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Wikipedia:井戸端/履歴20200123

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キャッシュを破棄

出典をつけよう大会的な出典情報補強大会を開きたい

ディークエステン氏による原案

議論停滞中。可読性アップのため折り畳みます。

出典をつけよう大会なる大会が開かれており、この大会によって多数の記事に出典が提示されました。

この大会にヒントを得て、Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトを出典とする場合#名無しリンクを避ける(WP:WEBREF)で必須となっている記事名(title)、配信元・作成元(publisher/work/newspaper/website)、特に記述されないケースが非常に多い配信日・記事作成日(date)が抜けていたりURLママで提示されている出典を補強して出典・参考文献の追跡が容易になる大会を開きたいと思っています。また、無出典記述に出典を新たに提示する、と言う要素もあれば、無出典による検証不可能状態も改善できると思っています。

まずはこの大会の開催を容認してくださる場合、参加資格、実施期間、実施方法と言った点を議論したいと思います。--ディークエステン会話2019年12月4日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

賛成 良いと思います。今回の出典をつけよう大会では、出典の加筆に加えて出典の記法の整理にも門戸を広げるということですね。
まだ不完全ですが、こんな内容を考えています。
  • 開催期間は3月1日 - 3月31日。
    • もし早められそうなら2月1日 - 2月29日。
  • 参加資格は、ログイン利用者もしくは固定IP利用者。
  • 新たに出典を加筆すると1箇所につき2点。出典の記法を整理すると1箇所につき1点が付与される
    • 以前の点数制度は複雑で難解なため、門戸を広げるために単純明快なものにする。
これはあくまで私案ですが、どうでしょう。--Bonfire12会話 / 履歴2019年12月5日 (木) 09:13 (UTC)[返信]
返信 (202.219.154.160さん宛) あなたが求めていると思われるレベルの「完璧な記事」を「試しに」書いてみよというのは酷ではないでしょうか? まともな記事を書こうとしたら充分な準備が必要ですから、試し程度で書けるものではありません。こんな発言をしているあたり、あなたも「完璧な記事」を書いた経験が少ないとお見受けします。--Bonfire12会話 / 履歴2019年12月5日 (木) 13:20 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: Bonfire12さん宛) 僕が考えたプランはこう決めています。 / 一部改定--ディークエステン会話) 2019年12月6日 (金) 08:17 (UTC) / さらに一部改定かつごちゃごちゃしたので打ち消し線除去--ディークエステン会話2019年12月7日 (土) 00:25 (UTC)[返信]
    • 開催日:3月-5月/9月-11月の年2回開催。シーズン/月間ランキングも設けたい。
    • 参加資格:参加までに1度でも検証可能な出典付の投稿を行いかつ開催時点でブロックされていないユーザーなら全員参加可能。ブロックされている場合は次回開催までにブロックが解除されれば参加可能。ただしIPユーザーは固定のみ。管理者・過去のブロック歴の有無は問わない。LTA・ブロック破りの参加は不可能。
  • 採点方法(オンライン):
  • 出典追加:
追加内容 得点 得点(ディークエステン)
無出典記述に出典を追加 第三者:3点/1次:2点 第三者1次問わず1点
要出典箇所に出典を追加 第三者:5点/1次:3点 第三者1次問わず2点
出典を添えて内容を記述 第三者:10点/1次:5点 第三者1次1次問わず3点
  • 出典情報補強(出典追加時のボーナス加算ポイントも兼ねる):
追加内容 得点 得点(ディークエステン)
記事名(title) 3点 1点
配信元・作成元(publisher/work/newspaper/website) 2点 1点
配信日・記事作成日(date) 5点 2点
その他項目/オンライン出典URL 1点 0点
アーカイブ化/リンク切れ出典を閲覧可に差し替え/閲覧可媒体に変更 2点 1点
リンク切れチェック 1点 0点(リンク切れチェックは行う)
  • 採点方法(紙面・書籍・新聞):
  • 出典追加:
追加内容 得点 得点(ディークエステン)
無出典記述に出典を追加 5点 3点
要出典箇所に出典を追加 7点 4点
出典を添えて内容を記述 10点 5点
  • 出典情報補強(出典追加時のボーナス加算ポイントも兼ねる):
追加内容 得点 得点(ディークエステン)
記事名(title) 5点 3点
掲載元(publisher/work/newspaper/website) 3点 2点
発行日(date) 10点 5点
その他項目(閲覧日/版/ISBN) 2点 1点

これらの出典の書式は手書きでもCiteテンプレートでも、dateの未取得や記事名の削除方針ケースB-2違反といった問題が多いビジュアルエディターによる自動取得出典であっても、得点に影響されることは無い

  • 出典の提示および出典情報の補強が求められている記事を大会ページに貼り付けて改善を求める場合、参加者は点数を消費しないが、ディークエステンは1記事につき5点を失う
  • 以上にしたいのですが、どうでしょうか?採点方法については僕にはハンテを課しておきます。--ディークエステン会話) 2019年12月5日 (木) 19:06 (UTC) / 採点方法について、出典情報補強時のポイントを出典追加時のボーナスポイントに兼ねておきます。これでいいでしょうか?--ディークエステン会話2019年12月6日 (金) 08:17 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: ネイさん宛) 試してみましたが、僕には使いこなせないようでした。--ディークエステン会話2019年12月5日 (木) 19:06 (UTC)[返信]
  • 返信 (202.219.154.160さん宛) Bonfire12さんの言うとおりです。いきなり「完璧な記事」を書くことなど、時間と労力と出典を用意できないと書けないものです。そもそもこの発言がこの話題と全く関係ありませんし、投稿記録もこの発言しかありません。「まともな記事」うんぬん言われてそうでもしないとWikipedia日本語版にいる価値が無い人間扱いされているのでこう返したものです。今の僕に作れる記事は自作の土台に自他問わず修繕補強がなされるレベルでしかありません。自ら提出したコメント依頼でも普及されたこの大会で発進する猪突猛進型芝刈り機ディークエステン号の活躍をご期待ください。--ディークエステン会話2019年12月5日 (木) 19:06 (UTC)[返信]
  • コメント 見たところ、ディークエステンさんの案の方が良さそうですね(^^; ただ、いくつか気になった点があります。1つ目、開催期間が1年というのはちょっと長すぎないでしょうか? 途中でだれてしまう可能性があるので、2ヶ月から長くても半年ぐらいが良いと思います。2つ目、ディークエステンさん自身の編集にはハンデを科していますね。恐らく発案者である自分がトップになってしまうことを恐れてのものでしょうが(ひいてはそれほどの活動意欲がある)、これはなくていいでしょう。もし自分がトップになったとしても、それは素晴らしい芝刈機としてのディークエステンさんをコミュニティに知らせる良い機会となるでしょう。--Bonfire12会話 / 履歴2019年12月5日 (木) 22:53 (UTC)[返信]
  • 反対
開催日→長すぎ
参加資格→IPは1度でも検証可能な出典付の投稿を行ったことがあることを必須としながらログイン利用者は1度も検証可能な出典付の投稿を行ったことがなくてもOKな理由が不明。不当な差別としか思えない。またウィキペディアでは管理者が特別な存在ではないのは言わずもがな。ウィキペディアには「削除人」なる者は存在しない。LTAには端からウィキペディアを編集する権利がない。
採点方法→無出典記述に出典を自分で探してきて記事名・配信元・配信日も完璧な出典を追加しても最大2点で最初からある出典の記事名・配信元・配信日を書いただけで計10点の理由が不明。どっちが検証可能性向上に資するか自明。またディークエステンだけ「ハンテ」とかいうよくわからない何かを課す理由が不明。大会はディークエステンの所有物ではない。

以上。--123.220.233.34 2019年12月6日 (金) 00:44 (UTC)[返信]

  • コメント 最終的に、総合的に見て建設的な正の成果が得られるならそれでいいと思いますよ。
  • ディークエステンさんの価値観として、既存の出典の「配信日」追加するのと、外部情報源を示して加筆するのが同じ5点なんだー?(50点のまちがいじゃなくて?バランス感として「配信元・配信日追加大会」を分けては?とかね)とか、出典がないところに外部出典示すより、一次資料で加筆するほうが高得点なんだー?とか、これ誰が採点集計するの?とか、いろいろ感じることはありますが、まあともかく総合的に見て建設的な正の成果が得られるならそれでいいと思いますよ。--柒月例祭会話2019年12月6日 (金) 03:48 (UTC)[返信]
  • コメント 1年とかいう長期を想定しておられるなら、まず1週間程度仮大会?的なのをやってみるのも一案では。その間に不公平感がないかとかのチェックもできますし・・・仮に1年いきなりやって、その途中に不公平感が指摘されたとき、大会中に採点基準などのルールを変えるなんてことになったら揉めちゃいそうです。ディークエステンさんのハンデはいらないんじゃないかなぁと思います。コミュニティの合意のもと行われた採点基準なら、発案者さんが1位を取っても構わない(とゆうか1位をとるほどの点数ならそれだけ貢献したということでむしろ高評価)と思います。ただ、1年はさすがにちょっと長いのかなぁと。それでは途中参加の意欲がなくなる(どーせ1位取れないし的な)。例えば逆転チャンスのために最後の1ヶ月は得点にボーナスつけるとかもありっちゃありですが、複雑になることを考えればむしろ1ヶ月単位で何回かやるとか、あるいは前後半戦みたいなやり方もありでしょう。(いっそのこと新着記事みたいに定期にしてしまってもいいかも)ただ、質問がちょっと。
  1. 出店追加より、出典補強の方が点数が高いというのは・・・ちょっと違和感があるんですが。例えば、すでにある、形式の間違った出典を書き換えた(例1:[1]google”. google. 2019年12月6日閲覧。にした)場合、得点表からするとタイトル3、出版(Google)2、アクセス日=その他=1で合計6となる一方、出典がなかったところにgoogle”. google. 2019年12月6日閲覧。をつけても(例2)無出典追加の2点だけってなるんでしょうか?それとも例2は、「無出典に出典を付け」(2点)、タイトル、出版社、アクセス日の6点で計8点となるんでしょうか?前者だったら少々不公平感があるような気がします。
  2. 基本的なところですがどうもわからなかったので質問させて下さい。「外部」って外部リンクですよね?「一次」って?--Q8j会話|投稿記録(旧:Y.iwamoto-0810) 2019年12月6日 (金) 05:18 (UTC)ちょっと訂正--Q8j会話|投稿記録(旧:Y.iwamoto-0810) 2019年12月6日 (金) 05:28 (UTC)[返信]
記述〈ref〉[URL 記事名]〈/ref〉。

と言う書式の出典があったとする。この出典を

記述〈ref〉記事作者名 [URL 記事名] 配信元・作成元 YYYY年MM月DD日公開 YYYY年MM月DD日閲覧〈/ref〉。
記述〈ref〉{{Cite web|url=|title=|publisher=|author=|accessdate=|date=}}〈/ref〉。
記述〈ref〉{{Cite news|title=|newspaper=|date=|author=|url=|accessdate=}}〈/ref〉。

と言うようにすれば、以下のように加算

  • 参加者:配信元・作成元で2点、配信日・記事作成日で5点、その他項目(ここでは記事作者名と閲覧日の2つがそれぞれ1点)で2点、計9点
  • ディークエステン:配信元・作成元で1点、配信日・記事作成日で2点、その他項目(ここでは記事作者名と閲覧日の2ついずれも0点)は0点、計3点
記述

と無出典記述に

記述〈ref〉[URL 第三者出典記事名] 配信元・作成元 YYYY年MM月DD日公開 YYYY年MM月DD日閲覧〈/ref〉
記述〈ref〉{{Cite web|url=|title=|publisher=|accessdate=|date=}}〈/ref〉。
記述〈ref〉{{Cite news|title=|newspaper=|date=|url=|accessdate=}}〈/ref〉。

と言うようにすれば、以下のように加算

  • 参加者:無出典記述に第三者出典を追加して3点、配信元・作成元で2点、配信日・記事作成日で5点、その他項目(ここでは閲覧日の1つで1点)で1点、計11点
  • ディークエステン:無出典記述に第三者出典を追加して1点、配信元・作成元で1点、配信日・記事作成日で2点、その他項目(ここでは閲覧日の1つは0点)で0点、計4点

以上です。分かればいいのですが…。--ディークエステン会話2019年12月6日 (金) 08:17 (UTC)[返信]

  • 賛成 大会開催に対して。--Q8j会話|投稿記録(旧:Y.iwamoto-0810) 2019年12月6日 (金) 09:10 (UTC)[返信]
  • 提案 細かいルールは別途ページを立ち上げて、そこのノートページで行うと言うのはいかがでしょう。取り敢えずこのページは大会を開催することに対するコンセンサスの確認という位置づけ。ディークエステンさんの利用者ページのサブとして作って、開催に対する合意が取れたら移動してもいいですし・・・。仮大会とか提案しといて言うのもなんですが(笑)--Q8j会話|投稿記録(旧:Y.iwamoto-0810) 2019年12月6日 (金) 09:10 (UTC)[返信]
コメント 自分自身はこういう大会に興味を持ちませんし、参加するつもりもないのですが、出典の書誌情報に関するものなのでコメント申し上げます……。
  • Web出典については、閲覧日によって情報が異なっていることがあり得ます。単に書誌情報の補填に留めず、可能であれば出典をチェックして「YYYY年MM月DD日、……を修正。」などと記載があった場合は、記述内容のチェックをするように気を付けて欲しいと思います。
  • 以前に2018年の政治ノート:2018年の政治でお見掛けして気になっていましたが、
著者 (YYYY年MM月DD日). “[url 記事名]”. ''サイト名'' YYYY年MM月DD日閲覧。
著者 (YYYY年MM月DD日). “[url 記事名]”. ''サイト名''. 配信元 YYYY年MM月DD日閲覧。
“[url 記事名]”. ''サイト名''. 配信元. (YYYY年MM月DD日) YYYY年MM月DD日閲覧。
といった書き方も例示していただけると幸いです。必要な情報が盛り込まれていれば順序や書式はそれ程気にする必要はないと思いますが、出典テンプレートに揃えられるなら揃えた方が好ましいかと……(以前の議論にもあったように、無理をする必要はありませんので、推奨ではなく例示ということで結構です)。
  • 新聞記事のニュースの場合、出版社によっては古い記事が消えてしまっている場合があります。アーカイブを探すといった対応以外に、別の新聞記事に差し替える、紙媒体や縮刷版に置き換える、といった対応も推奨して欲しいところです。県立図書館レベルであれば大手新聞の縮刷版は置いてありますし、最近では有料のデータベースを活用している方もいらっしゃるようです。
  • ウェブ出典の書誌情報を想定しているようですが、雑誌や書籍など、紙の出版物でも書誌情報を補填することもあり得ないでしょうか。書籍であれば、書籍名だけでなく、著者や出版者、出版年、ISBN(なければNCIDなど別の書誌情報)を補填することになります。ただ、改訂版と銘打たれていればよいのですが、第何版かが不明瞭な場合は注意が必要ですが……(Ncidは同名の書籍でも版によって番号が異なっている場合ありますし、ロングセラーの書籍は版や刷数によって微妙に改訂されていたりします)。
  • 人物記事ですと著書の一覧が並んでいる場合がありますが、ISBNなど書誌番号が付けられていない場合が多く見受けられます。書名や出版社名、出版年が書かれていれば差し支えない場合が多いですが、間違いがあった場合には問題になりますし、以前の井戸端では出典という意味合いも込めて書誌番号がある方が望ましいという意見もありましたので、こういった出典補強もあり得ると思いました。
  • 出典の書誌情報に不備がある記述は、往々にして情報が更新されていない記事が多いようです。著書の情報も追記されず、記事の定義に関わるような大きな出来事が報道されているのに更新されていない記事も見受けられます。そういった記事は読者は話半分に読むでしょうし、編集者は加筆修正しようという気を起こします。ですが、変に出典の書誌情報だけきっちりしていますと、かえって悪影響を与えないかという危惧を抱いてしまいます。出典の書誌情報の補填だけでなく、それをきっかけにして内容更新につながってくれればと感じた次第です。
以上、僭越ながらご参考になれば幸いです……。--Assemblykinematics会話2019年12月6日 (金) 11:33 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: Assemblykinematicsさん宛) その例であれば、
    • 参加者:サイト名で2点、配信日・記事作成日で5点、その他項目(ここでは著者名と閲覧日の2つがそれぞれ1点)で2点、計9点、配信元の2点も入れると計11点
    • ディークエステン:サイト名で1点、配信日・記事作成日で2点、その他項目(ここでは著者名と閲覧日の2ついずれも0点)は0点、計3点、配信元の1点も入れると計4点
  • と言うようになります。紙面・書籍・新聞については想定していませんでしたが、オンライン出典が閲覧可能な限り出典をオンラインと紙面・書籍・新聞と共に提示しておくなど近くに図書館や本屋が無い方のため配慮も必要だと思います。--ディークエステン会話) 2019年12月7日 (土) 00:25 (UTC)(質問回答の都合上、記述を移動させていだきました。--Assemblykinematics会話2019年12月7日 (土) 01:04 (UTC)[返信]
    • 返信 別段リンク切れしていない場合は、ウェイブ出典と紙媒体の出典を併載していただいて構いません。基本的には、リンク切れを起こしていてウェブ上に移転先やアーカイブ、代替記事が見当たらない場合に、紙出典へ置き換えて欲しいという意図でした。ただ、将来的にリンク切れが予想される記事・出版社については、先行して紙媒体に置き換えるのも手だと思います。また、ウェブ出典であっても有料会員しか閲覧できない記事も見受けられます(これは新聞社の記事のみならず、雑誌系の記事でも見当たります)。そういった場合に、(所蔵してある図書館へ行けば誰でも閲覧できる)紙媒体の新聞や雑誌に出典を置き換えたり併載するのは、有益ではないかと考えます。なお、得点については参加される方々と調整していただければと思いますが、個人的には書誌情報の補填だけは1点、アーカイブサイトを含む出典の置き換えは2点、程度の区別で良いような気がしています。点数化しにくい手間や苦労があり、それら全てを考慮するのは難しいと思いますので……。--Assemblykinematics会話2019年12月7日 (土) 01:04 (UTC)[返信]
ぶっちゃけ、「Citeテンプレートを正しく使おうキャンペーン」だったらしない方が良いと思います。以前に指摘したことを含めてです。疑問に思ったのは、
  • 現時点で正しく表示されている出典を、テンプレート適用にした際に括弧忘れで、正しく表示されない状態が数ヶ月続いた(例平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害)。手を加えること自体、ヒューマンエラーを呼び込む可能性がある。
  • 新聞などの場合、地域版(○○県版)・○○刷(印刷時間)など、citeテンプレートに無いのではと思われる引数がある。そのような情報こそ優先して欲しい情報である。逆に、citeテンプレート化でこの様な情報が抜け落ちるのに、点数が貰えるのは、質の改善に逆行と思われる。
  • 元々、出典が多い記事ではciteテンプレートは正常表示されない可能性がある。さらに増やすような事は余りよろしくない(例イチロー
  • コンテストの弊害として、citeテンプレートを使わない出典追加が悪の風潮になって欲しくないし、そうなったら悪影響と思われる。
などです。テンプレート適用で満足するようであれば、自己満足の世界のような気がしますし、タイプミスしたときに出典の価値が落ちるのに好評価と言った矛盾が生じると思います。その上でやるべき出典強化は、
  • ネット出典のみだったのを、紙面ベースの出典にした。
  • リンク切れ出典を、生きているリンクに交換した。
  • 書籍出典の場合、「第何版」(印刷時期)を見たのか追記する(それによっても変わる)。
  • 新聞の場合、ページ・記事名がない場合があるので追加する。また何版・地方版(データベースならELNETなど)を追加する。
などと思います。正直に、この様な点が心配です。--Taisyo会話) 2019年12月6日 (金) 16:02 (UTC)、追加--Taisyo会話) 2019年12月6日 (金) 16:08 (UTC)、再追加--Taisyo会話2019年12月7日 (土) 00:18 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: Taisyoさん宛) Citeテンプレートだけ使用しなければならない、と言う前提で議論したのではありません。採点方法にも「これらの出典の書式は手書きでもCiteテンプレートでも、dateの未取得や記事名の削除方針ケースB-2違反といった問題が多いビジュアルエディターによる自動取得出典であっても、得点に影響されることは無い」と書いたように、最初からCiteテンプレート提示だったり手書き書式をCiteテンプレートに置き換えによるボーナスポイントを設けていません。Citeテンプレートはあの一件依頼置き換えはこりごりしました。「やるべき出典強化」はAssemblykinematicsさんへの返答どおりです。--ディークエステン会話2019年12月7日 (土) 00:25 (UTC)[返信]
  • コメント 大会開催が容認される場合、第0回となる仮大会用記事の作成およびエントリー開始は日本時間12月15日を予定していますが、まだこういうページは作ったことが無いので、問題なく作成できるかです。また、ノートページも作って置きますので、そこに僕が考えたプランなどやどこをどうすべきかも意見を交し合っていただければと思います。--ディークエステン会話2019年12月7日 (土) 10:03 (UTC)[返信]
  • 反対 開催自体に反対します。提唱者氏が自らにハンデを付けるというルール設定や「この大会で発進する猪突猛進型芝刈り機ディークエステン号の活躍をご期待ください」という提唱者氏の台詞を見るに、今回の大会を通じた草刈りに相当な意気込みをお持ちのようですが、ご自身が10ヶ月前にWikipedia:コメント依頼/ディークエステンで「依頼者兼被依頼者はWikipediaには不用な人物なのか?」と投票で問おうとしたことの続きなのかなという印象を私は持ちました。このような提唱者氏の言動を見るときに、コミュニティを巻き込んだ自己顕示目的のイベントなのではないかと疑ってしまい、全体として出典情報強化によるプラスより運営上の混乱のほうを懸念します。前記コメント依頼や現在の会話ページで受けている指摘をもう一度ご自身で真摯に受け止めていただければと思います。--むじんくん会話2019年12月8日 (日) 00:44 (UTC)[返信]
  • コメント 点数制、編集者間での編集実績競争を導入せんとする根本的な達成意義は何でしょう(質に関わらず編集時間が長く取れる/数をこなせる編集者ほど有利状況になるのは自明)。むしろ、点数制を置こうとしてあれこれと関連ルール制定に時間を使うよりも、全廃した状態から再出発してみては如何でしょうか。その初期設定が、合意および開催に当たって最も邪魔であり、円滑な実施を阻害している「論争の元」であるように思われました(WP:DR#1)。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年12月8日 (日) 06:20 (UTC)[返信]
  • コメント 私も点数制に大きな問題を感じました。点数確認。加筆者が行う・中立の人が行うのダブルチェックになると思います。そうしないと公正なものとはいえないでしょう。しかし、その手間が甚大すぎて、チェックするぐらいなら別の記事を書いた方がより建築的なのではと思います。スプリクト集計できるのであれば問題ないのですが、出来ないのであれば・・・と思いました。--Taisyo会話2019年12月8日 (日) 07:55 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: むじんくんさん宛) 何も言い返せません。--ディークエステン会話2019年12月8日 (日) 11:11 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: Nami-jaさん宛) / 返信 (利用者: Taisyoさん宛) どうやら点数制については、僕自身が提出したコメント依頼で言及した外部サイトでも編集者に対する中傷を交えて言いたい放題言われているようです。参考にした第二回出典をつけよう大会では採点が行われなかったようです。よって、ノートページで示している点数制の第2案も容認されない場合、大会にする意味は無いと判断し、代替として「出典の補強が求められている記事」のページを作成して、WP:WEBREFで必須となっている情報が抜けている出典が多数ある記事を報告して出典情報の補強を求める、と言う例もありますが、いかがでしょうか?--ディークエステン会話2019年12月8日 (日) 11:11 (UTC)[返信]
コメント 会話ページで静かに見守ると申し上げて数日でコメントするのもなんですが、あまりにも目に余るので、みっともないのを承知の上でコメントします。
ウィキペディアでは提案者が特権を持つルールはありません。そして、貴方の『ハンデ』には誰も賛成していないどころか、いらないという意見が複数ある。にもかかわらず「第2案」とやらでもそれを無視して、『ハンデ』を堅持する理由は何でしょうか。また、じゃあ自分もハンデを、と言い出した利用者に対しては本人と対話せず、一方的に除去しておいでです(当該利用者の履歴に少々首をかしげたくなるものがあるのは事実ですが、そうであっても他の参加者たちとの合意形成は必要でしょう)。あなたは、ご自分の『ハンデ』は他の利用者の不要論をことごとく拒否してまでゴリ押しするというのに、他人の『ハンデ』は貴方の一存で否定してよいとお考えになっているようですが、そのような合意形成を軽視する特権がご自身にあると考える根拠は何でしょうか。
さらに、むじんくんさんの「コミュニティを巻き込んだ自己顕示目的のイベントなのではないかと疑ってしまい、全体として出典情報強化によるプラスより運営上の混乱のほうを懸念します」といったコメントには「何も言い返せません」というのならば、余計な疑いをもたれないために『自分は参加しない』(出典整備は粛々と続けても得点対象にしない)という選択肢を挙げてもおかしくなさそうですが、そうせずに「ハンデをつけて自分も参加する」か「自分も含めて誰の得点もつけない」という二択になっているあたり、「自己顕示目的のイベント」という疑念を私も強く持ちました。「あまり意味のある大会とも思えないが、それでも出典提示の改善に幾分つながるのなら」と思い、貴方の会話ページでは「水を差すつもりはないし、成功を祈る」と申し上げましたが、その部分はこの場で撤回し、 反対 いたします。--Sumaru会話2019年12月8日 (日) 11:43 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: Sumaruさん宛) 自身に有利では無く不利なハンデを付けているのは、他の方が出典情報の補強を行っている編集をあまり見ず、結果的に僕が補強している、と言う状況が続いていたことから、これに慣れてしまった自分が簡単に上位に上がっても何の意味があるのかと言う判断からです。他人のハンデも突然決められたことかつその方の編集履歴を見ても余り編集を行った形跡が無いため、ハンデを付けなくとも良いと思ったからです。これ以上誰彼からも自らへのハンデは必要ないといわれるのなら、僕のハンデの撤回しても、これに対してどんな謝罪ところが言い訳を述べても大会の開催は容認されることは無くなったのはもはや確実となりました。
    • むじんくんさんへの「何も言い返せません」返答は、以前対立した際に釘を刺されたため、何か意見を添えて言い返しでもすればその釘が打ち込まれることから、発言に対して何も言い返せないことから返しました。
    • この大会で自分を自ら追い込んだ条件をつけた点数制にしたことが大きな間違いでした。出典の補強も義務ではなく任意であると強制ではないことも見ましたが、大会を利用してこれを押し付けていたのかもしれません。このようになってしまったのであれば得点性を無かったことにして形を変えても容認されることは無いでしょう。よって、この発言をもって、出典をつけよう大会的な出典情報補強大会の開催は中止としたいのですが、代替案である「出典の補強が求められている記事」を含めて皆さんから意見をいただきたいと思います。--ディークエステン会話2019年12月8日 (日) 12:34 (UTC)[返信]
コメント この議論が始まったのが5日(金)で、まだ数日しかたっていないのに、どれだけ迷走なさっているのでしょうか。そんな貴方が議論を主導しようとすることから離れて、大会なり、代替の何かなりを引き継いでくれる方がいるなら、その方の仕切りで進めてみればいいし、そういう方が出ないのであればとりあえずお開き、でいいのではないでしょうか。--Sumaru会話2019年12月8日 (日) 14:16 (UTC)[返信]
  • コメント 出典の質を改善しよう。意識を高めようとすること自体は良いと思うのですが。得点制となると1記事ずつ厳正な集計が求められます。それも恨まれない。そうなると、マンパワーと実際の作業能力が完全にオーバーフローになると思います。それを防ぐために、仮に1人でも作業できる作業量になるように計画する。BOTやフィルターなど負担軽減ツールを作るか、作って貰うか(魅力的な案であれば作ってもらえるかもしれません)。かなり魅力的な案で賛同者を多く集めるかです。仕切り直すにしても、そのような点を踏まえて、案を練り直すべきだと思います。1記事につき、最低でも10分は集計に係ると思います(集計が合わないと何度もやり直しになります。参加者に1stチェックをやらせるにしても、手間すぎて参加障害になりそうです)。寄せられる記事数を考えると、集計に休まず数週間になりそうです。2ndチェックをやりたい利用者がどれだけいるのかです。期間も長すぎるかもしれません。中弛みとか考えると、2~3ヶ月に押さえる方がと思います。現実路線よりな案をと思います。--Taisyo会話) 2019年12月8日 (日) 15:34 (UTC)、修正--Taisyo会話2019年12月8日 (日) 15:35 (UTC)[返信]
  • コメント 点数制の大会については、これ以上僕からコメントはできませんが、代替案である「出典の補強が求められている記事」について、依頼と提案に新たに出典関連の依頼系ページを作成して、出典の提示および出典情報の補強を呼びかける、と言う案でどうでしょうか?--ディークエステン会話2019年12月8日 (日) 23:34 (UTC)[返信]
反対 あくまでもご自分が議論を主導しないと気が済まないということですね。それはそれとして、
>WP:WEBREFで必須となっている情報が抜けている出典が多数ある記事を報告して出典情報の補強を求める
さて、だれがその報告と補強をするのでしょうか。
ほかでもなく『他の方が出典情報の補強を行っている編集をあまり見ず、結果的に僕が補強している』と主張したのは、あなた自身でしょう(もっとも、この発言自体、いったいどういう調査に基づくご発言だか存じませんが。出典が整備されている記事について、最初から整備されているのか、他の方が出典補強をした結果なのかについて、いちいち履歴を確認して回っているわけではないでしょうに。気づいた範囲で出典を補強している方なら一定数いるのではないかと思いますが、そういう方々に対してあまりにも失礼な、思い上がった発言ではありませんか)。
他の方が出典整備していないと主張する一方で、報告してくれる人なら何人も現れるとか、報告しさえすれば出典整備する方々が現れるという見通しをなぜ持てるのかが分かりません。
紙媒体の情報なら、地元の図書館にない等の理由でやむをえずTemplate:要ページ番号などを使い、他の方の協力を仰がねばならないという事情は理解できます。しかし、ウェブ上で見つかる(=報告者自身が容易にアクセスできる)情報について、報告だけして修正を他人任せにしなければならない必要性がどれだけあるのでしょうか。--Sumaru会話2019年12月9日 (月) 03:49 (UTC)[返信]
  • コメント (ディークエステンさんへ)思い付きの提案を繰り返して他の利用者を振り回すのはそろそろご遠慮ください。熟慮の上で発言される事を強く要望します。--掬茶会話2019年12月9日 (月) 03:56 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: Sumaruさん宛) 「報告しさえすれば出典整備する方々が現れる」と言うのは、そのような出典を見つけた方が報告用ページに報告して、報告ページで見た手の空いている方が出典の情報を補強しに行く、と言う例しか見えません。そもそも僕自身もそのような出典が多すぎれば、労力と編集競合のこともあって全てを一気には修正することができず、誰かに助けてほしかったのです。「他の方が出典情報の補強を行っている編集をあまり見ず、結果的に僕が補強している」発言も、僕が出典を補強していた記事において、そのような例が多かったことから、他もそうではないかと言う思い込みから前出の発言につながりました。「他の方が出典情報の補強を行っている編集を全く見ないので、出典の情報を補強しているのは僕しかいない」と言う前提で発言したつもりはありません。--ディークエステン会話2019年12月9日 (月) 10:38 (UTC)[返信]
コメント 正直いまひとつかみ合わないと感じますが、
>僕が出典を補強していた記事において、そのような例が多かったことから、他もそうではないかと言う思い込みから前出の発言につながりました。
つまりご自分のごく限られた範囲での体験に基づく『思い込み』を盾に、他の方々の「ハンデはいらない」とする発言の拒否という問題行動に出ていたわけですね。
>労力と編集競合のこともあって全てを一気には修正することができず、誰かに助けてほしかったのです。
編集競合のリスクなど、誰にでも(今こうして書いている私のコメントにだって)付きまとうものであって、理由説明になっていません。Template:工事中を使うなど方法はいくつもありますし、ご自分は編集競合が嫌だからといって、ほかの人にそのリスクをなすりつけようなど、自己中心的すぎます。
ほかの方が出すかもしれないので、1週間程度様子を見ますが、だれも出さないようなら貴方に対するWikipedia:コメント依頼を出すことになると思います(正直申し上げて、この井戸端の議論と貴方の会話ページ、それと前回のコメント依頼だけで、いきなりブロック依頼に持ち込んでも許される事例だろうとは思ってはいますから、1週間後に履歴の精査と文案づくりを始めてみて、その内容次第ではコメント依頼を飛ばす可能性もなくはありません。先んじてどなたかがコメント依頼を出す場合には、その方向性を尊重しますが)。--Sumaru会話2019年12月9日 (月) 15:58 (UTC)[返信]
  • 返信 (利用者: 掬茶さん宛) このような結果になった以上、もう提案例は思いつかないので、掬茶さんを含めて僕の新たな提案に引きずり込まれる事はありません。では意見に対する返答なら続けても良いのでしょうか?今回の一件でコミュニティからの信用が修復不可能なほどに完全に失ったので、何を言っても理解してくれることはもう無いかもしれませんが。--ディークエステン会話2019年12月9日 (月) 10:38 (UTC)[返信]

コメント - Sumaruさんが例示されたページ番号の欠落などはその出典を持っていない限り即座には対応できないため、情報補強を呼び掛けることに意義があります(ただし{{要ページ番号}}と{{ページ番号}}の場合、使用した時点でその記事がCategory:出典のページ番号が要望されている記事にカテゴライズされるため、別段依頼ページや報告ページを必要としません)。しかし、ディークエステンさんがこの場で例示されたウェブ出典のタイトルや配信元、配信日などの確認は即座に行えることであり、それこそ依頼ページなどに報告したり、テンプレなどを作って貼ったりする暇があるならその手間をそのまま情報追記に回せば済む話でしょう。ただ一つ、リンク切れに関してはアーカイブが確保できず代替出典を必要とする場合もあるため、{{リンク切れ}}タグを付けて第三者の協力を求める事があると思いますが。--ButuCC+Mtp 2019年12月9日 (月) 13:44 (UTC)[返信]

  • 報告 掬茶さんによって、コメント依頼を飛ばして僕に対する投稿ブロック依頼が提出されました。これ以上本件の議論および意見に僕が関わることはできないようなので、今回の件からは手を引くことになります。僕の利用者ページにて、本件に対する謝罪を行いますが、何を言っているのか分からない人間の言い訳になるのか、ある程度の申し訳ないという気持ちは読み取れるものになるのか分かりませんが、報告をしました。--ディークエステン会話2019年12月9日 (月) 22:23 (UTC)[返信]
  • コメント Bonfire12さんへ。あなたは、Wikipedia:投稿ブロック依頼/ディークエステンにてディークエステンさんを「自暴自棄」「半狂乱」等と評しておいでですが、貴方はこの場の議論でいち早く賛成票を入れ、その後も(IP氏の物言いもどうかとは思いましたが)ディークエステンさんを擁護する論陣を張って積極的に後押しした立場なのですから、この場でも賛成票を撤回するなり、彼の行き過ぎを諫めるなり、ブロックに賛成票を入れる前にやれることや、やらねばならなかったことがあったはずですが、違いますか? 少なくとも私の目には、ディークエステンさんほどでなくとも、貴方の言動も十分不誠実なものに映ります。--Sumaru会話2019年12月10日 (火) 03:25 (UTC)[返信]
  • 返信 (Sumaruさん宛) 私のコメントを読めば分かるかと思いますが、賛成したのはあくまで「大会の開催」です。その票について撤回するつもりはありません。また、確かに行きすぎを諫めることもできたかもしれませんが、自分がこの議論の迷走に気づいたときには既に複数の利用者によって注意がなされていました。そこにさらに参戦してもあまりメリットはない(よってたかって責め付けるみたいで……)と考えたため、あえてなにも言いませんでした。そのうちにブロック依頼が提出されたので、そちらでコメントしたまでです。--Bonfire12会話 / 履歴2019年12月10日 (火) 03:51 (UTC)[返信]
    • 返信 (Bonfire12さん宛) 大会の中止をディークエステンさんが独断で言い出して1日半ほどになりますが、それでも「大会の開催」への賛成を撤回しないというのは、貴方が提案を引き継ぐということでしょうか、それともこの提案は廃棄して代わりとなる大会の開催をご提案なさるのでしょうか。その辺の意思表示もせずに沈黙を守っておきながら、そちらよりもブロック依頼でのコメントを優先するから、突然手の平を返したように見えるのですよ。--Sumaru会話2019年12月10日 (火) 04:08 (UTC)[返信]
  • 返信 (Sumaruさん宛) 誤解を招くような行動をとったことについては、皆様にお詫びいたします。また、代替大会については行う予定はありません。そもそも私が投じた票はディークエステンさんが大会を推進しているという前提で意味をなすものですから、その前提が崩れた今となっては撤回したところで何かが変わるわけではないと思いますが。--Bonfire12会話 / 履歴2019年12月10日 (火) 04:39 (UTC)[返信]
    • 然し、提議者たるディークエステン氏がWikipedia日本語版からは編集者として去る御意向を示された以上、斯く成る上は、大会開催に積極的に賛同されて居られるBonfire12氏とセロン氏に仕切りを委ねるより他に如くは無いと存ずるが、如何であろうか。疾く準備せねば間に合わぬ。--202.219.154.7 2019年12月10日 (火) 04:43 (UTC)[返信]
    • 返信 (Bonfire12さん宛) 前提が崩れ、意味をなさなくなった票なら撤回するのが筋のはずでしょう。ところが撤回しないと明言なさった。「撤回したところで何かが変わるわけではないと思いますが」とのことですが、議論の趨勢に影響するかしないかではなく、問われていたのは貴方の誠実さなのですよ。ですので、不誠実という評は特に撤回しないどころか、その印象はさらに強まりました。--Sumaru会話2019年12月10日 (火) 04:53 (UTC)[返信]
  • (賛成)ウィキペディアにおいて、出典は非常に重要なものであり、それを補強することは大変役立つと考えます。提案者云々については、この大会の開催自体に反対する理由にはならないと考えます。ただし、ディークエステンさんだけ特別扱いする必要はないでしょう。--Reiwa period会話2019年12月10日 (火) 07:07 (UTC)[返信]
  • コメント Wikipedia:議論が白熱しても冷静にをお読みください。--せちせち会話2019年12月10日 (火) 12:51 (UTC)[返信]
  • コメント 大会とかは全然興味ないのですが、余談的なことを。新規項目を作ったとき、
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}

って自動では作られないのですね。それで本文中に脚注を付けられず、やむなく「==参考文献一覧==」を作ってそこに書き足したり、「編集内容の要約」に出典を書き入れて一安心(?)する初心者ユーザが多いようです。全くの新規で立項した場合もそうですし、既に立項されていて「reflist」が入っていない項目に追記したい場合もそうなってしまう。特にモバイル編集の場合、全体のソースが開かれないようなので、若い人には致命的に難しいようです。「reflist」が入っていない記事を抽出して、リダイレクトクッションページやカテゴリページなどを除外して、「reflist」を挿入するbotとかあると便利なのかもしれません。今日だけで数十個、手作業で差し込みをやってちょっと疲れました。--タピオカヤスジ会話2019年12月16日 (月) 00:10 (UTC)[返信]

新規提案 (スピンオフ単発プロジェクト)

火中の栗を拾う決心でやってきました、ProfessorPineと申します。既に多くの皆様から上がっているように、私もディークエステンさんの原案およびノート上での修正案に反対です。

とは言え、あれこれ議論にばかり時間を費やしても、記事の質がちっとも上がらないのでは困ってしまいます。そこで「大会」ではなく、修正対象を明確に絞った「単発のリンク切れ修正プロジェクト」に形態を変えたスピンオフ企画を提案します。

実は日本の法令を掲載しているe-GOV法令検索システムがドメインを刷新した結果、大量のリンク切れを起こしています。「プロジェクト:日本の法令」で問題が発覚してから2年が経過してもなかなかリンク切れが減らず、一部はBot作業で置換できたものの (@Yuukin0248さん運用Botのおかげ)、いまだに1000件程度残っています。どうしても手作業以外の方法がないため、修正プロジェクトを単発で企画しました。ぜひこちらの「募集要項」をご一読の上、ご参加下さい。

蛇足ですが、この企画をわざわざこの場に持ち込んだ意図だけ述べておきます。出典関連の修正は、以下にパターン分類できると思っています。

  1. 記事内容を理解している人が検証可能性や特筆性、中立性、および著作権法遵守の観点から出典の不備を直すパターン (Assemblykinematicsさんがご指摘の内容)
  2. 定型・大量の単純作業であり、Botで修正可能なパターン
  3. 定型・大量でありながら、Botでは対応できず人海戦術に頼らざるを得ないパターン

ディークエステンさんの原案の一番の問題点は、スキルレベルがまちまちな参加者が、自ら修正対象を探してきて修正し、その貢献を公平に審査しようとするからだと思うのです。つまり、本来は1番目のパターンは高度な執筆・調査スキルがある人しか手を出せないのに、それを大会の材料に含めることにムリがある。そして、このようなスキルがある人は、大会なんぞなくても通常運転で地道に対応しているはずです。

むしろどんなスキルレベルの人でも対応できるが、量があって面倒くさい3番目のパターンであれば、大会的な企画には向いていると思うのです。自分の部屋を掃除するのは面倒でも、町内一斉清掃のイベントがあれば、チームワークで和気あいあい楽しく掃除できてしまう、みたいな。しかも、修正対象が絞り込まれているので、各人の公正な定量・定性評価もしやすい。ディークエステンさんの原案は得点制が根本的な問題なのではなくて、評価対象がバラバラだから必然的に得点システムも複雑化してしまうんですよ。

ということで、趣旨にご賛同頂ける方はぜひ、e-GOVリンク切れ対応の企画にご参加下さい。いったん、応募一次締め切りは12月20日 (金) 23:59 (JST) に仮設定しております。--ProfessorPine会話) 2019年12月13日 (金) 08:45 (UTC) ⇒誤字・脱字修正。--ProfessorPine会話2019年12月13日 (金) 09:27 (UTC)[返信]

報告 修正企画の作業を開始しました。進捗表 (Yuukin0248さん作) や修正サンプル (Assemblykinematicsさん作) などもご用意してあります。ご自身の好きな記事だけ、好きな数だけ無理ない範囲で結構です。是非ご協力下さい。というか上で議論に参加していた人たちは、単に風紀委員や議論をやりたいだけで、記事の質向上そのものには興味ないんでしょうかね?? なんだかちょっと残念です。--ProfessorPine会話2019年12月21日 (土) 04:31 (UTC)[返信]

コメント 少し気になったので、僭越ながらコメント申し上げます。
  • 12月1日から12月31日まで加筆大会が行われていますし、12月下旬は年の瀬で(Wikipedia外で)忙しい人がほとんどのため、時期が悪過ぎではないかと……。ディークエステン様の案では準備期間を置いた上で数か月以上の期間を想定していたため、参加表明はしやすかったと思います。今回のe-GOVリンク切れへの対処は明確な期限は定められていないものの、一方的に12月20日から開始と宣言されたため、参加者が集まる方が不思議なぐらいです。
  • 当初ディークエステン様が提示された大会に比べ、作業内容の観点で参加の敷居が高いのは否めません。ディークエステン様の案は得点システムは複雑だったものの、作業自体は日付を追記するだけだったり、URLだけのものにページのタイトルを付けるだけだったりしても構わないため、初心者でも気軽に参加表明できたと思います。e-GOVリンク切れへの対処は指定事項が多く、公布や施行の日付についての作業指示もあったりするため、二の足を踏む方々がいても致し方ないのではないでしょうか……。
  • Wikipediaは往々にして「自分がやらねば誰がやる」といったスタンスで編集されることが多いと思います。誤情報や無出典の記事に見るに見かねて修正したり、削除依頼が出されて記事を削除されないように加筆をしたり、手間がかかり誰も手を付けなさそうな雑草とりに勤しんだりと、見るに見かねて編集する……といったことが多いです。そういった観点からしますと、既にゴールが見えてしまっているこの企画は「自分が手掛ける必要はない」と思って参加する気が起きにくいような気もしています。
  • このような雑草とり作業は、これまでは気が付いた個人が淡々とこなしていたと思います。テンプレートエラーを見て淡々と膨大な記事の修正をされる方、リンク切れの出典をアーカイブにして下さる方など、そういった方々は特に不満を述べることもなく使命感で頑張っておられたと思いますし、そういった姿は感謝ウィキラブ感謝賞という形で評価されていました。あまりうまく言葉にできませんが、大会といった形には違和感を感じる人もいるのかもしれません。
  • 記事の質向上という観点からすると、この作業の優先順位は低いと言わざるを得ません。外部リンクのリンク切れは確かに不便ですが、出典については一度は法令を参照して記述されており、リンク切れであったとしても元々の法令が提示されているために出典の信頼性としては問題がありません。それよりも誤情報が掲載されていたり情報が古いままの記事の更新、信頼性に乏しい情報源が出典になっている記述の出典置き換えなど、優先されるべき「記事の質向上」はもっとあると思いますので……。
さしあたって著作権侵害プライバシー侵害への対処や、WP:BLPに反した記述の修正などに比べて、緊急性は低いと思います。953件も対象記事がありますし、気長に取り組んでいただけたらと願う次第です。以上、ご参考までに……。--Assemblykinematics会話2019年12月21日 (土) 23:49 (UTC)[返信]

報告 募集要項のページを一部移動したため、上述のリンクを差し替えました。再掲しますが、新しい募集要項ページは「プロジェクト:日本の法令/e-Govリンク切れ対応」になります。その後、参加者数も順調に増えていますが、作業量が多いので引き続きご参加お待ちしています。ちなみに一回作業に慣れれば、そこまで難しい内容でもありません。今のところ特にエラーも起きていませんし。--ProfessorPine会話2019年12月25日 (水) 02:06 (UTC)[返信]

コメント 徐々に参加者が増えているようで良かったです。性同一性障害の編集では条文とは関係ない箇所もついでに編集してしまっため、サンプルとしては不適当かもしれません。他の方の編集で良いものがございましたら、適宜差し替えていただければ幸いです。
なお、実際に少し編集してみて思ったのは、外部リンクの修正は簡単ではあるものの、出典の差し替えは(以前にこの部分が編集された後に)条文が変更されていないか確認する必要があり、その点で少し手間がかかりました。自分が手掛けた「性同一性障害」や「准教授」は以前に条文を読み込んだことがありましたし、条文が引用として掲載されている場合は比較しやすいのですが、そうでないケースでは手間取りそうでした。
本作業について、ProfessorPine様は上の方で
3. 定型・大量でありながら、Botでは対応できず人海戦術に頼らざるを得ないパターン
に分類していらっしゃいましたが、実際はこれに加えて
4. 出典の情報が更新されていないか確認が必要で、場合によっては新情報に修正しないといけないパターン
に重なるような気がします。もっとも、手に負えなさそうな場合は見送ったり他の方に相談したりすればよいことですので、大会・プロジェクトの推進自体には差し支えないと考えます。また、本企画ではProfessorPine様が確認をして下さいますので、心強い体制だと思います。
あと、ディークエステン様が提案されたコンテストも、この観点に気を付けていただいた上で、そういった修正も(できる範囲でやっていただいたり、助言可能な人がバックアップできたりする形で)含めるのであれば、実施してもよかったのではないかと思った次第です……(広い意味での「出典強化」大会という感じでしょうか)。--Assemblykinematics会話2019年12月28日 (土) 05:05 (UTC)[返信]
  • コメント Assemblykinematicsさんからのご意見のほか、修正一次作業が半分近く済んだ現状を踏まえ、中間報告致します。この手の企画はやはり、
  • (A) 実績ある世話人が複数いて、ハンズオンで関与すること
  • (B) 参加者が気軽に相談したり、相互に学べる環境があること
  • (C) 個人の手柄を競うより、チーム全体で目標設定すること
の3点が重要だと感じました。これはディークエステンさん原案だけでなく、現在開催中の Wikipedia:第2回加筆大会 への批判も含みます。
まず (A) ですが、今回のe-Gov案件では、法学の記事をそれなりの品質で執筆した経験がある私と、Wikipedia:Bot作業依頼で数々の修正を手掛けてきたYuukin0248さんの2名が現時点で世話人を務めています。スタート当初から、作業者さんが修正した案件を世話人がサンプリングですぐに内容チェックし、不備があれば修正して作業者さんにフィードバックするよう心掛けました。これにより、手戻りを最小化して品質の底上げができたと思います。一方、第2回加筆大会などを見ていると、大会開催中に世話人が成果物の中身をチェックしていないようです。私がざっと見ただけでも複数本、加筆の方向性を軌道修正すべきと感じたものがありました。大会終了後に外形的に記事本数をカウントするだけが世話人の役割なのだろうか?と疑問に思いました。
さらに(A) 世話人からのトップダウンだけでなく、(B) 参加者同士が横から学びあう場と雰囲気があったのも良かったと思います。修正方法の疑問点や工夫した点があれば、ノートページ、ないし進捗表上に書き込んで頂きました。そのため、世話人が当初用意した作業手順だけでなく、プラスアルファで代替となる出典を探してきて下さるなど、自然と全体の品質向上につながりました。
(C) ですが、Yuukin0248さんが作成して下さった進捗表は、チーム全体のモチベーション向上に寄与していると思います。ディークエステンさん原案や第2回加筆大会は「個人が競うマラソン型」であり、一方e-Gov案件は「みんなでタスキをつなぐチーム駅伝型」の違いです。自分があと1本多くやれば、チームみんなの負担が軽くなるので頑張ろうという気にさせてくれます。そしてチーム駅伝型の方が、Wikipediaの志向する「共同作業で創り上げるプロジェクト」に適っていると考えます。
井戸端上で同時期に「加筆大会定期化の提案」や「翻訳大会やってみませんか?」といったトピックが議論されていますが、今後大会などを企画される方がおられましたら、過去類似ケースとしてベンチマークして頂ければ幸いです。引継ぎも兼ね、「e-Govの修正ポイント別サンプル」もレパートリーを増やしておきましたので、ご参照下さい。--ProfessorPine会話2019年12月31日 (火) 04:29 (UTC)[返信]

2019年12月に多く作成された愛知県春日井市関連の記事について

2019年12月に愛知県春日井市関連の記事がいくつか新規に作成されました。{{工事中}}2週間は長すぎるのではという声(会話ページ、目安としては72時間=3日間)や、大学関係の多重アカウントではないか(会話ページ利用者ページ)といった懸念の声が上がっております。

当方としましては、以前にWikipedia:井戸端/subj/2017年1月末に多く作成された福井県関連の記事についてで相談させて頂いた時と同様、学校の課題か何かだと考えております。前回は、大学関係のコネクションをお持ちの方々がお声がけ下さり、当事者さま方に連絡して頂いた経緯がございます。振り返りますと、オンラインで各利用者に対し個別に対応するよりも、オフラインで連絡を取った方が有効であると感じました。今回は削除依頼の連発など喫緊の問題は生じていないようですが、もし当方の予想通り大学関係のものであった場合は、コミュニティとの協調を図るという意味で、可能でありましたら彼らに指導・助言などして頂ければと思います。よろしくお願いします。

--Qurren会話2019年12月13日 (金) 11:55 (UTC)[返信]

(情報)本件の責任者と思しき利用者:Kyanagiy会話 / 投稿記録 / 記録氏よりコメントがありました(会話ページ差分)。学生らに春日井市関連の充実に当たらせていたそうで、サンドボックスで下書きしてから立項するようにとの指導が行き届かず、このような結果になったそうです。過去の2019-02-02 ウィキペディアタウン in 春日井 Vol.12019-07-28 ウィキペディアタウンin春日井の実績を踏まえての活動でしょうか。改善の意思表明がありましたので、当方としましては当面の間、各記事の動向を注視したいと考えております。お騒がせしました。--Qurren会話2019年12月14日 (土) 14:24 (UTC)[返信]


2019年12月19日作成分です。

--Qurren会話2019年12月21日 (土) 01:16 (UTC)[返信]

以上は問題なしと判断しました。--6144会話2019年12月28日 (土) 05:01 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点は記事名には適用されませんか?

私が竹島 (島根県)という記事は、日本政府の立場になったときの表現であり、Wikipedia:中立的な観点に違反しているから解明しようといいました。

すると、そらみみさんという方は「中立性に関する方針は内容に対するもので、タイトルに対するものではありません。」と言いました。

記事名はWikipedia:記事名の付け方で書かれている以下の5項目を満たせば、中立的で貼る必要はありませんか?

認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事からリンクできるもの)。
曖昧でない - できれば、記事名が重複してWikipedia:曖昧さ回避が必要になることを避ける。
簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、括弧内を短く保つことは必要です)。
首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。

--片割れ靴下会話2019年12月15日 (日) 01:28 (UTC)[返信]

コメント 「解明しよう」は「改名しよう」の間違いでしょうか。また、「中立的で貼る必要はありませんか?」というのはTemplate:観点を冒頭に貼るということでしょうか。記事名は一つに絞らざるを得ないため、タイトルが中立的でないという理由でこのようなテンプレートは貼るのは適切ではないような気がします。最終的には認知度が高く見つけやすい名称、もしくは正式名称が優先されるはずですので……。もし記事本文に世界的な観点からみて偏りがあるようでしたら、それに対してテンプレートを貼るのは認められると思います。
なお、「蘇岩礁」という記事があり、これは大韓民国と中華人民共和国で領有権が問題になっています。そのため、記事名も中国での呼び名である「蘇岩礁」と韓国の呼び名である「離於島」、(古いかもしれないけれど)国際的な呼び名「ソコトラ岩」で議論になっていました。ノート:蘇岩礁/過去ログ1を参照していただければ分かりますが、「ソコトラ岩」は中立的には問題ないかもしれないけれど現在はあまり使われておらず、認知度や見つけやすさという観点から問題がある、かといって「蘇岩礁」と「離於島」は認知度や見つけやすさで明確な差がなく、甲乙付けがたい……ということで決着が付かず、現状維持が続いています。ご参考までに……。--Assemblykinematics会話2019年12月15日 (日) 02:09 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディアではこれまでの記事名に対する中立性の話題はいくつかありましたが、概ね記事名の付け方にある『記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。 』を満たした上で、中立的にできるならそれに越したことはないというところです。中立性に拘った結果、記事名の付けた方の原則を無視するなら、それは認められないでしょう。そもそもウィキペディアで求められている中立性とは、記事名ではなく、記事内容において、今回であれば「竹島という名称があくまで日本政府の立場であること」「韓国では独島が正式であること」「中立に拘る場合は世界的にはリアンクール岩礁と呼ばれていること」が明記されているのであれば、中立的な観点を満たしていると考えます。そもそも「記事名が〇〇」だからといって、ただちに「○○が正式名称」あるいは「〇〇が正当」であることを意味しません。
過去に有名な議論だと、Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名についてがありますが、まあ、今も有名どころだと小田原征伐甲州征伐があるし。--EULE会話2019年12月15日 (日) 02:18 (UTC)[返信]
(追伸)そもそも中立性は島の所有権に掛かる話題であって、仮に韓国領であろうと、日本語としては一般に「竹島」と呼ばれる島であって、そこは何も関係ないです。スペインは、原語では「エスパーニャ」が正式ですが、それを「スペイン」と日本が呼んでいるからと言って、スペインは日本領ではないです。ロシア語で「サハリン」を今も日本では「樺太」と呼んでますが、これは中立性に反すると思いますか?--EULE会話2019年12月15日 (日) 02:39 (UTC)[返信]
(追記)元議論を読んで、片割れ靴下氏としては「竹島」という名前よりも、「島根県」が入っている方を気にしているのに気が付きましたので、その点では上記のコメントは的の正中を外しているので参考程度としてください。私は島根県が入っていても問題はないと思いますが。--EULE会話2019年12月15日 (日) 02:52 (UTC)[返信]
コメント 中立的な観点は記事名の付け方にも影響を及ぼすことがありますが、それを理由に記事へのアクセスを阻害するような記事名の変更は本末転倒でしょう。件の島について、日本語で最も一般的な名称は朝鮮語の「独島」でも島を発見したフランス船に因んだ名前の「リアンクール岩礁」でもなく「竹島」であり、かつ島根県に所在することから、現在の記事名は日本語版ウィキペディアとして最も適切な名称と考えます。英語版はen:Liancourt Rocks、朝鮮語版はko:독도、日本語版は竹島 (島根県)、すべて違う名前ですが何の問題もありません。現在発生している政治的問題が発生する前から、件の島は「島根県の竹島」です。--茶でもすするか会話2019年12月15日 (日) 02:20 (UTC)[返信]
コメント 改名を提案なさった片割れ靴下さんは、中立性の意味をそぐわない場所に無理に付与させようとしているように感じます。韓国語版では「독도」(独島)という記事名で、実際そう呼ばれている島は、日本語では「竹島」という言葉で広く一般的に浸透しており、曖昧さ回避の括弧内に一番簡潔で区別のつきやすい語である(島根県)とすることは便宜上何ら問題のないことです。そして曖昧さ回避の括弧内は、同じ記事名との間で混同せず最も見つけやすい単純な語を選ぶのが本筋なので、その括弧内に便宜上以外の意味を持たせた文言をごちゃごちゃと回りくどく入れる方がガイドラインに違反することとなります。政治的な対立のあることや呼称に違いのあることは、その記事内で詳しく書けばいいことであり、記事名の曖昧さ回避は、基本的にそういった類を付与させる場所ではありません。--みしまるもも会話2019年12月15日 (日) 03:16 (UTC)[返信]

井戸端を眺めていて目についたのでコメントします。竹島・독도の記事名は、日本語話者の多くが日本人あるいは日本在住者であり、韓国語話者の多くが韓国人あるいは韓国在住者であるという事情で、日本政府と大韓民国政府が公式名称としている竹島と독도になっているのだろうと思います。このへんは日本語韓国語共に使用者数がそれなりに多いものの世界的に見れば公式言語としている国の少ないローカルな言語であることが反映していると思います。--106.181.216.224 2019年12月15日 (日) 23:06 (UTC)[返信]

コメント WP:JPOVの問題を考えるにあたっては、日本中心主義の問題と、日本中心主義の問題とは分けて考える必要があると思います。当サイトは世界的観点が求められますが、ウィキペディア日本版でありますので、日本中心主義は許容されませんが、日本中心主義はむしろあるべき姿だと思います。「竹島_(島根県)」という項目名のうち、「竹島」の部分につきましては、ある特定の島をどう呼ぶかという日本語の問題です。これについては将来国際司法裁判所がその島を韓国領と認定しようともその島が水没しようとも、その島のことに言及する日本語の資料の大半が「竹島」と呼称している以上、日本語では「竹島」と呼ぶべきでしょう。世界的には"Japan"(あるいはそれに類似の単語)と呼ぶことが多い土地のことを日本語では「日本」と呼ぶことと同じように、土地の呼び方も言語によって変わるというだけのことだと思います。これに対して(島根県)という括弧書きについては、このような括弧書きをすれば通常の日本語の用法として「竹島は島根県に属している」と解釈することが通常であるうえに、Wikipedia:記事名の付け方#地名でもそのような趣旨での括弧書きが推奨されていますから、これは単なる言語ごとの呼び方の違いの問題を超えてこの項目の重要テーマである論争に関して特定の観点のみを推していると受け取られてもやむを得ないものだと考えます。従いましてこの項目の命名者の意図がどうであれ括弧書き内部だけに関して言えば中立性の問題があるというご指摘は賛同できるものです。それではどのような記事名にすればよいかについてはノート:竹島 (島根県) で申し上げました通りです[3]。--Henares会話2019年12月16日 (月) 08:22 (UTC)[返信]
  • コメント 「中立的な観点」は記事内容についての方針であり、記事名に「中立性」を求めることはウィキペディアのポリシーにはありません。現にウィキペディアには差別的、政治的、思想的、疑似科学的、性的など「偏った」記事名が許容されています。また、「曖昧さ回避」は記事競合を避けるための便宜的な手段であり、そこに中立性や説明性など新たな意味を加えることを求めていません。
具体的には、当該記事のノートですでに支持があるように、本記事を代表的なトピックとして「曖昧さ回避」しないのがいちばんかと。本記事と競合する「竹島」が知名度やその他の点で同列とは考えられませんし、これ以上の議論を重ねる必要もなくなりますから。仮に曖昧さ回避のための別の候補を探すとしたら、個人的にはカッコ内を「リアンクール岩礁」あるいは「独島」とするのもありだとは思います。これらは分野的な用語ではありませんが、他に適当なものがないときの例外的なケースとして、木綿 (ゆう)を紹介しておきます。これは読みで区別しているわけです。
繰り返しますが、曖昧さ回避は便宜的なものです。この点、現状の「島根県」でも目的は果たしているわけで、その背景まで思いやって中立的でないとか、地理的な項目名にあえて係争問題を持ち込みたいなどのご意見はなかなか受け入れられないでしょう。--みっち会話2019年12月21日 (土) 03:01 (UTC)[返信]
  • 一般論としてコメントいたします。Wikipedia:中立的な観点には、「相互補完的で議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とあります。そのため、そもそも「Wikipedia:記事名の付け方にないから記事名は中立的でなくて良い」などというのは見当違いです。「曖昧さ回避は便宜的」「現状の『島根県』でも目的は果たしている」としても、中立的な観点は絶対です。たとえWikipedia:曖昧さ回避が「そこに中立性や説明性など新たな意味を加えることを求めてい」ないとしても、中立的でなくてよいことにはなりません。全てのガイドラインの根本となるのがWikipedia:中立的な観点を含む三大方針五本の柱であり、そして、中立的な観点という方針に違反するガイドラインは認められません(Wikipedia:方針とガイドライン)。たとえ書いていなくとも、中立的な観点を守ることは方針で定められていることですから、行わなくてはなりません。繰り返しになりますが、「記事名に『中立性』を求めることはウィキペディアのポリシーにはありません。」は誤りだと考えます。「記事内容についての方針」とありますが、記事名は「内容」には含まれないのでしょうか。記事名あってこそのウィキペディアですから、含まれると考えます。曖昧さ回避の括弧内にある言葉は中立的な語句を採用すべきです。--Reiwa period会話) 2019年12月24日 (火) 09:15 (UTC)修正いたします。--Reiwa period会話2019年12月25日 (水) 10:55 (UTC)[返信]
  • コメント 検証可能性が記事名それ自体では担保できないように、中立性も記事名それ自体では担保するのは不可能なのではないでしょうか。中立性って、単純に論争の両方に理解を示して記述することではないですよね。WP:NPOVに則って相対的な勢力差を示したり、帰属化したり、ということをしようとすれば、中立的ではあるかもしれませんが冗長になり、記事名(見出し語)としては役に立たなくなってしまいます。科学的に一般的な単語は現代科学の視点に依拠していますし(地球球体説を前提にした地球の自転など)、一般的な歴史用語は特定の地域や主体に偏っていることがほとんどです(ロシア視点であるタタールのくびきなど)。差別用語(ニガーなど)や多くの政治的主張(働けば自由になる)なども全く中立的ではない語ですが、百科事典に採録されるべき概念です。そうした記事の執筆に制限がかかるようだと、困ります。記事名においても中立性は完全に無視すべきではないかもしれませんが、適用すべきでない場面が多くなるでしょう。--Vindlys会話2019年12月25日 (水) 15:12 (UTC)[返信]
    • 「竹島」の問題は、表記自体(この島をどう呼ぶか)が主要な論争と関わっており、どの表記に正統性があるかの論争が(現実社会でもWikipedia上でも)生じているという事例だと思います。「ニガー」は別の表記とどちらにするか揉めているわけではない(もしかすると別表記もあるかもしれませんが、その点が主要な問題とは言い難い)ので、少し性質が異なるでしょう。 --2001:240:241E:C2C2:69EE:336C:EBE3:C89D 2019年12月30日 (月) 09:03 (UTC)[返信]
  • 井戸端なので、具体的な特定記事の話題ではなく、一般論として論じている方が多いでしょう。竹島の記事については中立性を重視しよう、ということでもよいのかもしれません(そこは判断しません)が、記事名が中立的でなければならない、ということが一般化されてしまうと、発端とは無関係な様々な記事で問題が起こります。「ニガー」のより中立的な別表記は黒人やネグロイドでしょう。「肌の色の濃い人々」を指すという意味では。ただ、対象は同じでも含意が全く異なります。中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事は全て是正されなければならない、という相当な影響のある話だと思うのですが。--Vindlys会話2020年1月1日 (水) 06:58 (UTC)[返信]
返信 (Vindlysさん宛) Vindlysさんがおっしゃっている点は、Wikipedia:完璧な記事の問題のように思います。完全な中立を達成することが難しいということは記事名だけでなく記事本文においても頻繁に発生することです。そのときに、中立性を60%から80%まで向上させようとする提案が提示されてのに、100%完璧な中立性ではないからと言って対案も出さずに中立性を20%向上させる提案を拒絶することを認めてしまっては、実質的にWikipedia:中立的な観点による改善をほとんどすべて拒絶できることになってしまいます。自分たちで改善できる部分だけは改善しておいて、無理だったものは後の世代のウィキペディアンたちに任せよう、ということです。これは中立性だけでなく検証可能性でも独自研究でも、あらゆる記事の不完全さに当てはまることだと思います。なお、検証可能性を記事名それ自体で確保することは可能です。例えば私がやったことがある事例ではニカラグア事件#cite_note-10。検証可能性の確保する方法として<ref>もっとも一般的ではありますが、要するに読者が情報源を検証できれば良いことでありますので必ずしも<ref>を付ける方法にこだわる必要があるわけではありません。もっとも、記事名の出典は通常は定義部の出典が兼ねることとなりましょうから上記のようなやり方が必要な場面はそれほど多くないでしょう。また上記の記事における私のやり方よりも好ましいやり方が存在する記事もありましょうが、それはWikipedia:利用案内などを利用するなどして他の利用者の助力を仰ぐべき場面で、中立的な観点を適用するかどうかの問題とは異なるように思います。--Henares会話2020年1月1日 (水) 08:28 (UTC)[返信]
そもそもの話で申し訳ないのですが、記事名に適用されるべき中立性とは何なのか、私にはよくわかりません。前述の通り、本来的な中立性の確保には基本的に文字数を費やす必要があり、それでは見出し語としての記事名との相性がよくないです。現時点でのWP:NPOVは記事名における中立性のあり方を指南してくれていないです。Henares様やReiwa Period様にとっては自明なのかもしれませんが、ゴールが不明、そこに到達するための方法論も不明(Henares様の仰る記事名における検証可能性の確保の方法は、中立性の確保には適用できませんよね。記事本文の記述で記事名の中立性が確保されるのであれば、竹島の記事の記事名は竹島(島根県)でも独島でも同等の中立性を確保できるのですから、議論の必要がないはずです)、影響する範囲は非常に広い……、この状態で。「中立性が20%(別に数値はどうでもいいですが)向上します」と言われましても、「本当に向上するのでしょうか?」という疑問の方が先に立ってしまいます。これも繰り返しですが、中立性を無視してよいとはもうしません。両立できればそれはすばらしいでしょう。が、百科事典の見出し語としての機能を十分に果たすためには、記事名においては簡潔明瞭で一般的であるべしというWikipedia:記事名のつけ方の基準の方が中立性よりも優先されるべきだと思います。Wikipedia:完璧な記事の問題とはそういうことではないでしょうか。--Vindlys会話2020年1月2日 (木) 15:57 (UTC)[返信]
Wikipedia:空が青いということに出典は要らないWikipedia:空が青いということに出典は要るのように一方を守ればもう一方を守れないというものではありませんので、Wikipedia:記事名のつけ方と中立的な観点は両方守らなければならないものであって、どちらか一方だけを守っていればよいというものではありません。これは記事名の付け方と中立性のどちらが優先されるかという二対立構図のお話ではないと思います。そのほかの点につきましては、やはりWikipedia:完璧な記事の問題と、上記にて申し上げました「一般的なやり方が不能であるのならば別のやり方を模索すればよい」という問題に帰着するお話だと思います。例えばニカラグア事件#cite_note-10についても、検証可能性だけでなく、きわめて不完全な形ではありますが中立的な観点が求める異論の併記を実行できている側面もあると個人的には思っています。考えるべきは、中立化のために何かしようとするときに現状と改善案のどちらが中立なのかということではないでしょうか。完璧な中立は実質不可能でありますので、そういった改善案を繰り返していった結果どのようなゴールにたどり着くのかは私たちが検討する意味はないと思います。一般的には「中立性の確保には基本的に文字数を費やす必要」があるのだとしても、Wikipedia:中立的な観点に書かれているやり方だけを見てもそうはならないやり方があるはずですよね。やり方に関する細かい文言を個々に引用することは控えますが、一般的なやり方ができないのであれば別のやり方で同じ目的を目指せばよいのだと思います。独自研究を排除しなければならない以上中立は私たちの考え方の中間を採用することではなく、出典の質・量を考慮して違うことを言っている出典に書かれている情報を中立に扱うべきということになります。従いまして中立性が向上するかどうかは、出典に書かれている情報を公正に判断しようとする意志がある限り出典からある程度客観的に判断できることであります。提示されている出典を読み込めば判断できますし、判断できない案件であるのならば、そもそも調査が足りていないか、または出典の正常な意味を独自研究により歪めようとしているか、ということになりましょう。記事名に限られない話題に波及してしまっていますので、これ以上は私から何かを申し上げるよりも各文書に書かれていることをお読みいただいた方がわかりやすいかもしれないと思っています--Henares会話2020年1月3日 (金) 04:42 (UTC)[返信]
コメント 横から失礼 Wikipedia:完璧な記事が示す「完全に中立」においても、「最も一般的な観点は、どんなものであれ、強調され、極端に少数派の観点は強調されません」と説明されており、これはWikipedia:記事名の付け方における「信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの」に符合すると思います。Wikipedia:中立的な観点が説いている「中立」とは、換言するならば、「出典に基づく各観点の適切な重み付け」であると考えられるのですが、その微妙な重み付けをするには、記事名という非常に限られたスペースでは不足であり、記事本文で重み付けするしかないでしょう。また、前述の通り、「日本語版ではWikipedia:中立的な観点にもWikipedia:記事名の付け方にも、記事名における中立的な観点の考え方が載っていない」今の現状では、私もVindlysさんに同じく、記事名に適用されるべき中立性とは何なのか、理解の仕様がないと言わざるを得ません。Henaresさんの仰る「記事名における中立性」の理想的な定義も、「中立性の向上」の基点やベクトルも、その実践に際しては曖昧さを多分に含むものと思われます。「中立性」そのものに対する観点や解釈も利用者ごとに多様である(むしろ、その状況こそ全体として不偏不党の状態であると思われる)以上、Henaresさん個人の私的認識のレベルを越えて、それをjaWPの共通認識として合意するのは困難を極めるでしょう。--Doraemonplus会話2020年1月3日 (金) 12:52 (UTC)[返信]
ご理解いただけなかったのならば残念です。現実問題として括弧の内外を問わず「記事名に中立性は不要」というご意見に合意を得られる見込みがないことはこの議論の内容から明らかでありましょう。そして記事名の中立の必要性を主張する利用者はこれからも現れるでしょう。そして意見不一致ならば「交渉の余地はない」。そうなったときに記事名の中立がよくわからないとおっしゃっていたVindlysさんがお困りになるのではないかと思いましたので私なりの説明を善意でさせていただいたつもりです。わからないとおっしゃる方には抽象的な方針解釈を申し上げるよりも「自分がどうやって記事名の中立を目指してきたか」という経験則を説明したほうがわかりやすいかと思いましたので、私的認識が含まれていたことは確かでしょう。Doraemonplusさんに対しても私なりの説明はさせていただきましたし、これでご理解いただけなかったとするならばもはやこれが私の説明能力の限界であります。お二人のご理解の有無に関わらず「記事名に中立性は不要」というご意見に合意が得られていない点には変わりがありませんし、方針などに合意もなく「記事名に中立性は不要」と書かれることもなければ、交渉の余地がないことも変化するわけではありません。これから方針や他者が書いた記事をお読みになることでVindlysさんとDoraemonplusさんがご理解くださる可能性は大いにあると思いますが、残念ながらそうはならなかったとしても方針をご理解いただけない利用者は残念なことに常に発生することで防ぎようのないことであります。お二人にご理解いただけなかったのだとしても私自身は自分がどうやって記事名の中立を目指してきたかは理解していますし、お二人のご理解の程度に関わらずコミュニティの意見や方針の内容が変わることはありませんので、方針が直接的にそのように変化しない限り私の記事名の中立性に関する意見は変わることはありません。私は方針説明係ではありませんし、ご理解いただけなかったのならば残念というだけですね。--Henares会話2020年1月4日 (土) 01:13 (UTC)[返信]

(インデント戻す)私の理解が追いついていないのだと思い、コメントを読み返してみました。私も「記事名には中立は不要」とは考えませんが、記事名の選択に関する具体的な判断基準であるWP:CRITERIAを飛躍して、抽象的な「中立的な観点」論の解釈を展開したところで、実際の記事名の命名時に中立度を高めることには大して寄与しないのではないかと思います。実際のところ、記事名を付ける際に第一に依拠すべきは抽象的な理念よりも具体的な判断基準です。無論、具体的な判断基準(WP:NC)にはWikipediaの基本方針(三大方針)が反映されているべきです。そこで逆にお尋ねしますが、Henaresさんは現行のWikipedia:記事名の付け方について、WP:NPOVの精神が反映されていないとお考えでしょうか。私は先に述べた通り、「完全に中立」の説明に「符合する」と考えています。記事名の中立を達成したいとの御意志自体には一応の理解を表しておきますが、記事名を付けるとき、NPOVを中心に追及する姿勢では、しばしば現実離れした命名議論になりがちです。客観的な視点など存在しないからこそ、中立を保つために記事内容では、観点の偏りを含むかもしれない各論を併記することになっている(前述されたニカラグア事件#cite_note-10も、記事名自体での対処ではなく、記事内容中に併記する形での対処法であり、こちらに該当する)のですが、記事の命名においては、複数の記事名候補から一つ選ぶという性質上、別名の併記が認められていません。元来、命名行為は執筆行為とは性格(判断の優先順・傾向)を異にするGreenland4氏談を参考)ものです。そのため、記事名に関して中立ということは、各論の併記方法の話ではなく、必然的に記事名の選択基準の話に論点が絞られることになります。どんなに多様な呼称があったとしても、最終的に記事名は1つに絞らなければならないという点で、各論併記を旨とするWP:NPOVとはアプローチが根本的に異なるのです。「中立的な観点」に偏重して、一般的でない記事名を選択しては、検索の利便やリンクの作成しやすさが損なわれるため、本末転倒です。大切なのは、「相互補完的」とされる三大方針のベストバランスを記事名と記事内容の両輪で実現することだと思います。このような認識が利用者間で共有されない限りは、記事名の中立の議論を続けても平行線をたどることになりましょう。--Doraemonplus会話2020年1月4日 (土) 08:02 (UTC)[返信]

もうコメントしないつもりではあったのですが…。私は「JPOVの精神」などというものについて述べた覚えはありませんので、「Wikipedia:記事名の付け方について、WP:NPOVの精神が反映されていないとお考えでしょうか。」と問われましても、私には何のことを問われているのかわかりません。Doraemonplusさんは「私も「記事名には中立は不要」とは考えませんが」とおっしゃいました。そうであるのならば、この議論の論点について少なくとも私たち二者間では大筋で意見の不一致はないように思うのですが。もちろん別人格である以上何から何まで意見一致などということはあり得ませんが、この場でそのようなレベルまで私たちが意見を一致させる必要があるとは思えませんし、議論の主題について大筋で意見一致が見られたからには、これ以上この議論において私たちが意見を交わす必要はないと思うのですが。--Henares会話2020年1月4日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
  • コメント 紹介 日本語版ではWikipedia:中立的な観点にもWikipedia:記事名の付け方にも、記事名における中立的な観点の考え方が載っていないのですが、本家(英語版)にはen:Wikipedia:Neutral point of view#Namingおよびen:Wikipedia:Article titles#Neutrality in article titlesという解説文が存在しています。前者の出だしをざっくりと訳すと、「一般的には中立的な用語が好ましいが、明瞭さとはバランスを取らなければならない。名称が、信頼できる情報源(特に英語で書かれているもの)において広く使用されていることで、読者によく認知されていそうならば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用してよい。」と説明されているようです。この井戸端の話題を機に、日本語版にもこのような解説文書を用意することを検討してみるのもよいかもしれませんね。--Doraemonplus会話2019年12月30日 (月) 15:02 (UTC)[返信]
  • コメント 竹島についての議論で申し上げたことをより一般化して申し上げます。「A」という記事についてαという考えとβという考えが対立しているという検証可能な情報源が提示されている場合、(α)という括弧書きをするとAのことをβだと信じている読者にとっては曖昧さ回避の役には立たない可能性が生じます。(β)という括弧書きについてもαだと信じている読者にとって同様の問題が生じましょう。しかしα派とβ派双方がAのことをγだと信じていれば、(γ)という括弧書きはα派β派双方にとって曖昧さ回避の役に立つでしょう。括弧書きの中立性が損なわれるということは曖昧さ回避の機能をも損なわれる可能性があるということです。確かに完全な中立は困難なことではありますが、その点はWikipedia:中立的な観点/FAQ#客観的な視点など存在しないの問題と考えています。中立的観点と曖昧さ回避の都合のどちらか一方しか考えないでいいというご意見があるようですが、複数の方針やガイドラインが存在する場合にはどちらか一方だけを守っているだけでは不十分で、そのどちらも守らなけれなばなりません。導入部では三大方針に加えてWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)も守らなければならないことと同じように、括弧書きについても三大方針に加えて考慮しなければならないことがあるというだけのことだと思っています。中立的な観点は適用されることについて「交渉の余地がない」とされるWikipediaの最も根幹的な部分です。そのようなものであっても全面的に適用されないという合意があるのならば不適用でも良いかもしれませんが、現にこうして適用されるという利用者が相当数存在しています。これでは「交渉の余地がない」とされる方針の適用を排除するにはあまりにも「交渉」になってしまっています。それでも括弧書きから中立的な観点の適用を排除したいということであるのならば、Wikipedia:記事名の付け方に「括弧書きには中立的な観点は適用されない」などと誰の目から見ても明らかな直接的な文言を書き加える同意を得るなどして、このような「交渉」の状態にならないようにしていただきたいと思います。そういった合意が得られないのならば、記事名の括弧書きにWikipedia:中立的な観点が適用されることについては「交渉の余地がない」ことだと考えておけばよいと思います。正直、個人的には三大方針を部分的にではあれ記事から適用を排除しようとするご意見が出てくること自体が異常な状況だと考えています。--Henares会話2019年12月31日 (火) 01:21 (UTC)[返信]
  • コメント Reiwa periodさんが言われる通り、五本の柱>方針、ガイドラインですよね。私はWikipediaは規則主義ではない(WP:BURO)から、この場合は記事名としてWikipedia:記事名の付け方(WP:NC)の5要件に沿う「竹島」がいいと思ったんですが、よく考えたらウィキペディアは規則主義ではありませんも、Wikipedia:記事名の付け方も、方針・ガイドラインであって、それを理由に五本の柱を破ることはできないという事になるんでしょうか(喩えて言うなら、「日本は立憲主義ではありません」って法律ができたら国会は憲法を無視していいのか的な)。どうしてもその点において筋を通すなら、五本の柱の5番目の冒頭、「上の4つの原則の他には、」を削ってしまえば、WP:BUROを必要に応じて五本の柱にも適用できるかもしれません。今後同様のパラドックス?が生じないよう、いっそのこと削ってもいいと思うのですが・・・まぁ流石に五本の柱そのものの改訂を提案できるほど経験がないので提案はしませんが。で、・・・上で述べた理由で、五本の柱を国で言う憲法と捉えるなら、下位規則たる法律、条例(つまり方針、ガイドライン)でこれを覆すことはできないのですが、そもそも中立的観点で記事名をつけるのは不可能、とゆーか不適切かもしれません。だって中立的観点は「どっちつかずの言い方(例えばリアンクール岩礁)」にせよと言うわけではなく、論争のある場合は双方の意見を書きなさいと言う意味でしたよね。その場合「竹島・独島」って事になるんでしょうか。でもそれなら複数の国が領有権を主張し出したらそれにつれてどんどん記事名が冗長になっていく。以前例の京アニ事件で、あの件を「放火」とするか、「放火殺人」とするかで議論(改名提案)が起きました。仮に犯人が「俺はやってない」と言い出したら、「京都アニメーション放火殺人疑惑事件」とかになるのでしょうか?あくまで百科事典と捉えれば、辞書的に正しい見出しは「竹島」だと思います(少々苦しい解釈かも知れませんが、五本の柱に当てはめるなら「ウィキペディアは百科事典です」準拠?)--Q8j会話2019年12月31日 (火) 02:30 (UTC)[返信]
  • コメント 英語版のen:WP:POVNAMINGに倣って、WP:NPOVという文書の中に記事名に関する事を明記する必要があるのかもしれません。英語版で「English」となっている部分を「日本語」に置き換えて挿入でしょうか--aki42006会話2019年12月31日 (火) 05:50 (UTC)[返信]
  • 報告 関連方針の改訂等に言及した利用者が複数いることを踏まえ、75568039版75568045版にてそれぞれ告知を行いました。不必要であれば差し戻して頂いて構いません。--Q8j会話2019年12月31日 (火) 06:38 (UTC)[返信]
  • コメント結論としては前述べた通りで「記事名の原則に沿った上で、中立性も満たせるならそれに越したことはない」ですが、この手の議論で三大方針が出てくると必ず抜ける点について指摘しておきます。中立的観点は言うまでもなく大事ですが、「検証可能性」と「独自研究はしない」も同等に大事な概念です。記事名の付け方の原則とは、三大方針でいえば「検証可能性」と「独自研究はしない」寄りの考えであって、中立的観点を厳守しようとして、一般的でない名称や、ユニークな名称にすることは、「検証可能性」や「独自研究はしない」に反する(厳密には「一般的でない名称」にするのも中立性の考えに反するけど)。今回の議論に限らず、中立的観点が論点になり、かつ三大方針だから厳守せよという話が出ると、たいがい「検証可能性」「独自研究はしない」の観点が欠落する傾向が見られるので、あえて申し上げておきます。--EULE会話2019年12月31日 (火) 07:28 (UTC)[返信]
  • コメント EULE氏に同意です。「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究をしない」の3つは「相互補完的」な方針であるため、一方を尊重したとき、他方が犠牲になる場合があるが、総合して全体がバランスよく保たれていればよいと考えるべきでしょう。記事名を付ける際の具体的な判断基準をまとめたWP:CRITERIAを見てみると、第一に「信頼できる情報源」における使用例を参考にすることを挙げています。この時点で、まず後2者の方針の適用は満足していそうです。さらに「中立的な観点」が求められる場面となると、異なる観点に立った記事名の候補が複数存在していることが想定されます。記事名における中立性に関する議論の解決策について、en:WP:NPOVTITLEでは、信頼できる情報源に由来する名称に基づく記事名(中立的とはいえないが一般的な名称)と、Wikipediaの編集者が考え出した記述的な記事名(一方的な判断を避けた記述的な記事名)の2通りに分けられるとしています。前者は「検証可能性」と「独自研究をしない」を尊重するがゆえに「中立的な観点」を犠牲にしており、後者は「中立的な観点」を満たすために「検証可能性」と「独自研究をしない」を犠牲にしているようです。日本語版の記事名の付け方のガイドラインは長きにわたり「一般的な名称」よりも「正式名称」(ショートカット名がWP:COMMONNAMEなのがまたややこしさを増している)を使用するよう推奨してきた経緯もあり、英語版のこの「中立的とはいえないが一般的な名称」という規定を日本語版にそのまま導入するわけにはいかなそうです(例:en:North Korea/朝鮮民主主義人民共和国)。典拠とする「信頼できる情報源」にしても、実際には各言語のそれに依存するため、英語の事例が日本語版の問題解決のためにあまり参考にならない可能性も考えられます。まずは、全言語版に通ずる基本理念を詳説したen:WP:POVNAMINGから導入することをお薦めしたいです。課題は山積していますが、2019年12月27日版の参考訳(下線部改変)を以下に記しておきます。--Doraemonplus会話2019年12月31日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
場合によっては、話題について用いられた名称を選択することで、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりません。信頼できる情報源(とりわけ日本語で書かれているもの)において広く使用されているために、名称が読者によく認知されていそうであれば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用して構いません。たとえば、広く使用されている名称である「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」は、たとえそれが判断を下したように見えたとしても、これらは当該の主題に対する正当な言及の仕方です。話題について使用する最もよい名称は、それが言及される文脈次第であることもあります。とりわけ当該の話題が主な論じられている話題であるときには、別名を挙げ、その用いられ方に関する論争に触れるのが適切かもしれません。この助言は特に記事名に適用されます。一般的な用法においては複数の用語が使われているかもしれませんが、記事名としては、記事名の付け方の指針に従って名称を一つだけ選択しなければなりません。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されません。たとえば、「デリー/ロンドンデリー」「アルミナム/アルミニウム」「地球平面説(地球球体説)」とすべきではありません。代わりに、別名は記事本文内の然るべき箇所に目立つように示し、適切にリダイレクトを作成してください。
名称というよりも、記述的な語句を用いた記事名もあります。記述的な記事名とする場合も、話題に対する賛否を表す観点を示唆したり、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをするべきです(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれません)。中立的な記事名を付けることは、複数の観点を促し、責任ある記事の執筆を奨励します。

--Doraemonplus会話2019年12月31日 (火) 14:43 (UTC)[返信]

  • コメント そもそも「日本語版」ということからしてすでに日本語POVなわけです。日本語中心から逃れられない。率直に言うなら、私は「中立的な語句」なんてものを信じません。正式名称だから、一般的な呼称だからといって、それが中立的であることの担保にはなりません。極論に聞こえるかもしれませんが、どんな記事名もなんらかの偏りを内包していると思っています。言い方を変えれば、中立的でないという難癖はどれでもつけることができる。そうすると、「記事名の付け方」と「中立性」との間で引き裂かれる事例が出てくる。そうならないために、記事名の付け方には「中立的な語句」などという表現が出てこないんじゃありませんか?
偏ったものを偏ったものとして表すのがウィキペディアの「中立性」でしょう。先にも述べましたが、ウィキペディアのカテゴリを見れば、「犯罪」、「侮蔑」、「スラング」、「日本のセクシュアリティ用語」、「差別」、「異端」、「疑似科学」、「悪徳」、「腐敗」、「欺瞞」、「嘘」、「誤り」、「無知」などなど、差別用語や罵倒表現、否定された発見や学説、廃れた思想、宗教的教義などありとあらゆる偏った語句が集められていることがわかるはずです。円周率は3とかもある。そんな記事名群も「中立的な語句」に修正するんですか? 記事内容をそのまま記事名にでもしますか。個別にしろ一般論にしろ、「中立的な語句」など空論だと思います。--みっち会話2020年1月6日 (月) 12:27 (UTC)[返信]

提案

提案 あまり出しゃばるつもりも当初はなかったのですが、くだんの「ノート:竹島 (島根県)」で、さかんにこの井戸端での議論を読むよう勧めてくださる方がおり、また私が当該ノートで発言したことをここで取り上げてくださった方もいらっしゃいますので、お邪魔させていただきます。率直な感想ですが、今回の議論というか騒動・悶着は起こるべくして起こったという印象をいだいています。つまり、マスコミでさえ「竹島(韓国名:独島)」と報道することが多いのに、いやしくも「Wikipedia:中立的な観点」を三大方針のひとつにしているWikipediaで「竹島 (島根県)」という領有権を一方的に主張するような見出しになっているのは矛盾しているんじゃないかという疑問です。ただ、「Wikipedia:中立的な観点」のページでは、「記事名についても中立的な観点が求められる」とは書いていなくて、本文に「この方針は記事以外のテンプレート、ポータルなどにも適用されます」、三大方針を図示した画像ファイルには「ウィキペディアの内容に関する三大方針」とあり、結局、「記事名」はその「など」の中、「内容」の中に含まれるかどうかが、たいへん曖昧です。私などは「Wikipedia:中立的な観点は記事名には適用されませんか?」「適用されませんよ」で(今では)納得してしまうわけですが、「『Wikipedia:記事名の付け方』はあくまでもガイドラインであり、いわば「憲法」である三大方針よりも法的に下位にある(=施行細則くらいの意味しかない?)」とか「三大方針では記事名を除外すると明言していないので命名についても中立性を何よりも優先すべきだ」という解釈も生んでしまいます。すでに「ノート:竹島 (島根県)」でも指摘しているように、記事名について「中立的な観点」を絶対なものとしてしまうと、およそあらゆる歴史上の戦争や領土紛争に関する記事は、「記事名が決まらない」という困った事態が発生します。「蘇岩礁」がそうであるように、すべての戦争・紛争は「当事者Aの立場」と「当事者Bの立場」(――まれに「他人事Cの立場」が加わることもありますが――)しかなく、「中立な立場」などというものがない方がむしろ普通です。なので、方針文書のページでハッキリと「ここでは記事内容についての方針を述べています。記事名については「Wikipedia:記事名の付け方」を御覧ください」とアナウンスすることを提案します。記事名については、中立性がたとえ配慮されるとしても、「認知度が高い、見つけやすい、曖昧でない、簡潔、首尾一貫している」の5基準よりもずっと優先順位が低いはずなので、まずはそれをハッキリさせ、そのうえで、たとえば「記事名における中立性への配慮」というような補足文書を付けてよいとは思います。それならば、ここでの話し合いもムダにはならないような気がします。--Greenland4会話) 2020年1月6日 (月) 13:14 (UTC)(文章訂正)--Greenland4会話2020年1月6日 (月) 14:07 (UTC)[返信]

コメント Doraemonplusさんが取り上げてくださった発言を繰り返しますと、私は「執筆」と「命名」は方向性においてはむしろまるっきり正反対の行為、すなわち「執筆」はいくらでも材料を並べて両論併記・括弧書きを駆使して中立性を高め、日本中心にならないよう諸外国からの視点も加えて信頼性を高めることができ、また、それが推奨されている行為なわけですが、「命名」はそうではなく、数ある候補のなかからベストな、ベストとはいえなくてもモアベターな(無難な)ものを取捨選択する行為であると考えています。片や材料は多ければ多いほどよいのに対し、片や「捨てる」行為をおのずと含むわけですから、判断の基準・ルールが違っていて当たり前。私はそう考えます。みっちさんの上の御意見にも賛同いたします。だいたい、子どもでもペットでも何でもそうですが、「命名」というのは最初から中立性をめざしておこなわれる行為ではありません。愛すべきものは愛すべきものとして、軽く扱うべきものは軽く扱うべきものとして…命名するわけです。個人レベルですでにそういうところから発しているのであり、それが社会性をもつ、周囲と共有するようになっても、その間、「中立性」によって修正されるとは限りません。その共有が日本語話者全体に広がっても、世代を超えて踏襲されても同じでしょう。それを経て定着した「元寇」という言葉にしても、「日本中心視点」以外の何物でもありません。モンゴルからみれば「日本遠征」です。しかし、日本語版ですから、「元寇」といえば一番わかりやすく見つけやすいから、それで問題ないわけです。「竹島」にしても「日本語では『竹島』というのだ」ということでよいわけです。「蘇岩礁」については「日本語には定まった呼び名はないけれど、中国語では『蘇岩礁』といい、なおかつ韓国当局も岩礁であることは認めているんだから『蘇岩礁』がモアベターだ」ということでよいのだと思います。ある意味、韓国名を採用したい人には諦めてもらうことを諒解してもらわなくてはならない(諦めてもらう理由が必要なら考えなくてはいけません)。しかし、「蘇岩礁」という見出しであったとしても韓国語で「離於島」であることまで否定しているわけではないわけです。ところが、たとえば「蘇岩礁 (山東省)」というような見出しだと、仮に必要あってそうしている場合でも、これは非常に軋轢・悶着を生んでしまう記名になります。そこで、もし「記事名における中立性への配慮」というような補足文書がつくられるのだとすると、そのなかで「係争地の地名については、基本的に、所在地を示唆したり、領有権主張を助長するように受け取られるような曖昧さ回避を避ける」というようなルールをつくってもよいかもしれません。--Greenland4会話2020年1月6日 (月) 21:29 (UTC)[返信]

コメント 記事内容に関係ない記事名になってしまっては、読者が記事を検索することが困難になります。内部リンクを書いても記事を識別することが困難になります。括弧書きも記事内容と無関係では曖昧さ回避はほぼ不可能となってしまいます。実際に記事内容と無関係な記事名はウィキペディアでは見たことはありませんし、個人的には他の百科事典でもそのような記事名は見たことがありません。なぜ記事名が記事内容ではないことになるのでしょうか。もしかして、記事内容と記事本文を混同していませんか?--Henares会話2020年1月8日 (水) 08:33 (UTC)[返信]
コメント 前半部分は何を言っているのかわかりませんけど、最後の方はわかります。「なぜ記事名が記事内容ではないことになるのでしょうか。もしかして、記事内容と記事本文を混同していませんか?」はわかります。まあ、そういうふうに解釈する人がいるから、「曖昧」と言ったのです。しかし、「記事=記事名+記事内容」と規定したところで、「記事内容=記事名+記事本文」と規定したところで、さほど変わらないでしょう。実際に、記事を書いて、新規に項目を立てている人はだいたい前者のように考えますよ。本文書いて、リンク貼って、テンプレート貼って、それに実際に記事名を付けますから。最近、「李鴻章狙撃事件」を新規に立てましたが、最後の最後まで記事名をどうするかについては迷いました(中立性ではなく曖昧さと認知度の部分で、ですが)。しかしまあ、「記事名」にも中立性が絶対に求められるとしたら、(1)たとえば「蘇岩礁」はまずいのではないですか? どうして、日本語版が中国政府の肩を持たなくてはならんのですか? 中立性に欠くように思うのですけど、HenaresさんのなかではOK なのですか? それから、(2)「三韓征伐 」などという中立性に欠くうえに「日本中心」そのものの記事名を許しておくのですか? あるいは、(3)「ニガー」などという差別用語をもっと穏当な表現に改めるよう、どうして「改名提案」しないのですか? しにいけばいいと思いますよ。たとえば(4)「フレンチ・インディアン戦争」という記事がありますが、これは、北米イングランド植民地人にとって「敵がフランス人とインディアンである」ところに由来する名前です。日本の記事名は英語そのままですが、当然、フランス語版では別の記事名です。何よりも中立性が優先されるのだったら、どうして日本語話者が100パーセント、イングランド人側・英語話者側に立って、フランス人を敵視しなければならないのですか? 「中立性」に反するじゃないですか? 私が列記したことにすべて答えられないのなら、みっちさんおっしゃるように「空論」ですよ。中立性がそれなりに配慮されなくてはいけないのは、置き換えが効く場合に限られるし、それだって「認知度」よりもずっと優先順位は下です。逆にいえば、認知度がそれなりにあるものだからこそ、人はもっとそれについて知りたいと思って辞書を引くわけです。そのあたりを突き詰めて考える人が少ないので、JAWPはいつまでたってもワキが甘いんじゃないでしょうか。そのあたり、みんなで考えて、方針文書の拡大解釈を防いだり、方針文書とガイドラインの隙間を埋めるような工夫ができればいいですね。--Greenland4会話2020年1月8日 (水) 10:55 (UTC)[返信]
コメント 前半部分はごくごく当たり前のことを申し上げただけなのですが。このような初心者でもわかりそうな検索や内部リンク当たり前の機能のことを言っても何を言っているのかご理解いただけないとなると、さすがにお話にならないですね。いずれにしましてもGreenland4さんの方針変更案の大筋に対してはすでにこの議論にもノート:竹島 (島根県)にも決して少なくない数の異論が書かれていますので、個人のご意見としては尊重しますが、方針変更案の議論としては合意不成立ということでよいと思っています。--Henares会話) 2020年1月8日 (水) 11:59 (UTC)訂正--Henares会話2020年1月8日 (水) 12:00 (UTC)[返信]
あれ、もうコメントしないつもりだったのでは? 「方針が直接的にそのように変化しない限り私の記事名の中立性に関する意見は変わることはありません」と断言なさっている方との議論は不毛でしょう。結論ありき。--みっち会話2020年1月8日 (水) 12:19 (UTC)[返信]
えーと…特に誰かと約束したわけでもなく、上記のDoraemonplusさんとの一対一に近いやり取りにおいてコメントしない「つもりだった」と申し上げると一切の発言を禁じられるのでしょうか。冷静にお願いします。「交渉の余地がない」「合意によって覆せない」ですから、結論ありきになるのは自然なことだと認識しています。確かに私の見解に対しても全面的な賛同が得られているとは思ってはおりませんが、みっちさんとGreenland4のご意見に対しても異論はあります。方針の変更の提案ですから、合意を得なければならないのはこの議論においてどなたでしょうか。このように反発するばかりで反対意見に対して配慮するおつもりがないのならば、それまでのことです。--Henares会話2020年1月8日 (水) 12:49 (UTC)[返信]
コメント「記事内容に関係ない記事名になってしまっては、読者が記事を検索することが困難になります」というのは、わけがわからないでしょう。一体どこの誰がそう言ったのですか。それから私は、別に、「方針変更案」なんてことは書いたつもりはなくて、「中立的な観点」というのは、それは確かに記事を書くうえでは絶対守らなければならないルールですよ。そこを変更する気なんかまったくないですよ。しかしまあ、「記事名に関しては適用されない」と考えるのが普通なんじゃないですか。言葉というのは、人文科学の場合は大抵「ある観点」から発せられるものではあるけれども、記事名で示されるのはせいぜい一観点であり、それが「中立的」とは限らないわけでしょう。現に「中立的でない言葉」は山ほどあって、上に掲げた4つは氷山の一角ですよ。「中立的な観点は記事名にも適用される」と考えるのはHenaresさんの自由だけれど、でも、実際には「蘇岩礁」ひとつ解決できないわけでしょ? そのへん、どう考えるかですよ。少し冷静になって自問自答してみてはいかがですか。--Greenland4会話2020年1月8日 (水) 13:52 (UTC)[返信]
閲覧したい記事内容にまったく関係ない語句で検索する人がいると思いますか?大半の方は常識としてご理解いただけるかと思いますので、ご理解いただけないならばもはやそれで結構ですが。記事に関する方針は論争を解決できるかどうかという論争の都合ではなく、記事名を含めた記事の品質向上のためにあるものです。Greenland4さんは私を含め他者の意見をお読みになっていますか?私一人だけが「中立的な観点が必要」と言っているのならばともかく、そうではないですよね。記事名に中立的観点が適用されるべきだと言っている利用者がこれほど存在しているこの状況で、そのように自己の言い分をおっしゃるだけで合意を得られると本気でお考えですか?正直、もはや「方針変更の合意は不成立」ということで閉じてしまってもよい議論内容だと思っています。--Henares会話2020年1月8日 (水) 14:22 (UTC)[返信]

(インデント戻します)Henaresさんが、どうしてそんなにムキになるのかがよくわからないんですけれども。私もまあ、「記事名については中立性を無視しろ」とは言っていません。むしろ、中立性に対する配慮は必要だと思っています。ただし、(1)係争地に関する記事名、(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの、(3)その用語を用いることによって異論が封殺されるもの、そのような場合に限ります。それ以外に関しては、「この言葉は中立的じゃないから排除すべきだ」(削除や改名の対象となる)という考え方には断固反対します。実際、私の反対があろうがなかろうが軍事や外交分野に関しては「中立的でない言葉」の方が多いくらいです。「認知度」を度外視してまで「中立性」が大事なわけではない、そういうことでいいんでしょうか。それならば、議論終了でも構いません。--Greenland4会話2020年1月8日 (水) 15:24 (UTC)[返信]

問題は、「Wikipedia:中立的な観点」には、「記事内容」(Henaresさんの言葉では「記事本文」)のことは書かれていても「記事名」のことにはひとつも言及がないということです。すべてがこれ、「執筆」にかかわる指針なのであって「命名」の参考になる部分はひとつもありません。したがって、具体的に記事名がどうあるべきかを知りたい人は、他ページをみるしかないわけです。Henaresさんおっしゃるように、「記事内容」に「記事名」が含まれているんだったら、「この方針には記事名も含みます」ということをちゃんと明記すべきだと思うのですね。そうでなかったら、「記事名については「Wikipedia:記事名の付け方」 を見ろ」と案内すべきでしょう。いずれにしても、不親切であることには変わりありませんよね。みなさんは、どうお考えになりますか? --Greenland4会話2020年1月8日 (水) 21:38 (UTC)[返信]

コメント 私もGreenland4さんとほぼ同じ理解です。大前提として、記事は記事名と記事内容が合わさって成り立っていると理解しています。Wikipedia:中立的な観点 (WP:NPOV) がCategory:記事の内容についての方針に分類されていることからも、これが記事内容に対する方針であることは間違いないです。方針文書中を隈なく探しても記事名に関する言及が全くなく、「記事名における中立」について具体的な理解の仕様がない点は、Greenland4さんや私に限らず、誰の目にも明らかかと思われます。ただし、方針改定論はこれとはまた別の問題で、今後もしもそういった機運が高まれば具体的な改定案をWikipedia‐ノート:中立的な観点で審議なさればよろしいまでの話です。また、WP:NPOVが示す「中立的な観点」とは、偏りも含めて多様に存在している観点を可能な限り取り入れて記事本文で各論併記することで全体として中立均衡を保つよう努力することを求めているわけで、間違っても唯一選ばれし名称たる記事名に全て記事の中立性を代表させる形で記事の中立を達成することを約束した規定ではないと考えます。さらに、ふつう記事名は信頼できる情報源(出典)に基づいて付けられるため、WP:NPOVと相互補完の関係を成すWP:VおよびWP:NORは当然満たすものと考えられ、出典(検証可能性)付きの命名ならば、三大方針は全体として均衡し、遵守されたとみなしてもよいのではないかと思います。実際の命名に臨んでは、WP:NCWP:JPEWP:AIMAIなど、特に優先して守るべき事項があるため、「中立的な観点」のみを突いてとやかく責め立てるのは「机上の空論」と言われても仕方がないと思います。命名の実践の場においては、Wikipedia:記事名の付け方 (WP:NC) に沿うのが最も現実に即していて、それらの事例がまたWP:NCにフィードバックされてベストプラクティス選にもなっているのが実情といったところでしょうか。--Doraemonplus会話2020年1月9日 (木) 09:35 (UTC)[返信]

コメント 追記 記事名という非常に限られたスペースで「釣り合いのとれた重みづけ」を行うのはどう考えても無理があるため、現行の「中立的な観点」と「記事名の付け方」とは折り合えないと思います。改定するとしたら、このような悶着を繰り返さないためにWikipedia:中立的な観点の適用対象を明記するぐらいが関の山でしょうか。--Doraemonplus会話2020年1月9日 (木) 09:46 (UTC)[返信]

コメント Doraemonplusさん、コメントありがとうございます。また、私の意見に御理解いただき、そのうえで、私の言葉たらずのところを補足・説明くださるなど親切丁寧な御対応に厚く感謝いたします。Henaresさんから御指摘があったのでもう一度みなさんの御意見を拝読いたしましたが、「Wikipedia:中立的な観点」の適用対象については、私の意見は、Henaresさんがおっしゃるほど異端の見解ではないと思いました。そらみみさん、Assemblykinematicsさん、EULEさん、茶でもすするかさん、みしまるももさん、みっちさん、Vindlysさん、Doraemonplusさんは、記事名についてはまず「Wikipedia:記事名の付け方」の方針にしたがうべきというお考えで、記事名の中立性に配慮することは否定しないまでも、それは限られた場面・限られた対象についてであるとの御見解と拝察いたしました。私自身も、みなさんの御見解に賛成です。それに対し、記事名についても「中立的な観点は絶対」という意見を支持されているのは、Reiwa periodさんと-Henaresさんのお二人だけと拝察しました。Q8jさんは、この問題にたいへん誠実に向き合われておられ、どのように考えるべきなのかの試行錯誤を率直に言語化されており、非常に示唆されること、学びとることの多いコメントだと感じました。ただ、Reiwa periodさんにしても、Henaresさんにしても、本当に「中立的な観点は絶対」と100パーセントそう思ってらっしゃるのかなという気はします。そう思っているのなら、くだんの「ノート:竹島 (島根県)」でも「リアンクール岩礁」がベストと主張されるはずなので、そうなさっていない以上、結局は、記事名については「Wikipedia:記事名の付け方」に依拠されているのではないかなと思います。もしそうであるなら、激論がかわされているようでいて、実際は、みなさんの御意見はそんなに違わないということですから、コンセンサスがとれそうな気がするのですが、いかがでしょうか。Doraemonplusさん御指摘のように「Wikipedia:中立的な観点」(WP:NPOV)は「Category:記事の内容についての方針」に分類されている一方、記事名の方は「Category:記事のスタイルについてのガイドライン」にカテゴライズされているのであり、「Wikipedia:記事名の付け方/鉄道」、「Wikipedia:記事名の付け方/日本の皇族」、「Wikipedia:記事名の付け方/ヨーロッパ貴族の記事名」もまた「記事のスタイル」に位置づけられています。内容から遊離した「記事名」があるはずないというのは、一般論ではそうかもしれませんが、ウィキペディアの方針・ガイドライン文書全体の体系のなかでは、記事名は「内容」じゃなくて「スタイル」の話、いわば「別の話」と位置づけられているわけです。「Wikipedia:中立的な観点」が「絶対的で交渉の余地のないもの」だとしても、そもそもそこでは記事名については何も語っていないのであり、何も語っていない相手に交渉も妥協もできる道理がありません。みっちさんおっしゃる「日本語POV」も、Henaresさんおっしゃる「日本語中心主義はむしろあるべき姿」も、つまりは同じことではないでしょうか。「中立性への配慮は不必要」という意見は少なくとも、私も含め、ここにお集まりの方のなかには一人もおられないようです。しかし、ここ以外にはいるかもしれませんので別途協議が必要でしょう。たとえば、「Wikipedia:記事名の付け方/(仮称)中立性への配慮」のノートページとかで。それに先立ち、ここではDoremonplusさんがおっしゃった、「Wikipedia:中立的な観点」の適用対象をどうするかについて、そのコンセンサス形成の話し合いを進めてはどうかと思いますが、いかがでしょう。--Greenland4会話) 2020年1月11日 (土) 00:56 (UTC)(文章・体裁一部手直し)--Greenland4会話2020年1月11日 (土) 01:12 (UTC)[返信]
ありがとうございます。いまちょっと考えがうまくまとまらないので、またコメントするかどうかわかりませんが、Greenland4さんのまとめでほとんど異議がないことだけとりあえずお伝えしておきます。ただ、チラ見した程度ですが方針類のカテゴライズは日本語版と英語版は違っているようなので、そこはあまり論拠にならないかもしれません。--みっち会話2020年1月11日 (土) 03:26 (UTC)[返信]
コメント コメントを総括してくださり、ありがとうございます。Greenland4さんのまとめ内容に概ね同意します。みっちさんがご指摘なさった方針類のカテゴライズについて、Wikipedia:記事名の付け方はガイドラインですが、en:Wikipedia:Article titlesはpolicy(方針)となっている関係上、言語版ごとに違っているのは当然かなと思います。Wikipedia:中立的な観点の適用対象については、上記したように本家では「記事名における中立」の考え方が示されている(zh:维基百科:中立的观点#条目命名など他言語版にも存在している)のを知ると、記事名を「中立的な観点」の対象から完全排除してしまうのはWikipediaの基本理念から外れるようで、正しいやり方ではないような気もしています。--Doraemonplus会話2020年1月11日 (土) 04:51 (UTC)[返信]
コメント お二人とも、コメントありがとうございます。今回の件では、日本語版では記事名に関しては「ガイドライン」の語を使用していることが、あらぬ誤解を生んだ根源なのではないかという気がするのですが、いかがでしょうか。英語版のように「記事名の方針」というふうに語句を直せば、記事内容に関しては3大方針・5本の柱、記事名に関しては認知度以下の5つの命名基準が5大方針ということになって、スッキリしますし、「3大方針>ガイドライン」というような勘違いは生まれないと思います。そして、そうしてはじめて「記事名における中立」というガイドライン(これこそ、「ガイドライン」と呼ぶべきではないかと思いますが)が生きてくるのではないかと思うのです。「記事名が常に完全無欠の中立性を備えていなければならない」というのであれば、そもそも「記事名における中立」は不要であり、蛇足です。実際、Doraemonplusさんが訳したうえで掲載しててくださった In some cases, the choice of name used for a topic can give an appearance of bias.場合によっては、話題について用いられた名称を選択することで、観点に偏りが見られるようになることがあります。)でも、「明瞭さ(認知度)」と「中立性」のバランスをとらなければならない、というところから説明をはじめています。「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」の例が掲げられていて、「ティーポット・ドーム汚職事件」についてはよくわからなかったものの、「ボストン大虐殺」については「ボストン民間人射殺事件」、「切り裂きジャック」については「1888年ロンドン娼婦連続殺人事件」というふうに言い換えた方が、中立的であるし、正確でもあるし、また、世界中のジャックさんに迷惑がかからないといったことはあるけれども、そういう記事名にしたら「何のことかわからなくなる」ということになって、事典の見出しにはならないということなのだと思います。ことばはしばしば一人歩きしてしまって、それ自体がひとつの現象になってしまい、後世に影響をあたえたり、今も議論の対象になったり、その謎を解き明かそうというモチベーションになったりする。そういうものとして人口に膾炙している以上、「中立的でない」という理由でこれを排除してはならないということでしょう。みなさんが掲げてくださった例でいえば「タタールのくびき」がそうであるし、私が掲げた「三韓征伐」もそうです。だから「記事名=中立」ではなく「記事名における中立」なのだと思います。そこで、3つの提案。(1)「記事名の付け方」(ガイドライン)を「記事名の方針」というふうに文言を改める、(2)「NPOV」冒頭文「中立的な観点 (NPOV、Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。これは、すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。この方針は記事以外のテンプレート、ポータルなどにも適用されます。」の次に括弧書きで「(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」というような案内をつけること、(3)「記事名における中立」の日本語バージョンを「記事名の方針」のなかの一節として設ける。この3つをあらためて提案します。なお、日本語バージョンの試作品は"利用者:Greenland4/第十二作業室"にアップしておきました。これは、開放いたしますので、加除や訂正をしてくださっても結構です。あくまでもたたき台です。いかがでしょうか。--Greenland4会話) 2020年1月17日 (金) 00:21 (UTC)(字句等微調整)--Greenland4会話2020年1月17日 (金) 04:17 (UTC)[返信]
コメント ひょっとして文書の名前を変更する提案ですか?文書の名前を「○○の方針」と変えれば方針になるという性質のものではないですよ。この議論で挙げられた「方針」文書の名前を見るだけでも明らかだと思いますが、念のため--aki42006会話2020年1月18日 (土) 02:04 (UTC)[返信]
コメント(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」という文言は今回の議論に一体何の関係があるのでしょう。Greenland4さんは「「この言葉は中立的じゃないから排除すべきだ」という考え方には断固反対します。[4]」とおっしゃいました。この点が今回の竹島の議論から続く意見不一致の核たる部分だと思うのですが。このお考えが議論を経た今も同じなのか変化しているのかについては今のところ私は問うつもりはありません。しかしこのお考えを方針に反映するのであれば「中立的ではないとの理由での改名は認められません。」という、はっきりとした直接的な言葉ではありませんか?「(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」という言葉はただ参照せよと言っているだけで、上記のようなお考えに関しては何も言っていません。これでは方針の最後に{{Wikipediaの方針とガイドライン}}書かれていることと重複することを書き加えようとしているだけで、方針の内容は何も変わらないと思います。もしかして、Greenland4さんのお考えをはっきりと表現した変更案では賛同を得られにくいとご自身がわかっているから、あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案しているということでしょうか。--Henares会話2020年1月18日 (土) 03:48 (UTC)[返信]
  • 返信 (aki42006さん宛) 「文書の名前を「○○の方針」と変えれば方針になるという性質のものではないですよ」とおっしゃいますが、英語版ではen:Wikipedia:Article titlesはpolicy(方針)となっているとのことであり、本来的には「方針」なわけでしょう。命名の実践の場においては、みなさんおっしゃっているようにWikipedia:記事名の付け方 (WP:NC) に沿うのが最も現実に即しており、実際には「方針」として扱われているわけですよね(HenaresさんとReiwa periodさん、片割れ靴下さんは少し違うお考えのようですが)。少なくとも、実際に記事の命名をおこなう初版立項者にとっては「記事名の付け方」は「方針」以外の何物でもないですよ。私は、英語版の方が筋が通っていると思いますがね。日本語版はアナだらけだし、問題解決の役に立っていないと思います。むしろ、記事を改名厨、削除厨のおもちゃにしてしまうような欠陥があると思います。命名において、認知度よりも中立的であることを優先するなどということは、英語版でも中国語版でも言っていないと思いますけれども。「ボストン大虐殺」」や「切り裂きジャック」の記事名は「中立的ではない」わけですが、日本語版では削除や改名の対象になるんでしょうか。Vindlysさんがおっしゃるように、中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならない、という相当な影響のある話ではないでしょうか。そういうふうに解釈される怖れが実際にあるわけだし、現に、今起こっている最中なわけでしょう。日本語版に固有なローカルな言葉使いを改めて、体系立ったものにしたら、全部解決する問題なんじゃないでしょうか。--Greenland4会話2020年1月18日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
  • 返信 (片割れ靴下さん宛) [5]←これを書いた方が、そうおっしゃられてもね。ハッキリ言うと、こういうことを言う人が今後も出てこないとも限らないからこその提案です。それとも、これを書かれたあと、お考えが変わられましたか。--Greenland4会話2020年1月18日 (土) 14:21 (UTC) [返信]
    • なんか勘違いしてませんか? そもそも中立性はウィキペディアにおいて最も尊ぶべき理念です。これを捨てたらもはやウィキペディアとは言えない神聖なものです。記事名「ごとき」がこの神聖な理念に違反できないと考えています。ですから、万一Wikipedia:記事名の付け方が方針となろうとも私は当該提案をしたでしょう。
    • そのうえで、Greenland4さんが荒唐無稽な(様に私には映った)提案をしていて、かつ私にメンションを飛ばされたので、「いや、それは違うでしょ」と申し上げている次第です。片割れ靴下会話2020年1月18日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
  • 返信 (片割れ靴下さん宛) 竹島 (島根県から北北西に約211キロメートルの地点にある島)という提案は、あまりまっとうには思えないのですけれどね。荒唐無稽なのはどちらなのか、コミュニティに判断を下してもらうしかないでしょうね。片割れ靴下さんからすれば、「ボストン大虐殺」」や「切り裂きジャック」は「中立的」なんでしょうか。それとも「中立的ではないから改善を要する」んでしょうか。どちらでしょうか。--Greenland4会話2020年1月18日 (土) 14:57 (UTC)[返信]
    • ボストン虐殺事件」」や「切り裂きジャック」は、世間でそう呼ぶように一般化されたものですよね。これらの呼称は完全に固定化されていて、少しでも変更を加えれば、主題がわからなくなってしまう恐れが多分にありますから、改名は難しいと思います。一方、南京事件南京大虐殺南京虐殺)のように、固定化されているとはいいがたいものに関しては、平穏で中立的な語句(i.e. 南京事件)を使うべきだと思います。また、一般論として、「虐殺」には殺し方の残虐性という主観が入っていて、あくまで個人の感想ですが適用は控えるべきだと思います。すなわち、もし仮に「ボストン虐殺事件」と「ボストン事件」という2パターンでの言及が大多数で、かつその一つが6:4程度でわずかに「虐殺」が上回る程度の場合、前者を適用せずに公社に曖昧さ回避「(1770年)」を付けた記事名を採用するというのが私の考え方になると思います。「切り裂きジャック」に関しては具体的にどのあたりが中立的でないのか文化的側面を存じません(例えば、ブラック企業という言葉の「ブラック」は黒人差別的意識から生まれたマイナス表現の「ブラック」であり、差別表現にあたると主張するウェブ上の記事がありました[6]が、これはちゃんと説明してくれないとわかりませんよね、少なくとも私達は黒人を差別する意図で「ブラック企業」という言葉を使っているわけではありませんから)ので、何とも言えません。片割れ靴下会話2020年1月18日 (土) 15:24 (UTC)[返信]
      • ところで、私個人・Greenland4さん個人の話になってくると、これはもう井戸端会議の場ではなくWikipedia:コメント依頼がより適切なのかなとも思いますが、どうなのでしょう?私はKoneさんのコメント依頼にしか参加したことがないので、あの辺の規則はよくわからないのですが……。片割れ靴下会話2020年1月18日 (土) 15:27 (UTC)[返信]
返信 単に「ボストン事件」と言ったら、何のことか不明瞭でしょう。多くの人は「ボストン茶会事件のことか?」と聞き返すでしょう。「ボストン虐殺」というのは、ハッキリ言ってオーバーだし、アメリカ側からみたプロパガンダなわけですけれども、そう言えば、その言葉は不正確だし、公正さに欠くと思っている当の本人(たとえば英国マンセーな人)にも「一発で伝わる」のですよ。この「一発で伝わる」というのが、記事名の場合、何より大事でしょうってこと。どうして、それがわからないんですかね? --Greenland4会話2020年1月18日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
なんかこれも勘違いされているみたいですが、「固定化されている」呼称に関しても無理やりな中立性担保を行えなどと私が主張したことはただの一度とてありませんよ?これも具体例で申し訳ないのですが、竹島/独島の場合、日本語(≒日本)での言及は圧倒的に「竹島」ですし、この箇所に関していえば明らかに固定化されているので、ここに関して異議申し立てを行ったことはありません。そのうえで、曖昧さ回避は完全にウィキペディア側の都合であって、ウィキペディア側の作為なわけだから、ここくらいは完全に中立的でいましょうよっていうのが私の主張です。今更ですが、私はGreenland4さんの「記事名の方針」案を読んでいません。わたくしがここに来たのは、「Wikipedia:記事名の付け方」は題名に「方針」が付いていないからなめられるんだ!英語版では方針文書に位置付けられているから日本語版のそれも本質的には方針なんだ!(いうまでもないことですが、全言語版共通の理念は5本の柱だけです。また、他言語版で方針であるからと言って、それが日本語版においても方針になるわけなどありません。他国で大麻吸引が反則金レベル(前科が付かない)としても日本においてもそうはならないことと同じです)と荒唐無稽な主張をなさっていてかつ私にもメンションが飛ばされたから参っただけのことでして、Greenland4さん作成の「記事名の方針」で中立性との兼ね合いがどのように記述されているかなど、はっきり言って知りません。片割れ靴下会話2020年1月18日 (土) 17:09 (UTC)[返信]
返信 (片割れ靴下さん宛) 「はっきり言って知りません」ということは、私の「中立性への配慮」(ないし「記事名における中立性」)に関しては、「反対はしない」ということの意思表明ととらえてよろしゅうございますか。そうであれば、ありがとうございます。また、「『固定化されている』呼称に関しても無理やりな中立性担保を行えなどと私が主張したことはただの一度とてありません」と明言してくださったことについては、本当にホッとしました。ありがとうございました。「竹島 (島根県から北北西に約211キロメートルの地点にある島)」への改名提案は、「無理やりな中立性担保」と感じる人は感じるでしょうし、記事名に関して「記事名の付け方」よりも「中立性」が優先されるという認識に立てば、それこそ「ブラック企業」は黒人差別だからやめろなどという言いがかりに口実をあたえてしまいます。「固定化されている」呼称、すなわち、認知度が高く明瞭なもの・置き換えが不能なものについては、「中立性よりも認知度を優先させる」ということで、よいわけですね。安心しました。中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならないという主張を含むのであり、それが許されてしまうと、ウィキペディアがポリティカル・コレクトネスを追求する場になったり、気にくわない記事を記事名にインネンつけて削除しようという荒し行為を助長することになるから、私も含め、みなさん、それを何より恐れているわけです。目的外利用者の跋扈ということを。片割れ靴下さんがそういう人でなくて、安心いたしました。「南京事件」に関する片割れ靴下さんの見解も、私の考えとほぼ同じであり、「固定化されているとはいいがたいものに関しては、平穏で中立的な語句」というお考えには、私としても異論はありません。私なりに付け加えれば、「南京大虐殺」のことばが何故好ましくないかというと、それが、現在も論争が続いているテーマに関わる用語であって、しかも「その用語を用いることによって異論が封殺される」からです。同じ「虐殺」のことばが使われていても、「ボストン虐殺」とは全然次元がちがう話なわけですね。そういうことまで踏まえておっしゃってくださっているのだとすれば、私と片割れ靴下さんとの見解の相違はほとんどないのかもしれません。一応、私も係争地の記事名に関しては「極力曖昧さ回避を避ける」「別名を組み合わせない」というような配慮・ガイドラインは必要だと思っていて、それは別途協議によって話し合われるべきと考えてはいます。--Greenland4会話2020年1月18日 (土) 22:37 (UTC)[返信]
  • 返信 (Henaresさん宛) 今回に関していうと、私の考えは全然ブレていないのですよね。「あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案している」つもりもないです。なぜ、そういうふうに感じるのか不思議でなりませんが。「中立性への配慮」が必要か不必要かということでいえば、「必要」だと最初から申し上げているつもりです。ただし、記事名に関しては「記事名の5基準」の方がずっと優先されるべきだと申し上げているし、中立性への配慮が必要な場合というのは、私のみる限り、(1)係争地に関する記事名、(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの、(3)その用語を用いることによって異論が封殺されるもの、この3つに限られるとも申し上げたはずです。英語版でも大体、同じようなことを言っているわけでしょう。「中立性も大事だけど、記事名に関しては明瞭さ(≒認知度・簡潔性)が大事だ。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されない。記述的な記事名の場合は、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをすべき(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれない)」というのは、マンマ私の申し上げているそのものなのですけど。で、Henaresさんや片割れ靴下さんが考えるように、「記事名」にとって「認知度」などよりも「中立性」が何よりも大切なのだとしたら、「Wikipedia:中立的な観点」には「この方針には記事名も含みます」ということをちゃんと明記すべきだと思うし、認知度などの5方針よりも「中立性」が最優先されるとハッキリ記すべきだと思うのですが。その点はいかがですか。これはReiwa periodさんにも伺いたいのですけれど。繰り返しますが、中立性を絶対的なものとして記事名に持ち込むというのは、中立的ではない記事名は全て是正されなければならないという当為を含むのであり、これは、決して軽視してはいけませんよ。くだんのノート:竹島 (島根県)でも、「NPOV是正目的の改名には絶対反対」という人が何人もいるのもそのためです。それが悪しき前例になるからなのです。私自身は「竹島 (島根県)」は「竹島」に改名しないよりだったら改名した方がよいとは思いますが、しかし、それは決して記事名における中立性を絶対視するからではありません。私の申し上げていることは、終始一貫していると思いますがね。--Greenland4会話2020年1月18日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
    • 私は、「認知度」と「中立性」は、どちらも重要であり、どちらも守らなければならないと考えます。もしどうしてもあちらが立てばこちらが立たない状態なのであれば、個別に議論して、適切な記事名を決定すべきだと思います。--Reiwa period会話2020年1月18日 (土) 22:08 (UTC)[返信]
  • 私は「Wikipedia:記事名のつけ方と中立的な観点は両方守らなければならないものであって、どちらか一方だけを守っていればよいというものではありません。[7]」と申し上げておりますのに、なぜ私が「「記事名」にとって「認知度」などよりも「中立性」が何よりも大切」などということを言っているとGreenland4さんはおっしゃっているのでしょうか。
(記事名については「記事名の方針」を参照のこと)」という文言が、例えば先日申し上げました「中立的ではないとの理由での改名は認められません。」などというGreenland4さんがおっしゃってきたご意見を示す意味の文章になっていないことはかなり初歩的な日本語の問題です。これで「「あえて言葉を濁した曖昧な表現を提案している」つもりもないです。」ということを本心からおっしゃっているならばGreenland4さん個人の日本語能力不足の問題かなと思います。わざわざこの場で文法語法を説明して両文の意味の違いを説明する必要はないでしょう。もっとも、ただ重複する文章を書き加えようとしているだけでGreenland4さんのご意見を正当化する意味の文章でないこともかなり初歩的な日本語の問題ですので、特に賛否もないです。
竹島の議論にGreenland4さんが関与を初めて割とすぐの段階で気付いていたことですが、以下はGreenland4(のサブアカウントである「Chokorin」)の2011年12月22日 (木) 07:39UTC発言[8]からの部分引用です。
たかが曖昧さ回避のために、「中立的な観点」や「検証可能性」といった記事内容の質を保証する方針が守られなくなることこそ、ゆゆしき問題といえるでしょう。
どこからどう見てもこの議論におけるご意見とは真逆。Wikipedia:中立的な観点が自分にとって都合がいいときは上記のように曖昧さ回避などよりも中立な観点を優先し、都合が悪いときは中立的な観点を無視または軽視するというのは典型的なダブルスタンダードでしょう。システム関係に疎い私でもすぐに気が付いたレベルですから、時間をかけて探せば上記のように記事名の付け方よりも中立的な観点を優先したGreenland4さんの発言はまだまだ他にもあるのではないですか?今回は名指しは控えますがGreenland4さん以外にも過去のご意見と矛盾することをおっしゃっている方は今回の議論で何人か確認済みです。
Greenland4さんに関してはWikipedia:コメント依頼/Chokorin 二回目20120315利用者名で指摘された諸問題が再発してしまっていると思っています。私も最近は何年も国際法関係の記事しか関わってこなかった利用者ですからGreenland4さんがおっしゃる外交分野の中立性の難しさ[9]はわからないではないですし、国益が対立する記事について改名を行ったこともありますが、これまで本件の改名議論ほど紛糾したことは一度もありません。議論参加者が出典を提示し、出典がない場合は意見を控えるということを自分が徹底していたからです。対してGreenland4さんはいかがでしょう。紛糾した改名議論は上記コメント依頼以降も経験はありませんか?何年も前から改名議論に対する参加姿勢を問題視されているのですから、外交という分野や他の利用者のせいにするのではなく、ノート:竹島 (島根県)でのご自分の行動について顧みていただきたいです。当該ノートだけでも苦言を呈したのは私だけではないはずです。--Henares会話) 2020年1月19日 (日) 03:17 (UTC)訂正--Henares会話2020年1月19日 (日) 03:19 (UTC)[返信]
返信 随分むかしの話を持ち出してくださってありがとうございます。ただ、「ダブルスタンダード」という御批判はあてはまらないと思いますよ。「小田原攻め(小田原合戦)」については、上でいえば、「(2)定まった用語がなくて候補がいくつかあり、それぞれの認知度に大差がなくて置き換えが可能なもの」にあたるでしょう。そこは中立性に配慮した方がよいと今でも思っています。当該記事をみればわかるように、参考文献に掲げられているのは「小田原合戦」ですからね。いまどき「小田原征伐」などという言葉を使う学者はいません。ただし、それは「三韓征伐」とはまったく次元の異なる話なのですよ。「三韓征伐」は置き換えは不可能なわけです。だから、「虐殺」とか「征伐」とかという言葉が「中立性を欠く」とか「不穏当である」ということで排除しようということではないわけです。言葉刈りをしようということではないのですね。私の申し上げていることは全然ブレてはいないと思いますが。ただ、9年前は、方針文書の体系に致命的な欠陥があるとは気づかなかったというのは、あります。その件についてはずっと私なりに考えてきて、いまの提案があります。はからずも、片割れ靴下さんの問題提起で再度、方針文書の体系の欠陥に気づかされたということです。決して自分の都合で言うことが180度ちがうということではないはずですね。むしろ、小田原での議論はちゃんと踏まえているからこその提案なのですが。--Greenland4会話2020年1月19日 (日) 04:23 (UTC)[返信]

(インデント戻します)話を元に戻しましょう。Reiwa periodさんも、Henaresさんも、私の問いに対してお答えくださったことに、まだ、お礼を申し上げておりませんでした。ありがとうございました。お二人とも、「認知度」と「中立性」は、どちらも重要であり、どちらも守らなければならないということでしょうか。基本的には、私も同じなわけですけれど、本ページの議題である「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」に即していうと、「適用される場合もあるし、適用されない場合もある」というのが、片割れ靴下さんも含むコンセンサスになっているかに思われますが、いかがでしょうか。「切り裂きジャック」や「ボストン大虐殺」、「ブラック企業」、「三韓征伐」、「タタールのくびき」のような、それ自体で人口に膾炙した明瞭なことば、片割れ靴下さんのことばで言えば「固定化されていることば」、置き換えが利かないことばは、中立性よりも認知度が優先されるというのが多数意見のようです。それに対し、南京大虐殺・南京事件、小田原攻め・小田原合戦・小田原征伐のように、固定化されていないもの、置き換えが利く場合は中立性に配慮した方がよい、ということだと思うのですが、それについてはどのようにお考えになるでしょうか。--Greenland4会話2020年1月19日 (日) 13:32 (UTC)[返信]

返信 お答えありがとうございます。「固定化されていないもの」「置き換えることができるもの」については、なるべく中立的な言葉をチョイスするという点では、Reiwa periodさんとのあいだに、対立点はないようですね。ただし、「固定化されていることば」に対しても中立的であることを求めるというのは、これは、なかなか影響の大きい御見解だと思います。「中立的でないことば」は常に、改名依頼、削除依頼の危機にさらされているわけですね。「竹島」が「リアンクール岩礁」に改名されることも将来的にはありうるということになるんでしょうか。だとすると、既存の記事については仮にそれでよいとしても、未だ立てられていない記事については何らかの指針か案内が必要なのではないでしょうか。「中立的でない記事名の記事は、方針違反の名のもとに削除されることもあります」というようなアナウンスがどこかで必要になってくるのではないかと思うのですね。そうであれば、「議論」なんかしたくないという人は、最初から記事を書かないで済むわけです。そのへんはいかがでしょうか。--Greenland4会話2020年1月19日 (日) 23:49 (UTC)[返信]
記事名に迷ったら、{{暫定記事名}}を貼り、ノートページで相談すれば良いかと思います。--Reiwa period会話2020年1月20日 (月) 07:30 (UTC)[返信]
  • コメントそれはタタールのくびきのように、用例が豊富かつ安定的な用語であっても、中立的でなければ正式なものとするために暫定記事名とした上で相談しなければならないということでしょうか。いくつか疑問なのですが、Reiwa Periodさんはご自身の主張で合意が形成された場合の影響範囲(現行の、あるいは将来的に立項される記事名の中で、中立性が犠牲にされているもの)はどの程度あるだろうと見積もられているでしょうか。また、無論ケースバイケースだとは思いますが記事名決定のための相談はどの程度スムーズに進むとお考えですか。私にはノートページでの相談や議論によって解決できる問題だとは思えないのですが。--Vindlys会話2020年1月21日 (火) 15:37 (UTC)[返信]
  • コメント「中立的でない記事名の記事は、方針違反の名のもとに削除されることもあります。記事名に迷ったら、{{暫定記事名}}を貼り、ノートページで個別に相談し、議論してください」というのは、いささか暴論ではないかと思います。その考えでいくとしたら、ちゃんと方針文書で断らなければダメでしょう。ウィキペディアは「議論のためのプロジェクト」でなくて、「百科事典作成のためのプロジェクト」だったはずですね。--Greenland4会話2020年1月23日 (木) 01:46 (UTC)[返信]
返信 aki42006さん、御教示ありがとうございます。私は少し勘違いをしていて、Naming(記事名における中立性)は「Wikipedia:記事名の付け方」の方に記載されているものと思っていました。英語版では「Wikipedia:中立的な観点」のなかで説明されているわけですね。ならば、日本語版もそれにならってよいと思います。ひとつ、疑問ですが、日本語版の「Wikipedia:中立的な観点」では、記事名に関してまったく言及されていないのは、何か理由があってのことでしょうか。ここに言及がないものだから、記事名に関してはもっぱら「Wikipedia:記事名の付け方」のみを参照するという人が多く(私もその一人なわけですが)、今回のような疑問が起こり、論争に発展しているのではないかと思います。私の3提案のうち、他の2つは却下してよいとして、(3)「記事名における中立性」の日本語バージョンを設ける(ただし、「記事名の方針」のなかの一節ではなく、「中立的な観点」の一節として)という提案をあらためて行いたいと思います。今まで「Wikipedia:中立的な観点」のなかで「記事名における中立性」が言及されていなかった理由のひとつに、例として掲げられていた「ボストン大虐殺」「ティーポット・ドーム汚職事件」「切り裂きジャック」が、英米の歴史に通じた英語話者にはピンときても、日本語話者には何のことかわからなかったという経緯があったのだとすれば、この議論のなかで出てきた「タタールのくびき」や「元寇」といった事例を引いた方がよいのではないかと思います。そして、これは感想ですが、なるべくなら「固定された表現」「慣用化されたことば」「認知度が高く、他に言い換えが不能なもの」に関しては、認知度や明瞭性を優先させるような表現にすべきではないかと思います。というのも、記事名に関してはもっぱら「Wikipedia:記事名の付け方」のみを参照するということが長年つづいてきたわけですし、また、「中立性」があまりにも絶対視されて、今後、改名提案・削除提案が頻発するのも好ましくないと思うからです。そしてまた、ある程度、ここでのコンセンサスも反映させた方がよいのではないかとも思うのです。いかがでしょうか。--Greenland4会話2020年1月23日 (木) 01:46 (UTC)[返信]
Wikipedia:中立的な観点」は、履歴を追ってみると、2012年9月17日のTondenh氏による改訂以降、内容的に大きな変更がほとんどありません。中には2003年ごろからほとんどそのままの形で放置されている部分もあるくらいで、#中立的な観点とは#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?など、内容の重複がみられる部分もあります。en:WP:POVNAMINGが作成されたのが2012年11月19日ですから、日本語版のNPOVの方針に記事名に関する言及が全くないのも無理のない話です。そこで、今回の「記事名における中立性」問題をきっかけとして、WP:NPOV全体を最新の状況にあわせて再構成するべく、en:Wikipedia:Neutral point of viewを念頭に個人的に検討を開始しました。近日、改訂草案をWikipedia‐ノート:中立的な観点のサブページあたりに提起しようと思います。--Doraemonplus会話2020年1月23日 (木) 03:46 (UTC)[返信]
返信 Doraemonplusさん、ありがとうございます。やはり、カスタマイズの部分がひじょうに疎かであったということだったわけですね。よくわかりました。10年来の不備が補われようとするその現場に立ち会えて、何だかとても嬉しいです。Doraemonplusさんの改訂草案が今からたいへん楽しみです。一応私もお目汚し程度のものをつくりましたが、もちろん、方針やガイドラインにお詳しく、英語も堪能なDoraemonplusさんの方が適任だと思います。アップロード時には教えてくださるとありがたいです。--Greenland4会話2020年1月23日 (木) 10:20 (UTC)[返信]
私の英語力も(手前味噌にもならないくらい)かなり拙いものですが、粗い訳でも無いよりはマシかと思いますので、少しでもご期待に沿えるよう、鋭意努力します。また、語られているほど私はウィキペディアの規則体系には精通しておりません。他の方針・ガイドラインとの整合性チェックには、出来れば管理者の方々のお力添えも頂きたいところです。ところで、すぐにでも出来る改善を施した改訂草案の初版を早速Wikipedia‐ノート:中立的な観点/草案2020年版にアップロードしました。要約欄にも記しましたとおり、節構成を見直しただけのもので、文言自体には一切手を付けていません。英語版からの翻訳は完了するまで暫くお時間をいただきますが、出来次第、追って更新したいと思います。--Doraemonplus会話2020年1月23日 (木) 12:23 (UTC)[返信]

返信 (Doraemonplusさん宛) ありがとうございました。私の上記提案はこれにて閉じたいと思います。以下、関連する議論が続いていますので、節を新しく設けます。--Greenland4会話2020年2月26日 (水) 00:58 (UTC)[返信]

「中立的な観点」草案2020年のアップロード

報告 本日、翻訳を進めてきましたen:WP:NPOVの抄訳をWikipedia‐ノート:中立的な観点/草案2020年版にアップロードしました。Greenland4さん他におかれましても、ご覧いただきたく思います。正式な改訂提案はWikipedia‐ノート:中立的な観点に立てたいと思います。--Doraemonplus会話2020年2月15日 (土) 09:37 (UTC)[返信]

報告 正式に改訂を提起しました。今後はそちらにコメント願います。--Doraemonplus会話2020年2月15日 (土) 12:16 (UTC)[返信]

コメント 結局、「記事名において中立は不要」だとか、「記事名において中立は軽視してよい」といったことを明示する文面を提案するおつもりないのですね。英語版に書かれていることは多くの人が把握していたはずですのでこういったことになる可能性が高いことは多くの人がわかっていたとは思いますが。言っている本人たちが誰も提案することすらできない、ということがこの議論の結論となるでしょうか。--Henares会話2020年2月22日 (土) 06:53 (UTC)[返信]
コメント 最初の問いにお答えします。竹島 (島根県)という記事名はWikipedia:中立的な観点に違反しているか?とのことですが、違反してはおりません。括弧の中に必ず「曲」を付けるPJ音楽や、必ず括弧付きにする小惑星記事などの特殊な例を除いて、曖昧さ回避の括弧の中は極力省略して短くするようにしています。PJ河川では括弧の外に「川」を付けることにしたので括弧の中は「の川」が不要になりました。島の場合も同様で「島根県の島」から省略されているのが今回の記事名です。省略されている部分があるので各人が想像の中でいろいろ補填してあげればよいでしょう。「島根県の島」でもよいですし、「韓国が実効支配しているが日本では島根県の島」としてもよいです。
竹島の件が済んでからと思っていたので完全に出遅れてしまいましたが意見だけ。
  • 記事名と曖昧さ回避およびリダイレクトは、それぞれの規約に書かれている検索の頻度に合わせた誘導こそがそれらにおける中立であり、それらは守られている
  • 従って「中立的な観点」の概念には合致している(不要・軽視・無視は完全に間違い)
  • だが「中立的な観点」の具体的内容は記事の書き方のことしか書かれていない
  • これまで解釈で乗り切って来れたが、書き加えていただけるのならありがたい
JPOVは長いことやってきましたけど、一番最初に触れたノート:東大 (曖昧さ回避)を読み返してみて、使用文献を出せという当たり前のツッコミをだれ一人もしていないのは、おそらく思考実験をやりたかったのでしょうね。--Triglav会話2020年2月23日 (日) 00:24 (UTC)[返信]
コメント 「それぞれの規約に書かれている検索の頻度に合わせた誘導こそがそれらにおける中立」ということは、つまり語句そのものが意味するところや想起させるものとは関係なく、どれだけよく使われているかが中立性の判断基準ということでよろしいでしょうか。そうすると、「竹島 (島根県)」を中立的でないと見る人とは、「中立性」の理解が違うということになりますね。このあたりが、私の中でうまくまとまらないと感じていた部分でした。同じ「中立」といいながら、考えていることが違うわけですから。--みっち会話2020年2月24日 (月) 05:49 (UTC)[返信]
(島根県)という括弧書きを否定する意見に対しては「中立的な観点は記事名には適用されない[10]」や、「私は「中立的な語句」なんてものを信じません。[11]」とおっしゃって、(島根県)を肯定する意見に対しては「中立性の判断基準」などというものをおっしゃるわけですか。都合がいいときだけ中立に従い都合が悪いときは中立を信じないと言い張るというのは、単なるダブルスタンダードでしょう。さすがに詭弁が過ぎると思いますが。Henares会話2020年2月24日 (月) 12:19 (UTC)[返信]
コメント まぁ、意見ですからねぇ。こちら現場の者(改名に関連するBot・RFD作業者)としては、一部の人が考える不整合を何とかしたいのなら規約のほうを直してみてはいかがかな? としか申し上げようがないです。あと、Henares様は、「吉野川」「美空ひばり」を改名するか、「検証可能な情報源がないのならば、私ならば念のため平等にしますね。」を取り下げるか、両立するような論を立て直すかしてください。--Triglav会話2020年2月24日 (月) 13:38 (UTC)[返信]
まず、この議論は「代表的か否か」の判定基準に関する議論ではなく、ページ名の通り「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」です。この点については「不要・軽視・無視は完全に間違い」とおっしゃっていますからTriglavさんと私との間で議論は必要ないと思っていますが。美空ひばり云々につきましては投稿ブロック依頼のコメントも確認しておりますが、スピード違反の論理とよく言われるものだと思っています。残念ながら論拠不十分な記事は数多くありますが、議題となっているページとは別に論拠不十分な項目があることをご存じならば、Triglavさんご自身が論拠不十分な別の記事を改めてくださればそれで済むことです。--Henares会話) 2020年2月24日 (月) 14:13 (UTC)訂正--Henares会話2020年2月24日 (月) 14:15 (UTC)[返信]
コメント 1日おいてみたら、おかしな人が間に入って邪魔をするので、Triglavさんには申し訳ないですがこちらにもう一度書かせていただきます。「中立性」が語句の意味に関係ないという(そうお尋ねした)ご意見は、この問題に関して私が迷っていたところを解決してくれるものです。
これに従えば、これまでにも出されていた「タタールのくびき」など支配・服属関係や戦争、虐殺事件などに関する用語について、「どちら側」かを考えなくていいし、「虐殺」の事実性がどれくらいかを判断する必要もないわけです。また「姦淫聖書」、「ヤリマン」、「円周率は3」などとといった記事や用語についても、そのままでいい(むしろ言葉の意味にこだわる人が、どうしてこれらを放っておけるのかが不思議)。同様に、「婦人」から「女性」へなどの言い換えや置き換えについても、言葉が中立かやジェンダー論などに踏み込むことなく、単に使用頻度の問題として対応すればいいことになりますね。
百科事典の編纂には、時空を超えた視点が必要とは考えていましたが、今回についてはちょっと言葉の意味に引きずられたかもしれません。「竹島 (島根県)」について、「係争地」よりはマシだけど行政単位であることが残念とか、中立をいうなら緯度経度だろうという思いもありました。上記をふまえれば、私の最初のコメントは次のようにすればよかったかなと思います。
  • 記事名について、あなたが考えるような意味での「中立的な観点」は適用されません。しかし、別の考え方によって記事名の「中立性」は確保されています。--みっち会話2020年2月25日 (火) 11:12 (UTC)[返信]
おかしな人」ですか。感情的になるとそうやって人を罵ることを自制できなくなるみっちさんの悪癖はWikipedia:投稿ブロック依頼/Miki08 解除の時から全く進歩していませんね。自らに反する意見に一切耳を傾けようとしない態度に呆れました。「私は「中立的な語句」なんてものを信じません。[12]」という言動と「別の考え方によって記事名の「中立性」は確保されています。」という言動のどこが矛盾しているのか理解できないのだとしたら、みっちさんはご自分が書いた言葉の意味すら理解できていない有様ですので、せめて自分が投稿した文章の意味くらいは正確に理解してください。もっとも、記事名にWikipedia:中立的な観点が適用されるという当たり前のことをご理解いただけたなら私個人はこれで十分ですが。このページで見られた、方針のどこにも書かれていない理由を持ち出して三大方針を無視・軽視しようとするみっちさんの言動はいくら後付けで取り繕っても記録は残りますので消えることはありません。このページで最後にしてください。宜しくお願いします。--Henares会話2020年2月25日 (火) 12:08 (UTC)[返信]
話は変わるのかもしれませんが、私は「(係争地)」という曖昧さ回避は、必ずしも「中立的である」とは思えないのですね。というのも、いわゆる「北方領土」については日露相互に係争地であることが了解されているわけですが、「尖閣諸島」に関しては日本政府の立場は「中国とのあいだに領土問題はない」というのが公式な立場であり、「竹島」に関しては逆に韓国政府の公式な立場が「日本とのあいだに領土問題はない」ということであって、そこが「係争地である」というのはもっぱら日本側の言い分ということになります。もとより、中国は尖閣の日本領有を「不法占拠」とは言っておらず、日本は韓国の竹島実効支配を「不法占拠」と主張しているなどの違いはありますが。その意味では、「(係争地)」の曖昧さ回避は「(島根県)」の曖昧さ回避以上に「中立性に反している」というふうに思います。もちろん、一方が係争地であり、他方がそうではないという主張があって対立している状態を、第三者がみて「係争」と判断する事態は数多くありましょう。フォークランド諸島にしても、問題が解決したと思っているのはイギリス側であってアルゼンチン側にすれば問題が解決したとは思っていないのかもしれない。単に軍事的に屈服しただけと思っているかもしれません。誰かがそれを口にしたら、ただちに「係争地」ということになるのでしょうか。また、アルゼンチンが降伏してイギリスの領有が確定したのちも、スペイン語圏では「マルビナス諸島」が正式な名称で、日本語としては中立性ということを何よりも重視するのだったら「フォークランド諸島」という英語名を採用して「マルビナス諸島」を採用しないということについては何らかの説明なり理由が必要です(マルビナスもフォークランドも、日本語ではありません)。いわゆる「係争地」に関しては、日本語があればそれを用いる、日本語がなければ実効支配している国家の言語を用いるとか、あるいは日本語での慣用的な国家間序列(「日米」「英独」「中韓」のような言い方の序列)の上位に来る方を用いるとか、その都度話し合いで決めるとか、何でもよいわけですが、何らかのルールが必要ではないかなと思っています。そういうことについては、今後も議論を深めていく必要があるでしょう。--Greenland4会話2020年2月26日 (水) 01:54 (UTC)[返信]
この議論は、私にとっては学ぶところの多かった議論だったと思います。そのなかで感心したのは、Henaresさんの「日本中心ではいけないが日本語中心主義はむしろあるべき姿」だという御見解、みっちさんの「偏ったものを中立的に執筆していくのがwikipediaの中立性」という御見解であり、両方とも至言だと感じました。「バランスが大切」というwikipedia英語版の方針はしかし、肝腎なところは逃げている気がします。「ニガー」という記事名、これほど差別的で中立性を欠いた記事名はないわけですが、しかし、それを「黒人」とか「ネグロイド」というふうに「中立的」になおせば問題が解決するかというと、そうはならない。もはや、異なる意味合いが生じているわけですね、その言葉には。かといって、そういう差別的なタイトルをもつ記事を削除してしまえというのも、極論であり、本末転倒しているわけです。そのあたりをどう考えればよいか、なおも議論は必要だと思います。私が初稿を起こした「タタールのくびき」にしても、中立的な言い方に改めることは可能であっても、そうすることによって失われるものが多いわけです。そうした場合、記事名の中立性というのは、それこそせいぜい「小田原征伐」を「小田原合戦」になおす程度の、言い換えて全然差し支えない場合、同内容の対象を示す名称が同じくらいの頻度で使われる場合にほぼ限定されてしまうのではないか、あとは、「〇〇の批判」よりだったら「〇〇の見解」という集合論での「より大きな集合」の記事名をセレクトするという程度の話にはならないでしょうか。そのあたり、コンセンサスが成立しているとは思えないので、やはり協議は継続して必要だと思いますが、いかがでしょう。--Greenland4会話) 2020年2月26日 (水) 01:54 (UTC)(ミスを補正)--Greenland4会話2020年2月26日 (水) 01:59 (UTC)[返信]
「中立的な観点」草案2020年のアップロード」という論点に関する議論はすでにWikipedia‐ノート:中立的な観点#大規模な改訂提案で提起されています。この井戸端の議論に参加していない方もあちらの議論に既に参加しています。「「中立的な観点」草案2020年のアップロード」ではなく「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」という議題が主題のこの井戸端ページで、「「中立的な観点」草案2020年のアップロード」を発案して私たちが何かコンセンサスに至ったとしても、Wikipedia‐ノート:中立的な観点#大規模な改訂提案の議論参加者各位にとっては私たちがこの場で形成するコンセンサスは関係のないことですよね?いまここで方針のノートですでに提起されている議論と重複して方針の改訂を議論したところで、方針の変更には何も繋がらないように思うのです。タタールのくびき云々のお話を方針に反映させたいのならば「利用者:Greenland4/第十二作業室を書き加えることを提案する」などとWikipedia‐ノート:中立的な観点で発言していただくしかないのではありませんか?(係争地)についても同様です。「記事名が中立なのか」とは無関係に「代表的か否か」という点ですでに終了した竹島の改名議論において、発案者の私自身が提案を止めてしまった(係争地)の話題がなぜ今頃このページで出てくるのかよくわかりませんが、ここで議論して何らかのコンセンサスに至ったとしても竹島のページに関して何かをする理由にはなりませんよね?協議するのだとしてももはやこのページで協議していては記事にも方針にも何も繋がらないように思います。協議の継続をしたい方がおられるならばご自由ですが、それはこのページで行うことではないのではないのではないですか?個人的願望につき文字を小さくして申しますが、Greenland4さんとの二者間関係においてはノート:竹島#分割の提案の作業に集中したいと個人的には思っています。--Henares会話2020年2月26日 (水) 10:08 (UTC)[返信]
コメント Greenland4さん、コメントありがとうございます。井戸端ですから、自分なりの考えをラフに語っているだけですが、拙い言葉でも通じるところがあったとすれば、それはGreenland4さんが日ごろから記事の執筆で心がけておられることだからでしょう。
おだてられたついでに木に登ってみますが、「係争地」がダメな理由はほかにもあります。ひとつは、それは現在たまたまそういう状況にあるにすぎないということです。竹島の歴史の中で、係争地とされるのがどれだけの時間なのかという話です。係争問題が決着したら「元係争地」とかに改名ですか? ムダでしょう。もうひとつは、その項目本来のもの以外の属性や「色」をつけるレッテル貼りだということです。これがカテゴリなら文句は言いませんが、首尾一貫性も問われる項目名としては不適でしょう。事実として、私が口を出すまでもなくこの案は受け入れられなかったわけですが、こういうことはその中にどっぷり浸かっていると見えなくなるものもありそうです。
また、日本語POVの話は、なにがそうあるべきなのか知りませんが、私としては多国語版があることによって中立性が確保されていると理解しています。--みっち会話2020年2月26日 (水) 12:51 (UTC)[返信]
みっちさん、コメントありがとうございました。また、温かいお言葉もありがとうございます。これはTriglavさんにも伺いたいのですが、「ニガー」については、黒人やネグロイドへの改名とか、あるいは統合ということもありうる話なわけですけど、そういう「偏った」記事名の記事があってはいけないということになるのでしょうか。それとも、その語にそこそこ「認知度」があって、なおかつ黒人やネグロイドといった名前には還元されない社会学的な意味合いが含まれていて、「ニガー#例外的用法」などの部分に「特筆性」が認められるから、記事名が「偏っている」ことは確かであっても存続(現状維持)は認められるということになるんでしょうか。他言語版でも結構認められてはいるようですが、どのように考えるべきか後の参考にしたいので、お示しくだされば幸いです。それから、ずっと前から気になっていたのが「Wikipedia:削除依頼/仏教徒による宗教的迫害」などの一連の「〇〇教徒による宗教的迫害」シリーズで、気が付かないうちに「ユダヤ教徒」「ヒンドゥー教徒」「神道信者」「無神論者」は削除されていますが、「キリスト教徒による宗教的迫害」、「イスラーム教徒による宗教的迫害」はまだ残っていて、「ノート:イスラーム教徒による宗教的迫害」を読むと、2007年に出されたコメント依頼に、2010年に1件、2018年に2件コメントが付いただけで今は完全に放置状態になっているのですね。これもまあ、うまい方法がないものか。せっかく中立性に関して関心をもっておられる方々が集まっているわけですので、今回の議論を踏まえ、ひとつ考えてくださればどうかなと思います。--Greenland4会話2020年2月27日 (木) 00:48 (UTC)[返信]
(追記)「フォークランド諸島」に関しては、日本(語)での認知度の高さが フォークランド>マルビナス ということでよいのだと思いますが、「蘇岩礁」についてはどうなのか。私の見解は上に挙げた通りなのですけど、他の方々の御意見もうかがいたいです(考えてみれば「ソコトラ岩」を中国式に表記すれば「蘇岩礁」なのかなという気もしますけど)。--Greenland4会話2020年2月27日 (木) 01:02 (UTC)[返信]
コメント お呼びでないかもですが、お邪魔させていただきます。「ニガー」については、明らかな差別的表現ですが、このニュース記事のように逆手に取った言及の仕方もあるわけで、一概に「記事名が差別用語=内容の偏った記事」と決めてかかるのはNGだと思います。NPOVを考慮するには、記事名だけを持ち出してもダメで、記事本文(内容)で何を記述対象とするのかとセットにして考える必要があります。他の例を挙げると、現代の言葉の用法として「支那」は蔑称であるという意見もあります(参考)が、歴史的文脈地理的文脈文化的文脈など、この名称が記事名でないと説明しにくい事柄が多くあるため、これは他の記事名では代替できない主題であると考えられます。英語版を参考にしたWP:POVNAMINGの草案に「(主題を表す名称は)言及される文脈次第」と説明があるのも、こういった(→記事内容とあわせて考えよ、との)意味を含んでいるからではないかと思いました。記事名とするには偏った名称の主題で、必要とされる記述量がそれほど多くない場合には、リダイレクトを積極的に活用して、類似する主題の記事内に収める方法も取れないことはありません(「ニガー」の例で言うならば、ニガーから黒人ネグロイドへのリダイレクトを作成して転送先で説明することです。ただし、このように類似する主題が複数ある場合、記述が分散してしまうデメリットもあり、読者に不便を強いるばかりか、こちらで説明している「観点の分岐」問題が発生するおそれがあります)。つまり、ある偏った名称が記事名となるか記事本文の一部(セクション名など)となるかは、あくまで記事のスタイル上の問題であって、WP:NPOVおよびWP:POVNAMINGの考え方それ自体には、大差はないといえます(せいぜい、ガイドライン上、WP:MSHに従うかWP:NCに従うかの差があるのみ)。「フォークランド諸島」や「蘇岩礁」のように確かな別称が存在していて選択肢が用意されている場合はとりわけ、「日本語で書かれている信頼できる情報源での普及度第一」すなわち、日本語POVということになるでしょう。ここは日本語版ウィキペディアなので。--Doraemonplus会話2020年2月27日 (木) 09:01 (UTC)[返信]
コメント (ニガーにつきまして)百科事典として差別や卑猥に関連する用語の説明が必要かどうかは別に考えるとして、現時点ではこの百科事典では必要とされているらしいですから、ニガーの説明はニガーでやるべきだと思います。正しい置き換え用語へのリダイレクト先で説明するなどあり得ません。これは自治体・学校など解体が困難な団体や、黒人など無いことに出来ない定義など全般に当てはまります。--Triglav会話2020年2月27日 (木) 09:23 (UTC)[返信]
  • 提案 私自身の行動についての自戒をこめて提案します。「中立的な観点は記事名には適用されませんか?」についてさらに議論が必要とお考えの方は別の井戸端ページを作成されてはいかがでしょうか(私個人は今のところ作成するつもりはないです)。「代表的として括弧を外すときの基準」についてはそもそもこの議論の対象ではないので別ページが良いと思います。「WP:POV全体の改訂」という議題は現在方針のノートで行われていますから、やはりここですべき話題ではないでしょう。私の見解に全面的賛同を得られたとは思ってはいませんが(全面的反対とも思ってはいませんが)、すでにWikipedia:井戸端への読み込みが終了しているこのページでは参加者も固定されてしまっていてコミュニティに開かれた議論とはいいがたいように思います。--Henares会話2020年2月24日 (月) 14:59 (UTC)[返信]

調査投票のお知らせ

 告知 当話題が端緒となり、現在議論が続けられているWikipedia‐ノート:中立的な観点#大規模な改訂提案について、改訂草案の内容の是非を問う調査投票が 5月20日(水) 0:00 (UTC) まで実施中です。多くの皆様のご投票をお待ちしております。--Doraemonplus会話) 2020年4月21日 (火) 11:26 (UTC) より適切と思われる場所へ告知文を移動しました。--Doraemonplus会話2020年4月23日 (木) 11:41 (UTC)[返信]

番組関係者?による加筆

ぺこぱの項目においてですが、以下の『有田ジェネレーション』ディレクターを名乗る人と思われるIPユーザーの加筆について、私が信頼できない情報源または些末かと思える問題として差し戻したところ、再び同一人物と思われるIPに差し戻される状態が続いています。

以上3件とも異なるIPなので、この人が本当に『有田ジェネレーション』ディレクターなのかどうかなど問い合わせもしにくい状態です。これ以上私が差し戻しをしても同じようなことが繰り返されると思うので、これは認めるべきかどうか、他の方からの御意見も伺いたく思います。しかし私としてはやはりこれは些末な情報のように思えるのですが、よろしくお願いします。--キャットストレイト会話2019年12月24日 (火) 23:48 (UTC)[返信]

プロフィールに「偽名」と記しているアカウントが番組のディレクターだと書かれても複数いるディレクターの誰なのかすら分からず、さらにその根拠が必要になると思います。またツイートという点をおいてものいつの放送なのかが分からないので新聞や雑誌のいつの号か分からない記事の写真を出典としているのと同等なのではないでしょうか。Wikipediaの『有田ジェネレーション』の記事で「ぺこぱ」を検索し「陣内智則」も出ている回を探すと2019年2月27日(深夜)が該当するようですが、TVでた蔵の当該回を見てもそうした詳細は書かれておらず、ただキーワードに「野々村真」が何の説明もなく記されているだけです。TV番組の内容を記事にする媒体もありますのでGoogleで検索してみましたが、Wikipedia記事を元に書かれた掲示板の書き込みしかみつけられませんでした。従いまして現状では出典として無効だと考えます。そうした点についてノートで議論を求めてはいかがでしょう。--Whatsfb会話2019年12月25日 (水) 09:33 (UTC)[返信]

加筆大会定期化の提案

中間まとめまでの議論

現在、第2回加筆大会が行われており、たくさんの記事が加筆されています。そこで、加筆大会を定期化することを提案いたします。具体的には、毎年12月に行います。12月なのは、第2回加筆大会の実施が12月であったこと、11月のウィキペディア・アジア月間に続いて加筆への意欲を高めてもらうことが理由です。また、12月の末(29日以降)には年末年始の休みになる人も多く、そこで時間ができた多くの人が加筆してくださることも期待できます。加筆大会を定期化しますと、毎年井戸端で提案しなくとも、11月頃に気付いた人が加筆大会のページを作成し、12月1日から12月31日まで加筆大会が行われ、1月半ばに結果発表が行われることになります。ご意見よろしくお願いいたします。--Reiwa period会話2019年12月26日 (木) 00:10 (UTC)[返信]

反対 世話人を毎回確保できるか疑わしいため。来年の大会開催時期に、誰も世話人に手を上げなかったらどうなるのでしょうか? しかるべき人が、時間のあるときに、そのつど世話人として開催を提案するという方が無理がないと思います。--毒島みるく会話2019年12月26日 (木) 23:27 (UTC)[返信]

  • 別に「世話人」はいなくてもよいと思います。何も必ずしも一人で全てやる必要はなく、皆で少しずつ行ってもよいと思います。それがウィキペディアの理念だと思います。--Reiwa period会話2019年12月26日 (木) 23:45 (UTC)[返信]
    • つまり発起人として第2回加筆大会を責任持って終わらせるつもりも別にない、ということでしょうか。サイトノーティスまで出して、何万人というコミュニティ全体を巻き込んだイベントですよ? 出稿したイベント参加者の一人として、そのような運営は困りますし、今後も安心して参加できかねます。--毒島みるく会話2019年12月27日 (金) 01:59 (UTC)[返信]

コメント 今回加筆大会を行って、個人的な見解ですが、冬はやっぱり忙しいという方も多いので、1年おきに夏開催、長期で時間を取る(例:7/21~9/10)ほうがもっと多くの人に参加してもらえるものになったのかな、とは少しですが思いました。毎年(ディークエステン氏は翌月も出典大会を開催しようとしていましたが)開催しても労力をずっと継ぎ込めるわけでもないので、大規模な大会を1年おき(次は2021年)に開催し、部門限定の大会をその間に開催したほうが良いかとは思います。例えば動員令(中国語版執筆大会)は毎年7月から2ヶ月間開催しています。まあ私自身、加筆大会の裏で同じ出典を利用して新規執筆もしていますし、特定ジャンル限定であれば「執筆・加筆大会」と一つにまとめるのも手ではあります。--Newkaisoku1995会話) 2019年12月27日 (金) 21:13 (UTC)リンクを修正。--氷川深碧(会話) 2020年1月1日 (水) 02:51 (UTC)[返信]

  • 長期化することはよいと思います。ただ、年末は多くの人が休みになりますが、「忙しい」となると、その人の業種などによっても違ってくると思いますので、それを理由に時期をずらすことには消極的です。隔年でもよいとは思いますが、2年も経つとかなり忘れられてしまうのではないでしょうか。分野別の加筆大会については、それぞれのプロジェクトで検討するのがよいと思います。--Reiwa period会話2019年12月27日 (金) 22:19 (UTC)[返信]
  • 質問 上でReiwa periodさんが「今回の加筆大会は私が集計・結果発表を行います。次回以降の話です。」とおっしゃっていますが、次回以降は責任を持たないということですか?--Tmv会話|投稿記録2019年12月29日 (日) 11:13 (UTC)[返信]
    • できるならします、としか言いようがありません。次回はできると思いますが、私にだって現実世界での都合がありますし、寿命だってあるわけですから、私が未来永劫できるはずはありません。--Reiwa period会話2019年12月29日 (日) 11:17 (UTC)[返信]

コメント 12月に固定にしてしまうと、参加できない人はいつも参加できない、というように固定化してしまうことを懸念しています。私自身としても前回の加筆大会には参加できましたが、今回は参加できなかったので。時期は固定せずに、いろいろな執筆系イベント(加筆大会のほか、以前あった出典をつけよう大会や分野別の大会など)をもう少し頻度高めに、また長期間(2か月程度)にやれたら参加しやすいのではないかと思います(世話人確保の問題は措くとして)。一方で固定化することで翌年の加筆大会に向けて計画的に準備を進めることができるのはメリットかもしれません。今回私が参加できなかったのも開催を知ったのが遅かったという事情もあるので、前もって知っていれば参加できたかもしれません。あと、私も2年に1度だと間隔が開き過ぎかなと思います。--Suz-b会話2019年12月30日 (月) 16:49 (UTC)[返信]

  • 固定にしてしまうとまずいというのであれば、11か月または13か月ごとの開催とするのはどうでしょう。(前者なら次回開催は2020年11月、後者なら次回開催は2021年1月)こうすれば、1年につき1か月ずつずれていき、参加できる人も増えると思います。ここは加筆大会について議論する場ですので、ほかの大会については別途提案していただければと思います。--Reiwa period会話2019年12月30日 (月) 22:15 (UTC)[返信]
    • この案にする場合、私は11か月ごとを推します。(11と13の最小公倍数で)143カ月=11年11カ月ごと、つまり次は2031年11月に、11カ月ごとの場合も13か月ごとの場合も加筆大会を開催することになりますが、11か月ごとの場合は第15回、13か月ごとの場合は第13回の加筆大会となります。(利用者:Reiwa_period/sandbox3)約6年で1回の違いは大きいと思います。もちろん、毎年12月が分かりやすいというのもありますので、まだ意見を募ろうと思います。--Reiwa period会話2019年12月31日 (火) 02:43 (UTC)[返信]
  •  コメント 私も2か月の長期開催はよろしいかと思います。しかしそれでは11か月ごとではなく10か月ごとの方が様々な月に多数開催できるので良いかと思います。--Tmv会話|投稿記録2020年1月6日 (月) 08:43 (UTC)[返信]
  • (提案)それでは、1週間待っても反対がなければ利用者:Reiwa period/sandboxの内容で制度化を実行しようと思います。毒島みるくさん、氷川深碧さん、Suz-bさん、Tmvさん、いかがですか。--Reiwa period会話2020年1月6日 (月) 11:03 (UTC)[返信]
    • 返信 (Reiwa periodさん宛) 私は特に反対はありませんが、もしも10か月おきにMediaWiki:Sitenoticeを使うのであれば、ノートにおいて議論が必要でしょう。--Tmv会話|投稿記録2020年1月6日 (月) 11:11 (UTC)[返信]
    • ありがとうございます 了解です。--氷川深碧(会話) 2020年1月6日 (月) 11:33 (UTC)[返信]
    • 反対 世話人確保の問題が結局解決していないため。「開催日までに世話人が決まらない回は中止とする」という条件なら妥協できます。あと2ヶ月は長すぎるという意見にも同意です。開催期日を事前に決めるならば、早めに告知を始めて事前準備を呼びかければ済む話に思えます。期間を長くとればその分、他のプロジェクトがイベントを企画する際の選択肢を狭めることにもなります。--毒島みるく会話2020年1月7日 (火) 00:06 (UTC)[返信]
      • なぜ、特定の世話人がいなければならないのでしょうか。皆で少しずつやっていくのではだめなのでしょうか。それに、複数のイベントが同時並行で開催されてもよいと思います。--Reiwa period会話2020年1月7日 (火) 00:22 (UTC)[返信]
        • 繰り返しになりますが、イベント進行を誰一人手引きしないような事態に万一なったら参加者として困るということです。アジア月間は世話人が年々減って今年は一人だけになってしまいました。「皆でやれば」と楽観的に構えていられないのが現状だと思いますが。それと、複数のイベントが同時並行で開催されてもよいなら、加筆大会をアジア月間と同時開催にしても問題なかったはずですが、わざわざずらしたわけです。両方のイベントに参加する人間(私のように)にとって同時並行での開催は今後も迷惑です。--毒島みるく会話2020年1月11日 (土) 06:03 (UTC)[返信]
          • 「参加者として困る」のであれば、毒島みるくさんご自身が作業を手伝えば良いのではないですか。また、できるだけ期間が被らないようにするのは同意ですが、どうしても被ってしまうのであれば、仕方ないと思います。そもそも、必ずしも「両方のイベントに参加する」必要はないと思います。--Reiwa period会話2020年1月11日 (土) 06:29 (UTC) [返信]
    • 中立 「10か月おき、2か月間」という内容はよいと思います。世話人の問題はやりながら考えていくしかないのかな、と。最初に「そろそろ時期なので準備を始めませんか?」と呼びかけたり共同世話人を募集する人(毎回同じでなくともよい)は必要だと思いますが、そういう意欲ある人もある程度開催フォーマットが決まっている方が動きやすいと思いますし。日本語版全体の充実化のためにはイベントが無いよりも有った方がよく、せっかくの機会をここで潰してしまってふいにしてしまうのは勿体ないです。完璧を期して何もしないより、多少不完全な部分があっても話を進めていく方がよいと思います。ただし下でプロジェクト:執筆コンテストの利用も検討されておりますので、ここの議論が落ち着いたらまずはプロジェクト‐ノート:執筆コンテストに諮る方がよいと思います。制度化を実行するのはその後がよいでしょう。--Suz-b会話2020年1月11日 (土) 16:28 (UTC)[返信]
  • そもそも変動IPで参加資格がないので無責任な立場からのコメントですが、面白いイベントだと思います。ただ、実施期間を長くするのはやめておいた方がよいように思います。というのは、お祭りのようなものなので期間が短い方が集中することで盛り上がるからです。それよりも、予告期間を長くとっておいて、「さぁ始まったぞ」という形にする方が盛り上がると思います。「定期」といっても、一年に何度も実施したり、ビエンナーレとかトリエンナーレとか1年以上の間隔で実施するようなイベントも見かけます。しばらくは、間隔を決めてしまうのではなく、「そろそろやろうかな」→「ようし時期を決めたぞ。PRするぞ」→「実施」というような形で繰り返すのがよいと思います。--2001:268:C02C:6698:C42D:2B5E:E6B1:C88 2020年1月6日 (月) 12:15 (UTC)[返信]
    • 「盛り上がる」ことはあまり必要ではないと思います。重要なのは多くの方々に参加していただけることであり、そのためには期間を長くするのが適当かと思います。--Reiwa period会話2020年1月6日 (月) 12:21 (UTC)[返信]

Wikipedia:加筆大会からWikipedia:第1回加筆大会への改名提案についての議論があまり行われていないように思います。そこで、改名提案についての議論は、定期化とは切り離して、Wikipedia‐ノート:加筆大会で議論することにしてはいかがですか。改名を実施して定期化の話がまとまらない場合Wikipedia:加筆大会が単なるリダイレクトになりますが、それはそれで構わないと思います。具体的な作業としてはWikipedia:加筆大会冒頭のテンプレートの変更、Wikipedia:改名提案の変更、Wikipedia‐ノート:加筆大会への話題追加ということになります。--2001:268:C02C:6698:C42D:2B5E:E6B1:C88 2020年1月6日 (月) 13:10 (UTC)[返信]

  • (提案)世話人問題については、やはり“誰かがやればいい“という風にもとれるやり方のままでは、合意形成できない気がします。自分は、世話人を何人か事前に決めておいて、その中から出来る人がやるという形が良いのではないかと思います。例えば、

(世話人候補:Exsample、ウィキ助、Reiwa period)のように決めておいて、何年はウィキ助、次の年はExample、という風にする。 みたいな感じで。--E217 Y-1会話2020年1月7日 (火) 07:50 (UTC)[返信]

  • ぼくは予告期間を多くとったほうがスタブを準備できるから多くの方々に参加していただけると思います。でも11ヶ月でも12ヶ月でも13ヶ月でも次に開催される時がわかってるんだったら1年かけてスタブを仕込めるからそれでもいいと思います。--125.197.212.127 2020年1月7日 (火) 12:58 (UTC)[返信]
  • (自分の説明が分かりにくい気がするので補足)「皆で少しずつ」では誰が運営しているのか分かりにくいいので信頼が得られない可能性がありますが、プロジェクトなり何なり一定の決まった団体が運営していた方が信頼できる気がします。--E217 Y-1会話2020年1月8日 (水) 09:01 (UTC)[返信]
  • ────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデント戻し  追記 それと、去年の12月からずっとこの議論が続いていて、そろそろ 時間切れではないでしょうか。つまりそろそろまとめた方がよろしいかと思います。--Tmv会話|投稿記録2020年1月13日 (月) 08:45 (UTC)[返信]
    • ただ、毒島みるくさんが反対されているので、このまま実行するのは難しいと思います。--Reiwa period会話2020年1月13日 (月) 08:51 (UTC)[返信]
    • 毒島みるくさんへ「イベント進行を誰一人手引きしないような事態に万一なったら参加者として困る」のであれば、毒島みるくさんご自身が作業を手伝えば良いのではないですか。また、できるだけ期間が被らないようにするのは同意ですが、どうしても被ってしまうのであれば、仕方ないと思います。そもそも、必ずしも「両方のイベントに参加する」必要はないと思います。--Reiwa period会話2020年1月13日 (月) 08:51 (UTC)[返信]
      • 返信 「毒島みるくさんご自身が作業を手伝えば良いのではないですか」→ いえ、私は執筆に専念したいです。Wikipedia に使える時間も限られてますし。「必ずしも『両方のイベントに参加する』必要はないと思います。」→ 両方に参加するかどうかは本人が決めることであり、他人から「必要ないですよね?」と言われるいわれは無いです。まぁ期間を長めにしたほうが実生活との折り合いを付けやすいというTmvさんのご意見には一理あると思うので、2ヶ月案への反対は取り下げます。--毒島みるく会話2020年1月14日 (火) 01:13 (UTC)[返信]
      • コメント 今回、私は参加しておりませんし、今後も参加する可能性は少ないのですが、開催時期については12月と1月は避けた方が良いかと思います。というのも、日本国内のほとんどの公立図書館・大学図書館は年末年始休みになってしまうので、年末年始休みの間に利用することができず、加筆に不利となるからです。それ以外の時期、例えば8月であっても図書館はほぼカレンダー通りに開館しているので、あまり影響は少ないと思います。なお、定期化することの可否については賛否は表明致しかねます。--UE-PON2600会話2020年1月13日 (月) 17:10 (UTC)[返信]

中間まとめ

ここで一度リファクタリングを行いたいと思います。この議論の焦点は以下が挙げられます。

  • 利用者:毒島みるく会話 / 投稿記録さんが反対を取り消したことで、開催期間は2カ月とすることでまとまったものと思います。
  • 開催時期については、基本的に10カ月ごととすることに現時点で反対している者はないものの、利用者:UE-PON2600会話 / 投稿記録さんは年末年始を挟む12月・1月、利用者:E217 Y-1会話 / 投稿記録さんはウィキペディアアジア月間の11月を避けるべきだとしています。しかし、Reiwa periodは、年末年始は皆同じ条件なので考慮せず、ウィキペディアアジア月間については参加する者に配慮し、11月が入るときは後ろ倒すのがよいと考えています。
  • 主催者については、E217 Y-1さんや利用者:UE-PON2600会話 / 投稿記録さん、Reiwa periodがプロジェクト:執筆コンテストの活用に同意しています。一方、毒島みるくさんは、世話人が確保できない場合大会開催を中止すべきと考えています。これにReiwa periodは、所定の期日までに作業が行われない場合、大会を中止する妥協案を示しています。

もし勘違いがありましたらお知らせください。--Reiwa period会話) 2020年1月16日 (木) 07:51 (UTC)修正いたします。--Reiwa period会話2020年1月16日 (木) 07:52 (UTC)[返信]

中間まとめ以後の議論

  • 今後は、開催時期、とりわけ年末年始やウィキペディアアジア月間と被る際の扱い、主催者について検討することになるかと思います。引き続きご意見をよろしくお願いいたします。--Reiwa period会話2020年1月16日 (木) 07:51 (UTC)[返信]
  • 焦点となっていた点に関して私の考えから利用者:E217 Y-1/下書きにまとめてみました。--E217 Y-1会話2020年1月16日 (木) 14:13 (UTC)[返信]
  • おそらくプロジェクト-ノートに書き込んでも参加者の方からの返事は期待できないと思います。なにせ6年も活動していないプロジェクトなので。--E217 Y-1会話2020年1月16日 (木) 14:23 (UTC)[返信]
  • 年末年始は皆同じ条件なので考慮する必要はないのでは?とのお話ですが、加筆大会の目的はそれによってスタブ項目を減らして底上げを図ることが目的であって、点数でランク付けすることではないでしょう。点数で競うことが目的というなら年末年始に行うことに反対はしませんが、元の主旨から考えれば加筆するのに使えるものが使えない時期は避けるべきだと思います。また、ウィキペディアアジア月間との兼ね合いから考えると、新規記事にしても加筆にしてもそれなりの労力と期間が必要でしょうから、同時期はもちろんのこと、連続した時期も避けた方が良いと思います。定期化により意欲向上を図るなら、アジア月間からむしろ離して4~6月頃に行った方が年間を通じた啓発に資するのではないかと思います。--UE-PON2600会話2020年1月16日 (木) 15:03 (UTC)[返信]
  • ウィキペディアアジア月間から離すにしても、4〜6月だけでは固定されすぎてしまうので、2月〜9月ぐらいで毎回ずらした方が多くの方々に参加していただけるのではないでしょうか。--E217 Y-1会話2020年1月17日 (金) 15:36 (UTC)[返信]
  • 毒島みるくさんが仰っている有耶無耶になってしまったことは次回以降プロジェクトの中で採点者とべつに確認する人を置けば解消出来るのではないでしょうか。--E217 Y-1会話) 2020年1月18日 (土) 01:15 (UTC
  • 採点者の件についての案を利用者:E217 Y-1/下書きに追加しました。--E217 Y-1会話2020年1月18日 (土) 01:37 (UTC)[返信]
    • 繰り返しますが、「有耶無耶になってしまった」というのは利用者:毒島みるく会話 / 投稿記録さんの誤解です。本人が、「スタブに加筆して、スタブでなくなった」と思えば、それで報告、1ポイントです。それに、「これは元々スタブではないだろう」とか「これはまだスタブだろう」とか、第三者が主観を入れ込む余地はないはずです。このルールを踏襲する限り、確認者は不要です。また、利用者:E217 Y-1/下書きによれば、「プロジェクト参加者中からその回の運営に携われる人を確認し(中略)回ごとに選出する。」とのことですが、選出された者が急に携われなくなった場合、代わりの者を出すのでしょうか。それは、いつまで待つのでしょうか。私は、採点者などは決めずに、「プロジェクト:執筆コンテスト」として責任をもって運営すべきだと思います。--Reiwa period会話2020年1月18日 (土) 03:20 (UTC)[返信]

開催時期

とりあえずこちらから議論を進めたいと思います。Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/加筆大会定期化の提案#開催時期・期間についての案に、8案を挙げました。この中から意見を募りたいと思います。この中のどの案にも反対で、これ以外の案が良いと思うのであれば、お申し付けください。--Reiwa period会話2020年1月19日 (日) 00:06 (UTC)[返信]

コメント 私はE案に賛成いたします。わたしがC案を考えた時にはウィキペディア・アジア月間が頭になかったので、それも考慮したE案に賛成いたします。--Tmv会話|投稿記録2020年1月25日 (土) 07:37 (UTC)[返信]
コメント 私はD案を推します。年末年始は忙しい、という人もいる一方、逆に年末年始の方がまとまった時間が取りやすい、という人もいると思います。アジア月間は考慮しつつ、多くの人に参加してもらうチャンスを増やす意味でこの案に賛成します。E案とG案は開催時期の計算が煩雑で、間隔がまちまちになりやすいのが気になりました。--Suz-b会話2020年1月29日 (水) 14:58 (UTC)[返信]

主催者・責任者

こちらは利用者:毒島みるく会話 / 投稿記録さんのご意見を待って議論を進めたいと思います。--Reiwa period会話2020年1月19日 (日) 00:06 (UTC)[返信]

  • もし、「世話人」が現実世界での急用、不慮の事故などで急に加筆大会関係の作業ができなくなった場合、代わりの者を出すのでしょうか。それは、いつまで待つのでしょうか。やはり、世話人任せではいけないと思います。--Reiwa period会話2020年1月23日 (木) 11:05 (UTC)[返信]
  • 第二回大会のように参加者の自己申告を無条件で承認しては荒らしやイタズラで容易に優勝できてしまい真面目な参加者の意欲に関わるため、大会の趣旨にそぐわない自己申告ポイントを無効化する仕組みは必須でしょう。ポイントの承認ルールを細かく決め始めたら際限が無いでしょうから、アジア月間と同様、専断的にポイントの可否を判断する人間を置くのが平明なやりかたと思われます。要するに、世話人です。開催期間中に世話人が一人も居なくなった場合は、順位発表せずにお開きにすればよいのでは。--毒島みるく会話2020年2月3日 (月) 04:10 (UTC)[返信]
  • コメント たしかに自己申告制では悪戯などで優勝することが可能となってしまいます。世話人は必要かもしれませんね。--Tmv会話|投稿記録2020年2月8日 (土) 03:57 (UTC)[返信]
  • 世話人は1人ではなく、できれば複数人いる方がリスクヘッジになるでしょうね。やむを得なければ1人でも仕方ありませんが。利用者:E217 Y-1/下書きも踏まえ、こういう方法を考えたのですがいかがでしょう。プロジェクト:執筆コンテストには今回の議論以降にReiwa periodさん、E217 Y-1さんが参加されており、私(Suz-b)自身もこちらの議論に筋道がついて大会の開催ができそうだと判断したら、登録しようと考えております。この3名は世話人を「やってもよい」と考えていると(楽観的に)思っています。最低でも3人いればなんとかなるのではないか、もし無理でも中止条件さえ明示しておけば最低限の混乱で済ませられると思います。
開始まで
  1. 開催時期が近付いたら、プロジェクト:執筆コンテストに利用者登録しているいずれかの者が発起人となり、プロジェクト‐ノート:執筆コンテストなどを利用して、大会準備の議論を始める。
  2. 最初の議論により、今回の大会の世話人を同プロジェクト利用者の中から数名選出する(極端な例なら、全員が選出されてもよい。逆にやむを得なければ1名でも可)。なお発起人は必ずしも世話人を務める必要はない。
  3. 選出された世話人間の話し合いにより、今回の大会の詳細要項を決定する。要項には、ポイントの承認ルール及び結果発表を中止する場合の条件も盛り込む。この話し合いには世話人以外も参加できるが、最終決定権は世話人が持つ。
  4. 世話人の1人が大会2週間前までに要項を記載したサブページ作成などの作業を行う。
  5. もしサブページが開始予定日の2週間前までに作成されていなければ、プロジェクト‐ノート:執筆コンテストに対して開催の呼びかけを行う。この呼びかけはどの利用者でも行うことができる。
  6. 呼びかけの有無に関わらず、1週間前になってもサブページが作成されず、また開催に向けた動きも見られなければ中止とし、その旨を宣言する。この中止宣言はどの利用者でも行うことができるが、可能であれば世話人から宣言があることが望ましい。
  7. 開催に向けた動きが見られず、中止宣言もないまま開始日に達した場合は、自動的に中止されたものと見做す。
  8. 開催に向けた動きは見られるが、要項に関する議論がまとまらない、そもそも世話人が選出できていない等でサブページ作成が遅れている場合、開始期日を1週間まで延期することができる。延期の期限に達してもサブページが作成できない場合、中止とする。中止宣言は同上。
  9. 世話人は初回選出の後も、結果発表を行うまでの間はいつでも新たに追加されてよい。またやむを得なければ途中で辞任することもできる。
結果発表
  1. 終了日時点で、辞任等により世話人が1人も存在しなかった場合は結果発表を行わない。
  2. 世話人が集計を行えない状況に陥った等により結果発表を行えない見込みとなった場合は、世話人自身により原則として終了日から1か月以内、遅くとも2か月以内に結果発表の中止宣言を行う。ただし中止宣言を受けて新たな世話人が選出され、業務を代行することは妨げない。
  3. 終了日から1か月以内に結果発表が行われず、中止宣言もない場合、サブページのノートに呼びかけを行う。この呼びかけは当該加筆大会の参加者であれば、誰でも行うことができる。
  4. 呼びかけから2週間たっても何ら回答がない場合、結果発表を中止し、その旨を宣言する。この中止宣言は当該加筆大会の参加者であれば、誰でも行うことができる。
  5. その他、開始時に発表した要項の結果発表中止条件を満たした場合も中止となる。中止宣言は同上。
  6. 終了日から2か月が経過しても結果が発表されず、中止宣言も出されなかった場合は、自動的に中止されたものと見做す。
(と、ここまで書いたところでReiwa periodさんが無期限ブロックされていることに気付きました。議論の出発点が狂ってしまいますがどうなりましょう...)--Suz-b会話2020年2月8日 (土) 18:13 (UTC)[返信]

提案 今、このページは最初の投稿から30日が経過したため、WP:VPからの読み込みを解かれています。しかし、議論は続いていますのでまたWP:VPに読み込ませることを提案します。またはWP:RFCに提出するという方法もありますが。--Tmv会話|投稿記録2020年2月8日 (土) 07:44 (UTC)[返信]

既に2か月目になり、ページが大きくなり過ぎているので、別ページにしてはどうでしょうか。井戸端は掲示スペースでもあるので、何か月も一つの話題が大きな場所を占有するのは好ましくないでしょう。またこのまま井戸端に読み込むとなると、いつ読み込むのを止めるのか、という問題もあります。新しいサブページで仕切り直すならまだいいかもしれませんが。Wikipedia:加筆大会に開催案を置いてノートで議論する等でもいいと思います。 --2001:240:240A:2445:6D70:EF5F:5ADF:9D43 2020年2月13日 (木) 13:02 (UTC)[返信]
コメント Wikipedia:加筆大会Wikipedia:第1回加筆大会に移動させた上で、ここの議論を加筆大会に転記するか誘導するのが良いのではないかと思います。--UE-PON2600会話2020年2月13日 (木) 16:19 (UTC)[返信]

大会コンセプトに対する意見

この手の企画はやりたい人がどんどんやれば良い、というのが私の基本スタンスなので、外野が首を突っ込むべきか迷ったのですが、スタブを対象とした加筆を「大会」と称して行うことに疑問を感じまして、批判的なコメントを致します。理由は (1) Wikipedia:メインページ強化記事投票所 および Wikipedia:最近大幅加筆された記事 との役割分担が不明瞭、(2) スタブだけを優遇する意義があまり感じられない、の2点です。

2019年12月に行われた加筆大会と同形式で次回も行うならば、Wikipedia:最近大幅加筆された記事 にリストアップされている記事の中から、加筆前がスタブだったものにフラグを立てておいて、一定期間内にその数をカウントして表彰すればいいだけではないでしょうか? つまり、加筆というのは日々皆が行っている通常運転なので、特段「大会」として切り出す必要性を感じませんでした。

また、@毒島みるくさんが世話人の重要性を説いておられるのと根本的には同じなのですが、やはり第三者による審査の目は必要だと私も感じます。で、Wikipedia:最近大幅加筆された記事 の中から優れた加筆記事があれば、Wikipedia:メインページ強化記事投票所 にノミネートされる仕組みは既に確立しており、審査体制があります。あと、そもそも12月の加筆大会の参加者を見ると、強化記事投票所にノミネートされる常連さんも多くいらっしゃるので、企画の重複感が否めません。

さらに、なぜスタブだけを取り上げるのかも疑問です。私の経験則上、新規立項よりスタブの加筆の方が楽です。また加筆であっても、無出典や独自研究オンパレードや誤訳だらけの大サイズ記事を改稿するよりも、キズの少ないスタブを加筆する方が楽です。そして一般読者が検索してくる際、大サイズの記事だと一瞬優れているように見えてしまうけれど、実は無出典・独自研究で誤解をまき散らしているのでたちが悪いです。スタブだったら、一般読者は検索し直して別サイトを参照してくれるので、下手に低質な加筆をするくらいなら、スタブのままでいてくれた方が読者に親切だと言えるかもしれません。こう考えると、スタブだけを積極的に加筆する大会のコンセプトそのものに違和感があります。

なぜこのようなことを申したかというと、私は Wikipedia:月間強化記事賞Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考 に投票しているのですが、人手不足だなと感じるからです。新しい企画をポンポン立ち上げてリソースを分散させて共倒れするより、既存の企画をテコ入れしたり拡張する方向でリソースを集中させた方が長続きするのではないでしょうか。

以上の問題関心について、強化記事投票の常連さんにもご意見伺ってみたいので、Ping打ってみます。@桜国の竜さん@K-icznさん@M-sho-gunさん@Ogiyoshisanさん@Pasternさん@TENさん@Librotyrannusさん@Tam0031さん@Iso10970さん、いかがお考えでしょうか? --ProfessorPine会話2020年2月14日 (金) 10:43 (UTC)[返信]

  • コメント:2016年の加筆大会に参加した者の意見として。こうしたイベント(選考も同様)は義務でもないのでやりたい人がやれば良く、定期開催も可能ならやればいいことで、それを否定するものではないと思います。今回は時間がなく参加しませんでしたが、前回は1本だけでしたがスタブだったアーネスト・シャクルトンを英語版FA翻訳+αで全面改稿しました。私は加筆大会がモチベーションになったのですが、他の参加者も同様でしょう。アジア月間もそうですが、やる気を高める「仕掛け」なんですよ。なお私は今後のjawpの方向性として、数より質の向上を目指し、重要記事の加筆、無出典への出典追加、他言語FA/GAの翻訳も大いにやるべきだと思っています。その点からも加筆大会はありだと思いますし、出典付けよう大会(過去に開催されたことあり)や翻訳大会もあってもいいかなと思っています。まあそれ以前にjawp全体の参加者を増やす方策を考えるのが先でしょうが。--Iso10970会話2020年2月15日 (土) 02:34 (UTC)[返信]
  • Iso10970さん、早速ご反応頂きありがとうございます。私の意図説明に具体性が欠けていた気がするので、企画イメージを以下に述べます。
  1. 強化記事選考 (3日に1回のメインページ、月間強化記事賞、GA・FA選考の総称) では毎年、「○○強化部門」を複数設ける (独自研究改稿、改訳、大幅加筆etc.)。
  2. メインページ投票所に他者から1票でも入ったら1点、メインページに掲載されたら3点、月間賞を受賞したら5点、GA通過したら7点、FA通過したら10点で計算する (この傾斜配分は要調整)。
  3. 部門ごとに総合得点を計算し (半年あるいは1年周期?)、上位者を表彰する。
つまり、2019年12月の大会では マズい例が指摘 されている (具体的な記事一覧) 一方で、月間記事賞に多数ノミネート された執筆者もいます。問題は、これらの記事が同じ1点でカウントされてしまっており、公平性を欠くことです。さらには、低質加筆記事を濫造した方が、1つの記事を高品質に仕上げるよりも点数が稼げてしまうという問題も孕んでいます。毒島みるくさんはこれに対し、世話人を置くべきとのご意見であり、私と問題意識の根本は共有されているのだと思います。で、上述の方式であれば既に記事を審査する人たちはいるので、マズい記事は振り落とされますし、わざわざ大会のためだけに審査員を募る必要はありません。傾斜配分されていれば、よりGAやFAに近づける努力をする執筆者も増え、GA・FA選考も活性化すると思います。そのうち、執筆するだけでなく、選考投票側にも回ってみようという人も出てくるかもしれません。
現在の強化記事選考は、記事そのものを表彰しているわけですが、上述の方式はこれに加え、執筆者を表彰することになり、モチベーション向上にも寄与すると思います。ちなみに今回は強化記事選考のみ取り上げましたが、新記事側でも同じ仕組みは導入できると思います。部門はたとえば「主題が面白い部門」とか「新規翻訳部門」とか「なんでこれが今までなかったんだ部門」とか? (テキトーな例です) --ProfessorPine会話2020年2月15日 (土) 04:06 (UTC)[返信]
コメントそもそも加筆大会は大幅な加筆をするきっかけを作るために行われるもの(だと私は考えている)なので、常時開催するときっかけができるというメリットが薄れてしまう恐れがあります。なので上記の方法を利用するにしても一定期間のみで行った方が良いのではないでしょうか。また「審査員を募る必要はありません」と仰っていますが上記の方法でも得点を集計する係が必要だと思います。--E217 Y-1会話2020年2月16日 (日) 14:04 (UTC)[返信]
E217 Y-1さん、ご意見ありがとうございます。たとえば四半期ごと (?) に部門テーマを入れ替える、というのも手だと思いました。E217 Y-1さんのご指摘はごもっともでして、お尻が決まっていてヤバい期限が!と切羽詰まる緊張感が必要なんだろうなという気がします。ではなぜ皆さんの過去議論で出てきた1~2か月ではなく四半期かというと、FAやGA通過も集計対象に入れたかったからです。2か月だとさすがに厳しい。
あと、部門を定めない常時の総合得点も半年ないし年間の別途集計してもいいのかなと思います (年間強化チャンピオンみたいな表彰のしかた) 。こちらは通信簿みたいなイメージで、サボっていると自分の前期比得点が下がるので、長期的なモチベーション維持や貢献の可視化に効果がありそうだと思いました。
なお集計ですが、Bot対応できると思います。傾斜配分の点数さえ決めておき、部門ごとにフラグ番号を立てておいて、集計期間もパラメーター化しておけば、毎回Botのスクリプトをいじらずに済むはず。幸い月間強化記事賞のノミネート~集計~発表告知はBotがやっているので、運用者の@Triglavさんにお願いして拡張してもらう必要があるのですが、まぁTriglavさんならやってくれますよ (無茶ぶり笑) 。たぶん、既存の加筆報告用テンプレート{{加筆報告}}の引数をカスタマイズするなど、Botが集計しやすいような環境も整備する必要があります。開発はやりませんが、システム要件定義だけなら私もお手伝いできます。
あっ、すみませんPing打つべき対象から@Yapparinaさん@伊佐坂安物さん@Tottiさんが抜けてました。--ProfessorPine会話2020年2月16日 (日) 14:49 (UTC)[返信]
確かに1年間でGA/FAや強化記事などになった記事でポイントをつけて最優秀利用者のように表彰して、一年の中で1回か2回〇〇強化月間としてその部門のその期間(1〜3か月ぐらい)に最も貢献した利用者を表彰する、とすれば年間を通してモチベーションも上がりますし、短期間でも行うことで参加しやすくなるメリットがあります。--E217 Y-1会話2020年2月17日 (月) 09:40 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 報告 オペレーション面ですが、Bot運用中のTriglavさんに予備相談してみました。得点の集計は当初は手動で行いつつも、そのうちTriglavさんがBot拡張して一部自動化してくれそうな見通しです (あくまで企画として通ったならばの話ですが)。

提案 まずは私の方で、試験的・簡素版で数か月分を対象に得点を手動で集計してみることはできます。その結果を見て、得点の傾斜配分を最終調整したり、部門テーマを毎回どうやって設定するか、皆さんでご議論頂いて、実際に企画として続けるかご判断頂くのが良いかと思います。いかがでしょうか? 集計結果については、仮称「Wikipedia:執筆者ランキング」ページを新設して、そこに書き込む予定です。企画が成立すれば、当ページは公式運用に引き継がれる想定です。ページ名に「強化記事」を入れようかと思ったのですが、そのうち新記事にも適用範囲が拡張される可能性があるので、汎用的な名称にしてみました。1週間ほど待ってご異論なければ、3月上旬をターゲットに集計データを当ページに公表しようと思います。ご意見よろしくお願いします。--ProfessorPine会話2020年2月18日 (火) 03:46 (UTC)[返信]

反対 意見表明が遅くなり、誠に申し訳ございません。ProfessorPineさんが記事の選考の人員不足を憂いているお気持ちは伝わりましたが、今回のご提案については反対を表明させていただきます。
反対の理由は大きく2つあります。1つは加筆大会のコンセプトの問題です。Wikipedia:井戸端/subj/加筆大会しましょうも読んでいただきたいのですが、記事の加筆というのは2つのタイプがあります。1つは「深く」加筆する、つまり1つの題材を深堀りしていくタイプです。もう1つは「広く」加筆する、つまり全体を底上げしていくタイプです。ProfessorPineさんは、加筆を報告する場として既にWikipedia:最近大幅加筆された記事があるとおっしゃっていますが、このページには報告の基準が設けられており、その基準に届かないものは、いかに優れた加筆であっても報告することが叶いません。そして、その基準で要求されているのは「深い」タイプの加筆であり、「広い」タイプの加筆は報告にまで至りにくい、つまり評価の場がないという状況にあります。そして、そんな「広い」タイプの加筆に光を当てようとして始まったのが第1回の加筆大会、というわけです。その流れを鑑みますと、加筆大会は記事の強化に関する一連の選考と重複するものではなく「相互補完的な間柄」にあるといえ、従って無理に両者を統一する必要もないし、統一して得られるメリットもないように思う、というのが反対の第1の理由です。
2つ目は、荒らしへの対策という観点です。たとえばWikipedia:月間新記事賞では、Wikipedia:メインページ新着投票所と月間新記事賞での投票を合算する方式が採用されていますが、その性質上、新着投票所で荒らしによる投票が行われた場合、月間新記事賞でも票の減算を行う必要が出てきます。現時点で、記事の強化に関する選考では、各投票所での得票は他の投票所へ持ち越されませんが、ProfessorPineさんの提案が実行に移されたらどうでしょう。もし荒らしによる投票が発覚したら、複数の投票所で、長期にわたって遡り、票の減算を行う必要が出てくるかもしれません。その結果、受賞記事が変更になる可能性も出てくるかもしれません。そうなれば混乱は必至でしょう。
現時点で、それぞれの選考の場における荒らしの対策は残念ながら十分とはいいがたいです。たとえば月間強化記事賞では、昨年、Wikipedia‐ノート:月間強化記事賞#特定分野記事の受賞を妨害するための票の操作についてという議題が提起されていますし(私はこのときは議題に対する考えがまとまらず、議論に参加できませんでしたが…)、良質な記事の選考でも、愛知県蟹江町母子3人殺傷事件をめぐる選考で荒らしによる投票が問題になったことがあったかと思います。こうした状態で、複数の投票所の投票結果を反映させた表彰を新設することは非常に危険だと考えます。これが反対の第2の理由です。
Triglavさんへの予備相談が行われるなど事態が動き出している中、企画を根本から否定する意見を表明してよいものか悩みましたが、強化記事投票所の更新担当としてはどうしても看過できず、今回の意見表明と相成りました。以上、ご検討のほど宜しくお願い致します。--桜国の竜会話2020年2月24日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
  • 反対 - 加筆大会を開催していただくことは自由ですけれども、その定期開催については明確に反対します。
過去にWikipedia:今週の強化記事のように、定期化された加筆を促す取り組みがありましたけれども、あまり上手く機能しなかったように感じることが、反対の理由の1つ目です。
2つ目は、単純に人手の問題で、現状のWikipedia日本語版の定期化することが重荷になると思われるからです。加筆大会は「加筆大会を開催しよう」と持ち掛けた人物が、世話人をすれば最もスッキリします。そうするためには、仮に加筆大会を開催するとしても、1回1回、単発で行った方が良いと考えるからです。--G-Sounds会話2020年2月27日 (木) 21:09 (UTC)[返信]
  • 反対 - 何かのイベント開催はいいかもしれないが、既存の新着・強化・大幅加筆・GA・FAシステムの利用に反対。これらは少ない利用者の献身で維持されているが不定期に長期荒らしによる被害を蒙っており、イベントの採点システムに利用されてはより格好の目標になる。新規イベントに対する褒賞として顕彰システムが欲しいのであれば別途新規ページを作成し何らかの殿堂とでも題して栄誉を永続的に記してやればいいのかもしれない。とにかく新規システムを考案してもらいたいし、イベントに新着等のシステム利用が必須でもない。出典つけよう大会〜以来「何とか大会」のネーミングがされているが、ネーミングもダサいので全ページのサイトノーティスを利用するにあたって、イベント自体のネーミングをよく検討してほしい。そして利用者を強く誘引するイベントコンセプトを煮詰めた上、イベントに賛同する利用者を集めなけば成功は望めないと考える。既存のシステムに頼るイベントではなく、イベントには人を集めるコンセプトと求心力が必要です。--153.190.18.8 2020年2月28日 (金) 00:46 (UTC)[返信]

そろそろまとめの方向にもっていきませんか

  •  コメント 最後のコメント([13])からもう3週間たっています。そろそろ終了の方向にもっていきたいのですが…(見ている人がもう誰もいなさそうですが)。E217 Y-1さんはなぜ終了提案を取り下げられたのでしょう。Wikipedia:コメント依頼#議_2019年12月にもまだ残っていますし。とりあえず加筆大会の延期でよろしいでしょうか。--Tmv会話|投稿記録2020年4月22日 (水) 07:27 (UTC)[返信]
    • コメント 図書館も全部閉まっているなど時勢が時勢ですし、定期化云々議論するときじゃないと思います。新型コロナが収束してから議論再開したらよいかと思いますので、一旦議論を打ち切ることに賛成いたします。--UE-PON2600会話2020年4月22日 (水) 16:34 (UTC)[返信]
      • 報告 コメント依頼から除去しました意義異議がある方は戻してもいいです。ただ、その場合、この下に理由を書いていただけると助かります。--Tmv会話|投稿記録) 2020年4月23日 (木) 05:00 (UTC)修正--Tmv会話|投稿記録2020年4月23日 (木) 05:33 (UTC)[返信]
        •  まとめ この議論では、加筆大会を定期化するにもそれを管理できる利用者が十分に確保できない、という問題が出てきました。これについての対策が考え付いた人は、加筆大会について定期化の案をもう一度提出していいと思いますが、ここで出た問題点が克服できないうちに加筆大会について定期化しようというのは、無意味であり、無駄な労力であり、コミュニティを疲弊させますから、やめてほしいと思います。あと、ぜひ投票系のところにも寄って行って投票をしていってください。下に、選考についてのTemplateを張っておきます。下には載っていませんがWikipedia:感謝賞にも足を運びましょう。--Tmv会話|投稿記録) 2020年4月25日 (土) 07:47 (UTC)修正--Tmv会話|投稿記録2020年4月25日 (土) 07:48 (UTC)[返信]

カテゴリー新規作成に伴う郡会議員の取り扱いについて

47都道府県あった「Category:○○県の地方議会議員」の下位カテゴリーとして、先般、様々なカテゴリーが作成されました。神奈川県を例に挙げると次のようになります。

これから、各県の地方議会議員に含まれる人物を「県議会議員」と「市町村議会議員」に振り分けて行こうと思うのですが、「郡会議員」の人はどうしたらいいでしょうか?詳しい方がいましたらご教示願います。--パームまゆみ会話2019年12月26日 (木) 05:59 (UTC)[返信]

カテゴリ作成に関わった者です。Category:日本の郡会議員については、当該の人物記事に各都道府県の「地方議会議員」カテゴリも一緒に付与することで考えておりますが、収まる記事数が将来増加した際は道府県別の下位カテゴリを作成して細分化する、あるいは同じ道府県に属する郡会議員の記事が複数確認できた時点で作成してもよいかと考えています。--Ihimutefu会話2019年12月26日 (木) 12:59 (UTC)[返信]
追記です。当該の記事の人物が郡会議員のほかに都道府県(議)会議員や市町村(議)会議員を務めた場合は、その県議会議員や市町村議会議員のカテゴリを付与しますが、同時に上位の「地方議会議員」カテゴリと「郡会議員」カテゴリも付与するということで対応するということです(例として清末新郎治)。--Ihimutefu会話2019年12月26日 (木) 13:07 (UTC)[返信]
Category:日本の郡会議員」がすでに作成されていたんですね。気が付きませんでした。承知しました。私も『上位の「地方議会議員」カテゴリと「郡会議員」カテゴリの同時付与』が妥当かと思います。返信ありがとうございました。--パームまゆみ会話2019年12月26日 (木) 13:17 (UTC)[返信]

曖昧さ回避括弧つきの記事名で、合意なく移動され、差し戻された際に生成されるリダイレクトの扱い

具体的な案件は念頭にありますが、一般論として伺っておくべきと考え、こちらでコメントを求めます。

「A (XX)」という記事が、「A (YY)」に合意なく移動され、これを「A (XX)」に差し戻した場合、「A (YY)」から「A (XX)」へのリダイレクトが生成されます。このような場合は、通常であれば「Wikipedia:リダイレクト削除の方針」にしたがって削除依頼を出すべきかと思います。

他方で、「Wikipedia:即時削除の方針#リダイレクト」にある、リダイレクト3-1、3-2を見ると、改名提案で合意されていれば即時削除も適応できる訳です。改名提案さえされていない状態で勝手に移動され。差し戻された上記のようなケースは、即時削除でも良いように思えるのですが、そのように規定されていないことには理由なり、背景があるのでしょうか?

過去の議論などをご存知の方からのご教示を請いたいと思いますし、過去の経緯と関係なく、このような場合に即時削除にするのは問題があるとお考えの方からのご意見も伺えればありがたく思います。--山田晴通会話2019年12月27日 (金) 00:10 (UTC)[返信]

コメント 過去の経緯は存じ上げませんが、正式な手続きを踏んでいないだけで改名案が妥当なものであった場合、即時削除できた方がその後の移動に支障がなくて好ましいと思います。ただ、そのためには合意のない移動をされた方に説明が必要ですし、話がついた場合はその方に即時削除や改名手続きを行ってもらえばよいため、急いで即時削除しない方がよいかもしれません。
また、即時削除をしようとした場合に編集合戦が生じる恐れがあります。仮に即時削除がすぐに実行されてしまった場合、編集規則をよく知らないその編集者によって再度移動されてしまうかもしれません。そのまま以前と同じ名称で改名することもあれば、それがダメならこちらはどうか?と別の改名をされることもあり得ると思います。加えて即時削除テンプレートを貼ってある状態で(あまりないとは思いますが)それを剥がそうとするなども想定でき、何にせよ該当編集者に事情説明をして納得してもらう必要がありそうかと……。--Assemblykinematics会話2020年1月2日 (木) 08:46 (UTC)[返信]

個人名書き込みについて

以前、勤務先の知人によるその個人名による記事作成(悪戯として即時削除済み)および関連項目への赤リンク貼り付けを見つけましたが今まで放置していました。

  1. 具体的な記事名は古い過去の履歴に埋もれたようでどこにあったかわかりません(ていうか別件で版指定削除された可能性が特大)が、ダンプから調べるかここで調査を依頼するしかないのでしょうか。
  2. ここで該当の名前を出すと個人情報開陳に直結するので(状況を知り得るのが4人なので)できれば放置という形で終了したいのですがよろしいでしょうか(Wikipedia:削除の方針中における「ケース B-2:プライバシー問題に関して」のどこにも「一般人が自ら名前を記入した場合」とは記述されてないようです)。

--6144会話) 2019年12月28日 (土) 02:41 (UTC)修正--6144会話2019年12月28日 (土) 02:43 (UTC)[返信]

コメント 個人情報は訴訟リスク、影響度(侵害)、当人の意向次第かなと私自身は思います。--115.38.234.196 2019年12月29日 (日) 00:52 (UTC)[返信]

ソートキーを編集するbotは可能か?

どこに書けばいいのか分からなかったので井戸端に書きます。ソートキーをよく知らない方が濁音をそのままデフォルトソートに入力しているようです。これを常時稼働のbotにより自動で清音に変更することは可能でしょうか?--切干大根会話2019年12月29日 (日) 13:30 (UTC)[返信]

  • 「{{デフォルトソート:」より後、「[[Category:」より前に「が」「ぎ」…があれば「か」「き」にするというプログラムになると思います。--Reiwa period会話2019年12月30日 (月) 09:48 (UTC)[返信]
  • デフォルトソート部分を抽出 (\{\{(?:デフォルトソート|DEFAULTSORT):(.+?)\}\}$1)して、濁音や半濁音を清音に変換する関数を通す形になります。ただ、修正する記事のリストをどうやって準備するかが問題ですね。常時稼働とはいっても、最も編集件数が多くなる時間帯にその分botのリクエストが増えてしまうので、サーバーへの負荷が心配です (1秒間に複数記事を取得することになる)。編集フィルターでタグ付けだけして、あとからbotなり手作業なりで修正するほうがいいかもしれません。--Yuukin0248[会話/投稿記録] 2020年1月2日 (木) 02:15 (UTC)[返信]
  • コメント 私もタグ付けのみでいいかと思います。どれだけの量の物があるかわかりませんので、かなり負担は大きいかもしれません。安全側に倒してタグ付けというところでしょうか。--Tmv会話|投稿記録2020年1月6日 (月) 03:17 (UTC)[返信]
  • コメント 賛成 上と同じく。--byセロントーク履歴 2020年1月7日 (火) 02:24 (UTC)[返信]

「Wikipedia:オープンプロクシは使わない」方針の見直し依頼

要約
Wikipedia:オープンプロクシは使わない」方針が誤った内容の古い翻訳に基づいているため、メタウィキや他言語版との整合性が取れなくなっております。状況の解消のため協力を仰ぎます。
経緯
この方針は創始者らの議論を元に英語版のメタにおいて文書化され、日本語版のメタやウィキペディアにも翻案・転載されました。その後、英語版メタではノートページでの議論を経て利用者の行動についての方針ではないということが明確化されたのですが、日本語版では未だにCategory:利用者の行動についての方針に位置付けられたままとなっています。また、この方針に従ってIPブロックされた場合の適用除外申請に関する情報が提供されていません。このため、公開プロキシ利用者が謂れのない批判を受けたり、誤ブロックされた利用者に救済の機会が与えられないといった不利益が発生しています。
過去に一度、日本語版ウィキペディアのノートページで改定案が提起されましたが、「改定はメタでするもの」と日本語版メタのノートページに持ち込まれ、そのまま議論が10年以上も停滞しています。私のような新規利用者では保護されたプロジェクト関連文書を編集することはできませんし、合意形成を図る力もありませんので、それらを代わりに行って頂ける方を募ります。
作業内容
  1. メタにおける英語版から日本版への翻訳
  2. メタ日本語版からウィキペディア日本語版への更新反映
  3. ウィキペディア内でのリダイレクトと方針の位置付けの変更
疑問点
  • 記事名の日本語訳は何が適切か?
  • 日本語版特有の事情はあるか?
  • ウィキペディア特有の事情はあるか?
  • 本当に多くの利用者に支持されている方針か?
  • メタからのコピーだと宣言していても合意形成は必要か?
  • メタからのコピーはいつ・誰がやるのか?
  • 同様に放置されている方針があるのではないか?
呼び掛け先候補
話が横断的なため、どの検討事項をどこに持ち込むのが適切なのか、あるいは分散させずに一箇所でまとめて検討すべきか、私には判断が難しく、ひとまずこの井戸端への投稿のみとしました。--ProxyMon会話2020年1月1日 (水) 21:47 (UTC)[返信]
プロジェクト:プロジェクト関連文書/リストプロジェクト:プロジェクト関連文書/翻訳依頼Wikipedia:お知らせでの告知を行いました。--ProxyMon会話2020年1月20日 (月) 22:38 (UTC)[返信]
  • コメント メタウィキのグローバル方針についてそれほど見識が深いわけではありませんが、とりあえずわたしの見解を。
    • メタ日本語版独自規定の制定可否:メタ日本語版の方針はあくまでもメタ英語版方針の翻訳であり、独自の規定を盛り込むことはできないと考えます。そのため、矛盾点や論争があるとき、メタ英語版を基準に考えるべきであり、またメタ日本語版では原文に忠実に翻訳すればよい。
    • ウィキペディア日本語版独自規定の制定可否:メタ英語版の原文に"Projects may have local policies which go beyond this global policy"とあるので、独自規定は制定できると考えます。
      • 本当に多くの利用者に支持されているか:逆に言えば、独自規定を制定していない場合、メタ英語版の方針はそのまま適用されると考えます。これは「多くの利用者に支持されている」かどうかにかかわらずである。コミュニティから支持されていない場合は、独自規定を制定しましょう。
    • 議論場所:メタ英語版方針に関する議論はm:Talk:No open proxiesで、メタ日本語版への翻訳に関する議論はm:Talk:No open proxies/jaで行われます。メタ日本語版のウィキペディア日本語版への転記、並びにウィキペディア日本語版独自規定に関する議論はWikipedia‐ノート:オープンプロクシは使わない(適切な告知があれば井戸端でも可)で行われます。
    • メタからのコピー:ウィキペディア日本語版独自規定の制定が可能である以上、翻訳の持ち込みは規定の変更につながる可能性があります。したがって、合意形成は必要だと考えます。この場合、ほかの方針・ガイドラインと同じく、いつでもどなたでも議論提起はできると考えます。
    • ページ名の日本語訳:規制とか禁止とかにこだわらず、ウィキペディア日本語版におけるページ名として「Wikipedia:公開プロキシの方針」はいかがでしょう。メタ日本語版では(独自規定を盛り込めないため)原文に忠実に「公開プロキシ規制」でよいでしょう。
    • 独自規定の必要性:当方としては現時点で独自規定を制定する必要性はあまり感じません。まずはメタの方針からの更新を目指しましょう。
    • 同様に放置されている方針:これはここで議論するには議題が多すぎます。「オープンプロクシは使わない」の件が片付いてから改めて、ということでいかがでしょうか。
    • これからどうするか:手始めに、メタ日本語版における翻訳を確定しましょう。当方のほうから、Wikipedia:オープンプロクシは使わないm:Talk:No open proxies/jaで告知しました。
  • 以上です。--ネイ会話) 2020年1月21日 (火) 05:42 (UTC)リンク修正--ネイ会話2020年1月22日 (水) 02:12 (UTC)[返信]

Interwiki同志の結合について

マジカルドロップen:Magical DropのInterwikiが貼っていなかったため(もちろん同じゲームについての記事です)、Wikipedia:ウィキデータの記述を参考にInterwikiに追加しようとしましたが、「Wikidata上で別にデータがあるので統合してください」と出たので[14]に従って統合しようとしたところ「P1889なるプロパティを使用しているほかの項目にリンクしているため統合できません」(邦訳に自信なし)と出てきて統合できません。この場合どのように対処すればよろしいのでしょうか。--6144会話) 2020年1月4日 (土) 02:03 (UTC)修正--6144会話2020年1月4日 (土) 02:04 (UTC)[返信]

外部サイトにおける不当な中傷

ユアペディアというサイトをご存じの方は多いと思います。はっきり言ってウィキペディアからすれば相手にするに足るサイトではなく履歴を継承しない記事の転載や、管理者あるいは一般利用者の中傷が多数行われています。しかしこんな記事こんなアカウントさらにはこんなアカウントまで作られている始末です。またウィキペディアでは載せない、過去の犯罪被害者(主に強姦殺人の被害者)の実名はおろか、顔写真まで投稿されています。

無法地帯である、と片づけるのは簡単ですが、何とかできないものでしょうか?犯罪被害者の実名投稿に至ってはついては、犯罪そのものです。もう私には我慢ができません。--Liensberet会話2020年1月4日 (土) 14:25 (UTC)[返信]