「浅野忠信」の版間の差分
編集の要約なし |
|||
46行目: | 46行目: | ||
| 備考 = |
| 備考 = |
||
}} |
}} |
||
'''浅野 忠信'''(あさの ただのぶ、[[1973年]][[11月27日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]、[[音楽家]]。本名、'''佐藤 忠信'''(さとう ただのぶ)。英語圏での愛称は'''Tad'''(タッド)<ref>[https://web.archive.org/web/20120117133837/http://woman.infoseek.co.jp/news/celebrity/story.html?q=hollywood_16Jun2011_17097 タッド浅野忠信、ハリウッド初進出作『マイティ・ソー』の手応えは?](2012年1月17日時点の[[インターネット |
'''浅野 忠信'''(あさの ただのぶ、[[1973年]][[11月27日]] - )は、[[日本]]の[[俳優]]、[[音楽家]]。本名、'''佐藤 忠信'''(さとう ただのぶ)。英語圏での愛称は'''Tad'''(タッド)<ref>[https://web.archive.org/web/20120117133837/http://woman.infoseek.co.jp/news/celebrity/story.html?q=hollywood_16Jun2011_17097 タッド浅野忠信、ハリウッド初進出作『マイティ・ソー』の手応えは?](2012年1月17日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) Infoseek woman 2011年6月16日閲覧</ref><ref>{{Cite news |title=タッド浅野忠信、ハリウッド初進出作『マイティ・ソー』の手応えは? |newspaper=ハリウッドニュース |publisher=ネットワークインフォメーションセンター |date=2011-06-16 |url=http://www.hollywood-news.jp/news/%E6%98%A0%E7%94%BB/%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%89%E6%B5%85%E9%87%8E%E5%BF%A0%E4%BF%A1%E3%80%81%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E5%88%9D%E9%80%B2%E5%87%BA%E4%BD%9C%E3%80%8E%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3.html |accessdate=2016-08-09}}</ref>。 |
||
[[神奈川県]][[横浜市]][[南区 (横浜市)|南区]]出身。[[神奈川県立磯子高等学校]]卒業。[[アノレ]]<ref group="注">代表は父・佐藤幸久。[[1996年]]設立。</ref>所属<ref>{{Cite news |title=浅野忠信とCharaが多忙スレ違い離婚 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090726-523338.html |work=nikkansports.com |publisher=[[日刊スポーツ新聞社]] |date=2009-07-26 |accessdate=2011-08-04}}</ref>。 |
[[神奈川県]][[横浜市]][[南区 (横浜市)|南区]]出身。[[神奈川県立磯子高等学校]]卒業。[[アノレ]]<ref group="注">代表は父・佐藤幸久。[[1996年]]設立。</ref>所属<ref>{{Cite news |title=浅野忠信とCharaが多忙スレ違い離婚 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090726-523338.html |work=nikkansports.com |publisher=[[日刊スポーツ新聞社]] |date=2009-07-26 |accessdate=2011-08-04}}</ref>。 |
||
69行目: | 69行目: | ||
忠信兄弟は、公園で[[ビキニ (水着)|ビキニ]]姿で[[日光浴]]するような奔放さを持つ母と、整理整頓が得意で几帳面な父のもと、横浜市で育った。両親は20代前半で子を得てまだ若く奔放であった。忠信自身は父親は「家でいつも調子が悪いと言っては家で寝てばかりいる」、母親は「学校を休ませてドライブに誘う」、夜に忠信兄弟を家に残して両親が[[ディスコ]]に行ってしまうこともたびたびで、兄弟は近所の家に「お母さんがいない」と泣きついたこともあったという<ref name="junko" />。曰く、「[[ヒッピー]]の子供で生まれた」としている<ref name="TBS 20120108" /><ref name="clothes">{{Cite web |title=浅野忠信さん(アナーキスト / 俳優 / ミュージシャン)|url=http://blog.livedoor.jp/cjcr/archives/50983964.html |work=Clothes Relay(個人ブログ)|publisher=Crown Jewel |date=2007-05-14 |accessdate=2011-08-04 |archiveurl=http://archive.is/EmAw |archivedate=2012-12-19}}</ref>。一方で両親は「親が白と言ったら白なんだ」という厳しさも持ち合わせていた<ref name="junko" />。大黒柱である父親が最初に食事をし、子供は残ったものを食べるというように、甘やかされることなく浅野は育てられた<ref name="junko" />。母の言によれば、忠信はいつもニコニコと笑いながら歩いている子供だったと言う<ref name="junko" />。 |
忠信兄弟は、公園で[[ビキニ (水着)|ビキニ]]姿で[[日光浴]]するような奔放さを持つ母と、整理整頓が得意で几帳面な父のもと、横浜市で育った。両親は20代前半で子を得てまだ若く奔放であった。忠信自身は父親は「家でいつも調子が悪いと言っては家で寝てばかりいる」、母親は「学校を休ませてドライブに誘う」、夜に忠信兄弟を家に残して両親が[[ディスコ]]に行ってしまうこともたびたびで、兄弟は近所の家に「お母さんがいない」と泣きついたこともあったという<ref name="junko" />。曰く、「[[ヒッピー]]の子供で生まれた」としている<ref name="TBS 20120108" /><ref name="clothes">{{Cite web |title=浅野忠信さん(アナーキスト / 俳優 / ミュージシャン)|url=http://blog.livedoor.jp/cjcr/archives/50983964.html |work=Clothes Relay(個人ブログ)|publisher=Crown Jewel |date=2007-05-14 |accessdate=2011-08-04 |archiveurl=http://archive.is/EmAw |archivedate=2012-12-19}}</ref>。一方で両親は「親が白と言ったら白なんだ」という厳しさも持ち合わせていた<ref name="junko" />。大黒柱である父親が最初に食事をし、子供は残ったものを食べるというように、甘やかされることなく浅野は育てられた<ref name="junko" />。母の言によれば、忠信はいつもニコニコと笑いながら歩いている子供だったと言う<ref name="junko" />。 |
||
[[混血#日本社会における混血|クォーター]]のために幼い頃は髪の色が[[金髪]]に近く、何もしていなくても目立っていて声をかけられることも多かった。子ども心に、日本人だが日本人になりきれていない違和感も感じていたという<ref name="TBS 20120108" />。しかし、「子供の頃から目立ちたがり屋で、いつもテレビに出たいと思っていた」といい<ref name="usfl">{{Cite web |title=浅野忠信 - 映画情報 |url=http://www.usfl.com/article.asp?id=35213 |work=usfl.com |publisher=U.S.FrontLine |date= |accessdate=2011-08-04}}{{リンク切れ|date=2016年10月}}</ref>。やがて自分から無理に目立つことをしなくてもいいと思うようになった。そう思うきっかけになったのは、母が忠信に見せた[[ウッドストック・フェスティバル]]の映像であった。ステージ上のミュージシャンが観客を熱狂させているのを見て、人前で大勢の人を喜ばせるようなことをしたいと考えるようになり、それが今日の自身の穏やかな印象に影響していると浅野は考えている。<ref name="donju">[https://web.archive.org/web/20120114225838/http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090518/1026319/?P=1 映画『鈍獣』の主演・浅野忠信がテレビドラマに出演しない理由とは?日経トレンディネット](2012年1月14日時点の[[インターネット |
[[混血#日本社会における混血|クォーター]]のために幼い頃は髪の色が[[金髪]]に近く、何もしていなくても目立っていて声をかけられることも多かった。子ども心に、日本人だが日本人になりきれていない違和感も感じていたという<ref name="TBS 20120108" />。しかし、「子供の頃から目立ちたがり屋で、いつもテレビに出たいと思っていた」といい<ref name="usfl">{{Cite web |title=浅野忠信 - 映画情報 |url=http://www.usfl.com/article.asp?id=35213 |work=usfl.com |publisher=U.S.FrontLine |date= |accessdate=2011-08-04}}{{リンク切れ|date=2016年10月}}</ref>。やがて自分から無理に目立つことをしなくてもいいと思うようになった。そう思うきっかけになったのは、母が忠信に見せた[[ウッドストック・フェスティバル]]の映像であった。ステージ上のミュージシャンが観客を熱狂させているのを見て、人前で大勢の人を喜ばせるようなことをしたいと考えるようになり、それが今日の自身の穏やかな印象に影響していると浅野は考えている。<ref name="donju">[https://web.archive.org/web/20120114225838/http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20090518/1026319/?P=1 映画『鈍獣』の主演・浅野忠信がテレビドラマに出演しない理由とは?日経トレンディネット](2012年1月14日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])参考。</ref> |
||
小学生の頃から実家の隣の空手道場に兄と通った<ref name="yokohama">[<!-- http://www.kanaloco.jp/serial/entry/k_person37/ -->http://archive.is/bXp7b K-PERSON 浅野忠信(2007年9月9日紙面掲載)](2013年8月28日時点の[[archive.is|アーカイブ]])参考。</ref>。また、[[ブレイクダンス]]や[[スケートボード]]も始めた<ref name="clothes" />。中学からは音楽を始め、[[パンク・ロック|パンクロック]]バンドを組み[[元町 (横浜市)|元町]]や[[本牧]]のライブハウスを渡り歩いた<ref name="yokohama" />。この頃ファンであったのは[[おニャン子クラブ]]の[[吉沢秋絵]]で、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]前で[[出待ち]]をしたこともあったという<ref>『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』 2009年6月25日放送回より。</ref>。[[ビートたけし]]のファンでもあり、父親が[[石倉三郎]]の[[マネージャー]]をしていたことから『[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城|風雲!たけし城]]』の見学にも来ていた<ref>{{Cite web |date=2016-02-19 |url=http://www.tbsradio.jp/tama954/2016/02/post-1457.html |title=2月19日(金) 小林悠×玉袋筋太郎 |publisher=[[TBSラジオ&コミュニケーションズ]] |work=たまむすび |accessdate=2016-02-28}}</ref>。 |
小学生の頃から実家の隣の空手道場に兄と通った<ref name="yokohama">[<!-- http://www.kanaloco.jp/serial/entry/k_person37/ -->http://archive.is/bXp7b K-PERSON 浅野忠信(2007年9月9日紙面掲載)](2013年8月28日時点の[[archive.is|アーカイブ]])参考。</ref>。また、[[ブレイクダンス]]や[[スケートボード]]も始めた<ref name="clothes" />。中学からは音楽を始め、[[パンク・ロック|パンクロック]]バンドを組み[[元町 (横浜市)|元町]]や[[本牧]]のライブハウスを渡り歩いた<ref name="yokohama" />。この頃ファンであったのは[[おニャン子クラブ]]の[[吉沢秋絵]]で、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]前で[[出待ち]]をしたこともあったという<ref>『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』 2009年6月25日放送回より。</ref>。[[ビートたけし]]のファンでもあり、父親が[[石倉三郎]]の[[マネージャー]]をしていたことから『[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城|風雲!たけし城]]』の見学にも来ていた<ref>{{Cite web |date=2016-02-19 |url=http://www.tbsradio.jp/tama954/2016/02/post-1457.html |title=2月19日(金) 小林悠×玉袋筋太郎 |publisher=[[TBSラジオ&コミュニケーションズ]] |work=たまむすび |accessdate=2016-02-28}}</ref>。 |
||
101行目: | 101行目: | ||
俳優業のほかに、「ASANO TADANOBU」名義や、「Bunodata」名義<ref group="注">「Tadanobu(ただのぶ)」の[[アナグラム]]。名付け親は[[Shing02]]とのこと。</ref>、 |
俳優業のほかに、「ASANO TADANOBU」名義や、「Bunodata」名義<ref group="注">「Tadanobu(ただのぶ)」の[[アナグラム]]。名付け親は[[Shing02]]とのこと。</ref>、 |
||
「PEACE PILL」<ref>[http://www.badnews.co.jp/main/ja/public/cgi-bin/artist_main.cgi?ad=peacepill Bad News Records ARTIST PEACE PILL]参考。以前は俳優の[[岡田義徳]]も参加していたバンド。</ref>、「SAFARI」(1999年結成<ref>[http://www.loft-prj.co.jp/interview/0405/10.htm LOFT PROJECT SAFARI インタビュー]参考。[[ブライアン・バートンルイス]]らとの[[ハードコア・パンク|ハードコア]]バンド。</ref>)などでボーカルやギターとして音楽活動も行っている。「SAFARI」では[[フジロックフェスティバル]]に何度か出演している<ref>[https://web.archive.org/web/20070317212457/http://www.fujirockfestival.com/history/history05.html FUJI ROCK FESTIVAL '08 FRFの軌跡 ’05](2007年3月17日時点の[[インターネット |
「PEACE PILL」<ref>[http://www.badnews.co.jp/main/ja/public/cgi-bin/artist_main.cgi?ad=peacepill Bad News Records ARTIST PEACE PILL]参考。以前は俳優の[[岡田義徳]]も参加していたバンド。</ref>、「SAFARI」(1999年結成<ref>[http://www.loft-prj.co.jp/interview/0405/10.htm LOFT PROJECT SAFARI インタビュー]参考。[[ブライアン・バートンルイス]]らとの[[ハードコア・パンク|ハードコア]]バンド。</ref>)などでボーカルやギターとして音楽活動も行っている。「SAFARI」では[[フジロックフェスティバル]]に何度か出演している<ref>[https://web.archive.org/web/20070317212457/http://www.fujirockfestival.com/history/history05.html FUJI ROCK FESTIVAL '08 FRFの軌跡 ’05](2007年3月17日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])参考。</ref><ref>[http://www.fujitv.co.jp/FACTORY/CS0130/0002pro.html FACTORY#0130 SAFARI-PROFILE]参考。</ref>。 |
||
[[2011年]](平成23年)、映画『[[マイティ・ソー (映画)|マイティー・ソー]]』で、初の[[ハリウッド]]映画に出演。新境地を開く。 |
[[2011年]](平成23年)、映画『[[マイティ・ソー (映画)|マイティー・ソー]]』で、初の[[ハリウッド]]映画に出演。新境地を開く。 |
||
120行目: | 120行目: | ||
=== 忠信の家族 === |
=== 忠信の家族 === |
||
[[1995年]]([[平成]]7年)3月、岩井監督の映画『[[PiCNiC]]』で共演した6歳年上の歌手の[[CHARA]]とできちゃった結婚。同年7月に長女[[SUMIRE]]が誕生し、22歳で父となる。[[1999年]](平成11年)、長男が誕生。自身の写真集にはCHARAに抱きつき顔を埋めているものが使用されたり、CHARAのアルバムのジャケットに片手だけ映ったりし、公私ともに良好だった。しかし[[2009年]](平成21年)7月25日、所属事務所のサイトにてCHARAと協議離婚したことを発表し<ref>[https://web.archive.org/web/20090928034615/http://www.anore.co.jp/information/ ANORE INC. お知らせ](2009年9月28日時点の[[インターネット |
[[1995年]]([[平成]]7年)3月、岩井監督の映画『[[PiCNiC]]』で共演した6歳年上の歌手の[[CHARA]]とできちゃった結婚。同年7月に長女[[SUMIRE]]が誕生し、22歳で父となる。[[1999年]](平成11年)、長男が誕生。自身の写真集にはCHARAに抱きつき顔を埋めているものが使用されたり、CHARAのアルバムのジャケットに片手だけ映ったりし、公私ともに良好だった。しかし[[2009年]](平成21年)7月25日、所属事務所のサイトにてCHARAと協議離婚したことを発表し<ref>[https://web.archive.org/web/20090928034615/http://www.anore.co.jp/information/ ANORE INC. お知らせ](2009年9月28日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])参考。</ref>、14年余りの結婚生活にピリオドを打った。 |
||
長女のSUMIREの眼は虹彩がグリーンに近い茶色だが、カラーコンタクトではなく遺伝である。浅野自身も虹彩が日本人より明るい茶色である。 |
長女のSUMIREの眼は虹彩がグリーンに近い茶色だが、カラーコンタクトではなく遺伝である。浅野自身も虹彩が日本人より明るい茶色である。 |
2017年9月4日 (月) 14:07時点における版
あさの ただのぶ 浅野 忠信 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
浅野 忠信(『マイティ・ソー』のプレミアにて) | |||||||||||||||
本名 | 佐藤 忠信 | ||||||||||||||
生年月日 | 1973年11月27日(51歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本・神奈川県横浜市 | ||||||||||||||
身長 | 179 cm[1] | ||||||||||||||
血液型 | A型[1] | ||||||||||||||
職業 | 俳優・音楽家 | ||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・CM | ||||||||||||||
活動期間 | 1990年 - | ||||||||||||||
配偶者 | CHARA(1995年 - 2009年)離別 | ||||||||||||||
著名な家族 | SUMIRE(長女) | ||||||||||||||
事務所 | アノレ | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『地雷を踏んだらサヨウナラ』 『モンゴル』 『マイティ・ソー』 『バトルシップ』 『私の男』 『岸辺の旅』 『淵に立つ』 テレビドラマ 『ロング・グッドバイ』 | |||||||||||||||
|
浅野 忠信(あさの ただのぶ、1973年11月27日 - )は、日本の俳優、音楽家。本名、佐藤 忠信(さとう ただのぶ)。英語圏での愛称はTad(タッド)[2][3]。
神奈川県横浜市南区出身。神奈川県立磯子高等学校卒業。アノレ[注 1]所属[4]。 身長179cm、体重58kg [1]。
来歴
生い立ち
母方の祖父ウィラード・オバリング(Willard N. Overing)はアメリカ合衆国ミネソタ州ウィノナ生まれ[5][6]の北欧系アメリカ人[注 2]。
忠信の母はナバホ系のアメリカ・インディアンで元農民[5]の血統と思い込んでおり、忠信自身もそれを30年以上信じていた[7]が、番組製作時の調査でそれが間違いと判明。ウィラードの弟ゴードンは「父ジェイコブはオランダ人、母エラベルはノルウェー人で、共に北欧の家系である」と証言した。ただ、ウィラードの出身地(ゴードンの現住地)ウィノナはもともとアメリカ・インディアンであるスー族の一支族ダコタが居住する地域であった。また、オバリング家は、未開拓地を無償で払い下げる法律を作ってヨーロッパからの移民を大量に受け入れていた19世紀後半のアメリカに渡ってきた西部開拓移民であったことも、証言とファミリーヒストリー取材班の調査によって明らかとなった。一家は小麦や大豆を作って生計を立てていたという。
第二次世界大戦時(1946年、18歳時)以降はアメリカ陸軍の料理兵であった[5]。戦後、日本に駐留し[注 3]、配属された横浜市にて浅野の祖母である浅野イチ子と出会う[5]。
元・芸者であったイチ子は、ウィラードより15歳年上の38歳で、戦後、満州の大連市から帰国したが、故郷・広島が原爆で壊滅したため、仕事を求めて上京していたという[5]。 やがてふたりは結婚し、1950年(昭和25年)9月23日に長女・順子(忠信の母)が生まれた[5]。
その後、ウィラードはアメリカ軍の引き揚げに伴って帰国する際、イチ子と順子の渡米を強く望んだが、イチ子はこれを拒んで日本にとどまった[5][注 4]。
順子は18歳で結婚し、1971年(昭和46年)11月14日に長男の久順(ひさとし)(現・KUJUN。俳優、演奏者)が、1973年(昭和48年)11月27日に二男の忠信(以下、浅野とも表記)が誕生した[8]。
忠信兄弟は、公園でビキニ姿で日光浴するような奔放さを持つ母と、整理整頓が得意で几帳面な父のもと、横浜市で育った。両親は20代前半で子を得てまだ若く奔放であった。忠信自身は父親は「家でいつも調子が悪いと言っては家で寝てばかりいる」、母親は「学校を休ませてドライブに誘う」、夜に忠信兄弟を家に残して両親がディスコに行ってしまうこともたびたびで、兄弟は近所の家に「お母さんがいない」と泣きついたこともあったという[8]。曰く、「ヒッピーの子供で生まれた」としている[7][9]。一方で両親は「親が白と言ったら白なんだ」という厳しさも持ち合わせていた[8]。大黒柱である父親が最初に食事をし、子供は残ったものを食べるというように、甘やかされることなく浅野は育てられた[8]。母の言によれば、忠信はいつもニコニコと笑いながら歩いている子供だったと言う[8]。
クォーターのために幼い頃は髪の色が金髪に近く、何もしていなくても目立っていて声をかけられることも多かった。子ども心に、日本人だが日本人になりきれていない違和感も感じていたという[7]。しかし、「子供の頃から目立ちたがり屋で、いつもテレビに出たいと思っていた」といい[10]。やがて自分から無理に目立つことをしなくてもいいと思うようになった。そう思うきっかけになったのは、母が忠信に見せたウッドストック・フェスティバルの映像であった。ステージ上のミュージシャンが観客を熱狂させているのを見て、人前で大勢の人を喜ばせるようなことをしたいと考えるようになり、それが今日の自身の穏やかな印象に影響していると浅野は考えている。[11]
小学生の頃から実家の隣の空手道場に兄と通った[12]。また、ブレイクダンスやスケートボードも始めた[9]。中学からは音楽を始め、パンクロックバンドを組み元町や本牧のライブハウスを渡り歩いた[12]。この頃ファンであったのはおニャン子クラブの吉沢秋絵で、フジテレビ前で出待ちをしたこともあったという[13]。ビートたけしのファンでもあり、父親が石倉三郎のマネージャーをしていたことから『風雲!たけし城』の見学にも来ていた[14]。
デビュー以降
1988年(昭和63年)、父親からテレビドラマ『3年B組金八先生III』(TBS系)のオーディションを勧められて受けたところ、合格し、タレントおよび俳優としてデビューした[10]。当初はテレビにも出演していたが、撮って放映してを繰り返すテレビの機械的なサイクルが肌に合わず、バンド活動のほうに傾倒しはじめていたのもあって、父親やマネージャーと喧嘩になることも多かった。18歳になり、父親に俳優を辞めることを宣言してしまうが、祖母から諫められ、再びバンド活動と両立して俳優業も続けていくことを決意したという[11][7]。
1990年(平成2年)、『バタアシ金魚』で脇役として映画デビューを果たす。大人同士が徹夜や喧嘩を繰り返しながら目標に向かって一生懸命取り組む映画製作のスタイルが信用できることに思えたと言う[11]。以降、「映画でだけなら仕事をしてもいい」と考えるようになった[15]浅野は、岩井俊二・是枝裕和・青山真治など新鋭の映画監督の作品に出演し、知名度を高めてゆく。
1996年(平成8年)、『Helpless』で映画初主演を果たす。
活動の場は国内にとどまらず、ウォン・カーウァイ監督『wkw/tk/1996@/7’55”hk.net』(1996年)、クリストファー・ドイル監督『孔雀』(1999年)などでも主演を務め、国際的にも注目を高めていった。1997年(平成9年)には、日本アカデミー賞話題賞、および、ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞している。
2000年(平成12年)、『御法度』と『五条霊戦記』で報知映画賞助演男優賞を受賞。 『御法度』では、松田龍平と意気投合し、以来15年間の交遊をもっている。
2001年(平成13年)、『地雷を踏んだらサヨウナラ』で毎日映画コンクール男優主演賞受賞。浅野の誕生日は偶然にも役を演じた一ノ瀬泰造の行方不明が報道された日でもある(実際に一之瀬が亡くなったのはこの日より前)。
2003年(平成15年)、タイ・日本その他の合作映画『地球で最後のふたり』(ペンエーグ・ラッタナルアーン監督)でヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門主演男優賞を受賞。
2004年(平成16年)、初監督作品『トーリ』を製作。ドキュメンタリーやアニメーションが織り込まれた5話のオムニバス作品。高校生の頃に観たボブ・マーリーのドキュメンタリー映画『Time Will Tell』で、マーリーの葬儀のときに鳥が飛んでいくシーンから受けた影響が製作の元になっているという[16]。昭和のいる・こいるや、無名の頃の菊地凛子(当時は菊池百合子)、首藤康之などが出演し、首藤は本作品で初めて自身で振り付けしたバレエを披露した。また、兄のKUJUNも音楽の担当として参加。3月にDVDで発表し、5月に渋谷シネ・ラセット(2008年1月閉館)で公開された。
2005年(平成17年)、『誰がために』と『乱歩地獄』で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。
2007年(平成19年)、ロシアのセルゲイ・ボドロフ監督作品『モンゴル』で、チンギス・ハーン役で主演した。ボドロフは浅野に「内面から発する光のようなもの」を感じ[17]、「この役を演じられるのは浅野しかいない」と抜擢。浅野はCDをひたすら聴いてモンゴル語を憶え、尻の皮がむけるほど乗馬を猛練習して撮影に臨んだ[15][18]。
2008年(平成20年)2月、『モンゴル』が第80回アカデミー賞外国語作品部門にノミネートされ、浅野は妻のCHARAを伴ってロサンゼルスで記者会見を行った[18]。このとき浅野は、「撮影で留守にしている間にCHARAが家庭内のことを忙しい中やってくれていてありがたい」と感謝を述べた[18]。また、食事の際に歌を歌う文化のため、アカペラで『THE BLUE HEARTS』などの曲を歌ったことなど、モンゴルでの撮影中の裏話がCHARAとの会話の中で明かされた[18]。
2009年(平成21年)、『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』ほかで日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞を受賞。
俳優業のほかに、「ASANO TADANOBU」名義や、「Bunodata」名義[注 5]、 「PEACE PILL」[19]、「SAFARI」(1999年結成[20])などでボーカルやギターとして音楽活動も行っている。「SAFARI」ではフジロックフェスティバルに何度か出演している[21][22]。
2011年(平成23年)、映画『マイティー・ソー』で、初のハリウッド映画に出演。新境地を開く。
2012年(平成24年)、ハリウッド映画2作目となる『バトルシップ』に出演[23]。
2014年、主演映画『私の男』で第36回モスクワ国際映画祭最優秀男優賞[24]、第57回ブルーリボン賞主演男優賞[25]を受賞した。
2015年、主演作『岸辺の旅』が第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品され、黒沢清が監督賞を受賞[26]。アメリカ合衆国サンフランシスコで開催されたJ-POP SUMMIT関連映画祭、サンフランシスコ日本映画際にて、第一回目名誉賞に輝いた。[27]
2016年、主演作『淵に立つ』が第69回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品され、作品が審査員賞を受賞。2年連続で主演作が同部門で受賞となった[28]。
家族・親族
浅野家と親族
広島県生まれの祖母・浅野イチ子(1911年[明治44年]- 2004年[平成16年])は、芸者の置屋を営む父(忠信の曽祖父)を持ち、自身も若い頃は芸者であった[5]。生後まもなく、父に従って満州国大連市に移住した[5]イチ子は、24歳のとき、南満州鉄道(満鉄)の社員(特急「あじあ」食堂車給仕長)で福岡県出身の廣松定(ひろまつ さだむ)と結婚した[5]。当時の満鉄は社員待遇の良さで知られており、イチ子らは何不自由の無い暮らしを送ったが、8年あまりのちに離婚している[5]。ふたりの間に子はいなかった[5]。離婚したとき、イチ子の父はすでに他界し、母は再婚して別家庭を持っていたため、戻るべき家庭は無くなっていた[5]。満州から引き揚げるも故郷・広島は原爆で壊滅していたため、仕事を求めて上京し、横浜市にてアメリカ駐留軍横浜司令部勤務の料理兵・ウィラード・オバリング(1926年[6]- 1992年4月)に彼の友人を通じて紹介され、交際するようになった[5]。このとき、ウィラードは23歳、イチ子は38歳であった[5]。やがてふたりは結婚し、朝鮮戦争のためにウィラードが日本を離れて出動している最中の1950年(昭和25年)9月23日、忠信の母・順子が誕生する[5]。
なお、忠信の祖母・イチ子は夫ウィラードの話を忠信らにほとんど語って聴かせなかったし、忠信の母・順子も父ウィラードと4歳のときに別れ、以来一度も会うことが無かった[5]。忠信はそのような母による断片的な話と数枚の写真でしか祖父を知らず、過去に自力で調べはしたものの、詳細については全く分からずにいたと言うが、NHKの番組『ファミリーヒストリー』の取材班によって2011年(平成23年)5月より始まった綿密な調査の結果、曽祖父母にまで遡る詳細が明らかとなった[5]。ウィラードは帰国後、横浜配属前の旧配属地であるフォートノックス基地(ケンタッキー州フォートノックスにある陸軍基地)に再び着任し、その4年後、当地で知り合った2児を持つ4歳年上のアメリカ人女性ジーン・ウィートと再婚したが、新たに子は設けず、実子は順子だけであった[5]。『ファミリーヒストリー』の取材に応じてウィラードの遺品を家族(ウィート家)が整理した際、亡くなる直前まで持ち歩いていた財布の中から生き別れた4歳当時の順子のポートレート1枚が見つかっている[5]。忠信は、祖父の人生を通じて、貧しい開拓民の話や1929年に始まった世界恐慌などアメリカ合衆国における過去の歴史も身近なものと感じることができるようになった自身の変化を語り、今後の演技(特にアメリカにおける仕事)にも活かせるのではないかとして、番組を締めた[5]。
忠信の家族
1995年(平成7年)3月、岩井監督の映画『PiCNiC』で共演した6歳年上の歌手のCHARAとできちゃった結婚。同年7月に長女SUMIREが誕生し、22歳で父となる。1999年(平成11年)、長男が誕生。自身の写真集にはCHARAに抱きつき顔を埋めているものが使用されたり、CHARAのアルバムのジャケットに片手だけ映ったりし、公私ともに良好だった。しかし2009年(平成21年)7月25日、所属事務所のサイトにてCHARAと協議離婚したことを発表し[29]、14年余りの結婚生活にピリオドを打った。
長女のSUMIREの眼は虹彩がグリーンに近い茶色だが、カラーコンタクトではなく遺伝である。浅野自身も虹彩が日本人より明るい茶色である。
出演
日本映画
1990年代
- バタアシ金魚(1990年) - ウシ 役
- パンツの穴 キラキラ星みつけた!(1991年) - 倉本恒夫 役
- あいつ(1991年) - 岩田貞人 役
- 青春デンデケデケデケ(1992年) - 白井清一 役
- 眠らない街〜新宿鮫〜(1993年) - 砂上幸一 役
- FRIED DRAGON FISH(1993年) - ナツロウ 役 :1996年に映画上映となった。
- 119(1994年) - 松本聡 役
- 四姉妹物語(1995年) - 樋口彰 役
- 幻の光(1995年) - 郁夫 役
- PiCNiC(1996年) - 主演・ツムジ 役
- Helpless(1996年) - 主演・白石健次 役
- スワロウテイル(1996年) - ノンクレジットのカメオ出演
- Focus(1996年) - 金村 役
- ACRI(1996年) - 海原密 役
- ユメノ銀河(1997年) - 新高竜夫 役
- 東京日和(1997年) - 若い男 役
- ラブ&ポップ(1998年) - キャプテンXXの男 役
- ねじ式(1998年) - ツベ 役
- 落下する夕方(1998年) - ほか弁屋の客 役
- 鮫肌男と桃尻女(1999年) - 主演・鮫肌黒男 役
- 双生児 -GEMINI-(1999年) - 復讐の若者 役
- 白痴(1999年) - 主演・伊沢 役
- 地雷を踏んだらサヨウナラ(1999年) - 主演・一ノ瀬泰造 役
- 御法度(1999年) - 田代彪蔵 役
2000年代
- 五条霊戦記 GOJOE(2000年) - 遮那王 役
- PARTY7(2000年) - オキタソウジ 役
- ELECTRIC DRAGON 80000V(2001年) - 竜眼寺盛尊 役
- DISTANCE(2001年) - 坂田 役
- 風花(2001年) - 澤城廉司 役
- 殺し屋1(2001年) - 垣原 役
- 水の女(2002年) - 宮澤優作 役
- DEAD END RUN 第3話「FLY」(2003年) - 逃げる男 役 オムニバス作品。
- アイデン&ティティ(2003年) - カメオ出演
- 座頭市(2003年) - 服部源之助 役
- アカルイミライ(2003年) - 有田守 役
- わたしのグランパ(2003年) - 中藤慎一 役
- トーリ(2004年) 初監督作品。オムニバス作品。
- SURVIVE STYLE5+(2004年) - 石垣昌宏 役
- ヴィタール(2004年) - 高木博史 役
- 珈琲時光(2004年) - 竹内肇 役
- 父と暮せば(2004年) - 木下 役
- 茶の味(2004年) - 春野アヤノ 役
- 埋もれ木(2005年) - 三ちゃん 役
- 乱歩地獄(2005年) オムニバス作品。
- 誰がために(2005年) - 民郎 役
- 東京ゾンビ(2005年) - フジオ 役
- エリ・エリ・レマ・サバクタニ(2006年) - ミズイ 役
- 花よりもなほ(2006年) - 金沢十兵衛 役
- ナイスの森〜The First Contact〜(2006年) - 田中マサル 役 オムニバス作品。
- サッド ヴァケイション(2007年) - 白石健次 役
- R246 STORY 224466(2008年) - 246 役 監督と主演。オムニバス作品。
- 母べえ(2008年) - 山崎徹 役
- 夢のまにまに(2008年) - 闇屋 役
- 鈍獣(2009年) - 凸川(凸やん) 役
- eatrip(2009年) - インタビュー出演
- 劒岳 点の記(2009年) - 柴崎芳太郎 役
- ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜(2009年) - 大谷 役
- SOUL RED 松田優作(2009年) - インタビュー出演
- スノープリンス 禁じられた恋のメロディ(2009年) - 萩尾 役
2010年代
- 乱暴と待機(2010年) - 山根英則 役
- REDLINE(2010年) - フリスビー 役 声優[30]。
- 酔いがさめたら、うちに帰ろう。(2010年) - 塚原安行 役
- これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫(2011年) - 主演・赤塚不二夫(役)、バカボンのパパ・イヤミ・ニャロメ など(声) 役
- ステキな金縛り(2011年) - 木戸健一 役
- 月光ノ仮面(2011年) - 岡本太郎 役
- あなたへ(2012年) - 警官 役
- 終の信託(2012年) - 高井則之 役
- 黄金を抱いて翔べ(2012年) - 北川浩二 役
- 清須会議(2013年) - 前田利家 役
- 魔女の宅急便(2014年) - イシ先生 役
- 私の男(2014年) - 主演・腐野淳悟 役
- ルパン三世(2014年) - 銭形警部 役
- 寄生獣・寄生獣 完結編(2014年・2015年、東宝) - 後藤 役
- 岸辺の旅(2015年10月1日) - 主演・優介 役
- グラスホッパー(2015年11月7日) - 鯨 役
- 母と暮せば(2015年12月12日)-黒田 役
- 淵に立つ(2016年10月8日、エレファントハウス) - 主演・八坂草太郎 役
- 新宿スワンII(2017年1月21日、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) - 滝正樹 役[31]
- 幼な子われらに生まれ(2017年公開予定) - 主演・田中信 役 [32]
日本以外の映画
複数国の合作映画を含む。
- 孔雀 Away With Words(1999年) - 主演・アサノ 役
- 地球で最後のふたり Last Life in the Universe(2003年) - 主演・ケンジ 役
- wkw/tk/1996@/7’55”hk.net wkw/tk/1996@7'55"hk.net - 男 役 短編映画。
- インビジブル・ウェーブ タイ語: คำพิพากษาของมหาสมุทร (2007年) - キョウジ 役
- モンゴル Монгол(2007年) - 主演・テムジン(のちのチンギス・ハーン) 役
- マイティ・ソー Thor (2011年) - ホーガン 役 ハリウッドデビュー作。日本語吹き替えも担当。
- バトルシップ Battleship (2012年) - ユウジ・ナガタ 役[33]
- 47RONIN 47 Ronin (2013年) - 吉良 役
- マイティ・ソー/ダーク・ワールド Thor: The Dark World (2013年) - ホーガン 役
- The Wasted Times 中国語: 罗曼蒂克消亡史 (2016年) - 主演・渡部 役
- 沈黙 -サイレンス- Silence (2016年) -通詞 役
テレビドラマ
- 3年B組金八先生 第3シリーズ(1988年10月10日 - 1988年12月26日、TBS)東正広 役
- La cuisine『FRIED DRAGON FISH』(1993年、フジテレビ)ナツロウ 役
- チャンス!(1993年、フジテレビ)第5話
- 春の一族(1993年、NHK総合テレビ)生方智樹 役
- 月曜ドラマスペシャル「バスガイド愛子 これが最後の恋」(1993年、TBS) - 徳丸勇作 役
- 「みちのくの恋」(1994年)
- まばたきの海に 美少女葵・心の旅(1994年、NHK総合テレビ)
- 麻酔(1994年、読売テレビ) - 福士達彦 役
- 火曜サスペンス劇場『1995年殺人捜査 札つきのワルが殺された』(1995年7月4日、日本テレビ) - 新宿のスナック店長・原田継男役
- 私の叔父さん(1995年10月6日、フジテレビ)
- ウルトラマンティガ 第40話(1996年、毎日放送) - 茶髪の青年 役
- 命捧げ候 〜夢追い坂の決闘〜 (1996年、NHK総合テレビ) - 源太 役
- 恋、した。/ハイ・スピード3〜恋のストローハット(1997年、テレビ東京)
- タイフーン・シェルター(1997年、フジテレビ)ホンコン 役 - 撮影監督はクリストファー・ドイル
- 翔ぶ男(1998年、NHK総合テレビ)
- 私立探偵 濱マイク 第10話(2002年、読売テレビ)
- ステキな隠し撮り〜完全無欠のコンシェルジュ〜(2011年、フジテレビ) - 芸術家 役
- 世にも奇妙な物語 2011年 秋の特別編「耳かき」(2011年、フジテレビ) - 主演・トレンチコートの男 役
- ロング・グッドバイ(2014年、NHK総合テレビ) - 主演・増沢磐二 役
- A LIFE〜愛しき人〜(2017年1月 - 、TBS) - 壇上壮大 役[34]
- 刑事ゆがみ(2017年10月 - ) - 主演・弓神適当 役[35]
携帯ドラマ
- きまぐれロボット (2008年) - エヌ役
- 私が黄金を追う理由〜映画「黄金を抱いて翔べ」スペシャルドラマ〜(2012年10月1日 - 、BeeTV) - 北川浩二 役
バラエティ ほか
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(日本テレビ)「芸能人釣り選手権」に現在まで5度出演
- NHKスペシャル「世界を変えた男・スティーブ・ジョブズ」(2011年12月23日、NHK総合)語り
他多数
ラジオ
CM
- サントリー - 角瓶(1996年)※井川比佐志と共演。
- ワールド - TAKEO KIKUCHI(1996年)※同社主導で制作された映画『wkw/tk/1996@/7’55”hk.net』へ出演。同ブランドの衣装提供等を兼ねていた。
- カゴメ - トマトジュース 野菜生活100(1998年 - 1999年)
- 富士ゼロックス(2000年)※過激な内容(いじめなどを助長)のため、一部作品は放映中止の措置が取られている。
- KDDI(2000年 - 2002年) KDDI誕生後、主にauブランドのイメージキャラクターを務める。KDDIブランドでの共演は、豊川悦司、永瀬正敏。
- マイクロソフト - Xbox 三輪車編(2002年)村上淳、松岡俊介と共演。
- ルーレットCM(2003年) 中盤までは共通で、最後のみそれぞれの商品が登場する。
- キリンビバレッジ - ファイア ゴールドラッシュ(2005年)※寺島進と共演、「金持ち兄弟」シリーズ。
- NTTドコモ(2007年)※DoCoMo2.0で長瀬智也、妻夫木聡、瑛太、吹石一恵、土屋アンナ、蒼井優、北川景子と共演。
- トヨタ自動車
- 江崎グリコ
- 「オトナノグリコ」シリーズ (2008年)※宮沢りえ、瑛太、小栗旬と共演。25年後のサザエさんの登場人物という設定で、36歳になった磯野カツオ役で出演。
- SQUEEZE(2009年)
- サッポロビール
- 日本スポーツ振興センタースポーツ振興くじ「BIG」 BIGの神様(2009年)
- ソニー デジダル一眼レフカメラ“α”
- 主にα NEXの5シリーズ及び7で出演。
- NEX-5(2010年)
- NEX-7(2011年)
- NEX-5N(2012年)
- サントリー - ウィスキー(2010年)
- 木下工務店 - 木下工務店の注文住宅CM「憧れの先輩篇」(2012年)※伊勢谷友介と共演。
- 小学館 ビッグコミックオリジナル - 創刊40周年CM(2013年)
- スタートトゥデイ ZOZOTOWN(2015年10月 - ) ※ 大島優子、土屋アンナと共演。[37]
ゲーム
- シャドウ オブ ザ ダムド(2011年) - ガルシア "G" ホットスパー 役
作品
音楽
- オムニバス『ATOM KIDS Tribute to the king "O.T."』(1998年11月26日)
- 10. 名も知らぬ星(浅野忠信+bloodthirsty butchers)
- JOUJOUKA『codeine slash』(1999年3月25日)
- ボーカルで参加
- トリビュート・アルバム『We Love butchers』(1999年6月18日)
- 1.12月
- bloodthirsty butchers『「△」SANKAKU+2』(1999年11月17日)
- 7.ファウスト w/浅野忠信
- Pc P(1999年11月27日)(「PEASE PILL」名義)
- Farmer Tune(2000年6月26日)(「PEASE PILL」名義)
- JOUJOUKA『NEW ASIANS』(2001年11月7日)
- 3.DON’T THINK,FEEL!!(JOUJOUKA Remix)(Feat.TADANOBU ASANO)
- Bunodata 悪魔と対話する歌(2001年11月28日) (「Bunodata」名義)
- アリが踏まれる瞬間の物語(2002年6月1日)(「PEASE PILL」名義)
- サウンドトラック『水の女』(2002年9月19日)
- 15.ODD(「PEASE PILL」名義)
- People(2003年9月6日)(「PEASE PILL」名義)
- SAFARI『SAFARI」(2004年3月10日)
- ブライアン・バートンルイスらと組んだバンド
- 「CRY&LAUGH」(2007年5月13日)
- 「ASANO TADANOBU」名義のアルバム
- オムニバス『NO MUSIC NO RAVE』(2008年6月7日)
- 9.Bump Hop
- Shing02『歪曲』(2008年6月18日)
- 5.芯鉄(ボーカルで参加)
- WRENCH『drub』(2008年7月9日)
- 2.drift -feat.TADANOBU ASANO-
受賞歴
- 1996年度
-
- 第18回ヨコハマ映画祭 主演男優賞(『Focus』『PiCNiC』『Helpless』『ACRI』)
- 第11回高崎映画祭 最優秀主演男優賞(『Helpless』)
- 第6回日本映画プロフェッショナル大賞 主演男優賞(『Helpless』『Focus』)
- 第26回日本アカデミー賞 話題賞(『Helpless』『ACRI』)
- 1998年度
- 1999年度
-
- 第14回高崎映画祭 最優秀主演男優賞(『地雷を踏んだらサヨウナラ』)
- 第37回ゴールデン・アロー賞 映画賞(『地雷を踏んだらサヨウナラ』)
- 2000年度
-
- 第22回ヨコハマ映画祭 主演男優賞(『地雷を踏んだらサヨウナラ』『五条霊戦記 GOJOE』)
- 第55回毎日映画コンクール 男優主演賞(『地雷を踏んだらサヨウナラ』『五条霊戦記 GOJOE』『御法度』)
- 第25回報知映画賞 助演男優賞(『五条霊戦記 GOJOE』『御法度』)
- 2003年度
-
- 第60回ヴェネツィア国際映画祭 コントロコレンテ部門 主演男優賞(『地球で最後のふたり』)
- 第18回高崎映画祭 最優秀助演男優賞(『アカルイミライ』)
- 第8回ニフティ映画大賞(現・日本インターネット映画大賞) 助演男優賞(『アカルイミライ』)
- 第27回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞(『座頭市』)
- 第58回日本放送藝術大賞 映画部門 最優秀助演男優賞(『座頭市』)
- 2004年度
-
- 第19回高崎映画祭 最優秀主演男優賞(『ヴィタール』)
- 2005年度
- 2007年度
-
- 第62回日本放送藝術大賞 映画部門 優秀主演男優賞(『サッド ヴァケイション』)
- 2008年度
-
- 第32回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞(『母べえ』)
- 第63回日本放送藝術大賞 映画部門 優秀助演男優賞(『母べえ』)
- 2009年度
-
- 第33回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(『劒岳 点の記』『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』)
- 第64回日本放送映画藝術大賞 映画部門 優秀主演男優賞(『劒岳 点の記』『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』)
- 2014年度
- 2015年度
-
- 第39回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞(『母と暮せば』)[38]
- 第25回日本映画批評家大賞 主演男優賞(『岸辺の旅』)[39]
- 2016年度
-
- APNアワード[40]
- 2017年度
-
- 第92回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞(『A LIFE〜愛しき人〜』)[41]
脚注
注釈
出典
- ^ a b c “浅野忠信”. (公式ウェブサイト). ANORÉ INC.. 2011年8月4日閲覧。
- ^ タッド浅野忠信、ハリウッド初進出作『マイティ・ソー』の手応えは?(2012年1月17日時点のアーカイブ) Infoseek woman 2011年6月16日閲覧
- ^ “タッド浅野忠信、ハリウッド初進出作『マイティ・ソー』の手応えは?”. ハリウッドニュース (ネットワークインフォメーションセンター). (2011年6月16日) 2016年8月9日閲覧。
- ^ “浅野忠信とCharaが多忙スレ違い離婚”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2009年7月26日) 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u ドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』 NHK、「浅野忠信」 2011年8月3日放送回。
- ^ a b “All results for Willard Overing” (英語). Ancestry.com. 2011年8月4日閲覧。
- ^ a b c d 『ホンネ日和』(CBC制作・TBS系列)浅野忠信x板尾創路 2012年1月8日放送回。
- ^ a b c d e 蒙古斑革命 浅野順子 インタビュー - ウェイバックマシン(2009年1月6日アーカイブ分)参考
- ^ a b “浅野忠信さん(アナーキスト / 俳優 / ミュージシャン)”. Clothes Relay(個人ブログ). Crown Jewel (2007年5月14日). 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月4日閲覧。
- ^ a b “浅野忠信 - 映画情報”. usfl.com. U.S.FrontLine. 2011年8月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c 映画『鈍獣』の主演・浅野忠信がテレビドラマに出演しない理由とは?日経トレンディネット(2012年1月14日時点のアーカイブ)参考。
- ^ a b K-PERSON 浅野忠信(2007年9月9日紙面掲載)(2013年8月28日時点のアーカイブ)参考。
- ^ 『とんねるずのみなさんのおかげでした』 2009年6月25日放送回より。
- ^ “2月19日(金) 小林悠×玉袋筋太郎”. たまむすび. TBSラジオ&コミュニケーションズ (2016年2月19日). 2016年2月28日閲覧。
- ^ a b ぴあ インタビュー:浅野忠信 - ウェイバックマシン(2008年6月25日アーカイブ分)参考。
- ^ アップル - インタビュー - 浅野忠信 - ウェイバックマシン(2005年3月5日アーカイブ分)参考。
- ^ OhmyNews 浅野忠信演じるチンギス・ハーン、知られざる10年参考。[リンク切れ]
- ^ a b c d バラエティ・ジャパン 浅野忠信 授賞式直前インタビュー - ウェイバックマシン(2009年4月22日アーカイブ分)参考。
- ^ Bad News Records ARTIST PEACE PILL参考。以前は俳優の岡田義徳も参加していたバンド。
- ^ LOFT PROJECT SAFARI インタビュー参考。ブライアン・バートンルイスらとのハードコアバンド。
- ^ FUJI ROCK FESTIVAL '08 FRFの軌跡 ’05(2007年3月17日時点のアーカイブ)参考。
- ^ FACTORY#0130 SAFARI-PROFILE参考。
- ^ 『バトルシップ』浅野忠信インタビュー 2012年4月13日 ムービーコレクション
- ^ 「私の男」が最優秀作品賞 モスクワ国際映画祭 浅野忠信さん最優秀男優賞(2014年6月29日)、日本経済新聞、2014年6月29日閲覧。
- ^ 入倉功一 (2015年1月23日). “第57回ブルーリボン賞が決定!佐々木蔵之介『超高速!参勤交代』が作品賞!”. シネマトゥデイ 2015年1月23日閲覧。
- ^ “黒沢清監督、カンヌある視点部門で監督賞日本人初受賞!深津絵里&浅野忠信共演作『岸辺の旅』”. シネマトゥデイ (株式会社シネマトゥデイ). (2015年5月24日) 2016年5月22日閲覧。
- ^ http://natalie.mu/eiga/news/156883
- ^ “浅野忠信主演『淵に立つ』カンヌある視点部門審査員賞受賞!ジブリ最新作は特別賞”. シネマトゥデイ (株式会社シネマトゥデイ). (2016年5月22日) 2016年5月22日閲覧。
- ^ ANORE INC. お知らせ(2009年9月28日時点のアーカイブ)参考。
- ^ “REDLINE”. マッドハウス. 2016年6月24日閲覧。
- ^ “綾野剛主演「新宿スワン」新章に浅野忠信、広瀬アリスら参加、予告編も公開”. 映画ナタリー. (2016年11月9日) 2016年11月9日閲覧。
- ^ “田中麗奈、重松清「幼な子われらに生まれ」映画化で浅野忠信と初共演!”. 映画.com. (2016年6月9日) 2016年6月9日閲覧。
- ^ “バトルシップ”. 日曜洋画劇場. 2016年7月17日閲覧。
- ^ “木村拓哉、2年ぶり連ドラ主演 20個目の職業・外科医役に「逃げずに挑んでみたい」”. ORICON STYLE. (2016年11月11日) 2016年11月11日閲覧。
- ^ “浅野忠信×神木隆之介のバディに期待高まる! 10月スタートドラマ「刑事ゆがみ」で初共演”. ダ・ヴィンチニュース (2017年8月10日). 2017年8月31日閲覧。
- ^ “もしや映画化!?岡田准一、浅野忠信「史上最大の作戦」”. スポニチアネックス (2016年1月29日). 2016年1月29日閲覧。
- ^ “大島優子がおしゃれな鬼太郎に! 浅野忠信はねずみ男、土屋アンナは猫むすめ”. T-SITE (2015年10月14日). 2015年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月14日閲覧。
- ^ “第39回日本アカデミー賞優秀賞決定!”. 日本アカデミー賞公式サイト. 2016年1月18日閲覧。
- ^ “日本映画批評家大賞 2016公式サイト”. 日本映画批評家大賞. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “浅野忠信、アジア映画の出演が決定!?桜庭ななみや行定勲とAPNアワード受賞”. 映画ナタリー. (2016年10月26日) 2016年10月27日閲覧。
- ^ 【特集】第92回ドラマアカデミー賞 結果発表 | ザテレビジョン、ザテレビジョン、KADOKAWA、2017年5月10日閲覧。
外部リンク
- “ANORE INC. ANORÉ INC.”. (公式ウェブサイト). ANORÉ INC.. 2011年8月4日閲覧。:所属事務所「アノレ」。
- “Tadanobu Asano” (英語). IMDb.com. Internet Movie Datebase.com, Inc. (2011年). 2011年8月4日閲覧。
- “Tadanobu Asano - Biography” (英語). IMDb.com. Internet Movie Datebase.com, Inc. (2011年). 2011年8月4日閲覧。
- “SAFARI”. (公式ウェブサイト). SAFARI (2003年). 2011年8月4日閲覧。
- ASANO TADANOBU (@asano_tadanobu) - X(旧Twitter)
- 特集 あの人のとっておきセレクション 浅野忠信さん NHKアーカイブス
- Tadanobu Asano Official Web Site - ウェイバックマシン(2009年2月6日アーカイブ分)