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「硫黄鳥島」の版間の差分

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{{Infobox 島
{{Infobox 島
|島名=硫黄鳥島
|島名=硫黄鳥島
|画像=[[ファイル:Io-Torishima gsi-20081121.jpg|300px]]<br/>2008年11月21日撮影。6枚の空中写真を合成。<br/><small>出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:[https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス])』</small>
|画像=[[Image:Iwo-torishima mlit1978.jpg|300px]]<br/>1978年撮影。({{国土航空写真}})<br/>{{Location map many | Japan Ryukyu Islands
|座標={{ウィキ座標2段度分秒|27|52|27|N|128|13|35|E|region:JP-47_type:isle|display=inline,title|name=硫黄鳥島}}
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|地図={{Location map many | Japan Ryukyu Islands
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}}硫黄鳥島の位置
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'''硫黄鳥島'''(いおうとりしま)は、[[南西諸島]]の[[島]]で、[[沖縄県]][[島尻郡]][[久米島町]]に属している。[[日本]]の[[気象庁]]により火山活動度ランクCの[[活火山]]とされている島で、火山名として'''沖縄鳥島'''と呼ばれたこともある。沖縄県の最北端となる[[無人島]]である。面積は2.50km&sup2;<ref>[http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200910/shima/shima-oki.htm 沖縄の島面積]</ref>、周囲7.3km<ref>[http://cpi.kagoshima-u.ac.jp/asiapacificnow/1iwatori/iwo/project-iwotori1.html 鹿児島大学 国際島嶼教育研究センター]</ref>。
'''硫黄鳥島'''(いおうとりしま<ref name="island-area">{{Cite web|和書|date=2019-07-01|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/201907/f3_shima.pdf |title=令和元年 全国都道府県市区町村別面積調 島面積|format=PDF|publisher=[[国土地理院]]|accessdate=2019-12-07}}</ref>)は、[[沖縄県]]における最北端の[[島]]で<ref name="rekishi-intro23jo">「総論 自然環境」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.23上段</ref>、県内唯一の[[活火山]]島である<ref name="rekishi-intro23ge">「総論 自然環境」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.23下段</ref>{{Refnest|group=注|沖縄県に属する火山島は硫黄鳥島と[[尖閣諸島]]の[[久場島 (沖縄県石垣市)|久場島]]の2島で、また活火山は硫黄鳥島の他に、[[西表海底火山]]が挙げられる<ref name="katou166">加藤(1995年)、p.166</ref>。}}。


[[14世紀]]後半から[[明]]王朝へ進貢する[[硫黄]]の産地として知られ、[[琉球王国]]が終了する[[19世紀]]中頃まで、琉球と明・[[清]]朝の[[朝貢]]関係を繋ぐ重要な島であった。[[1903年]]([[明治]]36年)の[[久米島]]移住後も硫黄採掘が行われたが、[[1959年]]([[昭和]]34年)の噴火により住民は島外へ移住、[[1967年]](昭和42年)には採掘従事者も撤退し、これ以降は完全な[[無人島]]となった。
なお、同じ久米島町内には、「鳥島射爆撃場」が設置されている[[鳥島 (沖縄県)|鳥島]](久米鳥島)が存在しているが、別の島である。


== 地理 ==
== 地理 ==
[[徳之島]]の西約65km、[[久米島]]の北東約200kmの[[東シナ海]]に位置する<ref name="kado-iotorishima">「硫黄鳥島」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.136</ref>。[[沖縄諸島]]の最北端であるが<ref name="rekishi-okinawaIslands-71chu">「沖縄諸島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.71中段</ref>、地理的には[[奄美群島]]に近い<ref name="sugata">「鳥島」、『日本の島事典』(1995年)、p.197</ref>。面積は2.50km{{sup|2}}<ref name="island-area"/>、周囲7.3km<ref name="kado-iotorishima"/>、標高212mの[[火山島]]である<ref name="metro-vol421">「硫黄鳥島」、『日本活火山総覧 第2版』(1996年)、p.421</ref>。かつては単に「'''鳥島'''」<ref name="okinawa-jo148">加藤祐三「硫黄鳥島火山」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.148</ref>と言われ、島外へ移住した人々からは「'''元鳥島'''」<ref name="rekishi-io551jo">「硫黄鳥島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.551上段</ref>と呼ばれる。また他に「'''琉球鳥島'''」<ref name="nichigai">「硫黄鳥島」、『島嶼大事典』(1991年)、p.31</ref>、火山名として「'''沖縄鳥島'''」<ref name="metro-vol421"/>と称されたこともある{{Refnest|group=注|1975年の気象庁発行『日本活火山要覧』には「沖縄鳥島」という名称が使用されていたが、1984年の『日本活火山総覧 第1版』からは「硫黄鳥島」に変更されている<ref name="metro-vol495">『日本活火山総覧 第2版』(1996年)、p.495</ref>。}}。「硫黄鳥島」という名称は、1935年(昭和10年)に[[木下亀城]]が著した論文などに見受けられ、それ以降この名称が広まったとされる<ref name="okinawakenshi-299">上江洲均「硫黄鳥島移住の百年」、『沖縄県史 資料編13 硫黄鳥島』 (2002年)、p.299</ref>。久米島北東沖に位置する[[鳥島 (沖縄県)|鳥島]](この島は「久米鳥島」ともいわれる<ref name="sugata"/><ref name="kado-torishima-naka">「鳥島 <仲里村>」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.509</ref>)、または移住先の久米島・鳥島集落と区別するためだと思われる<ref name="okinawakenshi-299"/>。
[[那覇市]]の北北東約190km、[[徳之島]]の西方約65km、[[沖永良部島]]北西約65kmに位置する。行政上は沖縄県であるが、[[奄美群島]]に近く<ref>少数意見だが、沖縄県内で唯一、奄美群島に属している島という見解もある{{要出典|date=2011年12月}}。</ref>、周囲の島の行政区画は[[鹿児島県]]である。


[[琉球王国|琉球王朝]]時代において、[[琉球王国#申口方|泊地頭]]の下に設置された「泊頭取方」は、泊村([[那覇市]]の泊(とまり)と前島(まえじま)地区にほぼ相当する<ref name="okinawa-chu960">真栄田義見「泊村」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.960</ref>)と共に硫黄鳥島を管轄した<ref name="rekishi-tomari165jo">「泊村」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.165上段</ref>。1879年(明治12年)に沖縄県、1896年(明治29年)に同県島尻郡に、1904年(明治37年)に移住先の具志川[[間切]]、1908年(明治41年)に[[具志川村]]の[[大字]]として「硫黄鳥島」となり<ref name="kado-iotorishima-kinsei">「硫黄鳥島〈近世〉」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.137</ref>、一島で一字を構成する<ref name="kado-gushikawa-iotorishima921">宮城幸吉「硫黄鳥島 〔具志川村 現行行政地名〕」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.922</ref>。2002年(平成14年)4月1日に具志川村は隣接する[[仲里村]]と合併し[[久米島町]]となり<ref name="shichosonyouran2015-455">「合併、市・町制施行、名称変更一覧(昭和40年3月29日 - 平成27年10月1日)」、『全国市町村要覧 平成27年版』(2015年)、p.455</ref>、2015年(平成27年)1月現在でも硫黄鳥島は当町に属する<ref name="rito-kankei8">「2.島しょ」、『平成27年1月 離島関係資料』(2015年)、p.8</ref>。
北部にある硫黄岳と、南部にあるグスク火山の2つの火山が接合している。硫黄岳は今も水蒸気を噴出する[[成層火山]]で、有史以降に[[マグマ]]の噴出は確認されていない。グスク火山は二重式の成層火山であり、[[中央火口丘]]として溶岩円頂丘があるが、周囲には爆裂火口跡があり、かすかに噴気を認める。


=== 地形・地質 ===
島は断崖に囲まれた台地状になっており、島中央部に上るためには急峻な断崖を登らなければならない。
硫黄鳥島は北西 - 南東方向に伸びる細長い島で、長さは約3km、幅約1kmにおよぶ<ref name="kado-iotorishima"/>。北側の硫黄岳火山体には島内最高峰の「方位」<ref name="metro-vol421"/><ref name="gsi">[http://maps.gsi.go.jp/?z=14&ll=27.873056,128.227222#15/27.872086/128.226500/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0 国土地理院(電子国土Web)]</ref>(「ホーイノ山」<ref name="katou167">加藤(1995年)、p.167</ref>、「トリノトコヤギーノ山」<ref name="kado-iotorishima"/>とも)と「硫黄岳」が、南端にはグスク火山体の「前岳」(「前嶽」とも<ref name="gsi" />)<ref name="katou167"/>がそびえる。全島の岩石のほとんどは[[安山岩]]質で、侵食に弱い[[火山砕屑岩]]で構成され<ref name="okinawa-jo148"/>、島の周囲は波蝕により[[海食崖]]に覆われている<ref name="katou170"/>。東部の海岸から観察すると、様々な砕屑物により縞模様に見え、また海岸の砂浜は火成岩由来の黒色に帯びている<ref name="katou170">加藤(1995年)、p.170</ref>。グスク火山体の中央にある「グスク」と島北西端に位置する「フツヤ山」は地下から押し上げられた[[溶岩]]で形成された山である<ref name="katou171">加藤(1995年)、p.171</ref>。また[[マグマ]]が隙間に貫入してできた[[岩脈]]が島南部に見受けられ、中には周囲が削られ岩脈が[[三角形]]状に露出した岩が存在する<ref name="katou172">加藤(1995年)、p.172</ref>。島周辺の[[サンゴ礁]]は全体的に発達していない<ref name="rekishi-io552jo">「硫黄鳥島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.552上段</ref>。

=== 火山 ===
{{Multiple image
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| header = 硫黄鳥島の火山
| header_align = center
| footer = {{国土航空写真}}。
| footer_align = center
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| image1 = Io-dake, Io-torishima.jpg
| caption1 = <div style="text-align:center;">島北西部の硫黄岳火山体。</div>
| image2 = Gusuku volcano, Io-torishima.jpg
| caption2 = <div style="text-align:center;">島南東部のグスク火山体。</div>
}}
硫黄鳥島は、北西の硫黄岳火山体と南東のグスク火山体の2つの火山により構成されている<ref name="okinawa-jo147vol">加藤祐三「硫黄鳥島火山」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.147</ref>、[[地質学]]で島全体は「硫黄鳥島火山」と呼ばれる<ref name="katou">加藤(1995年)、p.181</ref>。[[火山噴火予知連絡会]]は、[[火山活動]]度のランク付けをAからCの3段階評価で行い<ref name="kazan-jiten417">山里平「日本の火山防火体制」、『火山の事典 第2版』(2008年)、p.417</ref>、[[2007年]](平成19年)末現在で硫黄鳥島は「ランクB」に分類されている<ref name="kazan-jiten418">山里平「日本の火山防火体制」、『火山の事典 第2版』(2008年)、p.418</ref>。硫黄鳥島は[[九州]]の[[阿蘇山]]・[[桜島]]から[[トカラ列島]]へ続く[[霧島火山帯]]の最南端に属し、約数万年前の[[更新世]]後期に火山活動を開始したと考えられる<ref name="kamiya122">神谷(2007年)、p.122</ref>。

硫黄岳火山は火山活動が活発で、南西に向いた高さ約100mの崖から常時[[硫黄]]を含む噴気を上げ<ref name="katou169">加藤(1995年)、p.169</ref>、崖下には乳白色に呈した[[火口湖]]が見られる<ref name="kamiya122"/>。一方、グスク火山は硫黄岳と比較して火山活動は穏やかであるが、山体は島の3分の2を占める<ref name="katou168">加藤(1995年)、p.168</ref>。2つの[[外輪山]]と[[中央火口丘]]を有する三重式の火山で、外側の外輪山の直径は約1.5kmにおよぶ<ref name="okinawa-jo147vol"/>。

以下の表に硫黄鳥島の噴火活動記録を示す。過去に幾度もなく[[噴火]]に伴う降灰、爆発鳴動や[[地震]]を引き起こしてきた。[[1903年]](明治36年)に大鳴動と地震により、硫黄採掘者を除く島民全員が久米島へ移住、[[1959年]](昭和34年)にも噴火によって全島民が島外に移住している。そして[[1967年]](昭和42年)も噴火により出稼ぎ採掘員が撤退し、それ以降は[[無人島]]と化している<ref name="nichigai"/><ref name="volcano">『日本の火山 (III)』(1979年)、pp.138 - 140</ref>。2015年(平成27年)に[[気象庁]]と[[第十一管区海上保安本部]]が行った火山調査では、硫黄岳から少量の噴気が認められたが、グスク火山からは観測されなかった<ref name="kishonenkan2016-199">気象庁地震火山部火山課「硫黄鳥島 〔2015年(平成27年)の地震・火山の記録〕」、『2016年版 気象年鑑』(2016年)、p.199</ref>。

{| class="wikitable" style="margin:0 auto;width:80%;text-align:left;"
|+ 硫黄鳥島の火山活動史
! style="width:17%" | 発生時期 !! 火山活動・被害
|-
! style="text-align:left"|[[1631年]]
| [[噴火]]。死者多数<ref name="okinawa-chu972izyu">宮里正光「鳥島移住」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.972</ref>。
|-
! style="text-align:left"|[[1664年]]
| 噴火、[[地震]]。『[[球陽]]』には1人死亡と記載。
|-
! style="text-align:left"|[[1796年]][[11月]]頃
| 噴火による降灰。島民は事前に徳之島へ避難。火山灰は[[沖永良部島]]までに到達し、当島の農作物に被害。翌年、[[バジル・ホール]]が硫黄鳥島付近を探索した際、既に噴火は沈静化していたという。
|-
! style="text-align:left"|[[1829年]][[12月1日]]
| 噴火に伴う火山爆発。硫黄鉱区の大半が焼失し、島民は徳之島へ避難。火山灰は[[加計呂麻島]]まで達する<ref name="okinawa-jo147jima">嘉手納宗徳「硫黄鳥島」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.147</ref>。
|-
! style="text-align:left"|[[1855年]]
| 2,3ヶ月に1回の割合に噴火。硫黄鳥島内の農作物に被害。
|-
! style="text-align:left"|[[1868年]]
| 2月ないし3月に噴火したが、勢いは小さく、降灰も少なかったという。
|-
! style="text-align:left"|[[1903年]]3月 - 8月
| 3月15日頃から噴煙開始し、4月には鳴動と降灰が度々発生した。5月3日頃に噴火は最盛を迎え、8月頃まで火山活動は継続。島民のほとんどは久米島に移住し、採掘員が残留。
|-
! style="text-align:left"|[[1934年]]
| 5月頃に噴気を確認。グスク火山北側に3か所の噴気孔が形成。7月2日に[[関西]]の[[新聞社]]が硫黄鳥島の噴火を伝えたが、誤報であった。
|-
! style="text-align:left"|[[1959年]][[6月8日]]
| 硫黄岳火口から噴煙発生、上空約3,000mまで上昇。噴石や降灰などの火山活動は約1ヶ月続き、島民全員を那覇などに移住<ref name="rekishi-io552jo"/>。
|-
! style="text-align:left"|[[1967年]][[11月25日]]頃
| 噴煙多量につき、硫黄採掘者は島外へ避難。それ以降、硫黄鳥島は無人島のままである<ref name="nichigai"/>。
|-
! style="text-align:left"|[[1968年]][[7月18日]]頃
| 航行中の漁船が噴火を目撃。降灰を確認。
|-
| colspan=2 style=text-align:left |
* 出典は主に、『日本活火山総覧 第2版』<ref name="metro-vol421"/>、『日本の火山 (III)』<ref name="volcano"/>から。一部の項目に他の文献も付記している。
|}

=== 生物 ===
<div class="thumb tright">
<div class="thumbinner" style="width:222px">
<div style="position:relative;width:220px;padding:auto">[[ファイル:Io-torishima.png|220px|border]]
<div style="position:absolute;left:20px;top:160px;font-size:13px;">[[File:North Pointer.svg|30px]]</div>
<div style="position:absolute;left:90px;top:40px;font-size:13px;">[[File:Fire.svg|8px]]方位 <small>(212m)</small></div>
<div style="position:absolute;left:103px;top:62px;font-size:13px;">[[File:Fire.svg|8px]]硫黄岳 <small>(208m)</small></div>
<div style="position:absolute;left:105px;top:203px;font-size:13px;">前岳 <small>(190m)</small>[[File:Fire.svg|8px]]</div>
<div style="position:absolute;left:140px;top:180px;font-size:13px;"><small>グスク</small></div>
<div style="position:absolute;left:0px;top:52px;font-size:13px;">フツヤ山 <small>(145m)</small></div>
<div style="position:absolute;left:60px;top:62px;font-size:13px;">[[File:Fire.svg|8px]]</div>
</div>
<div class="thumbcaption">硫黄鳥島の地形図。山名と標高を表記<ref name="ooki6">大木(2002年)、p.6</ref>。</div>
</div>
</div>

硫黄鳥島のほとんどは[[火山]]砕屑物で構成されていることから、[[海底火山]]による噴出物の堆積により島が形成されたと考えられる<ref name="katou168"/>。大陸との陸続きがなかったため、[[動植物]]の種類は少ない。それらは風や鳥または[[流木]]などによって運ばれたか、人間の手によって持ち込まれたのが繁殖した可能性が高い<ref name="katou178">加藤(1995年)、p.178</ref>。

==== 動物 ====
哺乳類に関しては人為的に持ち込まれ、野生化した[[ネズミ]]と[[ヤギ]]が確認された。爬虫類は小型の[[トカゲ]]が発見されたのみで、島内に[[ハブ (動物)|ハブ]]は生息していない。鳥類は[[セッカ]]のみが繁殖し、他に[[クロサギ (鳥)|クロサギ]]と[[ミサゴ]]が飛来している。昆虫などは[[シジミチョウ]](大型の[[アゲハチョウ]]は確認されず)、[[カタツムリ]]、[[アリ]]、[[クモ]]の仲間が生息している<ref name="katou177-179">加藤(1995年)、pp.177 - 179</ref>。

==== 植物 ====
現在も噴気活動している硫黄岳火山には植物がほとんど生育していないが、グスク火山全体は緑に覆われている<ref name="katou168"/>。沖縄県では島内のみに分布する[[マルバニッケイ]]や、県内では生息域が限られている[[シャシャンボ]]などの低木が生育している。硫黄岳火口壁にはハチジョウススキが群生しているのみである。集落跡の平坦地には、[[ススキ]]・[[チガヤ]]などが混生する草原が広がる。また人間により植え付けられた[[リュウキュウマツ]]と[[シークァーサー]]が、さらにかつての島民が栽培したと思われる[[タバコ]]も見受けられる<ref name="katou179">加藤(1995年)、p.179</ref><ref name="okinawa-jo148plant">新納義馬「硫黄鳥島の植物」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.148</ref>。
{{-}}


== 歴史 ==
== 歴史 ==
硫黄鳥島は古くから[[硫黄]]の産地として知られ、[[明]]への貿易重要品目の一つであった<ref name="kado-iotorishima"/>。[[1534年]]の『使琉球録』には「硫黄山」、『[[海東諸国紀]]』には「鳥島」、[[徐葆光]]の『[[中山伝信録]]』に「土里臣馬」と記されている<ref name="rekishi-io551chu">「硫黄鳥島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.551中段</ref>。また、{{仮リンク|アントワーヌ・ゴービル|en|Antoine Gaubil}}の著書に「硫黄山 (''Montagne de soufre'')」<ref name="kado-iotorishima"/>、[[バジル・ホール]]の探検記には「硫黄島 (''Sulphur Island'')」と表記され、白煙を噴く硫黄鳥島の挿絵が描かれている<ref name="katou173">加藤(1995年)、p.173</ref>。
[[琉球王国]]の時代には[[硫黄]]の採掘が行われ、[[中国]]への[[朝貢|進貢貿易]]に用いていた(琉球王国では唯一の硫黄産地だった)。奄美群島が薩摩藩に併合された際、朝貢に支障をきたす恐れがあるため、そのまま琉球王国領として存続した。硫黄採掘は戦後になっても行われており、現在でもその採掘跡を認めることができる。[[1959年]]([[昭和]]34年)に噴火のおそれがあるとして、全島民が[[久米島]]へ移住。[[1967年]](昭和42年)にも噴火し、硫黄採掘の従事者も撤退。以降、完全な無人島となっている。


島への定住時期は不明で、[[14世紀]]後半の[[察度王統]]以前と思われる<ref name="rekishi-io551chu"/>。[[1634年]]([[正保]]3年)の『[[正保国絵図]]』には「人居有り」と記載され、この頃は確実に島民は存在していた<ref name="okinawa-rekishi-160">安里ほか(2004年)、p.160</ref>。[[1376年]]([[洪武]]9年)に中山王・[[察度]]が硫黄4千[[斤]]を明へ進貢したのが始まりで、多いときには1年で4隻合計7万斤を朝貢した<ref name="okinawa-rekishi-160"/>。硫黄鳥島から採掘された硫黄は現在の[[那覇市]]の泊(とまり)まで運搬され、[[崇元寺]]の西に位置していた「硫黄蔵」に保管された<ref name="okinawa-jo147iogura">嘉手納宗徳「硫黄蔵」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.147</ref>。原鉱硫黄を約2 - 3万斤を進貢していたが、船の積載量不足により[[嘉靖]]年間([[16世紀]]中頃)に精錬硫黄に変更され、1万数千斤にまで軽減し進貢している<ref name="kado-tomari">「泊」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.502</ref>。精錬作業は「硫黄蔵」と那覇港内の「硫黄城」で行われ<ref name="kado-tomari"/>、硫黄は那覇港に停泊していた進貢船へ運搬された<ref name="rekishi-tomari165ge">「泊村」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.165下段</ref>。
久米島町にある「鳥島」の集落は硫黄鳥島から移住した人々で作った集落である。

[[1609年]]に[[琉球侵攻|琉球へ侵攻]]した[[薩摩藩]]は、[[与論島]]以北の島々を領地としたが、中国との進貢貿易を存続させるため、硫黄鳥島を琉球王国の領地として存置した<ref name="rekishi-io551chu"/>。その際、琉球と薩摩藩は、硫黄鳥島と与論島を交換する協定を結んだとされているが<ref name="nichigai"/>、桂博文は薩摩藩は領地として島を獲得するのが目的でなく、琉球の安定支配であり、交換説は後世の創作ではないかと述べている<ref>{{Cite news |title=「検証 硫黄鳥島」 第1章 王国を築いた鉱物資源 4 |newspaper=[[琉球新報]] |date=2016-08-03 |author =桂博文 |page=23}}</ref>。[[琉球王国#申口方|泊地頭]]の下に設置された「泊頭取方」の管轄となり<ref name="rekishi-tomari165jo"/>、島民から選出された役人は、島内の貢納管理と治安秩序の維持に務めた<ref name="rekishi-tomari165chu">「泊村」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.165中段</ref>。毎年島民は硫黄1万6千斤と摺貝800枚の上納義務を課せられたが、代わりに[[夫役]]免除と糧米が支給された<ref name="rekishi-io551chu"/>。硫黄の上納高は1763年には1万斤とあるが、他の史料には1万2060斤、もしくは2万斤と摺貝800枚ともある<ref name="kado-iotorishima-kinsei"/>。[[1666年]]に支給米が増量され、また[[1742年]]に[[ノロ]]の食糧も倍増支給された<ref name="okinawa-jo147jima"/>。こうした優遇政策に惹かれた島外民が移住し、人口は増加した<ref name="okinawa-jo147jima"/>。しかし硫黄鳥島は火山島で樹木が無く、水は[[雨|天水]]に頼らざるを得なく、[[旱魃]]による[[渇水]]に苦労した<ref name="okinawa-jo147jima"/>。[[1810年]]には、島民らが[[井戸]]を掘り当て、首里王府から恩賞を授かっている<ref name="okinawa-jo147jima"/>。

琉球処分後の[[1882年]](明治15年)に発生した[[飢饉]]で、沖縄県は島民に久米島への移住を推奨したが、提案は拒否された<ref name="rekishi-io551ge">「硫黄鳥島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.551下段</ref>。そのため、[[廃藩置県]]後も行われた給米支給を廃止し、代替策として給米3年分の下附金で島民を自活させようとした<ref name="gushikawa-494">「鳥島の移住 1.硫黄鳥島の沿革」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.494</ref>。しかし、近世中後期の101人<ref name="okinawa-rekishi-161">安里ほか(2004年)、p.161</ref>、[[1878年]](明治11年)は508人、その25年後の[[1903年]](明治36年)には732人まで人口は増加<ref name="gushikawa-495">「鳥島の移住 1.硫黄鳥島の沿革」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.495</ref>、その一方で島内の農作物の生産は追いつかず、島民の生活は益々困窮した<ref name="gushikawa-494"/>。そこで島民らは、硫黄の上納免除を政府に請願し、硫黄の売り上げで生活補助に充てるという対策を打ち出し、[[1888年]](明治21年)に受理され、日本で唯一の納税義務の無い島となった<ref name="gushikawa-494"/>。売り上げ金は、島の共有金としての積み立てと、採掘従事者への賃金に割り当てられた<ref name="gushikawa-496">「鳥島の移住 1.硫黄鳥島の沿革」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.496</ref>。

移住以前における島民の生活は限界に達していた<ref name="gushikawa-497">「鳥島の移住 1.硫黄鳥島の沿革」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.497</ref>。硫黄採掘以外の産業は、[[サツマイモ|甘藷]]栽培と[[イカ]]漁が主で、飢饉に備えるための[[ソテツ]]が島の至る所に植え付けられていた<ref name="gushikawa-496"/>。医者はおらず、学校も無く、島内で十分な治療や教育を受けられない状態であった<ref name="gushikawa-496"/><ref name="gushikawa-497"/>。1903年(明治36年)4月に硫黄採掘坑が爆発、日本政府・沖縄県・地震調査会らは現地調査の結果より、島民に集団移住を催促した<ref name="rekishi-io551ge"/>。島民の多数は賛成し、残りの反対者を説得させた後に開かれた島民大会では、全会一致で移住を決定した<ref name="gushikawa-500">「鳥島の移住 2.硫黄坑の爆発と移住」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.500</ref>。同年[[12月19日]]に345人<ref name="gushikawa-509">「鳥島の移住 2.硫黄坑の爆発と移住」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.509</ref>、翌年の1904年(明治37年)[[2月11日]]に硫黄採掘員93人を除く203人を硫黄鳥島から引き揚げ<ref name="gushikawa-510">「鳥島の移住 2.硫黄坑の爆発と移住」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.510</ref>、当時の久米島具志川間切大田の仲泊(なかどまり)海岸付近に移住、「鳥島」という名の集落を新設した<ref name="okinawa-chu972izyu"/>。当時の[[島尻郡]]長を務めた[[斎藤用之助]]は、1904年(明治37年)6月29日付<ref name="gushikawa-512">「鳥島移住報告書」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.512</ref>に移住の経緯を記した「鳥島移住報告書」を知事に提出した<ref name="okinawa-chu972izyu"/>。

久米島への移住後も、42世帯が硫黄鳥島に再び入植した<ref name="rekishi-io552jo"/>。戦前で使用された沖縄県内の[[石臼]]はすべて硫黄鳥島産であった<ref name="kado-iotorishima-kindai">「硫黄鳥島〈近代〉」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.137</ref>。戦前には国策会社による硫黄採掘が行われ、人口は600人に達し、[[小中学校]]・[[診療所]]・[[役場]]も設置された<ref name="kado-iotorishima-kindai"/><ref name="ooki7">大木(2002年)、p.7</ref>。しかし、1959年(昭和34年)の噴火により全島民21世帯85人<ref name="okinawa-jo147jima"/>は那覇や久米島に移住<ref name="rekishi-io552jo"/>、1967年(昭和42年)も噴火により出稼ぎで来島した採掘員も撤退し、それ以降は完全な無人島となった<ref name="nichigai"/>{{refnest|group=注|この頃の日本の硫黄市場へ、[[大気汚染]]対策として行われた[[石油]]の[[脱硫]]に由来する硫黄が大量に流入した結果、硫黄鉱山の経営は立ち行かなくなり、[[1973年]]には国内の硫黄鉱山がすべて閉山に追い込まれている<ref>[http://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00036&age=high-growth&page=keii 戦後日本のイノベーション100選 脱硫・脱硝・集じん装置] [[発明協会]]、2019年6月17日閲覧。</ref>。}}。このような経緯から、硫黄鳥島は沖縄県に属する島で、特異な[[歴史]]を有する<ref name="okinawa-rekishi-160"/>。

硫黄鳥島の周囲は断崖で、かつての島民が設置した[[突堤]]が島南部の東西両海岸に位置しているが<ref name="rekishi-io551chu"/>、船舶が接岸できる港は無い<ref name="kado-iotorishima"/>。大木(2002年)によると、東側の突堤は老朽化し、途中小さな[[艀]]に乗り換えて上陸したという<ref name="ooki7"/>。集落跡がグスク火山の中央火口丘の南にあるが、草木が繁茂しているのみで、他に雨水[[タンク]]、家屋の壁、硫黄を運搬する際に使用した[[トロッコ]]のレール束が残存しているという<ref name="ooki8">大木(2002年)、p.8</ref>。

== 久米島に移住した「鳥島」集落 ==
島民らは久米島の5か所ある移住候補地から選定し<ref name="gushikawa-502">「鳥島の移住 2.硫黄坑の爆発と移住」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.502</ref>、審査結果より具志川間切大田村字仲泊の馬場およびその周辺に決定した<ref name="gushikawa-505">「鳥島の移住 2.硫黄坑の爆発と移住」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.505</ref>。移住受け入れ先の具志川間切の各村は、島民の移住を歓迎した<ref name="gushikawa-504">「鳥島の移住 2.硫黄坑の爆発と移住」、『久米島具志川村史』(1976年)、p.504</ref>。当地は[[ソテツ]]や[[アダン]]が生い茂る荒野であったが、近隣住民が開拓し家屋を建築した<ref name="rekishi-io552jo"/>。移住した児童91人は具志川[[尋常小学校]]に編入され、増員に伴い、硫黄鳥島から運搬された資材で校舎は増築された<ref name="gushikawa-510"/>。当集落に渡った島民らは、当初[[漁業]]に従事する者が多く、[[大正]]末期まで[[カツオ]]漁業を行っていた<ref name="kado-torishima-gushikawa">「鳥島 <具志川村>」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.509</ref>。この時期より、鳥島集落の港に[[那覇市|那覇]]を往復する[[蒸気船|汽船]]に貨客運搬を行う[[伝馬船]]が発着し始め、その後久米島島内における交通の要所として[[商店]]や[[旅館]]が立地、そして1969年(昭和44年)に同集落東海岸の[[埋立地|埋め立て地]]に商業地域が形成された<ref name="kado-torishima-gushikawa"/>。1967年(昭和42年)に大田の一部から「鳥島」として[[大字]]が分離した<ref name="kado-torishima-gushikawa"/>。

集落西に位置する「七嶽(ななたき)神社」は、硫黄鳥島の7つの[[御嶽 (沖縄)|御嶽]]から採取した砂を壺に納め、それらを合祀し、毎年移住記念日の[[2月11日]]に例祭を行っている<ref name="rekishi-io552jo"/><ref name="okinawa-ge59">湧川元雄「七嶽神社」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.59</ref>。当神社の境内には、硫黄鳥島からの移住を記念した[[石碑|碑]]が建立されている<ref name="kado-gushikawa-torishimaiju921">宮城幸吉「硫黄鳥島住民の移住 〔具志川村 沿革〕」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.921</ref>。鳥島集落の方言は[[沖縄方言|久米島や沖縄本島中南部で話される方言]]と異なり<ref name="okinawa-chu972lang">野原三義「鳥島の方言」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.972</ref>、[[徳之島方言|徳之島の方言]]との共通点が多く<ref name="kado-gushikawa-torishima922">宮城幸吉「鳥島 〔具志川村 現行行政地名〕」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.922</ref>、「[[言語島|言語の島]]」を形成している<ref name="okinawa-chu972lang"/>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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=== 注釈 ===
<references/>
{{Reflist|group=注}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=[[安里進]]ほか|title=沖縄県の歴史|publisher=[[山川出版社]]|year=2004|isbn=4-634-32470-9}}
*{{Cite book|和書|author=一般財団法人 気象業務支援センター編、気象庁監修|title=2016年版 気象年鑑|publisher=[[一般財団法人]] [[気象業務支援センター]]|year=2016|isbn=978-4-87757-013-2}}
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*{{Cite book|和書|editor=下鶴大輔ほか|editor-link=下鶴大輔|title=火山の事典 第2版|publisher=[[朝倉書店]]|year=2008|isbn=978-4-254-16046-8}}
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*{{Cite book|和書|author=日外アソシエーツ株式会社編|title=島嶼大事典|publisher=[[日外アソシエーツ|日外アソシエーツ株式会社]]|year=1991|isbn=4-8169-1113-8}}
*{{Cite book|和書|author=平凡社地方資料センター編|title=[[日本歴史地名大系]]第四八巻 沖縄県の地名|publisher=[[平凡社]]|year=2002|isbn=4-582-49048-4}}
*{{Cite book|和書|author=村山磐|title=日本の火山 (III)|publisher=[[大明堂]]|year=1979}}{{全国書誌番号|79010412}}

== 関連項目 ==
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* [[鳥島]]
* [[南西諸島]]
* [[日本の島の一覧]]
* [[火山の一覧 (日本)|日本の火山一覧]]
* [[日本の端の一覧#都道府県の東西南北端の自治体|各都道府県の東西南北端]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo35-2.htm 海域火山データベース 海上保安庁海洋情報部:硫黄鳥島]
* [https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/601_Io-Torishima/601_index.html 火山情報 硫黄鳥島] - [[気象庁]]
* {{PDF|[https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/souran/main/98_Io-Torishima.pdf 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 硫黄鳥島]}} - 気象庁
* [http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=CKU994X&courseno=C1&photono=2 国土地理院 国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム:硫黄鳥島]
* [https://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/kaiikiDB/kaiyo35-2.htm 海域火山データベース 硫黄鳥島] - [[海上保安庁]][[海洋情報部]]
* [http://portal.cyberjapan.jp/denshi/opencjapan.cgi?x=128.226478&y=27.871364&s=10000 国土地理院 電子国土地図:硫黄鳥島]
* [https://unit.aist.go.jp/gsc/dger/db/QVDB/vol/3.htm 第四紀火山岩体・貫入岩体データベース 硫黄鳥島] - [[地質調査総合センター]]
* [http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/601_Io-Torishima/601_index.html 気象庁 活火山情報:硫黄鳥島]
* [http://volcano.si.edu/volcano.cfm?vn=282020 硫黄鳥島]{{en icon}} - [[スミソニアン協会]] [[Global Volcanism Program]]


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2024年11月9日 (土) 06:27時点における最新版

硫黄鳥島

2008年11月21日撮影。6枚の空中写真を合成。
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
所在地 日本の旗 日本沖縄県島尻郡久米島町
所在海域 東シナ海
所属諸島 沖縄諸島
座標 北緯27度52分27秒 東経128度13分35秒 / 北緯27.87417度 東経128.22639度 / 27.87417; 128.22639 (硫黄鳥島)座標: 北緯27度52分27秒 東経128度13分35秒 / 北緯27.87417度 東経128.22639度 / 27.87417; 128.22639 (硫黄鳥島)
面積 2.50 km²
海岸線長 7.3 km
最高標高 212 m
最高峰 「方位」
硫黄鳥島 (南西諸島)
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

硫黄鳥島(いおうとりしま[1])は、沖縄県における最北端の[2]、県内唯一の活火山島である[3][注 1]

14世紀後半から王朝へ進貢する硫黄の産地として知られ、琉球王国が終了する19世紀中頃まで、琉球と明・朝の朝貢関係を繋ぐ重要な島であった。1903年明治36年)の久米島移住後も硫黄採掘が行われたが、1959年昭和34年)の噴火により住民は島外へ移住、1967年(昭和42年)には採掘従事者も撤退し、これ以降は完全な無人島となった。

地理

[編集]

徳之島の西約65km、久米島の北東約200kmの東シナ海に位置する[5]沖縄諸島の最北端であるが[6]、地理的には奄美群島に近い[7]。面積は2.50km2[1]、周囲7.3km[5]、標高212mの火山島である[8]。かつては単に「鳥島[9]と言われ、島外へ移住した人々からは「元鳥島[10]と呼ばれる。また他に「琉球鳥島[11]、火山名として「沖縄鳥島[8]と称されたこともある[注 2]。「硫黄鳥島」という名称は、1935年(昭和10年)に木下亀城が著した論文などに見受けられ、それ以降この名称が広まったとされる[13]。久米島北東沖に位置する鳥島(この島は「久米鳥島」ともいわれる[7][14])、または移住先の久米島・鳥島集落と区別するためだと思われる[13]

琉球王朝時代において、泊地頭の下に設置された「泊頭取方」は、泊村(那覇市の泊(とまり)と前島(まえじま)地区にほぼ相当する[15])と共に硫黄鳥島を管轄した[16]。1879年(明治12年)に沖縄県、1896年(明治29年)に同県島尻郡に、1904年(明治37年)に移住先の具志川間切、1908年(明治41年)に具志川村大字として「硫黄鳥島」となり[17]、一島で一字を構成する[18]。2002年(平成14年)4月1日に具志川村は隣接する仲里村と合併し久米島町となり[19]、2015年(平成27年)1月現在でも硫黄鳥島は当町に属する[20]

地形・地質

[編集]

硫黄鳥島は北西 - 南東方向に伸びる細長い島で、長さは約3km、幅約1kmにおよぶ[5]。北側の硫黄岳火山体には島内最高峰の「方位」[8][21](「ホーイノ山」[22]、「トリノトコヤギーノ山」[5]とも)と「硫黄岳」が、南端にはグスク火山体の「前岳」(「前嶽」とも[21][22]がそびえる。全島の岩石のほとんどは安山岩質で、侵食に弱い火山砕屑岩で構成され[9]、島の周囲は波蝕により海食崖に覆われている[23]。東部の海岸から観察すると、様々な砕屑物により縞模様に見え、また海岸の砂浜は火成岩由来の黒色に帯びている[23]。グスク火山体の中央にある「グスク」と島北西端に位置する「フツヤ山」は地下から押し上げられた溶岩で形成された山である[24]。またマグマが隙間に貫入してできた岩脈が島南部に見受けられ、中には周囲が削られ岩脈が三角形状に露出した岩が存在する[25]。島周辺のサンゴ礁は全体的に発達していない[26]

火山

[編集]
硫黄鳥島の火山
島北西部の硫黄岳火山体。
島南東部のグスク火山体。

硫黄鳥島は、北西の硫黄岳火山体と南東のグスク火山体の2つの火山により構成されている[27]地質学で島全体は「硫黄鳥島火山」と呼ばれる[28]火山噴火予知連絡会は、火山活動度のランク付けをAからCの3段階評価で行い[29]2007年(平成19年)末現在で硫黄鳥島は「ランクB」に分類されている[30]。硫黄鳥島は九州阿蘇山桜島からトカラ列島へ続く霧島火山帯の最南端に属し、約数万年前の更新世後期に火山活動を開始したと考えられる[31]

硫黄岳火山は火山活動が活発で、南西に向いた高さ約100mの崖から常時硫黄を含む噴気を上げ[32]、崖下には乳白色に呈した火口湖が見られる[31]。一方、グスク火山は硫黄岳と比較して火山活動は穏やかであるが、山体は島の3分の2を占める[33]。2つの外輪山中央火口丘を有する三重式の火山で、外側の外輪山の直径は約1.5kmにおよぶ[27]

以下の表に硫黄鳥島の噴火活動記録を示す。過去に幾度もなく噴火に伴う降灰、爆発鳴動や地震を引き起こしてきた。1903年(明治36年)に大鳴動と地震により、硫黄採掘者を除く島民全員が久米島へ移住、1959年(昭和34年)にも噴火によって全島民が島外に移住している。そして1967年(昭和42年)も噴火により出稼ぎ採掘員が撤退し、それ以降は無人島と化している[11][34]。2015年(平成27年)に気象庁第十一管区海上保安本部が行った火山調査では、硫黄岳から少量の噴気が認められたが、グスク火山からは観測されなかった[35]

硫黄鳥島の火山活動史
発生時期 火山活動・被害
1631年 噴火。死者多数[36]
1664年 噴火、地震。『球陽』には1人死亡と記載。
1796年11月 噴火による降灰。島民は事前に徳之島へ避難。火山灰は沖永良部島までに到達し、当島の農作物に被害。翌年、バジル・ホールが硫黄鳥島付近を探索した際、既に噴火は沈静化していたという。
1829年12月1日 噴火に伴う火山爆発。硫黄鉱区の大半が焼失し、島民は徳之島へ避難。火山灰は加計呂麻島まで達する[37]
1855年 2,3ヶ月に1回の割合に噴火。硫黄鳥島内の農作物に被害。
1868年 2月ないし3月に噴火したが、勢いは小さく、降灰も少なかったという。
1903年3月 - 8月 3月15日頃から噴煙開始し、4月には鳴動と降灰が度々発生した。5月3日頃に噴火は最盛を迎え、8月頃まで火山活動は継続。島民のほとんどは久米島に移住し、採掘員が残留。
1934年 5月頃に噴気を確認。グスク火山北側に3か所の噴気孔が形成。7月2日に関西新聞社が硫黄鳥島の噴火を伝えたが、誤報であった。
1959年6月8日 硫黄岳火口から噴煙発生、上空約3,000mまで上昇。噴石や降灰などの火山活動は約1ヶ月続き、島民全員を那覇などに移住[26]
1967年11月25日 噴煙多量につき、硫黄採掘者は島外へ避難。それ以降、硫黄鳥島は無人島のままである[11]
1968年7月18日 航行中の漁船が噴火を目撃。降灰を確認。
  • 出典は主に、『日本活火山総覧 第2版』[8]、『日本の火山 (III)』[34]から。一部の項目に他の文献も付記している。

生物

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方位 (212m)
硫黄岳 (208m)
前岳 (190m)
グスク
フツヤ山 (145m)
硫黄鳥島の地形図。山名と標高を表記[38]

硫黄鳥島のほとんどは火山砕屑物で構成されていることから、海底火山による噴出物の堆積により島が形成されたと考えられる[33]。大陸との陸続きがなかったため、動植物の種類は少ない。それらは風や鳥または流木などによって運ばれたか、人間の手によって持ち込まれたのが繁殖した可能性が高い[39]

動物

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哺乳類に関しては人為的に持ち込まれ、野生化したネズミヤギが確認された。爬虫類は小型のトカゲが発見されたのみで、島内にハブは生息していない。鳥類はセッカのみが繁殖し、他にクロサギミサゴが飛来している。昆虫などはシジミチョウ(大型のアゲハチョウは確認されず)、カタツムリアリクモの仲間が生息している[40]

植物

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現在も噴気活動している硫黄岳火山には植物がほとんど生育していないが、グスク火山全体は緑に覆われている[33]。沖縄県では島内のみに分布するマルバニッケイや、県内では生息域が限られているシャシャンボなどの低木が生育している。硫黄岳火口壁にはハチジョウススキが群生しているのみである。集落跡の平坦地には、ススキチガヤなどが混生する草原が広がる。また人間により植え付けられたリュウキュウマツシークァーサーが、さらにかつての島民が栽培したと思われるタバコも見受けられる[41][42]

歴史

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硫黄鳥島は古くから硫黄の産地として知られ、への貿易重要品目の一つであった[5]1534年の『使琉球録』には「硫黄山」、『海東諸国紀』には「鳥島」、徐葆光の『中山伝信録』に「土里臣馬」と記されている[43]。また、アントワーヌ・ゴービル英語版の著書に「硫黄山 (Montagne de soufre)」[5]バジル・ホールの探検記には「硫黄島 (Sulphur Island)」と表記され、白煙を噴く硫黄鳥島の挿絵が描かれている[44]

島への定住時期は不明で、14世紀後半の察度王統以前と思われる[43]1634年正保3年)の『正保国絵図』には「人居有り」と記載され、この頃は確実に島民は存在していた[45]1376年洪武9年)に中山王・察度が硫黄4千を明へ進貢したのが始まりで、多いときには1年で4隻合計7万斤を朝貢した[45]。硫黄鳥島から採掘された硫黄は現在の那覇市の泊(とまり)まで運搬され、崇元寺の西に位置していた「硫黄蔵」に保管された[46]。原鉱硫黄を約2 - 3万斤を進貢していたが、船の積載量不足により嘉靖年間(16世紀中頃)に精錬硫黄に変更され、1万数千斤にまで軽減し進貢している[47]。精錬作業は「硫黄蔵」と那覇港内の「硫黄城」で行われ[47]、硫黄は那覇港に停泊していた進貢船へ運搬された[48]

1609年琉球へ侵攻した薩摩藩は、与論島以北の島々を領地としたが、中国との進貢貿易を存続させるため、硫黄鳥島を琉球王国の領地として存置した[43]。その際、琉球と薩摩藩は、硫黄鳥島と与論島を交換する協定を結んだとされているが[11]、桂博文は薩摩藩は領地として島を獲得するのが目的でなく、琉球の安定支配であり、交換説は後世の創作ではないかと述べている[49]泊地頭の下に設置された「泊頭取方」の管轄となり[16]、島民から選出された役人は、島内の貢納管理と治安秩序の維持に務めた[50]。毎年島民は硫黄1万6千斤と摺貝800枚の上納義務を課せられたが、代わりに夫役免除と糧米が支給された[43]。硫黄の上納高は1763年には1万斤とあるが、他の史料には1万2060斤、もしくは2万斤と摺貝800枚ともある[17]1666年に支給米が増量され、また1742年ノロの食糧も倍増支給された[37]。こうした優遇政策に惹かれた島外民が移住し、人口は増加した[37]。しかし硫黄鳥島は火山島で樹木が無く、水は天水に頼らざるを得なく、旱魃による渇水に苦労した[37]1810年には、島民らが井戸を掘り当て、首里王府から恩賞を授かっている[37]

琉球処分後の1882年(明治15年)に発生した飢饉で、沖縄県は島民に久米島への移住を推奨したが、提案は拒否された[51]。そのため、廃藩置県後も行われた給米支給を廃止し、代替策として給米3年分の下附金で島民を自活させようとした[52]。しかし、近世中後期の101人[53]1878年(明治11年)は508人、その25年後の1903年(明治36年)には732人まで人口は増加[54]、その一方で島内の農作物の生産は追いつかず、島民の生活は益々困窮した[52]。そこで島民らは、硫黄の上納免除を政府に請願し、硫黄の売り上げで生活補助に充てるという対策を打ち出し、1888年(明治21年)に受理され、日本で唯一の納税義務の無い島となった[52]。売り上げ金は、島の共有金としての積み立てと、採掘従事者への賃金に割り当てられた[55]

移住以前における島民の生活は限界に達していた[56]。硫黄採掘以外の産業は、甘藷栽培とイカ漁が主で、飢饉に備えるためのソテツが島の至る所に植え付けられていた[55]。医者はおらず、学校も無く、島内で十分な治療や教育を受けられない状態であった[55][56]。1903年(明治36年)4月に硫黄採掘坑が爆発、日本政府・沖縄県・地震調査会らは現地調査の結果より、島民に集団移住を催促した[51]。島民の多数は賛成し、残りの反対者を説得させた後に開かれた島民大会では、全会一致で移住を決定した[57]。同年12月19日に345人[58]、翌年の1904年(明治37年)2月11日に硫黄採掘員93人を除く203人を硫黄鳥島から引き揚げ[59]、当時の久米島具志川間切大田の仲泊(なかどまり)海岸付近に移住、「鳥島」という名の集落を新設した[36]。当時の島尻郡長を務めた斎藤用之助は、1904年(明治37年)6月29日付[60]に移住の経緯を記した「鳥島移住報告書」を知事に提出した[36]

久米島への移住後も、42世帯が硫黄鳥島に再び入植した[26]。戦前で使用された沖縄県内の石臼はすべて硫黄鳥島産であった[61]。戦前には国策会社による硫黄採掘が行われ、人口は600人に達し、小中学校診療所役場も設置された[61][62]。しかし、1959年(昭和34年)の噴火により全島民21世帯85人[37]は那覇や久米島に移住[26]、1967年(昭和42年)も噴火により出稼ぎで来島した採掘員も撤退し、それ以降は完全な無人島となった[11][注 3]。このような経緯から、硫黄鳥島は沖縄県に属する島で、特異な歴史を有する[45]

硫黄鳥島の周囲は断崖で、かつての島民が設置した突堤が島南部の東西両海岸に位置しているが[43]、船舶が接岸できる港は無い[5]。大木(2002年)によると、東側の突堤は老朽化し、途中小さなに乗り換えて上陸したという[62]。集落跡がグスク火山の中央火口丘の南にあるが、草木が繁茂しているのみで、他に雨水タンク、家屋の壁、硫黄を運搬する際に使用したトロッコのレール束が残存しているという[64]

久米島に移住した「鳥島」集落

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島民らは久米島の5か所ある移住候補地から選定し[65]、審査結果より具志川間切大田村字仲泊の馬場およびその周辺に決定した[66]。移住受け入れ先の具志川間切の各村は、島民の移住を歓迎した[67]。当地はソテツアダンが生い茂る荒野であったが、近隣住民が開拓し家屋を建築した[26]。移住した児童91人は具志川尋常小学校に編入され、増員に伴い、硫黄鳥島から運搬された資材で校舎は増築された[59]。当集落に渡った島民らは、当初漁業に従事する者が多く、大正末期までカツオ漁業を行っていた[68]。この時期より、鳥島集落の港に那覇を往復する汽船に貨客運搬を行う伝馬船が発着し始め、その後久米島島内における交通の要所として商店旅館が立地、そして1969年(昭和44年)に同集落東海岸の埋め立て地に商業地域が形成された[68]。1967年(昭和42年)に大田の一部から「鳥島」として大字が分離した[68]

集落西に位置する「七嶽(ななたき)神社」は、硫黄鳥島の7つの御嶽から採取した砂を壺に納め、それらを合祀し、毎年移住記念日の2月11日に例祭を行っている[26][69]。当神社の境内には、硫黄鳥島からの移住を記念したが建立されている[70]。鳥島集落の方言は久米島や沖縄本島中南部で話される方言と異なり[71]徳之島の方言との共通点が多く[72]、「言語の島」を形成している[71]

脚注

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注釈

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  1. ^ 沖縄県に属する火山島は硫黄鳥島と尖閣諸島久場島の2島で、また活火山は硫黄鳥島の他に、西表海底火山が挙げられる[4]
  2. ^ 1975年の気象庁発行『日本活火山要覧』には「沖縄鳥島」という名称が使用されていたが、1984年の『日本活火山総覧 第1版』からは「硫黄鳥島」に変更されている[12]
  3. ^ この頃の日本の硫黄市場へ、大気汚染対策として行われた石油脱硫に由来する硫黄が大量に流入した結果、硫黄鉱山の経営は立ち行かなくなり、1973年には国内の硫黄鉱山がすべて閉山に追い込まれている[63]

出典

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  1. ^ a b 令和元年 全国都道府県市区町村別面積調 島面積” (PDF). 国土地理院 (2019年7月1日). 2019年12月7日閲覧。
  2. ^ 「総論 自然環境」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.23上段
  3. ^ 「総論 自然環境」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.23下段
  4. ^ 加藤(1995年)、p.166
  5. ^ a b c d e f g 「硫黄鳥島」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.136
  6. ^ 「沖縄諸島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.71中段
  7. ^ a b 「鳥島」、『日本の島事典』(1995年)、p.197
  8. ^ a b c d 「硫黄鳥島」、『日本活火山総覧 第2版』(1996年)、p.421
  9. ^ a b 加藤祐三「硫黄鳥島火山」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.148
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  11. ^ a b c d e 「硫黄鳥島」、『島嶼大事典』(1991年)、p.31
  12. ^ 『日本活火山総覧 第2版』(1996年)、p.495
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  14. ^ 「鳥島 <仲里村>」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.509
  15. ^ 真栄田義見「泊村」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.960
  16. ^ a b 「泊村」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.165上段
  17. ^ a b 「硫黄鳥島〈近世〉」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.137
  18. ^ 宮城幸吉「硫黄鳥島 〔具志川村 現行行政地名〕」、『角川日本地名大辞典』(1991年)、p.922
  19. ^ 「合併、市・町制施行、名称変更一覧(昭和40年3月29日 - 平成27年10月1日)」、『全国市町村要覧 平成27年版』(2015年)、p.455
  20. ^ 「2.島しょ」、『平成27年1月 離島関係資料』(2015年)、p.8
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  22. ^ a b 加藤(1995年)、p.167
  23. ^ a b 加藤(1995年)、p.170
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  26. ^ a b c d e f 「硫黄鳥島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.552上段
  27. ^ a b 加藤祐三「硫黄鳥島火山」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.147
  28. ^ 加藤(1995年)、p.181
  29. ^ 山里平「日本の火山防火体制」、『火山の事典 第2版』(2008年)、p.417
  30. ^ 山里平「日本の火山防火体制」、『火山の事典 第2版』(2008年)、p.418
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  50. ^ 「泊村」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.165中段
  51. ^ a b 「硫黄鳥島」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.551下段
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参考文献

[編集]
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  • 大木隆志『海と島の景観散歩 沖縄地図紀行』ボーダーインク、2002年。ISBN 4-89982-027-5 
  • 沖縄県企画部地域・離島課編『平成27年1月 離島関係資料』沖縄県企画部地域・離島課、2015年。 
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  • 加藤祐三『沖縄でも地震は起きる』ボーダーインク、1995年。 全国書誌番号:96050478
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1991年。ISBN 4-04-001470-7 
  • 神谷厚昭『琉球列島ものがたり 地層と化石が語る二億年史』ボーダーインク、2007年。ISBN 978-4-89982-116-8 
  • 気象庁『日本活火山総覧 第2版』大蔵省印刷局、1996年。ISBN 4-17-315150-0 
  • 具志川村史編集委員会編『久米島具志川村史』具志川村役場、1976年。 全国書誌番号:95053196
  • 財団法人沖縄県文化振興会 編『沖縄県史 資料編13 硫黄鳥島』沖縄県教育委員会、2002年。 全国書誌番号:20299635
  • 市町村要覧編集委員会編『全国市町村要覧 平成27年版』第一法規株式会社、2015年。ISBN 978-4-474-05229-1 
  • 下鶴大輔ほか 編『火山の事典 第2版』朝倉書店、2008年。ISBN 978-4-254-16046-8 
  • 菅田正昭編著、財団法人日本離島センター監修『日本の島事典』三交社、1995年。ISBN 4-87919-554-5 
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  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4 
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関連項目

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外部リンク

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