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[[File:AutoCAD drawing of a Great Western King.png|thumb|right|300px|[[グレート・ウェスタン鉄道]][[グレート・ウェスタン鉄道6000形蒸気機関車|6000形]](キングクラス)蒸気機関車の図面]]
<!--{{Otheruses|機関車|キネマ旬報社から発行されていた雑誌|蒸気機関車 (雑誌)}}(誘導先は執筆されていません。)-->
'''蒸気機関車'''(じょうききかんしゃ)は、[[蒸気機関]]を[[動力]]とする[[機関車]]のことである。
[[File:AutoCAD drawing of a Great Western King.png|thumb|right|300px|[[グレート・ウェスタン鉄道]][[グレート・ウェスタン鉄道6000型蒸気機関車|キング]]型蒸気機関車の図面]]
'''蒸気機関車'''(じょうききかんしゃ)とは、[[蒸気機関]]を[[動力]]とする[[機関車]]のことである。


[[日本]]では Steam Locomotive の[[頭字語|頭文字]]をとって、'''SL'''(エスエル)とも呼ばれる。また、蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを'''汽車'''とも言う<ref>なお[[中国語]]では汽車は「[[自動車]]」を意味する。日本語で言う「汽車」は「[[火車]]」と表記する。</ref><ref>ただし、地域や世代によっては、電気で動く物も含めて全ての列車のことを「汽車」と呼んだり、[[日本国有鉄道|国鉄]]・[[JR]]を「汽車」、[[路面電車]]や[[私鉄]]を「[[電車]]」と呼んで区別したりする場合がある(このような「汽車」の用法については「[[汽車]]」を参照のこと)。</ref>。また、[[明治]]時代には[[蒸気船]]に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気」(おかじょうきとも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは」(きかんしゃという表記も用いられた(「汽」は[[ボイラー]]の意)。
[[日本]]では Steam Locomotive の[[頭字語|頭文字]]をとって、'''SL'''(エスエル)とも呼ばれる。また、蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを、{{読み仮名|'''汽車'''|きしゃ}}とも言う<ref group="注釈">なお[[中国語]]では汽車は「[[自動車]]」を意味する。日本語で言う「汽車」は「[[火車]]」と表記する。</ref><ref group="注釈">ただし、地域や世代によっては、電気で動く物も含めて全ての列車のことを「汽車」と呼んだり、[[日本国有鉄道|国鉄]]・[[JR]]を「汽車」、[[路面電車]]や[[私鉄]]を「[[電車]]」と呼んで区別したりする場合がある(このような「汽車」の用法については「[[汽車]]」を参照のこと)。</ref>。また、[[明治]]時代には[[蒸気船]]に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「{{読み仮名|陸蒸気|おかじょうき}}」とも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは{{読み仮名||きかんしゃ}}<ref group="注釈">{{旧字体|汽罐車}}</ref>という表記も用いられた(「汽」は[[ボイラー]]の意)。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[File:Locomotive trevithick.jpg|thumb|[[リチャード・トレビシック]]による1802年製作の蒸気機関車]]
[[File:Locomotive trevithick.svg|thumb|[[リチャード・トレビシック]]による1802年製作の蒸気機関車]]
[[File:Stephenson's Rocket drawing.jpg|thumb|1829年に[[レインヒル・トライアル]]で勝利した[[ジョージ・スチーブンソン]]製作の[[ロケット号]]]]
[[File:Stephenson's Rocket drawing.jpg|thumb|1829年に[[レインヒル・トライアル]]で勝利した[[ジョージ・スチーブンソン]]製作の[[ロケット号]]]]
蒸気機関車の発明以前から鉄道を敷き台車を荷役動物に曳かせるものはあった<ref>たとえば[[:en:Derby Canal Railway]]などは1792年から使われていた</ref>。[[馬車鉄道]]などである。
蒸気機関車の発明以前から鉄道を敷き台車を荷役動物に{{読み仮名||ひ}}かせるものはあった<ref group="注釈">たとえば[[:en:Derby Canal Railway]]などは1792年から使われていた</ref>。[[馬車鉄道]]などである。


1802年、[[リチャード・トレビシック]]がマーサー・ティドヴィルのペナダレン製鉄所で高圧蒸気機関を台車に載せたものを作った。これが世界初の蒸気機関車とされている。1803年、トレビシックはこの蒸気機関車の[[特許]]を[[サミュエル・ホンフレイ]]に売却。ホンフレイは、トレビシックの蒸気機関車が10トンの鉄を牽引して、とある区間(約16km)を運べるか賭けを行い、1804年2月21日、ペナダレン号が10トンの鉄と5両の客車、それに乗った70人の乗客を4時間5分で輸送することに成功した。
1802年、[[リチャード・トレビシック]]がマーサー・ティドヴィルのペナダレン製鉄所で高圧蒸気機関を台車に載せたものを作った。これが世界初の蒸気機関車とされている。1803年、トレビシックはこの蒸気機関車の[[特許]]を[[サミュエル・ホンフレイ]]に売却。ホンフレイは、トレビシックの蒸気機関車が10トンの鉄を牽引して、とある区間(約16km)を運べるか賭けを行い、1804年2月21日、ペナダレン号が10トンの鉄と5両の客車、それに乗った70人の乗客を4時間5分で輸送することに成功した。


1814年、[[ジョージ・スチーブンソン]]がキリングワースで石炭輸送のための実用的な蒸気機関車を設計し「Blücher」(ブリュヘル号)と名付け<ref>[[:en:Killingworth locomotives]]も参照可</ref>、ウェストムーアの自宅裏の作業場で製作し、1814年7月25日に初走行に成功。[[時速]]6.4kmで坂を上り30トンの石炭を運ぶことができるものであった。
1814年、[[ジョージ・スチーブンソン]]がキリングワースで石炭輸送のための実用的な蒸気機関車を設計し「Blücher」(ブリュヘル号)と名付け<ref group="注釈">[[:en:Killingworth locomotives]]も参照可</ref>、ウェストムーアの自宅裏の作業場で製作し、1814年7月25日に初走行に成功。[[時速]]6.4kmで坂を上り30トンの石炭を運ぶことができるものであった。


=== 蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物 ===
=== 蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物 ===
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: [[1804年]]に[[イギリス]]で蒸気機関車を走行させる。[[鉄道の歴史|鉄道史上]]初とされている。
: [[1804年]]に[[イギリス]]で蒸気機関車を走行させる。[[鉄道の歴史|鉄道史上]]初とされている。
; [[ジョージ・スチーブンソン]]
; [[ジョージ・スチーブンソン]]
: 公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「ロコモーション号」を制作。さらに「[[ロケット号]]」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
: 公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「[[ロコモーション号]]」を制作。さらに「[[ロケット号]]」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
; [[ロバート・スチーブンソン]]
; [[ロバート・スチーブンソン]]
: ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
: ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
; [[マーク・イザムバード・ブルネル]]
; [[マーク・イザムバード・ブルネル]]
: シールド工法でロンドンの地下鉄を建設した。
: シールド工法でロンドンの地下鉄を建設した。
; [[イザムバード・キングダム・ブルネル]]
; [[イザムバード・キングダム・ブルネル]]
: 広軌のグレートウエスタン鉄道を建設した。
: 広軌のグレートウエスタン鉄道を建設した。
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: 1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車[[:en:The Salamanca|サラマンカ号]]を走らせた。
: 1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車[[:en:The Salamanca|サラマンカ号]]を走らせた。
; [[ナイジェル・グレズリー]]
; [[ナイジェル・グレズリー]]
: [[グレズリー式連動弁装置]]を開発。また[[LNERクラスA1/A3蒸気機関車|A3形]]や蒸気機関車の速度記録を持つ[[LNERクラスA4蒸気機関車4468 マラード|マラード号]]を設計した。
: [[グレズリー式連動弁装置]]を開発。また[[LNER A1形・A3蒸気機関車|A3形]]や蒸気機関車の速度記録を持つ[[LNER A4蒸気機関車4468号機 マラード|マラード号]]を設計した。
; [[アンドレ・シャプロン]]
; [[アンドレ・シャプロン]]
: キルシャップの開発やボイラの内的流線化等の、蒸気機関車の科学的改良を初めて行った。にリビオ・ダンテ・ポルタら蒸気機関車技術者に多大な影響を与えた。
: キルシャップの開発やボイラの内的流線化等の、蒸気機関車の科学的改良を初めて行った。のちにリビオ・ダンテ・ポルタら蒸気機関車技術者に多大な影響を与えた。


=== 世界各国の歴史 ===
=== 世界各国の歴史 ===
*[[アメリカ合衆国の鉄道史]]
* [[アメリカ合衆国の鉄道史]]
*[[イギリスの鉄道史]]
* [[イギリスの鉄道史]]
*[[ドイツの鉄道史]]
* [[ドイツの鉄道史]]
*[[フランスの鉄道史]]
* [[フランスの鉄道史]]


;日本での歴史
; 日本での歴史
[[File:FirstModelLocomotiveToJpan.jpg|thumb|[[マシュー・ペリー|ペリー提督]]が幕府に献上した蒸気車]]
[[File:FirstModelLocomotiveToJpan.jpg|thumb|[[マシュー・ペリー|ペリー提督]]が幕府に献上した蒸気車]]
*[[日本の蒸気機関車史]]
* [[日本の蒸気機関車史]]
**[[国産の国鉄蒸気機関車]]
**[[国産の国鉄蒸気機関車]]
*軽便鉄道・産業鉄道
*軽便鉄道・産業鉄道
**鉄道省、そして規模の大きな私鉄向けの蒸気機関車は規格化・国産化された。しかし資本力の小さな鉄道向けの小型蒸気機関車までは国は関与しなかった。[[軽便鉄道]]、[[産業鉄道]]に向けては主にドイツ、[[オーレンシュタイン・ウント・コッペル|コッペル社]]の小型蒸気機関車が廉価で高品質であったこともあり、第一次世界大戦までは大量に輸入され続けた。
**鉄道省、そして規模の大きな私鉄向けの蒸気機関車は規格化・国産化された。しかし資本力の小さな鉄道向けの小型蒸気機関車までは国は関与しなかった。[[軽便鉄道]]、[[産業鉄道]]に向けては主にドイツ、[[オーレンシュタイン・ウント・コッペル|コッペル社]]の小型蒸気機関車が廉価で高品質であったこともあり、第一次世界大戦までは大量に輸入され続けた。
**その後は[[日本車輌製造]]、[[雨宮製作所]]、あるいは[[深川造船所]]などのメーカーによって国産化が進み、第二次世界大戦期には[[立山重工業]]などの手による規格化設計機関車の量産も実施された。
**その後は[[日本車輌製造]]、[[雨宮製作所]]、あるいは[[深川造船所]]などのメーカーによって国産化が進み、第二次世界大戦期には[[立山重工業]]などの手による規格化設計機関車の量産も実施された。
*[[軍用鉄道]]
* [[軍用鉄道]]
**[[鉄道連隊演習線]]
**[[鉄道連隊演習線]]


== 蒸気機関車の原理 ==
== 蒸気機関車の原理 ==
{| style="border: 1px solid"
{|
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[[File:Steam locomotive scheme new.png|left|600px|The main [[Steam locomotive components|components of a steam locomotive]]]]
[[File:Steam locomotive scheme new.png|left|600px|The main [[Steam locomotive components|components of a steam locomotive]]]]
|
|'''01.''' 火室
# 火室
# 灰受け皿
# 水 (ボイラー内部)
# 煙室
# 運転室
# 炭水車
# 蒸気溜
# 安全弁
# 加減弁
# 煙室内の加熱管寄せとそれに付属した過熱管
# ピストン
# ブラスト・パイプ
# 弁装置
# ギュレータ・ロッド
# ドライブ・フレーム
# 従輪ポニー台車{{efn|name="ポニー台車"|ポニー台車とは先輪(原文は「前従輪」)が1軸の場合(2軸以上の場合は「ボギー台車」)に使用され、釣合梁(equalizer)を介して先輪と第1動輪それぞれの板ばねで支えられるもの、製作者の名前をとって「ビッセル台車」とも呼ばれる(日本の鉄道省は「心向台車」と呼称)<ref>[[#近藤2007|(近藤2007) p.177]]</ref>。}}
# 先輪ポニー台車<ref group="注釈" name="ポニー台車"/>
# ベアリング及び軸箱
# 板ばね
# ブレーキ片
# 空気ブレーキ・ポンプ
# (前部) 中央連結器
# 汽笛
# 砂箱
|}


'''02.''' 灰受け皿

'''03.''' 水 (ボイラー内部)

'''04.''' 煙室

'''05.''' 運転室

'''06.''' 炭水車

'''07.''' 蒸気溜

'''08.''' 安全弁

'''09.''' 加減弁

'''10.''' 煙室内の加熱管寄せとそれに付属した過熱管

'''11.''' ピストン

'''12.''' ブラスト・パイプ

'''13.''' 弁装置

'''14.''' ギュレータ・ロッド

'''15.''' ドライブ・フレーム

'''16.''' 従輪ポニー台車

'''17.''' 先輪ポニー台車

'''18.''' ベアリング及び軸箱

'''19.''' 板ばね

'''20.''' ブレーキ片

'''21.''' 空気ブレーキ・ポンプ

'''22.''' (前部) 中央連結器

'''23.''' 汽笛

'''24.''' 砂箱
|}
蒸気機関車は湯を沸かして発生した蒸気を動力源として走行する。
蒸気機関車は湯を沸かして発生した蒸気を動力源として走行する。


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一般的な蒸気機関車を走らせるのに必要な機構としては以下のものがあげられる。
一般的な蒸気機関車を走らせるのに必要な機構としては以下のものがあげられる。
*[[石炭]]等<!--燃料は石炭だけではなく、重油や薪などを使用するものがある。-->の燃料を効率よく燃やして、高温の[[燃焼ガス]]を作る火室。
* [[石炭]]等の燃料を効率よく燃やして、高温の[[燃焼ガス]]を作る火室。
*火室で発生した燃焼ガスの持つ熱エネルギーを利用して[[水]]を[[沸騰]]させ、高温高圧の蒸気を作る[[ボイラー]]。
* 火室で発生した燃焼ガスの持つ熱エネルギーを利用して[[水]]を[[沸騰]]させ、高温高圧の蒸気を作る[[ボイラー]]。
*[[シリンダー]]に送る蒸気の方向や量を制御する各種[[弁装置]]。
* [[シリンダー]]に送る蒸気の方向や量を制御する各種[[弁装置]]。
*蒸気のエネルギーを往復運動のエネルギーに変えるシリンダー。
* 蒸気のエネルギーを往復運動のエネルギーに変えるシリンダー。
*シリンダーの往復運動を回転運動に変換し駆動力を発生させるロッドと動輪。
* シリンダーの往復運動を回転運動に変換し駆動力を発生させるロッドと動輪。


=== 火室 ===
=== 火室 ===
[[File:Cutaway steam locomotive.jpg|thumb|切断展示物の火室 (左) 及びボイラー (右)]]
[[File:Cutaway steam locomotive.jpg|thumb|切断展示物の火室 (左) 及びボイラー (右)]]
{{main|{{仮リンク|火室 (蒸気機関)|en|Firebox (steam engine)}}}}
{{main|{{仮リンク|火室 (蒸気機関)|en|Firebox (steam engine)}} }}
火室は燃料を燃焼して高温のガスを作る場所である。火室の底(床)部分は燃え滓の灰が落ちるように格子状(いわゆる火格子)に作られている。
火室は燃料を燃焼して高温のガスを作る場所である。火室の底(床)部分は燃え{{読み仮名||かす}}の灰が落ちるように格子状(いわゆる火格子)に作られている。


蒸気機関車の出力を決める第一の要因は「火室でどれだけ大きな熱エネルギーを発生できるか」であり、その指標として火室の平面積を表す'''火格子面積'''が使われる。火格子面積は狭軌が一般的であった日本の場合、明治初期のころの機関車で1[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]以下、それ以降順次増大し[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]]で3.27m<sup>2</sup>まで大きくなった<ref>D51形に先立ち1925年にアメリカから輸入された単式3シリンダー機の[[国鉄8200形蒸気機関車|8200形]](C52形)では手焚きのままで火格子面積を3.8m<sup>2</sup>としたが、これは当時の日本人の一般的な体格・体力では投炭を担当する機関助士に過大な負担を強いたため、の改造で火格子面積を縮小している。</ref>が、火室への燃料供給は人力([[シャベル]])による投炭であった。さらに大型(日本最大)で戦時の貨物増大に対応して製作された[[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]]では火格子面積は3.85m<sup>2</sup>となったが、これは1人で人力投炭を行うには限界に近い負担を強いたため、第二次世界大戦後、同形式のボイラーを流用して製作された[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形]]などと共に、蒸気エンジンで駆動される[[自動給炭機|自動給炭装置]](メカニカルストーカー)が装備された。ちなみに[[標準軌]]を採用した[[南満鉄道]]で[[特別急行列車|特急列車]]「[[あじあ (列車)|あじあ]]」を牽引したパシナ型機関車の火格子面積は6.25m<sup>2</sup>で、ストーカーが標準搭載されていた。また、日本と同じく狭軌を標準としていた南アフリカでは当時黒人労働者を低賃金で利用できたことから、彼らを投炭手として複数乗務させ、同時投炭させることでストーカーを装備せずに火床面積を日本の機関車よりも大きくとるケースが存在した。
蒸気機関車の出力を決める第一の要因は「火室でどれだけ大きな熱エネルギーを発生できるか」であり、その指標として火室の平面積を表す'''火格子面積'''が使われる。火格子面積は狭軌が一般的であった日本の場合、明治初期のころの機関車で1[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]以下、それ以降順次増大し[[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]]で3.27m<sup>2</sup>まで大きくなった<ref group="注釈">D51形に先立ち1925年にアメリカから輸入された単式3シリンダー機の[[国鉄8200形蒸気機関車|8200形]](C52形)では手焚きのままで火格子面積を3.8m<sup>2</sup>としたが、これは当時の日本人の一般的な体格・体力では投炭を担当する機関助士に過大な負担を強いたため、のちの改造で火格子面積を縮小している。</ref>が、火室への燃料供給は人力([[シャベル]])による投炭であった。さらに大型(日本最大)で戦時の貨物増大に対応して製作された[[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]]では火格子面積は3.85m<sup>2</sup>となったが、これは1人で人力投炭を行うには限界に近い負担を強いたため、第二次世界大戦後、同形式のボイラーを流用して製作された[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形]]などと共に、蒸気エンジンで駆動される[[自動給炭機|自動給炭装置]](メカニカルストーカー)が装備された。ちなみに[[標準軌]]を採用した[[南満鉄道]]で[[特別急行列車|特急列車]]「[[あじあ (列車)|あじあ]]」を牽引したパシナ型機関車の火格子面積は6.25m<sup>2</sup>で、ストーカーが標準搭載されていた。また、日本と同じく狭軌を標準としていた南アフリカでは[[アパルトヘイト|当時黒人労働者を低賃金で利用できた]]ことから、彼らを投炭手として複数乗務させ、交代で全力投炭させる<ref group="注釈">キャブの大きさの都合で機関車では船のように二人同時に投炭をやった国はなく、二人機関助手がいる場合は投炭を交代して休んでいる方が[[閉塞_(鉄道)#閉塞のための装置|タブレット]]の受け渡しなどをやる。[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.256]]</ref>ことでストーカーを装備せずに火床面積を日本の機関車よりも大きくとるケースが存在した。

なお、給炭の手間や燃費を除いても火床面積は出力に対し十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はなく、特に内火室容積に比べて過剰に大きい場合不完全燃焼が起きやすくなる<ref group="注釈">例として満鉄のデカイ型では元になったミカイ型と同じ牽引力で軌道の弱い区域を走行させるため、ミカイの従輪部分にも動輪をつけて5軸にして動輪上軸重を分散させて対処した際、本来小さな従輪で支えていた広火室を動輪のうえにのせた影響で火床面積はさほど変わらないのに火室がかなり浅くなり、不完全燃焼が起きやすくなったとされる。<br />『満洲鉄道発達史』高木宏之 著、株式会社潮書房光人社、2012年、ISBN 978-4-7698-1524-2、P113。</ref>。

強力機ではそのボイラー容量に見合った火力を得るため巨大な火室を備えるケースが多いが、高カロリーの良質な燃料を常用できる環境にあった鉄道、例えばイギリスのグレート・ウェスタン鉄道(GWR)の機関車では、[[グレート・ウェスタン鉄道4073形蒸気機関車|4073形]](キャッスル級あるいはカースル級とも。軸配置2C、過熱式単式4気筒、狭火室。火格子面積2.73m<sup>2</sup>)のように、狭火室のままで他社が保有していた同クラスの機関車を上回る高性能を発揮する例<ref group="注釈">1925年に[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]] (LNER) との間で同社最新の[[LNER A1形・A3形蒸気機関車|A1形]](軸配置2C1、過熱式単式3気筒、広火室。火格子面積3.83m<sup>2</sup>)とを交換し、互いの鉄道線において同条件下で実施された比較試験では、キャッスル型の方がコンパクトでボイラーの火格子面積もA1形の約70パーセント強しかなかったにもかかわらず、使用炭の品質が本来想定されるより低下するLNER社線上においてさえ、出力・燃費の双方で勝利を収めている。これは弁装置設計などでGWR側に一日の長があったことによる部分が大きいが、この例が示すように狭火室と広火室の違いは必ずしも性能に決定的な差をもたらすとは限らない。</ref>が少なからず存在した<ref group="注釈">例えば、ドイツでは良質な石炭の入手が容易であった[[プロイセン]]をはじめとする北部の各邦国が保有する鉄道は狭火室を常用し、良質炭の入手が難しかった南部の[[バーデン大公国]]や[[バイエルン王国]]などが保有した各鉄道は広火室を早い時期から導入していた。また、アメリカで広火室積極導入の端緒の一つとなったウーテン式火室を備える[[キャメルバック式蒸気機関車]]は廉価だが着火しにくい[[無煙炭]]を燃料とすることを前提に研究開発されており、通常の石炭以外の異種燃料を燃やす手段として通常より大きめの火室を備えた機関車を製作するケースはアメリカ製機関車を中心に各国で見られた。</ref>。広火室は、総じて低品質の燃料でより大きな出力を得る手段として利用されていたのである。


機関車の火室には、左右の台枠間に設置したいわゆる'''狭火室'''タイプと、より大型の機関車に設置される台枠の幅([[軌間]])より大きな'''広火室'''タイプのものがある。[[D52]]等、一部の形式では煙管の手前に燃焼室を備える。
機関車の火室には、左右の台枠間に設置したいわゆる'''狭火室'''タイプと、より大型の機関車に設置される台枠の幅([[軌間]])より大きな'''広火室'''タイプのものがある。[[D52]]等、一部の形式では煙管の手前に燃焼室を備える。


基本的に軌間が同一なら同じ面積の火床面積を得る場合、狭火室より広火室の方が奥行きが短くなる分投炭が楽になるが、奥まで石炭が届く構造ならばむしろ投炭口左右にシャベルを返す手間が省けるので狭火室のほうが楽な場合もある(前方への傾斜を調節し前後幅が3.8mもある火床の前部に石炭が崩れていくようにしたフランスのノール鉄道のスーパーパシフィックや、パリ・オルレアン鉄道の240.700形など)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.357]]・[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.86]]</ref>。
石炭が燃える際の炎は、石炭の成分が分解・[[蒸発]]しながら空気中の[[酸素]]と反応しているため、燃焼ガスの温度は石炭自体から少し離れたところで最高となる。このため火室内には燃焼ガスの流れを迂回させて、ボイラーの各煙管の距離を稼いで最高温度の燃焼ガスを導くのと各煙管に均等に燃焼ガスが流れることができるように火室中央部を斜めに通るアーチ管に載せらた邪魔板 (煉瓦アーチ)<!--(左の写真の赤く塗られた斜めに設置された板)-->がある。火室の前後左右と上部は缶胴内の水で囲まれており'''内火室'''と呼ばれている、前述したアーチ管には、缶胴内の水が入り込むことで、缶胴内の水を循環させる役割を持たせており、ここの部分は'''外火室'''と呼ばれボイラーの一部となっている。また、燃焼ガスの火力を高めるために内火室とボイラーの煙管の間に'''燃焼室'''を設ける場合がある。これは、火室の邪魔板の上の空間が延長された構造となっている。


石炭が燃える際の炎は、石炭の成分が分解・[[蒸発]]しながら空気中の[[酸素]]と反応しているため、燃焼ガスの温度は石炭自体から少し離れたところで最高となる。このため火室内には燃焼ガスの流れを{{読み仮名|迂回|うかい}}させて、ボイラーの各煙管の距離を稼いで最高温度の燃焼ガスを導くのと各煙管に均等に燃焼ガスが流れることができるように火室中央部を斜めに通るアーチ管に載せらた邪魔板 ({{読み仮名|煉瓦|れんが}}アーチ)がある。火室の前後左右と上部は缶胴内の水で囲まれており'''内火室'''と呼ばれている、前述したアーチ管には、缶胴内の水が入り込むことで、缶胴内の水を循環させる役割を持たせており、ここの部分は'''外火室'''と呼ばれボイラーの一部となっている。また、燃焼ガスの火力を高めるために内火室とボイラーの煙管の間に'''燃焼室'''を設ける場合がある。これは、火室の邪魔板の上の空間が延長された構造となっている。
なお、火床面積は燃料の品質さえ良質で少量でも十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はない。強力機ではそのボイラー容量に見合った火力を得るため巨大な火室を備えるケースが多いが、高カロリーの良質な燃料を常用できる環境にあった鉄道、例えばイギリスのグレート・ウェスタン鉄道(GWR)の機関車では、[[グレート・ウェスタン鉄道4073型蒸気機関車|4073型]](キャッスル型あるいはカースル型とも。軸配置2C、過熱式単式4気筒、狭火室。火格子面積2.73m<sup>2</sup>)のように、狭火室のままで他社が保有していた同クラスの機関車を上回る高性能を発揮する例<ref>1925年に[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]] (LNER) との間で同社最新の[[LNERクラスA1/A3蒸気機関車|クラスA1]](軸配置2C1、過熱式単式3気筒、広火室。火格子面積3.83m<sup>2</sup>)とを交換し、互いの鉄道線において同条件下で実施された比較試験では、キャッスル型の方がコンパクトでボイラーの火格子面積もクラスA1の約70パーセント強しかなかったにもかかわらず、使用炭の品質が本来想定されるより低下するLNER社線上においてさえ、出力・燃費の双方で勝利を収めている。これは弁装置設計などでGWR側に一日の長があったことによる部分が大きいが、この例が示すように狭火室と広火室の違いは必ずしも性能に決定的な差をもたらすとは限らない。</ref>が少なからず存在した<ref>例えば、ドイツでは良質な石炭の入手が容易であった[[プロイセン]]をはじめとする北部の各邦国が保有する鉄道は狭火室を常用し、良質炭の入手が難しかった南部の[[バーデン大公国]]や[[バイエルン王国]]などが保有した各鉄道は広火室を早い時期から導入していた。また、アメリカで広火室積極導入の端緒の一つとなったウーテン式火室を備える[[キャメルバック式蒸気機関車]]は廉価だが着火しにくい[[無煙炭]]を燃料とすることを前提に研究開発されており、通常の石炭以外の異種燃料を燃やす手段として通常より大きめの火室を備えた機関車を製作するケースはアメリカ製機関車を中心に各国で見られた。</ref>。広火室は、総じて低品質の燃料でより大きな出力を得る手段として利用されていたのである。<!--火室はたくさんのボルトで頑丈に車体に固定されている。--><!-- ← ボイラーは熱膨張の問題があるので、火室部で台枠と強固に結合するのは御法度のはずですが?-->

蒸気機関車によっては無煙炭より安価な重油を使用して人力を節約して高出力を得るために火室に重油散布装置を設置したものがある。我が国でも重油を併用できる蒸気機関車が多数使用されていた<ref>{{Cite journal|author=横堀 進|title=技術ダイジェスト 重油燃嶢機関車 |url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/32/2/32_2_103/_pdf/-char/ja|j|publisher=日本国有鉄道鉄道技術研究所|format=PDF|r}}</ref>。


=== 自動給炭機 ===
=== 自動給炭機 ===
{{main|自動給炭機}}
{{main|自動給炭機}}
火格子面積の大きい広火室を備えた機関車に装備され、炭水車からスクリュー(送りねじ)で石炭を運転室まで搬送し、蒸気で火室内に飛ばした。
火格子面積の大きい広火室を備えた機関車に装備され、炭水車からスクリュー(送りねじ)で石炭を運転室まで搬送し、蒸気で火室内に飛ばした。

大型機が多く大量の石炭を消費したアメリカでは、1901年には開発され、1905年頃には、普及。1938年には法律で、ボイラーの大きなSLには、搭載が義務付けられた。この通達で、1939年4月15日以降に製造される動輪重量で16万lbs(ポンド)以上の旅客用機関車、同じく17.5万lbs(ポンド)以上の貨物用機関車に、搭載された。

その後、日本でも導入された。

1次大戦後ペンシルバニア鉄道の当時の主力機K4形(火床面積6.5平方m)に大量に採用され、その後火床面積5.5平方m以上の機関車には設置が義務付けられたが、そこまで多量の石炭を消費しないヨーロッパ諸国(+日本)では手炊きに比べて無駄が多いとされ、フランスでは1938年のフランス国鉄(SNCF)450P形で初採用したものの設置された機関車は少数派で、イギリスは最後まで設置せず、ドイツや日本も二次大戦前には未使用である<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.255・359-360]]・[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.89]]</ref>。

日本では蒸気機関車用の自動給炭機は、1948年(昭和23年)製のC62形、C61形を[[嚆矢]]として、戦時形のD52形についても、標準形への装備改造時およびD62形への改造時に装備された。熱量の低い石炭を使用する[[常磐線]]用のD51形の一部にも搭載された。
日本では蒸気機関車用の自動給炭機は、1948年(昭和23年)製のC62形、C61形を[[嚆矢]]として、戦時形のD52形についても、標準形への装備改造時およびD62形への改造時に装備された。熱量の低い石炭を使用する[[常磐線]]用のD51形の一部にも搭載された。


=== ボイラー ===
=== ボイラー ===
{{see also|ボイラー}}
{{see also|ボイラー}}
火室で作られた高温の燃焼ガスは、'''煙管'''と呼ばれる数多くの細い管に導かれる。煙管の本数や管のサイズは機関車の出力性能に大きく関与するが、本数は50本から200本、管の直径は50mm前後である。煙管の周囲は水で満たされており、燃焼ガスが通過する際の熱伝導を受けて蒸気が発生する、いわゆる[[ボイラー]]であり、この部分缶胴と呼ばれている。発生した蒸気は上部の蒸気溜めのドームに一旦溜められ、溜められた蒸気は、蒸気機関車の各種補機類を作動させるために取付けられた配管により分配されるが、走行に使用される蒸気は、加減弁で流量を調整後、乾燥管を通って蒸気中の水分を取り除かれて乾燥された蒸気となり、煙室の主蒸気管を介して走り装置の蒸気室のシリンダーに送られる。使用される蒸気は、圧力が10-16kg/cm²で温度は200℃の飽和蒸気を使用する'''飽和式'''と、さらに蒸気を加熱して圧力を高めるため、主蒸気管と乾燥管の間に過熱管寄せとそこから煙管の内部まで伸びて過熱管寄せに戻る過熱管を装備して、乾燥管からの蒸気を、過熱管寄せから過熱管を介して通過させることにより、蒸気の温度をさらに300-400℃に高めた過熱蒸気を使用する'''過熱式'''とがあり、直径が通常の煙管の2倍以上で過熱管を内蔵した煙管を'''大煙管'''と呼んでいる。1910年代以降の大型機関車には[[過熱蒸気]]を使用するようになった
火室で作られた高温の燃焼ガスは、'''煙管'''と呼ばれる数多くの細い管に導かれる。煙管の本数や管のサイズは機関車の出力性能に大きく関与するが、本数は50本から200本、管の直径は50mm前後である。煙管の周囲は水で満たされており、燃焼ガスが通過する際の熱伝導を受けて蒸気が発生する、いわゆる[[ボイラー]]であり、この部分缶胴と呼ばれている。ボイラーの材質は[[鋼鉄]]が一般的だったが、イギリス等では[[銅]]も使用された。発生した蒸気は上部の{{読み仮名|蒸気溜|じょうきだ}}のドームに一旦{{読み仮名||た}}められ、溜められた蒸気は、蒸気機関車の各種補機類を作動させるために取付けられた配管により分配されるが、走行に使用される蒸気は、加減弁で流量を調整後、乾燥管を通って蒸気中の水分を取り除かれて乾燥された蒸気となり、煙室の主蒸気管を介して走り装置の蒸気室のシリンダーに送られる。


まれに車両限界の都合などでドームがない機関車もあり、こういった車両は缶胴最上部に細いスリットを持つ管を通し、そこから蒸気を採集する。蒸気は気体なので普通にこの穴を通過できるが同じ流体でも粘性のある熱湯は通過しにくいためシリンダー側に湯が入ることはまずないが、勾配区間での使用に関しては当然ドームがある方が安全であり、日本などでは使用されていない<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.94-95]]</ref>。
ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁(万が一の故障を考慮して必ず複数が装備される)や、汽笛が装備されている。またボイラー内の水位を維持するために、水槽から新しい水を注水するための給水ポンプや[[インジェクタ|インゼクタ]]の2つが取付けられており、2つのルートからボイラーに水を送り込む仕組みとなっている。両者とも動力源にボイラーの蒸気を使用しているが、後者は蒸気溜からの配管から直接蒸気が送られる。また、ボイラー缶胴内に装備された注水パイプにより、均一に水を噴射させてボイラー内の水温にムラが出ないようにしている。中・大型機では注水の際に低温の水を注水する事でボイラー内の水が温度低下を起こし蒸気圧が下がるのを防止するため、一般に給水ポンプから給水温め器(蒸気室のシリンダーや補機類で使用された蒸気を引き通して水に熱を伝える熱交換器)を介してボイラーに注水する。


使用される蒸気は、圧力が10-16kg/cm<sup>2</sup>で温度は200℃の飽和蒸気を使用する'''飽和式'''と、さらに蒸気を加熱して圧力を高めるため、主蒸気管と乾燥管の間に過熱管寄せとそこから煙管の内部まで伸びて過熱管寄せに戻る過熱管を装備して、乾燥管からの蒸気を、過熱管寄せから過熱管を介して通過させることにより、蒸気の温度をさらに300-400℃に高めた過熱蒸気を使用する'''過熱式'''とがあり、直径が通常の煙管の2倍以上で過熱管を内蔵した煙管を'''大煙管'''と呼んでいる。1910年代以降の大型機関車には[[過熱蒸気]]を使用するようになった。
ボイラーの性能を表す指標として、'''蒸気圧力'''、'''飽和式'''か'''過熱式'''か、'''煙管・大煙管の太さと本数'''または'''煙管の総表面積(熱伝導面積)'''などが使用される。日本の鉄道では蒸気圧力は明治初期の機関車で8[[重量キログラム#重量キログラム毎平方メートル|kg/cm²]]前後、その後順次増加し、D52形では16.0kg/cm²となった<ref>ただし、日本でも陸軍の鉄道大隊・[[鉄道連隊]]向けに1901年より製作が開始された[[日本陸軍鉄道連隊A/B形蒸気機関車|双合機関車]]では軸配置Cの8t級機関車を背中合わせに組み合わせた小型機関車であったが、既に15.5kg/cm<sup>2</sup>を標準採用していた。</ref>。諸外国のSLでは20kg/cm²が実用化され、さらに煙管式ボイラーではなく水管式ボイラーを採用していた一部の試作機関車では、ボイラー圧力が100kg/cm²を超えるものも珍しくはなかった。一般にボイラーでは圧力が高いほどエネルギー効率は上昇するが、蒸気漏れなどに対する対策に高度な技術が必要となり、20kg/cm²を採用していた諸外国の例でも、そのうちの少なくない数が保守コストの高騰に手を焼いた末に降圧を実施している。

ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁(万が一の故障を考慮して必ず複数が装備される)や、汽笛が装備されている。またボイラー内の水位を維持するために、水槽から新しい水を注水するための給水ポンプや[[インジェクタ|インゼクタ]](注水器)の2つが取付けられており、2つのルートからボイラーに水を送り込む仕組みとなっている。両者とも動力源にボイラーの蒸気を使用しているが、後者は蒸気溜からの配管から直接蒸気が送られる。また、ボイラー缶胴内に装備された注水パイプにより、均一に水を噴射させてボイラー内の水温にムラが出ないようにしている。中・大型機では注水の際に低温の水を注水する事でボイラー内の水が温度低下を起こし蒸気圧が下がるのを防止するため、一般に走行中は給水ポンプから給水温め器(蒸気室のシリンダーや補機類で使用された蒸気を引き通して水に熱を伝える熱交換器)を介してボイラーに注水し、走行中や絶気中はインゼクタを使用する<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.102]]</ref>(なおインゼクタは冷水でないと給水できないのでこれだけを使う機関車では給水温め器の必要はない<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.306]]</ref>)。


なお、第二次世界大戦中のドイツで設計・製作された貨物用の52形では、軸配置1Eの大型機であったが構造簡素化による生産性の向上を目的としてインゼクタを複数搭載として従来のドイツ国鉄機で標準であった給水ポンプ+給水温め器の搭載が省略され、またイギリスのグレート・ウェスタン鉄道などではやはりインゼクタの複数搭載を標準としていたが、クラック弁と称する特殊な弁を使用することで、ボイラーに注水される水の温度が段階的に引き上げられる、つまり給水温め器を使用するのと同様の効果が得られるような機構を採用していた。
なお、第二次世界大戦中のドイツで設計・製作された貨物用の52形では、軸配置1Eの大型機であったが構造簡素化による生産性の向上を目的としてインゼクタを複数搭載として従来のドイツ国鉄機で標準であった給水ポンプ+給水温め器の搭載が省略され、またイギリスのグレート・ウェスタン鉄道などではやはりインゼクタの複数搭載を標準としていたが、クラック弁と称する特殊な弁を使用することで、ボイラーに注水される水の温度が段階的に引き上げられる、つまり給水温め器を使用するのと同様の効果が得られるような機構を採用していた。


ボイラーの性能を表す指標として、'''蒸気圧力'''、'''飽和式'''か'''過熱式'''か、'''煙管・大煙管の太さと本数'''または'''煙管の総表面積(熱伝導面積)'''などが使用される。一般にボイラーでは圧力が高いほどエネルギー効率は上昇する(飽和式の場合は水に戻りにくくなるというメリットも生まれる)が、蒸気漏れなどに対する対策に高度な技術が必要となるのでそういった兼ね合いで上限値を定め、蒸気機関車の場合は構造上や運用の都合もあって据え置き式や船舶のボイラーなどと比較すれば低圧の部類に入る。<br>最初期の蒸気機関車では1829年のスチーブンソンの[[ロケット号]]が出場したレインヒルトライアルのルールが「(安全のため)ボイラ圧力は1平方インチ当たり50ポンド(約3.55気圧)以下」と非常に低圧で、その後鋳鉄技術の向上で1850年ごろには10気圧程度まで上がり、以下1870年代には鋼鉄製が一般化して11~12気圧、20世紀初頭には13~14気圧ぐらいでイギリスの場合では最盛期で17.7気圧(正確には「1平方インチ当たり250ポンド」)になった。他の国の場合はフランスは複式が多いので初期の圧力を高めにして20世紀初頭に16気圧、1930年代に20気圧のものが出始めこれが全盛期の標準。ドイツは過熱蒸気を早いうちに採用したので低圧でも飽和蒸気のような問題は起きないと保守を楽にするため、あまり圧力を上げずに第二次大戦前でも16気圧付近が上限で戦後の試作機10形の18気圧が最大で、これを手本にした日本も世界的には低圧気味<ref group="注釈">ただし、日本でも陸軍の鉄道大隊・[[鉄道連隊]]向けに1901年より製作が開始された[[日本陸軍鉄道連隊A/B形蒸気機関車|双合機関車]]では軸配置Cの8t級機関車を背中合わせに組み合わせた小型機関車であったが、既に15.5kg/cm<sup>2</sup>を標準採用していた。</ref>で明治初期のイギリスなどから輸入した機関車で8気圧前後から始まって順次昇圧したが最大で16気圧までにとどまっている(計画では18気圧のものもあった)。試験的なもの(水管式ボイラーを採用していた一部の試作機関車では、ボイラー圧力が100kg/cm<sup>2</sup>超えもあったが実用的に成功したものはない)を除くと高圧が多かったのは蒸気機関車全盛期のアメリカで、黎明期の19世紀中ごろ時点では7気圧とかなり低かったが1893年のNYCの999号([[:en:New York Central and Hudson River Railroad No. 999|New York Central and Hudson River Railroad No. 999]])が12.6気圧、その後他の国で圧力の進化が止まっても上昇を続け、第二次大戦中21気圧、戦後ノーフォーク&ウェスタン鉄道で22気圧を煙管式ボイラーで達している<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.101-102]]。</ref>。
ボイラーの材質は[[鋼鉄]]が一般的だったがイギリス等では[[銅]]も使用された。

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ファイル:A48steam dome & valve.jpg|A48の煙管と上部にある蒸気溜めと加減弁
ファイル:A48steam dome & valve.jpg|A48の煙管と上部にある蒸気溜めと加減弁
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=== 煙室 ===
=== 煙室 ===
煙室は機関車の先頭部分にあり、ボイラー内の煙管を通過した燃焼ガスと蒸気室内のシリンダーでピストンの作動させた蒸気が吐出管を介して入り、その後に上部にある煙突から両者が吐き出される所である。吐出管から勢い良く噴射した蒸気が、上部にある煙突に目がけて流れるため、真空の部分発生して、気圧差により内火室からの燃焼ガスを煙管を介して強制的に誘引することにより、内火室への空気流入量が増えて燃焼効率の向上を助ける働きを持っている。また、上部の煙管と下部の煙管を流れる燃焼ガスの流れを均一にするため、加減反射板を装備して、蒸気の通過速度が一番速い煙室下部に迂回して燃焼ガスを導いており、加減反射板は迂回の度合いを調整するとが可能である。また、一部の機関車では、吐出管から出るの蒸気の噴射速度の調整ができるようになっている。また、惰性運転時での後述する絶気運転や停止中では、蒸気溜の加減弁が閉の状態のため、蒸気室のシリンダーにボイラーからの蒸気か送り込まず、煙室内では真空が発生しないため、運転室の蒸気分解箱にある通風弁(ブロアバルブ)開いて、蒸気を通風管を介して煙室内に送り込み、煙突に向けて噴き出すこで、真空を発生させて内火室からの燃焼ガスを煙管を介して誘引させて
煙室は機関車の先頭部分にあり、ボイラー内の煙管を通過した燃焼ガスと蒸気室内のシリンダーでピストンの作動させた蒸気(排気ブラスト)が吐出管を介して入り、その後に上部にある煙突から両者が吐き出される所である。吐出管から勢い良く噴射した蒸気が、上部にある煙突に目がけて流れるため、霧吹きで水吸い上げられるように、気圧差により内火室からの燃焼ガスを煙管を介して強制的に誘引することにより、内火室への空気流入量が増えて燃焼効率の向上を助ける働きを持っており、これを「ドラフト」とい

模索期の機関車と復水式の機関車ではドラフトに圧縮空気を使用するものもあったが、模索期の米仏にあった車軸からベルトでふいごを動かす装置では勾配(低速になる)でドラフトが弱まるという致命的な問題があったため、蒸気消費量が多くなるほどドラフトが強くなる排気ブラストを使用する方法を変えることはなく<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.24-25]]</ref>、復水式は蒸気を捨てずに水に戻して再使用する以上排気ブラストが使えないことから一部の蒸気でタービンを回してそれで車体前部では排気ブラストに変わってドラフトを起こし、テンダーでは蒸気を冷やして水に戻したが、このエネルギー分の燃料とメンテナンスの手間が増大したので、復水式自体が商業的に成功しなかった<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.299・430]]</ref>。

また、煙は上の煙管を通りやすいので燃焼ガスの流れを上下で均一にするため、加減反射板を装備して、蒸気の通過速度が一番速い煙室下部に迂回して燃焼ガスを導いており<ref name="名前なし-1">[[#萩原1977|(萩原1977) p.99]]</ref>、加減反射板は迂回の度合いを調整することが可能である。また、一部の機関車では、吐出管から出るの蒸気の噴射速度の調整ができるようになっている。また、惰性運転時での後述する絶気運転や停止中では、蒸気溜の加減弁が閉の状態のため、蒸気室のシリンダーにボイラーからの蒸気か送り込まれず、煙室内にドラフトを発生させるため、運転室の蒸気分解箱にある通風弁(ブロアバルブ)を開いて、蒸気を別にある通風管を介して煙室内に送り込み、煙突に向けて噴き出すことで、ドラフトを発生させて内火室からの燃焼ガスを煙管を介して誘引させている<ref name="名前なし-1"/>。
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ファイル:A48head2.jpg|煙室の構造、シリンダーで使われた蒸気は下部の白色の吐出管から煙突に吹き上げられる。煙突入口には火の粉よけのメッシュが装備されている
ファイル:A48head2.jpg|煙室の構造、シリンダーで使われた蒸気は下部の白色の吐出管から煙突に吹き上げられる。煙突入口には火の粉よけのメッシュが装備されている
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=== 弁装置・シリンダー・コントロール装置 ===
=== 弁装置・シリンダー・コントロール装置 ===
[[File:Steam Locomotive run device.png|thumb|400px|蒸気機関車の走り装置(ワルシャート式)のモデル図<br />弁室、2蒸気弁、3蒸気室、4弁心棒、5合併テコ、6心向棒、7加減リンク(中央の支点をモーション・プレートに固定)、8釣りリンク腕、9シリンダー室、10ピストン、11ピストンロッド、12滑り棒、13クロスヘッド、14主連棒、15偏心棒、16返りリンク、17連結棒。]]
[[File:Steam Locomotive run device.png|thumb|400px|蒸気機関車の走り装置(ワルシャート式)のモデル図<br />1弁室、2蒸気弁、3蒸気室、4弁心棒、5合併テコ、6心向棒、7加減リンク(中央の支点をモーション・プレートに固定)、8釣りリンク腕、9シリンダー室、10ピストン、11ピストンロッド、12滑り棒、13クロスヘッド、14主連棒、15偏心棒、16返りリンク、17連結棒。]]
機関車をスムーズに走らせるためには、シリンダーに送る蒸気の方向を適切に制御する必要があり、右側の'''弁装置''' により制御される。出力の制御は運転室にある加減弁ハンドル<ref>レギュレータとも呼ばれている。</ref>と逆転機ハンドルによって制御される。加減弁ハンドルは、蒸気溜にある加減弁に引き棒で繋がっており、動かす事により蒸気溜から蒸気が乾燥管と主蒸気管を介して蒸気室に流れ、蒸気室内の2つの蒸気弁の間のある弁室を介して蒸気室前後に設けられた蒸気通路のどちらか一方を通って蒸気が送り込まれ、シリンダー室内のピストンを作動させる。蒸気が送り込まれたピストンの反対側の蒸気は、シリンダー室から蒸気が送り込まれた蒸気通路とは反対側の蒸気通路を通って蒸気室に戻り、蒸気室左右にある排気通路から吐出管に排出される。この動きを前後交互に行うことでシリンダー内のピストンを往復運動させることができる。シリンダー内のピストンを往復運動させる蒸気の給排気を行う蒸気室の蒸気弁は、ピストンとの間で90度の位相差で動いており、蒸気弁はピストンの動きを伝達して動かしている。力の伝達はピストンロット→クロスヘッド→合併テコ→蒸気弁の弁心棒とピストンロット→クロスヘッド→主連棒→返りリンク→偏心棒→加減リンク→心向棒→合併テコ→蒸気弁の弁心棒の2つの径路で伝達される。また、合併テコは2方向から伝達される力を合併する役割を持っており、それを介して蒸気弁を作動させる。また、発車時では、一気に加減弁を開けてしまうと、蒸気が一気にシリンダー内に入り、動輪が空転してしまうため、加減弁を徐々に開いていく操作を行う。惰性運転時には、加減弁を完全に閉じてシリンダー室に蒸気がまったく入ってこない状態にする(絶気運転とも呼んでいる)。
機関車をスムーズに走らせるためには、シリンダーに送る蒸気の方向を適切に制御する必要があり、右側の'''弁装置''' により制御される。出力の制御は運転室にある加減弁ハンドル<ref group="注釈">レギュレータとも呼ばれている。</ref>と逆転機ハンドルによって制御される。加減弁ハンドルは、蒸気溜にある加減弁に引き棒で繋がっており、動かす事により蒸気溜から蒸気が乾燥管と主蒸気管を介して蒸気室に流れ、蒸気室内の2つの蒸気弁の間のある弁室を介して蒸気室前後に設けられた蒸気通路のどちらか一方を通って蒸気が送り込まれ、シリンダー室内のピストンを作動させる。蒸気が送り込まれたピストンの反対側の蒸気は、シリンダー室から蒸気が送り込まれた蒸気通路とは反対側の蒸気通路を通って蒸気室に戻り、蒸気室左右にある排気通路から吐出管に排出される。この動きを前後交互に行うことでシリンダー内のピストンを往復運動させることができる。シリンダー内のピストンを往復運動させる蒸気の給排気を行う蒸気室の蒸気弁は、ピストンとの間で90度の位相差で動いており、蒸気弁はピストンの動きを伝達して動かしている。力の伝達はピストンロット→クロスヘッド→合併テコ→蒸気弁の弁心棒とピストンロット→クロスヘッド→主連棒→返りリンク→偏心棒→加減リンク→心向棒→合併テコ→蒸気弁の弁心棒の2つの径路で伝達される。また、合併テコは2方向から伝達される力を合併する役割を持っており、それを介して蒸気弁を作動させる。また、発車時では、一気に加減弁を開けてしまうと、蒸気が一気にシリンダー内に入り、動輪が空転してしまうため、加減弁を徐々に開いていく操作を行う。惰性運転時には、加減弁を完全に閉じてシリンダー室に蒸気がまったく入ってこない状態にする(絶気運転とも呼んでいる)。


逆転機ハンドルは逆転棒と繋がっており、その先の釣りリンク腕と釣りリンクを介して心向棒と繋がっていて、さらに心向棒から加減リンクを通り蒸気室の蒸気弁と合併テコを介してクロスヘッドに繋がっている。逆転機ハンドルは回すことで、心向棒を介してシリンダー室上部にある蒸気室の蒸気弁を操作できるようになっている。蒸気機関車の速度制御は、蒸気溜にある加減弁での調整によっても可能であるが、実際の速度制御は、蒸気弁からシリンダーへの通路の開口部の開口率の変化によって行われる。その変化の動作に使用されるのが偏心棒、加減リンク、心向棒の3つであり、加減リンクは中央を支点としてモーション・プレートに取り付けられており、その下部に連結された偏心棒により、加減リンクが支点を中心として上部と下部で往復運動を行なって、心向棒と合併テコを介して蒸気弁の弁心棒に力を伝達する仕組みとなっている。心向棒の力点は、逆転機ハンドルにより加減リンク内を上下方向に動かすことが可能であり、加減リンクの支点に近い位置では、蒸気弁の往復運動の幅が小さくなり、加減リンクの支点から離れた位置では、蒸気弁の往復運動の幅が大きくなる。その幅の変化が開口率の変化となり、開口部の大きさと蒸気弁からシリンダーへの蒸気が入らないカットオフの時間が変化することで、シリンダーに入る蒸気量の調整を行い、シリンダー内の中のピストンが時々の状況に応じた速度に対応した往復運動をするようになっている(出発時は、心向棒を加減リンク中央から下に離れた位置に移動させて、開口率を大きくカットオフの時間を短くすることでシリンダー室に入る蒸気を多くして動輪の回転力を大きく回転数を小さくし、速度が上がるにつれて、心向棒を加減リンク下部から中央の位置に徐々に移動させて、開口率を小さくカットオフの時間を長くすることでシリンダー室に入る蒸気を少なくして動輪の回転力を小さく回転数を大きくする)。また、開口率は、80%-0%の間で表しており、全出力で80%、停止時や惰性運転時では0%としている。また、加減リンクは前進または後進の切り替えも行い、同じく逆転機ハンドルを回すことにより、心向棒を加減リンクの中央(支点の部分)から下に下げると前進、上に上げると後進となる(前後進の切替は停止時に行う)。その他に、発車時に常温まで冷えたシリンダー室に蒸気を送ると、蒸気の温度が下がり[[凝縮]]が発生してシリンダー室に水が溜まるため、溜まった水を排出するシリンダー排水弁や、蒸気室の前後をバイパス管で結びその中間に弁を設置し、惰性運転時に、逆転機ハンドルを操作して蒸気室とシリンダー室を結ぶ蒸気通路の開口率を80%にしてからその弁を開き、シリンダー室のピストンの前後の空気を行き来できるようにして、ピストンの空気抵抗を最小にするバイパス弁がある。
逆転機ハンドルは逆転棒と繋がっており、その先の釣りリンク腕と釣りリンクを介して心向棒と繋がっていて、さらに心向棒から加減リンクを通り蒸気室の蒸気弁と合併テコを介してクロスヘッドに繋がっている。逆転機ハンドルは回すことで、心向棒を介してシリンダー室上部にある蒸気室の蒸気弁を操作できるようになっている。蒸気機関車の速度制御は、蒸気溜にある加減弁での調整によっても可能であるが、実際の速度制御は、蒸気弁からシリンダーへの通路の開口部の開口率の変化によって行われる。その変化の動作に使用されるのが偏心棒、加減リンク、心向棒の3つであり、加減リンクは中央を支点としてモーション・プレートに取り付けられており、その下部に連結された偏心棒により、加減リンクが支点を中心として上部と下部で往復運動を行なって、心向棒と合併テコを介して蒸気弁の弁心棒に力を伝達する仕組みとなっている。心向棒の力点は、逆転機ハンドルにより加減リンク内を上下方向に動かすことが可能であり、加減リンクの支点に近い位置では、蒸気弁の往復運動の幅が小さくなり、加減リンクの支点から離れた位置では、蒸気弁の往復運動の幅が大きくなる。その幅の変化が開口率の変化となり、開口部の大きさと蒸気弁からシリンダーへの蒸気が入らないカットオフの時間が変化することで、シリンダーに入る蒸気量の調整を行い、シリンダー内の中のピストンが時々の状況に応じた速度に対応した往復運動をするようになっている(出発時は、心向棒を加減リンク中央から下に離れた位置に移動させて、開口率を大きくカットオフの時間を短くすることでシリンダー室に入る蒸気を多くして動輪の回転力を大きく回転数を小さくし、速度が上がるにつれて、心向棒を加減リンク下部から中央の位置に徐々に移動させて、開口率を小さくカットオフの時間を長くすることでシリンダー室に入る蒸気を少なくして動輪の回転力を小さく回転数を大きくする)。また、開口率は、80%-0%の間で表しており、全出力で80%、停止時や惰性運転時では0%としている。また、加減リンクは前進または後進の切り替えも行い、同じく逆転機ハンドルを回すことにより、心向棒を加減リンクの中央(支点の部分)から下に下げると前進、上に上げると後進となる(前後進の切替は停止時に行う)。その他に、発車時に常温まで冷えたシリンダー室に蒸気を送ると、蒸気の温度が下がり[[凝縮]]が発生してシリンダー室に水が溜まるため、溜まった水を排出するシリンダー排水弁や、蒸気室の前後をバイパス管で結びその中間に弁を設置し、惰性運転時に、逆転機ハンドルを操作して蒸気室とシリンダー室を結ぶ蒸気通路の開口率を80%にしてからその弁を開き、シリンダー室のピストンの前後の空気を行き来できるようにして、ピストンの空気抵抗を最小にするバイパス弁がある。
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=== 動輪・先輪・従輪 ===
=== 動輪・先輪・従輪 ===
気筒室で作られた往復運動は'''主連接棒'''(メインロッド)を通じて[[駆動輪|動輪]]に伝えられ、ここで最終的に回転運動におきかえられる。主連接棒と連結されている動輪を'''主動輪'''という。主動輪と他の動輪は'''連結棒'''(カップリングロッド)で連結されている。また左右の動輪は車軸で繋がっており、連結棒を介して90度の角度でずらして主連接棒と連結されていて、それにより片方の気筒室内のピストンが前端または後端の死点に達してピストンの力がゼロになっても、もう片方のピストンの力が最大になるように動力伝達されている。
気筒室で作られた往復運動は'''主連接棒'''(メインロッド)を通じて[[駆動輪|動輪]]に伝えられ、ここで最終的に回転運動におきかえられる。主連接棒と連結されている動輪を'''主動輪'''という。主動輪と他の動輪は'''連結棒'''(カップリングロッド)で連結されている。また左右の動輪は車軸で繋がっており、2シリンダー機の場合は連結棒を介して90度の角度でずらして主連接棒と連結されていて、それにより片方の気筒室内のピストンが前端または後端の死点に達してピストンの力がゼロになっても、もう片方のピストンの力が最大になるように動力伝達されている。


動輪以外に機関車に設置される車輪として'''[[先輪]]'''と'''[[従輪]]'''がある。先輪は動輪の前に設置され、カーブでのスムーズな方向転換に有効であり、機関車重量の一部を負担する効果もある。従輪は動輪より後ろに配置され、機関車後部の重量を受け持つ。大きな火室を必要とする高出力機では、小さな従輪の上に幅広の火室を装備する'''広火室'''タイプが採用された。
動輪以外に機関車に設置される車輪として'''[[先輪]]'''と'''[[従輪]]'''がある。先輪は動輪の前に設置され、カーブでのスムーズな方向転換に有効であり、機関車重量の一部を負担する効果もある。従輪は動輪より後ろに配置され、機関車後部の重量を受け持つ。大きな火室を必要とする高出力機では、小さな従輪の上に幅広の火室を装備する'''広火室'''タイプが採用された。


蒸気機関車の最高速度は動輪の直径('''動輪径''')で決まる。すなわち巨大な[[クランク (機械要素)|クランク]]構造となっている蒸気機関車の動輪回転数は400[[rpm (単位)|rpm]]が限界<ref>『[[#久保田 (2005)|日本の鉄道史セミナー]]』p.136</ref>とされており、実際に各国の蒸気機関車の最高速度もほぼこの限界値近くにある。高速度が要求される蒸気機関車は当然大きな動輪径が設定される。
蒸気機関車の最高速度はシリンダーの往復速度と動輪の直径('''動輪径''')で決まる。すなわち巨大な[[クランク (機械要素)|クランク]]構造となっている蒸気機関車の動輪回転数は400[[rpm (単位)|rpm]]付近が限界<ref>『[[#久保田 (2005)|日本の鉄道史セミナー]]』p.136</ref>とされており、実際に各国の蒸気機関車の最高速度もほぼこの限界値近くにある<ref group="注釈">スピード記録などのための無理をして出した記録としては毎分500回転近くまで出したものもあり、イギリスではロンドン&ミッドランド鉄道ダッチェスクラス(4シリンダー)の480回転(1937年、[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.55]])、ロンドン&ノースイースタン鉄道A4クラス(3シリンダー)の530回転(1938年、[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.61]]。ただし中央クランクが損傷した)、アメリカのノーフォーク&ウェスタン鉄道のJ型(2シリンダー)の540回転([[#齋藤2018|(齋藤2018) p.81]])などがある。<br>フランスは最高時速120km制限の関係でここまで極端なのはなくパリ・オルレアン鉄道240.700形(4シリンダー)の430回転([[#齋藤2018|(齋藤2018) p.52]]。なおこれは試験時の特例で151km/hの速度限界超過の値。)、ドイツは高速回転化が進まず01<sup>10</sup>型の375回転程度([[#齋藤2018|(齋藤2018) p.71]])でそれを習った日本も回転数増加の流れには至ってない。なお回転数増加は走行装置の摩耗損傷の増加も招く上に(H.C.B. Rogers, Riddles and the 9Fs (Ian Allan, 1982))、内側にシリンダーがある場合は過熱による不具合まで起こしてしまう。[[リビオ・ダンテ・ポルタ]]と21世紀の技術で作られた[[w:en:LNER Peppercorn Class A1 60163 Tornado|A1 60163トルネード]]も過熱による呪縛から逃れられていない。</ref>。高速度が要求される蒸気機関車は当然大きな動輪径が設定される。


蒸気機関車は大き輪を鉄のレールの上で走らせるためスリップ([[空転]])を起こしやすい。重量のある列車を牽引する際に空転を防ぐためには動輪とレールの[[粘着式鉄道|粘着性]]を上げることが必要だが、手段としては全動輪にかかる重量を増やす方法がとられる。即ち動輪1対あたりの重量('''軸重''')を増やすか、動輪数を増やして'''動軸上重量'''を増やすの2種類の方法がある。動輪および前輪と従輪の配置や数('''軸配置''')は機関車の性能を決定する重要なファクターである([[車軸配置]]参照)。軸重の増加については[[軌道 (鉄道)|軌道]]の強化が必要であり、動輪数を増やす場合については機関車の長さの問題、急カーブ通過時の問題などが発生する。動輪数を増やしてカーブ対策を行った方式として、前後に複数の駆動システムを有する[[マレー式機関車]]がある。
蒸気機関車に限らいが滑らかな鉄の車輪を鉄のレールの上で走らせるためスリップ([[空転]])を起こしやすい<ref group="注釈">黎明期の機関車ではこれを危惧して通常の車輪は車体を支えるのみで動輪をギア状にしたブレキンソップや、足をつけて馬のように動かして走らせようとしたブラントン(どちらもイギリス人)といった例がある。[[#萩原1977|(萩原1977) p.178-179]]</ref>。重量のある列車を牽引する際に空転を防ぐためには動輪とレールの[[粘着式鉄道|粘着性]]を上げることが必要だが、手段としては全動輪にかかる重量を増やす方法がとられる。即ち動輪1対あたりの重量('''軸重''')を増やすか、動輪数を増やして'''動軸上重量'''を増やすの2種類の方法がある。動輪および前輪と従輪の配置や数('''軸配置''')は機関車の性能を決定する重要なファクターである([[車軸配置]]参照)。軸重の増加については[[軌道 (鉄道)|軌道]]の強化が必要であり、動輪数を増やす場合については機関車の長さの問題、急カーブ通過時の問題などが発生する。動輪数を増やしてカーブ対策を行った方式として、前後に複数の駆動システムを有する[[関節式機関車]]がある。


=== 補機類 ===
=== 補機類 ===
前記したボイラーに水を注水するための給水ポンプとインゼクタがボイラー横に搭載される他、蒸気機関車自体や牽引する客車のブレーキ装置を作動させる圧縮空気を作る目的でボイラー缶胴部横や煙室前面などに[[コンプレッサー]]を搭載している(日本では1920年代以後に設置)。調圧器により自動的に作動しており、そこで作られた圧縮空気は繰出管を介して冷却されてボイラー横の元空気溜に蓄圧される。また、前照灯など電気装置やATSの保安装置などを使用する目的でタービン発電機がボイラー上部の運転室側に搭載される。コンプレッサーもタービン発電機もボイラーから運転室に取付けられた弁が付いた蒸気分配箱を介して送られた蒸気を動力源としており、これらの弁の操作により蒸気が送られて各種補機を作動させる。
前記したボイラーに水を注水するための給水ポンプとインゼクタがボイラー横に搭載される他、蒸気機関車自体や牽引する客車のブレーキ装置を作動させる圧縮空気を作る目的でボイラー缶胴部横や煙室前面などに[[圧縮機|コンプレッサー]]を搭載している(イギリスなど真空ブレーキ式の国ではこれがなかった。空気ブレーキはアメリカで1869年に発明され1872年に直通から自動式に改良、米国では1893年に全列車に空気ブレーキが装備が義務付けられた。なお、日本では真空ブレーキが先(1891年)に導入されたが、勾配が多い日本では1920年代以後に連続使用が効く空気ブレーキ式に切り替えられた<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.133-116]]</ref>調圧器により自動的に作動しており、そこで作られた圧縮空気は繰出管を介して冷却されてボイラー横の元空気溜に蓄圧される。また、前照灯など電気装置やATSの保安装置などを使用する目的でタービン発電機がボイラー上部の運転室側に搭載される。コンプレッサーもタービン発電機もボイラーから運転室に取付けられた弁が付いた蒸気分配箱を介して送られた蒸気を動力源としており、これらの弁の操作により蒸気が送られて各種補機を作動させる<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.102-103]]</ref>

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ファイル:C61 20 turbine generator.jpg|C61 20号機のタービン発電機
ファイル:C61 20 turbine generator.jpg|C61 20号機のタービン発電機
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== 特徴 ==
== 特徴 ==
=== 長所 ===
=== 長所 ===
*多種類の燃料が使える。高熱量のものが望ましいが、石炭に限らずおよそ可燃物なら何でも使用可能。[[石炭]]以外の例として、石油の豊富な[[インドネシア]]などでは[[重油]]、東京ディズニーランドの[[ウエスタンリバー鉄道]]などでは灯油、軽便鉄道などでは[[薪]]、海外では[[草]]・[[バガス]]などの例がある。第二次大戦中、燃料が高騰する一方で電力は[[水力発電]]で確保できていたスイスでは、蒸気機関車を[[スイス国鉄E3/3形蒸気機関車 (電気式)|電気加熱できるよう改造した例]]もある。
*多種類の燃料が使える。高熱量のものが望ましいが、石炭に限らずおよそ可燃物なら何でも使用可能。[[石炭]]以外の例として、石油の豊富な[[インドネシア]]などでは[[重油]]、東京ディズニーランドの[[ウエスタンリバー鉄道]]などでは灯油、軽便鉄道などでは[[薪]]、海外では[[草本|草]]・[[バガス]]などの例がある。第二次大戦中、燃料が高騰する一方で電力は[[水力発電]]で確保できていたスイスでは、蒸気機関車を[[スイス国鉄E3/3形蒸気機関車 (電気式)|電気加熱できるよう改造した例]]もある。わが国にも昭和20年代に重油を混燒するものがあった
<!---*物理的に重量を抑える必要がある場合、[[電気機関車]]や[[ディーゼル機関車]]より軽量化できる。ただし、牽引力は劣る。--->
<!---*物理的に重量を抑える必要がある場合、[[電気機関車]]や[[ディーゼル機関車]]より軽量化できる。ただし、牽引力は劣る。--->
*耐用寿命が長い。通常約30年程度。それ以降の運転は大規模な修繕や部品交換([[オーバーホール]])が必要とされるが、電気機関車やディーゼル機関車に比べて、延命が容易。[[世界遺産]]でもある[[インド]]の[[ダージリン・ヒマラヤ鉄道]]で使用される[[イギリス]]製の蒸気機関車は、最古のもので110年にわたり使用されている。また車体そのものは動態保存が目的だが、車籍を有し現用の電車・気動車と同じ鉄道路線を走行(営業運転することのできる機関車として、[[日本の鉄道|日本]]の[[九州旅客鉄道|JR九州]]が保有する[[国鉄8620形蒸気機関車58654号機|58654(8620形)]]があり、これは[[1988年]](昭和63年)の復活運転以降ボイラーや台枠など多くの部品が交換されているものの、[[1922年]](大正11年)の製造から約90年を経過してなお運行を続けている。さらに正式な鉄道路線ではないものの、[[博物館明治村]]で動態保存され施設内で実際に乗車できる客車を牽引する旧[[名古屋鉄道]]12号(元[[国鉄160形蒸気機関車]]165号)に至っては、ボイラーは1985年(昭和60年)に新製されたものと交換されているが、[[1874年]](明治7年)の製造から130年以上が経過している。
*構造が簡単で修理が容易なために耐用寿命が長い。通常約30年程度。それ以降の運転は大規模な修繕や部品交換([[オーバーホール]])が必要とされるが、電気機関車やディーゼル機関車に比べて、延命が容易。[[世界遺産]]でもある[[インド]]の[[ダージリン・ヒマラヤ鉄道]]で使用される[[イギリス]]製の蒸気機関車は、最古のもので110年にわたり使用されている。車籍を有し営業運転することのできる機関車として、[[日本の鉄道|日本]]の[[九州旅客鉄道|JR九州]]が保有する[[国鉄8620形蒸気機関車58654号機|58654(8620形)]]があり、これは[[1988年]](昭和63年)の復活運転以降ボイラーや台枠など多くの部品が交換されているものの、[[1922年]](大正11年)の製造から約90年を経過してなお運行を続けている。さらに正式な鉄道路線ではないものの、[[博物館明治村]]で動態保存され施設内で実際に乗車できる客車を牽引する旧[[名古屋鉄道]]12号(元[[国鉄160形蒸気機関車]]165号)に至っては、ボイラーは1985年(昭和60年)に新製されたものと交換されているが、[[1874年]](明治7年)の製造から130年以上が経過している。
*一時的な過負荷では故障しない。戦場における軍用鉄道などではこの利点がある。
*一時的な過負荷では故障しない。戦場における軍用鉄道などではこの利点がある。


=== 短所 ===
=== 短所 ===
[[ファイル:Murii_forest_railway_locomotive_Type_18_(No.21).jpg|thumb|煙突から火の粉が飛んで山火事や火事をおこさせない機構が取り付けられた[[武利意森林鉄道18号形蒸気機関車]]]]
*機構が簡単だが調整が難しく、雑な調整ではうまく走れない。したがって、修理作業に熟練を要する。もっとも工作精度の点では内燃機関よりも低くとも問題なく、むしろ一定以上の高精度で組み立てると動作しない場合すらある<ref>第二次世界大戦中、南方戦線で日本軍が蒸気機関車を運用していた際に、鉄道車両に関する知識のない自動車技師出身の整備兵が内燃機関と同じ精度で蒸気機関車の各部品の整備・組み立てを行ったところ全く動作せず、精度を落として(各可動部に意図的に遊びを設けて)再組み立てしてようやく動作した、という逸話が残っている。</ref><!---ただし、電気機関車やディーゼル機関車がこの点において確実に勝るようになったのは[[1990年代]]以降のことであり、それ以前は、必ずしも蒸気機関車特有の欠点とは言えなかった---><ref name="seibi">電車・電気機関車は制御器の接点の調整に熟練を要し、上手くあっていないとノッチ進段時の衝動が大きくなったりするほか、酷いときには高速度遮断機が作動して運転不可能になる事例もあった。また気動車・ディーゼル機関車はディーゼルエンジンそのものが蒸気機関に比べてはるかに複雑で部品点数が多く、やはり整備には熟練と専門知識を要した。これらが劇的に解消されるのは、電気車では[[可変電圧可変周波制御|VVVFインバータ]]制御が一般化し、内燃機関車では大型高速ディーゼル機関のメンテナンスフリー化が進んでからである。</ref>。
[[File:Kadode Station 06.jpg|thumb|煤煙に注意するよう促す看板。(大井川鉄道[[門出駅]]、2021年2月撮影)]]
*電気機関車やディーゼル機関車より燃費効率が悪く、牽引力も弱い。蒸気機関車の[[熱効率]]は10%程度といわれ、ディーゼル機関車の熱効率35%程度に比べてかなり劣る<ref>列車の速度を10%下げると消費する石炭量を20%減らすことができる。--『[[#久保田 (2005)|日本の鉄道史セミナー]]』p.87</ref>。
*機構が簡単だが調整が難しく、雑な調整ではうまく走れない。修理作業に熟練を要するが、工作精度の点では内燃機関よりも低くとも問題ない<ref group="注釈">第二次世界大戦中、南方戦線で日本軍が蒸気機関車を運用していた際に、鉄道車両に関する知識のない自動車技師出身の整備兵が内燃機関と同じ精度で蒸気機関車の各部品の整備・組み立てを行ったところ全く動作せず、精度を落として(各可動部に意図的に遊びを設けて)再組み立てしてようやく動作した、という逸話が残っている。</ref><ref group="注釈" name="seibi">電車・電気機関車は制御器の接点の調整に熟練を要し、調整が悪いとノッチ進段時の衝動が大きくなったり、高速度遮断器が作動して運転不可能になる事例もあった。また気動車・ディーゼル機関車はディーゼルエンジンそのものが蒸気機関に比べてはるかに複雑で部品点数が多く整備には熟練と専門知識を要した。これらが劇的に解消されるのは、電気車では[[可変電圧可変周波制御|VVVFインバータ]]制御が一般化し、内燃機関車では部品の精度が向上したことと電子制御により大型高速ディーゼル機関のメンテナンスフリー化が進んでからである。</ref>。
*高速運転ができない。一般的な構造を備える蒸気機関車の速度は動輪の直径とシリンダーの往復速度に比例する。シリンダーの往復速度を速く、また動輪径を大きくするほど高速運転が可能となるが、シリンダーの往復速度の上限はシリンダーとそれを支える台枠の剛性や強度、それにシリンダーやロッドなどの慣性質量に依存するため、通常の構造では一定の速度以上への引き上げは難しく、また動輪径が軌間(レールの幅)を大幅に越えると一般に重心が高くなるため走行が不安定になり、危険である。蒸気機関車の最高速度は、[[狭軌]] (1067mm) では1954年に日本の[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形17号機]]が129km/hを記録し、標準軌 (1435mm) では1936年にドイツの、1938年にイギリスの蒸気機関車がそれぞれ大直径の動輪により時速200kmをわずかに超えた速度を記録している<!--が、これらが限界と考えられる-->が、日本国内における営業最高速度は概ね95km/h程度までに留まっていた。電気運転やディーゼル運転は、もちろんこれよりはるかに高速での走行が可能である。
*電気機関車やディーゼル機関車より燃費効率が悪く、牽引力も弱い。蒸気機関車の[[熱効率]]は10%程度といわれ、ディーゼル機関車の熱効率35%程度に比べてかなり劣る
*始動に時間がかかる。煙缶式ボイラーが完全に冷え切った状態の場合、火入れ・蒸気の発生に数時間前から作業開始する必要がある。また走行終了後も石炭ガラの廃棄などの作業が必要。
*高速運転できない。一般的な構造を備える蒸気機関車の速度は、動輪の直径とシリンダーの往復速度に比例するため、シリンダーの往復速度を速く、また動輪径を大きくするほど高速運転が可能となる。しかしシリンダーの往復速度の上限は、シリンダーとそれを支える台枠の剛性や強度、それにシリンダーやロッドなどの慣性質量に依存することから、ホイールベースが長く高速走行をする機関車ほど振動が激しくなり<ref group="注釈">極端な例だが、ソ連の[[:en:4-14-4#AA20|AA20]]形は直径1600mmの動輪が7軸もあり、非常にホイールベースが長かった結果、時速70kmで振動が激しくなったのでこれが最高速度とされた。[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.75]]</ref>、通常の構造では一定の速度以上への引き上げは難しい<ref group="注釈">なお、この振動は前後と上下の2つの方向があるのでウェイトをつけてもどちらか片方しか修正できず([[ハンマーブロー]]参照)、多気筒にすることである程度抑えられる。[[#齋藤2018|(齋藤2018) 「第4章 回転数アップ」P.48-65]]。)<br>もっとも電気機関車や電気式ディーゼル機関車の場合もモーター重量を直接動輪軸にかける形式([[吊り掛け駆動方式|吊りかけ式]]など)でモーターが重い時代の頃は([[鉄道車両の台車#ばね下重量・ばね間重量|ばね下重量]]が蒸気機関車以上に重いので)結局高速走行時には堅固な軌道が求められた[[#ウェストウッド2010|(ウェストウッド2010) p.192]]<br>(注:ウェストウッド著『世界の鉄道の歴史図鑑』の原文では「ディーゼル機関車」の項でこの説明があるが、電気式の足回りは電気機関車と同じな上、直後に「スイスの電気機関車で車体側でモーターを支えてこの問題を解決した話」があるので電気機関車も含んでの話と判断した。)</ref>。また動輪径についても、動輪の後方で従輪で火室を支えたり、ボイラー下に火室や動輪がこない[[ガーラット式機関車|ガーラット式]]などの構造である程度カバーはできるものの、大径化に伴いボイラーや火室の邪魔になる他、軌間(レールの幅)を大幅に越えると一般に重心が高くなるため走行が不安定になり、危険である。このため標準軌でも実用になったのは7 - 8フィート(2135 - 2440mm)付近(20世紀に入ってからは7フィート以下が普通)であり<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) 「第3章 より速く走るために」P.40-47]]</ref>、これ以上に大径の動輪は実験的なものである。<br>蒸気機関車の最高速度は、[[狭軌]] (1067mm) では1954年に日本の[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形17号機]]が129km/hを記録し、標準軌 (1435mm) では1936年にドイツの05形が、1938年にイギリスのLNER A4がそれぞれ時速200kmをわずかに超えた速度を記録している。しかし[[LNER A4形蒸気機関車|LNER A4]]はページにある通り無理に速度を出した場合の数値である。C62はまだまだ余力を残しており10‰勾配と曲線を超え木曽川橋梁から岐阜へ向かえば140km/hは出せていた<ref>[[#蒸気機関車EX Vol.4|蒸気機関車EX Vol.4 P71]]</ref>。C62の営業列車で120㎞/h以上(速度計の数値は120㎞/hまでしか書かれていない)の速度を出す機関士もおり<ref>[[#蒸気機関車EX Vol.4|蒸気機関車EX Vol.4 PP68-69]]</ref>、他の機種でも戦時中の若い機関士を中心に客車を引っ張って129km/h以上を出すこともあった<ref>[[#蒸気機関車EX Vol.4|蒸気機関車EX Vol.4 P70]]</ref>。
*電気機関車やディーゼル機関車の場合1人でも運転可能であるが、蒸気機関車の運転には、走行操作をする[[動力車操縦者|機関士]]とボイラーに水や石炭を送る操作をする[[火夫|機関助士]]の2人が必要となるため、2倍の人員を必要とする。後年自動給炭が可能なものも登場したが、機関助士の乗務を不要とするには至っていない。なお、燃料を石油だけにすれば1人でも運転可能ということにはなるが、他の欠点を補えるわけではないので、そのような時代が来る前に電気機関車・ディーゼル機関車の時代になった。
:営業最高速度は日本と同じ1067mm軌間ではインドネシア(1000形=C53形)やニュージーランド(Ka形([[:en:NZR KA class]])の時速120km前後が最高(日本は前述のとおり130km/hほどの速度を出すこともあったが[[600メートル条項]]の建前上時速100km程度)である<ref>[[#齋藤2018|(齋藤2018) P83・194-195]]</ref>。なお[[:id:Lokomotif_C53 | インドネシア(1000形=C53形)]]は90kmほどで機関車が手に負えないほど振動が激しくなり、1931年に試験目的で100kmを出してみたところ更に激しく揺れたため最高速度は90kmに制限されており<ref>[https://web.archive.org/web/20230415005514/https://kereta-api.info/c28-dan-c53-loko-uap-tercepat-di-indonesia-351.htm]Kereta Api</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20230415005516/https://heritage.kereta-api.co.id/page/Lokomotif%20C53]Heritage - Kereta Api Indonesia</ref>、120kmの営業運転がされていたという記述は信憑性が全く無い。インドネシアの最速機関車は110㎞の記録を出した[[:id:Lokomotif C28|C28タンク機関車]]で短距離高速列車を90kmから95kmの営業最高速度で運転していた<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20230419030617/https://heritage.kereta-api.co.id/page/Lokomotif%20C28|title=Lokomotif C28 |accessdate=2021-12-14}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20230419033714/https://p2k.unimus.ac.id/id1/2-3040-2937/C28_85130_p2k-unimus.html|title=WORLD ENCYCLOPEDIY C28|accessdate=2021-12-14}}</ref>。さらにニュージーランドKa形についても[[:en:NZR JA class | 同国のJA形]]が120kmを超えた逸話<ref>Engine Pass - New Zealand Railways P169 David Bruce Leitch 著 A.H.&A.W. Reed 発行 1967年</ref>と混同しており、蒸気機関車時代の営業運転速度は120kmどころか50マイル(80.5 km/ h)である。またニュージーランド最速記録は[[:en:NZR RM class (Vulcan)|英国から輸入したレールバス]]の125.5kmであり<ref>Vulcan Railcars in New Zealand P7 Neill J. Cooper 著 New Zealand Railway and Locomotive SocietyIncorporated 発行 1981年</ref>、それに迫る速度で営業運転をしていたことになる。標準軌でも、前述の最高速度記録を持つイギリスのLNER A4は、通常運行では安全面から時速90マイル(145km)ほどである(ドイツの05形に至っては車両自体が高速性特化で牽引力が低いため4から5両程度の客車しか引けずに量産されてない)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.288-289・327]]</ref>。一方こういった問題のない電気運転の場合は、1903年にすでに時速200kmを突破した記録がある。([[高速鉄道の最高速度記録の歴史]]も参照)
*高温を発するボイラーを稼動させるために、[[運転士]](機関士、機関助士)が過酷な労働を強いられる。とりわけ夏季の高温環境における石炭投入などの重労働、冬季の寒気や雪の吹きさらしによる肉体的負担が挙げられる。
*低速においても、鉱物などの大量輸送で見かけるような時速20-40km程度では、本来の力を発揮できない<ref group="注釈">低速で動く出発時や加速時にこそ大出力が欲しいのに、その時蒸気機関車は全力の半分ほどしか出せない。参考までにいうとアメリカのユニオンパシフィック鉄道4000型(ビッグボーイ)は時速70マイル(112km)時に1万馬力の出力を出せたが、時速35マイル(56km)では6200馬力、時速20マイルでは5200馬力しか出せなかった。[[#ロス2007|(ロス2007) p.193]])
*性能が条件により変化し、一定しない(燃料の発熱量、タンク機関車の場合は燃料と水の使用に伴う[[軸重]]の変化も影響する)。
</ref>。これは構造にもよるが、蒸気機関車は通常時速50kmから100kmで最高出力となるためでなので、時速15kmほどから強力な牽引力が発揮できるうえ、トルクの変動(空転の原因になる)もなく、機関車重量すべてを粘着重量にとれる電気式ディーゼルの方が圧倒的に有利<ref name="名前なし-2">[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.436-437]]</ref>。
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*始動に時間がかかる。煙管式ボイラーが完全に冷え切った状態の場合、火入れ・蒸気の発生に数時間前から作業開始する必要がある。また走行終了後も石炭ガラの廃棄などの作業が必要。
*電気機関車やディーゼル機関車の場合1人でも運転可能であるが、蒸気機関車の運転には、走行操作をする[[動力車操縦者|機関士]]とボイラーに水や石炭を送る操作をする[[火夫|機関助士]]の2人が必要となるため、2倍の人員を必要とする。後年[[自動給炭機|自動給炭]]が可能なものも登場したが、機関助士の乗務を不要とするには至っていない。また、電気機関車やディーゼル機関車は[[重連運転]]の場合先頭車にだけ運転士が乗っていればよいが、蒸気機関車の場合は重連で四人、三重連だと六人の人員が必要になる<ref>[[石井幸孝]]「[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51]]物語」P95、[[JTBパブリッシング]]、2004年</ref>。なお、燃料を石油だけにすれば1人でも運転可能ということにはなるが<ref group="注釈">[[王立バイエルン邦有鉄道PtL2/2型蒸気機関車]]は石炭焚きでの数少ない1人乗務形の形式である。</ref>、他の欠点を補えるわけではないので、そのような時代が来る前に電気機関車・ディーゼル機関車の時代になった。
*高温を発するボイラーを稼動させるために、[[運転士]](機関士、機関助士)が過酷な労働を強いられる<ref name="名前なし-3">[[#萩原1977|(萩原1977) p.173]]</ref>。とりわけ夏季の高温環境における石炭投入などの重労働、冬季の寒気や雪の吹きさらしによる肉体的負担が挙げられる。
*前方視界が悪い。構造上大型のボイラーを前方に配置せざるを得ず、結果線路上の障害物や軌道の損傷の発見も遅れて、大事故に結びつきやすい。
*性能が条件により変化し、一定しない(燃料の発熱量、タンク機関車の場合は燃料と水の使用に伴う[[軸重]]の変化も影響する<ref group="注釈">ディーゼル機関車も燃料消費で軽くはなるが、水を大量に消費する蒸気機関車ほどは大きく変動はしない。</ref>)。
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*急激な出力の調整が困難。出力を減らすには蒸気を排気すれば比較的容易であるが、再度出力上がるためには時間が必要。
*急激な出力の調整が困難。出力を減らすには蒸気を排気すれば比較的容易であるが、再度出力上がるためには時間が必要。
--><!-- ボイラ圧と出力を混同しているのでは? -->
--><!-- ボイラ圧と出力を混同しているのでは? -->
*大量の{{読み仮名|煤煙|ばいえん}}・ガスを排出するのでトンネルでは窓を開けられない(この関係で山国では早くから電化が進んでいることが多い)<ref>[[#萩原1977|(萩原1977) p.172]]</ref>。日本国内では急勾配と長大なトンネルが多く、統計によると1931年(昭和6年)から1941年(昭和16年)までにトンネル内での乗務員事故36名、犠牲者2名を出している。[[狩勝トンネル]]では[[国鉄9600形蒸気機関車|9600形]]の乗務で事故や犠牲者が出ており安全衛生の改善を発端に[[狩勝トンネル#狩勝トンネル争議|争議が発生した]]<ref>高桑 榮松 蒸気機関車運転室(キャブ)内労働衛生調査と事故防止対策 狩勝トンネル争議</ref>。1928年には、急勾配のため従来から立ち往生や逆行を起こしていた<ref>[https://www.rikou.ryukoku.ac.jp/images/journal62/RJ62-03.pdf 続・滋賀の技術小史]</ref>[[国鉄D50形蒸気機関車|D50形]]二両が牽引する貨物列車がトンネルで空転を起こし、救援に向かった列車も立ち往生してしまい全員が窒息による危篤状態に陥り、3名(5名説もあり)が死亡、12名が昏倒する悲惨な事故が起きている<ref>[https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1212/07/news013_3.html 杉山淳一の時事日想 鉄道のトンネルは、安全なのか]</ref>。
*有害な煤煙・ガスを排出し、運転士、乗客、沿線住民いずれにとっても深刻な問題となった。
*煙の火の粉が線路周囲の森林や草・家屋などに燃え移ることにより、時として[[山火事]]や火事が起きる<ref>{{Cite web |url=https://www.tribuneindia.com/news/archive/himachal/steam-engine-causes-forest-fire-villagers-enraged-557370 |title=Steam engine causes forest fire, villagers enraged |access-date=2022-10-30 |last=Service |first=Tribune News |website=Tribuneindia News Service |language=en}}</ref><ref>{{Cite journal |last=茗荷 |first=傑 |date=2009 |title=浅間山麓六里ヶ原周辺の土地機能回復過程に関する考察 |url=https://doi.org/10.14866/ajg.2009s.0.9.0 |publisher=公益社団法人 日本地理学会 |language=ja |doi=10.14866/ajg.2009s.0.9.0}}</ref>。藁葺きや木の屋根が普通であった時代には火災が多発し、これによる[[鉄道と政治#鉄道忌避伝説|鉄道忌避伝説]]もある。
<!--
*保守に手がかかる<ref group="注釈" name="seibi" />。
さらに[[大気汚染]]や[[酸性雨]]をもたらしたり、石炭は[[化石燃料]]なのでこれが燃焼することで[[地球温暖化]]の問題に繋がっている。
**摩耗部分が多く、日本の場合約39万km走るとオーバーホールしていた(同時期の電車や電気機関車は80万kmほどでオーバーホール)<ref name="名前なし-3"/>。
--><!--化石燃料を燃やすのはディーゼルも電気も同じ。程度問題で、この表現は疑問-->
*煙の火の粉が線路周囲の森林や草・家屋などに燃え移ることにより、時として火災を発生させる。藁葺きや木の屋根が普通であった時代には火災が多発し、これによる[[鉄道と政治#鉄道忌避伝説|鉄道忌避伝説]]もある。
*保守に手がかかる<ref name="seibi" />。
**摩耗部分が多い。
**ボイラー部などの熱・高圧疲労・耐用年数による老朽化。
**ボイラー部などの熱・高圧疲労・耐用年数による老朽化。
**水垢の蓄積。
**水垢の蓄積。
<!--**国鉄の蒸気機関車全廃による機構部品の生産終了。日本国鉄独自の問題なのでコメントアウト-->
<!--**国鉄の蒸気機関車全廃による機構部品の生産終了。日本国鉄独自の問題なのでコメントアウト-->
<!--*コンプレッサー、給水ポンプなど稼動の多い付属品では交換が多く部品が不足する。//補器類の整備が必要なのは蒸気動力車に限ったものではないのでは?-->
<!--*コンプレッサー、給水ポンプなど稼動の多い付属品では交換が多く部品が不足する。//補器類の整備が必要なのは蒸気動力車に限ったものではないのでは?-->
*燃料と水を補給する必要があり、大型機では約100kmごとに補給が必要。そのため、<!-- 長距離列車では燃料や水を満載した機関車への交換が必要となり、そのため多数の機関車を保持する必要がある。--><!-- 補給すればよい。連続給水も行われている -->駅や機関区などに水・石炭などの補給や、使用済みの石炭ガラ処理用の大型設備が必要となる。
*燃料と水を補給する必要があり、大型機では約100kmごとに補給が必要。そのため、駅や機関区などに水・石炭などの補給や、使用済みの石炭ガラ処理用の大型設備が必要となる。また、電気機関車などのように1000km程度の長距離を乗務員の交代のみで運転することはできず、機関車の所要数が増える。
*機関車そのもので蒸気を発生させて走るため性能の発揮に熟練が必要。とりわけ特急列車のような「計算上の最大出力を出さねばダイヤが維持できない」列車の場合、石炭や水の使用効率のことも考えると特に技量の高い機関士・機関助士を必要とする<ref>「鉄道ファン」2003年12月号P108
、西村勇夫の寄稿。「特急乗りには望みもないが、せめてなりたや局長に」ということまで当時の国鉄内部では言われていたという。</ref>。
*設計上逆向き運転が考慮されておらず、[[転車台]]・[[デルタ線]]・[[ループ線]]など方向転換のための設備を必要とする。ただし、後年には[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]や[[国鉄C56形蒸気機関車|C56形]]など逆向き運転が容易な形式も出現した。また、石油だけを燃料とするなら必ずしも運転席をボイラーと炭水車との間に設ける必要はないので、理論的には逆向き運転も容易になる。
*設計上逆向き運転が考慮されておらず、[[転車台]]・[[デルタ線]]・[[ループ線]]など方向転換のための設備を必要とする。ただし、後年には[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]や[[国鉄C56形蒸気機関車|C56形]]など逆向き運転が容易な形式も出現した。また、石油だけを燃料とするなら必ずしも運転席をボイラーと炭水車との間に設ける必要はないので、理論的には逆向き運転も容易になる。


こうした理由で、ディーゼル機関車の発展が早かった米国では1930年代頃から蒸気機関車に挑戦するようになり、1946年の調査では、蒸気機関車が得意な特急牽引(蒸気機関車は低速だと全力が出せない)の仕事でさえ、NYCのナイヤガラ特急牽引機で比較した結果、初期コストと運用コストのいずれにおいても蒸気機関車と(電気式)ディーゼル機関車がほぼ同じ経済性とされるほどになっていた。1950年代に至っては、大半の鉄道会社がゼネラルモーターズ(GM)やゼネラルエレクトリック(GE)のディーゼル機関車に置き替えていた<ref name="名前なし-2"/>。
電気機関車・ディーゼル機関車は当初性能面における信頼性が低く、そのため蒸気機関車が日本では[[昭和]]後期まで使用されていたが、<!--1950年代には既に充分な信頼性を持つディーゼルや電気機関車が製造されていたと思いますが、如何? 蒸気機関車が遅くまで残ったのは他に理由があるのではありませんか?-->以上のように欠点が多いため国鉄は「[[動力近代化計画]]」として[[1960年]](昭和35年)の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、[[鉄道の電化|電化]]やディーゼル化を推進した。そして[[梅小路蒸気機関車館]]に保存された車両を除き、予定通り[[1975年]](昭和50年)の年度末となる[[1976年]](昭和51年)3月に完了させた。

フランスではディーゼル機関車だけでなく、1952年にパリ‐リヨン間の電化区間で主力になる予定だった電気機関車(パリ・オルレアン鉄道から引き継いだ機関車の改良型、3900馬力)よりも大馬力の蒸気機関車まで存在した。しかし電化の方が将来性があるとして、1948年から蒸気機関車新造を打ち切っており、これ以後は改造機もほとんどない<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.370・374-375]]</ref>。

日本でも新造は1948年のE10か改造名義だが実質新規製造のC62(1949年)までで、1950年代は従輪の付け替え程度の改造にとどめていた。その後国鉄は「[[動力近代化計画]]」として[[1960年]](昭和35年)の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、[[鉄道の電化|電化]]やディーゼル化を推進した。そして[[梅小路蒸気機関車館]]に保存された車両を除き、予定通り[[1975年]](昭和50年)の年度末となる[[1976年]](昭和51年)3月に完了させた<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.274-275]]</ref>。

ドイツでも戦後量産されたのは、3000両以上ある[[プロイセン邦有鉄道P8型蒸気機関車|プロイセンP8型]]の置き換え用として戦前に計画された、2-6-2プレイリーの23形だけであり、1959年末の製造終了をもって、ドイツ国鉄(DB)における蒸気機関車の新造は打ち切られた(東ドイツのDRでは改造機も含めるともう少し製造を行っており、ベルリンの壁崩壊まで残存の機関車もいた。)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.299-304]]</ref>。

イギリスは、先進国の中では最も長く蒸気機関車の製造を続けており、1950年代にも完全新設計の機関車が新造されていたが、イギリス国鉄(BR)は1960年の貨物用2-10-0イブニングスターを最後に蒸気機関車の製造を打ち切り、1968年には蒸気機関車の商業運行を打ち切った<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.338-342]]</ref>。


== 蒸気機関車の分類 ==
== 蒸気機関車の分類 ==
=== 駆動方式による分類 ===
=== 駆動方式による分類 ===
; [[ピストン]]式
; [[ピストン]]式
: 蒸気の圧力を[[シリンダー]]に導きピストンを作動させることで往復運動に変換し、その往復運動で動輪を駆動する方式で、広く普及した。<!-- 低回転時にはトルク変動が強い。--><!-- 往復機関に共通した特徴であり、蒸気機関車としては気筒数の問題ではないのか? -->
: 蒸気の圧力を[[シリンダー]]に導きピストンを作動させることで往復運動に変換し、その往復運動で動輪を駆動する方式で、広く普及した。
; [[タービン]]式
; [[タービン]]式
: 蒸気の圧力を[[蒸気タービン]]に導き、[[回転運動]]に直接変換する方式である。タービンで発生した回転運動はギアやロッドにより間接的に動輪に伝達される。<!-- 整備性が悪い、減速ギアなどがないと効率が悪いなどの理由により普及しなかった。--><!-- ここまで断言できないのではないか --> 詳細は[[蒸気タービン機関車]]を参照。
: 蒸気の圧力を[[蒸気タービン]]に導き、[[回転運動]]に直接変換する方式である。タービンで発生した回転運動はギアやロッドにより間接的に動輪に伝達される。 詳細は[[蒸気タービン機関車]]を参照。
; [[発電]]式
; [[発電]]式
: 車上の[[ボイラー]]で発生させた蒸気を、蒸気タービンや多気筒式蒸気エンジンに導き電力を発生させ、電気モーターにより駆動する方式である。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などに存在したが、試作段階にとどまった。一見するとディーゼル機関車のようで、とうてい蒸気機関車には見えないものが存在する。
: 車上の[[ボイラー]]で発生させた蒸気を、蒸気タービンや多気筒式蒸気エンジンに導き電力を発生させ、電気モーターにより駆動する方式である。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などに存在したが、試作段階にとどまった。一見するとディーゼル機関車のようで、とうてい蒸気機関車には見えないものが存在する。
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=== 動力伝達方式での分類 ===
=== 動力伝達方式での分類 ===
; ロッド式
; ロッド式
: ピストンの往復運動をロッドで直接的に動輪に伝達する方式。シリンダーとメインロッドと動輪そのものが[[レシプロエンジン]]を構成するが、通常はレシプロとう用語を用いない。ほとんどの蒸気機関車がこの方式を採用している。
: ピストンの往復運動をロッドで直接的に動輪に伝達する方式。シリンダーとメインロッドと動輪そのものが[[レシプロエンジン]]を構成するが、通常はレシプロとう用語を用いない。ほとんどの蒸気機関車がこの方式を採用している。
; 歯車式
; 歯車式
: ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を[[歯車]]により間接的に動輪に伝達する方式、もしくはピストンの往復運動を[[クランクシャフト]]で回転運動に変え、シャフトとギアで[[動輪]]に伝達する方式。蒸気機関車の始祖とでもいうべき[[リチャード・トレビシック|トレビシック]]の機関車は前者の方式だったが、当時の技術ではギアの高速回転ができず、本人自ら4号機の「Catch me who can」では歯車を排してしまっている。後者はギアードロコとしてそこそこ使われた方式で詳しくは[[ギアードロコ]]の項を参照。
: ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を[[歯車]]により間接的に動輪に伝達する方式、もしくはピストンの往復運動を[[クランクシャフト]]で回転運動に変え、シャフトとギアで[[動輪]]に伝達する方式。蒸気機関車の始祖とでもいうべき[[リチャード・トレビシック|トレビシック]]の機関車は前者の方式だったが、当時の技術ではギアの高速回転ができず、本人自ら4号機の「Catch me who can」では歯車を排してしまっている。後者はギアードロコとしてそこそこ使われた方式で詳しくは[[ギアードロコ]]の項を参照。
; チェーン式
; チェーン式
: ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を[[チェーン]]により間接的に動輪に伝達する方式。[[自転車]]と似た原理である。ロッドを動輪に接続する必要がないため構造が簡便であるが、信頼性やチェーンの耐久性が低く普及しなかった。後述する[[#関節式機関車|バヴァリア号]]や、アメリカの[[森林鉄道]]でハンドメイドされた一部の車両がこの方式を採用している。
: ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を[[チェーン]]{{要曖昧さ回避|date=2023年7月}}により間接的に動輪に伝達する方式。[[自転車]]と似た原理である。ロッドを動輪に接続する必要がないため構造が簡便であるが、信頼性やチェーンの耐久性が低く普及しなかった。後述する[[#関節式機関車|バヴァリア号]]や、アメリカの[[森林鉄道]]でハンドメイドされた一部の車両がこの方式を採用している。
; 摩擦式
; 摩擦式
: 動輪を上下2段に付け、上段の動輪をシリンダーで駆動し、下段の無動力の車輪を摩擦により間接的に駆動する方式。歯車比の理論を当てはめて考案されたもので、速度を上げる場合は上段を大きく、下段を小さくし、牽引力を上げる場合には上段を小さく、下段を大きくするという物であるが、実際には成果を上げず摩擦機構の問題も多かったため実用化しなかった。主な形式は[[1876年]]ドイツのエルザス=ロートリンゲン鉄道向けに製造されたものであり、D7形451号「ファゾルト」という形式を与えられ[[1906年]]まで在籍していた。上段と下段の車輪径の比率は1:3で、牽引力を重視したため最高速はわずか時速10kmだった。に似た方式をアメリカのホールマンとユージーン・フォンテインがそれぞれ考案している。
: 動輪を上下2段に付け、上段の動輪をシリンダーで駆動し、下段の無動力の車輪を摩擦により間接的に駆動する方式。歯車比の理論を当てはめて考案されたもので、速度を上げる場合は上段を大きく、下段を小さくし、牽引力を上げる場合には上段を小さく、下段を大きくするという物であるが、実際には成果を上げず摩擦機構の問題も多かったため実用化しなかった。主な形式は[[1876年]]ドイツのエルザス=ロートリンゲン鉄道向けに製造されたものであり、D7形451号「ファゾルト」という形式を与えられ[[1906年]]まで在籍していた。上段と下段の車輪径の比率は1:3で、牽引力を重視したため最高速はわずか時速10kmだった。のちに似た方式をアメリカのホールマンとユージーン・フォンテインがそれぞれ考案している。
; 独立駆動式
; 独立駆動式
: V字型の蒸気エンジン1基を1つの動輪に直結させ、直接動輪を回転させる方式。各動輪間は連結されておらず、ロッド式のような重い可動部を持たない。静粛性や高速走行に優れる反面、引き出し時などに空転が起こりやすい欠点があった。[[ヘンシェル]]が製造した[[ドイツ国鉄19.10形蒸気機関車]]が代表例であるが、実用化された時期が遅く、ディーゼル機関車の台頭期と重なったこともあって量産されず、短期間の運行のみに終わった。
: V字型の蒸気エンジン1基を1つの動輪に直結させ、直接動輪を回転させる方式。各動輪間は連結されておらず、ロッド式のような重い可動部を持たない。静粛性や高速走行に優れる反面、引き出し時などに空転が起こりやすい欠点があった。[[ヘンシェル]]が製造した[[ドイツ国鉄19.10形蒸気機関車]]が代表例であるが、実用化された時期が遅く、ディーゼル機関車の台頭期と重なったこともあって量産されず、短期間の運行のみに終わった。
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: [[石炭]]や[[コークス]]、[[重油]]などの[[化石燃料]]、その他薪や[[ガス燃料|ガス]]などの[[炭素]]資源を燃焼させることにより熱エネルギーを発生させ、これによりボイラー内の水を沸騰させて[[蒸気]]を得る方式である。蒸気機関車のほとんどがこの方式で、燃料には主に石炭、コークスが用いられる。旧国鉄の制式機では蒸気機関車時代の後期に補助重油タンクを装備し、勾配区間などパワーが必要な際に重油を投入したほか、[[国鉄C59形蒸気機関車|C59形]]の127号機が重油のみを燃料とする重油専燃機に改造されたことで知られている。日本国外では[[ドイツ連邦鉄道]]がこの方式に積極的であったことが知られ、世界的には重油専燃機がある程度普及した。[[タイ王国|タイ]]などの[[東南アジア]]各国では薪が多く使われた。変わった例としては、東南アジアの製糖工場で、砂糖の原料となる[[サトウキビ]]の絞りかす([[バガス]])を機関車の燃料として用いた例が多くある。
: [[石炭]]や[[コークス]]、[[重油]]などの[[化石燃料]]、その他薪や[[ガス燃料|ガス]]などの[[炭素]]資源を燃焼させることにより熱エネルギーを発生させ、これによりボイラー内の水を沸騰させて[[蒸気]]を得る方式である。蒸気機関車のほとんどがこの方式で、燃料には主に石炭、コークスが用いられる。旧国鉄の制式機では蒸気機関車時代の後期に補助重油タンクを装備し、勾配区間などパワーが必要な際に重油を投入したほか、[[国鉄C59形蒸気機関車|C59形]]の127号機が重油のみを燃料とする重油専燃機に改造されたことで知られている。日本国外では[[ドイツ連邦鉄道]]がこの方式に積極的であったことが知られ、世界的には重油専燃機がある程度普及した。[[タイ王国|タイ]]などの[[東南アジア]]各国では薪が多く使われた。変わった例としては、東南アジアの製糖工場で、砂糖の原料となる[[サトウキビ]]の絞りかす([[バガス]])を機関車の燃料として用いた例が多くある。
; 圧力の外部供給
; 圧力の外部供給
: ボイラーを有さず、外部から熱水とともに高圧蒸気を供給し、それをタンク内に蓄圧してピストンを駆動する方式を[[無火機関車]](ファイアレス)と呼ぶ。一般的に蓄圧に2 - 3時間以上を要するにもかかわらず、その走行可能距離は著しく短いが、火を使わず煤煙なども一切出さないため、火気厳禁の産業施設などで使用された。また、高圧蒸気と熱水の代わりに圧搾空気を用いた[[圧搾空気機関車]]や、走行可能な距離が短いという欠点を改善するために、[[アンモニア]]や[[水酸化ナトリウム|苛性ソーダ]]などの化学薬品を使用する車両も製作された。日本では無火機関車が[[1963年]]まで[[八幡所|八幡製鐵]]構内で数多く使われていたほか、[[浜川崎駅]]から分岐するシェル石油(現在の[[昭和シェル石油]])の精油所引き込み線で[[1960年代]]まで使用されていたことが知られている。生まれながらの無火機関車ではないが、群馬県の「ホテルSL」(元・[[SLホテル]])や栃木県の「SLキューロク館」、鳥取県の[[若桜駅]]では静態保存されていた蒸気機関車の動力部などを整備し、圧搾空気を使って短い距離を走行させるというユニークな試みを行っている。日本国外でも観光用としての活動が伝えられており([[ドイツ]]の[[マンハイム]]の産業博物館など)、そのほか現在も[[南アメリカ|南米]]などで商業用として稼動している可能性がある。
: ボイラーを有さず、外部から熱水とともに高圧蒸気を供給し、それをタンク内に蓄圧してピストンを駆動する方式を[[無火機関車]](ファイアレス)と呼ぶ。一般的に蓄圧に2 - 3時間以上を要するにもかかわらず、その走行可能距離は著しく短いが、火を使わず煤煙なども一切出さないため、火気厳禁の産業施設などで使用された。また、高圧蒸気と熱水の代わりに圧搾空気を用いた[[圧搾空気機関車]]や、走行可能な距離が短いという欠点を改善するために、[[アンモニア]]や[[水酸化ナトリウム|苛性ソーダ]]などの化学薬品を使用する車両も製作された。日本では無火機関車が[[1963年]]まで[[日本鉄九州製鉄八幡地区|八幡製鐵]]構内で数多く使われていたほか、[[浜川崎駅]]から分岐するシェル石油(現在の[[昭和シェル石油]])の精油所引き込み線で[[1960年代]]まで使用されていたことが知られている。生まれながらの無火機関車ではないが、群馬県の「ホテルSL」(元・[[SLホテル]])や栃木県の「SLキューロク館」、鳥取県の[[若桜駅]]では静態保存されていた蒸気機関車の動力部などを整備し、圧搾空気を使って短い距離を走行させるというユニークな試みを行っている。日本国外でも観光用としての活動が伝えられており([[ドイツ]]の[[マンハイム]]の産業博物館など)、そのほか現在も[[南アメリカ|南米]]などで商業用として稼動している可能性がある。
; 電力
; 電力
: [[架線]]から運転台天井部に取り付けた[[集電装置|パンタグラフ]]で集電し、その[[電気]]エネルギーでボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得るという機関車がスイスに存在した。これは[[スイス連邦鉄道|SBB(スイス国鉄)]]の[[スイス国鉄E3/3形蒸気機関車 (電気式)|E3/3形]]と呼ばれる軸配置0-6-0の入れ替え用タンク機関車であり、[[第二次世界大戦]]中の石炭の入手難に対応すべく2両が試作されたものである。この形式の場合、電気を動力源(熱源)としているが、[[電動機]]や[[電磁石]]など、電気のみによって駆動力を得ているわけではなく、電力はあくまで熱源としてボイラーの加熱にのみ用いられ、最終的には蒸気で動輪を駆動するため、電気機関車ではなく蒸気機関車に分類される。
: [[架線]]から運転台天井部に取り付けた[[集電装置|パンタグラフ]]で集電し、その電気エネルギーでボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得るという機関車がスイスに存在した。これは[[スイス連邦鉄道|SBB(スイス国鉄)]]の[[スイス国鉄E3/3形蒸気機関車 (電気式)|E3/3形]]と呼ばれる軸配置0-6-0の入れ替え用タンク機関車であり、[[第二次世界大戦]]中の石炭の入手難に対応すべく2両が試作されたものである。この形式の場合、電気を動力源(熱源)としているが、[[電動機]]や[[電磁石]]など、電気のみによって駆動力を得ているわけではなく、電力はあくまで熱源としてボイラーの加熱にのみ用いられ、最終的には蒸気で動輪を駆動するため、電気機関車ではなく蒸気機関車に分類される。
; [[原子力機関車|原子力]]
; [[原子力機関車|原子力]]
: 搭載した[[原子炉]]で蒸気を発生させ、蒸気タービンで発電しモーターを駆動する方式で、[[#駆動方式による分類|発電式機関車]]の一種である。主に[[1950年代]]と[[1970年代]]に計画されたが、重量が極端に大きくなる、放射能漏れの危険性があるなどの問題により、実現した例はなかった。
: 搭載した[[原子炉]]で蒸気を発生させ、蒸気タービンで発電しモーターを駆動する方式で、[[#駆動方式による分類|発電式機関車]]の一種である。主に[[1950年代]]と[[1970年代]]に計画されたが、重量が極端に大きくなる、放射能漏れの危険性があるなどの問題により、実現した例はなかった。
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:: TE-3型ディーゼル機関車を改造する予定であり、1970年代には超広軌の巨大な機関車が計画された。
:: TE-3型ディーゼル機関車を改造する予定であり、1970年代には超広軌の巨大な機関車が計画された。
:; 旧[[西ドイツ]]
:; 旧[[西ドイツ]]
:: V200ディーゼル機関車を2両連結に改造する予定であった。
:: V200ディーゼル機関車を2両連結に改造する予定であった。
:; [[日本]]
:; [[日本]]
:: 昭和30年代に[[鉄道技術研究所]]により、AH101という形式が計画された(形式のAはAtomicの略であると思われる)。
:: 昭和30年代に[[鉄道技術研究所]]により、AH101という形式が計画された(形式のAはAtomicの略であると思われる)。
:
:
; [[ハイブリッド]]
; [[ハイブリッド]]
: 蒸気機関とディーゼル機関を両方搭載した、[[蒸気ディーゼルハイブリッド機関車|ハイブリッド方式の機関車]]が試作された。[[1926年]]にイギリスのキトソン社がスティル社のディーゼルエンジンを使用して[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]]向けに試作機が製造され、[[1934年]]まで試験が行われたが、ボイラーなどに問題が多く実用化しなかった。
: 蒸気機関とディーゼル機関を両方搭載した、[[蒸気ディーゼルハイブリッド機関車|ハイブリッド方式の機関車]]が試作された。[[1926年]]にイギリスのキトソン社がスティル社のディーゼルエンジンを使用して[[ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道]]向けに試作機が製造され、[[1934年]]まで試験が行われたが、ボイラーなどに問題が多く実用化しなかった。ソビエトでは戦前から戦後にかけて[[:ru:Теплопаровоз|いくつかの試作機]]が製造されたがどれも成功せずに終わっている


=== ボイラーによる分類 ===
=== ボイラーによる分類 ===
; 煙管式
; 煙管式
: 円筒形の水缶に、缶を貫通する多数の細管による伝熱部を設け、火室で発生した燃焼ガスをこの細管に誘導する。燃焼ガスの熱エネルギーによって水缶内に湛えられた水を沸騰させることで、高温高圧の蒸気を得る。そのバレル部分の構造の複雑さなどから高圧化が難しく、また清掃にも手間がかかる。鉄道車両では一般に10気圧から20気圧程度の範囲のボイラー圧力で使用される。以下の二種に大別される。
: 円筒形の水缶に、缶を貫通する多数の細管による伝熱部を設け、火室で発生した燃焼ガスをこの細管に誘導する。燃焼ガスの熱エネルギーによって水缶内に湛えられた水を沸騰させることで、高温高圧の蒸気を得る。そのバレル部分の構造の複雑さなどから高圧化が難しく、また清掃にも手間がかかる。鉄道車両では一般に10気圧から20気圧程度の範囲のボイラー圧力で使用される。以下の二種に大別される。
:; <span id="飽和式">飽和式</span><!-- [[東濃鉄道C形蒸気機関車]]からここへリンク -->
:; <span id="飽和式">飽和式</span>
:: ボイラーで発生させた蒸気([[水蒸気#飽和蒸気と過熱蒸気|飽和蒸気]])を直接シリンダーへ導く方式。蒸気の膨張により温度が下がると水滴が凝結した。蒸気の持つエネルギーが少なく、効率もよくない。
:: ボイラーで発生させた蒸気([[水蒸気#飽和蒸気と過熱蒸気|飽和蒸気]])を直接シリンダーへ導く方式。蒸気の膨張により温度が下がると水滴が凝結した。蒸気の持つエネルギーが少なく、効率もよくない。
:; 過熱式
:; 過熱式
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; 水管式
; 水管式
: 火室に伝熱管を設け、火室で発生した熱エネルギーを直接この管に伝え、その中に通された水を沸騰させることで高温高圧の蒸気を得る。煙管式と比較して熱効率や始動性に優れ、高圧化が容易という特徴があり、鉄道車両では100気圧程度のボイラー圧力を実現したものも存在した。ただし煙管式と比較して保持する水量が少なく応答が鋭敏な分、適切な出力を安定的に得るには燃料や水の供給、燃焼の制御を高精度に行う必要があり、また振動に弱く高圧がかかる水管や補機の保守が難しいという問題を抱えている。このため、大きな振動が発生するレシプロ式の駆動系を備える蒸気機関車では、一般に普及することはなかった<ref>振動の問題の少ない船舶では軍艦を中心に1910年代以降急速に普及した。そのため、船舶用として安定した性能を発揮していた機種を機関車用として転用することが再三に渡って試みられた。日本でも、帝国海軍の艦船用[[艦本式ボイラー]]の原型となった宮原式水管缶を機関車に搭載する事例が、1910年代中盤にいくつか存在した。しかし、レシプロ駆動系を備える鉄道車両用動力源としての水管式ボイラーは、コンパクト化が強く求められ、また軽負荷でもあった蒸気動車用を除くと、この宮原式の事例を含むほぼ全てが量産・実用段階に到達せずに終わっている。</ref>。
: 火室に伝熱管を設け、火室で発生した熱エネルギーを直接この管に伝え、その中に通された水を沸騰させることで高温高圧の蒸気を得る。煙管式と比較して熱効率や始動性に優れ、高圧化が容易という特徴があり、鉄道車両では100気圧程度のボイラー圧力を実現したものも存在した。ただし煙管式と比較して保持する水量が少なく応答が鋭敏な分、適切な出力を安定的に得るには燃料や水の供給、燃焼の制御を高精度に行う必要があり、また振動に弱く高圧がかかる水管や補機の保守が難しいという問題を抱えている。このため、大きな振動が発生するレシプロ式の駆動系を備える蒸気機関車では、一般に普及することはなかった<ref group="注釈">振動の問題の少ない船舶では軍艦を中心に1910年代以降急速に普及した。そのため、船舶用として安定した性能を発揮していた機種を機関車用として転用することが再三に渡って試みられた。日本でも、帝国海軍の艦船用[[艦本式ボイラー]]の原型となった宮原式水管缶を機関車に搭載する事例が、1910年代中盤にいくつか存在した。しかし、レシプロ駆動系を備える鉄道車両用動力源としての水管式ボイラーは、コンパクト化が強く求められ、また軽負荷でもあった蒸気動車用を除くと、この宮原式の事例を含むほぼ全てが量産・実用段階に到達せずに終わっている。</ref>。

; フランコ・クロスティ式
: 給水加熱器を、使用済蒸気と共にボイラーからの燃焼ガスも利用するよう強化し、給水の温度を高めることで、熱効率の向上を図ったもの。
{{main|フランコ・クロスティ式ボイラー}}


=== 火室による分類 ===
=== 火室による分類 ===
; 狭火室
; 狭火室
: 火室の幅が線路の幅より狭く動輪間の台枠内にそのまま収めたもの。台枠設計をシンプルにできるというメリットがある他、動輪の間に置かれるので安定性もよい。車輪のバックゲージの問題から台枠の幅が狭くなる狭軌で、しかも使用炭の品質も世界的な水準から見て良好とは言いかった日本では、大型機関車にこの方式を採用すると十分な火格子面積=火力が確保出来ず、高出力化の障害となった。それに対し、標準軌間を採用し、高発熱量かつ灰分の少ない良質炭の入手が容易であったイギリス、特に傑出した品質で知られたカーディフ炭を産出するウェールズ地方が沿線にあった[[グレート・ウェスタン鉄道]]などでは、狭火室でも他鉄道における広火室に匹敵するかこれを凌駕する性能が得られたことから、この方式を蒸気機関車時代の最後まで採用しているほか、フランスでは火床前方に急に傾斜させて石炭が奥の方まで崩れ落ちるようにして、狭火室だが前後の長さを取ることで火格子面積を確保した240形([[フランス国鉄240P型蒸気機関車]])の例がある<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、P357。</ref>。
: 火室の幅が線路の幅より狭く動輪間の台枠内にそのまま収めたもの。台枠設計をシンプルにできるというメリットがある他、動輪の間に置かれるので安定性もよい。車輪のバックゲージの問題から台枠の幅が狭くなる狭軌で、しかも使用炭の品質も世界的な水準から見て良好とは言いがたかった日本では、大型機関車にこの方式を採用すると十分な火格子面積=火力が確保できず、高出力化の障害となった。それに対し、標準軌間を採用し、高発熱量かつ灰分の少ない良質炭の入手が容易であったイギリス、特に傑出した品質で知られたカーディフ炭を産出するウェールズ地方が沿線にあった[[グレート・ウェスタン鉄道]]などでは、狭火室でも他鉄道における広火室に匹敵するかこれを凌駕する性能が得られたことから、この方式を蒸気機関車時代の最後まで採用しているほか、フランスでは火床前方に急に傾斜させて石炭が奥の方まで崩れ落ちるようにして、狭火室だが前後の長さを取ることで火格子面積を確保した240形([[フランス国鉄240P型蒸気機関車]])の例がある<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.357]]</ref>。
; 広火室
; 広火室
: 火室の幅を線路の幅より広くした、近代の大型機では一般的な方式である。広い火格子面積を確保出来るため、特に低品質炭を常用せざるを得ない各国・各鉄道で蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。なお、そのまま火室の幅を広げると動輪が邪魔になるので、通常は以下の4つの手法を取られる。
: 火室の幅を線路の幅より広くした、近代の大型機では一般的な方式である。広い火格子面積を確保できるため、特に低品質炭を常用せざるを得ない各国・各鉄道で蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。なお、そのまま火室の幅を広げると動輪が邪魔になるので、通常は以下の4つの手法を取られる。
* 後方2つの動輪の間をあけて火室を落とし込む方式。
* 後方2つの動輪の間をあけて火室を落とし込む方式。
* 動輪の上に火室をそのまま上乗せで配置する方式。
* 動輪の上に火室をそのまま上乗せで配置する方式。
* 動輪の後ろで台枠を拡幅してこれを支える従台車を置き、そこに火室を配置する方式。
* 動輪の後ろで台枠を拡幅してこれを支える従台車を置き、そこに火室を配置する方式。
* 火室を動輪の後ろに突き出すが支えないでオーバーハング状態にする方式。
* 火室を動輪の後ろに突き出すが支えないでオーバーハング状態にする方式。
: 1~3番目の方法は日本では同時に別々の国に発注した[[国鉄8800形蒸気機関車|8800形]]、[[国鉄8850形蒸気機関車|8850形]]、[[国鉄8900形蒸気機関車|8900形]]がそれぞれ該当それぞれ「動輪のホイールベースが伸びて曲線通過の悪影響やサイドロッドの重量がかさむ」、「重心が上がり、特に大動輪の機関車では安定性が悪くなる。」、「全長が長くなる。また、列車牽き出し時の後方への重心移動により、本来は動輪にかかるべき荷重が従輪にかかるようになるため、特に列車出発時に空転が生じやすくなる。」といった一長一短な要素を持っている。なお4番目のオーバーハングさせる方式は速度を上げるとピッチングが激しくなる<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、P67.</ref>ため、日本では採用されてない<ref>外国では入替機関車([[:en:USRA 0-6-0|英語:USRA 0-6-0]]など)などに使われたことがある。</ref>。
: 日本では[[国鉄5830形蒸気機関車|5830形]]が1番目、[[国鉄9600形蒸気機関車|9600形]]が2番目、[[国鉄8900形蒸気機関車|8900形]]が3番目にそれぞれ該当するが1番目は「動輪のホイールベースが伸びて曲線通過の悪影響やサイドロッドの重量がかさむ」、2番目は「重心が上がり、特に大動輪の機関車では安定性が悪くなる。」、3番目は「全長が長くなる。また、列車牽き出し時の後方への重心移動により、本来は動輪にかかるべき荷重が従輪にかかるようになるため、特に列車出発時に空転が生じやすくなる。」といった一長一短な要素を持っている。なお4番目のオーバーハングさせる方式は速度を上げるとピッチングが激しくなる<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.67]]</ref>ため、日本では採用されてない<ref group="注釈">外国では入替機関車({{lang-en|[[:en:USRA 0-6-0|USRA 0-6-0]]}}など)などに使われたことがある。</ref>。
:; 燃焼室の設置
:; 燃焼室の設置
:: 本来は19世紀の米国で石炭から出るガスと空気をよく混ぜて燃やそう<ref>この時代は火室のレンガアーチもまだなく、炎はそのまま煙管に向かって伸びていた。</ref>という発想で設けられた仕組みなのでこの名前だが、当時の小さく短いボイラーでは伝熱面積の減少による悪影響の方が大きく、火の粉が逆に出やすくなって一度は廃れ、20世紀になってボイラー大型化に伴う通風の悪化の改善のため復活したものである<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、P108-109</ref>。
:: 本来は19世紀の米国で石炭から出るガスと空気をよく混ぜて燃やそう<ref group="注釈">この時代は火室のレンガアーチもまだなく、炎はそのまま煙管に向かって伸びていた。</ref>という発想で設けられた仕組みなのでこの名前だが、当時の小さく短いボイラーでは伝熱面積の減少による悪影響の方が大きく、火の粉が逆に出やすくなって一度は廃れ、20世紀になってボイラー大型化に伴う通風の悪化の改善のため復活したものである<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.108-109]]</ref>。
::蒸気機関車の燃料として最も望ましい[[瀝青炭]]の燃焼時の炎は長く、火室内では収まりきらないので、火室前方に副室を設けこれを燃焼室と呼んだ。燃焼室を設けることにより高温の炎からの輻射熱を十分に吸収でき、効率が向上した。また、燃焼時間が長くなったことにより煤煙の発生が減少し、煙管の詰まりも防がれた。日本の国鉄では[[8200形]]製造時に導入のチャンスがあり、またメーカー側も推奨していたにもかかわらずドイツ流煙管設計固執したため採用著しく遅れ、戦時設計で極限性能発揮が求められた[[D52形]]でようやく採用された。外見から燃焼室の有無知るは火室前方に洗口栓あるかうか調べればよい
::蒸気機関車の燃料として最も望ましい[[瀝青炭]]の燃焼時の炎は長く、火室内では収まりきらないので、火室前方に副室を設けこれを燃焼室と呼んだ。燃焼室を設けることにより高温の炎からの輻射熱を十分に吸収でき、効率が向上した。また、燃焼時間が長くなったことにより煤煙の発生が減少し、煙管の詰まりも防がれた。外見から燃焼室の有無を知るには火室の前方にも洗口栓があるかどうかを調べればよい。日本の国鉄では[[国鉄C52形蒸気機関車|8200形]]製造時に導入のチャンスがあり、またメーカー側も推奨していた通常の火室ですら修繕に悩まされている現状で複雑な腐食箇所が多い火室となるのが欠点とされた。<ref>多賀祐重「機関車鮭の煙管の長さ就て」『業務研究資料』第15巻第7. 号,1927年</ref>このため、鉄道省の中にも[[島秀雄]]のように効果を評価<ref>幻の国鉄車両 P32</ref>する者いたにもかかわらず、戦時設計で極限性能発揮が求められた[[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]]で採用されなかった。だが、戦時設計の粗雑な製造という悪条件も重なり、燃焼室で破裂事故(D52 73 昭和19年 5月 14日山陽線大久保-土山間において破裂、D52 83 昭和19年 6月 30日 山陽線万富駅にて破裂、D52 209 昭和20年 10月 19日 東海道線醒ケ井駅にて破裂)起こし<ref>鉄道技術発達史 第4篇P.331</ref>、D52対する悪評一因となった。余談だ同じ戦時型でも[[アメリカ陸軍輸送部隊S118型蒸気機関車|S118]]や[[アメリカ陸軍輸送部隊S160型蒸気機関車|S160]]なは燃焼室装備せず極限性能ではなく製造を優先した設計思想も存在する<ref>[https://jdhsmith.math.iastate.edu/term/slusatc.htm   USATC steam locomotives]</ref>
::欧州では1930年代半ばに燃焼室の効果に疑問を呈されたことがあり<ref group="注釈">[https://www.steamindex.com/jile/jile25.htm]リンク先も参照。ナイジェル・グレズリーはこれに反論しているが、持論ではなくフランスの友人がこうしているからと語っただけであった。</ref>、[[:en:Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne#Awards|1937年パリ万国博覧会]]で最高の賞を授与した[[:pl:Pm36|ポーランドPm36]]には燃焼室が付いておらず、英国[[LMSコロネーション級蒸気機関車]]から燃焼室を取り4-6-4とした四気筒機関車の計画が進められていたが世界情勢の悪化により立ち消えとなっている<ref>Cox, Stewart, Locomotive Panorama : P125</ref>。フランスではSNCFが誕生した際に標準型機関車として[[アンドレ・シャプロン]]が設計に携わった[[:fr:141_P_SNCF|SNCF 141P]]に燃焼室が付けられなかった<ref>[http://openarchives.sncf.com/archive/0505lm0020 Locomotive type 141 P]</ref>。ソビエト連邦で燃焼室は[[:ru:ФД|FD機関車]]に搭載されたが波及したとは言いがたく、[[:ru:Сталинская_премия|スターリン章]]を授与された[[:ru:Л_(паровоз)|L型機関車]]と最後の量産機である[[:ru:П36|P36型]]に設置されずなかった。そのため、ソ連技術の影響を受けた[[中国国鉄前進型蒸気機関車]]で燃焼室が搭載されたのは1964年の改良型からであった<ref>https://min.news/history/9a9a6f07750cb49af547944415e1e76a.html</ref>。

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; 特殊な火室
; 特殊な火室
:; ベルペヤ火室
:; {{仮リンク|ベルペヤ火室|en|Belpaire firebox}}
:: ベルギーの鉄道技術者、A・ベルペヤが考案した火室形状で、内火室と外火室の形状を相似形にしているため、内火室を支えるステイの形状を単純にでき、缶水の循環が良く水垢の付着が少ないという利点を持つ。上部が角張った形状が特徴であるが、円筒形の煙管部との接合工作が難しいという欠点がある。
:: ベルギーの鉄道技術者、{{仮リンク|アルフレッド・ベルペヤ|en|Alfred Belpaire}}が考案した火室形状で、内火室と外火室の形状を相似形にしているため、内火室を支えるステイの形状を単純にでき、缶水の循環が良く水垢の付着が少ないという利点を持つ。上部が角張った形状が特徴であるが、円筒形の煙管部との接合工作が難しいという欠点がある。
:; 台形火室
:; 台形火室
:: 上から見ると火床が台形(前部は狭く動輪の間に収まるが、後部は広火室。)。重い火室を少しでも前に持っていくことで走行を安定させ重量牽引時の軸重移動を抑える。フランスで使用されていた<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、P204-205</ref>。
:: 上から見ると火床が台形(前部は狭く動輪の間に収まるが、後部は広火室。)。重い火室を少しでも前に持っていくことで走行を安定させ重量牽引時の軸重移動を抑える。フランスで使用されていた<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.204-205]]</ref>。
:; ウーテン火室
:; ウーテン火室
:: 広火室の一種で、外見上は下部が大きく広がっているのが特徴である。泥炭など質の悪い石炭を燃焼させるためにアメリカで考案されたもので、日本では[[日本鉄道]]が質の悪い常磐炭を使用するために、一部の形式で採用した。
:: 広火室の一種で、外見上は下部が大きく広がっているのが特徴である。泥炭など質の悪い石炭を燃焼させるためにアメリカで考案されたもので、日本では[[日本鉄道]]が質の悪い常磐炭を使用するために、一部の形式で採用した。
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日本の国有鉄道に在籍した蒸気機関車の弁装置の種類は次の通りであった。
日本の国有鉄道に在籍した蒸気機関車の弁装置の種類は次の通りであった。


*[[スチーブンソン式弁装置|スチーブンソン式]](基本形、ハウ形、アメリカ形):初期の蒸気機関車の標準型として広く用いられた。弁室は、基本形ではシリンダの内側に置かれるが、アメリカ形では上部に置かれる。
* [[スチーブンソン式弁装置|スチーブンソン式]](基本形、ハウ形、アメリカ形):初期の蒸気機関車の標準型として広く用いられた。弁室は、基本形ではシリンダの内側に置かれるが、アメリカ形では上部に置かれる。
*[[スチーブンソン式弁装置#アラン式弁装置|アラン式(トリック式)]]
* [[スチーブンソン式弁装置#アラン式弁装置|アラン式(トリック式)]]
*[[ジョイ式弁装置|ジョイ式]](基本形、ウェッブ形)
* [[ジョイ式弁装置|ジョイ式]](基本形、ウェッブ形)
*[[ベーカー式弁装置|ベーカー式]](深川形)
* [[ベーカー式弁装置|ベーカー式]](深川形)
*宇佐美式 : [[国鉄C57形蒸気機関車|C57形]]で試用。自動可変リード弁の一種。
*宇佐美式 : [[国鉄C57形蒸気機関車|C57形]]で試用。自動可変リード弁の一種。
*マーシャル式(ヴィンターツール形、コッペル形)
*マーシャル式(ヴィンターツール形、コッペル形)
*[[グレズリー式連動弁装置|グレズリー式]]:3シリンダ式機関車の中央シリンダ用に使用される方式で、左右の弁装置の動きを合成することで、中央シリンダの弁装置を作動させる。
* [[グレズリー式連動弁装置|グレズリー式]]:3シリンダ式機関車の中央シリンダ用に使用される方式で、左右の弁装置の動きをてこで合成することで、中央シリンダの弁装置を作動させる。
*[[ワルシャート式弁装置|ワルシャート式]](ヘルムホルツ形、ホイジンガー形):近代の大型蒸気機関車のほとんどがこの方式で、動作機構が全て動輪の外側にあるため、整備性が良い。
* [[ワルシャート式弁装置|ワルシャート式]](ヘルムホルツ形、ホイジンガー形):近代の大型蒸気機関車のほとんどがこの方式で、動作機構が全て動輪の外側にあるため、整備性が良い。


=== 気筒数による分類 ===
=== 気筒数による分類 ===
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: [[ギアードロコ]]ではV形配置のものも見られる。
: [[ギアードロコ]]ではV形配置のものも見られる。
; 3気筒・4気筒
; 3気筒・4気筒
: 国鉄では[[国鉄C52形蒸気機関車|C52形]]・[[国鉄C53形蒸気機関車|C53形]]が3気筒である。頻繁な点検や注油などを要する複雑な弁装置を車輪間に設置するのを回避する目的で、左右の弁装置の作用を合成、あるいはロッカーアームなどで位相変換して車輪間のシリンダーへの蒸気圧供給を制御させる、特別な弁装置を搭載するケースが多い。そのため動軸を複雑かつ工作精度の維持の難しいクランク軸とする必要があるなど、概して2気筒機関車に比べ構造が複雑で整備性が悪く、長距離を走るアメリカでは外部から点検困難なことから嫌われ、1920年代に機関車の大型化で一時アルコ社が3気筒を製造したこともあったが、すぐにライマ社の2気筒シンプルで大型の火室を使う方式が主流になり廃れている<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、P383.</ref>。日本の3気筒もアメリカを手本にしていたのだが本国以上に定着せず、満鉄向けのミカニと国内向けのC52を20年代半ばにアルコ社から輸入後、ミカニ(増備分)とC53を30年代初頭まで製造していたが、その後は3気筒後継形式は生まれないまま終わっている<ref>齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年、ISBN 978-4-7571-4151-3、P252-259・383・394-395<br>なお、この米国で使用された3気筒はグレズリー弁によるもこの方法ならば下にもぐらなくても前方から整備できたうえ、ロッド・クランク横のバルブギアを省略できる(普通は個々のシリンダーに1つつつけるが、この方式はレバーで左右のバルブが中央シリンダーを操作する。)ので狭軌でも使いやすい物だった同書P168-169・253)、日本で3気筒がはやらなかった理由について「狭軌だから」という文献が多いが標準軌の満鉄でも廃れたとからわるよう理由はそだけではない。</ref>。
: 国鉄では[[国鉄C52形蒸気機関車|C52形]]・[[国鉄C53形蒸気機関車|C53形]]が3気筒である。頻繁な点検や注油などを要する複雑な弁装置を車輪間に設置するのを回避する目的で、左右の弁装置の作用を合成、あるいはロッカーアームなどで位相変換して車輪間のシリンダーへの蒸気圧供給を制御させる、特別な弁装置を搭載するケースが多い。そのため動軸を複雑かつ工作精度の維持の難しいクランク軸とする必要があるなど、概して2気筒機関車に比べ構造が複雑で整備性が悪く、特に車輪の間のシリンダーに手を入れにくい(原則、線路間にピットを設けてこの中に人が入って下から修理する<ref group="注釈">インドネシア国鉄C53(4気筒)のように先輪と動輪の間を離して、ピットがなくてもこの間に入って内側シリンダーを整備できるようにしたものもある。[[#齋藤2018|(齋藤2018) p.81-83]]</ref>)ため長距離を走るアメリカでは外部から点検困難なことから嫌われ、1920年代に機関車の大型化で一時アルコ社が前方から整備ができるグレズリー連動弁装置を使った3気筒を製造したこともあったが、すぐにライマ社の2気筒シンプルで大型の火室を使う方式が主流になり廃れている<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.383]]</ref>。日本の3気筒もアメリカを手本にしていたのだが本国以上に定着せず、満鉄向けのミカニと日本国内向けのC52を20年代半ばにアルコ社から輸入後、ミカニ(増備分)とC53を30年代初頭まで製造していたが、その後は3気筒後継形式は生まれないまま終わっている<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.252-259・383・394-395]]</ref><ref group="注釈">なお、このグレズリー連動装置は左右シリンダーからてで中央シリンダー吸排気を操作するので下にもぐらなくても前方から整備できたうえ、ロッド・クランク横のバルブギアを省略できる(普通は個々のシリンダーに1つつつけるが、この方式はレバーで左右のバルブが中央シリンダーを操作する。)のでこまめな整備をしていれば狭軌でも理論上は使いやすい物だった([[蒸気機関車#齋藤2007|(齋藤2007) p.168-169・253]])。実際は理論上通りにはいかずアメリカの[[ウォーバッシュ鉄道]]クラスK5やニュージーランドの[[:en:NZR_G_class_(1928)|NZR 98]]などは使いにくく不評で短命に終わっている。日本で3気筒がはやらなかった理由について「狭軌だから」という文献が多いが標準機で強度も大きい満鉄でもクランク軸の折損事故を起していた(『満洲鉄道発達史』高木宏之 著、株式会社潮書房光人社、2012年、ISBN 978-4-7698-1524-2、P139)他、イギリスでもグレズリー弁式の3シリンダー機では戦時中は整備が行き届レバーのボールベアリングが擦り減り、ガタが生じた結果中央シリンダーが触すぎてクランク車軸を痛めることがあった[[蒸気機関車#齋藤2007|(齋藤2007) p.258]]</ref>。
: その一方で、これらの方式はメインロッドを3本あるいは4本とすることで各シリンダーの位相をそれぞれ120°あるいは90°ずつずらし、[[ハンマーブロー|ハンマー・ブロー現象]]を抑えることができ、またシリンダーの排気も1/3ないしは1/4周期で順番に行われるため、ボイラー煙管内の強制通風が均等かつ円滑に行われて燃焼効率が改善される、といった利点がある<ref>特に4気筒の場合は左右の動輪を挟んだシリンダーを2基ずつペアとした複式として設計することで、蒸気を有効に利用出来る。そのため、ドイツ国鉄18.6形のようにボイラー性能さえ十分ならば、自重やサイズが1ランク上の単式2気筒機(01形)に匹敵するかこれを上回る性能を実現することも不可能ではない。</ref>。もっとも日本のC53形はこの機構に対する十分な理解のないままに設計が行われた結果、発車時のロッドの位置によっては発車不能になることがあり、問題視された。
: その一方で、これらの方式はメインロッドを3本あるいは4本とすることで各シリンダーの位相をそれぞれ120°あるいは90°ずつずらし、[[ハンマーブロー|ハンマー・ブロー現象]]を抑えることができ、またシリンダーの排気も1/3ないしは1/4周期で順番に行われるため、ボイラー煙管内の強制通風が均等かつ円滑に行われて燃焼効率が改善される、といった利点がある<ref group="注釈">特に4気筒の場合は左右の動輪を挟んだシリンダーを2基ずつペアとした複式として設計することで、蒸気を有効に利用できる。そのため、ドイツ国鉄18.6形のようにボイラー性能さえ十分ならば、自重やサイズが1ランク上の単式2気筒機(01形)に匹敵するかこれを上回る性能を実現することも不可能ではない。</ref>。もっとも日本のC53形はこの機構に対する十分な理解のないままに設計が行われた結果、発車時のロッドの位置によっては発車不能になることがあり、問題視された。
: これに対し、標準軌間を採用する各国、特にフランス・ドイツ・イギリスの3か国では、燃費の改善や強力化の手段<ref>例えば車両限界の制約が大きく単式のまま左右のシリンダーを大直径とすると各駅のホームに抵触する恐れがあったイギリスでは単式3・4気筒機の導入例が多く、自国の石炭資源産出量やその品質などの問題から特に燃費に神経質であったフランスでは複雑精緻な複式4気筒機が積極的に導入されている。</ref>として3・4気筒機が積極的に導入されている。
: これに対し、標準軌間を採用する各国、特にフランス・イギリスの2か国では、燃費の改善や強力化の手段<ref group="注釈">例えば車両限界の制約が大きく単式のまま左右のシリンダーを大直径とすると各駅のホームに抵触する恐れがあったイギリスでは単式3・4気筒機の導入例が多く、自国の石炭資源産出量やその品質などの問題から特に燃費に神経質であったフランスでは複雑精緻な複式4気筒機が積極的に導入されている。</ref>として3・4気筒機が積極的に導入されている。
: ドイツは帝国統一以前はバイエルンなどの南部で複式3~4気筒式も使用されていたが、統一後は過熱器の発明もあって単式2気筒の方が整備性に良いと一時はこれのみを製造していた時期もあったが、時速160kmを超えるような高速になると振動が大きくなる(アメリカはこれをレシプロマスの軽量化とハンマーブローに耐える頑丈な軌条を設けることで防いでいた。)ので単式のまま3気筒の1930年代後半に製造しているが、二次大戦と重なったためそれほど多くは製造されてない(01<sup>10</sup>型が55両、03<sup>10</sup>型が60両。)<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) p.279-291]]</ref>。
: 3気筒と4気筒それぞれのメリットとデメリットは、4気筒は外側シリンダーと対にできるので小型のレバーを使って外側のバルブで内側を駆動でき<ref group="注釈">3気筒でもグレズリーバルブギアが外側のバルブで内側を駆動するが、こちらはかなり神経質な機構だった。</ref>バルブギアを2気筒と同じ2つで済ませられるが、機関車の出力が上がるとクランク車軸がゆがみやすくなる(車軸にクランクが2つあり強度が落ちる)というものがあり、大馬力高速運転には3気筒の方がクランクウェブの厚みが取れ(フランスのシャプロンの計算では4気筒が1000馬力×4付近が上限、3気筒は2000馬力×3ぐらいまで可能性があるした。)、トルク変動も2・4気筒が1回転に4回なのに対し3気筒は6回に分散するためトルクのむらが少なく有利という違いがある<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) 「第4章 回転数アップ」P.50-56・60-62]]</ref>。
: 変則的なパターンにアメリカのボークレーン社が複式による燃費向上と内側シリンダーによる整備性悪化を防ぐことを両立するため、シリンダーを全部外側につけた4気筒式(通常のシリンダーの位置に上下に高圧と低圧シリンダーを並べる構造)が存在したが、こちらは動きが2気筒と同じなので振動減衰に役立たない<ref group="注釈">前述の振動を抑える3・4気筒はどちらも内側と外側のシリンダーで動きをずらしてロッドが逆の位置で動くことで重心移動による振動が小さくなるだけで、気筒を増やしても一斉に同じ方向に動いているのでは重心が動き、振動は減衰しない。</ref>どころか、シリンダーやロッドの数が増えた分駆動系の重量が増加して逆に振動を増加させており、燃費向上のメリットを差し引いてもうまみが薄くボークレーン社も過熱器が導入され始めると製造を打ち切っている<ref>[[#齋藤2007|(齋藤2007) P.72-74]]</ref>。
: 気筒数がさらに多い機関車では、フランスで低速走行時の経済性を改良するために1940年に作られた160.A.1.型の「6気筒」というものがある(第一動輪と先輪の間に低圧シリンダーが横並びに4つ、高圧シリンダーが第3・第4動輪の内側に2つ)が、1両のみの試作に終わっている<ref>[[#ロス2007|(ロス2007) p.187]]</ref>。
: 3気筒と4気筒の大きな問題に運転が煩雑になること、内側のシリンダーに過負荷がかかることや過熱による部品の熔解や潤滑システムの故障が発生しやすい欠陥があった。特に[[グレズリー式連動弁装置|グレズリー式]]でこの問題が顕著に現れていた<ref>Report on "2 to 1" Gresley valve gear on L.N.E.R. 3-cylinder locomotives</ref>。設計に技術的な欠陥があるため故障ばかりで<ref>[https://rchs.org.uk/wp-content/uploads/2021/03/FINAL-Wilson-LNER_2.pdf#page=35| What were the investment dilemmas of the LNER in the inter-war years and did they successfully overcome them? P35]The Railway & Canal Historical Society</ref>、2気筒に比べて製造コストが高いだけでなくメンテナンス不足に陥りやすいためLNERに無駄なコストがかかったと考えられている<ref>[https://rchs.org.uk/wp-content/uploads/2021/03/FINAL-Wilson-LNER_2.pdf#page=34| What were the investment dilemmas of the LNER in the inter-war years and did they successfully overcome them? P34]The Railway & Canal Historical Society</ref>。その反省を受けたアーサー・ペパコーン([[w:en:Arthur Peppercorn|Arthur Peppercorn]])の設計でも依然として問題は残り<ref>[http://www.donashton.co.uk/html/peppercorn_a1.html|LNER PEPPERCORN A1 PACIFICS]Don Ashton</ref>、結局21世紀の技術で設計製造された[[w:en:LNER Peppercorn Class A1 60163 Tornado|A1 60163トルネード]]すらこれらの欠陥を解決する至っていない。<ref>[https://web.archive.org/web/20220404011521/https://www.a1steam.com/2018/04/17/tornado-repair-update/ A1 Tornado – repair update]Steam Locomotive Trust</ref>[[:en:Railway_and_Canal_Historical_Society|イギリスの交通を研究する歴史協会]]は実用機関車としては通常の2気筒のほうがはるかに優れていたと結論を出している。<ref>[https://rchs.org.uk/wp-content/uploads/2021/03/FINAL-Wilson-LNER_2.pdf#page=44| What were the investment dilemmas of the LNER in the inter-war years and did they successfully overcome them? P44]The Railway & Canal Historical Society</ref>
: 燃料事情から複式4気筒機を積極的に導入していたフランスも複式4気筒機は運転が難しいため制約が余りにも多いことが問題となった。1日の平均走行距離は1945年に約75km<ref>[https://books.openedition.org/igpde/14737 Institut de la gestion publique et du développement économique] La SNCF au temps du Plan Marshall</ref>と終戦直後の[[鉄道省|日本の鉄道省]]が走らせていた約150kmの半分しか動いていなかった<ref>{{Cite book ja-jp |author=日本国有鉄道|year=1958|title=鉄道技術発達史. 第5篇|publisher=日本国有鉄道 |series=鉄道技術発達史|pages=190}}</ref>。戦前から非効率な状況を改善しようとする大規模な試験も行われたが、陳腐で新しい体制に適応できない設計によって造られた機関車のため概して失敗に終わっている<ref>Revue générale des chemins de fer 1950年1月号 P21</ref>。戦後に[[:en:USRA_Light_Mikado|1918年より製造が開始されたライトミカド型]]を基にした[[:fr:141_R|2気筒機の141R形]]を導入するとこれまでのフランス機が持ちえなかった人間工学を備え運転や整備がしやすい卓越した機関車と評された。<ref>[http://www.antiqbrocdelatour.com/les-anciens-trains-de-legende/locomotive-legendaire-141-R-1944.php Les locomotives légendaires La locomotive a vapeur 141 R de la SNCF]Antiquités brocante de la tour</ref>[[:fr:Régime_de_banalité|凡庸な人員でも交代で運行が可能になった]]ことでSNCFに3気筒・4気筒では不可能であった革新をもたらし<ref>[https://www.trainvapeur-auvergne.com/le-materiel-roulant/la-141r420/ La 141R420]Train à vapeur d'Auvergne / Association de la 141R420</ref><ref>日本が、1台の機関車に専属の乗員を割り当てず、それぞれ別々の運用としたやり方に完全移行したのは戦前の昭和14年である。『鉄道技術発達史 第5篇 運転』出版者: 日本国有鉄道 P17.P188.P193</ref>、歴史的遺産として[[:fr:Liste_des_locomotives_protégées_aux_monuments_historiques|最多の4両が保存されている]]。
<!--: 碓氷峠で使用されたアプト式機関車は、動輪用の駆動装置の他に歯車用の駆動装置を別に備えており、4気筒式であった。--><!--これは通常の4気筒機とは意味合いが異なります-->
<!--: 碓氷峠で使用されたアプト式機関車は、動輪用の駆動装置の他に歯車用の駆動装置を別に備えており、4気筒式であった。--><!--これは通常の4気筒機とは意味合いが異なります-->
: ギアードロコでは、ボイラー脇にシリンダーを垂直にむき出しに並べた、インライン(直列)配置が一般的で、整備性の問題がないことからこのタイプの3気筒は特例的にアメリカでも使用され続けた。
: ギアードロコでは、ボイラー脇にシリンダーを垂直にむき出しに並べた、インライン(直列)配置が一般的で、整備性の問題がないことからこのタイプの3気筒は特例的にアメリカでも使用され続けた。


=== 使用済み蒸気による分類 ===
=== 使用済み蒸気による分類 ===
; <span id="単式">単式</span><!-- [[東濃鉄道C形蒸気機関車]]からここへリンク -->
; <span id="単式">単式</span>
: ボイラーで発生させた蒸気を一度だけ使用するのが単式で、ごく一般的な方式である。
: ボイラーで発生させた蒸気を一度だけ使用するのが単式で、ごく一般的な方式である。
; 複式(2段膨張式)
; 複式(2段膨張式)
: 単式に対して、一度使用した蒸気を、もう一度別のシリンダに送り込んで再使用するのが[[複式機関|複式]]である。一度使用した蒸気は圧力が下がるので、1次側(高圧)のシリンダより2次側(低圧)のシリンダの方が径が大きくなる。スイス人の[[アナトール・マレー]]が[[1874年]]に特許を取得し、[[1876年]]に実用化に成功した。<!--これそのものはいわゆるマレー式関節形機関車の開発とは別です。-->
: 単式に対して、一度使用した蒸気を、もう一度別のシリンダに送り込んで再使用するのが[[複式機関|複式]]である。一度使用した蒸気は圧力が下がるので、1次側(高圧)のシリンダより2次側(低圧)のシリンダの方が径が大きくなる。スイス人の[[アナトール・マレー]]が[[1874年]]に特許を取得し、[[1876年]]に実用化に成功した。
: 複式には種々の方式があり、左右のシリンダをそれぞれ高圧・低圧とした2シリンダ式、左右のシリンダそれぞれに高圧・低圧のシリンダを装備した4シリンダ式、高圧・低圧の2組の走り装置を有するマレー式([[#関節式機関車|後述]])などがある。日本においては、[[山陽鉄道]]が4シリンダ複式(ボークレイン複式)を積極的に導入したほか、明治時代末期に国有鉄道がマレー式を一時大量輸入した程度で、他にはほとんど普及しなかったが、[[1893年]]に官設鉄道神戸工場で製作された国産第1号機関車([[国鉄860形蒸気機関車|860形]])が2シリンダ複式(ワースデル複式)であったのは特筆される。
: 複式には種々の方式があり、左右のシリンダをそれぞれ高圧・低圧とした2シリンダ式、フレーム外部と内部に高圧と低圧のシリンダー(どちらがどちらになるかは車両による)3・4シリンダ式、左右のシリンダそれぞれに高圧・低圧のシリンダを装備した4シリンダ式、高圧・低圧の2組の走り装置を有するマレー式([[#関節式機関車|後述]])などがある。日本においては、[[山陽鉄道]]が4シリンダ複式(ボークレイン複式)を積極的に導入したほか、明治時代末期に国有鉄道がマレー式を一時大量輸入した程度で、他にはほとんど普及しなかったが、[[1893年]]に官設鉄道神戸工場で製作された国産第1号機関車([[国鉄860形蒸気機関車|860形]])が2シリンダ複式(ワースデル複式)であったのは特筆される。
; 復水式
; 復水式
:{{Main|復水式蒸気機関車}}
:{{Main|復水式蒸気機関車}}
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{{Main|車軸配置}}
{{Main|車軸配置}}
[[File:Uploco.jpg|thumb|[[ホワイト式車輪配置]]において、19世紀アメリカの典型的な車軸配置である[[車輪配置 4-4-0|4-4-0]]の「ガブ・スタンフォード」]]
[[File:Uploco.jpg|thumb|[[ホワイト式車輪配置]]において、19世紀アメリカの典型的な車軸配置である[[車輪配置 4-4-0|4-4-0]]の「ガブ・スタンフォード」]]
蒸気機関車にとって、動輪と従輪の配置は非常に重要な要素である。これによって、機関車の用途が決まってしまうといっても過言ではない。動輪径を大きくすれば<!-- ハイギヤーな設定となり --><!-- ここでいうハイギアとはどういう意味か? 歯車式の変速機と混同していないか? -->同一回転速度で運転速度を高くできるが、機関車全体が一定の長さに収まるようにするには、動軸数を減らすことになり、牽引力が低下する。そのため、高速が要求される旅客列車牽引向けということになる。逆に動輪数を増やせば牽引力は増すが、その分動輪径は小さくせざるを得なくなり<!-- ローギアな設計となり -->、速度性能が犠牲になることになるため、貨物列車牽引や急勾配区間向けということになる。
蒸気機関車にとって、動輪と従輪の配置は非常に重要な要素である。これによって、機関車の用途が決まってしまうといっても過言ではない。動輪径を大きくすれば同一回転速度で運転速度を高くできるが、機関車全体が一定の長さに収まるようにするには、動軸数を減らすことになり、牽引力が低下する。そのため、高速が要求される旅客列車牽引向けということになる。逆に動輪数を増やせば牽引力は増すが、その分動輪径は小さくせざるを得なくなり、速度性能が犠牲になることになるため、貨物列車牽引や急勾配区間向けということになる。


従輪については、機関車重量の一部を負担するばかりでなく、先従輪には曲線通過時に、動輪をスムーズに導く機能があり、高速を要求される旅客用機関車では、2軸としたボギー台車が装備されることが多い。一方で、貨物用機関車では動輪上重量を増して粘着力を高めるため従輪の数は少なく、高速も要求されないため、より簡便な構造の1軸先台車が採用されることが多い。
従輪については、機関車重量の一部を負担するばかりでなく、先従輪には曲線通過時に、動輪をスムーズに導く機能があり、高速を要求される旅客用機関車では、2軸としたボギー台車が装備されることが多い。一方で、貨物用機関車では動輪上重量を増して粘着力を高めるため従輪の数は少なく、高速も要求されないため、より簡便な構造の1軸先台車が採用されることが多い。
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: 石炭や水をテンダー(炭水車)に積載し、機関車本体に牽引させる方式。通常、機関車本体と炭水車を分離して運用することはないが、検査時は切り離しが可能である。長距離運転ができるなど、長所があるが、一部の種類を除いてバック運転や、小回りが利かないなどの短所がある。
: 石炭や水をテンダー(炭水車)に積載し、機関車本体に牽引させる方式。通常、機関車本体と炭水車を分離して運用することはないが、検査時は切り離しが可能である。長距離運転ができるなど、長所があるが、一部の種類を除いてバック運転や、小回りが利かないなどの短所がある。
; [[キャブ・フォワード型蒸気機関車|キャブ・フォワード型]]
; [[キャブ・フォワード型蒸気機関車|キャブ・フォワード型]]
: テンダー式機関車のうち、機関車本体の前後を逆にしたもの。キャブ(運転室)を最前部に設けることにより機関士は煙害から免れることが出来、また良好な前方視界を得た。ドイツや、アメリカのカリフォルニア州の山岳地帯のトンネルが多い線区で使用された。
: テンダー式機関車のうち、機関車本体の前後を逆にしたもの。キャブ(運転室)を最前部に設けることにより機関士は煙害から免れることができ、また良好な前方視界を得た。ドイツや、アメリカのカリフォルニア州の山岳地帯のトンネルが多い線区で使用された。
; [[キャメルバック式蒸気機関車|キャメルバック型]](キャブ・ミドルワード型)
; [[キャメルバック式蒸気機関車|キャメルバック型]](キャブ・ミドルワード型)
: テンダー式機関車のうち、機関車の中央に運転台が位置しているもの。詳細は[[キャメルバック式蒸気機関車]]の項を参照。
: テンダー式機関車のうち、機関車の中央に運転台が位置しているもの。詳細は[[キャメルバック式蒸気機関車]]の項を参照。
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=== 関節式機関車 ===
=== 関節式機関車 ===
{{main|関節式機関車}}
{{main|関節式機関車}}
1両の機関車に2両分以上の走り装置を装備し、出力強化や曲線通過の容易化を図ったもの。
1両の機関車にボイラーに固定されず独立した台枠を有する1組以上の走り装置を装備し、出力強化や曲線通過の容易化を図ったもの。
; [[マレー式機関車|マレー式]]
; [[マレー式機関車|マレー式]]
: ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車はボイラーに固定されていて、高圧蒸気の供給を受けてシリンダーを駆動し、その排気を左右に首を振れる前部動力台車に送って径の大きな低圧シリンダーを再度駆動する[[#使用済み蒸気による分類|複式機関車]]である。
: ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車はボイラーに固定されていて、高圧蒸気の供給を受けてシリンダーを駆動し、その排気を左右に首を振れる前部動力台車に送って径の大きな低圧シリンダーを再度駆動する[[#使用済み蒸気による分類|複式機関車]]である。
: なお、製作者のアナトール・マレーの関節式にした意図は、これ以前に作った複式機関車で起きた出力の違うシリンダーで別々の車輪を駆動することによって起きた高速での不安定化を防止するためであり、出力強化や曲線通過の容易化は副次的なものであった<ref>[[#近藤2007|(近藤2007) p.206-207]]</ref>。
; [[単式膨張型関節式蒸気機関車|単式膨張型関節式]](単式マレー式)
; [[単式膨張型関節式蒸気機関車|単式膨張型関節式]](単式マレー式)
: 日本にはない形式で、simple expansion articulated engine の訳語である本来のマレー式は複式でるがこれは前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気が供給される単式となっいる
: 日本にはない形式で、アメリカのsimple expansion articulated engine の訳語。前述のマレー式では前部が低圧シリンダーのため関節部に蒸気を送容易な反面、シリンダーが大型になりすぎ車両限界に接触したり重量過大を招いたため、前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気がボイラーから直接同時に供給される単式機関車考案された<ref>[[#近藤2007|(近藤2007) p.207-208]]</ref>
; [[ガーラット式蒸気機関車|ガーラット式]]
; [[ガーラット式機関車|ガーラット式]]
: 2組の走り装置を別々の車体に設け、その両車の間に跨ってボイラーを搭載した主台枠が首振り構造で載る方式。
: 2組の走り装置を別々の台枠に設け、その両車の間に跨ってボイラーを搭載した主台枠が首振り構造で載る方式。
; [[フェアリー式蒸気機関車|フェアリー式]]
; [[フェアリー式蒸気機関車|(ダブル)フェアリー式]]
: 2つのボイラーを背中合わせに繋ぎ、その下に2組の走り装置を設けた方式。
: 2つのボイラーを背中合わせに繋ぎ、その下に2組の独立した走り装置を設けた方式。
: マレー式と同じくボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車がボイラーに固定されておらず、前後の動力台車がそれぞれ完全に独立しており、シリンダーが中央に寄っているのがマレー式と異なる。
: マレー式と同じくボイラーの下に2組の走り装置を装備する、2組の走り装置はどちらもボイラーに固定されておらず、完全に独立した首振り構造であり、シリンダーが中央に寄っている点でもマレー式と異なる。
; [[フェアリー式蒸気機関車|シングルフェアリー式]]
: 車体前部にボイラーから独立した1組の走り装置を備え、運転台下部には無動力のボギー台車を備える。
; [[メイヤー式蒸気機関車|メイヤー式]]
; [[メイヤー式蒸気機関車|メイヤー式]]
: 2組の独立した走り装置を備える。
: 2組の独立した走り装置を備える。シリンダーは前後とも中央側にある。
; [[マッファイ式蒸気機関車|マッファイ式]]
; [[マッファイ式蒸気機関車|マッファイ式]]
: ドイツの[[J.A.マッファイ]]社により、[[1851年]]のゼメリング・コンテストのために考案された方式。
: ドイツの[[J.A.マッファイ]]社により、[[1851年]]のゼメリング・コンテストのために考案された方式。
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; [[ゴルウェ式蒸気機関車|ゴルウェ式]]([[:en:Golwé locomotive|Golwé locomotive]])
; [[ゴルウェ式蒸気機関車|ゴルウェ式]]([[:en:Golwé locomotive|Golwé locomotive]])
: ベルギーで製作されフランスの西アフリカ植民地で使われた方式。
: ベルギーで製作されフランスの西アフリカ植民地で使われた方式。
{{anchor|双合式|}}


=== 双合式 ===
=== 双合式 ===
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; [[ウィラメット式蒸気機関車]]
; [[ウィラメット式蒸気機関車]]
: シェイと類似の形態だが重油を燃料として使用し、[[過熱蒸気]]式、弁装置は[[ワルシャート式弁装置]]
: シェイと類似の形態だが重油を燃料として使用し、[[過熱蒸気]]式、弁装置は[[ワルシャート式弁装置]]

== 各国における蒸気機関車 ==
=== 日本 ===
==== 重油併燃装置 ====
日本の蒸気機関車には、重油併燃装置を搭載したものがあった。
重油をバーナーで霧状にし、火床で燃焼している石炭の上方に噴射することで煤煙の減少<ref>{{Cite journal|和書|author=岩本太郎 |title=続・滋賀の技術小史 |journal=[https://www.rikou.ryukoku.ac.jp/journal/ 龍谷理工ジャーナル] |publisher=龍谷大学理工学会 |year=2012 |volume=24 |issue=1 |pages=11-19,図巻頭1p |naid=40019238069 |url=https://www.rikou.ryukoku.ac.jp/images/journal62/RJ62-03.pdf |format=PDF}}</ref>と火室容積を最大限に活かし、平面燃焼と立体燃焼を同時に行う<ref>[https://transport.or.jp/tetsudoujiten/pages/leaves/1958_%e9%89%84%e9%81%93%e8%be%9e%e5%85%b8_%e4%b8%8a%e5%b7%bb_P0759.pdf 鉄道辞典 上巻]</ref>。
諸外国ではあまり使用されていない技術のため、日本独自の発達を遂げた技術である<ref>{{Cite journal|和書|author=横堀進 |title=重油燃焼機関車 |journal=燃料協会誌 |issn=0369-3775 |publisher=日本エネルギー学会 |year=1953 |volume=32 |issue=2 |pages=103-105 |naid=130003823552 |doi=10.3775/jie.32.103}}</ref>。

1898年(明治31年)から1899年(明治32年)のころ、重油 (原油) を機関車燃焼に試用され、大正の初めに秋田県[[八橋油田|黒川油田]]が噴出すると多数の機関車に重油燃焼装置を取付けられ、1934年(昭和9年)ごろまで使用された。[[飯山敏雄]]の考案にかかる飯山式、[[横井実郎]]の考案になる横井式といったものも試験されたが、重油の価格は石炭よりも変動が甚だしく、安定した供給が困難になると撤去されてしまった。明治、大正年間の重油燃焼に関する詳細な資料は残っておらず、飯山式、横井式の構造も明らかではないが、扁平の吹出口から油を蒸気で吹出すもののようであったという<ref>鉄道技術発達史 第4篇 車両と機械 1-4章P321</ref>。

戦後、1951年(昭和26年)の秋に石炭が不足したため、石炭危機の対策と質の悪い石炭を有効に活用するため、機関車に対して重油を石炭と併し、石炭の節約が実施された。その後、石炭事情は好転したが、消煙効果と投炭量の減少によって、乗客に対するサービスの向上と乗務員の苦痛の軽減から好評を博し、引張定数または速度を10%向上することも可能であることが分かり、全国的に拡大実施された<ref>鉄道技術発達史 第4篇 車両と機械 1-4章P326</ref>。

重油併燃にはB重油が使用されていたが安価なC重油の使用も考えられるようになり、昭和37年度にC重油用のバーナーが試作されると<ref>ボイラ研究 (83):出版者 日本ボイラ協会:出版年月日 1964-02 機関車用ボイラの2本バーナ式C重油併燃装置の試作について 日本国有鉄道長野工場 青木松雄/p18~25</ref>、動力費の節約に重点が置かれるようになる<ref>交通年鑑 昭和44年版:出版者交通協力会:出版年月日 1969 P222</ref>。
C重油は安価であるものの、引火点や粘度が高く残留物も多いため、重油を使用しても単純に楽になるわけではなく、火力が増すのでボイラー周りが高温になって排煙ですら100度を超え、トンネルなどに入ると非常に熱くなるので上記の消煙効果や投炭軽減を差し引いても「無い方が楽([[盛岡運輸区|盛岡機関区]]の機関士、内藤利雄 談)」と評価されたり、使い過ぎると燃え残った重油がべとつき、煙管が詰まったり集煙装置の開閉ができなくなる不具合が起きたので「私はあまり油は使わんのです」([[人吉機関区]]の機関士、石井篤信 談)といった使用控えもあった<ref>「SL甲組」の肖像1、椎橋俊之、ネコ・パブリッシング、2007年、 ISBN 978-4-7770-0427-0、p.57・103。</ref>。


== 稼動している蒸気機関車 ==
== 稼動している蒸気機関車 ==
<!--世界で蒸気機関車を営業運転している鉄道を列挙してください-->
;営業運転
*[[ダージリン・ヒマラヤ鉄道]]、[[ニルギリ山岳鉄道]]([[世界遺産]]「[[インドの山岳鉄道群]]」を構成している)、[[パッフィン・ビリー鉄道]]
*ドイツの[[ハルツ狭軌鉄道]]<ref>NHK BS プレミアムアーカイブス ハイビジョンスペシャル「煙はるかに 世界SL紀行 魔女の森に汽笛が響く〜ドイツ・ハルツ地方〜」5月22日放送</ref>


; 営業運転
;[[動態保存]]
* [[ダージリン・ヒマラヤ鉄道]]、[[ニルギリ山岳鉄道]]([[世界遺産]]「[[インドの山岳鉄道群]]」を構成している)、[[パッフィン・ビリー鉄道]]
*ドイツの[[ハルツ狭軌鉄道]]<ref>NHK BS プレミアムアーカイブス ハイビジョンスペシャル「煙はるかに 世界SL紀行 魔女の森に汽笛が響く〜ドイツ・ハルツ地方〜」5月22日放送</ref>
*ドイツ・[[ツィッタウ]]のザクセン・オーバーラウジッツ鉄道(Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft)

; [[動態保存]]
動態保存は世界の複数の国で実施されている。日本も含む。
動態保存は世界の複数の国で実施されている。日本も含む。
{{Seealso|保存鉄道}}
{{Seealso|保存鉄道}}
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== 代表的な形式 ==
== 代表的な形式 ==
=== アメリカ合衆国 ===
=== 日本 ===
[[File:D51 498 on Joetsu Line 20081207.jpg|thumb|[[国鉄D51形蒸気機関車]]]]
[[国鉄の車両形式一覧#蒸気機関車]]を参照。


; 東武鉄道
*[[ユニオン・パシフィック鉄道3985形蒸気機関車]](チャレンジャー)
*[[ユニオン・パシフィック道4000形蒸気機関車]](ビッグボーイ)
* [[3350形蒸気機関車|A2]] I
*[[ユニオン・パシフィック道800形蒸気機関車]](FEF)
* [[2100形蒸気機関車|A2]] II
* [[国鉄5500形蒸気機関車|B1・B4]]
*[[チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道H8形蒸気機関車|チェサピーク&オハイオ鉄道H8形蒸気機関車]](アレゲニー)
* [[国鉄5300形蒸気機関車|B2]]
*[[ノーフォーク・アンド・ウエスタン鉄道Jクラス蒸気機関車|ノーフォーク&ウエスタン鉄道Jクラス蒸気機関車]]
*[[ニューヨークセントラル道Jクラス蒸気機関車]](ハドソン)
* [[5600形蒸気機関車|B3・B7]]
*[[ニューヨークセントラル道Sクラス蒸気機関車]](ナイアガラ)
* [[6200形蒸気機関車|B5・B6]]
* [[国鉄400形蒸気機関車|C1・C3・C4]]
*[[USRA 0-6-0]]
* [[国鉄230形蒸気機関車|C2]]
*[[USRA 0-8-0]]
* [[国鉄C11形蒸気機関車|C11]]
*[[USRA ライト パシフィック]]

*[[USRA ヘビー パシフィック]]
; 南満洲鉄道
*[[USRA ライト ミカド]]
* [[南満洲鉄道パシナ型蒸気機関車]]
*[[USRA ヘビー ミカド]]
* [[南満洲鉄道パシハ型蒸気機関車]]
*[[USRA ライト マウンテン]]
* [[南満洲鉄道ミカイ型蒸気機関車]]
*[[USRA ヘビー マウンテン]]
* [[南満洲鉄道ミカニ型蒸気機関車|南満洲鉄道ミカ二型蒸気機関車]]
*[[USRA ライト サンタフェ]]
* [[南満洲鉄道ミカシ型蒸気機関車]]
*[[USRA ヘビー サンタフェ]]
* [[南満洲鉄道ミカク型蒸気機関車]]
*[[USRA 2-6-6-2]]
* [[南満洲鉄道マテイ型蒸気機関車]]
*[[USRA 2-8-8-2]]
*[[ペンシルベニア鉄道Kクラス蒸気機関車]]
* [[南満洲鉄道プレニ型蒸気機関車]]

*[[サザンパシフィック鉄道GS-4形蒸気機関車]]
計画機
*[[ペンシルバニア鉄道T1型蒸気機関車]]
*[[アメリカ陸軍輸送部隊S160型蒸気機関車]]
* [[国鉄KE50形蒸気機関車]]
* [[国鉄機78-2形蒸気機関車]]
*[[ティムケン1111]]
* [[国鉄HD53形蒸気機関車]]
* [[国鉄HC51形蒸気機関車]]
* [[国鉄HD60形蒸気機関車]]
* [[国鉄HE10形蒸気機関車]]

=== アメリカ合衆国 ===
* [[ユニオン・パシフィック鉄道3985号蒸気機関車]](チャレンジャー)
* [[ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車]](ビッグボーイ)
* [[ユニオン・パシフィック鉄道800形蒸気機関車]](FEF)
* [[チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道H8形蒸気機関車|チェサピーク&オハイオ鉄道H8形蒸気機関車]](アレゲニー)
* [[ノーフォーク・アンド・ウエスタン鉄道Jクラス蒸気機関車|ノーフォーク&ウエスタン鉄道J形蒸気機関車]]
* [[ニューヨークセントラル鉄道Jクラス蒸気機関車|ニューヨーク・セントラル鉄道J形蒸気機関車]](ハドソン)
* [[ニューヨークセントラル鉄道Sクラス蒸気機関車|ニューヨーク・セントラル鉄道S形蒸気機関車]](ナイアガラ)
* [[USRA 0-6-0]]
* [[USRA 0-8-0]]
* [[USRA ライト パシフィック]]
* [[USRA ヘビー パシフィック]]
* [[USRA ライト ミカド]]
* [[USRA ヘビー ミカド]]
* [[USRA ライト マウンテン]]
* [[USRA ヘビー マウンテン]]
* [[USRA ライト サンタフェ]]
* [[USRA ヘビー サンタフェ]]
* [[USRA 2-6-6-2]]
* [[USRA 2-8-8-2]]
* [[サザン・パシフィック鉄道GS-4形蒸気機関車]]
* [[ペンシルバニア鉄道K4s形蒸気機関車]]
* [[ペンシルバニア鉄道T1形蒸気機関車]]
* [[アメリカ陸軍輸送部隊S160型蒸気機関車|アメリカ陸軍輸送部隊S160形蒸気機関車]]
* [[ティムケン1111]]


=== イギリス ===
=== イギリス ===
[[File:Number 4468 Mallard in York.jpg|thumb|[[LNERクラスA4蒸気機関車4468 マラード]]]]
[[File:Number 4468 Mallard in York.jpg|thumb|[[LNER A4蒸気機関車4468号機 マラード]]]]
*[[グレート・ウェスタン鉄道1000蒸気機関車]](カウンティ
* [[グレート・ウェスタン鉄道1000蒸気機関車]](カウンティ
*[[グレート・ウェスタン鉄道2900蒸気機関車]](セイント
* [[グレート・ウェスタン鉄道2900蒸気機関車]](セイント
*[[グレート・ウェスタン鉄道3252蒸気機関車]](デューク
* [[グレート・ウェスタン鉄道3252蒸気機関車]](デューク
*[[グレート・ウェスタン鉄道3300蒸気機関車]](ブルドッグ
* [[グレート・ウェスタン鉄道3300蒸気機関車]](ブルドッグ
*[[グレート・ウェスタン鉄道3700蒸気機関車]](シティ
* [[グレート・ウェスタン鉄道3700蒸気機関車]](シティ
*[[グレート・ウェスタン鉄道4000蒸気機関車]](スター
* [[グレート・ウェスタン鉄道4000蒸気機関車]](スター
*[[グレート・ウェスタン鉄道4073蒸気機関車]](キャッスル
* [[グレート・ウェスタン鉄道4073蒸気機関車]](キャッスル
*[[グレート・ウェスタン鉄道4120蒸気機関車]](アタバラ
* [[グレート・ウェスタン鉄道4120蒸気機関車]](アタバラ
*[[グレート・ウェスタン鉄道4300蒸気機関車]]
* [[グレート・ウェスタン鉄道4300蒸気機関車]]
*[[グレート・ウェスタン鉄道4900蒸気機関車]](ホール
* [[グレート・ウェスタン鉄道4900蒸気機関車]](ホール
*[[グレート・ウェスタン鉄道6000蒸気機関車]](キング
* [[グレート・ウェスタン鉄道6000蒸気機関車]](キング
*[[グレート・ウェスタン鉄道6959蒸気機関車]](ホール改型
* [[グレート・ウェスタン鉄道6959蒸気機関車]](ホール
*[[LNERクラスA1/A3蒸気機関車]]
* [[LNER A1形・A3蒸気機関車]]
*[[LNERクラスA4蒸気機関車4468 マラード]]
* [[LNER P2形蒸気機関車]]
*[[サザン鉄道V蒸気機関車]](スクールズ級)
* [[LNER A4形蒸気機関車]]
* [[サザン鉄道V蒸気機関車]](スクールズ級)


=== ドイツ ===
=== ドイツ (プロイセン王国・バイエルン王国時代を含む)===
[[File:01118 Koenigstein.jpg|thumb|[[ドイツ国鉄01形蒸気機関車]]]]
[[File:01118 Koenigstein.jpg|thumb|[[ドイツ国鉄01形蒸気機関車]]]]
*[[:de:Preußische T 3|プロイセン邦有鉄道T3型蒸気機関車]]
* [[:de:Preußische T 3|プロイセン邦有鉄道T3型蒸気機関車]]
*[[王立バイエルン邦有鉄道S2/6型蒸気機関車]]
* [[王立バイエルン邦有鉄道S2/6型蒸気機関車]]
*[[王立バイエルン邦有鉄道S3/6型蒸気機関車]]
* [[王立バイエルン邦有鉄道S3/6型蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄01形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄01形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄03形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄03形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄05形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄05形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄18形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄18形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄24形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄24形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄38形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄38形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄42形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄42形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄44形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄44形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄50形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄50形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄52形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄52形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄86形蒸気機関車]]
* [[ドイツ国鉄86形蒸気機関車]]
*[[ドイツ国鉄89形蒸気機関車]]
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=== フランス ===
=== フランス ===
[[File:141-R-568-a.jpg|thumb|[[フランス国鉄141R形蒸気機関車]]]]
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*[[フランス国鉄141R形蒸気機関車]]
* [[フランス国鉄141R形蒸気機関車]]
*[[フランス国鉄242A1型蒸気機関車]]
* [[フランス国鉄242A1型蒸気機関車]]
*[[フランス国鉄160A1型蒸気機関車]]
* [[フランス国鉄160A1型蒸気機関車]]
*[[フランス国鉄240P型蒸気機関車]]
* [[フランス国鉄240P型蒸気機関車]]
*[[フランス国鉄241P型蒸気機関車]]
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=== ロシア(ロシア帝国・ソビエト連邦時代を含む) ===
=== 日本 ===
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* {{仮リンク|ロシア式E形蒸気機関車|ru|Паровоз Эр}}


=== アルゼンチン ===
;東武鉄道
*[[3350形蒸気機関車|A2]] I
* [[リオ・トゥルビオ鉱山道100型蒸気機関車]]
*[[国鉄2100形蒸気機関車|A2]] II
*[[国鉄5500形蒸気機関車|B1・B4]]
*[[国鉄5300形蒸気機関車|B2]]
*[[国鉄5600形蒸気機関車|B3・B7]]
*[[国鉄6200形蒸気機関車|B5・B6]]
*[[国鉄400形蒸気機関車|C1・C3・C4]]
*[[国鉄230形蒸気機関車|C2]]
*[[国鉄C11形蒸気機関車|C11]]


== 5AT先進技術蒸気機関車 ==
計画機
*[[国鉄KE50形蒸気機関車]]
*[[国鉄機78-2形蒸気機関車]]

== 5AT先進技術蒸気機関車 ==
{{main|5AT先進技術蒸気機関車}}
{{main|5AT先進技術蒸気機関車}}
イギリスでは数々の先進技術を導入した最高速度200km/hの[[5AT先進技術蒸気機関車]]の計画が進められていたが、2012年に資金難で中止された。
イギリスでは数々の先進技術を導入した最高速度200km/hの[[5AT先進技術蒸気機関車]]の計画が進められていたが、2012年に資金難で中止された。

== 関連する人物・関連施設 ==
* [[動力車操縦者]](機関士)
* [[火夫]]<ref>{{cite kotobank|火夫}}</ref>
* [[検修員]] ‐ 点検作業を行う<ref>{{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/morioka/lreport/article/000/91/ |title=SL銀河 支えた検修員の“愛”と“情熱” | NHK |access-date=2023-12-24 |last=日本放送協会 |website=NHK盛岡放送局 |language=ja}}</ref>。
* 設計者
** {{ill2|Alfred de Glehn|en|Alfred de Glehn}} - イギリス出身のフランスで蒸気機関車設計者として働いた。

===関連施設===
* {{ill2|蒸気機関車車両基地|de|Bahnbetriebswerk (steam locomotives)}}

== ギャラリー ==
{{Gallery
|title=
|footer=
|File:Water gauge Chatfield.jpg|蒸気機関車の水面計({{ill2|Sight glass|en|Sight glass}})、水面は最大のtop nutと呼ばれる状態。
|File:Steam locomotive work.gif|車輪の動作機構
|File:ParowozIR.jpg|IRカメラの映像
|File:GWRwater.jpg|水の補給
}}

== 文化 ==
<!-- 作品を入れる場合は、ガイドライン[[Wikipedia:関連作品]]に準拠し、蒸気機関の理解に貢献できる説明が行えるものを設置すること -->
{{main|Category:蒸気機関車を題材とした作品}}
* [[SLブーム]]
* [[sl (UNIX)|UNIXのslコマンド]] - コンソール画面に蒸気機関のアスキーアートを表示する。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}

{{reflist}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|2}}

=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書| author = 萩原政男、編| title = 学研の図鑑 機関車・電車| publisher = 株式会社学習研究社| date = 1977年| edition=改訂版| ref = 萩原1977}}
*{{cite book | 和書
* {{Cite book | 和書| author= 久保田博|authorlink=久保田博| title = 日本の鉄道史セミナー| publisher = [[グランプリ出版]]| date = 2005年5月18日| edition = 初版| isbn = 4-87687-271-6| ref = 久保田 (2005)}}
| author = [[久保田博]]
* {{Cite journal|和書| author = 齋藤晃| title = 蒸気機関車200年史| publisher = NTT出版| isbn = 978-4-7571-4151-3| date = 2007年| ref = 齋藤2007}}
| title = 日本の鉄道史セミナー
* {{Cite journal|和書| author = 近藤喜代太郎| title = アメリカの鉄道史―SLが作った国―| publisher = 成山堂書店| isbn = 978-442-596131-3| date = 2007年| ref = 近藤2007}}
| publisher = [[グランプリ出版]]
* {{Cite book|和書| author = デイビット・ロス| translator = 小池滋・和久田康雄| title = 世界鉄道百科事典| publisher = 悠書館| isbn = 978-4-903487-03-8| ref = ロス2007}}
| date = 2005年5月18日
* {{Cite journal|和書| author = ジョン・ウェストウッド| translator = 青木栄一、菅建彦 | title = 世界の鉄道の歴史図鑑 <small>蒸気機関車から超高速列車までの200年 ビジュアル版 </small>| publisher = 柊風舎| isbn = 978-4-903530-39-0| date = 2010年9月| ref = ウェストウッド2010}}
| edition = 初版
* {{Cite book|和書|author=川辺謙一 |title=鉄道車両メカニズム図鑑 |year=2012 |publisher=学研 |isbn=978-4-05-405338-0}}
| isbn = 4-87687-271-6
* {{Cite journal|和書| author = 齋藤晃| title = 蒸気機関車の技術史 (改訂増補版) (交通ブックス117)| publisher = 成山堂書店| isbn = 978-4425761623| date = 2018年| ref = 齋藤2018}}
| ref = 久保田 (2005)
* {{Cite book|和書|title=蒸気機関車EX Vol.4 ―蒸機を愛するすべての人へ |year=2011|publisher = イカロス出版| |isbn=978 4 86320 428 7 | ref =蒸気機関車EX Vol.4 }}
}}
* てつどうシリーズ「きょうりゅうマシーン」いいお かずお edu comics press 2022年
*{{Cite book|和書|author=川辺謙一 |title=鉄道車両メカニズム図鑑 |year=2012 |publisher=学研 |isbn=978-4-05-405338-0}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{commonscat|Steam locomotives}}
{{commonscat|Steam locomotives}}
* {{ill2|ボイラーの爆発|en|Boiler explosion}}


=== 蒸気機関車の形・車両 ===
=== 蒸気機関車の形・車両 ===
*[[国鉄機関車の車両形式]]
* [[国鉄機関車の車両形式]]
*[[ギアードロコ]]
* [[ギアードロコ]]
*[[マレー式機関車]]
* [[マレー式機関車]]
*[[キャメルバック式蒸気機関車]]
* [[キャメルバック式蒸気機関車]]
*[[キャブ・フォワード型蒸気機関車]]
* [[キャブ・フォワード型蒸気機関車]]
*[[過熱式]]
* [[過熱式]]
*[[パニア]]
* [[パニア]]
*[[サドルタンク]]
* [[サドルタンク]]
*[[ウェルタンク]]
* [[ウェルタンク]]
* [[水運車]] - 蒸気機関車に水を補給する車両基地へ水を輸送するための貨車。
*[[ダミー (蒸気機関車)]]
* [[ダミー (蒸気機関車)]]
*[[USRA]]
*[[蒸気タービン機関車]]
* [[USRA]]
* [[蒸気タービン機関車]]


=== 蒸気機関車の機構 ===
=== 蒸気機関車の機構 ===
*[[蒸気機関車の構成要素]]
* [[蒸気機関車の構成要素]]
*[[カウキャッチャー (鉄道)|カウキャッチャー]]
* [[カウキャッチャー (鉄道)|カウキャッチャー]]
*[[除煙板]]
* [[除煙板]]
*[[車軸配置]]
* [[車軸配置]]
*[[集煙装置]]
* [[集煙装置]]

=== 蒸気機関車に関係する文化および登場する作品 ===
*[[汽車のえほん]]
*[[きかんしゃトーマス]]
*[[きかんしゃ やえもん]]
*[[銀河鉄道の夜]]
*[[銀河鉄道999]]
*[[パシフィック231 (オネゲル)]]
*[[ポーラー・エクスプレス]]
*[[SLブーム]]
*[[sl (UNIX)|UNIXのslコマンド]]
*[[ハドソン|ハドソン(ゲーム会社)]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.geocities.jp/kigiken/index.html 機関車技術研究会]:蒸気機関車の技術についての情報を掲載している。
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/kigiken/index.html |title=機関車技術研究会}}:蒸気機関車の技術についての情報を掲載している。
* [http://www.steamlocomotive.com/ Steamlocomotive.com](英語):主に北アメリカの蒸気機関車についての情報を掲載している。
* [http://www.steamlocomotive.com/ Steamlocomotive.com] {{en icon}} :主に北アメリカの蒸気機関車についての情報を掲載している。
* [http://www.trainweb.org/tusp/ The Ultimate Steam page](英語):現代における蒸気機関車の新技術・新造計画についての情報を掲載している。
* [http://www.trainweb.org/tusp/ The Ultimate Steam page] {{en icon}} :現代における蒸気機関車の新技術・新造計画についての情報を掲載している。
* [http://www.aqpl43.dsl.pipex.com/MUSEUM/LOCOLOCO/locoloco.htm Extreme Steam- Unusual Variations on The Steam Locomotive.](英語):特殊な形式の蒸気機関車についての情報を数多く掲載している。
* [http://www.aqpl43.dsl.pipex.com/MUSEUM/LOCOLOCO/locoloco.htm Extreme Steam- Unusual Variations on The Steam Locomotive.] {{en icon}} :特殊な形式の蒸気機関車についての情報を数多く掲載している。
* [https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD302MN0Q2A830C2000000/ 普段運行する列車までSLにしたら… 蒸気機関車の経済学(日本経済新聞、2022年9月12日掲載記事)]
* {{Kotobank}}


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2024年12月9日 (月) 21:35時点における最新版

グレート・ウェスタン鉄道6000形(キングクラス)蒸気機関車の図面

蒸気機関車(じょうききかんしゃ)は、蒸気機関動力とする機関車のことである。

日本では Steam Locomotive の頭文字をとって、SL(エスエル)とも呼ばれる。また、蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを、汽車きしゃとも言う[注釈 1][注釈 2]。また、明治時代には蒸気船に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気おかじょうき」とも呼んでいた。第二次世界大戦の頃までは汽缶車きかんしゃ[注釈 3]という表記も用いられた(「汽缶」はボイラーの意)。

歴史

[編集]
リチャード・トレビシックによる1802年製作の蒸気機関車
1829年にレインヒル・トライアルで勝利したジョージ・スチーブンソン製作のロケット号

蒸気機関車の発明以前から鉄道を敷き台車を荷役動物にかせるものはあった[注釈 4]馬車鉄道などである。

1802年、リチャード・トレビシックがマーサー・ティドヴィルのペナダレン製鉄所で高圧蒸気機関を台車に載せたものを作った。これが世界初の蒸気機関車とされている。1803年、トレビシックはこの蒸気機関車の特許サミュエル・ホンフレイに売却。ホンフレイは、トレビシックの蒸気機関車が10トンの鉄を牽引して、とある区間(約16km)を運べるか賭けを行い、1804年2月21日、ペナダレン号が10トンの鉄と5両の客車、それに乗った70人の乗客を4時間5分で輸送することに成功した。

1814年、ジョージ・スチーブンソンがキリングワースで石炭輸送のための実用的な蒸気機関車を設計し「Blücher」(ブリュヘル号)と名付け[注釈 5]、ウェストムーアの自宅裏の作業場で製作し、1814年7月25日に初走行に成功。時速6.4kmで坂を上り30トンの石炭を運ぶことができるものであった。

蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物

[編集]
リチャード・トレビシック
1804年イギリスで蒸気機関車を走行させる。鉄道史上初とされている。
ジョージ・スチーブンソン
公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「ロコモーション号」を制作。さらに「ロケット号」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
ロバート・スチーブンソン
ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
マーク・イザムバード・ブルネル
シールド工法でロンドンの地下鉄を建設した。
イザムバード・キングダム・ブルネル
広軌のグレートウエスタン鉄道を建設した。
マシュー・マレー
1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車サラマンカ号を走らせた。
ナイジェル・グレズリー
グレズリー式連動弁装置を開発。またA3形や蒸気機関車の速度記録を持つマラード号を設計した。
アンドレ・シャプロン
キルシャップの開発やボイラの内的流線化等の、蒸気機関車の科学的改良を初めて行った。のちにリビオ・ダンテ・ポルタら蒸気機関車技術者に多大な影響を与えた。

世界各国の歴史

[編集]
日本での歴史
ペリー提督が幕府に献上した蒸気車

蒸気機関車の原理

[編集]
The main components of a steam locomotive
The main components of a steam locomotive
  1. 火室
  2. 灰受け皿
  3. 水 (ボイラー内部)
  4. 煙室
  5. 運転室
  6. 炭水車
  7. 蒸気溜
  8. 安全弁
  9. 加減弁
  10. 煙室内の加熱管寄せとそれに付属した過熱管
  11. ピストン
  12. ブラスト・パイプ
  13. 弁装置
  14. ギュレータ・ロッド
  15. ドライブ・フレーム
  16. 従輪ポニー台車[注釈 6]
  17. 先輪ポニー台車[注釈 6]
  18. ベアリング及び軸箱
  19. 板ばね
  20. ブレーキ片
  21. 空気ブレーキ・ポンプ
  22. (前部) 中央連結器
  23. 汽笛
  24. 砂箱

蒸気機関車は湯を沸かして発生した蒸気を動力源として走行する。

ここでは主に世界各国で広く使用されていた、煙管式ボイラーとシリンダーを使用するタイプの蒸気機関車について説明する。

一般的な蒸気機関車を走らせるのに必要な機構としては以下のものがあげられる。

  • 石炭等の燃料を効率よく燃やして、高温の燃焼ガスを作る火室。
  • 火室で発生した燃焼ガスの持つ熱エネルギーを利用して沸騰させ、高温高圧の蒸気を作るボイラー
  • シリンダーに送る蒸気の方向や量を制御する各種弁装置
  • 蒸気のエネルギーを往復運動のエネルギーに変えるシリンダー。
  • シリンダーの往復運動を回転運動に変換し駆動力を発生させるロッドと動輪。

火室

[編集]
切断展示物の火室 (左) 及びボイラー (右)

火室は燃料を燃焼して高温のガスを作る場所である。火室の底(床)部分は燃えかすの灰が落ちるように格子状(いわゆる火格子)に作られている。

蒸気機関車の出力を決める第一の要因は「火室でどれだけ大きな熱エネルギーを発生できるか」であり、その指標として火室の平面積を表す火格子面積が使われる。火格子面積は狭軌が一般的であった日本の場合、明治初期のころの機関車で1m2以下、それ以降順次増大しD51形で3.27m2まで大きくなった[注釈 7]が、火室への燃料供給は人力(シャベル)による投炭であった。さらに大型(日本最大)で戦時の貨物増大に対応して製作されたD52形では火格子面積は3.85m2となったが、これは1人で人力投炭を行うには限界に近い負担を強いたため、第二次世界大戦後、同形式のボイラーを流用して製作されたC62形などと共に、蒸気エンジンで駆動される自動給炭装置(メカニカルストーカー)が装備された。ちなみに標準軌を採用した南満洲鉄道特急列車あじあ」を牽引したパシナ型機関車の火格子面積は6.25m2で、ストーカーが標準搭載されていた。また、日本と同じく狭軌を標準としていた南アフリカでは当時黒人労働者を低賃金で利用できたことから、彼らを投炭手として複数乗務させ、交代で全力投炭させる[注釈 8]ことでストーカーを装備せずに火床面積を日本の機関車よりも大きくとるケースが存在した。

なお、給炭の手間や燃費を除いても火床面積は出力に対し十分な火力が得られるならば無理に拡大する必要はなく、特に内火室容積に比べて過剰に大きい場合不完全燃焼が起きやすくなる[注釈 9]

強力機ではそのボイラー容量に見合った火力を得るため巨大な火室を備えるケースが多いが、高カロリーの良質な燃料を常用できる環境にあった鉄道、例えばイギリスのグレート・ウェスタン鉄道(GWR)の機関車では、4073形(キャッスル級あるいはカースル級とも。軸配置2C、過熱式単式4気筒、狭火室。火格子面積2.73m2)のように、狭火室のままで他社が保有していた同クラスの機関車を上回る高性能を発揮する例[注釈 10]が少なからず存在した[注釈 11]。広火室は、総じて低品質の燃料でより大きな出力を得る手段として利用されていたのである。

機関車の火室には、左右の台枠間に設置したいわゆる狭火室タイプと、より大型の機関車に設置される台枠の幅(軌間)より大きな広火室タイプのものがある。D52等、一部の形式では煙管の手前に燃焼室を備える。

基本的に軌間が同一なら同じ面積の火床面積を得る場合、狭火室より広火室の方が奥行きが短くなる分投炭が楽になるが、奥まで石炭が届く構造ならばむしろ投炭口左右にシャベルを返す手間が省けるので狭火室のほうが楽な場合もある(前方への傾斜を調節し前後幅が3.8mもある火床の前部に石炭が崩れていくようにしたフランスのノール鉄道のスーパーパシフィックや、パリ・オルレアン鉄道の240.700形など)[2]

石炭が燃える際の炎は、石炭の成分が分解・蒸発しながら空気中の酸素と反応しているため、燃焼ガスの温度は石炭自体から少し離れたところで最高となる。このため火室内には燃焼ガスの流れを迂回うかいさせて、ボイラーの各煙管の距離を稼いで最高温度の燃焼ガスを導くのと各煙管に均等に燃焼ガスが流れることができるように火室中央部を斜めに通るアーチ管に載せらた邪魔板 (煉瓦れんがアーチ)がある。火室の前後左右と上部は缶胴内の水で囲まれており内火室と呼ばれている、前述したアーチ管には、缶胴内の水が入り込むことで、缶胴内の水を循環させる役割を持たせており、ここの部分は外火室と呼ばれボイラーの一部となっている。また、燃焼ガスの火力を高めるために内火室とボイラーの煙管の間に燃焼室を設ける場合がある。これは、火室の邪魔板の上の空間が延長された構造となっている。

蒸気機関車によっては無煙炭より安価な重油を使用して人力を節約して高出力を得るために火室に重油散布装置を設置したものがある。我が国でも重油を併用できる蒸気機関車が多数使用されていた[3]

自動給炭機

[編集]

火格子面積の大きい広火室を備えた機関車に装備され、炭水車からスクリュー(送りねじ)で石炭を運転室まで搬送し、蒸気で火室内に飛ばした。

大型機が多く大量の石炭を消費したアメリカでは、1901年には開発され、1905年頃には、普及。1938年には法律で、ボイラーの大きなSLには、搭載が義務付けられた。この通達で、1939年4月15日以降に製造される動輪重量で16万lbs(ポンド)以上の旅客用機関車、同じく17.5万lbs(ポンド)以上の貨物用機関車に、搭載された。

その後、日本でも導入された。

1次大戦後ペンシルバニア鉄道の当時の主力機K4形(火床面積6.5平方m)に大量に採用され、その後火床面積5.5平方m以上の機関車には設置が義務付けられたが、そこまで多量の石炭を消費しないヨーロッパ諸国(+日本)では手炊きに比べて無駄が多いとされ、フランスでは1938年のフランス国鉄(SNCF)450P形で初採用したものの設置された機関車は少数派で、イギリスは最後まで設置せず、ドイツや日本も二次大戦前には未使用である[4]

日本では蒸気機関車用の自動給炭機は、1948年(昭和23年)製のC62形、C61形を嚆矢として、戦時形のD52形についても、標準形への装備改造時およびD62形への改造時に装備された。熱量の低い石炭を使用する常磐線用のD51形の一部にも搭載された。

ボイラー

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火室で作られた高温の燃焼ガスは、煙管と呼ばれる数多くの細い管に導かれる。煙管の本数や管のサイズは機関車の出力性能に大きく関与するが、本数は50本から200本、管の直径は50mm前後である。煙管の周囲は水で満たされており、燃焼ガスが通過する際の熱伝導を受けて蒸気が発生する、いわゆるボイラーであり、この部分は缶胴と呼ばれている。ボイラーの材質は鋼鉄が一般的だったが、イギリス等ではも使用された。発生した蒸気は上部の蒸気溜じょうきだめのドームに一旦められ、溜められた蒸気は、蒸気機関車の各種補機類を作動させるために取付けられた配管により分配されるが、走行に使用される蒸気は、加減弁で流量を調整後、乾燥管を通って蒸気中の水分を取り除かれて乾燥された蒸気となり、煙室の主蒸気管を介して走り装置の蒸気室のシリンダーに送られる。

まれに車両限界の都合などでドームがない機関車もあり、こういった車両は缶胴最上部に細いスリットを持つ管を通し、そこから蒸気を採集する。蒸気は気体なので普通にこの穴を通過できるが同じ流体でも粘性のある熱湯は通過しにくいためシリンダー側に湯が入ることはまずないが、勾配区間での使用に関しては当然ドームがある方が安全であり、日本などでは使用されていない[5]

使用される蒸気は、圧力が10-16kg/cm2で温度は200℃の飽和蒸気を使用する飽和式と、さらに蒸気を加熱して圧力を高めるため、主蒸気管と乾燥管の間に過熱管寄せとそこから煙管の内部まで伸びて過熱管寄せに戻る過熱管を装備して、乾燥管からの蒸気を、過熱管寄せから過熱管を介して通過させることにより、蒸気の温度をさらに300-400℃に高めた過熱蒸気を使用する過熱式とがあり、直径が通常の煙管の2倍以上で過熱管を内蔵した煙管を大煙管と呼んでいる。1910年代以降の大型機関車には過熱蒸気を使用するようになった。

ボイラーの上部には蒸気圧が高くなりすぎたときに蒸気を逃がして圧力を下げる安全弁(万が一の故障を考慮して必ず複数が装備される)や、汽笛が装備されている。またボイラー内の水位を維持するために、水槽から新しい水を注水するための給水ポンプやインゼクタ(注水器)の2つが取付けられており、2つのルートからボイラーに水を送り込む仕組みとなっている。両者とも動力源にボイラーの蒸気を使用しているが、後者は蒸気溜からの配管から直接蒸気が送られる。また、ボイラー缶胴内に装備された注水パイプにより、均一に水を噴射させてボイラー内の水温にムラが出ないようにしている。中・大型機では注水の際に低温の水を注水する事でボイラー内の水が温度低下を起こし蒸気圧が下がるのを防止するため、一般に走行中は給水ポンプから給水温め器(蒸気室のシリンダーや補機類で使用された蒸気を引き通して水に熱を伝える熱交換器)を介してボイラーに注水し、走行中や絶気中はインゼクタを使用する[6](なおインゼクタは冷水でないと給水できないのでこれだけを使う機関車では給水温め器の必要はない[7])。

なお、第二次世界大戦中のドイツで設計・製作された貨物用の52形では、軸配置1Eの大型機であったが構造簡素化による生産性の向上を目的としてインゼクタを複数搭載として従来のドイツ国鉄機で標準であった給水ポンプ+給水温め器の搭載が省略され、またイギリスのグレート・ウェスタン鉄道などではやはりインゼクタの複数搭載を標準としていたが、クラック弁と称する特殊な弁を使用することで、ボイラーに注水される水の温度が段階的に引き上げられる、つまり給水温め器を使用するのと同様の効果が得られるような機構を採用していた。

ボイラーの性能を表す指標として、蒸気圧力飽和式過熱式か、煙管・大煙管の太さと本数または煙管の総表面積(熱伝導面積)などが使用される。一般にボイラーでは圧力が高いほどエネルギー効率は上昇する(飽和式の場合は水に戻りにくくなるというメリットも生まれる)が、蒸気漏れなどに対する対策に高度な技術が必要となるのでそういった兼ね合いで上限値を定め、蒸気機関車の場合は構造上や運用の都合もあって据え置き式や船舶のボイラーなどと比較すれば低圧の部類に入る。
最初期の蒸気機関車では1829年のスチーブンソンのロケット号が出場したレインヒルトライアルのルールが「(安全のため)ボイラ圧力は1平方インチ当たり50ポンド(約3.55気圧)以下」と非常に低圧で、その後鋳鉄技術の向上で1850年ごろには10気圧程度まで上がり、以下1870年代には鋼鉄製が一般化して11~12気圧、20世紀初頭には13~14気圧ぐらいでイギリスの場合では最盛期で17.7気圧(正確には「1平方インチ当たり250ポンド」)になった。他の国の場合はフランスは複式が多いので初期の圧力を高めにして20世紀初頭に16気圧、1930年代に20気圧のものが出始めこれが全盛期の標準。ドイツは過熱蒸気を早いうちに採用したので低圧でも飽和蒸気のような問題は起きないと保守を楽にするため、あまり圧力を上げずに第二次大戦前でも16気圧付近が上限で戦後の試作機10形の18気圧が最大で、これを手本にした日本も世界的には低圧気味[注釈 12]で明治初期のイギリスなどから輸入した機関車で8気圧前後から始まって順次昇圧したが最大で16気圧までにとどまっている(計画では18気圧のものもあった)。試験的なもの(水管式ボイラーを採用していた一部の試作機関車では、ボイラー圧力が100kg/cm2超えもあったが実用的に成功したものはない)を除くと高圧が多かったのは蒸気機関車全盛期のアメリカで、黎明期の19世紀中ごろ時点では7気圧とかなり低かったが1893年のNYCの999号(New York Central and Hudson River Railroad No. 999)が12.6気圧、その後他の国で圧力の進化が止まっても上昇を続け、第二次大戦中21気圧、戦後ノーフォーク&ウェスタン鉄道で22気圧を煙管式ボイラーで達している[8]

煙室

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煙室は機関車の先頭部分にあり、ボイラー内の煙管を通過した燃焼ガスと蒸気室内のシリンダーでピストンの作動させた蒸気(排気ブラスト)が吐出管を介して入り、その後に上部にある煙突から両者が吐き出される所である。吐出管から勢い良く噴射した蒸気が、上部にある煙突に目がけて流れるため、霧吹きで水が吸い上げられるように、気圧差により内火室からの燃焼ガスを煙管を介して強制的に誘引することにより、内火室への空気流入量が増えて燃焼効率の向上を助ける働きを持っており、これを「ドラフト」という。

模索期の機関車と復水式の機関車ではドラフトに圧縮空気を使用するものもあったが、模索期の米仏にあった車軸からベルトでふいごを動かす装置では勾配(低速になる)でドラフトが弱まるという致命的な問題があったため、蒸気消費量が多くなるほどドラフトが強くなる排気ブラストを使用する方法を変えることはなく[9]、復水式は蒸気を捨てずに水に戻して再使用する以上排気ブラストが使えないことから一部の蒸気でタービンを回してそれで車体前部では排気ブラストに変わってドラフトを起こし、テンダーでは蒸気を冷やして水に戻したが、このエネルギー分の燃料とメンテナンスの手間が増大したので、復水式自体が商業的に成功しなかった[10]

また、煙は上の煙管を通りやすいので燃焼ガスの流れを上下で均一にするため、加減反射板を装備して、蒸気の通過速度が一番速い煙室下部に迂回して燃焼ガスを導いており[11]、加減反射板は迂回の度合いを調整することが可能である。また、一部の機関車では、吐出管から出るの蒸気の噴射速度の調整ができるようになっている。また、惰性運転時での後述する絶気運転や停止中では、蒸気溜の加減弁が閉の状態のため、蒸気室のシリンダーにボイラーからの蒸気か送り込まれず、煙室内にドラフトを発生させるため、運転室の蒸気分解箱にある通風弁(ブロアバルブ)を開いて、蒸気を別にある通風管を介して煙室内に送り込み、煙突に向けて噴き出すことで、ドラフトを発生させて内火室からの燃焼ガスを煙管を介して誘引させている[11]

弁装置・シリンダー・コントロール装置

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蒸気機関車の走り装置(ワルシャート式)のモデル図
1弁室、2蒸気弁、3蒸気室、4弁心棒、5合併テコ、6心向棒、7加減リンク(中央の支点をモーション・プレートに固定)、8釣りリンク腕、9シリンダー室、10ピストン、11ピストンロッド、12滑り棒、13クロスヘッド、14主連棒、15偏心棒、16返りリンク、17連結棒。

機関車をスムーズに走らせるためには、シリンダーに送る蒸気の方向を適切に制御する必要があり、右側の弁装置 により制御される。出力の制御は運転室にある加減弁ハンドル[注釈 13]と逆転機ハンドルによって制御される。加減弁ハンドルは、蒸気溜にある加減弁に引き棒で繋がっており、動かす事により蒸気溜から蒸気が乾燥管と主蒸気管を介して蒸気室に流れ、蒸気室内の2つの蒸気弁の間のある弁室を介して蒸気室前後に設けられた蒸気通路のどちらか一方を通って蒸気が送り込まれ、シリンダー室内のピストンを作動させる。蒸気が送り込まれたピストンの反対側の蒸気は、シリンダー室から蒸気が送り込まれた蒸気通路とは反対側の蒸気通路を通って蒸気室に戻り、蒸気室左右にある排気通路から吐出管に排出される。この動きを前後交互に行うことでシリンダー内のピストンを往復運動させることができる。シリンダー内のピストンを往復運動させる蒸気の給排気を行う蒸気室の蒸気弁は、ピストンとの間で90度の位相差で動いており、蒸気弁はピストンの動きを伝達して動かしている。力の伝達はピストンロット→クロスヘッド→合併テコ→蒸気弁の弁心棒とピストンロット→クロスヘッド→主連棒→返りリンク→偏心棒→加減リンク→心向棒→合併テコ→蒸気弁の弁心棒の2つの径路で伝達される。また、合併テコは2方向から伝達される力を合併する役割を持っており、それを介して蒸気弁を作動させる。また、発車時では、一気に加減弁を開けてしまうと、蒸気が一気にシリンダー内に入り、動輪が空転してしまうため、加減弁を徐々に開いていく操作を行う。惰性運転時には、加減弁を完全に閉じてシリンダー室に蒸気がまったく入ってこない状態にする(絶気運転とも呼んでいる)。

逆転機ハンドルは逆転棒と繋がっており、その先の釣りリンク腕と釣りリンクを介して心向棒と繋がっていて、さらに心向棒から加減リンクを通り蒸気室の蒸気弁と合併テコを介してクロスヘッドに繋がっている。逆転機ハンドルは回すことで、心向棒を介してシリンダー室上部にある蒸気室の蒸気弁を操作できるようになっている。蒸気機関車の速度制御は、蒸気溜にある加減弁での調整によっても可能であるが、実際の速度制御は、蒸気弁からシリンダーへの通路の開口部の開口率の変化によって行われる。その変化の動作に使用されるのが偏心棒、加減リンク、心向棒の3つであり、加減リンクは中央を支点としてモーション・プレートに取り付けられており、その下部に連結された偏心棒により、加減リンクが支点を中心として上部と下部で往復運動を行なって、心向棒と合併テコを介して蒸気弁の弁心棒に力を伝達する仕組みとなっている。心向棒の力点は、逆転機ハンドルにより加減リンク内を上下方向に動かすことが可能であり、加減リンクの支点に近い位置では、蒸気弁の往復運動の幅が小さくなり、加減リンクの支点から離れた位置では、蒸気弁の往復運動の幅が大きくなる。その幅の変化が開口率の変化となり、開口部の大きさと蒸気弁からシリンダーへの蒸気が入らないカットオフの時間が変化することで、シリンダーに入る蒸気量の調整を行い、シリンダー内の中のピストンが時々の状況に応じた速度に対応した往復運動をするようになっている(出発時は、心向棒を加減リンク中央から下に離れた位置に移動させて、開口率を大きくカットオフの時間を短くすることでシリンダー室に入る蒸気を多くして動輪の回転力を大きく回転数を小さくし、速度が上がるにつれて、心向棒を加減リンク下部から中央の位置に徐々に移動させて、開口率を小さくカットオフの時間を長くすることでシリンダー室に入る蒸気を少なくして動輪の回転力を小さく回転数を大きくする)。また、開口率は、80%-0%の間で表しており、全出力で80%、停止時や惰性運転時では0%としている。また、加減リンクは前進または後進の切り替えも行い、同じく逆転機ハンドルを回すことにより、心向棒を加減リンクの中央(支点の部分)から下に下げると前進、上に上げると後進となる(前後進の切替は停止時に行う)。その他に、発車時に常温まで冷えたシリンダー室に蒸気を送ると、蒸気の温度が下がり凝縮が発生してシリンダー室に水が溜まるため、溜まった水を排出するシリンダー排水弁や、蒸気室の前後をバイパス管で結びその中間に弁を設置し、惰性運転時に、逆転機ハンドルを操作して蒸気室とシリンダー室を結ぶ蒸気通路の開口率を80%にしてからその弁を開き、シリンダー室のピストンの前後の空気を行き来できるようにして、ピストンの空気抵抗を最小にするバイパス弁がある。

機関車の出力は最終的にはシリンダーの大きさ×数×蒸気圧力で決まる。カタログではシリンダー直径×行程で示される。蒸気機関車の設計は、シリンダーで使用される蒸気量と、蒸気を作る能力(火室やボイラーの性能)がマッチするよう考慮される。

動輪・先輪・従輪

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気筒室で作られた往復運動は主連接棒(メインロッド)を通じて動輪に伝えられ、ここで最終的に回転運動におきかえられる。主連接棒と連結されている動輪を主動輪という。主動輪と他の動輪は連結棒(カップリングロッド)で連結されている。また左右の動輪は車軸で繋がっており、2シリンダー機の場合は連結棒を介して90度の角度でずらして主連接棒と連結されていて、それにより片方の気筒室内のピストンが前端または後端の死点に達してピストンの力がゼロになっても、もう片方のピストンの力が最大になるように動力伝達されている。

動輪以外に機関車に設置される車輪として先輪従輪がある。先輪は動輪の前に設置され、カーブでのスムーズな方向転換に有効であり、機関車重量の一部を負担する効果もある。従輪は動輪より後ろに配置され、機関車後部の重量を受け持つ。大きな火室を必要とする高出力機では、小さな従輪の上に幅広の火室を装備する広火室タイプが採用された。

蒸気機関車の最高速度はシリンダーの往復速度と動輪の直径(動輪径)で決まる。すなわち巨大なクランク構造となっている蒸気機関車の動輪回転数は400rpm付近が限界[12]とされており、実際に各国の蒸気機関車の最高速度もほぼこの限界値近くにある[注釈 14]。高速度が要求される蒸気機関車は当然大きな動輪径が設定される。

蒸気機関車に限らないが滑らかな鉄の車輪を鉄のレールの上で走らせるため、スリップ(空転)を起こしやすい[注釈 15]。重量のある列車を牽引する際に空転を防ぐためには動輪とレールの粘着性を上げることが必要だが、手段としては全動輪にかかる重量を増やす方法がとられる。即ち動輪1対あたりの重量(軸重)を増やすか、動輪数を増やして動軸上重量を増やすの2種類の方法がある。動輪および前輪と従輪の配置や数(軸配置)は機関車の性能を決定する重要なファクターである(車軸配置参照)。軸重の増加については軌道の強化が必要であり、動輪数を増やす場合については機関車の長さの問題、急カーブ通過時の問題などが発生する。動輪数を増やしてカーブ対策を行った方式として、前後に複数の駆動システムを有する関節式機関車がある。

補機類

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前記したボイラーに水を注水するための給水ポンプとインゼクタがボイラー横に搭載される他、蒸気機関車自体や牽引する客車のブレーキ装置を作動させる圧縮空気を作る目的でボイラー缶胴部横や煙室前面などにコンプレッサーを搭載している(イギリスなど真空ブレーキ式の国ではこれがなかった。空気ブレーキはアメリカで1869年に発明され1872年に直通から自動式に改良、米国では1893年に全列車に空気ブレーキが装備が義務付けられた。なお、日本では真空ブレーキが先(1891年)に導入されたが、勾配が多い日本では1920年代以後に連続使用が効く空気ブレーキ式に切り替えられた[13]。)調圧器により自動的に作動しており、そこで作られた圧縮空気は繰出管を介して冷却されてボイラー横の元空気溜に蓄圧される。また、前照灯など電気装置やATSの保安装置などを使用する目的でタービン発電機がボイラー上部の運転室側に搭載される。コンプレッサーもタービン発電機もボイラーから運転室に取付けられた弁が付いた蒸気分配箱を介して送られた蒸気を動力源としており、これらの弁の操作により蒸気が送られて各種補機を作動させる[14]

特徴

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長所

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  • 多種類の燃料が使える。高熱量のものが望ましいが、石炭に限らずおよそ可燃物なら何でも使用可能。石炭以外の例として、石油の豊富なインドネシアなどでは重油、東京ディズニーランドのウエスタンリバー鉄道などでは灯油、軽便鉄道などでは、海外ではバガスなどの例がある。第二次大戦中、燃料が高騰する一方で電力は水力発電で確保できていたスイスでは、蒸気機関車を電気加熱できるよう改造した例もある。わが国にも昭和20年代に重油を混燒するものがあった。
  • 構造が簡単で修理が容易なために耐用寿命が長い。通常約30年程度。それ以降の運転は大規模な修繕や部品交換(オーバーホール)が必要とされるが、電気機関車やディーゼル機関車に比べて、延命が容易。世界遺産でもあるインドダージリン・ヒマラヤ鉄道で使用されるイギリス製の蒸気機関車は、最古のもので110年にわたり使用されている。車籍を有し営業運転することのできる機関車として、日本JR九州が保有する58654(8620形)があり、これは1988年(昭和63年)の復活運転以降ボイラーや台枠など多くの部品が交換されているものの、1922年(大正11年)の製造から約90年を経過してなお運行を続けている。さらに正式な鉄道路線ではないものの、博物館明治村で動態保存され施設内で実際に乗車できる客車を牽引する旧名古屋鉄道12号(元国鉄160形蒸気機関車165号)に至っては、ボイラーは1985年(昭和60年)に新製されたものと交換されているが、1874年(明治7年)の製造から130年以上が経過している。
  • 一時的な過負荷では故障しない。戦場における軍用鉄道などではこの利点がある。

短所

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煙突から火の粉が飛んで山火事や火事をおこさせない機構が取り付けられた武利意森林鉄道18号形蒸気機関車
煤煙に注意するよう促す看板。(大井川鉄道門出駅、2021年2月撮影)
  • 機構が簡単だが調整が難しく、雑な調整ではうまく走れない。修理作業に熟練を要するが、工作精度の点では内燃機関よりも低くとも問題ない[注釈 16][注釈 17]
  • 電気機関車やディーゼル機関車より燃費効率が悪く、牽引力も弱い。蒸気機関車の熱効率は10%程度といわれ、ディーゼル機関車の熱効率35%程度に比べてかなり劣る
  • 高速運転できない。一般的な構造を備える蒸気機関車の速度は、動輪の直径とシリンダーの往復速度に比例するため、シリンダーの往復速度を速く、また動輪径を大きくするほど高速運転が可能となる。しかしシリンダーの往復速度の上限は、シリンダーとそれを支える台枠の剛性や強度、それにシリンダーやロッドなどの慣性質量に依存することから、ホイールベースが長く高速走行をする機関車ほど振動が激しくなり[注釈 18]、通常の構造では一定の速度以上への引き上げは難しい[注釈 19]。また動輪径についても、動輪の後方で従輪で火室を支えたり、ボイラー下に火室や動輪がこないガーラット式などの構造である程度カバーはできるものの、大径化に伴いボイラーや火室の邪魔になる他、軌間(レールの幅)を大幅に越えると一般に重心が高くなるため走行が不安定になり、危険である。このため標準軌でも実用になったのは7 - 8フィート(2135 - 2440mm)付近(20世紀に入ってからは7フィート以下が普通)であり[15]、これ以上に大径の動輪は実験的なものである。
    蒸気機関車の最高速度は、狭軌 (1067mm) では1954年に日本のC62形17号機が129km/hを記録し、標準軌 (1435mm) では1936年にドイツの05形が、1938年にイギリスのLNER A4がそれぞれ時速200kmをわずかに超えた速度を記録している。しかしLNER A4はページにある通り無理に速度を出した場合の数値である。C62はまだまだ余力を残しており10‰勾配と曲線を超え木曽川橋梁から岐阜へ向かえば140km/hは出せていた[16]。C62の営業列車で120㎞/h以上(速度計の数値は120㎞/hまでしか書かれていない)の速度を出す機関士もおり[17]、他の機種でも戦時中の若い機関士を中心に客車を引っ張って129km/h以上を出すこともあった[18]
営業最高速度は日本と同じ1067mm軌間ではインドネシア(1000形=C53形)やニュージーランド(Ka形(en:NZR KA class)の時速120km前後が最高(日本は前述のとおり130km/hほどの速度を出すこともあったが600メートル条項の建前上時速100km程度)である[19]。なお インドネシア(1000形=C53形)は90kmほどで機関車が手に負えないほど振動が激しくなり、1931年に試験目的で100kmを出してみたところ更に激しく揺れたため最高速度は90kmに制限されており[20][21]、120kmの営業運転がされていたという記述は信憑性が全く無い。インドネシアの最速機関車は110㎞の記録を出したC28タンク機関車で短距離高速列車を90kmから95kmの営業最高速度で運転していた[22][23]。さらにニュージーランドKa形についても 同国のJA形が120kmを超えた逸話[24]と混同しており、蒸気機関車時代の営業運転速度は120kmどころか50マイル(80.5 km/ h)である。またニュージーランド最速記録は英国から輸入したレールバスの125.5kmであり[25]、それに迫る速度で営業運転をしていたことになる。標準軌でも、前述の最高速度記録を持つイギリスのLNER A4は、通常運行では安全面から時速90マイル(145km)ほどである(ドイツの05形に至っては車両自体が高速性特化で牽引力が低いため4から5両程度の客車しか引けずに量産されてない)[26]。一方こういった問題のない電気運転の場合は、1903年にすでに時速200kmを突破した記録がある。(高速鉄道の最高速度記録の歴史も参照)
  • 低速においても、鉱物などの大量輸送で見かけるような時速20-40km程度では、本来の力を発揮できない[注釈 20]。これは構造にもよるが、蒸気機関車は通常時速50kmから100kmで最高出力となるためでなので、時速15kmほどから強力な牽引力が発揮できるうえ、トルクの変動(空転の原因になる)もなく、機関車重量すべてを粘着重量にとれる電気式ディーゼルの方が圧倒的に有利[27]
  • 始動に時間がかかる。煙管式ボイラーが完全に冷え切った状態の場合、火入れ・蒸気の発生に数時間前から作業開始する必要がある。また走行終了後も石炭ガラの廃棄などの作業が必要。
  • 電気機関車やディーゼル機関車の場合1人でも運転可能であるが、蒸気機関車の運転には、走行操作をする機関士とボイラーに水や石炭を送る操作をする機関助士の2人が必要となるため、2倍の人員を必要とする。後年自動給炭が可能なものも登場したが、機関助士の乗務を不要とするには至っていない。また、電気機関車やディーゼル機関車は重連運転の場合先頭車にだけ運転士が乗っていればよいが、蒸気機関車の場合は重連で四人、三重連だと六人の人員が必要になる[28]。なお、燃料を石油だけにすれば1人でも運転可能ということにはなるが[注釈 21]、他の欠点を補えるわけではないので、そのような時代が来る前に電気機関車・ディーゼル機関車の時代になった。
  • 高温を発するボイラーを稼動させるために、運転士(機関士、機関助士)が過酷な労働を強いられる[29]。とりわけ夏季の高温環境における石炭投入などの重労働、冬季の寒気や雪の吹きさらしによる肉体的負担が挙げられる。
  • 前方視界が悪い。構造上大型のボイラーを前方に配置せざるを得ず、結果線路上の障害物や軌道の損傷の発見も遅れて、大事故に結びつきやすい。
  • 性能が条件により変化し、一定しない(燃料の発熱量、タンク機関車の場合は燃料と水の使用に伴う軸重の変化も影響する[注釈 22])。
  • 大量の煤煙ばいえん・ガスを排出するのでトンネルでは窓を開けられない(この関係で山国では早くから電化が進んでいることが多い)[30]。日本国内では急勾配と長大なトンネルが多く、統計によると1931年(昭和6年)から1941年(昭和16年)までにトンネル内での乗務員事故36名、犠牲者2名を出している。狩勝トンネルでは9600形の乗務で事故や犠牲者が出ており安全衛生の改善を発端に争議が発生した[31]。1928年には、急勾配のため従来から立ち往生や逆行を起こしていた[32]D50形二両が牽引する貨物列車がトンネルで空転を起こし、救援に向かった列車も立ち往生してしまい全員が窒息による危篤状態に陥り、3名(5名説もあり)が死亡、12名が昏倒する悲惨な事故が起きている[33]
  • 煙の火の粉が線路周囲の森林や草・家屋などに燃え移ることにより、時として山火事や火事が起きる[34][35]。藁葺きや木の屋根が普通であった時代には火災が多発し、これによる鉄道忌避伝説もある。
  • 保守に手がかかる[注釈 17]
    • 摩耗部分が多く、日本の場合約39万km走るとオーバーホールしていた(同時期の電車や電気機関車は80万kmほどでオーバーホール)[29]
    • ボイラー部などの熱・高圧疲労・耐用年数による老朽化。
    • 水垢の蓄積。
  • 燃料と水を補給する必要があり、大型機では約100kmごとに補給が必要。そのため、駅や機関区などに水・石炭などの補給や、使用済みの石炭ガラ処理用の大型設備が必要となる。また、電気機関車などのように1000km程度の長距離を乗務員の交代のみで運転することはできず、機関車の所要数が増える。
  • 機関車そのもので蒸気を発生させて走るため性能の発揮に熟練が必要。とりわけ特急列車のような「計算上の最大出力を出さねばダイヤが維持できない」列車の場合、石炭や水の使用効率のことも考えると特に技量の高い機関士・機関助士を必要とする[36]
  • 設計上逆向き運転が考慮されておらず、転車台デルタ線ループ線など方向転換のための設備を必要とする。ただし、後年にはC11形C56形など逆向き運転が容易な形式も出現した。また、石油だけを燃料とするなら必ずしも運転席をボイラーと炭水車との間に設ける必要はないので、理論的には逆向き運転も容易になる。

こうした理由で、ディーゼル機関車の発展が早かった米国では1930年代頃から蒸気機関車に挑戦するようになり、1946年の調査では、蒸気機関車が得意な特急牽引(蒸気機関車は低速だと全力が出せない)の仕事でさえ、NYCのナイヤガラ特急牽引機で比較した結果、初期コストと運用コストのいずれにおいても蒸気機関車と(電気式)ディーゼル機関車がほぼ同じ経済性とされるほどになっていた。1950年代に至っては、大半の鉄道会社がゼネラルモーターズ(GM)やゼネラルエレクトリック(GE)のディーゼル機関車に置き替えていた[27]

フランスではディーゼル機関車だけでなく、1952年にパリ‐リヨン間の電化区間で主力になる予定だった電気機関車(パリ・オルレアン鉄道から引き継いだ機関車の改良型、3900馬力)よりも大馬力の蒸気機関車まで存在した。しかし電化の方が将来性があるとして、1948年から蒸気機関車新造を打ち切っており、これ以後は改造機もほとんどない[37]

日本でも新造は1948年のE10か改造名義だが実質新規製造のC62(1949年)までで、1950年代は従輪の付け替え程度の改造にとどめていた。その後国鉄は「動力近代化計画」として1960年(昭和35年)の会計年度より蒸気機関車を15年で全廃する計画を立て、電化やディーゼル化を推進した。そして梅小路蒸気機関車館に保存された車両を除き、予定通り1975年(昭和50年)の年度末となる1976年(昭和51年)3月に完了させた[38]

ドイツでも戦後量産されたのは、3000両以上あるプロイセンP8型の置き換え用として戦前に計画された、2-6-2プレイリーの23形だけであり、1959年末の製造終了をもって、ドイツ国鉄(DB)における蒸気機関車の新造は打ち切られた(東ドイツのDRでは改造機も含めるともう少し製造を行っており、ベルリンの壁崩壊まで残存の機関車もいた。)[39]

イギリスは、先進国の中では最も長く蒸気機関車の製造を続けており、1950年代にも完全新設計の機関車が新造されていたが、イギリス国鉄(BR)は1960年の貨物用2-10-0イブニングスターを最後に蒸気機関車の製造を打ち切り、1968年には蒸気機関車の商業運行を打ち切った[40]

蒸気機関車の分類

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駆動方式による分類

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ピストン
蒸気の圧力をシリンダーに導きピストンを作動させることで往復運動に変換し、その往復運動で動輪を駆動する方式で、広く普及した。
タービン
蒸気の圧力を蒸気タービンに導き、回転運動に直接変換する方式である。タービンで発生した回転運動はギアやロッドにより間接的に動輪に伝達される。 詳細は蒸気タービン機関車を参照。
発電
車上のボイラーで発生させた蒸気を、蒸気タービンや多気筒式蒸気エンジンに導き電力を発生させ、電気モーターにより駆動する方式である。アメリカなどに存在したが、試作段階にとどまった。一見するとディーゼル機関車のようで、とうてい蒸気機関車には見えないものが存在する。

動力伝達方式での分類

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ロッド式
ピストンの往復運動をロッドで直接的に動輪に伝達する方式。シリンダーとメインロッドと動輪そのものがレシプロエンジンを構成するが、通常はレシプロという用語を用いない。ほとんどの蒸気機関車がこの方式を採用している。
歯車式
ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を歯車により間接的に動輪に伝達する方式、もしくはピストンの往復運動をクランクシャフトで回転運動に変え、シャフトとギアで動輪に伝達する方式。蒸気機関車の始祖とでもいうべきトレビシックの機関車は前者の方式だったが、当時の技術ではギアの高速回転ができず、本人自ら4号機の「Catch me who can」では歯車を排してしまっている。後者はギアードロコとしてそこそこ使われた方式で詳しくはギアードロコの項を参照。
チェーン式
ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動をチェーン[要曖昧さ回避]により間接的に動輪に伝達する方式。自転車と似た原理である。ロッドを動輪に接続する必要がないため構造が簡便であるが、信頼性やチェーンの耐久性が低く普及しなかった。後述するバヴァリア号や、アメリカの森林鉄道でハンドメイドされた一部の車両がこの方式を採用している。
摩擦式
動輪を上下2段に付け、上段の動輪をシリンダーで駆動し、下段の無動力の車輪を摩擦により間接的に駆動する方式。歯車比の理論を当てはめて考案されたもので、速度を上げる場合は上段を大きく、下段を小さくし、牽引力を上げる場合には上段を小さく、下段を大きくするという物であるが、実際には成果を上げず摩擦機構の問題も多かったため実用化しなかった。主な形式は1876年ドイツのエルザス=ロートリンゲン鉄道向けに製造されたものであり、D7形451号「ファゾルト」という形式を与えられ1906年まで在籍していた。上段と下段の車輪径の比率は1:3で、牽引力を重視したため最高速度はわずか時速10kmだった。のちに似た方式をアメリカのホールマンとユージーン・フォンテインがそれぞれ考案している。
独立駆動式
V字型の蒸気エンジン1基を1つの動輪に直結させ、直接動輪を回転させる方式。各動輪間は連結されておらず、ロッド式のような重い可動部を持たない。静粛性や高速走行に優れる反面、引き出し時などに空転が起こりやすい欠点があった。ヘンシェルが製造したドイツ国鉄19.10形蒸気機関車が代表例であるが、実用化された時期が遅く、ディーゼル機関車の台頭期と重なったこともあって量産されず、短期間の運行のみに終わった。

エネルギー源による分類

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化学燃料(有機燃料)
石炭コークス重油などの化石燃料、その他薪やガスなどの炭素資源を燃焼させることにより熱エネルギーを発生させ、これによりボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得る方式である。蒸気機関車のほとんどがこの方式で、燃料には主に石炭、コークスが用いられる。旧国鉄の制式機では蒸気機関車時代の後期に補助重油タンクを装備し、勾配区間などパワーが必要な際に重油を投入したほか、C59形の127号機が重油のみを燃料とする重油専燃機に改造されたことで知られている。日本国外ではドイツ連邦鉄道がこの方式に積極的であったことが知られ、世界的には重油専燃機がある程度普及した。タイなどの東南アジア各国では薪が多く使われた。変わった例としては、東南アジアの製糖工場で、砂糖の原料となるサトウキビの絞りかす(バガス)を機関車の燃料として用いた例が多くある。
圧力の外部供給
ボイラーを有さず、外部から熱水とともに高圧蒸気を供給し、それをタンク内に蓄圧してピストンを駆動する方式を無火機関車(ファイアレス)と呼ぶ。一般的に蓄圧に2 - 3時間以上を要するにもかかわらず、その走行可能距離は著しく短いが、火を使わず煤煙なども一切出さないため、火気厳禁の産業施設などで使用された。また、高圧蒸気と熱水の代わりに圧搾空気を用いた圧搾空気機関車や、走行可能な距離が短いという欠点を改善するために、アンモニア苛性ソーダなどの化学薬品を使用する車両も製作された。日本では無火機関車が1963年まで八幡製鐵構内で数多く使われていたほか、浜川崎駅から分岐するシェル石油(現在の昭和シェル石油)の精油所引き込み線で1960年代まで使用されていたことが知られている。生まれながらの無火機関車ではないが、群馬県の「ホテルSL」(元・SLホテル)や栃木県の「SLキューロク館」、鳥取県の若桜駅では静態保存されていた蒸気機関車の動力部などを整備し、圧搾空気を使って短い距離を走行させるというユニークな試みを行っている。日本国外でも観光用としての活動が伝えられており(ドイツマンハイムの産業博物館など)、そのほか現在も南米などで商業用として稼動している可能性がある。
電力
架線から運転台天井部に取り付けたパンタグラフで集電し、その電気エネルギーでボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得るという機関車がスイスに存在した。これはSBB(スイス国鉄)E3/3形と呼ばれる軸配置0-6-0の入れ替え用タンク機関車であり、第二次世界大戦中の石炭の入手難に対応すべく2両が試作されたものである。この形式の場合、電気を動力源(熱源)としているが、電動機電磁石など、電気のみによって駆動力を得ているわけではなく、電力はあくまで熱源としてボイラーの加熱にのみ用いられ、最終的には蒸気で動輪を駆動するため、電気機関車ではなく蒸気機関車に分類される。
原子力
搭載した原子炉で蒸気を発生させ、蒸気タービンで発電しモーターを駆動する方式で、発電式機関車の一種である。主に1950年代1970年代に計画されたが、重量が極端に大きくなる、放射能漏れの危険性があるなどの問題により、実現した例はなかった。
アメリカ
GE製のガスタービン機関車を改造する予定であった。
ソ連
TE-3型ディーゼル機関車を改造する予定であり、1970年代には超広軌の巨大な機関車が計画された。
西ドイツ
V200形ディーゼル機関車を2両連結に改造する予定であった。
日本
昭和30年代に鉄道技術研究所により、AH101という形式が計画された(形式のAはAtomicの略であると思われる)。
ハイブリッド
蒸気機関とディーゼル機関を両方搭載した、ハイブリッド方式の機関車が試作された。1926年にイギリスのキトソン社がスティル社のディーゼルエンジンを使用してロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道向けに試作機が製造され、1934年まで試験が行われたが、ボイラーなどに問題が多く実用化しなかった。ソビエトでは戦前から戦後にかけていくつかの試作機が製造されたがどれも成功せずに終わっている。

ボイラーによる分類

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煙管式
円筒形の水缶に、缶を貫通する多数の細管による伝熱部を設け、火室で発生した燃焼ガスをこの細管に誘導する。燃焼ガスの熱エネルギーによって水缶内に湛えられた水を沸騰させることで、高温高圧の蒸気を得る。そのバレル部分の構造の複雑さなどから高圧化が難しく、また清掃にも手間がかかる。鉄道車両では一般に10気圧から20気圧程度の範囲のボイラー圧力で使用される。以下の二種に大別される。
飽和式
ボイラーで発生させた蒸気(飽和蒸気)を直接シリンダーへ導く方式。蒸気の膨張により温度が下がると水滴が凝結した。蒸気の持つエネルギーが少なく、効率もよくない。
過熱式
ボイラーで発生させた蒸気を、過熱管寄せを介して細いパイプ(過熱管)で煙管内に導き再度加熱してできた過熱蒸気を使用する方式。飽和式に比べ効率がよく、蒸気機関車の出力向上や水・石炭の消費量の節約に大きく貢献した。理論上での提案はされていたが、高温の蒸気を使用するため、シリンダー潤滑油が改良されるまで実用化できなかった。
水管式
火室に伝熱管を設け、火室で発生した熱エネルギーを直接この管に伝え、その中に通された水を沸騰させることで高温高圧の蒸気を得る。煙管式と比較して熱効率や始動性に優れ、高圧化が容易という特徴があり、鉄道車両では100気圧程度のボイラー圧力を実現したものも存在した。ただし煙管式と比較して保持する水量が少なく応答が鋭敏な分、適切な出力を安定的に得るには燃料や水の供給、燃焼の制御を高精度に行う必要があり、また振動に弱く高圧がかかる水管や補機の保守が難しいという問題を抱えている。このため、大きな振動が発生するレシプロ式の駆動系を備える蒸気機関車では、一般に普及することはなかった[注釈 23]
フランコ・クロスティ式
給水加熱器を、使用済蒸気と共にボイラーからの燃焼ガスも利用するよう強化し、給水の温度を高めることで、熱効率の向上を図ったもの。

火室による分類

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狭火室
火室の幅が線路の幅より狭く動輪間の台枠内にそのまま収めたもの。台枠設計をシンプルにできるというメリットがある他、動輪の間に置かれるので安定性もよい。車輪のバックゲージの問題から台枠の幅が狭くなる狭軌で、しかも使用炭の品質も世界的な水準から見て良好とは言いがたかった日本では、大型機関車にこの方式を採用すると十分な火格子面積=火力が確保できず、高出力化の障害となった。それに対し、標準軌間を採用し、高発熱量かつ灰分の少ない良質炭の入手が容易であったイギリス、特に傑出した品質で知られたカーディフ炭を産出するウェールズ地方が沿線にあったグレート・ウェスタン鉄道などでは、狭火室でも他鉄道における広火室に匹敵するかこれを凌駕する性能が得られたことから、この方式を蒸気機関車時代の最後まで採用しているほか、フランスでは火床前方に急に傾斜させて石炭が奥の方まで崩れ落ちるようにして、狭火室だが前後の長さを取ることで火格子面積を確保した240形(フランス国鉄240P型蒸気機関車)の例がある[41]
広火室
火室の幅を線路の幅より広くした、近代の大型機では一般的な方式である。広い火格子面積を確保できるため、特に低品質炭を常用せざるを得ない各国・各鉄道で蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。なお、そのまま火室の幅を広げると動輪が邪魔になるので、通常は以下の4つの手法を取られる。
  • 後方2つの動輪の間をあけて火室を落とし込む方式。
  • 動輪の上に火室をそのまま上乗せで配置する方式。
  • 動輪の後ろで台枠を拡幅してこれを支える従台車を置き、そこに火室を配置する方式。
  • 火室を動輪の後ろに突き出すが支えないでオーバーハング状態にする方式。
日本では5830形が1番目、9600形が2番目、8900形が3番目にそれぞれ該当するが、1番目は「動輪のホイールベースが伸びて曲線通過の悪影響やサイドロッドの重量がかさむ」、2番目は「重心が上がり、特に大動輪の機関車では安定性が悪くなる。」、3番目は「全長が長くなる。また、列車牽き出し時の後方への重心移動により、本来は動輪にかかるべき荷重が従輪にかかるようになるため、特に列車出発時に空転が生じやすくなる。」といった一長一短な要素を持っている。なお4番目のオーバーハングさせる方式は速度を上げるとピッチングが激しくなる[42]ため、日本では採用されてない[注釈 24]
燃焼室の設置
本来は19世紀の米国で石炭から出るガスと空気をよく混ぜて燃やそう[注釈 25]という発想で設けられた仕組みなのでこの名前だが、当時の小さく短いボイラーでは伝熱面積の減少による悪影響の方が大きく、火の粉が逆に出やすくなって一度は廃れ、20世紀になってボイラー大型化に伴う通風の悪化の改善のため復活したものである[43]
蒸気機関車の燃料として最も望ましい瀝青炭の燃焼時の炎は長く、火室内では収まりきらないので、火室前方に副室を設けこれを燃焼室と呼んだ。燃焼室を設けることにより高温の炎からの輻射熱を十分に吸収でき、効率が向上した。また、燃焼時間が長くなったことにより煤煙の発生が減少し、煙管の詰まりも防がれた。外見から燃焼室の有無を知るには火室の前方にも洗口栓があるかどうかを調べればよい。日本の国鉄では8200形製造時に導入のチャンスがあり、またメーカー側も推奨していたが、通常の火室ですら修繕に悩まされている現状で複雑な腐食箇所が多い火室となるのが欠点とされた。[44]このため、鉄道省の中にも島秀雄のように効果を評価[45]する者がいたにもかかわらず、戦時設計で極限性能発揮が求められたD52形まで採用されなかった。だが、戦時設計の粗雑な製造という悪条件も重なり、燃焼室で破裂事故(D52 73 昭和19年 5月 14日山陽線大久保-土山間において破裂、D52 83 昭和19年 6月 30日 山陽線万富駅にて破裂、D52 209 昭和20年 10月 19日 東海道線醒ケ井駅にて破裂)を起こし[46]、D52に対する悪評の一因ともなった。余談だが同じ戦時型でもS118S160などは燃焼室を装備せず極限性能ではなく製造を優先した設計思想も存在する[47]
欧州では1930年代半ばに燃焼室の効果に疑問を呈されたことがあり[注釈 26]1937年パリ万国博覧会で最高の賞を授与したポーランドPm36には燃焼室が付いておらず、英国LMSコロネーション級蒸気機関車から燃焼室を取り4-6-4とした四気筒機関車の計画が進められていたが世界情勢の悪化により立ち消えとなっている[48]。フランスではSNCFが誕生した際に標準型機関車としてアンドレ・シャプロンが設計に携わったSNCF 141Pに燃焼室が付けられなかった[49]。ソビエト連邦で燃焼室はFD機関車に搭載されたが波及したとは言いがたく、スターリン章を授与されたL型機関車と最後の量産機であるP36型に設置されずなかった。そのため、ソ連技術の影響を受けた中国国鉄前進型蒸気機関車で燃焼室が搭載されたのは1964年の改良型からであった[50]
特殊な火室
ベルペヤ火室英語版
ベルギーの鉄道技術者、アルフレッド・ベルペヤ英語版が考案した火室形状で、内火室と外火室の形状を相似形にしているため、内火室を支えるステイの形状を単純にでき、缶水の循環が良く水垢の付着が少ないという利点を持つ。上部が角張った形状が特徴であるが、円筒形の煙管部との接合工作が難しいという欠点がある。
台形火室
上から見ると火床が台形(前部は狭く動輪の間に収まるが、後部は広火室。)。重い火室を少しでも前に持っていくことで走行を安定させ重量牽引時の軸重移動を抑える。フランスで使用されていた[51]
ウーテン火室
広火室の一種で、外見上は下部が大きく広がっているのが特徴である。泥炭など質の悪い石炭を燃焼させるためにアメリカで考案されたもので、日本では日本鉄道が質の悪い常磐炭を使用するために、一部の形式で採用した。

弁装置による分類

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日本の国有鉄道に在籍した蒸気機関車の弁装置の種類は次の通りであった。

  • スチーブンソン式(基本形、ハウ形、アメリカ形):初期の蒸気機関車の標準型として広く用いられた。弁室は、基本形ではシリンダの内側に置かれるが、アメリカ形では上部に置かれる。
  • アラン式(トリック式)
  • ジョイ式(基本形、ウェッブ形)
  • ベーカー式(深川形)
  • 宇佐美式 : C57形で試用。自動可変リード弁の一種。
  • マーシャル式(ヴィンターツール形、コッペル形)
  • グレズリー式:3シリンダ式機関車の中央シリンダ用に使用される方式で、左右の弁装置の動きをてこで合成することで、中央シリンダの弁装置を作動させる。
  • ワルシャート式(ヘルムホルツ形、ホイジンガー形):近代の大型蒸気機関車のほとんどがこの方式で、動作機構が全て動輪の外側にあるため、整備性が良い。

気筒数による分類

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1気筒(単気筒)
蒸気機関車の黎明期に存在した。また、1857年、ニールソンが1気筒の小型機を製造し、多くがスコットランドの炭鉱や製鉄所で使用された。
2気筒
ごく一般的な方式である。2組の気筒(シリンダ)があるため、より円滑な動作が可能である。ロッドが死点に位置して、起動不能となるのを防ぐため、左右の位相は90°ずらされている。日本の国有鉄道においては右側先行が原則であったが、9600形など左側先行の例外も少数ながら存在した。
ギアードロコではV形配置のものも見られる。
3気筒・4気筒
国鉄ではC52形C53形が3気筒である。頻繁な点検や注油などを要する複雑な弁装置を車輪間に設置するのを回避する目的で、左右の弁装置の作用を合成、あるいはロッカーアームなどで位相変換して車輪間のシリンダーへの蒸気圧供給を制御させる、特別な弁装置を搭載するケースが多い。そのため動軸を複雑かつ工作精度の維持の難しいクランク軸とする必要があるなど、概して2気筒機関車に比べ構造が複雑で整備性が悪く、特に車輪の間のシリンダーに手を入れにくい(原則、線路間にピットを設けてこの中に人が入って下から修理する[注釈 27])ため長距離を走るアメリカでは外部から点検困難なことから嫌われ、1920年代に機関車の大型化で一時アルコ社が前方から整備ができるグレズリー連動弁装置を使った3気筒を製造したこともあったが、すぐにライマ社の2気筒シンプルで大型の火室を使う方式が主流になり廃れている[52]。日本の3気筒もアメリカを手本にしていたのだが本国以上に定着せず、満鉄向けのミカニと日本国内向けのC52を20年代半ばにアルコ社から輸入後、ミカニ(増備分)とC53を30年代初頭まで製造していたが、その後は3気筒後継形式は生まれないまま終わっている[53][注釈 28]
その一方で、これらの方式はメインロッドを3本あるいは4本とすることで各シリンダーの位相をそれぞれ120°あるいは90°ずつずらし、ハンマー・ブロー現象を抑えることができ、またシリンダーの排気も1/3ないしは1/4周期で順番に行われるため、ボイラー煙管内の強制通風が均等かつ円滑に行われて燃焼効率が改善される、といった利点がある[注釈 29]。もっとも日本のC53形はこの機構に対する十分な理解のないままに設計が行われた結果、発車時のロッドの位置によっては発車不能になることがあり、問題視された。
これに対し、標準軌間を採用する各国、特にフランス・イギリスの2か国では、燃費の改善や強力化の手段[注釈 30]として3・4気筒機が積極的に導入されている。
ドイツは帝国統一以前はバイエルンなどの南部で複式3~4気筒式も使用されていたが、統一後は過熱器の発明もあって単式2気筒の方が整備性に良いと一時はこれのみを製造していた時期もあったが、時速160kmを超えるような高速になると振動が大きくなる(アメリカはこれをレシプロマスの軽量化とハンマーブローに耐える頑丈な軌条を設けることで防いでいた。)ので単式のまま3気筒の1930年代後半に製造しているが、二次大戦と重なったためそれほど多くは製造されてない(0110型が55両、0310型が60両。)[54]
3気筒と4気筒それぞれのメリットとデメリットは、4気筒は外側シリンダーと対にできるので小型のレバーを使って外側のバルブで内側を駆動でき[注釈 31]バルブギアを2気筒と同じ2つで済ませられるが、機関車の出力が上がるとクランク車軸がゆがみやすくなる(車軸にクランクが2つあり強度が落ちる)というものがあり、大馬力高速運転には3気筒の方がクランクウェブの厚みが取れ(フランスのシャプロンの計算では4気筒が1000馬力×4付近が上限、3気筒は2000馬力×3ぐらいまで可能性があるした。)、トルク変動も2・4気筒が1回転に4回なのに対し3気筒は6回に分散するためトルクのむらが少なく有利という違いがある[55]
変則的なパターンにアメリカのボークレーン社が複式による燃費向上と内側シリンダーによる整備性悪化を防ぐことを両立するため、シリンダーを全部外側につけた4気筒式(通常のシリンダーの位置に上下に高圧と低圧シリンダーを並べる構造)が存在したが、こちらは動きが2気筒と同じなので振動減衰に役立たない[注釈 32]どころか、シリンダーやロッドの数が増えた分駆動系の重量が増加して逆に振動を増加させており、燃費向上のメリットを差し引いてもうまみが薄くボークレーン社も過熱器が導入され始めると製造を打ち切っている[56]
気筒数がさらに多い機関車では、フランスで低速走行時の経済性を改良するために1940年に作られた160.A.1.型の「6気筒」というものがある(第一動輪と先輪の間に低圧シリンダーが横並びに4つ、高圧シリンダーが第3・第4動輪の内側に2つ)が、1両のみの試作に終わっている[57]
3気筒と4気筒の大きな問題に運転が煩雑になること、内側のシリンダーに過負荷がかかることや過熱による部品の熔解や潤滑システムの故障が発生しやすい欠陥があった。特にグレズリー式でこの問題が顕著に現れていた[58]。設計に技術的な欠陥があるため故障ばかりで[59]、2気筒に比べて製造コストが高いだけでなくメンテナンス不足に陥りやすいためLNERに無駄なコストがかかったと考えられている[60]。その反省を受けたアーサー・ペパコーン(Arthur Peppercorn)の設計でも依然として問題は残り[61]、結局21世紀の技術で設計製造されたA1 60163トルネードすらこれらの欠陥を解決する至っていない。[62]イギリスの交通を研究する歴史協会は実用機関車としては通常の2気筒のほうがはるかに優れていたと結論を出している。[63]
燃料事情から複式4気筒機を積極的に導入していたフランスも複式4気筒機は運転が難しいため制約が余りにも多いことが問題となった。1日の平均走行距離は1945年に約75km[64]と終戦直後の日本の鉄道省が走らせていた約150kmの半分しか動いていなかった[65]。戦前から非効率な状況を改善しようとする大規模な試験も行われたが、陳腐で新しい体制に適応できない設計によって造られた機関車のため概して失敗に終わっている[66]。戦後に1918年より製造が開始されたライトミカド型を基にした2気筒機の141R形を導入するとこれまでのフランス機が持ちえなかった人間工学を備え運転や整備がしやすい卓越した機関車と評された。[67]凡庸な人員でも交代で運行が可能になったことでSNCFに3気筒・4気筒では不可能であった革新をもたらし[68][69]、歴史的遺産として最多の4両が保存されている
ギアードロコでは、ボイラー脇にシリンダーを垂直にむき出しに並べた、インライン(直列)配置が一般的で、整備性の問題がないことからこのタイプの3気筒は特例的にアメリカでも使用され続けた。

使用済み蒸気による分類

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単式
ボイラーで発生させた蒸気を一度だけ使用するのが単式で、ごく一般的な方式である。
複式(2段膨張式)
単式に対して、一度使用した蒸気を、もう一度別のシリンダに送り込んで再使用するのが複式である。一度使用した蒸気は圧力が下がるので、1次側(高圧)のシリンダより2次側(低圧)のシリンダの方が径が大きくなる。スイス人のアナトール・マレー1874年に特許を取得し、1876年に実用化に成功した。
複式には種々の方式があり、左右のシリンダをそれぞれ高圧・低圧とした2シリンダ式、フレーム外部と内部に高圧と低圧のシリンダー(どちらがどちらになるかは車両による)3・4シリンダ式、左右のシリンダそれぞれに高圧・低圧のシリンダを装備した4シリンダ式、高圧・低圧の2組の走り装置を有するマレー式(後述)などがある。日本においては、山陽鉄道が4シリンダ複式(ボークレイン複式)を積極的に導入したほか、明治時代末期に国有鉄道がマレー式を一時大量輸入した程度で、他にはほとんど普及しなかったが、1893年に官設鉄道神戸工場で製作された国産第1号機関車(860形)が2シリンダ複式(ワースデル複式)であったのは特筆される。
復水式
シリンダーで使用した蒸気を回収し、コンデンサー(凝縮器)で水に戻して再利用する方式。水の便の悪い地域で用いられる。

車軸配置による分類

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ホワイト式車輪配置において、19世紀アメリカの典型的な車軸配置である4-4-0の「ガブ・スタンフォード」

蒸気機関車にとって、動輪と従輪の配置は非常に重要な要素である。これによって、機関車の用途が決まってしまうといっても過言ではない。動輪径を大きくすれば同一回転速度で運転速度を高くできるが、機関車全体が一定の長さに収まるようにするには、動軸数を減らすことになり、牽引力が低下する。そのため、高速が要求される旅客列車牽引向けということになる。逆に動輪数を増やせば牽引力は増すが、その分動輪径は小さくせざるを得なくなり、速度性能が犠牲になることになるため、貨物列車牽引や急勾配区間向けということになる。

従輪については、機関車重量の一部を負担するばかりでなく、先従輪には曲線通過時に、動輪をスムーズに導く機能があり、高速を要求される旅客用機関車では、2軸としたボギー台車が装備されることが多い。一方で、貨物用機関車では動輪上重量を増して粘着力を高めるため従輪の数は少なく、高速も要求されないため、より簡便な構造の1軸先台車が採用されることが多い。

車体構成による分類

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タンク式(タンク機関車)
石炭および水を機関車本体に搭載する方式、主に小型機が多いが、4100形、4110形E10形など急勾配線専用の大型機にも採用例がある。小回りが利くなど長所があるが、長距離運転ができないなどの短所がある。
テンダー式(テンダー機関車)
石炭や水をテンダー(炭水車)に積載し、機関車本体に牽引させる方式。通常、機関車本体と炭水車を分離して運用することはないが、検査時は切り離しが可能である。長距離運転ができるなど、長所があるが、一部の種類を除いてバック運転や、小回りが利かないなどの短所がある。
キャブ・フォワード型
テンダー式機関車のうち、機関車本体の前後を逆にしたもの。キャブ(運転室)を最前部に設けることにより機関士は煙害から免れることができ、また良好な前方視界を得た。ドイツや、アメリカのカリフォルニア州の山岳地帯のトンネルが多い線区で使用された。
キャメルバック型(キャブ・ミドルワード型)
テンダー式機関車のうち、機関車の中央に運転台が位置しているもの。詳細はキャメルバック式蒸気機関車の項を参照。

関節式機関車

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1両の機関車にボイラーに固定されず独立した台枠を有する1組以上の走り装置を装備し、出力強化や曲線通過の容易化を図ったもの。

マレー式
ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車はボイラーに固定されていて、高圧蒸気の供給を受けてシリンダーを駆動し、その排気を左右に首を振れる前部動力台車に送って径の大きな低圧シリンダーを再度駆動する複式機関車である。
なお、製作者のアナトール・マレーの関節式にした意図は、これ以前に作った複式機関車で起きた出力の違うシリンダーで別々の車輪を駆動することによって起きた高速での不安定化を防止するためであり、出力強化や曲線通過の容易化は副次的なものであった[70]
単式膨張型関節式(単式マレー式)
日本にはない形式で、アメリカのsimple expansion articulated engine の訳語。前述のマレー式では前部が低圧シリンダーのため関節部に蒸気を送るのが容易な反面、シリンダーが大型になりすぎ車両限界に接触したり重量過大を招いたため、前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気がボイラーから直接同時に供給される単式機関車として考案された[71]
ガーラット式
2組の走り装置を別々の台枠に設け、その両車の間に跨ってボイラーを搭載した主台枠が首振り構造で載る方式。
(ダブル)フェアリー式
2つのボイラーを背中合わせに繋ぎ、その下に2組の独立した走り装置を設けた方式。
マレー式と同じくボイラーの下に2組の走り装置を装備するが、2組の走り装置はどちらもボイラーに固定されておらず、完全に独立した首振り構造であり、シリンダーが中央に寄っている点でもマレー式と異なる。
シングルフェアリー式
車体前部にボイラーから独立した1組の走り装置を備え、運転台下部には無動力のボギー台車を備える。
メイヤー式
2組の独立した走り装置を備える。シリンダーは前後とも中央側にある。
マッファイ式
ドイツのJ.A.マッファイ社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。
ヴィーナー・ノイシュタット式
ドイツのヴィーナー・ノイシュタット社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。
コッケリル式
ベルギーのコッケリル社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。
デュ・ブスケ式(英語版)
フランスの鉄道技術者ガストン・デュ・ブスケ(フランス語版)により開発された方式。
ゴルウェ式(Golwé locomotive)
ベルギーで製作されフランスの西アフリカ植民地で使われた方式。

双合式

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(ツヴィリングスロクス、Zwillingsloks)
2両の通常型タンク式蒸気機関車を背中合わせに連結した形式。転車台の設置が困難で、軸重制限が厳しく、かつ一定の牽引力が要求される野戦軽便鉄道用としてドイツで考案された。ドイツ陸軍の影響下にあった日本陸軍も導入し、鉄道連隊にはA/B形と呼ばれる双合式機関車が400両あまり在籍していた。

歯車式蒸気機関車

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シェイ式蒸気機関車
船舶用のエンジンを右側面に設置した歯車式蒸気機関車
クライマックス式蒸気機関車
側面に斜めに傾斜したシリンダーから中央の伝達軸を駆動する。
ハイスラー式蒸気機関車
V型に配置された蒸気機関で前後の車輪を駆動する
ウィラメット式蒸気機関車
シェイと類似の形態だが重油を燃料として使用し、過熱蒸気式、弁装置はワルシャート式弁装置

各国における蒸気機関車

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日本

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重油併燃装置

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日本の蒸気機関車には、重油併燃装置を搭載したものがあった。 重油をバーナーで霧状にし、火床で燃焼している石炭の上方に噴射することで煤煙の減少[72]と火室容積を最大限に活かし、平面燃焼と立体燃焼を同時に行う[73]。 諸外国ではあまり使用されていない技術のため、日本独自の発達を遂げた技術である[74]

1898年(明治31年)から1899年(明治32年)のころ、重油 (原油) を機関車燃焼に試用され、大正の初めに秋田県黒川油田が噴出すると多数の機関車に重油燃焼装置を取付けられ、1934年(昭和9年)ごろまで使用された。飯山敏雄の考案にかかる飯山式、横井実郎の考案になる横井式といったものも試験されたが、重油の価格は石炭よりも変動が甚だしく、安定した供給が困難になると撤去されてしまった。明治、大正年間の重油燃焼に関する詳細な資料は残っておらず、飯山式、横井式の構造も明らかではないが、扁平の吹出口から油を蒸気で吹出すもののようであったという[75]

戦後、1951年(昭和26年)の秋に石炭が不足したため、石炭危機の対策と質の悪い石炭を有効に活用するため、機関車に対して重油を石炭と併し、石炭の節約が実施された。その後、石炭事情は好転したが、消煙効果と投炭量の減少によって、乗客に対するサービスの向上と乗務員の苦痛の軽減から好評を博し、引張定数または速度を10%向上することも可能であることが分かり、全国的に拡大実施された[76]

重油併燃にはB重油が使用されていたが安価なC重油の使用も考えられるようになり、昭和37年度にC重油用のバーナーが試作されると[77]、動力費の節約に重点が置かれるようになる[78]。 C重油は安価であるものの、引火点や粘度が高く残留物も多いため、重油を使用しても単純に楽になるわけではなく、火力が増すのでボイラー周りが高温になって排煙ですら100度を超え、トンネルなどに入ると非常に熱くなるので上記の消煙効果や投炭軽減を差し引いても「無い方が楽(盛岡機関区の機関士、内藤利雄 談)」と評価されたり、使い過ぎると燃え残った重油がべとつき、煙管が詰まったり集煙装置の開閉ができなくなる不具合が起きたので「私はあまり油は使わんのです」(人吉機関区の機関士、石井篤信 談)といった使用控えもあった[79]

稼動している蒸気機関車

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営業運転
動態保存

動態保存は世界の複数の国で実施されている。日本も含む。

日本国内については動態保存中の蒸気機関車を参照。

代表的な形式

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日本

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国鉄D51形蒸気機関車

国鉄の車両形式一覧#蒸気機関車を参照。

東武鉄道
南満洲鉄道

計画機

アメリカ合衆国

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イギリス

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LNER A4形蒸気機関車4468号機 マラード

ドイツ (プロイセン王国・バイエルン王国時代を含む)

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ドイツ国鉄01形蒸気機関車

フランス

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フランス国鉄141R形蒸気機関車

ロシア(ロシア帝国・ソビエト連邦時代を含む)

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ロシア式E形蒸気機関車ロシア語版

アルゼンチン

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5AT先進技術蒸気機関車

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イギリスでは数々の先進技術を導入した最高速度200km/hの5AT先進技術蒸気機関車の計画が進められていたが、2012年に資金難で中止された。

関連する人物・関連施設

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関連施設

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ギャラリー

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文化

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脚注

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注釈

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  1. ^ なお中国語では汽車は「自動車」を意味する。日本語で言う「汽車」は「火車」と表記する。
  2. ^ ただし、地域や世代によっては、電気で動く物も含めて全ての列車のことを「汽車」と呼んだり、国鉄JRを「汽車」、路面電車私鉄を「電車」と呼んで区別したりする場合がある(このような「汽車」の用法については「汽車」を参照のこと)。
  3. ^ 旧字体汽罐車
  4. ^ たとえばen:Derby Canal Railwayなどは1792年から使われていた
  5. ^ en:Killingworth locomotivesも参照可
  6. ^ a b ポニー台車とは先輪(原文は「前従輪」)が1軸の場合(2軸以上の場合は「ボギー台車」)に使用され、釣合梁(equalizer)を介して先輪と第1動輪それぞれの板ばねで支えられるもの、製作者の名前をとって「ビッセル台車」とも呼ばれる(日本の鉄道省は「心向台車」と呼称)[1]
  7. ^ D51形に先立ち1925年にアメリカから輸入された単式3シリンダー機の8200形(C52形)では手焚きのままで火格子面積を3.8m2としたが、これは当時の日本人の一般的な体格・体力では投炭を担当する機関助士に過大な負担を強いたため、のちの改造で火格子面積を縮小している。
  8. ^ キャブの大きさの都合で機関車では船のように二人同時に投炭をやった国はなく、二人機関助手がいる場合は投炭を交代して休んでいる方がタブレットの受け渡しなどをやる。(齋藤2007) p.256
  9. ^ 例として満鉄のデカイ型では元になったミカイ型と同じ牽引力で軌道の弱い区域を走行させるため、ミカイの従輪部分にも動輪をつけて5軸にして動輪上軸重を分散させて対処した際、本来小さな従輪で支えていた広火室を動輪のうえにのせた影響で火床面積はさほど変わらないのに火室がかなり浅くなり、不完全燃焼が起きやすくなったとされる。
    『満洲鉄道発達史』高木宏之 著、株式会社潮書房光人社、2012年、ISBN 978-4-7698-1524-2、P113。
  10. ^ 1925年にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) との間で同社最新のA1形(軸配置2C1、過熱式単式3気筒、広火室。火格子面積3.83m2)とを交換し、互いの鉄道線において同条件下で実施された比較試験では、キャッスル型の方がコンパクトでボイラーの火格子面積もA1形の約70パーセント強しかなかったにもかかわらず、使用炭の品質が本来想定されるより低下するLNER社線上においてさえ、出力・燃費の双方で勝利を収めている。これは弁装置設計などでGWR側に一日の長があったことによる部分が大きいが、この例が示すように狭火室と広火室の違いは必ずしも性能に決定的な差をもたらすとは限らない。
  11. ^ 例えば、ドイツでは良質な石炭の入手が容易であったプロイセンをはじめとする北部の各邦国が保有する鉄道は狭火室を常用し、良質炭の入手が難しかった南部のバーデン大公国バイエルン王国などが保有した各鉄道は広火室を早い時期から導入していた。また、アメリカで広火室積極導入の端緒の一つとなったウーテン式火室を備えるキャメルバック式蒸気機関車は廉価だが着火しにくい無煙炭を燃料とすることを前提に研究開発されており、通常の石炭以外の異種燃料を燃やす手段として通常より大きめの火室を備えた機関車を製作するケースはアメリカ製機関車を中心に各国で見られた。
  12. ^ ただし、日本でも陸軍の鉄道大隊・鉄道連隊向けに1901年より製作が開始された双合機関車では軸配置Cの8t級機関車を背中合わせに組み合わせた小型機関車であったが、既に15.5kg/cm2を標準採用していた。
  13. ^ レギュレータとも呼ばれている。
  14. ^ スピード記録などのための無理をして出した記録としては毎分500回転近くまで出したものもあり、イギリスではロンドン&ミッドランド鉄道ダッチェスクラス(4シリンダー)の480回転(1937年、(齋藤2018) p.55)、ロンドン&ノースイースタン鉄道A4クラス(3シリンダー)の530回転(1938年、(齋藤2018) p.61。ただし中央クランクが損傷した)、アメリカのノーフォーク&ウェスタン鉄道のJ型(2シリンダー)の540回転((齋藤2018) p.81)などがある。
    フランスは最高時速120km制限の関係でここまで極端なのはなくパリ・オルレアン鉄道240.700形(4シリンダー)の430回転((齋藤2018) p.52。なおこれは試験時の特例で151km/hの速度限界超過の値。)、ドイツは高速回転化が進まず0110型の375回転程度((齋藤2018) p.71)でそれを習った日本も回転数増加の流れには至ってない。なお回転数増加は走行装置の摩耗損傷の増加も招く上に(H.C.B. Rogers, Riddles and the 9Fs (Ian Allan, 1982))、内側にシリンダーがある場合は過熱による不具合まで起こしてしまう。リビオ・ダンテ・ポルタと21世紀の技術で作られたA1 60163トルネードも過熱による呪縛から逃れられていない。
  15. ^ 黎明期の機関車ではこれを危惧して通常の車輪は車体を支えるのみで動輪をギア状にしたブレキンソップや、足をつけて馬のように動かして走らせようとしたブラントン(どちらもイギリス人)といった例がある。(萩原1977) p.178-179
  16. ^ 第二次世界大戦中、南方戦線で日本軍が蒸気機関車を運用していた際に、鉄道車両に関する知識のない自動車技師出身の整備兵が内燃機関と同じ精度で蒸気機関車の各部品の整備・組み立てを行ったところ全く動作せず、精度を落として(各可動部に意図的に遊びを設けて)再組み立てしてようやく動作した、という逸話が残っている。
  17. ^ a b 電車・電気機関車は制御器の接点の調整に熟練を要し、調整が悪いとノッチ進段時の衝動が大きくなったり、高速度遮断器が作動して運転不可能になる事例もあった。また気動車・ディーゼル機関車はディーゼルエンジンそのものが蒸気機関に比べてはるかに複雑で部品点数が多く整備には熟練と専門知識を要した。これらが劇的に解消されるのは、電気車ではVVVFインバータ制御が一般化し、内燃機関車では部品の精度が向上したことと電子制御により大型高速ディーゼル機関のメンテナンスフリー化が進んでからである。
  18. ^ 極端な例だが、ソ連のAA20形は直径1600mmの動輪が7軸もあり、非常にホイールベースが長かった結果、時速70kmで振動が激しくなったのでこれが最高速度とされた。(齋藤2018) p.75
  19. ^ なお、この振動は前後と上下の2つの方向があるのでウェイトをつけてもどちらか片方しか修正できず(ハンマーブロー参照)、多気筒にすることである程度抑えられる。(齋藤2018) 「第4章 回転数アップ」P.48-65。)
    もっとも電気機関車や電気式ディーゼル機関車の場合もモーター重量を直接動輪軸にかける形式(吊りかけ式など)でモーターが重い時代の頃は(ばね下重量が蒸気機関車以上に重いので)結局高速走行時には堅固な軌道が求められた(ウェストウッド2010) p.192
    (注:ウェストウッド著『世界の鉄道の歴史図鑑』の原文では「ディーゼル機関車」の項でこの説明があるが、電気式の足回りは電気機関車と同じな上、直後に「スイスの電気機関車で車体側でモーターを支えてこの問題を解決した話」があるので電気機関車も含んでの話と判断した。)
  20. ^ 低速で動く出発時や加速時にこそ大出力が欲しいのに、その時蒸気機関車は全力の半分ほどしか出せない。参考までにいうとアメリカのユニオンパシフィック鉄道4000型(ビッグボーイ)は時速70マイル(112km)時に1万馬力の出力を出せたが、時速35マイル(56km)では6200馬力、時速20マイルでは5200馬力しか出せなかった。(ロス2007) p.193
  21. ^ 王立バイエルン邦有鉄道PtL2/2型蒸気機関車は石炭焚きでの数少ない1人乗務形の形式である。
  22. ^ ディーゼル機関車も燃料消費で軽くはなるが、水を大量に消費する蒸気機関車ほどは大きく変動はしない。
  23. ^ 振動の問題の少ない船舶では軍艦を中心に1910年代以降急速に普及した。そのため、船舶用として安定した性能を発揮していた機種を機関車用として転用することが再三に渡って試みられた。日本でも、帝国海軍の艦船用艦本式ボイラーの原型となった宮原式水管缶を機関車に搭載する事例が、1910年代中盤にいくつか存在した。しかし、レシプロ駆動系を備える鉄道車両用動力源としての水管式ボイラーは、コンパクト化が強く求められ、また軽負荷でもあった蒸気動車用を除くと、この宮原式の事例を含むほぼ全てが量産・実用段階に到達せずに終わっている。
  24. ^ 外国では入替機関車(英語: USRA 0-6-0など)などに使われたことがある。
  25. ^ この時代は火室のレンガアーチもまだなく、炎はそのまま煙管に向かって伸びていた。
  26. ^ [1]リンク先も参照。ナイジェル・グレズリーはこれに反論しているが、持論ではなくフランスの友人がこうしているからと語っただけであった。
  27. ^ インドネシア国鉄C53(4気筒)のように先輪と動輪の間を離して、ピットがなくてもこの間に入って内側シリンダーを整備できるようにしたものもある。(齋藤2018) p.81-83
  28. ^ なお、このグレズリー連動弁装置は左右のシリンダーからてこで中央シリンダーの吸排気を操作するので下にもぐらなくても前方から整備できたうえ、ロッド・クランク横のバルブギアを省略できる(普通は個々のシリンダーに1つずつつけるが、この方式はレバーで左右のバルブが中央シリンダーを操作する。)のでこまめな整備をしていれば狭軌でも理論上は使いやすい物だった((齋藤2007) p.168-169・253)。実際は理論上通りにはいかず、アメリカのウォーバッシュ鉄道クラスK5やニュージーランドのNZR 98などは使いにくく不評で短命に終わっている。日本で3気筒がはやらなかった理由について「狭軌だから」という文献が多いが、標準機で軌道の強度も大きい満鉄でもクランク軸の折損事故を起こしていた(『満洲鉄道発達史』高木宏之 著、株式会社潮書房光人社、2012年、ISBN 978-4-7698-1524-2、P139)他、イギリスでもグレズリー弁式の3シリンダー機では戦時中は整備が行き届かずにレバーのボールベアリングが擦り減り、ガタが生じた結果中央シリンダーが触れすぎてクランク車軸を痛めることがあった。(齋藤2007) p.258
  29. ^ 特に4気筒の場合は左右の動輪を挟んだシリンダーを2基ずつペアとした複式として設計することで、蒸気を有効に利用できる。そのため、ドイツ国鉄18.6形のようにボイラー性能さえ十分ならば、自重やサイズが1ランク上の単式2気筒機(01形)に匹敵するかこれを上回る性能を実現することも不可能ではない。
  30. ^ 例えば車両限界の制約が大きく単式のまま左右のシリンダーを大直径とすると各駅のホームに抵触する恐れがあったイギリスでは単式3・4気筒機の導入例が多く、自国の石炭資源産出量やその品質などの問題から特に燃費に神経質であったフランスでは複雑精緻な複式4気筒機が積極的に導入されている。
  31. ^ 3気筒でもグレズリーバルブギアが外側のバルブで内側を駆動するが、こちらはかなり神経質な機構だった。
  32. ^ 前述の振動を抑える3・4気筒はどちらも内側と外側のシリンダーで動きをずらしてロッドが逆の位置で動くことで重心移動による振動が小さくなるだけで、気筒を増やしても一斉に同じ方向に動いているのでは重心が動き、振動は減衰しない。

出典

[編集]
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参考文献

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関連項目

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蒸気機関車の形態・車両

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蒸気機関車の機構

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外部リンク

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