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ウッドマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウッドマン
ロバート・サングスターの勝負服
欧字表記 Woodman
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1983年
死没 2007年7月19日
Mr. Prospector
Playmate
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Warner L. Jones, Jr. & Edward A. Cox, Jr.[1]
馬主 Robert E.Sangster
調教師 Michael Vincent O'Brienアイルランド
競走成績
生涯成績 5戦3勝
獲得賞金 2万3760ポンド
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ウッドマンWoodman1983年 - 2007年)とはアメリカ合衆国生まれでアイルランド調教を受けた競走馬種牡馬である。

父は大種牡馬ミスタープロスペクター、母プレイメイトはウッドマンを出した後に日本に輸入されている。当馬は現役時代は一流とまでは言えなかったが、種牡馬として多くの活躍馬を出し重賞勝利数は100を超えた[1]

戦績

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1984年に9月のキーンランドイヤリングセールにおいてロバート・サングスター英語版に300万ドルで購入[† 1]され、アイルランドのヴィンセント・オブライエン調教師のもとに送られた[1][2]

1985年にデビューからアングレシーステークスとアイルランドフューチュリティステークスのG3競走2勝を含む3連勝。次走はフランスサラマンドル賞が予定されていたが航空輸送で論争があり中止され[1][† 2]、遠征先はイギリスデューハーストステークスとなる。その初G1競走は5着に終わり連勝は止まったが、この年の愛最優秀2歳馬に選ばれた。年が明けた4月のミルリッジステークス3着を最後に現役を引退している。通算5戦3勝で勝ち鞍は2歳時だけと、結果だけを見ればミスタープロスペクター産駒にありがちな単なる二線級の早熟スプリンターだった。

種牡馬時代

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引退後は種牡馬としてクールモアが所有するアメリカのアッシュフォードスタッドに繋養された。初年度は45頭の登録馬のうち1991年のアメリカ二冠馬ハンセル、G1競走5勝のヘクタープロテクターといきなり大物を2頭を含む4頭の重賞勝ち馬を輩出[1]。それ以後もボスラシャムティンバーカントリーと続々と活躍馬を出し続けた。最良の産駒は2003年インターナショナル・クラシフィケーションで133の評価を受けたホークウイング英語版である[3]

産駒は1990年1998年フランス2歳リーディングサイアーとなったように、2歳戦から活躍する早熟タイプが多い。ハンセルは2400メートルベルモントステークスを勝っているが、他の産駒は概ね短距離向き。2007年7月に老衰のため安楽死処分[4]となったが、死亡した年も種付けを行っている[1]

日本における産駒は、1995年JRA賞最優秀短距離馬であるヒシアケボノを出しているものの、その他にはそれほど目立った実績はない。ヒシアケボノは種牡馬としては不振で、同じく日本に輸入されたハンセルも成績不振でアメリカに帰国となっている。日本に種牡馬として輸入された直仔はハンセルだけではなく、リースを含めるとヘクタープロテクター、ティンバーカントリー、ウェイオブライト、シーロの5頭にのぼるが、ティンバーカントリーがアドマイヤドンムガムチュウなどを輩出しているのが目立つぐらいで、全体的にウッドマンの子孫も日本では振るっていない。

ヨーロッパやアメリカだけでなく、シャトル種牡馬としてブラジルオーストラリアでも種付けを行っており、南半球での産駒成績はニュージーランドを含め420勝を越える[1]。中でもオーストラリアへは1997年から2001年までの5回にわたるが、2001年には当地で失敗とみなされ45頭の繁殖牝馬しか集められなかった。だが、オーストラリアでも母の父としては結果をだしている[3]

おもな産駒

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日本国外調教馬

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※勝ち鞍はG1競走のみ表記 (カナダ産限定で国際グレードがないクイーンズプレートを除く) 。馬名先頭の「*」は日本輸入馬を示す。

日本調教馬

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ヒシアケボノ

※勝ち鞍は重賞競走のみ、GI級競走は太字で表記。

ブルードメアサイアーとしてのおもな産駒

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日本国外調教馬

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※勝ち鞍はG1競走のみ表記。

日本調教馬

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※勝ち鞍は重賞競走のみ、GI級競走は太字で表記。

その他

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〜マンという汎用される命名であるため、単語として「ウッドマン」はしばしば目にされる名称であり、人名や企業名等にも使用されている。

かつて笠松競馬等に在籍し、全日本サラブレッドカップを勝つなど活躍したウッマンという馬がいたが、当馬の父はインターグシケンであり、血統的な繋がりは全く無い。戦績の方も年老いてからも重賞勝ちを挙げており、早熟なウッドマンとは正反対な結果となっている。

血統表

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ウッドマン血統ミスタープロスペクター系/Nasrullah 4×4=12.50%、War Admiral 4×5=9.38%、Bull Dog 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Mr. Prospector
1970 鹿毛
父の父
Raise a Native
1961 栗毛
Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
父の母
Gold Digger
1962 鹿毛
Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood

*プレイメイト
Playmate
1975 栗毛
Buckpasser
1963 鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
母の母
Intriguing
1964 栗毛
Swaps Khaled
Iron Reward
Glamour Nasrullah
Striking F-No.1-s
  • 近親にはアサティスリズムなど活躍馬が多数いる。
  • 母プレイメイトは1994年に日本に輸入[5]されたが、活躍馬は出せていない。
  • 当馬の全弟であるガダボート(Gadabout)は日本で種牡馬入りしているが、こちらの産駒はサマーカップヤングチャンピオンに勝ったシュウタイセイと、他には中央競馬のオープン馬が数頭いるくらいであり兄には遠くおよばなかった。
  • 甥のニューイングランドも日本で種牡馬となっている。

脚注

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注釈

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  1. ^ ミスタープロスペクター産駒における当時の最高購入額 (早野2000、220頁) 。
  2. ^ 1985年には航空機がアイルランドのコーク沖で墜落したインド航空182便爆破事件を始め航空機の事故が多かった。フランスやイギリスで航空機の火災事故も起きている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g “Woodman, sire of Bosra Sham and Hawk Wing, is dead” (英語). レーシング・ポスト. (2007年7月23日). http://www.thefreelibrary.com/Horse+Racing%3A+Woodman,+sire+of+Bosra+Sham+and+Hawk+Wing,+is+dead%3B...-a0166682739 2013年3月16日閲覧。 
  2. ^ 早野2000、220頁。
  3. ^ a b Nathan Exelby (2005年8月23日). “Woodman Resurgence As Broodmare Sire” (英語). Racing and Sports. 2013年3月17日閲覧。
  4. ^ ヒシアケボノの父、ウッドマンが死亡”. netkeiba.com (2007年7月22日). 2013年3月16日閲覧。
  5. ^ 加藤2001、24頁。

参考文献

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  • 早野仁『20世紀の種牡馬体系』競馬通信社、2000年、220頁。ISBN 4434007327 
  • 加藤栄『世界の種牡馬 全訂版』自由国民社、2001年、24-25頁。ISBN 4426749018 

外部リンク

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