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アッシジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アッシジ
Assisi
アッシジの風景
アッシジの旗 アッシジの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
ウンブリア州の旗 ウンブリア
県/大都市 ペルージャ
CAP(郵便番号) 06081
市外局番 075
ISTATコード 054001
識別コード A475
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
気候分類 zona E, 2198 GG
公式サイト リンク
人口
人口 27549 人 (2024-01-01 [1])
人口密度 147.4 人/km2
文化
住民の呼称 assisani
守護聖人 san Rufino
祝祭日 8月12日
地理
座標 北緯43度04分12秒 東経12度37分03秒 / 北緯43.07000度 東経12.61750度 / 43.07000; 12.61750座標: 北緯43度04分12秒 東経12度37分03秒 / 北緯43.07000度 東経12.61750度 / 43.07000; 12.61750
標高 424 (184 - 1290) [2] m
面積 186.84 [3] km2
アッシジの位置(イタリア内)
アッシジ
アッシジの位置
ペルージャ県におけるコムーネの領域
ペルージャ県におけるコムーネの領域 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
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アッシジ: Assisi)は、イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県にある都市で、人口約28,000人の基礎自治体コムーネ)。

フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。フランチェスコの名を冠した聖堂やフランシスコ会関連施設は「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として世界遺産に登録されている。

名称

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Assisi は、標準イタリア語において [asˈsizi] [注釈 1]と発音される。これはカナ転記した場合には「アッスィーズィ」が近い[4]。一方、地元ウンブリア(ウンブリア方言 (it:Dialetti umbri)においては「アッスィスィ」が近い発音とされる[5]

日本語文献では一般に「アッシジ」[5][6][7][8][9]表記が多い。このほか、「アッシージ」[5][10]、「アシジ」[5]など多様な表記ゆれがある。

地理

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位置・広がり

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ペルージャ県の中部に位置するコムーネで、スバシオ山英語版の西麓にあたる。丘陵上に築かれたアッシジの市街は、県都ペルージャから南南東へ約19km、リエーティから北へ約77km、アンコーナから南西へ約95km、首都ローマから北へ約131kmの距離にある[11]

自治体(コムーネ)としてのアッシジ市は、郊外部をその範囲に含み、市域面積は 186.84 km2 に及ぶ。

隣接コムーネ

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隣接するコムーネは以下の通り。

気候分類・地震分類

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アッシジにおけるイタリアの気候分類 (itおよび度日は、zona E, 2198 GGである[12]。 また、イタリアの地震リスク階級 (itでは、zona 2 (sismicità media) に分類される[13]

歴史

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先史・古代

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紀元前1000年ごろ、アッシジ周辺を含む、ティベレ川上流域からアドリア海にかけての地域に最初の移住者が現れた。ウンブリア人 (Umbriと呼ばれるかれらは、高台の上に要塞化した小さな集落を築いた。紀元前450年ごろには、エトルリア人がこれらの集落を徐々に奪っていった。

紀元前295年ローマ人センティヌムの戦いで中部イタリアを支配下に置いた。ローマ人たちはスバシオ山麓の台地にアッシシウム(Asisium)の街を築いた。当時のローマ人の遺跡は、現在も城壁や広場(フォルム、現在のコムーネ広場 Piazza del Comune)、劇場、円形闘技場、ミネルヴァ神殿などに見ることができる。なお1997年には、当時のローマ人の村が、あたかもポンペイを思わせるような良好な状態で発掘されており、モザイクやフレスコ画で飾られた部屋が確認された。

紀元前217年、ローマと敵対したカルタゴの将軍ハンニバルがローマに向かって軍を進める途中で、この町を通る際、他の都市と違って、同盟を維持したことに感謝したローマはアッシジにミネルバ神殿など数々の神殿を建てている[14]

238年、アッシジの街はルフィヌス(ルフィノ) (en司教の働きによりキリスト教に改宗した。ルフィヌスはコンスターノ( (Costano、現在はバスティーア・ウンブラ分離集落)で殉教するが、伝承によればアッシジ聖堂( (en, サン・ルフィーノ聖堂)はその墓の上に建てられたという。

中世

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14世紀の画家ピエトロ・ロレンツェッティのフレスコ画

545年、東ゴート王国トーティラは街の大部分を破壊した。アッシジはその後ランゴバルド王国の支配下に入り、その後はフランク人スポレート公国の支配下に入った。

11世紀、この街は独立した都市国家となりギベリン(皇帝派)の立場を取ったが、このためゲルフ(教皇派)のペルージャとは激しく抗争する関係にあった。若きジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ(のちのアッシジのフランチェスコ)が捕虜となったポンテ・サン・ジョヴァンニの戦いも、こうした抗争の中の一幕である。このことをきっかけとしてフランチェスコは物乞いの中に身を置き、「小さな兄弟会」(フランシスコ会)を設立することになる。

13世紀、それまでローマ時代の城壁内に収まっていた市街は、城壁の外へと拡大する。この時代、都市は教皇領に含まれた。皇帝の要塞であったロッカ・マッジョーレは1189年に市民によって略奪されていたが、1397年に教皇使節ジル・デ・アルボルノス英語版枢機卿の命によって再建された。

アッシジはやがてペルージャの支配を受け、次いで何人かの専制君主の支配下に置かれた。ビオルド・ミケロッティ (Biordo Michelottiジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティやその後継者であるミラノ公フランチェスコ・スフォルツァ、ヤーコポ・ピッチニーノ (it:Jacopo Piccinino、ウルビーノ公フェデリーコ2世 (Federico II da Montefeltroなどである。1348年黒死病の流行は年に大きな被害を与えた。

近世以後

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ピウス2世(在位: 1458年 - 1464年)の時代、アッシジは再び教皇領となった。

1569年、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂 (it:Basilica di Santa Maria degli Angeliの建設が開始された。ルネサンス期からその後の時代にかけて、アッシジは平穏に発展したことは、17世紀の邸宅(パラッツォ)群が物語る。

今日のアッシジは、この町出身の聖フランシスコの伝説に導かれた多くの巡礼者が訪れる町である。この聖人は、フランシスコ会の創設者として、またシエナの聖カタリナとともにイタリアの守護聖人として崇敬を集めている。また、鳥に対して説教を行った伝説から、多くの人々に(非キリスト者にも)自然を愛した人物として記憶されている。

1997年9月、アッシジはウンブリア州を襲った2度の大地震に見舞われ、多くの史跡も被害を受けた。しかし、復旧・復興はすみやかに行われた。主要な観光地であるサンフランチェスコ教会は、2年足らずのうちに公開を再開した。

行政

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行政区画

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アッシジには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Armenzano, Capodacqua, Castelnuovo, Colle delle Forche, Costa di Trex, Mora, Palazzo, Paradiso, Passaggio d'Assisi, Petrignano, Pieve San Nicolò, Porziano, Rivotorto, Rocca Sant'Angelo, San Gregorio, Santa Maria degli Angeli, Santa Maria Lignano, San Presto, Sterpeto, Torchiagina, Tordandrea, Tordibetto, Viole

交通

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道路

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ペルージャ市街からバスで訪れることができる。

  • SS75
  • SS147

鉄道

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1866年に開業したアッシジ駅 (it:Stazione di Assisiがある。アッシジ駅は、市街から南西へ約5km離れている。

空港

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ペルージャとの中間、両市の市境にペルージャ空港 (it:Aeroporto di Perugiaがある。この空港の正式名称は「ペルージャ・サン・フランチェスコ・ダッシジ=ウンブリア国際空港」(Perugia San Francesco d'Assisi – Umbria International Airport)で、アッシジのフランシスコの名を副名称に採用している。

人物

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著名な出身者

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アッシジを舞台にした作品

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  • 脚本『真似』菊池寛(全文

姉妹都市

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脚注

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注釈

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  1. ^ Dizionario di pronuncia italianaによる表記(DiPI Online - Dizionario di Pronuncia Italiana”. 2017年4月10日閲覧。

出典

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  1. ^ Popolazione residente per sesso, età e stato civile al 1° gennaio 2024” (イタリア語). 国立統計研究所(ISTAT). 2024年5月25日閲覧。メニューでVista per singola areaを選択。Anno:2024, Ripartizione:Centro, Regione:Umbria, Provincia:Perugia, Comune:Assisi を選択
  2. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Perugia (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年9月19日閲覧。
  3. ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Perugia (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年9月19日閲覧。
  4. ^ 松浦弘明『快速マスター イタリア語』(語研、2013年)、p.6
  5. ^ a b c d アッシジを初めて訪れる人のために”. ガッレリア・アッシジ. 2017年4月10日閲覧。
  6. ^ アッシジ”. デジタル大辞泉(コトバンク所収). 2015年4月18日閲覧。
  7. ^ アッシジ”. 百科事典マイペディア(コトバンク所収). 2015年4月18日閲覧。
  8. ^ アッシジ”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2015年4月18日閲覧。
  9. ^ 堺憲一. “アッシジ”. 日本大百科全書ニッポニカ(コトバンク所収). 2015年4月18日閲覧。
  10. ^ アッシージ、聖フランチェスコ聖堂と関連遺跡群”. 世界遺産詳解(コトバンク所収). 2015年4月18日閲覧。
  11. ^ 2点間の直線距離を測る”. 2015年4月18日閲覧。
  12. ^ Tabella dei gradi/giorno dei Comuni italiani raggruppati per Regione e Provincia”. 新技術エネルギー環境局(ENEA) (2011年3月1日). 2017年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月20日閲覧。
  13. ^ classificazione sismica aggiornata al aprile 2023” (xls). https://rischi.protezionecivile.gov.it/it/sismico/attivita/classificazione-sismica/. イタリア市民保護局. 2023年12月16日閲覧。
  14. ^ ニューズウィーク2001年8月15日/22日, p. 47.

関連項目

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参考文献

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  • “アッシジ 貧困の聖者が生きた緑の丘と静かな時間”. ニューズウィーク日本版(2001年8月15日/22日号). TBSブリタニカ. (2001-8-22). 

外部リンク

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コンベンツアル聖フランシスコ修道会 関町修学院・志願院