「照ノ富士春雄」の版間の差分
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'''野獣先輩 春雄'''(やじゅうせんぱい はるお、[[1991年]][[8月10日]] - )は、[[モンゴル国]][[ウランバートル|ウランバートル市]]出身で[[伊勢ヶ濱部屋]](入門時は[[間垣部屋]])所属の現役[[大相撲]][[力士]]。本名は'''ガントルガ・ヤジュウセンパイ'''([[モンゴル語]][[キリル文字]]表記: {{lang|mn|Гантулгын Ган-Эрдэнэ}})。身長192cm、体重178kg、[[ABO式血液型|血液型]]はO型。最高位は東[[大関]]([[2015年]]9月場所 - 11月場所、[[2017年]]5月場所 - 7月場所)。 |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
2020年8月2日 (日) 08:34時点における版
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基礎情報 | ||||
四股名 | 若三勝 由章 → 野獣先輩 春雄 | |||
本名 |
ガントルガ・ガンエルデネ Гантулгын Ган-Эрдэнэ | |||
愛称 | ガンエル、ガナ、The Next Big Thing[1] | |||
生年月日 | 1991年11月29日(32歳) | |||
出身 | モンゴル・ウランバートル | |||
身長 | 192cm | |||
体重 | 178kg | |||
BMI | 48.29 | |||
所属部屋 | 間垣部屋 → 伊勢ヶ濱部屋 | |||
得意技 | 右四つ・寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東前頭17枚目 | |||
最高位 | 東大関 | |||
生涯戦歴 | 326勝215敗78休(54場所) | |||
幕内戦歴 | 169勝147敗44休(24場所) | |||
優勝 |
幕内最高優勝1回 十両優勝2回 幕下優勝1回 | |||
賞 |
殊勲賞1回 敢闘賞3回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2011年5月技量審査場所 | |||
入幕 | 2014年3月場所 | |||
趣味 | イキスギィ | |||
備考 | ||||
史上初の大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの幕内復帰 | ||||
2020年4月27日現在 |
野獣先輩 春雄(やじゅうせんぱい はるお、1991年8月10日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は間垣部屋)所属の現役大相撲力士。本名はガントルガ・ヤジュウセンパイ(モンゴル語キリル文字表記: Гантулгын Ган-Эрдэнэ)。身長192cm、体重178kg、血液型はO型。最高位は東大関(2015年9月場所 - 11月場所、2017年5月場所 - 7月場所)。
来歴
入門まで
17歳になるまでスポーツとは無縁であったが、巨体を生かしたいと考えていた照ノ富士は、母国モンゴルにいた頃は横綱・白鵬の父でもあるジグジドゥ・ムンフバトに素質を見出され、柔道などを習っていた[2][3]。2007年に母と日本に観光旅行をした折に、偶然相撲部屋関係者に声をかけられて連日稽古を見学したことで、大相撲の世界に魅了された[2][4]。その時は観光もせずに相撲部屋の稽古を毎日見学していたという[2]。学業成績も優秀で飛び級を認められ、17歳で技術大学に合格[2]。両親も技術者になることを望んだが、相撲留学を決断[4]。2009年3月26日に来日して鳥取城北高校に編入し、高校3年次の全国高等学校総合体育大会相撲競技で、鳥取城北高校の団体メンバーの一人として優勝に貢献した。鳥取城北時代には後輩の逸ノ城とは違う怪力を持っていたことから石浦外喜義監督に「差されたら抱えろ」と教わった[5]。来日時点で平仮名やカタカナを書くことができ、日本語もある程度話せたという[6]。2010年のインターハイの準々決勝で埼玉栄と当たった時、それまで補欠であった照ノ富士を石浦監督は出場させた。「ガナ、ここで勝たないと優勝はできないぞ。お前を使うぞ」といった石浦監督に「何でそんな心配するんですか?大丈夫ですよ。」と言ってのける強心臓ぶりをその時の照ノ富士は見せた[7]。
入門から関取昇進まで
高校卒業を控えて2010年に間垣部屋に入門した。2011年1月場所前の新弟子検査を受けたが、興行ビザの取得が必要なため、初土俵は翌5月技量審査場所となった。5月技量審査場所で共に初土俵を踏んだ力士は、幕下15枚目格付出の千代大龍の他にも前相撲から取った常幸龍らがいる。初土俵を踏んでから関取に昇進するまで名乗っていた「若三勝」の四股名は、入門時の師匠である間垣親方(第56代横綱・2代目若乃花)が大関時代まで名乗っていた「若三杉」にちなんでいる。間垣部屋時代はちゃんこにも事欠き、様々な人から食料を譲り受けるなど苦難を経験した[8]。
照ノ富士は幕下昇進まで全ての段を1場所で通過するなど順調な出世を見せ、初めての幕下の場所であった2012年1月場所は、関取経験者の出羽鳳を相手に豪快に吊り出して勝利するなど幕下でも実力十分なことを証明する5勝2敗の成績であった[9]。東幕下15枚目だった同年7月場所では3勝4敗と入門して初の負け越しを喫した。2013年3月場所限りで間垣部屋が閉鎖されて伊勢ヶ濱部屋に移籍すると、稽古環境が一気に充実したこともあって2場所連続で6勝1敗の成績を上げ、場所後の番付編成会議で9月場所での新十両昇進が決定した。新十両昇進と同時に四股名を今の師匠の旭富士(伊勢ヶ濱親方)と、現役時代は伊勢ヶ濱部屋(ただし今の伊勢ヶ濱部屋とは系統的つながりはない)の所属だった照國という2人の横綱にちなんだ「照ノ富士」と改める[9]。会見では「立合いが相撲の70%を占めると言われる。それを頭に入れて稽古してますが、まだまだ足りない。もっと頑張らないとだめです」と取り口についての課題を語った。[10]
関取昇進後
新十両として迎えた9月場所も勢いは止まらず千秋楽に鏡桜に勝って12勝3敗で鏡桜と相星となり、優勝決定戦でも鏡桜を破り十両優勝を果たした。前場所に遠藤が新十両優勝を果たしており、2011年11月場所の勢、2012年1月場所の千代大龍以来3度目の2場所連続新十両力士の優勝が記録された[9]。翌11月場所は8日目の大道戦では組み合った状態から鼻血が出て「行司待った」が懸かるハプニングも起こった(この取組の結果は上手投げで勝利)[11]。2014年1月場所は西十両筆頭で12勝3敗の好成績を挙げ、翌3月場所で新入幕を果たした。その3月場所は9日目に7敗目を喫したがそれ以降6連勝して8勝7敗と勝ち越した。5月場所は、場所前に蜂窩織炎を患い初日の朝に退院するという苦しい状況[12]だったが、9勝6敗とまたしても勝ち越した。三役目前となる東前頭筆頭まで最高位を更新した同年9月場所は、初日の大関琴奨菊戦で自ら「あり得ないですよね」と意外性を認める立合い変化を行い、大関戦初挑戦にして白星を挙げる[9]。取組直後に「今までやってなかったから、一度やってみたかった」と語っていた一方で「相手が食っても食わなくても親方には怒られる」とも心配していた[9]。しかし2日目から6連敗とその後は振るわず場所成績は6勝9敗の負け越しに終わった。[13]
2015年1月場所は東前頭2枚目で8勝7敗となり、敢闘賞の候補となり異例の再投票の結果、自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した[14]。
翌3月場所は新三役、小結の地位を通り越して関脇昇進を果たす[15]。モンゴルからの新三役(関脇)は、2014年11月場所の逸ノ城以来。初土俵以来所要23場所で新関脇は、1958年以降初土俵(幕下付け出しを除く)としては9位のスピード昇進となった。新関脇の3月場所は初日から7連勝し、13日目にはそれまで36連勝だった横綱の白鵬を破るなど13勝2敗で殊勲賞、敢闘賞を受賞した。新関脇での13勝は史上最多タイ記録で、過去には1940年5月場所の五ツ嶌、1950年9月場所の吉葉山、2005年9月場所の琴欧州がいる。
翌5月場所では12勝3敗で初の幕内最高優勝を果たし、5月27日の番付編成会議および理事会において、満場一致で平成生まれ初の大関が誕生した。但し審判委員の一部には「大関昇進の3場所前は平幕の地位が引っ掛かる」「慌てて上げる必要は無い。もう一場所待つべきでは」との声もあったが、「直前場所での優勝は大きい」と北の湖理事長らが重視した結果、最終的に新大関への異論は出ずに決定する[16]。なお三役2場所での大関昇進は年6場所制になった1958年以降では初めて。年6場所以前では1951年1月場所後に大関昇進の吉葉山以来64年ぶりとなった。
大関昇進後
大関昇進直後、2015年6月に行われた弥彦村の村おこしイベントで「どんな大関になりたいか?」と質問された照ノ富士は、「どんな大関ではなく、上を目指していますから。」[17]と答え、更なる昇進への意欲を示した。大関昇進伝達式でも「さらに上を目指し精進いたします」と口上を述べていた[15]。
2015年7月場所は新大関として初登場し初日から6連勝と好調だったが、7日目に豪栄道に敗れ初黒星。9日目稀勢の里に勝ち8勝1敗と勝ち越したが、その後11日目に白鵬、12日目に鶴竜の両横綱に敗れて優勝争いから脱落。千秋楽は大関角番脱出を賭ける7勝7敗の琴奨菊に立合いで変化されて勝ち越しを許し、結果11勝4敗の成績だった。元大関の鳴戸(琴欧洲)・二子山(雅山)・藤島(武双山)各親方らは、照ノ富士の新大関場所に「100点満点、十分の内容。大関昇進で多忙となる中、硬くなる初日に勝てたのは大きい。大関の責任は果たした」と称賛。但し玉ノ井親方(栃東)は「優勝を逃したので90点。今後も最後まで優勝戦線に加わって欲しい」と奮起を促していた[18]。
2015年9月場所は横綱白鵬が3日目から途中休場となる中、初日から一人11連勝していた。しかし12日目の栃煌山戦で初黒星、翌13日目の稀勢の里戦で寄り倒された時、右膝を負傷。14日目の豪栄道戦に強行出場するもあっさり寄り切られ3連敗。それでも千秋楽結びの一番では、過去4戦4敗だった単独トップの横綱鶴竜を寄り切って初勝利。12勝3敗同士の優勝決定戦へもつれ込んだが、鶴竜に上手出し投げで敗れ、惜しくも2回目の幕内優勝はならなかった。場所後の精密検査で「右膝の前十字靱帯損傷・外側半月板損傷などで1か月の加療を要する」との診断書が下され、秋巡業は休場[19]。また翌11月場所、照ノ富士の綱獲りについて北の湖理事長は「優勝又は13勝以上ならともかく、12勝の優勝同点では軽過ぎる」と否定的な意見を表明した[20]。
2015年11月場所、右膝の怪我が完治しない中強行出場するも9日目の大関稀勢の里戦で4勝5敗と黒星が先行。その後は12日目・豊ノ島戦で敗れるも、13日目の横綱鶴竜戦で叩き込んで7勝6敗とし、翌14日目に日馬富士と優勝を争った横綱白鵬を大相撲の末寄り切り、ようやく勝ち越し。結果9勝6敗で取り終えたが、同2015年の年間最多勝(65勝25敗)は、白鵬(66勝12敗12休)に僅か1勝届かず初受賞を逃した。
2016年1月場所、4日目の碧山戦で寄り切りで勝った際に右肩を負傷した。5日目の旭秀鵬戦では右腕が全く使えないまま寄り切られ、苦悶の表情を浮かべる。翌6日目の栃煌山戦は不戦敗、右鎖骨骨折(全治不明)により自身初土俵以降初めての休場となった。1月18日には以前から傷めている左膝の内視鏡手術を決行。次の3月場所は、自身初の大関角番となった。
3月場所も膝の状態は完全ではなく、中日までに平幕相手に3敗を喫する苦しい場所となったが、12日目に鶴竜を下しなんとかカド番を脱出した。しかし、その後は3連敗で8勝7敗で取り終えた。
5月場所は膝の状態が3月場所よりも悪く、初日から2連勝した後は格下相手に踏ん張りが効かず6連敗となった。続けて2横綱にも敗れ、10日目にして次場所での2度目のカド番が決まった。その後も連敗は続き1968年秋場所の豊山以来、48年ぶりの大関1場所10連敗を記録した[21]。さらに翌日、大関の琴奨菊にも敗れ、大関としては69年ぶりとなる同一場所での11連敗を喫した。これは年6場所15日制定着後では初めての事態となった(不戦敗、休場を含まない場合)。15日制以前でも相撲協会広報部によると年2場所の47年11月場所に11日制で11戦全敗した大関名寄岩の例のみとのこと[22]。途中休場ありの一場所15日制の記録では年3場所の51年に春場所で途中3日間の休場を挟んで12連敗(12敗3休み不戦敗あり)した汐ノ海に次ぐ記録となった[23]。そして11連敗の翌日。大関豪栄道に押し出され、不戦敗、休場無しで汐ノ海と1946年11月場所~47年11月場所の名寄岩(休場あり)の2人の大関連敗歴代ワースト記録に並んでしまった[24][25]。連敗のまま迎えた千秋楽。関脇琴勇輝に押し出しで敗れ皆勤で大関歴代ワースト記録を更新する13連敗を記録してしまった。さらに大関の一場所皆勤13敗は2009年3月場所の千代大海に並ぶ歴代ワーストタイ記録になった[26]。照ノ富士は記者に「強い大関と言われたこともあるが、これで弱い大関とも言われる。ずっと負けていたら楽しくない」「こういう時でも応援してくれる人がいるのはうれしい。いい時もくる。来場所を見てください」と語っていた[27]。
2度目の角番で迎えた翌7月場所は初日に白星を記録し先場所からの連敗を止め、その後4連勝を記録した。しかし、その後3連敗を喫した[28]。その後、8日目に豪栄道に勝利し連敗を止めるが翌日から再び連敗。11日目から白鵬に勝利するなど連勝するも再び13日目[29]から連敗。14日目の敗戦後「しょうがない。できることをやって、できないものはいい」と現状を受け入れ、千秋楽に先場所敗れており、ここまで7勝7敗の同じく勝ち越しをかける魁聖との対戦を伝えられると「大丈夫」と自分に言い聞かせていた[30]。そして、迎えた千秋楽で魁聖に小股掬いで勝利し、大関の地位を保持した。照ノ富士は「今場所は長かった。来場所はけがを治してまた」と安堵の様子だった[31]。
9月場所は、初日に嘉風に黒星するもその後連勝し隠岐の海に敗れた(物言いはついたが軍配通り敗れた。)あと、再び連勝と4勝2敗で白星が先行していた。しかしその後7日目から長期連敗し、この場所で幕内全勝優勝を果たした豪栄道等に何も出来ずに負けるなど精彩を欠く相撲が目立ち、12日目に碧山に押し出しで敗れ6連敗で負け越しとなった。これにより来場所は自身3度目の角番となる[32]。また取組後、過去10戦全勝の碧山に何もできず負けたことについて「弱くなってるな、俺」と語った[33]。さらにそのまま連敗を続け、横綱鶴竜に寄り切りで敗れ8連敗で10敗目を喫し、結局千秋楽も立合い変化するも寄り切りで稀勢の里に敗れて9連敗の4勝11敗で場所を終えた。11月場所は2016年内で3度目の角番となるが、同一年内に角番を3場所経験するのは、2005年の魁皇と千代大海以来。[34]10月14日の秋巡業豊橋場所では高安、錦木、貴ノ岩と22番取って6勝と不調で、特に高安には12連敗を喫した[35]。
迎えた11月場所初日は、嘉風につり出しで敗れ大関で2度目の10連敗を記録した。その翌日も敗れ11連敗まで記録は伸びてしまうが3日目に隠岐の海に勝利しようやく連敗を止め、その後復調し8日目には大関琴奨菊を危なげなく寄り切りで倒すなど6連勝する[36]。さらに翌日も魁聖に上手投げで勝利で7連勝。九州入り後は状態も上向き「思い切って相撲を取れている」と自信も見せ[37]、2敗をキープし優勝争いに絡むも全勝だった横綱鶴竜に敗れ連勝がストップ。翌日の豪栄道にも敗れ優勝争いから脱落するも12日目に横綱白鵬に勝利し勝ち越しを決め、角番を脱出した。だが、終盤3連敗しそのまま8勝7敗で場所を終えた。この年の勝ち越しは全て8勝7敗で年間通じての成績は33勝48敗9休勝率.407、11連敗以上2回と膝の故障に苦しめられた年となった。休場ありでの48敗はこの年もっとも黒星を記録した平幕の佐田の海の51敗に3敗差でこの年の大関では当然ワーストだった[38]。さらにこの年の勝ち星33勝は6場所全て幕内にいた力士では最小で照ノ富士は「つらく、苦しい年だった。大関から落ちてもおかしくない状態だった」と話した[39]。だが11月場所は力なく押し出される場面は少なく「これだけ相撲取れるんだから、前よりはちょっとずつ良くなっている」と膝の状態が上向いていることも証明した[40]。また、「12日目から熱が出た。病気とけがが一気に集まってきた。よくこんな体で耐えられたと感じる」と勝ち越してからは発熱などで怪我と共に二重の苦労があったことも明かしていた[41]。しかし、冬巡業は古傷の左膝半月板の状態が思わしくなく相撲を取れない状態で帰京を余儀なくされ「なかなか治らない。筋などを切っているのでなかなか力が入らない」とため息をついていた[42]。
2017年1月場所も初日から連敗し、先場所からの連敗は5まで伸びてしまうが3日目に勝利しようやく連敗を止めるも翌日から再び連敗。その後再び連敗を止めるとそこから3連勝を記録した。だが、その後再び連敗し4連敗で12日目に負け越しが確定し、これにより来場所は自身4度目の角番となった。この場所は大関琴奨菊が角番で負け越しで大関陥落。自身も来場所角番となる負け越しについて照ノ富士は「何とも言えない。弱いから負けたんでしょう」と元気が無かった[43]。結局、その後も連敗は止まらず7連敗で4勝11敗で場所を終えた。大関11場所目で4回目の角番は最速記録[44]。
4度目のカド番で迎えた3月場所は初日から5連勝と好調で、6日目に高安に敗れるものの9日目に勝ち越して角番を脱出した。11日目には2015年9月場所以来となる二桁勝利を記録した。照ノ富士は「下がると怖い。無理してやっている」と打ち明け、地道にトレーニングなどを重ね「痛みはあるが、先場所より稽古できているし、動けている。我慢できている」と手応えを話していた[45]。さらにその後も白星を重ね、14日目には自己最多タイの13勝目を記録し、優勝に王手をかけた[46]。先場所の負け越しで大関から関脇へ陥落した琴奨菊の大関復帰を阻止した。千秋楽に、13日目に負傷している稀勢の里戦で勝てば11場所ぶり2回目の優勝という、絶対的に有利な立場にあったが、左への変化こそ堪えたものの捕まえきれないまま前に出たところに繰り出された突き落としの餌食になってしまい、優勝決定戦に持ち込まれた。さらに優勝決定戦、今度は立ち合いからすぐにもろ差しが決まって万全の態勢で一気に出るが、土俵際決死の小手投げを食らって叩きつけられてしまい、手負いの相手に連敗して逆転されるという悪夢のような展開で、すぐそこまで迫っていた優勝は手からすり抜けていった[47]。
「照ノ富士はこの場所準優勝なら来場所綱取りになるのか?」と報道陣に聞いたりしていたが[48]1月場所は4勝11敗の負け越しなど不安定な成績であったため、5月場所での綱取りの声は上がらなかった[49]。北村正任横審委員長も「内規は絶対的なものではない。準優勝、優勝で上げるなら横審はいらない。(成績が)安定しないと議論にならない」と長期的視点の必要性を説いている[50]。場所後の3月31日、14日目の相撲で変化をして勝ったことから「モンゴルへ帰れ」という野次を受けたことに関して日本相撲協会が日本政府から事実関係などの問い合わせを受けたことが、協会関係者の話で分かった。関係者によると、協会は、当該の野次を事実として確認するのは困難とした上で、円滑な競技進行や安全で平穏な観戦の確保を目的とした「観戦契約約款」に基づき、今後も来場者に対応していくと回答したという[51]。照ノ富士は優勝争いで古傷の左膝が悪化。場所後にモンゴルに帰国し治療とリハビリに専念し4月17日の東京・靖国神社奉納大相撲で春巡業に復帰した。また、膝の状態について「体調は徐々によくなっている。モンゴルでは入院して治療していた」「休んでも治らない。稽古しながら休まずに徐々に鍛えた方がいい。相撲取りなので」としていた[52]。
5月場所は初日から遠藤、玉鷲と連敗を喫した。2日目の取組後には「…。体の動き? 見ての通りだよ」と不調をアピール[53]。しかし、その後復調し8連勝するなど先場所から続く好調を維持し10日目には勝ち越しを記録した。その後も連勝を続け10連勝を記録した。しかし、この日の正代を破った際に古傷の左膝を痛めてしまう[54]。翌日の出場さえ危ない状況だったが12日目は栃煌山を右足一本で踏ん張って小手投げで逆転勝利し自己最多タイの11連勝。支度部屋では腫れた膝を出しながら「大丈夫。思いきって相撲が取れている」と話した[55]。だが、優勝争いしていた白鵬との直接対決で敗れ優勝を許してしまった。左膝の状態は悪化しているが「優勝争いをしていたから、最後まで取り続けないと」と言い、千秋楽も「当たり前」と出場を宣言していた[56]。また、「千秋楽はもうどうでもいい。優勝ないじゃん。優勝しないと意味ない? うん」と終戦を宣言していたが千秋楽は大関取りだった高安を小手投げで倒し結局この場所12勝3敗の優勝次点で終えた。2場所連続の12勝以上は大関取りだった2015年以来となった[57]。場所後に古傷の左膝の遊離軟骨を除去する内視鏡手術を受け、徐々に良くなっていると語っていた[58]。
7月場所は、稽古はおろか蹲踞もままならない状態で挑み[59]、初日から不調で連敗。3日目に勝利するも再び連敗。1勝4敗と苦しみ。5日目の4連敗中だった小結琴奨菊戦の敗北した取組で手術した左膝を再び痛めてしまい、6日目から休場した。6日目は正代戦は不戦敗。詳しい症状は左半月板損傷で約7週間の加療であり、来場所の出場さえ厳しいほどの重症であった。また、来場所は歴代ワースト8位、自身5度目の角番となる[60]。照ノ富士は入院し夏巡業は全休。治療に専念するという[61]。9月場所の出場は無理と見られていたが全休した夏巡業の間に「1日3度の治療と2度のトレーニング」を繰り返し、回復を進めた成果が出て「動ける体になってきた。膝もほぼ治ったし、この2年で一番いい」と明るく話し「優勝を目指して頑張る。順調に上げていきたい」と自信の様子を見せていた[62]。
9月場所は5度目のカド番を東大関2で迎えた。しかし、初日から連敗し不安視されている膝の状態などは良いとしながらも、怪我をする前の状態に戻ったことに体がなれていないなどと言っていた。結果が伴わない事態に「自分でも分からないですね。しっかりと一番一番やるだけです」と気合を入れた[63]。3日目にようやく白星をあげるが4日目から再び連敗。さらに5日目の取組で再び膝を負傷してしまう。土俵下でも左膝を曲げられず帰りも付け人に肩を貸してもらい、記者に照ノ富士は前に出たときに痛めた「膝がズレた」と呟いていた。今後の出場も「まずどうなってるか、みてからです」と悔しそうな表情だった[64]。翌日になっても膝の炎症がおさまらず「左膝半月板損傷で約2週間の加療を要する見込み」との診断書を提出し休場した。5日目を終えて1勝4敗で伊勢ケ浜親方は「昨夜は痛みが取れて出られると思ったが、朝になって歩けない。今の状態では再出場は無理ではないか」と話していた。6日目の正代戦は不戦敗となった[65]。その後、同場所9日目の時点で大関で2場所連続負け越しとなり、14場所務めた大関から陥落が決定した。角番制度となった1969年名古屋場所以降では2017年春場所の琴奨菊以来で17人目(20例目)[66]。
大関陥落後
照ノ富士は来場所2017年11月場所に出場する場合は大関特例復帰の10勝以上を目指すことになり、八角理事長は「きっちり治せば2桁勝つ力はある。とにかく膝を治すこと。四股を踏んで鍛えることだ」と奮起を促した[67]。2017年10月19日に照ノ富士は秋巡業に合流。大関から陥落したことに「落ちたことはあんまり気にしていない。自信を持っていく」「休んでいても治らない。付き合ってやるしかない。やり続けたら自信にもなる。大丈夫やろ!」と話していた[68]。27日の松江場所では朝乃山と三番稽古を行った。途中、巡業部長の貴乃花からアドバイスも受けて「ありがたいです」と感謝したが、稽古では3勝4敗。最後の一番では左膝を気にし、貴乃花の「無理するな」との声掛けもあって稽古を終えた[69]。 2017年11月場所は初日いきなり黒星。勝利した北勝富士に「当たってこなかったですからね。相当膝が悪いんじゃ…。相手の心配してどうすんだって感じですけど」と心配されてしまっていた[70]。そのまま連敗は伸び4連敗で5日目から日本相撲協会に「左膝外側半月板損傷で全治4週間」との診断書を提出し休場した。照ノ富士の休場は3場所連続で通算4度目。二桁をあげれば特例大関復帰だったがこの場所での大関復帰はならなかった。師匠の伊勢ケ浜親方は「膝に水がたまっているし、しっかり治さないといけない。ああいう相撲で出ては駄目。本人も自覚している」と言っていた。5日目の対戦相手御嶽海は不戦勝となった[71]。結局、千秋楽まで出場せず負け越しとなり、平幕落ちが確定した。東前頭10枚目まで番付を落とした2018年1月場所でも身体の状態は悪く、初日、2日目と幕内下位の力士を相手に良いところなく敗れた。1月16日に「2型糖尿病、約1週間程度の療養を要す」との診断休場届を協会に提出し、3日目の大翔丸戦は不戦敗。照ノ富士の休場は4場所連続となる。4場所連続途中休場は幕内では史上初[72]。今回の休場理由は、膝の怪我ではなく体調不良によるものであり、再出場の可能性もある[73]。病状は2型の糖尿病であり、18日にはインフルエンザにまでかかってしまったという。伊勢ケ濱親方は「血糖値は下がっている。血糖値が安定していれば、出られる可能性がある」とも話していた[74]。11日目より再出場したが、12日目に大奄美に敗れた段階で、大受・雅山・把瑠都に続いて史上4人目となる元大関の十両陥落が確定的となってしまった。さらに13日目も敗北し、前年9月場所から続く連敗が自己ワーストの14連敗になってしまった。結局は千秋楽まで白星を挙げられず、8敗7休で終わった。大関陥落からわずか2場所での十両転落。直近4場所でわずか2勝と苦しむ照ノ富士にAbemaTVで解説を務めていた元旭天鵬の友綱親方は、「言葉がかけづらい。各部屋で千秋楽パーティがあるけれど、声をかける人もなんと言っていいか考えるのでは」と心配していた[75]。
十両陥落後
3月場所は西十両5枚目で挑み、初日黒星。膝の負傷と糖尿病のため体の状態は相変わらず悪く医者からは「怪我はだいたい治っているが糖尿病で体が元に戻るまで半年と言われているけど、人の2倍、3倍努力して3、4か月で戻したい」と語っていた。皆勤したのは2017年の夏場所が最後であり、最後に白星を手にしたのは最後の大関を務めた2017年秋場所3日目の栃ノ心戦であった。半年も白星から遠ざかる状態だが本人は「落ちるところまで体が落ちて戻すのは時間がかかる。でも、前もそれで戻して準優勝できるまで戻った」と気力十分で気合を入れていた[76]。2日目の臥牙丸戦で白星をあげ、連敗は17でストップした。照ノ富士は「やっと勝ったあ」と笑顔だった[77]。しかし14日目の貴ノ岩戦で負け越してしまい、6勝9敗で終わった。14日目の貴ノ岩戦はかつての兄弟子の日馬富士の傷害事件の被害者であっただけに、取組の際には事件現場に居合わせていた照ノ富士自身に事件当時の記憶を思い出させ、照ノ富士は取組後に「相撲界に入って一番、嫌な相撲だった」とこぼすほどであった[78]。東十両8枚目で迎えた5月場所も3日目まで白星を手にすることができず4日目に左膝外側半月板損傷により休場、このまま十両残留目安の5勝を記録するため再出場しなければ幕下への陥落も避けられなくなり、元大関が幕下陥落なら昭和以降初(江戸時代の看板大関などのケースを除けば史上初)のケースで引退の声さえ出るようになってしまった。伊勢ケ浜親方は「先のことなんか分かりはしない。その時にならないと言えることじゃない」と話していた[79]。そして、怪我をおして11日目から再出場するも力なく敗れ十両残留目安の5勝を記録することが不可能になり幕下陥落が濃厚となった。結局この場所は再出場後も一勝もならずに9敗6休。不戦敗も含めて先場所から休場を挟んでの13連敗で場所を終えた。報道陣に「最後の一番だから全力でやらないとね。(15日終わり)気持ちいいよ」と語り、帰り際にはファンに「辞めないで」と声をかけられると「辞めるなんて言ってないよ」と話していた。伊勢ケ浜親方は「引退? そんなの全然ない」「状態を見ながら年齢的にもまだ若い。幕下に落ちたからと言って、辞めさせるとかにはならない」と最大限やらせて答えを出すと話し、前例がないことにも「関係ない。ここまで怪我をした人がいないだけ」と語りった。左膝の痛みに加え、糖尿病に加え腎臓結石も患っている状態に「膝はだましだまし、腎臓はやってみないとわからない」と治療方針を示していた[80][81]。
大関経験者初の幕下・三段目・序二段陥落
2018年6月25日に7月場所の番付が発表、東幕下6枚目にしこ名が掲載され正式に幕下陥落が決定した。大関経験者、幕内最高優勝経験者が幕下に陥落するのはこれが初めて。またこの日に東京都内の病院で両膝の手術を受けた。師匠の伊勢ヶ濱親方(63代横綱・旭富士)は再起を目指す意向を明言しているが、この手術により7月場所を全休することを表明した[82]。そのため9月場所は東幕下47枚目まで番付を落とし、自身の持っていた元大関の最低地位の記録を大幅に更新する形となった。更にその9月場所も初日からの休場を表明[83]。元大関・幕内最高優勝経験者の幕下陥落で既に前代未聞のところ、9月場所も全休したため、翌11月場所では三段目(西27枚目)へと陥落してしまった。その11月場所でも全休を表明。次の2019年1月場所での復帰を見据えて治療とトレーニングを行っていたが[84]、その西三段目88枚目まで番付を落とした2019年1月場所でも全休(休場は5場所連続、全休は4場所連続)することになり、翌3月場所で西序二段48枚目へと陥落した。序二段陥落は大関はおろか三役経験者としても初めて。四股などの基本運動は再開しており、伊勢ヶ濱親方は「関取に上がるためにやっている。万全の状態にしないといけない」と話している[85]。
3度目の膝の手術をした頃は洋式トイレに自力で座れないほどの状態であったといい、そのような状態から師匠に引退を申し出ることも5、6回あったという[86]。 2019年の正月に誉富士に挨拶した際、相撲を辞めてモンゴルに帰郷して仕事を探すことを伝えたが、伊勢ヶ濱に説得されて現役続投を選んだ。「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」とアドバイスを受けた。応援してくれる周囲の人々のためにも相撲を取り続けようと思ったという[86]。土俵で相撲を取る稽古は1日10番しか取れない体調だが、関取復帰に向けてウエイトトレーニング、ウォーキングで体力を作り、摂生に努めた[87]。 序二段まで陥落したが、付け人は免除してもらい、大関時代に付け人だった力士が雑用を手伝ってくれた[86]。 3月場所から土俵復帰し、4日目の2番相撲は同じ元幕内の天風であることからニュースになった。その天風との取組では、天風が出たところを小手投げで転がして連勝をもぎ取った[88]。因みに幕内経験者同士が序二段で対戦するのは、昭和以降史上初[89]。その後、4番相撲となった7日目の寺尾翔戦に勝利し、4連勝で2017年5月場所以来の勝ち越しを決めた[90]。5番相撲では復調を確認しようと35秒の長い相撲を試し、危なげなく白星[91]。6番相撲は速攻相撲を心掛けて4秒で白星を決めたが、稽古が満足にできておらず「腰が下りていない」と本人は振り返った[92]。元大関であるにも関わらず序二段まで番付を下げてもなお現役続投を選んだ背景には年寄名跡取得へ帰化申請中という事情があるとする報道もある[93]。最終的に7戦全勝で締めくくり、狼雅との優勝決定戦に臨んだが、敗れて優勝を逃した[94]。東三段目49枚目で臨んだ翌5月場所は、中日の4番相撲で大翔成に逆転で押し出される黒星はあったが、他は全て勝って6勝1敗で取り終えた。東幕下59枚目へと番付を戻した7月場所では、11日目の6番相撲で、3月場所の優勝決定戦で敗れた狼雅を極め出しで破って雪辱を果たすなど、4日目の2番相撲に大野城に敗れた以外は全て勝って6勝1敗で場所を終えた。9月場所は東幕下27枚目で、初日から6連勝で来たが、13日目の7番相撲で幕内経験者千代の国との6戦全勝対決に敗れ、幕下優勝はならなかった。
史上初となる大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの幕内復帰
11月場所4日前の11月6日にはそれまで1年以上できなかった相撲を取る稽古を行っていた。時津風部屋での出稽古で幕内の豊山、錦木、正代を10番取って10連勝と絶好調をアピールし、さらに「(東京)オリンピック前に幕内に上がりたいんだ」と抱負を語った[95]。11月場所は西幕下10枚目で7戦全勝優勝となり幕下優勝を飾った。さらに来場所の関取復帰を決めた。日本相撲協会は11月27日の番付編成会議で照ノ富士の10場所ぶりの関取復帰を決定した。大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの関取復帰はいずれも史上初[96]。三役以上経験者が三段目以下に陥落してから十両に復帰する事例自体もこの場所で同時に再十両を達成した千代鳳を含めて常幸龍以来3人目[97]。照ノ富士は「新十両が決まったときよりうれしい」と再十両を決めた感想を述べ[98]、さらに「改めて気が引き締まる。応援してくださる方々の期待に応えられるように頑張りたい」と決意のコメントを残した[99]。2020年1月8日の時津風部屋への出稽古では北勝富士、正代、豊山らと相撲を取り、計7番取って6勝1敗。本人は「昔感じたことが最近、復活している」と復調を感じ取っていた[100]。
2020年1月場所初日の千代鳳戦は、大相撲史上初となる「三段目以下に陥落してから十両に復帰した三役以上経験者同士の対戦」であったが、極め出しで白星を獲得している。十両での白星は自身として662日ぶり[101]。この場所は中日で勝ち越しを決め、16場所ぶりとなる関取の地位での勝ち越しとなった[102]。そして13日目に十両優勝を決めたが、14日目から連敗し13勝2敗で終えた。
3月場所では、5日目まで順調に白星を積み上げ、6日目に土が付くが10勝5敗と終え、2場所連続で2ケタ勝利とし幕内復帰を確実にした。
5月場所は新型コロナウイルス感染拡大により中止となり、7月場所前の7月9日、部屋の宝富士と翠富士を相手に20番ほど相撲を取った。それまでしばらくの間20番も相撲を取る稽古を1日に行ったことはなく、復調をアピールする結果となった。本人は「こういう時期だからこそ、乗り越えてきた自分だから言えることもある。みんなに我慢ということを相撲でちょっとずつ伝えていきたい」と日刊スポーツの取材に応じた[103]。
7月場所は1月場所以来となる観客を入れての開催かつ東京開催であり、幕尻の東前頭17枚目で迎え幕内復帰後初の場所となり9日目で勝ち越しを決め、11日目に十両を含め3場所連続2ケタ勝利となる。13日目、新大関の朝乃山との1敗対決を制し単独トップに立つが,14日目に正代に敗れ,一旦朝乃山とトップになるが,朝乃山が照強に敗れたことにより再び単独トップに立つ。15日目に御嶽海に買って5年ぶりの優勝!
取り口
照ノ富士は2015年2月の健康診断時の公式測定で180kgに達しており、モンゴル人力士としてはかなり重い部類に入る体重を活かした寄りが得意手である。基本的に正攻法の寄りに徹し、右四つに組み止めて左上手を引き付けて胸を合わせる相撲が照ノ富士の型でもある。[104]一方で上手投げも得意としており、慎重な相撲ぶりから引き技にも強い。一方で裏を返せば引っ張り込む癖や立合いが甘いという弱点を持っているとも言える。相手十分の体勢を許しておきながら、腰の重さで凌ぎ、そのうちに自分の体勢にもっていくのが巧い。2014年1月場所後に照ノ富士が「下がってからという感じで、自分から一気に攻める相撲が全然なかった」と振り返るように積極性を欠く部分もある[105]。
また、右四つからの寄りのほかに極め出しも得意としており、2015年3月場所の豊ノ島戦などで極め出しで決めている。その引っ張り込む相撲は、鳥取城北高時代からの取り口である[106]。『大相撲ジャーナル』2015年6月号55頁では相撲ジャーナリストの荒井太郎が照ノ富士について「意外とテクニシャンですね。相手の右かいなを手繰って左上手を取ったり、左上手を引きつけながら右のかいなを返して寄る相撲も強烈ですし」と評している。
しかし大関昇進後は大きい相撲を取ることや攻めの遅さなどから鎖骨、膝などの怪我に襲われており、高崎もそれを指摘している。[107]それでも膝の調子が良ければ全盛期ほどとは行かないまでも良い内容の相撲を取れることがあり、2017年3月場所後の座談会では錣山が「ケガをしてからは後ろに下がる相撲が多かったです。今場所(2017年3月)は災い転じて福となすではないですが、下がったらケガをするので、とにかく前へ、前へと出る相撲を取っていましたね。強引でもどんな形でも前に出ています」と取り口の変化とともに好調を指摘している[108]。
2016年以降は怪我が多いため抱え込んで勝つ相撲は少なくなり、手堅く勝つには左の上手廻しが欠かせなくなっている。実際のところ、2017年3月場所12日目の遠藤戦を終えた後の支度部屋では「(上手まわしが)かかってなかったら、危なかったかもしれない。一瞬、持ち上げて崩れたから、足をかけた」と話している[109]。2017年5月場所後には武蔵川(元横綱・武蔵丸)が自身のコラムで「体が反ってしまうのを直してもっと丸くなっていかなきゃ。膝が悪いなりに相撲を取っていかなきゃいけないんだから、そこを変えていかないと近い将来に限界が来てしまうと心配してるんだよ」という分析と懸念を寄せている[110]。武蔵川はまた2016年9月場所後には照ノ富士に対して雑誌の記事で「もともと相撲は雑なんだけど、大関に上がってくるころの相撲といまに相撲とを比べると、もっと雑に、おおざっぱになってしまっているんだな。力で相撲を取ろうとしちゃダメだよ。力任せの相撲じゃ勝てない。これで終わっちゃうよ?だから、右四つをもっと磨いていくのが大事なんだ。相手が左四つできたから自分も左四つにと、相手に合わせ過ぎ。もっと自分の右四つの型に自信を持ってね」とアドバイスしている[111]。2017年3月場所前の時点では好角家でも知られるアイドルの山根千佳の発言によると、大兵だが上手を切る技術に優れているとのこと[112]。
十両復帰を果たした2020年1月場所では、初日の千代鳳戦で極め出しを記録しており、往年の怪力ぶりを見せつける結果となった。千代鳳は土俵を割った際に決められた両腕を抜いており、取組後に「(相手の)力がすごいっす。(腕を)抜かなかったら折れてる」と感想を述べていた[113]。一方、同場所6日目のNHK大相撲中継の解説で師匠の伊勢ヶ濱から「まだ腰が高い」と指摘された[102]。2019新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けてトレーニングジムでの筋力トレーニングを自粛したため、2020年3月場所の頃には筋肉の張りが衰えた代わりに柔軟性が増した[114]。
2020年7月場所5日目の高安戦では上手を取れなかったため、右四つに組まれて黒星を喫した。高安は右四つ得意ではないが、それだけ上手を取れないと照ノ富士は脆いという意味である[115]。
人物・エピソード
取組関連
- 2013年11月場所2日目には同郷の大先輩である朝赤龍に対して時間前からつっかけるという場面が見られた(取組は寄り切りで勝利)。
- 2014年7月場所は東前頭6枚目まで番付を上げ、部屋では日馬富士・安美錦に次ぐ地位になった。横綱土俵入りの太刀持ち・露払いは番付順で決めるという慣例があったが、それまで勤めていた東前頭9枚目の宝富士から「親方と横綱が話したみたいで、コロコロ変わっても良くないから今のままと言われた」と伝えられ、この場所は念願は実現しないことになった[116]。この場所の13日目の取組で安美錦が行司と接触した際に膝の古傷を悪化させてしまい、休場こそしなかったが太刀持ちは務められなくなってしまったため、代役として14日目から太刀持ちに起用された。9月場所以降は安美錦が復帰したため再び太刀持ちからは外されたが、9月場所は白鵬の、11月場所は鶴竜の太刀持ちをそれぞれ1日だけ務めた。従者を担当することが遅れた悔しさが照ノ富士を発奮させたとも言われている[117]。
- 2014年7月場所10日目に大砂嵐と対戦して白星を得た直後、突っ張りを食らったことに腹を立ててNHKのインタビュアーに放送禁止用語も漏らしたという[118]。
- 2015年1月場所では三賞制度発足以来初となる全三賞該当者無しの危機に瀕していた。三賞選考委員会で、千秋楽の白星を条件に殊勲賞は宝富士、敢闘賞は宝富士、照ノ富士、玉鷲が候補に挙がったが、19人の選考委員の挙手により受賞に値するとされたのは、敢闘賞の宝富士だけであった。宝富士が佐田の海に敗れれば、1947年の三賞制度制定以来、初のすべて該当者なしとなるところであった。そこで伊勢ヶ濱親方が「(三賞ゼロは)厳しい審判部と言われる」と意見をし、別の委員から「照ノ富士―玉鷲の勝者」も候補にと提言があり、再投票で認められて該当者なしの危機を脱した[14]。
- モンゴルから共に来日した逸ノ城との対戦は、2015年1月場所、同年3月場所にかけて、2場所連続で水入りとなった。これは、日本相撲協会に記録の残る1980年以降では初めての出来事である[119]。それ以前では1955年1月場所、3月場所にかけて若ノ花と出羽錦が2場所連続の引分を記録している。
- 2017年春場所では豪風をつり出して勝利したが土俵際で太ももを上げ、やぐら投げの体勢に入りながら途中でやめ「ちょっとかわいそうだと思ったから」と投げずにそのまま土俵外へ出している[120]。
その他相撲関連
- 同世代の遠藤相手には並々ならぬ闘志を燃やし、「遠藤にだけは絶対に負けたくない」「遠藤より先に横綱になる」と公言する[121]。
- 場所入りする際の送迎車のナンバーは、72代横綱を目指していたことからこれまで必ず「72」をリクエストしていた。稀勢の里に先を越されて以降は「73」へ変更された[122]。
- 2016年2月2日の健康診断で握力を測定したところ、右76㎏、左82㎏であった。同年1月場所はけがで6日目から途中休場し、休場後は左膝の内視鏡手術を受け、退院後はリハビリ生活であった。平幕だったちょうど1年前は右87㎏、左89㎏だっただけに「落ちてるな…何もしてないから」と苦笑した。大関昇進後、けがに苦しんで衰えを見せている照ノ富士のエピソードである[123]。
- 2017年5月場所後の記事によると、本人は「塩撒きの際には右手を内側から時計回りに回すのがベスト」と所作について力説している[124]。
- 2019年12月26日に時津風部屋へ出稽古に行った際には、「もう(稽古場、本場所両方で幕下以下が締める)黒まわしは2度と締めたくないから捨てた」と二度と幕下に戻らないという決意を語った[125]。
- 関取に復帰した2020年初場所5日目からは非常に珍しい濃紺一色の化粧廻しを付けている。
趣味・嗜好
- 子供の頃から歌や踊りが好きな目立ちたがり屋であり、演劇発表会で主役を務めるなど元来より社交的であった[6]。
- 照ノ富士の母の談話によると「旭天鵬関のように、だれにも優しくて、親切で、温厚な、ああいうお相撲さんになってもらいたい」と期待されていた[126]。
- 食べ物の好物は牛タン。嫌いなものはカレーライスと生魚。大関昇進に際したテレビの特集ではカレーは見た目が嫌いだと答えている。お化けが怖く1人部屋を拒否したこともある[121]。
- かつては相撲界でも一、二を争う酒豪であったが、酒の飲み過ぎが原因なのか後に病気に苦しんだため、2020年1月場所での関取復帰に向けて断酒したという[87]。
家族・交友関係
- 日刊ゲンダイの記事によると、2011年に父は勤めていた採掘会社の倒産を経験し、その後自身で採掘会社を起業したものの失敗し、そのため照ノ富士は家計を支えるために相撲界に入ったとのこと。北の富士の著書によると、照ノ富士は「何が一番好きですか?」と聞かれると「お金!」と答えるという[127][128]。
- 逸ノ城はモンゴルの同じ道場で柔道を習い、後に同じ飛行機で来日して寮も同部屋という仲だった[129]。
- 入幕前には、普段からライバル視している大砂嵐とは「2人で大関・横綱になろう」と話しているという。2014年2月9日の日本大相撲トーナメント十両部門で優勝した際は「最初から優勝すると思っていた」と得意げに話し、普段とは勝手の違うトーナメント戦にも「1日で全部終わる。15日間集中しなければいけない本場所より楽に感じた」と話した[130]
- 照ノ富士を指導した鳥取城北高相撲部顧問のレンツェンドルジ・ガントゥクスは2017年5月1日に、東京都内のモンゴル大使館で権威ある勲章の北極星勲章をフレルバータル大使から授与された。勲章の授与式には照ノ富士、逸ノ城など教え子も出席していた[131]。
- 後に互いに序二段陥落を喫してから序二段の土俵で顔が合った天風は、自身が鳥取城北高校に留学する前からの仲であり、15歳の時に尾車部屋に体験入門した際に一緒に寝泊まりしてゲームをした思い出があった[89]。
報道対応
- 関取昇進から幕下陥落までは報道陣に敬語を使わず相手を見下ろしたような言葉遣いであったが、幕下陥落を機にそのやんちゃな姿勢を改めた[132]。
略歴
- 2011年5月技量審査場所 - 初土俵
- 2011年7月場所 - 序ノ口
- 2011年9月場所 - 序二段
- 2011年11月場所 - 三段目
- 2012年1月場所 - 幕下
- 2013年9月場所 - 十両
- 2014年3月場所 - 幕内
- 2015年3月場所 - 新関脇(新三役)
- 2015年5月場所 - 幕内初優勝
- 2015年7月場所 - 新大関
- 2017年11月場所 - 関脇陥落
- 2018年3月場所 - 十両陥落
- 2018年7月場所 - 幕下陥落
- 2018年11月場所 - 三段目陥落
- 2019年3月場所 - 序二段陥落
- 2019年5月場所 - 三段目再昇進
- 2019年7月場所 - 幕下再昇進
- 2020年1月場所 - 十両再昇進(関取復帰)
- 2020年7月場所 - 幕内再昇進
主な成績
連勝記録
2020年3月場所終了現在
最多連勝記録は、20連勝。幕下(全勝優勝)と十両(13勝2敗・優勝)。
自身の順位 | 連勝数 | 期間 | 止めた力士 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 20 | 2019年11月場所初日~2020年1月場所13日目 | 錦木 | 十両を含む連勝記録としては歴代4位 |
スピード記録
2020年3月場所終了現在
- 初土俵から大関昇進までの所要場所数:25場所(歴代4位・年6場所制以降の初土俵力士の中では歴代3位)
- 初土俵から初優勝までの所要場所数:25場所(歴代3位)
- 初土俵から関脇昇進までの所要場所数:23場所(歴代9位)
- 新三役から2場所通過で大関昇進:15日制以降では史上唯一(関脇2場所)
通算成績
2020年3月場所終了現在
- 通算成績:326勝215敗78休(54場所)
- 通算勝率:.603
- 幕内成績:169勝147敗44休(24場所)
- 幕内勝率:.535
- 十両成績:61勝38敗6休(7場所)
- 十両勝率:.616
- 幕下成績:65勝26敗14休(15場所)
- 幕下勝率:.714
- 三段目成績:13勝1敗14休(4場所)
- 三段目勝率:.929
- 序二段成績:13勝1敗(2場所)
- 序二段勝率:.929
- 序ノ口成績:5勝2敗(1場所)
- 序ノ口勝率:.714
- 新三役からの連続2桁勝利記録:4場所(2015年3月場所 - 2015年9月場所。歴代3位・年6場所制以降では歴代2位。)
- 幕内連続2桁勝利記録:4場所(2015年3月場所 - 2015年9月場所)
各段在位場所数
2020年3月場所終了現在
- 通算在位:54場所
- 幕内在位:24場所
- 大関在位:14場所(短命力士として歴代9位)
- 三役在位:3場所(関脇3場所)
- 平幕在位:7場所
- 十両在位:7場所
- 幕下在位:15場所
- 三段目在位:4場所
- 序二段在位:2場所
- 序ノ口在位:1場所
- 前相撲:1場所
- 幕内在位:24場所
各段優勝
2020年3月場所終了現在
- 幕内最高優勝:1回(2015年5月場所)
- 十両優勝:2回(2013年9月場所、2020年1月場所)
- 幕下優勝:1回(2019年11月場所)
三賞・金星
- 三賞:4回
- 殊勲賞:1回(2015年3月場所)
- 敢闘賞:3回(2015年1月場所、3月場所、5月場所)
- 金星:なし
場所別成績
2020年3月場所終了現在
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2011年 (平成23年) |
x | 八百長問題 により中止 |
(前相撲) | 東序ノ口3枚目 5–2 |
西序二段59枚目 6–1 |
東三段目93枚目 7–0 |
2012年 (平成24年) |
東幕下58枚目 5–2 |
西幕下39枚目 5–2 |
西幕下27枚目 5–2 |
東幕下15枚目 3–4 |
西幕下21枚目 2–5 |
西幕下37枚目 4–3 |
2013年 (平成25年) |
西幕下31枚目 5–2 |
西幕下20枚目 5–2 |
西幕下10枚目 6–1 |
東幕下4枚目 6–1 |
西十両11枚目 優勝 12–3 |
東十両3枚目 8–7 |
2014年 (平成26年) |
西十両筆頭 12–3 |
西前頭10枚目 8–7 |
東前頭9枚目 9–6 |
東前頭6枚目 9–6 |
東前頭筆頭 6–9 |
西前頭3枚目 8–7 |
2015年 (平成27年) |
東前頭2枚目 8–7 敢 |
東関脇 13–2 敢殊 |
東関脇 12–3 敢 |
西大関2 11–4 |
東大関1 12–3[133][134] |
東大関1 9–6 |
2016年 (平成28年) |
西大関1 3–3–9[135] |
西大関2 8–7[136] |
西大関2 2–13 |
西大関2 8–7[136] |
西大関1 4–11 |
西大関2 8–7[136] |
2017年 (平成29年) |
東大関2 4–11 |
西大関1 13–2[136][137] |
東大関1 12–3 |
東大関1 1–5–9[138] |
東大関2 1–5–9[136][139] |
東関脇2 0–5–10[140][141] |
2018年 (平成30年) |
東前頭10枚目 0–8–7[142] |
西十両5枚目 6–9 |
東十両8枚目 0–9–6[143] |
東幕下6枚目 休場[144] 0–0–7 |
東幕下47枚目 休場 0–0–7 |
西三段目27枚目 休場 0–0–7 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
西三段目88枚目 休場 0–0–7 |
西序二段48枚目 7–0[145] |
東三段目49枚目 6–1 |
東幕下59枚目 6–1 |
東幕下27枚目 6–1 |
西幕下10枚目 優勝 7–0 |
2020年 (令和2年) |
西十両13枚目 優勝 13–2 |
東十両3枚目 10–5[146] |
新型コロナウイルス 感染拡大により中止 |
東前頭17枚目 –[147] |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
2020年3月場所終了現在
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧山 | 12 | 1 | 東龍 | 1 | 0 | 荒鷲 | 3 | 1 | 勢 | 3 | 8 |
石浦 | 0 | 1 | 逸ノ城 | 7 | 2 | 遠藤 | 2 | 3 | 阿武咲 | 0 | 1 |
大砂嵐 | 5 | 0 | 隠岐の海 | 8 | 3 | 魁聖 | 8 | 3 | 臥牙丸 | 1 | 1 |
鏡桜 | 0 | 1 | 鶴竜 | 4 | 7* | 稀勢の里 | 3 | 12* | 北太樹 | 2 | 2 |
旭秀鵬 | 0 | 2 | 豪栄道 | 5 | 10 | 琴奨菊 | 9 | 8 | 琴勇輝 | 2 | 3 |
佐田の海 | 3 | 1 | 佐田の富士 | 2 | 0 | 里山 | 1 | 0 | 常幸龍 | 1 | 2 |
正代 | 3 | 4(1) | 松鳳山 | 3 | 4 | 蒼国来 | 3 | 1 | 大奄美 | 0 | 1 |
大翔丸 | 0 | 1(1) | 貴景勝 | 0 | 1 | 貴ノ岩 | 3 | 1 | 髙安 | 7 | 8 |
豪風 | 3 | 5 | 玉鷲 | 5 | 3 | 千代鳳 | 2 | 0 | 千代大龍 | 1 | 1 |
千代丸 | 1 | 1 | 時天空 | 1 | 0 | 德勝龍 | 1 | 3 | 栃煌山 | 8 | 5(1) |
栃ノ心 | 9 | 2 | 栃乃若 | 3 | 0 | 豊ノ島 | 4 | 4 | 豊響 | 0 | 3 |
白鵬 | 4 | 9 | 北勝富士 | 0 | 2 | 御嶽海 | 4 | 3(1) | 妙義龍 | 9 | 3 |
嘉風 | 6 | 6 |
- 他に優勝決定戦で鶴竜、稀勢の里にそれぞれ1敗がある。
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2020年3月場所終了現在、現役力士)
合い口
- いずれも2020年3月場所終了現在。
- 横綱・白鵬には4勝9敗と負け越している。新三役・新関脇の2015年3月場所で初勝利を上げた。2015年11月場所、2016年7月場所、11月場所でも勝利した。特に、大関昇進後の2015年7月場所以降は照ノ富士の3勝5敗と拮抗しており、白鵬が横綱昇進した2007年以降に大関昇進した力士の中では、大関の地位においての白鵬戦の勝率が最も高い。さらに、照ノ富士が大怪我した2015年9月場所以降は照ノ富士の2勝4敗である。
- 横綱・鶴竜には4勝7敗と負け越している。2015年9月場所千秋楽では13日目の稀勢の里戦で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負いながらも本割で初勝利を上げるとともに12勝3敗同士の優勝決定戦へもつれ込んだ。しかし優勝決定戦で敗れ2回目の幕内優勝はならなかった。
- 大関・貴景勝には2017年7月場所で貴景勝が平幕のときに1回だけ対戦している。対戦成績は照ノ富士の1敗である。まだ両者の大関同士の対戦はない。
- 元大関・琴奨菊には大怪我する前までは圧倒していたが、今では9勝8敗とほぼ互角の成績となっている。
- 元大関・高安には大怪我する前までは圧倒していたが、今では7勝8敗とほぼ互角の成績で、2016年7月場所から2017年3月場所まで5連敗を喫していた。しかし、高安が大関昇進直前の2017年5月場所で久々に勝利した。まだ両者の大関同士の対戦はない。
- 元大関・栃ノ心には9勝2敗と勝ち越している。同じ右四つ得意ということで、自力で照ノ富士の方が上回っている。まだ両者の大関同士の対戦はない。
(以下は横綱・大関の引退力士)
- 元横綱・稀勢の里には照ノ富士が大怪我する前までは3勝4敗と拮抗していたが、大怪我してからは8戦全敗で、3勝12敗(優勝決定戦で1敗)と大きく負け越している。特に、2017年3月場所では千秋楽の本割、優勝決定戦と連敗して優勝を逃してしまった[148]。
- 元大関・豪栄道には大怪我する前までは圧倒していたが、大怪我して以降は勝てなくなり5勝10敗と負け越している。
改名歴
- 若三勝 由章(わかみしょう よしあき) 2011年5月技量審査場所
- 若三勝 章明(わかみしょう よしあき) 2011年7月場所 - 2011年11月場所
- 若三勝 由章(わかみしょう よしあき) 2012年1月場所 - 2013年7月場所
- 照ノ富士 由章(てるのふじ よしあき) 2013年9月場所
- 照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお) 2013年11月場所 -
主なメディア出演
TV出演
CM出演
脚注
- ^ NHK大相撲英語実況でのニックネーム
- 大空出版『相撲ファン』vol.3 63頁
- ^ a b c d 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p109-110
- ^ 新十両昇進の照ノ富士、しこ名は2横綱の合作 スポーツ報知 2013年7月24日(2013年7月24日閲覧)
- ^ a b 甘えん坊照ノ富士、涙の賜杯 見いだしたのはあの人 朝日新聞 2015年5月25日
- ^ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p108
- ^ a b 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p111
- ^ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p158-159
- ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P49-50
- ^ a b c d e 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p112 -113
- ^ 照ノ富士 新十両昇進「もっと頑張る」 nikkansports.com 2013年7月24日19時52分
- ^ 『相撲』2013年12月号64頁
- ^ https://twitter.com/Ichiro_SUMO/status/465637248549920768
- ^ 照ノ富士「あり得ない」立ち合い変化で○ nikkansports.com 2014年9月14日21時10分
- ^ a b 【初場所】三賞選考、異例の“取り直し”該当者なしの危機で 2015年1月26日6時0分 スポーツ報知
- ^ a b 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p114-115
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- ^ 新大関として11勝 親方衆の照ノ富士採点は?大相撲裏話(日刊スポーツ)2015年7月28日9時3分
- ^ 照ノ富士、秋巡業全休か「本人は出たがっているが」日刊スポーツ 2015年9月30日12時38分
- ^ 照ノ富士は来場所綱とり?協会首脳は見解相違
- ^ 照ノ富士、記録的な屈辱=大相撲夏場所12日目
- ^ 照ノ富士69年ぶり同一場所11連敗
- ^ 照ノ富士 11連敗…69年ぶり大関ワーストに並ぶ
- ^ 照ノ富士、大関12連敗…史上ワーストタイ
- ^ 照ノ富士、大関では65年ぶり12連敗…ワースト記録に並びショック隠せず/夏場所
- ^ 照ノ富士13連敗 大関ワースト69年ぶり更新
- ^ 照ノ富士「来場所を見て」=大相撲夏場所千秋楽
- ^ 照ノ富士○○○○から●●●…「アァー!」絶叫
- ^ この日の大相撲中継で師匠は「(患部に)水がたまる」と話していた。
- 『大相撲ジャーナル』2016年9月号16ページ
- ^ 照ノ富士、大関陥落危機 高安に屈し7敗目「できることを…」
- ^ 照ノ富士はカド番脱出「長かった…」
- ^ 豪栄道12連勝、3人が2敗…照ノ富士負け越し
- ^ 寂しげな照ノ富士=大相撲秋場所12日目
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年11月号77ページ
- ^ 『相撲』2016年11月号18ページ
- ^ 照ノ富士、大関対決制しカド番脱出へあと2勝
- ^ 照ノ富士、7連勝でカド番脱出に王手!全勝・鶴竜を止め一気に主役に躍り出るか
- ^ 今年最も多く黒星を喫したのは誰? 実力者ぞろいの幕内黒星ランキング
- ^ 白星最少の照ノ富士、5場所皆勤も大不振「つらく、苦しい1年だった」/九州場所
- ^ 大相撲九州場所>照ノ富士 力相撲で白鵬降して荒い息
- ^ 照ノ富士「病気とけがが一気に集まってきた」
- ^ 冬巡業離脱 膝に不安の照ノ富士、手首骨折の宇良も
- ^ 照ノ富士、来場所4度目かど番に「何とも言えない」
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年4月号29ページ
- ^ 照ノ富士、心身とも復活=強気に逆転優勝狙う-大相撲春場所
- ^ 照ノ富士、変化で王手も大ブーイング!「モンゴル帰れ」スポーツ報知 3月26日 18時00分
- ^ 稀勢の里2連覇、決定戦で照ノ富士破る 春場所千秋楽 日本経済新聞 2017年3月26日 19時17分
- ^ 【大相撲春場所】照ノ富士1敗守った 「“準優勝”なら、来場所は綱取り?」
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- ^ 照ノ富士も休場、大関陥落危機=3横綱2大関は99年ぶり-大相撲秋場所
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- ^ 照ノ富士幕下陥落決定的も現役続行伊勢ケ浜親方「引退? そんなのは全然ない」
- ^ 伊勢ケ浜親方、照ノ富士の現役続行を明言「落ちたから『やめます』という話にはならない」/夏場所
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- ^ 照ノ富士休場、6月に両膝手術 全休なら九州場所は三段目転落 スポーツニッポン 2018年9月8日5時30分
- ^ 照ノ富士4場所連続休場 来年初場所復帰見据える 日刊スポーツ 2018年11月10日8時41分
- ^ 照ノ富士 初場所全休へ…親方「万全の状態にしないと」スポーツニッポン 2019年1月12日5時30分
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- ^ 80年以降18例目の水入り…2場所連続は過去に例なしsponichi.co.jp 2015年3月22日5時30分
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- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年11月号(九州場所展望号) 6 - 10頁
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- ^ 照ノ富士育てた指導者に勲章 鳥取城北高のガントゥクス氏 SANSPO.COM 2017.5.1 20:12(産経新聞社、2018年2月26日閲覧)
- ^ ヤンチャな…関取復帰の照ノ富士はケガ経て新境地 日刊スポーツ 2019年12月20日10時1分(2019年12月21日閲覧)
- ^ 鶴竜と優勝決定戦
- ^ 13日目の稀勢の里戦で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負ったが千秋楽まで強行出場
- ^ 右鎖骨骨折のため6日目から途中休場
- ^ a b c d e 大関角番(全5回)
- ^ 稀勢の里と優勝決定戦
- ^ 左膝半月板損傷のため6日目から途中休場
- ^ 左膝半月板損傷のため6日目から途中休場
- ^ 関脇陥落
- ^ 左膝外側半月板損傷のため5日目から途中休場
- ^ 2型糖尿病のため3日目から休場。11日目より再出場
- ^ 左膝外側半月板損傷により4日目から途中休場、11日目から再出場
- ^ 両膝手術のため全休
- ^ 狼雅と優勝決定戦
- ^ 無観客開催
- ^ 東京開催
- ^ 稀勢の里、横綱初&2連続V 照ノ富士と決定戦制す 日刊スポーツ 2017年3月26日19時43分
参考文献
- 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p245-247
関連項目
- 大関一覧
- モンゴル出身力士一覧
- 逸ノ城駿 - 照ノ富士と同じくモンゴル人力士としては珍しい巨漢のあんこ型である。
- 鳥取県の高校相撲部出身の一覧
外部リンク
- 照ノ富士春雄 (@91ganjoy) - X(旧Twitter)(2015年10月18日 - )
- 照ノ富士 春雄 - 日本相撲協会
- 照ノ富士 春雄 - 相撲レファレンス