チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道H8形蒸気機関車
チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道H8形蒸気機関車 | |
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基本情報 | |
運用者 | チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道 |
製造所 | ライマ・ロコモティブ・ワークス |
形式 | H-8 |
車両番号 |
1600-1619(初期) 1620-1644(中期) 1645-1659(後期)[1] |
製造年 | 1941年 - 1948年[1] |
製造数 | 60両[1] |
愛称 | アレゲニー(Allegheny) |
主要諸元 | |
軸配置 | (2'C)C2' (2-6-6-6)[1] |
軌間 | 1,435 mm (標準軌) |
長さ | (連結器間)38303 mm余[2] |
幅 | 3276 mm余[2] |
高さ | 5003 mm余(16ft5in)[2] |
機関車重量 | 350 t[3] |
運転整備重量 | 514.83t余(炭水車含む)[2][脚注 1] |
動輪径 | 1701 mm余[2] |
軸重 | 39 t超[3] |
シリンダ数 | 4気筒 |
シリンダ (直径×行程) | 571×837.5mm[4] |
ボイラー圧力 | 18.3kg/cm2[4] |
火格子面積 | 12.61m2[3][脚注 2] |
全伝熱面積 | 631m2[4] |
過熱伝熱面積 | 115m2[4] |
水タンク容量 | 25000ガロン(90t)[1] |
出力 | 7500 hp (74㎞/h時) [脚注 3] |
引張力 |
49.5t(18.5気圧時) 57t(21気圧時)[3] [脚注 4] |
チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道H8形蒸気機関車とはチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道で運行されたシンプル・アーティキュレーテッド(シンプルマレーとも[脚注 5]。)の一形式で(複式)マレー式機関車に似た外観ではあるが、狭義のマレー式(複式)とは異なり、前後のシリンダーに等圧の蒸気を入れる単式機関を使用する。
開発経緯
[編集]H-8型の開発以前に、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道(以下、C&O鉄道)はウェストヴァージニア州で産する石炭を輸送するのを主とした鉄道で、このうち東行き運炭列車はアパラチア山脈の一部であるアレゲーニー山脈を重い石炭車多数を牽いて越える運転をするため強力な機関車が必要であり、古くはマレー式機関車(本来の複式のもの)や、シンプルマレー(車輪配置2-8-8-2)を使用していたが、どちらも速度はさほど出なかったのでこの山脈越えの高速化のために新しい機関車が必要になった[1]。
まず、C&O鉄道は1925年にライマ社がテキサス&パシフィック鉄道に納入した2軸従台車で火室を支えることで出力を増大させた車軸配置2-10-4(テキサス)の機関車 [脚注 6]に目をつけ、これをシンプルマレーの代替に使用したが、C&O鉄道の輸送量や勾配ではテキサス機関車でもまだ力不足だとして動輪6軸でボイラーをさらに拡大[脚注 7]した機関車を注文し、従台車が3軸でないと支え切れないと分かったことからまず2-12-6の機関車が設計された。
しかし、検討していくにつれ2つの問題が明らかになった。1つは(固定軸距が長いので)レールの摩耗が激しくなること、もう1つは6軸動輪を動かすシリンダーがC&O鉄道の車両限界でも入りきらないという事で、このためかつてマレー式で行われたように動輪を前後に分け関節式にしてレールへの負荷を下げ、シリンダーを4つに分散する(複式にはしない)ことで個々の大きさを抑えることにし、車輪配置2-6-6-6のシンプルマレーが設計され、H-8型の形式名と越えていく山脈名から「アレゲニー」の愛称が付けられた[5]。
このH-8型は1941年12月から納入されはじめ、形態的に初期型・中期型・後期型の3タイプに分けられ、その差異は以下のようになる[1]。
形態 | 番号 | 納入年月 | 台数 | サンドパイプの配置 | 消煙器[脚注 8]の数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
初期 | 1600-1619 | 1941年12月-翌年1月(-1609) 1942年9-10月(1610-) |
20両 | 後側5本垂直 | なし | 1607-1609のみテンダー台車が一体鋳鋼タイプ 戦後多くが中期型に改造 |
中期 | 1620-1644 | 1944年7-8月(-1629) 同年10-12月(1630-) |
25両 | 前後とも富士山状に散開 | 片側5つ | - |
後期 | 1645-1659 | 1948年10-12月 | 15両 | 等間隔に戻る | 片側9つ | 若干軽量化された |
運用
[編集]アレゲニー(H-8)は通常ウェスト・ヴァージニア州のヒントン(Hinton)のヤードからヴァージニア州との境、アレゲニートンネルの東出口まで13マイル連続の5.7‰を含むアレゲニー越えに使用されていたが、この列車は石炭車140両・11500米トン(メートルトンでは10430t)の前後をアレゲニー同士2両の重連で固め、後部補機は万が一にもカブース(車掌車)を押しつぶさないよう[脚注 9]に自分の巨大なテンダーの後ろに連結しているという構成で、機関車の巨大さがより際立って見える光景になっていた[1]。
23両が旅客輸送の蒸気暖房装置を備えていたが旅客輸送では存分に高出力を発揮する事ができなかった。
実戦的な試験では1943年8月12日、牽引力を測るダイナモメーターカーを従え14083tの列車を引いてライムビルの丘 [脚注 10]に向かい、10‰勾配を一度停車したうえで補機なしで引き出しドローバーパワー7375馬力を維持して走行、最高で7500馬力(時速74㎞時)を出すことに成功した[6]。
戦後アメリカの大手鉄道が一斉にディーゼル機関車を導入するころになっても、C&O鉄道はアレゲニーの追加発注を行い(上記表の「後期型」)合計60両が製造されたが、1956年には最後の車両が引退した[4]。
H-8は重量が重い故、軌道に与える損傷も大きく保線周期が短かった。
保存
[編集]アレゲニーはミシガン州デトロイト郊外のディアボーン「ヘンリーフォード博物館 [脚注 11]」に1601号機、メリーランド州ボルチモアの「ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道博物館 [脚注 12]」に1604号機が保存されている[7]。
脚注
[編集]- ^ 『世界鉄道百科事典』p.197では「全重量498.3t」としている。
- ^ 『世界鉄道百科事典』p.197では「12.4m2」としている。
- ^ 74㎞/h時は通常の運行速度ではなく、運炭列車牽引時は時速30~45㎞/hほどなので通常は7500馬力は出せず5000~6000馬力程度。((齋藤2007)p.397-398)
『世界鉄道百科事典』p.197では「8000馬力」としている。 - ^ 『世界鉄道百科事典』p.197では「49970㎏」としている。
- ^ 日本以外でもこの呼称は使用され、例として『世界鉄道百科事典』(著者はイギリス人)のp.50の項に「後にマレー式と名乗る大型機関車が複式ではなく単式になったのは~」という記述がある。((ロス2007)p.50「マレー式 0-4-4-0(BB)タンク機関車」)
- ^ このテキサス機関車の牽引力はブースターを使用する低速域で49tあり、シンプルマレーより強力だった。
- ^ 最終的に完成したH-8型はボイラー直径が最大で2.77mもある太いものになった。なお巨大機関車で有名なビッグボーイ(ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車)のボイラーは最大直径2.41m。((齋藤2007)p.397)
- ^ Smoke-consumer、火室側面についているパイプ。
- ^ これはアレゲニーに限らずアメリカでは普通。
- ^ 炭鉱のあるラッセルからエリー湖畔へ北に向かう最初の難所。
- ^ Henry Ford Museum
- ^ The B&O Railroad Museum
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h (松本2006)p.14-16
- ^ a b c d e (松本2006)p.11
- ^ a b c d (齋藤2007)p.397-398
- ^ a b c d e 『世界鉄道百科事典』p.197
- ^ (齋藤2007)p.396-397
- ^ (齋藤2007)p.397-398
- ^ (松本2006)p.5
参考文献
[編集]- デイビット・ロス 著、小池滋・和久田康雄 訳『世界鉄道百科事典』悠書館。ISBN 978-4-903487-03-8。
- 齋藤晃『蒸気機関車200年史』NTT出版、2007年。ISBN 978-4-7571-4151-3。
- 松本健一「C&O Alleghenyに逢える博物館(1・2)・HOモデルに見るAlleghenyという機関車」『Rails Americana 2(とれいん2006年6月号増刊)(雑誌コード06760-06)』、株式会社エリエイ・アイゼンバーン、2006年、4-17頁。