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2018年12月19日、モウリーニョ解任後の暫定監督にOBの[[オーレ・グンナー・スールシャール]]が就任した<ref>{{Cite web|url=https://www.manutd.com/ja/news/detail/ole-gunnar-solskjaer-appointed-caretaker-manager|title=暫定監督はスールシャール|accessdate=2018-12-31|website=www.manutd.com|language=ja}}</ref>。しかし就任後のサポーターからの好感、そして好成績もあって2019年3月28日に3年契約で正式に監督就任を果たした<ref>{{Cite web|title=オーレがフルタイムの監督に就任|url=https://www.manutd.com/ja/news/detail/manchester-united-announces-ole-gunnar-solskjaer-as-full-time-manager|website=www.manutd.com|accessdate=2019-03-28|language=ja}}</ref>。ところが奇跡と言われた[[UEFAチャンピオンズリーグ 2018-19|UEFAチャンピオンズリーグ]]の[[パリ・サンジェルマンFC|PSG]]戦<ref>{{Cite web|title=[4-4-2]、一撃の殺気、ラスト5分の奇跡…PSG戦、あのユナイテッドが帰って来た {{!}} footballista.jp|url=https://www.footballista.jp/special/61939|website=footballista|accessdate=2019-05-08|language=ja}}</ref>から後の公式戦でわずか2勝しかできず、最終節を待たずして[[Uefaチャンピオンズリーグ 2019-20|来季のUEFAチャンピオンズリーグ]]出場権を逃すことになってしまった。もちろん全世界のファンが黙っているはずもなく、[[twitter]]上に「#UnfollowManUnited」というハッシュタグが登場した<ref>{{Cite web|title=#UnfollowManUnited: Fans' social media protest|url=http://www.espn.com/soccer/blog/the-toe-poke/65/post/3845385/fans-unfollowmanunited-social-media-accounts-in-protest-against-old-trafford-bosses|website=ESPN.com|date=2019-05-07|accessdate=2019-05-08|language=en}}</ref>。オーナーであるグレイザー一族やCEOであるエド・ウッドワードに対する抗議の意であるが、思惑通りTwitter |
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== サポーター == |
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世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社である[[カンター]]社により、ファンの数が[[世界人口]]のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人との推定が発表された。フットボールに限らずすべてのスポーツクラブの中で'''世界一ファンの多いクラブ'''である。 |
世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社である[[カンター]]社により、ファンの数が[[世界人口]]のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人との推定が発表された。フットボールに限らずすべてのスポーツクラブの中で'''世界一ファンの多いクラブ'''である。 |
2019年5月8日 (水) 12:35時点における版
マンチェスター・ユナイテッドFC | ||||
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原語表記 | Manchester United Football Club | |||
愛称 | The Red Devils, The Reds | |||
クラブカラー | 赤 | |||
創設年 | 1878年 | |||
所属リーグ | プレミアリーグ | |||
ホームタウン | マンチェスター | |||
ホームスタジアム | オールド・トラッフォード | |||
収容人数 | 75,653 | |||
代表者 | アヴラム・グレーザー | |||
監督 | オーレ・グンナー・スールシャール | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
マンチェスター・ユナイテッド・フットボール・クラブ(英語: Manchester United Football Club、イギリス英語発音: [ˈmænʧistə juːˈnaitid ˈfutˌbɔːl klʌb])は、イングランド・マンチェスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。世界有数の経済規模を有するクラブであり、2017年度の収入規模は世界第1位である[1]。クラブカラーは赤。愛称は赤い悪魔(レッド・デビルズ、The Red Devils)。
概要
1968年、サー・マット・バスビー監督の指揮の下で、イングランドのクラブとして初めてUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)のトロフィーを獲得したクラブであり、その後、1999年、2008年と通算3回の優勝を経験した。また近年では、1986年から2013年までクラブを率いたサー・アレックス・ファーガソン監督の下で、13回のプレミアリーグ優勝と2回のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む20以上の主要なタイトルを獲得し、長きにわたってイングランドのフットボールをリードしてきた。現在、イングランドのトップリーグで歴代最多となる20回の優勝を経験している[2]。
2017年にアメリカの経済誌『フォーブス』が発表したクラブの資産価値では、同クラブの資産価値は36億9000万ドルと算定され、世界のサッカークラブの中で5年ぶりに第1位となった[3]。2015-16シーズンのクラブ収入は6億8900万ユーロと算定されており、12年ぶりに第1位である[4]。
クラブの一般的な略称は複数存在するが、「ユナイテッド(United)」の他、英語圏ではニューカッスル・ユナイテッドなどチーム名に「ユナイテッド」が含まれる他のクラブと区別するため、マンチェスターをマンと略し「マン・ユナイテッド(Man United, Man Utd)」などと呼称・表記される。また、主に英語圏のサポーターのコミュニティにおいては、チームカラーである赤色にちなんで「レッズ(Reds, The Reds)」とも呼称される。その他、各国の新聞・雑誌のスポーツ報道やニューヨーク証券取引所のティッカーシンボルなどでは「マンユー(マンU[5][6][7],Man U[8][9][10][11][12][13][14][15][16][17],ManU[18][19][20],MANU[21])」と呼称される場合もある。
同じ市内にあるマンチェスター・シティとの「マンチェスター・ダービー」は、マージーサイド・ダービー、ノース・ロンドン・ダービーと並ぶリーグの三大ダービーのひとつに数えられ、世界でも有名なダービーマッチの一つである。また、伝統的にライバル関係にあるとされるリヴァプールとの試合は、「ノースウェスト・ダービー(あるいはイングランド・ダービー、ナショナル・ダービー)」と呼ばれ、世界中に数多く存在する伝統の一戦の一つに数えられている。両者の間ではこれまで数多くの白熱した試合が繰り広げられてきた。
伝統的に背番号7は特別な番号として扱われており、「栄光の7番」と言われている。ジョージ・ベスト、スティーヴ・コッペル、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウド、マイケル・オーウェンなど、人気や実力においてその時代のチームを代表する選手がこの番号を付けてプレーしてきた。
経済的優良クラブの典型とされてきたが、アメリカ・NFLのタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収され、物議を醸している。グレーザーによるクラブ支配に反対するサポーターの一部は、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることを懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成した。
ホームスタジアムはマンチェスターのオールド・トラッフォード(収容人数75,653)。1974-75シーズンを例外として、1938年からこれまで一貫してイングランドのトップリーグに属している。
歴史
マンチェスター・ユナイテッドは現在でこそイングランドを代表する名門として認識され、世界中に多数のサポーターを抱えるクラブとなっているが、その歴史自体は長いイングランドのフットボールの歴史と比較するとさほど古いものではない。また近年の成功とは対照的に、このクラブは数々の苦難を経験してきた。
創立
1878年、マンチェスターの鉄道員が中心となって、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC(Newton Heath LYR FC)として創立された。初めの数年はほとんど公式試合はせず、チーム内のメンバー同士で試合を行う以外は専ら他の鉄道会社のチームと非公式に対戦していた。1882年から1883年の間に26試合の親善試合をした記録が残っている。翌年(1884年)、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに7-2で敗戦した。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にニュートン・ヒース(Newton Heath FC)と名称を変更し運営を行った。しかし、当時のオーナーの方針で観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだことなどの事情が影響し、1902年に一旦破産している。その後、地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手した。1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなったが、名称変更前の2日間だけはマンチェスター・セルティック (Manchester Celtic)という名称であった。
2日間だけではあるが、セルティックと名乗ったことでこのクラブがローマ・カトリック系であると思われることが多いが、ローマ・カトリック教会とは全くの無縁である。
草創期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラッフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの当時の本拠地メイン・ロードを拝借するといった有様だった。
マット・バスビー時代の二度の栄光
1950年代に入り、マット・バスビーを監督としてチームの大改革が行われ、クラブは見事に復活を遂げたように見えた。しかし、その矢先にミュンヘンの悲劇で主力の多数を失う。これによりイギリス(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパでの栄光はスコットランドのセルティックに譲ることになってしまった。1960年代後半は、ボビー・チャールトン、デニス・ロー、ジョージ・ベストらを擁して栄光を勝ち獲ってきたが、1970年代に入ると世代交代に失敗。1974年には(1シーズンだけではあるが)2部落ちの憂き目にも遭っている。ちなみに、マット・バスビーは当時からチームの愛称となっていたレッド・デビルスという名をクラブの商標や、エンブレムに使用した先駆者でもある。
アレックス・ファーガソン時代の栄光
長い低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督、アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功。現在に至る常勝軍団の系譜をスタートさせた。
プレミアリーグの優勝回数は13回で、最多優勝クラブ。旧フットボールリーグ・ファーストディビジョン時代を通じても、優勝20回は歴代1位。その他に、FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち取っている。
中でも1998-99シーズンはクラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカム、ガリー・ネヴィル、ポール・スコールズ、ライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝でバイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下しヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。さらにこのシーズンはリーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(3冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。このカンプ・ノウの奇跡の試合と、FAカップでライアン・ギクスが見せたハーフライン付近からのドリブルしてのゴールは今でもサポーターの中で語り継がれている。
ヨーロッパのフットボール史において、他にUEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップ)、国内リーグ、国内カップを制し、3冠を成し遂げたのは、1966-67シーズンのセルティック、1971-72シーズンのアヤックス、1987-88シーズンのPSV、2008-09シーズンと2014-2015シーズンのバルセロナ、2009-2010シーズンのインテル、2012-2013シーズンのバイエルン・ミュンヘンのみである。
1995年にはイプスウィッチ・タウン戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。また1999-2000シーズン、2000-2001シーズン共にリーグ優勝し、1998-1999シーズンを含めてクラブ初のリーグ3連覇を達成した。
このようにプレミアシップ発足後も高い実力と人気を兼ね備え、1990年代のユナイテッドはアーセナルとともに2強と呼ばれた。2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンに無敗優勝)、チェルシー(2004-05、2005-06シーズンに2連覇)からの王座奪還を目標とした。2005年10月29日、ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドとしてのイングランド・プレミアリーグの通算1,000ゴール目を記録。これはプレミア最速記録でもある。
クラブは2006-07シーズンにこれまでリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来4年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。翌2007-08シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝で同じくチェルシーとのサドンデスPK戦を制し、9年ぶり3回目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げた。2007-2008シーズン、2008-2009シーズン共にリーグ優勝し、クラブ2度目となるリーグ3連覇を達成。その後もコンスタントにタイトルを獲得し続けたアレックス・ファーガソンは、2012-2013シーズンのクラブ20回目となるリーグ優勝を置き土産に、27年間監督を務めた監督を勇退した[22]。
ファーガソンの最終年、2012-2013シーズンの基本フォーメーション |
ファーガソン退任による迷走期への突入
2013年5月、ファーガソンの後任にエヴァートンを11年にわたり率いたファーガソンの同胞、デイヴィッド・モイーズが就任すると発表された[23]。夏の移籍市場でモイーズはエヴァートン時代の教え子であるマルアン・フェライニを獲得し、冬の移籍市場ではチェルシーからファン・マタを獲得した。しかしスウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫したり、プレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイドの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って連敗するといった記録的な敗戦も含めて成績が低迷し、1994-95シーズン以来となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。結果として2014年4月22日、1年も持たずにモイーズの同シーズン限りでの解任が発表され[24]、同シーズンの残り試合についてはライアン・ギグス(兼任コーチ)が暫定監督に就任すると発表された[25]。チームは7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。
2014年5月18日、当時オランダ代表を率いていたルイ・ファン・ハールがワールドカップ後に新監督に就任することが決定した[26]。暫定監督を務めたギグスは選手を引退し、アシスタントコーチへの就任が決定。クラブは夏の移籍市場において、選手の補強費用に約260億円もの大金を投じた。ワールドカップブラジル大会で準優勝に輝いたアルゼンチン代表のマルコス・ロホやアンヘル・ディ・マリア、ファン・ハールのオランダ代表監督時代の教え子であるダレイ・ブリントほか、アスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラ、サウサンプトンからルーク・ショー、移籍期限ギリギリにASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。リーグでは即戦力として期待されていたファルカオとディ・マリアが不調に陥ったものの、ルーニーやデ・ヘア、マタといった既存の戦力が機能し4位で終え、無冠ながら来季のUEFAチャンピオンズリーグプレーオフの出場権を獲得した。
2015-16シーズンはPSVから2014 FIFAワールドカップでオランダ代表の3位入りに貢献したファン・ハールの教え子でもあるメンフィス・デパイを始めとし、モナコからアントニー・マルシャル、バイエルン・ミュンヘンからバスティアン・シュヴァインシュタイガー、サウサンプトンからモルガン・シュネデルラン、サンプドリアからセルヒオ・ロメロ、トリノからマッテオ・ダルミアンを獲得するなど、前年に続いての大型補強を行った。しかしチャンピオンズリーグにおいては、ヴォルフスブルク、PSV、CSKAモスクワと同席になったグループリーグで3位に終わりグループステージ敗退となったほか、その後進んだヨーロッパリーグでもプレミアリーグの長年のライバルであるリヴァプールに2戦合計1-3で敗れ、ベスト16で姿を消した。2016年5月21日のFAカップ決勝でクリスタル・パレスを延長戦で破って12大会ぶり12度目のFAカップ優勝を飾ったものの、その3日後に来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃すなどの成績不振により、契約を1年残してファン・ハールの2年のみでの監督解任が発表された。
2016-17シーズンよりジョゼ・モウリーニョが新監督に就任。これまで2度チェルシーの監督を努め、3度のプレミアリーグ制覇を成し遂げた名将に名門マンチェスター・ユナイテッドの復活が期待された。夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、ヘンリク・ムヒタリアン、エリック・バイリーや下部組織出身のポール・ポグバを獲得するなどの相変わらずの大型補強を実施し、リーグカップの決勝でサウサンプトンを下してモウリーニョ体制で初のタイトルを獲得した。リーグでは失点数がリーグ2位の29と堅守を披露し、クラブレコードとなるリーグ戦25試合連続無敗を記録したが、そのうち12試合で引き分けるなど勝ちきれない試合が続いて勝ち点が伸びず、最終的にヨーロッパのカップ戦出場圏外の6位に終わってしまう。しかしUEFAヨーロッパリーグでは決勝まで勝ち進み、決勝でアヤックスに2-0で勝利して同大会初優勝をあげ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。クラブは、UEFAヨーロッパリーグの優勝によってユヴェントス、アヤックス、バイエルン、チェルシーに次いでUEFA主催の主要3大会を制覇した5番目のクラブとなった[27]。
モウリーニョ体制2年目である2017-18シーズン、センターフォワードにエヴァートンからロメル・ルカク、ボランチにチェルシーからネマニャ・マティッチ、センターバックにSLベンフィカからビクトル・リンデロフと、昨シーズン問題のあったポジションに即戦力を獲得する補強を展開。これが功を奏したのか、前半戦終了時点で14勝3分2敗の勝ち点45と歴代優勝クラブに匹敵する好成績を叩き出すが、それを上回る空前絶後のペースで勝ち点を積んだ宿敵マンチェスター・シティの後塵を拝し2位で折り返す。冬の移籍市場でムヒタリアンとのトレードでアレクシス・サンチェスを獲得し追撃態勢を整えるが、シティの独走は止まらず、4月7日のマンチェスター・ダービーに3-2で逆転勝利し目の前での優勝決定を阻止するのがやっとであり、結局25勝6分7敗で例年なら優勝もあり得た勝ち点81[注釈 1]で、シティに歴代最多勝ち点差での優勝を許す2位に終わった。UEFAチャンピオンズリーグもベスト16でセビージャ相手に2戦合計1-2で不覚を取ってしまい、満足のいかないシーズンとなった。マイケル・キャリックは当シーズンをもって引退した。
モウリーニョ体制3年目である2018-19シーズン、アカデミー生のGKサム・ジョンストンやファン・ハールの教え子ブリントらを放出した一方で、サイドバックにポルトからディオゴ・ダロト、ミッドフィールダーにシャフタール・ドネツクからフレッジ、控えGKにリー・グラントを獲得。ところが前半戦すべてを消化しない17試合の時点で昨季の28失点を上回り、特にリバプール&マンチェスター・シティ&トッテナム&チェルシー&アーセナルといった欧州カップ圏を争うBIG6間では3敗2分6得点13失点と後塵を喫することとなり、これを決定付けた12月16日のリバプール戦後をもってモウリーニョは解任となった[28]。
ファーガソンの教え子の帰還
2018年12月19日、モウリーニョ解任後の暫定監督にOBのオーレ・グンナー・スールシャールが就任した[29]。しかし就任後のサポーターからの好感、そして好成績もあって2019年3月28日に3年契約で正式に監督就任を果たした[30]。ところが奇跡と言われたUEFAチャンピオンズリーグのPSG戦[31]から後の公式戦でわずか2勝しかできず、最終節を待たずして来季のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃すことになってしまった。もちろん全世界のファンが黙っているはずもなく、twitter上に「#UnfollowManUnited」というハッシュタグが登場した[32]。オーナーであるグレイザー一族やCEOであるエド・ウッドワードに対する抗議の意であるが、思惑通りTwitter公式アカウントのフォロワーが減るのと比例してニューヨーク証券取引所においても株価が下落している。
サポーター
世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社であるカンター社により、ファンの数が世界人口のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人との推定が発表された。フットボールに限らずすべてのスポーツクラブの中で世界一ファンの多いクラブである。
著名人のファンとして挙げられるのは、自身がチェアマンを務めるバンド “シンプリー・レッド” の名前の由来に「地毛が赤」と「マンチェスター・ユナイテッドが好きだから」を掲げるミック・ハックネルや、父親が元在籍選手だったイアン・マクシェーン、2012年と2014年のPGAツアー賞金王であるローリー・マキロイ、クリケット選手のマヘンドラ・シン・ドーニ、世界最高峰のプロレス団体WWEにて史上初のクルーザー級かつ覆面スーパースターとして当時の番組最高王座を獲得したレイ・ミステリオ、2009年に練習場を訪れたこともある100m走&200m走の世界記録保持者ウサイン・ボルト、元選手のガリー・ネヴィルに「モウリーニョはまるで彼のようだ」と例えられたフロイド・メイウェザー[33]、そのメイウェザーと偉大なる戦いで対峙したマニー・パッキャオらである。
日本人でファンを公言しているのは女優の大杉亜依里、サッカー解説者の粕谷秀樹、サッカーライターの東本貢司ら。
ユニフォーム
1878年の創立時のユニフォームは白いシャツに青いパンツであり、その後は創立時のニュートン・ヒースLYRのチームカラーである緑色と黄色を基調としたものであった。1902年に名称が変更されてから赤が基調となった。
また、発足当初のユニフォームに付けられたエンブレムはマンチェスター市に由来する紋章であり、帆船が中心に描かれている。帆船は現在まで描かれているが、愛称の「赤い悪魔」に由来する悪魔が描かれるのは1970年代に入ってからである。
2001-2002シーズンは「マンチェスター・ユナイテッド」という名称になってから100周年ということで、アウェイでは白色と金色で構成されたユニフォームを着用した。
歴代ユニフォーム
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タイトル
国内タイトル
- FAカップ:12回
- 1909, 1948, 1963, 1977, 1983, 1985, 1990, 1994, 1996, 1999, 2004, 2016
- リーグカップ:5回
- 1992, 2006, 2009, 2010, 2017
- FAチャリティ/コミュニティーシールド:21回 (17回単独, 4回同時)
- 1908, 1911, 1952, 1956, 1957, 1965*, 1967*, 1977*, 1983, 1990*, 1993, 1994, 1996, 1997, 2003, 2007, 2008, 2010, 2011, 2013, 2016 (*印はタイトル共有)
国際タイトル
- FIFAクラブワールドカップ :1回
- 2008
- インターコンチネンタルカップ (トヨタカップを含む):1回ファイル:Trofeo-mini-copa-intercontinental-2.png
- 1999
- UEFAチャンピオンズリーグ (旧UEFAチャンピオンズカップを含む):3回
- 1968, 1999, 2008
- UEFAカップウィナーズカップ:1回
- 1991
- UEFAヨーロッパリーグ : 1回 ファイル:UEFA Cup (adjusted).png
- 2017
- UEFAスーパーカップ:1回
- 1991
親善大会(非公式大会)
- アムステルダム・トーナメント:1回
- 2006
現所属メンバー
- 2018-19シーズン 基本フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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リザーブ・アカデミー
歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
---|---|---|
アルフレッド・ハロルド・カサヤ | イングランド | 1892 - 1900 |
ジェームス・ウエスト | イングランド | 1900 - 1903 |
ジェームス・アーネスト・マングノール | イングランド | 1903 - 1912 |
ジョン・ベントレー | イングランド | 1912 - 1914 |
ジョン・ロブソン | イングランド | 1914 - 1921 |
ジョン・チャップマン | イングランド | 1921 - 1926 |
ラル・ヒルディッチ | イングランド | 1926 - 1927 |
ハーバート・バムレット | イングランド | 1927 - 1931 |
ウォルター・クリックマー | イングランド | 1931 - 1932 |
スコット・ダンカン | スコットランド | 1932 - 1937 |
ウォルター・クリックマー | イングランド | 1937 - 1945 |
マット・バスビー | スコットランド | 1945 - 1969 |
ウィルフレッド・マクギネス | イングランド | 1969 - 1970 |
マット・バスビー | スコットランド | 1970 - 1971 |
フランク・オファレル | アイルランド | 1971 - 1972 |
トミー・ドハーティー | スコットランド | 1972 - 1977 |
デーブ・セクストン | イングランド | 1977 - 1981 |
ロン・アトキンソン | イングランド | 1981 - 1986 |
アレックス・ファーガソン | スコットランド | 1986 - 2013 |
デイヴィッド・モイーズ | スコットランド | 2013 - 2014 |
ライアン・ギグス(暫定) | ウェールズ | 2014 |
ルイ・ファン・ハール | オランダ | 2014 - 2016 |
ジョゼ・モウリーニョ | ポルトガル | 2016 - 2018 |
オーレ・グンナー・スールシャール | ノルウェー | 2018- |
歴代在籍選手
出場試合数記録
順位 | 選手名 | 所属期間 | 試合数 |
---|---|---|---|
1 | ライアン・ギグス | 1991-2014 | 963 |
2 | ボビー・チャールトン | 1956-1973 | 758 |
3 | ポール・スコールズ | 1994-2011, 2012-2013 | 718 |
4 | ビル・フォルケス | 1952-1970 | 688 |
5 | ガリー・ネヴィル | 1992-2011 | 602 |
6 | ウェイン・ルーニー | 2004-2017 | 559 |
7 | アレックス・ステップニー | 1966-1978 | 539 |
8 | トニー・ダン | 1960-1973 | 535 |
9 | デニス・アーウィン | 1990–2002 | 529 |
10 | ジョー・スペンス | 1919–1933 | 510 |
総得点数記録
順位 | 選手名 | 所属期間 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | ウェイン・ルーニー | 2004-2017 | 253 |
2 | ボビー・チャールトン | 1956-1973 | 249 |
3 | デニス・ロー | 1962-1973 | 237 |
4 | ジャック・ローリー | 1937–1955 | 211 |
5 | デニス・ヴァイオレット | 1952–1962 | 179 |
ジョージ・ベスト | 1963–1974 | ||
7 | ジョー・スペンス | 1919–1933 | 168 |
ライアン・ギグス | 1991-2014 | ||
9 | マーク・ヒューズ | 1983–1986, 1988–1995 | 163 |
10 | ポール・スコールズ | 1994-2011, 2012-2013 | 155 |
練習場
トラッフォード・トレーニング・センター。2000年にザ・クリフから当地に移転。現在は、スポンサー名を冠しAon Training Complexが正式名称。また、単に施設所在地の地名からキャリントンとも呼ばれている。
スポンサー
年度 | メーカー | 胸 スポンサー |
---|---|---|
1945–1975 | Umbro | none |
1975–1980 | Admiral | |
1980–1982 | Adidas | |
1982–1992 | SHARP | |
1992–2000 | Umbro | |
2000–2002 | Vodafone | |
2002–2006 | Nike | |
2006–2010 | AIG | |
2010–2014 | Aon | |
2014–2015 | Chevrolet | |
2015- | Adidas |
関連項目
脚注
注釈
- ^ 2000-01シーズンと2010-11シーズンにおいて、ユナイテッドが勝ち点80で優勝したというシーズンもあったことから。
出典
- ^ 世界収益ランキング1位はマンU!917億円でレアル、バルセロナを抑えトップに 2018.1.25 SANSPO.COM
- ^ 2位はリヴァプールFCの18回である(2016年1月現在)
- ^ The World's Most Valuable Soccer Teams 2017 Forbes 2017年6月現在。
- ^ Deloitte Football Money League Deloitte 2017年2月現在
- ^ “マンU香川、3戦連続で先発”. 朝日新聞デジタル. (2012年9月3日) 2017年8月5日閲覧。
- ^ “マンU香川「この1年が勝負」 プレミア2季目に向け渡英”. 日本経済新聞. (2013年8月2日) 2017年8月5日閲覧。
- ^ 山中忍 (2016年6月4日). “マンUとモウリーニョの復活が始まる。240億円の予算で「背骨」は出来るか。”. Number Web. 文藝春秋. 2017年8月27日閲覧。
- ^ Tony Barrett (2011年10月31日). “Everton 0 Man U 1: United fans delight in riding their luck” (英語). The Times 2017年8月24日閲覧。
- ^ “1989: Man U sold in record takeover deal” (英語). 18 August, BBC On This Day. BBC. 2017年8月5日閲覧。
- ^ Rob Hughes (2012年10月28日). “Man U Finally Finds a Way to Win at Chelsea” (英語). The New York Times 2017年8月24日閲覧。
- ^ “Man U rediscovers aura, winning mentality under Mourinho” (英語). USA Today. (2017年5月25日) 2017年8月27日閲覧。
- ^ “Man U wins World Club Cup thriller” (英語). ESPN.com. (1999年12月5日) 2017年8月1日閲覧。
- ^ Rob Harris (2017年2月26日). “Man U rebounds to capture League Cup, Tottenham grabs second in Premier League” (英語). The Globe and Mail 2017年8月27日閲覧。
- ^ Marc Roche (2010年3月4日). “Golden boys et Diables rouges” (フランス語). Le Monde 2017年8月24日閲覧。
- ^ Xavier Condamine (2017年7月6日). “PSG, Monaco, Man U: Une offre improbable de 180 M€ pour Ronaldo?” (フランス語). Le Figaro 2017年8月24日閲覧。
- ^ Vincente Verdú (2002年6月30日). “Debate: Fútbol y Poder - La clave está en el corazón” (スペイン語). El País 2017年8月24日閲覧。
- ^ “Ronaldo e Nani marcam na vitória do Man U” (ポルトガル語). Record. (2009年2月15日) 2017年8月27日閲覧。
- ^ “Fußball: ManU holt Ole Gunnar Solskjaer als Interimstrainer” (ドイツ語). Zeit Online. (2018年12月19日). オリジナルの2019年1月13日時点におけるアーカイブ。 2019年1月13日閲覧。
- ^ Marcel Reich (2017年7月27日). “Ibrahimovic macht in Falschgeld – und ManU die Tür auf” (ドイツ語). Die Welt 2017年8月24日閲覧。
- ^ “Rooney e ManU insieme fino al 2019” (イタリア語). La Gazzetta dello Sport. (2014年2月21日) 2017年8月24日閲覧。
- ^ "NYSE: MANU"、ニューヨーク証券取引所、2017年8月5日閲覧。
- ^ ファーガソン、今季限りで監督を引退
- ^ マンチェスター・ユナイテッド、モイーズ新監督就任を発表
- ^ ユナイテッド、モイーズ解任を正式に発表
- ^ ユナイテッドのモイーズ監督が退団(uefa.com日本語版)
- ^ Van Gaal named United manager
- ^ Manchester United achieve European clean sweep uefa.com
- ^ “モウリーニョが辞任”. www.manutd.com. 2018年12月31日閲覧。
- ^ “暫定監督はスールシャール”. www.manutd.com. 2018年12月31日閲覧。
- ^ “オーレがフルタイムの監督に就任”. www.manutd.com. 2019年3月28日閲覧。
- ^ “[4-4-2]、一撃の殺気、ラスト5分の奇跡…PSG戦、あのユナイテッドが帰って来た | footballista.jp”. footballista. 2019年5月8日閲覧。
- ^ “#UnfollowManUnited: Fans' social media protest” (英語). ESPN.com (2019年5月7日). 2019年5月8日閲覧。
- ^ “Mou uses defence like Mayweather - Neville” (英語). ESPN.com 2018年12月2日閲覧。
外部リンク
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