酒井忠哲
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 明和6年12月24日(1770年1月20日) |
死没 | 文政2年7月19日(1819年9月8日) |
改名 | 春司、与八郎(幼名)→忠哲 |
戒名 | 天真院殿自休玄性大居士 |
墓所 | 東京都葛飾区高砂町の崇福寺 |
官位 | 従五位下、下野守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 上野伊勢崎藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 | 父:酒井忠温、母:鈴木氏 |
兄弟 | 忠哲、高力直忠、忠意、忠輔 |
妻 | 正室:品(木下利忠の娘) |
子 | 忠寧、次男、於とり(細川利愛正室) |
酒井 忠哲(さかい ただあきら)は、上野伊勢崎藩の第4代藩主。雅楽頭系酒井家支流4代。
明和5年(1768年)12月24日(明和6年(1769年)とも)、第3代藩主・酒井忠温の次男として生まれる。天明7年(1787年)3月9日、父の隠居により跡を継いで叙任する。父に倣った藩政を行い、民政や文治に尽力した。特に文治においては関重嶷に命じて『伊勢崎風土記』を編纂させている。
文化2年(1805年)7月5日、長男の忠寧に家督を譲って隠居する。孫の忠良の代である文政2年(1819年)7月19日に死去した。享年52。
系譜
[編集]父母
- 酒井忠温(父)
- 鈴木氏 ー 側室(母)
正室
- 品 ー 木下利忠の娘
子女