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桐蔭学園高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桐蔭学園中学校から転送)
桐蔭学園高等学校
A棟(旧:高等学校男子部1・2年校舎)
地図北緯35度34分0.5秒 東経139度31分16.9秒 / 北緯35.566806度 東経139.521361度 / 35.566806; 139.521361座標: 北緯35度34分0.5秒 東経139度31分16.9秒 / 北緯35.566806度 東経139.521361度 / 35.566806; 139.521361
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人桐蔭学園
設立年月日 1964年(昭和39年)
創立者 柴田周吉
共学・別学 男女共学(2018年度以降[1]
課程 全日制
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学科内専門コース プログレスコース
アドバンスコース
スタンダードコース
学期 3学期制(2018年度以降[2]
学校コード D114310000357 ウィキデータを編集(高等学校)
C114310000304 ウィキデータを編集(中学校)
高校コード 14524G
所在地 225-8502
外部リンク https://toin.ac.jp/high/
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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桐蔭学園高等学校(とういんがくえんこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市青葉区鉄町に所在する私立高等学校

創立以来男女併学であったが2018年度入学生から共学となった。なお、当校と中高一貫教育を実施していた桐蔭学園中学校は2018年度から桐蔭学園中等教育学校に一本化され、2021年3月31日をもって閉校となった。

概要

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1964年(昭和39年)4月、学校法人桐蔭学園設立と同時に桐蔭学園高等学校(普通科)創設。「公教育ではできない、私立ならではの教育」を掲げ、「真のエリートの育成」を目指して設立された。「能力別授業」(学力別授業、現:習熟度別)を実施[3]、生徒が進学したい大学に入れる学校を目指した[4]。また、クラブ活動を奨励し、1971年(昭和46年)には、高校野球において夏の甲子園で初出場・初優勝の快挙を成し遂げた。

かつては1学年が1600人のマンモス校[5]、クラス・コース編成を細分化、生徒の進路希望に合わせた授業を展開し、進学実績は急上昇、ピークの1992年(平成4年)では東大合格者114人、京大合格者16人を輩出している。かつては神奈川御三家[6]にも数えられていた。定員はかつての1学年1600人から漸減されており、2019年度の高等学校入学者数は774人となっている。

量こそ質の経営方針は、2000年代に入り、進学実績が激減という形で現れ(2017年の東大合格者は2人、京大合格者は0人[7])、1998年から制度化された中等教育学校を機と見て、2001年桐蔭学園中等教育学校を分離・併設した。これにより、小規模で難関大受験に特化する教育の編成ができた。だが、同一施設内に所在し、校歌も同じで、設備・グランドなども「従来校」と共用、中等6年時には高校女子部の理数コースとの合同の授業も行われ、入試時・在籍時の従来校での成績優秀者は「中等」へ編入可とするなど、事実上は「従来校」との連携が行われていた。

マンモス校で、最寄り駅からのバスが不便、また男女共学でないことから、受験生・保護者から敬遠されたとみる受験関係者も多く[8]、これらを打開するため、2018年度には桐蔭学園高校を男女併学から男女共学にし、理数科を廃止しコース別編成にした[9]2019年度から桐蔭学園中学校の募集を停止(2021年度廃校)、桐蔭学園小学校の卒業生は桐蔭中等教育学校に進学することにした。よって、桐蔭学園高校は高校からのみの募集となる[1]

沿革

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  • 1964年昭和39年)4月 - 学校法人桐蔭学園設立。桐蔭学園高等学校(普通科)開設[注 1]
  • 1966年(昭和41年)4月 - 桐蔭学園中学校開設(男子部として)。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 桐蔭学園高等学校に理数科を開設。
  • 1981年(昭和56年)4月 - 桐蔭学園中学校・高等学校に女子部を開設(高等学校女子部は普通科のみ)[注 2]、食堂増設[注 3]
  • 1985年(昭和60年) - 女子部の校舎が完成[10]。女子部の鸞鳳祭が始まる[10]
  • 1992年平成4年)4月 - ドイツ桐蔭学園(中等部・高等部)開校。
  • 1997年(平成9年) - 新校舎竣工、男子部にも食堂増設。天体ドーム撤去。
  • 2001年(平成13年)4月 - 桐蔭学園中等教育学校開設(男子4クラスを分離した)。
  • 2012年(平成24年)4月 - ドイツ桐蔭学園(中等部・高等部)閉校。
  • 2018年(平成30年)4月 - この年度の外部からの新入生より高等学校が男女共学化。普通科にプログレス・アドバンス・スタンダードの3コース制を導入する。高等学校理数科の募集停止。
  • 2019年(平成31年)4月 - 中学校と中等教育学校を中等教育学校に一本化するために、中学校(男子部・女子部)の募集停止。
  • 2021年令和3年)4月 - 桐蔭学園中学校閉校。

編成

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2018年度から共学としコースを改編した[1]

  • プログレスコース:難関国公立大学および医学部進学に対応する。
  • アドバンスコース:国公立大学および早慶等の難関私立大学進学に対応する。
  • スタンダードコース:国公立大学および難関私立大学進学に対応する。

カリキュラム

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  • 2018年度より3学期制となる[2]
  • 定期試験の成績により2年からは習熟度別授業クラス(レッスンルームと呼ぶ)の入れ替えが科目ごとに行われる。ホームルームは1年から2年に進級するときの1回だけクラス替えが行われる。
  • 定期考査においては、「到達度方式」と呼ばれる方式を採用している。60点未満だと補習、課題提出、30点未満だと追試験の対象となる。

進学実績

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2023年の主な進学実績は、国公立大では東京大学3名、京都大学1名、一橋大学4名、東京工業大学6名、横浜国立大学13名、東京都立大学18名、横浜市立大学11名、東京学芸大学9名、筑波大学6名、北海道大学4名など。

私立では早稲田大学57名、慶應義塾大学51名、上智大学46名、東京理科大学51名、明治大学127名、中央大学104名、立教大学51名、青山学院大学80名、法政大学126名などを輩出している。

象徴

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建学の精神・校訓

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建学の精神
  • 社会連帯を基調とした、義務を実行する自由人たれ。
  • 学問に徹し、求学の精神の持ち主たれ。
  • 道義の精神を高揚し、誇り高き人格者たれ。
  • 国を愛し、民族を愛する国民たれ。
  • 自然を愛し、平和を愛する国際人たれ。
校訓
  • すべてのことに「まこと」をつくそう。
  • 最後までやり抜く「強い意志」を養おう。

校風

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かつて校則が厳しい学校として知られていたが、近年は緩和され、生徒の自主性は高くなっている。また、校外での芸能活動などを実質的に禁止としていたが、ここ数年は芸能活動を認めている。

校章

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桐蔭学園の校章は、「五三の桐」である。桐には瑞鳥・鳳凰が宿るとされ、鳳凰が千里万里を天翔る前に、その力を養うのが桐樹の蔭である。これは、歴代理事長の母校である、旧制東京高等師範学校東京教育大学を経た、現在の筑波大学)に因んだ校章となっている。

学園歌

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学園内のそれぞれの学校の校歌は学園歌と呼称し1970年に制定された。

制服

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制服は開校当時、男子部は金ボタン5個の学ラン、女子部はブレザーと棒ネクタイ(1988年春の選抜高校野球出場当時)だったが、現在は男子部・女子部共にブレザー、男子部はネクタイ、女子部はリボン・ネクタイに改訂され、2015年度から制服もモデルチェンジされた。2018年度からはバッグメーカーanelloとコラボしたスクールバッグを展開。女子はスラックス型も選択できる。

キャンパス

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キャンパスは43万km2と広大であり、勉学・スポーツ・情操教育のためのものとなる施設を含め、様々なものがある。丹下健三らによる設計である。

  • キャンパス中央には、1,700席以上を誇る芸術ホール「桐蔭学園シンフォニーホール(旧称:鵜川メモリアルホール)」がある。ここは音楽、演劇、映画、講演など各種の催事に対応できる多目的ホールで、学園内で生徒たちが様々な芸術・文化に直に接することができる。
  • 桐蔭学園シンフォニーホールでは、過去にN響ウィーン少年合唱団ディズニー・オン・クラシック等の演奏会などが開催されていた。
  • 食堂は校舎ごとに設置されている。2018年度より男女共学に伴い昼食時の食堂の利用も男女共用になった。
  • 自宅外生の受け入れも行っており、鉄町の学園敷地内と学園の近隣数ヶ所に学生寮を有している。

交通

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[11]

乗車駅 系統 下車停留所 運行事業者
東急田園都市線市が尾駅 市43[注 4]・直行・青27 「桐蔭学園前」 東急
東急田園都市線青葉台駅 青27・青28[注 5]
東急田園都市線あざみ野駅 急行・た26・あ27[注 6] 「もみの木台」、徒歩15分
小田急線新百合ヶ丘駅 新21・新23 小田急
小田急線柿生駅 柿22 「桐蔭学園」
柿23 「桐蔭学園入口」、徒歩3分

学校行事

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学園祭

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2017年までは男女別であったが、2018年より、男子部中高・中等で用いられていた、鵬翔祭(ほうしょうさい)を用いる。

  • 1974年、高校男子10期生の生徒を中心に学園祭開催の要望が出され、学校側は「日常生活の反映」、「独創性の発揮」、「全員参加」の3原則に沿って開催することを要請した[10]。生徒たち自身からの要請により文化祭の開催が実現するというきわめてまれな経緯により、生徒たちがこの3原則の下文化祭の計画を立て、翌1977年に第1回を開催した[10]。中学は1990年、中等は2001年から開催している[10]
    • 改革の末、2010年(第34回鵬翔祭)より模擬店企画が主に高校2年普通科で復活した。
鸞鳳祭(らんほうさい)
  • 女子部の学園祭は「鸞鳳祭」と呼んでいた。
  • 中等の共学化された学年も同様の名称を使用している。
  • 当初は男子部の校舎を間借りして行っていたが、1985年に女子部の校舎が完成したときに第1回が開催された[10]

体育祭

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2022年まではスポーツ競技会とされていたが、2023年より鳳舞祭(ほうぶさい)として高校共学で正式に開催された[12]

  • 2022年、高校共学の有志の生徒を中心に体育祭開催の要望が出され、翌2023年に第1回を開催した[12]

部活動

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運動部においては硬式野球部、サッカー部、ラグビー部、柔道部、剣道部、テニス部、陸上部(リレー種目)などが全国優勝の実績がある。

1971年昭和46年)、硬式野球部が夏の甲子園に初出場・初優勝という快挙を成し遂げ、創立間もないが一躍全国にその名が知られることとなった。

部活動実績

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部活動における生徒の活躍は目覚ましい。

  • 模擬国連部
    元々は部活ではなく、一部の生徒による自主的活動であったが、生徒たちの強い希望により部活動になった。特に桐蔭学園中等教育学校の模擬国連部は、他の渋谷教育学園幕張などと並んで模擬国連の強豪である。過去にはニューヨークの国連本部で行われた国際大会で優勝したことがある。現在では通常授業ともコラボしており、グローバルチャレンジといって、部員以外の生徒全員がグローバル教育の一環として模擬国連を体験する。
  • 硬式野球部
    高等学校に1966年設置。奇本芳雄監督の下、大塚喜代美土屋恵三郎の活躍で1971年夏(第53回)に初出場で初優勝を成す。以来、甲子園出場は春6回、夏6回を数える。
  • サッカー部
    全国屈指の名門でヴェルディ川崎(総監督)などで指揮を執った李国秀が長らく監督を務めていたことでも知られる。李監督の下1989年に全国選手権大会初出場を果たした。戦績の最高はインターハイ優勝(2011年[13])。多数のプロ選手を輩出。W杯五輪にも戸田和幸森岡隆三らを送り込んだ。水嶋ヒロも同校サッカー部出身であり、冬の選手権にも出場している。全国高等学校サッカー選手権には2003年度大会以降10年以上遠ざかっていたことから、2015年3月に李監督が復帰するも、一部週刊誌に李監督によるパワハラ騒動が報じられる[14] などした結果、2017年度にチーム内の分裂騒動が発生。下級生から徹底強化する名目で李が指導するAチームは1、2年生のみで編成され、高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグの都道府県リーグに当たる神奈川県U-18サッカーリーグ1部に参加、顧問の蓮見理志が監督を務めるBチームは3年生全員と自らの意思でBチームに加わった2年生3人で編成され、神奈川県U-18リーグには3部リーグに参加した[15]。結局県リーグは、1部リーグは18試合全敗23得点102失点と惨敗[16][17]、一方3部リーグに参加したBチームは9試合7勝2引き分け無敗の46得点2失点とグループ2位となった[18]。Bチームは練習すらできないことや練習ができてもグラウンドの端しか使用できない時期もあり、3年生にとって最後の大会となる選手権にも一時は李が率いるAチームが選手権予選に出場する予定だったものの、学校側の後押しで3年生中心のBチームで出場することが叶い、決勝でPK戦の末、桐光学園高校に競り勝ち、14年ぶりの全国選手権への出場を決めた[19]。その後2018年3月に監督交代が報じられ、OBの八城修が監督に就任した[20][21]。また、かつて存在した桐蔭学園中学は2008年全国中学校サッカー大会で優勝を果たした[22]
  • ラグビー部
    全国高等学校ラグビーフットボール大会には17回出場し、2010年度の第90回大会で初優勝(東福岡高校との引き分けによる両校優勝)。2019年度の第99回大会決勝戦で御所実業高校と対戦し23-14(前半3-14)で勝利し9年ぶり2回目(単独では、7回目の決勝進出で初)の優勝となり、翌2020年度の第100回大会でも決勝戦で京都成章高校に32-15(前半10-10)で勝利し2連覇を達成(大会史上9校目の連覇)。また、2017年の第18回全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会でも初優勝しており、2019年までに3連覇を達成した。中学は全国大会5位と東日本優勝がこれまでの最高成績。
  • 陸上部
    全国大会出場、全国高校総体2006年大阪・4×100Mリレー優勝、2007年佐賀・4×100Mリレー優勝(2連覇)など。
  • 剣道部
    全国大会出場、最高は全国優勝。
  • 柔道部
    2005年・2017年全国高校選手権優勝、2005年金鷲旗高校柔道大会優勝、1996年・2006年・2017年全国高校総体団体戦で優勝。五輪選手輩出。
  • 少林寺拳法部
    全国大会出場、最高は全国4位。関東大会優勝。
  • 水泳部
    五輪選手(高校在学時)輩出。
  • 軟式野球部
    全国高等学校軟式野球選手権大会7回出場、最高成績はベスト4。国民体育大会高等学校野球競技(現国民スポーツ大会)2回出場、第51回国民体育大会優勝。春季関東大会6回出場、最高成績は準優勝。秋季関東大会6回出場、最高成績は優勝、県内最多優勝回数を誇る(3回)。
  • テニス部
全国大会出場、最高は全国優勝。
  • ダンス部
    中学校・高等学校女子部に設置。「全国中学校・高等学校ダンスコンクール」3位入賞(中学校部門では2006年、高校部門では2003年)、「全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)」創作コンクール部門NHK賞受賞(準優勝)(1997年・2006年・2008年)、などの成績を残す。
  • 囲碁部
    全国高校囲碁選手権大会に連続出場。個人戦全国大会出場、最高は全国1位。団体戦全国大会出場、最高は全国1位。
  • 将棋部
    個人戦全国大会出場、最高は全国3位。団体戦全国大会出場、最高は全国3位。
  • 鉄道研究部
    鉄道模型コンテスト全国大会入賞
  • 吹奏楽部
    2017年に第23回東関東吹奏楽コンクールB編成で金賞を受賞。その翌年にも金賞、日本管楽合奏コンテスト全国大会最優秀賞を受賞した。以降、A編成でも毎年上位大会に進出している。
    2022年、2023年には東関東アンサンブルコンテストに出場。銀賞を受賞している。
    2023年にかながわ新人コンクールで最優秀賞と首都圏学校交歓演奏会への推薦を受賞。翌年の首都圏学校交歓演奏会では銀賞を受賞した。
    2024年には横浜代表として第25回東関東選抜吹奏楽大会に推薦され、金賞を受賞している。
事件・事故

2007年11月28日午前3時頃、柔道部所属の1年生男子部員が飲酒で酔った状態で「金を出せ」と路上で女性が所持していた鞄を奪い、被害女性の首を掴み10分程度住宅街を連れ回していた所、青葉署員が強盗容疑の現行犯で逮捕。取り調べに対し男子生徒は「寮で上級生と飲酒していた」と供述[23]

2015年8月14日、柔道部所属の1年生男子部員(当時16歳)が部活動中に倒れ、コーチの通報で緊急搬送。翌々日熱中症による多臓器不全で搬送先病院で死亡[24]

著名な出身者

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政治・経済

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学術

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医療

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文系・芸術

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理系・その他

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スポーツ

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野球

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プロ野球
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※名前の後ろに球団名明記の選手は現役

アマチュア野球・指導者
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サッカー

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柔道

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ラグビー

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その他

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マスコミ

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アナウンサー

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男性
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女性
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ジャーナリスト

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芸能

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俳優

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男性
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女性
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タレント・モデル・お笑い

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音楽

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文化

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その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ 男子部として。当時の制服は学ラン
  2. ^ 中学校・高等学校は高校2年までは男子部と女子部に分かれており、高校3年では男子部と女子部が合同で志望コース別授業を受講するといった「男女併学」を2017年度まで採用していた。
  3. ^ 女子部のみ。
  4. ^ JR横浜線市営地下鉄線中山駅からも乗車可能
  5. ^ 青27のみ市が尾駅からも乗車可能
  6. ^ た26のみ東急田園都市線たまプラーザ駅からも乗車可能

出典

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  1. ^ a b c » 【重要】中学校・高等学校/中等教育学校の再編成について(2017.4.10発表) | 桐蔭タイムライン
  2. ^ a b » 2018年度以降の3学期制への移行について | 桐蔭タイムライン
  3. ^ 鵜川昇『鍛える、伸ばす、育てる 桐蔭学園式全員エリート教育』プレジデント社、1994年11月。 
  4. ^ 『2000年 価値ある学校(ラッキースクール)を探そう 首都圏男子校+共学校』旺文社、1999年7月26日。ISBN 4-01-008952-0 
  5. ^ 1学年31クラスは、日本最大級である。
    小林哲夫「東大合格者盛衰史」60年間のランキングを分析する、光文社、2009年9月20日
  6. ^ 「中学受験白書」ダイヤモンド社、2010年4月、p.5
    「中学受験 パーフェクトガイド」、読売新聞社、2009年10月、pp.16-21, p.87
    「中高一貫校の実力」読売新聞社、2010年9月、p.39
  7. ^ 2017有名大学合格者数、サンデー毎日、2017年4月3日
  8. ^ 「東大合格者盛衰史」60年間のランキングを分析する、小林哲夫、2009年9月20日、光文社
  9. ^ » 【高校入試】平成30年度 高等学校(男女共学化)の生徒募集要項〔基準含む〕を公開しました | 桐蔭タイムライン 2017.09.01
  10. ^ a b c d e f 桐蔭学園報第16号(2010年9月)より。
  11. ^ 交通アクセス”. 桐蔭学園高等学校. 2024年3月23日閲覧。
  12. ^ a b 桐蔭学園報第153号(2023年5月)
  13. ^ 平成23年度全国高等学校総合体育大会(サッカー競技) 日本サッカー協会”. 日本サッカー協会. 2021年8月31日閲覧。
  14. ^ “名門・桐蔭高サッカー部 元J監督パワハラ騒動”. 週刊朝日. (2015年4月16日). https://dot.asahi.com/articles/-/107456?page=1 2021年8月31日閲覧。 
  15. ^ “分裂、逆境乗り越えた桐蔭学園「23人でやれる限界感じた」森山2発も実らず”. ゲキサカ. (2018年1月3日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?235173-235173-fl 2021年8月31日閲覧。 
  16. ^ 不戦敗による0-9となった1試合含む
  17. ^ 2017年度 神奈川県U-18サッカーリーグ K1 ≫ 順位表”. 神奈川県サッカー協会. 2021年8月31日閲覧。
  18. ^ 2017年度 神奈川県U-18サッカーリーグ K3 ≫ Bグループ ≫ 順位表”. 神奈川県サッカー協会. 2021年8月31日閲覧。
  19. ^ 安藤隆人 (2017年12月27日). “【高校選手権展望】<桐蔭学園>「苦しい3年間」だったからこそ…覚悟のサッカー、真価を大舞台で”. サッカーキング. https://www.soccer-king.jp/news/youthstudent/hs/20171227/691160.html 2021年8月31日閲覧。 
  20. ^ スタッフ・選手紹介 桐蔭学園高等学校サッカー部”. 桐蔭学園高等学校サッカー部. 2021年8月31日閲覧。
  21. ^ ““内部分裂”から「やっと普通のチーム」に…総体敗退の桐蔭学園、情熱的指揮官とのリスタート”. ゲキサカ. (2018年6月9日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?246735-246735-fl 2021年8月31日閲覧。 
  22. ^ 第39回 全国中学校サッカー大会 日本サッカー協会”. 日本サッカー協会. 2021年8月31日閲覧。
  23. ^ 部員逮捕で年内の活動自粛/桐蔭学園高柔道部 神奈川新聞社 2007年11月29日
  24. ^ 柔道部活中に熱中症、死亡 桐蔭学園高1男子 日刊スポーツ 2015年8月20日
  25. ^ Amano”. 2014年1月4日閲覧。[リンク切れ]
  26. ^ “略歴”. 吉原真里ウェブサイト. http://www.mariyoshihara.com/bio-j.html 2015年11月13日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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