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スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ (キエフ大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スヴャトスラフ3世
Святослав III
キエフ大公
チェルニゴフ公位につくスヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチ
在位 1173年1176年 - 1181年、1181年 - 1194年
別号 チェルニゴフ公
在位 1164年 - 1180年

出生 1123年
死去 1194年7月25日
配偶者 マリヤ・ヴァシルコヴナ
子女 一覧参照
家名 リューリク家
王朝 リューリク朝
父親 フセヴォロド2世
母親 マリヤ・ムスチスラヴナ
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スヴャトスラフ・フセヴォロドヴィチロシア語: Святослав Всеволодович1123年頃 - 1194年7月25日)は、チェルニゴフ公キエフ大公フセヴォロドの長男である。母はムスチスラフ(ムスチスラフ・ヴェリーキー)の娘マリヤノヴゴロド公:1140年[1]トゥーロフ公:1142年[1]、1154年 - 1155年、ヴォルィーニ公:1142年 - 1146年[2]、キエフ大公:1173年1176年 - 1181年、1181年 - 1194年。

生涯

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1146年に父フセヴォロドが死ぬと、スヴャトスラフはキエフ大公位についたイジャスラフに助力してロストフ・スーズダリ公ユーリー(ユーリー・ドルゴルーキー)と戦った(1146年 - 1154年)。ユーリーが1157年に死亡した後は、チェルニゴフ公国を巡るイジャスラフと、オレグの子スヴャトスラフの闘争に、イジャスラフの側について参戦した(1157年 - 1161年)。

1176年、ルーシに侵入してきたポロヴェツ族に対し、キエフ大公ロマンの発した迎撃軍がロストヴェツの戦いで敗北すると、スヴャトスラフはキエフ大公位の譲渡を迫り、公位の奪取に成功した。さらに1180年にはドニエプル川沿岸で、ロマンの兄弟のダヴィドを攻撃するが、ロマン、ダヴィドの兄弟のリューリクキエフを陥とされた。また、スヴャトスラフの娘婿であり同盟者のリャザン公ロマン(ru)が、ウラジーミル大公フセヴォロド(フセヴォロド大巣公)に攻撃されたため、スヴャトスラフは息子グレプを援軍に派遣するが、グレプは敗北して捕虜となり、リャザンもまたフセヴォロドに支配された。スヴャトスラフは挽回を期して遠征を繰り返すが、最終的には、リューリク、フセヴォロドと和平条約を締結した。キエフ大公位はスヴャトスラフに譲渡されたが[3]キエフ公国領域はリューリクとの共同統治となった。

子女

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1143年、ポロツク公ヴァシリコの娘マリヤと結婚[3]。子には以下の人物がいる。

出典

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  1. ^ a b Святослав Всеволодович // Русский биографический словарь
  2. ^ Войтович Л. 3.7. ОЛЬГОВИЧІ. ЧЕРНІГІВСЬКІ І СІВЕРСЬКІ КНЯЗІ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.
  3. ^ a b Святослав Всеволодович // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона
  4. ^ Charles Cawley (2008-05-19). "Russia, Rurikids – Chapter 3: Princes of Galich B. Princes of Galich 1144-1199". Medieval Lands. Foundation of Medieval Genealogy. Retrieved 2009-12-26.
  5. ^ Ю.Сбитнев. Автор «Слова о полку Игореве» — женщина. И звали её Болеслава

参考文献

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  • Пресняков А. Е. Княжое право в Древней Руси. Лекции по русской истории. Киевская Русь. — М.: Наука, 1993.
  • Чугаева И. К. Фрагменты летописания Святослава Всеволодовича в Киевской летописи: происхождение и интерпретация//Древняя Русь. Вопросы медиевистики. 2011. № 3 (45). С. 132–133.
先代
スヴャトスラフ・オリゴヴィチ
ノヴゴロド公
1140年
次代
ロスチスラフ・ユーリエヴィチ
先代
ヴャチェスラフ1世
トゥーロフ公
1142年
次代
ヴャチェスラフ1世
先代
イーホル・スヴャトスラーヴィチ
ヴォルィーニ公
1142年 - 1146年
次代
リューリク
先代
アンドレイ・ボゴリュブスキー
トゥーロフ公
1154年 - 1155年
次代
ボリス・ユーリエヴィチ
先代
スヴャトスラフ・オリゴヴィチ
チェルニゴフ公
1164年 - 1180年
次代
ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ