「仙台空港」の版間の差分
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4月3日、仙台空港近くの海岸に流木を用いて作られた「ARIGATO」の文字が仙台空港復旧作業の司令官であったロバート・トス空軍大佐に発見され、後の手記で仙台空港の復旧に力添えできたことを光栄に思う、と言及した<ref>[http://rocketnews24.com/2011/04/20/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%8C%E5%90%8D%E8%AA%89%E3%81%AB%E6%80%9D%E3%81%86%E3%80%8C%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%81%E4%BD%9C%E6%88%A6%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%B8%80/ 米軍が名誉に思う「トモダチ作戦」と、たった一人の「ありがとう作戦」] rocketnews24(2011年4月20日)</ref><ref>[http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142 Yokota AB > Library > Fact Sheets > COMMENTARY]</ref>。 |
4月3日、仙台空港近くの海岸に流木を用いて作られた「ARIGATO」の文字が仙台空港復旧作業の司令官であったロバート・トス空軍大佐に発見され、後の手記で仙台空港の復旧に力添えできたことを光栄に思う、と言及した<ref>[http://rocketnews24.com/2011/04/20/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%8C%E5%90%8D%E8%AA%89%E3%81%AB%E6%80%9D%E3%81%86%E3%80%8C%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%81%E4%BD%9C%E6%88%A6%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%81%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%B8%80/ 米軍が名誉に思う「トモダチ作戦」と、たった一人の「ありがとう作戦」] rocketnews24(2011年4月20日)</ref><ref>[http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142 Yokota AB > Library > Fact Sheets > COMMENTARY]</ref>。 |
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4月13日に運用を再開して以降、[[全日本空輸]]・[[日本航空]]・[[AIRDO]]・[[アイベックスエアラインズ|IBEXエアラインズ]]による臨時便を運航。[[7月25日]]に全日本空輸・AIRDO・IBEXエアラインズ<ref>[http://www.ana.co.jp/pr/11-0406/11a-041.html 「仙台空港の定期便運航再開について」] 全日本空輸</ref>、[[9月1日]]に日本航空の定期便が再開<ref>[http://web.archive.org/web/20110902132036/http://www.jal.co.jp/other/info2011_0407.html 「仙台空港ご利用のお客さまへ」] 日本航空(2011年9月2日時点の[[インターネット |
4月13日に運用を再開して以降、[[全日本空輸]]・[[日本航空]]・[[AIRDO]]・[[アイベックスエアラインズ|IBEXエアラインズ]]による臨時便を運航。[[7月25日]]に全日本空輸・AIRDO・IBEXエアラインズ<ref>[http://www.ana.co.jp/pr/11-0406/11a-041.html 「仙台空港の定期便運航再開について」] 全日本空輸</ref>、[[9月1日]]に日本航空の定期便が再開<ref>[http://web.archive.org/web/20110902132036/http://www.jal.co.jp/other/info2011_0407.html 「仙台空港ご利用のお客さまへ」] 日本航空(2011年9月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。国際線も、9月25日のターミナルビル完全復旧と共に[[仁川国際空港|ソウル/仁川]]線([[アシアナ航空]])の定期便が再開。その後順次運航が再開され、2012年(平成24年)7月30日の[[長春龍嘉国際空港|長春]]線([[中国南方航空]])再開をもって全路線が復旧した<ref name="MiyagiPref20120830" />。 |
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[[仙台空港鉄道]]は、空港敷地内のトンネルが水没するなどの被害を受け、[[4月2日]]以降バスによる代行運転を行った。[[10月1日]]に[[仙台空港駅]]の営業を再開し、同日[[仙台空港鉄道仙台空港線|仙台空港線]]は全線復旧した<ref>{{PDFlink|[http://www.senat.co.jp/company/pdf/no12_jigyouhoukoku.pdf 第12期 事業報告書]}} 仙台空港鉄道株式会社</ref>。 |
[[仙台空港鉄道]]は、空港敷地内のトンネルが水没するなどの被害を受け、[[4月2日]]以降バスによる代行運転を行った。[[10月1日]]に[[仙台空港駅]]の営業を再開し、同日[[仙台空港鉄道仙台空港線|仙台空港線]]は全線復旧した<ref>{{PDFlink|[http://www.senat.co.jp/company/pdf/no12_jigyouhoukoku.pdf 第12期 事業報告書]}} 仙台空港鉄道株式会社</ref>。 |
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乗降客数は[[1968年]](昭和43年)に年間10万人を超える程度だった<ref name="F77Bank28">[http://www.77bsf.or.jp/business/quarterly/no28/senjin.htm 仙台空港70年の歩み](七十七ビジネス振興財団「七十七ビジネス情報第28号」)</ref>が、[[1975年]](昭和50年)には年間54.7万人となり<ref>{{PDFlink|[http://www.city.sendai.jp/kikaku/seisaku/surf/repo/no200100s00104.pdf 地方中枢都市仙台の現状と都市戦略 ~人が集う魅力あるまち仙台をめざして~]}}(仙台都市総合研究機構 Sendai Urban Research Forum「2001 SURF研究報告」)</ref>、[[1978年]](昭和53年)には年間100万人を超え<ref name="F77Bank28" />、1981年度(昭和56年度)には150万人/年度を超えた。[[1982年]](昭和57年)[[6月23日]]に[[東北新幹線]]([[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[盛岡駅]])が開業すると、羽田便が運航されていた当空港では同年度より乗降客数が低迷し、[[上野駅]] - 大宮駅間が延伸開業した[[1985年]](昭和60年)を以って同便は廃止された。 |
乗降客数は[[1968年]](昭和43年)に年間10万人を超える程度だった<ref name="F77Bank28">[http://www.77bsf.or.jp/business/quarterly/no28/senjin.htm 仙台空港70年の歩み](七十七ビジネス振興財団「七十七ビジネス情報第28号」)</ref>が、[[1975年]](昭和50年)には年間54.7万人となり<ref>{{PDFlink|[http://www.city.sendai.jp/kikaku/seisaku/surf/repo/no200100s00104.pdf 地方中枢都市仙台の現状と都市戦略 ~人が集う魅力あるまち仙台をめざして~]}}(仙台都市総合研究機構 Sendai Urban Research Forum「2001 SURF研究報告」)</ref>、[[1978年]](昭和53年)には年間100万人を超え<ref name="F77Bank28" />、1981年度(昭和56年度)には150万人/年度を超えた。[[1982年]](昭和57年)[[6月23日]]に[[東北新幹線]]([[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[盛岡駅]])が開業すると、羽田便が運航されていた当空港では同年度より乗降客数が低迷し、[[上野駅]] - 大宮駅間が延伸開業した[[1985年]](昭和60年)を以って同便は廃止された。 |
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1990年代には[[規制緩和]]により[[格安航空券]]が登場し<ref name="mapple">[http://www.mapple.co.jp/corporate/company/history.html 昭文社の歴史]([[昭文社]])</ref>、個人旅行が増加した<ref name="mapple" />という背景に加え、当空港に初めて国際定期便が就航し、滑走路の延長や新旅客ターミナルビルの完成もあって乗降客は増加。1999年度(平成11年度)には338.5万人/年度にまで増加した。その後、横這いを続けたが、2006年度(平成18年度)には338.7万人/年度と1999年度のピークを越えた<ref>[http://www.pref.miyagi.jp/kurin/library.html 空港関係資料] 宮城県</ref>。燃油価格の上昇に伴い2007年度(平成19年度)から国内線でも運賃値上げが始まり<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20071210/142823/?rt=nocnt ANA 客離れで値上げに慎重、年明けの中期計画に注目](日系ビジネスオンライン 2007年12月12日)</ref>、乗降客数は減少傾向となった。1996年度(平成8年度)から300万人/年度以上を保っていたが、2008年度以降、300万人/年度を割り込んで減少した。[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波の被害を受けて一時営業休止となり、2010年度(平成22年度)は262.2万人/年度、翌2011年度(平成23年度)は19年ぶりに200万人/年度を下回って184.6万人/年度にとどまった<ref name="MLIT23">{{PDFlink|[http://web.archive.org/web/20130122102724/http://www.mlit.go.jp/common/000030476.pdf 平成23年空港管理状況調書]}} 国土交通省航空局(2013年1月22日時点の[[インターネット |
1990年代には[[規制緩和]]により[[格安航空券]]が登場し<ref name="mapple">[http://www.mapple.co.jp/corporate/company/history.html 昭文社の歴史]([[昭文社]])</ref>、個人旅行が増加した<ref name="mapple" />という背景に加え、当空港に初めて国際定期便が就航し、滑走路の延長や新旅客ターミナルビルの完成もあって乗降客は増加。1999年度(平成11年度)には338.5万人/年度にまで増加した。その後、横這いを続けたが、2006年度(平成18年度)には338.7万人/年度と1999年度のピークを越えた<ref>[http://www.pref.miyagi.jp/kurin/library.html 空港関係資料] 宮城県</ref>。燃油価格の上昇に伴い2007年度(平成19年度)から国内線でも運賃値上げが始まり<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20071210/142823/?rt=nocnt ANA 客離れで値上げに慎重、年明けの中期計画に注目](日系ビジネスオンライン 2007年12月12日)</ref>、乗降客数は減少傾向となった。1996年度(平成8年度)から300万人/年度以上を保っていたが、2008年度以降、300万人/年度を割り込んで減少した。[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波の被害を受けて一時営業休止となり、2010年度(平成22年度)は262.2万人/年度、翌2011年度(平成23年度)は19年ぶりに200万人/年度を下回って184.6万人/年度にとどまった<ref name="MLIT23">{{PDFlink|[http://web.archive.org/web/20130122102724/http://www.mlit.go.jp/common/000030476.pdf 平成23年空港管理状況調書]}} 国土交通省航空局(2013年1月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。2012年度(平成24年度)は、路線の再開が相次ぎによって回復><ref>{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/common/000990751.pdf 仙台空港を核とした地域活性化に向けて ~震災からの本格復興を目指して~]}}(宮城県 2013年3月12日)</ref>。2013年(平成25年)4月より[[格安航空会社]]が初就航したことで国内線の乗降客数が大きく増加し、同年度以降は再び300万人/年度を超えている<ref name="kahoku1404">[http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201404/20140425_12028.html 仙台空港利用者17.1%増 アクセス鉄道は過去最高] 河北新報(2014年4月25日)</ref>。 |
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仙台空港を目的地側とする旅客の当日目的地は、1位が仙台市となっており全体の約半分(49.8[[パーセント|%]])、2位は[[日本三景]]・[[松島]]がある[[松島町]](7.2%)、3位は隣県の[[山形市]](4.5%)となっており、約3割が宮城県外を当日目的地とする。業務の場合は、仙台市を当日目的地とする者が72.4%で圧倒的に多いのに対し、観光の場合は仙台市(24.8%)、松島町(15.4%)、[[鳴子町]](現・[[大崎市]]の一部)となっており、それ以外の目的地は、[[秋田県]][[田沢湖町]](現[[仙北市]]の一部)や[[青森県]][[十和田市]]、あるいは山形市や[[盛岡市]]、[[福島市]]などの隣接県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]となっており、[[東北地方]]各地にも広がりを見せる<ref>{{PDFlink|[http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0374pdf/ks0374004.pdf 平成15年 航空旅客動態調査]}} 国土技術政策総合研究所 資料 No.374</ref>。 |
仙台空港を目的地側とする旅客の当日目的地は、1位が仙台市となっており全体の約半分(49.8[[パーセント|%]])、2位は[[日本三景]]・[[松島]]がある[[松島町]](7.2%)、3位は隣県の[[山形市]](4.5%)となっており、約3割が宮城県外を当日目的地とする。業務の場合は、仙台市を当日目的地とする者が72.4%で圧倒的に多いのに対し、観光の場合は仙台市(24.8%)、松島町(15.4%)、[[鳴子町]](現・[[大崎市]]の一部)となっており、それ以外の目的地は、[[秋田県]][[田沢湖町]](現[[仙北市]]の一部)や[[青森県]][[十和田市]]、あるいは山形市や[[盛岡市]]、[[福島市]]などの隣接県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]となっており、[[東北地方]]各地にも広がりを見せる<ref>{{PDFlink|[http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0374pdf/ks0374004.pdf 平成15年 航空旅客動態調査]}} 国土技術政策総合研究所 資料 No.374</ref>。 |
2017年9月4日 (月) 14:18時点における版
仙台空港 Sendai Airport | |||||||||||||
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IATA: SDJ - ICAO: RJSS | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 | 日本 | ||||||||||||
所在地 | 宮城県名取市・岩沼市 | ||||||||||||
種類 | 商業 | ||||||||||||
運営者 | 仙台国際空港株式会社 | ||||||||||||
運用時間 | 7:30 - 21:30 | ||||||||||||
標高 | 5 m (16.4 ft) | ||||||||||||
座標 | 北緯38度08分13秒 東経140度55分21秒 / 北緯38.13694度 東経140.92250度座標: 北緯38度08分13秒 東経140度55分21秒 / 北緯38.13694度 東経140.92250度 | ||||||||||||
公式サイト | 仙台空港ターミナル | ||||||||||||
地図 | |||||||||||||
仙台空港の位置 | |||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
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リスト | |||||||||||||
空港の一覧 |
仙台空港(せんだいくうこう)は、宮城県名取市と岩沼市に跨って位置する東北地方唯一の国管理空港(旧第二種(A)空港)である。2016年7月1日に運営が仙台国際空港株式会社に移管(民営化)された[1]。空港ターミナルビルが名取市にあり、滑走路が岩沼市に及ぶ。愛称は仙台国際空港[注 1]。
概要
宮城県中南部の海岸にほど近い、仙台市のJR仙台駅から南南東14kmほどのところに位置し、仙台空港アクセス線(空港連絡鉄道)で結ばれている。離着陸の際には、広大な太平洋と仙台湾沿いに続く砂浜や防砂林の松林、南北に流れる貞山運河、そして奥羽山脈に抱かれた仙台平野と市街地のビル群が一望の下になる。
滑走路は、開設時からある1,200mのA滑走路と新設された3,000mのB滑走路の2本あり、「y」の字型に交わる。基本的に、A滑走路はセスナなどの小型機、B滑走路は旅客機などの中型機や大型機が使用するが、航空大学校などの小型機も訓練のために、計器着陸装置(ILS)が使用できるB滑走路を使用する。他県の多くの空港では公共用ヘリコプターも見られるが、宮城県警察ヘリは仙台市若林区霞目にある陸上自衛隊霞目飛行場を使用する。
現在のターミナルビルは1997年(平成9年)7月に全館供用開始したものであるが、建設にあたりハートビル法に定めるバリアフリー基準を満たし、1995年(平成7年)12月に空港施設として日本で初めて同法認定の特定建築物となった[2]。完成後に制定された交通バリアフリー法にも合致するように整備がなされた[2][3]。
また、出発ロビーや待合室の壁面を全面ガラス張りにして照明の使用を減らす省資源化が施されている点[3]や、屋根が3つの波型になっている点、出発ロビーや搭乗待合室などの行先案内表示機が反転フラップ式案内表示機(パタパタ)である点などの特徴もある。展望デッキは、屋上の「スマイルテラス」(民営化により大人も無料)と屋内3階(無料)とがある。ターミナルビル中央部分のエスカレーターが集まる吹き抜けは「プラザ」と呼ばれ、中央の噴水の水を抜くと照明機能付きのステージに変わり、イベントが行えるようになっている。3階にはエアポートミュージアム「とぶっちゃ」があり、旅客機のコックピットやビジネスクラスのシート等が展示されている。
歴史
かつて仙台市で飛行機の離着陸に使われた場所として、現在の宮城野原公園総合運動場や川内追廻などがあった。1933年(昭和8年)になると、仙台市街地の南東に日本陸軍飛行学校の練習用飛行場として「仙台飛行場」(現霞目駐屯地)が設置された。しかし、日中戦争開戦に伴って飛行部隊が拡充されたため「仙台飛行場」は手狭となり、現在の「仙台空港」のもととなる「名取飛行場」が1940年(昭和15年)に設置された。
年表
画像外部リンク | |
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仙台飛行場 |
- 1940年(昭和15年) - 日本陸軍により、名取郡下増田村(現名取市下増田)から同郡玉浦村矢野目(現岩沼市)にかけての地に熊谷陸軍飛行学校名取分教所[4]として建設され、「名取飛行場」「増田飛行場」「矢野目飛行場」などの通称が用いられた。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 水戸陸軍飛行学校を移し仙台陸軍飛行学校を設置。
- 1945年(昭和20年) - 戦後占領期に進駐軍(アメリカ軍)に接収される。
- 1956年(昭和31年) - アメリカ軍より返還され、防衛庁と運輸省との共同使用となる。
- 1957年(昭和32年)
- 滑走路を1,200mに延長。
- 4月22日 - 初の定期路線となる日本ヘリコプター輸送(現 全日本空輸)の東京/羽田便が就航。
- 1964年(昭和39年)
- 1972年(昭和47年)2月14日 - ジェット化および、B滑走路を2,000mにて供用開始。航空学校が陸自北宇都宮駐屯地へ移転。
- 1973年(昭和48年)3月19日 - 岩沼駐屯地が廃止[6]。
- 1990年(平成2年) - 初の国際路線となるアシアナ航空のソウル/金浦便が就航。
- 1992年(平成4年) - B滑走路を2,500mに延伸。
- 1994年(平成6年)7月 - 新旅客ターミナルビル着工。
- 1996年(平成8年)3月 - 国際線旅客ターミナルが先行開業。
- 1997年(平成9年)7月11日 - 新旅客ターミナルビルが全面開業。
- 1998年(平成10年)3月 - B滑走路を3,000mに延伸。
- 2007年(平成19年)3月18日 - 仙台空港アクセス線(仙台駅 - 仙台空港駅間直通運転)開業。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)8月5日 - 「仙台空港 FREE Wi-Fi」及び「仙台空港 Wi-Fi ポータルサイト」提供開始[12]。
- 2015年(平成27年)3月12日 - 国際線到着ロビーにて、大友克洋による陶板壁画を設置・公開[13]。
- 2016年(平成28年)7月1日 - 仙台国際空港株式会社の運営に完全移行。
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。滑走路は直ちに閉鎖され、ターミナルビルには旅客・周辺住民・従業員ら約1400人が避難した。15時56分、地震による津波が到達し空港および関連施設は冠水した。ターミナルビルは3.02mの高さまで冠水し、1階部分には自動車や瓦礫が大量に流れ込んだ。駐機中の旅客機は居なかったが、海上保安庁や民間の小型機・ヘリコプターなど計67機[14]が津波によって被害を受けた。この内、海上保安庁のDHC-8-315「みずなぎ」のみ修理されたが、他の機体は修理を断念している。3月12日午後に救急車やマイクロバスなどが到着、避難者の退避が開始され、3月16日までに空港職員を除く全員が空港を離れた[15]。
3月16日、福島第一原子力発電所事故の影響を考慮して、アメリカ合衆国政府が在日米軍を含む自国民に対し、同原発から50マイル(80km)圏外に退避するよう勧告したが、同原発から80kmの同心円上に位置する当空港に嘉手納飛行場に駐留するアメリカ空軍第320特殊戦術飛行中隊が航空自衛隊松島基地を経由して移動し空港の復旧活動を行った[16]。アメリカ空軍及び空港の保守作業を担当している前田道路[17]が残骸を除去し、部分的な滑走路の確保後、アメリカ空軍特殊作戦コマンド用輸送機MC-130Pが、強行着陸で復旧用の機材や車両を輸送。空軍戦闘航空管制官がバックパックラジオ(可搬型無線機)で臨時の航空管制を確立し、空港機能を復活させた。以降、米軍はこの空港を使って200万トン以上の食料、水、毛布を被災地に輸送するなど、4月7日までアメリカ空軍・同海兵隊・自衛隊による日米合同救援活動「トモダチ作戦」の拠点として使用された。
4月3日、仙台空港近くの海岸に流木を用いて作られた「ARIGATO」の文字が仙台空港復旧作業の司令官であったロバート・トス空軍大佐に発見され、後の手記で仙台空港の復旧に力添えできたことを光栄に思う、と言及した[18][19]。
4月13日に運用を再開して以降、全日本空輸・日本航空・AIRDO・IBEXエアラインズによる臨時便を運航。7月25日に全日本空輸・AIRDO・IBEXエアラインズ[20]、9月1日に日本航空の定期便が再開[21]。国際線も、9月25日のターミナルビル完全復旧と共にソウル/仁川線(アシアナ航空)の定期便が再開。その後順次運航が再開され、2012年(平成24年)7月30日の長春線(中国南方航空)再開をもって全路線が復旧した[8]。
仙台空港鉄道は、空港敷地内のトンネルが水没するなどの被害を受け、4月2日以降バスによる代行運転を行った。10月1日に仙台空港駅の営業を再開し、同日仙台空港線は全線復旧した[22]。
-
冠水した仙台空港
(2011年3月13日) -
生存者の捜索にあたるアメリカ空軍兵士
(2011年3月16日) -
一般送迎車用の車寄せの様子
(2011年3月19日) -
駐機場の瓦礫を清掃するアメリカ海兵隊員たち
(2011年3月19日) -
駐機場の復旧作業
(2011年3月20日) -
自衛隊とアメリカ軍による「トモダチ作戦」
(2011年3月29日) -
1階ロビーの柱に掲載されている浸水高表示
空港民営化
施設
ターミナルビル
概要
- 開業
- 国際線旅客ターミナル - 1998年3月
- 国内線旅客ターミナル - 1999年7月
- 運営 - 仙台空港ビル
- 延床面積 - 44,170.59m2 [23]
- ゲート数 - 52バース
- ジェット機用ゲート : 14バース(国際線用 3バース、国内線用 10バース、際内共用 1バース)
- 大型ジェット機 : 4バース
- 中型ジェット機 : 4バース
- 小型ジェット機 : 6バース
- 小型機用ゲート : 38バース
- ジェット機用ゲート : 14バース(国際線用 3バース、国内線用 10バース、際内共用 1バース)
フロア構成
一般区域 | 制限区域 | |||
---|---|---|---|---|
国内線 | 国際線 | 国内線 | 国際線 | |
R階 | S.mile Terrace(屋上展望デッキ) | |||
3階 | 屋内展望デッキ とぶっちゃ(エアポートミュージアム) EAST SIDE(ビジネスラウンジ) 有料待合室 レストラン |
|||
2階 | 国内線出発ロビー 国内線カウンター |
国際線出発ロビー 国際線カウンター |
保安検査場 搭乗待合室 ANAラウンジ サクララウンジ 売店 |
保安検査場 出国審査場 出国待合室 免税店・カフェ |
仙台空港駅改札口・駐車場方面 連絡通路 カフェ・ショッピングゾーン | ||||
M2階 | 到着コンコース | 到着コンコース 検疫検査場 入国審査場 | ||
1階 | 国内線到着ロビー | 国際線到着ロビー 案内カウンター |
バゲージクレーム (手荷物受取所) |
バゲージクレーム (手荷物受取所) 税関検査場 |
バス・タクシーのりば 総合案内所 サービスカウンター (レンタカー・宅配サービス・団体旅行受付・海外旅行保険) WEST SIDE(ビジネスラウンジ) 有料待合室 プラザ(イベントスペース) レストラン コンビニ 七十七銀行 出張所 銀行ATM(イオン・ゆうちょ) 岩沼警察署 警備派出所 | ||||
B1階 |
貨物ターミナル
空港ターミナルビルの西に位置し、管制塔に隣接する。
管制施設
この節の加筆が望まれています。 |
拠点機関等
- 国土交通省
- 気象庁
- 海上保安庁
- 第二管区海上保安本部仙台航空基地
- 海上保安学校宮城分校
- 防衛省
- 陸上自衛隊岩沼訓練場
- 宮城県防災航空隊
- 仙台市消防航空隊
- ジャムコ航空機整備カンパニー機体整備工場
- 東北エアサービス本社・仙台基地
- 東邦航空東北事業所
- 共立航空撮影仙台営業所
旅客利用状況
- 国内線
- 国際線
年度 | 乗降客数(人) | ||
---|---|---|---|
国内線 | 国際線 | 合計 | |
1978年 | 1,059,056 | 0 | 1,059,056 |
1979年 | 1,298,850 | 10,832 | 1,309,682 |
1980年 | 1,405,083 | 17,595 | 1,422,678 |
1981年 | 1,522,252 | 11,881 | 1,534,133 |
1982年 | 1,311,619 | 7,140 | 1,318,759 |
1983年 | 1,126,937 | 2,792 | 1,129,729 |
1984年 | 1,212,063 | 3,966 | 1,216,029 |
1985年 | 1,050,480 | 2,924 | 1,053,404 |
1986年 | 1,033,847 | 3,105 | 1,036,952 |
1987年 | 1,137,747 | 5,306 | 1,143,053 |
1988年 | 1,157,007 | 6,711 | 1,163,718 |
1989年 | 1,339,803 | 11,166 | 1,350,969 |
1990年 | 1,528,234 | 89,033 | 1,617,267 |
1991年 | 1,632,235 | 180,445 | 1,812,680 |
1992年 | 1,764,229 | 232,410 | 1,996,639 |
1993年 | 1,935,526 | 279,455 | 2,214,981 |
1994年 | 2,140,887 | 336,099 | 2,476,986 |
1995年 | 2,407,132 | 407,907 | 2,815,039 |
1996年 | 2,628,534 | 442,452 | 3,070,986 |
1997年 | 2,803,163 | 417,806 | 3,220,969 |
1998年 | 2,836,773 | 401,982 | 3,238,755 |
1999年 | 2,964,603 | 420,032 | 3,384,635 |
2000年 | 2,774,526 | 471,699 | 3,246,225 |
2001年 | 2,853,545 | 392,043 | 3,245,588 |
2002年 | 2,857,099 | 395,479 | 3,252,578 |
2003年 | 2,892,773 | 251,103 | 3,143,876 |
2004年 | 2,916,016 | 307,151 | 3,223,167 |
2005年 | 2,955,977 | 288,515 | 3,244,492 |
2006年 | 3,047,955 | 339,508 | 3,387,463 |
2007年 | 2,973,505 | 349,621 | 3,323,126 |
2008年 | 2,686,360 | 260,705 | 2,947,065 |
2009年 | 2,552,515 | 246,385 | 2,798,900 |
2010年 | 2,363,415 | 258,872 | 2,622,287 |
2011年 | 1,776,717 | 69,246 | 1,845,963 |
2012年 | 2,513,227 | 186,421 | 2,699,648 |
2013年 | 2,989,413 | 175,202 | 3,164,615 |
2014年 | 3,072,541 | 167,029 | 3,239,570 |
2016年 | 2,938,154 | 224,550 | 3,162,704 |
乗降客数は1968年(昭和43年)に年間10万人を超える程度だった[26]が、1975年(昭和50年)には年間54.7万人となり[27]、1978年(昭和53年)には年間100万人を超え[26]、1981年度(昭和56年度)には150万人/年度を超えた。1982年(昭和57年)6月23日に東北新幹線(大宮駅 - 盛岡駅)が開業すると、羽田便が運航されていた当空港では同年度より乗降客数が低迷し、上野駅 - 大宮駅間が延伸開業した1985年(昭和60年)を以って同便は廃止された。
1990年代には規制緩和により格安航空券が登場し[28]、個人旅行が増加した[28]という背景に加え、当空港に初めて国際定期便が就航し、滑走路の延長や新旅客ターミナルビルの完成もあって乗降客は増加。1999年度(平成11年度)には338.5万人/年度にまで増加した。その後、横這いを続けたが、2006年度(平成18年度)には338.7万人/年度と1999年度のピークを越えた[29]。燃油価格の上昇に伴い2007年度(平成19年度)から国内線でも運賃値上げが始まり[30]、乗降客数は減少傾向となった。1996年度(平成8年度)から300万人/年度以上を保っていたが、2008年度以降、300万人/年度を割り込んで減少した。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波の被害を受けて一時営業休止となり、2010年度(平成22年度)は262.2万人/年度、翌2011年度(平成23年度)は19年ぶりに200万人/年度を下回って184.6万人/年度にとどまった[31]。2012年度(平成24年度)は、路線の再開が相次ぎによって回復>[32]。2013年(平成25年)4月より格安航空会社が初就航したことで国内線の乗降客数が大きく増加し、同年度以降は再び300万人/年度を超えている[33]。
仙台空港を目的地側とする旅客の当日目的地は、1位が仙台市となっており全体の約半分(49.8%)、2位は日本三景・松島がある松島町(7.2%)、3位は隣県の山形市(4.5%)となっており、約3割が宮城県外を当日目的地とする。業務の場合は、仙台市を当日目的地とする者が72.4%で圧倒的に多いのに対し、観光の場合は仙台市(24.8%)、松島町(15.4%)、鳴子町(現・大崎市の一部)となっており、それ以外の目的地は、秋田県田沢湖町(現仙北市の一部)や青森県十和田市、あるいは山形市や盛岡市、福島市などの隣接県の県庁所在地となっており、東北地方各地にも広がりを見せる[34]。
国内線
国内線旅客数は1999年(平成11年)度に296.5万人でピークとなり、2000年(平成12年)度に277.5万人まで減少。その後は徐々に増加し、2006年(平成18年)度には304.8万人となり、初めて300万人の大台に乗った。しかしその後再び減少。2011年(平成23年)度は、東日本大震災の影響により18年振りに200万人を割り込んだ(177.7万人)[31]。2013年(平成25年)度、ピーチ(LCC)・スカイマークの就航や既存路線の増便等もあり、298.9万人と2006年度に次ぐ水準にまで回復[33]。翌2014年度は、スカイマークの更なる路線開設等もあり[35]、開港史上最多となる307.2万人の乗降客数を記録した[36]。
仙台空港の国内線における東北地方居住者の利用客比率は、宮城県70%、岩手県9.2%、山形県8.2%、福島県7.7%、その他4.9%となっており、宮城県の隣接県に広がっている[37]。特に、山形市を中心とした村山地方や、福島県中通り北部および浜通り北部の地域では、仙台空港が第一選択の空港になっている。
国内線旅客においては、他の地方から入って来る旅客の方が多い(国内線来訪者比率56.6%。参考:名古屋23.4%、広島52.3%)。これは、関西や北海道、九州からのビジネス客が多いためで、仙台が支店経済都市であることを反映している。
国際線
国際線旅客数は2000年(平成12年)度の47.2万人をピークに景気低迷やアメリカ同時多発テロ事件の影響で減少。2003年(平成15年)度にSARSが発生して25.1万人にまで減少した。その後は回復基調となり、2007年(平成19年)度には35.0万人となった。その後は25万人前後で推移したものの、2011年(平成23年)度は東日本大震災の影響により6.9万人と大幅に減少[31]、前年度比の26.5%に留まった[38]。2012年(平成24年)度は近隣諸国との関係悪化によって低調に推移。運休も相次ぎ、V字回復するには至らなかった[39]。2013年(平成26年)度は、ハワイ・タイへの定期便が就航したものの、近距離国際線の運休・減便が拡大。乗降客数も微減となった[33]。 2016年度は台湾や韓国への定期便が増便したことなどに伴い前年の4割増と大幅に増加した。
日本人旅客
仙台空港の国際線における東北地方居住者の利用者比率は、宮城県内居住者が40.0%、残りの6割は周辺各県からの利用者となっている(山形県19.7%、岩手県14.3%、福島県10.6%、その他15.4%)[37]。特に、山形県民の日本国外渡航における仙台空港利用率は50%を超えており、仙台空港が第一選択となっている[40]。
1999年(平成11年)度における東北地方居住の日本人出国者の利用空港内訳は、成田54.1%、仙台30.1%、関西6.1%、青森2.7%、福島2.0%、羽田1.9%、新潟1.2%、その他1.9%となっていた[41]。
外国人旅客
仙台空港の外国人乗降客数は国際旅客全体の30%程度である[42]。仙台空港を利用する外国人旅客の主な渡航目的は、韓国人はゴルフやスキー、台湾人は温泉などである(仙台空港の外国人居住地別利用者比率 : 韓国50.0%、台湾及び中国大陸23.1%、ヨーロッパ11.5%)。
就航路線一覧
国内線
航空会社が2社以上の場合、上の段に掲載されている航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便(コードシェア便)。
航空会社 | 就航地 |
---|---|
日本航空 (JAL) [注 3] | 新千歳空港、大阪国際空港、福岡空港 |
全日本空輸 (ANA) [注 4] | 新千歳空港、成田国際空港、中部国際空港、大阪国際空港、福岡空港、那覇空港 |
スカイマーク (SKY) | 神戸空港 |
IBEXエアラインズ (IBX) ・全日本空輸 (ANA) | 小松空港、中部国際空港、大阪国際空港、広島空港、福岡空港 |
AIRDO (ADO) ・全日本空輸 (ANA) | 新千歳空港 |
Peach (APJ) | 新千歳空港(2017年9月24日〜)、関西国際空港 |
- IBEXエアラインズが当空港をハブ空港としている。2017年夏にはPeach Aviationも当空港をハブ空港化する予定。
路線 | 旅客数 | 順位 |
---|---|---|
大阪国際空港 | 約89万人 | 28位 |
新千歳空港 | 約75万人 | 39位 |
国際線乗継便
仙台空港と成田国際空港、中部国際空港、新千歳空港、大阪国際空港、福岡空港を結ぶ便には、共同運航便(コードシェア便)として外国航空会社便名が付与される便がある。外国航空会社便名での利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は運航する航空会社の便名となる。
目的地 | 運航する航空会社 | コードシェアする航空会社 |
---|---|---|
成田国際空港 | 全日本空輸 (NH) | エティハド航空 (EY)・ エバー航空 (BR)・ ガルーダ・インドネシア航空 (GA)・ スカンジナビア航空 (SK)・ ターキッシュ エアラインズ (TK)・ タイ国際航空 (TG)・ ニュージーランド航空 (NZ)・ マカオ航空 (NX)・ ユナイテッド航空 (UA)・ ルフトハンザドイツ航空 (LH) |
中部国際空港 | 全日本空輸 (NH) | エティハド航空 (EY)・ シンガポール航空 (SQ)・ タイ国際航空 (TG)・ フィリピン航空 (PR)・ ルフトハンザドイツ航空 (LH) |
新千歳空港 | 全日本空輸 (NH) | タイ国際航空 (TG) |
大阪国際空港 | 全日本空輸 (NH) | アシアナ航空 (OZ) |
福岡空港 | 全日本空輸 (NH) | フィリピン航空 (PR) |
国際線
航空会社が2社の場合、上の段に記載されている航空会社の機材・乗務員による共同運航便(コードシェア便)。
航空会社 | 就航地 |
---|---|
Peach (APJ) | 中華民国・台湾桃園国際空港(台北)(2017年9月25日〜) |
アシアナ航空 ・全日本空輸 | 韓国・仁川国際空港(ソウル) |
エバー航空 ・全日本空輸 | 中華民国・台湾桃園国際空港(台北) |
タイガーエア台湾 | 中華民国・台湾桃園国際空港(台北) |
中国国際航空 ・全日本空輸 | 中国・上海浦東国際空港(上海)、北京首都国際空港(北京)[注 5] |
ユナイテッド航空 ・全日本空輸 | グアム・グアム国際空港(グアム) |
就航都市
国内線
国際線
遊覧飛行
仙台空港では、4社がセスナ機やヘリコプターで遊覧飛行を実施している。昼間の運航では、仙台市街地や松島、蔵王連峰、栗駒山などの上空を遊覧するコースがある。季節的にナイトフライトも催行され、夏には、宮城県内各地で催される花火を上空から見るナイトフライトや、年末のSENDAI光のページェント期間中において、定禅寺通りなど仙台市上空を回るナイトフライトも催行される。
今後の運航計画
新規就航
かつての定期就航路線
国内線[45]
- 東京国際空港
- 1957年 - 1985年 : 全日本空輸
- 三沢飛行場
- 1959年 - 1962年 : 全日本空輸
- 函館空港
- 新潟空港
- 1979年 - 1992年 : 全日本空輸
- 1996年 - 1998年 : ジェイエア
- 岡山空港
- 1994年 - 2005年 : 日本エアシステム → 日本航空インターナショナル
- 高松空港
- 1994年 - 2005年 : 日本エアシステム → 日本航空インターナショナル
- 鹿児島空港
- 1995年 - 1998年 : エアーニッポン
- とかち帯広空港
- 1996年 - 1997年 : 日本航空
- 女満別空港
- 1996年 - 2001年、2003年 : 日本エアシステム
- 信州まつもと空港
- 1996年 - 1997年 : 日本エアシステム
- たんちょう釧路空港
- 1996年 - 2001年、2003年 : 日本エアシステム
- 松山空港
- 1996年 - 1998年 : 全日本空輸
- 旭川空港
- 1996年 - 1999年 : エアーニッポン
- 青森空港
- 1998年 - 1999年 : エアーニッポン
- 広島西飛行場
- 2001年 : フェアリンク
国際線[46]
- サイパン・サイパン国際空港(サイパン)
- 1990年 - 1998年 : コンチネンタル・ミクロネシア
- シンガポール・シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)
- 1991年 - 1998年 : シンガポール航空
- 韓国・済州国際空港(済州)
- 1991年 - 1994年 : アシアナ航空
- 韓国・金海国際空港(釜山)
- 1991年 - 1997年 : アシアナ航空
- 香港・香港啓徳空港 → 香港国際空港(香港)
- 1993年 - 2003年、2007年 - 2008年、2010年 - 2011年 : 香港ドラゴン航空
- 中国・大連周水子国際空港(大連)
- 1994年 - 2012年 : 中国国際航空
- アメリカ・ホノルル国際空港(ホノルル)
- 中国・長春大房身国際空港 → 長春龍嘉国際空港(長春)
- 2003年 - 2012年 : 中国南方航空
- 台湾・台湾桃園国際空港(台北)
- 2016年 : トランスアジア航空
- 中国・広州白雲国際空港(広州)
- 2007年 - 2008年 : 中国南方航空
- タイ・スワンナプーム国際空港(バンコク)
- 2013年 - 2014年 : タイ国際航空
交通
鉄道
バス
路線バス
高速バス
- 山形蔵王[注 6](仙台バス)
- 仙台空港 - 山形線(宮城交通・山交バス。2017年4月21日から運行再開)[47]
- 盛岡駅・安比高原[注 6](岩手県北自動車)
- 仙台空港 - 福島 - 会津若松線(会津乗合自動車)[48]
- 仙台うみの杜水族館・松島(松島海岸・奥松島)・平泉(岩手県北自動車)
- 鶴岡・酒田(庄内交通)座席指定の予約制
自動車
- 駐車場については、空港内の公営駐車場(1,195台収容)のほか、周辺の民間駐車場は10社で約2,400台の収容台数がある[49]。
タクシー
仙台駅前から当空港までの所要時間は約30分、運賃は5,600円である。また、運賃とは別に高速道路料金(500円)が加算される[49]。
アクセス鉄道開業に伴うバス路線の淘汰
2003年(平成15年)の調査によると、日本人の当空港へのアクセス方法はリムジンバス等が51.6%で最も多く、次いで団体バスが14.3%、自家用車送迎が13.3%であった[50]。仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)開業を受けた2007年(平成19年)12月の調査によると、当空港へのアクセス方法は鉄道が44%、自家用車(送迎含む)が39%、リムジンバスの割合は3%と大幅に減少した[51]。
2007年(平成19年)3月17日、翌日の仙台空港アクセス線開業に伴い、仙台市都心部と仙台空港間の旅客輸送の中心であった仙台市交通局のエアポート・リムジンバスが廃止。翌3月18日より、愛子観光バスがエアポートリムジンを、東日本急行がエアポートライナーを開設。民間のバス会社2社は同区間に従前のリムジンバスの乗車料金より割安な運賃で参入したが、愛子観光バスは2008年(平成20年)2月29日、東日本急行は2009年(平成21年)1月31日をもって撤退。宮城交通・山交バスが運行していた仙台空港と山形市を結ぶ高速バスも2008年6月30日をもって廃止(2017年4月21日運行再開[52])。2010年3月31日には、ミヤコーバスによる仙台空港と館腰駅を結ぶ路線バスも廃止された。これにより、バス路線は岩沼市民バスによる岩沼駅方面への便のみという状態が長く続いたが、2016年8月1日より、仙台バスが館腰駅・岩沼駅方面に臨空循環バスを運行している[53]。
周辺
空港の東側には、江戸時代に伊達政宗の命により作られた貞山運河(貞山堀)が南北に流れており、それを越えてさらに東へ1kmほどいけば太平洋である。
旧仙台陸軍飛行学校内には1939年(昭和14年)創祀の航空神社があったが、占領期の1945年(昭和20年)に進駐軍に同校が接収されたため、神体は現在の空港ターミナルビルの東300mほどの名取市下増田にある下増田神社に遷された[54]。また、空港から南に5kmほどの岩沼市二の倉には、航空安全の神が祀られる二の倉神明社がある[55][56]。
滑走路の南西側の岩沼市内に仙台空港臨空公園が設置されている。当初は、中坪臨空公園として2011年(平成23年)4月に供用開始予定であったが、東日本大震災の影響を受けて1年遅れの2012年(平成24年)4月29日に供用開始された。
空港周辺にあるホテルは、ビジネスホテルが杜せきのした駅近くにあるホテルルートイン名取のみ。シティホテルは仙台市内が最寄となる。
事件・事故・重大インシデント
- 1963年(昭和38年)5月10日
- 千歳発三沢経由の全日本空輸802便が着陸復行の失敗により飛行不能となった。詳細は全日空機仙台空港着陸失敗事故を参照。
- 1985年(昭和60年)12月3日
- 2012年(平成24年)2月5日
- 2012年(平成24年)10月30日
脚注
注釈
出典
- ^ 国管理空港民営化第一号 仙台空港民営化のお知らせ - 仙台国際空港公式ページ、2016年7月1日、同月5日閲覧
- ^ a b 企業・団体・自治体等ユニバーサルデザイン取組状況調査結果 (PDF) [リンク切れ] 広島県
- ^ a b 27. 仙台空港旅客ターミナル (PDF) 国土交通省中国地方整備局「ユニバーサルデザイン先行事例」
- ^ 「來翰綴(陸密)第1部昭和15年(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C01007784900
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和39年7月9日政令第239号)
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和48年3月19日政令第25号)
- ^ 仙台空港の新管制塔が完成 18日から業務、耐震強度高める 日本経済新聞(2012年7月12日)
- ^ a b 仙台空港復興だより 第10号 (PDF) (宮城県 2012年8月30日)
- ^ 仙台空港定期便・全線復活記念キャンペーンを開催-7月30日から(FlyTeamNews 2012年7月27日)
- ^ 吉林・仙台両空港、友好協力覚書を締結 中国人民網(2012年8月17日)
- ^ グアム国際空港、仙台空港と姉妹空港提携 11月19日に調印式[リンク切れ] 徳島新聞(2012年11月22日)
- ^ 「仙台空港 FREE Wi-Fi」及び「仙台空港 Wi-Fi ポータルサイト」の提供開始について NTT東日本宮城支店 ニュースリリース(2013年7月31日)
- ^ 大震災4年:AKIRA」漫画家描く仙台空港の陶板壁画 毎日新聞(2015年3月12日)
- ^ 津波で損傷、海保機が現場復帰 修理完了 共同通信(2012年3月29日)
- ^ 空港の津波対策検討委員会(第1回)の開催について - 第1回委員会資料(概要版) (PDF) 国土交通省航空局
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- ^ a b 仙台空港に不発弾、終日滑走路閉鎖 きょう運航再開の方針 [リンク切れ] 河北新報(2012年10月31日)
- ^ 仙台空港、安全宣言 不発弾の撤去完了 [リンク切れ]河北新報(2012年11月14日)
外部リンク
- 仙台空港 公式ウェブサイト
- 宮城県土木部 空港臨空地域課
- 仙台空港 - 国土交通省 東京航空局
- 仙台空港供用規定 (PDF)
- 仙台空港の制限表面図 (PDF) - 仙台空港事務所
- 仙台空港 概要・沿革 - 国土交通省 東北地方整備局 塩釜港湾・空港整備事務所
- 仙台空港鉄道
- 仙台空港70年の歩み (七十七ビジネス情報第28号 シリーズ 先人に学ぶ) - 財団法人七十七ビジネス振興財団
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