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酒井忠大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠大
時代 江戸時代中期
生誕 享保11年(1726年
死没 宝暦6年3月24日1756年4月23日
改名 大助(幼名)、忠大
別名 忠昭
戒名 紹隆院殿雄山興英大居士
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下大和守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重
安房勝山藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 酒井忠篤:不詳
兄弟 忠大関盛時正室
正室石川総慶の娘
継室藤堂高朗の養女
忠筭忠鄰忠義
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酒井 忠大(さかい ただもと)は、安房国勝山藩の第4代藩主

略歴

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享保11年(1726年)、第3代藩主・酒井忠篤の長男として江戸で生まれる。元文2年(1737年)の父の死去により家督を継ぐ。寛保3年(1743年)12月、従五位下、大和守に叙任する。

延享3年(1746年)、家臣が若年寄堀田正陳に対して無礼を働いたとして、幕府より出仕を止められた。同年6月に許され、寛延元年(1748年)11月、大番頭に任命されるが、宝暦2年(1752年)10月に辞任した。宝暦4年(1754年)10月、屋敷の失火を理由に再び幕府より出仕を止められたが、11月に許された。

宝暦6年(1756年)3月24日に死去した。享年31。跡を次男の忠鄰が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女