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有馬記念

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有馬記念
(グランプリ)
第58回有馬記念
開催国 日本の旗 日本
主催者 日本中央競馬会
競馬場 中山競馬場
創設 1956年12月23日
2014年の情報
距離 芝2500m
格付け GI
賞金 1着賞金2億円[1]
出走条件 サラ系3歳以上(国際)(指定)[注 1]
#出走資格も参照
負担重量 定量(#負担重量を参照)
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有馬記念(ありまきねん)とは、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝内回り2500メートルで施行する中央競馬重賞競走GI)である。

正賞は日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞[1]

概要

1955年(昭和30年)まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であった[2]が、東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていた[2]ことから、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場の新スタンド竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案[2][3]。当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式[注 2][注 3]が採用され、1956年(昭和31年)に「中山グランプリ」が創設された[2][4]

しかし、第1回中山グランプリの興奮も冷めやらぬ1957年(昭和32年)1月9日に創設者の有馬理事長が急逝した[2]ため、有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称[2][4]。以来、中央競馬の一年を締めくくるレースとして定着した[2]。施行場は創設時より中山競馬場で変わっておらず、施行時期も12月下旬で定着している。

地方競馬所属馬は1995年(平成7年)から出走が可能になった[2]。外国馬は2000年(平成12年)から2006年(平成18年)まで、当該年度のジャパンカップを優勝した馬のみに出走資格が与えられていた[2]。2007年(平成19年)からは国際競走となり、外国馬の出走枠も6頭に増やされた[2]

競走条件

以下の内容は、2014年現在[1]のもの。

サラ系3歳以上(出走可能頭数:最大16頭)

  • JRA所属馬(ファン投票選出馬、及びJRA選定馬)
  • 地方競馬所属馬(JRA選定馬のみ)
  • 外国調教馬(最大6頭まで、優先出走)

出走馬の選定方法は以下のとおり。

  • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[注 4]
  • 上記以外の馬(外国調教馬を除く)は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方馬も同様)。

枠順(馬番号)の決定方法について

2014年の第59回は、出走馬の枠順(馬番号)決定方法についてJRA初の試みとして、「出走馬の関係者が希望する枠順を選択する方法」とされた。あわせて、BSフジにてテレビでの生中継も実施される[5][6]。手順は以下のとおり。

  1. 枠順(馬番号)を選択する出走馬1頭を抽選で選定
  2. 選定された出走馬の関係者が、希望する枠順を選択

上記を繰り返して、すべての枠順(馬番号)を決定する。

従来「枠順は抽選で決める」としていた競馬施行規定および規約が改正され、2014年11月25日に農林水産省から認可されたことで、このような選定方法が可能になった[6]。世界の主要な大レースでは枠順選定を公開抽選で行っているものも既にあり、たとえばフランスの旗 フランス凱旋門賞では馬番号が書かれた紙が入ったカプセルを取り出す方式。アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ブリーダーズカップでは馬番を書いた円形の回転盤にダーツの矢を投げ込む方式が採用されたことがあったり、アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦ドバイワールドカップでは抽選で好きな馬番を選ぶ方式が採用されたこともあった[7]

負担重量

  • 定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)[2]
  • 負担重量の変遷[2]
    • 第1回:3歳54kg、4歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第2回 - 第9回、第29回 - 第45回:馬齢重量
    • 第10回 - 第24回:3歳54kg、4歳56kg、5歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第25回 - 第28回:3歳55kg、4歳57kg、5歳以上56kg(牝馬2kg減)

賞金

現在(2014年)の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円[1]

中央競馬で施行される競走では、ジャパンカップの2億5000万円に次ぐ高額の1着賞金が設定されている[8][注 5]

褒賞金・特別出走奨励金

日本中央競馬会では、2000年以降に以下のような褒賞金・特別出走奨励金制度を設けた。これらはいずれも、クラス分けに用いる「収得賞金」には算入されない。

  • 2000年:同一年に秋季開催で行われる古馬GI(天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念)を全て優勝した馬に、1億円の特別褒賞金(後に内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を交付する制度が始められた[11]。達成馬は2000年のテイエムオペラオーと2004年のゼンノロブロイ
  • 2010年:JRA所属馬で当該年のJRA・海外のGI競走を優勝した馬が本競走に出走し、かつ3着までに入着した場合に限り、1着馬に3000万円、2着馬に2000万円、3着馬に1000万円の褒賞金を交付[12]するようになった。
  • 2011年:天皇賞(秋)とジャパンカップのいずれかで3着以内に入着した馬が本競走に出走し、かつ3着までに入着した場合に最大5000万円の褒賞金が交付されるようになった[12]
  • 2014年:当該年度のGI競走で3着以内がある馬、または平地の重賞競走優勝馬がファン投票上位(1位 - 10位)で出走する場合、特別出走奨励金を交付するように変更、従来の褒賞金基準は廃止[13]

歴史

有馬頼寧と「有馬特例法」

1948年、太平洋戦争後に日本に進駐していた連合国軍最高司令部は、日本国内の競馬施行体で唯一の全国組織であった日本競馬会独占禁止法に抵触する機関として問題視し、閉鎖を指示。1948年7月の競馬法施行に伴い日本競馬会は解散し、以後しばらく競馬は農林省競馬部により運営されることとなった(国営競馬[14]。その後、1951年に自由党内の競馬小委員会において「競馬民営化論」が提唱され、同年サンフランシスコ平和条約調印により日本の主権が回復されると民営化論はさらに活発化、1954年には民営(農林省監督)による競馬施行体・日本中央競馬会の発足に至った[15]。しかし国家財政への寄与という名目で控除率が高く設定されたこともあり、客足は地方競馬競輪といった新たな公営競技に向き[16]、民営化後第1回開催の売上は目標額に到達せず、その運営は前途多難なものだった[15]。日本中央競馬会初代理事長には、日露戦争当時から競馬の振興に取り組み、「競馬翁」の異名があった安田伊左衛門が就任したが、翌1955年4月4日には第1次近衛内閣で農相を務めた有馬頼寧が第2代理事長に就任した[15]

競馬が国営であった間、競馬関連の諸施設は部分的な補修、修理が行われていたものの、予算の関係上、大規模な改修は行うことができず、なかでも中山競馬場の大スタンドは老朽化が進み危険な状態にあった[15]。しかし当時の日本中央競馬会はその改修に充てる費用を持ちあわせていなかった[15]。そこで新理事長の有馬は、ときの農相・河野一郎ら政府関係者に働きかけ、「1960年12月31日までの間、日本中央競馬会は農林大臣の許可を得て行う臨時の競馬開催により得た収益を、政府指定の建造物に限りその改築に充てて可なり、また収益の一部を国庫に納付する義務も負わない」という旨の、「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」、通称「有馬特例法」成立に漕ぎつけた[15]。そして翌1956年1月1日、中山競馬場の大スタンドがこの法律の適用される「政令指定工作物」の第1号となり[15]、3月22日に特例法による臨時開催が中山で8日間[17]行われたのち、10月13日にスタンド新築を含む第1期工事が竣工した[18]

中山グランプリ創設 - 「有馬記念」へ

中山改築前年の1955年末、有馬は競馬会のパーティーにおいて、「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という腹案を明かした[16]。有馬は戦前にプロ野球・東京セネタースのオーナーを務めていたことがあり[16]、野球のオールスターゲームから着想を得て「ファン投票による出走馬選定」という企画に至った[18]。従来の中山では中山大障害皐月賞が二大競走だったが、同じ関東の主要場であり、東京優駿(日本ダービー)天皇賞(秋)優駿牝馬(オークス)という大競走を抱える東京競馬場に比して格が落ちるという意識が中山の関係者間にもあり、この案は好意的に迎えられた[16]。さらにこの競走には、4歳クラシック競走を走り終えた4歳馬と、古馬(5歳以上馬)の最大目標である天皇賞(秋)を終えた馬がぶつかる日本一決定戦という大きな要素も加えられることとなった[16]

第1回の競走名は「中山グランプリ」とされた。フランスには「パリ大賞(Grand Prix de Paris)」という名の大競走があったものの、日本において「グランプリ」という語は、黒澤明監督の映画『羅生門』が1951年にヴェネツィア国際映画祭の最高賞(グランプリ)を受賞してから巷間に広まり、ために当時は映画絡みの言葉という感が強く、競馬の競走名として適当でないとの見方もあった[18]。このため、「中山グランプリ」はあくまでも仮の名称として、第1回競走の投票用紙には競走名の案を書く欄も設けられた[18]。競走名案には3812通が寄せられ、中山グランプリのほかに、中山大賞典、中山王冠賞、中山王冠、中山栄冠賞、栄冠賞、中山大賞典記念、中山賞典、王冠、王冠賞、中山クラウン賞といったものがあった[18]。しかし妙案がないということで競走名は「中山グランプリ」のまま据え置かれ[18]、1956年12月23日、新スタンドを備えた中山競馬場において第1回競走が行われた。出走12頭のうち、天皇賞の優勝馬が3頭、クラシック競走の優勝馬が4頭と当時の強豪が一堂に会し、中山では1万人入れば大入りといわれた時代にあって、当日の入場者は2万7801人という盛況であった[16]

第1回中山グランプリからわずか17日後、有馬頼寧は肺炎により急逝する。理事長として1年9カ月という短い在任の間、様々な功績を残した有馬を称え[18]、同年11月23日、中山グランプリは「有馬記念」と改称された[17]。その後、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着[18]。また、勝馬投票券の売上は日本一を誇る競走となり[16]、1996年度には世界の競馬史上最高額の875億円を売り上げ、ギネス世界記録に認定登録された[19]。有馬記念は競馬界のみならず日本の年末の風物詩として、社会的な認知を得るに至っている[18]

年譜

  • 1956年 - 4歳(現3歳)以上の馬による重賞競走「中山グランプリ」を創設、中山競馬場の芝2600m(内回り)で施行[2]
  • 1957年 - 名称を「有馬記念」に変更[2]
  • 1960年 - 施行コースを芝2600m(外回り)に変更[2]
  • 1966年 - 施行コースを芝2500m(内回り)に変更[2]。これ以降、この施行距離が定着。   
  • 1984年 - グレード制導入、GIに格付け。
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬も出走が可能に[2]
  • 2001年
    • 馬齢表示を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「4歳以上」から「3歳以上」に変更[2]
    • 負担重量を「定量」に変更。5歳以上の負担重量が牡馬・騸馬57kg・牝馬55kgに変更。
    • 敬宮愛子内親王御誕生慶祝」の副称を付けて施行[2]
  • 2007年 - 国際競走に指定され、外国調教馬が6頭まで出走可能に[2]

歴代優勝馬

国際競走となった2007年以降は優勝馬の国旗を表記する。

優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。

競走名は第1回が「中山グランプリ」[2]、第2回以降は「有馬記念」。

回数 施行日 競馬場 距離 調教国・優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1956年12月23日 中山 芝・内2600m メイヂヒカリ 牡4 2:43 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第2回 1957年12月22日 中山 芝・内2600m ハクチカラ 牡4 2:49 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第3回 1958年12月21日 中山 芝・内2600m オンワードゼア 牡4 2:49 1/5 八木沢勝美 二本柳俊夫 樫山純三
第4回 1959年12月20日 中山 芝・内2600m ガーネツト 牝4 2:50.9 伊藤竹男 稗田敏男 畑江五郎
第5回 1960年12月18日 中山 芝・外2600m スターロツチ 牝3 2:44.5 高松三太 松山吉三郎 藤井金次郎
第6回 1961年12月24日 中山 芝・外2600m ホマレボシ 牡4 2:40.8 高松三太 稗田敏男 川口文子
第7回 1962年12月23日 中山 芝・外2600m オンスロート 牡5 2:44.4 山岡忞 中村広 田村喜志
第8回 1963年12月22日 中山 芝・外2600m リユウフオーレル 牡4 2:42.5 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第9回 1964年12月27日 中山 芝・外2600m ヤマトキヨウダイ 牡4 2:45.1 梶与四松 稲葉幸夫 門井みち
第10回 1965年12月26日 中山 芝・外2600m シンザン 牡4 2:47.2 松本善登 武田文吾 橋元幸吉
第11回 1966年12月25日 中山 芝・内2500m コレヒデ 牡4 2:37.0 保田隆芳 尾形藤吉 千明康
第12回 1967年12月24日 中山 芝・内2500m カブトシロー 牡5 2:39.7 大崎昭一 久保田彦之 (有)志賀
第13回 1968年12月22日 中山 芝・内2500m リュウズキ 牡4 2:46.2 森安弘明 矢倉玉男 福井章哉
第14回 1969年12月21日 中山 芝・内2500m スピードシンボリ 牡6 2:35.1 野平祐二 野平省三 和田共弘
第15回 1970年12月20日 中山 芝・内2500m スピードシンボリ 牡7 2:35.7 野平祐二 野平省三 和田共弘
第16回 1971年12月19日 中山 芝・内2500m トウメイ 牝5 2:36.0 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第17回 1972年12月17日 中山 芝・内2500m イシノヒカル 牡3 2:38.5 増沢末夫 浅野武志 石嶋清仁
第18回 1973年12月16日 中山 芝・内2500m ストロングエイト 牡4 2:36.4 中島啓之 奥平真治 (有)ハイランド牧場
第19回 1974年12月15日 中山 芝・内2500m タニノチカラ 牡5 2:35.9 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第20回 1975年12月14日 中山 芝・内2500m イシノアラシ 牡3 2:38.1 加賀武見 浅野武志 石嶋清仁
第21回 1976年12月19日 中山 芝・内2500m トウショウボーイ 牡3 2:34.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第22回 1977年12月18日 中山 芝・内2500m テンポイント 牡4 2:35.4 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第23回 1978年12月17日 中山 芝・内2500m カネミノブ 牡4 2:33.4 加賀武見 阿部新生 角替光二
第24回 1979年12月16日 中山 芝・内2500m グリーングラス 牡6 2:35.4 大崎昭一 中野隆良 半沢吉四郎
第25回 1980年12月21日 中山 芝・内2500m ホウヨウボーイ 牡5 2:33.7 加藤和宏 二本柳俊夫 古川嘉治
第26回 1981年12月20日 中山 芝・内2500m アンバーシャダイ 牡4 2:35.5 東信二 二本柳俊夫 吉田善哉
第27回 1982年12月26日 中山 芝・内2500m ヒカリデユール 牡5 2:36.7 河内洋 須貝彦三 橋本善吉
第28回 1983年12月25日 中山 芝・内2500m リードホーユー 牡3 2:34.0 田原成貴 服部正利 熊本芳雄
第29回 1984年12月23日 中山 芝・内2500m シンボリルドルフ 牡3 2:32.8 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第30回 1985年12月22日 中山 芝・内2500m シンボリルドルフ 牡4 2:33.1 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第31回 1986年12月21日 中山 芝・内2500m ダイナガリバー 牡3 2:34.0 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第32回 1987年12月27日 中山 芝・内2500m メジロデュレン 牡4 2:33.9 村本善之 池江泰郎 メジロ商事(株)
第33回 1988年12月25日 中山 芝・内2500m オグリキャップ 牡3 2:33.9 岡部幸雄 瀬戸口勉 佐橋五十雄
第34回 1989年12月24日 中山 芝・内2500m イナリワン 牡5 2:31.7 柴田政人 鈴木清 保手浜弘規
第35回 1990年12月23日 中山 芝・内2500m オグリキャップ 牡5 2:34.2 武豊 瀬戸口勉 近藤俊典
第36回 1991年12月22日 中山 芝・内2500m ダイユウサク 牡6 2:30.6 熊沢重文 内藤繁春 橋元幸平
第37回 1992年12月27日 中山 芝・内2500m メジロパーマー 牡5 2:33.5 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場
第38回 1993年12月26日 中山 芝・内2500m トウカイテイオー 牡5 2:30.9 田原成貴 松元省一 内村正則
第39回 1994年12月25日 中山 芝・内2500m ナリタブライアン 牡3 2:32.2 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第40回 1995年12月24日 中山 芝・内2500m マヤノトップガン 牡3 2:33.6 田原成貴 坂口正大 田所祐
第41回 1996年12月22日 中山 芝・内2500m サクラローレル 牡5 2:33.8 横山典弘 境勝太郎 (株)さくらコマース
第42回 1997年12月21日 中山 芝・内2500m シルクジャスティス 牡3 2:34.8 藤田伸二 大久保正陽 有限会社シルク
第43回 1998年12月27日 中山 芝・内2500m グラスワンダー 牡3 2:32.1 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第44回 1999年12月26日 中山 芝・内2500m グラスワンダー 牡4 2:37.2 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第45回 2000年12月24日 中山 芝・内2500m テイエムオペラオー 牡4 2:34.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第46回 2001年12月23日 中山 芝・内2500m マンハッタンカフェ 牡3 2:33.1 蛯名正義 小島太 西川清
第47回 2002年12月22日 中山 芝・内2500m シンボリクリスエス 牡3 2:32.6 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第48回 2003年12月28日 中山 芝・内2500m シンボリクリスエス 牡4 2:30.5 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第49回 2004年12月26日 中山 芝・内2500m ゼンノロブロイ 牡4 2:29.5 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第50回 2005年12月25日 中山 芝・内2500m ハーツクライ 牡4 2:31.9 C.ルメール 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第51回 2006年12月24日 中山 芝・内2500m ディープインパクト 牡4 2:31.9 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第52回 2007年12月23日 中山 芝・内2500m 日本の旗マツリダゴッホ 牡4 2:33.6 蛯名正義 国枝栄 高橋文枝
第53回 2008年12月28日 中山 芝・内2500m 日本の旗ダイワスカーレット 牝4 2:31.5 安藤勝己 松田国英 大城敬三
第54回 2009年12月27日 中山 芝・内2500m 日本の旗ドリームジャーニー 牡5 2:30.0 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第55回 2010年12月26日 中山 芝・内2500m 日本の旗ヴィクトワールピサ 牡3 2:32.6 M.デムーロ 角居勝彦 市川義美
第56回 2011年12月25日 中山 芝・内2500m 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:36.0 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第57回 2012年12月23日 中山 芝・内2500m 日本の旗ゴールドシップ 牡3 2:31.9 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第58回 2013年12月22日 中山 芝・内2500m 日本の旗オルフェーヴル 牡5 2:32.3 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング

有馬記念の記録

  • レースレコード - 2:29.5(第49回)[2][20]
  • 最多優勝騎手 - 3勝
    • 岡部幸雄(第29回・第30回・第33回)[21]
    • 田原成貴(第28回・第38回・第40回)[21]
    • オリビエ・ペリエ(第47回 - 第49回)
    • 池添謙一(第54回・第56回・第58回)[22]
  • 最多勝調教師 - 3勝
    • 二本柳俊夫(第3回・第25回・第26回)[21]
    • 大久保正陽(第37回・第39回・第42回)[21]
    • 藤沢和雄(第47回 - 第49回)
    • 池江泰寿(第54回・第56回・第58回)[22]

歴代ファン投票1位

回数 開催年 ファン投票1位 性齢 得票数 結果 出典
第1回 1956 キタノオー 牡3 6,159 2着 [23]
第2回 1957 ハクチカラ 牡4 7,356 1着
第3回 1958 カツラシユウホウ 牡3 18,952 不出走
第4回 1959 ハククラマ 牡3 11,438 12着
第5回 1960 コダマ 牡3 17,082 6着
第6回 1961 シーザー 牡4 12,773 4着
第7回 1962 オンスロート 牡5 15,617 1着
第8回 1963 メイズイ 牡3 18,309 2着
第9回 1964 メイズイ 牡4 18,448 3着
第10回 1965 シンザン 牡4 26,853 1着
第11回 1966 ナスノコトブキ 牡3 22,510 5着
第12回 1967 スピードシンボリ 牡4 22,143 4着
第13回 1968 アサカオー 牡3 23,098 6着
第14回 1969 マーチス 牡4 21,798 10着
第15回 1970 アカネテンリュウ 牡4 20,295 2着
第16回 1971 アカネテンリュウ 牡5 25,215 出走取消
第17回 1972 イシノヒカル 牡3 17,022 1着
第18回 1973 ハイセイコー 牡3 24,143 3着
第19回 1974 ハイセイコー 牡4 22,400 2着
第20回 1975 キタノカチドキ 牡4 17,077 8着
第21回 1976 トウショウボーイ 牡3 19,957 1着
第22回 1977 テンポイント 牡4 22,541 1着
第23回 1978 プレストウコウ 牡4 75,257 2着
第24回 1979 サクラショウリ 牡4 90,301 6着
第25回 1980 カツラノハイセイコ 牡4 154,640 2着
第26回 1981 ホウヨウボーイ 牡6 185,747 2着
第27回 1982 モンテプリンス 牡5 113,667 11着
第28回 1983 アンバーシャダイ 牡6 147,484 3着
第29回 1984 ミスターシービー 牡4 171,979 3着
第30回 1985 シンボリルドルフ 牡4 140,753 1着
第31回 1986 ミホシンザン 牡4 168,210 3着
第32回 1987 サクラスターオー 牡3 141,494 競走中止
第33回 1988 タマモクロス 牡4 183,473 2着
第34回 1989 オグリキャップ 牡4 197,682 5着
第35回 1990 オグリキャップ 牡5 146,738 1着
第36回 1991 メジロマックイーン 牡4 155,353 2着
第37回 1992 トウカイテイオー 牡4 177,926 11着
第38回 1993 ビワハヤヒデ 牡3 146,218 2着
第39回 1994 ナリタブライアン 牡3 178,471 1着
第40回 1995 ヒシアマゾン 牝4 173,689 5着
第41回 1996 マヤノトップガン 牡4 155,122 7着
第42回 1997 エアグルーヴ 牝4 142,596 3着
第43回 1998 エアグルーヴ 牝5 165,357 5着
第44回 1999 スペシャルウィーク 牡4 165,734 2着
第45回 2000 テイエムオペラオー 牡4 109,140 1着
第46回 2001 テイエムオペラオー 牡5 93,217 5着
第47回 2002 ナリタトップロード 牡6 91,122 4着
第48回 2003 シンボリクリスエス 牡4 125,116 1着
第49回 2004 ゼンノロブロイ 牡4 100,052 1着
第50回 2005 ディープインパクト 牡3 160,297 2着
第51回 2006 ディープインパクト 牡4 119,940 1着
第52回 2007 ウオッカ 牝3 105,441 11着
第53回 2008 ウオッカ 牝4 136,619 不出走
第54回 2009 ウオッカ 牝5 105,059 不出走
第55回 2010 ブエナビスタ 牝4 111,323 2着 [24]
第56回 2011 ブエナビスタ 牝5 109,247 7着 [25]
第57回 2012 オルフェーヴル 牡4 90,474 不出走 [26]
第58回 2013 オルフェーヴル 牡5 81,198 1着 [27]
第59回 2014 ゴールドシップ 牡5 66,796 (未施行) [28]

※2010年以降の出否、着順については各回競走結果の出典を参照。

脚注・出典

注釈

  1. ^ 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシックに出走できない騸馬でも出走が可能である。
  2. ^ この他に推薦委員会による選出もあったが、形骸化したため1996年より廃止された。
  3. ^ 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪オールスター競輪)である。
  4. ^ 上位10位以内で出走辞退・出走意思なしなどでこのレースに進出しない場合、その頭数分だけ繰り下げる場合がある。中央にアラブのレースがあった時代にはアングロアラブの出走も可能であり、「アラブの怪物」の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたものの、アラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している。
  5. ^ 地方競馬で施行する競走では、JBCクラシック(JpnI)の1着賞金8000万円が最高額で、東京大賞典(GI)の7000万円がこれに続く[9][10]

出典

  1. ^ a b c d 平成26年第4回中山競馬番組 (PDF) - 日本中央競馬会、2014年12月9日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 今週の注目レース(第58回有馬記念) - 日本中央競馬会、2014年7月28日閲覧
  3. ^ Gallop臨時増刊「有馬記念全史」14P 有馬記念創設の歴史
  4. ^ a b Gallop臨時増刊「有馬記念全史」15P 有馬記念創設の歴史
  5. ^ 有馬記念枠順決定の方法およびテレビ中継について - 日本中央競馬会、2014年12月9日閲覧
  6. ^ a b 有馬枠順抽選に新機軸、希望馬番選べる 25日BSフジで生中継 - スポニチアネックス、2014年12月9日閲覧
  7. ^ 世界主要レースの枠順決定方法 米国BCではダーツによる抽選も - スポニチアネックス、2014年12月9日閲覧
  8. ^ 平成26年度重賞競走一覧 (PDF) - 日本中央競馬会、2014年7月28日閲覧
  9. ^ 2014年ダート交流重賞競走一覧 - 地方競馬全国協会、2014年6月21日閲覧
  10. ^ JBC特設サイト2014(開催概要) - 地方競馬全国協会、2014年6月21日閲覧
  11. ^ 同一年度に本会が定める競走に優勝した馬に対する褒賞金 (PDF) - JRA公式サイト 2011年12月7日閲覧
  12. ^ a b 有馬記念競走における褒賞金 (PDF) - JRA公式サイト 2011年12月7日閲覧
  13. ^ 2014年度競馬番組等について - 日本中央競馬会、2014年11月18日閲覧
  14. ^ 『中山競馬場70年史』pp.58-59
  15. ^ a b c d e f g 『中山競馬場70年史』pp.64-66
  16. ^ a b c d e f g 『優駿』2008年1月号、pp.32-34
  17. ^ a b 『中山競馬場70年史』pp.139-140
  18. ^ a b c d e f g h i 『中山競馬場70年史』pp.69-72
  19. ^ 『優駿』2011年1月号、p.38
  20. ^ Gallop 臨時増刊「有馬記念全史」152P
  21. ^ a b c d Gallop 臨時増刊「有馬記念全史」151P
  22. ^ a b 「別冊宝島」競馬激闘史 122P 有馬記念データ
  23. ^ 『優駿』2011年1月号、p.35-37
  24. ^ 【有馬記念】ブエナ雪辱へ堂々のファン投票1位”. スポーツニッポン (2010年12月10日). 2014年12月11日閲覧。
  25. ^ ブエナビスタが2年連続1位 有馬記念ファン投票”. スポーツニッポン (2011年12月8日). 2014年12月11日閲覧。
  26. ^ 【有馬記念ファン投票】〜最終結果発表、オルフェーヴル1位”. netkeiba.com (2012年12月6日). 2014年12月13日閲覧。
  27. ^ 【有馬記念】ファン投票・最終発表〜1位オルフェ、2位キズナ、3位ゴールド”. netkeiba.com (2013年12月5日). 2014年12月13日閲覧。
  28. ^ 【有馬記念】ファン投票最終集計~1位ゴールドシップ、2位ジェンティルドンナ”. netkeiba.com (2013年12月11日). 2014年12月13日閲覧。

各回競走結果の出典

馬主名義
  • 中山競馬場70年史編集委員会(編)『中山競馬場70年史』(日本中央競馬会中山競馬場、1998年):1956年~1960年
  • 日本馬主協会連合会(編)『日本馬主協会連合会40年史』(日本馬主協会連合会、2001年):1961年~2000年
  • 日本馬主協会連合会(編)『日本馬主協会連合会50年史』(日本馬主協会連合会、2011年):2001年~2010年
  • 日本中央競馬会ホームページより

参考文献

  • 中山競馬場70年史編集委員会(編)『中山競馬場70年史』(日本中央競馬会中山競馬場、1998年)
  • 『優駿』2008年1月号(日本中央競馬会)
    • 阿部珠樹「第1回有馬記念(中山グランプリ)とその時代 - 『世界一馬券が売れるレース』の原点を探る」
  • 『優駿』2011年1月号(日本中央競馬会)
    • 日夏ユタカ「有馬記念"ミニ"クロニクル」
    • 「有馬記念ファン投票ベストテン全史」

関連項目

外部リンク