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2009年7月13日、契約満了に伴い[[マンチェスター・シティFC]]に5年契約で移籍した。移籍1年目に23得点を挙げる活躍でチームの中心となると、2010-11シーズンからはキャプテンに就任。クラブ35年ぶりのタイトルとなる[[FAカップ]]優勝と、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。またプレミアリーグでは20得点を挙げ、マンチェスター・ユナイテッドで共にプレーした[[ディミタール・ベルバトフ]]とともに初の得点王に輝いた。 |
2009年7月13日、契約満了に伴い[[マンチェスター・シティFC]]に5年契約で移籍した。移籍1年目に23得点を挙げる活躍でチームの中心となると、2010-11シーズンからはキャプテンに就任。クラブ35年ぶりのタイトルとなる[[FAカップ]]優勝と、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。またプレミアリーグでは20得点を挙げ、マンチェスター・ユナイテッドで共にプレーした[[ディミタール・ベルバトフ]]とともに初の得点王に輝いた。 |
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2011年のシーズンオフには移籍志願したものの<ref>{{cite news |title=テベス、退団希望の声明を発表 |publisher=Goal.com |date=2011-07-05 |url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/07/05/2560913/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E9%80%80%E5%9B%A3%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8 |accessdate=2012-06-02}}</ref>、条件が折り合わずに残留となった。だが2011年9月27日、UEFAチャンピオンズリーグの[[バイエルン・ミュンヘン]]戦で途中出場を拒否したとして騒動となった<ref>{{cite news |title=マンチーニ激怒、テベスが途中出場拒否 |publisher=Goal.com |date=2011-09-28 |url=http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2011/09/28/2686025/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%E6%BF%80%E6%80%92%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%8C%E9%80%94%E4%B8%AD%E5%87%BA%E5%A0%B4%E6%8B%92%E5%90%A6 |accessdate=2012-06-02}}</ref>。この出場拒否により週給4週間分の罰金を科せられたが、イングランドサッカー選手協会の異議により2週間分に減額。[[ロベルト・マンチーニ]]監督は謝罪すれば起用するとしたものの、謝罪を拒否しアルゼンチンに無断帰国するなどした。そのため2011-12シーズンの冬の移籍期間では[[ACミラン]]への移籍が有力視されていたが、条件が折り合わず残留。2012年2月21日、クラブの公式ページで謝罪を発表<ref>[http://www.mcfc.co.uk/News/Team-news/2012/February/Carlos-Tevez-apologises-for-recent-conduct Manchester City's Carlos Tevez apologises and withdraws appeal - Manchester City FC]</ref>。 |
2011年のシーズンオフには移籍志願したものの<ref>{{cite news |title=テベス、退団希望の声明を発表 |publisher=Goal.com |date=2011-07-05 |url=http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2011/07/05/2560913/%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E9%80%80%E5%9B%A3%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8 |accessdate=2012-06-02}}</ref>、条件が折り合わずに残留となった。だが2011年9月27日、UEFAチャンピオンズリーグの[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]戦で途中出場を拒否したとして騒動となった<ref>{{cite news |title=マンチーニ激怒、テベスが途中出場拒否 |publisher=Goal.com |date=2011-09-28 |url=http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2011/09/28/2686025/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8B%E6%BF%80%E6%80%92%E3%83%86%E3%83%99%E3%82%B9%E3%81%8C%E9%80%94%E4%B8%AD%E5%87%BA%E5%A0%B4%E6%8B%92%E5%90%A6 |accessdate=2012-06-02}}</ref>。この出場拒否により週給4週間分の罰金を科せられたが、イングランドサッカー選手協会の異議により2週間分に減額。[[ロベルト・マンチーニ]]監督は謝罪すれば起用するとしたものの、謝罪を拒否しアルゼンチンに無断帰国するなどした。そのため2011-12シーズンの冬の移籍期間では[[ACミラン]]への移籍が有力視されていたが、条件が折り合わず残留。2012年2月21日、クラブの公式ページで謝罪を発表<ref>[http://www.mcfc.co.uk/News/Team-news/2012/February/Carlos-Tevez-apologises-for-recent-conduct Manchester City's Carlos Tevez apologises and withdraws appeal - Manchester City FC]</ref>。 |
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2012-13シーズンはリーグ戦は11得点に終わったものの14アシストをあげた。 |
2012-13シーズンはリーグ戦は11得点に終わったものの14アシストをあげた。 |
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2017年8月29日 (火) 09:38時点における版
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アルゼンチン代表でのテベス (2014年) | ||||||||||||||
名前 | ||||||||||||||
本名 |
カルロス・アルベルト・マルティネス・テベス Carlos Alberto Martinez Tévez | |||||||||||||
愛称 | カルリートス、エル・アパッチェ | |||||||||||||
ラテン文字 | Carlos TEVEZ | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | アルゼンチン | |||||||||||||
生年月日 | 1984年2月5日(40歳) | |||||||||||||
出身地 | シウダデラ | |||||||||||||
身長 | 173cm | |||||||||||||
体重 | 75kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
在籍チーム | 上海申花 | |||||||||||||
ポジション | FW | |||||||||||||
背番号 | 32 | |||||||||||||
利き足 | 右足 | |||||||||||||
ユース | ||||||||||||||
1992-1996 | オール・ボーイズ | |||||||||||||
1997-2001 | ボカ・ジュニアーズ | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
2001-2004 | ボカ・ジュニアーズ | 75 | (26) | |||||||||||
2004-2006 | コリンチャンス | 38 | (25) | |||||||||||
2006-2009 | ウェストハム・ユナイテッド | 26 | (7) | |||||||||||
2007-2009 | → マンチェスター・ユナイテッド (loan) | 63 | (19) | |||||||||||
2009-2013 | マンチェスター・シティ | 113 | (58) | |||||||||||
2013-2015 | ユヴェントス | 66 | (39) | |||||||||||
2015-2016 | ボカ・ジュニアーズ | 34 | (14) | |||||||||||
2017- | 上海申花 | |||||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
2001 | アルゼンチン U-17 | 6 | (2) | |||||||||||
2004 | アルゼンチン U-23 | 6 | (8) | |||||||||||
2004-2014 | アルゼンチン | 76 | (13) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2016年7月9日現在。 2. 2015年11月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
カルロス・アルベルト・マルティネス・テベス(Carlos Alberto Martinez Tévez, 1984年2月5日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州シウタデラ出身のサッカー選手。中国サッカー・スーパーリーグ・上海申花所属。元アルゼンチン代表。ポジションはフォワード。
経歴
生い立ち
ブエノスアイレスの貧民街で5人兄弟の長男として生まれた[1]。
クラブ
南米
プリメーラB・ナシオナル(2部)のCAオール・ボーイズでプレーしていた時にボカ・ジュニアーズにスカウトされ[2]、13歳でボカ・ジュニアーズの下部組織に入団した。17歳でトップチームデビューするとすぐにレギュラーの座を獲得した[1]。
ボカ・ジュニアーズ所属時代は2003年のリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝、トヨタカップではACミランをPK戦の末に破るなど大きな活躍をした。
MSI社が保有権を獲得し、特殊な移籍形態で2004年にSCコリンチャンス・パウリスタに移籍した。移籍から半年後にはキャプテンを任され[2]、2005年のブラジル全国選手権1部で優勝した。アルゼンチン人ながらブラジルのサッカーファンに愛された。ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、「アルゼンチン人サッカー選手がブラジルで活躍することはないだろう」と発言したことがあったが、テベスがリーグ最優秀選手に輝いたために自身の発言を謝罪した[2]。2003年から2005年まで3年連続で南米年間最優秀選手賞に輝いた。
ウェストハム・ユナイテッド
2006年、ハビエル・マスチェラーノとともにプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCに移籍する。入団当初は不振であったが、シーズン終盤には10試合で7得点を挙げて、チームを残留に導く原動力となる。
マンチェスター・ユナイテッド
2007年にマンチェスター・ユナイテッドFCに2年間の期限付き移籍が決定した。2007-08シーズンはクリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーとともに、マンチェスター・ユナイテッドの2冠(プレミアリーグ・UEFAチャンピオンズリーグ)に貢献。48試合に出場し19得点を挙げた。シーズン前、ウェイン・ルーニーとの共存は不可能ではないかとされていたが、プレミアリーグ屈指のコンビであると試合で証明した。2008年12月に行われたFIFAクラブワールドカップで優勝したため、南米・欧州の両代表で同タイトルを獲得した史上初の選手となった。
マンチェスター・シティ
2009年7月13日、契約満了に伴いマンチェスター・シティFCに5年契約で移籍した。移籍1年目に23得点を挙げる活躍でチームの中心となると、2010-11シーズンからはキャプテンに就任。クラブ35年ぶりのタイトルとなるFAカップ優勝と、クラブ初となるチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献。またプレミアリーグでは20得点を挙げ、マンチェスター・ユナイテッドで共にプレーしたディミタール・ベルバトフとともに初の得点王に輝いた。
2011年のシーズンオフには移籍志願したものの[3]、条件が折り合わずに残留となった。だが2011年9月27日、UEFAチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦で途中出場を拒否したとして騒動となった[4]。この出場拒否により週給4週間分の罰金を科せられたが、イングランドサッカー選手協会の異議により2週間分に減額。ロベルト・マンチーニ監督は謝罪すれば起用するとしたものの、謝罪を拒否しアルゼンチンに無断帰国するなどした。そのため2011-12シーズンの冬の移籍期間ではACミランへの移籍が有力視されていたが、条件が折り合わず残留。2012年2月21日、クラブの公式ページで謝罪を発表[5]。 2012-13シーズンはリーグ戦は11得点に終わったものの14アシストをあげた。
ユヴェントス
2013年6月、ユヴェントスFCへの移籍が決定[6]。移籍金は合計1200万ユーロともいわれている。契約は3年間。背番号は、ミシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロといった名選手が背負った10番である。2013-14シーズンはリーグ戦でチーム最多となる19ゴールを決め、ユヴェントスの優勝に貢献した。 2014-15シーズンは32試合に出場し20ゴールを記録、リーグ優勝とコッパ・イタリア獲得に貢献した。また、チャンピオンズリーグでも13試合に出場し7ゴールと活躍しユヴェントスの決勝進出に貢献した。
ボカへの帰還
2015年6月、テベスの古巣ボカ・ジュニアーズがテベスの復帰を発表。約11年ぶりの復帰となる。
上海申花へ移籍
2016年12月29日、中国サッカー・スーパーリーグの上海申花への移籍が発表された[7]。背番号は「32」番。
アルゼンチン代表
2001年のFIFA U-17世界選手権に出場し、2得点を記録。アテネオリンピックでは、8ゴールを記録して得点王となり、ハビエル・マスチェラーノらと共にアルゼンチンの金メダル獲得に大きく貢献した。
A代表では2004年3月30日のエクアドル戦でデビュー。コパ・アメリカ2004のペルー戦で決勝点となる代表初得点を挙げた。
2006 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、セルビア・モンテネグロ戦で途中出場し、得点を決めている。
2010 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対メキシコ戦で、前半26分にリオネル・メッシからのパスを受けて先制ゴールを決める。パスを受けたのはオフサイドポジションだったが、判定によりテベスのゴールが認められた[8]。この試合でテベスはミドルシュートでもう1得点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された。
アレハンドロ・サベーラが監督となってからはなぜかチームの戦術の構想からは外され、2014年ワールドカップの代表候補30人にも選ばれなかった。テベスが代表から外された理由についてはフリオ・グロンドーナ会長やリオネル・メッシとの関係悪化が噂された[9]。もっともグロンドーナは大会終了後に他界し、テベス自身はメッシとの確執については否定している。
2014年10月27日、国際親善試合に向けて国外クラブに所属するアルゼンチン代表メンバー25人を発表し約3年ぶりの代表復帰となった。しかし、2018 FIFAワールドカップ南米予選には招集されておらず、コパ・アメリカ2015、コパ・アメリカ・センテナリオも未招集に終わり、代表からは事実上引退状態となっている。
エピソード
- テベスは1歳の時に誤って熱湯を浴び、火傷を負った。母親によってタオルにくるまれた際に繊維が皮膚に付着し、首や胸には成人になった現在でも傷が残っている[2]。ボカ・ジュニアーズ時代に、この火傷の痕を取り除く手術の費用をチームが負担するとオファーされたものの、「この顔は神様から与えてもらったものだから、変えるつもりはない。それに、この傷は生きてきた証でもある。」として固辞している[10]。
- 金銭にまみれた現代のサッカー界や年長者への敬意を欠く若手に辟易しており、早期の引退を希望していた[11]。
- マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが「自分が生きている間にシティに負けることはない」と発言をしていたことに対して反撃するかのごとく、2011-12シーズンのリーグ優勝パレードでテベスは「RIP Fergie(安らかに眠れ、ファーガソン)」と書いたプレートを掲げた。この事に対してマンチェスター・シティは謝罪の意を表明した[12]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
2001-02 | ボカ・ジュニアーズ | プリメーラ | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | |
2002-03 | 32 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 32 | 11 | |||
2003-04 | 23 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 23 | 12 | |||
2004-05 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 2 | |||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | コリンチャンス | セリエA | 38 | 25 | 6 | 4 | 0 | 0 | 38 | 25 | |
2006 | 9 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 6 | |||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2006-07 | ウェストハム | 32 | プレミア | 26 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 7 |
2007-08 | マンチェスター・U | 34 | 14 | 0 | 0 | 2 | 1 | 36 | 15 | ||
2008-09 | 29 | 5 | 6 | 6 | 3 | 2 | 38 | 13 | |||
2009-10 | マンチェスター・C | 35 | 23 | 6 | 6 | 1 | 0 | 42 | 29 | ||
2010-11 | 31 | 20 | 0 | 0 | 6 | 3 | 37 | 24 | |||
2011-12 | 13 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 4 | |||
2012-13 | 34 | 11 | 1 | 0 | 6 | 5 | 41 | 16 | |||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2013-14 | ユヴェントス | 10 | セリエA | 34 | 19 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 19 |
2014-15 | 32 | 20 | 1 | 0 | 0 | 0 | 33 | 20 | |||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | ボカ・ジュニアーズ | 10 | プリメーラ | 12 | 5 | 0 | 0 | 5 | 4 | 17 | 9 |
2016 | 11 | 4 | 0 | 0 | 4 | 2 | 17 | 6 | |||
2016-17 | 11 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 5 | |||
通算 | アルゼンチン | プリメーラ | 109 | 40 | 0 | 0 | 9 | 6 | 118 | 46 | |
ブラジル | セリエA | 47 | 31 | 6 | 4 | 0 | 0 | 53 | 35 | ||
イングランド | プレミア | 202 | 84 | 14 | 12 | 19 | 11 | 235 | 107 | ||
イタリア | セリエA | 66 | 39 | 2 | 0 | 0 | 0 | 35 | 19 | ||
総通算 | 392 | 179 | 22 | 16 | 24 | 15 | 438 | 210 |
国際大会個人成績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | UEFA CL | ||||
2007-08 | マンチェスター・U | 32 | - | 12 | 4 | |
2008-09 | - | 9 | 2 | |||
2010-11 | マンチェスター・C | 6 | 0 | - | ||
2011-12 | - | 1 | 0 | |||
2012-13 | - | 5 | 0 | |||
2013-14 | ユヴェントス | 10 | 6 | 1 | 6 | 0 |
2014-15 | - | 13 | 7 | |||
通算 | UEFA | 12 | 1 | 46 | 13 |
- その他の国際公式戦
- 2017年
- AFCチャンピオンズリーグ2017 東地区プレーオフ 1試合0得点
試合数
- 2015年11月6日現在
アルゼンチン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2004 | 10 | 2 |
2005 | 9 | 0 |
2006 | 8 | 2 |
2007 | 13 | 3 |
2008 | 4 | 0 |
2009 | 8 | 1 |
2010 | 8 | 4 |
2011 | 4 | 1 |
2012 | 0 | 0 |
2013 | 0 | 0 |
2014 | 2 | 0 |
2015 | 10 | 0 |
通算 | 76 | 13 |
タイトル
クラブ
- ボカ・ジュニアーズ
- プリメーラ・ディビシオン:1回 (2003-04A)
- コパ・リベルタドーレス:1回 (2003)
- トヨタカップ:1回 (2003)
- コパ・スダメリカーナ:1回 (2004)
- SCコリンチャンス・パウリスタ
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA:1回 (2005)
- マンチェスター・ユナイテッドFC
- プレミアリーグ:2回 (2007-08, 2008-09)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2007-08)
- FAコミュニティ・シールド:1回 (2008)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2008)
- マンチェスター・シティFC
- ユヴェントスFC
- セリエA:2回 (2013-14, 2014-15)
- コッパ・イタリア:1回(2014-15)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回 (2013)
代表
- 南米ユース選手権:1回 (2003)
- オリンピックサッカー:1回 (2004 アテネ)
個人
- コパ・リベルタドーレス最優秀選手賞:1回 (2003)
- 南米年間最優秀選手賞:3回 (2003, 2004, 2005)
- オリンピックサッカー得点王:1回 (2004 アテネ)
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA最優秀選手賞:1回 (2005)
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエAベストイレブン:1回 (2005)
- カーリングカップ得点王:2回 (2009, 2010)
- プレミアリーグ得点王:1回 (2010-11)
関連項目
脚注
- ^ a b 「誇りとわだかまりの間で」footballista、ソルメディア、2009年3月25日号、4-5頁
- ^ a b c d 「カルリートスの来た道」ワールドサッカーキング増刊号、フロムワン、2008年4月30日号[要ページ番号]
- ^ “テベス、退団希望の声明を発表”. Goal.com. (2011年7月5日) 2012年6月2日閲覧。
- ^ “マンチーニ激怒、テベスが途中出場拒否”. Goal.com. (2011年9月28日) 2012年6月2日閲覧。
- ^ Manchester City's Carlos Tevez apologises and withdraws appeal - Manchester City FC
- ^ http://www.juventus.com/juve/en/news/foto/carlo+tevez+alla+juventus/carlos+tevez+alla+juventus
- ^ [1]
- ^ “誤審、神の手ゴール…「幸運」呼ぶマラドーナ”. 読売新聞. (2010年6月28日) 2010年6月28日閲覧。
- ^ バティスタがアルゼンチン代表に招集しない本当の理由
- ^ “凄惨な過去を語るテベス”. Goal.com. (2009年11月1日) 2012年6月2日閲覧。
- ^ “テベス:「カネまみれのサッカーにあと3、4年でさよなら」”. Goal.com. (2010年11月26日) 2012年6月2日閲覧。
- ^ “テベスがファギーを中傷? シティは謝罪”. Goal.com. (2012年5月15日) 2012年6月2日閲覧。
- ^ “テベスの父親が誘拐、8時間後に解放”. Goal. (2014年7月30日) 2014年8月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- カルロス・テベス – FIFA主催大会成績
- Profile at FutbolPunto with maps and graphs
- カルロス・テベス - National-Football-Teams.com
- Carlos Tévez - Soccerbase
- CBF