クリッシー・ハインド
クリッシー・ハインド | |
---|---|
クリッシー・ハインド(2013年) | |
基本情報 | |
出生名 | Christine Ellen Hynde |
生誕 |
1951年9月7日(73歳)[1] アメリカ合衆国 オハイオ州アクロン |
ジャンル | ロック、ニューウェイヴ、パンクロック |
職業 | 歌手、ソングライター、ミュージシャン |
担当楽器 | ギター、ハーモニカ、ドラムス、ピアノ、ボーカル |
活動期間 | 1975年 - 現在 |
共同作業者 | プリテンダーズ、JP・クリッシー&フェアグラウンド・ボーイズ、ジョニー・モペッド、ムーアズ・マーダラーズ、チューブ&バーガー、UB40 |
著名使用楽器 | |
フェンダー・テレキャスター |
クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde、1951年9月7日 - )は、ロックバンドのプリテンダーズのメンバーとして知られる、アメリカ合衆国のミュージシャンである。
ヒッピー文化の影響を受けたハインドは、ロンドンにあるマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクスタイルの衣料品店SEXで働いた。1978年には、ピート・ファーンドンやジェイムス・ハニーマン・スコット、マーティン・チェンバースとバンド・プリテンダーズを結成し、ハインドはシンガーとソングライター、ギタリストを担当した。ハインドはプリテンダーズ以外の活動として、フランク・シナトラやUB40など他のミュージシャンと共演して、いくつかヒット曲を出している。ハインドとプリテンダーズは、2005年にロックの殿堂入りを果たしている。
生い立ち
[編集]ハインドはオハイオ州アクロンで生まれ育ち、アクロンの高校を卒業しているが、次のように語ってる。「高校生活は面白くなかった。ダンスに行ったこともなかったし、デートに行ったこともなかった。恋人もいなかった。酷いものだった。もちろん、バンドを見に行くことはできたから、それが楽しみだった。どんなバンドでも見るために、クリーブランドによく行っていた。だから私は会ったこともないバンドの男性に恋をしていた。ブライアン・ジョーンズやイギー・ポップを知っていたから、周りの男には興味が持てなかった。もっと大きな考えを持っていたんだ[2]。」
キャリア初期
[編集]ハインドはヒッピー・カウンターカルチャー、東洋の神秘主義、菜食主義に興味を持つようになった[3]。ケント州立大学美術学部の学生時代、Sat. Sun. Mat. という名前のバンドに加入した。そのバンドには後にディーヴォを結成するマーク・マザーズボーがいた[4]。ハインドが学生時代の1970年5月4日にケント州立大学銃撃事件が発生していて、4人の犠牲者のうちの1人がハインドの友人のボーイフレンドだった[5]。
ハインドはイギリスの音楽誌NMEに興味をもち、1973年にロンドンへ移った。まずは建築会社で仕事をしたが8ヶ月後に辞めてしまった。それから、ロック記者のニック・ケントと会ってNMEの仕事を紹介してもらい[6]、自身で後に「中途半端な哲学の戯言と無意味な攻撃」と称するものを書いた[7]。しかし、この仕事は続かないことに気づき、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドの当時あまり知られていない衣料品店SEXで働くようになった[8]。ある時点で、ハインドは労働許可証を取得するため、マクラーレンがマネジメントするセックス・ピストルズのジョニー・ロットンとその後シド・ヴィシャスに対して結婚することを説得した[9]。このエピソードに対するハインドの見解では、ロットンが「私と一緒に登記所へ行き、口にするのもはばかられることをすると言ってきた。」しかし、その後車を出したらヴィシャスがそこにいた[10]。翌朝に登記所へ到着したら、そこが「長期休暇のため閉鎖」で、ヴィシャスの出廷もあり、翌日からはいけなかった[10]。ハインドは、1975年にクリーブランドへ帰還する前にフランスでバンドを始めようとした[11]。
ハインドはバンドを結成するために1976年にフランスへ戻ったが、うまくいかなかった。そして、フレンチーズというバンドにベース担当として加入した[4]。あるときにリードシンガーが脱退したため、ハインドが代わりにリードシンガーとなった。ハインドはパンク・ロック・ムーブメントの早い時期に、ロンドンへ戻り、1976年後半にメロディー・メイカーのバンドメンバー募集の広告をみて、999というバンドのオーディションに参加した。そのオーディションには、後にカルチャー・クラブのメンバーとなるジョン・モスや、ジェネレーションXのトニー・ジェイムスも参加していた[12]。その後、ハインドはザ・クラッシュのミック・ジョーンズとグループを結成しようとした[4]。
バンドの結成に失敗したあと、マルコム・マクラーレンはハインドをマスターズ・オブ・ザ・バックサイドというバンドのギタリストに据えたが、そのバンドがダムドに改名した時にハインドは脱退させられた。ジョニー・モペッドというバンドに短期間加入した後、ミック・ジョーンズが自身のバンドの初のイギリスツアーにハインドを誘った[4]。ハインドは回想している。「素晴らしいことだったけど、心が折れそうだった。バンドにいたかった。すべてのギグに行き、間近でそれを見て、その中で生きていたかったのに、バンドはなく、打ちのめされた。去り際に「一緒に連れて行ってくれてありがとう」と言い、帰りのロンドンの地下鉄で泣いた。知り合いは皆バンドに属しているなか、私は本当に敗者だった[2][13]。」
ハインドは1978年にムーアズ・マーダラーズというムーアズ殺人事件から名前をとったバンドと短期間過ごした。そのバンドは後にヴィサージのフロントマンとなるスティーヴ・ストレンジがボーカルを務め、ヴィンス・エリーがドラムス、マーク・ライアンとハインドがギターを務めた。バンド名だけでも物議を醸すには十分で、NMEによれば、ハインドはまもなくバンドから距離を置いた。「私はメンバーじゃない。リハーサルに参加しただけ。スティーヴ・ストレンジとスー・キャットウーマンが考えたグループで、私は自分のグループを作っていたところだけど、手伝って欲しいと頼まれたからギターを弾いたの。」[14]
プリテンダーズ
[編集]1970年代後半
[編集]1978年、ハインドはリアル・レコード・レーベルのオーナーであるデーブ・ヒルにデモテープを送った[15]。ヒルはハインドにバンドを結成するように助言した。1978年春、ハインドはピート・ファーンドン(ベース)と出会い、その後彼らはジェイムス・ハニーマン・スコット(ギター、キーボード)とマーティン・チェンバース(ドラムス、パーカッション)をバンドメンバーに選んで、プリテンダーズという名前をグループにつけた。この名前は、プラターズの1955年の曲「ザ・グレート・プリテンダー」のサム・クック・バージョンに影響をうけたものである[16]。
彼らは「プレシャス」、「ザ・ウェイト(The Wait)」、キンクスの「ストップ・ユア・ソビング」などをデモテープに録音して、ハインドの友人であるニック・ロウに手渡して、シングル「ストップ・ユア・ソビング/プレシャス」をプロデュースしてもらいパリで最初のギグを行った。このシングルは1979年1月に発表され、イギリスでトップ30に入るヒット曲となった。1979年の春、プリテンダーズは最初のアルバム『愛しのキッズ』(Pretenders) を制作し、シングル「恋のブラス・イン・ポケット」(Brass in Pocket) はイギリスとアメリカのチャートを騒がせた[17]。
1980年代から1990年代
[編集]バンドはEPアルバム『Extended Play』と、アルバム『プリテンダーズII』を発表した。「トーク・オブ・ザ・タウン」(Talk of the Town) と「メッセージ・オブ・ラヴ」(Message of Love) は、その両方に収録されている。プリテンダーズはその後10年の間に次々とメンバー変更を繰り返した。ファーンドンがバンドから解雇された数日後である1982年1月に、ハニーマン・スコットが心臓麻痺で死去した。マーティン・チェンバースは1980年代中頃にバンドを去った。次々とメンバーが変わる中、ハインドだけは1990年代中頃にチェンバースが復帰するまで唯一のオリジナルメンバーとして残り続けた。ハインドは、この期間バンド唯一の不動のメンバーだった[18]。
他の音楽プロジェクト
[編集]ハインドは、カーヴド・エアのソーニャ・クリスティーナとともに、ミック・ファーレンの1978年のアルバム『Vampires Stole My Lunch Money』にバック・ボーカルとして参加している。また、スペシャルズの代表作となるアルバムに収録されている「ナイト・クラブ」(Nite Klub) で、ハインドはバックで歌っている[19]。INXSの1993年のアルバム『フル・ムーン・ダーティ・ハーツ』でハインドはタイトル曲をデュエットで歌っている[20]。ムードスウィングスの「ステイト・オブ・インディペンデンス・パート2」(State of Independence Part II) にボーカルとして参加し、『ルームメイト』のサウンドトラックに収録されている[21]。ハインドはモリッシーの「Evaryday is Like Sunday」をカバーしている[22]。
ハインドはフランク・シナトラともデュエットしていて、シナトラの1994年のアルバム『Duets II』に収録されている。1995年には、アメリカのコメディ・ドラマ『フレンズ』に出演している[23]。そして、1995年にはシェールとネナ・チェリーとともに「ラヴ・キャン・ビルド・ア・ブリッジ」(Love Can Build a Bridge) を歌った[24]。エリック・クラプトンもこのトラックにはリード・ギターとして参加している。1997年にEMIがラッシュ・リンボーに使用停止を請願するまで、リンボーはハインドの「My City Was Gone」を自身の番組のオープニングテーマとして長い間使用していた[25][26]。
ハインドの、プリテンダーズ以外のコラボレーションで最もチャートで成功したものは、1985年にUB40と共演したもので、ソニー&シェールの「アイ・ゴット・ユー・ベイブ」(I Got You Babe) のカバーである。この曲は全英シングルチャートで1位を獲得し[27]、アメリカのBillboard Hot 100でも28位を記録した[28]。
1999年、ハインドはシェリル・クロウとセントラル・パークで「イフ・イット・メイクス・ユー・ハッピー」(If It Makes You Happy) を歌った。ハインドはテレンス・トレント・ダービーの曲「Penelope Please」の詞に登場している[29]。1998年、ハインドはグラム・パーソンズのトリビュート・アルバム『Return of the Grievous Angel: A Tribute to Gram Parsons』のため、プリテンダーズを連れてエミルー・ハリスと「She」をデュエットしている。ハインドはスペインのバンドのハラベ・デ・パロのアルバム『Un metro cuadrado - 1m²』の収録曲「Cry (If You Don't Mind)」の録音に参加している[30]。2003年のアニメ映画『ラグラッツのGOGOアドベンチャー』ではブルース・ウィリスとデュエットを歌い声で出演している[31]。
2004年、ハインドはブラジル人ミュージシャンのモレーノ・ヴェローゾと一緒にツアーをするために2か月間ブラジルのサンパウロに移った。ハインドはサンパウロで部屋を買い、チューブ&バーガーの2004年のビルボードのホット・ダンス・エアプレイでのナンバー1ヒット「Straight Ahead」にボーカリストとして参加した[32][33]。2005年にはハインドはリンゴ・スターと「Don't Hang Up」という曲をデュエットし、この曲はスターのアルバム『Choose Love』に収録されている[34]。同じ2005年、ハインドはインキュバスと共演して「Neither Of Us Can See」という曲を歌い、この曲は映画『ステルス』のサウンドトラックに収録されている[35]。
クリッシー・ハインドと彼女のバンドであるプリテンダーズは、2005年にクリーブランドでロックの殿堂入りを果たした。ちょうどロックの殿堂は20周年であり、かつロックンロールができて50周年記念だった。アイルランドのバンドU2もこの年に表彰された[36]。式典はニューヨーク市のウォルドルフ=アストリアで行われた[37]。
2008年10月17日、アクロン仲間のミュージシャンであるディーヴォのオープニング・アクトとして、バラク・オバマ大統領候補支援のための慈善コンサートに出演した。同じアクロンのザ・ブラック・キーズは、ハインドより前に演奏した[38]。
ハインドはレイ・デイヴィスの2009年のクリスマス・シングル「Postcard From London」にゲストボーカルで参加し[39]、同じ年にはモリッシーのアルバム『イヤーズ・オブ・リフューザル』(Years of Refusal) にも参加している[40]。
クリッシー・ハインドとウェールズの歌手のJ・P・ジョーンズでバンドを組み、JP・クリッシー&フェアグラウンド・ボーイズと名乗った。彼らはデビューアルバム『Fidelity』を2010年8月24日に発表した[41]。ツアーの録音はUSBフラッシュドライブで発売された[42]。
2011年2月5日、ハインドとプリテンダーズは、テレビ番組『CMTクロスローズ』でフェイス・ヒルと生演奏で共演した[43]。
ハインドはジョン・ケイルやニック・ケイヴと、BBCの番組に1999年7月9日に出演した。このコンサートはロンドンで行われ、DVDで発売された[44]。2010年にはハイチ地震のための慈善シングルとして、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「I Put a Spell on You」のカバーに参加した。この曲とミュージック・ビデオには、ミック・ジョーンズやグレン・マトロック、シェーン・マクゴーワン、ボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)等が参加した[45]。
ハインドは2014年6月10日に新アルバム『ストックホルム』(Stockholm) を発表した。このアルバムには、ニール・ヤングやテニス選手のジョン・マッケンローが参加している[46]。
芸術性
[編集]ハインドの声域はコントラアルトである[47]。1978年にプリテンダーズを結成するまで、ハインドは音楽知識がほとんどなかった[48]。独特の拍子を数えられなくなると考え、正式なボイストレーニングを避けて次のように言っている。「ロック独特の声は、欲求不満や恐れ、孤独、怒り、不安定、傲慢、ナルシシズム、そして忍耐など、先生から学ぶものを除いて、長年の多くのものから鍛えられます。[48]」
影響
[編集]1994年のインタビューで、マドンナはハインドのことを振り返っている。
「彼女がセントラル・パーク(1980年8月、プリテンダーズ)で演奏したのを見たわ。素晴らしかった! 私がパフォーマンスを見た中でそう思えた唯一の女性。彼女には度胸がある、すごいわ!男の世界で自信に満ちた態度の女性を見たことが、私に勇気とインスピレーションを与えてくれた。」[49]
私生活
[編集]ハインドには、キンクスのレイ・デイヴィスとの間に1人の娘がいる[50]。また、シンプル・マインズのリードシンガーのジム・カーと結婚して別に1人の娘がいる。一家はスコットランドのサウス・クイーンズフェリーに住んでいた[50]。その後離婚したが、1997年にはコロンビア人アーティストの Lucho Brieva と再婚した[50][51]。夫妻は2002年に別れている[52]。
ハインドはヒンドゥー教ヴィシュヌ派を研究するため、毎年インドへ行く[53]。
ハインドはロンドンに住んでいて、さらに故郷のアクロンにもアパートを所有している[54]。
ガーディアン紙が2013年に発表した50代の50人のベスト・ドレッサーに、ハインドが選ばれている[55]。
ハインドは菜食主義者になったことを「これまで私におこった最高のこと」と話している[56]。肉食者に対しては「嫌悪感、ほぼ軽蔑」しているが、「尊敬できないけど協力して生きる」と言っている[56]。ハインドは動物の権利活動家であり、PETA[57]と、動物の権利グループViva![58]の支持者である。2002年には、ジュード・ロウやポール・マッカートニーらと反毛皮運動のコマーシャルに出演した。
自叙伝
[編集]2015年9月8日に自叙伝『Reckless: My Life as a Pretender』を発表した[59][60]。
レストラン事業
[編集]2007年11月、ハインドはアクロンにヴィーガニズムのレストランを開店した[61]。レストランは、イタリアの地中海の食物をつかった多国籍料理をだしている[62]。レストランを開店する前の2007年9月15日、ハインドは元プリテンダーズのギタリストのアダム・シーモアと店で3曲を演奏した。レストランはアメリカ国内のヴィーガニズム・レストランのトップ5に選ばれたが、経済的事情により2011年10月2日に閉店した[63]。
ディスコグラフィ
[編集]プリテンダーズ
[編集]ソロ・アルバム
[編集]- 2014年: 『ストックホルム』(Stockholm)
ゲスト出演
[編集]発売日 | シングル | 全英シングルチャート順位[64] |
---|---|---|
1984年9月 | 「プライド」(Pride) (with U2) | 3 |
1985年7月 | 「アイ・ゴット・ユー・ベイブ」(I Got You Babe) (with UB40) | 1 |
1988年6月 | 「ベッドで朝食を」(Breakfast in Bed) (with UB40) | 6 |
1991年9月 | 「ステイト・オブ・インディペンデンス」(Spiritual High (State of Independence)) (with モッドスウィングス) | 66 |
1993年1月 | 「ステイト・オブ・インディペンデンス・パート2」(Spiritual High (State of Independence)) (Remix) (with モッドスウィングス) | 47 |
1995年3月 | 「ラヴ・キャン・ビルド・ア・ブリッジ」(Love Can Build a Bridge) (with シェール、ネナ・チェリー、エリック・クラプトン) | 1 |
2000年5月 | 「Kid 2000」 (with ハイブリッド) | 32 |
2004年1月 | 「Straight Ahead」 (with チューブ&バーガー) | 29 |
脚注
[編集]- ^ “Happy 60th Birthday, Chrissie Hynde!”. Starpulse.com (2011年9月7日). 2012年4月13日閲覧。
- ^ a b Loder, K. "Pretenders", p. 13. Rolling Stone, May 29, 1980.
- ^ Cornwell, Jane (2010年8月21日). “Chrissie Hynde and the Pretenders: Present tense”. The Australian 2015年3月16日閲覧。
- ^ a b c d Williams, Mark (May 28, 2014). “Chrissie Hynde: 'Malcolm McLaren wanted me to dress up like a guy'”. The Guardian March 16, 2015閲覧。
- ^ Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. pp. 80-81. ISBN 9781785031441
- ^ Price, Simon (2014年6月10日). “Talker Of The Town: Chrissie Hynde Interviewed By Simon Price”. The Quietus. 2015年3月16日閲覧。
- ^ Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. p. 150. ISBN 9781785031441
- ^ Shepherd, Fiona (2014年4月28日). “Chrissie Hynde grabs attention with debut solo LP”. The Scotsman 2015年3月16日閲覧。
- ^ Lydon, John (2008). Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs. Macmillan. p. 138
- ^ a b Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. pp. 198–9. ISBN 9781785031441
- ^ Light, Alan (2008年10月3日). “Her City's Not Gone, and Neither Is She”. The New York Times 2015年3月16日閲覧。
- ^ “999 - A history Part 1”. Punk77.co.uk. 2012年12月12日閲覧。
- ^ Hynde states this in The Pretenders Greatest Hits DVD documentary extra "No Turn Left Unstoned".
- ^ Letters page, NME, January 21, 1978.
- ^ Lifton, Dave (2015年1月19日). “35 Years Ago: The Pretenders Roar to Life with Their Self-Titled Debut”. Ultimate Classic Rock. 2015年3月16日閲覧。
- ^ White, Timothy (1995-10-14). Pretenders' Hynde Appreciates the 'View' 2013年1月22日閲覧。.
- ^ Shedden, Iain. “Chrissie Hynde the real pretender”. The Australian 2015年3月16日閲覧。
- ^ Allen, Craig (2013年6月8日). “Meet the Pretenders [PHOTOS, VIDEOS”]. WKXW 2015年3月16日閲覧。
- ^ “The Specials”. The Specials. 2011年11月5日閲覧。
- ^ Kot, Greg (1993年11月25日). “Sassy Aussies”. Chicago Tribune 2015年5月16日閲覧。
- ^ “Single White Female”. Turner Classic Movies. 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Pretenders - Pirate Radio Audio Stream”. Contactmusic.com. 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Friends”. TV Guide. 2015年3月16日閲覧。
- ^ Duke, Simon (2015年2月16日). “BBC 6 Music Festival Newcastle: Sage Hall One act profiles - Neneh Cherry, The Charlatans and more”. Chronicle Live 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Really Randoms: Chrissie Hynde, Ricky Martin, Jimmy Page”. Rolling Stone. 2009年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月4日閲覧。
- ^ “Origins of the EIB Theme Song”. The Rush Limbaugh Show (2011年5月13日). 2012年3月19日閲覧。
- ^ McCormick, Ken (2014年10月24日). “Pretenders star Chrissie Hynde to play Bristol – tickets on sale now”. Bristol Post 2015年3月16日閲覧。
- ^ Allen, Craig (2013年6月15日). “Meet UB40 [PHOTOS, VIDEOS”]. WKXW 2015年3月16日閲覧。
- ^ Soto, Alfred (2005年8月16日). “Terence Trent D'Arby - Symphony Or Damn”. Stylus Magazine. 2015年3月16日閲覧。
- ^ Moran, Paul (2012年10月11日). “Crossing borders: Spain's Jarabe de Palo”. Creative Loafing 2015年3月16日閲覧。
- ^ Phares, Heather. “Original Soundtrack: Rugrats Go Wild”. Allmusic. 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Chrissie Hynde - Straight to the point”. New Zealand Herald. (2004年1月31日) 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Tube & Berger”. Billboard.com. 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Ringo Starr Thrills Fans in Bryant Park”. ABC News. (2005年6月17日) 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Incubus Tracks To Lead 'Stealth' Soundtrack”. Billboard.com (2005年5月18日). 2015年3月16日閲覧。
- ^ “2005 Induction Ceremony | The Rock and Roll Hall of Fame and Museum”. Rockhall.com. 2011年11月5日閲覧。
- ^ Hinckley, David (2005年3月15日). “That's Hall Folks!. Rockers Roll In For 20th Induction Ceremony”. New York Daily News 2011年11月5日閲覧。
- ^ Abram, Malcolm X (2008年10月17日). “Devo's benefit concert whips up vote”. Ohio. 2011年11月5日閲覧。
- ^ Davies, Ray (2009年12月11日). “Observations: Ray Davies' ode to icons of London”. The Independent 2015年3月16日閲覧。
- ^ D'Addario, Daniel (2013年10月18日). “The ultimate Morrissey memoir playlist”. Salon.com. 2015年3月16日閲覧。
- ^ “Chrissie Hynde's tell-all album”. CNN. (2010年9月3日)
- ^ “JP, Chrissie & The Fairground Boys”. Jpchrissie.com. 2011年11月5日閲覧。
- ^ Graff, Gary (2011年2月3日). “Faith Hill, Chrissie Hynde Ready for 'Chaotic' Super Bowl Weekend”. Billboard.com. 2015年3月16日閲覧。
- ^ “BBC Press Office”. BBC. (2008年7月4日) 2015年3月16日閲覧。
- ^ Cooke, Jennifer (2010年5月29日). “Shane MacGowan and Friends - "I Put a Spell on You" (video)”. PopMatters. 2015年3月16日閲覧。
- ^ Mansfield, Brian (2014年3月24日). “Pretenders' Chrissie Hynde to release 'Stockholm'”. USA Today
- ^ “The 10 Best Pretenders Songs”. Stereogum (2012年12月14日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ a b Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. pp. 192, 218, 232, 272. ISBN 9781785031441
- ^ Q, #99, December 1994. Madonna interview by Paul Du Noyer
- ^ a b c “Chrissie Hynde Marries Colombian Artist”. Lewiston Morning Tribune. (1997年7月18日) 2011年7月13日閲覧。
- ^ “The Great Pretender; She's back on the chain gang, but Jim Kerr's ex is now more of a parent than a punk rocker”. Thefreelibrary.com. 2012年12月12日閲覧。
- ^ “Homegrown Heroes”. Cleveland.com. The Plain Dealer. 2011年7月13日閲覧。
- ^ Holy Cow: The Hare Krishna Contribution to Vegetarianism & Animal Rights
- ^ Ohio.com アーカイブ 2008年12月24日 - ウェイバックマシン
- ^ Cartner-Morley, Jess; Mirren, Helen; Huffington, Arianna; Amos, Valerie (2013年3月28日). “The 50 best-dressed over 50s”. The Guardian (London)
- ^ a b Hynde, Chrissie (2015). Reckless. Ebury Press. p. 30. ISBN 9781785031441
- ^ “Kentucky Fried Cruelty :: Celebrity Support :: Chrissie Hynde”. Kfccruelty.com. 2011年11月5日閲覧。
- ^ “Vegetarians International Voice for Animals - Star Supporters”. Viva!. 2011年11月5日閲覧。
- ^ Ebury Publishing
- ^ Knopf Doubleday
- ^ “Default Parallels Plesk Panel Page”. Thevegiterranean.com. 2012年12月12日閲覧。
- ^ “VegiTerranean NOW Open”. Groovyvegetarian.com. 2011年11月5日閲覧。
- ^ “Chrissie Hynde's VegiTerranean restaurant closes”. Cantonrep.com (2011年10月3日). 2011年11月5日閲覧。
- ^ Official Charts Company. “UK Chart details”. 2013年12月16日閲覧。