「ロックの殿堂」の版間の差分
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{{翻訳直後|1=[[:en:Rock and Roll Hall of Fame]]15:35, 4 June 2020 UTC|date=2020年6月}} |
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{{出典の明記|date=2016年7月8日 (金) 20:14 (UTC)}} |
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{{Infobox museum |
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[[ファイル:Rock-and-roll-hall-of-fame-sunset.jpg|300px|thumb|夕暮れ時のロックの殿堂。]] |
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| name = ロックンロールの殿堂<br />Rock and Roll Hall of Fame |
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'''ロックの殿堂'''(ロックのでんどう、''The Rock and Roll Hall of Fame and Museum'')は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド市]]にある[[博物館]]である。 |
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| image = [[File:Rock and Roll Hall of Fame, May 2016.jpg|300px]] |
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| caption = ロックンロールの殿堂博物館(2016年) |
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{{Infobox mapframe|zoom=13|type=point|frame-width=300}} |
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| coordinates = {{coord|41|30|31|N|81|41|44|W|region:US-OH_type:landmark|display=inline,title}} |
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| mapframe-width= 250 |
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| mapframe-marker-color= #DD2126 |
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| established = {{start date and age|1983|4|20}} |
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| location = [[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]][[クリーブランド]]1100 Rock and Roll Boulevard<!-- <br /><small>(East 9th Street at Lake Erie)</small>--><br />[[ZIPコード]]44114 |
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| visitors = 543,000人 (2016年)<ref>{{cite web|date=2016|title=2015-16 Annual Report|url=https://www.rockhall.com/file/3576/download?token=DzkG2Z7k|work=RockHall.com|publisher=Rock & Roll Hall of Fame and Museum, Inc|accessdate=February 27, 2019|page=14|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190227154435/https://www.rockhall.com/file/3576/download?token=DzkG2Z7k|archivedate=February 27, 2019}}</ref> |
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| president= Greg Harris |
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| publictransit = 東9番ノース・コースト駅(East 9th-North Coast station) |
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| website = {{URL|rockhall.com}} |
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'''ロックンロールの殿堂'''(ロックンロールのでんどう、{{lang-en-short|Rock and Roll Hall of Fame, RRHOF}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[オハイオ州]][[クリーブランド]]に位置する[[博物館]]で、[[ロックンロール]]の歴史やその発展に影響を与えたアーティスト、プロデューサー、エンジニアなどの著名人を展示記録している、[[エリー湖]]畔にある施設である。 |
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== 概要 == |
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[[ロック (音楽)|ロック]]([[ロックンロール]])に大きな影響や功績を残したミュージシャンやプロデューサーなどの記録が展示、保存されている。対象となるのはデビューしてから25年以上のミュージシャンである。なお、故人であっても構わない。 |
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運営を行うロックンロールの殿堂財団は、[[アトランティック・レコード]]の創始者で当時会長だった[[アーメット・アーティガン]]によって1983年4月20日に創設された。<!-- 候補都市を長期調査した末、-->クリーブランド市は1986年にこの殿堂の恒久本拠地として選ばれた。建築家[[I・M・ペイ]]が現在の博物館を設計し、1995年9月1日に開館した。 |
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ロックへ与えた影響を称える賞であるため、受賞者が必ずしもロックンローラー・ロックバンドであるとは限らない(例:[[マーヴィン・ゲイ]]など)。また、基本的には[[アメリカ合衆国]]のミュージシャンが中心となっている。 |
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以前、日本では「ロックの殿堂」が[[ハリウッド]]にある[[ロック・ウォーク]]を指していたことがあり{{Refnest|group="注釈"|2007年に日本の[[B'z]]が殿堂入りしたのがロック・ウォーク。これを当時の[[オリコン]]が「ロックの殿堂」と報じている<ref>オリコン「[https://www.oricon.co.jp/news/49808/full/ B'z、ハリウッドでロック殿堂入り]」2007年11月20日。</ref>。}}、両者の混同を避けるため、本項ではクリーブランドにある施設を「ロックンロールの殿堂」と忠実に表記する。 |
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==ロックンロールの殿堂財団== |
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ロックンロールの殿堂財団は1983年にアーメット・アーティガンによって創設され、彼は『[[ローリング・ストーン]]』編集者兼発行人の[[ヤン・S・ウェナー]]と数名のレコード業界幹部([[セイモア・スタイン]]、[[ボブ・クラスノウ]]、ノリーン・ウッズ)および弁護士数名<!-- Allen Grubman とSuzan Evans-->からなるチームを編成した。1986年にこの財団がアーティストの殿堂入りに着手するが、その殿堂にはまだ拠点が無かった。調査委員会は、[[フィラデルフィア]]<!-- (ビルヘイリーとアメリカンバンドスタンドの本拠地)-->、[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]<!-- (サンスタジオとスタックスレコードの本拠地)-->、[[デトロイト]]<!-- (モータウンレコードの本拠地)-->、[[シンシナティ]]<!-- (キングレコードの本拠地)-->、[[ニューヨーク]]、およびクリーブランドを含む幾つかの都市を検討した<ref name="Tribune 86">{{cite news|author=Swindell, Howard|date=May 8, 1986|title=Rock 'N' Roll Finds Home in Cleveland|url=https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1986-05-06-8602010888-story.html|newspaper=[[Chicago Tribune]]|accessdate=February 17, 2019|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190217082953/https://www.chicagotribune.com/news/ct-xpm-1986-05-06-8602010888-story.html|archivedate=February 17, 2019}}</ref>。 |
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クリーブランドは同博物館の誘致活動を展開して、市民団体のリーダー達が建設基金として公金6500万ドルを約束したり、地元局DJの[[アラン・フリード]]が「'''[[ロックンロール]]'''」を造語してこの新ジャンルを大幅に推進させたことを挙げたり、クリーブランドが最初の大きなロックコンサート{{enlink|Moondog Coronation Ball}}の場所になったことを引き合いに出したりもした。なお、フリードは1986年に殿堂入りした最初の殿堂メンバーである<ref>{{cite web|date=April 8, 2016|title=A Look Back at the First Rock and Roll Hall of Fame Induction Ceremony in 1986|url=https://www.wksu.org/post/look-back-first-rock-and-roll-hall-fame-induction-ceremony-1986#stream/0|work=WKSU.org|publisher=[[WKSU]]|accessdate=February 17, 2019|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160409120552/https://www.wksu.org/post/look-back-first-rock-and-roll-hall-fame-induction-ceremony-1986#stream/0|archivedate=April 9, 2016}}</ref>。さらにクリーブランドは、最初の米国ツアーをこの都市で始めた[[デヴィッド・ボウイ]]や、<!-- [[ブルース・スプリングスティーン]]、[[ロキシー・ミュージック]]、[[ラッシュ (カナダのバンド)]]ほか多くを含め、-->1970年代と1980年代にアメリカで幾つかの主要曲を大ヒットさせる上で重要な役割を果たしたラジオ局[[WMMS]]を引き合いに出した<ref>{{cite web|url=http://rockhall.com/exhibits/wmms--a-cleveland-legend-turns-40/|title=Exhibits|website=Rockhall.com|access-date=August 23, 2018}}</ref>。 |
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クリーブランドの財界首脳やメディア企業がオハイオ州<!-- 北東部の-->住民60万人による署名の支持を掲げる嘆願書をまとめ上げ、1986年に『USA Today』誌でどこに殿堂を設置すべきかを尋ねた集計では、クリーブランドが1位になった。1986年5月5日、殿堂財団はロックンロールの殿堂博物館の恒久的な本拠地としてクリーブランドを選んだ。<!--著述家の[[ピーター・グラルニック]]は2016年のインタビューで、殿堂はメンフィスに置かれるべきだったと語った<ref>Peter Guralnick (author of ''Sam Phillips: The Man Who Invented Rock 'n' Roll''), an interview, "Bostonia," Winter-Spring 2016, pp. 52-54.</ref>。出典付きだが蛇足説明なので保留。-->なお、クリーブランドは市が最高の融資提案を出したために運営場所として選択された可能性がある。現地[[プレーン・ディーラー]]紙の音楽評論家マイケル・ノーマンは「それは6500万ドルだった。[中略]クリーブランドはこの地にそれを望んでお金を出した」と述べている{{要出典|date=2020年6月}}。 |
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殿堂博物館の建設場所に関する初期の議論で、財団理事会はクリーブランドの繁華街でカヤホガ川沿岸を想定していた。最終的に選ばれた場所は、エリー湖を臨む東9番通り(East Ninth Street)沿い、[[クリーブランド・スタジアム]]の東となった。資金調達にズレが生じた計画段階のある時、<!--プランナーは-->当時の空きビル(May Company Building)にロックンロールの殿堂を置く提案もあったが、最終的に建築家[[I・M・ペイ]]に新しい建物の設計を依頼することに決まった。最初のCEOである[[ラリー・R・トンプソン]]博士がこの<!--場所での-->設計でI・M・ペイを手助けした。ペイが、ガラスの[[ピラミッド]]とそこから突き出た塔のアイデアを思い付いた。博物館の塔はもともと高さ200フィート(61m)になる予定であったが、[[クリーブランド・バーク・レイクフロント空港|バークレイク・フロント空港]]に近いため高さを49mに下げなければならなくなった。建物の基礎は約14,000m<sup>2</sup>である。 |
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==殿堂博物館の建物== |
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1993年6月7日に行われた起工式には、[[ピート・タウンゼンド]]、[[チャック・ベリー]]、[[ビリー・ジョエル]]、[[サム・フィリップス]]、[[ルース・ブラウン]]、<!--[[サム・アンド・デイブ]]の-->[[サム・ムーア]]、[[ザ・コースターズ|カール・ガードナー]]、[[ソウル・アサイラム|デイブ・ピアナー]]らが姿を見せた<ref name="HOF Timeline">{{cite web|author=|title=Rock and Roll Hall of Fame and Museum Timeline: 1995-2010|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2010/08/rock_and_roll_hall_of_fame_and_3.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|access-date=March 1, 2013}}</ref>。 |
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博物館は1995年9月1日に竣工し、[[テープカット]]は1万人以上の観衆の前で[[オノ・ヨーコ]]や[[リトル・リチャード]]らによって行われた。その翌晩にクリーブランド・スタジアムではオールスターコンサートが開催され<ref>{{cite web |last1=Norman |first1=Michael |title=A firsthand account of the 1995 'Concert for the Hall of Fame,' with complete setlist |url=https://www.cleveland.com/entertainment/2015/09/a_firsthand_account_of_the_199.html |website=cleveland.com |accessdate=June 11, 2019}}</ref> 、起工式にも出席したチャック・ベリーや、[[ボブ・ディラン]]、[[アル・グリーン]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]、[[アレサ・フランクリン]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]、[[イギー・ポップ]]、[[ジョン・フォガティ]]、[[ジョン・メレンキャンプ]]、その他大勢が出演した<ref name="HOF Timeline"/>。 |
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殿堂入り達成者(inductee)に加えて、同博物館は殿堂入り状況に関係なくロックンロールの歴史全体を記録している。殿堂入り達成者はエリー湖に突き出た位置にある特別展示場で表彰される<ref name="HOF Timeline"/>。 |
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1986年以来、ロックンロールの殿堂は新しい殿堂達成者を選出している。正式な殿堂入りの式典はニューヨーク市で26回<!-- (1986-92, 1994-96, 1998-2008, 2010-11, 2014, 2016, 2017)-->開催されたほか、ロサンゼルスで2回<!-- (1993, 2013)-->、 クリーブランドの殿堂で5回<!-- (1997, 2009, 2012, 2015, 2018)-->行われている。2018年現在、殿堂入りの式典はニューヨークとクリーブランドとで毎年交代開催となっている<ref>{{cite web|author=Grzegorek, Vince|date=April 8, 2016|title=Rock Hall President: Induction to Take Place in Cleveland Every Other Year Beginning in 2018|url=http://clevescene.com/scene-and-heard/archives/2016/04/08/rock-hall-president-induction-to-take-place-in-cleveland-every-other-year-beginning-in-2018|work=CleveScene.com|publisher=[[Cleveland Scene]]|accessdate=April 6, 2016}}</ref>。 |
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2009年と2012年の殿堂入り週間は、クリーブランド市、オハイオ州、ロックンロールの殿堂、地元の財団、企業、市民団体、個人間の[[官民連携]]によって可能となった。これら団体が2009年に580万ドル、2012年に790万ドルを投じて、無料コンサート、ゴスペルの祝福、展示会のオープニング、博物館への無料入場、公会堂での殿堂入り式典を含む1週間のイベントを成し遂げた<ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Rock and Roll Hall of Fame and Museum is going strong, 15 years after opening|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2010/08/rock_and_roll_hall_of_fame_and_4.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。 |
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数百万人がこのクリーブランドでの殿堂入りテレビ放送を視聴し、数万人がこのイベントに参加するため殿堂入り週間にオハイオ州へやって来た。2009年の殿堂入り週間イベントによる経済的影響は1300万ドルを超え、加えてこの地域に2000万ドル相当のメディア露出をもたらした。2012年の殿堂入り週間でも同様の結果が得られた<ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Rock and Roll Hall of Fame inductions, done 'the Cleveland way,' are a hit|url=http://www.cleveland.com/rockhall/index.ssf/2012/04/rock_and_roll_hall_of_fame_ind_17.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。 |
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=== 各階 === |
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{{wide image|North Coast.jpg|550px|ロックンロールの殿堂(左)はエリー湖のほとりに鎮座し、<!--クリーブランドの北岸港にある-->五大湖科学センター{{enlink|Great Lakes Science Center}}がその隣(右)にある。|350px|right}} |
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この建物は7階建てである。地下1階には博物館のメインギャラリーであるアーメット・アーティガン展示ホールがある。ここにはロックンロールのルーツ([[ゴスペル (音楽)|ゴスペル]]、[[ブルース]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]、[[フォークソング|フォーク]]、[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[ブルーグラス]])の展示がある。また、ロックンロールに大きな影響を与えた都市(メンフィス、デトロイト、ロンドン、リバプール、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、シアトルなど)の展示も行っている。他にも[[ソウルミュージック]]、[[オールディーズ|1950年代の楽曲]]、[[サン・レコード]]、[[ヒップホップ・ミュージック|ヒップホップ]]、クリーブランドにおけるロックンロールの遺産、中西部の音楽、ロックンロール・ラジオとDJ、ロックンロールに対する多くの抗議に関する展示がある。またこのギャラリーには、[[ビートルズ]]、[[ローリング・ストーンズ]]、[[ジミ・ヘンドリックス]]など個々のアーティストに焦点を当てた展示もある。最後に、アーメット・アーティガン展示ホールには『[[アメリカン・バンドスタンド]]』など様々な題材の映画を上映する劇場がある<ref>{{cite web|author=|title=A look inside the redesign of the Rock and Roll Hall of Fame and Museum: Interactive Graphic|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2012/03/a_look_inside_the_redesign_of.html|work=[[The Plain Dealer]]|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。 |
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博物館の1階が入口フロアである。そこにはカフェと、年間を通じて様々な特別演奏や特別イベントに使用されるステージ、そして「舞台裏の話(Backstage Stories)」という区画がある。2階には、[[一発屋]]の演目とロックンロールを形成した曲を特集した双方向展示の[[キオスク]]が幾つかある。このフロアには、[[レスポール]]、[[アラン・フリード]]、[[サム・フィリップス]]、およびオーディオ技術の進化に関する人工的遺産が沢山ある展示ギャラリーもある<ref>{{cite web|last=Swank|first=Niki|title=Rock & Roll Hall of Fame: the heart of rock and roll|url=http://www.bxmagazine.com/article.asp?ID=1274|work=Builders Exchange Magazine|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。 |
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<!-- 訪問者が入る-->3階には博物館の殿堂セクションがある。この区画にあるのが[[ジョナサン・デミ]]の遺作<!-- の一つ-->を含む『The Power of Rock Experience』で、この映画はコナー劇場(Connor Theater)で上映されており、殿堂入り式典の<!-- ミュージカル的な-->ハイライトが幾つか入っている<ref>{{cite web|last=Smith|first=Troy L. |title=Rock Hall premieres its spellbinding 'The Power of Rock Experience'|url=http://www.cleveland.com/entertainment/index.ssf/2017/06/the_power_of_rock_experience_g.html |website=[[Cleveland.com]]|accessdate=September 10, 2017|date=June 29, 2017}}</ref>。4階は殿堂セクションの出口で、このフロアは最先端の[[立体映画|3Dシアター]]で特別なイベントや演目に使用されるフォスター劇場(Foster Theater)が特徴である<ref>{{cite web|last=McGregor|first=Ellen|title=First Major redesign of the Rock and Roll Hall of Fame and Museum nears completion|url=http://www.newsnet5.com/dpp/news/local_news/cleveland_metro/first-major-redesign-of-the-rock-and-roll-hall-of-fame-and-museum-nears-completion|publisher= [[Scripps Media]]/[[News Net 5]]/ABC News (Cleveland)|accessdate=March 4, 2013|date=June 8, 2011 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150223062710/http://www.newsnet5.com/news/local-news/cleveland-metro/first-major-redesign-of-the-rock-and-roll-hall-of-fame-and-museum-nears-completion | archivedate=February 23, 2015 |deadurl=yes}}</ref><ref>{{cite web|author=|title=Redesigned Rock Hall opens exhibit on The Beatles|url=http://www.nbcnews.com/id/43326599/ns/travel-destination_travel/#.UTS1mKVBCME|work=Article|publisher=NBC News/AP|accessdate=March 4, 2013}}</ref>。 |
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最後に、殿堂の最上階2フロアは巨大な仮設展示室である。長年にわたってこの2フロアでは、[[エルビス・プレスリー]]、[[シュプリームス]]、[[ザ・フー]]、[[U2]]、[[ジョン・レノン]]、[[ザ・クラッシュ]]、[[グレイトフル・デッド]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]、[[ローリングストーンズ]]など多数の展示が設置されている。 |
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この殿堂で演奏したクリーブランド地域のミュージシャンやバンドとしては、1995年の殿堂開業時に[[プリテンダーズ]](アクロン出身の[[クリッシー・ハインド]]が在籍<!--で「[[My City Was Gone]]」を演奏-->)、2001年の[[ジェイムス・ギャング]]([[ジョー・ウォルシュ]]在籍)と[[フー・ファイターズ]](ウォーレン生まれの[[デイヴ・グロール]]在籍)、2007年の[[ヴェルヴェット・リヴォルヴァー]]([[スコット・ウェイランド]]がクリーブランドに一時在住)、2009年の[[ラズベリーズ]]と[[ボビー・ウーマック]]、2014年に[[マシン・ガン・ケリー]]がいる<ref>{{cite web|url=https://www.setlist.fm/search?query=Pretenders+Hall+of+Fame|title=Search for setlists: Pretenders Hall of Fame|website=Setlist.fm|accessdate=April 26, 2019}}</ref>。 |
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=== 建築 === |
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[[File:Rock and Roll Hall of Fame.jpg|thumb|ロックンロールの殿堂。手前に見えるのがエリー湖]] |
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[[I・M・ペイ]]によって設計され、Leslie E. Robertson Associatesによって構造設計された建物は、エリー湖畔にそびえ立っている。 幾何学的形状と[[カンチレバー]]になった空間の組み合わせで、高さ49mの塔によって固定されている。この塔はメイン入口の[[ファサード]]がある6039m<sup>2</sup>の広場に(その基礎が)伸びて、二重になった三角錐のガラス製「テント」を支えている。 |
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この建物には、5100m<sup>2</sup>を超える展示スペースのほか、管理事務所、店舗、カフェがある。 |
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「この建物の設計に込められている私の意図は、ロックンロールのエネルギーを反映することでした。大胆で斬新な建築用語を私は意図的に取り入れました。あとはこの建物がクリーブランド市の[[ランドマーク]]となり、かつ世界中のロックンロールファンにとって劇的なランドマークになることを願っています」<ref>{{cite web|author=|title=The House That Steel Built: A Showcase of Interesting and Aesthetic Projects|url=http://www.lera.com/files/rock%26roll_AISC.pdf|work=Business Literature|publisher=American Institute of Steel Construction|accessdate=March 4, 2013|archive-url=https://web.archive.org/web/20130615041331/http://www.lera.com/files/rock%26roll_AISC.pdf|archive-date=June 15, 2013|dead-url=yes}}</ref>とペイは語っている。 |
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=== ニューヨーク市別館 === |
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[[File:Rock-roll-annex-76-Mercer.jpg|thumb|upright|[[ソーホー (ニューヨーク)]]<!-- の[[マーサー・ストリート]]-->にあった博物館のニューヨーク市別館(2008-2010)]] |
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<!--2006年、RRHOF はニューヨーク市に博物館の支店を作るため娯楽制作企業3社と提携した。-->2008年11月18日、ロックンロールの殿堂ニューヨーク市別館がマンハッタンの[[ソーホー (ニューヨーク)|ソーホー]]地区で開業した<ref name="Sisario">{{Cite news |last=Sisario |first=Ben |date=November 20, 2008 |title=A Piece of Cleveland with a New York Accent |url=https://www.nytimes.com/2008/11/21/arts/music/21rock.html |newspaper=The New York Times |location= |page=C5 }}</ref>。[[ブロードウェイ]]のすぐ傍の[[マーサー・ストリート]]76番地にあった別館は、2322m<sup>2</sup>の地下空間を占めていた<ref name="Sisario"/>。博物館別館はクリーブランドの母体と概ね同じ方法で運営されており、目玉として[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]が『[[プリンス/パープル・レイン]]』で着たコート、[[デヴィッド・バーン]]が『[[ストップ・メイキング・センス]]』で着た大きなスーツ、[[エルビス・プレスリー]]のライダースジャケットや彼の聖書などの原型展示物が陳列されていた<ref name="Sisario"/> 。ただし、別館は最初からニューヨーク地域に明確に焦点を合わせており、何十年間ものバンドステッカーが厚く積み重ねられた[[CBGB]]の電話ボックス、ブルース・スプリングスティーン所有の1957年型[[シボレー]]、市内のミュージシャンのため取り置いてある特別ギャラリー、ロック史における名所を強調するマンハッタンの入り組んだ約8m縮尺モデルなど、巨大展示物用の空間も十分にとっていた<ref name="Sisario"/>。 |
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ヤン・ウェンナーが別館理事会の会長を務めた<ref name="Soeder">{{Cite web |url=https://www.cleveland.com/popmusic/2008/12/jann_wenner_says_remarks_about_1.html |title=Jann Wenner says remarks about wishing Rock Hall were in New York were 'misconstrued' |author=Soeder, John |date=December 5, 2008 |publisher= |website=[[Cleveland.com]] |accessdate=November 3, 2019 |archiveurl= |archivedate= |url-status= }}</ref>。開業した夜の祝宴で、軽率にも彼は「そもそも我々がそれ(殿堂博物館)をニューヨークにしなかったことが小さな悲しい出来事の1つです」と記者に語ってしまい、物議を醸してしまった<ref name="Soeder"/>。これは誤解されてしまったのだと語るウェンナーは、後に自分の発言を悔やんでいると吐露して「ロックンロールの殿堂博物館がクリーブランドにあることを私は間違いなく喜んでいます」と明言した<ref name="Soeder"/>。 |
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別館は2010年1月3日に閉鎖され、報道によるとその急な終了は[[世界金融危機 (2007年-2010年)|2007-2008年の世界金融危機]]とその後の都市観光業低迷が原因とされている<ref name="Durkin">{{Cite web |url=https://www.nydailynews.com/new-york/new-york-city-rock-roll-hall-fame-annex-closes-doors-year-opening-article-1.457194 |title=New York City's Rock & Roll Hall of Fame Annex closes its doors just a year after opening |author=Durkin, Erin |date=January 3, 2010 |publisher= |website=[[Nydailynews.com]] |accessdate=2020-06-06|archiveurl= |archivedate= |url-status= }}</ref>。<!-- この博物館は、ジョン・レノンと彼がニューヨーク市にいた時代、という最終メイン展示をもって閉館した<ref name="Durkin"/>。--> |
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== 展示の歴史 == |
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1997年以来、ロックンロールの殿堂は数多くの期間限定展示を開催しており、それは博物館の最上階2フロアを占める大掛かりな展示から下階の主要展示ホールに設置されることが多い小さな展示まで、規模は様々である。 |
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1997年5月10日に開催された同博物館最初の大掛かりな展示は "I Want to Take You Higher:The Psychedelic Era,1965-1969(貴方を更なる高みへ連れていきたい:サイケデリックの時代、1965-1969年)"と称するものだった。これには、[[ジョン・レノン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[ジョン・セバスチャン]]、[[ジェファーソン・エアプレイン]]、[[ジャニス・ジョプリン]]など数多くのアーティストに由来する品々であったり、[[モントレー・ポップ・フェスティバル]]や[[ウッドストック・フェスティバル|ウッドストック]]に関連するものが含まれていた<ref>[http://edition.cnn.com/SHOWBIZ/9705/06/rock.hall.fame/index.html CNN - Rock-and-Roll Hall pays tribute to 'psychedelic' era - May 6, 1997]</ref>。 |
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この展示に続くのが、1998年8月8日から1999年9月5日まで開催された"Elvis is in the Building(エルヴィスはまだ建物にいる)"{{Refnest|group="注釈"|英語には"Elvis has left the building(エルヴィスは建物を去った)"つまり「楽しい時間はお終い」という慣用表現があり、<ref>稲垣 伸寿「[https://forbesjapan.com/articles/detail/27981 パリからロンドンへ、残された者の心模様を描く「アマンダと僕」]」、Forbes JAPAN、2019年6月23日。</ref>、これをもじった表題。}}である。この1年に及ぶ称賛展示は、1986年に初回殿堂入りを果たした「キング・オブ・ロックンロール」こと[[エルヴィス・プレスリー]]に捧げられた初めての展示だった。[[グレイスランド]]は、エルヴィスの生涯と伝説的な経歴にわたるこの特別な称賛展示のため、厳選した重要な代表的作品を提供した<ref>(see Larry G. Keeter, "Elvis Is In the Building," "Elvis International Forum," Summer 2000, pp. 28-29)</ref>。その次に、博物館は"Roots, Rhymes and Rage: The Hip-Hop Story"を展示公開した<ref>[http://www.mtv.com/news/972006/hip-hop-exhibit-features-run-dmc-tupac-shakur-artifacts/ Hip-Hop Exhibit Features Run-D.M.C., Tupac Shakur Artifacts - MTV]</ref>。これはヒップホップに焦点を当てた初めての大規模な展示で、1999年11月11日から2000年8月6日まで開催された。その後、ロックンロールとファッションに焦点を当てた展示"Rock Style"が行われた。これは[[バディ・ホリー]]から[[アリス・クーパー]]まで、[[レイ・チャールズ]]から[[デビッド・ボウイ]]まで、[[スモーキー・ロビンソン]]から[[スライ・ストーン]]までの衣装を特集したものだった。クリーブランドでの展示終了後に"Rock Style"は米国内にある他の博物館でも興行が行われた。 |
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その他の期間限定展示には、2000年10月20日から2003年1月1日まで開催された"Lennon:His Life and Work"などがある。<!-- これに続いて"In the Name of Love: Two Decades of U2"それから後に"Reflections: The Mary Wilson Supreme Legacy Collection"。-->2016年にクリーブランドで開催された、共和党の全国大会中に開催された大規模展示は"Louder than Words: Rock, Power, Politics(言葉よりも騒々しいもの:ロック、権力、政治活動)"だった<ref>{{cite web|last=Smith|first=Troy|title=Rock Hall announces 'Rock, Power and Politics' exhibit to coincide with Republican National Convention|url=http://www.cleveland.com/entertainment/index.ssf/2015/12/rock_halls_rock_power_and_poli.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=June 21, 2017}}</ref> <ref>[https://www.cleveland.com/entertainment/2019/08/rock-and-roll-hall-of-fames-rock-on-tv-exhibit-headed-to-chicago.html Rock and Roll Hall of Fame’s ‘Rock on TV’ exhibit headed to Chicago ? Cleveland.com]</ref>。 |
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<!-- 英語版には各展示の副題も記されているが、やや詳細過剰になるので割愛。--> |
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他にも大規模な期間限定展示として、[[ザ・クラッシュ]]、[[ドアーズ]]、[[ザ・フー]]、[[ブルース・スプリングスティーン]]に焦点を当てたものがあった。ロックンロールにおける女性の役割に焦点を当てた、テーマ限定の展示(Women Who Rock: Vision, Passion, Power)もあった。これらの展示の多くはクリーブランドで終了した後、他の博物館に移って展示が行われている。直近の2017年における同博物館の主な期間限定展示は『ローリングストーン』誌の歴史に関するものとなっている<ref>{{cite web|last=Smith|first=Troy|title=Rock Hall exhibit lays out Rolling Stone magazine's remarkable impact|url=http://www.cleveland.com/entertainment/index.ssf/2017/05/rock_halls_new_rolling_stone_e.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=June 21, 2017}}</ref>。 |
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ロックンロールの殿堂はまた、小さな期間限定展示も多く開催している。長年にわたるこちらの展示は、[[ワープド・ツアー|ヴァンズ・ワープド・ツアー]]、[[バングラデシュ難民救済コンサート]]{{Refnest|group="注釈"|ここでの出演者達の演奏を収録したライブアルバムが1972年[[グラミー賞]]の年間最優秀アルバム賞を獲得している。詳細は『[[バングラデシュ・コンサート]]』を参照。}}、[[ウッドストック・フェスティバル|ウッドストック]]の40周年および50周年、[[オースティン・シティ・リミッツ・ミュージック・フェスティバル|オースティン・シティ・リミッツ]]、[[モントレー・ポップ・フェスティバル]]、[[ロイ・オービソン]]、[[モータウン]]の50周年、[[トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ]]、[[マーティ・スチュアート]]、[[ポール・サイモン]]、[[グラハム・ナッシュ]]、[[ジョン・メレンキャンプ]]、[[ゲディー・リー]]などに焦点を当てている{{要出典|date=2020年4月}}。 |
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同博物館はロックンロールに関連する写真やアート作品の展示も行っている。この殿堂で作品が紹介された写真家の中には[[ジョージ・カリンスキー]]や[[リン・ゴールドスミス]]、[[リンダ・マッカートニー]]など<!-- 以下アルフレッド・ワートハイマー、トミー・エドワーズ、ケヴィン・メーザー、ジャネット・マコスカ、マイク・マッカートニー、ロバート・アルフォード、ジョージ・シュバは、日本での知名度を考慮して割愛。-->がいる。またこの博物館は[[フィリップ・バーク]]のアート作品をある期間限定展示で特集し、後の展示では[[ハーブ・リッツ]]を特集した<ref>[http://library.rockhall.com/exhibition_history]</ref>。 |
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=== 公開プログラム === |
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ロックンロールの殿堂博物館は、コンサート、インタビュー、講演、映画上映、その他ロックンロールの物語を伝えるイベントなど、数多くの公開プログラムを制作している。毎年2月、この博物館は[[アフリカ系アメリカ人]]がロックンロールの歴史で果たした重要な役割を伝えるコンサートや、映画上映、講演会を開催することで[[黒人歴史月間]]を祝っている<ref>{{cite web|last=Hake|first=A.|title=Rock Hall Announces Black History Month Events|url=http://downtown.woio.com/news/events/89102-rock-hall-announces-black-history-month-events|work=Article|publisher=WOIO/19 Action News|accessdate=March 2, 2013}}</ref>。1996年にこのプログラムが始まって以来、[[ロバート・ロックウッド・ジュニア]]、[[ザ・テンプテーションズ]]、[[チャールズ・ブラウン]]、[[ルース・ブラウン]]、[[オハイオ・プレイヤーズ]]、[[ロイド・プライス]]、[[リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ]]、[[アル・グリーン]]などのアーティストが黒人歴史月間に博物館に登場した 。 |
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別のプログラムには殿堂シリーズがある。このシリーズは1996年4月に始まり、殿堂入り達成者に対する滅多にない親密な環境でのインタビューを目玉としており、ほとんどの場合は同博物館のフォスター劇場で行われる。通常はインタビューに続いて聴衆との質疑応答が行われ、殿堂入り達成者による演奏パフォーマンスが行われることも多い。このシリーズに参加した殿堂入り達成者は、<!-- [[Run-D.M.C.]]の-->[[ダリル・マクダニエルズ]]、[[ロイド・プライス]]、[[マーサ・リーヴス]]、[[マーキー・ラモーン]]、[[シーモア・スタイン]]、<!-- [[ドアーズ]]の-->[[レイ・マンザレク]]、[[スプリームス|メアリー・ウィルソン]]、[[ロニー・スペクター]]、[[ブーツィー・コリンズ]]、<!--[[ハート (バンド)]] の-->[[アン・ウィルソン]]と[[ナンシー・ウィルソン (ロックミュージシャン)|ナンシー・ウィルソン]]、[[テンプテーションズ|デニス・エドワーズ]]、[[ジェファーソン・エアプレイン|ヨーマ・カウコネン]]などである。 |
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類似のプログラムに伝説シリーズがある。このプログラムと殿堂シリーズの唯一実際の違いは、殿堂入りしていないアーティストを特集していることにある。[[ジョイ・ディビジョン]]の[[ピーター・フック]]、[[ソルト・ン・ペパー]]の[[スピンデレラ]]、[[トミー・ジェームス]]、[[シャイ・ライツ]]などが、伝説シリーズに参加したアーティスト達の一部である。 |
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ロックンロールの殿堂博物館で最も評価の高いプログラムは、毎年恒例のアメリカ音楽マスターズ・シリーズである。同博物館は毎年、インタビュー、映画上映、そして多くの場合は特別展示を含めた1週間にわたる一連のプログラムで、殿堂入り達成者の1人をお祝いする。この祝典はクリーブランドの劇場で開催されるオールスター・コンサートで締めくくられる。このコンサートには殿堂入り達成者から直近のミュージシャンまで多彩なアーティストが混ざって参加する。アメリカ音楽マスターズ・シリーズは1996年に<!--"Hard Travelin ':The Life and Legacy of Pete Seeger"で-->始まった。それ以来、このプログラムは以下の殿堂入り達成者を称えている。[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ジミー・ロジャーズ]](1997)、[[ロバート・ジョンソン]](1998)、[[ルイ・ジョーダン]](1999)、[[マディ・ウォーターズ]](2000)、[[ベッシー・スミス]](2001)、[[ハンク・ウィリアムズ]](2002)、[[バディ・ホリー]](2003)、[[レッドベリー]](2004)、[[サム・クック]](2005)、[[ロイ・オービソン]](2006)、[[ジェリー・リー・ルイス]](2007)、[[レス・ポール]](2008)<ref>{{cite web|last=D.X.|first=Ferris|title=Slash, Billy Gibbons Jam for Les Paul at Rock Hall's American Music Master's Concert|url=https://www.rollingstone.com/music/news/slash-billy-gibbons-jam-for-les-paul-at-rock-halls-american-music-masters-concert-20081117|work=Article|publisher=Rolling Stone Magazine|accessdate=March 5, 2013}}</ref>、[[ジャニス・ジョプリン]](2009)<ref>{{cite web|last=DeMarco|first=Laura|title=Rock Hall to honor Janis Joplin in American Music Masters series|url=http://www.cleveland.com/music/index.ssf/2009/08/rock_hall_to_honor_janis_jopli.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 5, 2013}}</ref>、 [[ファッツ・ドミノ]]と [[デイヴ・バーソロミュー]](2010)、[[アレサ・フランクリン]](2011)<ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Aretha Franklin Honored in Rock and Roll Hall of Fame American Music Masters Tribute|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2011/11/aretha_franklin_honored_in_roc.html|work=Article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 2, 2013}}</ref>、[[チャック・ベリー]](2012)<ref>{{cite web|last=Doyle|first=Patrick|title=Chuck Berry Praises Obama, Laments Fading Health|url=https://www.rollingstone.com/music/news/chuck-berry-praises-obama-laments-fading-voice-20121027|work=Article|publisher=Rolling Stone Magazine|accessdate=March 2, 2013}}</ref>。[[エヴァリー・ブラザース]](2014)、そして[[ジョニー・キャッシュ]](2017)<ref name="rhonors">{{cite web |last1=Yarborough |first1=Chuck |title=Rock Hall Honors: Rock & Roll Hall of Fame reimagines Music Masters with the honoree as the star performer |url=https://www.cleveland.com/entertainment/2019/01/rock-hall-honors-rock-roll-hall-of-fame-reimagines-music-masters-with-the-honoree-is-the-star-performer.html |website=cleveland |accessdate=20 October 2019 |language=en |date=13 January 2019}}</ref>。2019年にコンサートシリーズの様式が一新されて、同イベントは「ロックホールの名誉者(Rock Hall Honors)」へと改名された<ref name="rhonors"/>。2019年9月、初回のロックホール名誉者コンサートには[[メイヴィス・ステイプルズ]]が登場し、クリーブランドで演奏が披露された<ref>{{cite web |last1=Yarborough |first1=Chuck |title=Rock Hall Honors celebrates Hall of Famer Mavis Staples in revamped Music Masters program |url=https://www.cleveland.com/entertainment/2019/08/rock-hall-honors-celebrates-hall-of-famer-mavis-staples-in-revamped-music-masters-program.html |website=cleveland |accessdate=20 October 2019 |language=en |date=1 August 2019}}</ref>。 |
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=== ロックンロールを形作った楽曲 === |
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殿堂博物館[[キュレーター]]のジェームズ・ヘンケは「博物館のキュレーター職員、多数のロック評論家、音楽の専門家」と共に順不同の「ロックンロールを形作った500曲」をリスト作成した<ref>{{cite web | url=http://www.infoplease.com/ipea/A0150472.html | title=500 Songs That Shaped Rock|website=Infoplease.com | accessdate=October 24, 2016}}</ref>。このリストは同博物館の常設展示の一部で、1995年の開館から博物館の一部として想定されたものだった<ref>{{cite web|url=http://www.artcom.com/Museums/nv/mr/44114-10.htm|title=Artcom Museums Tour: Rock and Roll Hall of Fame & Museum, Cleveland, OH - Moving Companies|website=Art.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。そこには1920年代から1990年代にかけて録音された楽曲が含まれている。このリストで最も古い楽曲は、1882年頃に書かれた「ウォーバッシュ・キャノンボール」{{Refnest|group="注釈"|[[ウォーバッシュ鉄道]]でシカゴ - デトロイト間を走っていたウォーバッシュ・キャノンボール列車を歌ったもの。詳細は英語版[[:en:Wabash Cannonball]]を参照。}}で、J・A・ロフの作とされている。しかし、それ以降160曲が追加されて、現在このリストは単に「ロックンロールを形作った楽曲」を指すものとなった。同リストの最新楽曲は、2006年にリリースされた[[ナールズ・バークレイ]]の「クレイジー」と[[マイ・ケミカル・ロマンス]]の「[[ウェルカム・トゥ・ザ・ブラック・パレード]]」である<ref name="655 Songs">{{cite web |url=http://rockhall.com/exhibits/one-hit-wonders-songs-that-shaped-rock-and-roll/ |title=Experience The Music: One Hit Wonders and The Songs That Shaped Rock and Roll |publisher=Rock & Roll Hall of Fame |archive-url=https://web.archive.org/web/20110628094517/http://rockhall.com/exhibits/one-hit-wonders-songs-that-shaped-rock-and-roll/ |archive-date=June 28, 2011 |access-date=January 6, 2017}}</ref>。 ビートルズとローリングストーンズは、660曲の楽曲リストでそれぞれ8曲と最も多く選ばれている。 |
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==== リスト入り4曲以上のアーティスト ==== |
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<!-- (翻訳による転記)著作権上の理由から、ここのリストの一部をコピーしないでください。リストを表示する場合は、外部リンクを使用してください。--> |
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* 8 [[ビートルズ]] |
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* 8 [[ローリング・ストーンズ]] |
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* 7 [[エルヴィス・プレスリー]] |
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* 5 [[ビーチボーイズ]] |
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* 5 [[チャック・ベリー]] |
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* 5 [[ボブ・ディラン]] |
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* 5 [[レッド・ツェッペリン]] |
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* 5 [[ブルース・スプリングスティーン]] |
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* 4 [[スティービー・ワンダー]] |
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* 4 [[デヴィッド・ボウイ]] |
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* 4 [[ジェームス・ブラウン]] |
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* 4 [[レイ・チャールズ]] |
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* 4 [[ドリフターズ (アメリカ)|ドリフターズ]] |
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* 4 [[アレサ・フランクリン]] |
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* 4 [[ジミ・ヘンドリックス]] |
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* 4 [[ロバート・ジョンソン]] |
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* 4 [[キンクス]] |
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* 4 [[ボブ・マーリー]] |
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* 4 {{仮リンク|ミラクルズ|en|The Miracles}} |
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* 4 [[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]] |
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* 4 [[マディウォーターズ]] |
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* 4 [[ザ・フー]] |
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* 4 [[U2]] |
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=== 25周年記念コンサート === |
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<!--{{Main|:en:25th Anniversary Rock and Roll Hall of Fame Concerts}}--> |
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ロックンロールの殿堂は25周年を、ニューヨークの[[マディソン・スクエア・ガーデン]]での2日にわたる連続コンサート(2009年10月29-30日)でお祝いした。この祝宴には様々なアーティストが登場し、上のリストからはU2、ブルース・スプリングスティーン&[[ブルース・スプリングスティーン#Eストリート・バンド|Eストリート・バンド]]、アレサ・フランクリン、スティービー・ワンダーが演奏を披露したほか、[[ジェリー・リー・ルイス]]、[[パティ・スミス]]、[[サイモン&ガーファンクル]]、[[ディオン (歌手)|ディオン・ディムッチ]]、[[メタリカ]]、[[ジェームス・テイラー]]、[[ボニー・レイット]]、[[ファーギー]]、[[ミック・ジャガー]]、[[ルー・リード]]、[[レイ・デイヴィス]]、[[オジー・オズボーン]]、[[ポール・サイモン]]、 [[ジェフ・ベック]]、[[バディ・ガイ]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]、[[リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ]]、[[クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング]]らが参加した。第一夜は、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドが特別ゲストの[[ジョン・フォガティ]]、[[ダーレン・ラヴ]]、[[トム・モレロ]]、[[サム・ムーア]]、[[ジャクソン・ブラウン]]、[[ピーター・ウルフ]]、[[ビリー・ジョエル]]と共に約6時間のコンサートを終えた<ref>{{cite web|url=http://www.nj.com/entertainment/music/index.ssf/2009/10/rock_and_roll_hall_of_fame_ann.html|title=Billy Joel is surprise guest at Rock and Roll Hall of Fame concert|work=NJ.com|accessdate=2020-06-06}}</ref><ref>{{cite web|author=Henry Ray Abrams |url=http://www.nj.com/entertainment/music/index.ssf/2009/10/jagger_springsteen_black_eyed.html |title=Jagger, Springsteen, Black Eyed Peas jam with U2 at rock hall concert |website=NJ.com |accessdate=June 12, 2011}}</ref><ref>{{cite web|author=Henry Ray Abrams |url=http://www.nj.com/entertainment/music/index.ssf/2009/11/songs_for_hbos_rock_and_roll_h.html |title=Songs for HBO's Rock and Roll Hall of Fame special announced |website=NJ.com |accessdate=June 12, 2011}}</ref>。 |
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== 殿堂入り達成者 == |
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[[File:Eric-Clapton 1975.jpg|thumbnail|200px|英国のギタリストでシンガーソングライターの[[エリック・クラプトン]]は唯一、ロックの殿堂入りを3度達成している]] |
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{{See also|ロックの殿堂入り受賞者の一覧}} |
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アーティスト達は、年1回の授賞式でロックンロールの殿堂入りを果たしていく。長年にわたり、式典の多くがニューヨーク市のホテル[[ウォルドルフ=アストリア]]で開催されてきた。 しかし、1993年1月12日に式典がロサンゼルスで開催され、2013年にも再び開催された。ロックの殿堂博物館開業から約1年半後の1997年5月6日、クリーブランドでこの式典が開催された。 2009年と2012年にも式典がクリーブランドに戻った。現行の計画は3年ごとに式典をクリーブランドで開催するよう求めている。 |
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一般的に殿堂入りする人数は、各年5名から10数名ほどである。実際のところ存命する殿堂入り達成者は全員が式典に出席しており、彼らは音楽的に影響を受けた(殿堂の)アーティストから殿堂入りの栄誉を授与される。授与者と殿堂入り達成者の両方が式典で講演し、そこでは殿堂入り達成者と授与者の双方による音楽演奏が披露されることも多い。 |
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1986年1月23日の初回で殿堂入りした人物には、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[ジェームズ・ブラウン]]、[[リトル・リチャード]]、[[ファッツ・ドミノ]]、[[レイ・チャールズ]]、[[チャック・ベリー]]、[[サム・クック]]、[[エヴァリー・ブラザーズ]]、[[バディ・ホリー]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]などがいた。 [[ロバート・ジョンソン]]、[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ジミー・ロジャース]]、[[ジミー・ヤンシー]]はアーリー・インフルエンス部門で、[[ジョン・ハモンド]]はライフタイム・アチーブメント賞で、[[アラン・フリード]]と[[サム・フィリップス]]は非演奏者部門でそれぞれ殿堂入りした。 |
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=== パフォーマー部門 === |
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ロックンロールの歴史家で構成される候補指名委員会は「パフォーマー」部門(歌手、ボーカルグループ、バンド、あらゆる種類の楽器奏者)の名前を選別し、その後世界中にいる約500人の専門家によって投票が行われる。投票に選ばれる人物には、学者、ジャーナリスト、プロデューサー、その他音楽業界功労者などが含まれる。アーティストは「最初のレコードがリリースされてから25年後」に殿堂入りを受ける資格を有する。選定基準には、ロックンロールの発展と永続に対するアーティストの貢献度(その影響や重要性)などが含まれる。[[認定投票]]が用いられ、最低50%の承認を条件として過半票を獲得した候補者が殿堂入りとなる。毎年約5-7人のパフォーマーが殿堂入りとなっている<!--投票者は候補者を複数選択できるため、5-7人の候補者がそれぞれ50%以上の票を得るのは不可能ではないとのこと。--><ref>{{cite web|url=http://rockhall.com/inductees/induction-process/|title=Induction Process|website=Rockhall.com|accessdate=August 23, 2018}}</ref>。 |
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リードボーカルが殿堂入りした時に除外して物議となったため、[[スモーキー・ロビンソン|ミラクルズ]]、[[ジェームス・ブラウン#1950年代(ミスター・ダイナマイト)|フェイマス・フレイムズ]]、[[ビル・ヘイリー#1952年_創造の瞬間|コメッツ]]、[[ジーン・ヴィンセント|ブルー・キャップズ]]、[[ハンク・バラード|ミッドナイターズ]]、[[バディ・ホリー#来歴|クリケッツ]]<!--いずれも日本語版には単独リンクが無いため、リードボーカルの記事(グループ名への言及あり)にリンクを貼った。-->の6グループが、2012年に特別委員会によってパフォーマー部門で追加殿堂入りとなった。候補指名委員会メンバーのテリー・スチュワートは「この件に関しては多くの議論がなされました」「リードボーカルが殿堂入り時にグループが含まれなかった理由については毎回話し合いがなされました。実に正直なところ、本当に誰もその質問に答えることができませんでした、もうずっと昔の話です。[中略]私たちは組織としてそれを座視することにしました。これがその結果です」<ref>{{cite web|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2012/02/crickets_famous_flames_comets.html|title=Crickets, Famous Flames, Comets, Miracles, Midnighters and Blue Caps added to Rock Hall induction ceremony|author=Soeder, John|work=[[The Plain Dealer]]|date=February 9, 2012|accessdate=February 26, 2012}}</ref>と語った。 |
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=== アーリー・インフルエンス部門 === |
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アーリー・インフルエンスには、主に[[カントリー・ミュージック|カントリー]]、[[フォークソング|フォーク]]、[[ジャズ]]、[[ブルース]]など、ロックンロールのアーティストに着想や影響を与えた、より昔の時代のアーティストが該当する。この部門で殿堂入りした著名なアーティストには[[インク・スポッツ|ビル・ケニー&ジ・インク・スポッツ]]、カントリー奏者の[[ジミー・ロジャーズ (カントリー歌手)|ジミー・ロジャース]]と[[ハンク・ウィリアムズ]]、ブルース奏者の[[ハウリン・ウルフ]]と[[マディ・ウォーターズ]]、ジャズ奏者の[[ジェリー・ロール・モートン]]と[[ルイ・アームストロング]]などがいる。2000年の[[ナット・キング・コール]]と[[ビリー・ホリデー]]の後、ロカビリー歌手の[[ワンダ・ジャクソン]]が選ばれる2009年まで、この部門では誰も殿堂入りしなかった。 この部門の初期の殿堂入り達成者と違い、ジャクソンの経歴はほぼ全てが伝統的な「ロック時代」の始まりとなる1955年以降に起こったものである。 |
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=== 生涯の功績に対するアーメット・アーティガン賞 === |
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以前の「ノンパフォーマー(非演奏者)」賞で、この部門には、レコード会社の役員、作詞家、音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、コンサート興行者、音楽ジャーナリストなど、主に音楽業界の舞台裏で働く人々が該当する。2007年と2009年を除き、この部門には毎年少なくとも1人は殿堂入り達成者がいる。殿堂の共同設立者[[アーメット・アーティガン]]の死後、2008年に彼の名誉を称えてこの賞が改名された<ref>{{cite web|url=http://www.contactmusic.com/news.nsf/story/late-ertegun-honoured-with-new-hall-of-fame-award_1062079|title=Late Ertegun Honoured With New Hall Of Fame Award|author=|work=Contactmusic.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。 |
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=== ミュージカルエクセレンス賞 === |
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この部門は2000年に導入された以前の「サイドメン(伴奏者)」賞で、主にプロデューサーで構成される委員会によって選出された熟練のセッション演奏家およびコンサート演奏家を称えるものである。この部門は2004年から2007年まで休止しており、2008年に再始動した。2010年にこの栄誉が「ミュージカルエクセレンス賞」に改名された。ロックンロール殿堂財団の会長ジョエル・ペレスマンによると「この賞は、何らかの事柄に没頭する柔軟性を我々に与えてくれ、普段では気付けなかったかもしれない一部の(そうした)人々を認識させてくれる」という<ref>{{cite web|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2010/12/neil_diamond_alice_cooper_dr_j.html|title=Neil Diamond, Alice Cooper, Dr. John, Darlene Love and Tom Waits headed into Rock Hall|date=December 15, 2010|accessdate=December 20, 2010|work=[[The Plain Dealer]]|author=Soeder, John}}</ref>。 |
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==図書館と史料館== |
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[[File: RocknRollHall 2015 LHCollins 600.jpg |thumb|right|300px |オハイオ州クリーブランドにあるロックンロールの殿堂、2015年11月]] |
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ロックンロールの殿堂博物館にある図書館と史料館は、ロックンロールの歴史に関する資料に関する世界で最も包括的な収蔵庫である。 <!--図書館と史料館は、クリーブランドのキャンパス地区にあるカヤホガ・コミュニティ・カレッジのメトロキャンパスにある新しい建物にある。-->その使命はこれら資料を収集、保存、閲覧提供することである。図書館と史料館には二段階の運用がされている。(一般の)人々は図書館に来て、本や雑誌を読んだり、音楽やその他の録音物を聴いたり、ビデオや映画を見ることが可能である。また、真剣に取り組む学者、歴史家、報道記者たちは、[[アーキビスト]]職員の監督下で蔵書資料を閲覧することが事前予約で可能となっている。 |
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図書館には、書籍、学位論文、様々な参考文献が収められている。そこにはよく読まれる雑誌、学術誌、業界誌、商用の録音オーディオと録画ビデオ、研究データベースも置かれている。 |
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史料館には、レコード会社幹部、アーティストのマネージャー、各レーベル、歴史的会場、収録スタジオ、ステージ設計と照明の専門家、長期にわたるコンサートツアー、などから取り寄せた音楽業界の各種記録が収められている。そのコレクションには、[[アレサ・フランクリン]]や[[マドンナ]]による直筆の個人的な手紙、[[ジミ・ヘンドリックス]]や[[LL・クール・J]]による手書きの作業歌詞、[[スー・キャシディ・クラーク]]等による音楽ジャーナリストの論文、1970年代に[[CBGB]]で採れたレアなコンサート録音、といった重要な個人的物品も含まれている<ref>{{cite magazine|title=Rock and Roll Hall of Fame Opens Archives to the Public|url=https://www.rollingstone.com/music/news/rock-and-roll-hall-of-fame-opens-archives-to-the-public-20120118|magazine=Rolling Stone Magazine|accessdate=March 1, 2013}}</ref><ref>{{cite web|last=Graff|first=Gary|title=Rock Hall Opening Library and Archives This Week|url=https://www.billboard.com/music/music-news/rock-hall-opening-library-and-archives-collection-this-week-511232/|work=Article|publisher=Billboard Magazine|accessdate=March 1, 2013}}</ref><ref>{{cite web|last=Soeder|first=John|title=Rock Hall Library and Archives set to open Tuesday|url=http://www.cleveland.com/popmusic/index.ssf/2012/01/rock_hall_library_and_archives.html|work=article|publisher=The Plain Dealer/Cleveland.com|accessdate=March 1, 2013}}</ref>。 |
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== 批判 == |
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殿堂への最も多い批判は、候補選考のプロセスが創設者のヤン・ウェナーやスーザン・エヴァンズ、作家の[[デイヴ・マーシュ]]など、ミュージシャンではない少数の個人によって管理されている点であり、ロック界全体の見解ではなく彼らの個人的な好みを反映していると言うものである。選考委員会の元メンバーは以前「スーザン・エヴァンズは晩餐のチケットを売れるビッグネームが十分でないことを理由にこの選別が行われたことを嘆いていました。それは[[ドゥーワップ]]のとあるグループを削除することですぐに修正されたのですが、アーティストの「名前」で好みを選んでいたように思えました。[中略]リストにもっと知名度が必要だからと、50年代から60年代初期の先駆的なアーティストが外されていく様子を私は目の当たりにしました。結果として70年代のスーパースターが、それを成し遂げられるようにした人達よりも先に(殿堂入りを)獲得しました。こうした数名の先駆者は現在もまだ入っていません」と語っている<ref name="Friedman">{{cite web|url=http://www.foxnews.com/story/0,2933,1966,00.html |title=Rock Hall of Fame Fallout: 'There Is Resentment Building Up' |accessdate=April 4, 2001 |author=Friedman, Roger |date=April 4, 2001 |publisher=Fox News}}</ref>。[[シスター・ロゼッタ・サープ]]は「ロックンロールのゴッドマザーないしグランドマザー」<ref>{{cite web |url= https://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00xf8k7/the-godmother-of-rock-roll-sister-rosetta-tharpe |title=The Godmother of Rock & Roll: Sister Rosetta Tharpe |work=[[BBC Four]] |date=May 24, 2011 |accessdate=March 18, 2017}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.pbs.org/black-culture/shows/list/rock-and-roll-rosetta-tharpe/|title=Godmother of Rock and Roll: Sister Rosetta Tharpe|work=PBS|accessdate=March 18, 2017}}</ref> と見なされることも多いが、2017年まで殿堂入りに選ばれなかった。[[ベルベット・アンダーグラウンド]]の<!--ドラマーである-->[[モーリン・タッカー]]はこの殿堂を「'''ダサい殿堂'''」だと吐き捨てた<!--Lameは一般的に「説得力が無い」あたりの意味だが、俗語だと「最悪で時代遅れ」つまりダサいと言う意味。--><ref>{{cite web|url=http://olivier.landemaine.free.fr/dougyule/dystory.html|title=Doug Yule - Story|website=Olivier.landemaine.free.fr|accessdate=2020-06-06}}</ref>。 |
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また、選考プロセスの不透明性に対する批判も存在する。[[ニューヨークタイムズ]]紙<!--のジャネット・モリッシー-->は次のように書いている。 |
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<blockquote>名声とお金がかかってくるので、多くのロビー活動が舞台裏で行われているのは驚くことではない。特定のある年に幾人かのある演者が特定して選ばれる理由は部外者のみならず当事者達にとっても謎であるが、委員会のメンバーはそれを維持したいと言っている<ref name="New York Times">{{cite news|url=https://www.nytimes.com/2011/12/04/business/in-rock-hall-of-fame-vote-a-battle-of-industry-egos.html|title=Battle of the Bands (and Egos) for the Rock Hall of Fame|author=Morrissey, Janet|date=December 3, 2011|accessdate=December 5, 2011|work=The New York Times}}</ref>。</blockquote> |
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候補指名委員会の[[ジョン・ランドー]]会長は、その方法を委員会が望んでいるとして「我々は議事録を不透明のままにしておく良い仕事を成し遂げているのです。全てが部屋の中で完結する<!-- dies(死ぬ)の意訳 -->のです」と発言している<ref name="New York Times"/>。 |
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[[FOXニュース]]によると、数万の署名を伴う請願も無視されており、そのうえで特定レコード会社や企業と共に署名活動したり様々な委員会メンバーを傘下に置いた幾つかのグループは議論も一切されることなく指名候補に担ぎ上げられている<ref name="Friedman"/> 。同委員会またはある特定ジャンルの大部分を無視していることで非難されている<ref>{{cite news|url=http://latimesblogs.latimes.com/music_blog/2009/12/getting-progressive-the-rock-hall-voted-in-genesis-whos-still-missing.html|title=Getting progressive: The Rock Hall votes in Genesis. Is Yes or Procol Harum next?|work=Los Angeles Times|date=December 29, 2009|accessdate=January 20, 2010|author=Boehm, Mike}}</ref>。著述家のブレット・ミラノによると「ジャンル全体が飛ばされているのは、特に[[プログレッシブ・ロック]]、60年代の[[トップ40]]、ニューオーリンズの[[ファンク]]、そして多くの[[ブラックミュージック]]である」という<ref>{{cite news|url=https://www.usatoday.com/life/music/news/2007-03-11-rock-hall-main_N.htm|title=Dispute rocks the hall|date=March 12, 2007|accessdate=January 20, 2010|work=USA Today|author=Gundersen, Edna}}</ref>。 |
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もう一つの批判は、殿堂入りしたアーティストが多すぎる点である。この15年で、97組のアーティストが殿堂入りした<ref name="Bream"/> 。殿堂入りには最低50%の投票が必要だが、最終的なパーセンテージが発表されることはなく、投票用紙が発送される前に殿堂入りとなる確定人数<!-- (2011年は5人)-->が設定される<ref name="Bream">{{cite web |url=http://www.startribune.com/457/story/931216.html |title=Three strikes, they're in |accessdate=January 17, 2007 |author=Friedman, Roger |date=January 12, 2007 |work=Star Tribune |archiveurl = https://web.archive.org/web/20071020112245/http://www.startribune.com/457/story/931216.html <!-- Bot retrieved archive --> |archivedate = October 20, 2007}}</ref>。<!--通常だと委員会は、数が増加する異なるジャンルから少数のアーティスト(2010年に12人)を候補指名する。-->候補指名委員会の元メンバーだった[[ジョエル・セルビン]]を含む一部の投票者は、いずれの候補者も本当に価値があると思えなかったため、2007年には票を投じなかった<ref>{{cite news|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2007/11/14/DDBITBMBD.DTL |title=View: Rock and Roll Hall offers lackluster candidates |accessdate=December 7, 2007 |author=Selvin, Joel |authorlink=Joel Selvin|date=November 14, 2007 |work=San Francisco Chronicle}}</ref>。 |
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2006年に殿堂入りしたパンクロックの英国バンドである[[セックス・ピストルズ]]のメンバーは、この博物館を「'''小便のしみ'''」「'''ワインに入れた尿'''」呼ばわりして、式典への出席を拒否した<ref>{{cite web|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080302091236/http://www.thefilthandthefury.co.uk/ |url=http://www.thefilthandthefury.co.uk/ |title=Official announcement from the Sex Pistols regarding the Rock and Roll Hall of Fame |date=February 24, 2006 |archivedate=March 2, 2008 |work=[[Sex Pistols]] - The Filth and the Fury|accessdate=2020-06-06}}</ref>。 |
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2013年にBBCの音楽ラジオ局{{enlink|BBC Radio 6 Music}}で行われた[[ジョン・ピール]]の<!-- 年1回の-->講談で、歌手[[シャルロット・チャーチ]]は「ロックの殿堂に入った295組の演者とアーティストのうち、全体の259組が男性で、36組の女性演者の1人は[[ティナ・ウェイマス]]の[[トーキング・ヘッズ]]加入による」と指摘して、同博物館の[[性差別]]を非難した<ref>[http://www.digitalmusicnews.com/permalink/2013/10/15/church Transcript: Paul Resnikoff, "I'm Charlotte Church. And This Is How Women Are Routinely Demoralized by the Music Industry…,"] Digital Media News, October 15, 2013</ref><ref>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/podcasts/series/jpl|title=BBC Radio 6 Music - The John Peel Lecture - Downloads|work=BBC|accessdate=2020-06-06}}</ref>。事実、殿堂入りした女性の実際の割合は8.5%である<ref>{{cite web|url=http://www.scrollkit.com/s/GGR9Eju|title=scroll kit|website=Scrollkit.com|accessdate=August 23, 2018}}</ref>。全部門を合算しても、殿堂入り達成者719人のうち女性は61人となっている<ref>{{cite web|url=http://rockhall.com/inductees/|title=Rock and Roll Hall of Fame: Inductees|website=Rockhall.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。 |
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2016年の殿堂入り達成者[[スティーヴ・ミラー・バンド|スティーヴ・ミラー]]は、自身の殿堂入りスピーチや特にその後のインタビューの両方で、この殿堂について苦言を呈した。その批判には、女性の殿堂入り達成者が全体的に不足していること、音楽教育に対して殿堂による支援が十分でないこと、授賞式での殿堂入り達成者の扱いがぞんざいであること、といった彼の見解が含まれていた<ref>{{cite web|url=https://pitchfork.com/news/64693-steve-miller-rips-the-rock-and-roll-hall-of-fame/|title=Steve Miller Rips the Rock and Roll Hall of Fame - Pitchfork|website=Pitchfork.com|accessdate=August 23, 2018}}</ref>。 |
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2018年、[[アイアン・メイデン]]の[[ブルース・ディッキンソン]]はこの殿堂を「全くの完全なるデタラメの塊だ<!--bullockは直訳で去勢牛だが、英国スラングでは「嘘っぱち」。load of bullも「大嘘」と言う意味のスラングで、この2つを掛け合わせた表現。-->。[中略]目の前で起こったとしてもロックンロールを知らないのだろう独善的な血まみれアメリカ人の集団によって運営されている」と批判した<ref>{{cite web|url=https://www.nme.com/news/music/iron-maidens-bruce-dickinson-brands-rock-and-roll-hall-of-fame-an-utter-and-complete-load-of-bollocks-2393652|title=Iron Maiden’s Bruce Dickinson brands Rock And Roll Hall Of Fame “an utter and complete load of bollocks”|website=[[ニュー・ミュージカル・エクスプレス|NME]]|accessdate=2020-06-06}}</ref>。ディッキンソンはまた「博物館に(音楽を)入れると、後にそれは死んでしまう」とも主張して、殿堂の存在に対する全体的な嫌悪感も表明している。アイアン・メイデンは2004年より殿堂入りする資格があった<ref>{{cite web|url=https://ultimateclassicrock.com/rock-hall-of-fame-2020-forecast/|title=ROCK HALL OF FAME 2020 FORECAST: WHO’S NEWLY ELIGIBLE, WHO GETS IN|website=ultimateclassicrock.com|accessdate=2020-06-06}}</ref>。 |
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ハードロックとヘビーメタルのウェブサイト[[Blabbermouth.net]]は、[[キッス]]が殿堂入りまでに15年、[[ディープ・パープル]]が23年かかった様子を観測していた<ref name="blabbermouth january 2019">{{cite news | url= https://www.blabbermouth.net/news/ian-hill-on-judas-priests-exclusion-from-rock-hall-i-dont-think-they-like-heavy-metal-music-in-general/ | title= IAN HILL On JUDAS PRIEST's Exclusion From ROCK HALL: 'I Don't Think They Like Heavy Metal Music In General' | work=[[Blabbermouth.net]] | date=27 January 2019 | accessdate=25 September 2019}}</ref>。[[ジューダス・プリースト]]の<!--ベーシストである-->[[イアン・ヒル]]は自身のバンドが殿堂入りしない点に関して「概ね彼らがヘビーメタルの音楽を好んでいると自分は考えていない」と2019年のインタビューで語っている<ref name="blabbermouth january 2019"/>。 |
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2018年、英国ロックバンドの[[ダイアー・ストレイツ]]が殿堂入りした時、グラミー賞を受賞したバンドリーダーの[[マーク・ノップラー]]はこちらの式典に出席せず、公式な説明もなかった<ref>[https://www.theguardian.com/music/2018/apr/15/mark-knopfler-skips-dire-straits-rock-hall-of-fame-induction "Sultan of snub: Mark Knopfler skips Dire Straits' rock hall of fame induction", ''The Guardian'', 15 April 2018]. Retrieved 6 February 2020</ref>。[[デイヴ・マシューズ|デイヴ・マシューズ・バンド]]は、ファン投票で1位だったにもかかわらず部門に入っていなかったため、2020年の指名選考を非難した者も幾人かいた<ref>{{Cite web|url=https://www.usatoday.com/story/entertainment/music/2020/01/16/rock-hall-fame-dave-matthews-band-fans-slam-2020-induction-snub/4488124002/|title='Dave Matthews Band got robbed,' fans say of 2020 Rock and Roll Hall of Fame induction|first=Hannah|last=Yasharoff|website=USA TODAY|accessdate=2020-06-06}}</ref>。 |
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=== デイヴ・クラーク・ファイブ === |
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2007年3月14日、その年の殿堂入り式典の2日後にFOXニュース<!--のロジャー・フリードマン-->は[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]が5番目で殿堂入り達成者になるべきだと主張する記事を発表した、というのも彼らは殿堂入りした[[グランドマスター・フラッシュ|グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ]]よりも得票が多かったのである。同記事では続けて、ヤン・ウェナーが投票予定日に関するこじつけを使ったと主張している<ref name="Friedman2">{{cite web|url=http://www.foxnews.com/story/0,2933,258664,00.html#2 |title=Rock Hall Voting Scandal: Rock Group Actually Won |accessdate=April 6, 2007 |author=Friedman, Roger |date=March 14, 2007 |publisher=Fox News}}</ref>。実際、デイヴ・クラーク・ファイブはグランドマスター・フラッシュよりも6票多く獲得していた。<!--しかし彼は「ラップ演奏なしでもう一年は行けない」と感じた。--> |
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ロックンロールの殿堂財団は「これには様式や規則や手順があるのです。投票が行われるべき指定時間があり、その後で票数集計が行われます。得票上位5組のバンドが(殿堂入りを)獲得しました」と回答した<ref name="Heaton">{{cite news|url=http://www.cleveland.com/entertainment/plaindealer/index.ssf?/base/entertainment/1174136163185340.xml&coll=2 |title=Rock Hall denies vote fix report |accessdate=April 6, 2007 |author=Heaton, Michael |date=March 17, 2007 |newspaper=The Plain Dealer |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071129223135/http://www.cleveland.com/entertainment/plaindealer/index.ssf?%2Fbase%2Fentertainment%2F1174136163185340.xml&coll=2 |archivedate=November 29, 2007 }}</ref>。その後デイブ・クラーク・ファイブは再び候補指名され、翌年に殿堂入りとなった<ref>{{cite news|url=http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/Music/12/13/rockhall.inductees.ap/index.html |title=Madonna leads list of Rock Hall inductees |accessdate=January 2, 2008 |agency=Associated Press |year=2007 |publisher=CNN |archiveurl = https://web.archive.org/web/20071224161029/http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/Music/12/13/rockhall.inductees.ap/index.html |archivedate = December 24, 2007}}</ref>。 |
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=== モンキーズ === |
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2007年6月、[[ピーター・トーク]]はウェナーが[[モンキーズ]]を追い出したと「[[ニューヨークポスト]]」紙に不平を主張して、次のようにコメントした。 |
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{{bquote|(ウェナーは)規則が何であるのか気にも留めず、自分がちょうどいいと思う方法で運用しているに過ぎません。それは権力の濫用です。モンキーズが殿堂入りしたかどうか自分には分かりませんが、個人的な気まぐれから自分達が入らなかったのはほぼ明らかです。ヤンは他の誰よりも苦労したと思われていますが、40年経って、誰もが「大変な事って何だよ? 他の誰もがそれ(音楽スタジオやバックバンドの使用)をしているよ」と言っています。彼を除けば、今や誰も気に掛けません。1967年や1968年当時の彼の道徳的判断が2007年でも機能していると彼は思っているのでしょう{{要出典|date=2020年6月}}。}} |
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バンド仲間の[[マイク・ネスミス]]はフェイスブックの投稿で、自分はモンキーズの影響を内側から見ることしかできなかったからモンキーズが殿堂入りしていたのかは分からないと語りつつ、さらに続けて次のように述べた「私はHOF(殿堂)が民間企業だと分かっています。ビジネスとして運営していると思われ、企業オーナーの何らかの行動によって、殿堂入り達成者がそこにいるわけです。殿堂入り達成者は、オーナーの機嫌で選ばれたものと思われます。これは私にも妥当だと思えます。いずれにせよ、それは彼らのビジネスなのです。私にはHOFが公的な義務を果たしているとは思えませんが、公的なものへと適応を余儀なくされるべきでもありません。」<ref>{{cite web|last=Nesmith|first=Michael|title="Should The Monkees be included in The Rock and Roll Hall of Fame?", you ask.|url=https://www.facebook.com/michaelnesmith/posts/400891016595629|publisher=Facebook|accessdate=May 13, 2012}}</ref> |
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『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌<ref>{{cite magazine|last=McCombs|first=Joseph|title=Hey, Hey Let Them In: 10 Reasons The Monkees Should Be in the Rock and Roll Hall of Fame|url=http://entertainment.time.com/2012/04/19/the-monkees-should-be-in-the-rock-and-roll-hall-of-fame-times-10-part-treatise/#their-chart-success|magazine=Time Magazine|accessdate=May 20, 2012|date=April 19, 2012}}</ref>、[[ナショナル・パブリック・ラジオ|米公共ラジオ局]]<ref>{{cite web|last=Hirsh|first=Marc|title=NOW Can We Induct The Monkees Into The Rock And Roll Hall Of Fame?|url=https://www.npr.org/blogs/monkeysee/2012/03/01/147736081/now-can-we-induct-the-monkees-into-the-rock-and-roll-hall-of-fame|publisher=NPR Radio|accessdate=May 20, 2012}}</ref>、[[クリスチャン・サイエンス・モニター]]紙<ref>{{cite news|title=Rock and Roll Hall of Fame: The top 5 biggest omissions|url=http://www.csmonitor.com/The-Culture/2010/1215/Rock-and-Roll-Hall-of-Fame-The-top-5-biggest-omissions/The-Monkees|newspaper=The Christian Science Monitor|accessdate=May 20, 2012}}</ref>、『[[ゴールドマイン]]』誌<ref>{{cite web|last=Marder|first=Phill|title=No Monkee business allowed in the Rock Hall of Fame?|url=http://www.goldminemag.com/blogs/no-monkee-business-allowed-in-the-rock-hall-of-fame|publisher=Goldmine Magazine|accessdate=May 20, 2012}}</ref><ref>{{cite web|last=Marder|first=Phill|title=10 more bands snubbed by the Rock & Roll Hall of Fame|url=http://www.goldminemag.com/blogs/10-more-bands-snubbed-by-the-rock-roll-hall-of-fame|publisher=Goldmine Magazine|accessdate=May 20, 2012}}</ref>、[[Yahoo!|Yahoo!ミュージック]]<ref>{{cite web|last=Hoskyns|first=Barney|title=Why Aren't the Monkees In the Rock and Roll of Fame?|url=http://music.yahoo.com/blogs/rocks-backpages/why-aren-t-monkees-rock-roll-fame-125232196.html|publisher=Yahoo Music|accessdate=May 20, 2012}}</ref>、[[MSNBC]]<ref>{{cite web|last=Sclafani|first=Tony|title=Hey hey, it's the fans who want the Monkees in the Rock Hall|url=http://entertainment.msnbc.msn.com/_news/2012/04/13/11182790-hey-hey-its-the-fans-who-want-the-monkees-in-the-rock-hall?lite|publisher=MSNBC|accessdate=May 20, 2012|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120512022857/http://entertainment.msnbc.msn.com/_news/2012/04/13/11182790-hey-hey-its-the-fans-who-want-the-monkees-in-the-rock-hall?lite|archivedate=May 12, 2012}}</ref> といった様々な雑誌や報道機関が、 モンキーズはロックンロールの殿堂入りに値するとの議論を行った。 |
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=== チャビー・チェッカー === |
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未選出であることを不服として、2004年に[[チャビー・チェッカー]]が抗議活動を行った<ref>[https://www.today.com/popculture/chubby-checker-stages-rock-hall-protest-wbna4534806 Chubby Checker stages Rock Hall protest]today 2004年3月16日</ref>。 |
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== 関連項目 == |
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*[[ロックの殿堂入り受賞者の一覧]] |
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* [[ロックの殿堂入り受賞者の一覧]] |
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*[[w:The Rock and Roll Hall of Fame's 500 Songs that Shaped Rock and Roll|500 Songs that Shaped Rock and Roll]] |
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* [[ヴォーカル・グループの殿堂]]{{enlink|Vocal Group Hall of Fame}} |
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*[[w:Fortune Battle of the Corporate Bands|Fortune Battle of the Corporate Bands]] |
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== 脚注 == |
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=== 注釈=== |
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== 外部リンク == |
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* {{Official website|www.rockhall.com}} |
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* [http://www.rockhall.com/ The Rock and Roll Hall of Fame and Museum(英語版)] |
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2024年9月16日 (月) 16:56時点における最新版
この項目「ロックの殿堂」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:en:Rock and Roll Hall of Fame15:35, 4 June 2020 UTC) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2020年6月) |
ロックンロールの殿堂 Rock and Roll Hall of Fame | |
---|---|
施設情報 | |
来館者数 | 543,000人 (2016年)[1] |
館長 | Greg Harris |
開館 | 1983年4月20日 |
所在地 |
アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド1100 Rock and Roll Boulevard ZIPコード44114 |
位置 | 北緯41度30分31秒 西経81度41分44秒 / 北緯41.50861度 西経81.69556度座標: 北緯41度30分31秒 西経81度41分44秒 / 北緯41.50861度 西経81.69556度 |
アクセス | 東9番ノース・コースト駅(East 9th-North Coast station) |
外部リンク |
rockhall |
プロジェクト:GLAM |
ロックンロールの殿堂(ロックンロールのでんどう、英: Rock and Roll Hall of Fame, RRHOF)は、アメリカ合衆国のオハイオ州クリーブランドに位置する博物館で、ロックンロールの歴史やその発展に影響を与えたアーティスト、プロデューサー、エンジニアなどの著名人を展示記録している、エリー湖畔にある施設である。
運営を行うロックンロールの殿堂財団は、アトランティック・レコードの創始者で当時会長だったアーメット・アーティガンによって1983年4月20日に創設された。クリーブランド市は1986年にこの殿堂の恒久本拠地として選ばれた。建築家I・M・ペイが現在の博物館を設計し、1995年9月1日に開館した。
以前、日本では「ロックの殿堂」がハリウッドにあるロック・ウォークを指していたことがあり[注釈 1]、両者の混同を避けるため、本項ではクリーブランドにある施設を「ロックンロールの殿堂」と忠実に表記する。
ロックンロールの殿堂財団
[編集]ロックンロールの殿堂財団は1983年にアーメット・アーティガンによって創設され、彼は『ローリング・ストーン』編集者兼発行人のヤン・S・ウェナーと数名のレコード業界幹部(セイモア・スタイン、ボブ・クラスノウ、ノリーン・ウッズ)および弁護士数名からなるチームを編成した。1986年にこの財団がアーティストの殿堂入りに着手するが、その殿堂にはまだ拠点が無かった。調査委員会は、フィラデルフィア、メンフィス、デトロイト、シンシナティ、ニューヨーク、およびクリーブランドを含む幾つかの都市を検討した[3]。
クリーブランドは同博物館の誘致活動を展開して、市民団体のリーダー達が建設基金として公金6500万ドルを約束したり、地元局DJのアラン・フリードが「ロックンロール」を造語してこの新ジャンルを大幅に推進させたことを挙げたり、クリーブランドが最初の大きなロックコンサート (Moondog Coronation Ball) の場所になったことを引き合いに出したりもした。なお、フリードは1986年に殿堂入りした最初の殿堂メンバーである[4]。さらにクリーブランドは、最初の米国ツアーをこの都市で始めたデヴィッド・ボウイや、1970年代と1980年代にアメリカで幾つかの主要曲を大ヒットさせる上で重要な役割を果たしたラジオ局WMMSを引き合いに出した[5]。
クリーブランドの財界首脳やメディア企業がオハイオ州住民60万人による署名の支持を掲げる嘆願書をまとめ上げ、1986年に『USA Today』誌でどこに殿堂を設置すべきかを尋ねた集計では、クリーブランドが1位になった。1986年5月5日、殿堂財団はロックンロールの殿堂博物館の恒久的な本拠地としてクリーブランドを選んだ。なお、クリーブランドは市が最高の融資提案を出したために運営場所として選択された可能性がある。現地プレーン・ディーラー紙の音楽評論家マイケル・ノーマンは「それは6500万ドルだった。[中略]クリーブランドはこの地にそれを望んでお金を出した」と述べている[要出典]。
殿堂博物館の建設場所に関する初期の議論で、財団理事会はクリーブランドの繁華街でカヤホガ川沿岸を想定していた。最終的に選ばれた場所は、エリー湖を臨む東9番通り(East Ninth Street)沿い、クリーブランド・スタジアムの東となった。資金調達にズレが生じた計画段階のある時、当時の空きビル(May Company Building)にロックンロールの殿堂を置く提案もあったが、最終的に建築家I・M・ペイに新しい建物の設計を依頼することに決まった。最初のCEOであるラリー・R・トンプソン博士がこの設計でI・M・ペイを手助けした。ペイが、ガラスのピラミッドとそこから突き出た塔のアイデアを思い付いた。博物館の塔はもともと高さ200フィート(61m)になる予定であったが、バークレイク・フロント空港に近いため高さを49mに下げなければならなくなった。建物の基礎は約14,000m2である。
殿堂博物館の建物
[編集]1993年6月7日に行われた起工式には、ピート・タウンゼンド、チャック・ベリー、ビリー・ジョエル、サム・フィリップス、ルース・ブラウン、サム・ムーア、カール・ガードナー、デイブ・ピアナーらが姿を見せた[6]。
博物館は1995年9月1日に竣工し、テープカットは1万人以上の観衆の前でオノ・ヨーコやリトル・リチャードらによって行われた。その翌晩にクリーブランド・スタジアムではオールスターコンサートが開催され[7] 、起工式にも出席したチャック・ベリーや、ボブ・ディラン、アル・グリーン、ジェリー・リー・ルイス、アレサ・フランクリン、ブルース・スプリングスティーン、イギー・ポップ、ジョン・フォガティ、ジョン・メレンキャンプ、その他大勢が出演した[6]。
殿堂入り達成者(inductee)に加えて、同博物館は殿堂入り状況に関係なくロックンロールの歴史全体を記録している。殿堂入り達成者はエリー湖に突き出た位置にある特別展示場で表彰される[6]。
1986年以来、ロックンロールの殿堂は新しい殿堂達成者を選出している。正式な殿堂入りの式典はニューヨーク市で26回開催されたほか、ロサンゼルスで2回、 クリーブランドの殿堂で5回行われている。2018年現在、殿堂入りの式典はニューヨークとクリーブランドとで毎年交代開催となっている[8]。
2009年と2012年の殿堂入り週間は、クリーブランド市、オハイオ州、ロックンロールの殿堂、地元の財団、企業、市民団体、個人間の官民連携によって可能となった。これら団体が2009年に580万ドル、2012年に790万ドルを投じて、無料コンサート、ゴスペルの祝福、展示会のオープニング、博物館への無料入場、公会堂での殿堂入り式典を含む1週間のイベントを成し遂げた[9]。
数百万人がこのクリーブランドでの殿堂入りテレビ放送を視聴し、数万人がこのイベントに参加するため殿堂入り週間にオハイオ州へやって来た。2009年の殿堂入り週間イベントによる経済的影響は1300万ドルを超え、加えてこの地域に2000万ドル相当のメディア露出をもたらした。2012年の殿堂入り週間でも同様の結果が得られた[10]。
各階
[編集]この建物は7階建てである。地下1階には博物館のメインギャラリーであるアーメット・アーティガン展示ホールがある。ここにはロックンロールのルーツ(ゴスペル、ブルース、R&B、フォーク、カントリー、ブルーグラス)の展示がある。また、ロックンロールに大きな影響を与えた都市(メンフィス、デトロイト、ロンドン、リバプール、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、シアトルなど)の展示も行っている。他にもソウルミュージック、1950年代の楽曲、サン・レコード、ヒップホップ、クリーブランドにおけるロックンロールの遺産、中西部の音楽、ロックンロール・ラジオとDJ、ロックンロールに対する多くの抗議に関する展示がある。またこのギャラリーには、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスなど個々のアーティストに焦点を当てた展示もある。最後に、アーメット・アーティガン展示ホールには『アメリカン・バンドスタンド』など様々な題材の映画を上映する劇場がある[11]。
博物館の1階が入口フロアである。そこにはカフェと、年間を通じて様々な特別演奏や特別イベントに使用されるステージ、そして「舞台裏の話(Backstage Stories)」という区画がある。2階には、一発屋の演目とロックンロールを形成した曲を特集した双方向展示のキオスクが幾つかある。このフロアには、レスポール、アラン・フリード、サム・フィリップス、およびオーディオ技術の進化に関する人工的遺産が沢山ある展示ギャラリーもある[12]。
3階には博物館の殿堂セクションがある。この区画にあるのがジョナサン・デミの遺作を含む『The Power of Rock Experience』で、この映画はコナー劇場(Connor Theater)で上映されており、殿堂入り式典のハイライトが幾つか入っている[13]。4階は殿堂セクションの出口で、このフロアは最先端の3Dシアターで特別なイベントや演目に使用されるフォスター劇場(Foster Theater)が特徴である[14][15]。
最後に、殿堂の最上階2フロアは巨大な仮設展示室である。長年にわたってこの2フロアでは、エルビス・プレスリー、シュプリームス、ザ・フー、U2、ジョン・レノン、ザ・クラッシュ、グレイトフル・デッド、ブルース・スプリングスティーン、ローリングストーンズなど多数の展示が設置されている。
この殿堂で演奏したクリーブランド地域のミュージシャンやバンドとしては、1995年の殿堂開業時にプリテンダーズ(アクロン出身のクリッシー・ハインドが在籍)、2001年のジェイムス・ギャング(ジョー・ウォルシュ在籍)とフー・ファイターズ(ウォーレン生まれのデイヴ・グロール在籍)、2007年のヴェルヴェット・リヴォルヴァー(スコット・ウェイランドがクリーブランドに一時在住)、2009年のラズベリーズとボビー・ウーマック、2014年にマシン・ガン・ケリーがいる[16]。
建築
[編集]I・M・ペイによって設計され、Leslie E. Robertson Associatesによって構造設計された建物は、エリー湖畔にそびえ立っている。 幾何学的形状とカンチレバーになった空間の組み合わせで、高さ49mの塔によって固定されている。この塔はメイン入口のファサードがある6039m2の広場に(その基礎が)伸びて、二重になった三角錐のガラス製「テント」を支えている。
この建物には、5100m2を超える展示スペースのほか、管理事務所、店舗、カフェがある。
「この建物の設計に込められている私の意図は、ロックンロールのエネルギーを反映することでした。大胆で斬新な建築用語を私は意図的に取り入れました。あとはこの建物がクリーブランド市のランドマークとなり、かつ世界中のロックンロールファンにとって劇的なランドマークになることを願っています」[17]とペイは語っている。
ニューヨーク市別館
[編集]2008年11月18日、ロックンロールの殿堂ニューヨーク市別館がマンハッタンのソーホー地区で開業した[18]。ブロードウェイのすぐ傍のマーサー・ストリート76番地にあった別館は、2322m2の地下空間を占めていた[18]。博物館別館はクリーブランドの母体と概ね同じ方法で運営されており、目玉としてプリンスが『プリンス/パープル・レイン』で着たコート、デヴィッド・バーンが『ストップ・メイキング・センス』で着た大きなスーツ、エルビス・プレスリーのライダースジャケットや彼の聖書などの原型展示物が陳列されていた[18] 。ただし、別館は最初からニューヨーク地域に明確に焦点を合わせており、何十年間ものバンドステッカーが厚く積み重ねられたCBGBの電話ボックス、ブルース・スプリングスティーン所有の1957年型シボレー、市内のミュージシャンのため取り置いてある特別ギャラリー、ロック史における名所を強調するマンハッタンの入り組んだ約8m縮尺モデルなど、巨大展示物用の空間も十分にとっていた[18]。
ヤン・ウェンナーが別館理事会の会長を務めた[19]。開業した夜の祝宴で、軽率にも彼は「そもそも我々がそれ(殿堂博物館)をニューヨークにしなかったことが小さな悲しい出来事の1つです」と記者に語ってしまい、物議を醸してしまった[19]。これは誤解されてしまったのだと語るウェンナーは、後に自分の発言を悔やんでいると吐露して「ロックンロールの殿堂博物館がクリーブランドにあることを私は間違いなく喜んでいます」と明言した[19]。
別館は2010年1月3日に閉鎖され、報道によるとその急な終了は2007-2008年の世界金融危機とその後の都市観光業低迷が原因とされている[20]。
展示の歴史
[編集]1997年以来、ロックンロールの殿堂は数多くの期間限定展示を開催しており、それは博物館の最上階2フロアを占める大掛かりな展示から下階の主要展示ホールに設置されることが多い小さな展示まで、規模は様々である。
1997年5月10日に開催された同博物館最初の大掛かりな展示は "I Want to Take You Higher:The Psychedelic Era,1965-1969(貴方を更なる高みへ連れていきたい:サイケデリックの時代、1965-1969年)"と称するものだった。これには、ジョン・レノン、エリック・クラプトン、ジョン・セバスチャン、ジェファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリンなど数多くのアーティストに由来する品々であったり、モントレー・ポップ・フェスティバルやウッドストックに関連するものが含まれていた[21]。
この展示に続くのが、1998年8月8日から1999年9月5日まで開催された"Elvis is in the Building(エルヴィスはまだ建物にいる)"[注釈 2]である。この1年に及ぶ称賛展示は、1986年に初回殿堂入りを果たした「キング・オブ・ロックンロール」ことエルヴィス・プレスリーに捧げられた初めての展示だった。グレイスランドは、エルヴィスの生涯と伝説的な経歴にわたるこの特別な称賛展示のため、厳選した重要な代表的作品を提供した[23]。その次に、博物館は"Roots, Rhymes and Rage: The Hip-Hop Story"を展示公開した[24]。これはヒップホップに焦点を当てた初めての大規模な展示で、1999年11月11日から2000年8月6日まで開催された。その後、ロックンロールとファッションに焦点を当てた展示"Rock Style"が行われた。これはバディ・ホリーからアリス・クーパーまで、レイ・チャールズからデビッド・ボウイまで、スモーキー・ロビンソンからスライ・ストーンまでの衣装を特集したものだった。クリーブランドでの展示終了後に"Rock Style"は米国内にある他の博物館でも興行が行われた。
その他の期間限定展示には、2000年10月20日から2003年1月1日まで開催された"Lennon:His Life and Work"などがある。2016年にクリーブランドで開催された、共和党の全国大会中に開催された大規模展示は"Louder than Words: Rock, Power, Politics(言葉よりも騒々しいもの:ロック、権力、政治活動)"だった[25] [26]。
他にも大規模な期間限定展示として、ザ・クラッシュ、ドアーズ、ザ・フー、ブルース・スプリングスティーンに焦点を当てたものがあった。ロックンロールにおける女性の役割に焦点を当てた、テーマ限定の展示(Women Who Rock: Vision, Passion, Power)もあった。これらの展示の多くはクリーブランドで終了した後、他の博物館に移って展示が行われている。直近の2017年における同博物館の主な期間限定展示は『ローリングストーン』誌の歴史に関するものとなっている[27]。
ロックンロールの殿堂はまた、小さな期間限定展示も多く開催している。長年にわたるこちらの展示は、ヴァンズ・ワープド・ツアー、バングラデシュ難民救済コンサート[注釈 3]、ウッドストックの40周年および50周年、オースティン・シティ・リミッツ、モントレー・ポップ・フェスティバル、ロイ・オービソン、モータウンの50周年、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、マーティ・スチュアート、ポール・サイモン、グラハム・ナッシュ、ジョン・メレンキャンプ、ゲディー・リーなどに焦点を当てている[要出典]。
同博物館はロックンロールに関連する写真やアート作品の展示も行っている。この殿堂で作品が紹介された写真家の中にはジョージ・カリンスキーやリン・ゴールドスミス、リンダ・マッカートニーなどがいる。またこの博物館はフィリップ・バークのアート作品をある期間限定展示で特集し、後の展示ではハーブ・リッツを特集した[28]。
公開プログラム
[編集]ロックンロールの殿堂博物館は、コンサート、インタビュー、講演、映画上映、その他ロックンロールの物語を伝えるイベントなど、数多くの公開プログラムを制作している。毎年2月、この博物館はアフリカ系アメリカ人がロックンロールの歴史で果たした重要な役割を伝えるコンサートや、映画上映、講演会を開催することで黒人歴史月間を祝っている[29]。1996年にこのプログラムが始まって以来、ロバート・ロックウッド・ジュニア、ザ・テンプテーションズ、チャールズ・ブラウン、ルース・ブラウン、オハイオ・プレイヤーズ、ロイド・プライス、リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ、アル・グリーンなどのアーティストが黒人歴史月間に博物館に登場した 。
別のプログラムには殿堂シリーズがある。このシリーズは1996年4月に始まり、殿堂入り達成者に対する滅多にない親密な環境でのインタビューを目玉としており、ほとんどの場合は同博物館のフォスター劇場で行われる。通常はインタビューに続いて聴衆との質疑応答が行われ、殿堂入り達成者による演奏パフォーマンスが行われることも多い。このシリーズに参加した殿堂入り達成者は、ダリル・マクダニエルズ、ロイド・プライス、マーサ・リーヴス、マーキー・ラモーン、シーモア・スタイン、レイ・マンザレク、メアリー・ウィルソン、ロニー・スペクター、ブーツィー・コリンズ、アン・ウィルソンとナンシー・ウィルソン、デニス・エドワーズ、ヨーマ・カウコネンなどである。
類似のプログラムに伝説シリーズがある。このプログラムと殿堂シリーズの唯一実際の違いは、殿堂入りしていないアーティストを特集していることにある。ジョイ・ディビジョンのピーター・フック、ソルト・ン・ペパーのスピンデレラ、トミー・ジェームス、シャイ・ライツなどが、伝説シリーズに参加したアーティスト達の一部である。
ロックンロールの殿堂博物館で最も評価の高いプログラムは、毎年恒例のアメリカ音楽マスターズ・シリーズである。同博物館は毎年、インタビュー、映画上映、そして多くの場合は特別展示を含めた1週間にわたる一連のプログラムで、殿堂入り達成者の1人をお祝いする。この祝典はクリーブランドの劇場で開催されるオールスター・コンサートで締めくくられる。このコンサートには殿堂入り達成者から直近のミュージシャンまで多彩なアーティストが混ざって参加する。アメリカ音楽マスターズ・シリーズは1996年に始まった。それ以来、このプログラムは以下の殿堂入り達成者を称えている。ジミー・ロジャーズ(1997)、ロバート・ジョンソン(1998)、ルイ・ジョーダン(1999)、マディ・ウォーターズ(2000)、ベッシー・スミス(2001)、ハンク・ウィリアムズ(2002)、バディ・ホリー(2003)、レッドベリー(2004)、サム・クック(2005)、ロイ・オービソン(2006)、ジェリー・リー・ルイス(2007)、レス・ポール(2008)[30]、ジャニス・ジョプリン(2009)[31]、 ファッツ・ドミノと デイヴ・バーソロミュー(2010)、アレサ・フランクリン(2011)[32]、チャック・ベリー(2012)[33]。エヴァリー・ブラザース(2014)、そしてジョニー・キャッシュ(2017)[34]。2019年にコンサートシリーズの様式が一新されて、同イベントは「ロックホールの名誉者(Rock Hall Honors)」へと改名された[34]。2019年9月、初回のロックホール名誉者コンサートにはメイヴィス・ステイプルズが登場し、クリーブランドで演奏が披露された[35]。
ロックンロールを形作った楽曲
[編集]殿堂博物館キュレーターのジェームズ・ヘンケは「博物館のキュレーター職員、多数のロック評論家、音楽の専門家」と共に順不同の「ロックンロールを形作った500曲」をリスト作成した[36]。このリストは同博物館の常設展示の一部で、1995年の開館から博物館の一部として想定されたものだった[37]。そこには1920年代から1990年代にかけて録音された楽曲が含まれている。このリストで最も古い楽曲は、1882年頃に書かれた「ウォーバッシュ・キャノンボール」[注釈 4]で、J・A・ロフの作とされている。しかし、それ以降160曲が追加されて、現在このリストは単に「ロックンロールを形作った楽曲」を指すものとなった。同リストの最新楽曲は、2006年にリリースされたナールズ・バークレイの「クレイジー」とマイ・ケミカル・ロマンスの「ウェルカム・トゥ・ザ・ブラック・パレード」である[38]。 ビートルズとローリングストーンズは、660曲の楽曲リストでそれぞれ8曲と最も多く選ばれている。
リスト入り4曲以上のアーティスト
[編集]- 8 ビートルズ
- 8 ローリング・ストーンズ
- 7 エルヴィス・プレスリー
- 5 ビーチボーイズ
- 5 チャック・ベリー
- 5 ボブ・ディラン
- 5 レッド・ツェッペリン
- 5 ブルース・スプリングスティーン
- 4 スティービー・ワンダー
- 4 デヴィッド・ボウイ
- 4 ジェームス・ブラウン
- 4 レイ・チャールズ
- 4 ドリフターズ
- 4 アレサ・フランクリン
- 4 ジミ・ヘンドリックス
- 4 ロバート・ジョンソン
- 4 キンクス
- 4 ボブ・マーリー
- 4 ミラクルズ
- 4 プリンス
- 4 マディウォーターズ
- 4 ザ・フー
- 4 U2
25周年記念コンサート
[編集]ロックンロールの殿堂は25周年を、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの2日にわたる連続コンサート(2009年10月29-30日)でお祝いした。この祝宴には様々なアーティストが登場し、上のリストからはU2、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド、アレサ・フランクリン、スティービー・ワンダーが演奏を披露したほか、ジェリー・リー・ルイス、パティ・スミス、サイモン&ガーファンクル、ディオン・ディムッチ、メタリカ、ジェームス・テイラー、ボニー・レイット、ファーギー、ミック・ジャガー、ルー・リード、レイ・デイヴィス、オジー・オズボーン、ポール・サイモン、 ジェフ・ベック、バディ・ガイ、スティング、リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングらが参加した。第一夜は、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドが特別ゲストのジョン・フォガティ、ダーレン・ラヴ、トム・モレロ、サム・ムーア、ジャクソン・ブラウン、ピーター・ウルフ、ビリー・ジョエルと共に約6時間のコンサートを終えた[39][40][41]。
殿堂入り達成者
[編集]アーティスト達は、年1回の授賞式でロックンロールの殿堂入りを果たしていく。長年にわたり、式典の多くがニューヨーク市のホテルウォルドルフ=アストリアで開催されてきた。 しかし、1993年1月12日に式典がロサンゼルスで開催され、2013年にも再び開催された。ロックの殿堂博物館開業から約1年半後の1997年5月6日、クリーブランドでこの式典が開催された。 2009年と2012年にも式典がクリーブランドに戻った。現行の計画は3年ごとに式典をクリーブランドで開催するよう求めている。
一般的に殿堂入りする人数は、各年5名から10数名ほどである。実際のところ存命する殿堂入り達成者は全員が式典に出席しており、彼らは音楽的に影響を受けた(殿堂の)アーティストから殿堂入りの栄誉を授与される。授与者と殿堂入り達成者の両方が式典で講演し、そこでは殿堂入り達成者と授与者の双方による音楽演奏が披露されることも多い。
1986年1月23日の初回で殿堂入りした人物には、エルヴィス・プレスリー、ジェームズ・ブラウン、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、レイ・チャールズ、チャック・ベリー、サム・クック、エヴァリー・ブラザーズ、バディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイスなどがいた。 ロバート・ジョンソン、ジミー・ロジャース、ジミー・ヤンシーはアーリー・インフルエンス部門で、ジョン・ハモンドはライフタイム・アチーブメント賞で、アラン・フリードとサム・フィリップスは非演奏者部門でそれぞれ殿堂入りした。
パフォーマー部門
[編集]ロックンロールの歴史家で構成される候補指名委員会は「パフォーマー」部門(歌手、ボーカルグループ、バンド、あらゆる種類の楽器奏者)の名前を選別し、その後世界中にいる約500人の専門家によって投票が行われる。投票に選ばれる人物には、学者、ジャーナリスト、プロデューサー、その他音楽業界功労者などが含まれる。アーティストは「最初のレコードがリリースされてから25年後」に殿堂入りを受ける資格を有する。選定基準には、ロックンロールの発展と永続に対するアーティストの貢献度(その影響や重要性)などが含まれる。認定投票が用いられ、最低50%の承認を条件として過半票を獲得した候補者が殿堂入りとなる。毎年約5-7人のパフォーマーが殿堂入りとなっている[42]。
リードボーカルが殿堂入りした時に除外して物議となったため、ミラクルズ、フェイマス・フレイムズ、コメッツ、ブルー・キャップズ、ミッドナイターズ、クリケッツの6グループが、2012年に特別委員会によってパフォーマー部門で追加殿堂入りとなった。候補指名委員会メンバーのテリー・スチュワートは「この件に関しては多くの議論がなされました」「リードボーカルが殿堂入り時にグループが含まれなかった理由については毎回話し合いがなされました。実に正直なところ、本当に誰もその質問に答えることができませんでした、もうずっと昔の話です。[中略]私たちは組織としてそれを座視することにしました。これがその結果です」[43]と語った。
アーリー・インフルエンス部門
[編集]アーリー・インフルエンスには、主にカントリー、フォーク、ジャズ、ブルースなど、ロックンロールのアーティストに着想や影響を与えた、より昔の時代のアーティストが該当する。この部門で殿堂入りした著名なアーティストにはビル・ケニー&ジ・インク・スポッツ、カントリー奏者のジミー・ロジャースとハンク・ウィリアムズ、ブルース奏者のハウリン・ウルフとマディ・ウォーターズ、ジャズ奏者のジェリー・ロール・モートンとルイ・アームストロングなどがいる。2000年のナット・キング・コールとビリー・ホリデーの後、ロカビリー歌手のワンダ・ジャクソンが選ばれる2009年まで、この部門では誰も殿堂入りしなかった。 この部門の初期の殿堂入り達成者と違い、ジャクソンの経歴はほぼ全てが伝統的な「ロック時代」の始まりとなる1955年以降に起こったものである。
生涯の功績に対するアーメット・アーティガン賞
[編集]以前の「ノンパフォーマー(非演奏者)」賞で、この部門には、レコード会社の役員、作詞家、音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、コンサート興行者、音楽ジャーナリストなど、主に音楽業界の舞台裏で働く人々が該当する。2007年と2009年を除き、この部門には毎年少なくとも1人は殿堂入り達成者がいる。殿堂の共同設立者アーメット・アーティガンの死後、2008年に彼の名誉を称えてこの賞が改名された[44]。
ミュージカルエクセレンス賞
[編集]この部門は2000年に導入された以前の「サイドメン(伴奏者)」賞で、主にプロデューサーで構成される委員会によって選出された熟練のセッション演奏家およびコンサート演奏家を称えるものである。この部門は2004年から2007年まで休止しており、2008年に再始動した。2010年にこの栄誉が「ミュージカルエクセレンス賞」に改名された。ロックンロール殿堂財団の会長ジョエル・ペレスマンによると「この賞は、何らかの事柄に没頭する柔軟性を我々に与えてくれ、普段では気付けなかったかもしれない一部の(そうした)人々を認識させてくれる」という[45]。
図書館と史料館
[編集]ロックンロールの殿堂博物館にある図書館と史料館は、ロックンロールの歴史に関する資料に関する世界で最も包括的な収蔵庫である。 その使命はこれら資料を収集、保存、閲覧提供することである。図書館と史料館には二段階の運用がされている。(一般の)人々は図書館に来て、本や雑誌を読んだり、音楽やその他の録音物を聴いたり、ビデオや映画を見ることが可能である。また、真剣に取り組む学者、歴史家、報道記者たちは、アーキビスト職員の監督下で蔵書資料を閲覧することが事前予約で可能となっている。
図書館には、書籍、学位論文、様々な参考文献が収められている。そこにはよく読まれる雑誌、学術誌、業界誌、商用の録音オーディオと録画ビデオ、研究データベースも置かれている。
史料館には、レコード会社幹部、アーティストのマネージャー、各レーベル、歴史的会場、収録スタジオ、ステージ設計と照明の専門家、長期にわたるコンサートツアー、などから取り寄せた音楽業界の各種記録が収められている。そのコレクションには、アレサ・フランクリンやマドンナによる直筆の個人的な手紙、ジミ・ヘンドリックスやLL・クール・Jによる手書きの作業歌詞、スー・キャシディ・クラーク等による音楽ジャーナリストの論文、1970年代にCBGBで採れたレアなコンサート録音、といった重要な個人的物品も含まれている[46][47][48]。
批判
[編集]殿堂への最も多い批判は、候補選考のプロセスが創設者のヤン・ウェナーやスーザン・エヴァンズ、作家のデイヴ・マーシュなど、ミュージシャンではない少数の個人によって管理されている点であり、ロック界全体の見解ではなく彼らの個人的な好みを反映していると言うものである。選考委員会の元メンバーは以前「スーザン・エヴァンズは晩餐のチケットを売れるビッグネームが十分でないことを理由にこの選別が行われたことを嘆いていました。それはドゥーワップのとあるグループを削除することですぐに修正されたのですが、アーティストの「名前」で好みを選んでいたように思えました。[中略]リストにもっと知名度が必要だからと、50年代から60年代初期の先駆的なアーティストが外されていく様子を私は目の当たりにしました。結果として70年代のスーパースターが、それを成し遂げられるようにした人達よりも先に(殿堂入りを)獲得しました。こうした数名の先駆者は現在もまだ入っていません」と語っている[49]。シスター・ロゼッタ・サープは「ロックンロールのゴッドマザーないしグランドマザー」[50][51] と見なされることも多いが、2017年まで殿堂入りに選ばれなかった。ベルベット・アンダーグラウンドのモーリン・タッカーはこの殿堂を「ダサい殿堂」だと吐き捨てた[52]。
また、選考プロセスの不透明性に対する批判も存在する。ニューヨークタイムズ紙は次のように書いている。
名声とお金がかかってくるので、多くのロビー活動が舞台裏で行われているのは驚くことではない。特定のある年に幾人かのある演者が特定して選ばれる理由は部外者のみならず当事者達にとっても謎であるが、委員会のメンバーはそれを維持したいと言っている[53]。
候補指名委員会のジョン・ランドー会長は、その方法を委員会が望んでいるとして「我々は議事録を不透明のままにしておく良い仕事を成し遂げているのです。全てが部屋の中で完結するのです」と発言している[53]。
FOXニュースによると、数万の署名を伴う請願も無視されており、そのうえで特定レコード会社や企業と共に署名活動したり様々な委員会メンバーを傘下に置いた幾つかのグループは議論も一切されることなく指名候補に担ぎ上げられている[49] 。同委員会またはある特定ジャンルの大部分を無視していることで非難されている[54]。著述家のブレット・ミラノによると「ジャンル全体が飛ばされているのは、特にプログレッシブ・ロック、60年代のトップ40、ニューオーリンズのファンク、そして多くのブラックミュージックである」という[55]。
もう一つの批判は、殿堂入りしたアーティストが多すぎる点である。この15年で、97組のアーティストが殿堂入りした[56] 。殿堂入りには最低50%の投票が必要だが、最終的なパーセンテージが発表されることはなく、投票用紙が発送される前に殿堂入りとなる確定人数が設定される[56]。候補指名委員会の元メンバーだったジョエル・セルビンを含む一部の投票者は、いずれの候補者も本当に価値があると思えなかったため、2007年には票を投じなかった[57]。
2006年に殿堂入りしたパンクロックの英国バンドであるセックス・ピストルズのメンバーは、この博物館を「小便のしみ」「ワインに入れた尿」呼ばわりして、式典への出席を拒否した[58]。
2013年にBBCの音楽ラジオ局 (BBC Radio 6 Music) で行われたジョン・ピールの講談で、歌手シャルロット・チャーチは「ロックの殿堂に入った295組の演者とアーティストのうち、全体の259組が男性で、36組の女性演者の1人はティナ・ウェイマスのトーキング・ヘッズ加入による」と指摘して、同博物館の性差別を非難した[59][60]。事実、殿堂入りした女性の実際の割合は8.5%である[61]。全部門を合算しても、殿堂入り達成者719人のうち女性は61人となっている[62]。
2016年の殿堂入り達成者スティーヴ・ミラーは、自身の殿堂入りスピーチや特にその後のインタビューの両方で、この殿堂について苦言を呈した。その批判には、女性の殿堂入り達成者が全体的に不足していること、音楽教育に対して殿堂による支援が十分でないこと、授賞式での殿堂入り達成者の扱いがぞんざいであること、といった彼の見解が含まれていた[63]。
2018年、アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソンはこの殿堂を「全くの完全なるデタラメの塊だ。[中略]目の前で起こったとしてもロックンロールを知らないのだろう独善的な血まみれアメリカ人の集団によって運営されている」と批判した[64]。ディッキンソンはまた「博物館に(音楽を)入れると、後にそれは死んでしまう」とも主張して、殿堂の存在に対する全体的な嫌悪感も表明している。アイアン・メイデンは2004年より殿堂入りする資格があった[65]。
ハードロックとヘビーメタルのウェブサイトBlabbermouth.netは、キッスが殿堂入りまでに15年、ディープ・パープルが23年かかった様子を観測していた[66]。ジューダス・プリーストのイアン・ヒルは自身のバンドが殿堂入りしない点に関して「概ね彼らがヘビーメタルの音楽を好んでいると自分は考えていない」と2019年のインタビューで語っている[66]。
2018年、英国ロックバンドのダイアー・ストレイツが殿堂入りした時、グラミー賞を受賞したバンドリーダーのマーク・ノップラーはこちらの式典に出席せず、公式な説明もなかった[67]。デイヴ・マシューズ・バンドは、ファン投票で1位だったにもかかわらず部門に入っていなかったため、2020年の指名選考を非難した者も幾人かいた[68]。
デイヴ・クラーク・ファイブ
[編集]2007年3月14日、その年の殿堂入り式典の2日後にFOXニュースはデイヴ・クラーク・ファイヴが5番目で殿堂入り達成者になるべきだと主張する記事を発表した、というのも彼らは殿堂入りしたグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴよりも得票が多かったのである。同記事では続けて、ヤン・ウェナーが投票予定日に関するこじつけを使ったと主張している[69]。実際、デイヴ・クラーク・ファイブはグランドマスター・フラッシュよりも6票多く獲得していた。
ロックンロールの殿堂財団は「これには様式や規則や手順があるのです。投票が行われるべき指定時間があり、その後で票数集計が行われます。得票上位5組のバンドが(殿堂入りを)獲得しました」と回答した[70]。その後デイブ・クラーク・ファイブは再び候補指名され、翌年に殿堂入りとなった[71]。
モンキーズ
[編集]2007年6月、ピーター・トークはウェナーがモンキーズを追い出したと「ニューヨークポスト」紙に不平を主張して、次のようにコメントした。
(ウェナーは)規則が何であるのか気にも留めず、自分がちょうどいいと思う方法で運用しているに過ぎません。それは権力の濫用です。モンキーズが殿堂入りしたかどうか自分には分かりませんが、個人的な気まぐれから自分達が入らなかったのはほぼ明らかです。ヤンは他の誰よりも苦労したと思われていますが、40年経って、誰もが「大変な事って何だよ? 他の誰もがそれ(音楽スタジオやバックバンドの使用)をしているよ」と言っています。彼を除けば、今や誰も気に掛けません。1967年や1968年当時の彼の道徳的判断が2007年でも機能していると彼は思っているのでしょう[要出典]。
バンド仲間のマイク・ネスミスはフェイスブックの投稿で、自分はモンキーズの影響を内側から見ることしかできなかったからモンキーズが殿堂入りしていたのかは分からないと語りつつ、さらに続けて次のように述べた「私はHOF(殿堂)が民間企業だと分かっています。ビジネスとして運営していると思われ、企業オーナーの何らかの行動によって、殿堂入り達成者がそこにいるわけです。殿堂入り達成者は、オーナーの機嫌で選ばれたものと思われます。これは私にも妥当だと思えます。いずれにせよ、それは彼らのビジネスなのです。私にはHOFが公的な義務を果たしているとは思えませんが、公的なものへと適応を余儀なくされるべきでもありません。」[72]
『タイム』誌[73]、米公共ラジオ局[74]、クリスチャン・サイエンス・モニター紙[75]、『ゴールドマイン』誌[76][77]、Yahoo!ミュージック[78]、MSNBC[79] といった様々な雑誌や報道機関が、 モンキーズはロックンロールの殿堂入りに値するとの議論を行った。
チャビー・チェッカー
[編集]未選出であることを不服として、2004年にチャビー・チェッカーが抗議活動を行った[80]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2007年に日本のB'zが殿堂入りしたのがロック・ウォーク。これを当時のオリコンが「ロックの殿堂」と報じている[2]。
- ^ 英語には"Elvis has left the building(エルヴィスは建物を去った)"つまり「楽しい時間はお終い」という慣用表現があり、[22]、これをもじった表題。
- ^ ここでの出演者達の演奏を収録したライブアルバムが1972年グラミー賞の年間最優秀アルバム賞を獲得している。詳細は『バングラデシュ・コンサート』を参照。
- ^ ウォーバッシュ鉄道でシカゴ - デトロイト間を走っていたウォーバッシュ・キャノンボール列車を歌ったもの。詳細は英語版en:Wabash Cannonballを参照。
出典
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