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2020年7月8日 (水) 21:27時点における版

こんにちは赤ちゃん(こんにちはあかちゃん)は、1963年(昭和38年)にリリースされた歌謡曲。また、それをモチーフにした映画作品(2作品存在する。詳細後述)、およびテレビドラマ(詳細後述)。

歌謡曲

歌唱:梓みちよ、作詞:永六輔、作曲:中村八大

本曲は作曲者・中村の第一子生誕をヒントに永が作詞した作品である。本来はそのエピソードから永がパパの心情を歌詞にして、中村にプレゼントした曲であった[1]。永は自身のコンサートや、後年テレビ朝日の『題名のない音楽会』に出演した際などに、「パパの心情版」のこの曲を歌っている。

1963年7月6日NHKテレビの人気番組『夢であいましょう』の今月の歌コーナーにて紹介された。原曲は上記のとおりパパの心情の歌詞であるが、歌手が女性であることなどから、ママの心情に置き換えた[2]

譜面の視聴者プレゼントへ週に1万通を超える応募が殺到する[3]などの以後の大反響から同年11月1日キングレコードよりシングルレコードが発売[4]されると、100万枚を超える[5](120万枚[6]とも)空前の大ヒットとなり、梓は本曲で同年の第5回日本レコード大賞を受賞し、第14回NHK紅白歌合戦にも本曲で初出場を果たす。

翌1964年には、5月に東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露した。明治時代以降において日本芸能界初の天覧歌謡曲となる。また、第36回選抜高校野球大会開会式入場行進曲に使用された。坂本九の「スキヤキ」の世界的ヒットの直後ということもあり、同じ作詞・作曲者であるこの曲も、同年英国デッカ・レコードを通じ梓のバージョンが日本語のまま世界に向けて発売された[7]

1992年6月10日、本曲を作曲した中村八大が61歳で逝去。同1992年暮れの第43回NHK紅白歌合戦で、梓は16年ぶり11回目の紅白復帰出演を果たし、中村を偲んで本曲を披露した。

日本テレビバラエティーぐるぐるナインティナイン』の名物コーナー『ゴチになります!』のクビレースナインティナイン矢部浩之2013年パート14クビになった際に『散り際の曲』として使われたことがある。ちなみにパート16の最終戦でも選択したが、無事に残留したために使われなかった。(江角マキコクビになりエレファントカシマシの曲が使われたため)

シングル収録曲

  1. こんにちは赤ちゃん
    • 作詞:永六輔、作曲・編曲:中村八大、歌:梓みちよ、演奏:レオン・サンフォニエット
  2. いつもの小道で
    • 作詞:永六輔、作曲・編曲:中村八大、歌:梓みちよ、田辺靖雄、演奏:レオン・サンフォニエット

カバー

こんにちは赤ちゃん

映画作品

東宝日活で映画化され(両作品ともストーリーは異なる)、いずれも曲リリースの翌年、1964年に劇場公開された。なお、当然ながら同名曲が主題歌として用いられたが、梓の歌が使用されたのは東宝版のみであり、日活版は混声合唱によるもので、ラストで和泉雅子や山内賢など出演者が合唱する演出がされた(こちらの作品において歌手名はクレジットされなかった)。

東宝版

  • 3月20日公開。同時公開作品は『続・若い季節』(古沢憲吾監督)。

大学教授の四方山敬介(小林桂樹)は妻に先立たれ、8ヶ月の赤ちゃんをかかえて四苦八苦の日々である。ある日、お手伝いさんが休みで困っていたところ、お隣りの奥さんが預かってくれることになる。だが、なぜか教え子の女子大生・会田道代(梓みちよ)がお守として我が子を学校に連れてきていた。何となく自分の子どもだと言えなかった敬介は、道代に赤ちゃんを世話するため公然と学校をさぼってもいいと認める。道代は大喜びでボーイフレンドの康彦(田辺靖雄)を引き込み、お守のアルバイトに精を出すことになる。ある日道代が、康彦のアパートの部屋に二人でいると、康彦の父(ハナ肇)が偶然上京してきた。あわてものの父は初孫と勘違いしてデパートの赤ちゃん用品売場に直行、ちょうど催されていた赤ちゃんコンクールで一等をとる。一方、学部長から同僚教師の沖山女史(岸田今日子)との結婚をすすめられていた四方山教授だが、道代は沖山女史が気に食わない。しかし沖山女史との話は進み、赤ちゃんと対面することになるのだった。

日活版

  • 2月23日公開。同時公開作品は『人生劇場』(舛田利雄監督)。

日本と東南アジアを結ぶ貨物船・月光丸が横浜に寄航すると、船員たちと家族は定宿の“カモメホテル”に集まった。ホテルの娘とも子(和泉雅子)をめぐって、船員の五郎(山内賢)と実(杉山俊夫)は恋がたきだった。そんな五郎の所へ、光子(有田双美子)と母親が郷里から出て来る。五郎に好意をもっていたとも子は不機嫌になる。一等航海士の谷村(川地民夫)は服飾デザイナーの妻と別居して、生後10ヶ月の弘を母親に預けていたが、いとこの洋子(芦川いづみ)がわざわざ連れてくる。その弘はみんなから引っ張りだこになり、ついには行方不明となって大騒ぎになる。三好無線士(桂小金治)の妻も出産間近で、一目会いたいとやって来たが、出航間際になって産気づいてしまった。カモメホテルはてんやわんやの大騒ぎである。船長の娘でテレビ局アナウンサー・宇田川圭子役の吉永小百合が物語の進行役を務めているが、全員が「こんにちは赤ちゃん」を合唱するシーンではただ一人歌っていない。ただし、劇中で持ち歌の「寒い朝」をアカペラで歌っている。

  • 監督:井田探
  • 原作:永六輔中村八大
  • 脚本:山崎巌、才賀明
  • 脚本協力:永六輔
  • 協賛:ダブルG森永ドライミルク
ほか

テレビドラマ

1964年5月4日から同年10月30日までTBS系列で放送。時間(JST)は平日14:00 - 14:15で、この枠で放送された昼ドラの第1作目。武田薬品工業の全曜日一社提供

出演者

出典

TBS 平日14:00 - 14:15枠
前番組 番組名 次番組
女性専科
※15分繰上げ
こんにちは赤ちゃん
(テレビドラマ版)
TBS系 平日14時枠昼ドラ
(なし)
こんにちは赤ちゃん
(テレビドラマ版)
悲恋十年

脚注

  1. ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、105-106頁。ISBN 4390116010
  2. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』106頁。
  3. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』108頁。
  4. ^ EB-1000。 ジャケット裏にはB面曲「いつもの小道で」のジャケットが掲載されており、事実上同シングルは両A面扱いである。ステレオ録音されたが初発シングルはモノにダウンミックスされての発売。日本レコード大賞を受賞後、同品番で表裏共にジャケット写真を差し替えさらに「こんにちは赤ちゃん」の側に「1963年日本レコード大賞受賞」と記載されたものが発売された。
  5. ^ 『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』109頁。
  6. ^ 産経新聞』1998年5月30日付東京夕刊。
  7. ^ F.21921。タイトル表記は日本語のまま"Kon-Nichi Wa Akachan"となっている。[1]