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酒井忠哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠哲
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 明和6年12月24日1770年1月20日
死没 文政2年7月19日1819年9月8日
改名 春司、与八郎(幼名)→忠哲
戒名 天真院殿自休玄性大居士
墓所 東京都葛飾区高砂町の崇福寺
官位 従五位下、下野
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
上野伊勢崎藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠温、母:鈴木氏
兄弟 忠哲高力直忠忠意忠輔
正室:品(木下利忠の娘)
忠寧、次男、於とり(細川利愛正室)
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酒井 忠哲(さかい ただあきら)は、上野伊勢崎藩の第4代藩主。雅楽頭系酒井家支流4代。

明和5年(1768年)12月24日(明和6年(1769年)とも)、第3代藩主・酒井忠温の次男として生まれる。天明7年(1787年)3月9日、父の隠居により跡を継いで叙任する。父に倣った藩政を行い、民政や文治に尽力した。特に文治においては関重嶷に命じて『伊勢崎風土記』を編纂させている。

文化2年(1805年)7月5日、長男の忠寧に家督を譲って隠居する。孫の忠良の代である文政2年(1819年)7月19日に死去した。享年52。

系譜

[編集]

父母

正室

子女