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'''風穴'''(ふうけつ、かざあな、[[英語]]名:wind cave)とは、[[洞窟]]の内外で生じる[[気温]]差や[[気圧]]差により[[風]]の流れが生じ、洞口(洞窟の開口部、出入り口)を通じて体感的に速い[[大気循環]]がある洞窟の一形態である。
[[地形]]としての'''風穴'''(ふうけつ、かざあなとは、[[洞窟]]の内外で生じる[[気温]]差や[[気圧]]差により[[風]]の流れが生じ、洞口(洞窟の開口部、出入り口)を通じて体感的に速い[[大気循環]]がある洞窟の一形態である。[[英語]]では "'''{{Lang|en|wind cave}}'''({{small|[[日本語]][[wikt:音写|音写]]例:ウインド ケイブ、ウィンド ケイヴ}})" という


== 称 ==
== 称 ==
風穴は「ふうけつ」や「かざあな」などと読んだりするが、どちらでも間違いではない。[[近世]]頃までは一般的に「かざあな」と呼ばれていたが、[[明治]]なり[[蚕種]]貯蔵風穴が全国各地に多数造られ「ふうけつ」の語が広く定着した。ただ、地域によっては明治以降も「かざあな」を使っている地名もある。地域によっては伝聞などから「かざあな」と「ふうけつ」を形状や用途の違いで区別している場合もあるが、全国的に見れば統一的に定義づけて区別することは適切ではない<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
風穴は「ふうけつ」や「かざあな」などと読んだりするが、どちらでも間違いではない。[[近世]]頃までは一般的に「かざあな」と呼ばれていたが、[[明治]]時代入ると[[蚕種]]貯蔵風穴が全国各地に多数造られ「ふうけつ」の語が広く定着した。ただ、地域によっては明治時代以降も「かざあな」を使っている地名もある。地域によっては伝聞などから「かざあな」と「ふうけつ」を形状や用途の違いで区別している場合もあるが、全国的に見れば統一的に定義づけて区別することは適切ではない{{Sfn|清水・澤田|2015|p=4}}


『カルスト-その環境と人びととのかかわり』は「人の入ることのできない小規模のものを'''かざあな'''、洞穴となっているものを'''ふうけつ'''とも区分する<ref>カルスト-その環境と人びととのかかわり-, [[漆原和子]]編,p.296;大明堂, 1996</ref>。」とるが、根拠不明でおそらくある限られた地域での伝聞と思われる。現に滋賀県の[[河内風穴]](かわちのかざあな)など全国的にこの定義にあてはまらない例が多存在する<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
[[地理学者]]・[[漆原和子]]が編纂した『カルストその環境と人びととのかかわり』(1996年刊)は「人の入ることのできない小規模のものを'''かざあな'''、洞穴となっているものを'''ふうけつ'''とも区分する」としているが{{Sfn|漆原|1996|p=296}}、根拠不明でおそらくある限られた地域での伝聞と思われる。実際、[[洞窟#日本大洞窟|日本屈指の大洞窟]]でもある[[河内風穴]]の読みとして「かわちふうけつ」と「かわちのかざあな」があるようこの定義にあてはまらない例が全国各地に数存在する{{Sfn|清水・澤田|2015|p=4}}


== 概要 ==
== 概要 ==
風穴は比較的新しい時代の[[火山岩]]([[溶岩]]台地、等)が広がる地域に見られる。このタイプの世界の大規模な風穴としては、[[ウインドケーブ国立公園]]の洞穴([[アメリカ合衆国]][[サウスダコタ州]])がある。[[日本]]では[[富士山_(代表的なトピック)|富士山麓]]周辺に多く存在し、著名なものとして[[万野風穴]]や[[富岳風穴]]がある。[[石灰岩]]([[カルスト地形]]、等)の[[鍾乳洞]]が原因の風穴もあり、これは[[秋芳洞]]や[[グヌン・ムル国立公園]]のウィンドケイブ([[東南アジア]]の[[ボルネオ島]]北部)があげられる。開口節理(割れ目が開いたもの)は[[大雪山]]周辺などにも風穴は多く認められ、凍結・融解によって岩が割れる現象などにより風穴は発生する。ここでは、風穴に起因する永久凍土の報告がある。
風穴は比較的新しい時代の[[火山岩]]([[溶岩]]台地、等)が広がる地域に見られる。このタイプの世界の大規模な風穴としては、[[ウインドケーブ国立公園]]の洞穴([[アメリカ合衆国]][[サウスダコタ州]])がある。[[日本]]では[[富士山_(代表的なトピック)|富士山麓]]周辺に多く存在し、著名なものとして[[万野風穴]]や[[富岳風穴]]がある。[[石灰岩]]([[カルスト地形]]、等)の[[鍾乳洞]]が原因の風穴もあり、これは[[秋芳洞]]や[[グヌン・ムル国立公園]]のウィンドケイブ([[東南アジア]]の[[ボルネオ島]]北部)があげられる。開口節理割れ目が開いたものは[[大雪山]]周辺などにも風穴は多く認められ、凍結・融解によって岩が割れる現象などにより風穴は発生する。ここでは、風穴に起因する永久凍土の報告がある。


また、地中の空洞が、高低差のある複数の開口部で地表と結ばれている場合にも風穴現象が起きやすい。冬場、空洞内で[[比重]]が軽い温かく空気が上方の温風穴から吹き出し、その分、冷たい外気が下方の冷風穴から吸い込まれる。[[日光]]が射さない空洞内の空気と岩盤は温度が上がりにくいため、[[夏]]になっても冷気が漏れ出る仕組みである。自然の洞窟だけでなく、[[金沢城]][[石垣]]のような人工空洞でも起きる<ref name="simizu">清水長正:夏もひやひや風穴の不思議◇明治の養蚕支えた「天然の冷蔵庫」、全国に訪ねる◇[[日本経済新聞]]朝刊2017年6月15日(文化面)</ref>。
また、地中の空洞が、高低差のある複数の開口部で地表と結ばれている場合にも風穴現象が起きやすい。冬場、空洞内で[[比重]]が軽い温かく空気が上方の温風穴から吹き出し、その分、冷たい外気が下方の冷風穴から吸い込まれる。[[日光]]が射さない空洞内の空気と岩盤は温度が上がりにくいため、[[夏]]になっても冷気が漏れ出る仕組みである。自然の洞窟だけでなく、[[金沢城]][[石垣]]のような人工空洞でも起きる<ref name="日経_20170615">{{Cite news |和書 |date=2017-06-15 |title=清水長正:夏もひやひや風穴の不思議 ◇明治の養蚕支えた「天然の冷蔵庫」、全国に訪ねる◇ |url= |publisher=[[日本経済新聞社]] |newspaper=[[日本経済新聞]]朝刊 |accessdate=2019-10-04 }}</ref>。


実際には日本の風穴は、溶岩トンネルによる風穴は[[富士山]]山麓や[[秋田駒ヶ岳]]、[[寒風山 (秋田県)|寒風山]]、[[鳥海山]]の猿穴、[[北八ヶ岳]]、[[神鍋山]]、[[雲仙岳]]などのごく一部で指摘されているにすぎない。日本の風穴の大半は、崖錐が崩落した岩屑や、岩塊斜面などの堆積物の隙間からできているものがほとんどである。『日本の風穴』ではこれを「崖錐型風穴」と名付けている<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
実際には日本の風穴は、溶岩トンネルによる風穴は[[富士山]]山麓や[[秋田駒ヶ岳]]、[[寒風山 (秋田県)|寒風山]]、[[鳥海山]]の猿穴、[[北八ヶ岳]]、[[神鍋山]]、[[雲仙岳]]などのごく一部で指摘されているにすぎない。日本の風穴の大半は、崖錐が崩落した岩屑や、岩塊斜面などの堆積物の隙間からできているものがほとんどである。清水長正・澤田結基 編『日本の風穴』(2015年刊)ではこれを「崖錐型風穴」と名付けている{{Sfn|清水・澤田|2015|p=5}}


夏期に下方で冷風が吹き出す「冷風穴」がある一方、冬期には「冷風穴」が風の吸い込み口になり、山の上方で煙突のように温風が吹き出すことがある。これを「温風穴」という。冬期には冷風穴から冷えた外気が吸い込まれ、冷風穴に近い風穴内の岩石が著しく冷却される。その蓄熱によって春から夏までの岩石の低温が維持され、そのため冷風穴から冷たい風が吹き出すと考えられる<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
夏期に下方で冷風が吹き出す「冷風穴」がある一方、冬期には「冷風穴」が風の吸い込み口になり、山の上方で煙突のように温風が吹き出すことがある。これを「温風穴」という。冬期には冷風穴から冷えた外気が吸い込まれ、冷風穴に近い風穴内の岩石が著しく冷却される。その蓄熱によって春から夏までの岩石の低温が維持され、そのため冷風穴から冷たい風が吹き出すと考えられる{{Sfn|清水・澤田|2015|p=12}}


== 風穴植物 ==
== 風穴植物 ==
風穴周辺には、風穴がつくる低温環境によって寒冷な植生帯に生育する植物が出現することがある。
風穴周辺には、風穴がつくる低温環境によって寒冷な植生帯に生育する植物が出現することがある。
風穴の植物が初めて記載されたのは[[牧野富太郎]]や、[[三好学]]による[[長走風穴]]によるものが最初で、そこでは標高200m程度の[[コナラ]]や[[ミズナラ]]の林の中に[[コケモモ]]や[[ゴゼンタチバナ]]、[[オオタカネバラ]]などの高山から亜高山帯の植物群落が見られる。三好の調査により[[1926年]]には「長走風穴高山植物群落」として、富士山麓に次いで国の[[天然記念物]]に指定された。また、福島県の[[中山風穴]]ではオオタカネバラや[[アイズシモツケ]]、[[ベニバナイチヤクソウ]]などからなる、やや規模が大きい植物群落があり、[[1964年]]に「中山風穴地特殊植物群落」として国の[[天然記念物]]に指定されている。風穴植物が天然記念物になっているのはこの2件のみである。これらは、氷期の植物のレフュージア(逃避地)という見解もある<ref name="nihon">『日本風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
風穴の植物が初めて記載されたのは[[牧野富太郎]]や、[[三好学]]による[[長走風穴]]によるものが最初で、そこでは標高200m程度の[[コナラ]]や[[ミズナラ]]の林の中に[[コケモモ]]や[[ゴゼンタチバナ]]、[[オオタカネバラ]]などの高山から亜高山帯の植物群落が見られる。三好の調査により[[1926年]](昭和元年)には「長走風穴高山植物群落」として、[[富士山]]麓に次いで国の[[天然記念物]]に指定された。また、福島県の[[中山風穴]]ではオオタカネバラや[[アイズシモツケ]]、[[ベニバナイチヤクソウ]]などからなる、やや規模が大きい植物群落があり、[[1964年]](昭和39年)に「中山風穴地特殊植物群落」として国の[[天然記念物]]に指定されている。風穴植物が天然記念物になっているのはこの2件のみである。これらは、[[氷期]]の植物の[[レフュージア]](待避地、退避地)<ref group="*">[[wikt:en:refugia|refugia]](レフュージア、レフュジア、リフュージア) とは、ある生物群環境上の避難場所。ここでは氷期の気候変化の影響を受けずに昔のままの生物群が残存できている、その地域を指す。''cf.'' [[:en:Refugium (population biology)]]</ref>という見解もある{{Sfn|清水・澤田|2015|p=13}}


== 利用 ==
== 利用 ==
[[稲核風穴]]では江戸中期宝永年間(1704年-1711年)に風穴を利用した漬物小屋をって漬物保存に利用していた。漬物は松本城主に献上されていたと言われる<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
[[江戸時代]]中期にあたる[[宝永]]年間([[1704年|1704]]-[[1711年]]間)、[[信濃国]][[安曇郡]]稲核村([[幕藩体制]]下の[[信濃国|信州]][[松本藩]][[地方知行|知行]]稲核村。現・[[長野県]][[松本市]][[安曇村|安曇]][[稲核]])の[[稲核風穴]]では、風穴を利用した[[漬物]]小屋をって漬物保存に利用していた。漬物は[[松本城]]主に献上されていたという{{Sfn|清水・澤田|2015|p=14}}


開口部が大きく有名な風穴は、一部で観光名所になっている。日本では夏場でも付近が涼しいことから山地の住民に知られるようになった小さな風穴が全国に点在している。これらは[[野菜]]・[[漬物]]などの保管用に加えて、[[明治時代]]に[[養蚕]]に使う[[蚕]]の卵の保存に使用された。風穴の上に建てられた「風穴小屋」は全国に少なくとも280カ所程度あった。風穴小屋は[[電気冷蔵庫]]が普及した[[大正]]中期以降、ほとんどは使われなくなったが、種子や酒などの保存用に再建・新設された例もある。風穴の研究者や愛好者が集まる全国サミットが開かれているほか、その研究成果をまとめた『日本の風穴-冷涼のしくみと産業・観光への活用[[古今書院]])が2015年に刊行された<ref name="simizu">清水長正:夏もひやひや風穴の不思議◇明治の養蚕支えた「天然の冷蔵庫」、全国に訪ねる◇『[[済新聞]]』朝刊2017年6月15日(文化面)</ref>
開口部が大きく有名な風穴は、一部で観光名所になっている。日本では夏場でも付近が涼しいことから山地の住民に知られるようになった小さな風穴が全国に点在している。これらは[[野菜]]・[[漬物]]などの保管用に加えて、[[明治時代]]に[[養蚕]]に使う[[蚕]]の卵の保存に使用された。風穴の上に建てられた「風穴小屋」は全国に少なくとも280カ所程度あった。風穴小屋は[[電気冷蔵庫]]が普及した[[大正]]中期以降、ほとんどは使われなくなったが、種子や酒などの保存用に再建・新設された例もある。風穴の研究者や愛好者が集まる全国サミットが開かれているほか、その研究成果をまとめた清水長正・澤田結基 編『日本の風穴』[[2015年]](平成27年)に刊行された{{r|日経_20170615}}


[[荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡]]([[群馬県]])は[[世界遺産]]「[[富岡製糸場と絹産業遺産群]]」の構成資産である。
[[荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡]]([[群馬県]])は、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[世界遺産]]「[[富岡製糸場と絹産業遺産群]]」の構成物件である。


富士山山麓の[[富岳風穴]]、[[西湖蝙蝠穴]]、[[駒門風穴]]などの溶岩トンネルは、古くから観光用の洞窟として著名である。
富士山山麓の[[富岳風穴]]、[[西湖蝙蝠穴]]、[[駒門風穴]]などの溶岩トンネルは、古くから観光用の洞窟として著名である。
北海道の遠軽や然別火山群、寒風山、秋田県湯沢の三関風穴、群馬県の荒船風穴、兵庫県の神鍋山、隠岐の岩倉、長崎県の雲仙岳では風穴がジオサイトになっており、ユニークな自然の価値が認められている。秋田県の[[長走風穴]]や宮城県の[[材木岩風穴]]、佐賀県永野の風穴などは避暑のための公園として整備されている。新潟県の[[山伏山風穴]]、[[浜松市]]の[[鷲沢風穴]]、香川県の[[高鉢山風穴]]などは、キャンプ場近辺のクールスポットとして注目されている。また、現在も実用的な冷蔵倉庫として利用されている風穴が各地にある。[[稲核風穴]]や、[[津南町]]の見倉の風穴、[[山梨県]][[早口町]]の[[久田子風穴]]、[[兵庫県]]の[[神鍋山風穴]]などはいずれも集落近傍の風穴で、種や野菜、漬物や果実の貯蔵に利用されている。長野県[[長和町]]では、[[1992年]]に農山漁村活性化集出荷施設として、風穴を生かした天然冷蔵倉庫が新設され、特産の蕎麦の実を保存している。また、特に施設はないが、上高地岳沢の「天然クーラー」や双六岳登山ルートの蒲田川左俣林道沿いの「お助け風」、後方羊蹄山の比羅夫コース2合目の「風穴」などは、夏の登山シーズン中に登山者へ涼を供している<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
北海道の遠軽や然別火山群、寒風山、秋田県湯沢の三関風穴、群馬県の荒船風穴、兵庫県の神鍋山、隠岐の岩倉、長崎県の雲仙岳では風穴がジオサイトになっており、ユニークな自然の価値が認められている。秋田県の[[長走風穴]]や宮城県の[[材木岩風穴]]、佐賀県永野の風穴などは避暑のための公園として整備されている。新潟県の[[山伏山風穴]]、[[浜松市]]の[[鷲沢風穴]]、香川県の[[高鉢山風穴]]などは、キャンプ場近辺のクールスポットとして注目されている。また、現在も実用的な冷蔵倉庫として利用されている風穴が各地にある。[[稲核風穴]]や、[[津南町]]の見倉の風穴、[[山梨県]][[早口町]]の[[久田子風穴]]、[[兵庫県]]の[[神鍋山風穴]]などはいずれも集落近傍の風穴で、種や野菜、漬物や果実の貯蔵に利用されている。長野県[[長和町]]では、[[1992年]](平成4年)に農山漁村活性化集出荷施設として、風穴を生かした天然冷蔵倉庫が新設され、特産の蕎麦の実を保存している。また、特に施設はないが、上高地岳沢の「天然クーラー」や双六岳登山ルートの蒲田川左俣林道沿いの「お助け風」、後方羊蹄山の比羅夫コース2合目の「風穴」などは、夏の登山シーズン中に登山者へ涼を供している{{Sfn|清水・澤田|2015|pp=18-19}}


== 養蚕業への利用の歴史 ==
== 養蚕業への利用の歴史 ==
江戸時代までは、大半の蚕の品種は春の孵化から6月末の産卵まで、1年に1度の飼育しかできなかった。当時は桑の芽吹きに合わせて卵を部屋の中で上下させたり、火鉢で暖めたり、冷たい所に置いたりして、慎重に温度管理を行い孵化の時期を桑の芽吹きに合わせて調節していた。長野県の南安曇地区では文久年間(1861年-1865年)既に風穴に蚕種を保存して孵化を遅らせる手法があったことが記録されている。慶応2年([[1866年]])輸出したものの過剰になって日本に返されていた蚕種のうち[[稲核風穴|前田風穴]]に保存しておいたものを、大遅霜で蚕が大被害を受けた際に取り出して飼育してみたところ一定量の繭を得ることができた。これが蚕種冷蔵の風穴利用の本格的な起源となったとされる。明治11年([[1878年]])には、風穴蚕種の製造が政府に許可され、風穴を利用した年間多回飼育が全国に広がっていった。しかし、風穴を利用した蚕種貯蔵は大正時代には減少し、昭和10年にはほぼゼロになった。これは大正3年に愛知県の小池弘三が開発した人工孵化技術が広がったためであった。これは、蚕種を塩酸に浸し越年状態に至った蚕種を強制的に孵化する技術であった。また、風穴は一般的に交通の不便な山中にあることが多く、明治時代から冷蔵庫の利用が考えられていた。に明治41年には冷蔵庫で保存した蚕種と、風穴で保存した蚕種に大きな違いが無いことが研究されていた<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>
[[江戸時代]]までは、大半の[[カイコ|]]の品種は春の孵化から6月末の産卵まで、1年に1度の飼育しかできなかった。当時は[[クワ|]]の芽吹きに合わせて卵を部屋の中で上下させたり、[[火鉢]]で暖めたり、冷たい所に置いたりして、慎重に温度管理を行い孵化の時期を桑の芽吹きに合わせて調節していた。[[長野県]]の南安曇地区では、江戸時代後期の[[文久]]年間([[1861年|1861]]-[[1865年]]間)にはすでに風穴に[[蚕種]]を保存して孵化を遅らせる手法があったことが記録されている。[[幕末]]の[[慶応]]2年[[1866年]])には、輸出したものの過剰になって日本に返されていた蚕種のうち[[稲核風穴]](前田風穴に保存しておいたを、大遅霜で蚕が大被害を受けた際に取り出して飼育してみたところ一定量の[[]]を得ることができた。これが蚕種冷蔵の風穴利用の本格的な起源となったとされる。[[1878年]](明治11年)には、風穴蚕種の製造が政府に許可され、風穴を利用した年間多回飼育が全国に広がっていった。しかし、風穴を利用した蚕種貯蔵は[[大正]]時代には減少し、[[1935年]](昭和10年にはほぼゼロになった。これは愛知県の小池弘三が[[1914年]](大正3年)に開発した人工孵化技術が全国に普及していいたためであった。その技術というのは、蚕種を[[塩酸]]に浸し越年状態に至った蚕種を強制的に孵化するというものであ。また、風穴は一般的に交通の不便な山中にあることが多く、明治時代から[[冷蔵庫]]の利用が考えられていた。すで[[1908年]](明治41年には冷蔵庫で保存した蚕種と、風穴で保存した蚕種に大きな違いが無いことが研究されていた{{Sfn|清水・澤田|2015|p=5}}。なお、[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に[[東日本大震災]]が発生して[[東日本]][[電力]]供給が極めて不安定な状況に陥った際には、[[電力会社]]が[[輪番停電]]を実施したことで、養蚕業者は貴重な蚕の系統を電力に頼ることなく冷凍保存する必要に迫られ、前田風穴内での蚕種の保存が実施された{{Sfn|清水・澤田|2015|pp=42-50}}


== 風穴の一覧 ==
また、[[2011年]]3月11日に発生した[[東日本大震災]]では、各電力会社では計画停電が実施されたが、そのため貴重な蚕の系統を電力に頼らず冷凍保存する必要があった。そこで、前田風穴内にこれら蚕の保存が実施された<ref name="nihon">『日本の風穴』、清水長正・澤田結基、古今書院、2015年</ref>。
世界には数多くの風穴がある。その中から特筆性が高いと思われるものを抜粋し、ここに記載する。ただし、日本国外に関しては情報が不足している。


== 主要な風穴 ==
=== 日本国内 ===
[[都道府県]]の記載順は [[ISO 3166-2:JP]] に準拠する。ここでいう所在地は一般的な洞口(観光用洞口)の所在地。
[[File:Fugaku Fuketu Entrance Stairs 20161025.jpg|thumb|200px|right|富岳風穴の入り口]]
; 日本
:* [[相良八郎の穴]](相良向かいの穴 - 八郎沢の風穴):[[岩手県]][[下閉伊郡]][[岩泉町]]。
:* [[長走風穴]]:[[秋田県]][[大館市]]長走地区。
:* ジャガラモガラ:[[山形県]][[天童市]]貫津(ぬくづ)地区、雨呼山(あまよばりやま)中腹。県指定[[天然記念物]]。
:* [[中山風穴]]:[[福島県]][[南会津郡]][[下郷町]]。
:* [[富岳風穴]]:[[山梨県]][[南都留郡]][[富士河口湖町]]。
:* [[荒船風穴]]
:* [[稲核風穴]]:[[長野県]][[松本市]][[安曇村|安曇]]稲核。
:* [[氷平風穴]]:[[長野県]][[上田市]][[真田町]]傍陽<ref>『信濃毎日新聞』2013年9月22日号</ref>{{要ページ番号|date=2017-08-21}}。
:* 入沢風穴:[[長野県]][[佐久市]]入沢<ref>http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/result.phpkword_txt=&map=1&bunkazai_area_01=20000&bunkazai_area_02=20217</ref>{{リンク切れ|date=2017-08-21}}。
:* [[氷風穴]]:[[長野県]][[小諸市]]氷
:* [[万野風穴]]:[[静岡県]][[富士宮市]]。
:* [[駒門風穴]]:静岡県[[御殿場市]]。
:* [[古戸の風穴]]:[[愛知県]][[北設楽郡]][[東栄町]]。
:* [[河内風穴]]:[[滋賀県]][[犬上郡]][[多賀町]]河内。総延長距離全国第4位の大洞窟。
:* [[深泥ヶ池風穴]]:滋賀県犬上郡多賀町佐目。
:* [[秋芳洞]] - 風穴 - 葛ヶ穴:[[山口県]][[美祢市]]。秋芳洞の一部。
:* [[笠山]]の風穴:山口県[[萩市]][[明神池 (萩市)|明神池]]の周辺。
:* [[高鉢風穴]]:[[香川県]][[綾歌郡]][[綾川町]]。
:* [[永野の風穴]]:佐賀県[[武雄市]]若木町
; 日本以外の地域
:* [[ウインドケーブ国立公園]]の洞穴:[[アメリカ合衆国]][[サウスダコタ州]]。
:* [[グヌン・ムル国立公園]]のウィンドケイブ:[[東南アジア]]、[[ボルネオ島]]北部([[マレーシア]]領)。ディア・ケイブ、ラング・ケイブ、ウィンド・ケイブ、クリアウォーター・ケイブと連なる洞窟の一部分。


[[植物群落]]と併せて保存区域に指定されているのは、[[#長走風穴|長走風穴]]と[[#中山風穴|中山風穴]]<ref name=":01">{{Harvnb|清水・山本|2013}}</ref>。
== 比喩表現 ==
日本語では、「風が通り抜ける穴」の意から、別の物体が貫通することによって形成される物体上の穴を「'''風穴'''」と書いて「'''かざあな'''」と読む。
強力な刺突[[武器]]や[[弾丸]]によって[[壁]]や[[防具]]、[[人体]]などといった物体に開けられる穴は[[修辞技法|比喩表現]]上、「'''風穴'''」と呼ばれ、そのような穴を開けることを「'''風穴を開ける'''」と言うことがある。また、より抽象的な用法として、古い悪習などの柔軟性に乏しく[[wikt:澱|澱んだ]]空気のように閉じた価値観を、別の強力な価値観(新風)によって打ち破り無効化する、あるいは、固執を解きほぐして柔軟性あるものに変える、そのような行いを、空間が開いて通気の良くなった状態に喩えて「'''○○に風穴を開ける'''」と表現する。


ここに挙げたもので、かつて[[蚕種]]貯蔵風穴として利用されていたのは、先駆たる[[#稲核風穴|稲核風穴]]を始め、[[#三関風穴|三関風穴]]、[[#関口の風穴|関口の風穴]]、[[#荒船風穴|荒船風穴]]、[[#東谷風穴|東谷風穴]]、[[#富岳風穴|富岳風穴]]、[[#富士風穴|富士風穴]]、[[#入沢風穴|入沢風穴]]、[[#村松の風穴|村松の風穴]]、[[#小野の風穴|小野の風穴]]、[[#古関風穴|古関風穴]]、[[#有穂風穴|有穂風穴]]、[[#駒門風穴|駒門風穴]]、[[#神鍋風穴|神鍋風穴]]、[[#河内風穴|河内風穴]]、[[#大成風穴群|大成風穴群]]、[[#普賢岳北の風穴|普賢岳 北の風穴]]である{{r|:01}}。このうち、入沢風穴と神鍋風穴は現在も天然冷蔵庫として利用されている{{r|:01}}。
==脚注==

[[地形学|地形学者]]・清水長正は、日本国内で最も著名な風穴として、[[貞観]]4年([[1864年]])の青木ヶ原溶岩流下時に形成された溶岩トンネルが風穴となった{{Sfn|清水|2004|p=139}}[[#富岳風穴|富岳風穴]]・[[#鳴沢氷穴|鳴沢氷穴]]・[[#富士風穴|富士風穴]]を挙げている{{Sfn|清水|2004|p=139}}。

; 北海道
* {{Anchor|武利風穴}}武利風穴 {{r|:01}} - [[北海道]][[オホーツク総合振興局]]管内[[紋別郡]][[遠軽町]]および[[丸瀬布]]([[江戸時代]]後期における[[蝦夷地]][[松前藩]]モンベツ場所内)に所在。[[湧別川]]上流域地下水系。

; 東北地方
* {{Anchors|天狗森夏氷山風穴}}[[天狗森夏氷山風穴]]({{small|てんぐもりのなつごおりやまかざあな}}){{Sfn|清水|2004|pp=126, 130, 134}}{{r|:01}}
:: [[岩手県]][[八幡平市]]天狗森国有林に所在。県指定[[天然記念物]]{{Sfn|清水|2004|p=134}}。
[[ファイル:Nagabasirifuukeu 2gou souko.JPG|thumb|230px|[[長走風穴]]/[[長走風穴#長走風穴の風穴現象|風穴現象]]によって[[霧]]が立ち上っている。]]
* {{Anchors|相良八郎の穴}}[[相良八郎の穴]](相良向かいの穴─八郎沢の風穴)
:: 岩手県[[下閉伊郡]][[岩泉町]](江戸時代における[[陸奥国]][[閉伊郡]]内、[[幕藩体制]]下の[[陸奥国|奥州]][[盛岡藩]][[地方知行|知行]]地内)に所在。
* {{Anchors|長走風穴}}[[長走風穴]] {{r|:01}}
:: [[秋田県]][[大館市]]長走(江戸時代における[[陸奥国]][[秋田郡]]長走村、幕藩体制下の奥州[[久保田藩]]知行秋田郡長走村)に所在。国指定天然記念物(『長走風穴高山植物群落』名義)。
* {{Anchors|三関風穴}}[[三関風穴]] {{Sfn|清水|2004|p=126}}{{r|:01}}
:: [[秋田県]][[湯沢市]]関口{{small|[[字]]}}糸倉山7-2(羽後国[[雄勝郡]]関口村、幕藩体制下の奥州[[久保田藩]]知行関口村および[[岩崎藩]]知行関口村)に所在。市指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|皆瀬川の風穴}}皆瀬川の風穴{{r|:01}} - 秋田県の[[皆瀬川 (秋田県)|皆瀬川]]上流域に所在。
* {{Anchors|関口の風穴}}関口の風穴 - 秋田県の皆瀬川上流域に所在。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchor|ジャガラモガラ}} {{Sfn|清水|2004|pp=123, 128, 134-136}}{{r|:01}}
:: [[山形県]][[天童市]]貫津{{small|(ぬくづ)}}(江戸時代における陸奥国[[村山郡]]貫津村、幕藩体制下の奥州[[館林藩]]知行貫津村)に所在。雨呼山{{small|(あまよばりやま)}}中腹の地下に開ける。県指定[[天然記念物]]。
* {{Anchors|中山風穴}}[[中山風穴]] {{Sfn|清水|2004|pp=128, 137}}
:: [[福島県]][[南会津郡]][[下郷町]]{{small|[[大字]]}}湯野上{{small|[[字]]}}中山(江戸時代における陸奥国[[会津郡]]桜山村・中倉村、幕藩体制下の奥州[[会津藩]]知行桜山村・中倉村)に所在。国指定天然記念物(『中山風穴地特殊植物群落』名義)。

; 関東地方
* {{Anchors|荒船風穴}}[[荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡#荒船風穴|荒船風穴]] {{r|:01}}
:: [[群馬県]][[甘楽郡]][[下仁田町]]{{small|大字}}南野牧{{small|字}}屋敷甲10690(江戸時代における[[上野国]][[甘楽郡]]南西部)に所在。国指定[[史跡]](『[[荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡]]』名義)。[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]][[世界遺産]]「[[富岡製糸場と絹産業遺産群]]」構成資産。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|東谷風穴}}[[荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡#東谷風穴|東谷風穴]](別名:吾妻風穴、栃窪風穴){{r|:01}}
:: 群馬県[[吾妻郡]][[中之条町]]栃窪(江戸時代における[[上野国]]吾妻郡栃窪村、幕藩体制下の[[上野国|上州]][[天領|御料]]栃窪村)に所在。国指定史跡(『荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡』名義)。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。

; 中部地方
* {{Anchors|荒島風穴}}荒島風穴 <ref name=":02">{{Harvnb|デジタルアーカイブ福井|2009}}</ref>
:: [[福井県]][[大野市]]上庄(旧・[[大野郡]][[上庄村 (福井県)|上庄村]]荒島山{{r|:02}})に所在した。
* {{Anchors|越智風穴}}越智風穴 {{r|:02}}
:: 福井県[[丹生郡]][[越前町]]小川(旧・丹生郡小川村)に所在した{{r|:02}}。異説では越前町大畑(旧・丹生郡大畑村)に所在した{{r|:02}}。
* {{Anchors|大谷風穴}}大谷風穴 {{r|:02}}
:: 福井県丹生郡越前町小川(旧・丹生郡小川村{{r|:02}})に所在した。

[[ファイル:Fugaku Fuketu Entrance Stairs 20161025.jpg|thumb|150px|[[富岳風穴]]の洞口を見下ろす。]]
* {{Anchors|富岳風穴}}[[富岳風穴]] {{r|:01}}
:: [[山梨県]][[南都留郡]][[富士河口湖町]][[西湖村|西湖]][[青木ヶ原|青木ケ原]]2068-1(江戸時代における[[甲斐国]][[八代郡 (甲斐国)|八代郡]]西湖村地先、幕藩体制下の[[甲斐国|甲州]][[天領|御料]]石和代官所[[預地|預]]西湖村地先)に所在。国指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|富士風穴}}[[富士風穴]] {{Sfn|清水|2004|pp=128, 139}}{{r|:01}}
:: 山梨県南都留郡富士河口湖町精進(江戸時代における甲斐国八代郡精進村、幕藩体制下の甲州御料市川代官所[[預地|預]]精進村)に所在。国指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|鳴沢氷穴}}[[鳴沢氷穴]] {{r|:01}}
:: 山梨県南都留郡[[鳴沢村]](江戸時代における甲斐国[[都留郡]]成沢村・大嵐村、幕藩体制下の甲州御料石和代官所預成沢村・大嵐村)に所在。国指定天然記念物。

* {{Anchors|氷平風穴}}[[氷平風穴]]
:: [[長野県]][[上田市]][[真田町]]傍陽(江戸時代における[[信濃国]][[小県郡]]の上洗馬村か軽井沢村か曲尾村、幕藩体制下の[[信濃国|信州]][[上田藩]]知行の上洗馬村か軽井沢村か曲尾村)に所在<ref>『信濃毎日新聞』2013年9月22日号 {{要ページ番号|date=2017-08-21}}</ref>。
* {{Anchors|氷風穴}}[[氷風穴]] {{Sfn|清水|2004|pp=128, 137}}{{r|:01}}
:: 長野県[[小諸市]]氷(江戸時代における信濃国[[佐久郡]]大久保村、幕藩体制下の信州[[小諸藩]]知行大久保村)に所在。
* {{Anchors|入沢風穴}}[[入沢風穴]] {{r|:01}}
:: 長野県[[佐久市]]入沢(江戸時代における信濃国佐久郡入沢村、幕藩体制下の信州[[奥殿藩|田野口藩]]知行入沢村)に所在。市指定天然記念物。<ref>http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/result.phpkword_txt=&map=1&bunkazai_area_01=20000&bunkazai_area_02=20217 {{リンク切れ|date=2017-08-21}}</ref>
* {{Anchors|村松の風穴}}[[村松の風穴]] {{r|:01}}
:: 長野県[[小県郡]][[青木村]]村松{{small|字}}本山1372-8(江戸時代における信濃国[[小県郡]]村松郷、幕藩体制下の信州[[上田藩]]知行村松郷)に所在。村指定史跡。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|稲核風穴}}[[稲核風穴]] {{Sfn|清水|2004|pp=128, 137-139}}{{r|:01}}
:: 長野県[[松本市]][[安曇村|安曇]][[稲核]](江戸時代における信濃国[[安曇郡]]稲核村、幕藩体制下の信州[[松本藩]]知行稲核村)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchor|小野の風穴}} {{r|:01}}
:: [[岐阜県]][[高山市]]丹生川町小野(江戸時代における[[飛騨国]][[大野郡]]小八賀郷小野村、幕藩体制下の[[天領|御料]][[飛騨郡代]][[預地|預]]小野村)に所在。市指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|古関風穴}}[[古関風穴]] {{r|:01}}
:: 岐阜県[[下呂市]]萩原町古関地内(江戸時代における飛騨国[[益田郡]]内)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|有穂風穴}}有穂風穴 {{r|:01}}
:: 岐阜県[[郡上市]]八幡町有穂(江戸時代における[[美濃国]][[郡上郡]]の小久須見村か歩岐村か在原村、幕藩体制下の[[美濃国|濃州]][[郡上藩]]知行の小久須見村か歩岐村か在原村)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。

* {{Anchors|万野風穴}}[[万野風穴]] {{r|:01}}
:: [[静岡県]][[富士宮市]]外神2180(江戸時代における[[駿河国]][[富士郡]]万野原、幕藩体制下の[[駿河国|駿州]][[天領|御料]]万野原)に所在。国指定天然記念物。
* {{Anchors|駒門風穴}}[[駒門風穴]] {{r|:01}}
:: 静岡県[[御殿場市]]駒門69(江戸時代における駿河国富士郡内、幕藩体制下の駿州御料内)に所在。国指定天然記念物。
* {{Anchors|古戸の風穴}}[[古戸の風穴]] {{r|:01}}
:: [[愛知県]][[北設楽郡]][[東栄町]]{{small|大字}}[[振草]](江戸時代における[[三河国]][[設楽郡]]古戸村、幕藩体制下の[[三河国|三州]][[重原藩]]知行古戸村)に所在。
* {{Anchors|篠立の風穴}}[[篠立の風穴]]
:: [[三重県]][[いなべ市]]藤原町篠立(江戸時代における[[伊勢国]][[員弁郡]]篠立村、[[伊勢国|勢州]][[桑名藩]]知行篠立村)に所在。県指定天然記念物。[[鈴鹿山脈]]の東と西で河内風穴と繋がっているという言い伝え([[口伝]])がある。

; 近畿地方
[[ファイル:kawachi-huketu.jpg|thumb|230px|[[河内風穴]]/第1層にある大空間の高い位置から、洞内と観光洞洞口(外光が差し込む左上)を望む。]]
* {{Anchors|河内風穴}}[[河内風穴]]
:: [[滋賀県]][[犬上郡]][[多賀町]]河内宮前(江戸時代における[[近江国]]犬上郡河内村、幕藩体制下の[[近江国|江州]][[彦根藩]]知行河内村)に所在。[[霊仙山]]の地下に開ける。[[芹川 (滋賀県)|芹川]]上流域地下水系。現在調査された限りで、総延長距離において全国第4位の大洞窟。[[琵琶湖国定公園]]第2種特別地域。県指定天然記念物。「[[日本の重要湿地500]]」選定物件。かつての蚕種貯蔵風穴。
* {{Anchors|佐目風穴}}[[佐目風穴]]
:: 滋賀県犬上郡多賀町佐目(江戸時代における近江国犬上郡佐目村、幕藩体制下の江州彦根藩知行佐目村)に所在。[[犬上川]]上流域地下水系。
* {{Anchors|神鍋風穴}}[[神鍋風穴]](別名:神鍋山風穴){{r|:01}}
:: [[兵庫県]][[豊岡市]]日高町栗栖野(江戸時代における[[但馬国]][[城崎郡]]内)に所在。[[神鍋火山群]]の主峰たる神鍋山の地下に開ける。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。

; 中国地方
* {{Anchors|乳房杉の風穴}}[[乳房杉の風穴]](別名:岩倉風穴{{r|:01}})
:: [[島根県]][[隠岐郡]][[隠岐の島町]]布施地(江戸時代における[[隠岐国]][[周吉郡]]布施村地先、幕藩体制下の[[隠岐国|隠州]][[天領|御料]][[松江藩]][[預地|預]]布施村地先)に所在。島の[[最高峰]]である[[大満寺山]]の東山腹下に開ける。[[大山隠岐国立公園]]特別地域。
* {{Anchors|秋芳洞の風穴}}[[秋芳洞]]─風穴─葛ヶ穴
:: 秋芳洞の内部の一角。入口は秋芳洞の洞口で[[山口県]][[美祢市]]秋芳町秋吉1237-245(江戸時代における[[長門国]][[美祢郡]]秋吉村、幕藩体制下の[[長門国|長州]][[長州藩|山口藩]]知行秋吉村)に所在。国指定[[特別天然記念物]]。[[秋吉台国定公園]]指定地域。
* {{Anchors|笠山風穴}}笠山風穴 {{Sfn|清水|2004|pp=128, 139}}
:: 山口県[[萩市]][[椿東]]越ケ浜{{Sfn|清水|2004|p=128}}(江戸時代における長門国[[阿武郡]]越ヶ浜浦、幕藩体制下の長州山口藩知行越ヶ浜浦)に所在。[[笠山]]山麓の[[明神池 (萩市)|明神池]]周辺の地下に開ける。

; 四国地方
* {{Anchors|高鉢風穴}}[[高鉢風穴]]
:: [[香川県]][[綾歌郡]][[綾川町]]西分(江戸時代における[[讃岐国]][[阿野郡]][[西分村]]、幕藩体制下の[[讃岐国|讃州]][[高松藩]]知行西分村)に所在。
* {{Anchors|大成風穴群}}大成風穴群({{small|おおなるふうけつぐん}}){{r|:01}}
:: [[愛媛県]][[上浮穴郡]][[久万高原町]]大成(江戸時代における[[伊予国]][[浮穴郡]]内)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。

; 九州地方
* {{Anchors|永野の風穴}}[[永野の風穴]] - [[佐賀県]][[武雄市]]若木町{{small|大字}}永野(江戸時代における[[肥前国]][[杵島郡]]永野村、幕藩体制下の[[肥前国|肥州]][[佐賀藩]]知行永野村)に所在。
* {{Anchors|普賢岳北の風穴}}普賢岳 北の風穴{{r|:01}} - [[長崎県]][[雲仙市]]に所在。かつての蚕種貯蔵風穴{{r|:01}}。
* {{Anchors|普賢岳西の風穴}}普賢岳 西の風穴{{r|:01}} - 長崎県雲仙市に所在。

=== 日本国外 ===
* [[ウインドケーブ国立公園]]の洞穴 - [[アメリカ合衆国]][[サウスダコタ州]]ホットスプリングス近郊に所在。
* [[グヌン・ムル国立公園]]のウィンドケイブ
:: [[ボルネオ島]]北中部([[マレーシア]]領)ムル山域に所在。ディア・ケイブ、ラング・ケイブ、ウィンド・ケイブ、クリアウォーター・ケイブと連なる洞窟の一部分。

== 地形以外の風穴 ==
=== かざあな ===
[[日本語]]では、「風の吹き通る穴や隙間、破れ穴など」を[[大和言葉]]で「'''かざあな'''」といい、[[漢字]]では「'''風穴'''」と書く。「かざあな」という[[音価]]をもつ日本語の、これが第1義か、もしくは最も基本的な語義の一つである<ref name="kb">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/風穴 |title=風穴 |publisher=[[コトバンク]] |author=[[小学館]]『デジタル[[大辞泉]]』、[[三省堂]]『[[大辞林]]』第3版、小学館『精選版 [[日本国語大辞典]]』 |accessdate=2019-10-04 }}</ref>。

また、「換気・通風のために壁などに開けた穴」も、同じように読み書きする{{r|kb}}。この意の「かざあな(風穴)」は「'''風抜きの穴'''/'''風抜の穴'''(かざぬきのあな、かぜぬきのあな)<ref name="kb_風穴_日国辞">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/風穴 |title=風穴 |publisher=コトバンク |author=小学館『精選版 日本国語大辞典』 |accessdate=2019-10-09 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/風抜き |title=風抜き |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-09 }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/風抜 |title=風抜 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-09 }}</ref>」「'''通風孔'''<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/通風孔 |title=通風孔 |publisher=コトバンク |author=小学館『精選版 日本国語大辞典』 |accessdate=2019-10-09 }}</ref>」「'''通気孔'''<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/通気孔 |title=通気孔 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-09 }}</ref>」「'''換気口'''<ref>{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/換気口 |title=換気口 |publisher=コトバンク |author=三省堂『大辞林』第3版 |accessdate=2019-10-09 }}</ref>」などと呼び換えることができる{{r|kb}}。

{{Anchors|隠喩|メタファー}}加えて、隠喩([[メタファー]]。[[転義法|比喩]]表現の一種)として、[[心]]に生まれたむなしさを「風(嬉しくない風)が吹き通る、かざあな」に譬えて「かざあな(風穴)」という。さらには、後述する「風穴を開ける」の転用として、「心に風穴が開く」とか、「心に開いた風穴」、「心にぽっかりと開いた穴をむなしい風が通り抜ける」などといった表現がある。

=== 風穴を開ける ===
日本語では、刺突[[武器]]や[[弾丸]]によって人の胴体([[胸]]や[[腹]])に開けられた穴を上述の意味での「かざあな(風穴)」に譬えたうえで、そのような穴を開けることを「'''風穴を開ける'''」という<ref name="kb_風穴を開ける">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/風穴を開ける |title=風穴を開ける |publisher=コトバンク |author=小学館『デジタル大辞泉』、三省堂『大辞林』第3版、小学館『精選版 日本国語大辞典』 |accessdate=2019-10-04 }}</ref>。ここから転じて、[[殺人|殺し]]を想起させる[[脅迫|脅し]]文句として昔から慣用されてきた表現に、「'''どてっぱらに風穴をあけてやる'''('''土手っ腹に風穴を開けてやる''')」がある{{r|kb_風穴を開ける}}<ref name="kb_土手っ腹">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/土手っ腹 |title=土手っ腹 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-10 }}</ref>。「土手っ腹」は「腹」「腹部」の[[侮蔑語]]である{{r|kb_土手っ腹}}。
* 古い用例として、江戸時代中期の[[天明]]3年([[1783年]])に刊行された[[洒落本]]『卯地臭意{{small|(うじしゅうい)}}』に{{r|kb_風穴を開ける}}、「こいつらは横ぱらへ'''かざ穴'''をあけて ふいごのかはりにしてやるべい{{r|kb_風穴を開ける}}(意訳:[さあ、おまえら、]こいつらの横っ腹〈= 脇腹〉に風穴を開けて[[鞴]]〈{{small|ふいご}}〉代わりに使ってやろうじゃねえか)」という一文が見られる。

また、より[[抽象]]的な用法として、古習、[[寡占]]市場、停滞あるいは膠着した状況など、柔軟性や流動性に乏しい閉塞した物事が、「新風(しんぷう)」に喩えられる別の新たな物事や状況の加わることで状態を打ち破られ、無効化されたり柔軟性や流動性のあるものへと変わる、そのような行いや働きを、「閉じていた空間が(何かの働きによって)開き、風の通りが良くなる」ことに譬えて「(△△が)'''○○に風穴を開ける'''」と表現する{{r|kb_風穴を開ける}}。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references/>
{{Reflist|group="*"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* <!--しみず さわだ-->{{Cite book |和書 |editor=清水長正・澤田結基 編 |date=2015-10-30 |title=日本の風穴─冷涼のしくみと産業・観光への活用 |publisher=[[古今書院]] |isbn=978-4-7722-6116-6 |ref={{SfnRef|清水・澤田|2015}} }}
* <!--うるしはら-->{{Cite book |和書 |editor=[[漆原和子]]編 |date=1996-03-28 |title=カルスト―その環境と人びとのかかわり |publisher=[[大明堂]] |isbn=978-4-470-60014-4 |ref={{SfnRef|漆原|1996}} }}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|<!--風穴|かざあな|-->:en:風穴|:en:ふうけつ|:en:かざあな}}
* [[洞窟]]([[洞窟#大洞窟|#大洞窟]]) / [[洞穴学]]
* [[洞窟]]([[洞窟#大洞窟|#大洞窟]]) / [[洞穴学]]
* [[溶岩洞]] - [[鍾乳洞]] - [[海食洞]]
* [[溶岩洞]] - [[鍾乳洞]] - [[海食洞]]
* [[道の駅風穴の里]]
* [[道の駅風穴の里]]

== 外部リンク ==
* {{Cite journal|和書|author=清水長正 |date=2004 |title=日本における風穴の資料 : 地形条件・永久凍土などとの関連から |url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17394/|publisher=駒澤大学文学部地理学教室・駒澤大学文学部自然科学教室・駒澤大学応用地理研究所 |journal=駒澤地理|volume=40|pages=121-148|accessdate=2019-10-09 |ref={{SfnRef|清水|2004}} }}
* {{Cite journal|和書|author=清水長正, 山本信雄 |date=2013 |title=風穴の利用をめぐる自然と文化の大地の遺産-信州稲核ほか- |url=https://doi.org/10.14866/ajg.2013s.0_339 |publisher=日本地理学会 |journal=日本地理学会発表要旨集 |accessdate=2019-10-09 |ref={{SfnRef|清水・山本|2013}} }}<!-- →{{r|:01}} -->
* {{Cite journal|和書|author=平野俊幸 |date=2010 |title=養蚕と風穴--荒島風穴の発見を中心に |url=http://hdl.handle.net/10461/5571 |publisher=福井県文書館|journal=福井県文書館研究紀要|volume=7|pages=53-64|accessdate=2019-10-09 |ref={{SfnRef|デジタルアーカイブ福井|2009}} }}<!-- →{{r|:02}} -->


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2019年10月17日 (木) 01:54時点における版

地形としての風穴(ふうけつ、かざあな)とは、洞窟の内外で生じる気温差や気圧差によりの流れが生じ、洞口(洞窟の開口部、出入り口)を通じて体感的に速い大気循環がある洞窟の一形態である。英語では "wind cave日本語音写例:ウインド ケイブ、ウィンド ケイヴ)" という。

名称

風穴は「ふうけつ」や「かざあな」などと読んだりするが、どちらでも間違いではない。近世頃までは一般的に「かざあな」と呼ばれていたが、明治時代に入ると蚕種貯蔵風穴が全国各地に多数造られ、「ふうけつ」の語が広く定着した。ただ、地域によっては明治時代以降も「かざあな」を使っている地名もある。地域によっては伝聞などから「かざあな」と「ふうけつ」を形状や用途の違いで区別している場合もあるが、全国的に見れば統一的に定義づけて区別することは適切ではない[1]

地理学者漆原和子が編纂した『カルスト─その環境と人びととのかかわり』(1996年刊)は「人の入ることのできない小規模のものを『かざあな』、洞穴となっているものを『ふうけつ』とも区分する」としているが[2]、根拠不明で、おそらくある限られた地域での伝聞と思われる。実際、日本屈指の大洞窟でもある河内風穴の読みとして「かわちふうけつ」と「かわちのかざあな」があるように、この定義にあてはまらない例が全国各地に数多く存在する[1]

概要

風穴は比較的新しい時代の火山岩溶岩台地、等)が広がる地域に見られる。このタイプの世界の大規模な風穴としては、ウインドケーブ国立公園の洞穴(アメリカ合衆国サウスダコタ州)がある。日本では富士山麓周辺に多く存在し、著名なものとして万野風穴富岳風穴がある。石灰岩カルスト地形、等)の鍾乳洞が原因の風穴もあり、これは秋芳洞グヌン・ムル国立公園のウィンドケイブ(東南アジアボルネオ島北部)があげられる。開口節理(割れ目が開いたもの)は大雪山周辺などにも風穴は多く認められ、凍結・融解によって岩が割れる現象などにより風穴は発生する。ここでは、風穴に起因する永久凍土の報告がある。

また、地中の空洞が、高低差のある複数の開口部で地表と結ばれている場合にも風穴現象が起きやすい。冬場、空洞内で比重が軽い温かく空気が上方の温風穴から吹き出し、その分、冷たい外気が下方の冷風穴から吸い込まれる。日光が射さない空洞内の空気と岩盤は温度が上がりにくいため、になっても冷気が漏れ出る仕組みである。自然の洞窟だけでなく、金沢城石垣のような人工空洞でも起きる[3]

実際には日本の風穴は、溶岩トンネルによる風穴は、富士山山麓や秋田駒ヶ岳寒風山鳥海山の猿穴、北八ヶ岳神鍋山雲仙岳などのごく一部で指摘されているにすぎない。日本の風穴の大半は、崖錐が崩落した岩屑や、岩塊斜面などの堆積物の隙間からできているものがほとんどである。清水長正・澤田結基 編『日本の風穴』(2015年刊)ではこれを「崖錐型風穴」と名付けている[4]

夏期に下方で冷風が吹き出す「冷風穴」がある一方、冬期には「冷風穴」が風の吸い込み口になり、山の上方で煙突のように温風が吹き出すことがある。これを「温風穴」という。冬期には冷風穴から冷えた外気が吸い込まれ、冷風穴に近い風穴内の岩石が著しく冷却される。その蓄熱によって春から夏までの岩石の低温が維持され、そのため冷風穴から冷たい風が吹き出すと考えられる[5]

風穴植物

風穴周辺には、風穴がつくる低温環境によって寒冷な植生帯に生育する植物が出現することがある。 風穴の植物が初めて記載されたのは牧野富太郎や、三好学による長走風穴によるものが最初で、そこでは標高200m程度のコナラミズナラの林の中にコケモモゴゼンタチバナオオタカネバラなどの高山から亜高山帯の植物群落が見られる。三好の調査により、1926年(昭和元年)には「長走風穴高山植物群落」として、富士山麓に次いで国の天然記念物に指定された。また、福島県の中山風穴では、オオタカネバラやアイズシモツケベニバナイチヤクソウなどからなる、やや規模が大きい植物群落があり、1964年(昭和39年)に「中山風穴地特殊植物群落」として国の天然記念物に指定されている。風穴植物が天然記念物になっているのはこの2件のみである。これらは、氷期の植物のレフュージア(待避地、退避地)[* 1]という見解もある[6]

利用

江戸時代中期にあたる宝永年間(1704-1711年間)、信濃国安曇郡稲核村(幕藩体制下の信州松本藩知行稲核村。現・長野県松本市安曇稲核)の稲核風穴では、風穴を利用した漬物小屋を作って漬物保存に利用していた。漬物は松本城主に献上されていたという[7]

開口部が大きく有名な風穴は、一部で観光名所になっている。日本では夏場でも付近が涼しいことから山地の住民に知られるようになった小さな風穴が全国に点在している。これらは野菜漬物などの保管用に加えて、明治時代養蚕に使うの卵の保存に使用された。風穴の上に建てられた「風穴小屋」は全国に少なくとも280カ所程度あった。風穴小屋は電気冷蔵庫が普及した大正中期以降、ほとんどは使われなくなったが、種子や酒などの保存用に再建・新設された例もある。風穴の研究者や愛好者が集まる全国サミットが開かれているほか、その研究成果をまとめた清水長正・澤田結基 編『日本の風穴』が2015年(平成27年)に刊行された[3]

荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡群馬県)は、ユネスコ世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成物件である。

富士山山麓の富岳風穴西湖蝙蝠穴駒門風穴などの溶岩トンネルは、古くから観光用の洞窟として著名である。 北海道の遠軽や然別火山群、寒風山、秋田県湯沢の三関風穴、群馬県の荒船風穴、兵庫県の神鍋山、隠岐の岩倉、長崎県の雲仙岳では風穴がジオサイトになっており、ユニークな自然の価値が認められている。秋田県の長走風穴や宮城県の材木岩風穴、佐賀県永野の風穴などは避暑のための公園として整備されている。新潟県の山伏山風穴浜松市鷲沢風穴、香川県の高鉢山風穴などは、キャンプ場近辺のクールスポットとして注目されている。また、現在も実用的な冷蔵倉庫として利用されている風穴が各地にある。稲核風穴や、津南町の見倉の風穴、山梨県早口町久田子風穴兵庫県神鍋山風穴などはいずれも集落近傍の風穴で、種や野菜、漬物や果実の貯蔵に利用されている。長野県長和町では、1992年(平成4年)に農山漁村活性化集出荷施設として、風穴を生かした天然冷蔵倉庫が新設され、特産の蕎麦の実を保存している。また、特に施設はないが、上高地岳沢の「天然クーラー」や双六岳登山ルートの蒲田川左俣林道沿いの「お助け風」、後方羊蹄山の比羅夫コース2合目の「風穴」などは、夏の登山シーズン中に登山者へ涼を供している[8]

養蚕業への利用の歴史

江戸時代までは、大半のの品種は春の孵化から6月末の産卵まで、1年に1度の飼育しかできなかった。当時はの芽吹きに合わせて卵を部屋の中で上下させたり、火鉢で暖めたり、冷たい所に置いたりして、慎重に温度管理を行い孵化の時期を桑の芽吹きに合わせて調節していた。長野県の南安曇地区では、江戸時代後期の文久年間(1861-1865年間)にはすでに風穴に蚕種を保存して孵化を遅らせる手法があったことが記録されている。幕末慶応2年(1866年)には、輸出したものの過剰になって日本に返されていた蚕種のうちの稲核風穴(前田風穴)に保存しておいた分を、大遅霜で蚕が大被害を受けた際に取り出して飼育してみたところ、一定量のを得ることができた。これが蚕種冷蔵の風穴利用の本格的な起源となったとされる。1878年(明治11年)には、風穴蚕種の製造が政府に許可され、風穴を利用した年間多回飼育が全国に広がっていった。しかし、風穴を利用した蚕種貯蔵は大正時代には減少し、1935年(昭和10年)にはほぼゼロになった。これは愛知県の小池弘三が1914年(大正3年)に開発した人工孵化技術が全国に普及していいたためであった。その技術というのは、蚕種を塩酸に浸し、越年状態に至った蚕種を強制的に孵化するというものである。また、風穴は一般的に交通の不便な山中にあることが多く、明治時代から冷蔵庫の利用が考えられていた。すでに1908年(明治41年)には冷蔵庫で保存した蚕種と、風穴で保存した蚕種に大きな違いが無いことが研究されていた[4]。なお、2011年(平成23年)3月11日東日本大震災が発生して東日本電力供給が極めて不安定な状況に陥った際には、電力会社輪番停電を実施したことで、養蚕業者は貴重な蚕の系統を電力に頼ることなく冷凍保存する必要に迫られ、前田風穴内での蚕種の保存が実施された[9]

風穴の一覧

世界には数多くの風穴がある。その中から特筆性が高いと思われるものを抜粋し、ここに記載する。ただし、日本国外に関しては情報が不足している。

日本国内

都道府県の記載順は ISO 3166-2:JP に準拠する。ここでいう所在地は一般的な洞口(観光用洞口)の所在地。

植物群落と併せて保存区域に指定されているのは、長走風穴中山風穴[10]

ここに挙げたもので、かつて蚕種貯蔵風穴として利用されていたのは、先駆たる稲核風穴を始め、三関風穴関口の風穴荒船風穴東谷風穴富岳風穴富士風穴入沢風穴村松の風穴小野の風穴古関風穴有穂風穴駒門風穴神鍋風穴河内風穴大成風穴群普賢岳 北の風穴である[10]。このうち、入沢風穴と神鍋風穴は現在も天然冷蔵庫として利用されている[10]

地形学者・清水長正は、日本国内で最も著名な風穴として、貞観4年(1864年)の青木ヶ原溶岩流下時に形成された溶岩トンネルが風穴となった[11]富岳風穴鳴沢氷穴富士風穴を挙げている[11]

北海道
東北地方
岩手県八幡平市天狗森国有林に所在。県指定天然記念物[13]
長走風穴風穴現象によってが立ち上っている。
岩手県下閉伊郡岩泉町(江戸時代における陸奥国閉伊郡内、幕藩体制下の奥州盛岡藩知行地内)に所在。
秋田県大館市長走(江戸時代における陸奥国秋田郡長走村、幕藩体制下の奥州久保田藩知行秋田郡長走村)に所在。国指定天然記念物(『長走風穴高山植物群落』名義)。
秋田県湯沢市関口糸倉山7-2(羽後国雄勝郡関口村、幕藩体制下の奥州久保田藩知行関口村および岩崎藩知行関口村)に所在。市指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
  • 皆瀬川の風穴[10] - 秋田県の皆瀬川上流域に所在。
  • 関口の風穴 - 秋田県の皆瀬川上流域に所在。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
  • ジャガラモガラ [15][10]
山形県天童市貫津(ぬくづ)(江戸時代における陸奥国村山郡貫津村、幕藩体制下の奥州館林藩知行貫津村)に所在。雨呼山(あまよばりやま)中腹の地下に開ける。県指定天然記念物
福島県南会津郡下郷町大字湯野上中山(江戸時代における陸奥国会津郡桜山村・中倉村、幕藩体制下の奥州会津藩知行桜山村・中倉村)に所在。国指定天然記念物(『中山風穴地特殊植物群落』名義)。
関東地方
群馬県甘楽郡下仁田町大字南野牧屋敷甲10690(江戸時代における上野国甘楽郡南西部)に所在。国指定史跡(『荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡』名義)。ユネスコ世界遺産富岡製糸場と絹産業遺産群」構成資産。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
群馬県吾妻郡中之条町栃窪(江戸時代における上野国吾妻郡栃窪村、幕藩体制下の上州御料栃窪村)に所在。国指定史跡(『荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡』名義)。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
中部地方
福井県大野市上庄(旧・大野郡上庄村荒島山[17])に所在した。
福井県丹生郡越前町小川(旧・丹生郡小川村)に所在した[17]。異説では越前町大畑(旧・丹生郡大畑村)に所在した[17]
福井県丹生郡越前町小川(旧・丹生郡小川村[17])に所在した。
富岳風穴の洞口を見下ろす。
山梨県南都留郡富士河口湖町西湖青木ケ原2068-1(江戸時代における甲斐国八代郡西湖村地先、幕藩体制下の甲州御料石和代官所西湖村地先)に所在。国指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
山梨県南都留郡富士河口湖町精進(江戸時代における甲斐国八代郡精進村、幕藩体制下の甲州御料市川代官所精進村)に所在。国指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
山梨県南都留郡鳴沢村(江戸時代における甲斐国都留郡成沢村・大嵐村、幕藩体制下の甲州御料石和代官所預成沢村・大嵐村)に所在。国指定天然記念物。
長野県上田市真田町傍陽(江戸時代における信濃国小県郡の上洗馬村か軽井沢村か曲尾村、幕藩体制下の信州上田藩知行の上洗馬村か軽井沢村か曲尾村)に所在[19]
長野県小諸市氷(江戸時代における信濃国佐久郡大久保村、幕藩体制下の信州小諸藩知行大久保村)に所在。
長野県佐久市入沢(江戸時代における信濃国佐久郡入沢村、幕藩体制下の信州田野口藩知行入沢村)に所在。市指定天然記念物。[20]
長野県小県郡青木村村松本山1372-8(江戸時代における信濃国小県郡村松郷、幕藩体制下の信州上田藩知行村松郷)に所在。村指定史跡。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
長野県松本市安曇稲核(江戸時代における信濃国安曇郡稲核村、幕藩体制下の信州松本藩知行稲核村)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
  • 小野の風穴 [10]
岐阜県高山市丹生川町小野(江戸時代における飛騨国大野郡小八賀郷小野村、幕藩体制下の御料飛騨郡代小野村)に所在。市指定天然記念物。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
岐阜県下呂市萩原町古関地内(江戸時代における飛騨国益田郡内)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
岐阜県郡上市八幡町有穂(江戸時代における美濃国郡上郡の小久須見村か歩岐村か在原村、幕藩体制下の濃州郡上藩知行の小久須見村か歩岐村か在原村)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
静岡県富士宮市外神2180(江戸時代における駿河国富士郡万野原、幕藩体制下の駿州御料万野原)に所在。国指定天然記念物。
静岡県御殿場市駒門69(江戸時代における駿河国富士郡内、幕藩体制下の駿州御料内)に所在。国指定天然記念物。
愛知県北設楽郡東栄町大字振草(江戸時代における三河国設楽郡古戸村、幕藩体制下の三州重原藩知行古戸村)に所在。
三重県いなべ市藤原町篠立(江戸時代における伊勢国員弁郡篠立村、勢州桑名藩知行篠立村)に所在。県指定天然記念物。鈴鹿山脈の東と西で河内風穴と繋がっているという言い伝え(口伝)がある。
近畿地方
ファイル:Kawachi-huketu.jpg
河内風穴/第1層にある大空間の高い位置から、洞内と観光洞洞口(外光が差し込む左上)を望む。
滋賀県犬上郡多賀町河内宮前(江戸時代における近江国犬上郡河内村、幕藩体制下の江州彦根藩知行河内村)に所在。霊仙山の地下に開ける。芹川上流域地下水系。現在調査された限りで、総延長距離において全国第4位の大洞窟。琵琶湖国定公園第2種特別地域。県指定天然記念物。「日本の重要湿地500」選定物件。かつての蚕種貯蔵風穴。
滋賀県犬上郡多賀町佐目(江戸時代における近江国犬上郡佐目村、幕藩体制下の江州彦根藩知行佐目村)に所在。犬上川上流域地下水系。
兵庫県豊岡市日高町栗栖野(江戸時代における但馬国城崎郡内)に所在。神鍋火山群の主峰たる神鍋山の地下に開ける。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
中国地方
島根県隠岐郡隠岐の島町布施地(江戸時代における隠岐国周吉郡布施村地先、幕藩体制下の隠州御料松江藩布施村地先)に所在。島の最高峰である大満寺山の東山腹下に開ける。大山隠岐国立公園特別地域。
秋芳洞の内部の一角。入口は秋芳洞の洞口で山口県美祢市秋芳町秋吉1237-245(江戸時代における長門国美祢郡秋吉村、幕藩体制下の長州山口藩知行秋吉村)に所在。国指定特別天然記念物秋吉台国定公園指定地域。
山口県萩市椿東越ケ浜[22](江戸時代における長門国阿武郡越ヶ浜浦、幕藩体制下の長州山口藩知行越ヶ浜浦)に所在。笠山山麓の明神池周辺の地下に開ける。
四国地方
香川県綾歌郡綾川町西分(江戸時代における讃岐国阿野郡西分村、幕藩体制下の讃州高松藩知行西分村)に所在。
  • 大成風穴群(おおなるふうけつぐん[10]
愛媛県上浮穴郡久万高原町大成(江戸時代における伊予国浮穴郡内)に所在。かつての蚕種貯蔵風穴[10]
九州地方

日本国外

ボルネオ島北中部(マレーシア領)ムル山域に所在。ディア・ケイブ、ラング・ケイブ、ウィンド・ケイブ、クリアウォーター・ケイブと連なる洞窟の一部分。

地形以外の風穴

かざあな

日本語では、「風の吹き通る穴や隙間、破れ穴など」を大和言葉で「かざあな」といい、漢字では「風穴」と書く。「かざあな」という音価をもつ日本語の、これが第1義か、もしくは最も基本的な語義の一つである[23]

また、「換気・通風のために壁などに開けた穴」も、同じように読み書きする[23]。この意の「かざあな(風穴)」は「風抜きの穴/風抜の穴(かざぬきのあな、かぜぬきのあな)[24][25][26]」「通風孔[27]」「通気孔[28]」「換気口[29]」などと呼び換えることができる[23]

加えて、隠喩(メタファー比喩表現の一種)として、に生まれたむなしさを「風(嬉しくない風)が吹き通る、かざあな」に譬えて「かざあな(風穴)」という。さらには、後述する「風穴を開ける」の転用として、「心に風穴が開く」とか、「心に開いた風穴」、「心にぽっかりと開いた穴をむなしい風が通り抜ける」などといった表現がある。

風穴を開ける

日本語では、刺突武器弾丸によって人の胴体()に開けられた穴を上述の意味での「かざあな(風穴)」に譬えたうえで、そのような穴を開けることを「風穴を開ける」という[30]。ここから転じて、殺しを想起させる脅し文句として昔から慣用されてきた表現に、「どてっぱらに風穴をあけてやる土手っ腹に風穴を開けてやる)」がある[30][31]。「土手っ腹」は「腹」「腹部」の侮蔑語である[31]

  • 古い用例として、江戸時代中期の天明3年(1783年)に刊行された洒落本『卯地臭意(うじしゅうい)』に[30]、「こいつらは横ぱらへかざ穴をあけて ふいごのかはりにしてやるべい[30](意訳:[さあ、おまえら、]こいつらの横っ腹〈= 脇腹〉に風穴を開けてふいご〉代わりに使ってやろうじゃねえか)」という一文が見られる。

また、より抽象的な用法として、古習、寡占市場、停滞あるいは膠着した状況など、柔軟性や流動性に乏しい閉塞した物事が、「新風(しんぷう)」に喩えられる別の新たな物事や状況の加わることで状態を打ち破られ、無効化されたり柔軟性や流動性のあるものへと変わる、そのような行いや働きを、「閉じていた空間が(何かの働きによって)開き、風の通りが良くなる」ことに譬えて「(△△が)○○に風穴を開ける」と表現する[30]

脚注

注釈

  1. ^ refugia(レフュージア、レフュジア、リフュージア) とは、ある生物群の環境上の避難場所。ここでは、氷期の気候変化の影響を受けずに昔のままの生物群が残存できている、その地域を指す。cf. en:Refugium (population biology)

出典

  1. ^ a b 清水・澤田 2015, p. 4.
  2. ^ 漆原 1996, p. 296.
  3. ^ a b 「清水長正:夏もひやひや風穴の不思議 ◇明治の養蚕支えた「天然の冷蔵庫」、全国に訪ねる◇」『日本経済新聞朝刊』日本経済新聞社、2017年6月15日。2019年10月4日閲覧。
  4. ^ a b 清水・澤田 2015, p. 5.
  5. ^ 清水・澤田 2015, p. 12.
  6. ^ 清水・澤田 2015, p. 13.
  7. ^ 清水・澤田 2015, p. 14.
  8. ^ 清水・澤田 2015, pp. 18–19.
  9. ^ 清水・澤田 2015, pp. 42–50.
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq 清水・山本 2013
  11. ^ a b 清水 2004, p. 139.
  12. ^ 清水 2004, pp. 126, 130, 134.
  13. ^ 清水 2004, p. 134.
  14. ^ 清水 2004, p. 126.
  15. ^ 清水 2004, pp. 123, 128, 134–136.
  16. ^ a b 清水 2004, pp. 128, 137.
  17. ^ a b c d e f g デジタルアーカイブ福井 2009
  18. ^ a b 清水 2004, pp. 128, 139.
  19. ^ 『信濃毎日新聞』2013年9月22日号 [要ページ番号]
  20. ^ http://www.82bunka.or.jp/bunkazai/result.phpkword_txt=&map=1&bunkazai_area_01=20000&bunkazai_area_02=20217 [リンク切れ]
  21. ^ 清水 2004, pp. 128, 137–139.
  22. ^ 清水 2004, p. 128.
  23. ^ a b c 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂大辞林』第3版、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “風穴”. コトバンク. 2019年10月4日閲覧。
  24. ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “風穴”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
  25. ^ 風抜き”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
  26. ^ 風抜”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
  27. ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “通風孔”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
  28. ^ 通気孔”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
  29. ^ 三省堂『大辞林』第3版. “換気口”. コトバンク. 2019年10月9日閲覧。
  30. ^ a b c d e 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂『大辞林』第3版、小学館『精選版 日本国語大辞典』. “風穴を開ける”. コトバンク. 2019年10月4日閲覧。
  31. ^ a b 土手っ腹”. コトバンク. 2019年10月10日閲覧。

参考文献

  • 清水長正・澤田結基 編 編『日本の風穴─冷涼のしくみと産業・観光への活用』古今書院、2015年10月30日。ISBN 978-4-7722-6116-6 
  • 漆原和子編 編『カルスト―その環境と人びとのかかわり』大明堂、1996年3月28日。ISBN 978-4-470-60014-4 

関連項目

外部リンク