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ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル・ヤロスラヴィチ
Владимир Ярославич
ノヴゴロド公
ヤミ族への遠征
在位 1034年 - 1052年

出生 1020年
死去 1052年10月4日
埋葬 ノヴゴロド聖ソフィア大聖堂
配偶者 オダ・フォン・シュターデ?
子女 ロスチスラフ
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ヤロスラフ1世
母親 インゲゲルド・アヴ・スヴェーリエ
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ウラジーミル・ヤロスラヴィチロシア語: Владимир Ярославич1020年 - 1052年10月4日)は、ヤロスラフ1世と、スウェーデン王オーロフの娘インゲゲルド(ru)との間の子である。ノヴゴロド公(在位:1034年 - 1052年)。15世紀にブラゴヴェルヌィー(ru)[注 1]として列聖された。

生涯

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ノヴゴロド聖ソフィア大聖堂

ウラジーミルは1020年生まれであるが、ノヴゴロド年代記の1つには1030年生、複数の年代記には1034年生とする記述もある。ノヴゴロド公国の統治において、軍司令官(ヴォエヴォダ)のヴィシャタと、主教のルカ(ru)の補佐を得た。1042年、南フィンランドヤミ族[注 2]への遠征を行った。この遠征では多くの馬が疫病で死んだ。1043年にはハーラル3世と共にビザンツ帝国へ遠征した。このルーシとビザンツの戦争(ru)は失敗に終わったが[1]、異説の中には、1044年にウラジーミルがヘルソンを手に入れたというものがある。

ウラジーミルはノヴゴロドに聖ソフィア大聖堂を建設した。また、ルカの指示によって石造りの要塞が作られた。聖ソフィア大聖堂は1052年9月14日に祓い清められており、その20日後、子のロスチスラフを残し、1052年10月4日に32歳で死去した。遺体は大聖堂のいずこかに安置された。

1439年、ノヴゴロドの大主教エヴフィミー(ru)は、10月4日をウラジーミルと、近くに埋葬されていた、ウラジーミルの父ヤロスラフの最初の妻のアンナの記憶日と定めた。これはアンナがウラジーミルの母と誤認されたからであるが、聖録は、アンナと、ウラジーミルの母のインゲゲルドの二人の女性を、アンナという修道名を持つイリーナという一人の女性に改変した。

ロシアの系譜学者N.A.バウムガルテン(ru)の説では、ウラジーミルはシュターデ伯レオポルドの娘・オダ(ru)と結婚したとされる[2]。しかしA.V.ナザレンコ(ru)は、この説に疑問を呈している[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「ブラゴヴェルヌィー」はロシア語: Благоверныйの転写。列聖された君主を指す。著名な人物としてはアレクサンドル・ネフスキーが挙げられる。
  2. ^ 「ヤミ」はロシア語: Ямьの転写。(フィンランド語: jäämit)。ノヴゴロド内外のフィン人などの総称。

出典

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  1. ^ マッツ.G.ラーション『悲劇のヴァイキング遠征』p82
  2. ^ Баумгартен Н. А. Первая ветвь князей Галицких: Потомство Владимира Ярославича//Летопись Историко-родословного общества (далее.— Лет. ИРО). М., 1908. Вып. 4 (16). С. 3—4
    Baumgarten N. Genealogies et manages occidentaux des Rurikides russes du Xe аи ХШ siele//Orientalia Christiana. № 35. Roma, 1927. P. 7. Tabl. 1. № 22, 25
    Баумгартен Н. А. Ода Штаденская, внучатая племянница папы Льва IX — невестка Ярослава Мудрого//Благовест. Париж. 1930. № 1. С. 95—102.
  3. ^ А. В. Назаренко. О династических связях сыновей Ярослава Мудрого. Отечественная история / РАН. Ин-т рос. истории. — М.: Наука, 1994. — N 4-5.\\Проект «Хронос»

参考文献

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  • マッツ.G.ラーション著、荒川明久訳『悲劇のヴァイキング遠征 - 東方探検家イングヴァールの足跡 1036 - 1041』新宿書店、2004年

外部リンク

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先代
ヤロスラフ1世
ノヴゴロド公
1034年 - 1052年
次代
イジャスラフ1世