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欧州カップ戦においては、2003-04、2007-08シーズンにチャンピオンズリーグに出場をしているが、いずれもグループリーグラウンドで敗退を喫している。もっとも2003-04シーズンでは、出場したチャンピオンズリーグのグループリーグで3位に入り、決勝トーナメントより出場の権利を得た[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]にて準優勝(決勝で[[バレンシアCF|バレンシア]]に0-2で敗れる)しており、2000年代の欧州カップ戦において目覚しい活躍がないわけではない。 |
欧州カップ戦においては、2003-04、2007-08シーズンにチャンピオンズリーグに出場をしているが、いずれもグループリーグラウンドで敗退を喫している。もっとも2003-04シーズンでは、出場したチャンピオンズリーグのグループリーグで3位に入り、決勝トーナメントより出場の権利を得た[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]にて準優勝(決勝で[[バレンシアCF|バレンシア]]に0-2で敗れる)しており、2000年代の欧州カップ戦において目覚しい活躍がないわけではない。 |
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2006-07シーズンは[[オリンピック・リヨン|リヨン]]に次ぐ2位に入り、4シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したものの、首位リヨンとの勝ち点差は17であった。MF[[フランク・リベリー]]を[[バイエルン・ミュンヘン]]に約49億円<ref>[http://www.goal.com/jp/slideshow/2492/29/title/goalcom-%E5%AF%8C%E8%A3%95%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%93 Goal.com世界の富裕選手リスト2013]</ref>の移籍金で移籍させ、MF[[カリム・ジアニ]]、MF[[ボウデヴィン・ゼンデン]]、MF[[ブノワ・シェイル]]、DF[[ガエル・ジヴェ]]などを獲得した。しかし、開幕から不振が続き、2007年9月に[[アルベール・エモン]]監督が解任された。一時期は19位まで低迷したチームを後任の[[エリック・ゲレツ]]監督が立て直し、GK[[セドリック・カラッソ]]からポジションを奪ったGK[[スティーヴ・マンダンダ]]などが台頭し、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。 |
2006-07シーズンは[[オリンピック・リヨン|リヨン]]に次ぐ2位に入り、4シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したものの、首位リヨンとの勝ち点差は17であった。MF[[フランク・リベリー]]を[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に約49億円<ref>[http://www.goal.com/jp/slideshow/2492/29/title/goalcom-%E5%AF%8C%E8%A3%95%E9%81%B8%E6%89%8B%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%93 Goal.com世界の富裕選手リスト2013]</ref>の移籍金で移籍させ、MF[[カリム・ジアニ]]、MF[[ボウデヴィン・ゼンデン]]、MF[[ブノワ・シェイル]]、DF[[ガエル・ジヴェ]]などを獲得した。しかし、開幕から不振が続き、2007年9月に[[アルベール・エモン]]監督が解任された。一時期は19位まで低迷したチームを後任の[[エリック・ゲレツ]]監督が立て直し、GK[[セドリック・カラッソ]]からポジションを奪ったGK[[スティーヴ・マンダンダ]]などが台頭し、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。 |
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2008年夏にはMF[[サミル・ナスリ]]を[[アーセナルFC|アーセナル]]に放出したが、ライバルのリヨンからMF[[ハテム・ベン・アルファ]]を獲得した。DF[[ヴィトリーノ・イウトン|イウトン]]、FW[[バカリ・コネ]]などの新戦力がレギュラーに定着し、2009年1月に[[シャフタール・ドネツク]]から獲得したFW[[エヴァエヴェルソン・レモス・ダ・シウヴァ|ブランドン]]が後半戦だけで7得点するなど、新加入選手が軒並み期待通りの働きを見せた。31節から35節まで首位を守り、[[FCジロンダン・ボルドー|ボルドー]]、リヨンと最終節まで優勝を争ったが、勝ち点3差で優勝を逃した。しかし、敗戦数は2007-08シーズンの10から5に減らした。 |
2008年夏にはMF[[サミル・ナスリ]]を[[アーセナルFC|アーセナル]]に放出したが、ライバルのリヨンからMF[[ハテム・ベン・アルファ]]を獲得した。DF[[ヴィトリーノ・イウトン|イウトン]]、FW[[バカリ・コネ]]などの新戦力がレギュラーに定着し、2009年1月に[[シャフタール・ドネツク]]から獲得したFW[[エヴァエヴェルソン・レモス・ダ・シウヴァ|ブランドン]]が後半戦だけで7得点するなど、新加入選手が軒並み期待通りの働きを見せた。31節から35節まで首位を守り、[[FCジロンダン・ボルドー|ボルドー]]、リヨンと最終節まで優勝を争ったが、勝ち点3差で優勝を逃した。しかし、敗戦数は2007-08シーズンの10から5に減らした。 |
2017年8月29日 (火) 09:33時点における版
オリンピック・マルセイユ | ||||
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原語表記 | Olympique de Marseille | |||
愛称 | Les Phocéens, L'OM, Les Olympiens | |||
クラブカラー | 水色 | |||
創設年 | 1899年 | |||
所属リーグ | Ligue de Football Professionnel (LFP) | |||
所属ディビジョン | リーグ・アン | |||
ホームタウン | マルセイユ | |||
ホームスタジアム | スタッド・ヴェロドローム | |||
収容人数 | 67,394 | |||
代表者 | ジャック=アンリ・エイロー | |||
監督 | リュディ・ガルシア | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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オランピック・ドゥ・マルセイユ(仏: Olympique de Marseille)は、フランス・マルセイユに本拠地を置くサッカークラブチーム。英語読みのオリンピック・マルセイユとも呼ばれる。
概要
フランスプロフットボールリーグ (LFP) のトップディヴィジョン・リーグ・アンに所属している。愛称はロエム (L'OM)、クラブのスローガンは "Droit Au But(ゴールへ一直線)" であり、エンブレムやユニフォームにその文字が窺える。
過去に、エリック・カントナ、ディディエ・デシャン、ディディエ・ドログバ、フェルナンド・モリエンテス、フランク・リベリー、サミル・ナスリらが在籍してきた。フランスのクラブとしてはパリ・サンジェルマンFCと共に欧州でも最も人気のあるサッカークラブの一つである(2006年の調査)[1]。
2013年2月、『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2011-12シーズンのクラブ収入は1億4350万ユーロ(約161億円)であり、欧州第16位である。当時はフランスで最も収入の高いクラブであったが、現在は宿敵パリ・サンジェルマンFCに抜かれている[2]。
歴史
1899年に設立。リーグ・アンにおいてサンテティエンヌの10回に次ぐ優勝9回を誇る名門。ル・クラスィク(またはフランスダービー)と呼ばれるパリ・サンジェルマンとの一戦は大変な盛り上がりをみせ、フランス中の注目を集める。オリンピック・リヨンとの対戦はショック・ドランピック(オリンピック・ダービー)と呼ばれる。
黄金期
1986年に会長に就任したベルナール・タピの豊富な財力により、1980年代後半から1990年代初頭にかけて勢いをみせ、ヨーロッパの舞台でも活躍。1990-91シーズンにUEFAチャンピオンズリーグで決勝まで進出し、その2年後に同大会ではフランスのクラブでは初の優勝を飾った。
しかし、リーグでの八百長発覚により1992-93シーズンのリーグ・アン優勝を剥奪され、同年のチャンピオンズリーグ優勝についても、タイトル自体は剥奪されなかったものの、チャンピオンとして活動する権利を奪われた。同時に当時の会長の脱税などスキャンダルが相次ぎ、クラブも2部に降格処分を受けた。ディディエ・デシャン、ファビアン・バルテズら一部の主力選手は残留して降格直後のシーズンは優勝するも、ペナルティは翌年も続いたため昇格が認められず、次シーズンに2位という結果で1部復帰を果たした。
ドレフュス会長時代
1996年、フランス人実業家ロベール・ルイ・ドレフュスが会長に就任すると、移籍市場ではローラン・ブラン、ウィリアム・ギャラス、ファブリッツィオ・ラバネッリら実力者を次々に獲得してチームの立て直しと戦力強化を図る。
1998-99シーズン、自国開催のワールドカップ優勝メンバーだったクリストフ・デュガリーとロベール・ピレスがチームに加入。リーグでは2位、UEFAカップでは決勝へ進出するも、ブランのバックパスミスからの失点などでパルマ相手に敗れて準優勝。
1999-2000シーズン、ブランをインテルへ放出したことで、チームのバランスが崩れてリーグでは低迷する。UEFAチャンピオンズリーグでは2次グループリーグラウンドまで進出するもラツィオ、チェルシー、フェイエノールトと同組となり最下位での敗退。主力選手を次々に放出したことで戦力低下し、以降リーグ優勝から遠ざかった。
2001年には元会長のタピがスポーツディレクターとして復帰。アフリカの有望選手や若手など積極的に補強するも低迷は続いた。リーグ・アンにおける2000年代はリヨンが2001-02シーズン以降2007-08シーズンまで7連覇を記録したが、その間もリーグ・アンの平均観客動員数1位の座はマルセイユが守り続けていた。近年は安定して5万人を超える平均観客動員数を誇っており(2003-04から2007-08シーズン間の過去5シーズンで4シーズン達成)、フランス国内における人気の程が覗える。
過渡期
2004-05シーズンには元日本代表監督のフィリップ・トルシエが指揮を執り、その縁もあって中田浩二も在籍した。
欧州カップ戦においては、2003-04、2007-08シーズンにチャンピオンズリーグに出場をしているが、いずれもグループリーグラウンドで敗退を喫している。もっとも2003-04シーズンでは、出場したチャンピオンズリーグのグループリーグで3位に入り、決勝トーナメントより出場の権利を得たUEFAカップにて準優勝(決勝でバレンシアに0-2で敗れる)しており、2000年代の欧州カップ戦において目覚しい活躍がないわけではない。
2006-07シーズンはリヨンに次ぐ2位に入り、4シーズンぶりのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したものの、首位リヨンとの勝ち点差は17であった。MFフランク・リベリーをバイエルン・ミュンヘンに約49億円[3]の移籍金で移籍させ、MFカリム・ジアニ、MFボウデヴィン・ゼンデン、MFブノワ・シェイル、DFガエル・ジヴェなどを獲得した。しかし、開幕から不振が続き、2007年9月にアルベール・エモン監督が解任された。一時期は19位まで低迷したチームを後任のエリック・ゲレツ監督が立て直し、GKセドリック・カラッソからポジションを奪ったGKスティーヴ・マンダンダなどが台頭し、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2008年夏にはMFサミル・ナスリをアーセナルに放出したが、ライバルのリヨンからMFハテム・ベン・アルファを獲得した。DFイウトン、FWバカリ・コネなどの新戦力がレギュラーに定着し、2009年1月にシャフタール・ドネツクから獲得したFWブランドンが後半戦だけで7得点するなど、新加入選手が軒並み期待通りの働きを見せた。31節から35節まで首位を守り、ボルドー、リヨンと最終節まで優勝を争ったが、勝ち点3差で優勝を逃した。しかし、敗戦数は2007-08シーズンの10から5に減らした。
久しぶりの歓喜
2009年7月4日、約13年間に渡ってクラブの筆頭株主であったロベール・ルイ・ドレフュスが白血病により死去した[4]。遺言により夫人のマルガリータ・ルイ・ドレフュスがクラブ株式を相続し、筆頭株主となった。
2009年夏、クラブのアイドルであるディディエ・デシャンを監督に招聘し、MFルイス・ゴンサレス、DFガブリエル・エインセ、DFスレイマン・ディアワラ、FWフェルナンド・モリエンテスなど大型補強を施した。UEFAチャンピオンズリーグからの敗退が決まってからは尻上がりに調子を上げ、リーグカップ優勝で18シーズンぶりのタイトルを獲得するとリーグ優勝も果たした[5]。
2010年夏、セサル・アスピリクエタを補強していたマルセイユは移籍期限直前にトゥールーズFCからFWアンドレ=ピエール・ジニャック、OGCニースからFWロイク・レミーの2人を約3000万ユーロの資金を使って補強した[6][7]。この年は1992-93年度以来18年ぶりにチャンピオンズリーグで決勝トーナメントに進出。リーグ戦は2連覇こそ逃したものの、5年連続でチャンピオンズリーグ出場権を獲得、リーグカップ2連覇も果たした。
低迷期
2011年夏、ガブリエル・エインセ、エドゥアール・シセ、そしてチーム最古参選手だったタイエ・タイウォが退団。ボルドーからMFアルー・ディアラ、FCロリアンからDFジェレミー・モレル、MFモルガン・アマルフィターノ、ASモナコからDFニコラ・ヌクルが入団した。しかしこのシーズンも序盤では不振で、第7節のETG戦がリーグ戦初勝利であった。シーズン中盤にはリーグ戦13試合不敗という記録を残したが、後半戦になって成績が低迷し、サポーターのストライキもしばしばあった。[8]リーグでは10位という結果に終わったが、CLではインテル・ミラノを破ってベスト8に進出した。また、リーグカップ3連覇も果たした。
2012年夏、監督のディディエ・デシャンがフランス代表監督に就任し、代わりにエリ・ボーを招聘。しかしCL出場権も逃し、財政難に見舞われていた[9]マルセイユは、緊縮財政でセサル・アスピリクエタをチェルシーFCへ、アルー・ディアラをウェストハム・ユナイテッドFCへ、ステファーヌ・エムビアをクイーンズ・パーク・レンジャーズFC(QPR)へ放出。QPRから元イングランド代表MFジョーイ・バートンをレンタルで獲得した。
2014年5月2日、マルセロ・ビエルサが2014-15シーズンからの監督就任が合意したことを発表した。夏の移籍市場では、戦術マニアと評されるビエルサに率いられたチームはFWアンドレ=ピエール・ジニャックが得点ランキング2位となる21ゴールを挙げる大活躍を見せたこともあり、シーズンを4位で終える。しかし2015-2016シーズンはマリオ・レミナをユベントスに、ジャネリ・インビュラをFCポルト、アンドレ・アイェウをスウォンジ・シティに放出し、ニューカッスル・ユナイテッドからレミ・カベッラを獲得したのを始め、ロランド・フォンセカ、カリム・レキクなどを獲得した。しかし2015年8月の開幕戦のSMカーン戦の敗戦後にビエルサが電撃辞任する波乱の幕開けとなる。クラブは急遽、前オリンピアコスFC監督のミチェルを新監督に招聘するが、前シーズンの立役者であったジニャックの退団などの影響もあり低迷し、2016年4月の第34節時点で15位という極度の成績不振によりミチェルを解任、後任にはアシスタントコーチを務めていたフランク・パッシを昇格させたが、最終的に13位でシーズンを終える。
クラブ売却
2015-2016シーズン終盤にはサポーターによる抗議行動なども起こった中、2016年4月にマルガリータ・ルイ・ドレフュスがクラブの身売りの意向を表明、7月にはヴァンサン・ラブルン会長も辞任した。深刻な財政難からチームを支えていたGKスティーヴ・マンダンダや前シーズンに台頭したFWミシー・バチュアイなどの放出を余儀なくされ、補強面でもハノーファー96から酒井宏樹、スウォンジ・シティからバフェティンビ・ゴミスらを獲得するに留まったが、2016年8月、元ロサンゼルス・ドジャースのオーナーでもあったアメリカ人実業家フランク・マッコートによるクラブ買収が合意、同年10月に正式に調印し、マッコートがクラブ株式の95%を買い取り、ドレフュス家が引き続き5%を保有する。調印後、新会長にはフランス人実業家のジャック=アンリ・エイローが就任し、2016-2017シーズン第9節時点で12位と低迷していたフランク・パッシを解任、元ASローマ監督のリュディ・ガルシアの新監督就任が発表された。冬の移籍市場では、ユベントスからパトリス・エヴラを獲得。最終的には5位で終え、ヨーロッパリーグ出場権を獲得した。
2017-18シーズンは、アディル・ラミ、ルイス・グスタヴォ、ヴァレール・ジェルマンを獲得。またスティーヴ・マンダンダが1年ぶりに復帰した。
ユニフォーム
オリンピック・マルセイユのホームユニフォームは白を基調とし、襟や手首部分にチームカラーの水色のストライプが入る。アウェイユニフォームはチームカラーの水色を基調としている。
ホームカラー | ||||||||||||||||||||||||||||
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アウェイカラー | ||||||||||||||||||||||||||
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サードカラー | |||||||||||||||||||||||
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ライバル
ル・クラスィク(ザ・クラシックの意[10]、フランス・ダービーやル・クラシコとも呼ばれる)[11][12]は、パリ・サンジェルマンとオリンピック・マルセイユの間で行われるダービーマッチの名称で、フランスにおけるナショナル・ダービーである。対戦の名称は、レアル・マドリードとFCバルセロナ(ともにスペイン)が対戦するエル・クラシコに由来している。 PSGとマルセイユのライバル意識が1980年代後半から1990年代初頭にかけて激しさを増すと、有料テレビ局でPSGの元オーナー・Canal+とマルセイユのベルナール・タピ会長が両者の対立を煽り、フランス中のサッカーファンにとって興味深い試合に仕立て上げた[13]。 両クラブはスタッド・ヴェロドローム(マルセイユ)とパルク・デ・プランス(PSG)という世界クラスのスタジアムを持ち、白熱した雰囲気や熱烈なサポーターを持つことで名高い。両クラブのサポーターは憎しみ合っており、両クラブサポーターの衝突を防ぐために万全の警備体制が敷かれるが、それでも両者が出会うと暴力事件に事欠かない[14]。
それぞれの本拠地であるパリとマルセイユは、フランスで最も大きな2都市である。両クラブのタイトル数を合わせると、リーグ・アンで11回優勝、クープ・ドゥ・フランスで18回優勝、クープ・ドゥ・ラ・リーグで6回優勝、トロフェ・デ・シャンピオンで5回優勝している。ヨーロッパの主要大会で優勝経験があるのは、PSG(1995-96シーズンのUEFAカップウィナーズカップ)とマルセイユ(1992-93シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ)のみである。両者がリーグ・アンの覇権を握っており、真に全国的なクラブであり忠実で情熱的なファンクラブを持つ。
タイトル
国内タイトル
- リーグ・アン(ディヴィジョン1):9回
- 1936-37, 1947-48, 1970-71, 1971-72, 1988-89, 1989-90, 1990-91, 1991-92, 2009-10
- リーグ・ドゥ(ディヴィジョン2):1回
- 1994-95
- クープ・ドゥ・フランス:10回
- 1923-24, 1925-26, 1926-27, 1934-35, 1937-38, 1942-43, 1968-69, 1971-72, 1975-76, 1988-89
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:3回
- 2009-10, 2010-11, 2011-12
- トロフェ・デ・シャンピオン:3回
- 1971, 2010, 2011
- クープ・シャルル・ドラゴ:1回
- 1957
国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回
- 1992-93
- UEFAインタートトカップ:2回
- 2005, 2006
過去の成績
シーズン | ディビジョン | クープ・ドゥ フランス |
クープ・ドゥ ラ・リーグ | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 順位 | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | |||
1984-85 | ディヴィジョン・アン | 17位 | 31 | 38 | 13 | 5 | 20 | 51 | 67 | -16 | ベスト32 | - |
1985-86 | ディヴィジョン・アン | 12位 | 34 | 38 | 11 | 12 | 15 | 43 | 39 | +4 | 準優勝 | - |
1986-87 | ディヴィジョン・アン | 2位 | 49 | 38 | 18 | 13 | 7 | 52 | 33 | +19 | 準優勝 | - |
1987-88 | ディヴィジョン・アン | 6位 | 41 | 38 | 18 | 5 | 15 | 49 | 43 | +6 | ベスト64 | - |
1988-89 | ディヴィジョン・アン | 1位 | 73 | 38 | 20 | 13 | 5 | 56 | 35 | +21 | 優勝 | - |
1989-90 | ディヴィジョン・アン | 1位 | 53 | 38 | 22 | 9 | 7 | 75 | 34 | +39 | 準決勝敗退 | - |
1990-91 | ディヴィジョン・アン | 1位 | 55 | 38 | 22 | 11 | 5 | 67 | 28 | +39 | 準優勝 | - |
1991-92 | ディヴィジョン・アン | 1位 | 58 | 38 | 23 | 12 | 3 | 67 | 21 | +46 | 準決勝敗退 | - |
1992-93 | ディヴィジョン・アン | 1位 | 53 | 38 | 22 | 9 | 7 | 71 | 36 | +45 | 準々決勝敗退 | - |
1993-94 | ディヴィジョン・アン | 2位 | 51 | 38 | 19 | 13 | 6 | 56 | 33 | +23 | 準々決勝敗退 | ベスト64 |
1994-95 | ディヴィジョン・ドゥ | 1位 | 84 | 42 | 25 | 9 | 8 | 72 | 34 | +38 | 準決勝敗退 | 1回戦敗退 |
1995-96 | ディヴィジョン・ドゥ | 2位 | 80 | 42 | 23 | 11 | 8 | 69 | 35 | +34 | 準決勝敗退 | 準々決勝敗退 |
1996-97 | ディヴィジョン・アン | 11位 | 49 | 38 | 12 | 13 | 13 | 43 | 48 | -5 | ベスト64 | ベスト16 |
1997-98 | ディヴィジョン・アン | 4位 | 57 | 34 | 16 | 9 | 9 | 47 | 27 | +20 | ベスト16 | 準々決勝敗退 |
1998-99 | ディヴィジョン・アン | 2位 | 71 | 34 | 21 | 8 | 5 | 56 | 28 | +28 | ベスト32 | ベスト32 |
1999-00 | ディヴィジョン・アン | 15位 | 42 | 34 | 9 | 15 | 10 | 45 | 45 | 0 | ベスト32 | ベスト32 |
2000-01 | ディヴィジョン・アン | 15位 | 40 | 34 | 11 | 7 | 16 | 31 | 40 | -9 | ベスト32 | ベスト32 |
2001-02 | ディヴィジョン・アン | 9位 | 44 | 34 | 11 | 11 | 12 | 34 | 39 | -5 | ベスト16 | ベスト16 |
2002-03 | ディヴィジョン・アン | 3位 | 65 | 38 | 19 | 8 | 11 | 41 | 36 | +5 | ベスト32 | 準決勝敗退 |
2003-04 | リーグ・アン | 7位 | 57 | 38 | 17 | 6 | 15 | 51 | 45 | +6 | ベスト32 | ベスト16 |
2004-05 | リーグ・アン | 5位 | 55 | 38 | 15 | 10 | 13 | 47 | 42 | +5 | ベスト64 | ベスト32 |
2005-06 | リーグ・アン | 5位 | 60 | 38 | 16 | 12 | 10 | 44 | 35 | +9 | 準優勝 | ベスト32 |
2006-07 | リーグ・アン | 2位 | 64 | 38 | 19 | 7 | 12 | 53 | 38 | +15 | 準優勝 | ベスト16 |
2007-08 | リーグ・アン | 3位 | 62 | 38 | 17 | 11 | 10 | 58 | 45 | +13 | ベスト16 | 準々決勝敗退 |
2008-09 | リーグ・アン | 2位 | 77 | 38 | 22 | 11 | 5 | 67 | 35 | +32 | ベスト32 | ベスト32 |
2009-10 | リーグ・アン | 1位 | 78 | 38 | 23 | 9 | 6 | 69 | 36 | +33 | ベスト32 | 優勝 |
2010-11 | リーグ・アン | 2位 | 68 | 38 | 18 | 14 | 6 | 62 | 39 | +23 | ベスト64 | 優勝 |
2011-12 | リーグ・アン | 10位 | 48 | 38 | 12 | 12 | 14 | 45 | 41 | +4 | 準々決勝敗退 | 優勝 |
2012-13 | リーグ・アン | 2位 | 71 | 38 | 21 | 8 | 9 | 42 | 36 | +6 | ベスト16 | ベスト16 |
2013-14 | リーグ・アン | 6位 | 60 | 38 | 16 | 12 | 10 | 53 | 40 | +13 | ベスト32 | 準々決勝敗退 |
2014-15 | リーグ・アン | 4位 | 69 | 38 | 21 | 6 | 11 | 76 | 42 | +34 | ベスト64 | 3回戦敗退 |
2015-16 | リーグ・アン | 13位 | 48 | 38 | 10 | 12 | 10 | 48 | 42 | +6 | 準優勝 | 準々決勝敗退 |
2016-17 | リーグ・アン | 5位 | 62 | 38 | 17 | 11 | 10 | 57 | 41 | +16 | ベスト16 | ベスト16 |
2017-18 | リーグ・アン | 位 |
現所属メンバー
- 2017-18シーズン 開幕戦フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
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レンタル移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
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歴代監督
- ピーター・ファーマー 1923-1924
- ビクター・ギブソン 1925-1929
- チャーリー・ベル 1932-1933
- ヴィンツェンツ・ディートリッヒ 1933-1935
- エイセンホッフェル・ヨージェフ 1935-1938, 1939-1941
- コフト・ヴィルモシュ 1938
- アンドレ・ガスカール 1938-1939, 1941-1942
- ポール・セツ 1942
- アンドレ・ブラン 1942-1943
- ローラン・アンリ 1943-1944
- ジョゼフ・ゴンサレス 1943, 1944
- ポール・ワルテル 1944-1947
- ジュゼッペ・ジリッツィ 1947-1949, 1958
- オーギュスト・ジョルダン 1949-1950
- アンリ・ルスラー 1950-1954
- ロジェール・ロリオン 1954-1956
- ジャン・ロビン 1956-1958, 1963-1964
- ルイス・マウレール 1958-1959
- リュシアン・トルペル 1959-1962
- オットー・グロリア 1962
- アルマン・ペンヴェルヌ 1962
- ルイス・ミロ 1962
- ロベール・ドメルグ 1966-1968
- ジャン・ジョルカエフ 1968
- リュシアン・ルデュク 1970-1972
- クルト・リンダー 1972-1973
- マリオ・ザテッリ 1964-1966, 1968-1970, 1972, 1973-1974
- ジョゼフ・ボネル 1973
- フェルナンド・リエラ 1973-1974
- ホセ・アリバス 1976-1977
- イヴァン・マルコヴィッチ 1977-1978
- ジュレ・ズヴンカ 1974-1976, 1978-1980
- ジャン・ロビン 1980
- アルベール・バトー 1980-1981
- ピエール・カユザック 1984-1985
- ジャルコ・オラレヴィッチ 1985-1986
- ジェラール・バニデ 1986-1988
- ジェラール・ジリ 1988-1990, 1994, 1995-1997
- フランツ・ベッケンバウアー 1990
- レイモン・ゲタルス 1991-1992, 1992-1993
- トミスラフ・イヴィッチ 1991
- ジャン・フェルナンデス 1992, 2005-2006
- マルク・ブリエ 1993-1994
- アンリ・スタンブリ 1994-1995
- ローラン・クルビ 1997-1999
- ベルナール・カソーニ 1999-2000
- アベウ・ブラガ 2000
- クリストフ・ガルティエ 2000
- ハビエル・クレメンテ 2000-2001
- トミスラフ・イヴィッチ 2001
- ジョゼ・アニゴ 2001, 2004, 2013-2014
- ヨシップ・スコブラル、 マルク・レヴィ 2001
- アルベール・エモン 2001-2002, 2004, 2006-2007
- アラン・ペラン 2002-2004
- フィリップ・トルシエ 2004-2005
- エリック・ゲレツ 2007-2009
- ディディエ・デシャン 2009-2012
- エリ・ボー 2012-2013
- マルセロ・ビエルサ 2014-2015
- ミチェル 2015-2016
- フランク・パッシ 2016
- リュディ・ガルシア 2016-
歴代所属選手
GK
DF
MF
FW
脚注
- ^ “Según una investigación, Boca no es la mitad más uno” (スペイン語). minutouno (2008年2月26日). 2013年10月17日閲覧。
- ^ [1] 2013年2月に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-11シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング。
- ^ Goal.com世界の富裕選手リスト2013
- ^ マルセイユの筆頭株主ドレフュス氏が死去uefa.com、2009年7月5日
- ^ マルセイユ、18年ぶりのリーグ優勝達成uefa.com、2010年5月5日
- ^ http://web.gekisaka.jp/264281_61887_foreign
- ^ http://web.gekisaka.jp/265213_61618_foreign
- ^ http://lci.tf1.fr/sport/les-supporters-de-l-om-font-la-greve-des-encouragements-6779235.html
- ^ http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/france/2886591/9177526
- ^ “Second time lucky as Marseille face PSG in Ligue 1's Le Classique”. 101 Great Goals. (19 November 2009) 23 April 2010閲覧。
- ^ “Ligue 1 Preview: Paris Saint-Germain – Olympique de Marseille”. Goal.com. (26 February 2010) 28 February 2010閲覧。
- ^ “Paris s'impose dans la douleur dans le Classico”. ActuPSG. (8 April 2012) 22 April 2012閲覧。
- ^ “Rewind to 1993: The shame of Marseille”. ESPNsoccernet. (10 March 2011) 8 October 2011閲覧。
- ^ “OM-PSG D-2: The match that divides a nation”. リーグ・アン公式サイト. (23 October 2009) 25 October 2009閲覧。