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酒井忠一 (歴史家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酒井 忠一(さかい ただつね、1920年大正9年) - 2010年(平成22年)7月22日)は、日本歴史家致道博物館第2代館長理事顧問、鶴岡市文化保護審議会会長、山形県文化財保護協会副会長、左衛門尉酒井家分家当主。

略歴

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受賞歴

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  • 1980年(昭和55年) - 庄内文化賞
  • 1988年(昭和63年) - 山形県教育功労者賞
  • 1991年(平成3年)12月 - 地域文化功労者文部大臣表彰
  • 2000年(平成12年) - 鶴岡市政功労者表彰

著作物

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  • 1963年(昭和38年) - 『山形県飽海郡遊佐町宮山坂火葬墳墓群』(「考古学雑誌」49巻3号に収録)
  • 1966年(昭和41年) - 『明治の人類学者の書翰と奥羽人類学会』(「庄内考古」第1号に収録)
  • 1966年(昭和41年) - 『鶴岡市岡山遺跡第三次調査概報』(「庄内考古」第2号に収録)
  • 1967年(昭和42年) - 『羽黒町玉川遺跡出土の土版』(「庄内考古」第6号に収録)
  • 1968年(昭和43年) - 『大川渡遺跡発掘調査概報』(「庄内考古」第7号に収録)
  • 1968年(昭和43年) - 『鶴岡市岡山遺跡第4次発掘調査概報』(「庄内考古」第8号に収録)
  • 1969年(昭和44年) - 『古代鼠ヶ関址調査報告 -調査の概況-』(「庄内考古」第9号に収録)
  • 1971年(昭和46年) - 『飛島洞穴発掘調査報告 -調査の概要-』(「庄内考古」第10号に収録)
  • 1972年(昭和47年) - 『鶴岡市三瀬地内積石塚二例』(「庄内考古」第11号に収録)
  • 1973年(昭和48年) - 『山形県羽黒町玉川遺跡第4次発掘調査報告(1)』 羽黒町教育委員会(出版)
  • 1973年(昭和48年) - 『越中山遺跡の研究・序説』 朝日村教育委員会(出版)
  • 1975年(昭和50年) - 『岡山遺跡第5次発掘調査報告書』(「庄内考古」第12号に収録)
  • 1975年(昭和50年) - 『余目町梵天塚遺跡発掘調査報告書』(「庄内考古」第12号に収録)
  • 1976年(昭和51年) - 『越中山遺跡発掘調査報告(1)』 致道博物館(出版)

共編

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関連書籍

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  • 1980年(昭和55年) - 『庄内考古 - 第17号 酒井忠一氏還暦記念特集 - 』

親族

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参考資料

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  • 『庄内人名辞典』 大瀬欽哉(代表編者) 致道博物館内「庄内人名辞典刊行会」(発行)


先代
犬塚又太郎
致道博物館 第2代館長
1987年 - 1992年
次代
酒井忠久