木原正裕
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きはら まさひろ 木原 正裕 | |
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生誕 |
1965年8月21日(59歳) 日本・東京都新宿区 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
一橋大学法学部 デューク大学法科大学院 |
職業 | みずほフィナンシャルグループ執行役社長 |
親 | 木原雄一郎 |
木原 正裕(きはら まさひろ、1965年(昭和40年)8月21日 - )は、日本の実業家。みずほフィナンシャルグループ代表執行役社長兼グループCEO[1]。木原誠二内閣官房副長官は弟。
人物
[編集]東京都新宿区出身[2]。桐蔭学園高等学校を経て、1989年(平成元年)3月に一橋大学法学部を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行[1][3]。楽天グループの三木谷浩史会長は大学・銀行の1年先輩で独身寮でともに過ごした仲[4]。三井住友銀行の福留朗裕頭取は大学のアイスホッケー部の先輩で1年間一緒にプレーをした[5]。1995年(平成7年)6月、米国デューク大学ロースクールを修了。
2017年(平成29年)4月みずほ証券執行役員、2020年(令和2年)4月みずほフィナンシャルグループ・みずほ証券常務執行役員等を経て、2022年(令和4年)2月みずほフィナンシャルグループ代表執行役社長兼グループCEOに就任[6]。
家族・親戚
[編集]- 実家(木原家・下坂家)
- 高祖父・頼三(諫早銀行元頭取)[7]
- 曽祖父・中三(旧姓:碇)[8]
- 曽祖父・下坂藤太郎(台湾銀行理事)
- 祖父・通雄(第一銀行元取締役)
- 父・雄一郎(日本国際通信元専務)[9]
- 弟・誠二(内閣官房副長官)
- 義実家(浜本家)
浜本家は元々、浜本商会という旧満州国屈指の畳商として名を馳せていた[10][11]。
なお清浦奎吾元首相や山科礼蔵東京商業会議所副会頭と姻戚関係にある[10]。
- 義曽祖父・忠吉(浜本商会代表、1878年(明治11年)11月5日生)[11]
- 義祖父・忠史(南満州鉄道副参事・斉斉哈爾(チチハル)鉄道局経理部長、1907年(明治40年)または1908年(明治41年)11月生)[11]
- 義父・光雄(第一勧業銀行元常務、センチュリー・リーシング・システム会長、1939年(昭和14年)1月1日生)[14][13]
- 妻・直子(バークレイズ信託銀行勤務、1969年(昭和44年)3月13日生)[14]
- 浜本光雄の長女[13]。上智大学法学部・ロンドン大学キングスカレッジ卒[14]。
脚注
[編集]- ^ a b “みずほFG:代表執行役等の異動に関するお知らせ”. www.mizuho-fg.co.jp. 2022年2月11日閲覧。
- ^ 正念場のみずほFG、新社長は「ドラッカーの教え」を守れるか2022.1.20日経ビジネス
- ^ 「週刊文春」編集部. “兄はみずほ新社長、弟は岸田最側近 木原兄弟の「出世」「金」「好色」”. 週刊文春 電子版. 2022年2月11日閲覧。
- ^ みずほ「楽天証券20%出資」はお友達ディールFACTA ONLINE2022年12月号 BUSINESS
- ^ 三井住友銀行の福留次期頭取 2度の金融危機を震源地で けいざいじん日本経済新聞2022年12月15日
- ^ “みずほ、木原新社長きょう就任”. 日本経済新聞 (2022年2月1日). 2022年2月11日閲覧。
- ^ a b “木原賴三 (第4版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2022年2月11日閲覧。
- ^ 閨閥学 (2021年9月12日). “木原家(木原誠二・木原雄一郎・木原正裕の家系図)”. 閨閥学. 2022年2月11日閲覧。
- ^ 『人事興信錄』人事興信所、1995年 。
- ^ a b c “記念誌 : 大連開業二十年聯合祝賀會 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年2月11日閲覧。
- ^ a b c d e “大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年2月11日閲覧。
- ^ “満洲紳士録 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年7月29日閲覧。
- ^ a b c d 閨閥学 (2021年9月13日). “浜本家(第一勧業銀行常務・浜本光雄の家系図)”. 閨閥学. 2022年2月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信錄』人事興信所、1999年 。
参考文献
[編集]- みずほFG:代表執行役等の異動に関するお知らせ