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しかし幕下の壁に阻まれ、しばらくは幕下と三段目上位の往復が続いたが、[[2013年]](平成25年)1月場所、幕下で初めての勝ち越しを決めた。これ以後は幕下に定着し、この年は自己最高位の東幕下19枚目で5勝2敗で終えた。その後は幕下の一桁台の番付にも度々名前を載せたものの、いずれも負け越して十両昇進のチャンスを生かすことができない場所が続いた。
しかし幕下の壁に阻まれ、しばらくは幕下と三段目上位の往復が続いたが、[[2013年]](平成25年)1月場所、幕下で初めての勝ち越しを決めた。これ以後は幕下に定着し、この年は自己最高位の東幕下19枚目で5勝2敗で終えた。その後は幕下の一桁台の番付にも度々名前を載せたものの、いずれも負け越して十両昇進のチャンスを生かすことができない場所が続いた。


[[2016年]](平成28年)11月場所、西幕下9枚目で7戦全勝で幕下優勝、初の各段優勝となった。大一番の前には「1年に1回、チャンスが来れば良い方なのに、2度もチャンスがある。経験を生かしたいです」と話していた。優勝を決めた7番相撲では鏡桜が右膝を痛そうにしていたことも見抜いて、その膝に重心を乗せさせようと、右から攻め、右の上手をつかんで出し投げで振り回し、崩れた瞬間に前進して寄り切った。この優勝に際して照強は「うれしいです。毎日毎日、キツイ稽古をしてきました。ご飯を食べることもつらかったです。吐きながら、毎日食べていました。頑張ってきた積み重ねが、やっと報われました」と喜んだ。1日100番近く稽古して掴み取った新十両であった<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1743108.html 阪神大震災の日生まれ照強が幕下全勝V 新十両確実] 日刊スポーツ 2016年11月25日16時8分</ref>。場所後の番付編成会議にて、[[2017年]]1月場所での新十両昇進が正式に決定した<ref>{{Cite news |title=照強、坂元改め大奄美、力真が新十両 |newspaper=日刊スポーツ |date=2016年11月30日 |url=http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1745314.html |accessdate=2016年11月30日}}</ref>。南あわじ市出身力士の十両昇進は[[若鳴門清海]]以来55年ぶり<ref name="koukoumusuko">[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20161130-OHT1T50317.html 阪神大震災の日生まれの照強、十両昇進で恩返し!淡路島から55年ぶり関取] 2016年12月1日6時0分 スポーツ報知</ref>。伊勢ヶ濱部屋から中卒叩き上げの関取が出るのは初めて<ref>『大相撲ジャーナル』2017年2月号25ページ</ref>。2016年9月に自身の中学生時代に死去した祖父の墓の費用を全額負担したり昇進が確定した時点で看護系の大学に通っている20歳である妹の受験費用を出したりと、取的時代から孝行息子ぶりを発揮していたことも昇進に際して明らかになった<ref name="koukoumusuko" />。新十両となった2017年1月場所は10日目からの4連敗が響いて負け越しを確定させるが残りを白星で終えて7勝8敗と幕下に逆戻りすることは避けた。敗れれば幕下落ち濃厚の一番を乗り切り「よかったです」と安堵の表情を浮かべ、地元に近い大阪で行われる翌3月場所へ「これで落ちていたらしゃれにならなかった。今場所は力が入っちゃったんですけど、来場所からは緊張せずにやれると思う。勝ち越しを目指して、今場所の負け越しを取り戻すいい相撲を取りたい」と誓った<ref>[https://www.daily.co.jp/general/2017/01/22/0009851439.shtml 新十両の照強、十両残留濃厚 来場所へ「今場所の負け越しを取り戻す」] デイリースポーツ 2017年1月22日</ref>。3月場所は中日の[[青狼武士|青狼]]戦で勇み足による白星を得るなど幸運に恵まれ、12日目に8勝目を挙げて自身初となる関取の地位での勝ち越しを果たし、最終的に9勝を挙げた。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを9番行った<ref>『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2</ref>。直後の11月場所は自己最高位の東十両9枚目で4勝11敗と大きく負け越し、十両残留が厳しい状況とはなったが、7日目にはこの場所を14勝1敗で十両優勝した[[蒼国来栄吉|蒼国来]]に取直しを含む激戦の末に唯一の黒星をつける殊勲の星があった。西幕下筆頭へ下がった[[2018年]](平成30年)1月場所は4勝3敗と勝ち越し、1場所で十両へ復帰することになった<ref>{{Cite news |title=貴乃花部屋から初の双子関取誕生、貴公俊が新十両 |newspaper=日刊スポーツ |date=2018-01-31 |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201801310000276.html |accessdate=2018-01-31}}</ref>。復帰を決めたこの場所の4勝目は、この場所で新十両昇進を果たした[[炎鵬晃|炎鵬]]から奪ったものである<ref name="zasshisumo20180358">『相撲』2018年3月号 p.58</ref>。2場所ぶりの十両となった3月場所は、5日目から6連敗を喫して勝ち越しに後が無くなったが、11日目から不戦勝を含む4連勝として星を5分に戻した。しかし千秋楽は[[勝龍誠|徳勝龍]]に敗れ、十両復帰の場所を勝ち越しで飾ることはできなかった。9月場所は自己最高位となる西十両8枚目の地位で土俵に上がり、13日目の明瀬山戦では抱えられて完全にロックされた状況からの下手投げで勝利するなど執念を見せ、9勝6敗で自己最高位を更新することを確定した<ref>『相撲』2018年10月号 p.65</ref>。続く11月場所は序盤から白星を量産し、11日目を終えた時点で9勝2敗と優勝を狙える成績だった。終盤に調子を落として優勝争いからは脱落したものの、自己最高の10勝を挙げた。西十両5枚目での10番と新入幕を狙える成績であったが、番付運に恵まれず[[2019年]]1月場所は東十両筆頭に据え置かれた。その1月場所11日目の[[白鷹山亨将|白鷹山]]戦で足取りにより白星を獲得し、勝ち越しを決めた。これにより、翌3月場所の新入幕を確定させた。兵庫県からは戦後25人目の新入幕<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201902240000754.html 友風、照強、大翔鵬が新入幕 豊ノ島と石浦が再入幕] 日刊スポーツ 2019年2月25日6時0分(2019年12月17日閲覧)</ref>。誕生日の17日(場所5日目)も白星を挙げており、「勝つたびに淡路島で1人でも2人でも喜んでくれれば平成最後の時に勝ててよかった」と郷土への思いを口にしていた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/01/23/kiji/20190123s00005000237000c.html 十両・照強が勝ち越しで新入幕が確実 阪神大震災当日に生まれた南あわじ市出身24歳] Sponichi Annex 2019年1月23日 16:28(スポーツニッポン新聞社、2019年1月25日閲覧)</ref>。この場所は10日目に負け越しを確定させるなど幕内の壁に阻まれたが、残りの5日間を4勝1敗と食い下がり、場所成績を6勝9敗として幕内残留に望みをつないだ。翌5月場所はわずか1枚下降と番付運に恵まれ東前頭15枚目の地位で土俵に上がることとなったが、再び6勝9敗として、十両に下がってもやむを得ない成績ながら、再び番付運に恵まれて、1枚半降下で幕尻の西前頭16枚目にとどまった。しかしながらこの7月場所で照強は突如覚醒し、初めての幕内勝ち越しを決めたばかりか14日目まで優勝争いに絡んで12勝3敗の好成績を残し、敢闘賞を受賞した。なお、この場所の勝った12番の内10番の決まり手が押し出し、1番が押し倒しであった<ref>[https://dot.asahi.com/aera/2020021400056.html?page=2 炎鵬、照強、宇良が「真っ向勝負」を挑む深いワケ 常識を覆す小兵力士の強さの秘密(2/3ページ)] AERA dot. 2020.2.17 11:30(AERA 2020年2月17日号、2020年2月17日閲覧)</ref>。9月2日の伊勢ヶ濱一門連合稽古では平幕以下の関取衆による申し合いで15勝9敗。同じ一門の小兵幕内力士である[[炎鵬晃|炎鵬]]との精力的な稽古が伝えられた。途中から炎鵬との三番稽古になるほどで、炎鵬から張り手を受けてムキになるなどもした<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201909020000411.html 照強、小兵同士の炎鵬と白熱稽古「久しぶり燃えた」] 日刊スポーツ 2019年9月2日14時50分(2019年9月9日閲覧)</ref>。
[[2016年]](平成28年)11月場所、西幕下9枚目で7戦全勝で幕下優勝、初の各段優勝となった。大一番の前には「1年に1回、チャンスが来れば良い方なのに、2度もチャンスがある。経験を生かしたいです」と話していた。優勝を決めた7番相撲では鏡桜が右膝を痛そうにしていたことも見抜いて、その膝に重心を乗せさせようと、右から攻め、右の上手をつかんで出し投げで振り回し、崩れた瞬間に前進して寄り切った。この優勝に際して照強は「うれしいです。毎日毎日、キツイ稽古をしてきました。ご飯を食べることもつらかったです。吐きながら、毎日食べていました。頑張ってきた積み重ねが、やっと報われました」と喜んだ。1日100番近く稽古して掴み取った新十両であった<ref>[http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1743108.html 阪神大震災の日生まれ照強が幕下全勝V 新十両確実] 日刊スポーツ 2016年11月25日16時8分</ref>。場所後の番付編成会議にて、[[2017年]]1月場所での新十両昇進が正式に決定した<ref>{{Cite news |title=照強、坂元改め大奄美、力真が新十両 |newspaper=日刊スポーツ |date=2016年11月30日 |url=http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1745314.html |accessdate=2016年11月30日}}</ref>。南あわじ市出身力士の十両昇進は[[若鳴門清海]]以来55年ぶり<ref name="koukoumusuko">[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20161130-OHT1T50317.html 阪神大震災の日生まれの照強、十両昇進で恩返し!淡路島から55年ぶり関取] 2016年12月1日6時0分 スポーツ報知</ref>。伊勢ヶ濱部屋から中卒叩き上げの関取が出るのは初めて<ref>『大相撲ジャーナル』2017年2月号25ページ</ref>。2016年9月に自身の中学生時代に死去した祖父の墓の費用を全額負担したり昇進が確定した時点で看護系の大学に通っている20歳である妹の受験費用を出したりと、取的時代から孝行息子ぶりを発揮していたことも昇進に際して明らかになった<ref name="koukoumusuko" />。新十両となった2017年1月場所は10日目からの4連敗が響いて負け越しを確定させるが残りを白星で終えて7勝8敗と幕下に逆戻りすることは避けた。敗れれば幕下落ち濃厚の一番を乗り切り「よかったです」と安堵の表情を浮かべ、地元に近い大阪で行われる翌3月場所へ「これで落ちていたらしゃれにならなかった。今場所は力が入っちゃったんですけど、来場所からは緊張せずにやれると思う。勝ち越しを目指して、今場所の負け越しを取り戻すいい相撲を取りたい」と誓った<ref>[https://www.daily.co.jp/general/2017/01/22/0009851439.shtml 新十両の照強、十両残留濃厚 来場所へ「今場所の負け越しを取り戻す」] デイリースポーツ 2017年1月22日</ref>。3月場所は中日の[[青狼武士|青狼]]戦で勇み足による白星を得るなど幸運に恵まれ、12日目に8勝目を挙げて自身初となる関取の地位での勝ち越しを果たし、最終的に9勝を挙げた。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを9番行った<ref>『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2</ref>。直後の11月場所は自己最高位の東十両9枚目で4勝11敗と大きく負け越し、十両残留が厳しい状況とはなったが、7日目にはこの場所を14勝1敗で十両優勝した[[蒼国来栄吉|蒼国来]]に取直しを含む激戦の末に唯一の黒星をつける殊勲の星があった。西幕下筆頭へ下がった[[2018年]](平成30年)1月場所は4勝3敗と勝ち越し、1場所で十両へ復帰することになった<ref>{{Cite news |title=貴乃花部屋から初の双子関取誕生、貴公俊が新十両 |newspaper=日刊スポーツ |date=2018-01-31 |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201801310000276.html |accessdate=2018-01-31}}</ref>。復帰を決めたこの場所の4勝目は、この場所で新十両昇進を果たした[[炎鵬晃|炎鵬]]から奪ったものである<ref name="zasshisumo20180358">『相撲』2018年3月号 p.58</ref>。2場所ぶりの十両となった3月場所は、5日目から6連敗を喫して勝ち越しに後が無くなったが、11日目から不戦勝を含む4連勝として星を5分に戻した。しかし千秋楽は[[勝龍誠|徳勝龍]]に敗れ、十両復帰の場所を勝ち越しで飾ることはできなかった。9月場所は自己最高位となる西十両8枚目の地位で土俵に上がり、13日目の明瀬山戦では抱えられて完全にロックされた状況からの下手投げで勝利するなど執念を見せ、9勝6敗で自己最高位を更新することを確定した<ref>『相撲』2018年10月号 p.65</ref>。続く11月場所は序盤から白星を量産し、11日目を終えた時点で9勝2敗と優勝を狙える成績だった。終盤に調子を落として優勝争いからは脱落したものの、自己最高の10勝を挙げた。西十両5枚目での10番と新入幕を狙える成績であったが、番付運に恵まれず[[2019年]]1月場所は東十両筆頭に据え置かれた。その1月場所11日目の[[白鷹山亨将|白鷹山]]戦で足取りにより白星を獲得し、勝ち越しを決めた。これにより、翌3月場所の新入幕を確定させた。兵庫県からは戦後25人目の新入幕<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201902240000754.html 友風、照強、大翔鵬が新入幕 豊ノ島と石浦が再入幕] 日刊スポーツ 2019年2月25日6時0分(2019年12月17日閲覧)</ref>。誕生日の17日(場所5日目)も白星を挙げており、「勝つたびに淡路島で1人でも2人でも喜んでくれれば平成最後の時に勝ててよかった」と郷土への思いを口にしていた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/01/23/kiji/20190123s00005000237000c.html 十両・照強が勝ち越しで新入幕が確実 阪神大震災当日に生まれた南あわじ市出身24歳] Sponichi Annex 2019年1月23日 16:28(スポーツニッポン新聞社、2019年1月25日閲覧)</ref>。この場所は10日目に負け越しを確定させるなど幕内の壁に阻まれたが、残りの5日間を4勝1敗と食い下がり、場所成績を6勝9敗として幕内残留に望みをつないだ。翌5月場所はわずか1枚下降と番付運に恵まれ東前頭15枚目の地位で土俵に上がることとなったが、再び6勝9敗として、十両に下がってもやむを得ない成績ながら、再び番付運に恵まれて、1枚半降下で幕尻の西前頭16枚目にとどまった。しかしながらこの7月場所で照強は突如覚醒し、初めての幕内勝ち越しを決めたばかりか14日目まで優勝争いに絡んで12勝3敗の好成績を残し、敢闘賞を受賞した。なお、この場所の勝った12番の内10番の決まり手が押し出し、1番が押し倒しであった<ref>[https://dot.asahi.com/aera/2020021400056.html?page=2 炎鵬、照強、宇良が「真っ向勝負」を挑む深いワケ 常識を覆す小兵力士の強さの秘密(2/3ページ)] AERA dot. 2020.2.17 11:30(AERA 2020年2月17日号、2020年2月17日閲覧)</ref>。9月2日の伊勢ヶ濱一門連合稽古では平幕以下の関取衆による申し合いで15勝9敗。同じ一門の小兵幕内力士である[[炎鵬晃|炎鵬]]との精力的な稽古が伝えられた。途中から炎鵬との三番稽古になるほどで、炎鵬から張り手を受けてムキになるなどもした<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201909020000411.html 照強、小兵同士の炎鵬と白熱稽古「久しぶり燃えた」] 日刊スポーツ 2019年9月2日14時50分(2019年9月9日閲覧)</ref>。


== 取り口 ==
== 取り口 ==

2020年6月23日 (火) 20:58時点における版

照強 翔輝
土俵入りする照強
基礎情報
四股名 照強 翔輝
本名 福岡 翔輝
愛称 しょうき
生年月日 (1995-01-17) 1995年1月17日(29歳)
出身 兵庫県南あわじ市(出生地は洲本市
身長 169cm
体重 120kg
BMI 40.02
所属部屋 伊勢ヶ濱部屋
得意技 左四つ、右前褌、寄り、投げ、突き落とし
成績
現在の番付前頭7枚目
最高位前頭7枚目
生涯戦歴 312勝252敗(60場所)
幕内戦歴 53勝52敗(7場所)
優勝 幕下優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 2010年3月場所
入幕 2019年3月場所
趣味 DVD鑑賞、釣り、料理、サッカー観戦
備考
2020年4月27日現在

照強 翔輝(てるつよし しょうき、1995年1月17日 - )は、兵庫県三原郡三原町(現在の南あわじ市、出生地は洲本市)出身で伊勢ヶ濱部屋の現役大相撲力士。本名は福岡 翔輝(ふくおか しょうき)。身長169cm、体重120kg、血液型はO型。最高位は東前頭7枚目(2020年7月場所)。軽量を補うためにスピードを活かして左差しを浅く取って拝むようにしつこく攻める相撲が得意である[1]。能天気で前向きな性格[2]。取組前の塩撒きで大量の塩を撒くことでも知られる。

来歴

瀬戸内海に浮かぶ淡路島の出身。阪神・淡路大震災が発生した直後で余震も続く中、大震災発生15時間後に洲本市の兵庫県立淡路病院で生まれた。幼児期は病弱でありよく風邪をひいていたが、気は強かった。6歳のころには親の名前ですら呼び捨てにするやんちゃぶりであったが、祖父の前では素直であった。年少時には生年月日から「地震くん」とあだ名されることもあった[3]。「物心がついた時には復興していた」と後に語っており、福岡は被害の全容を知るわけではない。それでも特別な日に生まれたという意識が、努力の原動力になった[4]。三原町立八木小学校(現在の南あわじ市立八木小学校)1年から柔道を始めたが、当時は道場へ行くことを嫌がったという。3年次に両親が離婚し、親権は母親が持つことに決まった。この時に本名を母親の旧姓である「菊井」に改姓する可能性もあったが、姓名判断の結果を受けて父親の姓である「福岡」になった[5]。4年次にわんぱく相撲の大会に飛び入り参加して2位になったことをきっかけに相撲を始めて地元の道場に通うようになり、南あわじ市立三原中学校在学中は全国大会でベスト16になった。所属していた相撲クラブは非常に厳しく、38度の熱で休んだ翌日の稽古で監督から竹刀で殴られ「熱が40度なら休んでろ、39度は見学、38度は稽古したら治る」と言われた[6]。中学時代は相撲部がなかったため、学校ではサッカー部に所属してゴールキーパーを務めた[7]。しかし3年生になると相撲の道場には通っても学校には年間30日しか出席しなくなるなど真面目に通わなくなり[8]、夜通し遊び続けるなど荒れた生活を送るようになっていた。3年生の全国都道府県中学校相撲選手権大会には髪を染めた状態で出場した。同大会でその姿を目撃した炎鵬曰く「金髪」で、本人は「茶髪」と述懐していた[9]。卒業後は勉強が嫌いであったことに加えて、既に死去していた祖父からたびたび「力士になれ」と言われ続けていたことから[10]、高校には進学せずに大相撲に入門することを決意し、道場の監督と師匠が知り合いという関係の伊勢ヶ濱部屋(横綱・旭富士)に入門した[11][12]。身長は入門当時167センチしかなかったが、第二新弟子検査(現在は廃止)に合格して2010年(平成22年)3月場所で初土俵を踏んだ。前相撲は2連勝で一番出世。同期生には千代桜らがいる。初めて番付に名前が載った翌5月場所の4番相撲で千代桜を破ってストレートで勝ち越しを決めるなど入門当初から大器の片鱗を見せていた[13]

同年5月場所で序ノ口に上がった後は、部屋の安美錦が関取昇進まで使用していたサガリを譲り受けて使用している[14]。7月場所には序二段に昇進、序二段を2場所で通過し、11月場所では三段目に上がった。しかし、2011年(平成23年)1月場所で、入門以来初めての負け越しを味わった。そこから二度の負け越しも経験してやや足踏みしたが、数々の努力を積み重ねの末に2012年(平成24年)3月場所、貴乃花稀勢の里に次ぐ平成以降3番目の若さとなる17歳1ヶ月で幕下に昇進した[15]

しかし幕下の壁に阻まれ、しばらくは幕下と三段目上位の往復が続いたが、2013年(平成25年)1月場所、幕下で初めての勝ち越しを決めた。これ以後は幕下に定着し、この年は自己最高位の東幕下19枚目で5勝2敗で終えた。その後は幕下の一桁台の番付にも度々名前を載せたものの、いずれも負け越して十両昇進のチャンスを生かすことができない場所が続いた。

2016年(平成28年)11月場所、西幕下9枚目で7戦全勝で幕下優勝、初の各段優勝となった。大一番の前には「1年に1回、チャンスが来れば良い方なのに、2度もチャンスがある。経験を生かしたいです」と話していた。優勝を決めた7番相撲では鏡桜が右膝を痛そうにしていたことも見抜いて、その膝に重心を乗せさせようと、右から攻め、右の上手をつかんで出し投げで振り回し、崩れた瞬間に前進して寄り切った。この優勝に際して照強は「うれしいです。毎日毎日、キツイ稽古をしてきました。ご飯を食べることもつらかったです。吐きながら、毎日食べていました。頑張ってきた積み重ねが、やっと報われました」と喜んだ。1日100番近く稽古して掴み取った新十両であった[16]。場所後の番付編成会議にて、2017年1月場所での新十両昇進が正式に決定した[17]。南あわじ市出身力士の十両昇進は若鳴門清海以来55年ぶり[18]。伊勢ヶ濱部屋から中卒叩き上げの関取が出るのは初めて[19]。2016年9月に自身の中学生時代に死去した祖父の墓の費用を全額負担したり昇進が確定した時点で看護系の大学に通っている20歳である妹の受験費用を出したりと、取的時代から孝行息子ぶりを発揮していたことも昇進に際して明らかになった[18]。新十両となった2017年1月場所は10日目からの4連敗が響いて負け越しを確定させるが残りを白星で終えて7勝8敗と幕下に逆戻りすることは避けた。敗れれば幕下落ち濃厚の一番を乗り切り「よかったです」と安堵の表情を浮かべ、地元に近い大阪で行われる翌3月場所へ「これで落ちていたらしゃれにならなかった。今場所は力が入っちゃったんですけど、来場所からは緊張せずにやれると思う。勝ち越しを目指して、今場所の負け越しを取り戻すいい相撲を取りたい」と誓った[20]。3月場所は中日の青狼戦で勇み足による白星を得るなど幸運に恵まれ、12日目に8勝目を挙げて自身初となる関取の地位での勝ち越しを果たし、最終的に9勝を挙げた。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを9番行った[21]。直後の11月場所は自己最高位の東十両9枚目で4勝11敗と大きく負け越し、十両残留が厳しい状況とはなったが、7日目にはこの場所を14勝1敗で十両優勝した蒼国来に取直しを含む激戦の末に唯一の黒星をつける殊勲の星があった。西幕下筆頭へ下がった2018年(平成30年)1月場所は4勝3敗と勝ち越し、1場所で十両へ復帰することになった[22]。復帰を決めたこの場所の4勝目は、この場所で新十両昇進を果たした炎鵬から奪ったものである[23]。2場所ぶりの十両となった3月場所は、5日目から6連敗を喫して勝ち越しに後が無くなったが、11日目から不戦勝を含む4連勝として星を5分に戻した。しかし千秋楽は徳勝龍に敗れ、十両復帰の場所を勝ち越しで飾ることはできなかった。9月場所は自己最高位となる西十両8枚目の地位で土俵に上がり、13日目の明瀬山戦では抱えられて完全にロックされた状況からの下手投げで勝利するなど執念を見せ、9勝6敗で自己最高位を更新することを確定した[24]。続く11月場所は序盤から白星を量産し、11日目を終えた時点で9勝2敗と優勝を狙える成績だった。終盤に調子を落として優勝争いからは脱落したものの、自己最高の10勝を挙げた。西十両5枚目での10番と新入幕を狙える成績であったが、番付運に恵まれず2019年1月場所は東十両筆頭に据え置かれた。その1月場所11日目の白鷹山戦で足取りにより白星を獲得し、勝ち越しを決めた。これにより、翌3月場所の新入幕を確定させた。兵庫県からは戦後25人目の新入幕[25]。誕生日の17日(場所5日目)も白星を挙げており、「勝つたびに淡路島で1人でも2人でも喜んでくれれば平成最後の時に勝ててよかった」と郷土への思いを口にしていた[26]。この場所は10日目に負け越しを確定させるなど幕内の壁に阻まれたが、残りの5日間を4勝1敗と食い下がり、場所成績を6勝9敗として幕内残留に望みをつないだ。翌5月場所はわずか1枚下降と番付運に恵まれ東前頭15枚目の地位で土俵に上がることとなったが、再び6勝9敗として、十両に下がってもやむを得ない成績ながら、再び番付運に恵まれて、1枚半降下で幕尻の西前頭16枚目にとどまった。しかしながらこの7月場所で照強は突如覚醒し、初めての幕内勝ち越しを決めたばかりか14日目まで優勝争いに絡んで12勝3敗の好成績を残し、敢闘賞を受賞した。なお、この場所の勝った12番の内10番の決まり手が押し出し、1番が押し倒しであった[27]。9月2日の伊勢ヶ濱一門連合稽古では平幕以下の関取衆による申し合いで15勝9敗。同じ一門の小兵幕内力士である炎鵬との精力的な稽古が伝えられた。途中から炎鵬との三番稽古になるほどで、炎鵬から張り手を受けてムキになるなどもした[28]

取り口

  • 得意技は右前ミツ・投げだが、廻しに拘らずに突き押しで攻める相撲も取れる。巨漢に対しては横に付いてから後ろに回り込むのが主な勝ち筋。身長169cm、体重116kgは共に関取の中で最も小さな炎鵬の次に小さい数字である(2019年7月場所時点)。
  • 2019年11月場所13日目の琴恵光戦で突き落としを決めてこの場所の勝ち越しを決めた際には照強は「突き落としはもともと得意。頭の中でイメージできていた」と語っていた[29]
  • 自身の短躯については2020年1月場所中に「小さくてイヤだなんて思ったことはない。小さいと、相手がイヤでしょう。190センチあったら逆に相撲取れないッスよ」と武器として前向きに受け入れる発言をしている[30]

エピソード

  • 2016年12月30日、伊勢ヶ濱部屋で関取衆らと43番の申し合いを終えると、伊勢ヶ濱が「まだ昇進のお祝いをしていなかったな」とぼそり。これが号令となり、約15分間にわたって照ノ富士や宝富士、安美錦の胸を借りるぶつかり稽古で息も絶え絶えとなった。関取だけが締められる白色の稽古まわしも砂まみれ。照強は「ありがたい。力に変えて頑張りたい」と感謝した[31]
  • 2017年3月場所4日目の朝乃山戦で一方的に押し出されるふがいない相撲を見せ、自身の次に取組を行った兄弟子の安美錦がその取組後に「しょっぱい相撲を取ったから。前に出ないとだめだと、いい教訓になったよ」と言われた[32]
  • 2017年1月場所10日目の琴恵光戦で敗戦するまで誕生日に行われた本場所の取り組みは3戦全勝であった[33]
  • 2017年夏巡業での取材によると、夏は海で釣りを楽しみ「ハマチとかブリとか釣れます。自分でさばいて、刺し身にしたりカルパッチョにしたり、たたきにしたり」と料理を楽しむという[34]
  • 2017年9月場所千秋楽、優勝決定戦に進んだ日馬富士に呼ばれ、東支度部屋にて立ち合い確認の相手を務めるシーンがテレビに映った。日馬富士は優勝インタビューにてインタビュアーの厚井大樹(NHKアナウンサー)にその旨を聞かれ「照強をテレビに出してあげようと思って」とユーモアを交えて答えた(ちなみに同日の照強の取組は総合テレビの中継開始前に終わっていた)[35]
  • 中学生の頃から、各国の代表クラスが集まるドリームチームに魅了された。試合の日はレアル・マドリードのステッカーを貼り付けた愛用のタブレットで観戦。2016年末のクラブワールドカップで来日した際には、練習場まで駆けつけたほどだった[7]
  • 「角界一のおしゃべり」という評判である。力士養成員時代のある時にはおしゃべりが過ぎるため自身が付け人を務めた先輩力士によって口にガムテープを貼られた[36]
  • 毎年阪神淡路大震災が起きた1月17日には照強の話を聞きに行くのが、記者の間で慣習となっている[36]

主な成績

2020年3月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:312勝252敗(60場所)
  • 幕内成績:53勝52敗(7場所)
  • 十両成績:93勝87敗(12場所)

三賞

  • 敢闘賞:1回(2019年7月場所)

各段優勝

  • 幕下優勝:1回(2016年11月場所)

場所別成績

照強 翔輝
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2010年
(平成22年)
x (前相撲) 西序ノ口14枚目
5–2 
西序二段84枚目
5–2 
東序二段42枚目
6–1 
東三段目72枚目
5–2 
2011年
(平成23年)
東三段目44枚目
3–4 
八百長問題
により中止
西三段目62枚目
3–4 
東三段目70枚目
6–1 
西三段目13枚目
3–4 
西三段目31枚目
5–2 
2012年
(平成24年)
東三段目6枚目
5–2 
東幕下49枚目
3–4 
東三段目4枚目
4–3 
西幕下55枚目
2–5 
西三段目15枚目
4–3 
西三段目5枚目
4–3 
2013年
(平成25年)
西幕下56枚目
4–3 
東幕下46枚目
6–1 
西幕下19枚目
3–4 
西幕下23枚目
3–4 
西幕下35枚目
5–2 
東幕下19枚目
5–2 
2014年
(平成26年)
東幕下11枚目
2–5 
東幕下24枚目
3–4 
東幕下39枚目
5–2 
東幕下22枚目
5–2 
東幕下15枚目
5–2 
東幕下9枚目
2–5 
2015年
(平成27年)
東幕下22枚目
6–1 
東幕下8枚目
3–4 
西幕下14枚目
4–3 
西幕下12枚目
3–4 
西幕下18枚目
4–3 
東幕下13枚目
4–3 
2016年
(平成28年)
東幕下10枚目
6–1[37] 
西幕下3枚目
3–4 
西幕下8枚目
1–6 
東幕下32枚目
4–3 
西幕下26枚目
6–1 
西幕下9枚目
優勝
7–0
2017年
(平成29年)
東十両13枚目
7–8 
東十両14枚目
9–6 
東十両11枚目
7–8 
西十両12枚目
7–8 
東十両13枚目
9–6 
東十両9枚目
4–11 
2018年
(平成30年)
西幕下筆頭
4–3 
東十両12枚目
7–8 
東十両13枚目
8–7 
西十両10枚目
8–7 
西十両8枚目
9–6 
西十両5枚目
10–5 
2019年
(平成31年
/令和元年)
東十両筆頭
8–7 
東前頭14枚目
6–9 
東前頭15枚目
6–9 
西前頭16枚目
12–3
東前頭9枚目
4–11 
東前頭14枚目
8–7 
2020年
(令和2年)
東前頭14枚目
8–7 
西前頭11枚目
9–6[38] 
新型コロナウイルス
拡大により中止
東前頭7枚目
 
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注

  1. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号83頁
  2. ^ 東京新聞 2017年1月17日 夕刊
  3. ^ 「楽しい相撲で笑顔に」当日生まれた照強の母 毎日新聞2017年1月6日 21時09分
  4. ^ 東京新聞 2016年12月1日 朝刊
  5. ^ “阪神大震災に生まれた照強、関取で迎える初の「1・17」”. スポーツ報知. (2017年1月17日). http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20170116-OHT1T50278.html 2017年1月17日閲覧。 
  6. ^ 照強 38度発熱で休んだら…トークショーで中学時代のスパルタ教育明かす スポーツニッポン3月2日(木)20時48分
  7. ^ a b 十両・照強、角界の銀河系軍団入り目指す 2017年9月9日10時0分 スポーツ報知
  8. ^ 照強が悪童伝説明かす「年間30日しか学校に行ってなかった」 2017年3月2日21時11分 スポーツ報知
  9. ^ 照強・炎鵬「大相撲新星」対談!炎鵬「照強さんを初めて見た時は金髪で…」(2/2ページ) 日刊大衆 2019.09.08 06:00 (2019年9月14日閲覧)
  10. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2016年12月号(九州場所総決算号) 68頁
  11. ^ 阪神大震災の日に生まれた15歳新弟子合格 日刊スポーツ 2010年2月13日(2013年12月5日閲覧)
  12. ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2015年2月号(初場所総決算号) 102頁
  13. ^ 新十両・照強 阪神大震災の日に生まれた若武者の“宿命” Sponichi Annex 2016年12月22日 10:30
  14. ^ 照強4勝目!平成3番目の年少で幕下昇進確実 スポニチアネックス 2012年1月19日(2013年12月5日閲覧)
  15. ^ 淡路島出身・照強が新入幕 春場所の主役狙う 日本経済新聞 2019/3/9 6:30(日本経済新聞社、2019年5月3日閲覧)
  16. ^ 阪神大震災の日生まれ照強が幕下全勝V 新十両確実 日刊スポーツ 2016年11月25日16時8分
  17. ^ “照強、坂元改め大奄美、力真が新十両”. 日刊スポーツ. (2016年11月30日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1745314.html 2016年11月30日閲覧。 
  18. ^ a b 阪神大震災の日生まれの照強、十両昇進で恩返し!淡路島から55年ぶり関取 2016年12月1日6時0分 スポーツ報知
  19. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号25ページ
  20. ^ 新十両の照強、十両残留濃厚 来場所へ「今場所の負け越しを取り戻す」 デイリースポーツ 2017年1月22日
  21. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p2
  22. ^ “貴乃花部屋から初の双子関取誕生、貴公俊が新十両”. 日刊スポーツ. (2018年1月31日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201801310000276.html 2018年1月31日閲覧。 
  23. ^ 『相撲』2018年3月号 p.58
  24. ^ 『相撲』2018年10月号 p.65
  25. ^ 友風、照強、大翔鵬が新入幕 豊ノ島と石浦が再入幕 日刊スポーツ 2019年2月25日6時0分(2019年12月17日閲覧)
  26. ^ 十両・照強が勝ち越しで新入幕が確実 阪神大震災当日に生まれた南あわじ市出身24歳 Sponichi Annex 2019年1月23日 16:28(スポーツニッポン新聞社、2019年1月25日閲覧)
  27. ^ 炎鵬、照強、宇良が「真っ向勝負」を挑む深いワケ 常識を覆す小兵力士の強さの秘密(2/3ページ) AERA dot. 2020.2.17 11:30(AERA 2020年2月17日号、2020年2月17日閲覧)
  28. ^ 照強、小兵同士の炎鵬と白熱稽古「久しぶり燃えた」 日刊スポーツ 2019年9月2日14時50分(2019年9月9日閲覧)
  29. ^ 照強2場所ぶり勝ち越し 照ノ富士と喜びグータッチ 日刊スポーツ 2019年11月22日19時54分(2019年12月9日閲覧)
  30. ^ 震災1・17生まれの照強が5連勝「特別な日です」 日刊スポーツ 2020年1月16日20時30分(2020年1月17日閲覧)
  31. ^ 168センチの照強、砂まみれの十両昇進祝い 日刊スポーツ 2016年12月30日17時35分
  32. ^ 安美錦4連勝 流れるような攻めの連続「前に出ようと思った」 デイリースポーツ 2017年3月15日
  33. ^ 東京新聞 2017年1月17日 夕刊
  34. ^ 夏の絵日記2017 8月2日 照強「明石海峡大橋」 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)(2017年8月23日閲覧)
  35. ^ 日馬、史上初の4金星配給&10日目3差大逆転V「全身全霊で相撲をとった」 2017年9月25日6時0分 スポーツ報知(2017年10月6日閲覧)
  36. ^ a b “マスコミ一家育ち”炎鵬と“元ヤン”照強……話題の力士のコメント力 文春オンライン 2019/07/29(週刊文春 2019年8月1日号、2019年10月31日閲覧)
  37. ^ 8人による幕下優勝決定戦に進出(トーナメント形式の2回戦敗退)
  38. ^ 無観客開催

関連項目

外部リンク