酒井忠一 (歴史家)
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酒井 忠一(さかい ただつね、1920年(大正9年) - 2010年(平成22年)7月22日)は、日本の歴史家。致道博物館第2代館長理事・顧問、鶴岡市文化保護審議会会長、山形県文化財保護協会副会長、左衛門尉酒井家分家当主。
略歴
[編集]- 1920年(大正9年) - 酒井忠悌の長男として山形県鶴岡市に生れる。
- 1938年(昭和13年) - 山形県立鶴岡中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業。
- 1940年(昭和15年)9月10日 - 酒井忠良の大岩川村堂岩での釣りにお供する。この時、かかった二尺六寸二分の赤鯛に、海に引きずり込まれそうになる忠良の体を懸命に押さえる。
- 1987年(昭和62年)2月 - 犬塚又太郎の後を受けて致道博物館第2代館長に就任。
- 1988年(昭和63年)9月 - 最上郡真室川町にある庄内藩士の墓をお参りし、『名も知らぬ人の心に吾は泣く赤倉越の戦死者の墓前』の和歌を詠む。
- 1992年(平成4年)2月17日 - 同常任顧問に就任。
- 2010年(平成22年)
受賞歴
[編集]- 1980年(昭和55年) - 庄内文化賞
- 1988年(昭和63年) - 山形県教育功労者賞
- 1991年(平成3年)12月 - 地域文化功労者文部大臣表彰
- 2000年(平成12年) - 鶴岡市政功労者表彰
著作物
[編集]- 1963年(昭和38年) - 『山形県飽海郡遊佐町宮山坂火葬墳墓群』(「考古学雑誌」49巻3号に収録)
- 1966年(昭和41年) - 『明治の人類学者の書翰と奥羽人類学会』(「庄内考古」第1号に収録)
- 1966年(昭和41年) - 『鶴岡市岡山遺跡第三次調査概報』(「庄内考古」第2号に収録)
- 1967年(昭和42年) - 『羽黒町玉川遺跡出土の土版』(「庄内考古」第6号に収録)
- 1968年(昭和43年) - 『大川渡遺跡発掘調査概報』(「庄内考古」第7号に収録)
- 1968年(昭和43年) - 『鶴岡市岡山遺跡第4次発掘調査概報』(「庄内考古」第8号に収録)
- 1969年(昭和44年) - 『古代鼠ヶ関址調査報告 -調査の概況-』(「庄内考古」第9号に収録)
- 1971年(昭和46年) - 『飛島洞穴発掘調査報告 -調査の概要-』(「庄内考古」第10号に収録)
- 1972年(昭和47年) - 『鶴岡市三瀬地内積石塚二例』(「庄内考古」第11号に収録)
- 1973年(昭和48年) - 『山形県羽黒町玉川遺跡第4次発掘調査報告(1)』 羽黒町教育委員会(出版)
- 1973年(昭和48年) - 『越中山遺跡の研究・序説』 朝日村教育委員会(出版)
- 1975年(昭和50年) - 『岡山遺跡第5次発掘調査報告書』(「庄内考古」第12号に収録)
- 1975年(昭和50年) - 『余目町梵天塚遺跡発掘調査報告書』(「庄内考古」第12号に収録)
- 1976年(昭和51年) - 『越中山遺跡発掘調査報告(1)』 致道博物館(出版)
共編
[編集]関連書籍
[編集]- 1980年(昭和55年) - 『庄内考古 - 第17号 酒井忠一氏還暦記念特集 - 』
親族
[編集]- 祖父:酒井忠篤 - 出羽庄内藩11代藩主
- 伯父:酒井忠良 - 旧庄内藩主酒井家16代当主
- 伯父:酒井忠孝 - 実業家
- 父:酒井忠悌 - 致道博物館顧問
- 従兄弟:酒井忠明 - 旧庄内藩主酒井家17代当主
- 従兄弟:酒井忠治 - 書家
参考資料
[編集]- 『庄内人名辞典』 大瀬欽哉(代表編者) 致道博物館内「庄内人名辞典刊行会」(発行)
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