酒井忠大
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保11年(1726年) |
死没 | 宝暦6年3月24日(1756年4月23日) |
改名 | 大助(幼名)、忠大 |
別名 | 忠昭 |
戒名 | 紹隆院殿雄山興英大居士 |
墓所 | 東京都港区愛宕の青松寺 |
官位 | 従五位下大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 安房勝山藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 父:酒井忠篤、母:不詳 |
兄弟 | 忠大、関盛時正室 |
妻 |
正室:石川総慶の娘 継室:藤堂高朗の養女 |
子 | 忠筭、忠鄰、忠義 |
酒井 忠大(さかい ただもと)は、安房国勝山藩の第4代藩主。
略歴
[編集]享保11年(1726年)、第3代藩主・酒井忠篤の長男として江戸で生まれる。元文2年(1737年)の父の死去により家督を継ぐ。寛保3年(1743年)12月、従五位下、大和守に叙任する。
延享3年(1746年)、家臣が若年寄の堀田正陳に対して無礼を働いたとして、幕府より出仕を止められた。同年6月に許され、寛延元年(1748年)11月、大番頭に任命されるが、宝暦2年(1752年)10月に辞任した。宝暦4年(1754年)10月、屋敷の失火を理由に再び幕府より出仕を止められたが、11月に許された。
宝暦6年(1756年)3月24日に死去した。享年31。跡を次男の忠鄰が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 酒井忠篤(父)
正室
子女