西銘順志郎
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西銘 順志郎 にしめ じゅんしろう | |
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内閣府大臣政務官就任に際し公表された公式肖像写真 | |
生年月日 | 1950年1月2日(74歳) |
出生地 | 沖縄県南城市(旧・島尻郡知念村) |
出身校 | 立正大学経済学部 |
前職 |
琉球海運社員 実父秘書 |
所属政党 |
(自由民主党→) (自由連合→) 自由民主党 |
称号 | 旭日中綬章 |
親族 |
父・西銘順治 次弟・西銘恒三郎 末弟・西銘啓史郎[1] |
選挙区 | 沖縄県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2001年7月29日 - 2007年7月28日 |
西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。
来歴
[編集]沖縄県島尻郡与那原町生まれ。琉球政府立那覇高等学校、立正大学経済学部卒業。元衆議院議員で沖縄県知事も務めた西銘順治の長男。三男は衆議院議員の西銘恒三郎という政治家一族の生まれである。1973年に琉球海運に入社し、1979年からは父(県知事)の秘書を務めた。
1983年の第13回参議院議員通常選挙に出馬したが落選。以後2回の衆院選落選を経て、2001年の第19回参議院議員通常選挙で沖縄県選挙区から出馬し初当選。2007年の第21回参議院議員通常選挙では元職の糸数慶子に敗れ落選。
2022年8月、同年9月投開票の沖縄県議会議員補欠選挙に立候補を表明したが[2]、他の自民党系の候補者が立候補に意欲を示したため辞退した[3]。
政歴
[編集]- 1983年 - 第13回参議院議員通常選挙に沖縄県選挙区より自由民主党公認で出馬、落選
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙に沖縄県全県区より自由民主党公認で出馬、落選
- 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙に沖縄1区自由連合公認で出馬、落選
- 2001年 - 第19回参議院議員通常選挙に自由民主党公認、公明党・保守党推薦で沖縄県選挙区より出馬、当選
- 2004年 - 第2次小泉改造内閣で内閣府大臣政務官に就任
- 2005年 - 第3次小泉内閣で内閣府大臣政務官に留任
- 2007年 - 第21回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で沖縄県選挙区より出馬、落選
- 2020年 - 旭日中綬章受章[4]
脚注
[編集]- ^ “安保最前線 保革が激突…沖縄4区 現役閣僚vs「オール沖縄」”. 読売新聞オンライン (読売新聞東京本社). (2021年10月26日) 2024年6月17日閲覧。
- ^ “西銘順志郎氏が立候補の意向 元参院議員 9月11日の沖縄県議補選”. 沖縄タイムス. (2022年8月26日) 2022年8月29日閲覧。
- ^ “元参院議員の西銘氏、沖縄県議補選の立候補を取り下げ 大山氏出馬の意向受け”. 沖縄タイムス. (2022年8月29日) 2022年8月29日閲覧。
- ^ 令和2年春の叙勲受章者名簿
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 西川公也 森元恒雄 宮腰光寛 |
内閣府大臣政務官 木村勉 江渡聡徳と共同 2004年 - 2005年 |
次代 山谷えり子 平井卓也 後藤田正純 |