ノヴゴロド公
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ノヴゴロド公(ノヴゴロドこう、ロシア語: Князь новгородский)は、キエフ・ルーシ時代のルーシ北部において、ノヴゴロドを首都として成立したノヴゴロド公国(Новгородского княжества)ならびにノヴゴロド共和国(Новгородская республика)[1]の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。
- 留意事項
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- 本頁の人名・地名は現地の言語の音写よりも、日本語表記として一般的と思われるものを優先して表記している。
- 各人物は、文献によっては「~世」・「~公」等の数えや通称の併記、あるいは洗礼名での表記などにより、異なる表記がなされている可能性がある。
- 各人物は、他の称号の元で異なる数えがなされる可能性がある。(例:スヴャトポルク・イジャスラヴィチはノヴゴロド公としては1人目のスヴャトポルクであるが、キエフ大公としては「スヴャトポルク2世」となる。)
各人物の詳細は各頁を参照。
ノヴゴロド公の一覧
[編集]伝説的な人物
[編集]ノヴゴロド公国
[編集]- リューリク(在位:862年 - 879年)
- オレグ(在位:879年 - 912年)
- イーゴリ・リュリコヴィチ(在位:912年 - 945年)
- スヴャトスラフ・イゴリヴィチ(在位:945年 - 969年)
- ウラジーミル・スヴャトスラヴィチ(在位:969年 - 977年)
- ヤロポルク・スヴャトスラヴィチ(在位:977年 - 979年)
- ウラジーミル・スヴャトスラヴィチ(在位:979年 - 988年):再任
- ヴィシェスラフ・ウラジミロヴィチ(ru)(在位:988年 - 1010年)
- ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1010年 - 1034年)
- ウラジーミル・ヤロスラヴィチ(在位:1034年 - 1052年)
- イジャスラフ・ヤロスラヴィチ(在位:1052年 - 1054年)
- ムスチスラフ・イジャスラヴィチ(在位:1055年 - 1067年)
- グレプ・スヴャトスラヴィチ(在位:1067年、1069年 - 1073年、1077年 - 1078年)
- スヴャトポルク・イジャスラヴィチ(在位:1078年 - 1088年)
- ムスチスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1088年 - 1094年)
- ダヴィド・スヴャトスラヴィチ(在位:1094年 - 1095年)
- ムスチスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1095年 - 1117年):再任
- フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1117年 - 1132年)
- スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ(在位:1132年)
- フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1132年 - 1136年):再任
ノヴゴロド共和国
[編集]- スヴャトスラフ・オリゴヴィチ(在位:1136年 - 1138年)
- スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ(在位:1138年):再任
- ロスチスラフ・ユーリエヴィチ(ru)(en)(在位:1138年 - 1140年)
- スヴャトスラフ・オリゴヴィチ(在位:1140年 - 1141年):再任
- スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1141年)
- ロスチスラフ・ユーリエヴィチ(在位:1141年 - 1142年):再任
- スヴャトポルク・ムスチスラヴィチ(在位:1142年 - 1148年):再任
- ヤロスラフ・イジャスラヴィチ(在位:1148年 - 1154年)
- ロスチスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1154年)
- ダヴィド・ロスチスラヴィチ(在位:1154年 - 1155年)
- ムスチスラフ・ユーリエヴィチ(在位:1155年 - 1158年)
- スヴャトスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1158年 - 1160年)
- ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1160年 - 1168年)
- スヴャトスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1161年 - 1168年):再任
- ロマン・ムスチスラヴィチ(在位:1168年 - 1170年)
- リューリク・ロスチスラヴィチ(在位:1170年 - 1171年)
- ユーリー・アンドレエヴィチ(ru)(在位:1171年 - 1175年)
- スヴャトスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1175年 - 1176年):在位1218年 - 1219年の人物とは別人
- ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1177年):再任
- ヤロスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1177年)
- ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1177年 - 1178年):再任
- ヤロポルク・ロスチスラヴィチ(在位:1178年)
- ロマン・ロスチスラヴィチ(在位:1178年 - 1179年)
- ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ(在位:1179年 - 1180年):通称フラブリー。上記の人物とは別人
- ウラジーミル・スヴャトスラヴィチ(在位:1180年 - 1181年)
- ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1182年 - 1184年)
- ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ(在位:1184年 - 1187年)
- ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1187年 - 1196年):再任
- ヤロポルク・ヤロスラヴィチ(在位:1197年)
- ヤロスラフ・ウラジミロヴィチ(在位:1197年 - 1199年):再任
- スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ(ru)(en)(在位:1200年 - 1205年)
- コンスタンチン・フセヴォロドヴィチ(在位:1205年 - 1207年)
- スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1207年 - 1210年):再任
- ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1210年 - 1215年)
- ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1215年 - 1216年)
- ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1216年 - 1218年):再任
- スヴャトスラフ・ムスチスラヴィチ(在位:1218年 - 1219年)
- フセヴォロド・ムスチスラヴィチ(在位:1219年 - 1221年)
- フセヴォロド・ユーリエヴィチ(ru)(在位:1221年)
- ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1221年 - 1223年):再任
- フセヴォロド・ユーリエヴィチ(在位:1223年 - 1224年):再任
- ミハイル・フセヴォロドヴィチ(在位:1224年 - 1226年)
- ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1226年 - 1228年):再任
- フョードル・ヤロスラヴィチ(ru)(在位:1228年 - 1229年):下記の人物との共同統治。
- アレクサンドル・ヤロスラヴィチ(在位:1228年 - 1229年):上記の人物との共同統治。通称・アレクサンドル・ネフスキー。
- ミハイル・フセヴォロドヴィチ(在位:1229年):再任
- ロスチスラフ・ミハイロヴィチ(在位:1229年 - 1230年)
- ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ(在位:1230年 - 1236年):再任
- アレクサンドル・ヤロスラヴィチ(在位:1236年 - 1240年、1241年 - 1252年):再任
- ヴァシーリー・アレクサンドロヴィチ(ru)(在位:1252年 - 1255年)
- ヤロスラフ・ヤロスラヴィチ(在位:1255年)
- ヴァーシリー・アレクサンドロヴィチ(在位:1255年 - 1257年):再任
- アレクサンドル・ヤロスラヴィチ(在位:1257年 - 1259年):再任
- ドミトリー・アレクサンドロヴィチ(在位:1259年 - 1263年)
- ヤロスラフ・ヤロスラヴィチ(在位:1264年 - 1272年):再任
- ドミトリー・アレクサンドロヴィチ(在位:1272年 - 1273年):再任
- ヴァシーリー・ヤロスラヴィチ(在位:1273年 - 1276年)
- ドミトリー・アレクサンドロヴィチ(在位:1276年 - 1281年):再任
- アンドレイ・アレクサンドロヴィチ(在位:1281年 - 1285年)
- ドミトリー・アレクサンドロヴィチ(在位:1285年 - 1292年):再任
- アンドレイ・アレクサンドロヴィチ(在位:1292年 - 1304年):再任
- ミハイル・ヤロスラヴィチ(在位:1308年 - 1314年)
- アファナシー・ダニーロヴィチ(ru)(在位:1314年 - 1315年)
- ユーリー・ダニーロヴィチ(在位:1322年 - 1325年)
- アレクサンドル・ミハイロヴィチ(在位:1325年 - 1327年)
- イヴァン・ダニーロヴィチ(在位:1328年 - 1337年)
- セミョーン・イヴァノヴィチ(在位:1346年 - 1353年)
- イヴァン・イヴァノヴィチ(在位:1355年 - 1359年)
- ドミトリー・コンスタンチノヴィチ(ru)(en)(在位:1359年 - 1363年)
- ドミトリー・イヴァノヴィチ(在位:1363年 - 1389年)
- レングヴェニス・アルギルダイティス(在位:1389年 - 1407年)
- ヴァシリー・ドミトリヴィチ(在位:1408年 - 1425年)
- ヴァシリー・ヴァシリエヴィチ(在位:1425年 - 1462年)
- ミハイル・オレリコヴィチ(在位:1470年 - 1471年)
- イヴァン・ヴァシリエヴィチ(在位:1462年 - 1480年)
イヴァン・ヴァシリエヴィチ(イヴァン3世・イヴァン雷帝)によりモスクワ大公国へ併合
脚注
[編集]- ^ 日本語文献においては一貫してノヴゴロド公国と表記することがある。なお、ノヴゴロド共和国の君主も公(Князь:クニャージ)と称される。
- ^ 伝説的な人物については「スロヴェネとルーシと都市スロヴェネの伝説(Сказание о Словене и Русе и городе Словенске)」(ru)の頁参照。
出典
[編集]- Новгород Великий//Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- Минникес И. В. Основания и порядок избрания князя в русском государстве X-XIV вв. '7// Академический юридический журнал. — Иркутское ГНИУ Институт Законодательства и правовой информации, 2001. — № 4(6) (октябрь-декабрь).
- Рыжов К Все монархи мира. Россия— М.: Вече, 1998. — 640 с. — 16 000 экз.
- Россия, СССР, СНГ(2007年9月30日時点のアーカイブ)