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リンデンリリー

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リンデンリリー
欧字表記 Rinden Lily[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1988年3月16日[1]
死没 2008年5月5日(20歳没)[2]
抹消日 1991年12月1日[3]
ミルジョージ[1]
ラドンナリリー[1]
母の父 キタノカチドキ[1]
生国 日本北海道浦河町[1]
生産者 向別牧場[1]
馬主 林田秋利[1]
調教師 野元昭栗東[1]
競走成績
生涯成績 7戦4勝[1]
獲得賞金 1億5063万7000円[1]
勝ち鞍
GI エリザベス女王杯 1991年
GII ローズステークス 1991年
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リンデンリリー(欧字名:Rinden Lily1988年3月16日 - 2008年5月5日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

1991年のエリザベス女王杯(GI)優勝馬である。夭折した騎手岡潤一郎に生涯唯一のGIタイトルをもたらした。

経歴

デビューまで

向別牧場は、北海道浦河町の競走馬生産牧場である[4]。1972年東京優駿(日本ダービー)優勝のロングエースを生産した岡崎牧場代表の次男、岡崎敏彦が一念発起して、決まっていた大学の獣医学部進学を辞めて、馬産に取り組んでいた[4]。実家での修行を経て、支援を受けながら独立していた[4]

向別牧場では当初、サンプリンスやトランスアランティックなどといった種牡馬に固執し、同じような父の産駒ばかり生産する傾向にあった[4]。そんな頃の1984年、基礎繁殖牝馬の子孫とトランスアランティックの交配で生まれたエーコートランスが活躍した[4]。エーコートランスは、1990年の根岸ステークス(GIII)を優勝し、牧場生産馬初の重賞タイトルをもたらすことになった[4]

遡って1984年、向別牧場は繁殖牝馬ラドンナリリーを迎えていた[4]。父キタノカチドキのラドンナリリーは、地方競馬である南関東競馬にて競走馬となり、1981年の東京3歳優駿牝馬を優勝していた[4]。この勝利をきっかけに将来を期待されていた。しかし骨折して引退に追い込まれ、繁殖牝馬となっていた[4]

ラドンナリリーの初年度は不受胎に終わったが、2年目には初仔となるサンプリンス産駒を、続いてパーソロン産駒の3番仔を産んでいた[5]。ここまでラドンナリリーの産駒は、岡崎によれば、脚が長い体型になる傾向にあった[6]。そこで種牡馬は、中和できるよう反対に脚の短いミルジョージを選んでいた[6][7]。ミルジョージの産駒には、この当時ロッキータイガーなどが活躍していた。ロッキータイガーは、脚の短いミルジョージの産駒にもかかわらず、脚が長かった[6]。岡崎は中和、あるいは活躍する傾向にある脚の長い体型のミルジョージ産駒を狙い、ラドンナリリーに交配させていた[6][7]

1986年、初めてミルジョージと交配し、翌1987年に3番仔となる牡馬を得ていた[5]。そして同年、2年連続でミルジョージとの交配を断行していた。1988年3月16日、北海道浦河町の向別牧場にて、ラドンナリリーの4番仔となる栗毛牝馬(後のリンデンリリー)が誕生する[5]。4番仔は当歳の頃、売却図られてセリに上場され、1000万円で落札された[6]

4番仔は、林田秋利の所有として「リンデンリリー」という名前で競走馬となり、栗東トレーニングセンター調教師野元昭が管理を担った[5]。野元によれば、牧場にいた頃は目立つ方ではなかったという[8]。しかし入厩後調教を重ねるうちに、急成長を遂げていた[8]

競走馬時代

3歳末の1990年12月2日、京都競馬場新馬戦(ダート1400メートル)に須貝尚介が騎乗してデビューを果たした。9番人気の支持だったが覆し、5馬身差で初出走初優勝を果たしていた[9]。年をまたいでクラシックシーズンが到来した1991年、野元はその手応えから、クラシック第1弾の桜花賞参戦を考えていた[7]。それに向けて1月6日の紅梅賞(OP)に参戦し、再び9番人気という低評価だったが覆して1位入線を果たしていた。しかし直線、内側にもたれており、他の馬の進路を妨害したと認定された[7]。前年に導入された降着処分が下され、関西地区で適用最初の降着例[10]、しかも史上初めてとなる1位入線後降着例となる、13着敗退となった[7][11]

その後ソエあるいは骨折に祟られて休養を強いられ、春のクラシック参戦は叶わなかった[7][9]。永井晴二によれば「幻の桜花賞馬[8]」だったという。7月27日、小倉競馬場の日向特別(500万円以下)で復帰して4着となった後、9月の中京競馬場開催に差し掛かってから、状態が急激に良化するようになっていた[7]。9月7日の条件戦2着を挟み、同21日の馬籠特別(500万円以下)で武豊に導かれて優勝し、2勝目を挙げた[3]

続いて陣営は10月20日、牝馬三冠最終戦であるエリザベス女王杯トライアル競走ローズステークス(GII)に参戦する。2勝馬ゆえに除外の可能性もあり[12]、同日の条件戦への同時登録で備えもしていたが、重賞出走を叶えていた[7]。陣営はエリザベス女王杯出走を目指していた。ローズステークスすら出走が危ない賞金のリンデンリリーが、エリザベス女王杯出走を叶えるには3着以内に入り、優先出走権を確保することが求められた[13]。騎手には武に代わって、岡潤一郎が起用された[14]

クラシック上位で武が騎乗するスカーレットブーケ、重賞3着キリスパート、桜花賞2着ヤマノカサブランカ、6着ヤマヒサエオリア、重賞2勝ミルフォードスルーが立ちはだかる14頭立てとなる中、リンデンリリーは、スカーレットブーケに次ぐ2番人気だった[7]。スタートから先行して好位を確保し[12]、平均ペースを追走した[7]。第3コーナーに差し掛かると、中団につけていたヤマノカサブランカが引っ掛かり気味に進出して先頭を奪取し、スカーレットブーケも進出していた[7]。しかしリンデンリリーはつられずに温存し、直線に向いてから末脚を発揮していた[7]。前方では押し切りを図るヤマノカサブランカやスカーレットブーケがいたが、それを差し切りを果たしていた[7]。スカーレットブーケに4馬身以上、ヤマノカサブランカに半馬身差をつけて優勝し、重賞初優勝[15]。狙いの優先出走権を確保していた[15]

そして11月10日、牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯(GI)出走を果たした。この年の牝馬クラシックは、シスタートウショウイソノルーブル、スカーレットブーケ、ミルフォードスルー、ノーザンドライバーという関西馬の「五強」によって争われた[16]。実力伯仲の混戦となる中で桜花賞はシスタートウショウが、優駿牝馬(オークス)はイソノルーブルが手にしていた[16]。そして迎えた三冠最終戦は、まずシスタートウショウとノーザンドライバーは戦線を離脱して参戦できなかった[16]。残るスカーレットブーケとミルフォードスルーは不調で、イソノルーブルは調整の遅れから直行での参戦となるなど不安が残り、「五強」は瓦解状態[16]。代わりにリンデンリリーが有力視され、イソノルーブルを上回る1番人気に支持されていた[8]

映像外部リンク
1991年 エリザベス女王杯(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートからイソノルーブルが先行して2番手を追走する一方、リンデンリリーは馬群の内側、好位を追走していた[8]。スローペースとなる中、ローズステークスと同じように引っ掛かったヤマノカサブランカが早めに進出する流れになったが、リンデンリリーはつられずに仕掛けのタイミングを遅らせていた[8]。直線に向いてからは、外側から末脚を発揮して、逃げるイソノルーブルやヤマノカサブランカに接近。余力のない2頭をすぐにかわしてからは、他の馬を寄せ付けず独走を果たした[8]。内側にもたれながら走り続けて決勝線に到達、ヤマノカサブランカに2馬身差をつけていた[8][17]

エリザベス女王杯戴冠、GI初優勝を果たしていた。1983年ロンググレイス、1986年メジロラモーヌに続いて史上3頭目となるトライアル競走・ローズステークスからの連勝優勝だった[8]。さらに1980年ハギノトップレディに並んで史上最短タイとなるキャリア7戦目でのエリザベス女王杯戴冠を果たしていた[8]

ただ決勝線通過まもなく、リンデンリリーは失速していた。岡は減速させて止める間際に違和感に気づき、近くを走った千田輝彦から後ろ肢の違和感を指摘されて、下馬をする選択をしていた[18]。リンデンリリーは、前脚に故障をきたし、後ろ肢で庇いながら走破して優勝を勝ち取り、後ろ肢が不格好な歩様になっていたところを千田と岡が気づいていた[18]。記念撮影には再び岡が騎乗して納まったが、すぐに馬運車で運ばれて退場した[9]。診断は右前浅屈健不全断裂で競走能力喪失となり、そのまま競走馬引退に追い込まれた[8]。岡曰く、ゴール直前で内側にヨレた際には、既に故障していたのだという[8]

シスタートウショウ、イソノルーブルとともに3頭で牝馬三冠を分け合ったこの年のJRA賞最優秀4歳牝馬は、全176票中109票を集めたシスタートウショウだった[19]。一方リンデンリリーは32票に留まり、33票イソノルーブルに次ぐ第3位という序列だった[19][注釈 1][19]

なお岡は、オグリキャップでの敗退などの経験を乗り越えた21歳でGI初勝利を果たしていた[9]最多勝利新人騎手も受賞した経験のある岡は、若手の注目株だったが、リンデンリリーで第一歩を踏み出していた[20][9]。しかし翌々1993年、落馬事故にて重体に陥って24歳で死去した[21]。結局のところ岡は、リンデンリリーのエリザベス女王杯が生涯唯一のGIタイトルだった[21]

繁殖牝馬時代

競走能力喪失となったが命は助かったリンデンリリーは、繁殖牝馬として供用された[18]。初めは静内町の岡田牧場にて生産し、浦河町の福田牧場を挟んで厚真町の阿部牧場でも生産した[22]。2007年までに12頭の仔を遺し、2008年からは歩行困難になっていた[11]。同年5月5日、厚真町の阿部牧場にて20歳で死亡した[11]。産駒では2000年、浦河町生産の7番仔であるヤマカツリリーが重賞を優勝する活躍を果たしている[23]

また牝系は受け継がれており、ひ孫のコマノインパルス(父:バゴ、母父:フジキセキ)は、2017年京成杯(GIII)を優勝し、クラシック戦線に加わった。さらに玄孫のメイドイットマム(父:ノヴェリスト、母父:ゼンノロブロイ)は、2022年の東京2歳優駿牝馬を優勝し同年度のNARグランプリ2歳最優秀牝馬を受賞[24][25]。さらに翌2023年の浦和桜花賞も優勝した[26]

競走成績

以下の内容は、netkeiba[27]およびJBISサーチ[28]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
1990.12.02 京都 3歳新馬 ダ1400m(重) 12 5 8 16.0(9人) 01着 1:26.6 (49.8) -0.8 須貝尚介 53 (ナリタレッドバード) 420
1991.01.06 京都 紅梅賞 OP 芝1200m(良) 14 5 8 16.0(9人) 13着 1位入線降着 須貝尚介 53 フレンチパッサー 420
0000.07.27 小倉 日向特別 5下 ダ1700m(不) 12 8 12 02.7(2人) 04着 1:49.8 (41.9) -0.6 武豊 53 スズカケンホウ 434
0000.09.07 中京 4歳上500万下 ダ1700m(良) 11 1 1 01.6(1人) 02着 1:47.1 (37.6) -0.1 武豊 53 スリーリゾーム 428
0000.09.21 中京 馬籠特別 5下 芝2000m(良) 9 6 6 01.9(1人) 01着 2:00.2 (35.0) -0.8 武豊 53 (スイホービート) 428
0000.10.20 京都 ローズS GII 芝2000m(良) 14 7 11 02.9(2人) 01着 2:01.4 (47.1) -0.1 岡潤一郎 55 (ヤマノカサブランカ) 434
0000.11.10 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2400m(良) 18 6 11 02.4(1人) 01着 2:29.6 (48.7) -0.3 岡潤一郎 55 (ヤマノカサブランカ) 434

血統

リンデンリリー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミルリーフ系
[§ 2]

*ミルジョージ
Mill George
1975 鹿毛
父の父
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
父の母
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa Ribot
Fantan
*マタティナ Grey Sovereign
Zanzara

ラドンナリリー
1979 栗毛
キタノカチドキ
1971 鹿毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
ライトフレーム *ライジングフレーム
グリンライト
母の母
ヤマニガーサント
1964 栗毛
*ガーサント Bubbles
Montagnana
イチクニヒメ イツセイ
クニハタ
母系(F-No.) シユリリー(AUS)系(FN:7-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah 4×5×5=12.50% [§ 4]
出典
  1. ^ [29]
  2. ^ [30]
  3. ^ [29]
  4. ^ [29][30]


繁殖成績

産駒

生年 馬名 毛色 管理調教師 戦績 供用 出典
初仔 1993年 リンデンジョオー 鹿毛 リアルシャダイ 栗東・野元昭 12戦0勝 (繁殖) [31]
2番仔 1994年 リンデンシラユリ ダンシングブレーヴ 6戦1勝 (繁殖) [32]
3番仔 1995年 リンデンルレーブ 栗毛 ノーザンテースト 12戦2勝 (繁殖) [33]
4番仔 1996年 リンデンユタカオー サクラユタカオー 栗東・野元昭
[注釈 2]
21戦9勝 抹消 [34]
5番仔 1997年 リンデンパッション サンデーサイレンス 栗東・野元昭 (不出走) (種牡馬) [35]
1998年 流産 [22]
6番仔 1999年 リンデンブーケ 栗毛 フォーティナイナー 佐賀・手島豊 (不出走) (繁殖) [36]
7番仔 2000年 ヤマカツリリー ティンバーカントリー 栗東・松元茂樹 13戦2勝 (繁殖) [37]
8番仔 2001年 (リンデンリリーの2001) フォーティナイナー (不出走) [22]
2002年 不受胎 エルコンドルパサー [22]
9番仔 2003年 ハナイチリン 栗毛 ボストンハーバー 栗東・飯田雄三
[注釈 3]
17戦4勝 (繁殖) [38]
10番仔 2004年 コンジキノシシオウ カリズマティック 美浦・国枝栄 3戦0勝 抹消 [39]
2005年 (不受胎) ティンバーカントリー [22]
11番仔 2006年 メジャーステージ 鹿毛 ダンスインザダーク 栗東・崎山博樹
[注釈 4]
42戦1勝 抹消 [40]
12番仔 2007年 ファイナルリリー 黒鹿毛 ロージズインメイ 美浦・石毛善彦
[注釈 5]
2戦0勝 (繁殖) [41]
2008年 不受胎 バゴ [22]

ヤマカツリリー

ヤマカツリリー
Eiko Trans
血統 
[42] *ティンバーカントリー
栗毛 1992
Woodman Mr. Prospector
毛色 栗毛[42] *プレイメイト
生年 2000年[42] Fall Aspen Pretense
生産地 日本の旗 日本北海道厚真町[42] Change Water
生産者 阿部栄乃進[42] リンデンリリー
栗毛 1988
*ミルジョージ Mill Reef
馬主 山田博康[42] Miss Charisma
調教師 松元茂樹栗東[42] ラドンナリリー キタノカチドキ
成績等 13戦2勝[42]
2003年フィリーズレビュー(GII)優勝[42]
ヤマニガーサント
桜花賞

ヤマカツリリーは、北海道厚真町の阿部栄乃進牧場で生産されたティンバーカントリー産駒、リンデンリリーの7番仔である栗毛の牝馬である。誕生直後は、生産者に牡と見違えるほど骨太の脚、雄大な馬体の持ち主だった[43]。人の手を煩わせるほどではなかったが、時より気性の激しいところを見せていた[43]。競走馬になってからも折り合いを欠く一面を度々見せることとなる[44]。当歳となった2000年セレクトセールに出場し、2310万円で落札された。冠名「ヤマカツ」の山田博康が所有し、栗東トレーニングセンター松元茂樹厩舎から競走馬となった。松元がデビュー前からクラシックを意識するほど高い能力の持ち主だった[45]

2歳夏、小倉競馬場の新馬戦でデビューし2戦目で勝ち上がりを果たした[45]。続いて11月、市場取引馬及び抽せん馬限定の条件戦に挑んだが敗れて、連勝はできなかった[45]。3戦を消化して1勝に留まっていたが、暮れの2歳女王決定戦である阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)に格上挑戦[45]。笠松競馬所属の安藤勝己とコンビを結成し挑み、11番人気に過ぎなかった[46]。しかし2番手追走から直線で抜け出し先頭となる見せ場を作った[47][48]。外から末脚を発揮して追い込んだ1番人気ピースオブワールドには差し切られたが、それ以外には譲らず、1馬身半遅れた2着を確保した[49][46]

映像外部リンク
2002年 阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

阪神ジュベナイルフィリーズの後は、休養すると同時に、かねてより悩まされていたソエの手術に踏み切り、大一番に備えて不安を解消させていた[45][48]。そして3月16日、クラシック第1弾桜花賞のトライアル競走であるフィリーズレビュー(GII)で戦線に復帰した。笠松から中央競馬へ移籍したばかりの安藤が続投して1番人気で参戦した[50]。好位を追走して直線に向き、同じく好位にいた2番人気3番人気のモンパルナスとレイナワルツと先頭を争った[50]。モンパルナスが先に抜け出していたが、外側から追い込んでクビ差差し切りを果たし、重賞初勝利を挙げた[43][50]

映像外部リンク
2003年 秋華賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

続いてクラシックに参戦した。導いてくれた安藤には、同じトライアル競走のチューリップ賞を優勝に導いたオースミハルカがいたが、こちらを選択していた[51]。2歳女王ピースオブワールドが故障して不在だった桜花賞など牝馬三冠を完走し、すべて5着以内となる活躍を果たした。しかしスティルインラブに三冠すべてかっさらわれて無冠、特に三冠最終戦の秋華賞では、スティルインラブに0.1秒差まで迫ったが、敵わず3着だった[52]。その後は3戦したが3連敗し、2005年1月14日付で競走馬登録を抹消して引退した[53]。通算成績13戦2勝だった[53]。引退後は転々としながら繁殖牝馬として供用され、2020年11月に用途変更されるまで7頭の仔を生産した[54]

子孫

コマノインパルス

コマノインパルス
Komano Impulse
血統 
[55] *バゴ
2001 黒鹿毛
Nashwan Blushing Groom
毛色 黒鹿毛[55] Height of Fashion
生年 2014年[55] Moonlight's Box Nureyev
生産地 日本の旗 日本北海道むかわ町[55] Coup de Genie
生産者 新井牧場[55] コマノアクラ
2008 栗毛
フジキセキ *サンデーサイレンス
馬主 長谷川芳信[55] *ミルレーサー
調教師 菊川正達美浦[55] リンデンジョオー *リアルシャダイ
成績等 5戦2勝[55]
2017年京成杯(GIII)優勝[55]
リンデンリリー
コマノインパルス

コマノインパルスは、北海道むかわ町の新井牧場で生産されたバゴ産駒、リンデンリリーのひ孫である[56]。母コマノアクラ(父:フジキセキ)の初仔である。牧場は非サンデーサイレンス種牡馬という選択肢から、2004年凱旋門賞などを優勝した種牡馬バゴを選択していた[57]。牧場では脚の長い体型で大柄、そして「ぼーっとした馬[57]」だった[57]。長谷川芳信が所有し、美浦トレーニングセンター菊川正達厩舎から競走馬となった[56]

2歳となった2016年10月、東京競馬場新馬戦(芝2000メートル)で田辺裕信が騎乗してデビュー。クレッシェンドラヴなどを相手に4番人気という支持だった。スタートから好位を追走し直線で進出、ゴール寸前でクビ差抜け出し初出走初優勝を果たした。続いて中山競馬場の葉牡丹賞(500万円以下)でレイデオロと対決、レイデオロに1馬身半及ばず2着となった[58]。年をまたいで3歳となった2017年、1月15日の京成杯(GIII)で重賞初出走を果たした。葉牡丹賞と同じ設定の舞台に挑み、15頭立てとなるなか1番人気で参戦していた[58]

映像外部リンク
2017年 皐月賞(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから後方を追走し12番手だったが、第3コーナー手前から外を回って進出[58]。最終コーナーを7番手で通過して直線で追い込み、直線半ばで抜け出して先頭を奪取した[58]。終いにはガンサリュートに接近したが、クビ差残して決勝線に到達。重賞初挑戦で初勝利を果たした[58]。その後はクラシックを目指し、第一弾皐月賞のトライアル競走である弥生賞(GII)に挑んだが、カデナに敗れる6着だった[59]。続いて皐月賞に江田照男と参戦し、アルアインに敵わず14着だった[60]。その後は第二弾東京優駿(日本ダービー)を目指したが、4月下旬に右前脚繋靱帯炎が判明して戦線を離脱した[61][62]。復帰叶わず翌2018年7月に競走馬登録を抹消し、引退した[63]。通算成績5戦2勝[63]

向別牧場

北海道浦河町の向別牧場は、リンデンリリーの前に、エーコートランスという生産馬が活躍した。エーコートランスは、1990年の根岸ステークス(GIII)を優勝し、牧場に初めてとなる重賞タイトルを届けている[4]

エーコートランス

エーコートランス
Eiko Trans
血統 
[64] *トランスアランティック
1972 栗毛
Nearctic Nearco
毛色 栃栗毛[64] Lady Angela
生年 1984年[64] Natalma Native Dancer
生産地 日本の旗 日本北海道浦河町[64] Almahmoud
生産者 向別牧場[64] オカノサクラ
1975 栃栗毛
ウイロウイツク Grey Sovereign
馬主 池内賢市など[65] Teresa Negro
調教師 安田伊佐夫栗東
→小林長治(水沢[64]
ツルミクイン *ゲイタイム
成績等 43戦12勝[64]
1990年根岸S(GIII)優勝[64]
キヨノボル

エーコートランスは、1984年に向別牧場で生産された牡馬である。母は、岡崎牧場から独立した際に、譲り受けたツルミクインの娘オカノサクラ、また父は、岡崎が注力していたトランスアランティックである[4]。トランスアランティックは、大種牡馬ノーザンダンサーの全弟であり、その血統から大きな期待を受けて輸入されていた。しかし大病を患ってから精子量が激減して、産駒数も激減してやがて用途変更となっていた[66]。ただしオカノサクラは、トランスアランティックと相性が良く、相次いで受胎していた。その1頭が、エーコートランスだった[66]

1986年に栗東トレーニングセンター安田伊佐夫厩舎から競走馬となり、安田に素質を認められていた[66]。しかし骨が弱く満足に走れず、数戦しても休養する様子で7歳となった1990年10月までで、まだ18戦しか走れなかった[66]。18戦目の貴船ステークス(1500万円以下)は単枠指定に応えて4馬身差で優勝していた[66]。この頃になって丈夫になり、連続して走れるようになっていた。そこで陣営は関東遠征を決行し、東京競馬場で行われる11月3日の根岸ステークス(GIII)に参戦した。安田の騎手時代の同期生である騎手大崎昭一を起用して参戦していた[66]。ハイペースとなる中、中団追走から直線いっぱい使って進出し、すべて差し切り優勝を果たした[67][66]。1分10秒0で走破して東京ダート1200メートルのレコードを樹立するとともに、重賞戴冠を果たしていた[67][66]

その後はしばらく中央競馬で走ったが勝利できず、1991年に岩手競馬へ移籍し活躍[64]。1991年の北上川大賞典ではグレートホープに敗れる3着、1992年の南部杯ではタケデンマンゲツに敗れる3着となったりした。通算成績43戦12勝[64]

参考文献

  • 渡瀬夏彦「岡潤一郎を偲ばせる リンデンリリー」『競馬名馬読本3 90年代のアイドル馬たち』宝島社〈別冊宝島223号〉、第6刷1996年2月25日(初版1995年6月16日)。
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1991年1月号
      • 「【第4回根岸ステークス】力まかせに エーコートランス」
      • A・Y「【今月の記録室】第4回根岸ステークス(GIII)エーコートランス」
    • 1991年12月号
      • 「【第16回エリザベス女王杯(GI)】秋。いっき、いっきに女王の座。リンデンリリー」
      • 「【第9回ローズステークス】女王の座へ王手、リンデンリリー」
      • 松本務(関西テレビ)「【今月の記録室】第9回関西テレビ放送賞ローズステークス(GII)〈エリザベス女王杯トライアル〉リンデンリリー」
    • 1992年1月号
      • 「【杉本清の競馬談義(82)】岡潤一郎騎手」
      • 永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第16回エリザベス女王杯(GI)リンデンリリー」
    • 1992年2月号
      • 「【1991年度JRA賞決定】年度代表馬にトウカイテイオー」
      • 吉沢譲治「【'91秋GI競走勝馬の故郷】エリザベス女王杯馬の故郷 向別牧場 "命の水"あふれる沢に」
    • 1993年4月号
      • 「【今月の人】落馬死亡の岡潤一郎騎手 3月8日 京都競馬場でJRA日本中央競馬会葬」
    • 2003年2月号
      • 優駿編集部「【第54回阪神ジュベナイルフィリーズ】牝馬クラシックの主役は決まった! ピースオブワールド」
    • 2003年4月号
      • 石田敏徳、日夏雄高、山本尊、辻一郎(サラブレッド血統センター)藤井正弘(同)「【クラシック有力馬の"丸わかり"採点簿】ヤマカツリリー タイム、勝ち鞍の少なさは課題だが、2歳"準女王"の勲章で立ち向かう。」
    • 2003年5月号
      • 水上学「【第64回オークスを占う】桜花賞組の中では負けてなお強しのアドマイヤグルーヴ」
      • 「【Play-back the Grade Races】第37回フィリーズレビュー(GII)ヤマカツリリー」
      • 「【重賞データファイル】第37回フィリーズレビュー(GII)ヤマカツリリー」
    • 2003年12月号
      • 阿部珠樹「【第8回秋華賞】好敵手を三度退け、歴史的名牝の座へ スティルインラブ」
    • 2008年9月号
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(280)】野元昭調教師」
    • 2017年3月号
      • 「【重賞プレイバック】第57回京成杯(GIII)コマノインパルス」

脚注

注釈

  1. ^ 残る2票のうち、1票はヤマノカサブランカ、もう1票は該当馬なしだった。
  2. ^ 荒尾・吉永晃 →高崎・渡邉和泰 →荒尾・矢ケ部徹 →大井・荒井隆
  3. ^ 美浦・松山将樹
  4. ^ 北海道・松本隆宏 →園田・保利幸作
  5. ^ 北海道・松本隆宏

出典

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外部リンク