オトン1世 (ブルゴーニュ伯)
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オトン1世 Othon Ier de Bourgogne | |
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ブルゴーニュ伯 ルクセンブルク伯 | |
在位 |
ブルゴーニュ伯:1190年 - 1200年 ルクセンブルク伯:1196年 - 1197年 |
出生 |
1167/71年 |
死去 |
1200年1月13日 |
配偶者 | マルグリット・ド・ブロワ |
子女 |
ジャンヌ1世 ベアトリス2世 |
家名 | ホーエンシュタウフェン家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世 |
母親 | ブルゴーニュ女伯ベアトリス1世 |
オトン1世(Othon Ier de Bourgogne, 1167年から1171年 - 1200年1月13日)は、ブルゴーニュ伯(在位:1190年 - 1200年)およびルクセンブルク伯(在位:1196年 - 1197年)。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と妃であるブルゴーニュ女伯ベアトリス1世の四男。皇帝ハインリヒ6世の弟、フィリップの兄である。ドイツ名でオットー1世(Otto I.)、オットー・フォン・ホーエンシュタウフェン(Otto von Hohenstaufen)とも呼ばれる。
1190年に父フリードリヒが死去した際、元は母のものであったブルゴーニュ伯領を相続した。
1196年にルクセンブルク伯ハインリヒ4世が死去した際、皇帝ハインリヒ6世は伯領を略取して弟オトンに与えた。ハインリヒ4世には一人娘で相続人のエルメジンデがおり、その夫であるバル伯ティボー1世がオトンと交渉した結果、翌1197年にオトンはルクセンブルクを放棄した。
オトンは1190年にブロワ伯ティボー5世の娘マルグリットと結婚し、2女をもうけた。
1200年にオトンがブザンソンで暗殺された後、ブルゴーニュ伯は長女ジャンヌが幼くして継いだが、早世したために次女ベアトリスがその後を継いだ。
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