グレゴリウス9世が異端審問制度を導入し、ドミニコ会に審問を委託する。
- 1234年
- 1235年
- 1235年頃 - キリーナの戦いでスンジャタ・ケイタの率いるマンディンカ族が、スースー王国から独立し、マリ王国を建国。
- 1236年
- 1238年
- 1239年 - 教皇グレゴリウス9世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を再破門。
1240年代
- 1240年
- ネヴァ河畔の戦いでノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがスウェーデン軍を破る。
- モンゴルのバトゥがキエフを制圧しキエフ大公国が滅亡。
- この時期までにルーシ各地がモンゴルの支配下におかれる(タタールの軛)。
- 1240年頃
- 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がカステル・デル・モンテを建設。
- 1241年
- 1242年
- 1243年
- 1244年
- 藤原頼嗣が鎌倉幕府第5代将軍となる。
- 道元が越前永平寺を開く。
- エルサレムが再びアイユーブ朝に奪回される。ラ・フォルビーの戦い。
- 最後のカタリ派の根拠地モンセギュールが陥落する。
- 1245年
- 1246年
- 1247年 - 宝治合戦(三浦氏の乱)。
- 1248年
- 1249年
1250年代
- 1250年
- マンスーラの戦いとファルスクールの戦いでエジプトのマムルーク軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。
- マムルーク軍団はトゥーラーン・シャーを倒しシャジャル・アッ・ドゥッルを君主に擁立(マムルーク朝成立)。
- スウェーデン王ビルイェル・ヤールによるフィンランド遠征(北方十字軍)。
- マンスーラの戦いとファルスクールの戦いでエジプトのマムルーク軍団が十字軍に勝利しルイ9世を捕虜とする。
- 1250年頃
- 1251年
- 了行法師らの謀反事件(建長の政変)。
- 伽耶山海印寺の高麗版大蔵経が完成する。
- 1251年の羊飼い十字軍。
- モンゴル帝国第4代皇帝モンケが即位。摂政監国だったオグルガイミシュが殺害される。
- 1252年
- 1253年
- モンケ・ハーンの命によるフレグの征西が始まる。
- フビライの雲南・大理遠征により大理が降伏する。
- フランス国王ルイ9世の命でウィリアム・ルブルックがモンゴル帝国に派遣される。
- 北条時頼が蘭渓道隆を開山に迎え建長寺が創建される。
- ハールィチ・ヴォルィーニ大公ダヌィーロ・ロマーノヴィチがローマ教皇インノケンティウス4世からルーシ王の称号を授かる。
- 1254年
- 1255年
- 1256年
- 北条長時が鎌倉幕府第6代執権に就任。
- フビライが閃電河河畔に開平府(後の上都(ザナドゥ))を築く。
- 教皇アレクサンデル4世により各地の隠修士団体が統合され聖アウグスティノ修道会が成立する。
- 1257年
- アラムート城砦のニザール派がモンゴルに降伏する。
- 正嘉鎌倉地震。
- 1258年
- モンゴルのフレグがバグダードへ入城し、アッバース朝を滅ぼす。
- シモン・ド・モンフォールらが国王ヘンリー3世にオックスフォード条項を認めさせる。
- 翌1259年にウェストミンスター条項に拡大される。
- 1259年
1260年代
- 1260年
- 1261年
- 1262年 - ベルケ・フレグ戦争。
- 1263年 - ラーグスの戦いで、スコットランド王アレグザンダー3世がノルウェー王ホーコン4世のスコットランド上陸を阻止し撃退。
- 1264年
- 1265年
- 1266年
- 1267年
- クビライの命により燕京(後の大都)の都市改造が始まる。
- 運河として通恵河が開削され、物資の集積地である都市内港の積水潭が建設される。
- クビライの命により燕京(後の大都)の都市改造が始まる。
- 1268年
- 1269年
1270年代
- 1270年
- フランス国王ルイ9世による第8回十字軍。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。
- パリ司教エティエンヌ・タンピエによる13命題の異端宣言。
- 1271年
- クビライが大都を首都と定め、国号を大元(元)と称した。
- 高麗の世子(後の忠烈王)がクビライの王女クトゥルク=ケルミシュと結婚。
- マムルーク朝のバイバルスが十字軍の城クラック・デ・シュヴァリエを攻略。
- イギリス王太子エドワードによる第9回十字軍。
- 元使の趙良弼が来日。
- 龍ノ口法難の後、日蓮が佐渡島に流される。
- 1272年
- 1273年
- 1274年
- 1275年
- 1275年頃
- 1276年
- 1277年
- 1278年
- マルヒフェルトの戦いで神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。
- フランスのフォア伯とスペインのウルヘル司教の共同領主権のもとでアンドラの自治が認められる。
- 1279年
1280年代
- 1280年
- 1281年
- 1282年
- 1283年
- 元で京杭大運河(済州河・会通河・通恵河)の改修が始まる( - 1292年)。
- 1284年
- 北条貞時が鎌倉幕府第9代執権に就任。安達泰盛らによる弘安徳政の実施。
- ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪(「ハーメルンの笛吹き男」伝説のおこり)。
- ナポリ湾の海戦でアラゴン王ペドロ3世がナポリ王カルロ1世に勝利。アラゴン十字軍が始まる。
- メロリアの海戦 (1284年)でジェノヴァがピサに勝利し、ティレニア海の覇権を握る。
- 1285年
- 1287年
- 1288年
- 白藤江の戦いで陳朝ベトナムが元朝に勝利。
- イルハン朝の使節ラッバーン・バール・サウマがローマ教皇ニコラウス4世ほか各国君主と会見。
- 1289年
1290年代
- 1290年
- 1291年
- 1293年
- 1294年
- ラデン・ウィジャヤが元朝をジャワから追い払い、マジャパヒト王国を建てる。
- クビライが死去し、テムルがモンゴル帝国(元)の第6代大ハーンとなる。
- 宣教師ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノが大都に到着。
- ケレスティヌス5世が在位半年で教皇を退位し、ボニファティウス8世が教皇となる。
- 1295年
- 1296年
- 1297年
- 鎌倉幕府が永仁の徳政令を出す。
- スターリング・ブリッジの戦いで、ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がイングランド軍を撃破。
- フランソワ・グリマルディらがモナコの要塞を占拠(モナコ公国の始まり)。
- 1298年
- フォールカークの戦いで、エドワード1世率いるイングランド軍がスコットランド軍を撃破。
- コルチュラの戦いでジェノヴァがヴェネツィアに勝利、マルコ・ポーロが捕虜となる。
- 伏見天皇が譲位し、第92代後伏見天皇が即位。
- 1299年
1300年代
- 1300年頃 - スウェーデンによるフィンランド遠征(北方十字軍の完了)。
人物
モンゴル世界
- チンギス・ハーン(1167年 - 1227年) - モンゴル帝国の創始者(在位1206年 - 1227年)
- ジョチ(1177年/1184年? - 1225年)- チンギス・ハーンの長男・キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の祖
- チャガタイ(1185年/1186年? - 1242年) - チンギス・ハーンの次男・チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の祖
- オゴデイ(1186年 - 1241年) - モンゴル帝国の第2代ハーン(在位1229年 - 1241年)
- グユク(1206年 - 1248年) - モンゴル帝国の第3代ハーン(在位1246年 - 1248年)
- バトゥ(1207年 - 1256年) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)のハン(在位1225年 - 1256年)・ロシアや東欧を制圧
- モンケ(1209年 - 1259年) - モンゴル帝国の第4代ハーン(在位1251年 - 1259年)
- クビライ (1215年 - 1294年) - モンゴル帝国第5代ハーン(在位1260年 - 1294年)・中国元朝(大元ウルス)の創始者
- フレグ(1218年 - 1265年) - イル・ハン国(フレグ・ウルス)の創始者(在位1260年 - 1265年)・アッバース朝を滅ぼす
- アリクブケ(? - 1266年) - クビライの弟・クビライと帝位を争う(モンゴル帝国帝位継承戦争)
- カイドゥ(? - 1301年) - オゴデイの孫・クビライに対し反乱を起こす(カイドゥの乱)
- アタカイ(1234年 - 1289年) - 元の将軍・日本討伐軍の総司令官・東路軍と江南軍を編成して戦うが敗北する
- バヤン(1236年 - 1294年) - 元の将軍・クビライの重臣・南宋討伐軍の総司令官として臨安を降伏させる
- アルグン(1258年? - 1291年) - イルハン朝の第4代君主(在位1284年 - 1291年)・バール・サウマを教皇ニコラウス4世に派遣
- ラッバーン・バール・サウマ(1220年代 - 1294年) - ネストリウス派キリスト教(景教)の聖職者・モンゴル帝国から欧州諸国を歴訪
- ガザン(1271年 - 1304年) - イル・ハン国の第7代君主(在位1295年 - 1304年)・アルグンの息子でイスラム教に改宗
イスラム世界
- ジャザリー(1136年 - 1206年) - ジャズィーラ出身のアラブ人機械工学者・数学者・著書『巧妙な機械装置に関する知識の書』で知られる
- ラーヴァンディー(? - 1207年以降) - ルーム・セルジューク朝に仕えた歴史家・同王朝の歴史書『胸の安らぎと喜びの証し』を執筆
- アッタール(1140年代頃 - 1221年頃) - ペルシアの神秘主義詩人・代表作に『鳥の言葉』『神秘主義聖者列伝』がある
- ムイーヌッディーン・チシュティー(1141年 - 1236年) - 北インドのスーフィー聖者・チシュティー教団(タリーカ)を発展させアジュメール修道場を設置
- イブン・アスィール(1160年 - 1233年) - ザンギ―朝に仕えた歴史家・『完史』『アターベク王朝における輝かしき歴史』の著作がある
- イブン・アラビー(1165年 - 1240年) - アンダルシア出身のイスラム神秘主義者・「存在一性論」を提唱し『叡知の根源』を執筆
- クトゥブッディーン・アイバク(? - 1210年) - 奴隷王朝の創始者で初代スルターン(在位1206年 - 1210年)・クトゥブ・ミナールを建設
- ムハンマド・ナースィル(? - 1213年) - ムワッヒド朝の第4代アミール(在位1198年 - 1213年)・ナバス・デ・トロサの戦いで敗北
- ジャラールッディーン・メングベルディー(? - 1231年) - ホラズム・シャー朝の第8代スルターン(在位1220年 - 1231年)・モンゴル軍の西征に抵抗
- ヤフーヤ・イブン・マフムート・アル・ワーシト(13世紀前半) - バグダードの挿絵画家・アル・ハリーリーの『マカーマート』の挿絵で有名
- ファリドゥッディーン・ガニシャカル(1173年 - 1266年) - インドのイスラム神秘主義者・イスラム教とヒンドゥー教の融和思想の基礎を築く
- ヤークート・アル=ハマウィー(1179年 - 1229年) - アナトリア出身の地理学者・『地理学辞典』の他に『学者文人事典』『類語辞典』を編纂
- アル=カーミル(1180年 - 1238年) - アイユーブ朝の第5代スルターン(在位1218年 - 1238年)・エルサレムを一時十字軍に返還
- サアディー(1184年? - 1291年?) - ペルシアの神秘主義詩人・『果樹園』『薔薇園』の著者・サアディー廟も有名
- イブン・バイタール(1188年 - 1248年) - アンダルシア出身の医師・植物学者。アル=カーミルに仕え『薬と栄養全書』ほかを執筆
- ムハンマド1世(1191年 - 1272年) - ナスル朝の初代君主(在位1238年 - 1272年)・第三次ターイファ時代を制しグラナダに勢力を確立
- ジューズジャーニー(1193年? - ?) - 奴隷王朝のイラン人歴史家・君主イルトゥトゥミシュに仕え主著に『タバカーテ・ナースィリー』がある
- ナスィールッディーン・トゥースィー(1201年 - 1274年) - ペルシアの学者・『ナースィルの倫理学』や『イルハン天文表』がある
- サーリフ(1201年 - 1249年) - アイユーブ朝の第7代スルターン(在位1240年 - 1249年)・エルサレムを十字軍から奪還
- ラズィーヤ(1205年 - 1240年) - 奴隷王朝の第4代スルターン(女性でスルターナ)(在位1236年 - 1240年)・男装して政治を行うが殺害される
- ルーミー(1207年 - 1273年) - ペルシアの神秘主義詩人・『シャムセ・タブリーズ詩集』の著者・メヴレヴィー教団の開基
- アブー・ザカリーヤー1世(? - 1249年) - ハフス朝の建国者(在位1228年 - 1249年)・ムワッヒド朝から独立しイフリーキヤを支配
- シャジャル・アッ・ドゥッル(? - 1257年) - アイユーブ朝スルターンのサーリフの夫人・マムルーク朝の初代スルターン(在位1250年)
- ムスタアスィム(1212年 - 1258年) - バグダードのアッバース朝最後(第37代)のカリフ(在位1242年 - 1258年)
- イブン・アル・ナフィス(1213年 - 1288年) - シリア出身の医師・代謝の概念をまとめあげ「循環理論の父」と呼ばれる
- バイバルス(? - 1277年) - マムルーク朝の第5代スルターン(在位1260年 - 1277年)・十字軍やモンゴル軍を撃退した英雄
- アル・ムスタンスィル(? - 1277年) - ハフス朝の第2代君主(在位1249年 - 1277年)・ルイ9世の第8回十字軍を撃退
- アブー・ユースフ・ヤアクーブ(? - 1286年) - マリーン朝の君主(在位1259年 - 1286年)・ムワッヒド朝を滅ぼし「戦闘王」と呼ばれる
- ギヤースッディーン・バルバン(? - 1287年) - 奴隷王朝の第9代スルターン(在位1266年 - 1287年)・イルトゥトゥミシュ家を倒し恐怖政治を行う
- ジュヴァイニー(1226年 - 1283年) - イルハン朝の政治家・歴史家・歴史書『世界征服者の歴史』の著者
- アシュラフ・ハリール(? - 1293年) - マムルーク朝の第9代スルターン(在位1290年 - 1293年)・十字軍の最後の要衝アッコを奪取
- ユヌス・エムレ(1240年頃 - 1321年頃)- アナトリア西部出身の詩人・民衆のトルコ語をもっとも初期に用いた神秘主義詩人で近代文学にも影響
- アミール・ホスロー(1253年 - 1325年) - デリー・スルターン朝の諸王朝に仕えた詩人・宗教歌謡カッワーリーの祖で「インドの鸚鵡」と呼ばれる
- イブン・タイミーヤ(1263年 - 1328年) - マムルーク朝の神学者・ハンバル派法学者・イスラム神秘主義を批判し神と人間の絶対的不同を唱える
- ジャラールッディーン・ハルジー(? - 1296年) - デリー・スルターン朝のハルジー朝の創始者で初代スルターン(在位1290年 - 1296年)
アフリカ
- ゲブレ・メスケル・ラリベラ(生没年不詳) - エチオピアのザグウェ朝の王(在位13世紀前半)・ラリベラの岩窟教会群を建設
キリスト教世界
東ローマ帝国・ラテン帝国・ニカイア帝国
- アレクシオス4世アンゲロス(1182年 - 1204年) - 東ローマ皇帝(在位1203年 - 1204年)・第4回十字軍により帝位に就くが内紛で戦死
- ボードゥアン1世(1172年 - 1205年) - ラテン帝国の初代皇帝(在位1204年 - 1205年)・ブルガリア帝国との戦いで捕虜となり獄死
- テオドロス1世ラスカリス(1175年頃 - 1222年) - ニカイア帝国の初代皇帝(在位1205年 - 1222年)・第4回十字軍を逃れ亡命政権樹立
- エンリコ・ダンドロ(1107年? - 1205年) - ヴェネツィア共和国元首・第4回十字軍を東ローマ帝国に方向転換させる
- ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン(1150年頃 - 1218年頃) - 歴史家・第4回十字軍に従軍し『コンスタンティノポリス征服記』を執筆
- ジャン・ド・ブリエンヌ(1148年 - 1237年) - エルサレム王(在位1210年 - 1212年)・ラテン帝国皇帝(在位1231年 - 1237年)
- ニケタス・コニアテス(1150年 - 1213年) - 東ローマ帝国の政治家・第4回十字軍に遭遇して亡命・歴史家として『年代記』を執筆
- ゲオルギオス・アクロポリテス(1217年 - 1282年) - 東ローマ帝国の帝都大学総長・第2リヨン公会議に出席・歴史家として『年代記』を執筆
- ミカエル8世(1224年 - 1282年) - 東ローマ皇帝(在位1261年 - 1282年)・ラテン帝国を滅ぼしパレオロゴス朝の創始者となる
- グレゴリオス・パキュメレス(1242年 - 1310年) - 東ローマ帝国の学者・アクロポリテスの著作を継ぐ『歴史』を書く・東西教会合同には反対
東欧・カフカス
- タマル・バグラティオニ(1160年? - 1213年) - グルジアの女王(在位1184年 - 1213年)・セルジューク朝を駆逐しグルジア全盛を現出
- カロヤン・アセン(1168年/1169年 - 1207年) - 第二次ブルガリア帝国の皇帝(在位1197年 - 1207年)・ラテン帝国に勝利を収める
- ショタ・ルスタヴェリ(1172年 - 1216年) - グルジアの詩人・官吏としてタマル女王に仕える・長編叙事詩『豹皮の騎士』を残す
- サヴァ(1174年頃 - 1236年) - セルビアの初代大主教・父ステファン・ネマニャとともにヒランダル修道院を設立・正教会の聖人
- ミハイル2世(1179年 - 1246年) - チェルニゴフ公・キエフ大公(在位1238年 - 1246年)・モンゴルに抵抗し殺害され聖人となる
- ヘンリク2世(1196年頃 - 1241年) - ピャスト朝のポーランド大公(在位1238年 - 1241年)・ワールシュタットの戦いで戦死
- ベーラ4世(1206年 - 1270年) - アールパード朝のハンガリー国王(在位1235年 - 1270年)・モンゴル軍により荒廃したハンガリーを復興させる
- アレクサンドル・ネフスキー(1220年 - 1263年) - ノヴゴロド公・ウラジーミル大公(在位1252年 - 1263年)・中世ロシアの英雄
- オタカル2世(1230年? - 1278年) - プシェミスル朝のボヘミア王(在位1253年 - 1278年)・ルドルフ1世と神聖ローマ皇帝位を争い戦死
イタリア
- インノケンティウス3世(1161年 - 1216年) - ローマ教皇(在位1198年 - 1216年)・教皇権全盛期の教皇・ジョン王を屈服させる
- グレゴリウス9世(1143年? - 1241年) - ローマ教皇(在位1227年 - 1241年)・十字軍をめぐるフリードリヒ2世との確執で有名
- レオナルド・フィボナッチ(1170年頃 - 1250年頃) - イタリアの数学者・『算盤の書』でアラビア数字のシステムをヨーロッパに導入
- ジャコモ・ダ・レンティーニ(? - 1250年) - シチリア派の詩人・フリードリヒ2世の宮廷では公証人として活躍・ソネット(十四行詩)の創始者
- アッシジのフランチェスコ(1182年 - 1226年) - イタリアの修道士・フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)の創設者
- プラノ・カルピニ(1182年 - 1252年) - フランシスコ会士・教皇インノケンティウス4世によってモンゴル帝国に派遣される
- アッシジのキアラ(1194年 - 1253年) - フランシスコ会女子修道会キアラ(クララ)会の創設者・「もう一人のフランチェスコ」と呼ばれる
- パドヴァのアントニオ(1195年 - 1231年) - ポルトガル生まれのフランシスコ会士・神学者・説教に優れ死後は教会博士となる
- チェラーノのトマス(1200年頃 - 1265年頃) - フランシスコ会士・フランチェスコの『第一伝記』と『第二伝記』を執筆・聖歌「怒りの日」も有名
- ジョヴァンニ・ダ・プロチダ(1210年 - 1298年) - 皇帝フリードリヒ2世の侍医・アラゴンや東ローマと組み・シチリアの晩禱事件を画策したか
- ブルネット・ラティーニ(1210年頃 - 1294年) - フィレンツェの政治家・詩人・ダンテの師・当時の知識を網羅した百科全書『宝典』を編纂
- ケレスティヌス5世(1210年頃 - 1296年) - ローマ教皇(在位1294年)・有徳の修道士だったが急遽に教皇選出される・半年で退位し列聖される
- ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ(1220年頃 - 1289年) - ピサの海軍提督・ジェノヴァとのメロリアの海戦で敗北・残酷な刑死は伝説や芸術で有名
- ボナヴェントゥラ(1221年? - 1274年) - 神学者・枢機卿・フランシスコ会総長・熾天使博士・著作に『精神の神への道程』ほかがある
- トマス・アクィナス(1225年頃 - 1274年) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・天使博士・『神学大全』で盛期スコラ学を代表
- シャルル・ダンジュー(1227年 - 1285年) - シチリア王(在位1266年 - 1282年)・後にナポリ王(在位1282年 - 1285年)
- ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230年? - 1298年) - ジェノヴァの大司教・説教者・年代記作家・中世有数の聖人伝『黄金伝説』を執筆
- ヤコポーネ・ダ・トーディ(1230年頃 - 1306年) - フランシスコ会士(聖霊派)・「スターバト・マーテル」などラウデ(宗教讃歌)で有名
- チマブーエ(1240年 - 1302年) - フィレンツェのゴシック期の画家・弟子ジョットの才能を見抜いた逸話でも知られる
- モンテクローチェのリコルド(1243年頃 - 1320年) - イタリアのドミニコ会士・聖地巡礼をして西アジア各地を歴訪・『巡礼記』『護教論』がある
- フォリーニョのアンジェラ(1248年 - 1309年) - フランシスコ会女子修道会の修道女・主婦から転じて信仰生活に入り『幻視と教えの書』を残す
- マルコ・ポーロ(1254年 - 1324年) - ヴェネツィア商人・旅行家でモンゴル帝国各地を歴訪・『世界の記述(東方見聞録)』の著者
イベリア半島
- アルフォンソ8世(1155年 - 1214年) - カスティーリャ王(在位1158年 - 1214年)・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝に大勝
- ドミニコ・デ・グスマン(1170年 - 1221年) - スペインの修道士・ドミニコ会(説教者兄弟会)の創設者
- ライムンド・ペニャフォル(1175年頃 - 1275年) - スペインの修道士・ドミニコ会総長・教皇グレゴリウス9世に従い『教会教令集』を編纂
- ハイメ1世(征服王)(1208年 - 1276年) - アラゴン王(在位1213年 - 1276年)・イスラム領のバレアレス諸島やバレンシアを征服
- アルフォンソ10世(賢王)(1221年 - 1284年) - カスティーリャ国王(在位1251年 - 1282年)・『アルフォンソ天文表』の編纂などで有名
- ペドロ3世(1239年 - 1285年) - アラゴン王(在位1276年 - 1285年)・シチリア王女と結婚・シチリアの晩禱事件でシチリア王となる
- モーシェ・デ・レオン(1250年 - 1305年) - カスティーリャのユダヤ教徒ラビ・カバリスト・『柘榴の書』『ゾーハル』の著作がある
フランス
- トゥールーズ伯レーモン6世(1156年 - 1222年) - 南フランスの諸侯・フランス国王によるアルビジョワ十字軍に対抗する
- ギヨーム・ド・ロリス(? - 1240年) - フランスの詩人・薔薇の蕾に心を奪われた若者の愛のアレゴリー『薔薇物語』正編の作者
- ヴィラール・ド・オヌクール(活躍時期1230年 - 1250年頃) - フランスの建築家・残された画帖はゴシック様式の貴重な文献
- ヘイルズのアレクサンデル(1170年/1185年 - 1245年) - パリ大学教授・神学者(不可抗博士)・フランシスコ学派の祖・著作に『神学大全』がある
- ブランシュ・ド・カスティーユ(1188年 - 1252年) - フランス王ルイ8世の王妃・息子ルイ9世の幼少期と十字軍の不在の時期に摂政を務める
- ヴァンサン・ド・ボーヴェ(1190年頃 - 1264年) - フランスのドミニコ会士・中世随一の百科全書『大いなる鏡』三部作を執筆
- ペトルス・ペレグリヌス(生没年不詳) - フランスの科学者・「磁気書簡(1269年)」で磁気の引力や磁化作用、南北極の区別について言及する
- ロベール・ド・ソルボン(1201年 - 1274年) - フランスの司祭・神学部の学生のための学寮を設置・後年その名が「ソルボンヌ大学」に転じる
- エティエンヌ・タンピエ(? - 1278年) - フランスのパリ司教・神学部でのアリストテレス哲学講義に関し1270年と1277年に異端宣告を行う
- ルイ9世(聖王)(1214年 - 1270年) - フランス国王(在位1226年 - 1270年)・第7回十字軍と第8回十字軍を指揮・チュニスで病没
- ムールベケのグイレルムス(1215年/1235年頃 - 1286年頃) - フランスの翻訳者・アリストテレスの著作をギリシア語から直接翻訳しトマスに影響
- ギヨーム・ド・リュブリキ(1220年? - 1293年?) - フランシスコ会士・聖王ルイ9世によりモンゴルに派遣され『東方諸国旅行記』を残す
- ジャン・ド・ジョアンビル(1224年 - 1317年) - フランスの伝記作家・第8回十字軍に従軍しルイ9世の伝記『聖王ルイの生涯』を執筆
- ジャン・ド・マン(1240年頃 - 1305年) - フランスの詩人・ギヨーム・ド・ロリスの正編を継いで『薔薇物語』続編を執筆する
- ブラバンのシゲルス(1240年頃 - 1281年/1284年) - パリ大学の教授・イブン・ルシュド(アヴェロエス)の哲学を導入し二重真理説を提唱
- フィリップ3世(1245年 - 1285年) - フランス国王(在位1270年 - 1285年)・シチリアの晩禱事件からアラゴン十字軍を起こす
- ペトルス・ヨハネス・オリヴィ(1248年 - 1298年) - フランシスコ会士(厳格派)・売買や契約の概念に再検討を加える・『契約論』他がある
イングランド
- ジョン(欠地王) (1167年 - 1216年) - イングランド王(在位1199年 - 1216年)・大陸領土を喪失・教皇に破門される・大憲章を承認
- ロバート・グロステスト(1175年? - 1253年) - イングランドのリンカーン司教・オックスフォード大学総長・光学や自然哲学に貢献
- マシュー・パリス(1200年頃 - 1259年) - イングランドの歴史家・セントオルバーンズ修道院に所属し『大年代記(クロニカ・マヨラ)』を執筆
- ヘンリー・ブラクトン(? - 1268年) - イングランドのローマ法学者で聖職者・「国王といえども神と法の下にある」の句は有名
- ヘンリー3世(1207年 - 1272年) - イングランド王(在位1216年 - 1272年)・諸侯の反乱を受けて議会の設置に同意する
- シモン・ド・モンフォール(1208年 - 1265年) - イングランド貴族(第6代レスター伯)・国王ヘンリー3世に対抗し議会を整備
- ロジャー・ベーコン(1214年 - 1294年) - イングランドの哲学者・神学者・驚嘆博士・近代科学の先駆者とされる
- ルウェリン・アプ・グリフィズ(1228年頃 - 1282年) - イングランド王エドワード1世による征服以前のウェールズ独立時代最後の公
- エドワード1世(長脛王)(1239年 - 1307年) - イングランド王(在位1272年 - 1307年)・ウェールズを征服・模範議会を開く
スコットランド
- アレグザンダー2世 (1189年 - 1249年) - アサル朝のスコットランド王(在位1214年 - 1249年)・ヨーク条約で国境を画定
- アレグザンダー3世 (1241年 - 1286年) - アサル朝最後のスコットランド王(在位1249年 - 1286年)・ヘブリディーズ諸島を獲得
- マーガレット (1283年 - 1290年)- スコットランド女王(在位1286年 - 1290年)・アレグザンダー3世の外孫・夭折し王統は断絶
- ジョン・ベイリャル (1250年 - 1315年) - スコットランド王(在位1292年 - 1296年)・イングランドに敗北しスクーンの石を奪われる
神聖ローマ帝国
- ハルトマン・フォン・アウエ(1160年頃 - 1210年頃) - 詩人・業病に侵された騎士と清純な乙女を描いた物語『哀れなハインリヒ』の作者
- ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160年/1180年頃 - 1220年以後) - 詩人・ミンネザンガー・叙事詩『パルチヴァール』で有名
- ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170年頃 - 1230年頃) - 詩人・ミンネザンガー・叙情詩「菩提樹の下で」や政治詩がある
- ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク(1170年頃 - 1210年頃) - 詩人・ミンネザンガー・叙事詩『トリスタン』は長編だが未完で終了
- オットー4世(1175年 - 1218年) - 神聖ローマ皇帝(在位1209年 - 1215年)・ブーヴィーヌの戦いでジョン王と組んで敗北する
- アイケ・フォン・レプゴー(1180年 - 1235年) - 行政官・ドイツ語として最古の散文文書であり法書である『ザクセンシュピーゲル』を編纂
- ハイスターバッハのカエサリウス(1180年頃 - 1240年頃) - シトー会修道士・奇談を多く含んだ聖人伝『奇跡についての対話』をまとめる
- コンラート・フォン・マールブルク(1180年/1190年頃 - 1233年) - 異端審問官・聖女エリーザベトの告解師父・異端審問を憎まれ暗殺される
- アルベルトゥス・マグヌス(1193年頃 - 1280年) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・普遍博士・トマス・アクィナスの師・錬金術でも有名
- フリードリヒ2世(1194年 - 1250年) - ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位1215年 - 1250年)・第6回十字軍に参加
- タンホイザー(? - 1265年以降) - 詩人・ミンネザンガー・オーストリア公フリードリヒ2世に仕える・ワーグナーのオペラの主人公でもある
- ルドルフ1世(1218年 - 1291年) - ハプスブルク家における最初の神聖ローマ帝国君主(ローマ王)(在位1273年 - 1291年)
- ルトガルディス(1182年 - 1246年) - フランドルのシトー会修道女・神秘家・幻視や聖痕にまつわる生涯をまとめた聖人伝でも有名
- エリーザベト(1207年 - 1231年) - ハンガリー王女・テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世の妻・修道女となり死後列聖される
- マクデブルクのメヒティルト(1210年 - 1279年) - ベギン会の女性・後にヘルフタ修道院に居住・神秘家・著作に『神性の流れる光』がある
- ハッケボルンのメヒティルト(1240年/1241年 – 1298年/1299年) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『特別な恩寵の書』がある
- ヘルフタのゲルトルード(1256年 - 1302年) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『神の愛の使者』があり大ゲルトルードと呼ばれる
北欧
- スノッリ・ストゥルルソン(1178年/1179年 - 1241年) - アイスランドの政治家・歴史家・『ヘイムスクリングラ』『スノッリのエッダ』を執筆
- ホーコン4世ホーコンソン(老王)(1204年 - 1263年) - ノルウェーの国王(在位1217年 - 1263年)・国内体制を整え王国に最盛期をもたらす
- ビルイェル・ヤール(? - 1266年) - スウェーデンの政治家・北方十字軍を指揮・息子ヴァルデマールを国王に擁立しフォルクンガ朝の祖となる
南アジア・チベット・東南アジア
- シャキャーシュリーバトラ(1127年 - 1225年) - インドのヴィクラマシーラ寺院最後の学頭・寺院破却後はチベットに亡命し仏教を伝える
- サキャ・パンディタ(1182年 - 1251年) - チベットのサキャ派の座主・シャーキャシュリーパドラの法を継ぐ・パクパは甥
- マドヴァ(1199年 - 1278年) - インドの思想家・ヴィシュヌ派からマドヴァ派を起こしシャンカラ派と対立・主著は『ブラフマ・スートラ注解』
- パクパ(パスパ)(1235年 - 1280年) - チベットのサキャ派の座主・元のクビライに招請され帝師となりパスパ文字を作成
- ナラシンハ・デーヴァ1世(? - 1264年) - インドの東ガンガ朝の君主(在位1238年 - 1264年)・コナーラクのスーリヤ寺院を建設
- ジャヤーヴァルマン8世(? - 1295年) - カンボジアのクメール朝第22代国王(在位1243年 - 1295年)・廃仏を行う・周達観が来訪
- ジャターヴァルマン・スンダラ・パーンディヤ1世(? - 1268年) - パーンディヤ朝の君主(在位1251年 - 1268年)・貿易により最盛期を現出
- ルドラマ・デーヴィー(? - 1289年/1295年) - カーカティーヤ朝の女性君主(在位1263年 - 1289年/1295年) ・善政と繁栄ぶりで有名
- マーラヴァルマン・クラーシェカラ1世(? - 1309年) - パーンディヤ朝の君主(在位1268年 - 1309年)・チョーラ朝を滅ぼして領土を拡大
- ラームカムヘーン(大王)(1239年 - 1317年) - タイのスコータイ朝第3代国王(在位1277年 - 1317年)・タイ文字作成・上座部仏教を導入
東アジア
南宋・金・元
- 丘長春(長春真人)(1148年 - 1227年) - 金末期からモンゴル帝国初期の全真教の道士
- 済公(済顛)(1149年 - 1209年) - 南宋の禅僧・杭州の霊隠寺や浄慈寺で活躍・風狂の僧として伝説化される
- 韓侂冑(1152年 - 1207年) - 南宋の宰相・慶元の党禁で活躍・開禧の北伐に失敗し処刑される
- 馬遠(生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・夏珪と並ぶ院体画に属する・代表作に「洞山渡水図」がある
- 夏珪(生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・馬遠と並ぶ院体画に属する・代表作に「溪山清遠図巻」がある
- 陳淳(1159年 - 1223年) - 南宋の思想家・朱熹の弟子・朱子学の基本概念をまとめた『北渓字義』を執筆
- 史弥遠(1164年 - 1233年) - 南宋の宰相・韓侂冑を倒し金と和議を結ぶ(嘉定の和議)・寧宗没後に理宗を擁立
- 趙汝适(1170年 - 1228年) - 南宋の官僚・著述家・泉州の市舶司の時にアラビア経由の情報から『諸蕃志』を執筆
- 真徳秀(1178年 - 1235年) - 南宋の政治家・皇帝理宗の側近として政治改革(端平更化)を行うが頓挫する
- 無準師範(1178年 - 1249年) - 南宋の禅僧(仏鑑禅師)・中国五山第一径山万寿寺の住持・弟子に無学祖元や牧谿がいる
- 無門慧開(1183年 - 1260年) - 南宋の禅僧(仏眼禅師)・杭州の霊洞山護国仁王寺住持・公案集でもある『無門関』を編纂
- 張即之(1186年 - 1266年) - 南宋の官僚・書家・代表作に楷書「金剛般若波羅蜜経」がある・日本の禅林にもその書が招来される
- 耶律楚材(1190年 - 1244年) - モンゴル帝国の官僚・遼の契丹族の末裔・戸籍や税制で功績があったか
- 孟珙(1195年 - 1246年) - 南宋の将軍・金の滅亡に貢献・モンゴル帝国との戦いでは南宋の防衛線を守り通す
- 郭侃(? - 1277年) - モンゴル帝国の将軍・フレグの西征やバグダードの戦いで活躍・後にフレグを離れフビライに仕える
- 賈似道(1213年 - 1275年) - 南宋末期の宰相・度宗のもとで専権を極める・モンゴル南宋戦争で敗退し失脚
- 蘭渓道隆(1213年 - 1278年) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無明慧性の弟子)・鎌倉建長寺開山
- 無学祖元(1226年 - 1286年) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無準師範の弟子)・鎌倉円覚寺開山
- 牧谿(生没年不詳) - 南宋の禅僧(無準師範の弟子)・法名は法常・水墨画家・「瀟湘八景図巻」などが日本に招来される
- 玉澗(生没年不詳) - 南宋の禅僧(杭州天竺寺書記)・法名は若芬・水墨画家・「瀟湘八景図」や「廬山図」などが日本に招来される
- 呉自牧(生没年不詳) - 南宋の文人・首都臨安の記録である『夢梁録』を執筆
- 謝枋得(1226年 - 1289年) - 南宋末期の政治家・学者・元には仕えずに唐宋の文章から『文章軌範』を撰述
- 曾先之(生没年不詳) - 南宋末期の学者・元には仕えずに正史の要約本『十八史略』を執筆
- 呂文煥(生没年不詳) - 南宋末期の軍人・襄陽の守将となり襄陽樊城の戦いで奮戦するも降伏・後に元軍に従い臨安開城などで活躍
- 蒲寿庚(生没年不詳) - 南宋から元の泉州の貿易商人・アラブ系イスラム教徒・南宋を裏切り元の水軍司令官となる
- アフマド・ファナーカティー(? - 1282年) - 元の財務官僚・ムスリム式の徴税制度を導入し実権を握るが反発を招き暗殺される
- ジャマールッディーン(? - 1301年) - 元に仕えた天文学者・イラン出身・大都にイスラム式天文台を作り郭守敬に影響を与える
- 郭守敬(1231年 - 1316年) - 元に仕えた水利事業家・天文学者・暦学者で「授時暦」を作成
- 范文虎(? - 1301年) - 南宋から元の軍人・賈似道の娘婿・襄陽包囲戦で降伏してから元に仕え日本討伐の江南軍司令官となる
- 銭選(1235年頃 - 1301年以降) - 南宋から元の文人画家・篆刻家・趙孟頫と交流するも元には仕えず・「宮女図」がある
- 陸秀夫(1236年 - 1279年) - 南宋末期の宰相・崖山の戦いで帝昺とともに入水・亡宋の三傑の一人
- 張世傑(? - 1279年) - 南宋末期の軍人・崖山の戦いの後に再起を図るが遭難死・亡宋の三傑の一人
- 文天祥(1236年 - 1282年) - 南宋の軍人・政治家・元朝に仕えることを拒否し刑死・亡宋の三傑の一人
- 黄道婆(1245年頃 - 1330年頃) - 元の女性紡織家・崖州に赴き黎族から綿花の栽培と織布の技術を習得し故郷の松江に広める
- 一山一寧(1247年 - 1317年) - 元の成宗テムルより遣わされた渡来僧・後に日本の建長寺ほかの住持を歴任
- 馬致遠(1250年 - 1321年) - 元の劇作家・匈奴に降嫁した王昭君の故事を題材とする元曲「漢宮秋」の作者
- 趙孟頫(1254年 - 1322年) - 南宋から元の政治家・書家・画家・宋王室の一族・著作に『松雪斎集』がある
- 鮮于枢(1257年 - 1302年) - 元の政治家・書家・詩人・著作に『困学斎集』がある
- 王実甫(1260年 - 1336年) - 元の劇作家・書生張君瑞と宰相の娘崔鶯鶯の恋愛を題材とする元曲「西廂記」の作者
- 周達観(1266年 - 1346年) - 元からクメール朝カンボジアに派遣された使節・『真臘風土記』を著し「富貴真臘」と讃える
大越
高麗
- 高宗(1192年 - 1259年) - 第23代高麗王(在位1213年 - 1259年)・モンゴルに服属・高麗八萬大蔵経でも有名
- 一然(1206年 - 1289年) - 高麗の禅僧(普覚国尊一然)・朝鮮三国時代の重要史料である『三国遺事』を撰述する
- 洪茶丘(1244年 - 1291年) - 高麗出身の武人・後に元朝に仕え三別抄の反乱の鎮圧や二度にわたる日本遠征に従事
日本
- 法然(1133年 - 1212年) - 浄土宗開祖・専修念仏を唱え『選択本願念仏集』を著す・親鸞の師
- 北条時政(1138年 - 1215年) - 鎌倉幕府初代執権(在位1203年 - 1205年)・梶原氏や比企氏を幕政から排除
- 栄西(1141年 - 1215年) - 臨済宗開祖・『興禅護国論』の著者・京都建仁寺ならびに鎌倉寿福寺開山
- 運慶(? - 1224年) - 仏師・快慶らとともに慶派を大成・東大寺南大門金剛力士像などが代表作
- 藤原隆信(1142年 - 1205年) - 歌人・画家として伝「源頼朝像」など似絵を描いたとされる
- 和田義盛(1147年 - 1213年) - 鎌倉幕府侍所別当・有力御家人であったが和田合戦で敗北し一族は滅亡
- 大江広元(1148年 - 1225年) - 源頼朝の側近・鎌倉幕府の政所初代別当・承久の乱では主戦論を唱える
- 慈円(1155年 - 1225年) - 天台宗の僧(天台座主)・歌人・九条兼実の同母弟・『愚管抄』の著者
- 貞慶(1155年)- 1213年) - 法相宗の僧・笠置寺や海住山寺を再興・「解脱上人」と呼ばれる
- 鴨長明(1155年 - 1216年) - 神官・歌人・随筆『方丈記』の著者・歌論書『無名抄』や説話『発心集』もある
- 藤原兼子(1155年 - 1229年) - 後鳥羽院の乳母・通称は卿局・鎌倉幕府との交渉に手腕を発揮し院政に重きをなす
- 北条政子(1157年 - 1225年) - 源頼朝の正室・頼家と実朝の母・「尼将軍」と呼ばれ実朝暗殺以後の幕政を指導
- 藤原定家(1162年 - 1241年) - 公卿・権中納言・歌人で『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を編纂
- 北条義時(1163年 - 1224年) - 鎌倉幕府第2代執権(在位1205年 - 1224年)・承久の乱で勝利する
- 三浦義村(? - 1239年) - 鎌倉幕府侍所所司・評定衆・有力御家人として北条氏に次ぐ宿老とされる
- 畠山重忠(1164年 - 1205年) - 御家人・「坂東武士の鑑」と称されたが畠山重忠の乱で滅ぼされる
- 俊芿(1166年 - 1227年) - 真言宗の僧・渡宋の後に泉涌寺を再興・「月輪大師」と呼ばれる
- 西園寺公経(1171年 - 1244年) - 公卿・太政大臣・西園寺家の祖・関東申次として承久の乱後の朝廷を支配
- 親鸞(1173年 - 1262年) - 浄土真宗開祖・法然の弟子・『教行信証』の著者・本願寺大谷家の祖
- 明恵(1173年 - 1232年) - 華厳宗の僧・栂尾の高山寺開山・戒律の復興に尽くし『摧邪輪』や『夢記』を残す
- 後鳥羽天皇(1180年 - 1239年) - 第82代天皇(在位1185年 - 1198年)・上皇となり承久の乱を起こす
- 源頼家(1182年 - 1204年) - 鎌倉幕府第2代将軍(在任1202年 - 1203年)・伊豆修善寺にて殺害される
- 北条泰時(1183年 - 1242年) - 鎌倉幕府第3代執権(在任1224年 - 1242年)・「御成敗式目」を制定
- 源実朝(1192年 - 1219年) - 鎌倉幕府第3代将軍(在任1203年 - 1219年)・私家集に『金槐和歌集』がある
- 順徳天皇(1197年 - 1242年) - 第84代天皇(在位1210年 - 1221年)・承久の乱で佐渡に流刑・『禁秘抄』を残す
- 少弐資能(1198年 - 1281年) - 御家人・鎌倉幕府の鎮西奉行・大宰少弐・元寇では日本側の総司令官となる
- 道元 (1200年 - 1253年) - 曹洞宗開祖・入宋して禅を学ぶ・『正法眼蔵』の著者・越前永平寺開山
- 叡尊(1201年 - 1290年) - 真言律宗の僧・奈良西大寺の復興を果たす・諡号は興正菩薩
- 円爾(1202年 - 1280年) - 臨済宗の僧・入宋して無準師範の法を嗣ぐ・京都東福寺開山・諡号は聖一国師
- 謝国明(? - 1253年以前) - 貿易商人・杭州出身の宋人で博多綱首・博多承天寺の建立や杭州径山寺復興などで活躍
- 忍性(1217年 - 1303年) - 真言律宗の僧・叡尊の弟子で鎌倉極楽寺開山・病者や非人の救済に尽くす
- 藤原頼経(1218年 - 1256年) - 鎌倉幕府第4代将軍(在任1226年 - 1244年)・摂家の九条道家の子
- 藤原頼嗣(1239年 - 1256年) - 鎌倉幕府第5代将軍(在任1244年 - 1252年)・第4代将軍頼経の子
- 後嵯峨天皇(1220年 - 1272年) - 第88代天皇(在位1242年 - 1246年)・持明院統と大覚寺統の両統分裂をもたらす
- 日蓮(1222年 - 1282年) - 日蓮宗開祖・『立正安国論』の著者・身延山久遠寺ならびに池上本門寺開山
- 阿仏尼(1222年? - 1283年) - 女院付きの女房(安嘉門院四条)・女流歌人・『十六夜日記』ほかを残す
- 北条実時(1224年 - 1276年) - 北条氏一門の金沢流の祖・引付衆や評定衆を歴任・金沢文庫の創設者
- 北条時頼(1227年 - 1263年) - 鎌倉幕府第5代執権(在任1246年 - 1256年)・宝治合戦で勝利し幕政を安定させる
- 安達泰盛(1231年 - 1285年) - 御家人・時宗死後に弘安徳政を指導するが霜月騒動で落命する
- 一遍(1239年 - 1289年) - 時宗開祖・遊行による「踊念仏」を勧める・「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」でも有名
- 凝然(1240年 - 1321年) - 華厳宗の僧・東大寺戒壇院住持・著述は1200巻にも及ぶ・『八宗綱要』は仏教研究に不可欠の文献
- 宗尊親王(1242年 - 1274年) - 鎌倉幕府第6代将軍(在任1252年 - 1266年)・後嵯峨天皇の皇子で最初の皇族将軍
- 竹崎季長(1246年 - ?) - 御家人・元寇で奮戦するも恩賞不足に苦しむ・「蒙古襲来絵詞」で知られる
- 北条時宗(1251年 - 1284年) - 鎌倉幕府第8代執権(在任1268年 - 1284年)・幕府の中枢にあって元寇を斥ける
- 浅原為頼(? - 1290年) - 武将・甲斐源氏小笠原の一族・伏見天皇暗殺を謀り宮中に乱入・失敗して自殺する(浅原事件)
- 平頼綱(? - 1293年) - 内管領・霜月騒動に勝利し権力を握るが平禅門の乱で落命する
- 惟康親王(1264年 - 1326年) - 鎌倉幕府第7代将軍(在任1266年 - 1289年)・第6代将軍宗尊親王の子
- 北条貞時(1271年 - 1311年) - 鎌倉幕府第9代執権(在任1284年 - 1301年)・得宗権力を拡大し永仁の徳政令を出す
- 久明親王(1276年 - 1328年) - 鎌倉幕府8代将軍(在任1289年 - 1308年)・後深草天皇の皇子
フィクションのできごと
- 1204年 - 第四回十字軍によるコンスタンティノポリス占領の混乱で窮地に追い詰められた東ローマ帝国の高官・歴史家ニケタス・コニアテスは危機一髪のところをラテン人バウドリーノに救出される。バウドリーノは奇想天外な人生の顛末をニケタスに語り始める(ウンベルト・エーコ『バウドリーノ』)。
- 1205年 - 栂ノ尾高山寺の明恵が入唐渡天を志し、春日明神に暇乞いをする。一人の翁が現れて明恵の出立を止めるように申し入れる。老人は春日神社の使者で、八大龍王が眷属を引き連れて現れ、諸仏が居並ぶ中で釈迦が説法をする様子を見せると、明恵はこの奇跡を見て入唐渡天を思い止まる(能「春日龍神」)。
- 1213年 - 北条氏に反発した侍所別当和田義盛らが反乱を起こし(和田合戦)、多くの和田一族の多くが滅せられる中で、義盛の三男朝比奈三郎義秀は生き残り安房国に出奔。この後、高麗に渡ったという伝説のほか小人の島や馬人の島を訪ねたとも伝えられ、果ては地獄をめぐり閻魔大王と対決したという伝承も残されている(「朝比奈三郎伝説」)。
- 1216年以前 - ノッティンガム南方に位置するゴタム村に、悪名高いジョン王が道路を貫通させようと狙っていた。王の使者が視察に来たところ、村人たちは世にも愚かしい行為を繰り広げることでジョン王の使者を辟易させ、計画を撤回させたので「ゴタム村の賢人たち」と呼ばれた(イングランドの昔話)。
- 1216年 - 1227年 - ローマ教皇ホノリウス3世は諸学を修め多方面の学識に富む人物であったが、魔術にも精通しておりグリモワールと呼ばれる魔術書の一つ『教皇ホノリウスの奥義書』を執筆する(この著作は教皇ホノリウス3世に仮託した17世紀の魔術本である)。
- 1220年頃 - アルプスを南北につなぐゴッタルド峠はかねてから交通の難所で、ある牧人が悪魔に頼み込んで特別な橋を架けてもらう。悪魔はその引き換えに生贄を要求するが、機転を利かした牧人によって悪魔は退けられる(ゴッタルド峠の魔橋伝説)。
- 1239年以降 - 皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)の対立するヴェローナでロミオとジュリエットの悲劇が起こる(ウィリアム・シェークスピアの悲劇)。
- 1249年以前 - 聖一国師円爾が日本に禅を招来したことにより、日本の菅原道真が中国の南宋に渡り、径山万寿寺の無準師範のもとで学び衣鉢を継いだ。道真は中国の文人の姿となり梅花を手に持つ像が描かれた(「渡唐天神伝説」、花山院長親『両聖記』)。
- 1256年 - モンゴル帝国皇帝のクーブラ・カーン(フビライ・ハン)が、聖なるアルフ河の流れに沿って、城壁城塔がそびえたつ、そして甘美な花咲きそろう庭園を持つ歓楽の都ザナドゥを建立していく。イギリスの詩人コールリッジは、1797年のとある日、麻薬を吸引したままこの幻想的な夢を見、その光景に目を奪われた(サミュエル・テイラー・コールリッジ『クーブラ・カーン』)。
- 1256年以降 - 1263年以前 - 僧形となった北条時頼が諸国遍歴の途上、下野の御家人佐野源左衛門尉常世の館で一夜の宿をとる(謡曲『鉢の木』)。
- 1261年 - 1264年 - 愛欲生活を続けてきたタンホイザーが教皇ウルバヌス4世に懺悔するが、教皇は自分の持つ枯れ木の杖から芽が出るまで救われることはないと告げる。悲嘆に暮れるタンホイザーがその場を立ち去ると、教皇の杖から新たな芽が生えてきたが、ついに彼を見つけ出すことはできなかった(「タンホイザー」伝説)。
- 1271年/1275年 - 1292年 - 元のフビライ・ハンに仕えたマルコ・ポーロが各地を巡り「死者たちとすれ違う都市」「名前の上にのみ育つ都市」「蜘蛛の巣都市」などの不思議な街を紹介する(イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』)。
- 1272年 - 鎌倉建長寺の裏山で老いた寺男安里(あんり)が、大覚禅師(蘭渓道隆)により日本に連れて来られる以前はフランスの牧童で少年十字軍に加わっていたことを語りだす(三島由紀夫『海と夕焼』)。
- 1282年 - フランス人支配に不満が高まっているシチリア島で、前シチリア王の妹エレーナと島の若者のアッリーゴは身分違いもあってその恋愛はうまく成就しない。複雑な経緯があってやがてこの二人は「シチリアの晩鐘」事件に巻き込まれていく(ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「シチリアの晩鐘」)。
- 1285年 - 道ならぬ恋によりリミニ領主ジョヴァンニ・マラテスタの怒りを買った、その妻フランチェスカとその弟パオロは、ともに殺害され愛欲の地獄に落ちてからも、黒い風に吹き流され永遠にさまよい続けている(ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇第二圏)。
- 1300年 - 聖金曜日に詩人ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、地獄・煉獄・天国遍歴が始まる(ダンテ・アリギエーリ『神曲』地獄篇冒頭)。
- 13世紀から14世紀 - モンゴルの支配が及ばない都市ノブゴロドの冒険商人であったサトコは、航海途上で船が立ち往生したことで生贄とされ、その身は海に投じられた。海の帝王の怒りを宥めるためサトコは懸命に歌い、それがもとで帝王の娘ヴァルホヴァとの結婚が許される(ニコライ・リムスキー=コルサコフのオペラ『サトコ』、原作はロシアの口承叙事詩(ブィリーナ))。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、13世紀に関するカテゴリがあります。