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2020年7月5日 (日) 05:30時点における版

酒井氏
家紋
片喰紋、片喰かたばみ
本姓 清和源氏義重流[1]
大江氏海東氏[1]
家祖 酒井広親
種別 武家
華族(伯爵)
出身地 三河国碧海郡酒井郷[1]
主な根拠地 三河国幡豆郡坂井郷
著名な人物 酒井正親
酒井忠次
酒井忠世
酒井忠清
酒井忠績
凡例 / Category:日本の氏族

酒井氏(さかいし)は、日本の氏族のひとつ。三河国在地領主から、徳川政権下で譜代大名となった氏族である。

概要

松平氏徳川氏の最古参の譜代筆頭で、松平氏と同族という。徳川幕府の古記録である『柳営秘鑑』では、「三河安祥之七御普代(ふだい=譜代)、酒井左衛門尉、元来御普代上座」と、ある。また、同書物「葵之御紋来由」の項目に、「坂伊〔さかい〕ノ郷より為〔として〕加勢来りし」とある。

江戸時代の徳川幕府では、大老四家の一つに数えられ、一族から大老老中を出している。

明治維新後、10万石以上だった三家の酒井家が伯爵、それ以外の小大名の酒井家は子爵に叙せられた。

出自

酒井氏は元来、三河国碧海郡酒井郷あるいは同国幡豆郡坂井郷の在地領主であったと考えられている。14世紀の末頃に酒井郷の領主であった酒井忠明の子が酒井忠時(酒井太郎左衛門少尉忠時)で、さらに忠時の子に当たる酒井忠則は、新田氏の支族、世良田氏の一族を名乗る時宗の僧・徳阿弥(後の松平親氏)を娘婿に迎えたという。その間に生まれた子が酒井広親(庶長子)で、成長した広親は親氏系の酒井氏の始祖となったとされる。

もとよりこれらは、松平氏の出自に関するのと同類の伝説であって、事実は広親以前に確かな系図をたどることができず、また松平氏と同族の清和源氏新田氏流であることを主張するために、家康の時代以降に創作されたものとされる。

酒井広親は松平郷にて松平氏に仕え、譜代家臣となったとされる。その後の酒井氏は、広親の子から2家に分かれる(あるいは、広親の子の酒井五郎親時の子の時ともされる)。

酒井氏系譜

凡例 太線は実子。(養子はあえて記さず。)   

          親氏
         (松平氏初代)
    ┏━━━━━━╋━━━━━━┓
  松平信広    泰親     広親松平郷松平家) (松平氏2代)(称 酒井氏)
                  ┣━━━━━━━┓
                 氏忠      家忠
                  ┃       ┃
                 忠勝      信親
                  ┃       ┃
                 康忠      家次
                  ┣━━━┓?   ┃
                 忠親  忠尚  清秀
                  ┃       ┃
                 忠次      正親
               (左衛門尉家)  (雅楽頭家)

家紋

片喰紋 姫路剣片喰

酒井氏の家紋は新田氏以来の 片喰紋であり、一族や子孫は、それに装飾を加えた「丸に片喰」や「丸に剣片喰」などの家紋を用いた。

『柳営秘鑑』には、徳川家の三つ葉葵の家紋が、酒井氏より由来することが詳細に記載されている。

「御当家に用させた満〔ま〕ふ所之物之内ニ三ッ葵ノ葉の御紋ハ 御当家御譲祖徳川信光公の御時 文明十一己亥七月十五日参州安祥城攻之時 今の酒井等の祖酒井五郎親清、(中略)盃に葵の葉三ツ鼎のごとくならへ…信光公大ひ尓〔に〕御喜悦尓〔に〕て今度の敵を討事 掌を指がごとし。既尓〔に〕当家の吉瑞となる遍〔べ〕きな連〔れ〕ハ 只今の三葵の葉を以て自分ハ汝が家能〔の〕紋とせよ被傳出尓付て酒井親清畏て酒井能〔の〕家の紋とせり。必定、此軍尓御勝利なり。」
「其後信光公の御孫徳川次郎三郎長親公の御時 文亀元辛酉年九月 今川家大将伊勢新九郎長氏入道早雲と岩付の城下に於て御合戦御勝利なり。此時の先陣ハ酒井左衛門尉氏忠入道浄賢舎 両酒井を御前に召連て、昨日汝等が働、抜群之。殊尓汝が葵の紋の籏風に翻ひて見事なりき。今是を家に返しくれよ。」
(引用部の〔 〕内は、直前の漢字のよみを表す。)

よって、これより松平氏は三ツ葉葵紋を我家の紋として、この吉例を子孫に伝遍したという。

左衛門尉酒井家

酒井家上屋敷跡
千代田区丸の内

広親の長男とされる酒井氏忠(親忠)の家系は代々左衛門尉を名乗ったので左衛門尉家さえもんのじょうけといい、初代・氏忠から数えて5代目が酒井忠次となる。

忠次は、松平広忠家康父子に仕えた重臣として知られる。重臣家の嫡子であった忠次は家康より15歳年長で、幼い家康が駿府人質生活を送っていた際にも随従し、苦楽を供にしてきた家康から信頼を寄せられるようになった。

桶狭間の戦い以後には、広忠の異母妹を正室とされた(のちの碓氷姫。当時、未亡人であった)。こうして家康の義理の叔父という間柄にまで高められたことから、徳川家臣団の中で益々重用され、ついには吉田城豊橋市)を託されることとなった。「東三河の旗頭」として東三河4郡に住す国人領主たちを統卒、家康の青壮年期にあった多くの合戦でも彼等を率いて活躍。このような事跡から忠次は、のちに家康側近の武将として顕彰された徳川四天王徳川十六神将の筆頭に数えられている。

1590年関東への領地替えを豊臣秀吉に命じられた家康は、後北条氏の旧領に三河軍団を配置した。酒井左衛門尉家は忠次から代替わりをしており、嫡子・家次下総国臼井千葉県佐倉市)3万石を与えられた。ところが、ほかの四天王である井伊直政は12万石、本多忠勝榊原康政には10万石が与えられていた。

この割り当ての理由には、

  • 家康の長男松平信康の自害を防げなかったのは忠次の不手際、という懲罰的な意味が含まれているとする説(この説では隠居していた忠次が家康に直訴に赴くも、「お前でも我が子が可愛いか」と言われ、やむなく引き下がったとの逸話があり、これを根拠としている。)
  • 豊臣秀吉との内通があったことを黙認していたとする説
  • 秀吉と昵懇としていたことに、家康が不快感を持っていたとする説
  • 反対に井伊・本多・榊原三家に対する待遇が豊臣政権による干渉に基づく破格のものであったとする説
  • 忠次は功績があったものの家次には特に功績が認められなかったからとする説

などがある。

しかしながら、家次の子酒井忠勝の頃に、出羽庄内藩へ加増移封された。14万石といいながら、その領地は実高20万石から30万石ともいわれ、本多榊原井伊に劣らぬ所領を得た。

ところが、"大身の譜代は老中などの役職には就かない"という慣習がありながら、5代藩主として宗家を継いだ酒井忠寄は、14年にわたって老中を務めることとなった。このため、莫大な出費が藩の財政を逼迫させた。また、忠寄の孫・酒井忠徳の代になっても藩の財政は好転せず、参勤交代の費用にも難渋するほど悪化を続けていた。

そこで忠徳は、領内の酒田で優れた経綸の才を見せる本間光丘という人士に藩の財政再建を託した。忠徳の後援を得た本間の働きによって、藩財政は破綻の危機を脱して再び潤いを取り戻している。

幕末では、酒井忠次から数えて13代目の忠篤の頃に奥羽越列藩同盟の一翼を担い、新政府軍に抗うも、のちに恭順。その弟、14代目の忠宝の頃に廃藩置県を迎えた。

雅楽頭酒井家

広親の次男とされる酒井家忠の家系は、代々雅楽助(のち雅楽頭)を名乗り、雅楽頭家うたのかみけと呼ばれる[2]酒井雅楽助正親は左衛門尉家の忠次と同じく家康青年期の重臣のひとりで、三河統一の過程で西尾城主(西尾市)に取り立てられ、直臣最初の城主となる。

その子重忠は関東で武蔵国川越(埼玉県川越市)に1万石を与えられ、重忠の子忠世前橋藩主老中大老となる。またその孫の忠清は大老となり、幕政において影響力を持った。忠世の子孫は姫路藩15万石の藩主となった。

また、重忠の弟の忠利は別家して取り立てられ、川越藩主江戸城留守居・老中となる。忠利の子の忠勝は老中・大老になり、小浜藩11万3千石の藩主となった。

酒井忠績は江戸幕府の最後の大老となる。明治28年(1895年)に死去、墓地は染井霊園であるが、近年、無縁墓となり、撤去が予定されている[3]

酒井氏の大名家

酒井氏の大名家は9家を数え、すべて譜代大名(扱いは親藩格)であるが、左沢、大山、が改易されたため7家となった。明治に至ってともに華族に列し、庄内、姫路、小浜の3家は伯爵、その他の家は子爵を授けられた。

左衛門尉酒井家

左衛門尉酒井家系譜

凡例 太線は実子。(養子はあえて記さず。苗字ありは他氏への養子)

    1 =宗家歴代、ⅰ=分家(羽州松山藩)歴代   太字は老中歴任者


     1忠次
      ┣━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━┓
     2家次        本多康俊       小笠原信之        久恒           忠知
      ┣━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━┓    ┃
     3忠勝      直次       忠重       勝吉        了次  柴谷政時  忠村
    (宗家)   (左沢藩断絶)  (旗本断絶)                ┃
  ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━┓        ┃
 4忠当  忠俊 ⅰ忠恒  忠貫  忠盛   忠直   忠解   忠興       忠崇
  ┃       ┃              (大山藩断絶)          ┣━━┓
 5忠義     ⅱ忠予                              重盈 重秋
  ┃       ┣━━━┓                        ┏━━┫  ┣━━┳━━┳━━┓
 6忠真      忠英  7忠寄                       忠盈  重栄 重喬 直隆 重頼 重一
  ┃   ┏━━━┫   ┣━━━┳━━━━┓                        ┃  ┃   ┃
 忠辰  忠起  忠郷  8忠温 本多康伴 本庄資尹                     ⅲ忠休 了知 直恭
      ┃       ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓     ┏━━━┫  ┃  ┃
     忠夷      9忠徳                      忠順    忠体 ⅳ忠崇  ┃  直豊
      ┃   ┏━━━╋━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━┓    ┃   ┏━━━━━┳━━╋━━┓
     忠恕 10忠器 水野忠実 黒田直候 市橋長富 内藤政民 小笠原長泰 ⅴ忠礼  了安    久中 直寛 烟林
  ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━━┳━━━━┓         ┃   ┣━━┓  ┏━━╋━━┓ 
11忠発  忠中 12忠寛 増山正修 市橋長和 米津政易 米津政明       ⅵ忠方   右京 了明 直方 直鳳 七五三
  ┣━━━━━━━━━┳━━━┳━━━━━━━┳━━━┓         ┃  ┏━━┳┻┓ ┃  ┃  ┃
 忠恕     13・15忠篤 14忠宝      忠庸  忠利        ⅶ忠良 了恒 調良 研堂(略)直興 勝貫
  ┏━━━━━┳━━━┫   ┣━━━┓   ┃             ┃     ┃   ┃  ┣━━┓
16忠良    忠孝  忠悌  忠純  忠和  忠崇            ⅷ忠匡    駒太郎 金太郎 直経 直次 
  ┣━━┓  ┃   ┃   ┃       ┣━━━┳━━━┓     ┃     ┃   ┃     ┃
17忠明 忠治  忠正    忠一   忠惇       忠敬   忠行   忠雄     ⅸ忠晄   駿次       次武                  
  ┣━━┓      ┃   ┣━━━┓                 ┣━━━┳━━━━━┓
18忠久 忠人       英一   忠穀   巖                 ⅹ忠康 樹下信徳 佐藤信三郎  
  ┃                                   ┃
 忠順                                    ⅺ忠暉

雅楽頭酒井家

雅楽頭酒井家系譜

凡例 太線は実子。(養子はあえて記さず。苗字ありは他氏への養子) 太字は老中歴任者

 1=宗家、(1)=伊勢崎藩酒井家、①=小浜藩酒井家、[1]=勝山藩酒井家、ⅰ=敦賀藩酒井家


    正親
     ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
    重忠1                   忠利
 ┏━━━╋━━━━━━┓             ┃
忠正  忠世2    西尾忠永           忠勝
 ┃   ┃      ┃             ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
忠洪  忠行3    西尾忠昭           忠直                     忠朝
 ┃   ┃      ┃         ┏━━━┫                       ┃
忠英  忠清4    西尾忠成       忠隆 忠稠                     忠国[1]
 ┃   ┣━━┓   ┃         ┃   ┣━━━┓                   ┃
忠佳  忠挙5 忠寛(1) 忠告(2)       忠囿  忠菊  忠音                 忠胤[2]
 ┃   ┃          ┏━━┳━━┳━━━┫   ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━━┓  ┃
忠侯  忠相6         親本8 忠恭9 忠武 忠香  忠通  忠竜  忠存  忠用  忠与忠篤[3]
 ┃   ┃      ┏━━━┳━━┻┓     ┣━━━┳━━━┳━━━━━┳━━┓   ┃  ┃
忠和  親愛7     忠仰  忠温(3) 忠啓    忠恕  忠節 水谷勝政   忠言忠進  忠貫忠大[4]
 ┃       ┏━━┫   ┃   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┓  ┃  ┃   ┃  ┃
忠善      忠以10抱一  忠哲(4)                  忠求 忠藎忠義⑬⑮ 忠順忠鄰[5]
 ┃       ┣━━┓   ┗━━━━━━━━━━━━━┓      ┃  ┣━━┓      ┃
弥門      忠道11忠実12                忠寧(5)    忠欽 忠毗土井利亨    忠和[6]
 ┃       ┃  ┣━━━┳━━━━┳━━━━┓   ┣━━┓   ┃  ┃         ┃
忠誨      忠学13忠讜 三宅康直  松平忠固 西尾忠受 忠良(6)忠恒(7)忠氏  忠経       忠嗣[7]
 ┣━━━┓   ┃  ┃   ┣━━━━━━┓         ┣━━━┓            ┃
忠績16  忠惇17 文子19忠宝14  忠顕15=文子  忠敬         忠強(8) 忠邦18          忠一[8]
                                 ┃?   ┃            ┃
                                忠彰(9) 忠興20          忠美[9]
                                     ┃
                                     忠正21
                                     ┃
                                     忠元22
                                     ┃
                                     忠紀23
                                     ┃
                                     忠輝      

脚注

参考文献

  • 太田亮国立国会図書館デジタルコレクション 酒井 サカヰ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2483-2494頁。全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130938/335 国立国会図書館デジタルコレクション  閲覧は自由