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== 著書 ==
== 著書 ==
* 『政治家の覚悟国民の覚悟』([http://www.amazon.co.jp/dp/4594056636 ISBN-4594056636])、[[扶桑社]]・刊、2008年5月。
* 『政治家の覚悟国民の覚悟』([http://www.amazon.co.jp/dp/4594056636 ISBN 4594056636])、[[扶桑社]]・刊、2008年5月。
* 「特集1 Interview プライス(金利)とクォンティティ(貸付総量)、これが大きな論点」『クレジットエイジ』27(4)(通号 316)、2006年4月。
* 「特集1 Interview プライス(金利)とクォンティティ(貸付総量)、これが大きな論点」『クレジットエイジ』27(4)(通号 316)、2006年4月。
* 「なにがあろうとも軸足がブレない生き方、逃げない生き方を学びました」『 国会ニュース』64(4)(通号 2860)2004年5月。
* 「なにがあろうとも軸足がブレない生き方、逃げない生き方を学びました」『 国会ニュース』64(4)(通号 2860)2004年5月。
* 「超多忙でもストレスなし(全公開 国会議員の24時間)」『 論座』(通号89)、2002年10月。
* 「超多忙でもストレスなし(全公開 国会議員の24時間)」『 論座』(通号89)、2002年10月。
* 『日本未来図2030』([http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822225194 ISBN-4822225194])(寄稿)、[[日経BP社]]・刊、2014年12月。
* 『日本未来図2030』([http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822225194 ISBN 4822225194])(寄稿)、[[日経BP社]]・刊、2014年12月。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2016年11月15日 (火) 18:33時点における版

日本の旗衆議院議員 後藤田 正純
生年月日 (1969-08-05) 1969年8月5日(55歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
出身校 慶應義塾大学商学部
学位・資格 商学士
前職 衆議院議員秘書
会社員
所属委員会 決算行政監視委員会
消費者問題に関する特別委員会(理事)
憲法審査会(幹事)
世襲
大叔父・後藤田正晴
(父の従兄弟・井上普方
選出選挙区徳島3区→)
徳島1区
当選回数 6回
所属党派 自由民主党石破派
会館部屋番号 衆議院第1議員会館315号室
ウェブサイト 後藤田正純ホームページ
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後藤田 正純(ごとうだ まさずみ、1969年8月5日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党副幹事長。内閣府副大臣、自民党徳島県連会長を歴任した。

妻は女優水野真紀警察庁長官内閣官房長官法務大臣を歴任した後藤田正晴大叔父

来歴・人物

生い立ち

1969年、東京都医師後藤田圭博と晃子の次男として生まれる(本籍地徳島県吉野川市)。大叔父の後藤田正晴や社会党の衆議院議員であった井上普方などが親戚にいた。

1988年筑波大学附属駒場高等学校を卒業して、一浪し慶應義塾大学商学部入学。将来、政治家になることを考え、後藤田正晴秘書として選挙を手伝う。1993年に慶應義塾大学卒業後、三菱商事に入社。これは、「政治家は社会経験をしてからなるべきだ」という後藤田正晴の信条による[要出典]1998年に三菱商事を退職。

衆議院議員

2000年第42回衆議院議員選挙徳島3区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に小渕優子竹下亘梶山弘志左藤章馳浩松島みどりなど)。2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙で再選。

2004年3月に女優水野真紀と結婚し、2005年4月には第1子である長男が誕生した。同年9月、第44回衆議院議員総選挙で3選。第3次小泉改造内閣内閣府大臣政務官金融、経済財政政策担当)に就任するも、2006年に辞任した。

2007年9月28日、初当選以来所属していた津島派に突如退会届を提出、無派閥となった。上記のように谷垣の熱烈な支持者であることを公言するなど、派内では異端の存在であったが、今後は既存派閥への再入会はせず、純粋無派閥として活動するとしている。

2008年自由民主党総裁選挙では、与謝野馨を総裁候補として擁立。

2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹き、後藤田自身も徳島3区で苦戦を強いられたが1222票の僅差で民主党仁木博文を下し、4選(仁木も比例復活)。

2010年、自民党内で谷垣禎一総裁執行部への批判を公言し、自民党離党をちらつかせながら執行部の一新を求める舛添要一厚労相を「オオカミ中年」と形容した[1](後日、舛添は自民党を離党し、改革クラブに合流する形で新党改革を結成、新党改革代表に就任した)。

2012年第46回衆議院議員総選挙で民主党の仁木らを下して5選し、仁木には比例復活も許さなかった。徳島3区は同選挙を最後に廃止されるため同選挙区から選出された最後の国会議員である。

2013年9月30日、第2次安倍内閣副大臣・政務官人事で内閣府副大臣に就任。10月6日徳島県連会長を退任[2](後任の県連会長は徳島県議議会議員の竹内資浩[3])。翌2014年内閣改造で内閣府副大臣を退任。党規制改革推進委員長に就任。

2014年12月、第47回衆議院議員総選挙で徳島1区から小選挙区当選し6選。2015年1月現在、自由民主党規制改革推進委員長、党国家戦略本部事務局長、雇用問題調査会副会長等[2]

2015年7月28日徳島県高知県参議院合同選挙区による徳島県・高知県選挙区を創設する公職選挙法改正案に反発し、「県代表を選べない今回の選挙制度改革は問題がある」として衆議院本会議採決前に退席し棄権した[4]

不祥事

政策・主張

所属団体・議員連盟

家族親族

その他

著書

  • 『政治家の覚悟国民の覚悟』(ISBN 4594056636)、扶桑社・刊、2008年5月。
  • 「特集1 Interview プライス(金利)とクォンティティ(貸付総量)、これが大きな論点」『クレジットエイジ』27(4)(通号 316)、2006年4月。
  • 「なにがあろうとも軸足がブレない生き方、逃げない生き方を学びました」『 国会ニュース』64(4)(通号 2860)2004年5月。
  • 「超多忙でもストレスなし(全公開 国会議員の24時間)」『 論座』(通号89)、2002年10月。
  • 『日本未来図2030』(ISBN 4822225194)(寄稿)、日経BP社・刊、2014年12月。

脚注

  1. ^ “自民党内で舛添氏批判が噴出”. 日テレNEWS24. (2010年4月15日). http://www.news24.jp/articles/2010/04/15/04157455.html 2012年5月24日閲覧。 
  2. ^ a b 後藤田正純・プロファイル
  3. ^ 自由民主党徳島県支部連合会・活動報告2013年10月7日
  4. ^ 衆院本会議採決、合区対象県の3氏が欠席、2氏が採決前に退席 産経新聞 2015年7月28日
  5. ^ 時事通信 2009年9月5日
  6. ^ フライデー 2011年6月3日号 「激撮スクープ 後藤田正純『ハレンチすぎる不倫!』」
  7. ^ 産経新聞 2011年6月3日 「後藤田正純氏が自民の役職辞任 女性問題報道で
  8. ^ a b c d e f “2012衆院選 徳島3区 後藤田正純”. 毎日jp (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A36003003003 2014年4月3日閲覧。 
  9. ^ 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  10. ^ 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  11. ^ 2014衆院選 毎日新聞候補者アンケート
  12. ^ 朝日新聞、2007年4月10日
  13. ^ 朝日新聞2001年11月6日
  14. ^ 第174回 - 衆議院 - 法務委員会 - 5号 平成22年03月26日
  15. ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
  16. ^ 巻頭インタビュー 後藤田正純衆議院議員に聞く 政界往来 2011年12月
  17. ^ 1500億円削減、後藤田議員が新国立競技場の新案 日刊スポーツ 2015年7月6日
  18. ^ 後藤田氏が新国立の五輪後改修新案の画像を公開 - 日刊スポーツ 2015年7月10日
  19. ^ 後藤田議員、新国立計画バッサリ 有形レガシー不要 - 日刊スポーツ 2015年12月23日
  20. ^ 河野太郎行政改革担当大臣と面談 後藤田正純・活動報告 2015年12月25日
  21. ^ 16球団拡大構想 賛否くっきり - R25、2016年2月18日
  22. ^ a b 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  23. ^ (交遊抄)三菱商事の魂 後藤田正純 - 日本経済新聞、2014/7/15 朝刊

関連項目

外部リンク

議会
先代
末松義規
日本の旗 衆議院東日本大震災復興特別委員長
第4代:2012年 - 2013年
次代
秋葉賢也
公職
先代
浜田昌良西村康稔伊達忠一坂本哲志赤羽一嘉井上信治寺田稔
日本の旗 内閣府副大臣
関口昌一・西村康稔・岡田広・赤羽一嘉・井上信治と共同

2013年9月 - 2014年9月
次代
赤沢亮正平将明・西村康稔