1200年
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 11世紀 - 12世紀 - 13世紀 |
十年紀: | 1180年代 1190年代 1200年代 1210年代 1220年代 |
年: | 1197年 1198年 1199年 1200年 1201年 1202年 1203年 |
1200年(1200 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 梶原景時の変で梶原氏滅亡。
- 藤原俊成女が無名草子を完成させる。
- 旧暦5月に源頼家が念仏禁断の命令を出し、1人の僧侶を逮捕して袈裟を焼かせるという事件を起こす。
- 旧暦8月に佐々木経高が京都で騒動を起こし、3か国の守護職を没収される。
- 旧暦12月に源頼家が治承以来の新恩500町を越える部分の所領没収を図る。
誕生
[編集]→「Category:1200年生」も参照
- 1月19日(正治2年1月2日) - 道元、鎌倉時代の曹洞宗の僧(+ 1253年[1])
- 7月7日(正治2年5月25日) - 北条有時、鎌倉時代の武将(+ 1270年)
- 10月20日(正治2年9月11日) - 雅成親王、鎌倉時代の皇族(+ 1255年)
- 10月28日 - ルートヴィヒ4世、テューリンゲン方伯、ザクセン宮中伯(+ 1227年)
- ウリヤンカダイ、モンゴル帝国の将軍(+ 1271年)
- 公暁、鎌倉時代の僧、鎌倉幕府2代将軍源頼家の次男(+ 1219年)
- ビアンカ・ランチア、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の愛妾(+ 1233年)
- 礼子内親王、鎌倉時代の皇族、賀茂斎院(+ 1273年)
死去
[編集]→「Category:1200年没」も参照
- 1月13日 - オトン1世、ブルゴーニュ伯、ルクセンブルク伯(* 1167年-1171年)
- 2月6日(正治2年1月20日)- 梶原景時、鎌倉幕府の御家人(* 1140年?)
- 2月6日(正治2年1月20日)- 梶原景季、鎌倉幕府の御家人(* 1162年)
- 2月9日(正治2年1月23日)- 三浦義澄、鎌倉幕府の御家人(* 1127年)
- 3月27日(正治2年閏2月11日)- 吉田経房、鎌倉時代の公卿(* 1142年)
- 4月23日(慶元6年3月9日)- 朱熹、儒学者(* 1130年)
- 5月27日(正治2年4月13日)- 国分胤長、鎌倉時代の武将(* 1178年?)
- 6月9日(正治2年4月26日)- 安達盛長、鎌倉幕府の御家人(* 1135年)
- 8月2日(正治2年6月21日)- 岡崎義実、鎌倉時代の武将(* 1112年)
- 8月9日(正治2年6月28日)- 菅原在茂、鎌倉時代の儒学者(* 1121年)
- 8月29日(正治2年7月18日)- 藤原兼雅、鎌倉時代の公卿(* 1148年)
- アル=ファーディル、エジプト出身のファーティマ朝、アイユーブ朝の官僚(* 1135年)
- 光宗、南宋の第3代皇帝(* 1147年)
- ステファン・ネマニャ、セルビア王国ネマニッチ朝の創始者(* 1113年)
- 武田有義、鎌倉時代の武将(* 生年未詳)
- 段智興、大理国の第18代国王(* 生年未詳)
- アラーウッディーン・テキシュ、ホラズム・シャー朝の第6代君主(* 生年未詳)
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ 中村元ほか(編)『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月、752-753頁。