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この状況に関して、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで管轄する労働基準監督署が[[1988年]][[6月]]に事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、メンバーは「労働者とは認められない」という判断を下した<ref name="d-5"/>。さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、[[芸能人]]において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「'''人気の無い者'''は[[労働#労働者|労働者]]とみなす」)という結論になり、[[1988年]][[7月30日]]に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」[[1988年|昭和63年]][[7月30日]]、基収355号)<ref>労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60</ref>が出され、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。 |
この状況に関して、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで管轄する労働基準監督署が[[1988年]][[6月]]に事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、メンバーは「労働者とは認められない」という判断を下した<ref name="d-5"/>。さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、[[芸能人]]において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「'''人気の無い者'''は[[労働#労働者|労働者]]とみなす」)という結論になり、[[1988年]][[7月30日]]に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」[[1988年|昭和63年]][[7月30日]]、基収355号)<ref>労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60</ref>が出され、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。 |
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この通達を基に若年層芸能人の[[深夜業|深夜活動]]が行われていたが、[[1999年]][[12月]]に若年層芸能人が絡んだ[[深夜業|深夜労働]]に関する[[書類送検]]([[相原玲#来歴とエピソード|当時15歳の女性タレント]]を[[ホリプロ|当時の所属事務所]]と[[毎日放送|放送局]]は「表現者に該当する」と考えていたが、[[司法警察員|当局]]では「労働者に該当する」と判断したため、[[深夜放送|ラジオの深夜生放送]]出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が[[書類送検]]<ref name="d-5">[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007314720000413005.htm 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日)] [[衆議院]]会議録 2000年4月13日</ref>)が発生し、それについて[[2000年]][[4月13日]]に行われた[[特別委員会]]で取り上げられたこと<ref name="d-5"/>などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている<ref>[http://web.archive.org/web/20031002042944/http://www.asahi.com/job/special/TKY200310010195.html 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題]([[インターネット |
この通達を基に若年層芸能人の[[深夜業|深夜活動]]が行われていたが、[[1999年]][[12月]]に若年層芸能人が絡んだ[[深夜業|深夜労働]]に関する[[書類送検]]([[相原玲#来歴とエピソード|当時15歳の女性タレント]]を[[ホリプロ|当時の所属事務所]]と[[毎日放送|放送局]]は「表現者に該当する」と考えていたが、[[司法警察員|当局]]では「労働者に該当する」と判断したため、[[深夜放送|ラジオの深夜生放送]]出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が[[書類送検]]<ref name="d-5">[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007314720000413005.htm 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日)] [[衆議院]]会議録 2000年4月13日</ref>)が発生し、それについて[[2000年]][[4月13日]]に行われた[[特別委員会]]で取り上げられたこと<ref name="d-5"/>などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている<ref>[http://web.archive.org/web/20031002042944/http://www.asahi.com/job/special/TKY200310010195.html 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題]([[インターネットアーカイブ]]) [[朝日新聞|asahi.com]]・[[週刊朝日]] 2003年9月19日号</ref>。 |
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== ディスコグラフィ == |
== ディスコグラフィ == |
2017年9月5日 (火) 02:41時点における版
光GENJI | |
---|---|
出身地 | 日本 |
ジャンル | アイドル歌謡曲 |
活動期間 |
GENJI (1987年3月 - 1987年6月25日) 光GENJI (1987年6月25日 - 1994年8月31日) 光GENJI SUPER 5 (1994年8月31日 - 1995年9月3日) |
レーベル |
キャニオン・レコード →ポニーキャニオン |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
メンバー |
GENJI 諸星和己 佐藤寛之 山本淳一 赤坂晃 佐藤敦啓 |
旧メンバー |
GENJI 田代秀高 |
光GENJI(ひかるゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していた日本の男性アイドルグループである[1]。1987年にジャニーズ事務所からデビューし[1]、1995年に解散した[1]。テレビ等では伝説のアイドル、最後のスーパーアイドルなどと称される。
メンバー
以下のうち、2017年8月現在もジャニーズ事務所に所属しているのは内海光司と佐藤敦啓(現:佐藤アツヒロ)のみである[2][3]。
光 | プロフィール | 備考 | 2017年現在の所属事務所 |
---|---|---|---|
内海光司 (うちうみ こうじ[2]) |
1968年1月11日(56歳)[2]、A型[2]、 東京都出身[2] |
AKIRA & KOHJI | ジャニーズ事務所[2] |
大沢樹生 (おおさわ みきお[4]) |
1969年4月20日(55歳)[4]、A型[4]、 東京都出身[4] |
1994年脱退[5] | ミキオオフィス[4] |
GENJI | プロフィール | 備考 | 2017年現在の所属事務所 |
---|---|---|---|
諸星和己 (もろほし かずみ[6]) |
1970年8月12日(54歳)[6]、A型[6]、 静岡県出身[6] |
スターズクルー[6] | |
佐藤寛之 (さとう ひろゆき[7]) |
1970年11月2日(54歳)[7]、AB型[7] | SAY・S 1994年脱退[7] |
GENJI GURUMA[7] |
山本淳一 (やまもと じゅんいち[8]) |
1972年2月28日(52歳)[8]、B型[8]、 東京都八王子市出身[8] |
SAY・S | WING RUN[8] |
赤坂晃 (あかさか あきら[9]) |
1973年5月8日(51歳)[9]、B型[9]、 東京都出身[9] |
SAY・S AKIRA & KOHJI |
GOLD STAR[9] |
佐藤敦啓 (さとう あつひろ[3]) |
1973年8月30日(51歳)[3]、A型[3]、 神奈川県出身[3] |
SAY・S 現:佐藤アツヒロ |
ジャニーズ事務所[3] |
「GENJI」 元メンバー |
備考 |
---|---|
田代秀高 (たしろ ひでたか[10]) |
GENJIの結成メンバー[10]。1987年に赤坂晃と交替で脱退[10]。 |
来歴
デビュー〜1980年代
1987年6月[11]、既存グループだった5人組の「GENJI」と、内海光司、大沢樹生の2人による「光」の2つのグループが合体して、「光GENJI」が結成[11]。
1987年8月19日にチャゲ&飛鳥(現・CHAGE and ASKA)が楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビュー[12]。ローラースケートを履いて踊り、バック転などもこなすアクロバティックなパフォーマンスがうけ、デビューしてすぐに人気が上昇[13][14]、爆発的なブームを生み「最後のスーパーアイドル」と呼ばれ、その人気は経済誌などでも社会現象として取り上げられる。[13][14]同年、テレビ東京系『あぶない少年』でドラマ初主演を務める[1]。
1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。また、同年のオリコン年間ングル売上第1位~3位を光GENJIが独占し、1978年のピンクレディ以来の快挙を達成した(ベスト10内には4曲ランクイン)。
1990年代〜解散
1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。
1994年1月、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメルオリンピックの応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース。同年8月、大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する[15]。
1995年9月、名古屋市総合体育館・レインボーホール(現・日本ガイシホール)でのライブを最後に「卒業」(解散)した[1][16]。解散について、諸星は後年、「仲が悪かった」「みんな疲れていた」と語っているほか[16]、2015年11月に出演した番組で当時の状況について山本が「当時のアイドルは、20代後半になったら『それぞれの道に行く』みたいなスタイルがあった」と語り、光GENJIの中の年長者のメンバーが、独立に進みたがっていたという内情を明かしている[15]。韓国では、90年代初頭に光GENJIに影響を受けて結成されたYachaというローラースケートを履いて歌って踊る男性アイドルグループが活動して人気を得た。
概要
記録
- 「明星(現Myojo)」の歴史の中で最高の売上部数を記録したのは、光GENJIの絶頂期だった。光GENJIの人気がピークを過ぎて、SMAPが人気を獲得するまでの数年間、「明星」は苦難の時代だった[17]。
- ラジオ番組においても来るはがきの枚数が記録的であり、ニッポン放送で放送されていた番組『GENJI GENKI爆発!!』では毎週10万枚超のはがきを集め[18]、また、フジサンケイグループが企画製作した非売品ビデオ『あ・き・す・と・ぜ・ね・こ』(ニッポン放送開局35周年・フジテレビ開局30周年記念作品)の10万本プレゼントには約250万通のはがきが集まった(1988年6月27日に、募集を行ったニッポン放送で当時一番大きかったスタジオ「銀河スタジオ」において大抽選会が行われた)[19]。
ミュージックステーションレギュラー出演の経緯
1988年から1992年までの5年間、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』にレギュラー出演していた。総出演数は234回と、歴代アーティストの中でトップである。『ミュージックステーション』は、『夜のヒットスタジオ』・『ザ・ベストテン』・『歌のトップテン』など他局の音楽番組に比べ後発であり、非常に苦労していた。その頃の音楽番組の1つ『ザ・ベストテン』が成功した理由の一つに、キャンディーズの解散を追って毎週放送したことがあり、そこで『ミュージックステーション』は、光GENJIを毎週出そうということになり、レギュラーになった[20]。
労働基準法
デビュー当初、赤坂晃と佐藤敦啓は労働基準法(第6章第56条)により、基本的に夜8時以降〜翌朝5時[当時](現在は改正されている。)までの生出演ができないとされていて、当初は「歌の部分のみ事前収録する」「メンバー5人が歌っている生映像に出演できない2人のVTRを合成する」「当時バックで踊っていたSMAPの中居・木村が代わりに入る」等の工夫をしていたが、当時出演していた『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』などの生放送番組に時々メンバー全員で出演したときもあり、夜8時以降に出演したり出演しなかったりという状況が続いていた(労働基準法に関しては、伊藤つかさが『ザ・ベストテン』にランクインした際、番組側の自主規制により生出演できなかったというエピソードがある)。
この状況に関して、当時14歳のメンバーが深夜の歌番組に出演した疑いで管轄する労働基準監督署が1988年6月に事務所へ調査に入った際、「報酬面」「税法上の取り扱い」「事業所所得として課税されている」などの実態を確認して考察した結果、メンバーは「労働者とは認められない」という判断を下した[21]。さらに光GENJIの出演に関する諮問があって国会や関係機関で議論が行われ、芸能人において一定の条件(他人によって代替できない、“人気”等当人の個性が重要な要素となっている、契約形態が雇用契約でない、など)を満たした者は「表現者」とみなし同法を適用しない(端的には「人気の無い者は労働者とみなす」)という結論になり、1988年7月30日に通達(いわゆる「芸能タレント通達」「光GENJI通達」昭和63年7月30日、基収355号)[22]が出され、それ以降は夜9時以降であっても、メンバー全員で出演することが多くなった。
この通達を基に若年層芸能人の深夜活動が行われていたが、1999年12月に若年層芸能人が絡んだ深夜労働に関する書類送検(当時15歳の女性タレントを当時の所属事務所と放送局は「表現者に該当する」と考えていたが、当局では「労働者に該当する」と判断したため、ラジオの深夜生放送出演が問題化し、当時の所属事務所と放送局の関係者が書類送検[21])が発生し、それについて2000年4月13日に行われた特別委員会で取り上げられたこと[21]などが契機となり、各テレビ局ともに概ね「たとえ“表現者に該当する人”であっても、15歳未満の芸能人は21時以降に生出演させない」という自主規制を定めている[23]。
ディスコグラフィ
光GENJI
シングル
タイアップについてはジャニーズ タイアップ一覧#解散あるいは退社したアーティストを参照。
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1987年8月19日 | STAR LIGHT | ROLLING STOCK | 1位 |
2 | 1987年11月25日 | ガラスの十代 | Graduation | 1位 |
3 | 1988年3月9日 | パラダイス銀河 | LONG RUN | 1位 |
4 | 1988年6月21日 | Diamondハリケーン | Welcome | 1位 |
5 | 1988年10月10日 | 剣の舞 | 涙の輝き | 1位 |
6 | 1989年3月6日 | 地球をさがして | NEW! 青春にはまだ早い | 1位 |
7 | 1989年7月20日 | 太陽がいっぱい | 時をこえたフェスティバル | 1位 |
8 | 1990年2月7日 | 荒野のメガロポリス | PLEASE | 1位 |
9 | 1990年5月16日 | Little Birthday | なななのなの時間割 | 2位 |
10 | 1990年8月17日 | CO CO RO | みつめていたい | 1位 |
11 | 1990年11月3日 | 笑ってよ | 水彩画 | 1位 |
12 | 1991年2月7日 | 風の中の少年 | TVの中のHERO | 2位 |
13 | 1991年4月26日 | 奇跡の女神 | もっと近づきたい | 2位 |
14 | 1991年8月30日 | WINNING RUN | 熱帯夜 | 3位 |
15 | 1991年11月7日 | GROWING UP | 若さのゆくえ | 5位 |
16 | 1992年2月20日 | TAKE OFF | 君にCheer Up! | 5位 |
17 | 1992年4月29日 | リラの咲くころバルセロナへ | I'LL BE BACK | 2位 |
18 | 1992年8月8日 | Meet Me | クレヨンで描いたタイムマシン | 6位 |
19 | 1992年11月6日 | 愛してもいいですか | 夢で逢えるから | 6位 |
20 | 1993年2月19日 | 君とすばやくSLOWLY | サヨナラと言えなくて | 9位 |
21 | 1993年5月13日 | 勇気100% | 微笑みをあずけて | 7位 |
22 | 1993年8月4日 | BOYS in August | 恋する気持ち | 5位 |
23 | 1993年10月27日 | この秋…ひとりじゃない | きっと愛しあえる | 5位 |
24 | 1994年1月20日 | BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜 | 君は世界を夢見て | 7位 |
25 | 1994年4月28日 | ヨーソロー! 未来へよろしく | 僕らのREASON | 10位 |
26 | 1994年7月21日 | TRY TO REMEMBER | LUNAR PARK-GO-ROUND | 9位 |
アルバム
# | 発売日 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 1988年1月1日 | 光GENJI | 「STAR LIGHT」、「ガラスの十代」のLPバージョンを収録。 通常盤は1月21日発売。 |
2 | 1988年7月28日 | Hi! | 「パラダイス銀河」収録。 |
3 | 1989年2月20日 | Hey! Say! | デビュー以来3作連続で、オリコンアルバムチャート1位を獲得。 彼らの初主演映画「… これから物語〜少年たちのブルース〜(光)/ふ・し・ぎ・なBABY(GENJI)」の主題歌 「いつかきっと…」収録。通常盤は4月7日発売。 |
4 | 1989年10月25日 | Hello…I Love You | 初めてメンバー3人(諸星、佐藤敦啓、佐藤寛之)のソロ曲を収録。 |
5 | 1990年1月31日 | ふりかえって…Tomorrow | 「STAR LIGHT」から「太陽がいっぱい」まで全シングルを新たに録り直して収録。 テレビでのみ披露されたアレンジ、歌詞、ソロパート割りなどを曲に取り入れている。その他新曲を3曲収録。 |
6 | 1990年7月25日 | Cool Summer | 「荒野のメガロポリス〜PLEASE」をアレンジと歌詞を変えて収録。
前々作で収録されなかった残りメンバー4人(内海、大沢、山本、赤坂)のソロ曲を収録。 |
7 | 1990年11月21日 | White Dreaming with 光GENJI | くつ下の中に8cmCDを封入した装丁の、4曲入りミニアルバム。 |
8 | 1991年3月3日 | (333) Thank You | 10曲入りの初回盤(別添カレンダー付)と、12曲入りの通常盤がある。 |
9 | 1991年7月7日 | ひと夏ひと夜 | 4曲入りミニアルバム。「ドキドキSummer Days」が、当時『ひらけ!ポンキッキ』で使用された。 |
10 | 1991年10月2日 | VICTORY | 「WINNING RUN」を新アレンジで収録。 |
11 | 1992年3月4日 | BEST FRIENDS | 「STAR LIGHT」から「GROWING UP」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した2枚組。 「荒野のメガロポリス」はシングルではカットされた2番が挿入されフルサイズで収録。Disc2にはカラオケ音源を収録。 |
12 | 1992年7月1日 | Pocket Album-7つの星- | メンバー7人のソロを1人2曲ずつ収録した8cmCD7枚組。 |
13 | 1992年12月3日 | DREAM PASSPORT | 初回盤は8cmCD「クリスマス組曲」が付属するBOX仕様。 |
14 | 1993年3月3日 | SPEEDY AGE | |
15 | 1993年9月15日 | WELCOME | 各メンバーがプロデュースした楽曲7曲と光曲・GENJI曲・全員曲を1曲ずつの計10曲収録。 |
16 | 1993年12月8日 | 宇宙遊詠 | |
17 | 1994年3月2日 | HEART'N HEARTS | 初回プレス特典としてカレンダーが同梱された。Disc1にメンバーソロ曲、 Disc2に「TAKE OFF」から「この秋・・ひとりじゃない」までの全シングルA面と新曲3曲を収録。 |
18 | 1994年7月21日 | FOREVER YOURS | 7人グループとして発表した最後のオリジナル・アルバム。 |
19 | 1994年8月2日 | SUPER BEST TRY to REMEMBER | 「STAR LIGHT」から「TRY TO REMEMBER」までの全シングルA面と「PLEASE」を収録した3枚組。 「剣の舞」はシングルとはアレンジが大きく異なる。また「荒野のメガロポリス」「リラの咲くころバルセロナへ」は シングルではカットされた2番が入ったフルサイズで収録されている。その他「風の中の少年」のアウトロ、 「WINNING RUN」「Meet Me」のイントロなどにもわずかながら編集が施されている。 |
20 | 1995年8月19日 | See You Again | Disc1 オリジナル・アルバム Disc2 コンサート披露のみだった楽曲や山本・赤坂・佐藤敦啓が歌うシングル曲リアレンジ版を収録 Disk3 ベストセレクション 事務所の先輩・後輩タレントからのメッセージ、なつかしの写真 ディスコグラフィー、メンバーによる曲の解説が掲載されているアルバム。 |
21 | 2001年12月5日 | MY これ!クション 光GENJI BEST | 卒業後に発売された。 シングル曲からセレクトし、リリース順に収録。 |
22 | 2002年10月17日 | 光GENJI All Songs Request | 卒業後に発売された。2枚組。 ファンからの投票により上位30位までに入った楽曲(30位が同票だったため計31曲)をリリース順に収録。 |
ビデオ
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1988年1月16日 | 太陽がいっぱい |
2 | 1988年3月18日 | 少年武道館Ⅰ |
3 | 1988年4月21日 | 光GENJI ファーストライブ |
4 | 1988年10月30日 | 少年武道館II |
5 | 1989年3月20日 | 光GENJI TOKYO DOME CONCERT Hey!Say! |
6 | 1988年6月 | あ・き・す・と・ぜ・ね・こ(非売品) |
7 | 1990年5月5日 | …これから物語 〜少年たちのブルース〜/ふ・し・ぎ・なBABY |
8 | 1990年9月21日 | 虹色夏物語 |
9 | 1991年1月1日 | ウォルト・ディズニーワールド7日間の旅 |
10 | 1991年6月21日 | コンサートであおう! |
11 | 1992年7月17日 | 独逸旅情-素顔になって- |
12 | 1993年11月2日 | 7番目の夏 |
13 | 1994年4月6日 | '93 WINTER CONCERT BRAVO!Nippon |
14 | 1994年11月18日 | '94 SUMMER CONCERT FOREVER YOURS |
15 | 1995年8月19日 | P/S I LOVE YOU |
GENJI
ビデオ(GENJI)
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1990年6月21日 | な・な・なのなの時間割 |
光GENJI SUPER 5
シングル(SUPER 5)
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 順位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1994年10月7日 | Melody Five | JOYFUL RHAPSODY | 6位 |
2 | 1994年10月21日 | DON'T MIND涙 | SHAKING NIGHT | 7位 |
3 | 1995年8月2日 | Bye-Bye | レディーはそよかぜ | 13位 |
アルバム(SUPER 5)
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|---|
1 | 1995年3月1日 | Someone Special |
|
ビデオ(SUPER 5)
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1996年1月 | Bye-Bye for Tomorrow See You Again P/S I LOVE YOU(ファンクラブ限定販売) |
SAY・S
シングル(SAY・S)
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年4月22日 | 曇りのち晴れ | STARDUSTに乗って | 11位 |
2 | 1993年7月14日 | WE ARE THE CHAMP (SAY'S and J.World名義) |
- | 8位 |
3 | 1994年3月25日 | HAPPY ROAD | - | 10位 |
アルバム(SAY・S)
# | 発売日 | タイトル | 収録曲 |
---|---|---|---|
1 | 2002年8月21日 | Myこれ! クションSAY'S BEST |
|
ビデオ(SAY・S)
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 1994年6月2日 | HAPPY ROAD SHOW! |
AKIRA & KOHJI
シングル(AKIRA & KOHJI)
# | 発売日 | タイトル | カップリング | 最高 |
---|---|---|---|---|
1 | 1994年12月8日 | MR.MIRACLE | - | 15位 |
CD化されていない楽曲
- 今、君と歌いたい (結成初期のGENJIによる『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のテーマ曲)
- 哀しみのレスキュー
- どうもありがとう (初期のコンサートでエンディングに歌われていた)
- LOVE AND DREAM
- SHINING G (ゼネラル石油 CMソング)
- 7th Door - 7つ目の扉 - (結成7周年を記念して制作された楽曲)
- Shake Again (1994年春コンで披露)
その他
- 光GENJI オリジナル カラオケ(1988年6月5日)
- アルバム「光GENJI」収録曲全8曲と、「STAR LIGHT」から「パラダイス銀河」までのシングルA面3曲および「LONG RUN」の計12曲のカラオケを収録。ジャケットはアニメ仕様。
- 光GENJI オリジナル・カラオケ・コレクション(1989年3月21日)
- 「STAR LIGHT」から「地球をさがして」までのシングル6枚のA・B面全12曲のカラオケを収録。
- お祭り忍者(水雲SINGLE)/忍者(1990年8月22日)
- M-2 See You Again…!
- 少年隊、光GENJI、SMAPからのデビューに際しての応援コメントが、2コーラス後の間奏に挿入されている。
- 光GENJI マーチ・コレクション リラの咲くころバルセロナへ/ビクトリー・マーチング・バンド(1992年6月19日)
- 光GENJIの楽曲をマーチにアレンジ。
- 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック(1993年7月20日)
- 2001CLASSICS 光GENJI ORCHESTRA VERSION/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1994年8月21日)
- 光GENJIの楽曲をオーケストラにアレンジ。マリオ・クレメンツ指揮、千住明編曲。
- 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック(1994年12月8日)
- M-1 勇気100%(オープニング・サイズ)(光GENJI SUPER 5)※
- M-4 SHAKING NIGHT(光GENJI SUPER 5)
- M-6 正直になろうよ(佐藤敦啓)※
- M-9 冬の贈り物(光GENJI SUPER 5)※
- M-10 DON'T MIND 涙(光GENJI SUPER 5)
- 忍たま乱太郎 オリジナル・サウンド・トラック其の参(1996年1月19日)
- M-3 終わらないSCHOOL DAYS(Junichi&JJr)※
- M-4 春は・・・るんるん(Junichi&忍術学園合唱隊)※
- M-10 0点チャンピオン(Junichi&JJr)※
- M-11 あの夏が聞こえる(Junichi)※
- 忍たま乱太郎 忍たま大運動会(1996年6月5日)
- 忍たまテーマソングコレクション(1996年6月5日)
- M-1 こうしちゃいられない(Junichi&JJr)※
- M-2 勇気100%
- M-3 SHAKING NIGHT
- M-4 終わらないSCHOOL DAYS
- M-5 DON'T MIND 涙
- M-6 微笑をあずけて
- M-7 0点チャンピオン
- M-8 にんにん忍たま音頭
- M-9 SING!!(Junichi&JJr)※
- 忍たまスーパーベストテーマ集(1999年3月3日)
- M-1 勇気100%
- M-2 DON'T MIND 涙
- M-3 0点チャンピオン
- M-4 こうしちゃいられない
- M-5 SHAKING NIGHT
- M-6 終わらないSCHOOL DAYS
- M-7 SING!!
- M-8 にんにん忍たま音頭
- M-9 微笑をあずけて
- 忍たま乱太郎 20th アニバーサリーアルバム オープニング&エンディング集(2012年9月19日)
- M-1 勇気100%
- M-2 DON'T MIND 涙
- M-3 SHAKING NIGHT
- M-4 0点チャンピオン
- M-5 終わらないSCHOOL DAYS
- M-6 こうしちゃいられない
- M-7 にんにん忍たま音頭
- 忍たま乱太郎サウンドトラック 昨日・今日・明日 ~ from Nintama with Love ~(2015年6月17日)
- M-1 勇気100% ※ここに収録されているテイクのみ、曲の終わりにシングルや他のアルバムにはないアニメと同様の「ヘイヘイヘイ」という掛け声が入っている。
※=忍たま関連の作品にのみ収録。光GENJI関連の作品には未収録
主な出演作品
バラエティ番組
- サブロー・シローの歌え!ヤング大放送 (1987年4月5日 - 9月、TBS)
- 番組開始当初はGENJIの5名のみのレギュラー出演だったが、途中から7人全員で出演するようになった。
- あぶない少年番外編 (1987年、テレビ東京)
- あぶない少年周年 (1988年、テレビ東京)
- スーパージョッキー (日本テレビ)
- 歌のトップテン (日本テレビ)
- ザ・ベストテン (TBS)
- 夜のヒットスタジオ (フジテレビ)
- 歌謡びんびんハウス(テレビ朝日)
- ミュージックステーション (テレビ朝日)
- アイドル共和国 (テレビ朝日)
- 歌え!アイドルどーむ (テレビ東京)
- ヤンヤンもぎたて族 (テレビ東京)
- 満員御礼!学園キッズ→SMAPの学園キッズ(テレビ東京)
テレビドラマ
- 連続ドラマ
- 桃色学園都市宣言!!・St.月桂寺HighSchool(フジテレビ) - 内海・大沢
- あぶない少年I(1987年10月7日〜12月30日、テレビ東京)
- あぶない少年II(1988年1月6日〜9月28日)
- あぶない少年III(1988年10月12日〜1989年3月29日) - 赤坂晃・佐藤敦啓
- ワイルドで行こう! BORN TO BE WILD (1988年10月17日〜1989年3 月20日、フジテレビ) - 内海・大沢
- HOTEL(TBS) - 赤坂
- 想い出にかわるまで(TBS) - 大沢
- 若さま侍捕物帖(テレビ朝日) - 内海・佐藤敦啓
- 名奉行 遠山の金さん(テレビ朝日) - 内海
- 素敵な人! (テレビ朝日) - 佐藤寛之
- アンバランス(テレビ朝日) - 大沢
- 単発ドラマ
- 「火曜ロードショー特別企画 光GENJIドラマスペシャル」スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説(1988年10月11日、TBS) - メンバー主演
- 源義経 (1990年1月1日、TBS) - 内海・大沢・諸星
- 天と地と〜黎明編 (1990年4月20日、日本テレビ) - 大沢
- 評論! 家族 (1990年7月22日、TBS) - 赤坂
- ダンナ様は18歳 (1990年8月4日、TBS) - 諸星
- 世にも奇妙な物語 時間よ止まれ(1991年1月17日、フジテレビ) - 山本
愛車物語 (1991年4月18日、フジテレビ) - 佐藤寛之
- 非行少年たち (1992年10月15日、日本テレビ)
- 映画みたいな恋したい トップガン (1992年12月19日、テレビ東京) - 佐藤敦啓、佐藤寛之
メリークリスマスを君に (1992年12月26日、テレビ東京) - 山本
- 清水次郎長物語 (1995年3月3日、フジテレビ) - 諸星
映画
- ロックよ、静かに流れよ(1988年2月20日公開、東宝、【主演:男闘呼組】)※友情出演
- 少年武道館(1988年2月20日公開、東宝、【主演:少年御三家】)
- ふ・し・ぎ・なBABY(1988年12月18日公開、東宝、【主演:GENJI、出演:光】)
- …これから物語 〜少年たちのブルース〜(1988年12月18日公開、東宝、【主演:光】)
- 新極道の妻たち 惚れたら地獄 - 赤坂
- 極道の妻たち 赫い絆 - 赤坂
ラジオ
- 光のスターライトキッス(1987年 - 、ニッポン放送) - 光
- GENJI GENKI爆発!! (当初の仮タイトルは『GENJI爆発百点満点』)(1987年 - 、ニッポン放送) - GENJI
- All about 光GENJI (ニッポン放送)- 光GENJI
紅白歌合戦
- 第39回 (1988年) 「光GENJI '88メドレーガラスの十代〜パラダイス銀河〜Diamondハリケーン〜剣の舞」
- 第40回 (1989年) 「太陽がいっぱい」
- 第41回 (1990年) 「CO CO RO」
- 第42回 (1991年) 「WINNING RUN」
- 第43回 (1992年) 「リラの咲くころバルセロナへ」
- 第44回 (1993年) 「勇気100%」
受賞歴
- 1987年 第25回ゴールデン・アロー賞・最優秀新人賞
- 1988年 第26回ゴールデンアロー賞・話題賞
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Grand Prix New Artist of the Year
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best New Artist of the Year
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Grand Prix Single of the Year「ガラスの十代」
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best Single of the Year「ガラスの十代」「STAR Light」
- 1988年 第2回ゴールドディスク大賞・The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門「光GENJI」
- 1988年 日本レコードセールス大賞(オリコン年間ランキング)
- 1988年 第30回日本レコード大賞・大賞
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best 5 Artist of the Year
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・Grand Prix Single of the Year「パラダイス銀河」
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best5 Single of the Year「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」
- 1989年 第3回ゴールドディスク大賞・The Best Album of the Year ヤングアイドル(グループ)部門「Hi!」
- 1989年 第15回日本テレビ音楽祭・グランプリ
- 1989年 第15回全日本歌謡音楽祭・ゴールデングランプリ
- 1989年 第18回FNS歌謡祭・グランプリ
- 1989年 第20回日本歌謡大賞・大賞
- 1989年 第31回日本レコード大賞・金賞
- 1990年 第4回ゴールドディスク大賞・The Best5 Single of the Year「太陽がいっぱい」
- 1991年 第5回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「ふりかえって・・・Tomorrow」
- 1992年 第6回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「(333) Thank you」
- 1993年 第7回ゴールドディスク大賞・アルバム賞 アイドル部門(男性)「BEST FRIENDS」
関連項目
- 光源氏
- SAY・S
- 少年御三家
- スケートボーイズ (SMAPの前身グループ)
- 平家派
- 微熱DANJI
- 紫SHIKIBU
- 飛鳥涼(現:ASKA)
- 男闘呼組
- 近藤真彦
- 少年隊
- チェッカーズ
- 夜叉(韓国の男性アイドルグループ)
- 紅孩兒(台湾の男性アイドルグループ)
脚注
- ^ a b c d e “光GENJIのプロフィール”. ORICON STYLE公式サイト (2010年8月17日). 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “内海光司”. Johnys-net公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e f “佐藤アツヒロ”. Johnys-net公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “MIKIO OSAWA PROFILE”. MIKIO OFFICE公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ 週刊女性プライム (2016年12月11日). “大沢樹生が「光GENJI」脱退を語る「君とはもう仕事できないよ」”. livedoor news 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “Profile”. KAZUMI MOROHOSHI Official Site. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “佐藤寛之 Profile”. Satoh Hiroyuki Official Site. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “Profile”. 山本淳一オフィシャルブログ. Diamond Blog. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c d e “赤坂晃”. GOLD STAR公式サイト. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b c “グループの解体から、3P大麻事件まで全てを追った『 ジャニーズの歴史』”. サイゾーウーマン (cyzo). (2010年11月6日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b “光GENJI、元メンバー集合ショットに反響「泣きそう」「感動しました」の声”. modellpress. (2016年11月25日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ “諸星和己、ASKAを「信じたい」 デビュー曲の“恩師”に複雑”. デイリースポーツ (神戸新聞). (2016年12月24日) 2016年12月25日閲覧。
- ^ a b 柴那典 (2016年11月17日). “なぜアイドルの「寿命」は2010年代に入って劇的に伸びたのか”. 現代ビジネス (講談社) 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b 松下博夫 (2013年12月25日). “SMAP成功の影に光GENJIあり “最後のスーパーアイドル”がジャニーズに残したもの”. Real Sound 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b トピックニュース (2015年11月7日). “元光GENJIの諸星和己「山本淳一が裏切った」 解散を振り返る”. livedoor news 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b “過去の解散劇…光GENJIは不仲、シブがき隊は少年隊が脅威に”. スポーツニッポン. (2016年1月13日) 2016年12月1日閲覧。
- ^ 明星編集部編/橋本治解題『「明星」50年 601枚の表紙』集英社新書 2002年。
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年4月号特集「ラジオ界面白大百科事典 これがラジオのNo.1」(46ページ)
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年9月号特集「ラジパラタイムス」(68ページ)
- ^ 2007年度 JASRAC寄附講座 音楽・文化産業論Ⅱ
- ^ a b c 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日) 衆議院会議録 2000年4月13日
- ^ 労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60
- ^ 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題(インターネットアーカイブ) asahi.com・週刊朝日 2003年9月19日号